• 検索結果がありません。

トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察 : 「中世法思想および新トマス主義法理論に関する小研究」(16)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察 : 「中世法思想および新トマス主義法理論に関する小研究」(16)"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察 : 「中世法思 想および新トマス主義法理論に関する小研究」(16). Author(s). 高坂, 直之. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 19(2): 135-154. Issue Date. 1968-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4346. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第1 9巻. 第2号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 3年12月 昭和4. トマスの自然法 における変異性とその根拠に関する一考察 「中世法思想およ び新トマス主義法理論に関する小研究」. ↓ . 坂. 直. 16. 之. 北海道教育大学旭川分校法学・政治学教室. Naoyuki K68△KA : A Study on M [utabi l i ty and its Ground of Tho i t s 1 mi c NaturaI Law ”SI ILegaIThoughtand Neo‐Thomistic1urisprudence” IOI1 St udi es on Medieva. Ser i es 16 , 次. 目 1 序説 1 , 自然法の永遠の回帰 2 , 自明原理より特殊原理派生の必然性 □ トマスの自然法理論における三つの問題 点 1 , 自然法の第一原理の本質に関する問題 2 . 第一原理のみに局限する理論の是非 3 . 自然法の特殊原理変遷の問題 皿 第一原理と第二次規律とを区別する効果 と価値 N 第二次規律に内在する変異性とその根拠 1 , 自然法における変異性の存在理由. 2 . 実証的道徳確信の変遷と理性の発達に 伴う自然法の歴史的変異 3 . 社会の特殊事情に固有な複雑性に因る 自然法の変容 4 , 個別的事件の多元的解決を招来する自 然法原理の偶然性 5 , 積極的に表示された自然法原理の非義 務的性格に基づく変異性 6 . 社会の本質的機構の変革に応ずる自然 法の変移 V 結語. 1 . 自然法の永遠の回帰 いくたびも攻 撃され, 否認されてきた自然法理論でありながら, それはまた, いっとはなしに 新 し い 力 を 得 て 盛 り 返 し て く る. H. ロ ソメ ソ (Heinr i ch Rommen) 教授の 「自然法の永遠の回 帰」(Di e ewige Wiederkehr des Naturrechts) と い う 書 名 が, よ く こ れ を 表 現 す る と い っ てよ l d Ni い, こ と に R, ニ ー バ ー (Reinho ) は 「現代の社会的不安が, トマス主義自然法の再 ebuhr ) 生 を う な が し たの は, 不 思 議 で も 何 で も な い」 と 述 べ て い る ごと く1 , 自 然 法 は, こ ん に ち 再 び,. 一般に鋭い興味を引くようにな った, しかしその反面, それは, かつて論駁された以上の, むしろ徹底的反論をさえ受けていること も否定できない. 自然法を否認する急先鋒は, その起源を, アリストテ レスに発する法実証主義 におくのが常識であろう, 現代においては, それが実存主義によ って, 大巾に補われ ていること も周知のとおりである. かれらは, まず 「自然権」 の意義について, いまなお妥当な解答が得ら れないのは, 自然法の諸見解が 「自然権」 を満足させ得なかっ たからであるとして, 自然法その 一135-.

(3) . 高. 坂. 直. 之. づいたそれさえ ) ものを信じようと しない2 . また文明国における慣行の実際は, 英智と経験に基 l inc ion’ ina t ) と 同 一 で はあ り え な い と し て, 法 と し て の 自 然 法 を 否 認 す 本 性的 傾き ( zの““ “e - ) こ の よ う な 熊 度 は正 し く な い と 思 う が, い ず れ に せよ, こ れ は 現 代 の 法 ・ 政 治 思 る 者 も い る3 。. 想に, たえずくり返される最も困難な問題の一つである, 戦後, とくにわが国においては, 法・政治に関するあらゆるものの再考が要求され, また各種 の術語も, 以前とは違っ た意味が与えられてきた. 法・政治思想家のなかで, これまで認められ た術語すべ てを打ち消す 者がいるのも, このためである, かれらは, 伝統的な術語の維持を 「か れ らを 通 し て」 (pers ) のみ認められると考えている. たとえ ば 「客観的」 という術語は, かれ e らの表象 的写実主義によれば, もはや, それに付与される客観主義的意味を有しない. そこであ る法哲学者は, どのように確実な法 学的知識でも, そのなかに客観性は見い出しえないと宣言す る, しかし, もしそうならば, いかなる形の対話も, たとえ, かれらと同じ思想傾向の人との対 話でも, これを不 可能にしてしまうと 思う, しかも, かれらは結局のところ, 反対者の利益のた めに行動する破目に陥らざるをえない. なぜなら, あらゆる知識に客観性はないと主張すること によ って, かれら自 身が相対主 義者というよりは, むしろ主観主義者としての路印を押されるか らである. それに, かれらは確認された知識に関して 「客観的」 なることばを全く受けつけない 結果, かれら自らが, 無防備状態におかれるからでもある. したがっ て自然法は, もはや擁護さ れないという理由を, この法・政治哲学知識に対する客観 性否定者の多数に求 め, 自然法そのも のを絶対的に否認しよ うとする ことはナンセンスである. かれらの徹底的な自然法否認は, 法秩 序における正 当化された根拠の研究も, またその批判的規準をも, これをす べて無視するという ) 極端な法実証主 義の非難を, 充分に聞かねば ならない4 . と もあれ自然法に対する 果てしない反撃がなけれ ば, 自然法の永遠の回帰はありえない. この 反撃は 「本質的に善または悪とされる行動」 の概念と 「実際行動の判断に見られる統 一 性 の 欠 如」 との懸隔という, 痛い間隙を衝いてくる. たとえば堕胎の正邪については, 本来, 決定済み であるとしながら, な ぜわれわれは, このような重 要問題について, いまだ完全に意 見が一致し ないのか. 現代の人類学も, 自然法に関する問題 は, 古来, 人によ って意見を異に してきたと論 証して, 自然法の存在を否認する傾向を示している, しかし, 古代やルネ ッサ ンスの人びとより も, 一部の人類学者の方が 「見なれない慣習」 について 批判的であり, 懐疑的であるといわれて ) と も あれ ペ ル シア と ギ リ シア と の 文 化 的 差 異 が 大 き か っ た 「事 実」 の み を も っ て, そ の い る5 .. 当時における自然法の不存在を証拠だてようとするかれらに は, 少なくとも賛成はできない. およ そ自然法に対する反論は, 自然法理論の歴史と同じ古さをもっ ている. まず前記アリスト テ レスに端を発 し, 中世以来, 唯名論者とその一派によ って反対されてきたことはいうまでもな い. 法哲学上の反自然法論は, しばらく措くと しても, 近世初期において, 自然法的普遍性を誇 る べき人権規定のなかに, なお反自然法的傾向が, きわめて顕著にみられるの は注目に値する. たとえ ば, アメリカ合衆国憲法は, 奴隷制を控え目な弁解 的用語で, これを是認したことは周知 であろう. またその数年後, フラ ンスの革命政府が, 人間平等の原則を, プール ジョワ ジーの有 力なグルー プに対 して安価な労働の供給源であっ た西イ ンドの黒人には, 適用 しないと宣言 した ことも明 らかな事実である. し か し こ れ らの 矛 盾 は,. 現 代 に お い て は, ほ と ん ど払 拭 さ れ たと い っ てよ い. 今 世 紀 に 入 っ て. から急速に, 良識の集積がブ レン ドされ, 漠然ながら独特の意味をもつ 「社会正 義」 の抽出に成 功したからである. 現在まで, この 「社会正 義」 の各分野における熱心な討議は, あるてい ど, 36- -1.

(4) . トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察. その具体的制度 化 (福祉, 厚生事業 な ど) に役立ってきた. われわれはそこに 自然法理論の今 , 後の発展における, 興味ある予想が立てられるよ うに思う. 予想は, 自然法を更によ く理解する こと によ っ て, 得 ら れ る の で は な い。 そ れ は, 現 在 G過去においては ともかく) 確実で 誤り , , ないといわれる実定法則のもとに, 自然法が, その日的を達しうる諸条件を満たすことによ っ て 得られるのである. つまり, 普通 「社会正義」 と呼ばれる事象が 自然法に関する解説として認 , められることである. それは絶えず, われわれの前方にあるといえよう それに近 づくには ま , , ことに弾力性のある巧妙な協約 (話し合い) によるほかはないと信じる6 ) .. 2 , 自明原理より特殊原理派生の必然性 自然法に関連する規範の限界については, 古くから見解が分かれてきた 伝統的学派 (PEcol e . i t i t r ad ) は, 自然法の名に, その普遍性, 不易性な どの特性, またそれらに固有な確実性 onnene のゆ え に, 一般的で必然的な 「第一原理」( ima principia-principes premier なる名 称を当 pr て は め て い る. か れ ら は, こ れ を 「第二 次 規 律」 (secunda praecepta-prをceptes seconds) す な ,. わち 「第一原理に極く接近した特殊な取 りきめ」( l i conc us ons particuligres toutes proches des incipes) と 判 然 と 差 別 を 設 け, premiers pr. 後 者 に つ い て は, こ れ に 自 然 法 の名 を 冠 す る こ と を ) そ の 後 解 釈も進 展 を 見 せ 自 潔 しと し な い. と こ ろ が J ダバ D J ソ (, abin) も い うよ う に7 . , , ,. 然法なるものは第一原理を かりでなく, それから合理的な究明によ って引き出された, 多少でも これに接近している諸規律をも, これを自然法として取扱う ことが必要となってきた, 以上の こ とから, 少なくとも歴史的には, ( ユ )自然の諸傾向 の厳格にして直接の 「所与」(donne ) に限定す る, 自然法の 「最低限論者」(mi ima l i t 2 1自然の 「所与」 から派生して, 理性の n s ) 的概念と, { e 固有な作出である諸規律にまで拡張しよ うとする 「最高限論者」(max l ima i t s e) 的概念とが 生じ た, ただし 「第一原理」 「第二次規律」 や 「それらに多少接近したもろもろの取りきめ」 が 相次 いで起こる地帯に, 明確な境界線を引いて ニつに区分することは, まことに至難の業 であろう , l 厳格な概念 ( z γ鷲お) は, 自然法の内容を漠然とした, 一般的なものにする虞 a conception s れがあるばか りでなく, それは役に立たない言語表現そのものであるという異論を生ぜしめる . ion β 一方, 拡張的概念 ( l concept a, i t 6 or .磯β“”堀) は, 自 然 法 の 価 値, そ の 絶 対 的 権 威 (aut lue) に 対 し, 情 況に 応 じ て, abso. 単に相対的真理. i impl l (ver t 6s ive) の み が 与 え ら れ ementre at. る, と 解 す る 危 険な しと しな い, こ の よ う に, い ず れ も 欠 点 は免 か れな い けれ ども, ダバ ソは 目 下 の 趨 勢 を, ジ ェ ニ ー (F. Geny) や カ ピ タ ン (H.Capi tant ) を 論 拠 と し て 「最 低 限」(minimum ) に 向 っ て い る と い う の は, どう で あ ろ う か, か れ は, さ ら に 「人 び と は, 実 定 規 範 の も つ 正 当 egi l imeva t i な変化 ( t i al r a on ) を考慮しないことに気を使う一方, 道徳的ないし社 会的科学の 領 ’ 1 ior i 域に お け る, 論 理 的 先 天 説 ( i apr smel ) -極論すれば, 実験室での実験以外のもの- og que ) を信 じよ う と しな い」 と い っ て い る8 .. しかしこれは, おそらく1 930年代, あるいは4 0年代前半の法実証主義隆盛期において, 自然法 をできるだけ局限しようとした, 当時の一般的法思想傾向を, 巧みに表明したものではなかろう か, 戦後いち早く, ドイツ に発した第二回目の自然法再生運動が, これまで, わが国における実 定法の定立, 解釈に, どれほど奏効したかを思うべ きである, 現在に至 っ ては, 自然法の第一原 理はもとよ り, 自明原理から, さらに個別化された第二次規律に関する科学的究 明が, ますます 戯烈に要請されるようになっ たといっても過言ではない, 註 i dd 1) Franc / ・ i i sB i l IHolmes e es z “汐γg “e Co z ’ ‘“, Theol ver Wende ‘知ZZQW, 昭司 云 ,乃凋落β 嵐o肋郷, 那”友. -137-.

(5) . 高. 坂. 直. 之. l l 1 )ev i an t s e Lec ure .29~30 , Jew York ,1961, pp , ハ4aCmi , ,1960. l l /f t Univ s as thodi s s s 2) A. L, Harding (ed) ,:Pre , Da , , , Southern Me , 人同郷テメ Lのり のzd 人Z猶z″〆 鷲宮2 ′}38 1955 .37 , pp ,. i l i , Rt l i e t s sement s Rmi ′ emeedi ab on gd” Drα Deuxi 8 G勿ゑγ” 3)Jean Dabin, rた勿γ′ ,revueetcorrgde Bruy l l l es ant .264 , pp , Bruxe ,1953 ,. burgh t t ′of ハな加メメ LQW, Dequense Uni s j v 4 z o , “e ′めめどJ ’ ) W, A. Lui pen . . . Pres ,1967, pp , Pa , Pi , Pんe 110 .. ‘上のジー-A P用/ o soP彰〆s 尺8万g所伽s zo f 亙嚇“γα 5) Yves R,Simon, でんg rγαd滋o7 ,bv Vukan Kuic, ,ed Fordha ] Univ 1 1 ,5 . Press , pp , New York . ,1965 6 る履,PP 6 6)ず 1 . , in j f 7) J .250~251 . , Dab ,PP , 物.c , 1 l. i ) の自然法に関する今世紀の研究家た nas 十 三世 紀 の碩 学 トマ ス ・ ア ク ィ ナ ス (Thomas Aqu ちのなかで, かなり意見を異にしている問 題が三つある, (i) 最初は第一 原理の性質, 種類と数の問題である。 あらゆる研究者は, 少なくとも自然法 が, ある 一般的な原理から構成されている ことに, 同意しないわけはない, しかし自然法という 先験的図 式のなかで, 第一原理といわれる原則が, どれほ ど存在するのか, その原則の精密な性 格 は 何 か, あ る い は そ の 態 様,. 機 能 は どう か, と い う こ と に な る と, か れ ら の 立 場 は 明 ら か で な. し、.. i) 第二の問題は, 第一の検討過程において, 当然行きあたるものである. すなわち, これ (i ら一般原理の 性質に関する研究から, われわれは 当然この原理のみが, 自然法の全体を構成する のかどうか, の問題に到達せ ざるをえない, ここで, かなりはっ きりした二つの方向に分類づけ i tant) ), ル ・ フ られ る. ま ず あ る 学 者, た と え ば カ ピ タ ン (H.Cap .Janssens , ジ ャ ソサ ソ (Ed in) は, ) や カ トライ ソ (V, Cathre ュ ー ル (L , Le Fur. 自 然 法 は 一 般 的 性 質 を も つ, い く つ か の. 原則に限られるという, リ ジッ ドな見解を表明した. 一方, 多くの学者は (細い点で相違はある が) 自然法は, もっ と特別に公式化された原則をも包含 してよいという, 拡張され た見地に立っ た と え ば ジ ェ ニ ー (F. Geny) は 「自 然 法 は, 極 く 一 般 的 な 原 則 と, 各 場 合 に ) ロタ ソ (0. よ り, 違 っ た 態 様 で 解 釈 し な け れ ば な ら な い 原 則 か ら 成 っ て い る」 と 述 べ て いる1 . l が そ れ で あ る. i R i t どの 者 の 立 場 M t i ジ 学 ヴ J in), マ リ タ ソ ( ( な Lot や ) t J a ) リ o v e r n a . ョ ェ . て い た の で ある,. i i i ( ) 第三の, そして最後の問題は, 自然法の変異性に関する課題である. ジェニーをはじめ 前記の学者は, 自然法の第二次規律自身が, その変異的フ ォームを認容していると示唆した. し かし果た してそうなら, その変異性の理由を分析 し, 詮議する必要 があり, またその変異が, ど ) んな態様で見い出されるかを, 吟味しなければならない2 . 以 上 の 諸問 題 に 関 し,. トマ ス ・ ア ク ィ ナ ス の 自 然 法 理 諭 を 検 討 す る こ と に よ っ て, 次 の推 論 が. 可能となろう. 1 ) 自然法の第一原理の本質に関する問題 ( われわれは, 自然法のある一般的な諸原理 (すなわち第一原理) の必然的存在を否 定 で き な い. それは自明の原理であり, それゆえ, あらゆる 人間に理解されうるものである. トマスのこ i lones per se notae quoad se et quoad nos(そ t の,自 明 な 原 理 の 性 質 を 考 察 す る ば あ い, propos. の性質からばかりでなく, あらゆる人にと っても自明な諸原理, というのは, その命題の表現が i iones per senotae quoads t 一 般 に よ く 理 解 で き る か ら) と, propos e(性質から推して自明であ 38- -1.

(6) . トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察. ) っても, 一般には理解されにくい諸原理) との間の, 重要な差異に留意しなければならない3 . この相違が, 自明な自然法原理について, 二つのグループに分割する可能性を生ぜしめるからで ある。 と も あ れ トマ ス の 「善 は 行 う べ く 悪 は 避 く べ し」 (bonu n est prosequendum, malum l , 4 ) は す べ て の 人に知 られ て いる 標 準 的な原 理 で ある ta vi l ldum. ) , 。 たと え あ らゆ る 自 然 法 原 理 が. 自明の諸原理からの帰結 か (たとえば 『十誠』 の戒律のよ うに) または それからもっとかけ離 , , れた原理か らの帰結であ るうと, それらの諸原理の なかでトマスのこの原理は 特に重要視され , る べ き 地 位に あ り, 単 に 第 一 原 理 の 一 つ で あ る と い う だ け で は 足 り な い マ リ タ ソ(J Mar i tain) , , は, い み じ く も 当 原 理 を, 自 然 法 の 「序 言」 (preamb ) l e) で あ る と 述 べ て い る5 . ト マ ス の ”natural i 6 ) なる観念を考察すれば i l i si t na nc o”. , この命題以タトに, 自明な原理を樹立 する ことが可能となる, たとえを スイ ス の ネ オ ・ トミ ス トで あ る カ トライ ン (Viktor Cathre in) は, そ の 書 “丑沈 溺, 朋の“〆焔c郷 ““〆 POS Z彩りB S 尺αんだ のなかで 「神と同胞とあなた自身の関. 係にお いて, 理性的存在としてのあなたに適する法原理は これを遵守しなければならない」 7 )と , 述べている, かれは, この点について付随的な参照文をつけていないので それが トマス理論の , 解釈か, ある いは個人的見解かは明らかでないが, いずれにせよ この理性に適応する一般原理 , は, 一個の原理に止まらず, 数個の一般原理が集合したものとみるべきである というの は カ , , トライ ソのこの考えを, もっと精確に述 べるなら 「人はいつも理性に従って行動すべきである」 「人はいつも神の命令 (良心) に服従すべきである」 「 人はいつも他人の権利を尊重すべきであ る」 と分割して表現できるからである, そして この三つを自然法の第一原理とすることに わ , , れわれは反対しな い. しかし, かれにとっ て重要なことは 自然法を単に一般原理 (それが一つ , であろうと, 多数のものであるうと) からのみ構成されると考えたことであろう . 1 第一原理のみに局限する是非 2 ( 次にトマスは自然法を, しばしば かれが第一原理と呼んだ一般的 自明的原理に限定する こと , なく, もっと特殊な原理をも, これに包含させ たことが知られている8 ) . かれは, これらの原理 を自然法の第二次規律 ( s e cunda praecepta) と し て 示 し た し か し, か れ の こ の 術 語 の用 法 に .. ある矛盾がみ られるのは, かれの初期の作品である. ,. “ Co′ 7 27 7 2B〃”″” メタ ⑦ Q”のzのγ 乙幼γo 2‐ s s87. ’ のな かで 類 似 は してい る が 違 彰”””“”“ ル郷gZ ‐〆〆’ ZγZ Lの7霧α7 sかZ PB , っ た二 つ の 解説 を し て. いることによる. すなわ ち第二次規律は, 第一原理から派生する (あたかも判断が 純理性的思 , 慮から生ずると同 じように) という一方, ある場所では これを 一定の行動に固有な目的の包摂 , 関係に基づい て表現される, と述べていることである とくに後者の解釈には 法哲学上難点が , , あるばかりでなく, 誤解の可能 性もあることを指摘したい それはロタ ソの著書にも表 われてい , ) るように9 , 第二次規律は, 厳密な意味では全く原理ではなく, 服従してもよ ければ, また服従 す る 必 要 も ない, 単 な る 「人間 通 有 性 の 勧 告」(recommendat i on of nature) に 過 ぎ な い と い う,. 誤まっ た考えを伝える懸念があるからである 。 自然法を 明確に系統立て て説いたトマスの著作には その絶対的拘束を標梯しなか たものは , っ ‘Cの7 ない, 後 者 の 解 説 が, た だ 前 記 ‘ 2 7 7粥川”’ ”… ” の なか に の み見 ら れ る 限 り, 第 二 次 規 律 は ト. マスにとっ て, 限定された重要性しか認められ ないことになろう それ以外の著作において か , , れが用い た自然法解説は, すべて第二次規律の認識可能性の考えに基 づくものであ たとい て っ っ よい. われわれは, あらゆる 人が知りうる自 明の第一原理を有する反面 ある体様において第一 , 原 理 か ら 派生 し た,. も っ と 特 殊 な 帰 結 (conc lus i i ones ex hi s der vat ae) た る 法 則 が あ る べ き は. ずで, トマスはこれを強調したに過ぎない. ただ問題はその派生の体様と範囲の決定 である , -13 9-.

(7) . 高. 坂. 直. 之. まず最初にわれわれは,,トマスが述べた二つの派生過程, すなわち demonstratio と determi- l io のそれについて考えねばならない 後者の検討 が, 人定法 ( ex humana) の 内 容 決 定 に つ nat . o ) いて, 価値があるのはいうまでもないがl , 第二次規律の討議には, むしろ前者の検討に価値を 見い出す, 「姦淫するなかれ」 というような独特の原則は, 第一原理 「性関係は, ある規整され io) に よ る 当 然 の 結 果 のよ う に 見 え る. 第 t t ra た形 式 を 要 す」 か ら の 指 示, な い し 派 生 (demons. 二次規律を決定する際に伴なう 「派生」 の体様を確認するには, 第一原理からの距離の程 度, す なわち第二次規律が, 自然法の範囲内に止まる限度において, 第一原理から外しうる距離, ある io) を 決 定 す る こ と が 必 要 と な っ て く る, と こ ろ が 「派 生」 の 動 き と t い は そ の 境 界 (de erminat. 「境界」 の設定との間にトマスは, はっきり線を引いたにもかかわ らず, 第一原理と第二次規律 についての解答は, まだ充分とはいえない, iva との相違に 当然気付くは ex posit ま た こ の問 題 を 考 え る 過 程 に お い て, l ex humana と 1 , ずであるが, 単なる観念的な区分立てのみでは, この問 題解決の鍵にな らない. たとえ ば, 特殊 iva に属 しない性格のものであっても, ではそれが ex posit な命令が尭せ られたばあい, それ が l l ex humana の原則であるか, または自然法の第二次規律そのものであるか どうかを決定せよと い わ れ る と, か な り 迷 わ せ る も の が あ る か らで ある,. この困難 性に つい ての少なく と も一部 の理. 1 c onc 由は, トマス が第二次規律を, しばしば, 自然法の 「第一原理と密接に関連する」 帰結 ( gメZ i S) で あ る と 主 張 し て, 境 界 線 を 暖 昧 に し て い る こと に よ s ones pγo〆〃qz鄭s P“ガ“S P””c. 属する諸原則の内容か 1 ) る1 , したがって, 両者の隔離した性質について の結論は, 第二次規律に 解決できない問題である 自然法の内容からは ら割り出す ことはできない. つまり , . dera i i i t t o) a cons 一 方かれは第二次規律を, かれの表現を用 いれば, 「少なか らぬ考慮」(mu 2 ) によ って知 られる, いわば第 一原理からは別種のものと述べている1 . 自然法原理拡張の限界を 界決定である 決定する際に経験する難関は, 第二次規律に所属する法則の限 . これは トマス が第 i t s o 94 e 二次規律という言葉で示 した概念に対して一つの答えを要求することである. かれは qua その他でよ く述べているように, それが第一原理か ら極く緊密に結論された原則を意味するとい 〔a cosideratio が必要であるとしても, それは理性によ って真理を感得し う の か, あ るい は mui. うるあ らゆる原則にまで拡張されるというのか. それが問題で, かれには第二次規律に 入るべき derat l i io に 基 づ く も の で ta cons i iderat io lod ca cons 原 則 は, 理 性 (そ れ が 単 な る n , ま た は mu. あるうと) によ ってその真実が把握されうる, あ らゆる原則にまで拡張されるということの方が 実証面から示唆的のように思われるけれ ども, 必ずしも明らかではない. このよ うに第二次規律の広がりに, 精密な限界を設ける ことが至難であるにもかかわらず, ト マス の自然法にとっ て, 第一原理と第二次規律との分別は, きわめて重要な意味をもつ. なぜな Z“’” … “ のなかに見られる用 語の違いは別として, 理性の散漫な作 8 7 2 7 27 7 z ら, ト マ ス の 前 記 “ Coi . 用によ るのでなく, 人間性の 本質的傾向を認識することによ って感得される第一原理と, もっと 特殊な性質を有し, 独特の環境に照 して考察された第一原理のガイ ダ ンスを通して認識される第 二次規律, この両者間に存在す る基本的な相違について, トマスはとくに自然法と人定法の関連 を説く場 合, 全くこれを無視できなかっ たからである. 圏. 自然法の特殊原理変遷の問題. 最後に, 自然法が不変の一般原理と, 変異しうる特殊原 理, とから成るという問題を検討した I Cr i n) は, 自然法の変遷性の問題につい て, 二つの興味ある点を指 い. ク ロ ー ニ ン (Mi chae on 摘した, すなわち, ある意味において自然法は, 明らかに不変である. な ぜなら人間の自然的欲 40- -1.

(8) . トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察. 求は古来, 不変であるとせられ, それが自然法の根拠をなすからである, しかし, そういっ た不 変の第一自然法原理を適用するばあい, それは時空的に必ずしも不変ではいられない, つまり自 3 ) 然法の内容は, 環境にしたがっ て決定されるべきものとする1 . 換言すれば, 社会的環境に影響 づけられた, ある世論的傾向の出現は, 人間行動の道徳性を充分, 変更しうるということになろ う. 残 念 な が らク ロ ー ニ ソは, そ れ 以 上 に 論 を 進 め な か っ た。 l l フ ラ ンス の 有 名 な トミ ス ト で あ る セ ル テ ィ ヤ ソ ジ ュ (A. D.Ser i t ) は, 自 然 法 の 取 扱 う anges. 範囲を 「理性によ っ て, 人間性に従うとみられるあらゆる行為」 としている, それは一般原理で あるうと, 特殊原理であるうと, すべて自然理性によ って知りうる法則全部を包含するという, かれは, トマスの第二次規律の変異性を強調して, いわゆる物質上の諸条件によ っては, ある行 為の道徳的性格までも変えられるといい, かつて正しいとされた行為でさえ, 時の推移がこれを 否定することもあると説く. そしてその変異性の度合いは, 第一原理からの距離に比例するとい ) 4 うが1 , 問題は, とくに, そのときどきの事情を掛酌する以外, 善悪の判定ができない場合に 起 こりうる, たとえば生物を殺害する行為は, それが不正の性質のものでない限り, 本質的に悪と は言いえないし, また殺人は本質的に悪ではあるが, それが正当防衛や緊急避難のため止むをえ ないものであれば, 自然法に反しない, これらの行為と, 本質的に悪である偽証や姦淫とを比較 するならば明らかであろう。 ところが, ある学者は, 変異性のある法則を非本質的種類のものとなし, その原因は, ただ法 則の不精密な公式化にあるという. したがっ て, いっ たん細心の注意をもって再公式化されると もはや変異 生の問題は生 じないと反対している. 自然法を一般的不変原則と, 特殊的不変原則と か ら成 る と 主 張 す る 一 派 が そ れ で, フ ッ ク ス (1 .Fuchs) や ル ナ ー ル (G,Renard) が そ の 代 表 と こ れ に は 大 い に 異 論 も ある が, い ま は 触 れ な い こ と に す る.. い っ て よ い,. 一 方, 著 名 な トミス トの な か で 自 然 法 を ば, 積 極 的 に 規 定 づ け ら れ た原 理 (pr きceptespos i fs) i t き 1 5 ) 極 な れ ( t d f と, 消 的 そ is t ) とに区別する学者も少なくない 消極的に規定された prcepesn ga. . 原理について, かれらの理論は簡単である. たとえば, 「人を殺すなかれ」 とか 「冒涜するなか れ」 な どは例外を許さず, いついかなる場所でも, これを避けねばならない, ところが積極的に規定された原理には, 例外が許されるという, その理由の一つは, 積極的原 理の 「目的」 に関するもので, 一般的にいえ ば, この目的は正しく且つ必要であるが, それは道. 徳的には関係が薄く, そのために事情によ っては, 悪となることも考えられるからである, たと えば死の危険にある隣人を救う べきであるという積極的原理を考えるに, その救助が自己の危険 においてのみ可能ならば, その原理は, 従う必要のない単なる勧告ていどのものとみてよい, そ れゆえ厳密な義務は, これを回避することが, 消極的原理の違反を意味するときにおいてのみ, 課 せ ら れ る こ と に な る,. 積極的原理に必ず しも従う義務がない, もう一つの理由は, すべての人間行動に含まれる 「目 的」 概念を調査すれば, おのずから明らかにされる. 消極的原理に対 して無条件に服従し, 人間 の自然目的から逸脱 しないことは絶対に必要である が, 積極的に自然目的へ向うことは, 必ずし も必要としないからである. これが 「勧告」 と 「規律」 との違いという, 自然法上の重要問題を われわれの前に呈示 してくれる. いずれにせよ, これが批判は章を改めなければならない, おもうに, 道徳的命令を維持するに必要な行為は, すべて自然法と一致するはずである. また 命令という点からみれば, 原理のなかで容易に把握されるものと, そうでないものとがあっ てよ い, しか し一般的, 自明な原理であるうと, それから派生する, もっと特殊な(把握しにくい)原 4 1- -1.

(9) . 高. 坂. 之. 直. 理であろうと, そういっ た峻別は本質的に重要な問題ではない.より肝心なことは,これら二つの 原 理 の 間 に は, 必 然 的 な 連 繋 が あ る と い う こ と で あ る, ま た トマ ス の “Sz og〆 ’ c〆’ 7 2 7 7 2α rルeoZ ‘. の論説から推 して, これを三つの原理に分別する ことも可能である. すなわち (i) 第一原理, i i i i) 第一原理に必然的に関連する帰結, ( (i ) 前者から派生する間接的な帰結, の 三段階であ 6 ) ロ タ ソは, こ の ほ か に 「第 一 原 理 か ら 推 論 で き る 極 く 緊 密な (propinquus) 帰 結」 を も 入 る1 ,. 7 ) れる べ きだというが1 , それは 「帰結」 というより, む しろ 「直接推理」 と呼ぶほうが妥当であ ろう. 原理というからには, やはり実質的に conclusionis で あ ら ね ば な る ま い. inr i 最 後 に 現 代 の 偉 大 な トミ ス ト, ロ ソメ ソ (He ch Rommen) は, ま ず 自 然 法 の 内 容 に, た だ. 一つの自明な原理 すなわち 「正 しきことは為すべ く 不正は避く べ し」 と 「各人に かれ自身 , , , 8 ) 最高度にあやかる 自明な最初の根元的な原理に してかれは そ の ものを与えょ」 を主張した1 , . 諸帰結, たとえ ば 「なん じ殺すなかれ」 とか 「なん じ姦淫するなかれ」 な どは, 直接理性に感応 する第二次規律である としている. おそらくロソメ ソは 『十誠』 の示す諸原理の自明性を立証す る必要など全く認めず, む しろそれらを当りまえのことと思 っていたらしい. かれは正 しい演輝 i addatur iquid e r hoc quod al 法が, 自然法の付加的原理を生むというトマスの見解 (…pe .- S““ t 2 .94 .5) か ら, 自 然 法 の 範 囲を, 第 一 原 理 か ら演 輝 で き る あ ら . rたのも la 口ae ,ar , qu. ) 9 ゆる原理を包含するまで拡張しようとする1 , 一 また変異性について, かれは第 原理から派生する諸原理には, 前者ほ どの普遍性がなく, そ の効力の大小も, 第一原理からの距離に反比例するという. たとえば借用物の返還, 法の保護す る私有財産の尊重な どについては, そのいずれにも絶対的義務を認めず, またその効力について も事情により段階を設けている. トマスの精神を活かしたもの という べ きであろう. ×. ×. ×. X. X. 以上, 三つのテーマが, 現代における新トマス的自然法論争の 主なる傾向を示す, それもアウ トライ ンである が, 問題はまだ解決されていない, まず第一に, 一般的自明の原理の性格と数の 問題である, われわれは, ひとまずカトライ ソの論説から敷桁して, 三つの自明原理を 立ててみ た, しかし, まだほかにトマス学者が発表している, いろいろな権威的原理を考慮しても, 絶対 自明の原理なるものは, 正確にはまだ未解決のまま取り残されているというのが現状である. 第二のテーマには, 自然法を自明の原理と, 同 じく不変の特殊原理から成ると主張する理論の 効力に関する問題 がある. この場 合にも学者は 第一原理と第二次規律とに分けるが, 両者の関係 は どうなのか. 第 一原理か ら第二次規 律への可能な距離を, 自然法の枠内で, どこまで確信をも っていえるか. またこの区別立てに哲学的効力があるか, よ しんばあるとしても, 実用 という点 から, どんな価値があるのか, な ど究明の道は遠い. 第三は変異性の問題である. つまり, いかなる種類の変異性が自然法に含まれてよいのか, わ れわれは少なくとも, 近代 トマス法学者が書いた資料からは, 一つの明確な解答を抽出すること が で き な い,. こ れ ら 三 つ の 課 題 の う ち, 第 一, 第二 は 他 日 に 譲 り, こ こ で は トマ ス ・ ア ク ィ ナ ス. の第二次規 律を仔細に考察し, その変異性の根拠につ いて, あるてい どの結論を得たいというの が, われわれの念願である, 註. i b l i es i l i i t t remement gengraux etsuscept ementen pr nc ce xt s e seu pes dejus 1)” 錠 droit Naturelcons “ ’ Z ′望解 g郷 Dγの歩 Pだりゑ i ′ ini i f G i 6 1 z のz c e 鑑 re Z 7 de var se sement sin s G6ny t き td ac s s comP . ---Franco , SG i s Po就け,t .173 ,11 , pp , Par ,1924 , i inus t Z Z ZLのり reαc / Z ’想, Mar zr 2) R, A, Arms t フメ se c o zdqわ’Pだcゆご si 7 2 0 7 7臨海 配り”げα rong ’mry q ’ , Pれぅ. -142-.

(10) . トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察 Ni jho賃, The 日ague ,181~182 ,1966, PP , る溺, 5 3) ぼ 3 P P , . , ぎm, la l inas ・ t ・ 4) Thomas Aqu la r “””” T彰αog e z ‘ .2;「要するに自然法は, 善の追及と悪の ,94 ,a ,S ,qu. 回避を取扱うもので, そこには変異性の問題な ど生じない. ある場合において悪なる行為は, あらゆる場 d ,S Z E放た s er ” 脳ゐd 夕 z Wo“d 合に 悪 であ る.」 ○. Mes s一対α卿γ〆 乙の伊南 “′ sner .し)ui , ,B, Her er , Sodα. l w en 弄 A 負,Tyro l i l f Dα ば a-ver ag s M鰯““e c rt 1952 rans yo , ,lnnsbruc{ i ,2 .61 .by F. F. Dohe . u, ,PP .(t 1950) . 1粥 兄奮 励so l i bneゞs Sons i e i s scr ta 5)Jacques Mar f 脳勿”” n,7 ’〆 亙郷好餌 LαW, Char , ,1951 , New York ! N”Z ′ Z 『 超 乙o i son 〆 g g z ‘ s C, Anson of 上郷 Pro鳶s dgr猛りmmeβ rans pp , La Mai .by Dor ,62~63(t i Franタa se . , N. Y.1942). Ct hol i iv c Un i kamp たα ! ぞo I Kr l o ’ 7断た /”“spr そばe i z c g so f r/ z ’ z f 夕 z申請の2 6) Kar e , , The a , rんB M郷αがりs ′ )56 s of Am, Pres ashington, D, C,1939 .55 ,PP . , 帆r. l i burgin Bres Z Z / f Z au s掘り耀 尺e c Z z ‘ γ〆β効かz ‘ ”〆 Po 7) Viktor Cathrein, Rec ? ,132~133 , ,s , 1909 , Fre , 対α ど i れ,PP t t c ed by R, A. Arms rong ,c ,4 ,o力 . 1 l Zzde edge & ヒ Lewi s s t q 8) s oム ーa =ae z #“ .1 ,5; Bwar , Rout ,94 ,vo , ar . rルe , Med迄ジメ P〆”にα ,qu d 5 Kegan pau l L 5 4 2 3 ′ }5 1 9 o n o n P P , , , . , l i”””〃g″8 ′認 des angesJoseph i e デ”脱 ”α! o t o粥α s 〆Aq z fm,co”c 9) 0,lot z n ,T/ ,M6 , 乙α tを霧げ d郷 fo““” ! A f 1 R A d t 9 b i B r m n C t Mar6cha l l l 3 6 s r o o 力 g e 9 c P P ロ r u X e e s y . , , . . . , . , , , , ,PP 1 i 1 10) K, Kre くamp り pp 148 , , ゅ, αず t Z 11).&‘ ② “ .5 ,94 , ar , r彪o , , ,qu , la 亘ae る ノメリ qu t 12) ず .1 .・00, ar , l i l ′ )611 i n 13) M. Cron G Bo g sαの2 f 日云為にs n, r煮 z .609 ,1, Dub , PP ,1909 , ,vo ’Aq”! d, Par i s ′ i l l z 0“ 2 sd 7 t oγα 多 de s貌”ご T‘ 2 ” o s りが舵 ル蛮 14) A, D.ser s ange ,104~105 , ,PP , neufき . , 上α P霧/ だ d b R A 1 6 A i t t 112 m s o n c o e r r 力 C g P P y . . , . , , , . , i ろ紙, ′ i ted by〆 ivet a de P廟Z l s 15) R,丁 s oのみ彰 o o ,18~19 .119 , PP ,c ,PP . ,1962 , Par , 瓜, ル街メメ8 , rγばZ t 16) 読解z ,5. , ar . rルのん la 豆ae ,qu,94 i i t t 17) ○.Lot n . .c ,op Z r ル O S OP左y 18) 日. Rommen 〆〆 上α印, A 鋸ど婚y 粥 Leg可 のzd soメメ 左方sfoか のzd p力ノ , B. Herder , , B 対餌” ig: Z f i w! 液 Z d 八 脳 云 H f P d T R ′ l ”“B G s t b B γ e s ? 2 2 0 ( London 4 w e e e Z e BB z g pz rans ,Le , y , , na y o , ,19 7, pp Ver l ag Jakob Hegner ,1936). 18)〆鋭4,PP ,224. m. トマスは第二次規 律を論ずる場 合, 首尾一貫しているとはい い難い, ときにより多少の ニュア ンス を も た せ て い る,. し た が っ て, トマ ス の 第 一 原 理 と 第 二 次 規 律 の 相 違 に つ い て, ロタ ソそ の. 他のトマス的自然法学者が, それぞれ違っ た受け取り方をしているのは, やむをえないところで あろう, ロタ ソは 「トマスが第二次規律を, あるときは第一原理と同じ拘束力をもつものとしな がら, ほかでは厳格な義務性の ない規範, いわば理性による勧奨てい どに説いている」 と述べ, 「このような用語の相違があっても, なおかつ, この術語 (第二次規律) を押し進め る こ とが必. 要, あるいは有用であろうか」. l n6cessaire, ou meme utile, de conserver cette formule ‐i st. 1 )と さ え い っ て い る, ロ タ ン ば か りで な く, オ ー ヴ i dact l dans renseignement d ique des きco es?) , B6gin) も か れ に 続 い て い る が, わ れ ェ ル ベ ッ ク (P , M, Van overbeke) も ペ ー ジ ャ ソ (R, F. われはかれらに同意できない。 というのは, かれらが第二次規律を必ずしも義務的でないとする ことは, 厳密な神学上の問題と, 哲学上の問題とを混同した結果, 生 じたものと思われる からで ある, トマスは, もちろん両者の終局における一致を考えたであろう, だが, かれは第二次規律 がこの二つの問題に関する場 合, 各規律の現実の体様と派生範囲に差異を設けて, 捉の幅を広げ その弾力性と即応性を心がけたというに過ぎない, 第一原理と第二次 規律の差別設定は, 人間が これまで見逃してきたある 「責任」 を痛感させる -14 3{.

(11) . 高. 坂. 直. 之. という意味で重要な価値がある. なぜなら, この差別の適用は, 道徳的な諸行動における責任の 軽重問題に, 解決の光を投 じるか らである, 道徳原理のなかには, 人びとが比較的容易に, その 真実性を感知できる ものがあると認識する 「能力」 が, この両者区分立ての根本規準をなすとい ってよい. 健全な理性をもつ 人な らば当然知っ ている原理 (第一原理) もあれを, その真理性を 把握するのに, いろんな程度の理性的考慮を必要とするもの (第二次規律) もあろう, 自然法に 属する規律のあるものを知 らない人は, 自分の行動の責任問題を深く再考しなければ ならない, 無知の状態が甚だしく, またその数が多ければ, それだけ行動の自発性 (自由) を失う可能性が 強くなるからである, ともあれ第一原理, 第二次規律区別の実益は, 一般には, おそらく知られ ないような道徳的規律をわれわれに顕示してくれること, これである, まず自然法の第一原理に対する絶対的無知ということは, 幼児や精神異常者を除いて, 全くあ りえないことである, それらの原理は基 本的なもので, 広い証明を要せず, 言葉が理解されると 同時に, その真理性が把握されるものでなければならない. これと異なり第二次規律の なかに, 人 び との 知 ら な い も の が あ り う る の は,. 次 の 二 つ の 理 由 に よ る.. まず第二次規律のうち, その真理性を理解し難いもの があるのは, 人間行動が偶発的性質を帯 びている事実に因るといえよう. 自由を伴侶とし, 人間の向 う終局目的への手段として用いられ る事物には, 特殊な偶発性があって, それが, 人間行動の無限の変化的性質によくマッ チしてい る. そこで自然法の第二次規律のあるものは容易に理解される が, なかには変化する社会事象に ) 影響されて, かなり理解し難いもの がある2 . これについてトマスは, 「負債は返還すべ きであ ) る」 という原則をその 一例として挙げなが ら3 , 事情のいかんに拘わらず, 負債を返済 しないの は常に悪いと断定することは, 早計であると示唆するのを忘れなかっ た. 自然法からの推論的原 理は, 数多くの事件に適用 されるのが普通であると しても, 特殊な場合や事情によ っては, もは や適用でき ないような原理もあることを, トマスはいつも指摘 している. このような特殊事情の 介入こそが, 人びとに第二次規律のあるものを知らしめない原因になるとい ってよい, また第二の理由と して, 民族特有の習俗や生活態 度な どが, 第二次規律のあるものを隠蔽して しまうことがある, トマスが第二次規律に対する無知の原因となる諸要素を列挙し, その主なる ものとして, まず下劣な習俗の存在をは じめ, 伝統, 習慣, 教育の影響などを挙げているのは, ) 正 に こ れで ある4 .. 第一原理に対する無知の可能性もないわけではないから, まして第一原理からの直接推断によ る第二次規律とい っ ても, これを知らない少数の人がいて, なんら不思議はない, ただ 「第一原 lus io) ま で の 距 離 が 大 き けれ ば 大 き い ほ ど, そ の 推 断 に よ っ て 得 た第 理」 と, その 「推断」 onc 二次規律の真理 性に対して, 無知な人が多くなろう, これが第二次規律への無知, ひいては責任 感低下の原因となる. トマスはこれをリアルに表現して, 「事柄によ っては, すべての人に, 慎 重な行動が要求 されるのではなく, ただ賢人のみが, その任に堪えるように求められることもあ る, 物事を判断するには, こういっ た事情をよく考察 しなければ ならない. あたかも, す べ ての 人に, 科学に関する特殊な推断を求めることは不可能で, ひとり学問に通暁している者のみが, )」 と い っ て い る 「私 通」 (fomicat i よ く これ を 為 し う る の と 同 じで あ る5 o) と い う 本 質 的 な 悪 と .. f l d i i i t 「虚偽の陳述」( c a s en a) という, 第一原理から多少の距離を感ずる悪とが, そのよい例で あろう, 裁判官は, 無罪であると思 っても, 事実上, 審理によ って有罪と証せられた被告に対しては, 裁判官は有罪の宣告する (法律上ばかりでなく) 道徳上の義務があるとトマスが述べているのに -144-.

(12) . トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察 ) 対 して, 同 時 代 の ポ ナ ヴ ェ ソ ト ゥ ー ラ (Bonaventura) は 反 対 の 主 張 を して い る6 ,. こ れ は, こ. の二大碩学のいずれかが間違っ ているというのでなく, 問題そのものの不分明 (第一原理からの かなりの距離) からくる考え方の相違にほかならない, つまり第一原理から推定さ れる第二次規律は, 前者との距離が開けば開くほど, 道徳的に暖味 の可能性が増大する. この違いを綿 密に分析することで, 少なくとも, ある人が有罪と宣告され るかどうかの規準, またあるてい ど, 責任を軽減できる根拠の存否を決める規準が, 用意できる ことだけは確実と思う. 要するに両者の区分立てによって, 人間行動のあり方とその責任の分野 に, かなりの実益と価値を生ずることは, もはや疑いないところである, 註 i lna t i t 1) ○,Lo z g ; ァ i zねZ n .183;P, M, Van overbeke , pp , 上α 上〆 顛覆〃鑑定 , Tour ,1954 , ル名塀α超 Fo醐寸口 i i 4 4 R T h N 6 0c r ル 1 5 ′ } 7 5 t 7 9 Zs /のz s t 7 9 ed by R・ A. s e 孝彦 Dγメオ ハ岩のぞけβ e u e om の “ ” v p p e e 2 $ . , , , ば po Arms sだかe 工餌り ngton n t r ong Z 〉 ) , ,138~139; R. F.B6gi ,1959 .c銃,P【 , VVashi , α”〃〆 上のり のz ,O PP .85, 2) R, A. Arms t rong . .140~141. ,oゑ.G# ,pp t ÷彪リム la 虹ae 3) S雄鶏 ,4 .7 .94 , ar ,qu . t t る扇, t 4) ず ,4 ,5;qu ,94 .58 , ar ,77 ,2;qu , ar , ar , ,qu t ろ ′ゐ qu t 5)ず ,6 ,94 .1;qu .10 , ar , ar . i on る彫 塑タ ZLのり tke 6) S cgo z oγのz f 豹β 所感‘ γ r S瀞る凄む o f 廃り“にぎ α ,73; , PP ,1959 , Washngと ,Be , rルB PO i i lkamP 1 3 6 K, Kr t e O c . . . ,PP , P . . これから明らかに しようとする問題は, 自然法のいかなる原理が変異するのか, ということで はない. われわれの意図は, む しろ変異性そのものの究明に意義があるのか, あるとすれを 変異 ・求することにある, する理由は何か, の問題を追 1 ) (. 自然法における変異性の存在理由. 一般に道徳的信念なるものが, 国により, また時代によ って変るという単なる事実は, 必ずし も自然法の諸原理に変異性があることを証明する根拠にはならない, 実際上, 自然法の諸原理に 帰す べき変化の多く の中には, いわゆる 「変異性」 の例証とみれないものがある. 自然法に変異性がある第一の理由としては, まず感情の影響を挙げることが できよう, それは 人間の理性を完全に支配する可能性があるからで, トマスは 「人間は一般的原理を自然に理解す づ よ て 悪 を して は い け な い と悟る … … し か し 特 殊 るよう 、に, 正 しく 位 置 け られ て い る, そ れ に っ. ) 」 とい っている. 理性を なばあいは, 前述の一般原則が, 感情によ って破壊されることがある1 抑制する感情の影響は, 確かに各社会の道徳的規律を変化させる大きな要素をなしてきた, 自然法が変異する第二の理由は, 人間理性の発達である, 人間は限りなく向上するから, 資質 の完成を目指して, かれらは行動に関する知識をますます深めてゆく. トマスは,このことを「第 ) 」 二次規律は, 自然に継承されるのでなく, 経験や教育によって発見, 獲得されるものである2 と端的に表現してい る。 いかにも 人間は経験, 観察や教育の結果, 自己について究明すればする ほ ど, 行動の善悪判断が容易になるが, それは, あくまで人性に対する理解の変化, 発達に負う t ) も, 神と自然法は, 原罪の後に人類を擁護するため, 国家組 ところが多い. ポウ スト (C .Pos 織のうちに新しい天性の発展を許した, と述べている。 つまり人間の理性的発達が, 自然法原理 の変化と相関関係をもつのである, 変異性存在の第三の理由は, 人間の行動には極端に複雑な種類があることから引き出される. こつい 大衆に伍して生活せざるをえない現実の環境では, ある行為が自然法に適合する, しない} -145-.

(13) . 高. 坂. 直. 之. て, はっ きり判断できるとは限らない. ある自発的行為の性格が余りにも複雑である ため, 事情 を知悉しない善意の二 人が, その行為の道 徳性に関して, 互いに全く違っ た結論に到達すること も容易に想像される, 第四の理由として, クローニ ソのいうように 「自然法の基礎原理は不変だが, その適用は, 違 ) 」 ことを挙げたい, ときに自然法に適合してい っ た環境の存在に応じ, 立場によ っ て変化するヲ るように見える行為も, それを為しては不都合な こともあろうし, 反対に, 自然法に全く当ては まらないと見える行為でも, 為す べ きものがあるはずである, およそ複雑な人間社会の行為は, 環境を考慮し なければ, その善悪の断定はなしえない. ロ ソメ ソも, ある環境の存在が, 自然法 ) 原理の普遍性を減殺しうることを主張して, 二つの例を挙げている4 . 一 つは 「借用物は, 常に 返還す べ し」 という原理に該当す る事例であり, 他の一つは 「盗むなかれ」 に当るそれである. かれは, それらに適合する行為に絶対普遍の義務性を認めていない. なぜなら, このような一般 的道徳行為が強いられることのない環境の存在は, 容易に考えられるからである. たとえばロン メ ソは, 理性を失っ た債権者が, 危険な方法で債務履行を求めるに至っ た場合, これに応ずるこ と は, か え っ て 自 然 法 に 反 す る と い っ て い る. あ ら ゆ る 環 境 の な か で, 全 く 同 じ二 つ の 行 為 は,. 実際上ありえない. いつも多少の違いがある, 問題は 「環境の変化」 が, 自然法の変異性に どれ ほ ど力を示すかである. 変 異 性 の 第 五 の 理 由 は, ジ ョ リ ヴ ェ (Regi l i t sJ ) が示している, かれは消極的に公式表示 o ve. された自然法原理 (たとえば 「冒涜するなかれ」 とか 「姦淫するなかれ」 な ど) は, す べ ての場 ) 合に適合するけれ ども, 他方, 積極的に表示された原理は, 例外を許容するという5 . これに関 して, かれは三つの理由を述べている, (i) 消極的原理は悪行を禁ずるもので, 悪を断つこと は常に必要であるが, 積極的原理は徳行を奨励するものであるから, その行為の完遂は必ずしも 必要としない. それゆえ, われわれは常に消極的原理に留意しなければならないというのが, 第 一の理由である, (i i) 次に, 消極的原理の遵守によ って 人は自然目的から逸脱す るのを防ぎ, 積極的原理の執行は人を自然目的の方向へ進ませるもので, 前者は絶対必要であるが, 後者は必 ずしもそうでないことを理由とする。 しかるに現代の法・政治学者は, 後者の限界を決定する困 難性が比較的大きいのをよいことに, これを前者ほ ど研究の対象にしていないのは, 遺憾とする i i i ほかない, ( ) 社会機構に固有する変化によ って自然法原理 が変異する ことを, かれは第三, l t nature l そして最後の理由としている, ジョリ ヴェ は 「自然法の柔軟性」( ) a plasticite du droi という字句を用いて, 社会における固有な変化に適合できる自然法の適応性の存在を示唆した.. ところで, トマスは, 自然法の変異に対す る人間性の影響について, 重要なヒ ントを与えてい l ises t る, それは, か れがその著書の少なくと も数個所で natura humana lnutabi , と述 べてい ることである. すなわち人間性は, ある意味で変化に従わねばならぬ. とすれば, 人間性に基礎 をおく自然法原理が変化するのは当然であろう. ここにおいて, 人間性の変化が招来する自然法 変異の限度が問題になる. 2 ) 実証的道徳確信の変遷と理性の発達に伴う自然 法の歴史的変 異 { 「興奮状態の者は, 感情が思考を妨げる限り, 一般に知 っ ている事柄でも, 特定のばあいに考 ) ように, 感情の累積を主因とする慣習的偏見は, 理性の客観性 え損う」 とトマスが 述 べている6 を汚すものである。 トマスは更に, これを自然法の第二次規律に対する人びとの不一致に関連さ せて, 次のように説いた. すなわち理性は, 感情, 邪悪な慣習や気質によ っ て曲げられる場合も ) あるから, 「第一原理から推論される細かい事項に関 して, われわれの知識は誤ることがある7 」 46- -1.

(14) . トマスの自然法における変異性とその根拠に関する一考察. また 「自然法の普遍原理からの推論と思われる他の道徳原理に関しても, かなり多くの人びとは その理性判断を誤り, 邪悪な事柄を合法的と判定して弾らない」 といっ ている8 ) . ヒ トラーとそ ” の 一 派 が 抱 い て い た人 種, こ と に ュ デ ァ 人 に 対 す る 偏 見 は “&彰メ タ 2 比の7物ヂ を見るまでもなく ,. その好例といえるであろう. ともあれ, 感情によ って到達 した推論は たとえそれが ある種族 , , 全体の支持を得たものであっても, その変異性は, われわれがここでいう純粋な意味の変異 性で はない. 真の知的争いに基因する道徳的確信 の相違こそ, 第二次規律に変異性を招くものという べき である ,. 各人種や民族は, 違っ た進度で発展 して行くから, あらゆる国の人びとが同時に, ある自然法 原理の真理性を把握 できるとは限らない, 人によっ ては, 自然法の特殊な推論を認識するのに , 他人より も, はるかに大きな素質をも っている者がいる9 ) これは何も個人だけの問題でなく , , 集団や大きな社会の間でも, 当てはまる ことである , これまで人類の社会生活に福利とな っ た多 くの事項が, 自然法の上に, 緩慢ながら着 実に付加されてきた したがって まず付加によ っ て , . (uno modo l iquid ei adda tu ) 自然法は変化する, としなければならないl o ) , per hoc quod a , 問題は, 自然法の上に付加されるものは一体 何かである d l i i ある意味 ) を では 神法 ( v n a ex , , 考え ることができるけれども, 人定法 ( h l ex umana) に も ま た, 自 然 法 に 付 加 しう る も の が な い わけではない, しかし, そのいずれも, つまりは理性の発達に起因す るものという べく 見方を , 変えるなら 「第一原理か ら離れた推論」 そのものである , こうい っ た 「推論」 に関する理解度は, 個人により, 社会的地位によっても違うであろう 自 , 然法原理の 精確な知識は 「善をなし, 悪を避けよ」 という原理を除けば 徐々に そして多少の , , 困難を経て獲得されてゆくものである, たとえば一夫 一婦主義のような原理は 人類の歴史上 , , 知られるのがむしろ運きに失した例である, このような事例は枚挙にいとまがなく 結局 歴史 , , が終るまで, 自然法の特殊原理の精確な見解と, その社会的要求に関するわれわれの知識は 増 , 1 ) 大 し続 ける に 違 い な い1 .. さらに注目すべき ことは, 教育の必要に関する認識の拡大が, 理性の発達 ひいては自然法の , 変異性に関連する事実である, 道徳的良心の発達に ついても やはり同じことがいえると思う , , 二, 三の実例を挙げるならば, まず捕虜取扱い に対する態度の変遷である 初期の時代において . は, 捕虜はすべて処刑するように主張されていたが, 現在では, かれらも実際上あるてい どの基 本権を保有するという考え方に変っ てきた さらに産業革命の時代に 適法とされていた児童労 , , 働は, 現在では, もちろん自然法違反とい われている また一般労務者に対しても, 貧困の鞭な , しには労働効果の実現不可能といわれた十九世紀の考え方は, 当時としては合自然法的であ った にせよ, 現在において, その観念が誤りであることは賛言を要 しない 労使 の相互関係は徹底的 , に変り, 使用 者の権威は, もはや人間感情に対して妥協せずに, 冷酷に, あるいは これを無視し て作用 する ことができなくな っ た. これらは, もっぱら 「社会機構の変革による結果」 に過ぎな いと理解するのは偏狭に過 ぎよう, むしろ, われわれの 「人間性に関する認識の変遷と知識の発 達」 によ っ て, 自然法原理のあるものが変異した結果とみる べきである,. 圏 社会の特殊事情に固有な複雑性に因る自然法の変容 道徳的事情は, その種類によ って複雑さが違う, 殺人罪や偽証罪のように, ある程度の客観性 をも っ ている罪と, 単なる虚偽 の陳述とを比較するならば, 自ら氷解されることである 少なく . とも後者においては, 場合によ って, 全く違っ た答えが得られるかも知れない. 問題は, 複雑な 行為の善悪判断について相違が起こる可能性は, 自然法の変異性の例証となるか どうかの疑点で -147-.

(15) . 高. 坂. 直. 之. ある, およそ, こうい っ た複雑な行為に, 自然法が適用 される場合には, 当然違 っ た解釈の余地 がなければならぬ. それが、 自然法の変異性を必然 的に構成するとい っ てよい, ロ ソメ ソはこれ 事物 2 ) に近い意見を述べ1 , 複雑な社会事情のもとでは, 最も高潔 で円満な道徳家のな かでさえ, の自然的秩序が要求するものについ て, あるいは自然法 が厳禁するものな どについて, 必ずしも 意見が一致するとは限らないとい っている, しかしかれは, このような 不一致が, 自然法の変異 性の根本的例証であるか, どうかを明らかに していない. トマ ス は,. こ の 特 殊 な 場 合 を 論 じ て は い な い が, も し こ の よ う な 問 題 に 遭 遇 し た と し て も, お. そらくかれの答えは消極的であ ったと思われる, な ぜなら, かれの自然法理論を通じて明らかな ことは, 論争がいかに複雑でも, また異な った解釈が正 しいものとして, いかに多く呈示されて も, 正確な解決なるものは, 常に 一 つだけ存在するという ことである, それは人間をその目的へ 導く正 しい行動で, その完遂は善の実現に繋がり, 明白な事情の変異に 対する理性の真塾な一適 用 であるといえよう. ある事情が複 雑であるのは, その事情に 含まれている諸要素を, われわ れ が不適当に把握しているからでもある, 複雑な事情の各要素が適宜分析され, 明確に 理解された ときに, そ れに基 づく行動も, は っきり納得せられ このようにして, いかなる行 動が最も自然 法に即応するかが決定される, たとえば大気圏内で, 原子力兵器を実験する ことの善 悪について 問われたなら, トマスは多分次のように答えたに違いない, すなわち 「実験という行動に含まれ たあらゆる要素を検討 した後に, 最終的決定を しなければならぬ, かかる要素を明確に理解する ためには, かなりの科学的証拠を収集する必要がある, それでもなお問題 が複雑で, 一定の線に 到達できないかも知 れない」 「おそらく, その時に入手でき そうもない証拠も要求されよう, そ のデータがない限り, いかなる決定もなされないことも充分考えら れる. かくして, 大気圏内に お ける実験の功罪に関しては, 原則定立の過程 が長引くのは止むをえない ことである」 「しかし 実験の発議行為が自然法に合致するか どうかの問題に関して, あらゆる 検討がなされた結果, 得 が 3 ) られる答えは一つである」 とトマスはいうに 相違ない1 , 自然法が理性の法である限り, それ してみれ 一 つの行為を同時に人間性に合致し, そ して反すると判断するわけがない からである, ば, 抽出された一道徳的地位のみが, 当該行為と人間性との関 係について, 真理を述べるといわ ざるをえない. もとより, ある事態に固有な複雑性の存在は 認める, そうい っ た煩 雑な事態が起 これる , それに対する意見の不一致が生ずることも自然である, しかしこの不合意は, われわれ が人間性の認識において, ,いまだに発展段階に あるという事実に関連 づけるべきで, その事実を 第二次規律の変異性と直接おきかえるのは, どうであろうか. 総 個別的事件の多元 的解決を招来する自然法原理の 偶然性 ここでは, 社会の性質に固有な変化の観念には直接関係せずに, むしろ自然法原理のなかに存 在するらしく見える変異性の様 式を主なテーマとする. 前にも触れたとおり冒涜, 偽証, 姦通な どは例外なく悪であるが, この普遍性を 「殺害否認」 や 「負債の返還 義務」 の原理にも許容する ことはできない, (正当防衛, 緊急避難. あるいは返還物につき債権者による不正使用 が明確に 看取さ れる場合, 返還によ って実証法的免責は得られても, 自然法的免責は得られないな ど) そ のため二つ以上 の原理間に衝突 がおきる可能性は充分あるわけで, 問題は, 上述 の二種類の原理 における本質的な相違を明 らかにするにある, すなわち, 普遍性を許容できないような 例外原理 の存在は, ある自然法原理の公式表示された方法に不適当なものがある ためか, または, ある自 然法原理に固有な変異性に基 づくも のか, を決定しなければな らない, ’ の Pr ima Secundae において, 自然法が, 果たしてす べて cα’ フ zα rゑ卿 めざす トマ ス は ”S卿”タ 一148一.

参照

関連したドキュメント

NPO 法人の理事は、法律上は、それぞれ単独で法人を代表する権限を有することが原則とされていますの で、法人が定款において代表権を制限していない場合には、理事全員が組合等登記令第

世の中のすべての親の一番の願いは、子 どもが健やかに成長することだと思いま

そのような発話を整合的に理解し、受け入れようとするなら、そこに何ら

 (4)以上の如き現状に鑑み,これらの関係 を明らかにする目的を以て,私は雌雄において

このように資本主義経済における競争の作用を二つに分けたうえで, 『資本

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

の知的財産権について、本書により、明示、黙示、禁反言、またはその他によるかを問わず、いかな るライセンスも付与されないものとします。Samsung は、当該製品に関する