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学校教育の成果による人的資本の蓄積に関する一考察

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Academic year: 2021

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(1)「学校教育の成果による人的資本の蓄積に関する一考察」. 教科・領域教育専攻.  社会系コース.   MO4234B   渡辺敬宏.

(2) 論文題目.      「学校教育の成果による人的資本の蓄積に関する一考察」.                   教科・領域教育専攻 社会系コース,.                       MO4234B 渡辺敬宏 章別構成. 序論 研究の目的と方法. 第1章 進学の経済学的側面と人的資本論.  第1節 進学の投資的側面と消費的側面.     1.人的資本論     2.シグナリング理論.     3.人的資本論とシグナリング理論の補足     4.学校教育の消費的側面     5.教育においてのその他の経済学的特徴  第2節 教育投資理論としての人的資本論     1.人的資本における教育収益率の概念.     2.教育収益率の実態     3.教育の収益率の問題点 第2章 人的資本蓄積の成果としての学力と経済成長  第1節 学力低下論と学力低下論批判(学力の定義・学力低下の実態・学力低      下の経済学的問題).     1.学力低下論争の経緯     2.本論文での学力の定義  第2節 人的資本蓄積の成果としての学力向上における経済成長との関係.     1.学力と人的資本の蓄積.     2.人的資本の蓄積と内生的経済成長理論     3.学校教育の量および質と経済成長 終章 結論. 1.

(3) 序論 研究の目的と方法 教育経済学の領域の研究を進めようと考えた契機は、経済学部の出身であった. ことに加え、教師なりたいと考えていることから教育に対する関心も強く、教 育界の動向について考えているうちに、教育問題と経済の関係に気づき、経済 学と教育が融合された教育経済学という分野に興味を持ったことにある。. 近年、2002年の新学習指導要領の導入、学力低下や学級崩壊、犯罪の低年齢 化など教育における実に多様な問題が浮き彫りにされてきていることから、教 育のあり方に対する議論が急速に高まっている。最近の教育のあり方における 一連の議論の特徴は、教育の専門家にとどまらず、特に社会科学の様々な分野 の専門家からの意見が出されていることである。そうした意見の中でも、特に 顕著なのが経済学者からの意見である。その代表的なものが、学力低下論争に 関わる経済学者の議論である。学力低下論争は、西村和雄京都大学経済研究所 教授が、学習指導要領改訂毎に削減される学習内容により、教科、特に数学や 理科の学力低下が進み、これが日本の国力を低下させると論じたことから始ま った。また、第3期中央教育審議会の会長に、経済学者の鳥居泰彦氏が再任さ れたことも注目すべき点である。.  教育を経済学の枠組みで考察することは、目本ではこれまであまり行なわれ てこなかった。例えば、ミクロ経済学において経済主体が追求するとされる効 率性の論議は、教育の論議に馴染むものではないと考えられる傾向があったか らである。一般的に教育の果たす機能として、人問形成、社会的統合などが期 待されることから、教育についての考察も、心、社会、文化などといった側面 からのアプローチが中心であった。教育の分野においては、消費者主権が限定 されていることや、外部経済性が大きいこと、さらに効率性だけでなく公平性 も求められることなどから、消費者が自由に選択できる一般的なサービスとは 同列には論じられないとされてきたのである。しかし、そうした制約はあるも のの、教育をミクロ経済学の枠組みで考えることには意味があると思われる。 これは個人の能力や家族の所得等、一定の制約条件の下で、最大の成果をあげ ることを目的とするという一般的な経済モデルで、多様な人々の教育サービス に関する行動を説明できる可能性があるからである。すなわち、教育を受ける、. または教育を子どもに受けさせるという行動は、一定の制約条件の下で効用を 最大化する人間の行動としても解釈できるからである。もちろん、教育をミク ロ経済学的な視点から考察するということは、全てお金に換算して考えるとい うことでもなければ、安直に市場原理を導入せよというものでもない。この場 合の経済学的な視点とは、限られた資源をもとに、消費者や社会の二一ズを最. も的確に反映した質と量のサービスを提供するという意味であり、この論議を. 2.

(4) 現在の目本め教育に適用することが部分的には可能と思われるのである。.  また教育をマクロ経済学の枠組みで考えることもできると考えられる。社会 全体の生産水準の上昇、即ち、経済成長を生み出すためには、特に資本・労働 の質および量的拡大が必要であるといわれている。日本は今後少子高齢化が進 み、全体の労働者の数、即ち、労働の量が減少することは明白である。しかし、 労働の量が減少しても、経済が成長を続けるためには、労働力の質を向上して いかなくてはならない。そのために、教育は欠かせないものであると考えられ るのである。.  教育経済学は、経済学の中でもまだ歴史は浅いが、教育を経済学的に捉える. 手法は様々なものがある。本論文では、人的資本という概念を軸として教育を 経済学の枠組みで考察していきたい。人的資本は、人間に体化された技能・熟 練・知識のことであり、経済学においては、人的資本の蓄積が労働力の質を向. 上させるものであると考えられている。人的資本は、学校教育を受けることや 職場内教育・訓練などによって蓄積されるが、これらの要因の中でも特に人的 資本と学校教育との関係を強調したのが人的資本論である。この理論は、学校 教育により労働力の資質が向上して生産性が高まり、労働者の収入が高まると いうものであり、Becker【19641によって展開され、その後、これを発展させる 彩しい研究が生まれた己. 、人的資本という概念を軸として教育を経済学の枠組みで考えると、人的資本. の蓄積が個人の能力を高めるという点で学校教育が個人に及ぼす影響と、個人 の能力の高まりが社会全体へ派生的に経済効果をもたらすという点で社会に及 ぽす影響の双方を分析できる。.  まず学校教育が個人について及ぽす影響1;ついてであるが、人的資本論は本. 来、個人の進学行動を経済学的に分析する議論である。この議論によれば、学 校教育に対する需要は、学校教育を受けることによって将来得られるであろう と予想される便益が学校教育のコストを上回る時になされる。.  次に学校教育が社会に及ぼす影響についてであるが、社会の生産活動水準は 各労働者の活動水準の総和である。よって、労働者の平均的能力により、社会 の生産活動水準が決まることになる。より豊かな社会をつくるためには、技術、 サービス等各分野での労働者一人ひとりの能力を高めることが必要である。そ うした労働者の能力、即ち、労働の質の向上が人的資本の蓄積なのである。そ して人的資本の蓄積に学校教育が大きく寄与しているのである。したがって、. 学校教育が国力に大きな影響を及ぼすと言えるのである。その意味で人的資本 の概念により、学校教育が社会に及ぼす影響を検討できる。またこのことによ り、労働者の能力の一っの指標と考えられる学力にっいて議論している学力低 下論争も、人的資本論の枠組みで捉え直すことが可能となるのである。. 3.

(5)  その意味で最近文部科学省も学力低下を認め、「ゆとり教育」を見直し、確か. な学力を定着させると提唱しているものの、O E CDの学力到達度調査で目本. の15歳児の読解力の成績が前回の8位から14位に、数学的応用力の成績が1 位から6位に低下したことや、国際教育到達度評価学会(I EA)の国際数学・理. 科教育動向調査の2003年調査における成績が小学校理科で2位から3位に、中 学校理科で4位から6位に低下してしまったことは、西村和雄氏の主張に照ら し合わせても憂慮すべきことである。.  以上により、本研究の目的は、人的資本という概念を軸として、学校教育が 教育を受ける個人および社会に対してどのように経済的影響を及ぼすのかを明 らかにすることにある。その際、個人に対する教育の経済的影響は、特に人的 資本論を中心に検討する。これは本論第一章において行なう。また学校教育の 社会に対する影響は、特に人的資本蓄積の成果としての学力と経済成長の関係 を考察することによって検討する。これは本論第二章おいて行なう。. 4.

(6) 第1章 進学の経済学的側面と人的資本論  教育の中でもとりわけ学校教育は、教育学のみならず各専門分野からの研究 が可能な分野である。教育学や心理学はもちろんのこと、政治学や財政学、あ るいは自然科学の各分野からの研究も可能であろう。学校教育は非常に学際的 な性格を帯びているといえる。しかし本論文では、多岐にわたる分野の中でも 特に経済学という視点を軸に学校教育を考察していきたいと考えている。なぜ なら経済学は、抽象的、空想的議論に陥るのを避けながら、制約条件に基づい た現状の分析や社会全体の効率性を議論するのに適切であるからである。学校 教育が意味する範囲は非常に広く、学校教育全体についての経済学的な考察を するのには無理がある。学校教育を経済学で考察する場合、最もわかりやすく、. 先行研究も豊富であるのが進学行動についての考察である。個人の進学行動を 経済学を通して考察することにより、今までの議論とは違った視点からの考察 が可能となる。それゆえに、本章では、特に進学行動を中心に学校教育を考察 していきたいと考えている。その際に、必要と思われる教育の経済学的な側面 についても随時触れていきたい。進学行動を経済学的に考察する上で欠かすこ とのできない最も代表的な二つの理論がある。それは、r人的資本論」とrシグ ナリング理論」である。進学行動といってもいろいろな段階での進学があるが、 本章では、特にこの両理論が最もよく説明している大学への進学行動を中心に 考察していく。. 第1節 進学の投資的側面と消費的側面. 第1項人的資本論  経済学の視点から教育を考察する場合、最も経済学的な発想は教育を投資と して考えることである。その代表が人的資本論である。人的資本論は、義務教. 育から高等教育までのどの段階の教育にも適用可能であるが、本論文では、大 学進学行動の考察に重点をおく。人々は何を目的に進学するのか。どのような 条件が満たされた場合に人間は大学に進学することを決定するのか。このよう な問題を「人的資本論」という経済学的な視点から考察してみる。  教育の経済学のキーワードの一っは「人的資本(humancapita1)」である。し. かし、この言葉に違和感を持つ人もいる。人問を機械とみなしているような印 象を与えたり、金銭のことを思い起こさせたりするからであろう。.  多くの人が誤解しているところであるが、経済学は必ずしも個人の金銭的な 利益ばかりを問題にしているわけではない。経済学の究極的な目的は、社会全. 5.

(7) 体にとって最も好ましい状態を考案することなのである。.  人間が作り上げたり蓄積したりしたもので、長期問にわたって便益(収益・利. 益)を生み出すものを経済学では「資本」と呼ぶ。工場設備や機械が資本の典型. 例である。道路・港湾・空港も資本の例である。また資本の量を増大させるこ と、すなわち新たな資本を作り出すために支出することを「投資」と呼ぶ。こ. の定義に従うと、教育によって身につけた知識や技能も資本とみなすことがで きる。それを所持することによって、高い賃金が得られたり好みに合った職業 に就けたりする利益が享受できるからである。また社会全体から見ても、教育 によって構成員問のコミュニケーションが容易になったり、優れた指導者が生 まれて国民全体に利益をもたらしたりする。そのため、教育によって蓄積され. た知識や技能は「人的資本」と呼ばれる。また教育は人的資本の量を増大させ る活動なので、人的資本の蓄積に向けての投資活動とみなすことができる。こ こで「人的」という修飾語が使われているのは、資本が人問のなかに蓄積され. るためである。これと対比するとき、設備や機械などの資本はr物的資本」と 呼ばれる1)。.  人的資本論については、教育の持っている本来の役割を無視した、「極めて非 人間的、反社会的」な考え方だと厳しく批判する立場も十分ありうる2)。経済学. 的な分析に話を絞ったとしても、人的資本論は「投資」としての教育、とりわ け「本人による投資としての教育」に関する理論であり、教育にそなわってい るその他の面を十分に考慮していない。しかし、人的資本論が教育という行動 の経済学的特徴を分析可能な形で捉えたことには大きな意義がある3)。  人的資本モデルは、Schultz【197114)やBecker【1964】5)の研究に端を発するもの. で、教育を個人の生産能力を高める投資活動とみなす点に特徴を持つ。この理 論によれば、教育投資の需要量は、教育から受ける限界的便益と教育に必要な 限界費用が一致する点で決定されるということになる。企業が機械や設備に投 資して生産性の増加をはかるのと同じように、個人も教育に投資して労働者な. いしは経営者としての自己の生産能力を拡大させることができ、かつ、その生 産力拡大効果は社会的に計測可能なので、その分だけ企業は労働報酬や経営者 報酬を増やすことができるというのが、人的資本モデルの基本的な考え方であ る。.  生産能力拡大効果は、教育を受ける個人の便益を示すものであるが、これに 対して教育のコストも考える必要がある。教育のコストとして個人(ないしその 親)が負担するものとは、入学金・授業料・塾や習い事の月謝・書籍文房具費等 の直接的費用や、遊びたい気持ちを我慢して勉強するというような精神的な負. 担も間接的費用として含む。さらに、教育期間中に働くことができないことか ら生じる放棄所得のような機会費用がある。また、社会的な負担としては教育. 6.

(8) に対する公的な補助金を挙げることができる。いうまでもないことだが、この 公的な補助金は、全ての国民から徴収された税金から捻出されている6)。. 人的資本論によれば、教育からの便益と費用とを比較することにより、最適 な教育水準が決定されるということになる。すなわち、教育は労働生産性や賃 金を高める一種の投資として捉えられ、教育にかかる費用と後で得られる収益 とを比較することにより、収益が費用を上回れば教育に対する需要が決定され ることになる。その場合、教育についても民間企業による投資設備と同様に、. 収益率という概念が必要となる。ただし、ここで注意が必要である。詳しくは. 第2節で述べるが、教育からの便益と費用というものは長期間にわたるもので あるから、長期にわたる便益と費用を比較するために、それらを割引現在価値 に変換して便益と費用を比較する必要があるということである7)。. 第2項 シグナリング理論  進学行動を経済学的に分析をする際に、人的資本論と並んで最も有名な理笹 がシグナリング理論である。.  何かを知りたいと思ったが、そのことに関して有益で直接的な情報を得るこ とができないとき、私たちは、間接的な情報からそのことに関してある一定の 予測をすることがある。たとえば、初めて入る店が、よい店かどうかを判断し たいとき、その店の外観や内装をまず見て判断するだろう。あるいは、実際に. 店の中に入ってみて店員の応対や品揃えを見て、その店で商品を買うかどうか を判断する。.  この問題を、観察される側から考えてみる。初めてのお客に対して自分の店 は悪い店ではないことを知ってもらうために、外観や内装を人受けのいい綺麗 なものにしている店は多いであろう。この場合は外観や内装によって自分の店 に関する情報を相手に伝達しているとみなすことができる。つまり外観や内装 がシグナルになっているのである。またその店が、できるだけ多くのお客に商 品を買ってもらうために、店員の応対をよくしたり品揃えを増やすかもしれな い。ここでは店員の応対や品揃えがシグナルとなっている。  これと同じように、学歴が個人の能力のシグナルになるというのがシグナリ ング理論の主張である。人々が教育を受ける理由は、自分の能力を他者に知ら しめるためであって、教育を受けることによって自分の能力を高めるわけでは. ないというのがシグナリング理論の根本的な発想である。一定の大学に入学で きた、あるいはその大学を卒業できたという実績を他者に示すことに重点がお. かれる。この理論によると、個人の能力は他者には判断しにくいので、企業が. 7.

(9) 新入社員を採用するときは学歴を基にしてそれを推測し、採用や処遇を決める ことになる。求職者の立場からいうと、自分に能力があることを企業に知らせ るために高い学歴を取得することになる。シグナリング理論の基本的な特徴は、 人的資本論と違い、大学での教育が学生の能力をまったく向上させなくとも、 個人は自分の高い能力を企業や社会一般に知らせるために大卒学歴を得ようと するというところにある。.  重要なことは、シグナリング理論によると、大学卒業証書は大学で獲得した 知識や技能を証明するものではなく、個人の生来の能力あるいは大学入学まで に家庭やその他の様々な場で獲得してきた能力の高さに関する情報を社会に伝 達する役割を果たすにすぎないということである。個人が大学卒業証書を保有 していれば、企業はその個人を高い能力の持ち主であると判断することができ、 それを保有しない者と比べて好ましい処遇をすることになるので、能力のある ものは大学に進学するということになる。.  たとえある個人の生産能力が大卒者と同じであったとしても、その個人が大 学を卒業しなければ企業や社会はその個人の生産能力が高いとは評価されず、 支給される賃金も低い水準になる可能性がある。したがって、生産能力の高い 個人はその高さを社会一般に知らせるために、大学に進学するインセンティブ をもつことになる。.  では、大学を卒業すると生産能力が高いと評価され高賃金が支給されるので あれば、すべての個人が大学に進学すればよいということになるのか。しかし そうなると、大卒という学歴はシグナルの機能を発揮できなくなる可能性も出 てくる。すぺての者が大卒なら、大卒ということ自体は、他者と差をつけるた めの道具として機能しなくなるからである。.  しかしながら、大学教育には選別のメカニズムがあり、すべての個人が大学 卒業証書を手に入れることができるわけではない。大学には入学試験があるし、 入学者に対しても何度となく試験が行われる。こうした試験に合格できない者 は、大学に進学しないか進学しても卒業できない。自分の能力が低いので入試 やその後の試験に合格するための努力や費用が割に合わないと感じる者は、大 学に進学しない。.  こうしたメカニズムのために大卒者は生産能力が高いとみなされ、シグナル が機能することになる。この場合、大学が学生の生産能力をまったく向上させ なくとも、個人はシグナルを得るために大学に進学することになる。  以上の理論は、「情報の非対称性」という概念を基に理論化できる。情報の非 対称性とは、企業が新たに労働者を採用する場合を想定し、そして求職者は同 質ではなく、その生産能力には散らばりがあると考える。あるものは生産能力 が高く、他の者は低い。個々の求職者は自分の生産能力をよく知っているが、. 8.

(10) 企業は知らないと仮定する。また企業が労働者を採用しても、個人の能力は短 期問には判明しないとする。このように、労働の供給側(労働者)と需要側(企業). との間で保有している情報量に差があるとき、情報の非対称性が存在するとい う。.  われわれは、自分の能力をそれほど正確には知らない。自分の能力が判明す るのは、教育を受けた後のことが多い。あらかじめ自分の能力がわかっていれ ば、人はより上を目指そうとはしないだろう。学校教育を経済学的に考察する. 場合、自分または自分の子どもの能力や教育の成果をめぐる不確実性が複雑に 絡み合っている状況を想定しなければならない。  情報の非対称性が存在し、個人の生産能力を直接的に知ることが企業にとっ てコストがかかり困難な場合は、シグナルが使われる可能性がある。すなわち、. 観察可能で生産能力を間接的に示すとみなしうる個人の属性を基にして、企業 はそれを予測する。そのような属性の典型例が学歴なのである。  また、シグナリング理論は、「個人の負担する大学教育費用は、その個人の生 産能力と負の相関をする」という非常に重要な仮定を導入する。これはすなわ ち、少ない費用で卒業証書を得ることができる者は、企業でも単位時問当たり 多くの生産物やサービスを産出することができるとみなされているからである。  よって、シグナリング理論の考え方を突き詰めれば、「学生は大学に入学すれ ばすぐに就職すればよい」ということにもなりかねない8)。.  本来のシグナリング理論は、教育が個人の生産能力をまっ.たく向上させない 場合でも、各個人は教育を受けるインセンティブを持つことを示す。そのため、. 教育が個人の生産能力を向上させないという仮定を使って分析されるのである。. そこでは、教育にかかる費用は知識・技能・能力に関する情報シグナルを発す るための費用であり、この費用は金銭的な費用のみならず、精神的な費用や時 問的な費用も含む。そして、この教育にかかる費用と個人の生産性との間に負 の相関関係があるというのが、シグナリング理論において決定的に重要である。. すなわち、知識・技能・能力に関して優位を持つ個人ほど少ない教育費用で教 育を修めることができると想定できるからである。このことは、逆にいえば、 知識・技能・能力に関して優位を持つ個人ほど、修得した教育水準が高いとき でも、それに必要な教育費用はあまりかかっていないことを意味する。.  各個人の生産性を直接的に観察できない企業は、各個人の生産性とその教育 費用との間に存在するこのような負の相関関係を背景にして、各個人の平均的 な生産性と修得した教育水準との間に次のような価値判断を持つ。つまり、修 得した教育水準が高い者ほど平均的な生産性が高いだろうというものである。 この価値判断にしたがって企業は労働者に対して賃金を払うので、修得した教 育水準が高い者ほど高い賃金を得ることになる。. 9.

(11)  逆に、教育水準と企業が払う賃金との問に成立するそのような正の相関関係 から教育投資の価値を計算することができ、その教育投資の価値と自分が払う 教育費用とを比較することにより、各個人は自己の教育水準を決定することに なる。.  このようなプロセスは、経済全体における各個人の教育水準と平均的な生産 性との間の客観的な相関関係を決めることになる。この客観的な相関関係と初 めに企業が想定していた価値判断との間に、食い違いがなければ、企業は最初 に持っていた価値判断を変えることはない。この場合、最初に企業が持ってい る価値判断とそれに対する各個人の教育投資行動が安定的な均衡状態、すなわ ち、シグナリング均衡を形成することになる9)。. 第3項人的資本論とシグナリング理論の補足点  両理論は、教育を経済学で分析する上で不完全な部分がある。荒井[2002】によ. れば、両理論が現実の社会に当てはめて考える上での相対的な妥当性を持っの には、以下の条件に依存する。.  第一に、初等の教育ほど人的資本が成立しやすい。義務教育で教えられる知 識は生産活動や社会生活に必須のもので、それが不十分であれば個人の生産性 は著しく低くなるからである。.  第二に、理科系的な教育や職業など高水準の教育においても人的資本論が成 立しやすい。技術者や医者になるためには、大学教育から得る知識や技能が不 可欠である。すなわち、大学に進学することによって、個人の生産能力が確実 に上がったと考えるのである。それに対して、文科系的な教育と職業において は、学校教育で習得した知識が生産と直接的に結びつかない場合が多く、シグ ナリング理論の成立する可能性が高い。.  第三に、経済が発展し経済や技術が複雑化・高度化するにしたがって、大学 院教育においても人的資本論が成立しやすくなる。理系の有力大学では大学院 進学者が極めて多いこと、ビジネス・スクールやロー・スクールの開設が脚光 を浴びていることなどにそれが表れている。要するに、手に職をっけ、個人の 生産能力を高めるのである。.  第四に、就職直後に学歴を基に決められる企業内訓練や経験が、将来のキャ リアを決定する度合いが大きい雇用慣行の下では、シグナリング理論が成立し. やすい。生産能力が高くても学歴のない者は自己生産能力を発揮し、企業にそ れを認知させる機会が少ないからである。.  第五に、企業の採用決定者が責任回避的であるほどシグナリング理論が成立. 10.

(12) しやすい。シグナルを使って一流大学の卒業者などの採用を決めれば、後に失 敗人事であることが判明しても、採用決定者は、適材適所に人を配置すること に失敗しただけで、一流大学を卒業しているのだから、 その人を雇ったこと自. 体は失敗ではなかったという意味でのシグナルの誤差であるといって、責任を 回避することができるからである。.  さらに、二つの理論は互いに排他的ではない。教育によって人的資本論が適 用しやすい分野(ビジネス・スクールや医学部などの理系の学部)とシグナリン グ理論が適用しやすい分野(一般サラリーマンの養成を目指す法学部や経済学 部等)がある。.  しかも、小塩[20021によれば、二つの考え方は、いずれも教育を「投資」とし. て受け止めているという点では同質である。人的資本論は、教育投資から得ら れる収益が投資費用をどれだけ上回るかという発想で教育需要を捉えている。. 一方、シグナリング理論も、どれだけ費用を使って自分の能力を他者に知らし めるかで需要する教育水準が決まると想定している。  シグナリング理論で注意しなければならないことは、高卒、大卒といったr縦 の学歴」だけが重要なのではないということである。特に目本においては、高 校進学率はほぼ100%、大学進学率も大幅に上昇しており、この縦の学歴はシグ. ナリング機能を発揮しなくなっているといえる。むしろ目本で重視される学歴 は、同じ大卒でもどこの大学を出たかという「横の学歴」である。.  ではなぜ、企業が出身大学に注目するのだろうか。経済学的な解釈は、学生 の真の能力を知ることが難しいからだというものである。真の学力は受験学力 とある程度似たものであると企業が想定することにより、真の能力を判断する ための情報収集コストが節約できる。もちろん、真の能力と受験能力とは違う 部分もあり、それによって企業は損失を受ける場合もあるだろうが、情報収集 コストの節約分がその損失を上回る限り、企業は「横の学歴」で判断し続ける ことになる。.  すでにみたように、人的資本論では、個人が大学教育を受ければ知識や技能が. 身につき生産能力が高まり、高卒労働者より高い賃金を獲得することができる と考えるから大学に進学するのである。シグナリング理論では、大学教育がそ れを受ける個人の生産能力をまったく向上させなくとも、個人は大学に進学す る動機を十分に持っと考えるから大学に進学するのである。二つの理論は対比 しているように見えるが、小塩氏のいうように必ずしも排他的ではなく、大学 進学行動を説明する際にはむしろ補完的である。. 11.

(13) 第4項 学校教育の消費的側面  さて、教育は投資的な側面ばかりではない。全ての個人が高い賃金を得るため. だけに大学に進学するのではない。教育を受けること自体から効用を得るとい う面も、少なからずあるのである。たとえば、授業が面白く、教育を受けるだ けで本人は満足する場合もあり、教育を受けたからといって必ずしも能力(生産 性)が上がるわけではない場合もあるかもしれない。実際、ほとんど使う予定の ない資格をいくつも取得する「資格マニア」の行動は、投資というよりは消費で. ある。また、子どもに教育を受けさせることは、子どもという媒介を通じた親 の間接的な消費行動と捉えることもできる。有名学校に入学させることにより、. 親の虚栄心という効用が満たされる。この場合、有名学校に入学したという事 実だけで満足し、能力(生産性)が上がったかどうかは無視される。重要なのは、. 教育需要の意思決定主体が、「本人(子ども)」か「親」かという違いの問題であ. る。経済学で進学行動を考える際に、意思決定の主体が誰なのかをはっきりと. させておく必要がある。前述の投資としての教育と比べると、両者の違いがは っきりとしてくる。そこで、小塩【20031の表を参考に、意思決定の主体と目的の 違いについて表1にまとめてみた。. 表1 教育需要の主体・目的マトリックス 教育需要の目的 投資’. 教育需要の主体. 本人 子ども). 親. 本人の投資 しての教育. 親の投資 しての教育. 12. 消費. 本人の消費 しての教育. 親の消費 しての教育.

(14) 第一は、本人による投資としての教育である。このタイプの教育は、まさに人. 的資本論が想定するような教育に合致する。人々は自分で学費を払い、そして 将来その収益を得ることを期待する。しかし、本人による投資としての教育の 捉え方は、目本の教育にどこまで当てはまるのであろうか。小塩隆士[20031が指. 摘するように、目本では、大学レベルにおいても学費は親が払っているのが一 般的であろう。しかも重要なことは、その親はそれほど見返りを期待していな いことである。つまり、収益率をわざわざ計算して儲けが出るように考えて自 分の子どもを大学に通わせている親は少ないと思われる。むしろ、大学を卒業 して、社会に出てからの教育のほうが本人による投資の側面が強い。たとえば、. サラリーマンが、スキルアップのためにアフターファイブで専門学校に通った り、社会人向けの大学院に通い、さらにその投資によって見返りを強く期待す るといった行動は、まさに本人による投資としての教育であろう。  第二は、本人による消費としての教育である。このような場合の教育とは、. 絵画を鑑賞したり、博物館の展示物を見たりする行為も含まれる。時間消費的 な消費行動の典型例である。この場合、個人が学ぶこと自体から効用を得るも のであり、外部経済効果はほとんど期待できないので、政府がこのタイプの教 育を援助すべきだということにはならい。.  第三は、親による投資としての教育である。目本の教育においては、この教 育形態がかなり当てはまると思われるが、親はその金銭的な見返りを期待して いない点に注意が必要である。金銭的な見返りがないものを経済学的には投資 とは考えにくい面があるが、ここでは子どもに教育を受けさせることそれ自体 からは効用は得ておらず、教育はあくまでも子どもを幸せにする手段になって いるという点が重要 である。  第四は、親による消費としての教育である。教育熱心な親は、子どもの将来. のためというよりは、むしろ自分のために子どもに勉強をさせているようにも 見受けられる。ここでは、実際に勉強している子ども自身は効用は得られず、 親が効用を得てしまう。子どもの教育にお金をかけることは、子どもの「質」. を購入する行動とみなせる。まさに、親が子どもという媒介を通じて行う間接. 的な消費としての教育である。こうした発想と人的資本論的なアプローチを組 み合わせれば、世間に広く知られているものとは違った視点から少子化の原因 も説明できる。少子化は一般的には、社会制度や法律がかなり整備されてきた ことによる、女性の社会進出に伴う晩婚化が主な原因だといわれているが、教. 育が親の効用も満たすものであるといえるならば、教育にお金がかかる昨今で は、子どもの数をできるだけ低く抑えて手厚い教育を受けさせようと考える親 がいるということも十分想定できる。この場合、教育は消費であり、自分の子 どもが有名学校に通うことで親の効用が満.たされるのである。これは、Vbblen. 13.

(15) のいうところの顕示的消費にも近い。見せびらかすことにより個人の効用を満 たすという行動は、教育を消費と考える最たるものである。  さて、教育需要はどのように発生するのか。教育需要は、教育成果や能力をめ ぐる不確実性があるからこそ存在する。教育需要を高めるためには、不確実性 が必要不可欠である。勉強をすれば成績が上がるかもしれないという期待。ど れだけ成績が上がるかはわからないが、わからないからこそみんな勉強をしよ うとする。あるいは親が子どもに勉強をさせようとする。この場合、成績に比 例して必ず収益(賃金)も上がるという前提がある。ただこれは、お金を賭けた. 分以上に、戻ってくる保証はないという点では、極端にいえば、ギャンブルみ たいなものである。別の観点で考えると、逆説的ではあるが、「早めの塾通いは、. その後の塾需要を冷やす」ということができる。この理論は、教育を受けさせ るほどに、子どもの能力が明らかになり、不確実性が薄れ、したがって、教育 需要が後退するというものである。例えば、ピアノを幼い頃からずっと習って いても、プロのピアニストになることは難しいと分かった時点で、それでも、 いっまでも膨大なレッスン料を払い続けることは、趣味として習い続ける場合 以外ないだろう。自分の能力に見極めをつけた人は、いつか教育を需要しなく なる。したがって、教育需要は自己冷却的であるといえる。塾通いが小学生レ ベルで盛んなのは、子どもの能力の不確実性がまだ十分に残っているからであ る。.  また、教育は消費されるという観点から、大学がなくならない理由も考察し てみたい。市場原理においては、淘汰されるべき学校は当然淘汰されなければ ならない。しかし、そのような学校が、国民の税金によって保護されていると いう現実は、 目本の金融業界が抱えている問題と同質であるといえる。近年、 少子化が進む一方で、大学は減るどころか、むしろ増え続けている。人々はお 金で学歴(のみ)を買おうとするのである。なぜなら、前述したシグナリング理 論により大学に進学したほうが、進学しないよりも所得が増加するからである。 所得の増加幅は個人の能力(大学の格差)によって違うであろうが、大学への進 学は確実に利益につながる10)。そこで、多くの人々は大学進学を目指すように. なる。そして、受験者数が増えれば増えるほど、それに伴って様々な能力の受 験者が存在すると想定できる。よって、様々なレベルの大学も必要となるので ある。そこで大学の格差が生まれ、いわゆる三流大学にもそれなりの存在理由 ができるのである。少子化のこの時代に、大学や学部や学科の新設が毎年続い ているのも、これらの理由で需要がきちんと存在しているからである。2007年 に大学全入時代を迎えると予想されているが、それでも、以上のような理由で 大学はなくならないのである。ただ、大学全入時代を迎え、各大学は他大学と 差別化を図るために、様々な資格取得コースを設置している。このため、大学. 14.

(16) はあたかも資格取得の専門学校のようになっている。これについて、果たして 大学というところはそれでよいのかという疑問が湧いてくる。社会に出てから 役に立たない学問でも、哲学などのように大学でしか学べない高等な学問を学 ぶことはもはや無駄なのであろうかm。. 第5項 教育においてのその他の経済学的特徴  教育に対する需要も家計の効用最大化行動の結果として決定されるものとす れば、教育も一つの消費財として考察できる。しかし、教育は普通の消費財と は異なる点がある。それは、まず第一に外部経済性があることである。この外 部経済性という概念が、教育の経済学的な側面を考える上で非常に重要である。. すなわち、教育はそれを受ける個人だけでなく、社会全体にも利益をもたらす という外部経済効果を発生させる。ある個人が教育を受けるとそれだけで社会 全体の生産性が高まり、他人もその恩恵を受けることになるというのが外部経 済効果である。さらに教育は、公共財としての性格も持っている。そのため、 価格メカニズムがうまく機能せず、他の公共財の場合と同様に供給が過少にな りやすい。したがって、公的な支援によって、過少供給を回避する仕組みが必 要となる。.  教育を経済学的に考察する場合に注意が必要なのは、教育の成果は個人によ って異なるということである。不確実性という概念は、教育需要を考える上で きわめて重要である。人的資本論のように、教育を受けないと子どもの能力は 高まらないと仮定した場合、教育は受けないよりも受けたほうが望ましいはず である。もちろん、教育を受けても能力が高まらない子どももいるかもしれな いが、そのような場合はごく稀であり、たとえわずかでも能力が高まる可能性 はあるとする。このように、受けなければ効果はないが、受けることによって 能力が高まる可能性があるという意味での教育の価値を、教育のオプション・. バリューという。このオプション・バリューにとって、不確実性は決定的に重 要である。たとえば、教育を受けても成果がまったく得られないことが初めか らわかっている者にとって.は、教育のオプション・バリューはゼロとなり、教 育を受けることはまったく無駄となる。この場合には、教育によって能力をめ ぐる不確実性が軽減されていくという点にも注意が必要である。つまり、教育 は自らのオプション・バリューを引き下げ、自らに対するという需要を引き下. げていくという自己否定的な側面を持っている。これは、高校までの進学率が. ほぽ100%なのに対し、大学の進学率は、短大も合わせて50%程度しかないと いう事実の一つの根拠にもなる。教育は少なからず、個人の能力を明らかにす. 15.

(17) る装置を内在しているのである。昨今では、勉強だけが全てではないという風. 潮が広まりつつある。確かに、勉強だけで人の価値を決めてしまうのは問題が ある。最近の教育では個人の能力を明らかにしないのが通例となっている。し かし、教育が個人の能力を明らかにしなければ、企業は生き残りをかけて優秀 な人材を確保するために個人の能力を明らかにしようとする装置を作り出すの である12)。. 16.

(18) 1)荒井一博12002]『教育の経済学・入門』勤草書房を参照のこと 2)宇沢弘文[1998]『日本の教育を考える』岩波新書を参照のこと 3)小塩隆士[20021『教育の経済分析』目本評論社を参照のこと 4)Schultz,Theodore W【1971】 “lnvestment in Human Capital”The Free Press:New.  Ybrkを参照のこと 5)Becker,GaryS.【19641 ‘〔HumanCapital:ATheoreticalan(1EmpiricalAnalysiswith  SpecialRelbrence to Education”UniversityofChicago Pressを参照のこと. 6)それゆえに、教育の外部性という概念が重要になってくる。 7)伊藤隆敏・西村和雄編[20031『教育改革の経済学』目本経済新聞社を参照のこと 8)小塩隆士[2002]『教育の経済分析』目本評論社を参照のこと. 9)伊藤隆敏・西村和雄編[20031『教育改革の経済学』目本経済新聞社を参照のこと. 10)最近では、長引く不況や超氷河期といわれるほどの就職難により必ずしも大学進学が確  実に利益につながるとはいえない状況も出てきている。 11)小塩隆士[2002】『教育の経済分析』目本評論社を参照のこと. 12)小塩隆士[2002】『教育の経済分析』日本評論社を参照のこと. 17.

(19) 第2節 教育投資理論としての人的資本論. 第1項人的資本における教育収益率の概念  人的資本論は、人間に体化された知識・技能を資本として考える考え方であ る。人的資本論で教育を考える場合、教育投資から得られる収益が、投資費用(教. 育費用)をどれだけ上回るか。すなわち、教育にかかった費用よりも教育を受け たことによって、教育を受けないよりもより高い収入を得ることができるかが、. 教育を受けるか受けないかの重要な決定要因になる。投資費用よりも高い収益 を得られるのなら人々は教育を需要する。そうでないなら人々は教育を需要し なくなり教育はその存在理由がなくなってしまうことになる。そこで、教育の 収益率が教育の需要を決定する上で重要となってくるのだが、では、教育の収 益率とはどのようなものなのか。.  教育を投資として捉える場合、それにかかる費用を求める必要がある。たと えば、大学に通う場合を考えてみる。大学で教育を受ける費用は、大学の授業 料だけではない。大学に通わないで高卒で働き始めたら得られたであろう賃金. を、大学に通うことで諦めるわけだから、これも大学教育の費用に含めなけれ ばならない。後者のような所得を放棄所得(逸失所得)という。一方、大学教育. の収益は、大卒後、生涯にわたって得る賃金総額から、高卒だった場合の賃金 総額を差し引いたものである。このような大学教育にかかる費用と、そこから 生み出される収益をそれぞれ割引現在価値で評価すれば、大学教育の収益率(厳 密には内部収益率という)が計算されることになる。.  基本的な経済理論では、通常資本市場に・はひとつのある利子率が支配すると. 考える。一般的には、今目持っている100万円を貯蓄すれぱ、1年後には100 万円よりも大きくなっていると想定するのが普通である。これを一般化するた めに数式で表すと次のようになる。. たとえば、100万円を利子率(年利〉2%で貸し出したとき1年後に得る金額は、 100×(1+0.02)ニ102万円である。. したがって、利子率が2%のとき1年後の102万円の現在価値は、 102    −100万円である。 1十〇,02. したがって、利子率がiのとき1年後のA円の現在価値は、. A. 一円 1十i. 18.

(20) となる。同様に、100万円を利子率2%で貸し出したとき2年後に得る金額は、 {100×(1十〇.02)}×(1十〇.02)=・100×(1十〇.02)2ニ104。04万円. となる。したがって、利子率が2%のとき2年後の104.04円の現在価値は、 104,04.     =100万円 (1+0.02)2 となる。以上により、利子率がiのときj年後のA円の現在価値は、  A.   円となる。 (1+i)j 以上が現在価値の計算の仕方である。.  また、今年投資した100万円が来年には105万円になる場合、収益率は5% であるという。これを一般化すると次のようになる。今年C円の費用をかけて 投資すると、それが来年にはR円になると仮定する。このR円は投資収益(粗収 益)と呼べる。この場合に、収益Rから費用Cを差し引いた額である純収益とC との比率を収益率と呼ぶ。これを数式で表すと、. =. 旦C. R Cまたは r 一C. r =. →. となる。したがって、C(1十r)ニR.           R である。よって、C=一          1十r となる。.  以上を踏まえて大学教育を受けた場合の収益率を計算してみる。大学教育を. 受けるには、第一年目にC1、第二年目にC2、第三年目にC3、第四年目にC4 の投資費用がかかるものとする。そして、これだけの投資をすると、入学時か. ら数えて第五年目にはR5、第六年目にはR6、・…  9そして、第丁年目には RTの収益が得られるものとする。  この投資では、費用と収益が多数の異なった時点で発生している。そのため、. 各時点の費用や収益をある率rで割り引く必要がある.その場合、費用の割引 現在価値の合計が収益のそれの合計とちょうど等しくなる収益率の値を「内部 収益率」と呼ぶのである。これを数式で表すと、. 19.

(21)   C,  C3   C4 C十一十    十 ll+r(1+r)2(1+r)3. R5+R6+...+RT. (1+r)4(1+r)5   (1+r)H となる。.  ところで、大学教育の収益率の計算においてなぜ内部収益率法を用いる必要 があるのか。それは、投資の有利性を国際比較したり、異時点間で比較したり するときに便利だからであるD。. 第2項 教育収益率の実態  こうした大学教育の収益率については、目本でもこれまで数多くの計測例が ある。以下では、1996年に経済企画庁(現内閣府)が公表した『国民生活白書』 によって、教育の投資効果について考えていきたい。.  前掲書によると、目本においては、学歴間の賃金格差は国際的にみると比較 的小さいといえる。欧米諸国や韓国の大学卒の賃金は、高校卒の賃金を100と した場合、1992年では150を超えており、目本の125と比較すると非常に高い (グラフ1)。また、1980年との比較でみるど{目本はほとんど変化がみられな いのに対し、欧米諸国では格差が増大している。韓国についてはその格差が大 幅に縮小しているのも特徴的である。.  また、大学へ進学する目的は人によって様々であり、就業機会の幅が広がる こと、交友関係を楽しむこと、幅広く深い教養を身につけること、専門的な技. 能を習得することができることなど様々であるが、前掲書では大学での教育を 将来の所得のための投資という観点から検討し、その投資効果についても見解 を述べている。.  人的資本論によれば、高い学歴を所有しているということは、それだけ資本 としての価値が高いことを意味し、結果的に高い所得をもたらすことになる。 大学教育を受ける目的の中でも、将来の高い所得に対する期待に着目すると、 教育費の支出は、将来得ることになるであろう高い所得に対する投資であると 考えることができる。教育費支出を投資と考えた場合、その投資効果は、高校 卒業後すぐに就職する場合と、大学で四年間教育を受けて就職する場合とを比 較して試算できる。教育の投資効果を表わす方法としては、ここでは教育の収. 20.

(22)  益率を考える。たとえば大卒の場合、就職後獲得した実質賃金から教育に要 した費用(塾や予備校等の費用は考慮していない)を控除したものを全て貯蓄す るものと仮定し、大卒者と高卒者の退職金を含めた所得が同一になる収益率を. 教育の収益率と考えるとする。なお、各学歴とも年齢階級別の平均賃金を用い て推計しており、勤続年数については考慮していない。. グラフ1 欧米諸国に比べて小さい日本の学歴間賃金格差 く高卒の賃金を100とした場合の大卒の賃金(全産業計)>. ﹄    !  1 − I  . 250. 214 193. 200 1『n 150 123125. 」騰一36且. 153. 143. 157. 162. 161. 1 讃 構1ロ1980年. 1. 樋」豊匡. 100 50. 0. 夢4伊受バ》〆!!誰 (出所)「国民生活白書」. (注)1.所得は全年齢階級の平均。.   2.オランダ、ドイツ、イギリスは義務教育終了者との格差。.   3.1980年の数値のうちアメリカは1979年、ドイツは1981年、オラン   ダは1993年。  4.1992年の数値のうちカナダは1991年。. 21.

(23)  1995年に60歳定年退職を迎えた世代(1935年生まれ)、団塊の世代(1950年 生まれ)、バブル景気の頃に入社した世代(1965年生まれ)という15歳づっ異な. る3世代の男性について試算を行い、教育の収益率が世代間でどのように変化 したのかを前掲書では検討している。ただしここでは、50年生まれと65年生 まれの96年以降の将来所得は95年時点の各年齢別賃金が毎年実質1。75%で増 加すると想定している。.  その結果、35年生まれの収益率は11.1%、50年生まれでは8.1%、65年生ま. れでは9.0%と、35年生まれに対し、教育の収益率は50年生まれ、65年生ま れともに大きく低下している(グラフ3)。50年生まれについては収益率が65 年生まれよりも低下しているのも特徴的である2)。また、各世代の実質所得の推. 移をみると、それぞれの世代の大学卒の教育費を除いた累計稼得賃金が高校卒. を追い抜くのは、35年生まれが35歳、50年生まれが39歳、65年生まれが36 歳と50年生まれが最も遅いという結果も出ている。.  団塊の世代の収益率が65年生まれより低いのは、50年生まれ、65年生まれ の将来の賃金について、95年時点の年齢別賃金が各々∼定で伸びることを前提 に考えていることによるものと思われる。今後大卒、高卒間の賃金格差が縮小 するとすれば、50年生まれや65年生まれの者の収益率は、この試算よりも低 下する可能性があるとしているが、高卒の求人がバブル崩壊以降極端に少なく なっている現状(グラフ2)では、バブル崩壊前に比べ高卒で就職するのは困難. な状況にあり、進学しなかった者はフリーターにならざるをえず当面は大卒と 高卒の賃金格差は縮小しないものと思われる。.  前掲書では次に{同様の手法で男性について教育による収益率が産業によっ てどのように異なるかを試算している。産業別の教育の収益率には、各産業ご との大卒の生涯所得と高卒の生涯所得とを比較する方法等も考えられるが、前 掲書では、高卒の産業計の生涯所得を大卒の産業ごとの生涯所得と比較したも のを「産業別の教育の収益率」として試算を行っている。これは個人が将来の. 進路を決定する際には、高校卒業時にはどの業種に就職するかを考慮せずに進 学か就職かを決定し、大学を卒業して就職する際に就職する産業を選択すると 仮定しているからである。鉱業、建設業、製造業、卸売・小売業・飲食店、金 融・保険業、電気・ガス・熱供給・水道業、運輸・通信業の七っの産業での大 学教育の収益率を試算すると、金融・保険業が全世代を通じ収益率が最も高く、 35年生まれでは13.7%、50年生まれでは12.1%、65年生まれでは12.9%とな っている(グラフ3)。逆に、収益率が低いのは鉱業、運輸・通信業である。.  前掲書では、同様の分析を女性について50年生まれと65年生まれにっいて 行っている(35年生まれについてはデータがない)。ここでは、収益率は50年 生まれで10.7%、65年生まれで11.8%と男性平均と比べはるかに大きく、また、. 22.

(24) 世代別では男性同様65年生まれの方が収益率が高いという結果が出ている(グ. ラフ3)。  女性の大卒の収益率が男性より高いのは、高卒と大卒との賃金格差が女性は 男性に比べ大きいこと、中高年女性雇用者の大卒の勤続年数が、高卒よりも長 く、かっこの差が男性より大きいことなどによると思われる。.  以上の1996年版『国民生活白書』の分析により、教育費を将来得られるであ ろう所得に対する投資とみると、個人にとって大学教育は収益をもたらすもの であることがわかった。男性の平均の収益率9.0%という値は、これがインフレ 率を除いた実質収益率であることを考えると、十分に高い。これはかなり高い という印象を受ける。教育社会学や教育経済学の研究者による分析では、これ よりやや低めの6%前後になっていることが多い。しかしそれでも、現在の銀行 の低い利子率を考えると、預金するよりも、教育に投資するほうが利益率は高 くなるということになる。.  以上からわかるように、高学歴に対する需要が高まっている。そして、以下 の理由により、高学歴労働者に対する企業の需要も高まっている。高い教育を 受けた者は、知的訓練によって新技術の習得が容易になるため、技術変化に対 する適応が容易である。よって、高学歴労働者は新技術の実施において比較優 位を持っていることになるので、技術革新の激しい、特に現在の産業界では高 学歴労働者に対する需要が高まってくる3)。ただ、これまでは、目本の企業が教 育機関としてきちんと機能していたからこそ、大学生を遊ばせておいても何ら 問題はなかった。ところが、国際競争力の激化によって、目本企業は自前で人 的資本を長期的に蓄積していく余裕は無くなり、とにかく実践力のある人材を 採用しようとするようになり、よって今後、各自が自己選択と自己負担で身に. 付けた「現実の技能」を企業が買うという傾向はさらに強まるだろうと荒井 [20021は指摘する。そうなれば、ますます大学教育の需要は高まると予想される。. そのような背景を基に、進学率は戦後順調に上がってきた。その推移をグラフ 4で確認しておく。高度経済成長が一旦落ち着いた時期に進学率はやや下がり、. バブル経済が崩壊して以降、また進学率が伸びているのが特徴であり、近年に おいて高学歴志向が高まっているのがよくわかる。.  次に、学歴別による平均的な賃金格差であるが、これは表2で表される。本 表からグラフ5,6を作成すると、年齢によって賃金の上昇の仕方がよくわかる。. これによれば、大卒以外の女性の賃金は、就職してからほとんど上昇していな いのが特徴である。. 23.

(25)     グラフ2  19歳以下の常用労働者の有効求人倍率.    0.00.    !鮮いもも婁俺ひ一紳       厚生労働省職業安定局雇用政策課「労働市場年報」より作成 (注)有効求人倍率=月間有効求人数÷月聞有効求職者数。各年10月分。. グラフ3 団塊の世代で大きく低下した大学教育の投資効果.     く教育の収益率の計算>   圃1935年生まれ國1950年生まれ團1965年生まれ. 睡聾轍欝羅麗垂醗聾醒騒馨聾襲覇聾聾覇灘. 製造業  卸・小・飲 金融・保険 電・ガ・水 運輸・通信 全業種計.  男性              . 24. 女性.

(26) (注)1 各年齢の賃金は次のように計算した。.    労働省「賃金構造基本統計調査」の5歳きざみの給与をその階級の中央    の年齢とみなし、隣り合う階級との給与の差の5分の1の金額を1歳ご    とに増減し、各年齢の給与を推定した。具体的には、例えば、43歳の人    の給与は、.    (40∼44歳の人の給与)+1/5{(45∼49歳の人の給与)一(40∼44歳の人.    の給与)}となる。1996年以降については、実質賃金上昇率を1.75%と    仮定。.   2 退職金については、目本経営者団体連盟「平成6年9月度退職金・年    金実態調査結果」の全産業・規模計の管理・事務・技術労働者の会社都    合退職の標準者退職金をもとに各業種、学歴とも男子は退職時の所定労    働時間内賃金の42ヶ月、女子は45ヶ月で計算している。   3 大学授業料等(私立大学授業料、入学金、および施設費)は総務庁「小.    売物価統計調査』の東京都の価格により作成。1954年の大学入学金にっ    いては、日本私立大学連盟「私立大学 きのう きょう あした」(1984.    年)掲載の1955年私立大学初年度納付金データをもとに、1954年、1955    年の授業料の伸び率により推定している。   4 総務庁「消費者物価指数」により実質化。.   5 各業種の教育の収益率とは、それぞれの業種の大卒の全業種の高卒に    対する収益率であり、各業種ごとの高卒に対する収益率ではない。.   6 1969∼72年高卒女性の賃金は「高卒以上」の賃金データを使用してい    る。.   7 グラフ中のr卸・小・飲」は卸売・小売業・飲食店、r電・ガ・水」は    電気・ガス・熱供給・水道業の略。   8 縦軸の単位は%。 (出所)「国民生活白書」. 25.

(27) グラフ4. 進学率. ︵誤︶甜轡製.   調. α。. 母寧夢“ゆ榛♂ゆ中ゆ母.    男 科計女率. 進学率計 進学率女. 学率率進. 率男. 期進進へ 頗のの科. 期. 慧. 躍蟹. 一…. 学(本科)’. ⋮二. 一大学 一短期. 学(本科)’. 学学学期 大大大短.   大学. 短短の科科. 一大学. もぐΦ.                             (出所)学校基本調査 (注)大学(学部)・短期大学(本科)への進学率(浪人を含む〉:大学学部・短期大学本科入学者.   数(浪人を含む)を3年前の中学校卒業者数で除した比率。. 26.

(28) 表2 学歴、性、年齢階級別賃金(産業計、企業規模計) 平成14年 性、年齢階級 計. ∼17. 18∼19. 男. 高専・短大卒. 高卒. 中卒. 賃金(干円). 賃金(干円). 賃金(千円). 賃金(千円). 305.6. 290.9. 冒. ■. 9. 144.2. ■. ■. 168.5. 165.9. 403.1. 305.7. 20∼24. 216.0. 194.7. 193.3. 204.6. 25∼29. 255.3. 234.9. 230.2. 235.5. 30∼34. 327.3. 281.0. 269.0. 256.8. 35∼39. 403.9. 337.0. 305.7. 279.3. 40∼44. 463.8. 377.3. 332.4. 290.4. 45∼49. 507.5. 411.2. 364.8. 307.8. 50∼54. 556.8. 439.8. 378.5. 323.1. 55∼59. 562.8. 426.8. 371.6. 321.6. 60∼64. 474.1. 328.0. 267.5. 239.3. 65∼. 488.0. 298.0. 234.7. 207.9. 平均年齢(歳). 39.5. 36.0. 41.3. 50.5. 勤続年数(年). 12.4. 10.5. 13.9. 18.4. 計. 276.0. 238.0. 205.6. 181.4. 0. 量. 璽. 131.1. 胴. 一. 158.4. 150.6. 20∼24. 206.6. 191.4. 172.6. 157.2. 25∼29. 234.7. 216.9. 193.1. 160.7. 30∼34. 286.9. 244.1. 206.6. 173.4. 35∼39. 346.5. 267.4. 213.3. 171.4. 40∼44. 375.1. 272.4. 215.1. 181.3. 45∼49. 364.8. 286.4. 218.7. 184.5. 50∼54. 411.5. 301.4. 222.2. 190.3. 55∼59. 451.5. 306.1. 222.5. 189.7. 60∼64. 476.2. 281.4. 193.1. 162.4. 65∼. 514.7. 293.4. 204.0. 161.6. ∼17. 18∼19. 女. 大卒. 32.0. 勤続年数(年). 6.1. 33.4 7.4. 平均年齢(歳). 40.3. 52.9. 9.8. 13.7. (出所)厚生労働省「賃金構造基本統計調査」より作成. 27.

(29) グラフ5 学歴、年齢階級別賃金 男性(産業計、企業規模計) 平成14年. 一大卒賃金(千  円) 一高専・短大卒  賃金(干円). 300.0. ・高卒賃金(干. 圧.  円) 一中卒賃金(千  円). ±200.0 蟹  100.0. 遭♂ 避亭 瀞ゆ. シ囎. タ纏. 諦. ズ♂. (出所)厚生労働省r賃金構造基本統計調査」より作成. グラフ6 学歴、年齢階級別賃金 女性(産業計、企業規模計) 平成14年. 羅羅羅嚢轟舞嚢纏              一大卒賃金(千.               円)             _高専・短大卒. 400.0. 圧.               賃金(千円)               高卒賃金(千. ±300β. 眠.               円). 200.0.              一中卒賃金(千.               円) 曹ゆ. ノ 年. 慧. 津〆齢. ぐ!逸. !. ズ♂. (出所)厚生労働省「賃金構造基本統計調査」より作成. 28.

(30) 第3項 教育の収益率の問題点  教育の収益率にはいくつかの問題点がある。ここまでに議論した大学教育投. 資の決定論は、資本市場の完全性を仮定している。すなわち個人は、一定かっ 同一の利子率(完全競争的な利子率)で、資金の借り入れと貸し出しを自由に行 えることが想定されている。もしこの仮定が成立しなければ、たとえ内部収益 率を計測して大学教育投資が有利と判断されても、個人の中には資金不足で投 資できない者も存在することになる。実際に計測される内部収益率はさまざま な仮定に基づいているので、真のものではなくバイアスを有すると荒井120031 は指摘している。荒井[20031によると、バイアスを生じさせる要因には、真の値. よりも計測値を小さくする下方バイアス要因と、それを大きくする上方バイア ス要因とがある。まず、内部収益率の計測は、大学教育の非金銭的な便益を全 く考慮していないので、それが大きいほどバイアスも大きくなる。これを考慮 した場合、真の値よりも計測値を小さくする下方バイアスになる。大学教育の 非金銭的なものとしては、大学に入ったことによる精神的な満足等であるが、. これは内部収益率には含まれていない。また、内部収益率を計測する際に使用 する賃金データは、実際に働いた労働者に支給された賃金額を表しているが、 労働者の中には失業中の者もおり、彼らはデータに表れた賃金を得ていない。. 失業率を考慮しないで計測した収益率は、下方にバイアスしている可能性があ る。.  また、上方バイアス要因としては、大学受験に付随する受験対策費用の存在 がある。大学受験対策として、塾・家庭教師・予備校サービスや参考書の購入 が行われるが、これらは大学入学の前に行われるが、実質的には高校教育の費 用ではなく、大学教育に付随した費用とみなしたほうが適当である。しかしデ ータが取りにくいこともあって、これらの費用は無視されており、上方バイア ス要因となっている。.  また、教育の収益率の議論ははじめからねじれている側面がある。小塩[20031. が指摘するように、教育の収益率という概念が意味を持つためには、本来は、 教育の費用を負担する者と教育の収益を享受する者が一致していなければなら ないはずである。しかし、目本では、自分の学費をすべて自分で稼ぎ出す学生 はかなり少数派である。学費は親が出しているところが多い。ところが、親は. 子どもにかけた学費の元をとろうと思っているだろうか。一流大学を卒業した 子どもが、自分たちに給料を仕送りしてくれると考えている親はどれくらいい るのだろうか。すなわち、一般的には多数の親はその投資の収益をほとんど期. 待していないのである。したがって、教育は「投資」といえるのかどうか疑問 である。よって、教育の需要の大きさを収益率だけで説明するのは無理がある と小塩[20031は指摘する。教育を消費として捉えると、収益率云々と関係なく、. 29.

(31) (親の)所得が高いほど教育にお金をかけることになる。また、教育の収益率が利. 子率を下回っても、教育が消費であれば教育需要はゼロにはならない。よって、. 教育の収益率は、他の消費財と同じようにマイナスでも構わない(消費財そのも. のが利益を生むのではないが、その消費財によって消費者の効用が満たされる から)。 母親が子どもを塾に通わせるという行動は、一般的には(親の)投資と考. えられる。しかし、家で子どもがテレビゲームばかりしているより、塾でしっ かり勉強していれば、親はとりあえず安心できる。その安心を買う行動と捉え れば、塾に子どもを通わせることは(親の〉消費である。そして、その結果子ども. が有名学校に通うことになれば親は喜び、授業料も喜んで払う。それも(親の) 消費である。.  さらに、人的資本論には一つの疑問が残る。数学で才能を発揮する者もいれ ば、絵画で才能を発揮する者もいる。人的資本の中身も異なれば、当然収益率 も異なり、比べようがない。分野によって大幅に収益率が異なるのであれば、 経済学的に考えれば、全ての人が収益率の高い同じ職業を目指すようになるの ではないか。しかし、各個人は、それぞれの比較優位を自覚し、社会的な分業 に向かうようになるのである。また、以上を踏まえて、教育を受け続けても、 追加的に発生するメリットは次第に低下するということも考えられる。目常で は、例えば買い物をする時等、簡単な計算をする機会が多い。もし、小学校で 習う四則計算を知っていなければ、効率的な買い物ができず、消費者は不利益 を被ってしまう。しかし、大学で習うような高度な数学を知らなくても、目常 の生活に支障はない。では、大学は本当に必要なのか。義務教育は無償である. が、授業料が必要な大学にいくという行動は、経済学的に考えて一見奇妙に思 える4)。しかし、このことにもかかわらず人々が大学教育を需要するのは、高 い授業料を払ったとしても、その授業料を投資と考えて、十分に収益が得られ ると判断するからである。. 30.

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