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『露風の「赤蜻蛉」をめぐって』 (講演)

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Academic year: 2021

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講演『謬霞風のr赤蛤虫令」をめ<中って』

前教科教育学全会長長谷川孝士

1 先日(ノ2月17日)、数人の学生と一緒に「童謡の里」竜野を訪ね、「霞城館」 で三木露風の童謡集『貴珠島』(復刻版、平成元年4日刊)を求めてきた。 . 霜風の「赤蛸輪」の歌詞を確かめたくて、大正10年12日に出た霜風のこの第 一童謡集(アルス干fl)の復刻版を、前からほしく思っていたのである。 ここに、その歌詞を引用する。 竿と赤夕 宅漂え音 . 三・・*: け よの 絶お嫁十 え里::fi I-亨三.*-‡ t:J-や '豊は

(124-126ページ)

」._一一_ _ __ ‥__ ____ I_I_".一_ ___ ‥ー_._ 享き芸=I. ::II かん wa は ぢ語奈品 のれと、 琴重森盤 のは I】1】 ■■l 岩波文庫『日本童謡集』(与田準一編、1957年12日発行)のものは『樫の実』 (大正10年8月)によるとされているが、ルビも含めてかなづかいを現代かな づかいにし、促音の表記を(とま2て-とまコ,て)改めている以外、表記は上 の『貞珠島』のものとまったく同じである(74ページ) この歌詞の異同については、一昨年の秋に朝日新聞の「天声人語」か取り上 げた。 ▼三木馬風の「赤蛸虫翁」に「山の畑の/桑の実を」というくだりがある。

中,;蝣'! ,蝦・サ;‡こ・)>&,出、多い。 たかOiご! 川蝣^iiO)i]本音琳tfciI蹄iltlA 監修、金園社)を見ると「山の畑に」となっている。 どちらが正しいだろ う。 大正川年の最初の発表を調べればよいが、資料が見つからぬ。 (平成元年10日22日) ∼週間後の「天声人語」は、近代文学館の高橋敬氏、元奈良教育大学教授の 家森長治郎氏などからの資料や教示を紹介している。 それによると、初出誌

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-2-『樫の実』(大正10年8月号)では「山の畑の」であり、さらに歌い出しが 「夕焼、小煩の、/由旦望、」で、「負ほれて見たのは、/星埋る主査」と織

き、第二連の「小龍に摘んだは、 /いつの日

塑」となっているという。 そして、

「赤とんぼ」の譜は最後の連でやっと出てくると指摘されている。 それから四か目後に発行された『貴珠島. 月では、前記のとおり現行の歌詞の とおりに推赦されているのである0 「天声人語」では、家森氏の研究に触れ、 「負ほれて」は十五で嫁に行った「姐や」の背であることを考証されたことが 紹介されている。 そして別に、「母」の背とする説もあることを述べて、次の ように文章を結んでいる。 ▼だれに背負われたにせよ. 母を慕い、故郷を恋うこの歌には、なつかし さと寂しさがこもっている。 親友山田耕搾の曲。 人々の心にしみ入り歌わ れてきた。 さきごろの愛唱歌投票では「日本のうたふるさとのうた」の 第1位である。 (平成元年10日29日) 龍野の「赤蛸輪」の文学碑の前に若い学生諸君と立って、刻まれた宵風の字 を見なから、流れるなつかしいメロディーを聴いているとき、さらさらと雪が 舞いつづけた。 私たちはそれを払わないで、しばらくそこにたたずんでいた。 2 上の「天声人語」と同じ年の12月に、「夕やけ小やけの赤とんぼ-『おわれ て』見たのは-生徒120人の9割、歌詞の意味誤解-『負う』を『追う』と解 釈」という見出しの記事が「神戸新聞」に載った。 (平成元年12月26日) ある中学校の音楽担当の教諭が、「テストで『赤とんぼ』の一番の情景を絵 で表現させる問題を出したところ、9割以上の生徒が赤とんぼを追いかけてい る絵を描いた。 "背中に負われて"トンボを見ている正解の絵を描いたのは 120人中わずか5人だった」というのである。 「授業で教えたにもかかわらず、極端に正解が少なかったため同教諭が生徒 に問いただしたところ、大半が『教科書にトンボを追いかけている絵があっ たから』と誤解の原因を明らかにした。 その音楽教科書では、「とくにスペースを割いて詩を書き出し」、「言葉と 音楽の深いつながりを味わおう」というr注釈」がつけられているという。 -31

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それからおよそ-か目後、平成2年1月29日の「神戸新聞」の「あ・ん」の 欄に、r赤とんぼ」の題で、端集委員の署名のある随想が載せられた。 教科書 の挿絵が「3人の少年が網を持ってトンボを追いかけている絵柄」で、生徒た ちには「この絵のイメージが根強く残り、ついついトンボを追ってしまったら しい。正解は無論、背中におんぶされて、トンボを見ているという絵柄でなけ ればならない。 」と述べ、次のように書かれている。 「霜風は7歳の時に母と生別した。 この母を恋い慕う気持ちはよほどのも のであったらしい。 母親の肩ごLに赤とんぼを見、母親とともにクワの実 をつんだというおぼろで、切ないまでの追憶。 この名作の"シン"とでも 言うべき字句をまちがって解釈されたのでは、この詩の生命は断たれてし まう。」 挿絵について指摘された教科書出版社が「挿絵は曲全体の雰囲気を表現する もの。時代の変化に合わせて、現代的なイメージに変える場合もあり得る」と 回答したのに対して、「これはどうかと思える。 一貫して象徴詩の立場を持し、 宗教詩なども書いた霜風にとって、この『赤とんぼ』は自然の感情を素直に歌 い上げた生涯の名作。 このあたりの事情を深く踏まえずに、『負う』を『追う』 と誤解させてしまうような絵柄に仕立てるのは間嶺があろう」と、挿絵に教育 的配慮が欠けていたことを批判しているのである。 このような指摘に触れると、国語教育者のH氏がかつて取り上げられた「赤 とんぼ」の歌詞を思い出す。 九州のある県の「00市教育委員会」の名で「み んなで歌をうたおう」と呼びかけて印刷した紙に、次のように書かれていたと

けの赤とんぼ

追われてみたのはいつの日か 里墨の連立豊の桑の実を こかごにつんだはまぼろしか 十五でねえやは嫁にゆき お里の便りもたえはてた 夕やけこやけの赤とんぼ とまっているよさをの先 (「教育春秋」1959年12月号) 下線は便宜上、私がつけたもので ある。道は負の、rさ畳」はrさ皐」 の誤りであり、「里星の基立と」は 「やまのはたけ」であり、しかも由・ 埠を漢字にすれば、わざわざ分かち書 きにしなくても読みやすい、というの がH氏の指摘である。 「00市教育委 員会」の印刷物としては、あまりにも 非教育的であり、非文化的であると言 わざるを得ないであろう。

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-4-3 国語教育にたすさわる者として、この詩を教材として学習指導するとなれば、 まず教材研究の第一歩として本文の検討が求められる。 この点について一兎の 「天声人語」に触発されて投稿した次の文章などが参考になる。 (「二行の歌 詞に/苦心した霜風」の見出しで、「東京都金子鉄朗(66歳)」氏。 平成元 年11日14日の朝日新聞) 「(前略)ここで取りあげていなかった歌詞の推こうにも、次のような例 があるので-聾する。 東京都三鷹の駅前にある歌碑は、三節目が「姐(ね え)やは十五で嫁に行き」となっている。 その他の歌碑(三木音風の生誕 地兵庫県竜野市にある自筆の碑、都下西多摩霊園にある『十五で姐や』) とは出だしが逆。 歌詞の異なる碑が、それぞれゆかりの地に建立されてい ることになる。」 三鷹市牟礼の板橋氏保管の原本をもとに彫字した自筆のレリーフを見ながら、 「再風が一節わずか二行の歌詞を飽くことなく練りに練っていたことに思いを 馳(は)せる」と書いておられる。 倉滞栄吉氏は、「夕やけ小やけ」の碑が全回に15碁もあることを指摘し、 「このポピュラーな童謡を単元化しようとする人」のことを紹介しておられる0 (「わたしの単元学習」再玄会「国語教室」211号所収1988年12日)

《 「初等教育資料」 1991年5月号(No. 562)より転載》

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