二九
「アイシライ」の文学
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祇園南海『明詩俚評』に示された「影写」法
白
石
真
子
一 江戸詩論における祇園南海 日本における十八世紀の詩文を語るうえで、明代詩文の受容に言及 することは必須である。それは、江戸の漢詩人たちが好んで明代詩文 を読んでいた事実があるからである。その一方で、彼らの詩文論のな かには、明代詩文を古人及び古文への階梯として受容しようとする側 面がある。これを尚古主義と呼べばそれまでであるが、明代詩文を足 がかりとし、唐詩、漢詩、さらには『詩経』にまで遡ろうとするもの たちがいた。実際にその論理が詩文に反映されたか否かの評価は措く としても、十八世紀に活躍した荻生徂徠を中心とした 蘐 園学派は、こ の論理のなかで漢文学を牽引したのであ る (( ( 。 その在り方は、 蘐 園学派に限られるものではない。例えば、木下順 庵 と そ の 門 人 た ち も、 格 調 あ る 詩 を 好 み、 明 詩 を 階 梯 と し て、 唐 詩、 漢 詩 に 遡 る こ と を 理 想 と し た の で あ る (( ( 。 徂 徠( 一 六 六 六 ― 一 七 二 八 ) と順庵(一六二一―一六九八)の生きた時代からすれば、順庵と木門 の詩人たちの「復古」は、 蘐 園学派に先行していたといえる。 木門の一人、祇園南海(一六七七―一七五一)が、明代文人と吾が 邦の詩文を語った一節に次のようなものがある。 和人ハ此合点夢ニモ知ラヌユヘ、詩ト云モノ一篇モナキナリ。近 代、白石・霞沼・芳洲・南山ノ数子出テ始テ是ヲ作リ得テ共高キ コト明人ニマサル。是等ノ処悟入スレバナリ。 (『明詩俚 評 (( ( 』廬叔 麟「初冬別李山人」評) 現 在 ま で、 「 此 」 を 理 解 し て い な か っ た 日 本 人 は、 所 謂、 詩 と 呼 べ る ものを作れなかった。しかし、新井白石、松浦霞沼、雨森芳洲、南部 南山ら同輩は、 「此」を悟ることで、所謂、詩を作り得たというのだ。 南海がいうところの、これを作り得て明人に勝ったとは、唐詩、漢 詩引いては『詩経』に匹敵する作詩がなされたことを指そうが、問題 は「此」 「是等ノ処」の内容である。南海は、何を得たことによって、 日本人がはじめて詩を書き得たというのであろうか。 南 海 詩 論 に お い て、 「 詩 中 第 一 義 諦 」 と す る の は「 影 写 」 と い う 手 法であるが、自身それを、次のように定義している。 凡 影 写 ト 云 コ ト 古 人 鏡 花 水 月 又 ハ 風 影 ト モ 評 シ タ リ。 先 影 写 ト ハ、物ノ本形ヲウツスヲ云。譬ヘハ月影ニ梅竹ノ窓ヘウツリタル 姿ナリ。…詩ハ必ス其面影ヲウツシテ、読ム人考ヘテ、ゲニサコ トソト、感心スルヤウニ作ルヘシ。是ヲ影写ト云。…凡ソ此作リ 方 ハ 詩 中 第 一 義 諦 ニ テ 妙 用 如 ヽ 本 来 面 目 悟 入 之 処、 コ ヽ ニ ア リ。 (『明詩俚評』王越「邉城春雪」評)「アイシライ」の文学(白石 真子) 三〇 引用部「古人鏡花水月又ハ風影トモ評シタリ」の古人とは、厳羽『滄 浪 詩 話 』 詩 弁 の 一 節 な ど が 念 頭 に あ ろ う。 ま た、 「 影 写 」 と い う 言 葉 は 既 に、 『 文 心 彫 竜 』 通 変「 漢 之 賦 頌、 影 写 楚 世 」 な ど が あ る が、 こ れは影響をうけて書くといった意であり、南海の意図とは異なる。南 海 は、 「 影 写 」 と は、 作 る 人 が そ の 面 影 を 表 現 し、 読 む 人 が 情 景 を 懐 い、なるほどと心で感じる詩の手法であるという。 南海の「影写」については先行研究がある。 松下忠は「影写説がその著述中に最初に見えたのは『明詩俚評』で あ る 」 と い う 認 識 の も と、 「 影 写 」 の 手 法 と は、 描 写 す べ き 対 象 の 問 題(境趣論)と、物の本然の真姿を如何に描写すべきかという表現の 問 題( 雅 俗 弁 ) と が そ の 両 輪 で あ る と 分 析 す る。 そ れ を 前 提 と し て、 ①詩格が高いこと。②雅語(詩語)を用いること。③温潤玉の如きも のであること。④文飾に流れず、又、典故を重要視しないことが、南 海 詩 論 の 核 で あ り、 「 影 写 」 の 在 り 方 で あ る と 評 す る (( ( 。 ま た、 中 島 貴 奈 は、 南 海 の 詩 を 具 体 的 に 検 討 す る な か で「 影 写 」 に 言 及 し、 「 顕 わ にではなく、それとなく題を詠みこもうという姿勢が見て取れるので あ る …… そ れ は 故 事 の 用 い 方 に つ い て も 言 え る の で は な い だ ろ う か (( ( 」 と指摘する。 松下論文は、明詩及び同時代の詩人またその詩論を念頭に置いた分 析のため、南海詩論「影写」説の特質の一つが格調説からの脱却であ る こ と に 論 点 を お く ( 6 ( 。 一 方、 中 島 論 文 は、 「 七 家 雪 」 と い う 実 作 を 分 析する中で「影写」説が如何に機能しているかに言及したものである ため、当然両論文は、同じ「影写」法に触れながらもその論点は大き く 異 な る。 し か し、 共 通 し て、 「 影 写 」 と い う 作 詩 法 が、 格 調 高 い 言 語を選ぶこと、直接的ないい方を避けることなど、表現の問題である ということを明らかにしている。 以 下 に 述 べ る こ と に な る が、 「 影 写 」 法 と は、 様 々 な 要 件 か ら な る 南 海 詩 論 の 包 括 的 概 念 で あ る。 本 稿 で は、 『 明 詩 俚 評 』『 詩 学 逢 原 』 『 詩 訣 』 に 南 海 詩 論 を 分 析 す る が、 と く に、 『 明 詩 俚 評 』 で 南 海 が 用 い た「 ア イ シ ラ イ 」 と い う 言 葉 に 注 目 し て、 「 影 写 」 法 の 内 実 に 迫 り た い (( ( 。 南 海 が 近 年 日 本 人 も い わ ゆ る 詩 を 書 き 得 た と し て、 「 近 代、 白 石・霞沼・芳洲・南山ノ数子出テ始テ是ヲ作リ得テ共高キコト明人ニ マ サ ル 」( 『 明 詩 俚 評 』「 初 冬 別 李 山 人 」 評 ) と ま で 同 輩 を 評 し た 所 以 も、これによって明らかになると考える。 二 『明詩俚評』 『詩学逢原』 『詩訣』 祇園南海の詩論を分析するにあたって、本論では次の三書を取り上 げる。 ① 『 明 詩 俚 評 』 新 井 白 蛾・ 序( 宝 暦 五 ・ 一 七 五 五 年 )、 自 叙( 享 保 六・ 一七二一年) 、穂積以貫・後序(宝暦四 ・ 一七五四年) ② 『詩学逢 原 (8 ( 』釈敬雄・序(宝暦一二 ・ 一七六二年) 、岡貞吉・跋(宝 暦一三 ・ 一七六三) ③ 『 詩 訣 (9 ( 』 筱 應 道 ( 天 明 七 ・ 一 七 八 九 年 )、 江 村 北 海 ・ 序 ( 同 年 )、 祇 園 長幹・識(同年) まずは、これら三書に共通している点を整理しておきたい。 一 つ に は、 門 人 に 語 る な か で 生 ま れ た 書 物 で あ る と い う 点 で あ る。 『詩学逢原』釈敬雄の序文に次のようにある。 詩 を 以 て 参 ず る 者 有 る 毎 に、 輙 ち 此 の 影 写 法 を 以 て 之 を 啓 発 す。 且つ子弟と夜話の次に、諸家の詩話を引き、参ずるに自家の説を 以てす。斯旨を講究するに、俚言・方言を以てし、筆以て冊と為
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 三一 す。題して曰く、詩学逢原と。 (『詩学逢原』序・原漢文) 詩を持参する者があればいつも自説の「影写法」を用いて解説し彼ら を 啓 発 し、 ま た 弟 子 た ち と、 既 存 の 詩 話 や 自 説 を 気 楽 に 語 ら う な か で、この『詩学逢原』が完成したという。 『 詩 訣 』 に お い て も 同 様 に、 「 蓋 し 嘗 て 其 の 門 人 小 子 に 口 授 す る 所 の者なり。門人、国字を以て之を録し、以て帳秘と為す」 (『詩訣』江 村 北 海 序・ 原 漢 文 ) と 語 ら れ る。 両 書 は と も に 南 海 が 門 人 に 語 っ た 言 葉 が も と と な っ て い る こ と が 分 か る。 後 述 す る が、 そ の 体 裁 か ら、 『 明 詩 俚 評 』 も 恐 ら く は 講 義 ノ ー ト と い う 体 で あ っ た と 思 わ れ、 よ っ て、三書はともに、門人に語るなかで記録されたものであろうと想定 される。想定に止まるのは、右に挙げたこれらの序が南海自身の言葉 ではないからで、序を書いた釈敬雄と江村北海は、その内容や体裁か ら想像してそう述べてい る ((( ( 。 また、二つには、その表記が仮名交じり文であるということ、そし て 三 つ に は、 刊 行 が 南 海 没 後 で あ る と い う こ と も 三 書 共 通 の 点 で あ る。更に四つには、三書における南海詩論が一貫しているということ で、 こ れ が 最 も 重 要 な 共 通 点 で あ る。 象 徴 的 に い え ば、 全 て に「 影 写 」「 写 影 」 と い う 言 葉 が 見 ら れ、 三 書 は と も に「 影 写 」 と い う 概 念 のなかで、作詩および詩を鑑賞する手法を説いた啓発書なのである。 一方で三書は、それぞれに特徴をもつ。 『 明 詩 俚 評 』 は、 既 存 の 明 詩 選 集 に 収 め る 百 余 篇 を 論 評 す る も の で、詩をどう読むか、その詩がどう書かれているかという分析を記録 したものである。 『 詩 訣 』 は、 李 嶠 の 雑 詠 よ り、 「 日 」「 月 」「 霧 」「 帷 」「 李 」 の 五 篇 を取りあげ評することから始まる。これは詩評であり『明詩俚評』と 同 じ 視 点 を も つ が、 評 す る 対 象 が、 明 詩 で は な く 李 嶠 と い う 唐 代 の 詩 人 で あ る こ と が 異 な る ((( ( 。 続 い て、 「 詩 法 雅 俗 弁 」「 古 詩 ヲ 覚 ユ ル 事 」 「吟詠」 「古風近体同異」の四項目に言及するが、注目すべきは、その ほ と ん ど が「 詩 法 雅 俗 弁 」 に 割 か れ て い る こ と で あ る。 南 海 は、 「 凡 ソ詩ヲ作ラントスル人、入門ノ初ヨリ、雅俗ノ二字ノ弁ヲヨク心得知 ル コ ト、 是 大 乗 ノ 法 門 ナ リ 」( 『 詩 訣 』) と し、 い か な る 言 葉 が 俗 で あ り、 雅 で あ る の か を、 具 体 的 な 用 語 を 列 挙 し て 説 く。 こ れ ら は 全 て、 南海の詩論が、 「大凡詩ヲ作ルハ風雅ヲ本トス」 (『詩訣』 )という格調 を重んじる立場にあることを示している。 『 詩 学 逢 原 』 は、 『 詩 訣 』 よ り 一 層 に 整 理 さ れ た 南 海 詩 論 で あ る。 「 詩 語 常 語、 取 義 」「 詩 有 境 趣 」「 雅 俗 」「 詩 有 軽 重・ 清 濁・ 大 小・ 緩 急 」「 字 眼 」「 豪 句 雄 句 并 敏 捷 」「 詩 有 強 弱 」 と い う 七 項 目 か ら 成 る。 佳作とみとめる唐詩を取り上げて解説を加え、また時には、既存の詩 話を引用して自説を補強しながら、丁寧に論をすすめている。禅語表 現や、宋から明代の詩話及びそこにみられる詩論の熟語(例えば「水 月 鏡 花 」 な ど は そ の 典 型 で あ る ) が 南 海 詩 論 の 用 語 で あ る こ と か ら、 当時あった共通の教養としての詩の議論が、南海においても例外なく 前提となっていることが分かる。 『 詩 訣 』 四 項 目 と『 詩 学 逢 原 』 七 項 目 を 対 照 す る と、 『 詩 訣 』 は 『 詩 学 逢 原 』 と 重 な る 部 分 も 多 く、 南 海 詩 論 と し て は『 詩 学 逢 原 』 を 主とすべきであろうが、雅俗の用字という項目に関しては『詩訣』の ほ う が 詳 し い ((( ( 。 つ ま り、 『 明 詩 俚 評 』 と は、 南 海 詩 論 に 基 づ き、 そ の 用 語 を 以 て 明 詩 を 具 体 的 に 論 評 し た も の で あ り、 『 詩 学 逢 原 』 と『 詩 訣』は、南海詩論の書であるといえる。したがって、南海詩論の要点 を一先ず明らかにするのであれば、 『詩学逢原』 『詩訣』を分析するこ とが有効であるということになろう。 し か し、 私 見 で は、 南 海 が 詩 論 用 語 を 整 理 し た た め に 削 ら れ て し まった要件
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「 ア イ シ ラ イ 」 と い う 作 詩 手 法 が 『 明 詩 俚 評 』 に 見 え 、「アイシライ」の文学(白石 真子) 三二 この要件の分析は、南海が「詩中第一義諦」とする「影写」法を理解 す る た め に 必 要 で あ る と 考 え る。 さ ら に 言 え ば、 『 明 詩 俚 評 』 は 単 な る明詩評論に過ぎないが、十八世紀の日本で、ある漢詩人が、明代詩 文の役割(如何に読まれ、何が受容されたのかということ)をどう捉 えていたのかを知る題材でもあり、これもまた、本稿の課題としては 大切なことである。 以上のような理由から、本稿ではあえて『明詩俚評』を中心に南海 詩論の分析を試みたい。 三 『皇明千家詩』と『明詩俚評』 まず、 『明詩俚評』の体裁をみておこう。 『明詩俚評』は南海自身による序文を冠しており、そこに次のよう にある。 漢 唐 の 詩、 学 び 難 く、 解 し 難 し。 明 人 の 詩、 学 び 易 く 解 し 易 し。 漢唐の詩、学ばざる可からず、解さざる可からず。明人の詩、未 だ必ずしも学ぶ可からず、未だ必ずしも解す可から ず ((( ( 。然れども 詩を学ぶ者、初めて漢唐の詩を読むは、猶ほ夢中に鈞天の楽を聴 くがごとし。其の音の霊妙なるを知らざるに非ず。但だ、其れ茫 然として霊妙の所在を識る能はざるなり。先ず明詩の易きを読み て功を成すに如くはなきのみ。予、明詩を評釈し、以て初学に便 ならんとするは、此の故為るなり。 (『明詩俚評』自叙・原漢文) 学ぶも、解するも、到るべきは「漢唐の詩」なのだが、なんとも難解 な の だ。 「 漢 唐 の 詩 」 を 読 ん だ 者 は 誰 し も、 そ れ が ま る で 天 上 界 の 詩 で あ る よ う に 感 じ、 「 霊 妙 」 で あ る と 思 う の だ が、 そ の 素 晴 ら し さ が どこにあるのか、それが理解できないのだ。南海は、詩の「霊妙なる 所 在 」 を 説 明 す る た め に、 「 漢 唐 の 詩 」 よ り も 解 し 易 い「 明 詩 」 を 評 釈することにしたというのである。 南 海 が『 千 家 詩 』 と 称 す る の が、 『 鐫 出 像 註 釋 皇 明 千 家 詩 』( 以 下、 『 皇 明 千 家 詩 』 と 略 す ) で あ り、 『 明 詩 俚 評 』 の「 明 詩 」 は、 『 皇 明 千 家詩』に収められた「明詩」を材とする。 蓋し千家詩は明詩中最も平易なる者なり。其の詩、大率、清爽澹 雅、近にして見易く、浅にして識り易し。所謂る奇ゝ怪ゝ深奥雄 傑なる者は一篇も載せず。 (『明詩俚評』自叙・原漢文) 南 海 は、 『 皇 明 千 家 詩 』 に 収 め る「 明 詩 」 は 卑 近 な 題 材 と し て よ い の であって、決して素晴らしいわけではないという。 そ し て、 「 も し 学 者 常 に 此 の 体 に 效 は ば、 其 れ 柔 媚 に 流 れ ん こ と を 恐 る な り 」( 『 明 詩 俚 評 』 自 叙・ 原 漢 文 ) と、 読 者 に 注 意 を 喚 起 す る。 南 海 は、 「 漢 唐 の 詩 」 に 到 る 階 梯 と し て『 皇 明 千 家 詩 』 を 評 し た も の が『明詩俚評』であるというのである。 さ て、 『 皇 明 千 家 詩 』 は 現 在、 和 刻 本 漢 詩 集 成 に 影 印 さ れ、 手 軽 に 見ることの出来る資料である。長沢規矩也はその解題で次のように述 べてい る ((( ( 。 (新鐫註釋出像)皇明千家詩 四巻 明汪萬頃選注 瀧川昌楽点 貞享二年(一五八五)五月京都朝の久兵衛覆明萃慶堂刊本 大四 冊 編 者 は 明 代 の 詩 人 の 優 れ た 作 品 を 一 人 一 首 づ つ 選 び ((( ( 、 詳 注 を 加 へ、姓名の下に籍貫官職を注し、巻中所々に精密な挿図を添へた も の。 精 刻 の 絵 亦 愛 す べ き も の が あ る。 底 本 は 萬 暦 中、 萃 慶 堂
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 三三 刊 本。 呉 道 南 の 序 に 年 号 な く、 次 に、 貞 享 二 年、 加 点 者 瀧 川 昌 楽(昨非庵)の序を冠する。原明刊本未見。編者の伝未攷。巻頭 により、字は徹可、雲林(江蘇省内か)の人であることを知るの み。 『皇明千家詩』は、七言絶句(巻一 ・ 二)七言律詩(巻三 ・ 四)から成 る。また、七絶、七律の部立てはそれぞれに、 「春景」 「夏景」 「秋景」 「 冬 景 」 の 四 部 で 構 成 さ れ て い る が、 読 者 が 季 節 の 移 ろ い を 詩 に よ っ て 感 じ ら れ る よ う に、 例 え ば、 「 春 景 」 も、 立 春、 早 春、 春 半、 春 暮 …という時の移ろいに添って並べられている。題に「出像」とあるこ とからも分かるように、読者にとっては挿図も理解の一助となる。詩 人 の 姓 名 に 割 注 し て 本 貫 や 官 職 な ど が 添 え ら れ て あ る こ と も「 千 家 詩 」 と 称 す る こ の 書 の 特 性 で あ ろ う。 詳 注 は、 語 釈 か ら 始 ま り、 典 拠、情景説明まで多岐にわたる。 南海は『明詩俚評』において『皇明千家詩』所収の七絶(巻一 ・ 二) を そ の ま ま 引 用 し 評 し て い る ((( ( 。 す な わ ち、 春 景 三 五 篇、 夏 景 二 二 篇、 秋景三七篇、冬景一五篇 計一〇九篇が、南海の評した「明詩」であ る。 その体裁から明らかなのは、南海が『明詩俚評』において詩人の名 の み を 記 し、 『 皇 明 千 家 詩 』 に あ る 詩 人 の 本 貫 や 官 職 な ど の 情 報 で あ る 割 注 を 全 て 削 除 し て い る こ と で あ る。 『 明 詩 俚 評 』 の 読 後 に、 作 者 である明人に対する印象が希薄といった感を受けるが、これは、そう いった情報を削っていることと、南海の関心がそこにないことに拠る のであろう。現に『明詩俚評』は、詩人そのものへの関心から評釈す るということがない。例えば、詩を評するなかで「此詩人ハ山水ヲ画 クノ妙手也。詩モ又入画ナリ」 (倪 瓉 「春日偶成」 )と、作詩に関わる よ う な 場 合 に は 人 物 に 触 れ る が、 『 皇 明 千 家 詩 』 で 言 及 さ れ る よ う な 詩人の籍貫官職に関する内容は見えない。 ま た、 『 皇 明 千 家 詩 』 に は な い が、 『 明 詩 俚 評 』 に は 一 〇 九 篇 の 内 三二篇に見出しが付けられている。題の上に付された見出しは、例え ば「 典 麗 」「 幽 斉 」「 瀟 洒 」「 富 麗 」 な ど 詩 評 に よ く 用 い ら れ る 二 字 の 言葉 で ((( ( 、この一つが「影写」である。この見出しは、 「春景」 「夏景」 、 つ ま り『 明 詩 俚 評 』 前 半 に 集 中 し て お り、 後 半 に は ほ と ん ど み え な い。 推 測 の 域 を 出 な い が、 南 海 が『 明 詩 俚 評 』 に お い て「 此 書 ノ 四 絶 唱」と称した四篇に見出しが付されていないことから推せば、見出し は、 詩 の 善 し 悪 し を 判 断 す る も の で は な く、 詩 の 構 成 や 手 法、 表 現 な ど を 分 か り や す く 解 説 す る た め に 付 け ら れ た 可 能 性 が 高 い。 ま た、 「 影 写 」 は 三 度 に わ た っ て 見 出 し に 挙 が る が、 見 出 し の な い「 此 書 ノ 四 絶 唱 」 が「 影 写 」 の 範 疇 か ら 外 れ て い る と は 言 い 難 く( 後 述 )、 し た が っ て、 『 明 詩 俚 評 』 の 見 出 し は、 一 通 り 作 詩 法 を 解 説 し よ う と 付 けられたものであり、その前半部に集中的にみえるのもそのためでは あるまいか。 さて、以下に検討する『明詩俚評』は、南海が評を付けた部分を読 み解くことになる。その評の付け方には聊か問題がある。 『明詩俚評』 の評には、 「旧注云…」 「南海曰…」 「白蛾曰…」 「愚按…」そして、某 と称さずに「……」と評する五つの表記が見られるのである。 「 旧 注 云 …」 は、 『 皇 明 千 家 詩 』 よ り 引 用 し た も の。 「 南 海 曰 …」 は、 南 海 の 評。 「 白 蛾 曰 …」 は、 校 正 者 で あ る 新 井 白 蛾 に 拠 る。 こ れ ら は 明 ら か で あ る が、 「 愚 按 …」 と「 ……」 と い う 無 記 名 の も の は、 誰によるものか明確にすることが難しい。 「愚按…」は、 「南海曰…」あるいは「南海評語ナシ」とした後に、 「愚按…」と表記されることが多く、 「愚按…」は南海の言葉ではない と 考 え る ((( ( 。『 明 詩 俚 評 』 が 講 義 録 で あ れ ば、 そ れ を 筆 記 し た 者 と 捉 え
「アイシライ」の文学(白石 真子) 三四 る の が 妥 当 で は あ る ま い か。 ま た「 ……」 は、 そ の ほ と ん ど が「 冬 景」の詩の部分に見られ、且つ、いずれも短評である。そこから察す る に、 『 明 詩 俚 評 』 は、 全 て に 南 海 の 評 が 備 わ っ て は い な か っ た 可 能 性が残る。 本 稿 で は、 「 南 海 曰 …」 と い う 評 の み を 分 析 対 象 と し、 南 海 詩 論 を 整理する。 四 詩の「体・法・辞」 詩とは何か。南海は次のようにいう。 嗚 呼 詩 ノ 原 ハ 一 ナ リ。 三 代 ノ 初、 人 情 ノ ヤ ム コ ト ヲ 得 ザ ル ヨ リ、 声 音 ニ 発 タ ル マ デ ノ 物 ナ リ シ。 周 ノ 時 ……。 孔 子 ノ 時 ……。 唐 ……。 一 詩 歴 代 ヲ 経 テ カ ク 用 ル 所 ハ カ ハ レ ド モ、 カ ハ ラ ザ ル 所 ハ、 其 源 人 情 ノ、 ア ラ ハ ル ヽ 所 ニ 於 テ ハ 一 ナ リ。 (『 詩 学 逢 原 』 「詩語常語・取義」 ) 詩の源はただ人情であるとは、当時にあっては共通の認識であり南海 も そ こ か ら 外 れ る も の で な か っ た と い え る ((( ( 。 ま た、 「 人 情 ノ ヤ ム コ ト ヲ得ザルヨリ、声音ニ発タルマデノ物ナリシ」という語勢は「毛詩大 序 ((( ( 」を意識していよう。 「 詩 ハ 人 情 ヲ 吟 詠 ス ル 声 ノ 道 具 」( 『 詩 学 逢 原 』「 詩 語 常 語・ 取 義 」) であって、 「理屈ヲ述ベ、議論ヲスル道具ニ非ズ」 (同上)とする南海 は、理屈や義理が過ぎるとして宋詩を退け、さらには、その兆しを唐 詩にもみとめている。例えば、明詩を評するにも、宋詩の弊害がみら れれば、 「宋人ノ口気アリ太タ可悪」 (『明詩俚評』金規器「子陵臺」 )、 「宋人ノ屈可刪」 (『明詩俚評』王世貞「午日小酌」 )と評する。そして 大枠では、漢詩・唐詩をよしとしながらも、杜甫の詩史と称されるそ の詩の有り様、杜牧の詠史の諸作などを指して「宋人の嚆矢」 (『詩学 逢原』 「詩語常語・取義」 )と難じる。これらは全て、詩に理屈や義理 をいい、人情を吟詠していないことを批判するものである。 興味深いのは、この思考を詩の訓読においても重要視していること で あ る。 例 え ば、 『 明 詩 俚 評 』 胡 按「 秋 尽 有 作 」 の 結 句「 正 好 帰 時 却 未 帰 」 を 訓 読 す る に、 「 語 路 耳 ダ ツ 」 こ と を 厭 い「 正 に 帰 る に 好 き 時 な れ ど も 却 っ て 未 だ 帰 ら ず 」 と は 読 ま ず、 「 正 に 好 し 帰 時 却 っ て 未 だ 帰 ら ず 」 と 訓 読 す る よ う に 勧 め る。 南 海 は、 「 総 ジ テ 訓 点 ハ 理 屈 過 キ タルハアシ」という。これは、我々が行きつ戻りつ「テニヲハ」を用 い、意味が明確になるように訓読することが読詩に適さないというの である。南海は、読詩においても作詩においても、詩が、義理や理屈 といった一義的なものではなく、人情という幽玄なところから発せら れたのだという理解に基づくものであることを重んじている。 では、人情から発せられた已むことの得ざる声である詩とは、どう 表 現 さ れ る べ き な の で あ ろ う か。 以 下 に ま と め る 用 語 は『 明 詩 俚 評 』 で も 用 い ら れ て お り、 「 影 写 」 法 を 分 析 す る う え で 必 要 と な る の で、 詩文の「体・法・辞」という視点から整理しておきたい。 「体」は、文体の体と、詩を構成する本体の意で用いられる。 文 体 は、 例 え ば、 応 制 を 説 明 し て「 此 詩 ノ 体、 一 座 即 興、 ハ ヤ 作 リ ノ 手 本 也 」( 『 明 詩 俚 評 』 呉 伯 宗「 春 日 応 制 」) と い い、 ま た、 歌 行 に 倣 う と し て、 「 此 詩 ハ 歌 行 ニ ア ラ ズ ト イ エ ド モ 其 体 ヲ 用 ヒ 」( 同 上、 薛 瑄「 立 春 日 偶 成 」) て い る と 説 明 す る。 南 海 は、 そ も そ も 文 体 に は 各々に見合った表現方法があると考える。したがって、文体を知り見 極めることは、作詩の要件となる。 ま た、 詩 を 構 成 す る 本 体 の 意 味 で の 体 と し て、 「 賦 」「 比 」「 興 」 を 次のように説明する。
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 三五 詩 ハ 人 情 ヲ 吟 詠 ス ル 声 ノ 道 具 ニ テ、 其 作 ル 法、 賦 比 興 ノ 三 体 ア リ テ、 其 境 界、 其 真 情 ヲ 其 マ ヽ ニ 写 シ 出 ス ヲ 賦 ト シ、 物 ニ 比 シ、 タ ト ヘ テ 作 ル ヲ 比 ト シ、 物 ヲ 見 ニ 就 テ、 情 感 ジ テ 作 ル ヲ 興 ト ス。 其 事 其 辞、 千 変 万 化 ス ト イ ヘ ド モ、 此 三 体 ヲ 出 ズ。 (『 詩 学 逢 原 』 「詩語常語・取義」 ) 南 海 は、 作 詩 の 法( 人 情 を 吟 詠 す る 方 法 ) と し て 三 つ の 体 が あ る と 「 賦 」「 比 」「 興 」 を 説 明 す る。 そ も そ も「 賦 」「 比 」「 興 」 は 詩 の 六 義 の う ち の 三 で あ り、 「 賦 」 は 直 叙、 「 比 」 は 明 喩、 「 興 」 は 暗 喩 と い う 表 現 方 法 を い う。 本 来 六 義 で は「 風 」「 雅 」「 頌 」 が 体 の 意 を も ち、 「 賦 」「 比 」「 興 」 は 法 の 意 で 解 さ れ る こ と が 多 い が、 南 海 詩 論 で は、 「 此 詩 ハ 比 ノ 体 ナ リ 」「 賦 ノ 体 ナ ル ヲ 比 興 ト 見 ル 」( 『 明 詩 俚 評 』 王 恭 「新燕」 )などと、体で説明される。 ま た、 こ こ で「 賦 」 と い う 体 を 説 明 す る た め に、 「 其 境 界、 其 真 情 ヲ 其 マ ヽ ニ 写 シ 出 ス ヲ 賦 ト 」 す る と あ る が、 こ の「 境 界 」 と「 真 情 」 が南海詩論では「法」の用語となる。 『詩学逢原』 「詩有境趣」に詳細に解説があるのでみておきたい。 詩ハ境・趣ノ二ツヨリ、外ノ形ハ無キ者ナリ。千変万化トイヘド モ、此二ツニ出ルコト無シ。先境トハ境界ナリ、景色ナリ。凡人 ノ目ニ触レ、耳ニ聞キ、身ニ覚ユルタグイ、…都テ我身ヨリ外ノ 境界、皆此ヲツヾメテ境トス。…趣トハ意・趣向ナリ。我心ニ思 フコト、知ルコト、思ヒ出スコト、思ヒヤルコト、楽ムコト、凡 心ノ用、皆名付テ趣トス。 (『詩学逢原』 「詩有境趣」 ) 南 海 は、 一 篇 の 詩 は「 境 」( 耳 目 で 触 れ ら れ る 対 象・ 景 色 ) と「 趣 」 ( 心 の 作 用・ 情 思 ) と で 構 成 さ れ る と い う ((( ( 。 く り か え せ ば、 右 に 引 用 の「其境界、其真情ヲ其マヽニ写シ出スヲ賦ト」するとは、 「境」 (耳 目 で 触 れ ら れ る 対 象・ 景 色 ) と「 趣 」( 心 の 作 用・ 情 思 ) を そ の ま ま に 描 き 出 し た も の が 賦 と い う 体 で あ る、 と い う 意 味 に な る。 そ し て、 こ の「 境 」「 趣 」 こ そ、 一 篇 の 詩 を 構 成 す る 法 で あ る と 南 海 は 説 明 す る。 そ も そ も こ の 法 は、 『 三 体 詩 』( 周 弼 編 ) に お け る「 実 」「 虚 」 に 照 らしたもので、 『詩学逢原』では、詩における「境」 「趣」の分量(バ ラ ン ス ) や、 そ の 展 開( 「 境 」 か ら「 趣 」、 あ る い は「 趣 」 か ら「 境 」 への展開や語勢)は、詩の形式によっても、描く対象によっても異な るものであるとして、 「境趣中分法」 「境三句趣一句法」等々、一篇の 詩 の 構 成 法 を「 境 」「 趣 」 で 解 説 す る。 南 海 の 境 趣 論 は『 三 体 詩 』 に 倣 っ た も の で あ り、 独 自 性 は な い が、 詩 の 本 体 は「 境 」「 趣 」 に よ り 構成されているという篇法の思考は、南海詩論の主要な要件である。 で は、 「 辞 」 に つ い て は ど う か。 南 海 が、 「 詩 法 雅 俗 弁 」( 『 詩 訣 』) 、 「 詩 語 常 語 」「 雅 俗 」( 『 詩 学 逢 原 』) で 繰 り 返 し 主 張 す る の は、 「 詩 語 」 「雅語」と「俗語」 「常語」を区別し、 「詩語」 「雅語」を選んで作詩す ることである。 凡ソ詩ヲ作ラントスル人、入門ノ初ヨリ雅俗ノ二字ノ弁ヲヨク心 得知ルコト、是大乗ノ法門ナリ。 (『詩訣』 「詩法雅俗弁」 ) 詩ハ風雅ノ器ナリ。俗用ノ物ニ非ズ。若俗用ノ物ナランニハ、詩 ヲ 借 ル ニ 及 バ ズ。 常 語・ 俚 語 ニ テ コ ト ス ム ベ シ。 詩 ノ ミ ニ 非 ズ。 日本ノ歌トテモ同ジ。 (『詩学逢原』 「雅俗」 ) 『 詩 訣 』 で は、 ど の よ う な 語 が「 詩 語 」「 雅 語 」 で あ り、 「 俗 語 」「 常 語」であるかを具体的に例示し、区別している。このことは、南海が
「アイシライ」の文学(白石 真子) 三六 詩 に 格 調 を 求 め る こ と を 示 し て い る が、 更 に は、 「 古 詩 ヲ 覚 ユ ル 事 」 「吟詠」 (『詩訣』 )、 「取義」 (『詩学逢原』 )の項目に発展する。 断 章 取 義 ノ 妙 用 ト 云 コ ト、 只 三 百 篇 ニ 限 ル ニ ア ラ ズ。 後 世 ノ 詩、 今 人 ノ 詩 ニ テ モ、 高 妙 ノ 作 ハ 皆 断 章 取 義 ス ベ シ。 (『 詩 学 逢 原 』 「詩語常語、取義」 ) 断 章 取 義 と は、 『 詩 経 』 な ど の 詩 句 を き り と り、 本 来 の 意 味 と は 無 関 係 に、 そ の 場 に 応 じ て 用 い る こ と で あ る。 南 海 は、 断 章 取 義 は 何 も 『 詩 経 』 に 限 る こ と で は な く、 我 々 の 作 詩 に 通 ず る 修 辞 法 で あ る と い う。 た だ し こ の 修 辞 法 は、 『 詩 経 』 を は じ め 古 人 の 詩 を 暗 唱 し て こ そ 有 効 で あ る。 文 字 通 り、 「 吟 詠 」( 『 詩 訣 』) し、 「 古 詩 ヲ 覚 ユ ル 事 」( 『 詩 訣』 )が必須となる。 『明詩俚評』に次のような評があるのも、このことに拠る。 萬節「幽居」第三 ・ 四句 東風昨夜知多少 吹落庭前満樹花 ・ 是 古 人 ヲ 翻 案 ス ル 法 ニ テ 最 興 ア ル 事 ナ リ。 葉 ノ 落 ル ヲ 雨 カ ト キ ヽ、 雨来ルヲ葉落カト聞ク。皆其折ニフレテアルヘキ品ナリ。凡古人ノ 趣 向 ヲ 上 下 ヘ ナ シ 前 後 ヘ ナ ス。 如 此 ニ テ 詩 意 活 発 シ テ イ キ テ ク ル 也。ソノマヽ用ルハ死句トナル。 (萬節「幽居」評) 萬 節 の 二 句 は、 古 人、 す な わ ち 孟 浩 然「 春 暁 」 第 三 ・ 四 句「 夜 来 風 雨 声、 花 落 知 多 少 」 を 翻 案 し た も の で あ る と い う。 作 詩 と い う 場 面 で、 既にある趣向を自分に引き付けて詩句を変化させることにより、時空 を超越した共通の風雅を描くことができる。作詩のために、古詩を吟 詠し故事を学ぶことの意義がここに了解される。 もちろん、吟詠し学ぶ対象は厳選されたものでなくてはならない。 唯深ク李太白カ詩及ヒ岑參カ詩、此二集ヲ常ニ吟誦スル時ハ、自 然ニ俗病ヲ免ルヘシ。盛唐トテモ王維ガ詩ハ癡重ニシテ、其詩ハ 上 乗 ナ レ ト モ、 見 ル 人 ハ 俗 ニ 陥 ノ 病 ア ル ヘ シ。 (『 詩 訣 』「 詩 法 雅 俗弁」 ) 南 海 が 迷 い な く 名 を 挙 げ て い る の は、 李 白 と 岑 參 で あ る こ と が わ か る。では、当時盛行していた 蘐 園学派のように盛唐詩を総じて推奨す るかといえば、それは違う。既にみたように、杜甫の詩史と称される 所以の詩、杜牧の詠史の諸作などは、議論が過ぎると否定され、ここ に言及する王維に関しては、詩そのものはよいのだが、それを学んだ 者は俗に陥る可能性があるという。 詩 人 の な か で、 南 海 が も っ と も 問 題 視 す る の は、 日 本 で は 古 く か ら 愛 読 さ れ て き た 白 楽 天 で あ る。 白 楽 天 は「 態 ト 好 テ 俗 ニ 作 ル モ ノ 」 (『 詩 訣 』「 詩 法 雅 俗 弁 」) で あ る と し、 「 後 世 詩 道 ノ 亡 ブ ベ キ 端、 是 ニ 過 ル ハ ナ シ 」( 『 詩 学 逢 原 』「 雅 俗 」) と、 詩 の 有 り 様 全 て が 否 定 さ れ る ((( ( 。 白楽天の詩が俗であることを引き合いに出して、南海が作詩法を述 べた件がある。 詩ニ実事ヲソノマヽ用レハ、卑俗ニシテ聞ニ堪ヘス。楽天カ俗ナ ル、多ハ此病ニヨレリ。然ラバ、詩ハ皆虚ヲ云ノミカト不審スベ シ。虚ニハアラズ、実事ヲ云ヘバ、ヒラタク卑キ故其中ノ雅ナル 事 ヲ 撰 テ、 尚 潤 色 シ テ、 ヤ サ シ ク、 シ ホ ラ シ キ ヤ ウ ニ 作 ル ナ リ。 コレヲ鉄ヲ化シテ金ト成スノ手段ニテ、雨ノ月ニ晴タルト云、寒 日ニ暑シト云如ク、ナキコトヲ云ニハアラズ。若クハ其所ニナキ
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 三七 コトヲ云タメシアリ。コレハ借用ルモノニシテ虚ニアラズ、但其 雅景、雅趣、雅物、雅興、雅字、雅語ヲエラヒ用フベシ。其感セ シ ム ル コ ト、 虚 ヨ リ モ 実 事 ヨ リ モ 百 倍 ス ベ シ。 (『 詩 訣 』「 詩 法 雅 俗弁」 ) この引用部は「実事ヲ云ヘバ、俗ニナルアリ」と題された部分で、白 楽天が実事を題材として卑俗な詩を作ったことを引き合いに出してい る。ありのままを詩にすれば俗に陥るが、だからといって虚を詩にす るという訳ではないという南海は、その作詩法として、実事のうちに ある雅を抽出し、言葉を潤色し優美に仕上げるのだと主張する。また その際に、そこにはないものを詠み込む場合もあろうが、それは虚で はなく拝借するのであって、拝借することは、詩を構成する境趣、対 象、興趣、言葉など全てが雅であるための工夫であるという。 人の心を動かすことができるというこの手法こそ、南海詩論のもっ とも大切な「影写」法である。 五 影写 『明詩俚評』に示される「影写」の分析に入ろう。 「邉城春雪」 王越 二月中旬雪尚飛 二月中旬雪尚ほ飛ぶ 邉城草木得春遅 邉城の草木春を得ること遅し 不知上苑新桃李 知らず上苑の新桃李 開到東風第幾枝 開きて東風やがて幾枝に到るを ・ 南海曰、題ニ邉城ノ雪ヲ賦シテ、三四却テ上苑ノ花ヲ云。此法太タ 奇ナリ。上ノ第一句計リ雪ヲ云テ、三句ニ雪ヲ不言、シカモ題ヲ不 離、是影写ノ手ナリ。 (「邉城春雪」評) 春の雪という題でありながらも、第一句に雪をいうのみで、第三四句 には花を詠む。第三四句は、やがて春風が枝に吹き付けるであろうと い う 予 感 を 詠 っ た も の で あ り、 ま だ 雪 の 残 る 景 色 を 読 者 に 感 じ さ せ る。主題をありのままにいうのでなく、そう感じさせるように実事の なかにある雅を選び詠みこむこと。南海はこれを「影写」という。 王 越「 邉 城 春 雪 」 評 は、 南 海 が「 影 写 」 を 定 義 し た も の と し て 決 まって引用されるものである。既に冒頭で抜粋し引用したが、再度こ こに挙げておきたい。 影写トハ、物ノ本形ヲウツスヲ云。譬ヘハ月影ニ梅竹ノ窓ヘウツリ タル姿ナリ。此意ハ凡詩ヲ作ルニ、タトヘハ梅ノ詩ニ、氷肌玉骨、竹 ノ 詩 ニ 飾 金 戛 玉 等 ノ 字 ヲ 用 テ 其 形 ヲ 直 ニ ア ラ ハ シ、 雪 ヲ 白 シ テ 嵦 ト 云、月ヲ輾玉輪ナドヽ云タグヒ皆直ニ其姿ヲヒラタク云出スコト、何 程巧ニテモ細工物ニテ風情ナク縦ヘハ木ニ刻ミ、金ニ彫タル月花ノ如 クニテ、至極ウツシ出シテモ其真情ハ曽テアラワレス、是木偶ノ人ニ 似 タ ル ニ 同 ジ。 詩 ノ 妙 ハ 其 形 ヲ ス テ、 其 風 情 ヲ ノ ミ 写 シ 出 ス ト キ ハ、 其所賦ノ物生テハタラク故、読ム人自然ト感ヲ起スコト、直ニ其景ニ 対シ其物ヲ見ル如シ。不然ハ詩ニ作ルハイラザル物ニテ、絵ニカキ木 ニ刻ミテモスムコトナリ。故ニ、詩ハ必ス其面影ヲウツシテ、読ム人 考 ヘ テ、 ゲ ニ サ コ ト ソ ト、 感 心 ス ル ヤ ウ ニ 作 ル ヘ シ。 是 ヲ 影 写 ト 云。 (「邉城春雪」評) 詩は、その姿をそのままに表現することが、真情を表すことになると はいえない。形ではなくその風情を描くことで、それは、生きてはた らくのであって、読者はまるでその景色を、その対象を直に見たよう
「アイシライ」の文学(白石 真子) 三八 な心地にさせられるのが「影写」法であるという。 『明詩俚評』には「影写」という見出しが付けられたものが他に二 篇あるが、そこには必ず、風情ありと評されている。一例を挙げてお こう。 「懐顧仲英」 楊維貞 五月江声入閣寒 五月江声 閣に入り寒し 故人何処独凭欄 故人何処 独り欄に凭らん 朱簾乍捲西山雨 朱簾乍ち捲く 西山の雨 一片青峯挂笏看 一片の青峯 笏を挂へて看る ・ 南海曰、人待ツ暮ノ風情サモアルヘシ。待ト云コト不言シテ其体バ カ リ 云。 写 影 ノ 手 ナ リ。 第 三 句、 滕 王 閣 ノ 第 三 句 ヲ 一 字 入 カ エ テ 我 句 ニ シ タ ル、 乍 ノ 一 字 ニ テ 心 大 ニ カ ワ ル。 是 奪 胎 換 骨 ノ 法 ナ リ。 (「懐顧仲英」評) 友を待つと直にいわずとも、待つ姿を詠みこむことにより、読者はそ こに想いを致す。これが「影写」の手法である。また、この詩は、王 勃「 滕 王 閣 」 の 第 三 句( 正 確 に は 第 四 句 )「 朱 簾 暮 捲 西 山 雨 」 を 換 骨 奪 胎 し 成 功 し た 例 と し て 言 及 さ れ て い る。 「 影 写 」 は、 顕 わ に い わ な いだけではく、その言葉が雅であることが求められる。風情は雅な言 葉に宿る。典拠を踏まえた表現となる換骨奪胎の手法、また、先に触 れ た 翻 案 な ど は、 「 影 写 」 に 欠 く こ と の で き な い 法 で あ る と 南 海 が 考 えていることが分か る ((( ( 。 また、 『明詩俚評』には南海が「此書ノ四絶唱」 (王世貞「西宮怨」 ) と 評 し た 四 篇 が あ る。 こ の 四 篇 と は、 高 啓「 宮 詞 」、 王 世 貞「 西 宮 怨」 、王穉登「長安雪歌」 、「湖上梅花歌」 。この四篇に「影写」という 見 出 し は な い が、 そ の 評 を 読 む に つ れ、 四 篇 が 佳 作 で あ る 理 由 も ま た、 「 影 写 」 に か な っ た 表 現( 句 法・ 字 法 ) が 備 わ っ て い る こ と に 拠 ることが分かる。 そ の う ち の 一 篇、 南 海 が、 「 此 詩、 流 麗 清 新 実 高 妙。 品 春 夏 景 中 当 此篇為圧巻」と評する詩をみておこう。 「宮詞」 高啓(王 蒙 ((( ( ) 南風吹断采蓮歌 南風吹き断つ 采蓮の歌 夜雨新添太液波 夜雨新たに添ふ 太液の波 水殿雲廊三十六 水殿雲廊 三十六 不知何処月明多 知らず 何処か月明かり多き 南 風 が そ よ 吹 き 宮 女 戯 れ て 蓮 を 采 る 歌 声 の 聞 こ え る 頃、 夜 雨 が 太 液 池 に 降 り 新 た な 漣 が 気 色 ば む。 水 に 望 む 殿 閣、 雲 に そ び え る 廊 廂 は 三十六もあろうか。天子の寵愛を得て月明かりを浴びる人は誰であろ うか。南海の訓読と評に基づけば、この一篇はこのような意に解せら れる。 だが、これは表の意味であり、奥深い意味が裏にはあると南海はい う。そもそも「宮詞」は、班婕妤「怨歌行」同様、題意に閨怨が込め られる。よって、作詩する者は、直截な言葉を使わずその題意を表現 できるか、また、読者は、それを感じ取れるかが課題となる。 南 海 は、 こ の「 宮 詞 」 は、 直 に 怨 と い わ ず、 第 一 二 句 は「 景 勝 」 (「宮詞」評)をいい、第三句「水殿雲廊三十六」という表現で「寵愛 尤 深 キ 処 一 処 ア リ ト 云 コ ト 」( 同 右 ) を 表 し、 結 句「 不 知 何 処 」 と い う 言 葉 で、 寵 愛 の「 定 メ ヌ 処 」( 同 右 ) を 意 味 し て い る と 解 説 す る。 つまり、第一句から第三句が境、第四句が趣で構成され、また、境趣 を構成する言葉が表裏の意味を保有しているというのである。 また、南海はこの詩の作者、高啓(王蒙)の作詩態度をこう分析し
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 三九 ている。 彼詩ヲ作リタル人モ初メ表ハカリヲ作ルコト也。作リタル後ニ名 人ノ詩程感情深ク裏ヘ透リテ色ゝノ意味アルナリ。 (「宮詞」評) 詩人が作詩するにあたって意識的に行うのは「表」の作業である。作 詩された後、名詩人の詩は「裏」へ透けて色々な意味が広がっている も の だ。 「 表 」 と は、 表 現 さ れ た 言 葉 そ の も の で あ り、 そ れ が 風 情 を 多 く 含 め ば 含 む ほ ど、 「 表 」 は「 裏 」 に 透 け で て、 読 者 は 感 じ 入 る の である。 実 は、 こ の 評 の な か で、 南 海 は 詩 を 鑑 賞 す る 方 法 も 説 い て い る。 「 詩 ヲ 説 ク ハ、 其 詩 ノ 表 裏 ヲ 知 リ テ、 表 ハ カ リ ヲ 先 説 ク ヘ シ 」( 同 右 ) と、 「表」 「裏」があることを知りながらも、先ずは「表」を評するべ き だ と い う の だ。 こ れ は、 旧 注( 『 皇 明 千 家 詩 』) が、 「 表 」 で は な く 詩の「裏」ばかりを解説することを批判したもので、その理由を「詩 ノ 意 ツ イ テ 余 情 ナ シ 」( 同 右 ) と し て い る。 詩 を 解 説 す る 際 も、 読 者 に余情を残しておかなくてはならないとは、南海が訓読法を説いた際 と同じ読詩の要領である。すなわち、詩とは、義理や理屈といった一 義 的 な も の で は な く 人 情 と い う 幽 玄 な と こ ろ か ら 発 せ ら れ た の だ か ら、それは、詩を読む場合にも肝要であるというのだ。 六 「アイシライ」という用字法 「 此 書 ノ 四 絶 唱 」 の う ち、 も う 一 篇、 「 流 麗 」 と 見 出 し が あ る 王 世 貞「西宮怨」に興味深い評がついている。 「西宮怨」 王世貞 点点蓮花漏未央 点点たる蓮花 漏未だ央ならず 乍寒如水透羅裳 乍寒 水の如し 羅裳に透る 誰憐金井梧桐露 誰か憐れむ 金井 梧桐の露 一夜鴛鴦瓦上霜 一夜 鴛鴦 瓦上の霜 王 世 貞『 弇 州 四 部 稿 』 巻 四 七 所 収 の こ の 詩 は、 「 西 宮 怨 」 二 首 の う ち の第二首にあたる。王世貞の主張する古文辞派の主張に基づいて考え れ ば ((( ( 、 こ の 詩 は、 盛 唐 の 詩 人・ 王 昌 齢「 西 宮 春 怨 」「 西 宮 秋 怨 」 を 手 本にしたと想定される。事実、この第二首は、王昌齢「西宮秋怨」に 描かれた世界が自作に昇華された古文辞文学の成功例であると評価で き よ う。 一 方、 南 海 は、 起 句 は「 怨 ノ 時 刻 」、 第 二 句 は「 怨 ノ 時 節 」、 第三四句は「夕ベマテモ梧桐ニオケル露ノ今夜ハ、ハヤ瓦上ノ霜ト結 ヒタル、秋ノクレユク様」が詠まれていると分析したうえで、王世貞 の古文辞の用字法や、王昌齢「西宮秋怨」との関わりには触れること なく、自らの考える用字法に言及する。 誰憐ノ二字前ニ言フ詩ニツカヒ習ハス字ノ中ナリ。只此二字ニテ 怨ノ心コモレリ。…此詩、漏ニ蓮花、梧桐ニ金井、瓦ニ鴛鴦、皆 アイシライナリ。宮怨ナレハウルワシキ文字ヲエリテ、上ニツケ タルナリ。 (「西宮怨」評) 既 に み て き た よ う に、 用 字 は、 「 影 写 」 法 に お い て 最 も 大 切 な も の で ある。例えば、この「西宮怨」では、怨が主題でありながら、怨と直 にいわず風情や面影を写すことが求められるが、では、どのような言 葉 を 用 い 怨 を 詠 う の か、 ま た、 読 者 が そ れ を 想 像 し 感 心 で き る か が 「 影 写 」 法 の 要 件 と な る。 南 海 は、 第 三 句「 誰 憐 」 と い う 用 字 に、 主 題となる怨の心を読みとる。そして、漏と蓮花、梧桐と金井、瓦と鴛
「アイシライ」の文学(白石 真子) 四〇 鴦がそれぞれにアイシライの文字であり、それを用いることによって、 この詩に描かれた怨が、単なる怨ではなく、宮怨であることを表現し 得たと評している。この詩の見出しに「流麗」とあるのは、このアイ シライの文字がなせる業と解せられる。 「アイシライ」とは、あへしらふ(あふ+しらふ)の音変化で、と りあわせて互いに調和をはかるといった意である。南海が詩を論評す る際に用いるこの言葉は『明詩俚評』によく見られ、作詩の用字法の 一つとして必須の感がある。 詩におけるアイシライについて、南海は次のように説明している。 「折楊柳」 晏鐸 河橋楊柳半無枝 河橋の楊柳 半ば枝も無し 多為行人贈別離 多く行人と為り 別離を贈る 羗 虜不知蕭索尽 羗 虜は知らず 蕭索尽ることを 月明猶向笛中吹 月明り 猶ほ笛中に向ひて吹く ・ 凡ノ詩ニ、本意ノ文字ト、アイシライノ文字トアリ。アイシライヲ 斡旋ノ字ト云ナリ。虚字ノテニハニテアイシラウアリ。実字ノ景文 字 ニ テ ア イ シ ラ ウ ア リ。 句 ニ モ ア イ シ ラ イ ノ 句 ア リ 専 用 ノ 句 ア リ。 (「折楊柳」評) 詩は、本意の文字と、アイシライの文字(斡旋の文字)とから構成さ れる。アイシライの文字には、①虚字、②実字、③句といった三つの タイプがあるというのだ。 具体的にみてみよう。先ずは①虚字のアイシライについてである。 ① 虚字ノアイシライハ、タトヘハ 常建カ詩ニ、松際露微月清光猶為 君 ト云如キ、ソナタノ来ラレシ故、松ノ木ノ間ノ月光サヘ、猶ソ ナタノ為ニモリクルホトニ、亭主ハ一入ヨロコブハヅナリト、猶 ノ 字 ニ テ、 ア イ シ ラ イ タ リ。 コ レ ハ 猶 ノ 字 カ 専 用 ノ ヤ ウ ナ レ ド モ、 此 ア イ シ ラ イ ニ テ、 心 フ カ ク ナ ル ユ ヘ、 ア イ シ ラ イ ト 云 ナ リ。 (「折楊柳」評) 常 建 の 五 言 古 詩「 宿 王 昌 齢 隠 居 」、 「 清 渓 深 不 測[ 一 作 極 ] 隠 処 只 孤 雲 松際露微月 清光猶為君 茅亭宿花影 薬院滋苔紋 余亦謝時去 西 山 鸞 鶴 群 」 の 第 三 四 句 を 例 示 し、 「 猶 」 の 働 き が 虚 字 の ア イ シ ラ イ で あ る と 評 し て い る。 常 建 の こ の 詩 の 場 合、 「 猶 」 は こ の 文 脈 で 専 ら 用いられるように感じるが、ここに「猶」があるために風情や余韻が 深まるのだから、これこそアイシライであると説明する。 中 国 古 典 語 は、 実 字( 体 言 )、 虚 字( 用 言 )、 助 字( 助 詞、 助 動 詞、 副詞、接続詞など)で構成されるというのが当時の認識であ る ((( ( 。三分 類法、とくに用言の働きをする虚字の重要性が解析されるようになる のは 蘐 園学派から で ((( ( 、南海もそういった時代背景を以て虚字、実字と いう言葉を用いる可能性はある。しかし、南海がアイシライをいう際 に用いた①虚字の意味は、この三分類法ではなく、実字と虚字との二 分類法である。 と い う の も、 ① 虚 字 は、 「 虚 字 ノ テ ニ ハ ニ テ ア イ シ ラ ウ ア リ 」( 「 折 楊 柳 」 評 ) と あ り、 こ の ① 虚 字 の 意 が、 現 在 の 助 字 の 意 で あ る こ と、 さらに、南海が①虚字の実例とした常建「宿王昌齢隠居」の一節「松 際露微月 清光猶為君」の「猶」の働きが副詞で、これもまた現在の 助字の意であるからである。したがって、南海のいう、①虚字は、具 体的な内容をもたない言葉(副詞・前置詞・接続詞・感嘆詞など)を 指 し、 ② 実 字 は、 意 味 を も つ 言 葉( 名 詞・ 代 名 詞・ 動 詞・ 形 容 詞 な ど)を指すと考えられよう。 南海がいう、①虚字にも②実字にもアイシライの文字があるという
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 四一 主張は、したがって、言葉は全てアイシライを果たす機能を持ってい るという意味なのである。それならば、①虚字にも②実字にも③句に もアイシライがあるなどと言わず、字にも句にもアイシライがあると いえば簡潔ではなかったか。 南海の意図を探るならば、総じて字といってしまった場合、聞く者 は誰しも具体的な意味を保有する実字にアイシライがあるという思考 が先行してしまうことは否めまい。つまり、実字のみならず虚字にも アイシライがあるということの意味が、南海の用字法、引いては作詩 法において重要であるということが了解される。 次に、②実字のアイシライをみてみよう。 ② 実 字 ノ ア イ シ ラ イ ハ、 此 月 明 ノ 字 、 丹 桂 ノ 詩 ノ 絳 霞 ヲ 字 ノ 如 キ、 急度ナク、其処ノアイシライニ云テ、シカモ用ニタツナリ。 (「折 楊柳」評) 南 海 は こ こ に 二 例 を 挙 げ る。 こ の「 折 楊 柳 」 の 結 句「 月 明 猶 向 笛 中 吹 」 で は、 笛 を 吹 く 景 色 な の で「 月 明 」 の 字 を ア イ シ ラ イ、 呉 伯 宗 「御試丹桂」 (『明詩俚評』 )の第一二句「花映蟾宮柳払雲 絳霞光採護 奇 芬 」 で は、 「 桂 ハ 月 中 ニ ア ル モ ノ 故 蟾 宮 ニ 映 ス ト 言 リ、 丹 ノ 字 ヲ 知 ラシメンガタメ絳霞ヲ云リ。是アイシライナリ」 (「御試丹桂」評)と 評し、 「桂」は月中にあるといわれるので「花映蟾宮」とアイシライ、 「丹」はあか色なので「絳」 (あか)とアイシラウというのである。ア イシライを知るためには、作詩する人と、読者との共通の教養に裏打 ちされた風雅が求められるのである。 さて、最後に③句のアイシライを見ておこう。 ③ アイシライノ句ト云モ、 前ノ竹ノ詩 ノ一二句ノ如キ何ニテモ竹ノ ア ル ヘ キ 景 地 時 節 ヲ イ ヘ ハ 埒 明 ユ ヘ 中 ニ ヲ モ ワ シ キ 景 ヲ ト リ 出 シ、アイシライテ専用ノ趣向ハ後ノ句ニアルナリ。イカナル古人 ノ名詩ニモ、全篇皆専用ノ句ト云ハナシ。必絶句ナレハ専用ハ結 句カ律詩ナレハ多クハ三四句ニモアリ。外一二ノ句ハ多クハアイ シライ也ト知ヘシ。 (「折楊柳」評) ここで、 「前ノ竹ノ詩」とあるのは、楊榮「題竹」 (『明詩俚評』 )を指 す。 「題竹」 楊榮 雨過江頭夕照收 雨 江頭を過り 夕照収む 蒼苔白日自清幽 蒼苔白日 自ら清幽 不知昨夜蛟龍起 知らず 昨夜蛟龍起ちて 化作瀟湘一片秋 化して瀟湘一片の秋と作すを 「 折 楊 柳 」 評 同 様 に、 「 題 竹 」 評 に お い て も、 第 一 二 句 に つ い て「 上 ノ 二 句 竹 ノ コ ト モ、 竹 ノ ア イ シ ラ イ モ 曽 不 見。 只 竹 ノ 有 ヘ キ 景 地 ト、 竹ニ相応ノ時節トバカリヲノベタリ」 (「題竹」評)という。竹を詠み 込 む の に 直 に 竹 を 言 わ な い の は、 ま さ に 影 写 の 手 法 で あ る。 そ し て、 竹が生えるその土地と秋めいてきた時節を詠み込むのは、南海詩論用 語でいえば、 「境」で構成された句の「本意の文字」である。 問 題 は、 第 三 四 句 が「 ア イ シ ラ イ 専 用 の 趣 向 」( 「 折 楊 柳 」 評 ) で あ る こ と で あ る。 南 海 は、 「 サ テ 下 ノ 二 句 ニ モ 竹 ノ 文 字 ヲ ア ラ ハ サ ズ 作 リ ナ シ テ、 ツ マ ル ト コ ロ ハ 竹 ノ 清 心 ヲ 不 残 言 ヒ ヲ ヽ セ タ リ、 妙 々」 (「 題 竹 」 評 ) と、 こ の 二 句 こ そ こ の 詩 の 妙 所 で あ る と 称 す る が、 で は、この二句が、専らアイシライに用いられている句であるとは、ど ういう意味であろうか。
「アイシライ」の文学(白石 真子) 四二 下ノ二句言ロハ此竹ハ瀟湘ノアタリニ秋風ノ涼シキヲ含テ見ル人 コ ト 竹 風 ノ ソ ヨ ソ ヨ ナ ビ ク テ イ ヲ 見 テ ハ 涼 シ キ 秋 ヲ 生 ス ル ナ レ ハ、唯事ニハアラジ、是ハ昨夜ニモ蛟龍ナドカ水中カラ出テ、夕 立 ヲ フ ラ セ テ、 一 片 ノ 秋 気 ヲ 化 シ ナ シ タ ル ヘ シ ト、 前 後 竹 ニ カ マ ワ ズ、 只 其 用 ヲ ア ラ ワ ス、 絶 妙 不 可 言。 是 所 謂 鏡 花 水 月 ナ リ。 (「題竹」評) 第三四句は、文字通り解釈すれば、昨夜のうちに蛟龍がでて夕立を降 ら せ あ た り は 秋 の 気 配 と な っ た と い う 意 味 で、 こ れ は も ち ろ ん「 境 」 で は な く「 趣 」( 趣 向 ) で あ る。 詳 細 に み れ ば、 中 国 の 想 像 上 の 生 き 物である蛟龍は水中に住んでおり、雨や雲のアイシライの文字とみな し得る。この詩においては、雨、江頭、瀟湘のアイシライであると判 断 で き よ う。 こ う 考 え る な ら ば、 ② 実 字 の ア イ シ ラ イ と も 解 せ よ う が、南海は句と捉えている。 南 海 が 句 で 思 考 す る の は、 「 不 知 」 と い う 第 三 句 頭 の 言 葉 が 結 句 ま で繋がることの作用でもあろうが、大切なのは、第一二句で既に「本 意の文字」を用いて「境」を描いており、そのため残り全てをアイシ ラ イ の 文 字 で 構 成 す る こ と が 可 能 で あ る と 考 え て い る 点 に あ る。 だ か ら こ そ 南 海 は、 第 三 四 句 は「 竹 ノ 清 心 ヲ 不 残 言 ヒ ヲ ヽ セ 」( 「 題 竹 」 評)ていると評し、第一二句で描いた「境」を、より余韻ある風情と し て 完 成 さ せ る た め の 大 が か り な ア イ シ ラ イ と 見 な し て い る の で あ る。 南 海 は「 イ カ ナ ル 古 人 ノ 名 詩 ニ モ、 全 篇 皆 専 用 ノ 句 ト 云 ハ ナ シ 」 (「折楊柳」評)と述べる。これは、アイシライの句のみで構成された 詩は存在しないことをいう。また、絶句においては結句、律詩であれ ば 三 四 句 に ア イ シ ラ イ の 句 が 見 ら れ る 場 合 が 多 い と 分 析 し て い る が、 これも、 「本意の文字」のみで構成される詩はあり得るが、 「アイシラ イの文字」のみで構成される詩は決してないという意に他ならない。 本意なくして詩は成り立たないのであるから、当然のことのように も感じるが、南海があえてこういうのは何故かと立ち止まって考える と、南海のアイシライという字法が、作詩ではなく、読詩のなかで発 見された法であることが了解されるように思われる。 と い う の も、 作 詩 の 際、 「 ア イ シ ラ イ の 文 字 」 の み で 詩 を 作 る と い う 試 み に 関 心 が な い か ぎ り、 こ の よ う な 言 明 は 無 意 味 だ か ら で あ る。 他方、一篇の詩を読むにあたり、題意を述べた部分とそうでない部分 を発見し、それぞれに「本意の文字」と「アイシライの文字」という 名称をあてることは、読詩の方法として有意義であろう。南海は、古 人の詩のなかにたくさんの「アイシライの文字」を発見し、それらの 文 字 の 特 性 を 分 析 し た の で は な い か。 だ か ら こ そ、 大 枠 で、 字 に ア イシライありとはいわず、①虚字にも、②実字にも、③句にもアイシ ライありと丁寧に言及したのではないか。とすれば、南海詩論は、作 詩を繰り返し逡巡するなかで形成されたというよりは、読書・読詩と いった学びのなかで完成されたと想定してもよいのではあるまいか。 と こ ろ で、 こ の 楊 榮「 題 竹 」 の 見 出 し に は 写 意 と あ る。 写 意 と は、 思 い を 描 く と い う 意 で あ る が、 画 の 世 界 に お い て は 画 法 の 一 で あ り、 形 に と ら わ れ ず 対 象 の 本 質 を 描 く こ と を 意 味 す る。 既 に 見 た と お り、 「 題 竹 」 は、 第 一 二 句 で 本 意 の 文 字 を 用 い て「 境 」 を 述 べ、 後 半 の 二 句はアイシライの句を用いた「趣」で構成されている。これを写意で あ る と い う な ら ば、 「 題 竹 」 と は、 竹 と い う か た ち に 囚 わ れ ず、 竹 の 本質を描き得た一篇ということになろう。南海の「影写」法は、対象 を直にいうことを否定し、雅を含んだ表現で読者の感性に訴える風情 を描こうというものであることは既にみた通りである。ならば、この アイシライの技法こそ、南海詩論の核となる用字法といえよう。 そ の 証 拠 に、 南 海 は 楊 榮「 題 竹 」 を 総 括 し て「 是 所 謂 鏡 花 水 月 ナ
金城学院大学論集 人文科学編 第(0巻第 ( 号 (0((年 9 月 四三 リ」 (「題竹」評)というが、これは、本稿冒頭で引用した「影写」の 定義に同じなのである。 むすびにかえて 文人画の先駆者と称される南海は、しばしば画を描写する手法で詩 を説明する。 画ヲカクニ平遠、高遠、深遠ノ三ツアリ。皆景ノ模様ナリ。詩モ 亦景ヲ作ルニ、此心得アリ。大概水ヲ望ム景ハ平遠ヲトル。山ヲ 望ムハ高遠ヲトル。山行山中ノ詩ハ深遠ヲトル。其景ニヨリテ詩 ノ句体モカワリ、文字モカワルヘシ。是詩学ノ要ナリ。 (『明詩俚 評』張希淑「烟波閣」評) 山 を 描 く 技 法「 三 遠 」 が 述 べ ら れ る。 古 く は、 揚 雄「 書 は 心 の 画 」 (『法言』巻四)など、詩書画一致の論は、もちろん南海特有のもので はない。しかし、南海の画人としての特性が詩論の中に生きているこ とには注意を払っておかなくてはならない。画は描く対象によってそ の手法も異なるが、詩もまたそうでなくてはならないと南海はいうの である。 画人南海が「写意」という言葉で意図したものは、詩の世界におい て は「 影 写 」 と い う 手 法 で 完 成 さ れ た と 考 え る。 「 影 写 」 と は、 あ り の ま ま に 形 を 写 す こ と は 決 し て そ の 対 象 の 本 質 を 伝 え る も の で は な く、作詩者の感性の中にある言葉で対象を表現し、読者の感性でそれ を想像させるなかに本質があるという手法である。 一篇の詩における「本意の文字」は、題意を反映する言葉でありそ の 詩 に 必 須 の 言 葉 で あ る が、 他 方、 「 ア イ シ ラ イ の 文 字 」 は、 本 来 な くてもよい、遊び・余白の部分である。しかし、南海はこのアイシラ イ こ そ 詩 に は 大 切 な 要 件 で あ る と い う。 そ れ は、 こ れ が あ る こ と に よってはじめて、情感、空間、余韻といったものが生まれると理解し ているからである。 ここで、 「四 詩の「体・法・辞」 」で引用した一節を、今一度引い ておきたい。 虚ニハアラズ、実事ヲ云ヘバ、ヒラタク卑キ故其中ノ雅ナル事ヲ 撰テ、尚潤色シテ、ヤサシク、シホラシキヤウニ作ルナリ。コレ ヲ鉄ヲ化シテ金ト成スノ手段ニテ、雨ノ月ニ晴タルト云、寒日ニ 暑シト云如ク、ナキコトヲ云ニハアラズ。若クハ其所ニナキコト ヲ 云 タ メ シ ア リ。 コ レ ハ 借 用 ル モ ノ ニ シ テ 虚 ニ ア ラ ズ、 但 其 雅 景、雅趣、雅物、雅興、雅字、雅語ヲエラヒ用フベシ。其感セシ ム ル コ ト、 虚 ヨ リ モ 実 事 ヨ リ モ 百 倍 ス ベ シ。 (『 詩 訣 』「 詩 法 雅 俗 弁」 ) 詩には、虚ではなく、実事をいうのだが、実事とはあらゆる点におい て卑近である。したがって、その中にある雅を選び、言葉を潤色し優 美に仕上げるのだ。またその際に、そこにはないものを詠み込む場合 もあろうが、それは虚ではなく拝借するのであって、詩を構成する境 趣、 対 象、 興 趣、 言 葉 な ど 全 て が 雅 で あ る た め の 工 夫 で あ る と い う。 それによって読者は、虚よりも、実事よりも、百倍その詩に感じ入る のだ。 虚 で も な く、 実 事 そ の ま ま で も な く、 「 借 用 ル モ ノ 」 こ そ、 ア イ シ ライの文字である。 南 海 が い う、 木 門 の 人 た ち が 理 解 し た「 此 」「 是 等 ノ 処 」 と は、 ま さしく、この「アイシライの文学」なのではないだろうか。
「アイシライ」の文学(白石 真子) 四四 注 (1) 松 下 忠『 江 戸 の 詩 風 詩 論 』( 明 治 書 院、 一 九 六 九 年 )、 拙 著『 太 宰 春 臺 の詩文論