1.はじめに 「道理」という語が使われてきた長い歴史がある。日本においても『日本書紀』に初出し、 とりわけ平安時代後半から鎌倉時代にかけて、仏教の書物、土地証文などに頻出するよう になる。日本人の理法観を考えるために、「道理」という語が手がかりになると考えられる。(1) この「道理」という語は、中国から仏教とともに日本へ伝えられた。中国では、「道理」 という語は仏教伝来(紀元後 1 世紀)以前の紀元前 3 世紀にすでに成立し、仏教伝来後、 紀元後 3 世紀以降仏教経典・論を翻訳するにあたって用いられることになった。 本論文では、中国古代における「道理」の語の成立を『韓非子』において検討し、「道理」 という語がそもそもいかなる意味を持って出現したのかを考察する。先行研究として、池 田知久氏の論考(2)がある。池田氏の論点は以下の通りである。 ①春秋・戦国・秦漢の文献の中に、「道理」という語は、『韓非子』解老篇に 9 例・喩 老篇 1 例・難勢篇 1 例、『淮南子』原道訓に 2 例・主術訓 2 例・斉俗訓 1 例・詮言訓 2 例・ 兵略訓 1 例・泰族訓 1 例、『荘子』天下篇に 1 例、『荀子』修身篇に 1 例、『春秋繁露』楚 莊王篇に 1 例、『論衡』刺孟篇に 1 例、合計 24 例発見される。 ②これらのうち、『淮南子』の成立時期は漢初、『荘子』天下篇は秦漢の際と考証されて いる。『荀子』の例は、もともとは「理」の一字であったものが、後に「道」の字が付加 されて「道理」となったもので、「道理」の用例からは除外される。『春秋繁露』の作者は 董仲舒一人ではないらしいが、「道理」の用例は董仲舒(紀元前 2 世紀、前漢の人)の思 想と考えてよさそうである。『論衡』(紀元後 1 世紀、後漢の王充の作)には疑問はない。 ③以上の事実と、秦代の作とほぼ確定している『呂氏春秋』には「道理」の用例がなく、 それ以前の文献にもないことから、「道理」概念は、秦漢以後に初めて世に現れたと推量 できる。 ④『韓非子』解老篇は、その道家の影響の濃さから、韓非本人の作ではなく、漢初の制 作と考えるべきである。しかしそれでも、上記の文献の中では、最も早い時期に位置し
『韓非子』における「道理」
倉 澤 幸 久
キーワード:道理、道、理、道法、韓非子ている。しかも、現存の文献によって判断する限り、「道理」という概念は、『韓非子』解 老篇において初めて形成された。その根拠として、第 1 に、解老篇の 9 例の「道理」が、 名辞としての安定性に最も欠けていること、第 2 に、「道」と「理」を結合させようと試 みた思惟が見られること、が挙げられる。 ⑤「道理」は、解老篇作者が目標として求めた個人の「富貴全寿」、それを保障する国 家の支配秩序の安定、その実現のために要請された概念である。「道理に服従する」がそ の目標を実現する。「道理」概念を要請したところには、道家思想を超克し、「道」から「道 理」へと志向する意志があった。それは、主観の「無為」なる心境に安らうことから抜け 出て、客観的・物質的なものに関心を持ち、個別的・具体的な「事」「物」の「理」を求 めることであった筈だが、結局それは中途で費えてしまった。解老篇の説くところは、個 人主義的であり、政治への主体的積極的関わりが消失し、漢初の世相にかなっている。 以上の池田氏の論は、思想史的位置づけに重点が置かれ、「道理」の語自体の意味する ところが詳論されていない、と私の問題関心からは思われる。以下、『韓非子』における「道 理」を、あらためてテクストに従って考察しよう。 2.『韓非子』解老篇における「道理」の用例 さて韓非(紀元前 280 頃−紀元前 233 年)は、戦国時代末期の韓の王族として生まれ、 隣国秦の圧迫の下で国を守るため王に建言したが、重く用いられることはなかった。うつ うつとした思いを秘めて著述が残されたとされる。その当時の世相を見つめ、法家の思想 家として、君主の政治のあるべき姿を説いたが、さらに、そもそも世界をいかに捉えるべ きか、そこで人はどのように生きるのがよいのか、に説き及んでいる。韓非は最後に秦に 使者として行き、秦王政(後に始皇帝)に捕らわれ、刑死した。その 3 年後韓は秦によ り滅ぼされ、さらにその 9 年後、紀元前 221 年秦は天下を統一する。 『韓非子』全 55 篇はすべてが韓非本人の著ではなく後学のものが混じるとされ、真偽 は内容から論じられてきた。『老子』の最古の解釈である解老篇についても、上記のよう に池田氏は前漢初めの後学の作とされる。しかし、1973年馬王堆で発見された文書により、 道家と法家との折衷思想が韓非の頃に存在したことが確認され、解老篇・喩老篇等に見ら れる道家思想こそが韓非の思想的母胎であるとする説もある。(3)また解老篇の老子解釈が 儒家の徳に肯定的である点が戦国中期の老子の最古の竹簡の内容に合致する点から、解老 篇等の成立は戦国期末と考えてよいとする説もある。(4)本論文においては、内容の考察の 結果から、解老篇に見られる道家思想が韓非子の根本思想をなすと考えている。 まず『韓非子』解老篇における「道理」の 9 用例をすべて見よう。 [用例 1・2・3]人は禍にあうと心に畏恐をもち、行いが端直となり、行いが端直であれ ば禍害がなく、寿命を尽くすことができる。また行いが端直となれば思慮が熟し、事理を
得、事理を得れば必ず成功することができる。(中略)また人は福があると富貴が得られ、 衣食が美となり、驕心が生じ、行いが邪僻となり活動が理を棄てることになる。行いが邪 僻であれば身は若死にし、活動が理を棄てれば成功はない。(中略)そもそも「道理」によっ て事を行う者は、成就できないことはない。大には、天子・諸侯の権勢と尊位を成就でき、 小には、大臣・将軍の恩賞と俸禄を容易に得る。それに対し、「道理」を棄ててみだりに 行動する者は、上は、天子・諸侯の権勢と尊位があったとしてもその人民を失い、下は、 莫大な富を持っていたとしてもその財産を失う。衆人(世の多くの人々)が軽々しく「道 理」を棄て、安易にみだりに行動するのは、このように禍福が深大であり、道が広遠であ ることを知らないからだ。(上 452、454、455 頁)(5) ここでは、「道理」に拠ることにより権勢や尊位、恩賞や俸禄、莫大な富などこの世の あらゆる成功が得られ、「道理」を棄てて従わなければそれらはすべて失われる、とされる。 この「道理」は、心に畏恐の思いをいだいて行いを慎み、じっくりと思慮を熟することに より得られる「事理」である。人がこの世に活動するその対象としての物事には理がある。 その「理」は「道理」と言い換えられる。それはたんなる「理」ではなく、禍福が深大に わたり、禍福の理の背景には深遠なる道が根拠として見出され、その道は広遠であらゆる 物事に広がり理を支えている、そのような「理」であるから、「道理」と熟されるに至っ たのである。 [用例 4]今、有道の士は、自ら内は信で外は順であるが、しかし曲がって不正な人を誹 謗しない。自ら節に死に財を軽んじるが、しかし無能な者を侮らず貪欲な者を辱めない。 自ら行いが正しく党派を作らないが、しかし邪悪な者を去らず私曲の者を罪しない。自ら 勢が尊く衣が美であるが、しかし賤しい者に誇らず貧しい者を欺かない。それはどうして であろうか。路を見失った者に対して、習熟している人に聽き、知っている人に問うよう にしてやれば、迷うことはないのである。今、衆人が成功したいと欲しているのに却って 失敗してしまうのは、「道理」を知らず、知っている人に問い能力のある人に聴くことを しないからである。このような、すぐれた人に聴こうとしない衆人に対し、聖人がその禍 や失敗をわざわざ教えてやろうとすれば、彼らは怨むであろう。多勢に無勢である。無勢 が多勢に勝てないことは、「数(定め)」である。今、わざわざ行動を起こして天下の人々 に憎まれるようになるのは、これは身を全うし長生きをする道ではない。そこで、行動を 「軌節(節度)」あるものにするのである。(上 458 頁) ここでは、有道の士・聖人が自らは成功し、高貴な精神をもち経済的にも豊かな生活を 送っていて、しかし、そうではない世の中の多数の人々(衆人)を責めることがないのは なぜか、を問い、それが「数」「軌節」に従い、身を全うするためであることを説く。そ れに対し、衆人が禍を受け失敗するのは、「道理を知らず」に由る。有道の士・聖人が身
を全うするために「数」「軌節」に従うということは、「道理」に従うことを言い換えている。 「道理」は、「数(決まったもの、度数・術数・法数の語あり(6))」「軌節(車のわだちの幅 と竹の節、法度・節度(7))」の意味と共通する。『韓非子』姦劫弑臣篇には、「人主に説いて、 法術度数の理を明らかにし、それによって禍難の患を避けさせる」(上 341 頁)とある。「法 術」「度数」「法度」「術数」「法」「術」「度(尺度)」「数」「理」「道理」の語が、お互いに 重なり合う意味をもって使われている。 ここでも「道理」は、「道理」に従えば禍を免れ福を得るとされ、前項と同様の意味で あるが、「道理に従わず成功できない世の多くの人に、道理に従うように助言することは かえって恨まれて危ういので、彼らを責めず、意見しない」という言明には禍を免れる道 理が説かれているから、「道理」には「言明における理の当然として正しいこと」という 意味も認められることになるだろう。 [用例 5・6・7]衆人の精神の用い方はあわただしい。あわただしければ、精神を多く費 やすことになる。多く費やすことを侈(奢侈)という。それに対し、聖人の精神の用い方 は静かである。静かであれば、精神を費やすことは少ない。費やすことの少ないことを嗇(節 約)という。嗇は術であるが、この術は「道理」から生じているのである。そもそもよく 嗇であることは、「道」に従い「理」に服することなのである。衆人は患いにかかり禍に陥っ ても、それでも退くことを知らず、そして「道理」に服従しない。それに対し、聖人は禍 や患いが形を取って現れる前に、虚無となり「道理」に服従するので、蚤服(早く服する) と称される。(上 464 頁) ここでも、聖人と衆人が対比され、聖人が「道理」に従い禍患を予め避けるのに対し、 衆人は禍患に陥ってもなお「道理」に従わないとされる。 ここではさらに、「道理」に従うとは、精神を静穏にたもち、みだりに放散しないこと とされる。また、退行し、虚無となることが、「道理」に従うことになるとされる。精神 を内に充満していくことと虚無となることとは一見矛盾しているかのようであるが、この 点については、続く箇所で説明される。それによると、「治人(人をおさめる)を知って いる者はその思慮が静かである。事天(天につかえる)を知っている者はその孔竅(感官) が虚である。思慮が静かであれば故德(固有の徳)が去らない。感官が虚であれば和気(調 和の気)が日々に入る。」(上 466 頁)すなわち精神の活動が静かであればその人が本来もっ ている徳(良さ、能力)が保たれ、精神の活動が虚無になると外から天の和気を新たに取 り入れることができる。その人は、故德に和気が足され、徳をさらに積み重ねることがで きる。その結果、「徳を積むと、神が静かになり、神が静かになると、和が多くなり、和 が多くなると、計が得られ、計が得られると、よく万物を御し、よく万物を御すと、戦い において易々と敵に勝ち、また論が必ず世をおおうことになる。」(上 466 頁)ある人が、 精神を静めてその人本来の徳を保ち、さらに天の和気を受け、徳が充実するに至れば、そ
の人は「道理」を明らかに知り、「道理」に従うことになる。「和気」とは、『老子』に「道 は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて而して陽 を抱く。沖気は以て和を為す」(8)とあり、陰陽の調和した沖気である。また『列子』天瑞 に「清軽者上為天、濁重者下為地、冲和気者為人」(9)とあり、人を作っている気である。 解老篇のこの引用箇所は、そもそも冒頭で、「聡明叡智は天である。動静思慮は人である。 人は、天の明に乗って視、天の聡に寄って聴き、天の智に託して思慮する」(上 461 頁) と始まっていたのである。人は精神を静め、虚無となり、天の聡明叡智を自らのものとし て、「道理」を知り、「道理」に従うのである。 ここでまた注意されるのは、「道理に服従する」の語を言い換えて、「道に従い、理に服 する」とすることである。「道理」の語は、「道」一字あるいは「理」一字でも言い換えら れる。 [用例 8]これをもって(この前の箇所で、人々が活動しすぎて生命が尽き、死に至るこ とを述べる)聖人は精神をおしんで、静にいることを貴ぶのである。(中略)人々はただ (水牛に似て青色で一角の猛獣)や虎に爪と角があることを知っているが、万物がこと ごとく爪と角を持っていることを知らず、万物の害を免れないのである。例えば、季節の 雨が降り続き、広野に人気がないとき、夕方とか早朝に山川に入っていったら、風や露と いう爪と角がその人を害するであろう。上位の者に仕えて忠節を尽くさず、軽々しく禁令 を犯すことがあれば、刑法の爪と角がその人を害するであろう。郷にいて礼節を守らず、 憎と愛とに節度がないようであれば、闘争の爪と角がその人を害するであろう。嗜欲に限 度がなく、動静に節度がないならば、痤疽(腫れ物やできもの)の爪と角がその人を害す るであろう。好んでその私智を用いて、「道理」を棄てることがあれば、網羅(魚を捕る 網と鳥を捕る網、人を束縛するもの)の爪と角がその人を害するであろう。 や虎には生 息している地域があり、万物の害には根源がある。その地域を避け、その根源を塞げば、諸々 の害を免れる。(上 499-500 頁) ここでは、あらゆる物が、時と場所を計らず、限度をわきまえず、節度をもたないなら ば、人を傷つける害になることを説く。時と場所を計り、限度をわきまえ、節度をもつこ とが、「道理」に従うことになる。「道理」は「私智」と対立する。「私智」を棄て、「道理」 に従うことは、万物の害の根源を塞ぐことになる。 「私智」は、飾邪篇に、主君の立てる法に対し、今臣下に「私智」を立てる者が多いとされ、 「法」と「私智」が対立される。そして、「主の道は、必ず公私の分を明らかにし、法制を 明らかにして、私恩を去る」(上 426 頁)とされ、「身を修めることが潔白であって、公 を行い正を行い、官にあって無私であるというのは、人臣の公義である。行を汚し欲をほ しいままにし、身を安んじて家を利するというのは、人臣の私心である」(上 428 頁)と 説かれる。「私」とは、欲望のままに行動し、自己中心的に自らの利益のみを計ることで
ある。 [用例 9]およそ、武器や甲冑は、害に備えるためのものである。生命を重んずる者は、 たとえ軍隊に入ったとしても、怒り争う心がない。怒り争う心がなければ、害から救うた めの備えを用いるところがない。これはただ野戦の軍隊について言えることではない。聖 人が世の中を遊行するとき、人を害する心がない。人を害する心がなければ、必ず人に害 されることはない。害する人がいなければ、人に備える必要がない。故に老子に「陸行し て 虎に遇わず」と言う。山に入るときも害を救う備えを恃まない。故に老子に「軍に入 るも甲兵を備えず」と言う。諸々の害から遠ざかっている。故に老子に「 、その角を投 ずる所なく、虎、その爪を錯く所なく、兵、その刃を容れる所なし」と言うのである。備 えを設けなければ必ず害されることがない、ということが、天地の「道理」である。この 身体において天地の道を体現しているのである。故に老子に「死地(死の条件)なし」と 言う。行動して死地がないことを、「よく摂生(養生)する」と言うのである。(上 502 頁) ここでは、害を受けないようにと対抗し備えるという態度を止め、対抗する心をもたず、 備えないことが最善の策とされる。備えなければ被害なしが、天地の「道理」とされる。「道 理」は、「備えなければ被害なし」という、この世界において必ずそうなっている事態であり、 その命題で言明されている事態の筋道である。その言明に示される、世界の事態の筋目に 従って生きることにより、その人は害から救われる。 ところで、この箇所は、用例 8 と一連の箇所だが、用例 8 で見た、猛獣の出没する場所・ 時間を避け、限度をわきまえ節度をもつことは、備えることであろう。ここではさらに、 備えないことが真の備えであることが説かれていると言えよう。すなわち、他に対し怒り 争う心、害する心、対抗し備える心を持たないことは、こちらから作為的に為そうとする ことを止めることであり、そのときこちらからの働きかけが止み、「虚無」となり、「道理」 に従うことが実現され、その結果は、世界の事態に見出される筋目に従って行動すること になり、それはそのまま猛獣の出没する場所・時間を避けることになるのであろう。自分 の判断で猛獣を避けようとすることは、かえって別の害に遭遇することになるかもしれな い。しかし、「虚無」となり「道理」に従うときは、猛獣の害のみならず、世界のあらゆ る害を自ずからに避けることになっているのであろう。 さらに、これに関連すると考えられるのが、同じ解老篇の次の箇所に説かれる「慈(い つくしみ)」である。「子に慈である者はけっして衣食を絶やさないようにし、身に慈であ る者はけっして法度を離れず、方円に慈である者はけっして規矩(コンパスと定規)を捨 てない。そこで兵に臨んで士吏に慈であれば戦って敵に勝ち、器械に慈であれば城は堅固 である。(中略)そもそも能く自ら全くして、尽く万物の理に随う者は、必ずまさに天生 が有る。天生とは、生心である。故に天下の道はその生を尽くすのである。もし慈をもっ てこれを衛れば、事は必らず万全であって、挙げることは当たらないことはない。」(上
511 頁)すなわち、世界のあらゆる物を慈しむことは、その物をもっともよく実現するた めに心を砕き、最善の方策を取ろうとするのである。それはそれぞれの理に随うことであ り、法度を守り、規矩を用いることである。万物の理に随えば、天が生かそうとしてくれ る。天は生命を育み、生かそうとしてくれる心を持っている。それぞれが持っている理に 随えば、それぞれは天からの生命をそのまま受けて、その生を全うすることができる。天 は万物を慈しみ、生かそうとしてくれる。人がその慈しみを自らも行えば、その人は天の ように世界のあらゆることを実現するであろう。慈しむとは、対象とする物に対抗するこ となく、その物をそのまま受け入れ、その物の最善のあり方を実現することである。すな わち、私の対抗しよう、備えようとする思い量りを捨てて、道理に従うことである。 さて用例の引用に戻って、ここではまた「天地の道を体する」が説かれていたことにも 注意しよう。「天地の道理」を知り、それに従って生きることは、「天地の道を体している」 ことになる。そして上で見たように、「天」は生命を育み、生かそうとする存在であるから、 天とそれを受ける地との道を体現している者は、死をまぬがれ、生にあふれる存在となろう。 「道を体する(体道)」については、「理を建てる(建於理)」と対照しながら論ずる箇所が、 解老篇にある。それによれば、「そもそも道は、世とともに周旋(推移)するものであり、 生を建てることが長く、禄を持することが久しいものである。(中略)樹木には曼根(ひげ根) と直根(主根)がある。直根とは、書にいわゆる柢であり、柢は、木の所以建生(生を建 つるゆえん)であり、曼根とは、木の所以持生(生を持するゆえん)である。德は、人の 所以建生であり、禄は、人の所以持生である。今、建於理(理を建つる)は、その持禄が 久しく、(中略)体其道(その道を体する)は、その生が日に長いのである。(中略)柢が 固ければ生が長く、根が深ければ視ることが久しい。」(上 471 頁)すなわち、道は世と ともに推移して生命を長く生かし、その生命の糧を長く保つものであり、その道は樹木の 根に喩えられる。樹木の根には、主根とひげ根があり、主根がその生をうち立て、ひげ根 が糧を与える。主根は、人においては徳に当たり、その実現は「体其道」に拠り、ひげ根 は、人においては禄に当たり、その実現は「建於理」に拠る。「道」は主根となり、存在 そのものの根拠であり、「理」はひげ根であり、存在を養う糧を与える。「道」は体するも のであり、「理」は建てるものである。「道」と「理」はあいまって生を支えるのである。 3.解老篇における「道」と「理」の結合 さて、前節末で「道」と「理」が主根とひげ根に喩えて説かれている箇所を既に見たが、 次に、解老篇において、「道」と「理」を結合させようと試みている箇所を検討しよう。 「道」は、万物がそのようにある根源となるものであり、万理がそれに拠り同定される 根拠となるものである。「理」は成立している物のあや・筋であり、「道」は万物が成立す る根源である。故に老子に「道はこれを理(おさ)むる者なり」と言う。物にはそれぞれ
の「理」があり、相互に侵し合うことができない。物にはそれぞれの「理」があり、相互 に侵し合うことができないということは、「理」が物を規制するにおいて、万物はおのお の「理」を異にするということである。万物がおのおの「理」を異にしていて、「道」が 万物の「理」をことごとくそれに拠らせる根拠となっているので、「道」は変化せざるを 得ない。変化せざるを得ないということは、「道」は常操(一定不変の守るべきもの)が ないということである。常操がないので、死と生は「道」から気を受け、万智は「道」か ら斟酌し、万事は「道」から興廃するのである。(上 487-488 頁) 「道」は、この世界のあらゆる物がそれとして存在している根源である。「理」は、この 世界のあらゆる物にそなわり、その物を他とは異なるその物としてあらしめる文(あや・ 筋目)である。あらゆる物の「理」は「道」に基礎づけられる。すなわち、「道者万理之 所稽也」あるいは「道盡稽万物之理」と説かれるが、「稽」とは、「合う、当たる、同じの 意」とされる。「理」は「道」に比べられ、考えられ、「道」と一致するものである。物の あや・筋目としての「理」は「道」によって生じた物にそなわり、「道」に保証されてある。 文中の「道はこれを理むる者なり」という句は、現行の『老子』にはないが、「道」はあ らゆる物を他とは異なるそれとして存立させる「理」をもって「物」をそのものとして存 在させることを示している。すなわち、「道」は「理」を含めてこの世界のあらゆる物を 生み出す根源である。「理」は「道」に拠りながら、あらゆる物をその物たらしめるその 物のあや・筋目である。「道」は根源的にその物を生み出し、「理」は生み出された物がそ の物の独自の本分を全うすることを助ける。「道」それ自体はあらゆる物を生み出す根源 として定まった形がなく、「理」が定まった形をもつ物をその物たらしめる。 さて、解老篇では、この引用箇所に続いてさらに「道」が説明される。それによると、「天地・ 北斗七星・日月・五行・列星・四季は「道」を得てその働きを全うし、聖人は「道」を得 て文物制度を制作した。また「道」は堯・舜にあっては智、接輿にあっては狂、桀・紂にあっ ては滅、湯・武にあっては盛んとなった。近くにあるかと思えば宇宙の果てにあり、遠く にあるかと思えばすぐ傍らにある。暗いかと思えば昭昭として明るく、明るいかと思えば 冥冥として暗い。宇宙の中の物は、その「道」によって生成する。」(上 490 頁)すなわち、 この世界におけるあらゆる物、そして事(文物制度を含めて)は「道」によって生じ、「道」 によってその働きを全うする。また「道」はその「道」を行う人によって様々な姿をもっ て現れる。そもそも「道」はとらえどころなく、相対的分別の言葉によっては捉えられない。 さらに、「道」は水に喩えられる。「水は、渇いた者を生かし、溺れた者を死に至らしめる。 そのように、「道」によって生きる者もいれば、死する者もいる。「道」によって成功を収 める者もいれば、失敗に沈む者もいる。」(上 490 頁)すなわち、「道」それ自体は禍をも 福をももたらす、自然的な存在である。それを生かすか殺すかは、人為にかかる。それを 人間が生かすことにおいて、「理」さらに「道理」が求められることになったと考えられる。 さらに続く箇所で、まず「理」について説明され、「道」と対照される。「理は方円、短
長、麤靡(粗い・細かい)、堅脆の分(区別)である。故に理が定まってそれが見聞され、 把捉されて後に、その理を手がかりとして道を得ることができる。故に理及び物の次元に おいては、存亡があり、死生があり、盛衰がある。これは「常」とは言えない。それに対 し、「道」は「常」なるものである。「常」とは不死であり不衰であり、変化するところなく、 定まった理がなく、一定の場所をもたない。これが「道」だと示すことができない。聖人 は「道」が玄虚であることを観じ、またあまねく行きわたる点を用い、強いてこれに字を あてて「道」として、議論できるようにしたのである。」(上 494 頁)すなわち、「理」は 形ある物の次元における区別・分節としてある。この「理」は見聞され、把捉され、その 「理」を手がかりとして見聞されない「道」が得られる。「道」に「道」という名を付け、人々 に示したのは聖人である。しかし、このような「道」は実はそもそも「理」の限定を超え ている。また「道」は物や理の次元にある存亡・盛衰を超えて、不死不衰の「常」なるも のとされるが、上では常操なく変化するものとされ、また前節では、道は世とともに周旋 (推移)するもの、とも言われた。ここでも、「道」は玄虚であり、またあまねく行きわた る、とされるが、「道」は奥深く何もない無であり、かつあらゆる物、あらゆる所に行き渡っ ている、という矛盾した限定を受ける、限定できない存在ということであろう。「道」は「理」 によって限定されえないが、形ある物の次元に「理」が見出されることが「理」の根源と しての「道」を求めさせ、その限定されえない何かに強いて「道」という名をつけさせる。 さて「理」について、解老篇でさらに以下のように説明される。「およそ物の有形であ る者は裁ち易く、割き易い。何をもってこれを論ずるか。有形であれば短長が有る。短長 が有れば、小大が有る。小大が有れば、方円が有る。方円が有れば、堅脆が有る。堅脆が 有れば、軽重が有る。軽重が有れば、白黒が有る。短長・大小・方円・堅脆・軽重・白黒、 これを理と謂う。理が定まって物は割き易いのである。」(上 508 頁)すなわち、形ある 物には「理」があり、その「理」(筋目・分節・区別)に従うとその物を容易に裁断・分 割できる。 この「理」の規定は、最古の漢字字書『説文解字』の「理」の解釈を想起させる。後漢 の許慎著『説文解字』に「理、治玉也」とあり、清の段玉裁著『説文解字注』に「是れ理 は剖(わ)け析(さ)く也。玉は至堅と雖も、之を治むるに其の 理を得ば以て器を成 すこと難からず」とある。(10)すなわち、きわめて堅い玉もその筋目に従って加工すれば器 物を成すことが難しくない。「理」はその筋目であり、またその筋目に従って剖け析くこ とである。 また『荘子』養生主篇に「庖丁解牛」の話がある。料理の名人庖丁が文恵君のために牛 を解体すると、触れる所が自ずからに割け、その音が快い音楽となった。名人は牛を目で 視るのではなく、精神で遇する。その精神は不測の神的な働きをして、精妙な直観的観察 をする。すると、包丁を入れるべきすき間が現れ、牛は自ずからに解体される。それは天 理(自然な筋目)に依り、固然(もともとそのようになっている)に因るのである。牛に そなわる「理」に従って易々と大きな牛を解体することができる。名人はこのあり方を「道」
と呼ぶ。「道」に従う生き方であろう。それを文恵君は感嘆して、生を養う(生を全うする) 生き方と讃えた。(11)『荘子』においても、「理」に従い、「道」に生きることが、最もよく 生きることとされている。 以上、解老篇において、「道」と「理」がそれぞれ説かれ、結びつけられた。「理」は形 ある物に見出される筋目で、その筋目に従って働きかければその物を最もよく実現するこ とができる。そしてその「理」は「道」をその根拠とし、「理」に従い物を最もよく実現 することは「道」を生きることになる。「理」は、「道」に根拠づけられ、単なる「理」で はなく、「道理」となる。 4.解老篇における「道理」の意義 以上、解老篇の「道理」について考察してきた。解老篇の考察の最後に、解老篇の世界 観の中に「道理」を位置づけ、その意義を考えてみたい。 まず世界をどのように捉えているか。前節で見たように、「道」が世界のあらゆる物そ して事の根源であり、すべてを生み出している。「道」は形のない、限定され得ない、超 越的根拠である。その「道」から世界のあらゆる物や事が生じる。物や事があれば、それ にはそれ固有の「理」があり、その「理」は「道」に由来し、その「理」に従って行うこ とがその物・事を最もよく生かし、そのあるべきあり方を実現する。人間のよりよく生き ることに関わる、徳・仁・義・礼も「道」に発している。「道」の功が積み重なり徳があり、 徳の実の光として仁があり、仁の澤が及んで事があれば義があり、義の理があり文があれ ば礼がある(上 444 頁)。 また、この形ある世界は、天・地・人から成る。天地は「道」により生じ、天は「道」 を得て高く、地は「道」を得て蔵す(上 490 頁)、とされるものだが、天は「道」の働き を得て高みから万物を覆って育み、地は「道」の働きを得て万物を蔵して支える。天には 生心があり、あらゆる物を生かそうとし、「天地の道」を体することはよく生を養うこと になり、「天下の道」はその生を尽くそうとする。天地にも春夏の繁茂、秋冬の凋落があり、 従って万物にも盛衰がある(上 506 頁)。 人は、天地の間にあって、中間的存在である。上は天に属さず、下は地に著かない。地 に著く植物とは違って、腸胃で食物を摂らなければならない。食べなければ生きることが できないので、利を欲する心を免れることができず、欲利の心があると憂いが絶えない。 これを脱するのは、聖人のように「足るを知る」ことである(上 484 頁)。すなわち、人 は自然から切り離され、欠乏に苦しみ、利己的に貪り求める存在である。しかし一方、人 の精神は天の聡明叡智を受けて働き思慮する。人がその精神を静め、虚無となれば、もと からの徳に加えて天の和気を受け、充実した精神となる。そうすれば、天の聡明叡智を受 けて、目は明らかに見、耳は聡く聴き、よく思慮を尽くすことができる。思慮が熟すれば 事理を得、事理を得れば必ず功を成す(上 452、504 頁)。
この事理が「道理」と言い換えられる。「道理」という語が熟したとき、物の「理」、事 の「理」が世界の根源的根拠である「道」に生じ、「道」に拠ってあることが強調された。 「道理」は世界の事物に本来的にそなわる筋目であり、その事物を真に生かし、成功し福 利を得るためには、「道理」に従うことが必須となる。無知により「道理」に従わなけれ ば、失敗し禍害をこうむらざるを得ない。人は「道理」を明らかに知り、「道理」に従って、 よりよく生きることができる。 人と鬼神との関係について付け加えておきたい。『老子』第 60 章「以道立天下、其鬼 不神(道を以て天下に立つならば、鬼神は神の威力を現さない)」について、解老篇で以 下のように解釈される。「人は禍があると鬼を畏れるようになる。聖人が上に在って民が 少欲であり、民が少欲であって血気が治まり、挙動が理にかなうと禍害は少なくなる。そ もそも内に痤疽 痔の害が無く、外に刑罰法誅の禍が無ければ、鬼を軽んじること甚だし くなる。(中略)世が治まっている民は鬼神と相互に害し合うことがないのである。(中略) そもそも祟りというのは、魂魄が去り精神が乱れることである。精神が乱れると徳が無く なる。鬼が人に祟らなければ魂魄は去ることなく、魂魄が去らなければ精神は乱れず、精 神が乱れなければこれを有徳と言う。上が蓄積を盛んにし、鬼がその精神を乱さないなら ば、徳は尽く民に在る。」(上 475、478 頁)すなわち、人が少欲であり、血気がおさまり、 行動が理にかなうと禍を避けることができるが、そのような人は鬼神と距離を持ち、鬼神 から独立する。鬼神が人に影響を及ぼすことがなければ、人は自らの魂魄を保ち、精神は 乱れず、有徳の人となる。有徳の人とは、その身にしっかりと善さをそなえた、主体とし て確立した人である。「理」に従う生き方は、鬼神から離れて、人間的主体として独立し て生きることである。 この点に関わって、解老篇に、いわゆる超能力を批判し、人間の現実的・合理的思考を 説く箇所を見ておきたい。「前識」という技があり、それは物に先んじて行い、理に先ん じて動く、という一種の予知であった。超能力を競う人々が集まっていて、門の外に牛の 鳴き声がした。弟子の一人が、その牛を予知して、黒い牛で額が白い、と言った。先生が言っ た、確かに黒い牛だが、白いのは角だ、と。人をやって確認させると、果たして黒牛で角 を布で包んであった。韓非は言う、この術は人々の心を動かし、華やかだが、危うい。わ ざわざ苦労して予知などしなくても、実際に見ればすむことである。実際に見れば愚かな 子供でもわかる。予知の術のために心を苦しめ精神を傷めてあの程度のことが分かって何 になろう(上 448 頁)。さらにその続きの箇所で言う、老子の言う「大丈夫」とは、その 智が大きいことを言うのである。必ず理に縁って、径絶(飛躍)しないのである(上 451 頁)。 現実世界の「理」を追って、飛躍しないこと、それが現実に即した確かな知であり、韓非 は現実的・合理的知を求めたのである。「道理」はこのような現実的・合理的知として『韓 非子』に出現したと考えられる。
5.喩老篇及び難勢篇における「道理」 『韓非子』における「道理」の語の用例の残り 2 例を見ておこう。まず喩老篇の用例を 検討する。喩老篇は解老篇の次に置かれ、具体的な説話を語り、『老子』の比喩的解説を おこなう。喩老篇の成立は解老篇と同時期と考えられる。 [喩老篇用例]そもそも物には常容(決まった形態)があって、その決まった形にのっとっ てその物を導いていくのである。物の形に従っていけば、静であればすなわち徳(その物 のよさ、功績)を建て、動であればすなわち道に順がうことになる。宋の人で君主のため に象牙で楮の葉を作った者がいた。三年かかってできあがった。厚いところと薄いところ、 茎と枝、細毛、色つや、とても見事で、これを本物の楮葉の中に混ぜておくと見分けがつ かないほどであった。この人はとうとうその功によって宋の国で禄をはむことになった。 列子がこれを聞いて言った、「もしも天地が三年かかって一葉を成したとしたら、物で葉 のあるものは少ないことになろう。」であるから、天地の助けに乗らないで自分一人の身 において行おうとすること、「道理」の数(定め)に従わないで自分一人の智を学ぼうと すること、これは皆あの一葉の行である。故に冬に耕作したら、農業神の后稷でも余りあ る収穫を上げることはできない。豊作の年の豊かな稔りを、耕作の下手な奴婢でも悪くす ることはできない。一人の力では、后稷であっても不足となるし、自然に随えば、奴婢で あっても余りあることになる。故に老子は「万物の自然を恃んで敢えて為さず」と言うの である。(上 552 頁) ここでは、三年間苦心して本物そっくりな一枚の葉を象牙細工で作った職人の業が、難 なく無数の葉を繁らせる天地の営みに対比され、自然の豊かさに抗する人間の業の愚かさ が批判される。この例話にもとづき、「道理」に従うことが、自分一人の智(解老篇用例 8 に現れた「私智」)を用いることと対立される。「道理」は自分一人の智では得られない。 自分一人の智を捨てて、「天地」の智あるいは「万物之自然」の智が得られて、「道理」が 明らかになる。「道理」は自分一人の智を超えて、世界の事物に客観的に見出される筋目 であり、その筋目にしたがって行うことがその事物を最もよく生かすようになる筋目であ る。ここでは、万物の自然に任せることが説かれ、人為が否定されているが、「道理」が 人間の恣意を超えて世界に厳然とあることが、『老子』の引用に合わせて強調されている。 この箇所で、もう一つ気になるのは、「靜則建乎德、動則順乎道」の句である。「道」と「徳」 が対比され、それは『老子』が道経と徳経より成るのに対応し、「道」が生成変化に関わり、 「徳」が現在における実現に関わるとされる。この点に関わって、揚権篇に「道は弘大に して形なく、徳は覈理にして普く至る」(上 155 頁)(12)とある。「覈理」とは条理の明白 なことであり、徳は明白な理としてあまねく行き渡っているとされる。「道」と「徳」は、「道」 と「理」の問題でもある。また、ここで「道」が「動」に関わるとされている点に注意し
たい。「道」は静的な超越的根源ではなく、生成変化する物がそこを通る道筋であるかの ようである。そのような「道」は筋目としての「理」に重なる意味を持つであろう。 次に、難勢篇の用例を見よう。難勢篇は、『韓非子』の中心思想である「法」「術」「勢」 のうちの「勢」を論難したもので、韓非の自著と認めてよいとされる。(13) [難勢篇用例]遠い南の越国の泳ぎの上手な人を待って中原の国の溺れている人を救おう としたら、いくら越の人が泳ぎ上手でも、溺れている者は救われない。そもそも古の名御 者である王良のような人を待って今の馬を御してもらうことは、それは越人が溺れる者を 救う說である。不可能なことは明らかである。そもそも良い馬としっかりした車があって、 それを五十里ごとに一組ずつ置き、中くらいの御者に御させ、速きを追い遠くへ至らしめ るならば、千里を一日で行くこともできる。どうして古の王良を待つ必要があろうか。そ もそも御者が名手王良でなければ必らず下手な奴婢にあたらせ失敗する、治者が堯舜でな ければ必ず桀紂にあたらせ乱世になる、というのでは、これは味が飴蜜のように甘くなけ れば必らず苦菜か苦芹のようにひどく苦い、というようなものであり、これは弁舌と言辞 を積み重ねるだけで、理を離れ術を失い、両極端の議論である。どうしてこのような議論 で論難などできようか。「道理」を失っている言である(どうしてあの道理の言を論難で きようか)。客の議論はこの議論に及ばない。(下 625 頁) 難勢篇では、まず慎子(14)の論があり、それに対し客が論難し、その論難に対しさらに もう一人(韓非か)が論難する、という 3 段構成をとっている。引用箇所は、最後の論 の最後の部分である。テキストに異同があるが、慎子の議論を「道理の言」とするか、あ るいは慎子を論難する客の議論を「道理を失った言」とするか、いずれにしても「道理」 は議論について言われる。 議論の内容は、まず慎子が、賢であっても衆を服させる勢に乗らなければ統治できない、 賢智よりも勢位に拠るべきである、と論じていることが示され、それに対し、客が、賢が 勢を用いてこそ天下が治まる、愚か者が勢を用いたら笑いものになるか天下が乱れる、と 論難する。それに対し第 3 の論者が、勢に自然の勢と人為の勢を区別し、人為の勢にお いて問題を立てるべし、と説く。慎子と客の論は、勢を自然の勢としているが、自然の勢 は人間の力でどうしようもない。賢者であっても自然の勢には従わざるを得ない。ここで 問題にすべきは、人為の勢であるが、人為の勢と賢者は矛盾の関係にある。勢はすべてを 従わせようとし、賢者は全ての束縛を離れて自由であろうとするので、両者は両立できな い。この世に堯舜のような賢者が現れるのはまれである。現実的には、中くらいの君主が 法を守り勢の座にいることによりよく治まるのである。賢者を待つよりは勢を用いること が重要である。客の論は、賢者か愚者かの両極端を取り上げて、現実には多数を占めるで あろう中間の領域を無視した議論である。現実に即し、現実の事物の能力や効能を効率よ く最大限発揮できるようにすること、それは「理」に即し、「術」を用いて可能になる。
以上のような議論について、「道理」があるか、ないかが問題にされる。これは今まで 見てきた用例の延長線上に、世の中の事理に即した「道理」を正しく捉えている議論か否 かが問われているとも言える。しかしさらに、議論に関わる「道理」は、論理的展開に筋 が通っていて、一貫性、整合性をもっていること、でもあるだろう。この議論の中に、有 名な矛盾の説話が説かれる。論理的に両立できない二つの概念(『韓非子』では「名」)は どちらかが排されなければならない。「道理」ある議論は、論理的に正しい議論である。 さらに、この箇所で自然と人為の区別をし、人為の場面で問題を展開する点は、自然も 人為も連続的に天地自然の道理に従うことが説かれた解老篇の「道理」とは異なり、現実 の人間の世界における「道理」になっている。「道理」は、人間の現実に則して、現実的 合理的方策をもって着実に成果ををあげるために必要とされる。しかもその現実主義は、 理想的な聖賢を措いて、現実の多数派である中くらいの人々によって担われるようになっ てきている。 6.終わりに ― 道法と道理 『韓非子』において豊かな内容をもって出現した「道理」という語は、韓非の法術思想 の母胎とも目される、道家と法家の折衷思想を説く解老篇・喩老篇において成立し、円熟 期の難勢篇において議論の道理となり、現実の人間の世界における道理となった。難勢篇 における「道理」は、その議論に道理があるかを問題とし、この道理の語の使い方は現在 に及ぶ。 本論では、老子の「道」の思想に基づく原初的な「道理」という語の成立を考察してき たが、この「道理」の原初の意味は、後世の「道理」の語の展開において豊かな源泉になっ ていると思われる。この「道理」の原初の意味をまとめておこう。 ①超越的な根源としての道に根ざした、この世界の物や事に見出される理。 ②この形ある世界の物にある規則性。その物をその物たらしめる、その物にそなわる筋 目、本分、本性としての自然。それに従うことにより、その物を最もよく実現する。また 権力・名声・富・健康等のこの世の幸福が得られ、禍害を避けることができる。 ③私を超えている。私の思い量り、知では捉えられない。私の精神的活動を虚・静にし て、天の聡明をもって明らかに得られる、天地自然の道理である。 ④人間が自己の人間としての本分を実現するための確かな知として得られる。人間は天 地の間にあって天からも地からも切り離されている有限な存在であり、その私を否定して 天地と一体になることが求められる。しかし、私を否定し、虚・静にすることは、本来与 えられている己の持ち分が顕わになり、自己の人間としての本分を実現することでもある。 独立の主体として立ち、現実に即した確かな知を道理として求めることになる。人間とし ての本分をつとめ、鬼神とは距離を置くことになる。 ⑤天地の道と一体になり、天の心である慈しみに生きることにより実現される。世界は
生命を生かし育む心を根源的に持っている。世界の一員としてその慈しみをもって生きる ことは、その物を生かし実現する。それは、その物をその物たらしめる道理を実現するこ とになる。 ⑥議論の筋が通っていること。議論は言語で表現されてあるが、『韓非子』において、 そもそも言語は万物が生じるとき同時に与えられる。道から万物が形をもって生じたとき、 同時にその物の「名」も自ずからに付与される。(15)「名」とは名称であり、また概念であり、 言語の分節として、「理」と重なる。この点については別に考察が必要である。 最後に、「道理」と似た語である「道法」について触れておこう。法家にとって「法」 という語は「理」にまさって重要な語であった。『黄帝四経』(馬王堆漢墓帛書老子乙本巻 前古佚書)第一篇「経法」の第一章は「道法」であり、冒頭に「道が法を生ず」とある。(16) 『黄帝四経』に「道法」という語自体は使われないが、『韓非子』では以下の用例がある。 大體篇に、古の治国の大要を完璧に身につけた人のあり方を述べて、天地自然に従い、 私の智を用いず、法により治める、とされる。万民の禍福は道法に従うか否かにより、君 主の愛悪によらない。法は道に因り、成理を守り、自然に因ることでもある(上 699 頁)。 ここでの「道法」は「道理」と言い換えても通用する。 また飾邪篇に、法は美醜を映す鏡、軽重を計る錘のような存在であり、それを揺るがす と正確に映し計ることができない。だから先王は道を以て常となし、法を以て本となすの である。智能は明らかによく見通すが、あれば行われ、なければ行われない。人に伝える ことができない。それに対し、「道法」は万全である(上 423 頁)、とある。ここでは道 が常なるもの、法が根本をなすものであり、「道法」は常なる根本になるものである。 また安危篇に、安国の法は、餓えて食べ、寒くなって衣るように、令せずして自然なる ものである。先王は理を竹帛に寄せ、その道が順であるので、後世は服している。もし自 然を廃したなら、道に順であっても立たない。法は為国の所以である(上 660 頁)、とある。 法は道に順い、理にかない、自然なるものでなければならない。竹簡や帛に記され成文法 として公布される。ここで問題になるのが、「自然を廃したなら、道に順であっても立た ない」の一文である。道に順であって自然を廃する、ということがあるのか。ここでは道 は根源的存在ではなく、「道法」あるいは「道理」の語で用いられる道であり、過つこと があるとされていると思われる。 さて、「道法」は「道理」と同一の意味で使われることがあったが、「法」と「理」を 比べたとき、「法」は君主の恣意的改変を受けることが現実には多かったと思われる。解 老篇に、大国を治めてしばしば法を変ずれば民これに苦しむ(上 473 頁)、とある。「法」 は本来「道法」として道に基礎づけられ、理にかない、自然であるべきものであったが、 そのような法の実現はまれであったと思われる。すなわち法は本来自然法であるべきで あったが、現実には人為的な実定法であった。このような状況の中で「道法」という語は 失効する。それに対し、「道理」は根源とつながった自然の筋目、秩序、本性として現在
に至っている。 さて仏教が中国に受容され、仏陀の悟ったこの世界の理法(ダルマ)は「法」と訳され、「仏 法」「諸法」等の語に用いられる。「理」も「道理」「理事無礙」等に、「道」も「成道」「得道」「道 心」等の術語となっている。仏教において「道」「理」「法」がどのような関係で関わり合 うのか、「道理」が意味するところは『韓非子』の原初的意味からどのように展開するのか、 それは別に考察したい。 注 (1) 拙論「鎌倉時代の「道理」について−慈円・道元・無住−」『日本学報』第 2 号、大阪大学文学部、 1983 年。 同「「 沙石集 」 における「道理」」佐藤・野崎編『日本倫理思想史研究』ぺりかん社、1983 年。 拙著『道元思想の展開』春秋社、2000 年、146-158 頁及び 282-304 頁。 (2) 池田知久「『韓非子』解老篇の「道理」について」『高知大学学術研究報告』第 18 巻人文科学第 6 号、 1969 年。 (3) 貝塚茂樹『韓非』人類の知的遺産 11、講談社、1982 年、123 頁以下及び 153 頁以下。 (4) 福田一也「『老子』と儒家思想」『中国研究集刊』呂号(第 31 号)、2002 年。 (5) 『韓非子』のテキストは、紙幅の関係で訳文のみを掲げる。原文は、小野沢精一著『韓非子上・下』 全釈漢文大系 20・21、集英社、1975・1978 年、を参照されたい。引用文の後に、(上 452 頁) のように小野沢本の頁数を示す。訳は拙訳である。訳出にあたり、小野沢氏の詳細な訳注、及び 金谷治訳注『韓非子』全 4 冊、岩波文庫、1994 年を参照した。 (6) 前掲小野沢氏の注参照、上 415 頁。 (7) 同 461 頁参照。 (8) 斎藤晌著『老子』全釈漢文大系 15、集英社、1976 年、144 頁。 (9) 小林信明著『列子』新釈漢文大系 22、明治書院、1967 年、19 頁。 (10) 尾崎雄二郎編『訓讀説文解字注金冊』東海大学出版会、1981 年、114 頁。 (11) 赤塚忠著『荘子上』全釈漢文大系 16、集英社、1974 年、138 頁。 (12) なおこの箇所の直前に「天の道に因りて、形の理に反る」とあることも参照。 (13) 金谷治訳注『韓非子第一冊』岩波文庫、1994 年、15 頁解説。 (14) 慎子(慎到)は、紀元前 4 世紀頃の稷下の学士の一人。その勢の思想が韓非に影響を与えた。 その著『慎子』の残篇に「道理」の語が出るのが、文献上の最古の用例である。『荘子』におい て「道理」の語は 1 箇所にのみ出るが、慎到に関わる部分である。『韓非子』のこの箇所とあわ せて、「道理」の語は慎到に既にあったと思われる。『孔叢子・慎子・ 冠子』四部備要影印本、 台湾中華書局、1965 年、慎子巻一、3 頁。井上了「現行本『慎子』の資料的問題について」『中 国研究集刊』冬号(第 24 号)、1999 年。赤塚忠著『荘子下』全釈漢文大系 17、集英社、1977 年、 734 頁参照。 (15) 主道篇に「虚静にして以て待ち、名をして自ら命ぜしめ、事をして自ら定めしむるなり」(上 94 頁)とある。また揚権篇(上 152 頁)参照。 (16) 澤田多喜男訳註『黄帝四経』知泉書館、2006 年、6 頁。