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カーネギー国際法古典叢書の誕生 ~J. B. スコットの書簡をめぐって 【研究ノート】

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はじめに

 カーネギー国際法古典叢書(The Classics of International Law)とは、1910年代から

1950年まで刊行された、国際法の古典を英訳した一連のテキスト群を指す1。 誕 生 し た

ばかりのカーネギー国際平和財団(1910 年創設、正式名称は Carnegie Endowment for International Peace)が資金援助をしてこの一大プロジェクトを支えたため、このよう に呼ばれる。「鉄鋼王」と呼ばれるアメリカの大富豪アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835-1919)が、巨万の富を世界平和の実現のために利用しようと設立された

ことは、よく知られている2

 一方、ジェイムズ・ブラウン・スコット(James Brown Scott, 1866-1943)は、20

世紀初頭のアメリカを代表する国際法学者の権威である3。スコットはコロンビア大学の 法学教授などを歴任した後、1906 年に国務省の主席法律顧問(Solicitor)となった。や がて彼を大抜擢した国務長官エリフ・ルート(Elihu Root, 1845-1937)が、公務を終え てカーネギー財団の初代会長になったとき、スコットも同時に国務省を去り、カーネギー 財団の幹事(Secretary)であると同時に国際法部門の責任者に就任した。その後彼は亡 くなる最後まで、アメリカ国際法学会の会長など他の多くの公職をこなしながら、カーネ ギー財団で職務を続けることとなる4  そのスコットがまだ国務省に務めていた 1906 年秋、カーネギー研究所(Carnegie

Institution of Washington)5の所長だった R. S. ウッドワード(Robert Simpson

Wood-ward, 1849-1924)に宛てた書簡が、本稿で取り上げる資料である。ウッドワード自身は 数理物理学者であったが、スコットは情熱的に、国際法古典の復刊が必要だと訴えかけた。 その理由は後に譲るとして、ではなぜこの一通の書簡が重要だと筆者は考えるのか。  カーネギー国際法古典叢書の対象は、ヨーロッパ大陸から遠く離れ、古典の原書を手に 取る機会もなく、またラテン語を読むことのできない、法学を志すアメリカの大学生や研 究者を念頭においていたことが、スコットの書簡から判断できる。厳密な考証を経て、(主 【研究ノート】

カーネギー国際法古典叢書の誕生~ J. B. スコットの書簡をめぐって

大 中   真

キーワード: 国際関係論、ジェイムズ・ブラウン・スコット、国際法史、 カーネギー国際平和財団

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に)ラテン語と英語との対訳として、当時欧米各国で最高の名声を誇っていた国際法学者 たちの協力を得て刊行されたのが、この叢書である。その影響は今も大きく、日本を含め、 世界中の国際法学者や国際関係の研究者は、いまだにカーネギー叢書を重要な一次資料と して用いている。また、近現代「国際思想 “international thought”」の展開の中に位置 付けて、この叢書の重要性を指摘する研究者もいる6  しかし、同叢書がどのような経緯で一大プロジェクトとして刊行されたのか、その詳細 な経緯や、いかなる影響を残したのかについては、英語圏を含めて、まだあまり解明され ていない。従って本稿は、筆者による国際法史研究の出発点として、この書簡を分析し、 今後の研究展開の土台とするものである。叢書そのものの詳細な分析は別稿を予定してお り、ここでは書簡を読み解きながら、スコットが頭に思い描いていた壮大な見取り図を再 現することとしたい。 1.国際法古典の復刊計画  スコットとカーネギー財団との関わりは既述したが、この書簡が書かれた 1906 年 11 月 2 日の時点では、もちろん両者のその後の運命を誰も知る由はない。書簡そのものは 11 頁ほどであるが、それのみで活字製本され、下記に掲げた題目で翌 1907 年にカーネ ギー研究所から出版されている。筆者はこの書簡を、ハーヴァード大学法科大学院図書

館(Harvard Law School Library)にて見つけた7。スコットに関しては、ジョージタ

ウン大学図書館の特別資料研究所(Special Collection Research Center, Georgetown University Library)に、ジェイムズ・ブラウン・スコット文書(James Brown Scott Papers)が所蔵されている。筆者はこちらでも資料調査を行い、ハーヴァード大学所蔵

と同じ活字製本化されたものを原資料として確認した8。さらに、コロンビア大学稀覯本・

写本図書館(Rare Book & Manuscript Library, Columbia University)には、カーネギー 国際平和財団に関する極めて膨大な資料が所蔵されており、国際法古典叢書に関連する資 料が多数残されているが、現在までの筆者の調査ではまだ書簡関連文書については確認で

きない段階にある9

The Classics of International Law: Letter from James Brown Scott, Solicitor for the Department of State, to R. S. Woodward, President of the Carnegie Institution of Washington, relative to a Project for the Republication of the Classics of Internation-al law (Washington D.C.: Carnegie Institution of Washington, 1907).

 以上に挙げたのが、スコットの書簡の原題(書誌情報)である。わずか 10 頁余りの書簡が、 わざわざ活字化され単行本として財団から刊行されること自体、特別の意味を持っていた

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と考えるべきであろう。書簡の冒頭でスコットは、計画の全体構想について具体的に述べ ている。曰く、カーネギー研究所が国際法の様々な古典の復刊を引き受けること、註釈は 付けずに原文をテキストとして編纂すること、各テキストにはその道の権威による適切な 序論が寄稿されること、原文が外国語 [ 非英語 ] の場合には翻訳がテキストに付随するこ と、刊行に選ばれたそれぞれのテキストは国際法の専門家によって編纂されること、この シリーズ全体としては編集主幹の監督下に置かれること、などが提案されている10 写真1.J.B. スコットの書簡。ジョージタウン大学図書館所蔵(撮影許可済)。  興味深いのは、この書簡の中に、スコットの思想が色濃く反映されている点である。グ ロティウスは国際法の創設者として万人に認められているが、これは充分に真実ではある けれども、世人の理解を誤った方向に導いてしまう、という。彼によれば、グロティウス は国際法の創設者でもなければ父でもない、これはアダム・スミスが学問としての政治経 済学の創設者でも父でもないのと同じだ、と指摘する。そうではなく、グロティウスの著 作の偉大さは、古代ギリシア・ローマ時代と中世の著作に関する知識を存分に活用して過 去の歴史を築き上げたことと、啓蒙の信念を確固とした形式で著作に表すことで、戦争の 過酷さとやり過ぎは理性によって規律されうるし、また人間性への興味関心によっても規 制されうると述べた点にある。ある特別の観点からだけでなく全体的な観点から主題を扱 うことによって、グロティウスは国際法の礎を築いたといえる。「グロティウスの時代以来、 戦争はある意味で人間的なものとなり、平和こそが正常な状態であると見なされるように なった」というスコットの言葉に、第 2 回ハーグ国際平和会議直前の 1906 年 11 月に書 かれた時代性を、そして世界大戦をまだ経験していない時代の国際法学者の素朴な思考を 感じる11  グロティウスは最初にして最大の詳細な論述家だけれども、国際法の創設者ではない、

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とスコットは結論づけている。そして、「国際法の創成に向けて取られた第一歩は、グロティ ウスではなく、ジェンティーリによってだった」というホランド教授(Thomas Erskine Holland, 1835-1926)の言葉を引用して、グロティウスの先駆者としてジェンティーリ の名を挙げる12。グロティウスを尊敬しつつも、彼を「国際法の父」として絶対化せずに、 その先駆者たちにも目を向けたことが、カーネギー叢書の成功に繋がったと筆者は考える。 実際にスコットはその後、ジェンティーリよりもさらに遡り、スペインの国際法学者ビト リアやスアレスに強い関心を向け、著作を発表している13  スコットの理解の面白い点は、彼がグロティウスのことを、国際法の発展のちょうど中 間地点にあると見ていたことである。スコットは、国際法が今後も絶え間なく成長、発展 していくことに揺るぎない確信を抱いていたようであり、今後の未来を予見するためにも、 過去の作品を詳しく知る必要があると熱心に文中で説いており14、これがスコットの復刊 計画の正直な動機であると見てほぼ間違いないであろう。  またスコットは、歴史的に見た場合、国際法は大きく三つの集団に分類されるとしてい る。一つはグロティウスの先駆者たち、二つ目はグロティウスその人の人生と作品、三つ 目はグロティウスの後継者たち、である。しかし、グロティウスの先駆者たちの著作を手 にすることは極めて難しく、特にアメリカで国際法を学ぶ学生たちにとっては不可能と なっていると力説する。そして、合衆国憲法が制定以来、発展を遂げてきたように、「国 際法も間違いなく発展すると私は信じている」として、カーネギー研究所が国際法先駆者 たちのテキスト出版に奉仕してくれるよう、訴えている15 2.グロティウスの先駆者たち  さて、スコットは誰をグロティウスの先駆者と考えていたのか。まず彼は、先駆者たち の重要性を指摘した著作をわざわざ文中で挙げている。それは、以下の 4 冊である(た だし書簡では 4 冊とも人名、題名、出版地など情報が不完全な部分があるので、すべて 筆者が補足してある)。

(a) Kaltenborn von Stachau, Carl, Baron, Die Vorläufer des Hugo Grotius auf dem Gebiete des Jus naturae et gentium sowie der Politik im Reformationszeitalter (Leipzig: G. Mayer, 1848).

(カルテンボルン『宗教改革時代の自然法と万民法ならびに政治の分野におけるグロ ティウスの先駆者たち』1848 年)

(b) Rivier, Holtzendorff’s Handbuch des Völkerrechts, vol. I, pp. 395-402.

(不完全な表記だが、Holtzendorff, Franz von, Handbuch des Völkerrechts: auf Grundlage europäischer Staatspraxis (Berlin: C. Habel, 1885-1889), 5 vols. のう ち第一巻の該当頁には、註も含めて、確かにグロティウス以前の法学者について少

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し記述されている。)

(リヴィエール『ホルツェンドルフの国際法便覧』1885 年)

(c) Rivier, Alphonse, Note sur la littérature du Droit des Gens avant la publication du Jus Belli ac Pacis de Grotius, 1625 (Bruxelles: F. Hayez, 1883).

(リヴィエール『グロティウスの「戦争と平和の法」(1625 年)出版以前の国際法文 献に関する註釈』1883 年)

(d) Pillet, Antoine, Les Fondateurs du Droit International: F. de Vitoria, A. Gentilis, F. Suarez, Grotius, Zouch, Pufendorf, Bynkershoek, Wolf, Wattel, de Martens : leurs œuvres, leurs doctrines (Paris: V. Giard & E. Brière, 1904).

(ピレ『国際法の創設者たち』1904 年)  4 冊目のピレ(パリ大学法学部条約史教授)の著作は、国際法の古典を残した 10 名の 思想家に対して、現代[当時]の 10 名の学者がそれぞれ解説を加えた、いわば国際法史研 究の初期の試みとも言えるもので、20 世紀半ばまではよく引用された作品である。  しかし、スコットは続けて最も重要な著作として、刊行間もないオッペンハイム(Lassa F. L. Oppenheim, 1858-1919)の『国際法』を挙げ、その一節をそのまま引用している。 (e) Oppenheim, Lassa, International Law: a Treatise (London: Longmans, Greens,

1905), vol. I, pp. 76-77.

(オッペンハイム『国際法』1905 年)

当時オッペンハイムはロンドン大学国際公法の講師であったが、この著作が世界規模での 国際法についての標準教科書となり、一世紀を経た現在でもその評価は変わらない。スコッ トは、というよりオッペンハイムは、以下の 7 名の思想家の 10 冊を、一覧表にあげている。 (1) Legnano, professor of law in the University of Bologna, De bello, de represaliis,

et de duello. (1360).

(レニャーノ『戦争、報復、決闘について』1360 年)

(2) Belli, an Italian jurist and statesman, De re militari et de bello. (1563). (ベリ『軍事と戦争について』1563 年)

(3) Brunus, a German jurist, De legationibus. (1548). (ブラウン『外交使節論』1548 年)

(4) Victoria, Relectiones theologicae. (1557). (ビトリア『神学特別講義』1557 年)

(5) Ayala, De jure et officiis bellicis et disciplina militari. (1582). (アヤラ『戦争の法と責務および軍事訓練について』1582 年)

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(6) Suarez, Tractatus de legibus et de legislatore. (1612). (スアレス『法律と立法者たる神についての論』1612 年)

(7) Gentilis, De legationibus. (1588), Commentationes de jure belli. (1589), De jure belli libri tres. (1598), Advocatio Hispanica. (1613).

(ジェンティーリ『外交使節論』1588 年、『戦争法註解』1589 年、『戦争法論』1598 年、 『スペイン弁護論』1613 年)  この中でオッペンハイムは、グロティウスの『戦争と平和の法』の第 1 巻と第 3 巻の ひな形と枠組みはジェンティーリの『戦争法論』から取った、とホランド教授の言葉を引 用し、グロティウスよりもむしろジェンティーリの方が国際法の生成に大きな役割を果た したと述べている16。いわばスコットは、オッペンハイムの名声を後ろ盾にして、グロティ ウス以前の国際法の著作を復刊計画の中に少しでも多く入れ込もうとしていたかに見え る。  果たして、1911 年に刊行の始まったカーネギー国際法古典叢書の中には、グロティウ ス以前の著作として、惜しくも(3)ブルヌスは入らなかったものの、(1)レニャーノ、(2) ベリ、(4)ビトリア、(5)アヤラ、(6)スアレス、(7)ジェンティーリの 4 つの著作の うち 3 つが入ったのである。 3.グロティウス  次にスコットは、話をグロティウスに進める。彼は、出版にさいして、印刷工の誤りや、 テキストにびっしり書き込まれた過去の編集者の註釈、解説から自由であるべきだと主張 する。特に、最近 [20 世紀初頭 ] の研究進展によって、つまり 19 世紀後半になって初め てグロティウスの『捕獲法論 “De jure praedae” 』(1604-05 年頃執筆)が、2 世紀半以 上経った 1864 年になって発見され、1868 年に出版されたことと、1609 年に公刊された 『自由海論 “Mare liberum” 』は、実はその 12 ある章の中の一つ(第 12 章)であったこ とが確認されてからは、それまで独立した一個の作品と思われていた『戦争と平和の法 “De

jure belli ac pacis”』について改めて研究が必要となったからだと説明している17

 少し解説を加えると、グロティウスが 1625 年に大作『戦争と平和の法』を刊行するま での経緯が、研究者の間で長年議論になっていた。1609 年に刊行された『自由海論』は 小論でしかなく、どのようにしてグロティウスが大作の構想を暖め、執筆の準備をしてき たのかが、不明だったのである。ところが、『捕獲法論』の再発見によって、実は 1600 年代からグロティウスが国際法全体について強い関心を抱いていたことが、いわば証明さ れる形となり、彼の著作の再解釈が必要とされたのである18  書簡の中で特にスコットは、『捕獲法論』の重要性を強調するが、それは、この作品が 国際法の本質を考える上で極めて重要だからだという。国際法は法廷の中で誕生したわけ

(7)

ではないが、それでも法廷が揺籃の地であることを示している。つまりスコットが言いた いのは、国際法の体系は思想家の夢想から出たのではなく、弁護士や法実務家の概念が現

実化したものなのだ、ということのようである。そして、そのためには、『自由海論』と『捕

獲法論』の関係について適切に解説した版が必要だと述べている。

(8) Grotius, Mare liberum. (1609), De jure belli ac pacis. (1625), De jure praedae. (1868). (グロティウス『自由海論』1609 年、『戦争と平和の法』1625 年、『捕獲法論』1868 年) 『戦争と平和の法』は刊行 300 周年にあたる 1925 年に、叢書の一つとして出版された。 テキストも、グロティウスが生前に自ら手を入れた最後の版である 1646 年版を復刊した が、スコットの意見が通り、グロティウス死後に数多くの法学者たちが書き入れた註釈は すべて外し、可能な限り原典に近い形での復刊となった。『捕獲法論』は叢書の最後とし て 1950 年、スコットの死後に復刊された。また『自由海論』は、叢書の一部にはならな かったものの、同じくカーネギー財団から 1916 年に復刊されている19 4.グロティウスの後継者たち  グロティウスの後継者たちの中で、まず最初にスコットが名を挙げたのは、ズーチであ る。彼はズーチを、国際法の第二の創設者と呼んでいる。ここでも彼は、オッペンハイム の言葉「この小さな本は、まさに、実定国際法の最初の手引書と呼ばれてきた」を引用し ている20。さらにプーフェンドルフ、バインケルスフーク、ヴォルフ、ヴァッテルと、国 際法史では欠くことのできない思想家の名前と著作とを挙げている。

(9) Zouche, Juris et judicii fecialis, sive, juris inter gentes, et quaestionum de eo-dem explicatio, qua quae ad pacem et bellum inter diversos principes, aut popu-los spectant, ex praecipuis historico jure peritis exhibentur. (1650).

(ズーチ『フェキアーレ法と裁判、すなわち諸国間の法、およびそれらに関する諸問 題の解明』1650 年)

(10) Pufendorf, De jure naturae et gentium. (1672). (プーフェンドルフ『自然法と万民法』1672 年)

(11) Bynkershoek, De domino maris (1702), De foro legatorum (1721), Quaestio-num juris publici libri II (1737).

(バインケルスフーク『海洋主権論』1702 年、『外交使節に対する裁判』1721 年、『公

法上の諸問題』1737 年)

(8)

naturae et gentium (1750).

(ヴォルフ『科学的方法によって考察された万民法』1749 年、『自然法および万民 法要論』1750 年)

(13) Vattel, Law of Nations (1758). (ヴァッテル『国際法』1758 年) 以上の 5 名の思想家の 8 つの著作のうち、(9)ズーチ、(10)プーフェンドルフは表題 に加えてさらに 2 つ、(11)バインケルスフークの 3 つの著作全て、(12)ヴォルフは 1749 年の著作のみ、(13)ヴァッテルの著作(フランス語原典と英語訳の対訳)が叢書 として刊行された。ここまでが、スコットの考える最低限必要で、かつ合衆国の学生の要 求に応えるリストだという。  なお、1906 年のスコットの書簡には記されていないものの、実際には次の思想家の著 作 3 つが叢書として刊行されることになる。

(14) Rachel, De jure naturae et gentium dissertationes. (1676). (ラヘル『自然法と万民法に関する論文集』1676 年)

(15) Textor, Synopsis juris gentium. (1680). (テクスター『万民法梗概』1680 年)

(16) Wheaton, Elements of International Law. (1836). (ホイートン『国際法原理』1836 年) いずれも国際法史上、重要な著作と見なされており、特に最後のホイートンは、アメリカ 国際法学の父ともいえる人物かつ古典である。本稿では深く立ち入らないが、幕末日本の 開国に際しても大きな影響を与えた文献である21  このように見てくると、カーネギー国際法古典叢書は、スコットが最初の書簡で描いて いた構想にほぼ沿って刊行されたといえるだろう。特にグロティウスの先駆者、その後継 者の著作については、彼の具体的要求に対して財団は満額回答かそれ以上の成果を残した。 5.国際法判例集  ところが、今回の書簡で明らかになったところでは、スコットはさらなる構想を抱いて いた。彼は、他に 4 つの著作を叢書の候補として考えていた(書誌情報(17)は筆者が加筆)。 (17) Martens, Karl von, Causes celèbres du droit des gens, 2d edition (Leipzig: F. A.

Brockhaus, 1858-61), 5 vols.

(9)

(18) The decision of Lord Stowell on international law. (国際法に関するストーウェル卿の判決)

(19) The decision of Chief Justice Marshall in international law. (国際法に関するマーシャル最高裁判所長官の判決)

(20) The decision of Judge Story. (ストーリィ判事の判決)

(17)マルテンスの著作は、国際条約集であるが、フランス語に不得意なアメリカ人学生 のために翻訳して出版されるべきだ、というのがスコットの意見である。興味深いのは、

(18),(19), (20)の 3 つである。ストーウェル卿(William Scott, 1st Baron Stowell,

1745-1836)はイギリスの海事裁判所判事、マーシャル(John James Marshall, 1755-1835)はアメリカ連邦最高裁判所長官を務め、またおそらくストーリィ判事は、アメリカ 連邦最高裁判所判事を務めたジョゼフ・ストーリィ(Joseph Story, 1779-1845)を指す と思われる。マルテンスの著作を手始めに、この 3 名の下した判決で国際法に関連する ものを編纂し出版すべきだ、学生の便宜にもなるとスコットは提案する22  今日からすると、国際法古典叢書に判例集を加えるべきだと強く主張するスコットの提 案は、若干奇異に映るかもしれない。しかし、彼の「学問的特質としては国際法における 判例判決の重要性を指摘している」とされ、実際にスコット自身がこの書簡の 4 年前に 国際法に関する判例集を出版していたことを考えると、スコットしては当然の提案であっ たのだろう23  あと 4 つのみと自分で書きつつ、スコットの夢は止まらない。さらに彼は、次の著作 群をも提案する(ここでも書誌情報(22),(24),(25),(26)は筆者の加筆である)。 (21) The judgments and opinions of Sir Leoline Jenkins.

(ジェンキンスの判決および意見)

(22) Ward, Robert Pulmer, An Enquiry into the Foundation and History of the Law of Nations in Europe, from the Time of the Greeks and Romans, to the Age of Grotius (Dublin, 1795), 2 vols.

(ワード『ギリシア・ローマ時代からグロティウスの時代に至るヨーロッパ国際法の 礎と歴史に関する研究』1795 年)

(23) The luminous and authoritative judgments of our own Kent. (明快かつ権威あるケントの判決)

(24) Wildman, Richard, Institutes of International Law (London: W. Benning, 1849-1850), 2 vols.

(ワイルドマン『国際法原論』1849-50 年)

(10)

fondé sur les traités et l’usage (Gottingue: Chés J. Chret, 1789), 2 vols. (マルテンス『条約と慣行に基づくヨーロッパ近代国際法の概要』1789 年)

(26) Heffter, August Wilhelm, Das europäische Völkerrecht der Gegenwart (Berlin: E.H. Schroeder, 1844).

(ヘフター『現代ヨーロッパ国際法』1844 年)

写真2.カーネギー叢書の当初の出版計画表。ジョージタウン大学図書館所蔵(撮影許可済)。

(21)のジェンキンス(Sir Leoline Jenkins, 1625-1685)はイングランド国王チャール ズ 2 世時代に活躍した法律家、(23)のケントは、単に姓のみしか書かれておらず、筆 者の推測によるが、おそらくアメリカの法律家ジェームズ・ケント(James Kent, 1763-1847)であろう。ケントは有名な『アメリカ法注解 “Commentaries on American Law”』

を 1826 年に出版した24。全 4 巻からなる同書は、その第 1 巻の第 1 部が国際法に当てら

れており、まさにその第 1 講は「国際法の創設と歴史」となっているからである25。加え

てケントの死後、『国際法注解 “Kent’s Commentary on International Law”』が 1866

年に刊行されており26、両著作の内容は異なることから、スコットはこの両者と判例とを

組み合わせたものを構想していたのかもしれない。あらためて、スコットが判例集を国際

法古典叢書に組み込もうとした熱意に注目したい。(22)のワード、(24)のワイルドマン、

(25)マルテンス、(26)ヘフターとも、国際法史の文献では名の挙がる人物である。もし、

(11)

世紀の国際法研究に影響を与えていたかもしれない。  筆者による、ジョージタウン大学での資料調査によって、スコットの壮大な計画は、単 に 1906 年秋の書簡時点での個人的夢で終わったのではなく、実際に詳細な出版計画が立 てられていたことを示す資料が見つかった27。それによると、全 30 巻(筆者の推測では おそらく 50 分冊近く)になる見込みであり、原著の頁数、原著を写真撮影複写した場合 の費用、複写頁の寸法、翻訳の費用、紙代と製本代の見積もりなど、具体的に細かく費用 が算出されていたことが分かった。しかしながら、いずれにせよ、スコットによって提案 されたこれらの判例に関する作品群は、ついに刊行されることはなかったのである。 おわりに  結局、書簡の最後で、スコットは、(1)グロティウスの先駆者たちの作品、(2)グロティ ウス本人による傑作の適切な版、(3)グロティウスの主要な後継者たちの作品、(4)国 際法の領域で間違いなく権威のある判例集、以上の四つの刊行をカーネギー側に提案して いる。そして、カーネギー研究所がこの事業を引き受けることで、「国際法を学ぶ学生や 教える教師のみならず、あまねく人々が」国際法の代表作を所持することになるのだ、と 力説する28  続けて、かつて東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝が行った編纂が『ローマ法大 全 “Corpus Juris Civilis” 』と呼ばれ、カノン法の編纂が『カノン法大全 “Corpus Juris Canonici” 』と呼ばれ、ラテン語で国際法が “jus gentium” もしくは “jus inter gentes” と呼ばれることから、このシリーズ名を “Corpus Juris Gentium”(あえて訳するとすれば、

『国際法大全』)としてはどうか、とスコットは提案している29。何と壮大な野心であろう

か。当時彼はちょうど 40 歳であり、すでに充分な地位も名声も手に入れており、あの『ロー マ法大全』や『カノン法大全』に匹敵する大事業を自分の手で遂行する決意だったようで ある。

 書簡の結びは、スコットの上司で恩人でもあるルートがリオデジャネイロで演説した言 葉「人の支配に対する法の支配 “the rule of law for the rule of man”」を引き、この復 刊計画は国際法を作ることになるのだから、平和を作ることにもなると確信していること (世界平和の確立こそが、カーネギーが財団を設立した動機であった)、シリーズの編集主 幹を自分が喜んで引き受ける用意があること、ただし無報酬で引き受けたいことが書かれ、 刊行の実現を懇願して終わっている30  今回、1906 年のスコットの書簡内容を確かめることで、彼がどのような意図を持って 国際法古典叢書の刊行を考えていたのか、具体的にどの作品を復刊の一覧に構想していた のかが、ある程度明らかとなった。書簡の文面やその筆致からも、彼が一方ならぬ情熱を かけて計画準備していたこと、歴史に名を残すような壮大な計画を胸に抱いていたことも、 判明した。実際のカーネギー国際法古典叢書は、前述したズーチの『フェキアーレ法と裁

(12)

判』((9)にあたる)が 1911 年に刊行され、その後 1950 年にグロティウスの『捕獲法論』 ((8)の 3 冊目にあたる)刊行に至るまで、二つの世界大戦をはさみ、実に 40 年間にわたっ て、スコットの編集主幹の下で全 22 巻 40 冊を世に出すこととなった。叢書の実現に精 力をかけたスコットは、第二次大戦中の 1943 年に 77 歳で亡くなるが、死してなお、彼 の名を編集主幹として最後の『捕獲法論』は刊行された。アメリカ国内でも、また海外に おいても、国際法の世界的権威として名声を得ながら、そして国際法によって平和の維持 を実現できると強く信じながらも、生存中にも二度までも世界大戦を目の当たりした彼の 胸中はいかなるものであったか31。カーネギー国際法古典叢書の全貌と、スコットの意図 や関わりについては、さらに別稿で検討を予定しており、今後の筆者の課題である32 ※本研究に対して、平成26年度学習院桜友会海外留学助成金制度(桜友会フェローシップ) から助成をいただいたことを、ここに記して感謝したい。 註

1 Scott, James Brown, ed., The Classics of International Law (Washington: Division of Inter-national Law, Carnegie Endowment for InterInter-national Peace, 1911-1950), 22 vols. in 40. 2 現在でも同財団は、国際問題に関する世界有数のシンクタンクの一つに数えられている。

<http://carnegieendowment.org/about/timeline100/index.html> (accessed July 8, 2014). 3 スコットについては、篠原初枝『戦争の法から平和の法へ——戦間期のアメリカ国際法学者』(東

京大学出版会、2003 年)に詳しい。同書は、アメリカ国際法学会および学界全体を俯瞰し、そ の中でスコットの思想と立場を的確に位置付けている。

4 次の未公刊博士学位論文も、スコットについて優れた解説を行っている。Coates, Benjamin Allen, “Transatlantic Advocates: American International Law and U.S. Foreign Relations, 1898-1919,” Ph.D. Thesis, Columbia University (2010).さらに、スコットの伝記がついに近 年、刊行された。Finch, George A., Adventures in Internationalism: a Biography of James Brown Scott, ed. by William E. Butler (Clark, New Jersey: The Lawbook Exchange, 2012). 5 カーネギー国際平和財団より先に、すでに 1902 年に、同じくカーネギーの寄付によって設立さ

れた、別組織である。現在は、Carnegie Institution for Science と名称を変えている。<http:// carnegiescience.edu/> (accessed July 9, 2014).

6 Armitage, David, Foundations of Modern International Thought (New York: Cambridge University Press, 2013), p. 26.

7 同書簡の存在は、ハーヴァード大学法科大学院図書館ウェブサイトからも確認できる <http:// www.law.harvard.edu/library/> (accessed July 9, 2014)。以下、本稿註では同書簡を Scott, Letter. と表記する。

8 James Brown Scott Papers (以下、JBSP と略), Special Collection Research Center(以下、 SCRC と略), Georgetown University Library, Box 36, Folder 12. 同個人文書の存在を教示さ れたハーヴァード大学歴史学部長のデイヴィッド・アーミテイジ教授に感謝したい。

9 <http://findingaids.cul.columbia.edu/ead//nnc-rb/ldpd_4078585(accessed November 2, 2014).

(13)

10 Scott, Letter, p. 3. 11 Ibid., pp. 3-4. 12 T. E. ホランドがオクスフォード大学教授就任講演を 1874 年に行ったが、この時にジェンティー リを再評価する講演をしたことが契機となり、いわば国際法史の分野でジェンティーリが劇的 に「復権」したのである。その後、彼の祖国イタリアで、ジェンティーリの復権について大々 的な活動が国家規模で展開され、この書簡の 2 年後、1908 年に彼の生まれ故郷のサンジネシ オ(イタリア北部)で彫像の除幕式が行われた。スコットは疑いなく、こうした動きの中にあっ て、グロティウスを絶対化・神聖化していた風潮から距離を置くことができたに違いない。この あたりの事情については、以下を参照。Nussbaum, Arthur, A Concise History of the Law of Nations, rev. ed. (New York: Macmillan, 1954), pp. 100-101 [ ニュスボーム『国際法の歴史』 広井大三訳(こぶし社、1997 年)143-144 頁 ].

13 例えば、Scott, James Brown, The Spanish Origin of International Law: Francisco de Vito-ria and His Law of Nations (Oxford: Clarendon Press, 1934); The Catholic Conception of International Law: Francisco de Vitoria, founder of the modern law of nations; Francisco Suaŕez, founder of the modern philosophy of law in general and in particular of the law of nations (Washington D.C.: Georgetown University Press, 1934) など。特に前書は、その寄 付によって国際法古典叢書の刊行を可能にしてくれた A. カーネギーの想い出に捧げられてい る。 14 Scott, Letter, p. 5. 15 Ibid., pp. 5-6. 16 Ibid., pp. 7-8. 17 Ibid., pp. 8-9. 18 グロティウスの 3 つの著作の関連性については、山内進「フーゴー・グロティウス」勝田有恒、 山内進編『近世・近代ヨーロッパの法学者たち——グラーティアヌスからカール・シュミットま で』(ミネルヴァ書房、2008 年)119-134 頁、を参照。

19 Grotius, Hugo, The Freedom of the Seas, or the Right Which Belongs to the Dutch to Take Part in the East Indian Trade a Dissertation (New York: Oxford University Press, 1916). 20 Scott, Letter, pp. 9-10.

21 周圓「丁韙良『万国公法』の翻訳手法——漢訳『万国公法』1 巻を素材として」『一橋法学』第 10 巻、 第 2 号(2011 年)223-264 頁、を参照。

22 Scott, Letter, p. 11. 23 篠原、前掲書、18-19 頁。

24 推測の典拠は、次の著作による。Nussbaum, op. cit., pp. 245-246 [ ニュスボーム、邦訳前掲書、 327-328 頁 ].

25 Kent, James, Commentaries on American Law (New York: O. Halsted, 1826), Vol. 1. 「ア メリカ法の注解」にも拘わらず、憲法や個人の権利、所有権などよりも先に、まず国際法につい て冒頭で説明していることは興味深い。なお、同書は 19 世紀末の 1896 年に第 12 版を刊行す るほど広く読まれていた。

26 Kent’s Commentary on International Law (Cambridge: Deighton, Bell, and co., 1866). ケ ントの2つの『注解』について教示をいただいた、一橋大学長で西洋法制史講座の山内進教授に 感謝したい。 27 JBSP, SCRC, Box 36, Folder 12. 28 Scott, Letter, p. 12. 29 Ibid. 30 Ibid., p. 13.

(14)

31 今日、スコットの名前は国際法学界においても、かつてほど語られてはいない。しかし、1873 年にベルギーで設立された国際法学会(Institute de Droit international)にはスコット賞(James Brown Scott Prizes)があり、現在でも同学会で彼の功績を讃えている。<http://www.idi-iil. org/idiE/navig_scott.html> (accessed July 14, 2014).

32 本論文中で引用した国際法古典の日本語での題名表記について、国際法史を研究分野とされてい る一橋大学の周圓氏に多くの教示をいただいたことを、特に記して感謝したい。

参照

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