経験主義的言語論の光 と影
― R . タ リ ス の 『 ソ シ ュ ー ル に あ ら ず 』 に よ せ て ―
Positive and Negative Aspects of an Empirical Linguistic
Theory―with reference to Not Saussure by Raymond Tallis
は
じ め に
百花緑乱の観を呈 してい る現代文芸理論のなか で も1960年代に興 ったポス ト・ソシ ュール派 の理 論はその主流を形成 し、構造主義あるいはそれを 批判的に継東 したポス ト構造主義 として息の長い 命脈を保 ってい る。ポス ト・ソシュール派 の理論 は、 テ クス トを完結 した 自立的体系 とみな し、そ の構造分析 を研究 の主眼 とす るものである。すな わ ち適時的ではない共時的研究に重 きを置いてい る。その理論体系は ソシュール言語学に依拠 しつ つ 「意味は記号の差異か ら生 まれ るのであ り、客 観的実在に意味の根源があるのではない ;言語は 閉 じた体系 であ り、言語外に現実はない」とい う 命題を提唱す るがゆえに、強力な反 リア リズムの 潮流を形成 してきた。 (1) R.クリスは Fソシュールにあ らず EJで、 この よ うなポス ト・ソシ ュール沢の理論に対 し、それは ソシュールを誤読す ることか ら出発 しているがゆ えに正当性を持ちえない と痛烈に批判 した上で、 さ らには ソシ ュール言語論 の限界を越 えて リア リズム論を積極的に提示す るのである。本書 Fソ シ ュールにあ らず 』は、反 リア リズムの潮流 に抗 し リア リズムの復権をはかろ うとす るク リスの良 心的で真撃な意図に貫かれてお り、高 く評価 しう るものである。 そのことを十分に確認 した上で、残念なが ら私 は、 タ リスの理論は黙視できない重大 な誤謬をは らんでいることを指摘 しないわけにはいかない。船
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一
Ryoichi Funayama
その典型は、ポス ト・ソシ ュール派を 「ソシ ュー ルにあ らず」 と批判す るク リス自身が、 「ソシ ュ ールにあ らず」であるとい う皮肉な結果に終 って い ることである。本稿はそのことを タ リスのポス ト構造主義批判に別 して検討す ることにす る。な お私 もか って拙稿"AfterthePlay:Astudyon deconstructionwithreferencetoJ.
Derrida's(2) theoryof6criture"お よび 「ディコソス トラクシ (3) ョンについて」で、 ク リス とほぼ同 じテーマを同 様な問題意識 で扱 った ことがあるので適宜 それ ら を参照す ることにす る。 レ7丁レンス
1
.
第3
章 「対 象 指 示 性 とい う幻想」を 中心 に 題名 Fソシ ュールにあ らず FIが示す よ うに本書 の中心テーマの1つは、ポス ト・ソシュール派な かで もポス ト構造主義の理論が ソシ ュールに対す る誤読あるいは無理解か ら成 り立 ってお り、それ ゆえにポス ト・ソシ ュー′レ派は 「ソシュールにあ らず」 と主張す ることにある。本稿は しば らく第 レ フ 丁 レ ン ス 3章 「対象指示性 とい う幻想」を中心に ク リスの 議論を追 うことにす る。 ソシュールは、言葉以前にアプ リオ リに事物や 概念があ り、言葉はそれに名づけをす る とい う言 語命名 目録観を否定 し、言葉があ って初 めて概念 (意味 )が生 まれ る とい うこと、 その言葉 の意味 は言語 の差異の体系 に基づ くものであるこ とを説 いた。 ここに ソシュール言語学の革命的性格があ -31-(
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るとク リスは言 う
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一般言語学講義 』に よれば、The conceptualside ofvalueismadeup solely or relations and differences with respecttotileOthertermsoflanguage‥ . differencescarry slgnirication ‥ .a se g-mentoflanguage can never in thefinal analysis be based on anything except its noncoincidencewiththerest.
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are two correlative qualities. (Cou7Se,pp.117-18)(イタ 7)ックは原文 ;以 下本論中のすべての引用文は同 じ。) ポス ト・ソシ ュール派 の文芸理論家たちは、 こ レ 7 丁 レ ンス の ソシ ュールの説か ら言語は対象指示性を もたな い とい う結論を引き出 し、反 リア リズムの強力な 論陣を張 るが、それは ソシュール言語学におけ る ラソグ (社会的言語構造) とパ ロール (個人の発 話行為)の区別を無視 す ることか ら成立 してい る とク リスは言 う。なぜ な らポス ト構造主義は言語 をすべて差異の体系 ととるが、当の ソシ ュールは 「所記 (シこフィ-) であれ能記 (シニフィアン) であれ、別 々では純粋 に差異的であ り消極的であ るが、それ らの結合は積極的事実である」(
F講義 j pp.16&69)と述べてい るか らである。(このクリス の指摘がは らむ難点は今は問わない ことにす る。) ポス ト・ソシュール派は、 この ソシュールに対 す る誤読か らさらに以下の命題を立て言語外現実 の否定を徹底 してゆ く。 (i) 全ての構造的体系は閉 じられている。 (J'J') 意味(meaning)と意味を特定す るものは一 致す る。 レ フ 丁 レ ン ス輔
意味 と対象指示性は同 じである。 ク リスは以上 の命題 を1つひ とつ子細に検討 し ているが、その要点だけを取 り上げ る。 (j)
「全ての構造的体系は閉 じられてい るか」 (pp.70-9) 言語はそれ 自身で完 結 した 自立的体系であるか ら言語の外の客観的現 実を指示す ることは ない と ポス ト・ソシュール沢 のT
・ホークスは主張す る。 それに ク リスは こ う反 論す る。 例えは脳 の構造は、脳を外界か ら遮断す るもの ではな く、神経反射 の様式がその反射をひ きお こ す外的事物を知覚す ることを可能 とす る条件であ る。それ と同様に、言語構造は音声に意味 を付与 す ることに よって、発話が言語外現実に開かれた ものとなることを保障 しているのである、 と。 これは 内科医を本業 とす る著者 らしい言い方であ り、具 体的事物 と経験に即 しての叙述は本書の魅力をな してい る。 しか しホークスを批判 しての次のク リスの結論 には小 さくはない難点が兄い出され る。Behindtheideathatlanguageissomehow closedofffrom realitysothatitrefersto nothing other than itself is a confusion between structure and event,between the system orinstitution and itsusein dis -course.(p.78)
Moreover,itislanguageuserswhoputt 0-gether specificformationsofwords .Lan-guage itself (an abstract construction if evertherewasone)isnotalanguageuser; itisnotan agent;ithasneithertheca
-pacity nortileneed toreferto anything. Hawkes'sconclusionthatlanguageissealed ofrfrom realitybecauseitisstructuredis dueultimately toaconfusionbetweenthe institution,thesystem,thestructurecalled language,and tIleuseOfthatsystem by individualspeakers and writersin partic
-ulardiscoursesthattakeplaceatapartic -ulartime.(p.79) ここで ク リスは、ポス ト・ソシ ュール派の体系を もって外的現実を締め出 して しま う論は、構造 と 出来事、体系 と体系を使用 しての言説を混 同す る ことに起因す る、 と言 う。(この指摘 の当否は後に 検討す る。) 次いでク リスはホークスに反論 して、 「抽象的構造物であ る言語 自体は言語の使用者 と 同 じではない‥ .言語 自体には何 ものかに言及 す る能力 もなければ必要 もない」 と述べ る。 この ク リスの見解には黙過 しえない点が含 まれ る。 ク レ フ 丁 レ ン ス リスは、 ソシュール言語学におけ る対象指示性を 発話行為 (パ ロール)にのみ認め、言語 の社会的 体系 (ラング)には認めないのであ る。 これは ソ シ ュール解釈におけ る重大な誤謬である。 なぜ な らラソグに対象指示性を認めないな ら、その言語 共同体 で安定 した コ ミュニケ-シ ョソと生産 と消 費を中心に した社会生活が営めな くなるであろ う か ら。 ク リスの理論では、言語の意味に支配的な
のは発話を と りま くコンテ クス トとな らざるを え ない。 これは場 当た り的で無秩序 な言語観 であ る。 ソシ ュール言語学がその よ うな ものであ るとは私 には まった く思 えないが、管見は本稿第2節お よ び第3節 で述べ ることにす る。
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「意味 と意味を特定す るものは同一 であ る か」 (pp.79-82) この反問でク リスは、意味(meaning)ではパ ロ ールにおけ る語 の シニフィ- (記号 内容)を、 「意 味 を特定す るもの」では ソシ ュール言語学 での差 異的な価値の休系 (ラソグ) と発話行為 (パ ロー ル)を規定す るコンテ クス トの両方を指 してい る のであ るが、 この項 で主 として ク リスが取 り上 げ るのは意味 と価値(value)の関係である。 以下 タ リスの議論を追 う。 クイプ ト ー クン ラング とパ ロール、 型(type)と生起例(token)、 制 度 としての言語 と特定の言説、 これ らを混同 し た結果、ポス ト・ソシ ュール派は意味 と差異的 な 価値を同一視す る誤 りを犯 してい る。 ロラソ ・バ ル トに よれは 「言語 とは分節化 の領域 であ り、意 味 とは なか んず く形を切 り取 ることであ るJ ジ ャ ック ・デ リダは この論を さらに大胆に進 め、 「意 味は差異 を通 してのみ得 られ る。だか ら意味は差 異 である」 と言い切 って しま う。彼 らは この よ う に意味 と差異的な価値を同一視す ることに よって 言語 の外 の客観的現実を否定 してゆ く。 このよ うな所説 に対す るク リスの反論 の第1は、 経験的事実を提起す ることであ る。例 えば ある色 名が他のすべての色名 と対立 してい ることは、経 験 に よらず とも確かに言え る。 しか しあ る色彩 が スペ ク トルの中で どの位置 を占め るかは、 それ を 体験す るまで分か らない。す なわ ちポス ト・ソシ ュール派 が よく自説 の論拠 に もち出す色名法は、 彼 らの 「差異 の理論」を支え るものではな く、か え って客観的外部的実在を裏づけ るものであ る、 とす る。 タ リスの第2の反論は、 ソシ ュール言語 学 において シニフ ィユ (記号内容) とシニフィア ン (記号表現)をそれぞれ価値 と見、それ らは ど ち らも示差的、関係的で実体のない純粋 の形式 で あ ると言え るのは ラソクにおいてのみであ り、記 号が全体 として用 い られ るパ ロールではその こと は 当ては まらない、 と主張す ることである。 第1の経験的事実に もとづ く反論は一定 の有効 性を もちえ よう。 しか し第2の反論には幾つかの 弱点が含 まれ る。 ポス ト・ソシ ュール派 が ラング とパ ロールを混 同 してい るとい う本書で繰 り返 さ れ るク リスの説 には、 ソシ ュールに対す る誤読が 含 まれてい るが、それは後に詳 し く分析す ること にす る。 ここで問題 に しなければな らないのは、 グ リスは ポス ト・ソシ ュール派 の反 リア リズ ムに 反論す る余 り、 ソシュールの重 要な命題である 「意 味は、記号 の差異か ら生 まれ る」 の真意を掴 まず にそれを丸 ごと否定 して しまった こ とであ る。私 見に よれは、 ソシ ュールの命題は少 しも言語 外現 実 と言語 の対象指示性を否定す るものでは な く、 その命題 に こそ ソシ ュールの独創的 な所見が こめ (5) られてい ると言 える。 レ フ 丁 レ ンスq
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「意味 と対象指示性は 同 じであ るか」(pp. 82-6) レ フ 丁 レ ン ポス ト・ソシ ュール派 の文芸理論は、対象 指示 ス 性は 言語内的であ り、テ クス トが語 るのは外的世 界 ではな くテクス ト自身についてのみ であ る、 とし て リア リズ ムを攻撃す る。 しか しその見方は 、意 レ フ 丁 レ ソ ス 味 と対象指示性を同一視す ることか ら生 じる、 と ク リスは言 う。両者 を区別す ることが近代言語学 の主要 なテ-マの一つであ るとして ク リスは 、周 知 の フ レーゲが提 出 した 「宵の明星」 と 「明けの 明星」の例をあげてい る。 レ 7 丁 レ ン ス 次いでク リスは対象 指示性についての 自説 を開 陳す るが、それは問題含み であ る。Ultimately,thetransition from the (ge n-eral)meaning ofareferringexpressionto theparticular,uniquereferentwillinvolve utilising the context or the utterancein which tlleexpressionoccurs.A significant partorthiscontextwillbetl一edeicticor spatio-temporalc0-0rdinatesoftheactof utterance. Without the existential sitt】 a-tionsofspeakersandbearerstoprovidean extralinguisticpointofreference,inesc ap-ablygeneralmeanlngCOuldnotbeusedto pin down reference to uniqueparticulars. Withoutthe'thisness'implicitinthefact tbattheutteranceisoriginating from a particularbody,a particular mouth,and thatitisbeingemitted into a particular shared world whosec0-0rdinatescould be
33-atleastin partspecifiableinspatio-te m-pora】terms,rererellCeWOu】dremaininde -terminate- or,moreprecisely,wouldnot takeplace. (pp,83-4) レフ丁レンス ク リスは第4葦 「回復 され た指示 性」 で レフ ァ レソス論を十全に展開す るので、 ここでは簡単に 押 さえてお きたい。 (1) 発話行為 を と りま くコンテクス トが時間的 空間的 な指示座標(ddicticc0-0rdinates)として機レ フ 丁 能 し、それな くして一般的な意味 と個別的な指示レ ン ト レ フ 丁 レ ンス され るものを結ぶ対象指示性は生 じない とい う。 具体例 をあげれば、発話行為において記号 「イ ヌ
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を用いて 目前の犬を指示す るときの記号 と犬 の関 レフTt′つ′ス 係を ク リスは指示性 と言 ってい る。 これは我 々の 理解 とは根本的に異な るものであ る。 なぜ な ら、 レフTレンス レ 7 T t′ ン ト ク リスでは指示性 と指示 され るものとは、パ ロー ル とい う同一次元 の同一 の発話行為 の中での区分 レフ丁レンス にす ぎないが、我 々は指示性を基本的には ラソグ レ フ 丁 レ ソ ト に、指示 され る ものをパ ロールに認め るか らであ る。例 えは、 ラングにおけ る記号 「イ ヌ」は、犬 とい うもの、犬 の クラスを指示 (レファレンス) ′ヾ ロ ー・・ル す るのであ り、その語を用いて発話行為 で具体的 な個 々の犬を レファレソ トとして指示す ると考 え るのであ るご
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(2) 生身 の体 と口か ら発せ られ、物理的な コン テ クス トの中に音 として吐 き出 され る発話行為 な レフ丁レソス くして指示性は不確定 の ままであ る、 とい う。 こ れが余 りに即物的な言語観であ ることを理解す る には、 ソシ ュールが言語記号の シニフ ィアソを物 質的 な音声 では な く、心的な聴覚映像 と規定 した ことを想いお こすだけで十分であろ う。 バ ル トが 「意味 のあ るところに体系があ る」 と レフ丁レンス い う仮説か ら「指示性 のあ るところに体系があ る」
とい う結論を導 くのは妥 当では ない として ク リス は、次 の よ うに体系 と指示性の関係を把捉す る。Wheretherearevaluesin theSaussurean sense,theremustalsobesystem;butrer -erenceisnotalwaysmediatedthrough val -ue;and,aswehaveshown,referencec an-notberealisedsolely throughthesystem.
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hasno referents・,reference,if itutilisesthesystem atall(ratherthan bypassIIlg it by uslng OStenSively defined> sign
propernames),mustalso involvetheex
-traJinguisticrea】ity withinwhichthesys -tem isoperating atthetime;thedeictic c0-0rdinatesthatareimplicitinthespati o-temporalcontextortheutterance.(p.85)
レフ丁レンス ク リスは対象指示性 の決 定 要 因 と して言語 体系 (ラング )をすべて否定す るのではないが、それ よ りもむ しろ発話行為 (パ ロール)を と りま く時 間的空間的 コンテ クス トに内在す る指示座標 とし ての言語外現実を重視す るのであ る。 ここに ク リ スの言語観 の特徴があ る。 レ 7 丁 レ ン 第3章 の まとめ として、価値 と意味 と対象指示 ス 性を混 同す るところにポス ト・ソシ ュール派 の反 リア リズ ムの理論的基礎があ るとク リスは見て、 それ らの関係を図示 してい るので掲 げてお く。
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Sig∫l Reference p,he望:tsiec> Utterance/_ TextString C0-0rdinatesValue≠Meaning≠Reference (p.94)
ポス ト ・ソシ ュール派 に反撃 して リア リズ ムを 擁護 しよ うとす るク リスの主張には首肯で きる点 レ フ 丁 レ ン ス が少 な くない。 しか し彼 の価値 と意味 と対象指示 性の理解 の仕方には幾 つかの難点があ る。 その最 大 の1つは、繰 り返 しになるが、 ラソグを差異的 レフ丁 レンス な価値 の体系 とだけ見、意味 と指示性を現実 の発 話行為 (パ ロール)にのみ認め ることであ る。 そ れは個 々の現象を通 してその背後 に潜む普遍的本 質 と歴史の発展方 向を典型 として措 こ うとす る真 の リア リズムの精神に背馳す る皮相 な リア リズム 観 と言わねばな らない。 なぜ ク リスが ソシ ュール 解釈 か らその ように奇妙 な見地に陥 るのかは次節 で立 ち入 って論 じることにす る。
レフ丁レン もう1つの難点は、 ク リスが価値 と意味 と指示 ス 性を単純に区別 してい ることである。 ソシ ュール 言語学において価値 と意味の関係が錯綜 してい る ことは ソシ ュール 自身が認め、 「価値は概念の角 度か らみ ると、 うたがい もな く意義の一要素であ るが後者は前者に依存 してお りなが ら、 どうして それ と区別がつ くかを知 ることは、す こぶ るむず か しい」 (F講義jp.160)と述べ、そのために To sum up these arguments orSaussure'
S
, or namlng pre-existing concepts.The value十分 な紙幅を割いてその関係を解説 しているO(、rF講 義』pp.160-65)ク リスにはその辺 の事情が殆 ど 思い至 らない らしい。私はか って拙稿で ソシ ュー ル言語学におけ る価値 と意味 (義)の関係を調べ、 「記号の差異か ら意味が生 まれ る」 とい うことの ソシ ュール的な意味を分析 した ことがあるので、 その結論部分のみを再掲 してお く。
language is not a nomenclature,a way or a term emanates from a system or differences,defined by their opposlng relations to the other terms orthe system
,
notby theirpositivecontents.In thisregard,we areled to lliscardinalview that by dividing the continuums ofboth sounds and concepts,language "Setsup an ar
-bitrary relation between slgnifiers of its own choosing on the one hand,and si g-nifieds of its own ctlOOSing on theother."Let me illustrate Saussure's conceptlOnS orlanguage.
(1) (2)terms (3)unit
+- 1
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-(A)conceptul_value(B)phoneticvalue
A I I
The value ofa term iscompletely negative in a opposing system (2).And yet the slgn Which is only a result orthe negativerelations ofterms,removed from ne g-ativity,becomespositiveby itsown attribute (3).Saussurewrites:
Butthestatementthateverything in languageisnegativeistrueonly ifthesi g-nified and thesignifierareconsidered separately;when weconsiderthesign in itstotality,wehavesomethingthatispositiveinitsownclass‥ .Althoughboth the signified and thesignifier are purely differentialand negativewhen consi d-ered separately,theircombination isa
Both the signified and the signifier are sidered separately.Nevertheless,Once they Thatiswhy a unitisagain treated asa
tity.〟(7) 拙稿の要点を繰 り返せば、価値は記号の差異 (メ-A 対 立)の体系で決 まる辞項の大 きさと位置であ り、 意味 (義)はその価値体系 の中か ら生 まれて くる ユニツト 単位のシニ7.i- (概念)部分である。共時的に みれば もともと同 じ記号単位を、体系 の中でみれ ば価値であ り、体系か ら切 り離 して 自立的にみれ ば意義 となる。 ここに両者の区別 と同一がある。 しか し適時 (発生論)的にみれば、価値体系は無 positive fact.
purely differentialand negative when c on-are combined,a positiveunitisrealized. "concreteentity
,
"
a "reality"oran "iden一 定形 の観念の切 り取 りか ら生 まれ るものであるゆレフ丁レンス えに、意義は客観的現実-の指示性を もつ のであ る。 ソシ ュール言語学は このような文脈 で 「意味 は差異か ら生 まれ る」 と規定 しているのであるか ら、意味が差異に還元 され ることも、対象指示性 が否定 され言語外現実が理論的には消えて しま う こともない、 と私は考えi
8
.
I ー35-2
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タ リスのポス ト構造主義批判の方法
ソシ ュールは言語記号を一葉 の紙 片の表裏 にた とえ、 シニフ ィア ン (記号表現)とシニフィエ (記 号内容 )は分離不 可能 と説 いた。 しか るに、 デ リ ダ、パル ト、 ラカ ソ等 に代表 され るポス ト構造主 義 の理論家た ちは 、 「言語記号は本質的に シニ フ ィアソの連鎖 であ るか ら言語外 の実在 に到達 しえ ない」 と主張す る。現代文学の主流をなす ポス ト ・ モダンが、このように ソシュール言語学を反 ソシ ュー ル的 に解釈す るこ とか ら成立 してい るところにそ レ フ 丁 レ ン ス の特 色があ る とク リスは見 る。対象指示性 を否定 す る言語論 に根拠 を置 く文芸理論が、 リア リズ ム 文学に攻撃 の矛先 を向け る。か くして文芸作 品は、 歴 史的社会 的存在 であ る作家 が彼 が生 きた現実世 界 を描 いた ものでは な く、記号 と りわけ シ ニフ ィ ア ンの 自由 な戯 れ の場 とな り、作品世界は欺隅 に み ちた幻想(anillusionaryfraud)とな る.(p.89)この反 リア リズ ム論 の代表的 な例は、デ リタのデ ィコソス トラクシ sEン (脱構築 )理論 であ る。 ク リスは書いてい る。
Derrida developsPeirce′sobservation that oneslgnleadstoanother.Iraslgnmakes sense,thenitwillsignifyanotherslgnWhich wi
l
l,intur
n,signifyanotherslgnandsoad injinitlim.Thechain ofsignsnevercomes toanend.Thisimplies,Derridasays,that thechain ofsigmjieys nevercomestoan end;morespecifically,thatthesigniriers neverreachtheplaneofthesignified.Dis -courses,texts,utterances,arestrandsofan `endlesschain orsigniriers′.(p.213)ク リスが なす ポス ト構造主義 の 「記号 の戯 れ」 や 「シ ニフ ィア ソの連銭 」論 に対す る反論 の要点 は、(1)ソシ ュール言語学 を誤読 しラソグ とパ ロー ルを混 同 してい る ;(2)ソシ ュールが な した言語 記 号 と自然記 号 の区別 を無視 しそれ らを同一視 して い る、 と して経験 が確証す る客観的実在 を提 示す るこ とであ る。(1)か らク リスの論 を見てゆ こ う。 デ リダは、意味はすべ て記号 の差異 の体系 か ら 生 まれ るのだか ら、客観的実在 に意味 の根源 が あ るわけ では ない と言 う。確かに、言語 には実体 の ない差異 しか ない とソシ ュールは述べ てい る。 L か しそれは 、 シニフ ィ- とシニ フ ィア ンがい まだ ネ ガ テ イプ 結合 されずにそれ ぞれ の レベルで他 と消極的に規 定 しあ うラング とい う抽象的 な言語 体系 に のみ 当 ボ ジ テ イプ ては まるのであ って、記 号が全体 として積極的 と な って 出現す る現 実 の発話行為 (パ ロール) には 妥 当 しない。 F言語学講義 』第 4葦 4節 「全体 と してみ た記号」は こ う述べ てい る。 (本書 の核 心 に係わ る箇所 ゆ えに ク リスが用 い る英訳 とあわせ て邦訳 ものせ る。)
butthestatementthateverythinglnlan一 guageisnegativeistrueonlyirthesignト fied and thesignifierareconsideredse pa-rately;when we consider thesign in its totality,wehavesomething thatisposi -tivein itsownclass‥ ‥ Althollghboth thesignified and the signifierarepurely difrerentialand negative when considered separately,theircombinationisapositive fact:itiseventhesoletypeorfactsthat languagehas,formaintainingtheparallel -ism betweenthetwoclassesofdifferences istiledistinctivefunctionorthelinguistic institution.(Cou7Se,pp.120-1) しか しなが ら言語ではなに もか も消極的だという のは、所記 と能記 とをべつべつに取 った ときにのみ いいうろことであ って、記号をぜんたいとして考察 するやいなや、その秩序のうちに.ある積極的なも のが見えて くるO言語体系は、音の一連の差異が観 念の一連の差異 と結合 したものである ;しか しある 数の聴覚記号 と.思想のかたまりに同数の分断を施 したものとを照 らし合わすときは、価値体系が うみ だされる ;各記号の内部において、音的要素 と心的 要素 とのあいだに実効のある連結をつけるものは、 この体系である。所記であれ能記であれ、べつべつ では純粋に差異的であ り消極的であるが,それ らの 結合は積極的事実である ;この種の事実こそ言語が ふ くむ唯一のものである、なぜなら言語制度の特性 は、まさにこれら二つの秩序の差異のあいだに平行 を保つことなのであるか ら。 (F講義』pp.168-69) ク リスは F講義 』の この箇所 を次 の よ うに解釈 す る。
Although theinstitution oflanguagec on-sists o
r
`classes or dirrerences', actual speechiscomposedofsignswhicharenot merely dirrerential but also positive.In speechwedeploynotsigniriersorsigniriedsin isolation butsignsin which they are fused.Differencesareusedtoestablishpos -itive,presentmeaning.Which isprecisely whatwemighthavethoughtallalong.A particularspeechactisnotallamatteror dirference(orform);itisalsoamatterof presence(Orcontent).Thesllgninuseisnot purely dirrerential,non-substantial.
Thesepointsaremissed orConfused by Derrida.lnhisessay`Differance',hewrites,
Asthecondition forslgnification,this principleofdifferenceaffectstheu)hole slgn,thatis,boththesignifiedandthe signifying aspects.(p.212) 言語 制 度 (ラ ング)は シ ニ フ ィ- とシ ニフィア ンの2つの差異の クラスか ら成 り立 ってい るが、 現実 の発話行為 (/くロール)で用い られ る記号は ポ ジ テ イプ シニフ ィ- とシニフィアソが結合 した積極的な内 容を もち、それゆえに客観的世界を指示す る意味 を もつ、 とク リスは解説す る。差異的で形式 のみ の ラソグと実体的 で内容を もつパ ロール とい うソ シ ュール言語学に基本的な区別を無視 し、言語(ラ ネ ガ テ イブ ンガージ ュ) をすべて消極的で示差的 とソシ ュー ルを誤読 した ところにポス ト・ソシ ュール派 の誤 りの主要部分があ る、 とい う。本書全体は ク リス の この 「発見」を軸 に構成 されてい るとい って も 過 言では ない。 それゆえに題名が (ポス ト・モ ダ ンは) Fソシ ュールにあ らず 』なのであ る。 く批判的検討) ク リスは 「ソシ ュール にあ らず」 ポス ト構造主義 の理論家は、 ソシ ュール言語学 におけ るラングとパ ロールを混 同す ることか ら、レ7丁レニ′ス 価値 と意味 と対象指示性を同一視す るに至 り、そ れ を基礎 に 「記号 の戯 れ」や 「痕跡」論を構築 し てい る。 そ こでは意味は、客観世界に根源を もち えな くな り決定不能性に陥 る。か くして作品世界 は現実世界 とは無縁 の 「欺柄にみ ちた幻想」にな る、 とい う。 ク リスの この批判 の論拠は F一般 言 語学講義 』第4章4節 にあ ることが分か った。 そ こか ら言語が純粋に差異的で消極的であ ると言 え るのは、 シニフィ- とシニフィアンの2つの クラ スが別 々に存在す るラングにおいてのみ であ り、 両者が結合 した記号全体は 「積極的事実」であ る か らパ ロールに属す ると受け取 られた。 しか しこ れは ソシ ュールに対す る明 白な誤読 と私は判断す る。 ところが この誤読を基 に本書の全体が構成 さ れ てい る以上、立 ち入 って検討す る必要があ る。 ク リスが この よ うな解釈 に陥 った理 由は2つ考え られ る。 (1)「積極的事実」(a positivefact)の用語上 の解釈か ら現実の発話行為 と受け取 ったため。 ソシ ュールの用語法 で 「事実」(fact)を単純に 現実 の事柄 と取 るこ とはで きない。 F講義 』には 「言語的事実」や 「文法的事実」 の用語が散見 さ れ るが、それ らは私が読む限 りいずれ もラング(体 系 としての言語)に関 して用い られ てい る。 1例 をあげ よ う。言語 (ラング) の生成 に関す る記述 と取れ る F講義 』第4章1節 で 「言語的事実に よ って結ばれた二つの領域は、ただ羅漢 ・無定形で あ るのみ な らず、 なにが しか の聴覚 的切符をあて が う選択は、 まった くの盗意的であ る
」 (
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.159, 傍点は筆 者) と書いてい る。 これは ラングにおけ る記 号の盗意性について説 明 した ものであ る。 ソ シ ュールにおけ る 「事実」 は、物理的では ないが 物理 的に顕現す ることを可能 とす る潜在態 、す な わ ち心的言語的現実態 とい うほ どの意味 であ る。 ポ ジ テ イプ 「積極的」に関 して言えは、記号単位が純粋 な 差異 の関係性の中に埋没す るのでは な く、他 との 対立関係 の中で他 とは違 う独 自の性質を もち、そ れ 自身 として分 明な もの として現れてい る、 とい う意味であ る。ゆ えに 「積極的」は 「実体的」 (substantial)と同義であ り、それは物理的 に実存 す る とい う意味 での実質的ではないが、そ の こと を可能 とす る潜在態 、す なわ ち言語 実現 の心的な 可能態 であ る。それで私は"apositivefact"を 別稿 において"apositiveunit"と言い換 えてお い1=':'それは F講削 第3章 で論究 されている「同 一性」、 「実在」、 「具体的実在体」 と結局は同 じものであ り、それぞれ視点を変 えて捉 え直 され てい るのである。 それ らはいずれ も、現実 に存在 す る ものではないが、 さ りとて抽象的な ものでは な く、パ ロールでの資料的実現を通 して顕 在化す る可能態 と規毘 誓書 てい るo(pp151-5・6) メ (2)タ リスが消極的な価値を ラングの次元 に、積 ジテイプ 極的 な意味 をすべてパ ロールの次元 に置い ている ため。 このことを検討す るには ク リスの ラソク とパ ロ -37--ルについての理解 の仕方を見てお く必要がある。 ク リスはチ ョムスキ ーの 「ひ とは文法構造を潜在 的能力 として もつ」 とい うシンタ ックス中心論を 批判 して こ う言 う。 Grammatical rtlles cannot be specified without explicit or implicit reference to meanlng.The-system'suchasitiscannot even begin to be described withoutrerer -encetoitsparticularoperationsonspecific occasionsintherealworld.Itismyknowl -edgeorextra-linguisticreality,ratherthan ortheinternalrulesofgrammar,thate n-ablesmetorecognisethat`GolrplaysJobn' isill-formed.
‥ .meaningcannotbeentirelycontrolled rrom withinbysyntaxandthatacontext -basedintuitionorthespeaker'sintentionsis necessarynotonlytodeterminethemeanlng butalsothegrammaticalstructureorwhat hasbeensaid.Thereisnosyntaxwithout semantics:withoutinterpretation,withotlt meanlng,StructureCannotbe
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Andthesameobservationsapplytostruc -turalistlinguisticsasa whole.Itisulti一 matelyonthebasisofreferentialmeanlng thattheoppositionsthatmakeupthefield of a particular term are perceived.
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The structuralistprinciplethat `wherethereismeanlngthereisalsostruc -ture'cou】djustaswellbeinverted.・there isnostructllreWithoutmeaning.(pp.72-3)要約す れば、構造主 義 は 「意味 のあ る ところに 構造があ る」、す なわ ち 「意味は差異的な構造か ら生 まれその中にのみ あ る」 と言 う。それに対 し て ク リスは、発話者 が コソテクス トの中で客観的 事物を経験 してえる直感や知識な くして意味は決 定 できない、ゆえに 「意味な くして構造はない
」
と主張する。また、言語構造 (ラング)は、指示対 象に係 る意味に よらず して知覚 され ることはない。 この点 でチ ョムスキーが言 うシンタ ックスのみが 言葉 の意味を保障す るとい うのは言語の実相に反 す る。 ク リスに とって 「意味は言語体系 とコンテ クス トの相互作用か ら生 まれ る」
(p.76)のであ る。 この命題 の真意は、差異的な価値体系か ら純 粋に形式のみ であ るタイプ (型 )の供給を受け、 パ ロール次元での具体的 コンテクス トの中で、発 話者 が事物の経験に もとづ く知識 で もって タイプ (形式 )に内容を盛 りトークン (生起例 )とす る、 換言すれば、 タイプを トークンとして例現化す る ところに意味が生 まれ る、 とい うことであ る。 ポス トソシ ュール派が ラソグとパ ロール、 タイ プと トークンを混 同 してい ると批判す るのが本書 で繰 り返 され るテーマの1つであ るので、 ク リス の見解が よ く窺 える例をあげてお く。.‥ hisargumentseemsto dependona conrusion between the system,to which verbaltypescouldbeplausiblysaidtoもe -long,andtheuseofthesystem onapar -ticular occasion,when types are instant -iatedastokens,whichisnotitselfpartof thesystem.lfhehadn'tconfusedthetype andthetoken,thesystem and itsuseon particularoccasions,itisunlikelythatbe would wislluStObelivethatwords`func_ tionwithinthe
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lmyemphasis]of theEnglishlanguage'.(pp.70-1) くク リスの問題点) 個 々の発話行為を通 して体系が把握 され るとク リスが言 うのは、 ソシ ュール とほぼ同 じであろ う。 しか しそのことか らク リスは、 ラングは純粋に差 異的な形式であ り、積極的な実体は コンテクス ト におけ る発話者の経験をまって初めて得 られ るの であ り、そ こに意味が生 まれ る、 と考 える。 さら には、経験に基づ く知識 な くして体系 (ラング) が知覚 されないばか りでな く、文法構造 も決定 さ れない とい う思いきった言い方をす る。 これは実 在的な コンテ クス トにおけ る発話行為 な くしては 何 も決 まらない とす るノミロール主義 とも呼べ る経 験主義であ る。私見の限 り、それは ソシ ュール言 語学 とは根本的に相違す る。 ソシュールは、 「副次的で言語活動の個人的な部 分」であるパ ロールを対象 とす る言語学 と 「本質に おいて社会的で個人 とは独立」のラソグを対象 とす る言語学を区別 し、言語学本来のあ り方は後者に こそあ ると宣言 してい る。(
F講義jp.34)体系としての言語 (ラソグ)は 次 の よ うに要約 され る。 1. ...それは聴覚映像が概念 と連合する場所 である。それは言語活動の社会的部分であ り,個人 の外にある部分である ;個人は独力ではこれを作 り だすことも変更することもできない ;それは共同社 会の成員のあいだに取 りかわされた一種の契約の力 によっては じめて存在する。他面、その営みを知 る には、個人は学習を必要とする ;子供は除々にしか これをものに しない...・ 2.言語は.言 とはことな り.切 りはなして研究 しうる対象である .... 3.言語活動は異質的であるが、上のように限定 された言語は、等質的性質のものである ;それは記 号体系であ り、そこでは意味 と聴覚映像 との合一を おいて他に本質的なものはな く、また記号の二部分 はひ としく心的である。 4.言語が具体的性質の対象であることは、言に おとらない ,・これは研究上おおきな利点であるo言 語記号は、本質的に心的であ りながら、さればとて 抽象的ではない ;集団的同意によって批准され、そ れの総体が言語を組みたてる連合は、その座を脳の なかに有する実在であるOなおまた、言語の記号は いわば手を触れることができる ;書はそれ らを制約 的な映像に定着することができるのに対 し、言の行 為にいたっては、その詳細をのこらず撮影すること は不可能であろう ....このように言語にかんす る事物を定着することができればこそ,辞書 と文法 とはそれの忠実な代表であ りうるのである。 (F講 義』pp.27-8) ソシ ュールに よれば、記 号体系 の ラソグは 、決 して抽象的 な ものでは な く、共 同社会 の集 団的合 意 に よって その構成 員各人 の脳 の中に位置す る心 的 実在 であ る。 それは 書 き留めて手 で触れ るこ と ので きるものであ り、その代表が辞書や文法 であ る。 それに対 し、個 的行為 のパ ロールは千差万 別 で異質的であ り捉 え どころが ない とい う。 これは あえて呼べば、 ラング中心主義 とも言えるものであ り、 ク リス とは正反 対 であ る。 ク リスの ソシ ュール との相違 (ソシ ュールにあ らず)が もた らす帰結は 何 であろ うか。その中心は、 ラングを価値 (差異 ) とのみ見 る ことに よ り、意味 とそれ を通 して実現 t′フTI/:′ス され る対象指示性を ラ ングには否定 して しま うこ とであ る。 「価 値」 の理解 の仕方 もク リスにおいては 、 ソ シ ュール本来 の定義 を離れ て一面的 であ る。 F講 義 』に よれは、価 値には① シニフ ィ- とシ ニフ ィ ア ンを別 々に見た場合 の概念的価 値 と音声 的価値、 ② シニフ ィエ とシニフ ィア ンが結合 して捉 え られ ポ ・} テ イプ た積 極的辞項 (体 系 の中で の単位) の価値 があ る。 ① の価値 間の関係 を 「差異」 、② のそれ を 「対立」 と ソシ ュールは定義 してい る。(p.169) 辞項は 積極 的ゆ えに 「同一性 の概 念 と価 値 のそれ とは、 たがいに混 同す る」、 「価値 の概念 が単位 、具体 的実在体 お よび実在 のそれ と符号す る」 (p.155) とされて い る。 それゆえに第4章2節 「概念 の角 度か らみ た言語価 値」 では 「語 の価値 とい うと、 人は一般 にそ して と りわ け、それ が観念 を表 出す る特 性 の ことを考 え る ;事実 それ もまた言語価 値 の一面 ではあ る」 (p.160)として、語 の価値 と 語 の意義 は同 じとい う側 面 を もつ ことを ソシ ュー ルは記述 してい る。 まとめれば、体系 の中 でみた辞 項は価値 であ るが、体系 か ら切 り離 してそれ を単 位 (語 ) としてみれば意義 を有す る、 とい うこと であ る。 どち らもラソグに属す ることは もちろん であ a(I.0この点 について の無理解 、す なわ ち価値 ネ ガ テ イプ を差 異的 、消極的 とのみ捉 え、それ が ラソグの特 性 とす る先人見が本書 の全編 を被 ってい る。 それ では我 々は この問題 、 ラングとパ ロール、 価 値 と意味 の関係 を ど う理解すれ ば良い の であろ うか。 それには 、 rソシ ュール の思想 EJの著者 、 丸 山圭三 郎氏 の所 説が有効 であ る。丸 山氏 は、価 値 を ラングの次元 に、意味 をすべ てパ ロール の次 元 に置 く、 ク リスの説 と全 く同様 の見解 を もつに 至 った
A.
ビ ュル ジ ェに こ う切 り返す。 ビュルジェは、ラング自体がもつ潜在性 と顕在性. 抽象性 と具体性 という二重の性格を見落 している。 潜在的なものはすべてラングに.それが現前され実 行されたものはすべてパロールに属せ しめ ることは, 一見明快な区別であ り、 ソシュールの板槙的区別で ある形相と実質に対応 しているかのごとく思われぬ こともない。潜在的実体である《価値 》をラングに、 それが条件 とな り源 となって現前する《意義群 》を パロールに属せ しめた ....ところが、事実はそ れほど単純ではないのであるO(ll) 丸 山氏はい くつか の事例 を検討 した上 で、 ラン グには(D形相 としての ラング と② 規範 と しての ラ ングがあ る と言 う。 - 39-以上から判明することは.ソシュールのラソクに は、(》《形相 ≫としてのラソクと、②社会的に実現 された 《規範 》としてのラングがあるという男 裏芸 あるO後者の具体性は、もちろんパp-ルの 実 質 とは異質のものであるが、純粋な関係の網である形 相が社会的に実現された結果、一つには音的性格を 持ち (原理的には.視覚 ・喚覚 ・味覚 ・触覚 という いかなる実現形式をとることも可能である)、二つヴTl)Tント にはその社会習慣が許容する変異体のみが強いられ る (原理的には.いかなる差異でも対立化されさえ すればよし、)という意味で.一種の有形性を具えて いるラングなのだilか この ラソグの2つの レベルに 「実質 としてのパ ロール」 の レベルを加えた丸山氏の次の図は有益 であ る。 ラ 〆 バ ロ ー ノレ 形 相 規 範 生産活動 : 実 質 (実現可能なもの)I (第一次実現) (第二次実限) ◇価値体系 ◇社会制度 ◇個人的実践
:
◇材 質 ◇記号学的関係 【◇言語現実 ◇言語活動:
◇物理的現実 解 く芸 書芸 : 頚在一連辞(文脈) (言表行為選択 と結合) :I: 音 声 化(状況)○◎ ○
(辞項才
④㊥
一㊥
--一一---もーく
互
--:
-互
一一一:
)
-O -一一一一一 ○L1 f1 (文 .言述 .テクス ト)a LID 我 々は丸 山氏 の説 に従 って、 ラングに二 重の レ ベルを認めなければな らない と思 う。 ラソグにお け る語 の意義(signification)とパ ロールにおけ る 言葉 の意味 (sense)は区別 され るものであ る。前 者は 「辞書に兄い出 され る語 の定義 であ り、その 言語社会 に よって許容 され沈澱 してい る最大公約デノテ-シヨソ 数的な意義群、す なわ ち 外 示 」であ 去IoD後者は 「一方 ではパ ロール的状況に依存 し、他方 では ラ ソグの く意義)に依存 してい る...いかに語 の 選択 と結合が個人の自由に まか されてい るとは言 え、人は その言語 の文法性か らのがれ ることも、 既成 の意味体系 をはみ 出す こともで きない」 ので ヨ=式 あ る。発話 では行為者 の 自由な創造性が発揮 され るとして も、それはその言語 (ラング)に規範的 な法則 に従 ってな され るのであ る。 そ うでなけれ ば共 同社会その ものの維持、発展があ りえな くな るであろ う。 これ までをふ り返 って、い ま一 度 問題 の箇所(
r講義jpp.168-69)に戻 ると、 「所記 であれ 能記 であれ、べつべつでは純粋 に差異的で消極的 であ るが、それ らの結合は宕極的事実であ る」 と い うことは、価 値体系 であ る形相 としての ラソグ でシニフ ィ- とシニフ ィアソを別 々に見 ると消極 的であ るが、両者 を結合 して全体 として見た記号 (辞項)は積極的 な内容 (意義)を もち、規範 と しての ラソクで実現 され る、 とい うことであ る。 その理 由を説 明す る次 の 「なぜ な ら言語制度 の特 性は、 まさに これ ら二つの秩序 の差異 のあいだに 平行を保つ ことなのであ る」は、 この前 で言われ てい る 「あ る数 の聴覚記号 と思想のかた ま りに同 数の分断を施 した もの とを照 らし合わせ るときは、 価値体系 が うみ だ され る」 と同義 であ る。す なわ ち、 シニフィ- とシニフィア ンの結合に よ り積極 的な辞項に よる対立的 な価値体系 を生み 出す こと が言語制度 (ラソグ) の特性 と規定 してい るので ある。 そ もそ もこの節 の見 出 し「全体 としてみた記号」(TheSignConsideredinitsTotality)が示す よ うに、同一次元 にあ る1つの もの (記号単位)を 角度を変 えて見た とい うことであ る。つ ま り、 シ ニフィ- とシニフ ィアソをそれぞれ に見 ると消極 的であ るが、記号を全体 として見 ると積極的であ る、 と述べてい る。 ソシ ュールは、 シニ アィ- と シニフ ィアンは一葉 の紙片の表裏 の ごと くで、両 者を分断す るこ とは抽象的、観念的に しかで きな い、 と言 う。 それゆえ、 この箇所か らク リスの よ うに、 ラソグとパ ロール とい う2つ の異 な る次元 を読み取 ることは土台無理 であ る。 以上 に よ りク リスの誤読は解 明で きた と思 う。 ク リスは この ソシ ュール解釈 を軸 に本書 の全体を 構成 し、 ポス ト・ソシ ュール派 を批判 してい るの であ るが、その論拠は今や崩れた と言わねばな ら ない。 ラングはすべて差異的で消極的 として しま ったク リスの誤読が帰結す るところは重大であ る。
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(p・212) Itisofcourseobviousthatt
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arepositive.(p.213)元 では、積極的 な記号単位が生 まれ、その概念的 内容 として意味 (義)を もっ ことは一切あ りえず、 レ フ 丁 レ ンス したが って意味 を通 して実現 され る対象指示性が え られな くな る。 この ことは、 と りわけ 「指示的 リア リズム」を提 唱す るク リスに とって致命的 と はな らないか。 堀尾輝久氏は F教育入門 』の中で 「文化 の伝達 と社会の持続」に関 して書いてい る。 こうして子どもたち (若い世代)を社会の成員と して迎えいれるということは、親たち (古い世代) がその子 らに.身体的健康に配慮 しながら言語を教 え,習慣を身につけさせ、共通の価値観や価値感情 を育て、集団の規律に従 うことを学ばせることを通 して行われましたが、さらにそれに加えて.労働技 術やそれにかかわる知識を伝達することも不可欠な ことでした。 人類は長し・進化の歴史のなかで.労働によって自 然に働きかけ、自然を変え、このことを通 して人間 自身の能力を豊かにし.それを次代に伝えながら人 間の歴史を築いてきたのですが,この過程はまた. 人間の技術の発展の歴史でもありまLI=OoQ 古い世代か ら新 しい世代-文化 と生産技術 を伝 え、 共 同社会を維持 し発展 させ ることは、人類 におい ては何 よ りも社会的規範 としての言語 (ラソグ) を用いた コ ミュニケーシ ョンに よって可能 とな る。 ラングに共通の意味を認めなければ、 この よ うな 社会観 、歴 史観が閉 ざされて しま うことにな る。 ここに ク リス説の容認 しえない点があ る。 く事物や経験 の場合) ク リスのポス ト構造主義の 「シニフ ィア ンの連 鎖 」論 に対す る批判 の第 2の方法は、客観的実在 であ る物 と経験的事実を反証 に提起す ることであ る。物 の場合か らみてゆ こ う。 ク リスに とって物はすべて 自然記号で もある。 Evennaturalsignsdonotproduceatotal closureormeaning:wtlengreyCloudssi g-nifyrain,thisisnottheendorthematter. Thesenseoftheworldisnotroundedoff
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Nosignisanisland,abletosolvetheworld oneandforall.(p.213) 暗 雲 が 自然 記 号 として雨 を意味 す る場 合 の よ う に、物はそれ 自体で客観的実在であ り、 シニフィ ア ソ とい う抽象 的存在 とは 異 な る。 か つ 、物は 個 々別 々に存在す るのでは な く互 いに 自然 記号 と して意味 の連鎖 を もち客観的世界 に向 って開かれ てい る。 ソシ ュールは閉 じられた体系をなす言語 (ラング) と無限 の意味 の連鎖を もちなが ら外界 に開かれてい る自然記号を敢然 と区別 したが、ポ ス ト構造主義はそれ らを混 同 し、①客観的世界 (自 然記号の連鎖) も言語記号の体系 もすべて閉 じら れた構造 として、外的現実を否定す る。② 「シニ フ ィアンの連鎖」論は、 シこフ ィア ンの抽象性、 観念性を客観的事物に まで押 し広 げ、 シニフ ィア ソが もつ消短性 と差異性で現実世界を も包み こむ。 以上が ク リスが批判す るポス ト構造主義 の ソシ ュールに対す るも う1つの誤読 であ る。記号体系 を もってすべてを観念化、抽象化 して しま うポス ト・ソシ ュール派 に対 して、常に客観的現 実を提 起す るタ リスの方法には評価 し うる点 も多 い、が そこには黙視 できない欠陥 も含 まれている。 ここで の ク リスは、物 その ものに意味があ るとい う先入 見に立 って、客観的世界の全面的連 関 とい うリア リズ ムの命題を、 自然記号の意味連鎖 と捉 えてい るのであ る。 これは意味 (概念)は言葉 の中にあ るとした ソシ ュール以後 の近代言語学に反す る珍 説 であ るが、詳 し くは次節 で検討す る。 次に タ t)スが経奴的事実を挙げて ポス ト ・モ ダ ンに反論す る場合を見 る。 F講義 」第 4章1節は 有名 であ るが広 く誤解 されて きた とク リスは言 う。
Psychologicallyourthought-apartfrom its expressioninwords-isonlyashapelessand indistinctmass...Withoutthe help of slgnSWeWOuldbeunabletomakeaclear cut,consistentdistinctionbetweentwoideas. Withoutlanguage,thoughti savague,un-cbarted nebula.There are no p∫e-existing ideas before the appearance orlanguage.
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,Pp.111-12) ク リスの説 明に よる と、 この箇 所 の真 意 は、思 考が未分 明な状態 にあ るのは、い まだひ との頭 の 中だけで考 え られてい る うちであ る。 それ が言葉 として表現 され他人に伝達 された とき、思考は明 瞭 な輪郭を もつ とい うことであ る。 ク リスは こ う 書いてい る。 - 41-・:・ideas・perhaps・have distinct bounda-rleSOnlywhentlleyareexpressedindistinct sentences;theydonotcomewitlltheirown edges.Moreover,their `distinctness',like vagueness,canbeassessedonlywhenthey aremadepublic;thatistosaycommuni -cated;thatistosayutteredorwritten.
(p.56) 要す るに、言葉 に出 して初めてひ との思考 と意 識は明瞭にな り、それ以前は暖昧 であ るとい う経 験則に照 らして ク リスは ソシ ュールを解釈 してい る。 ここに もラングはすべて消極的で、バ ロール が積極 的 とい うク リスの単純 な ソシ ュール読解が 影 を落 としてい る。 しか し F講義 j第4章1節全 体が言語 (ラング)の成立についての ソシ ュール の仮説 であ るか ら、 ク リスの解釈は的はずれであ る。 もっとも系統発生 (社会的な ラングの成立過 程)を個体発生 (個人の ランガージ ュの生成過程) が繰 り返す と取れは一応 の意味は なすか もしれな いが、 ク リスにその自覚は な く、系統発生 と個体 発生 を混 同 してい る。 ポス ト・モダンに反論す るのに ク リスは常に現 実の発 話行為 (パ ロール)に依拠す る。 しか しソ シ ュールは、ノミロール の意義を認めつつ も言語学 本来の研究は ラングを対象 とすべ きことを強調 し たのでは なか ったか。 ソシ ュールが力説 した ラン グとい う言語 の抽象的な次元 では、 ク リスはポス ト・モ ダンに対 して一切 の反論ができない。す で にみた よ うに、ポス ト・モダソが ソシ ュール言語 学 の ラソグとパ ロールの混 同か らでは な く、 ラン グその ものについての理論か ら特異 な理論体系を 構築 し、それに よって現実世界 さえ も抽象化、観 念化 してい るのであ るか ら、 ク リスの説は彼 らに 対 して外在的ではあれ内在的批判 とは な りえない。 その原 因は、 ク リスが ラングをすべて差異的で消 極的 とみてい ることにあ る。 そのために ラソグと い う抽象的次元 で言語 と客観的現実 との関係を積 極的に提示す ることがで きな くな る。 か って
T.
イーグル トソは、氏.
ウィ リアムズ を指 して 「社会についての概念 の有効性は、ひ と えに具体的経険、感覚 で捉 え られた生活に直接妥 当す るか ど うかにかか って行 く。理論が理論 とし て機能せず、生 きた経険か ら有機的に湧 き出た も コ‥5: のでない限 り相手に され ない きらいがあ る」 と評 した ことがあ る。 この ことは まさに ク リスに当て は まる。理論 とい う抽象的な営みが深化 され るこ とな く常に経験 と物に引 き戻 され る。 ここに、眼 に見 え るもの、耳 にふれ るもの、手 で触あれ るも の以外は信 じられ ない ク リスの経験主義的言語論 の光 と影があ る。す なわ ち、その限 りにおいて認 め られ る現実 と、その限 りにおいて しか認め られ ない現実 として。 くポス ト ・モダン批判のあ り方) 私はか って ポス ト構造主義 の代表 的思想家 ジ ャ ック ・デ リダのデ ィコンス トラクシ ョン脱 構築) 理論 を分析 し、 「- ク リチ ュ-ノレ」、「差延作用」、 「痕跡」 とい う概念 で提 出 され るデ リダの理論的 戦略 の眼 目は、 シーニ ュ (記号)の シニフ ィ- (記 号内容)を抹消す ることにあ るとして、 こ う書い た ことがあ る。 ソシュールは個 々の言語記号には音声である記号 表現としての 「意味するもの」(
能記) とそれによ って概念化される記号内容としての 「意味されるも の」(所記) の2側面があ り.両者の関係は本来慈 意的であるが、自然言語 (母語)におし、ては慣習に よって制約されているとみた。ソシ}-ル言語学を 脱構築せんとしてデ 1)ダが狙いを定めるのは記号の 2側面のうちの所記である。なぜなら記号の意味的 側面である所記こそが現実対象と人間意識の結節点 だからである(ど ロゴス中心主義を批判す るデ リダが、執粉 にシ ーニ ュの シニフ ィ-を攻撃対象 とす るのは、意味 的機能をつか さどるシニフ ィ- こそ、主観 の客観 に対す る認識作用に係 るか らであ り、 シニフ ィ-を抹消す ることは理論的 には、主体 と客体の両方 を同時 に抹 消 し、世界 のすべてを 「記号の戯れ」、 「シニフ ィアソの連鎖」 に巻 き込む ことにな るか らであ る。 これが、作者 の死、相互 テ クス ト性、 読みの理論 とい うポス ト構造主義 に特有な見方 の 理論的基礎 とな ることは容易 であ る。 その理論構 築 の方法は、私 もク リスと同様 に、ポス ト・ソシュ ール派 が ソシ ュール言語学 のい くつかの重要 な命 題 を曲解す ることにあ ると指摘 した。 デ リダのな す ソシ ュール誤読あ るいは盗意的ね じまげの中心部分 について拙稿 か ら再掲 してお く。 ソシ 1-ルの言語論に よれば.記号の差異の体系 をなす言語は能記の レベルはか りでな く所記のレベ ルでも対立 し相互に限定 しあう。ある語の意義は他 の語によって定義づけられながら、またある語の意 義を定義づける。デ リダはこの記号の相互関係を【意 味されるもの」は同時に他の語を 「意味するもの」 であると読み替える。しか しソシュールがし、う 「意 味するもの」 と 「意味されるもの」 とは、記号表現 である能記 と記号内容である所記 という1つの記号 内の2要素であ り、それ らを相互関係性にある語 と 語に読み替えることがはた して言語学的に許される ものか甚だ疑わ しい。つまりデ リダはソシュールの 記号は能記 と所記の2要素の統一であるという理論 と言語は記号の差異の体系であるという理論を意図 的にか混ぜ合わせているのである。だがそれは概念 「犬」が同時に 「ネコ」の記号表現 (音声)である などということはできないから、全 くの論弁でしか ないOだがその結果.デ リダは意味を消すことによ って現実 という重い足かせから解放されて 「戯れ」 の世界に飛び立ちえたのである`㌘ ク リス も私 と同様 に、デ リダは記 号問 の関係 と 1つの記号 内の シニフ ィア ンとシニ フィ-の関係 を混 同 してい ると指摘 してい る箇所が あ る。 しか しク リスが言わ ん とす ることは 、管見 とはか な り の懸隔 があ る。
Derridamisreads[Peirce]asreferringtothe relationshipbetweensignifierandsignified. Theendlessnessofthechainofsignsisread as`theabsenceofthetranscendentalsignl -ried'and consequently `thedestruction or ontotheologyand themetaphysicsofpres -ence'.Heconfuses,inotherwords,therel a-tionsllipbetweenwholeslgnSWiththerel a-tionsbip between thesignifierandtlleSi g-niriedoranindividualsign.lonesignleads toanottler'becomes`oneslgnreferst oan-otber'becomes一oneslgnirierreferst oan-other'or'the(exclusive)referentofasi g-nifierisanothersignifier'. (pp.213-14) 「切 り取 り」 の概 念 を媒 介 に して成 立 す る ソシ ュール の盗意性 と差異 の理論 の相互 関係 の本質的 な意味 を理解 で きない ク リスは0.0問題 の核 心に迫 りなが ら逃 が して しま う。 その ことは引用文 を前 後 の文脈 に戻 してみ る とわ か る。 引用 文 の前 で ク リスは 、 ピアス の理 論 を デ リ ダが 曲解 す る こ とか ら 「差 延 作 用 」 論 が 生 まれ る と して こ う言 う。 ピアスが 言語 記 号 に 限 らず 自然 記 号 を も含 め て記 号一 般 と して の記 号 間 の 関係 を述べてい るのに対 して、デ リダは それ を言 語 記 号の関係 と捉 え る。 そ こか ら自然記号 間 の関 係では体系は本来外界 に対 して閉 じられて い ない のに、デ リダでは記号体系 (ラング)が外 的現実 を締 め出 して しま うことになるとい う。 しか しこの 叙 述 では、 なぜ 「際限 のない記号の連鎖 が超 越的 シニフ ィ- の不在 として読 まれ る」 ことに な るの か に つ い て は 、十 分 な説 得 力 を もた ない 。 シニ フ ィ-が シニフ ィア ン化 され ることの プ ロセ ス と そ の結果 の重要性 が、 ク リスには よ く捉 え られて は い ない。(p.213) 引用文 の後に続 く所 も、 ク リスの独得 な見方を 露呈 してい る。
Aswenoted in Chapter3,Section 3,no slgn iseverpurely orexclusively a slgn. Objectsand events
ar
e
(inthemselves)as wellasbayingsignificance.Thefactthat thechainorsignsnevercomesto anend doesnotmeanthatthereisonlyaninter一 minabletrailortracesand thatpresence isneverreached.Forpresencedoesnotlie atthee〃dofthetrailofsigns;rather,it is there from thebeginnlng;the sign is presentas wellasslgnifying.For itcan signiryonlyiritispresent-presenttome for whom it is significant,.A sign may signify an absence;butonly invirtueof beingitselfpresent.(p.214) 記号 の連金削こよって現 前化(presence)が得 られ な い とす るデ リダの 「痕跡」理論は、言語記 号 で考 え るか らそ うな るので あ って、記号一般 に通 用す る ものでは ない。 なぜ な ら物や事は それ 自体 で意 味作用を もち、それゆ えそれ らは 自然記号 として 意味連鎖 をなすが、 自然記 号は存在す る こ とが意 味す ることであ るか ら、現前化は初 めか ら保障 さ れ て い るのであ る、 とい う。 ク リスは ポ ス ト構 造 主義 に反論す るのに きまって現実 の物理 的 存在 で - 43-あ る事物を提起す るO そ のことには一定 の意義が 認め られ るが、内合 され る問題点 も多いので、繰 り返 しを恐れずに、以下 に指摘す る。 ① 「物や事がそれ自体 で、意味作用をもつ」 とい う見方は、意味はあ くまで記号が含み込む とい う 近代言語学の命題に反す る。それは主観 と客観を 混 同 し、客観を主観化す ることにな りリア リズム の精神に合致 しない。 この点でク リスは 「ソシ ュ ールにあ らず」、まともな言語論にあ らずであ る。 ②上のクリスの定義か ら導かれる 「物は 自然記号 として意味 の連鎖をなす」 とい う見解は、 「客観 的世界の全面的連関」 とい うリア リズムの命題を、 自然記号の連鎖 と誤解す るものであ る。 この ように誤解 と偏見 にみちたク リスの議論は 本人 の真面 目で良心的 な意図に もかかわ らず、真 の リア リズ ムを復権す ることには な らない。そ れはあえて呼ぶなら俗流 リア リズム論であ る。 な かんず く、 ク リスがは まった最大の陥葬は、デ リ ダの 「痕跡」論を批判す るのに、経験的事実や客 観的事物を反証に提 出す るが、その とき記号体系 としての言語 (ラソグ) の次元ではデ リダの差異 化理論を是認 して しま うことである。 これでは ポ ス ト構造主義に対 して有 効な内在的批判にな らな いばか りでな く、結局 は デ リダと同様な誤 りをお かす ことになる。ポス ト構造主義批判を遂行す る には、パ ロール次元 での経験的事実を提起す るの みな らず、なに よりも言語体系 (ラソグ)のもつ ポジテ ィブな側面を積極 的に提起す る必要があ る、 Cl) と私は考え
る
。
レ フ T l′ソ シ ヤ ノレ3
.
ク リス の 「対 象 指 示 的 リア リズ ム」論 ; 第4
章を中心に。 は じめにク リスの基本的立場をみてお く。 リア リズムと言えは、 「言葉 は事物の代理」であ り「テ クス トの文章構造は、事 物の構造を反映す る」す なわち 「言語 と現実は一 対一に照応す る」 とい う 丁イソモノレフイズム 俗説があ る。 これを同型主義 とい う。他方、 これ までみてきたポス ト ・ソシュール派の言語外現実 を否定す る反 リア リズ ムの強力な潮流があ る。 こ れ ら2つの誤 った傾 向を避けて ク リスが切 り開 こ うとす るのほ、それ らの中間的立場であ る。 この 点で、 「政治的無意識 』の著者、F.ジ ェイムソ C=) ソのパースペ クテ ィブに相似 してい る。 ク リスが 追究す るのは、既存の事物や観念に言葉 を貼 りつ け る名称 日録観で もなければ、言語活動に課せ ら れ る外的制限を無視す るもので もない。
「言語は それ 自身で意味を生み出す ことはない として も、 言語は我 々を とりま く世界をそれが了解可能な限 り、安定化 し、またある程度組織化す る」(p.102) のである。 ク リスは この よ うに 自らの基本的立場を設定 し たあ と、具体的に理論展開をはか る。Themostobviousisthat,in so farasa tokenhasameanlng,thatmeanlnglSge n-eral;materialobjects,on theotherhand, areparticularsoccupylngSpecificreglOnSOf spacetime.Themeamngofawordcannot bea particularobject.Sotherelation b
e
-tween word and objectwhen theword is usedto signify a particularobjectcannot be a direct correlation.The relation be -tween word andobjectmustbemediated.
(p.107) パt)- ル ト ー ク ン ミ-ユ ング 発話行為におけ る生起例の意味は一般的であ るの に対 し、時間 と空間の中に特定の位置を占める物質 的存在は個別的である。それゆえに、言葉の意味 と 物の関係は直接的ではあ りえず、媒介 された ものと 言わなければな らない。 同型主義の誤謬は、一般 的な意味 と個別的な物 とい う異質な2つを直接に 結んだ ことにある、 とク リスは言 う。 ここで トー クソの意味がなぜ一般的なのか 自明のごと く言わ れ るが、説 明が必要であろ う。 ク リスが提唱す る対象指示的 リア リズム論の核 心部分を、以下簡単な要約ない しコメン トをつけ なが ら引用 してゆ く。
InthemodelIwishtopresentllere,rereト enceto an objectissecured by materiaレ ising in a signone Ggenerul) sense that tbe obieethas.The token (Or more pre -cisely thereferring expression which may becomposedofoneorseveraltokens)acts asproxyforasenseoftheobject.A given objectmayhaveanynumberofsenses… .
(p.107)
ク リスのモデルに よれは、 レファレソス (対象指 示性) とは、 トークンの一般的 な意味(meaning)
と物 の一般的な意味(senses)の1つ との一致 なの であ る。換言すれば、 トークソは物 の多 くの意味 の中の1つの代理 として働 く。
Inreference,wordandobjectmeetinthe identityorthegeneralmeanlngOrapar ticular token witl1One Or the (general)
sensesoranintelligibleobject.Underthis analysis,the sign.Or the chain ofsigns constitutingareferringexpression,actsas analternativematerialisationofoneofthe generalsensesoftheobject,and`rererence' isthecoincidencebetweenthesignifiedor thelinguisticsign(S)and thesenseofthe particularobjec
t
.
Thismodelmakesacleardistinctionbe
-tweenthesignifiedontheonehandandthe referentofasignont.heother-incontrast to post-Saussurean theory where the two are persistently confused.In most cases,
Werererentiallytakeholdofobjectsinthe worldviathegeneralsensesthattheyhave. Rererenceresidesinthecoincidencebetween thesignifiedofaparticulartokenorgroup oftokensandoneofthesense sofanob-ject.Thelinguisticsignifiedisnottheref -erent;and,outsideoftheparticularocc a-sionswhenitsparentsignisusedtosecure reference,itisnotevenameanlng;itisa value,whichisbestthoughtorasa `vir -tualmeanlng'realisedonlywhentheword typeismaterialisedinatoken
i
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n.
(pp.107-08) シーニユ 記号は物 の一般的 な意味 の1つを物質化 (音声化) す る。 レフ ァレソスほ言語記号のシニフィ- (記 号内容) と物 の意味 の一致であ る。 言語 モデルを このよ うに設定すれば、ポス ト・ソシ ュール沢が 陥 ったシニフィ- とレファレソ ト(指示 され るもの) の混同を避け ることがで きる。 シニフィ-は、全 体 としての記号が発話行為 で用い られて レフ ァレ ミーニング ンスを 生むまでは意味 では な く、差異的 な価値に とどま る。 タイプ (壁)が発話行為 で用い られて 物質化 され トークンとな っては じめて、 シニフ ィ -は意味 となる、 とい う。 ここに もラングでは意 味は生 じない とす るク リスの先人見が覗いてい る。.‥ whetherornotthelinglllSticmateriー alisationoroneorthesensessecuresref -erencetoitwilldependuponthecontextin whichthereferringexpressionisused.The context will include what has just been said,whatcan beassumed in theshared worldorthecommunicants,andtheactual pllySical surroundings or the utterance. Becauseanobjecthasanindefinitenumber of possible senses (Corresponding to the dirferent relations speakers may have to it,thedifferentwaystheymayseeit,the differentusestheymayhaveforit,andso on),tllen thereisroom forrepeatedclas
-sificationandreclassirication.(p.107) Correlationbetweenaparticulartokenand a particular objectis possibleonly when tbe textual and physical c0-0rdinates or tbeutterancehavebeenmobilisedtosecure reference.(p.108)
TbesenseorapleCeOrmatterWill,aswe havealreadyremarked,tx!highlyvariable
,
even when its pllySicalproperties remain macroscoplCally constant. It will depend upon the interests, moods,physiological statesandpersonalhistoryortheindivi d-ualtaking noticeorit,aswellas,more remotely,upon thehistory ofthesociety inwhichhelives.(p.110) 発話行為 の時間 と空間の物理的指示座標 であ るコ ンテ クス トが動員 されなければ レフ ァレンスは生 まれ ない。 コンテ クス トには、会話 の文脈 (すで に言われた こと)、話 し手双 方に共有 され る世界、 発話 を取 り巻 く物理的環境 な どが含 まれ る。あ る 物は 、話 し手 のその物 との関係、話 し手 のそれのセンス 見方や使い方が多様 であ ることか ら、無数 の意味 を もつ ことにな る。 それゆ えに物の意味は変動的 であ り、その決定は、話 し手個人の関心、気分、 生理状態や生 い立 ち、ひいては その社会 の歴 史に 依存 してい るのであ る。 ここで ク リスの レフ ァレンス論を も う一 度把握 すれ ば、
Rererence,which isthecoincidenceorone