Title
会社の権利能力と目的外行為
Author(s)
坂井, 隆一
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 2(1): 94-116
Issue Date
1962-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10709
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目 次 一 、 序 二 、 判 説 初l
三 、 学 説 四、比較法的考察 五、学説の検討、自説の立場 六、設立中の会社・清算中の会社の権利能力 七 、 結 論一
、
序
説 会社は法人であるから、一般的権利能力を有する ζ とはいうまでもないが、特別的権利能力につきどのような制限があるか ( 註 ご が問題である。その制限として、法令による制限及び性質による制限がある ζ とについては異論はないが、そのほかに目的に よる制限がみとめられるか否かについては学説がわかれている。わが国の判例及び通説は、会社の権利能力は、その定款に定 められた目的、すなわち会社の目的たる事業によって制限せられ、定款に定められた目的の範囲外の行為が会社の名においてζ れに対して、少数説は会社の権利能力は定款所定の目 的によって制限されないとの立場をとつでいる。判例及び多数説は株主保護の見地に立ち民法第四三条の会社への適用乃至類 推適用を認めるのに反し、少数説は取引安全保護の見地から民法鴛四三条の会社への適用乃至類推適用を否定する。 乙のように学説・判例が理論的に鋭く対立しているので、その立論の根拠について再検討するわけであるが、まず判例の変 な さ れ て も 、 その行為は会社について効力を生じないと解している。 遷をたどり、・あわせて学説上の論点を紹介し、更に外国法の立場奇考察し、然る後に学説上の論点について再検討を加えて行 きたいと思う。 次に、設立中の会社・清算中の会社の権利能力についても論じてみるとととする。 なお、会社の権利能力と行為能カとの関係に就いては、法人の本質に関する困難な問題であるが此の点は後日研究を重ねて ( 健 二 ) いきたいと恩っている。 註 { 一 ) 註 公 一 ) 法令による制限とは商法第主主条・有限会社法第四条の他、会社の株式保有を制限する独占禁止法第一
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条 、 第 一 一 条 ( 伊 沢 教 授 、 註 解 新 会 社 法 王 頁 大 森 教 授 会 社 法 講 義 一 四 頁 ) や 特 定 の 事 業 を 営 む 会 社 が 他 の 事 業 を 兼 ね る と と を 禁 止 す る 銀 行 法 第 五 条 、 保 険 業 法 第 五 条 、 貯 蓄 銀 行 法 第 三 条 、 相 互 銀 行 法 第 七 条 等 を あ げ る も の も あ る ︿ 問 中 誠 二 教 授 、 新 会 社 法 論 上 六O
頁 、 大 森 教 授 、 会 社 法 講 義 一 四 頁 } 性 質 に よ る 制 限 と し て は 、 会 社 は 自 然 人 と 異 り 肉 体 を 有 し な い か ち 、 性 ・ 年 令 ・ 生 命 ・ 身 体 ・ 親 族 関 係 の よ う な 自 然 人 の 自 然 人 た る 性 質 を 前 提 と す る 権 利 義 務 を 有 し な い ・ し か し 、 そ の 他 の 権 利 は 、 単 に 各 種 の 財 産 権 の み に 限 ら ず 、 名 誉 権 や 商 号 機 の ご と き 人 格 権 な い し 人 格 権 的 性 質 を 帯 び る 権 利 、 代 理 権 、 社 員 権 、 他 の 会 社 の 機 関 た る 能 力 、 遺 贈 を 受 け る 権 利 な ど を も 享 有 す る と と が で き る @ 色 っ と も 会 社 が 他 の 会 社 の 機 関 た る と と を う る か 否 か は 学 説 が 分 れ て い る が 、 会 社 は 発 起 人 、 有 限 責 任 社 員 ま た は 株 主 に な り う る が 、 支 国 人 ま た は 取 締 役 員 等 は 十 分 な 活 動 を 必 要 と し 、 肉 体 の 帯 在 を 前 提 と す る た め 、 佐 賀 上 自 然 人 た る ζ と を 要 す る と 解 す る の が 適 説 で あ る @ 内 総 合 一 判 例 研 究 叢 書 ( 商 法2
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大 関 健 一 郎 教 授 ﹁ 会 社 の 権 利 能 力 の 範 国 ﹂ 三 頁 ) と れ は 法 人 制 度 乃 至 私 法 一 般 の 本 質 に 触 れ る 困 難 な 問 題 で あ る @ 川 島 教 授 は 法 人 の 行 為 能 力 の 否 認 ( 民 法 刊 二 六 七 頁 ) 上 柳 教 授 は 法 人 の 行 為 能 力 と い う 理 論 構 成 を 認 め る の に 疑 問 を も た れ る ・ ﹁ 会 社 の 能 力 ﹂ ︽ 株 式 会 社 法 講 座 一 巻 v 一O
三 頁 、 服 部 教 授 は 行 為 九 五jL
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、
能 力 と い う 概 念 を 全 く 否 認 す る の で は な い が 、 法 人 に お い て は 権 利 能 力 の 他 に 行 為 能 力 を 論 ず る 必 要 は な い と さ れ る ﹁ 会 社 の 権 利 能 力 ・ 行 為 能 力 及 ぴ 不 法 行 為 能 力 ﹂ ( 会 社 法 の 諸 問 題 ) 一 OE 頁 、 同 見 解 に あ る も の と し て 米 津 昭 子 氏 ﹁ 会 社 の 目 的 外 の 行 為 の 効 力 ﹂ ︿ 法 学 研 究 二 六 巻 四 号 四 七 頁 、 中 村 一 彦 氏 ﹁ 会 社 の 能 力 と 目 的 と の 関 係 ﹂ 富 山 大 学 紀 要 第 十 二 号 別 刷 七 頁二、判
例
我国の判例は会社の権利能力は定款所定の目的によって制限されるとしながら、最初非常に厳格に解していたが、漸次広く ( 註 一 ) 解釈する方向への変遷の過程をたどっている。 最初古い時代の判例は、会社の権利能力は定款に定められた目的の範囲内に限られるとして、極端に厳格な態度をとり、目 的の範囲内の行為とは目的自体に属する行為を指し、且つ、その目的は定款に明記された事項のみに限るとして、例えば、明 治三六年大審院判決は﹁民法第四三条ユ依レハ法人ハ其目的ノ範聞ニ於テノミ権利ヲ得文ハ義務ヲ負ブモノユリ V テ其目的以外 ユハ人格ヲ有セス﹂と判示している。即ち、会社は法人であるから、 一般法たる民法の規定によって、会社は目的の範囲に於 ( 註 二 ) その目的は定款所定のもの以外は含まないと解したのである。会社の能力が定款の目的の いてのみ人格を有するものであり、 範囲内に限られることは、右の通りであるがその所謂﹁目的の範囲内﹂とは如何なる範囲を意味するかにつき厳格に解し、例 えば、会社の社長が会社の創業に際して尽力した者に対し謝意を表するため金二千円を贈ることを約束した契約を以て会社の ︽ 註 一 ニ ) ( 註 四 ﹀ ( 註 五 ) 目的の範囲外とし、銀行が荷為替保証、文は手形の支払保証をなすことも、目的の範囲外の行為であるとした。とれらの判決の結 ( 註 六 ) 果が経済生活の現実に即せず、取引安全の保護の見地から見て是認されえないものであることは明かである。そとで判例はやや 態度を緩和し、明治四一年大審院判決は、金銭貸借そ目的としない会社であっても、その目的とする営業遂行の為に金銭を借 ( 註 七 ) り入れる事は会社の目的の範囲内に属し、商人の行為はその営業のためにする行為であるとしている。また、明治四四年の判 決は銀行が小切手中に支払保証の記載をなしその支払の義務を負担するは、預金又は貸付に関する行為にほかならないとして( 註 八 ) 銀行の目的の範囲内に属する行為であると言うのである。 ζ の二判例によっても明らかであるように、実際上の要求にせまら ( 註 九 ) れ、会社の権利能力をなるべく広く解さんとして、事実を極めて広く認めようとしたのである。 次いで従来の大審院の態度を大きく転換した判決は、大正元年十二月二五日の判決であり、同判決によれば、 ﹁ 会 社 ノ 目 的 タル事業ノ性質範囲ヲ定ムルニ当日ノテハ定款中ユ具体的ニ記載セル文言ノ本来ノ意義ノミヲ標準ト V テ之ヲ決スルコトヲ得 ス、却テ其記載事項ヨ n y類 推 演 緯 リ V 得へキ事項ハ仮令定款・中ニ於テ具体的ニ之ヲ指示セサルモ尚其記載事項中ニ包含セ-フルル ( 註 一 O ) モノト推断スルコトヲ妨グナルモノトス﹂とされるものであって、全く画期的判決であると云う事が出来、従来の目的に属す る行為というのを更に拡張発展せしめて、目的達成に必要な行為をも包含せしめた点広大きな特色がある。その後 ζ の判例と 同一の理論をとるものが多数現れた。すなわち会社が解散前たると解散後たるとを問わず、会社に功労があったものに対して ( 註 一 一 ﹀ その報酬として慰労金を贈与するとと、毛織物の製造販売を目的とする会社が取引先の破綻を救済しその取引関係を持続す忍 ( 註 一 二 ) ために手形在裏書するとと、定款に目的として金銭貸付業という事項を定めていない会社が消費賃借を締結し金銭を貸付け文 ( 註 一 三 ) ( 註 一 四 ) は借受ける ζ と、会社がある株主にその帳簿書類を閲覧させる ζ とを約する ζ と、倉庫、運送業及びとれに附帯する一般業務 ( 註 一 一 な ) を営む会社が重油を買入れること、は何れも会社の目的たる事業を遂行するために必要であり、会社の権利能力の範囲内であ る と す る の で あ る 。 次にある行為が会社の目的である事業遂行に必要かどうかについて、比較的古い判例はそれは行為の客観的性質によって定 ( 註 コ ハ ) まるのではなく、各場合について判定すべき事実問題であるとしていたが、近時の判例は﹁行為カ外形ヨリ観テ会社ノ目的タル ( 註 一 七 ) 業務ヲ遂行スルニ必要ナル行為タリ得へキモノナルニ於テハ右行為ハ会社ノ目的ノ範囲内ノ行為ナ
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ト調ブベク﹂とか、﹁客 ( 註 一 八 ) 観的抽象的に必要であり得べきかどうかの基準によって決すべきである﹂とかいうようになった。従って、我国の判例の態度 を要約すれば、会社の権利能力はその定款所定の目的によって制限せられないという理論をとりながら、会社の目的と言うと とを定款の文字に拘泥する事なく、定款記載から一般に推理演緯しうべき一切の事項を含むものとして理解し、会社がその目 九 七九 八 的の範開内において能力手有すると言うのは、目的自体に属する事項のみならず、目的を達成するに必要な事項も会社の権利 能力の範閉内に含まれるという意味であるとし、しかもある行為が会社の目的の範囲内にあるか否かの決定の基準そ各場合の 具体的事情殊に会社機関の主観的意思ではなく、専ら行為の客観的性質に求めると言う ζ と が で き る 。 ところが、昭和三五年四月七日の会社の手形行為能力に関する高等裁判所の判例で明白に制限否定説をとったものが現わ れ、従来の判例の系列からいえば全く特異のものであるが注目すべき判決である。その理由とするととろは次の如くである。 即ち﹁商法が何等会社の能力制限に関する一般規定特設ける乙となく、却って商法第七八条第二項、第一四七条、第二六一条 三項巻以て民法第四四条、第五四条の規定そ準用しているにかかわらず、民法第四三条については何等の準用規定を設けてい な い ζ とからも当然に結論し得るところである。換言すれば、民法第四三条は、民法上の公益法人に限って適用せらるべき規 定であって、営利法人たる会社には適用がないものと解し、会社については、法律が会社という法人形態を認めた独自の法理 A 守 山 に 照 ら し て 、 その能力範囲を定める ζ とを相当とするのであってかく解するときは、営利活動の基本的手段である手形行為 ( 註 一 九 ) が、会社の能力範囲に属するものとなすべきととは理の当然であるとしなければならぬ﹂というのである。 ζ の判例は手形行 為は会社の目的の範囲に関係がなく会社の権利能力の範囲に属するものであって、 通説、判例が手形行為を常に会社の目的の 範閉内の行為かど v つかの間題として取扱っているのに対し、新説をたてたものとして注目すべき判例であるといえる。 なお現在訴訟の継続中であるが、 八幡製鉄株式会社の株主の一人が会社の社長等取締役個人務相手取って訴訟を起し、会社 が経済再建懇談会を通じて自民党に寄附した三五
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万円の政治献金は違法だから、との行為をした取締役は個人として、会社 に ζ の金額を弁償すべき義務があるのに、会社はこの責任を追及しないで、会社のために、 ζ の合額を会社に支払うべきとと を求めたいわゆる八幡製鉄の政治献金事件である。 ζ の訴訟の争点は政治献金するがどときは、会社が﹁鉄鋼の製造、販売及 び ζ れに附帯する事業を営む﹂旨の目的とは関係がない ζ とであって、定款に違反する行為であり、とれはとりもなおさず取 締役の受託者としての義務(商法二五四ノ一一)に違反するというのである。したがって、乙の事件もそれが定款所定の目的の範囲に属するかどうかという形式で論議される注目すべきものである。 註(ごとの問題に関する判例の綜合的研宛として大隅健一郎教授﹁会社の権利能力の範囲﹂総合判例研究叢書商法 2 、 八 頁 以 下 、 同 ﹁ 会 社 の 権 利 能 力 の 範 囲 ﹂ 民 商 一 巻 一 号 一
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三 頁 、 柚 木 教 授 判 例 民 法 総 論 上 = 一O
ニ頁、上柳教授﹁会社の能力﹂株式会社法 講 座 第 一 巻 、 九O
頁、中村一彦氏﹁会社の能力と目的との関係﹂富山大紀要別刷三頁以下、鈴木驚氏﹁会社の権利能力についての一考察﹂亜細 亜大学誌 4 号五七頁以下 詮 公 一 ) ( -一 V 大判明三六・一二一九民録九積一O
二 頁 註︿四)大判明三七・五・一O
民 録 一O
積六三八頁 詮(五)大判明四 0 ・ニ・一ニ民録一三弱九九頁 註(六)大隅教授前掲判例叢書八頁、田中誠二博士﹁判例民法大正一 O 年﹂玄二二頁、上初教授前掲論文九 O 頁参照 註(七)大判明四一・二・一七民録一四積一O
八 頁 註(八 V 大判明四四・三・二O
民録一七積一三九頁 註︿九)大隅教授前掲判例叢書一 O 頁 詮 ︿ 一O
)
大判大元年一二月二五日判決民録一八積一O
七 八 頁 註(一ご大判大ニ・七・九民録一九輯六一九頁 註(=乙大判大三・六・玄民録ニ O 輯四三七頁 註(一三)大判大五・一一・ニニ民録二二額二二九五頁 註(一回)大判大一0
・一一・ニ民録二七積一八六一頁 註︿一五)大判昭一三・二・七民集一七巻五 O 頁 詮こ大)大判大一0
・ 一 一 ・ ニ 民 録 二 七 穏 一 八 六 一 一 貝 陸こ七)大判昭一三二て七民集一七巻五 O 頁 註(一八)最判昭二七二了一玄民集六巻七七頁 註(一九)大阪高裁昭三玄・四・七判例時報二二六号四ニ頁、金融法務一事情二四二号七頁 丸 九一
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三、学
説 従来我国の有力な学説は判例と同様に、会社の権利能力は定款所定の目的によって制限さ れるの であって、例 え会 社の名に 於いて為さ'れた行為一であっても、会社に対して効力を生じないものであると説明されている。一方、つとに田中誠 二 博士は会 社の権利能カは定款所定の日凶によって制限されるものでないと主張されているが、近時此の立場に立つ学説が漸時増えて来 ている事は注目に値いする。そこで、本節は此の目的制限肯定説と目的制限否定説を紹介す る事 と す る 。 十 う 目 的 制 限 肯 定 説 問 中 ( 耕 ) 、 大 浜 、 実 方、石井、小町 谷 、伊沢、の ( 説 一 ) ( 註 二 ﹀ 各教授であり、﹁目的の範間内﹂というととを広く解するために、﹁目的の達成に必要または有益な﹂とか﹁ 目 的に反しな ( 悦 一 二 ﹀ ︿ 註閥) い限り一切の﹂とか﹁その営業に関して起りうべからざる行為のみを除外し、営業の遂行上起りうべき総ての﹂というよう ( 註 五 ) に解じているが、実際上の結論については判例と殆ど差異がないとされる。これらの学説は、法人は特定の目的を有する人 格者であるからその目的の範囲内でのみ権利義務の 主体 となりうるの が当然 であるとい う ζ と 、また会社の 構成員 は会社財 我国の大 多数の 学説がこれを採っている。即ち松本、 産が特定の目的のためにのみ利用される ζ とを期待 し て 資本を提供す るもの で あ る か ら 、 乙の期待は保護されなければなら ず、そして会社の定款所定の目的は登記により公示せられているから、会社と取引関係に立つ第三者はこれ安知 っ て いるの が当然である ζ となどを根拠として法人の権利能力の目的による制限を規定した民法四三条は会社にも当然適用 乃手朔枠適 ( 註 占 ハ ﹀ 用があるとする。 目的制限肯定説に対する批判は即日的制限否定説の 論 拠でもあるわけ で あ るので、私は 後述 の学説の伶討というととろで 触れる事とする 9 (-¥ 乙の説は初め田中誠一一博士によって唱えられたものであ一連前述するを近時此の官 官ZZ
( 註 八 ) が唱えられている。即ち大隅、大森、服部、土柳、林各教授の説であり、会社の活動範囲は実際上極めて広く、しかも会社 の 目的制限否定説目的は登記せられているにしても第三者としては実際上その目的が何であ ﹁ るかぞ確める ζ とは煩にた え ないし、また ある行 為がその目的の範囲内のものであるか否かの判断は必ずしも容易でないから、会社の 権 利能力の目的によ る制限 を認める乙 とは、取引の安全を害し、また会社に責任免脱の口実を与え易いという 弊害 や伴うとと、かっ 公 益法人に おけると異 り取引の 安全を犠牲にしてまで会社の保 護 をはかる必要 が ない乙と、しかも民四三条を会社に準用 する 明文の規定はないことなどを ( 註 九 ) 根拠として、会社の権利能力の定款所定の目的による制限を認めないとする。 乙の中、大隅教授は会社の権利能カは各会社の定款所定の目的によっては制限せられないが、す べ ての会社に 共通 な営利の ( 註 一 O ) 目的によっては制限せられると さ れ る 。 註 註 ( ニ ) 註 会 一 ) 註︿図) 註(五) 註 ( 六 ) 品 位 ( 七 ) 詮︽八 V 鈴 ( 九 ) 松 本 抽 博 士 増 補 註 釈 株 式 会 社 法二一頁、問中︿耕﹀博士改正会社法概 論 九 一 、九二頁大浜教 授 会 社 法 概 論 二 O 、 二 一 頁 、 実 方 教 授 会 祉 法 学 I 四 一 一 員 石 井 教 授 商 法 5 へ総則、会社)一三五頁、小町谷教授商法講義( 総 則 、 会 社 ﹀ 一 二 O 頁 、 伊 沢教 授 註 解 新 会 社 法 五 、 六 頁 石 井 教 授 尚 訟 I ︿ 総 則 、 会 社 ﹀ 一 三 五 頁 実方教授会社法学四一頁 竹 田 博 士 ﹁ 大 判 昭 和 一 三 年 六 月 八 日 批 評 ﹂ ( 民 商 八 巻 六 号 ﹀ 一 九 八 頁 上 柳 克 郎 教 授 ﹁ 会 社 の 能 力 ﹂ 株 式 会 社 法 講 座 一 巻 、九二頁は﹁表現 方 法 の 巧揃はともか く と し て 実 際 の 結 論 に つ い て は 、 判 例 と ζ れ ら の 学 説 と の 聞 に は 殆 ど 議 異 は な い と 思 わ れ る ﹂ と さ れ て い る 。 田 中 ( 耕 ) 博 士 改 正 会 社 法 概 論 九 一 頁 田 中 ( 誠 ) 教 授 の ﹁ 会 社 の 目 的 外 の 行 為 と 改 正 会 社 法 ﹂ ︿ 会 社 法 の 諸 問 題)一一九頁 大 隅 教 授 全 訂 会 社 ・ 伝上二七頁、大森教授会社法 講 義 一 六 頁 服 部 教 授 会 社 法 援 要 一 九 頁 、上柳教授﹁会社の能力﹂(株式会社 法 講 座 一 巻 ) 九 四 頁 、 林 教 授 ﹁ 会社の能力 の 目 的 に よ る制限﹂( 綜合法学九号)四二頁以下、なお鈴木教授も 現 行 法 の 解 釈 論 と し て は 疑 問 を 残 さ れ つ h 刀 法 論 と し て は こ の 見 解 が 妥 当 で め る こ と は い う ま で も な い と せ ら れ る 鈴 木 ︿ 竹 ) 会 社 法 一 一 一 一 員 上柳教授の﹁会社の能力﹂(株式会社法講座九 三 頁 )
。
。
註 ( 一O
)
大 隅 教 授 全 訂 会 社 法 上 二 七 頁四、比較法的考察
以上我国における判例、学説に就いて述べたが、比較法的考察宇付する ζ とにより後述する学説の検討に重要な 資 料となるの でその主要動向を述べるとととする。H
英 米 法 系 英米法においては、C
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の理論を採ってい るo
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とは、会社はその定 款 によって定められた能力のみを 有し、従って、定款に定められた会社の目的に関係のない行為は、会社 の 能力外にあるも の とするもので、それは英米にお ける判例法によって確立されたものである。けれども同じく C E M W ︿ 町B
の法理といっても、 その原理には段階的な差異が あ る 。d
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︿町内切の形成は、十九世紀の中頃のイギリスの判例法に於て始 ま る 。 最古の判例と 考え られているの がO
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・において確立せられた。当時イギP
スにおいては、公益的事業は制定法に基いて設立 さ れた会社の みが行い得るものとされ(この種の会社は、ω
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の 理 論が適用されたのである。それが準則主義に立脚する一般会社法に基いて設立される会社に適用したのである。即ち、会社 は定款所定の事業目的の為に存在し、且乙の事業目的達成の為にのみその存在を承認される。従って会社の 百的 は、法によ って会社に与えられた能力の範囲を示すものとされ、d
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国(すなわち、会社の目的の範囲外にある) の 契約は絶対 ( 註 一 ニ ) に無効とされ、たとえ総株主の同意を以てしでも追認する乙とはできないのであった。 ζ の理論は以来イギ H Y スに於ては会 社法の基本的原則として現在に至るまで維持されている。 との理論は会社財産の保全を必要とする株主の利益の 保 護、及び取引の安全の面から、定款に規定せる会社の目的を寛大に解釈する裁判所の態度によって、その行き過ぎを戒められはした ( 註 凶 ) が、それは本来、会社と取引をなす第三者の立場からすれば決して好ましいものではない。かつて、 一九四五年の会社法改 正 の コ
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は国会に対し能力外原則の廃止を勧告したので ( 註 五 ﹀ あるが、それにも拘らず一九四九年会社法改正に於ても乙の点を改正される乙となく口F
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理論が行われている。 で は ア メ リ カ に 於 い て は 、 巴 ︼ 昨 日 ︿ 町g
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スより継承したとはいえ、どの様な行為が、巴 R E J N 町g
であるとされ たかを概観しよう。会社はそれ自身独特の名称す併有するのであって、 その名によって契約を締結し、財産を譲渡し及び取得 し、訴え文は訴えられる能力を有する ζ とは勿論であるが、更に印章を有し、之を変更し得る能力、定款に存立期間の定め あるときはその期間、ないときは永遠の法人として存続し得る能力持有し、会社の目的を達成するため、財産を取得、保 有、売却する能力、そしてその目的達成に必要欠くべからざると考える一切の行為を行う能力ぞ有するが、それ以外の行為 ( 註 パ ) は 巴 ︼ 仲 日 ︿ 町g
の行為であるとされた。 イ ギD
スの判例によって確立された dRE ︿ 町g
の行為を、絶対に無効であるとする理論に対し、対第三者保護乃奈は取引 安全の見地から、次第にその結論を緩和しようとするアメリカの判例はかなりの矛盾ぞ示したのであるが乙れは略説すれば 次のとおりである。 ー両当事者が既に履行をすませた契約は有効であり、裁判所は契約により取得されたところのものの返 還をさせる目的をもって、契約を無効にさせることはない。川両当事者共に履行脅すましていない契約は原則としてはいず れの当事者百訴によっても強制されるととはない。同一当事者だけ履行特済まし、他当事者だけ未履行の場合一履行ぞ終った 当事者の利益のために、履行の利益を受けた他の当事者に対し、その契約を強制するのである。目的外の契約に対し総株 主の同意又は追認があった場合はその契約は有効である。 F 流通証雰に表彰された契約は、証晶拾が善意の貿受人の手中には いり、証券が外観上会社業務に属しているときに、たとえ、事実上第三者への資金融通占いうような目的外のためになされ たとしても、会社に対し、拘束力がある。一
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三一 O 四 また、立法の面から考察すると、 ア メ HY カ判例法の能力外原則には、多くの衝突と矛盾があるとして、 ζ れを整理し、また は、制限し廃止するために立法を求める論議が一九一
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年代に入って盛んとなり、一九一五年のグァ!モシト法以来、従来 の判例法に多大の変更を加え、会社の権利能力の目的による制限特認めない方向に動いており、一九二八年の統一し事業会社 法 ( 叶F
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同 窓 口 k p n C ( 第一一条第一項)も、会社の権利能力の範囲については、この主義に変っ て来ており、ただ、取締役の権限の問題につき代理の原則に基づいて解決しようとしているのであり、カp
フオルユア会社 法(第七一一章第二五条)は更に進んで会社と取引する第三者保護に徹底する態度を一万し、会社の権利能力の目的による制 ( 註 九 ) 限を全然認めない。 向 、 大 陸 法 系 ヨーロッパ大陸諸国においては一般に戸般的権利能力主義が採用され、財産権に関する権利能力の範囲については自然人と 会社とを同一に取り扱い、会社の性質に基づく制限ならびに法令に基づく制限以外に会社目的による制限なるものを認め ( 一 O ﹀ ず、少なくとも私法範囲においては法人である会社は一般的に権利そ有し義務を負う ζ とを認める。ドイツ民法典および商 ( 註 一 一 ) 法典においては目的による制限を認める明文はなく、学説上も ζ れを認めないのを遥説とする。そしてドイツ株式法第七四 条第二項﹁取締役ノ代表ノ権限制限ハ第三者ユ対 V 其ノ効力ヲ生セス﹂は取締役の代表権限が外部に対して無制限なる乙と ( 註 一 二 ) それ故に会社の行為も亦外部に対して無制限であると言うのであ忍。そして又 N 島 ロ の 解 説 に よ れ を定めた規定であり、 ば、定款の定める会社の企業の目的を制限することは、内部関係即ち会社とその株主及び取締役会との関係において重大な る意義を持つものである。即ち、取締役会は定款で定める企業の目的外の事業をしないととについて会社に対し義務を負う ものとなる。そして又、会社は株主に対して定款の定める企業目的外の事業をしないととの義務を負うものとする。従つ て、外部関係においては、自然人それは血と肉とを持つ自然人に固有する権利能力の範囲のものは当然に除外されるが、そ れ以外、株式会社は自然人と同一の権利能力と行為能力とを持つものとせられる。即ちその能力は定款に定める目的に制限( 註 一 三 ) されないとせられる。ブラシスもドイツと同様一般的能力主義を採用している。ただブラシスでも法人の能力はその目的に よって制限せられるとする理論があるが、 乙の理論が会社にも適用せられるかに就いては説が分れている。然し乙の理論の 会社への適用を認める説も単に会社が贈与を受ける能力を否定するに過ぎず英米法に於けるような会社の能力の広範囲の制 ( 註 一 四 ) 限が問題となっているのではない。スイスにおいてはスイス民法典五三条は性質による制限以外一切の制限を認めていな
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註 松 木 氏 ﹁ 英 法 に 於 け る 法 人 の 能 力 外 行 為 の 理 論 ﹂ 回 同 国 担 白 民 白 叩 ・ 。 ロ n O 吋 一 U O一 ﹃ 同 氏 己 白 血 ・ 同 由 品 0 ・ 司 -M A R 凶 ・ 註公一)上柳教授﹁アメリカ株式会社法に於ける百可同︿昨冊目理論﹂︿英米会社法研究 V 二 三 五 頁 註2
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勾・長谷川氏﹁会社の能力と目的外の行為﹂愛知大学論集五集二ハO
頁 註(四)米津氏﹁会社の目的外の行為の効力﹂法学研究二六巻四号五八頁 註(五)問中(誠)教授﹁会社の目的外の行為と改正会社法﹂︿会社法の諮問題)一二四頁 註2
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上 榔 教 授 ﹁ 前 掲 書 ﹂ 二 三 八 頁 註(七)田中(誠﹀﹁前掲論文﹂一二六頁上柳﹁前掲香﹂二四二頁 註{八)田中(誠)教授﹁前掲﹂一二七頁 註︿九)田中︿誠)﹁前掲﹂一三ニ頁 健 二O
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問中(誠)教授﹁会社の権利能力の目的による制限の否定論﹂(会社法研究 v 一 四 二 頁 註(一ご田中︽誠)教授﹁会社・法研究一四二頁 註(一こ)独逸商法 E ( 神戸大学外国法研究会編﹀一八九頁 註(一三)西島弥太郎教授﹁会社の目的外の行為について﹂(法と政治三巻二、三号)一二頁 註 こ 四 V 中村民﹁会社の能力と目的との関係﹂富山大学紀要一二号別刷六頁 ( 民 商 法 雑 誌 第 六 巻 二 号 ) 二 三 四 頁五、学説の検討
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六 目的制限肯定説と目的制限否定説との論拠について述べるが、目的制限肯定説に対する批判は、即目的制限否定説の論拠で もあり、文逆に目的制限否定説に対する批判は即目的制限肯定説の論拠ともなるので個別的に検討を加えて行く乙ととする。 第一は法人の本質上よりみた場合の制限肯定説の立論の根拠は、会社は法人であって目的社会だというにあり、目的による権 ( 註 一 ﹀ 利能力の限界は目的社会たる会社の存在を決定する大原別であり、それは一定の目的を達成する手段として関係当事者によっ ( 註 二 ) て窓識的に作られた社会であるというそれ自体の本質に基く原理であるとされる。即ち自然人も法人も共に法的人格者として 取扱われるが、自然人の存在の目的即ち人生の目的は客観的に}定し、その内容は広汎且つ抽象的であるが、法人の目的は具 ( 註 三 ) 体的であり且つ相互に種々の差異があり、しかも法が会社の存立を許しこれが、権利能力を認めるのは、その目的の存在を前 ( 註 四 ) 提とするがためであるから、目的による権利能力の制限を否定する乙とは法の予定しないところであり、目的を離れてしまえ ( 註 亙 ) ば、もはや、権利能力を与える基礎を欠く ζ とになるのであるとして、目的を離れては、法人格はもはや存在し得ないと解 す る の で あ る 。 これに対しては目的制限否定説の立場より種々の批判がなされる。即ち、会社の定款所定の目的は公益法人の定款の目的と は異なり、事業の対象ないし事業の活動範囲をいい、会社の株主及び理事者にとっては格別、会社の第三者に対する関係にお ( 註 六 ) いては特別の意義を認めえないとし、或は法人は目的を中心とする人格者ではあるが、その目的は飽く迄究極の目標であっ て、法人がその目的に結びつかぬ行為を絶対になしえないということは自明でも当然でもなく、それをなすかどうかは法人の ( 註 七 ) 合目的活動の問題または内部関係の問題であるとされる。更に会社が目的社会であるということは、人格附与の基盤に重点を おいた場合においてそうでありその乙とと法的に権利能力が目的によって制限されるか否かとは区別七て考察さるべきである ( 註 八 ) と す る 。 たしかに目的制限肯定説が述べるように、法人は特定の目的のための手段としてそれに役立っために存在し且つその促進の ために形成されたものである。しかし定款所定の目的は会社の営まんとする事業であり、しかも定款に目的を記載するのは、対外的には ζ れ ζ れの事業を営むとの宣言であり、対内的にはその事業よりえたる利潤を分配せんとの意思の表明であって、 い わ Rば毛れは会社の一方的意思の表示にすぎないものである。従ってそれは構成員の結合の中心点でありまた会社の活動もそ れを中心とするととは認められるにしても、 そのととと一般に会社の名においてなされた目的外の行為の効力を左右しうるか 否かとは別個の問題というべきである。また会社は法令もしくは公序良俗に違反しない限りは、 いかなる事業であっても ζ れ を目的とすることができると同時に、 その変更もしくは拡張をもなしうる。そして会社の意思は構成員の意思によって形成さ れたものであるから、定款所定の目的の範囲は他から課せられたものではなく、自分らが選んで課した自律的制限にすぎない。 かかる定款の目的なるものに、法律上、会社の能力をかかわらしめ当然に第三者対抗しうるとは解し難い。もし会社の能力を 制限する目的なるものがあるとすれば、 それは各会社の個別性を越えた営利性に ζ そ求められるべきであろう。 以上述べたと乙ろから、会社が目的社会であるというととは、当然に会社の権利能力が定款所定の目的によって制限される ζ とを意味するものではないといわざるをえない。 第二は制限肯定説は民法第四三条を法文上の根拠として会社についても適用または類推適用があるとする。民法第四三条が 会社についても適用があるとの説は商法典には会社の権利能力が目的によって制限されるか否かの規定を欠いているから商法 ( 註 九 ) 第一条によって民法の規定が当然適用され、当然に会社の権利能力は目的によって制限さる可きものであるとする。次に民法 その類推適用があるとする説は、民法第四三条は直接には公益法人を規制の対象とするも ( 註 一 O ) ﹁その内容は法人の本質に由来するものであり﹂法人の能力の問題は、法人全部に適用するものであって、公益 ( 註 一 一 ) 法人に限るものではない:::文第四三条は準用する明文はないが、会社についても、少くも同一の理論を認めねばならないとし て営利法人たる会社に対しても当然に類推適用ありと解するものであって、判例通説の見解は乙れに属する。 ζ れに対しては制 限否定説の立場より、わが民法制定にあたって参考とされたドイヅ民法に第四三条に該当する規定が存しなかったととからし て民法第四三条は決して自明でも当然でもないとと、民法の法人に関する規定は専ら公益法人に関するものであって営利法人 の 四三条は会社に当然適用はないが、 で は あ る が 、
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八 はすべてとれを会社として商法その他の特別法の規定に一任せんとしたものであるとと、更に民法第四四条や同五四条等はそ れぞれ商法第七八条第二項や同第二六一条第三項等によって会社に準用されているのに民法第四三条のみは ζ のような準用規 定 が な い 以 上 、 それは会社への類推適用を排斥する趣旨であるとしている。 しかし、本来乙の規定は公益法人に関するものであって法人に関する通則ではなく、また商法第一条は商法の法源在網羅し たものでないと同時κ
、民法を以て商法の法源となしたものでもない。従って民法第四三条は、営利法人たる会社に当然適用 ありと解することはできない。 いうまでもなく民法が商法の一般法として、商法の規定中に適当な規定を欠き、商事法々源中に法を発見し得ない場合に、 民法上の規定に適用が求められる事は法解釈上当然であろう。しかし単に商法典中に明文の規定を欠くという事だけで盲目的 に民法の規定を準用する事は必ずしも当を得たものとは言い得ない。それには実質的理由があるととを立証すべきである。元 ( 註 一 三 ) 来、民法第四三条を歴史的に検討すると、とれはドイツ、ブラシスその他ヨーロッパ大陸諸国に先例のない規定であって、わが 国の民法起草者が独断的に創造した規定であって、その立法上の当否については大いに疑問のあると ζ ろであり、司法省編の 民法修正案理由警によると民法第四三条の制定の理由は法人擬制説の影響とイギP
ス法上の能力外の原則とに基づいたものと ( 註 一 四 ) 考えられる。従って、石井教授も指摘されるように民法第四三条を民法起草者が英米法におけるd
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の法理を、そ ( 註 一 五 ﹀ とれを法人についての当然の事理とした ζ とは妥当ではない。 の社会的機能を充分に検討するととなくして採用し、しかも、 また、公益法人については、公益にかかわり、国家の監督乃至干渉を必要とするが故に、公益を維持すべき公共政策(司ロZ
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同 M o - W M ﹃ ) の 立 場 か ら 、 一般の取引の安全を限害しても、尚かっ、 その目的の範囲を局限すべき必要が存するととは十分考えら 於 て 、 れる。しかし、自由広汎なる営業活動を通じて大量取引を安全敏活に結了せしむるととが最も法の関心事とされる取引社会に その担う役割と社会的機能ぞ有する営利法人である会社について、自ら営利を求め自由に目的を選定して、会社を設立 することが出来、しかも契約自由の原則に基いて適法な一切の行為が法によって許容せられたる場合に、会社の能力を制限するとすれば取引の円滑な流通を阻み、安全や害する ζ とになると解しなければならない。また比較法上英米においですら能力 外の理論の弊害が認められ、判例または立法をもって漸次改められ一般的能力主義に接近しつつあり、然も我国においても一 定の行為が会社の目的の範囲内に属するか否かは今日に於ても最も多く争われたところであり、訴訟のために時間をとられる ととは企業家にとってたえがたいことである。しかも制限背定説は目的の範囲内という ζ と号拡張解釈し、実際問題の解決に あたっては制限否定説となんらかわりがない実状にある。かかる現実より見た場合、明文の規定もないのに会社を準用する実 質的理由はないのではなかろうか。要するに会社の社会的機能と商法の理念から之を解決する以外に方法はないと思う。 次に法文上の根拠として制限背定説は商法第一二条を挙げ、目的外無能力によって善意の第三者が不測の損害を被むる ζ と ( 注 二 ヘ ) があっても、会社の目的は登記により公示せられているが故に会社に責任を問う乙とが出来ないのは当然であるというのであ る。﹁登記せられると云う ζ とは公示主義の立場から極めて望ましい ζ とである。けれども第三者の保護はそれで以て足りる ( 訪 一 七 ) のでない﹂。けだし、実際問題として登記されていても会社の相手先が一々それを見る ζ とは煩に耐えないし、我国の容認制 ( 註 一 八 ) 度が英米法に於ける如く詳細に規定されるものでなく、亦目的の範囲を極力拡大しても会社と取引する善意の第三者が会社の 目的の如何及び範囲を適格につかむととができず取引の第三者をきわめて不安の状態に陥入らしめる結果になるであろう。そ してまた善意の第三者が民法第一一七条によって会社理事者に責任を問うても理事者に賠償能力が無く、従って第三者は大き ︿ 註 一 九 ) な損害を受けたに拘らず、会社自体は安体であると云うととは、如何にも不合理である。 更に従来英米法において採用せられて来た解釈上の悪意ハの。
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なる擬制悪意(何人も会社の定款を知って ( 註 二O
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いるとみなされる)の理論が実状に合わないものとして多くの立法で廃止されている。従って、登記により確知しうる事項に っき通知文は了知によって知れたるものとならざる限り、外部の第三者に一般的に対抗し得ぺき性質のものではないのみなら ず、更に機関の無権限行為を機関の権限内と信ずべき相当な外観が存し、且その外観を信頼するにつき過失なかりし善意の第 三者に対しては外観理論ないし禁反言の原則に従って保護すべきである。けだし、登記せられたる事項の範囲を越えて行為を一
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九一 一 O 為 し 、 し か も ζ の範囲にあるが如き外観を表示したる場合に、之を信頼した 善 意の第三者に如何なる保護を与うべきやは公示主 ( 註 二 一 ) 義そのものによって解決せらるべき問題ではなく、外観主義によって律すべきものであるからである。しかして一般に承認せ られる無権代理が表見代理の理論を適用してその範囲において無権限行為の効果を会社に帰 属 せしめ、保護を計るべきものと ( 註 二 二 ) 考 え る 。 次に、問題とされるのは商法第七二条であるが、同条は﹁会社ノ目的ノ範囲内ユ在ラザル行為ヲ為スニハ総社 員 ノ同意アル 乙れは制限肯定説及び否定説の両者か ら共 に法文上の根拠と さ れている。制限 肯定 説の立場 に立つものは、商法第七二条は﹁会社の目的外の行為を為し得るためには定款を変更しなければならないのであるが、しかし コトヲ要ス﹂という規定を掲げ、 臨時的必要があってかような行為をなすために一々定款変更の手続をなし、行為が終った後、 一 丹 び定款を旧に復するのは煩に ︿ 一 一 三 ) 耐えないから、法は ζ の場合に総社員の同意を以て目的の範囲外の行為をなすことができると認めている﹂とされる。乙れに 反して制限否定説は、かかる行為をなす ζ とは社員の利害関係に重大な 影響が あるため、対内関係において総社 員 の同意を要 ( 註 二 四 ﹀ するとの趣旨であって対外的には ζ の場合にも既に会社の権利能力は存 在す るものであると解している。 商法第七二条の規定が積極的に会社の一般的権利能力の承認を宣言したものではないが、しかし乙の規定が会 社 の能力の目 的による制限を前提とするとの見解にも反対せざるをえない。何故ならば、 ζ の規定が﹁第二節会社ノ内部ノ関係﹂について 規定していると ζ ろよりしても、その云うととろの ﹁会社ノ目的ノ範囲﹂とは代表社員や業務執行社員たる無限 責 任社員の権 限の範囲を示すものである乙とは明らかであり、特に﹁総社員ノ同意﹂によって、通常の範囲を越えて権限を附与せられ得る ζ とを明示したものであり、もし会社が目的の範囲外の行為が無効であるならば、如何に総社 員 の同意をもってしでも、目的 ( 註 二 五 ) 外の行為が会社の行為として有効に成立する筈はないからである。更に第七二条を会社の権利能力の一時的拡 張 で あると解す るのは、それが、登記等の公示方法によって明示されるものではないので、会社と取引する一般第三者は極めて不安な状態に 置かれるととになる。しかも、制限肯定説は会社事業と直接関連なき祭典や慈善事業等社会 事業 に寄附することを当然その権
利能力の範囲内とせられ、会社の営む事業の一時的拡彊の場合、例えば内園航海を目的とする会社がたまたま外国より船舶を ︿ 註 二 六 ) 購入した機会にその廻航に際して外国航路の運送表為すが如きは目的の範囲外であり、権利能力外であるとされるが、社会事 業に対する寄附が能力内にあるのに、外国航路の運送が能力外であるとは竃ちに首肯し兼ねると乙ろであって、やはりとの規 定は一般的な能力を前提としているものと考えざるを得ない。 更に、商法第二七二条は取締役の会社の目的外の行為に対する株主の差止請求権について規定しているが、制限否定説の立 場において ζ れ経法文上の根拠となし、同条の株主の差止請求権の規定は、会社の権利能力は目的によって制限され ( 註 二 七 ) ず、従って目的外の行為も会社についてその効力そ生ずる ζ とを前提とするもので、第一は第二七二条の沿革的理由よりし て、本条はイ H J ノイ州事業会社法第八条の継受法であり、同条は会社の目的外の行為を完全に有効としている ζ と、第二は制 限肯定説をとる時には目的外の行為によって会社は何等の義務を負うことはないから、乙の場合について株主の差止請求権を ( 註 二 八 ) 定める限りでは、第二七二条は無意義となると説くのである。かかる見解に対しては制限肯定説の立場より、ある行為が会社 の権利能力の範囲内にあるか否かそ判断する場合には、取引安全の保護のために行為の客観的株質を基準とせねばならぬが、 ある行為につき株主に差止請求権が認められるか否かを判断する場合には、取引安全の保護そ考慮する必要がないから、あ帽。 行為がその客観的体質において目的の範囲内のものであっても実際上取締役自身の利益のために行われようとする場合には、 それは二七三条の適用される目的の範囲外の行為であり、従って仮りに会社の権利能力の目的による制限を認めても二七二条 ( 註 二 九 ) は実益のある規定であるというのである。 しかしてとの規定は制限肯定説の立場においても実益を有し、必ずしも制限否定説の法文上の根拠たりえないものと解すべき で会社の能力の問題はとの規定を離れて論じなければならない。 第三は、利益衡量上の観点よりみた場合、主として社員、会社債権者及び取引の相手方の利益をいかに比較衡量するかが間 題 で あ る 。
制限肯定説の立場においては、会社構成員の予定的利益の保護よりするもので、会社の構成員は会社財産が特定の目的のた めにのみ利用される ζ とを期待して資本を提供するものであるから、との期待は保護されなければならず、従って会社の権利 ( 註 三 O ) 能力はその目的の範囲内に限定され忍べきであると説くのである。 ζ れに対しては制限否定説の立場より、会社が、その社会 的、経済的機能を正当に発揮し社会一般及び経済界に迷惑を及ぼさないといラ適当な解決をもたらすためには、動的安全奇保 護し、静的安全を犠牲にするととも、現在の商法学上の主要傾向の一である利益法学的方法における利益衡量による解決と言 うべく、此の事は、例え、目的が登記事項とされていても、その範囲が明瞭でない以上変りがない ζ と、また、目的による制 限を認める事により、かえって会社に債務免脱の口実を与え、実際上多くの紛争を惹起する ζ とは企業活動の敏速と安全とを ( 註 一 二 一 ) 理念とする商法の目的に合しない。即ち、 ﹁右ニつの利益のうち後者(第三者の利益)の保護に重点をおき、会社の権利能力 はその定款所定の目的によって制限せられないとし、前者(株主の利益﹀の保護は株主の差止請求権や目的の範囲外の行為に よって会社に損害を加えた取締役の会社に対する損害賠償のような会社の内部関係に関する制限に委ねる程度にとどめるのが ( 設 三 二 ) 適当である﹂とするのである。従って、制限肯定説は利益衡量の見地より目的の範囲を広く解するととによって会社構成員の 刺益と第三者の利益との妥協的調整をはかろうとするものであるが、とれに対して制限否定説は、会社の社会的機能の拡大化 とそれにともなう取引安全の要請に対する合目的な解決をなさんとするものである。 会社の資本は会社事業に対する構成員の出資からな忍ものであるから、構成員の自己の出資は当該事業に使用されるとの期 待に対して法的保護が与えられなければならないととはいうまでもない。しかし、現今の会社構成員の出資状態等を見る時、 投資信託制度等の発展もあり、会社と構成員との結合関係は箸しく弛緩し、株主にとっては株式は全く利子附資本と同じであ って、株主の関心は専らその市場価格にのみ存し、実際の出資者は特に会社の目的を意にかいしていないという ζ と が 出 来 、 従って、会社の能力を目的によって制限する ζ とは反って実質的に構成員の利益に反する結果となるであろう。要するに、会 ζ の問題に関連を有する種々の利益を比較衡量してそれ等の利益をどのように調整するととが最 社の能力と目的との関係は、
も妥当であるかという合目的見地より決定されなければならない。かく解すると、わが国の社会生活において会社は実際上極 ゐて広い範囲において多数の取引をなさざるを得ないという事情を考慮すれば、まず取引の安全 ζ そはからるべきであって、 ( 註 一 二 三 ) 会社構成員等の保護は別途に乙れを講ずべきである。確かに会社の所有と経営が極度に分離する傾向をもっ現行会社制度にあ って、会社機関たる経営者の悪意等に基づく行為によって、不測の損害を会社に負わしめたる場合に現行の諸制度による代表 機関の個人的責任等によっては会社構成員に与えたる損害一回はおおうべくもない場合も十分ある。しかして、株主保護のために 従来の商法第二七二条、商法第二六六条による他に、立法によって法人の代表機関の責任を加重し、代表機関が代表権を濫用 する危険を排除するよう考慮すべきではなかろうか。 なお、制限否定説をとられる大隅教授は、会社の権利能力は定款所定の目的によっては制限されないが、すべての会社に共 ( 註 三 四 ) 還な営利の目的によっては制限せられるとされる。 ζ の見解は会社の構成員たる社員︿株主﹀の利益保護を考慮したものであ ろうが、上柳教授も指摘されるように、実際上ある行為が営利の目的の範囲内にあるか否かを決定する規準が明瞭でないとい ( 註 三 五 ) う 難 点 が あ る 。 註︿ご田中耕太郎博士﹁改正会社法概論﹂九一頁 註 公 一 ) 大 浜 教 授 ﹁ 会 社 法 概 論 ﹂ 二 一 一 良 註 ( 一 回 一 ) 問 中 ︿ 耕 ) 博 士 一 ﹁ 前 錫 ﹂ 九
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一 頁 註 ︿ 四 ) 西 本 寛 一 博 士 ﹁ 新 会 社 法 要 論 ﹂ 一 六 頁 註 ︿ 五 ν 高 鳥 正 夫 教 授 ﹁ 会 社 ﹂ 法 学 セ ミ ナ ー 九 号 二 二 頁 註 ( 六 ) 河 村 教 授 ﹁ 株 式 会 社 法 ﹂ 二 七l
コ 一 六 頁 註 ( 七 ) 服 部 栄 三 教 授 ﹁ 会 社 の 権 利 能 力 及 び 行 為 能 力 不 法 行 為 能 力 ﹂ 松 本 記 念 一O
五 │ 六 頁 詮 ( 八 ) 林 義 雄 教 授 ﹁ 会 社 の 能 力 の 目 的 に よ る 制 限 ﹂ 綜 合 法 学 一 巻 四 号 四 三 頁 註 ( 九 ) 西 島 弥 太 郎 教 授 ﹁ 改 正 会 社 法 ﹂ 五 七 頁 註 ( 一O
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大 浜 信 泉 教 授 ﹁ 前 掲 ﹂ 三 五 頁一
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億 二 ご 註 ︿ 一 二 ) 註(=ニ) 註 ( 一 四 ) 註 こ 五 ) 註 こ 六 ) 註 ( 一 七 ) 註 ( 一 八 ) 建 ( 一 九 ) 註 ( ニ
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註 註 註 註 註 註 註 註 註 O九 八 七 六 五 四 三 ニ 一 一 四 我妻栄教授﹁民法総則﹂(民法議論 I ﹀一三六頁 田中︿誠)博士﹁会社の権利能力の目的による制限否定論﹂一橋論叢九頁 柏木﹁判例民法総論上﹂一三六ノ九頁 原田教授﹁日本民法総則編の史的素描﹂法協五七巻四号二八頁 田中(誠)﹁会社の権利能力の目的による制限の否定論﹂会社法研究一四七頁 回中ハ誠)巻士﹁前掲会社法研究﹂一四七頁、民法修正案理由香九頁、一O
頁 石井熊久教授﹁会社の権利能力﹂商法における基本問題五八頁 田中(耕)﹁前掲番)九一頁 長谷川氏﹁会社の能力と目的外の行為﹂(愛知大学法経論集)一九五頁F
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参 照 中村一彦教授﹁会社の能力と目的との関係﹂富山大学紀要論集第一二号別刷八頁 中村一彦教授﹁前掲論文﹂八頁註(ニご長谷川氏﹁前掲論文﹂一九二頁、鈴木教授も、定款所定の目的は単に機関の権限に 対する制限として悪意者に対して主張しうるにすぎないという鋭が立法論としては妥当であるととを認めながら、解釈論として は ζ の説は登記に関する原則との関係において疑問があるとせちれる。鈴木(竹)︿会社法一二頁﹀ 我妻教授﹁前掲香﹂一八四頁、長谷川氏﹁前掲論文﹂一九三頁 田中(耕)博士﹁前掲書﹂一八四頁 田中︿誠)博士﹁会社の目的外の行為と改正法会社﹂(会社法の諸問題)一三三頁 長谷川氏﹁前掲論文﹂一九三頁 問中(耕)博士﹁前掲論文﹂一八四!豆頁 田中(誠)博士﹁前掲﹂会社法の諸問題松本記念一三四頁 田中(誠﹀博士﹁前掲﹂松本記念一三六頁以下参照 鈴木、石井両教授﹁改正株式会社解説﹂一八六l
七 頁 小町谷操三博士﹁英国会社法概説(豆)法律タイムスコ一巻、八号、四六頁 西島教授﹁改正会社法﹂六一頁註 舌 二 ) 註 吉 三 ) 註 ( 三 三 V 問 中 ( 誠 ) 博 士 ﹁ 前 掲 ﹂ 一 橋 論 双 ニ │ 三 頁 田 中 ( 誠 ) 博 士 ﹁ 前 掲 ﹂ 一 橋 論 双 一 一 頁 、 林 義 雄 教 授 ﹁ 前 掲 ﹂ 綜 合 法 学 四 五 頁 以 下 上 初 克 郎 教 授 ﹁ 会 社 の 能 力 ﹂ 株 式 会 社 法 講 座 第 一 巻 九 四 頁 林 教 授 ﹁ 前 掲 論 文 ﹂ 綜 合 法 学 四 七 頁 大 関 健 一 郎 教 授 ﹁ 商 法 上 ﹂ 八 三 頁 上 柳 教 授 ﹁ 前 掲 論 文 ﹂ 九 四 頁 詮 ( 三 四 ) 註 ( 一 -一 五 ﹀ 六 、 設 立 中 の 会 社 、 清 算 中 の 会 社 の 権 利 能 力 設立経過中における会社の前生を一般に設立中の会社であると称せられている。 ζ の設立中の会社の法的性質については、 権利能力なき社団と解するのが遥説である。即ち、株式会社として未だ成立せず、法の明文のない限り権利能力を有しない が、発起人が取得し文は負担した権利義務は実質上は会社の前生たる設立中の会社に帰属するも形式的には発起人に帰属する 会主) と説く。しかし、同一の権利義務に法律上全体的な二主体がありえないから﹁形式的に﹂とは現行法上というととであり、 ﹁実質的に﹂とは社会学的に等法律上でない ζ とになる。従って、権利能力なき社団の機関という ζ ともまた法人の機関という F ような法律的意味のものでない ζ とになる。果してそうであるならば、会社が成立したとき当然に﹁会社がとれに代る﹂とい われることは実質的即ち社会学的の意味でしかない ζ とになり、法律的には結局従来の法律上承継説と同様な擬制的のものと ( 註 二 ) な る 。 そもそも、権利義務の主体である人格者は一定の社会的必要に基づいて一定の存在に対して法が与えるものである乙とは自 ︽ 註 三 } 然人の場合たると法人の場合たると異らない。胎児には原則として権利能力はないが、胎児中に権利能力を認めないと胎児の 保護に欠け社会生活上の必要を充さない場合が生ずるので、例外的に権利能力を認める。 ζ れに反して、設立中の会社は自然 人の胎児に比して社会経済上、文は法律生活上一層重要なる地位を有す忍。しかして、株式会社の設立に関し、その前身とし 一 一 五
一 一 六 て設立中の会社の権利能力を認めるを相当とする。現行法上明文はないが、会社設立に関する条文を詳細に審議するときは、 ( 註 四 ) 商法典にはしばしば隠れたる規定が存在するのであるから、容易に会社設立の目的の範囲において設立中の会社の権利能力を ( 註 玄 ) 認めるべきである。 次に、解散会社は清算の目的の範囲で存続する ζ とは商法第一一六条で認めているし、解散法人が破産の目的の範囲内で存 続するととは破産法第四条が認めている。とれにつき制限肯定説は勿論の ζ と、制限否定説も清算及び破産につき会社の能力 ( 註 四 ) の制限を認めているので議論の余地は少ない。乙の場合の解散の意味は﹁一の会社の目的変更であり、広い意味での定款変更 ( 註 七 ) の一場合﹂と解釈すべきである。 註{一) 註(ニ) 註 ( = 一 ) 註 ( 四 ﹀ 註 ( 五 ) 註 ( 六 ) 註 ( 七 )