ザ ク セ ン ・フ ォ ー ク トラ ン トに
お け る 自 由 主 義
1820/30年 代 の カ ー ル ・ブ ラ ウ ン と プ レス, 協 会 活 動 を題 材 に
目 次 は じめ に 第1章1820年 代 の ザ クセ ン 自 由 主 義 と ラ イ プ ッ ィ ヒ大 学 (1)ザ ク セ ン史 に お け る プ レ ス の 意 義 (2)ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 と 「ジ ュ ス ト ・ミ リ ュ ー」 の 自 由 主 義 (3)ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トと大 学 の 変 質 第2章 ザ ク セ ン の 立 憲 化 と プ レス 『フ ォ ー ク トラ ン ト誌 』 (1)ザ ク セ ンの 立 憲 化 (2)結 節 点 と して の 『フ ォ ー ク トラ ン ト誌 』 (3)刑 事 訴 訟 手 続 に お け る 公 開 制 ・口頭 制 第3章 プ ラ ウエ ン ・ポ ー ラ ン ド支 援 協 会 と 自 由 主 義 (1)ポ ー ラ ン ド問 題 と ヨ ー ロ ッパ の 自 由 主 義 (2)プ ラ ウ エ ン ・ポ ー ラ ン ド支 援 協 会 と ブ ラ ウ ン (3)プ ラ ウ エ ン 自 由 主 義 者 の 革 命 観 第4章 フ ォー ク トラ ン ト ・プ レス 支 援 協 会 と裁 判 闘争 (1)プ レ ス の 自 由 の保 障 と プ レス 支 援 協 会 の 創 設 (2)フ ォ ー ク トラ ン ト ・プ レ ス 支 援 協 会 と2つ の 規 約 案 (3)解 散 命 令 と裁 判 闘 争 (4)フ ォ ー ク トラ ン ト ・プ レ ス 支 援 協 会 裁 判 に み る 問 題 点 お わ りに キ ー ワ ー ド ザ ク セ ン 王 国,自 由 主 義,ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト, プ レス の 自 由,結 社 の 自 由
ザ ク セ ン ・フ ォ ー ク トラ ン トに お け る 自 由 主 義175 は じ め に ザ ク セ ンは 中世 か ら19世 紀 初 頭 にか け て ドイ ツ地 域 の 書 籍 出版 業 の 中心 で あ っ た 。 書 籍 出版 業 の 隆 盛 は ザ クセ ンに経 済 的 な繁 栄 を も た ら した だ け で は な く,新 しい 政 治 思 想 の普 及 と受 容 に も大 き な役 割 を果 た した 。 そ し て こ の 隆盛 に寄 与 した の が ラ イ プ ツ ィ ヒの大 学 と書 籍 見 本 市 で あ り,18世 ロ 紀 の ラ イ プ ツ ィ ヒ は 「啓 蒙 市 民 の 中 核 」 と呼 ばれ た 。 しか し19世 紀 に入 る とザ ク セ ンは い くつ か の 転 機 を 迎 え る。1848年 革 命 まで の期 間 で い え ば,ナ ポ レオ ンの 下 で 選 帝 侯 国 か ら王 国 へ 昇 格 した1806 年,ウ ィー ン体 制 に基 づ く領 土 の 大 幅 な割 譲 と ドイ ッ 同 盟 へ の加 盟 を経 験 し た1815年,そ して最 大 の 転 機 は 立 憲 化 を果 た した1831年 で あ る 。 この 立 憲 化 を支 え た の が 自由 主 義 の思 想 や 運 動 で あ り,い わ ゆ る初 期 自由 主 義 は 後 の 三 月 革 命 の 立 役 者 で も あ る 。 従 来 の初 期 自 由主 義 研 究 は西 南 ドイ ツや 北 ドイ ツ,ラ イ ン地 域 に関 心 が 集 中 し,そ れ らの 研 究 成 果 は思 想 史,経 済 く 史,社 会 史 の 各 分 野 で 枚 挙 に い と まが な い 。 そ れ に比 して,ポ ー ルK.H. Pohlが 指 摘 す る よ う に,ザ ク セ ン の 自 由 主 義 に関 す る研 究 の 蓄 積 は こ れ の まで 十 分 で あ っ た とは い い が た い 。 そ こ で,長 くプ レス を通 して新 しい 政 治 思 想 の 窓 口 で あ っ た ザ ク セ ンで は 自 由主 義 が ど の よ う に展 開 した の か を, ザ ク セ ン を取 り巻 く環 境 が 変 動 す る1820年 代 か ら1830年 代 に か け て の タ イ ム ス パ ンで検 証 す る こ とが 本 稿 の 課 題 で あ る 。 そ して プ レス と と も に思 想 普 及 の ツ ー ル と して登 場 した各 種 の 結 社 も考 察 の 対 象 とす る。 こ の課 題 に取 り組 む にあ た り,ザ ク セ ンの 自 由主 義 者 を代 表 す る ア レク サ ン ダ ー ・カ ー ル ・ヘ ル マ ン ・ブ ラ ウ ンA.K.H.Braun(1807∼68年) (以 下 で は,特 に断 りの な い 限 りに お い て は 「ブ ラ ウ ン」 も し くは 「カ ー ル ・ブ ラ ウ ン」 は 「カー ル ・ヘ ル マ ン ・ブ ラ ウ ン」 を 指 す)の 活 動 を素 材 と して用 い る。 彼 を取 り上 げ る の は,プ レス や 協 会 で の 活 動 を経 て ラ ン ト 議 会 第 二 院議 員 とな った と い う歩 み が 自 由 主 義 者 の キ ャ リ ア形 成 の 典 型 で あ る と考 え られ る た め で あ る 。 しか しな が ら ブ ラ ウ ン に関 す る先 行 研 究 は
176(桃 山法学 第23号'14) 決 して豊 富 で は な い 。従 来 ブ ラ ウ ン を知 る手 掛 か りは も っ ぱ ら人物 事 典 で あ る とい っ て も過 言 で は な く,そ の 事 典 で の 説 明 は,ま ず ラ ン ト議 会 第 二 院 議 員 や市 民 層 出 身初 の 首 相,司 法 大 臣 と して の 政 治 活 動,次 に刑 事 訴 訟 く 手 続 改 革 へ の 精 力 的 な 取 り組 み とい う2点 に終 始 して い る。 そ の よ う な 中 で,豊 富 な 史 料 を用 い て は じめ て 詳 細 な ブ ラ ウ ン研 究 を展 開 した の が ピ ー くら ダ ーマ ンY.Biedermannで あ る 。 この 研 究 で特 筆 す べ きは,従 来 は ほ とん ど顧 み られ る こ との な か っ た法 律 家 と して の ブ ラ ウ ンの キ ャ リア に 言 及 し た こ とで あ る。 しか し,こ の言 及 も刑 事 訴 訟 手 続 改 革 の 出 発 点 を 法律 家 時 代 に求 め て の こ とで あ っ た とい う意 味 で は,ビ ー ダ ー マ ン も ま た刑 事 訴 訟 手 続 改 革 の 推 進 者 と して の ブ ラ ウ ン に多 大 な 関 心 を寄 せ た と い う こ と を示 して い る 。 ビー ダ ー マ ンの 著 書 の4分 の3が 結 局 は ブ ラ ウ ン の ラ ン ト議 会 で の 活 動 記 録 に割 か れ て は い る もの の,議 員 と な る以 前 の 法 律 家 と して の ブ ラ ウ ンに 着 目 した こ と は大 きな 成 果 で あ る 。 そ れ に対 して 本 稿 で は,ブ ラ ウ ン が 議 員 活 動 を始 め る 前 段 階,つ ま り 1830年 代 初 頭 にお け る プ レ ス や 各 種 協 会 で の彼 の 活 動 に焦 点 を 当 て る。 第 一 に ,彼 が 故 郷 フ ォー ク トラ ン トで 参 加 した プ レス や協 会 を検 証 す る こ と は,彼 の 政 治 活 動 の 出発 点 を探 求 す る とい う意 味 で も,そ して彼 の 政 治 思 想 の 形 成 過 程 を詳 らか にす る とい う意 味 で も,欠 かせ な い 作 業 で あ るか ら で あ る。 第 二 に,彼 が プ レ ス や協 会 を舞 台 に 自 由主 義 的 な活 動 を展 開 した 1830年 代 前 半 は各 種 の 自 由 を保 障 したザ ク セ ン憲 法 が 制 定 さ れ る 一 方 で, 他 方 で は ドイ ッ 同盟 に よ る 自 由 主 義 へ の弾 圧 が 強 化 され る時 期 に もあ た る。 この 時 期 の ザ ク セ ン にお け る 自由 主 義 を検 証 す る こ とで,ザ ク セ ン王 国 と ドイ ッ 同盟 とい う2つ の 主 体 が プ レス お よび協 会 対 策 の 場 面 で い か な る 関 係 に立 っ た の か を解 き明 か し,一 加 盟 国 と同 盟 と の重 畳 的 な権 力 関 係 を可 視 的 な もの に した い 。 第1章 で は,ブ ラ ウ ンの 政 治 思 想 の 形 成 に大 き く寄 与 した ラ イ プ ッ ィ ヒ 大 学 を,第2章 で は,帰 郷 後 彼 が 当 地 の 自由 主 義 者 た ち と協 働 で は じめ て 関 わ っ た プ レス 活 動 を,第3章 と第4章 で は,そ の プ レス と密 接 に 結 びつ い て 設 立 され た2つ の協 会 を検 証 す る。 ブ ラ ウ ン の活 動 を軸 に こ れ ら を検
ザ クセ ン ・フォーク トラン トにおける自由主義177 証 す る こ とで,激 動 期 の ザ ク セ ン にお け る 自 由主 義 の特 徴 と変 遷 を解 明 す る と と もに,ザ ク セ ン王 国 な らび に ドイ ツ 同 盟 と い う2つ の 次 元 で 展 開 さ れ た法 制 の 観 点 か らプ レス や 結 社 の 自 由 をめ ぐる攻 防 の 実 態 を 明 らか にす る。 第1章1820年 代 の ザ ク セ ン 自 由 主 義 と ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 カ ー ル ・ブ ラ ウ ンは1807年,ザ クセ ン南 西 部 フ ォー ク トラ ン トの プ ラ ウ エ ン で裁 判 官 兼 弁 護 士 の 父 カ ー ル ・ハ イ ン リ ヒ ・ブ ラ ウ ンK.H.Braunの 次 男 と して 生 ま れ た 。彼 は1824年 か ら27年 まで ラ イ フ゜ツ ィ ヒ大 学 で 法 学 を 専 攻 した後,故 郷 プ ラ ウエ ンに戻 り弁 護 士 な ら び に裁 判 官 と して 活 動 す る 一 方 ,他 方 で は当 地 の 自 由主 義 者 た ち と と も に プ レス や 協 会 活 動 を積 極 的 に展 開 した 。 そ の後 は 自 由主 義 者 の 代 表 格 と して ラ ン ト議 会 第 二 院 議 員 に 選 出 され,「 法 律 家 と して の見 識 と 自 由主 義 的 反対 派 と して の 調 停 能 力 」 を持 っ て 三 月 内 閣 を組 閣 した ブ ラ ウ ン で あ った が,ビ ー ダ ー マ ンは そ の 内 閣 を 「可 能 な 限 りす べ て の 政 治 勢 力 と合 意 し なが ら改 革 を断 行 す る とい う く ラ 独 自 の要 求 の た め に挫 折 した」 と評 して い る 。 本 章 で は,ブ ラ ウ ンの 政 治 思 想 の 淵 源 を探 求 す る た め に,彼 が 法 学 を学 び 学 生 生 活 を送 っ た ラ イ プ ツ ィ ヒ を取 り上 げ る。 ラ イ プ ツ ィ ヒ は ザ クセ ン にお け る プ レス と大 学 の 中核 で あ る。1820年 代 の こ の都 市 を舞 台 に,一 方 で い か な る 政 治 思 想 や 運 動 が 展 開 した の か,他 方 で ウ ィー ン体 制 の 下 で プ レス や 大 学 は い か な る 変 容 を遂 げ た の か を考 察 し,そ の 只 中 に 身 を置 い た 学 生 ブ ラ ウ ンへ の影 響 を明 らか に す る。 (1)ザ ク セ ン史 に お け る プ レ スの 意 義 ザ ク セ ン を取 り巻 く環 境 は ブ ラ ウ ンが 誕 生 した19世 紀 初 頭 に大 き く変 化 し た。 ま ず は1806年 の神 聖 ロ ー マ 帝 国 の解 体 で あ る 。 帝 国 の 解 体 に よ っ て ザ ク セ ンは ナ ポ レオ ンの 下 で ラ イ ン 同盟 の構 成 国 とな る と 同時 に,選 帝 侯 国 か ら王 国 へ と昇 格 を果 た した 。 ラ イ ン同盟 時 代 の ザ クセ ン に は フ ラ ンス
178(桃 山法学 第23号'14) 法 制 が 施 行 され た もの の,プ ロ イ セ ンや バ イ エ ル ンの よ う な上 か らの 近 代 化 改 革 は 実 施 さ れ な か っ た。 こ の ザ ク セ ン王 国 を決 定 的 に後 退 させ た の は, 解 放 戦 争 とそ れ に続 くウ ィ ー ン体 制 で あ る 。 とい うの も,最 後 ま で ナ ポ レ オ ン側 に つ い た ザ ク セ ン は ウ ィー ン会 議 の 中 で 領 土 の 半 分 を喪 い,二 大 強 国 オ ー ス トリ ア とプ ロ イセ ン に挟 まれ る 中規 模 ラ ン トへ の 転 落 を余 儀 な く くの さ れ た か ら で あ る 。 しか し 国 王 フ リ ー ド リ ヒ ・ア ウ グ ス ト1世(1750∼1827年)や そ の 弟 ア ン ト ン(1755∼1836年)は な お 国 家 改 革 に 消 極 的 で あ り,枢 密 内 局 の ト ッ フ゜を 務 め る ア イ ン ジ ー デ ルD.v.Einsiede1も ま た18世 紀 へ の 回 帰 を 目 指 す く ラ 政 治 を貫 い た 。 こ の 旧 態 依 然 と した 「貴 族 主 義 的 な特 権 国 家 」 の 変 革 に立 ち 上 が っ た の が 開 明 的 な貴 族 や市 民 層 で あ る 。 彼 らは啓 蒙 思 想 や 革 命 思 想, 自 由主 義 思 想 を拠 り所 に国 家 の 改 革 を志 向 した 。 そ して 新 時 代 を切 り拓 く これ らの思 想 の 浸 透 に多 大 な貢 献 を した一 つ が 中世 以 降 の ザ ク セ ンで 隆 盛 を極 め た書 籍 出 版 業 で あ る。 書 籍 や 雑 誌 とい っ た 出 版 物,す な わ ち プ レス は ザ クセ ン に とっ て2つ の 観 点 で 重 要 で あ る。 第 一 に,プ レス を通 じて 知 の ネ ッ トワ ー ク が 整 備 さ れ た 点 で あ る 。 た とえ ば イギ リス や フ ラ ンス の 啓 蒙 思 想 や 文 学 は ラ イ プ ツ ィ リ ヒの プ レス を介 して ドイ ツ全 土 に,そ して東 欧 や 南 欧 に まで 拡 が っ た 。 そ して 世 紀 転 換 期,す な わ ち フ ラ ンス 革 命 期 か ら ラ イ ン同 盟 時 代 に は,革 命 思 想 や 自由 主 義 思 想 が 同 様 に プ レス を通 じて ザ ク セ ン に浸 透 した 。 これ ら の 思 想 は市 民 層 の イ デ オ ロ ギ ー と化 し,国 家 改 革 を推 進 す る原 動 力 と な っ くゆ た 。 つ ま りプ レス は,近 代 とい う新 しい 時代 を切 り拓 き担 う こ とに な る市 民層 の形 成 に寄 与 す る と同時 に,国 境 を越 え て ドイ ッの み な らず,ヨ ー ロ ッ パ各 国 の 同志 を結 合 す る ネ ッ トワー ク の構築 に寄 与 した の で あ る 。知 の ネ ッ トワ ー ク は,1820年 代 の ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト,30年 代 の 協 会Vereinの 活 動 に際 して 大 き な成 果 を上 げ る こ と に な る 。 そ して 自由 主 義 や 立 憲 主 義 を 唱 え る こ れ らの 活 動 に と っ て,ザ クセ ンの緩 や か な検 閲 体 制 が 比 較 的 有 利 くユの に作 用 した こ と も看 過 して は な ら ない 。 第 二 は経 済 的 観 点 で あ り,書 籍 出 版 業 は ザ ク セ ンに 大 き な経 済 的利 益 を
ザ クセ ン ・フォーク トラン トにおける自由主義179 も た ら した 。 書 籍 出版 業 は 中世 以 来,鉱 山 業 や 繊 維 織 物 業,ガ ラ ス ・磁 器 製 造 業 と並 ん で,ザ クセ ン選 帝 侯 国 の 財 政 基 盤 を支 え る 一 つ の柱 で あ っ た。 この 発 展 の 背 景 に は,大 学 と書 籍 見 本 市 を もつ ラ イ プ ツ ィ ヒ を 中心 にマ ー ケ ッ トが成 立 して い た こ と,ド イ ッ語 で 書 か れ た書 籍 の 出 版 が 多 数 を 占 め た こ と,他 国 に比 べ て検 閲が 厳 格 で は な か った た め に ザ クセ ン で の 出 版 が 好 ま れ た こ と,そ して何 よ り,国 家 自体 が,特 に七 年 戦 争(1756∼63年) く ラ 後,経 済 復 興 の 手 段 と して 優 遇 した こ と な どが 存 す る 。 そ の 結 果 と して 1820年 頃 に は ドイ ツ で 流 通 す る書 籍 の3分 の1が ラ イ プ ツ ィ ヒ で 印刷 され る く ヨ まで に発 展 した 。 しか し ウ ィー ン体 制 が 成 立 す る と,君 主 主 義 と復 古 主 義 に基 づ く ドイ ッ 同 盟 は1819年,い わ ゆ る カ ー ル ス バ ー トの 決議 を行 い,反 体 制 的 な 思 想 や く 運 動 の担 い 手 た る プ レス と大 学 に対 す る監 視 を 開始 した 。 プ レス に 関 して は20ボ ー ゲ ン(320頁)以 下 の も の は す べ て 事 前 検 閲 の対 象 と され,厳 し い 統 制 が 図 られ た。 財 政 的 観 点 か ら書 籍 出版 業 が 上 げ る 収 益 を優 先 して 比 較 的 緩 や か な 検 閲 を実 施 して い た ザ ク セ ンで あ っ た が,同 盟 を率 い る二 大 保 守 国 オ ー ス トリア と プ ロ イ セ ンの 圧 力 を受 け,1830年 代 以 降 は検 閲 の 強 く の 化 に舵 を切 らざ る を え な くな った 。他 方 で大 学 に 関 して は,学 生 の ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トや 秘 密 結 社 の 活 動,教 員 の 教 授 活 動 に対 す る 厳 重 な監 督 が ドイ ツ 同盟 諸 国 に義 務 づ け られ,同 盟 の 安 寧 や秩 序 を乱 す 活 動 や 陰謀 を捜 査, 監視 す る委 員 会 が マ イ ン ツ に設 置 され た。 こ れ らにつ い て は後 述 す る。 カ ー ル ス バ ー トの 決 議 は も ち ろ ん,ザ クセ ン王 国 の プ レス と大 学 の 中核 で あ る ラ イ プ ツ ィ ヒ を大 い に動 揺 させ た 。 ブ ラ ウ ンが 学 生 生 活 を送 っ た の は ま さ し くこ の よ う な激 動 の1820年 代 で あ っ た。 (2)ラ イ プ ツ ィ ヒ 大 学 と 「ジ ュ ス ト ・ミ リ ュ ー 」 の 自 由 主 義 (16) 1409年 創 立 の ラ イ プ ッ ィ ヒ大 学 は ドイ ッ 地 域 で は ウ ィー ン大 学,ハ イ デ ル ベ ル ク大 学 に次 い で古 い 歴 史 を有 し,神 学 部,法 学 部,哲 学 部,そ して 医 学 部 を擁 した 。 ス コ ラ哲 学 や 人 文 主 義 が 隆 盛 を極 め た16世 紀 ま で は,ギ リ シ ア語 や ラテ ン語,ヘ ブ ラ イ語 な どの原 書 が 求 め られ,ラ イ プ ツ ィ ヒ市
内 の 出 版 業 者 は 学 者 と協 働 し膨 大 な 古 典 教 材 を 出 版 し た 。 ま た,1682年 に は ドイ ツ 初 の 学 術 雑 誌 『学 術 論 叢ActaEruditorum』 が ラ イ プ ツ ィ ヒ 大 学 教 授 メ ン ケ0.Mencke,ラ イ プ ニ ッ ツG.W.Leibnizに よ っ て 出 版 さ れ た ロの くユの り,1711年 の ドイ ツ語 に よ る授 業 の 解 禁 を契 機 に ドイ ツ語 の 出版 物 が 急 増 し た りす る な ど,ラ イ プ ツ ィ ヒの 書 籍 出版 業 は右 肩 上 が りの 成 長 を続 け た。 18世 紀 末 か ら19世 紀 初 頭 に か け て は,フ ラ ンス の 革 命 思 想 や 立 憲 主 義,自 由 主 義 が プ レス 同様 大 学 を通 じて もザ ク セ ン に受 容 され,改 革 派 の 理 論 的 支柱 とな っ た 。 こ の よ う に ラ イ プ ッ ィ ヒ は,新 しい思 想 や 社 会 科 学,自 然 科 学 の学 問 成 果 を集 積 し発 信 す る 知 の 拠 点 と して の 地位 を確 立 した の で あ る。 そ して この 知 の拠 点 は い う まで もな く,大 学 とプ レス と い う2つ の 地 盤 に よ っ て 支 え られ て い た。 く ラ 知 の 拠 点 の 構築 に 対 し,大 学 教 授 が 果 た し た 役 割 も ま た 大 き い 。1793年 か ら1813年 ま で 法 学 部 正 教 授 の 座 に あ っ た エ ア ハ ル トC.D.Erhard(1759∼ 1813年)は 老 舗 の 読 書 協 会 「ジ ャ ー ナ ル 協 会 」 の 活 動 に 携 わ っ た り,国 家 く の 学 を教 授 す る結 社 を創 設 した りす る な ど,思 想 の 普 及 や 教 養 市 民 層 の 育 成 に尽 力 した 。 と りわ け18世 紀 半 ば か ら世 紀 末 にか け て全 盛 期 を迎 え た 読 書 協 会 は,そ の 土 地 の聖 職 者 や 教 師,官 吏 な どが 会 員 に 名 を連 ね,知 の ネ ッ ゆ ラ ト ワ ー ク と して 機 能 し た 。 ま た 上 級 宮 廷 裁 判 所 顧 問 官 で も あ っ た エ ア ハ ル ト は1810年 以 降,宮 廷 司 法 顧 問 官 テ ィ ッ ト マ ンK.A.Tittmann(1775∼ 1834年)と と も に,刑 事 訴 訟 も 含 め た 刑 法 典 編 纂 作 業 に 尽 力 し た こ と で も く の 知 ら れ る 。 他 に も ラ ウC.Rau(1744∼1818年)は1786年 か ら1818年 ま で 法 学 部 正 教 授 と し て 教 鞭 を と る 傍 ら,ラ イ プ ツ ィ ヒ や フ ラ ン ク フ ル トで 発 行 さ れ る 新 聞 に 多 数 の 評 論 を 投 稿 す る な ど,旺 盛 な 執 筆 活 動 を 展 開 し た 。 ブ ラ ウ ン在 籍 当 時 の 法 学 部 を 代 表 す る 人 物 と し て,裁 判 史 や 訴 訟 法 を 担 当 し た 法 学 部 長 ビ ー ナ ーC.G.Biener(1748∼1828年),ビ ー ナ ー 説 に 則 っ た 訴 訟 法,教 会 法 を 担 当 し,ド イ ッ 同 盟 体 制 諮 問 委 員 や ラ ン ト議 会 議 員 を 務 め た ク リ ー エ ンK.Klien(1776∼1839年),ド イ ツ 私 法,レ ー エ ン 法, 刑 事 法,ザ ク セ ン法,ド イ ッ 史 な ど 多 岐 に わ た る 分 野 を 講 義 し た ヴ ァ イ セ C.E.Wei13e(1766∼1832年),そ し て ロ ー マ 法 全 般 を 担 当 し,著 名 な 法 学
ザ ク セ ン ・フ ォ ー ク トラ ン トに お け る 自 由 主 義181 く ヨ 者 を輩 出 す る法 律 協 会 を創 設 し た オ ッ トーK.E.v.Otto(1795∼1869年) な どが 挙 げ られ る。 ブ ラ ウ ン が在 籍 した期 間 の シ ラバ ス を概 観 す る と,訴 訟 科 目 の多 くは民 事 訴 訟 に 関 わ る もの で あ り,刑 事 訴 訟 を学 ぶ 機 会 は ほ と ん ど与 え られ て い な い こ とが 判 明 す る。 しか し彼 が30年 代 後 半 か ら ラ ン ト 議 会 で 刑 事 訴 訟 手 続 の 整 備 に専 心 した とい う事 実 を考 慮 す れ ば,彼 の 関 心 を刑 事 訴 訟 手 続 に 向 か わ せ るイ可らか の 契 機 が そ の 後 に あ っ た もの と推 察 で き よ う。 ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 法 学 部 は学 問 教 授 の場 に と ど ま らず,判 決 団 と して の 機 能 も有 した 。 とい うの も,ザ クセ ンで は1574年 以 来,都 市 裁 判 所 な ど の 下 級 裁 判 所 は,ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 法 学 部 も し くは ラ イ プ ツ ィ ヒ参 審 裁 判 所 Schl6ppenstuhlの い ず れ か を 選 択 し問 い 合 わ せ る こ とが で きた か らで あ る。 実 際 に19世 紀 初 頭 の法 学 部 で は 年 間4000を 超 え る案 件 に対 応 した 年 もあ り, 11人 の教 授 が 平 均 して1日 に1案 件 を扱 わ ね ば な らな い な ど多 忙 を極 め た。 46年 に教 授 業 務 と裁 判 業 務 との分 離 が な され る ま で,教 授 た ち は 学 問 に費 く や す 時 間 を奪 わ れ る ほ どの 忙 し さで あ っ た 。 しか し この こ と は,当 時 の 裁 判 や 司 法 行 政 に大 きな 影 響 を及 ぼ す 力 を ライ プ ツ ィ ヒ大 学 の 法 学 部 が 有 し て い た こ と を物 語 っ て い る。 そ の法 学 部 と並 ん で 知 識 人 の 政 治 思 想 に影 響 を及 ぼ した の は,哲 学 部 の 教 授 た ち で あ る。 ブ ラ ウ ン の政 治 思 想 の形 成 を考 究 す る 上 で は,哲 学 や 政 治 学,国 家 学 を リー ド した 同 学 部 教 授 の クル ー クW.T.Krug(1770∼1842 く の く の 年)と ペ ー リ ッ ツK.H.L.P61itz(1772∼1838年)へ の 言 及 は 不 可 欠 で あ る 。 彼 ら は1820年 代 に 中 部 ドイ ツ で 展 開 し た 「ジ ュ ス ト ・ ミ リ ュ ーjuste く の milieuの 自 由 主 義 」 を代 表 す る学 者 で あ り,啓 蒙 主 義 と カ ン ト哲 学 の 影 響 を受 け な が ら健 全 な る 中 庸 を志 向 した。 「カ ン トの 後 継 者 」 と称 さ れ る こ との多 い ク ル ー ク は1805年 ケ ー ニ ヒス ブ ル ク大 学 か ら ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 に転 任 し,ブ ラ ウ ン在 籍 当 時 は哲 学 部 長 の 役 職 に あ った 。 彼 は研 究 ・教 育 活 動 や 大 学 行 政 の み な らず,ザ ク セ ン憲 法 制 定 前 の 身 分 制 議 会 で は ラ イ プ ッ ィ ヒ大 学 代 表 を,33年 以 降 は ラ ン ト議 会 第 一 院議 員 を務 め る な ど 国政 に も精 力 的 に関 与 した 。 ク ル ー ク は 国 家 体
制 の 硬 直 化 を 批 判 し,特 に 国 家 と 教 会 の 分 野 に お け る 自 由 主 義 の 実 現 とザ ク セ ン の 立 憲 化 を 要 求 し て い る 。 そ の 彼 の 自 由 主 義 が 「ジ ュ ス ト ・ミ リ ュ ー 」 を 冠 す る の は,自 ら の 政 治 的 立 場 を 両 極 の 中 間 に 置 く か ら で あ る 。 彼 は 自 著 の 中 で,一 極 に 急 進 的 自 由 主 義Ultraliberalismus,ジ ャ コ バ ン 主 義,サ ン=キ ュ ロ ッ ト主 義,急 進 主 義,カ ル ボ ナ リ 主 義Karbonarismusを,も う 一 極 に 急 進 的 王 党 主 義,非 自 由 主 義111iberalismus,隷 属 主 義Servilismus, 反 啓 蒙 主 義 を 位 置 づ け,両 極 と も 暴 力 的 な 措 置 を 講 じ て 妥 当 し よ う と 欲 す る 点 で 類 似 して い る と 説 く。 急 進 的 な 自 由 主 義 と 急 進 的 な 反 自 由 主 義,す な わ ち 暴 力 を と も な う 革 命 と反 革 命 が 相 互 に 否 定 を 繰 り返 す こ と は 悲 劇 的 く ラ で あ る と批 判 し,そ れ ら 両 極 を 斥 け た の で あ る 。 次 に ペ ー リ ッ ッ は,歴 史 的 観 点 か ら ヨ ー ロ ッ パ 各 国 の 経 済 や 法 律,国 家 制 度,政 治 を 論 じ,1828年 に は 雑 誌 『歴 史 ・国 政 術 年 報Jahrbucherder GeschichteundStaatskunst』 を 創 刊 し た 。 彼 は 一 般 的 に,君 主 主 義 と 代 表 く の 制 立 憲 主 義 との 調 和 を重 ん じる 人 物 と して 理 解 さ れ る 。 そ の 理 由 は,彼 の 理 論 が 一 方 で は君 主 制 原 理 の維 持 を義 務 づ け る ウ ィ ー ン体 制 に合 致 し,他 方 で は立 憲 化 を求 め る 市 民 層 に 理 論 的 支 柱 を提 供 した か らで あ る 。 そ の 意 味 で ペ ー リ ッ ツ は,1810年 代 に 立 憲 化 で きな い ま ま ウ ィー ン体 制 に 組 み 込 まれ た ザ ク セ ン の立 場,そ して そ の 内 部 で湧 き上 が る 立 憲 主 義,自 由 主 義 に対 す る 渇 望 とい う二 面 性 を体 現 した学 者 とい え よ う。 しか し彼 ら二 人 の 政 治 思 想 に お い て 最 も肝 要 で あ る の は,体 制 の 転 覆 を 図 る革 命 で は な く改 革 を志 向 す る とい う共 通 点 を有 して い た こ とで あ る。 クル ー ク もペ ー リ ッ ツ も伝 統 的 な 社 会 と近 代 社 会 との 調 和 を 目 的 と し,革 命 を否 定 す る。 彼 らの この 政 治 理 念 は講 義 や 自著 の み な らず,ザ クセ ン政 治 の 場 で も具 現 化 され た 。 そ れ は フ ラ ンス七 月 革 命 に 端 を発 した1830年 の ライ プ ツ ィ ヒ騒 乱 へ の 対 応 で あ る 。騒 乱 勃 発 当時 ラ イ プ ツ イ ヒ大 学 長 で あ っ た ク ル ー クは,市 参 事 会 が 解 体 され る とい ち 早 く学 生 た ち に護 衛 部 隊 の 編 成 を命 じた 。 こ の護 衛 部 隊 は,有 産 市 民 層 か ら組 織 され た コ ミュ ー ン護 衛 く 隊Kommunalgardeと と も に 騒 乱 の 鎮 圧 に 尽 力 し た の で あ る 。 ジ ュ ス ト ・ ミ リ ュ ー の 自 由 主 義 者 た ち は 下 か ら の 革 命 で は な く上 か ら の 改 革 を 期 待 し,
ザ クセ ン ・フォーク トラン トにおける自由主義183 そ れ らの改 革 に協 力 す る と い う意 味 で は 国家 との 協 働,と き に は妥 協 の 道 を選 択 した の で あ る 。 以 上 の よ う に,ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 の 教 授 は 大 学 で の教 育 ・研 究 活 動 に と ど ま らず,ザ ク セ ンの 司 法 や 政 治,国 家 改 革 に対 して積 極 的 に コ ミ ッ トす る存 在 で もあ っ た。 学 界,政 界 を リ ー ドす る 教授 た ち の 政 治 思 想 は まだ 年 若 い ブ ラ ウ ンの 思 想 形 成 に イ ンパ ク トを与 え た の で あ る 。 (3)ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トと 大 学 の 変 質 次 に,大 学 を 取 り巻 く環 境 な ら び に 大 学 そ れ 自 体 の 変 質 の 検 討 に 移 ろ う。 変 質 の 主 要 な 契 機 は ド イ ツ 同 盟 に よ る カ ー ル ス バ ー トの 決 議 で あ る 。 ラ イ プ ッ ィ ヒ大 学 も ま た,自 由 な 教 授 陣 か ら な る 自 治 的 で 自律 的 な 大 学 か ら, 上 か ら の 統 制 に 服 す る 国 家 の 大 学 へ と変 質 せ ざ る を え な く な っ た 。 ブ ラ ウ ン が 在 籍 し た1820年 代 半 ば の 大 学 は ま さ に そ の 変 質 の 只 中 に あ っ た 。 大 学 を 変 質 させ た カ ー ル ス バ ー ト の 決 議 の 一 つ,「 大 学 の 観 察 に お い て 講 じ ら れ る べ き措 置 に 関 す る 暫 定 的 な 同 盟 決 議ProvisorischerBundes-beschlul3uberdieinAnsehungderUniversitatenzuergreifendenMa13一 くヨ regeln」,い わ ゆ る 大 学 法 か ら考 察 を 始 め よ う。 大 学 法 に 基 づ き,大 学 監 視 の 中心 的役 割 を担 う特 別 全 権 委 員 の 設 置 が各 同 盟 国 に 義 務 づ け られ た 。 特 別 全 権 委 員 と は ラ ン ト君 主 か ら全 権 を委 任 され た人 物 で,大 学 所 在 地 に居 住 し,教 授 と学 生 を常 時 監 視 す る 任 務 を遂 行 した。 任 務 の 具 体 的 内 容 は, 現 行 の規 則 や 規 律 ・規 定 が 厳 格 に 施 行 さ れ て い る か を 監 視 す る こ と,教 授 が 講 義 で見 せ る思 想 を注 意 深 く観 察 す る こ と,学 問 や教 授 方 法 に は 直 接 的 介 入 す る こ と な く,学 生 の 将 来 に と っ て有 益 な指 導 を教 授 に行 う こ と,そ して,学 生 が 人 倫 性 や 善 良 な秩 序,行 儀 を身 につ け る 上 で 役 立 つ あ ら ゆ る こ とに 対 して 絶 え ず 注 意 を向 け る こ とで あ っ た(同 法1条)。1820年3月 8日,ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 に も特 別 全 権 委 員 設 置 に 関 す る 通 達 が 出 され,ラ イ プ ツ ィ ヒ警 察 長 官 ラ ケ ルL.E.v.Rackel(1766∼1820年)が こ の 職 に就 (32) い て い る 。 同 様 に 大 学 を 変 質 さ せ た も う 一 つ の 決 議 は,「 複 数 の 同 盟 国 で 発 覚 し た
革 命 的 策 動 を 詳 細 に 捜 査 す る た め の 中 央 官 庁 の 設 置 に 関 す る 決 議Be- schlul3betreffenddieBestellungeinerCentralbehordezurnahernUnter-suchungderinmehrerenBundesstaatenentdecktenrevolutionarenUm一 リヨラ triebe」 で あ る 。 こ れ に し た が い 設 置 さ れ た マ イ ン ッ 中 央 捜 査 委 員 会 は 祖 国 の 自 由 と 統 一 を 求 め 急 進 化 し た 運 動 を 捜 査 対 象 と し,最 大 の タ ー ゲ ッ ト と さ れ た の が ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トで あ る 。 ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト研 究 者 で あ る レ オ ン ハ ル トH.Leonhardtが 表 現 し た よ う に,1820年 代 は,ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トが マ イ ン ツ 中 央 捜 査 委 員 会 に よ っ て 「後 を 付 け 回 さ れ 付 き ま と り わ れ る」 時 期 で あ っ た 。 1818年6月 創 設 の ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 の ブ ル シ ェ ンシ ャ フ トは,最 盛 期 に は 約400名 の 会 員 を抱 え,ド イ ッ屈 指 の 組 織 と規 模 を誇 る学 生 組 合 へ と成 長 した。 この ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トも ほ ぼ毎 年,家 宅 捜 索 や 事 情 聴 取,逮 捕, 起 訴 の対 象 と な り,ラ イ プ ツ ィ ヒ に学 ぶ ブ ラ ウ ン 自 身 もそ の 様 子 を書 き記 くヨの して い る 。 と こ ろが 捜 査 や 起 訴 は ザ ク セ ン政 府 の 主 導 で は な く,マ イ ン ツ 中 央 捜 査 委 員 会 や プ ロ イセ ン,オ ー ス トリア 両 政 府 か らの 指 示 に端 を発 す る も の が 多 く,し か も大 学 当局 に よ る処 分 は た い て い 人 道 的 で寛 大 で あ っ ラ た 。 逮 捕 され た 学 生 は 放 校 や 諭 告 退 学,禁 足 処 分,戒 告 処 分 な どに 処 さ れ た も の の,ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トは 解 散 して も即 座 に 「読 書 協 会 」 や 「フ ェ ン シ ン グ協 会 」 と看 板 を変 え,自 由 主 義 的 ・愛 国 主 義 的 な精 神 を脈 々 と受 け 継 い で い った 。 しか し,年 々 強 ま る外 圧 の 中 で ザ ク セ ンの ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト対 策 が 大 き く転 換 した の が,ブ ラ ウ ン が 学 生 生 活 を送 る最 中 の1825年 で あ る 。 同 年 3月 に始 まっ た マ イ ンツ 中央 捜査 委 員 会 に よる最 大 規 模 の 捜査 は,ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト大 会 が1821年 に極 秘 開 催 さ れ て い た と い う容 疑 に基 づ くもの で, リフラ ラ イ プ ツ ィ ヒの ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト もま た 重 要 な捜 査 対 象 で あ っ た 。3月 18日 に は全 権 委 任 委 員 の 下 に ブ ル シ ェ ンシ ャ フ ト捜 査 に専 従 す る特 別 捜 査 委員 会 が設 け られ,大 学側 か らは法 学 部教 授 ク リーエ ン と大学 法律 顧 問 リュ ー リ ン グRUhlingの 参 加 が 認 め ら れ た にす ぎな か っ た。 上 級 裁 判 所 裁 判 官 で ラ イ プ ツ ィ ヒ刑 事 ・警 察 合 同 庁 長 官 の エ ンデK.H.K.F.v.Endeが 全 権 委
ザ クセ ン ・フ ォー ク トラ ン トに お け る 自由主 義185 任 委 員 に 着 任 し て 以 降,ブ ル シ ェ ン シ ャ フ ト と 大 学 へ の 監 視 は 強 化 さ れ た 。 続 く3月21日 に は 「秘 密 学 生 結 社 へ の 参 加 者 を 公 職 か ら 排 除 す る こ と に 関 くヨ す る命 令 」 が 出 さ れ る な ど,25年 を契 機 に 反体 制 的 な 学 生 に対 す る 処 分 の 厳 格 化 が確 実 に図 られ た の で あ る 。 学 生 や教 授 の 監 視 を名 目 に,国 家 に よる大 学 へ の 介 入 と監 視 を 強 化 す る 大 学 改 革 は1830年3月 以 降 さ らに 加 速 す る 。 この 改 革 を擁 護 した の が 大 学 長 ク ル ー ク で あ り,彼 は学 長 を 頂 点 とす る ヒエ ラ ル キ ー の構築 を志 向 し くヨ た 。 学 長 を頂 点 に据 え た 大 学 評 議 会 へ の教 授 の 組 み 入 れ,国 家 が任 命 す る 委 員 を含 む 大 学 行 政 委 員 会 の設 置,そ して大 学 財 産 の 国 有 化 な どが 図 ら れ, く の 組 織 的 に も財 政 的 に も大 学 の 自治 や 特 権 は次 第 に失 わ れ て い っ た 。 こ う し て 今 や 大 学 は 国 家 の管 理 の 下 に 置 か れ る他 律 的 な組 織 で あ る こ とが 形 式 的 に も実 質 的 に も明 白 に な っ た の で あ る。 ブ ラ ウ ンは 激 動 の20年 代 半 ば に,プ レス と大 学 を通 して 形 成 され た 知 の 拠 点 ラ イ プ ツ ィ ヒ で学 ん だ。 ブ ラ ウ ン は この都 市 で,自 由 な言 論 や 出 版, 学 問,そ して 政 治 思 想 の 流 布 や 政 治 活 動 の機 会 が 損 な わ れ て い く状 況 を直 接 に経 験 した 。 同時 に彼 は こ の都 市 で,ザ クセ ン の現 行 法 制 を学 ぶ 中 で 訴 訟 法 や 裁 判 制 度 の抱 え る問 題 に も直 面 した 。 しか し他 方 で は 当 時 の 政 治 思 想 界 に大 きな 影 響 を有 した 「ジ ュ ス ト ・ミ リ ュ ー」 の 自由 主 義 に触 れ,ま た,自 由 と統 一 を求 め て 何 度 で も立 ち上 が る ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トの 運 動 を 目の 当 た りに も して い る。 こ こ に,続 く1830年 代 初 め に ブ ラ ウ ンが プ レス や協 会 を通 して,自 身 の 自 由主 義 思 想 を展 開 して い く原 点 が 見 出 せ る。 ブ ラ ウ ンが 学 業 を終 え帰 郷 した1827年,国 王 の 交 代 が あ っ た もの の,現 状 維 持 の保 守 的 な政 治路 線 は変 わ ら なか っ た 。 しか し経 済 的 な観 点 か ら見 れ ば,20年 代 後 半 は マ ニ ュ フ ァ クチ ュ ア が本 格 的 に展 開 す る時 期 に あ た り, 市 民 層 が 自由 な労 働 や 営 業 の保 障 を主 張 し始 め た。 彼 ら は営 業 の 自由 や 職 業 選 択 の 自由 の 保 障,国 家 主 導 の 産 業 振 興 とい っ た経 済 改 革 の み な らず, 中 に は,憲 法 の 制 定 と国 民 代 表 の 召 集,議 院 内 閣制 な どの 国 制 改 革 を模 索 く の す る もの も現 れ た。 こ う して30年 を迎 え る 頃 に は,停 滞 す る政 治体 制 と伸
長 す る 経 済 界 と い う両 者 の 溝 は も は や 埋 め が た い も の に な っ て い た 。 第2章 ザ ク セ ンの 立 憲 化 と プ レ ス 『フ ォ ー ク トラ ン ト誌 』 郷 里 プ ラ ウエ ンに戻 っ た ブ ラ ウ ン は そ の 地 で 法 律 家 と し て の キ ャ リ ア を ス タ ー トさせ た。 彼 は 父 の 下 で 実 務 経 験 を積 ん だ後,自 らの 法 律 事 務 所 を ゆ ラ 開 き,弁 護 士 と して,ま た各 地 の 管 区 で裁 判 官 と して働 き始 め た 。 彼 の 帰 郷 後 ほ どな く して,1830年 フ ラ ンス で 七 月 革 命 が 勃 発 した 。 そ の余 波 を受 け ザ ク セ ン で 勃 発 し た 騒 乱 は 自 由 主 義 的 な枢 密 顧 問 官 リ ンデ ナ ウB.v. Lindenauを 首 相 に,王 太 子 フ リー ドリ ヒ ・ア ウ グ ス トを摂 政 に 起 用 した 新 体 制 を創 出 した 。 こ の 下 で 国 王 ア ン トン は10月5日,「 国 制 と行 政 にお け る徹 底 的 な 改 善 」 を公 約 し,1831年9月4日 に は ザ クセ ン王 国 憲 法 が 制 ラ 定 さ れ る に 至 る。 よ うや くの 立 憲 化 の 達 成 と 自 由 主 義 的 な 気 運 の 盛 り上 が り を背 景 に, 1830年 以 降,自 由主 義 や 立 憲 主 義 は ブ ル シ ェ ン シ ャ フ トに代 わ る新 た な表 現 の 場 を見 出 した。 そ の 場 こ そ協 会 で あ る 。協 会 は 政 治 的 な主 張 や 目的 を 前 面 に押 し出 す こ とな く結 成 され,そ の 門戸 を学 生 や 知 識 人 以 外 に も開 い て い る とい う特 徴 を有 し た。 ブ ラ ウ ン も また,い くつ か の 協 会 に所 属 し, 協 会 の機 関 誌 的 役 割 を担 う プ レス の 発 行 に も携 わ る よ う に な っ た 。 本 章 で は まず,ブ ラ ウ ンの プ レス 活 動 か ら検 討 を始 め よ う。 (1)ザ ク セ ン の 立 憲 化 ブ ラ ウ ン は プ ラ ウ エ ン へ の 帰 郷 後,自 由 主 義 的 で 改 革 を 志 向 す る 同 志 と と も に グ ル ー プ を 形 成 し た 。 こ の 事 実 か ら も ブ ラ ウ ン は ラ イ プ ツ ィ ヒ 大 学 で の 学 び を 通 し て,自 由 主 義 を 受 容 し て い た こ と が 明 ら か に な る 。 こ の グ ル ー プ に は,後 に 第 二 院 の 自 由 主 義 勢 力 を 率 い る デ ィ ス カ ウJ.0.H.V.
Dieskau,ト ッ トK.G.Todt,そ し て ハ ウ ス ナ ーH.A.Haul3ner,弁 護 士 カ
ン ツE.Kanz,ギ ム ナ ジ ウ ム 教 師 フ ィ ー ド ラ ーM.H.A.V.Fiedler,神 学 者
ザ クセ ン ・フ ォー ク トラ ン トに お け る 自由主 義187 め た 商 人 で 工 場 主 の べ ー ラ ーF.L.Bohler,ブ ラ ウ ン の 義 兄 弟 シ ュ タ イ ン く ラ ベ ル ガ ーK .A.Steinbergerら の 名 前 が確 認 され る よ う に,法 律 家 や 学 者, 教 師 とい っ た 教 養 市 民 層 に加 え,商 人 や 工 場 主 に代 表 され る経 済 市 民 層 が 集 っ た。 さ て,ブ ラ ウ ンの協 会 や プ レス にお け る活 動 を検 討 す る前 提 と して,ザ クセ ン の 立 憲 化 が これ らの 活 動 に い か な る作 用 を及 ぼ した の か を把 握 して お か ね ば な ら ない 。 ザ ク セ ン憲 法 は第3章 で 「臣民 の 一 般 的 な 権 利 お よび 義 務 」 を規 定 して い る。 ま ず,憲 法 典 に は結 社 や 集 会 の 自 由 を定 め た条 文 は な い 。 同 時 代 の 他 国 の憲 法,す な わ ち バ イエ ル ンや バ ー デ ン,ヴ ュ ル テ ンベ ル ク,ヘ ッセ ン な どい ず れ の 国 の憲 法 にお い て も結 社 や 集 会 の 自 由 へ の 言 及 は 見 られ な い 。 よ うや くこ れ らの 自 由が 登 場 す る の は1849年 の ドイ ツ帝 国憲 法,い わ ゆ る フ ラ ン ク フ ル ト憲 法 で あ る 。 帝 国 憲 法 は,平 和 的 か つ 非 武 装 で 集 会 を す る権 利(161条)や 協 会 を設 立 す る権 利(162条)を 明 文 で 保 障 し,帝 国 権 力 の箇 所 で は,基 本 権 と して保 障 さ れ た これ ら の 自由 を帝 国権 力 が 侵 害 (45) して は な らな い と明記 した(59条)。 他 方 で プ レス に 関 して は,ザ ク セ ン憲 法35条 が 「プ レス な らび に 書 籍 業 に関 す る 問 題 は,同 盟 法 の 諸 規 定 と濫 用 対 策 に配 慮 しつ つ も原 則 と して プ レス な らび に書 籍 業 の 自 由 を認 め る法 律 に した が っ て 規律 さ れ る」 と定 め て い る。 そ れ まで の ザ クセ ン で は,1812年8月10日 ナ ポ レ オ ン の 下 で 出 さ (46) れ た 命 令(以 下,12年 命 令 と略 す)が 効 力 を 有 し て い た 。 こ の 命 令 は 国 家 主 導 で の 検 閲 体 制 ・行 政 の 整 備 を 目 指 し た に も か か わ ら ず,検 閲 担 当 者 へ の 通 達 が 概 略 的 な 内 容 に と ど ま っ た た め,検 閲 が 担 当 者 の 解 釈 や 恣 意 に 左 右 さ れ る と い う 不 徹 底 さ が 目 立 っ て い た 。 そ の よ う な 中 で 憲 法35条 に 基 づ き 暫 定 的 な プ レ ス 法 と し て 公 布 さ れ た の が,1831年9月10日 の 「福 音 派 正 枢 密 顧 問 官 命 令Erla13derevangelischenwirklichenGeheimenRathe」 と く フ 「検 閲 官 の た め の通 達 」(以 下,31年 命 令 な らび に31年 通 達 と略 す)で あ る。 こ れ らは,憲 法 が保 障 す る 思 想 の 自 由,表 現 の 自由 を制 約 す る に は合 理 的 な理 由 が 必 要 で あ る と規 定 す る こ とで,従 来 見 られ た 検 閲官 の 恣 意 を
排 除 し,検 閲 官 の 許 可 基 準 を 明 確 化 す る 内 容 で あ っ た 。 つ ま り,「 自 由 を 濫 用 し て い る が ゆ え に 制 約 せ ざ る を え な い 」 と 判 断 さ れ る 要 件 が 通 達 に よ り具 体 的 か つ 明 確 に 告 知 さ れ る こ と で,保 障 さ れ る 自 由 の 範 囲 が 確 定 さ れ た の で あ る 。 しか し あ く ま で も31年 命 令 は 暫 定 的 な も の で あ り,確 定 的 な 「プ レ ス 行 政 に 関 す る 命 令VerordnungfiberVerwaltungderPresspolizei」 と 「検 閲 官 の た め の 一 般 通 達AllgemeineInstructionderCensoren」(以 下, く ラ 36年 命 令 な ら び に36年 通 達 と略 す)が 出 され るの は36年10月13日 の こ とで あ る。 プ レス や協 会 へ の規 制 は む しろ外 か ら もた ら さ れ た 。 そ れ は1832年6月 28日 と7月5日 の 「ドイ ツ 同盟 に お け る法 的 な安 寧 秩 序 の 維 持 の た め の 措 く 置 に 関す る 同 盟 決 議 」 で あ る 。 カ ー ル ス バ ー トの 決 議 に よ っ て一 度 は プ レ ス や 大 学 に お け る反 体 制 的 な思 想 が 封 じ られ た に見 え た が,そ れ らの 思 想 は1830年 を き っか け に再 び息 を 吹 き返 した 。何 よ り ドイ ツ 同盟 を 驚 愕 させ 上 記 の決 議 へ と至 ら しめ た の が 同 年5月 末 に 「自 由 な プ レス を支 援 す る た め の ドイ ツ祖 国 協 会 」(以 下,ド イ ツ ・プ レ ス支 援 協 会 と略 す)が 開 催 し く ラ た ハ ンバ ッハ 祭 で あ る 。 決 議 で は,政 治 的 内 容 を扱 う20ボ ー ゲ ン未 満 の プ レス は各 国 政 府 の事 前 の 許 可 を必 要 とす る こ と と,同 盟 国 は プ レス に対 す る規 制 措 置 に必 要 な規 則 を制 定 す る こ とが命 じら れ,こ の 要 請 は ザ クセ ン 国 内 に お け る プ レス法 制 定 作 業 を急 が せ る こ と と な っ た 。 しか しプ レス 法 案 を め ぐる ラ ン ト議 会 で の 審 議 は そ の 後 も膠 着 状 態 が 続 き,結 局 は36年 国 王 に よ っ て プ レス 命 令 が 出 さ れ る とい うプ ロセ ス を辿 る こ と に な っ た 。 1832年 以 降 の ドイ ツ同 盟 に よる 監 視 強 化 は あ っ た もの の,ブ ラ ウ ンが 自 由 主 義 的 な協 会 活 動 に参 加 す る に ふ さ わ しい 環 境 が 少 な くと も30年 代 初 め の ザ ク セ ンで は整 え られ た。 とい うの も,国 家 改 革 が ス タ ー トし,憲 法 の 制 定 とラ ン ト議 会 の創 設 が よ うや く実 現 した か ら で あ る 。 (2)結 節 点 と して の 『フ ォー ク トラ ン ト誌 』 ブ ラ ウ ン ら 自 由主 義 者 の グ ル ー プ は プ ラ ウエ ン や フ ォー ク トラ ン トの み な らず,国 家 や 国民 全 体 に 関 わ る テ ーマ を論 じた。 そ して 彼 らの 問 題 意 識
ザ クセ ン ・フ ォー ク トラ ン トに お け る 自由主 義189 や 見 解 を 広 く表 明 す る た め の ツ ー ル と し て 利 用 さ れ た の が 『フ ォ ー ク トラ く ラ ン ト誌BlatterausdemVoigtlande』 で あ っ た 。 そ の 意 味 で こ の プ レ ス は, プ ラ ウ エ ン の 自 由 主 義 者 た ち の 結 節 点 と し て 機 能 し た 。 『フ ォ ー ク トラ ン ト誌 』 は,弁 護 士 カ ン ツ の 編 集 の 下 で,1831年3月30 ゆ ラ 日か ら33年12月25日 まで 合 計52号 が 発 刊 され た 週 刊 誌 で あ る。 雑 誌 の 目 的 は,国 民 生 活 や 国家 生 活 に 関 す る 問 題 を討 議 す る こ とで,政 治 的教 養 が い まだ 欠 落 して い る人 々 に対 し,政 治 を担 う市 民 と して の 進 歩 を促 す こ とで あ っ た。 『フ ォー ク トラ ン ト誌 』 は 「改 革 」 に よる 国 民 の解 放,「 改 革 」 に よ る 国家 の 安 定 を 目指 し,国 家 改 革 に よっ て よ り自 由 主 義 的,立 憲 主 義 的 なザ ク セ ンの 実 現 を 求 め る論 陣 を張 っ た た め,し ば しば 検 閲や 捜 査 の 対 象 ゆ と な る こ と もあ っ た 。 こ こ か ら明 らか とな る ブ ラ ウ ン らの グ ル ー プ と そ の機 関 紙 『フ ォー ク ト ラ ン ト誌 』 の 特 徴 は,第 一 に,ロ ー カ ル な テ ー マ だ け で は な く国 家 全 体 や 国 家 政 治 に 関 わ る テ ー マ を論 じた こ とに,第 二 に,従 来 の 情 報 伝 達 型 の プ レス か ら脱 し,自 由 主 義 勢 力 と協 働 しな が ら眼 前 の 政 治 へ の コ ミ ッ トを深 め た こ と に あ る。 さ ら に 第 三 の特 徴 は,「 改 革 」 が あ ら ゆ る 問 題 解 決 の た め の 基 礎 に 置 か れ た こ とで あ る 。 プ ラ ウ エ ン 自 由主 義 者 た ち は,改 革 を追 求 す る こ とは 「法 に 則 っ た 要 求 」 で あ り,「 新 しい 国 家 制 度 の 構築 は そ こ く ラ こ こで ゆ っ く り と しか 進 展 しな い 」 と説 く。不 法 な手 段 で 性 急 に物 事 を変 革 す る こ と を忌 避 し,し ば しば暴 力 を と もな っ て展 開 す る革 命 か らは 距 離 を置 く。 この 政 治 姿 勢 は確 か に クル ー ク や ペ ー リ ッツ に代 表 さ れ る 「ジ ュ ス ト ・ミ リ ュー 」 の 自由 主 義 と軌 を一 にす る 。 ブ ラ ウ ン以 外 に もデ ィス カ ウ,ト ッ ト,そ して カ ン ツ は い ず れ もラ イ プ ッ ィ ヒ大 学 に学 ん だ こ とが 史 お ラ 料 上 判 明 して い る こ とか ら も,ク ル ー ク らの 思 想 が 彼 ら に一 定 の 影 響 を及 ぼ して い る とい え よ う。 しか し,フ ラ ンス や ベ ル ギ ー,ポ ー ラ ン ド,北 ド イ ッ諸 ラ ン トで の 自由 や 統 一 を 求 め た革 命 や 蜂 起 は プ ラ ウエ ン 自由 主 義 者 た ち に大 きな イ ンパ ク トを与 え,彼 らは リ ンデ ナ ウ の 下 で 開始 され た 諸 改 革 の 不 徹 底 さ に不 満 を抱 くよ うに な っ て い った 。 次 に,こ の よ うな思 想 的 基 盤 を もつ 『フ ォー ク トラ ン ト誌 』 で は い か な
190(桃 山法学 第23号'14) る問 題 が どの よ うに論 じら れ た の か を検 討 す る。 こ の作 業 を通 じて彼 ら プ ラ ウエ ン 自由 主 義 者 た ちの 政 治姿 勢 が よ り一層 明 確 に捉 え ら れ る か らで あ る。 第 一 に,憲 法 につ い て は,誰 もが こ の法 律 の 必 要 性 を主 張 して い る。 お り し も1831年9月 に ザ クセ ン初 の 憲 法 典 が 制 定 さ れ た こ と も あ り,誌 面 で も新 憲 法 へ の 要 望 や期 待 が 多 く語 られ て い る 。 憲 法 は プ レス の 自由 や 学 問 の 自 由,信 教 の 自 由,法 の 前 の平 等 な ど個 々 人 の 自 由 を保 障 す る とい う観 点 か ら論 じ られ る の は も ち ろ ん の こ と,同 誌 の 寄 稿 論 文 で は,憲 法 は 端 緒 くうの につ い た ば か りの改 革 を さ らに推 し進 め る た め の 基 礎 と位 置 づ け られ,重 要 視 さ れ て い る。 憲 法 の 条 文 一 文 一 文 が これ か ら 国家 組 織 や 法 律 を改 革 し 整 備 して い くた め の源 で あ る以 上,こ の法 典 は き わ め て 大 き な意 味 を有 し て い た 。 つ ま り,「 法 に 則 っ た 改 革 」 を志 向 す る 自 由主 義 者 た ち の拠 り所 で あ り出発 点 こ そ,ま さ し くこ の 憲 法 典 に他 な ら な か っ た 。 第 二 に,そ の 憲 法 に基 づ い て新 設 さ れ た ラ ン ト議 会 に関 す る議 論 を取 り 上 げ る。 ラ ン ト議 会 につ い て彼 らは い さ さか 保 守 的 な 立 場 を表 明 す る。 と い う の も,ま ず,国 王 の 裁 量 の余 地 が きわ め て 大 きい 第 一 院 と選 挙 に基 づ く第 二 院 か ら構戒 され る二 院制 を承 認 す る 。 そ の 上 で,第 二 院議 員 の 選 出 るの 方 法 につ い て は2つ の 方 向 性 が 見 られ る 。 一 つ 目 は,1831年6月15日 の 『フ ォー ク トラ ン ト誌 』 で 確 認 で き る,す べ て の 公 民 に選 挙 権 を 与 え る普 通 選 挙 を 求 め る もの で あ る。 しか しそ の後 は も っ ぱ ら二 つ 目 の方 向 性,す な わ ち,財 産 と教 養 を備 え た市 民 層 に有 利 な 制 限 選 挙 が 提 唱 さ れ て い る。 確 か に,土 地 所 有 者 の み が 選 挙 資 格 を独 占 した り,財 産 に基 づ く制 限 選 挙 が 「国民 代 表 に不 可 欠 な思 慮 や 能 力 を奪 っ た 」 りす る こ とが あ っ て は な ら ない との注 文 もつ け る が,制 限 選 挙 を支 持 す る論 調 が 支 配 的 で あ っ た 。 背 景 に は,急 速 に経 済 的 に も社 会 的 に も勢 力 を伸 ば して きた 経 済 市 民 層 へ の 期 待 と配 慮 が あ る 。31年7月6日 に は,「 今 日の 国 家 の 力 が 拠 っ て立 つ 」 の は 「産 業 経 営 者 や 商 業 市 民 層 」 で あ り,彼 らの 活 動 は 多 様 で無 限 の 実 体 くう ラ 的 支 援 を提 供 す る根 源 で あ る と論 じ られ て い る。 『フ ォー ク トラ ン ト誌 』 と関 係 の深 い 協 会 に お い て も,経 済 市 民 層 で あ る商 人 や 工 場 主 の 参 加 が 見
ザ クセ ン ・フォーク トラン トにおける自由主義191 られ る こ とか ら も,彼 らの 利 害 を反 映 す る 制 限 選 挙 が 選 択 さ れ る こ と は不 思 議 で は な い 。 こ の 点 にお い て プ ラ ウエ ンの 自 由主 義 は,一 方 で は 資 本 主 義 的 な 大 企 業 家 の 影 響 力 を 拒 否 し た ッ ヴ ィ ッ カ ウの 『DieBiene』 とは 異 な り,他 方 で は,同 様 に経 済 市 民 層 が 中心 と な っ て制 限 選 挙 を支 持 した ラ イ ン 自 由 主 義 に通 底 す る と こ ろ が あ る。 プ ラ ウエ ン 自由 主 義 の こ の 特 徴 は, プ ラ ウ エ ン を含 む フ ォー ク トラ ン トが ザ クセ ンの 中 で も先 進 的 な工 業 地 帯 る で あ っ た こ と も大 き く作 用 して い よ う。 この よ う に ザ クセ ン で は 地 域 に よ る 自 由主 義 の バ リエ ー シ ョ ンが あ る こ とが わ か る。 した が っ て,従 来 顧 み られ る こ との 少 な か った ザ ク セ ンの 自 由主 義 につ い て は,他 の ドイ ツ諸 国 の 自 由主 義 と比 較 す る こ と は もち ろ ん だ が,ザ ク セ ン国 内 の 差 異 に も着 目 し なが ら,今 後 さ らな る検 証 と精 査 が 必 要 で あ る。 第 三 に,国 政 に責 任 を もつ こ との で きる公 民 の 創 出 が 種 々 の改 革 と結 び く の つ け て主 張 され る。 まず は,農 業 改 革 に よる公 民 の創 出 が 課 題 と され た。 彼 ら 自 由 主 義 者 に とっ て 農 業 改 革 は,単 に 生 産 力 を挙 げ る と い う経 済 的 な 観 点 か ら追 求 さ れ る の で は な く,農 民 の解 放,農 民 に よ る権 利,自 由 の 獲 得 に重 点 を置 く もの で あ っ た 。 ザ クセ ン農 業 の 近 代 化 の 前 提 と して,領 主 裁 判 権 や賦 役 の 廃 止,土 地 所 有 権 の 獲 得 な ど を含 む レー エ ン制 の廃 止 と と く ユ も に,農 民 の 人 格 の 自由 の 回復 が 主 張 さ れ た 。 つ ま り,農 民 の解 放 は 経 済 的 に も人格 的 に も 自律 した公 民 の 創 出 に つ な が る と考 え られ た の で あ る。 そ して公 民 の 創 出 に と っ て欠 か せ ない も う一 つ の 改 革 の柱 が 教 育 で あ る。 い ま だ政 治 的 教 養 が 欠 落 して い る 人 間 を 国 政 に参 加 で き る公 民 に 陶 冶 す る く ラ た め の初 等 教 育,中 等 教 育 の整 備 が 提 言 され る。 プ ラ ウエ ン 自 由 主 義 者 た ち は教 育 に対 す る 国家 の 責 任 を 明確 に し,教 育 行 政 へ の 教 会 の介 入 を完 全 く ヨラ に斥 け た 。 しか し教 育 問 題 は学 校 や 教 師 の 整備 と い っ た ハ ー ド面 だ け で は な く,解 放 的 な思 想 の 普 及 を 阻 む 検 閲 問 題,教 育 へ の 国 民 の 関心 や 時 間 を 奪 い か ね な い 国 家 や領 主 に よ る 過 大 な負 担 問 題 と い っ た 問 題 と も深 く関 連 して い る た め,他 の 国 家 改 革 と同 時 並 行 して 実 施 さ れ ね ば な らな か っ た。 そ の 意 味 で も,国 家 全 般 に わ た る 改 革 の必 要 性 が 改 め て 強 く認 識 され る こ と に な る 。
192(桃 山法学 第23号'14) 第 四 に,商 工 業 ・産 業 改 革 に つ い て で あ る 。 先 述 の 農 業 改 革 とは 異 な り, これ らの改 革 で は経 済 的 財 政 的利 益 を い か に確 保 す る の か と い う こ とが 重 視 さ れ て い る。 ウ ィー ン会 議 後 の ザ ク セ ンは 領 土 の割 譲 や 荒 廃 に よ って 甚 大 な損 益 を被 っ た。 加 え て大 陸封 鎖 が 解 除 され る とザ クセ ン は先 進 資 本 主 義 諸 国,と りわ け イ ギ リス と の 熾 烈 な競 争 に 晒 さ れ,『 フ ォー ク トラ ン ト 誌 』 で は,プ ロ イ セ ン主 導 の 関税 同 盟 へ の加 盟,国 家 主 導 で の産 業 の 育 成, く ラ そ して鉄 道 業 の 振 興 な どが 提 示 され て い る 。 や は り この 背 景 に も,フ ォー ク トラ ン トが ザ ク セ ン有 数 の工 業 先 進 地 域 で あ っ た こ とが あ る 。経 済 市 民 層 も プ ラ ウ エ ン の 自由 主 義 者 グ ル ー プ に名 を連 ね て お り,そ れ だ け に イ ギ リス との競 争 は彼 ら に と っ て死 活 問 題 で あ った 。 した が っ て商 工 業 ・産 業 分 野 で は,国 家 の イ ニ シ ア テ ィブ へ の 期 待 が よ り大 き く,国 家 に よ る条 件 整 備 や 投 資 が よ り強 く望 ま れ る とい う特 徴 が確 認 で きる 。 (3)刑 事 訴 訟 手 続 に お け る 公 開 制 ・口 頭 制 ブ ラ ウ ン と 『フ オー ク トラ ン ト誌 』 との 関係 を論 じる 上 で 重 要 な テ ーマ と な る の が,司 法 制 度 改 革 で あ る 。 裁 判 所 の 整 備,種 々 の 裁 判 特 権 の 廃 止, く の 陪 審 裁 判 所 の 導 入 な どの 要 求 と並 ん で,審 理 の 公 開制 ・口 頭 制 が雑 誌 で は 精 力 的 に取 り上 げ られ て い る 。 ブ ラ ウ ンが40年 代 以 降刑 事 訴 訟 手 続 の 整 備 に専 念 す る 原 点 の一 つ が こ こ に確 認 で き よ う。 前 述 の よ う に,エ ア ハ ル トとテ ィ ッ トマ ン に よ る法 典 編 纂 事 業 の 挫 折 と そ の 後 の停 滞 で,ザ クセ ン で は依 然 と して16世 紀 以 来 の ル ー ル,す なわ ち 1532年 の神 聖 ロ ー マ皇 帝 カ ー ル5世 の 刑 事 裁 判 令,い わ ゆ る カ ロ リー ナ 法 典 と1572年 の ザ ク セ ン選 帝 侯 ア ウ グス トの諸 規 約 が 妥 当 し,職 権 主 義 と糾 (66) 問 主 義 に基 づ く裁 判 が 実 施 さ れ て い た。 まず,カ ロ リー ナ 法 典 は私 訴 を認 め て い た もの の,無 罪 で あ っ た場 合 に私 訴 者 は損 害 賠 償 を被 告 人 に 支 払 わ な け れ ば な らず,こ の 場 合 に備 え て 私 訴 者 は 訴 訟 開始 時 か ら被 告 人 に保 証 し な け れ ば な ら な か っ た 。 こ の結 果 と して私 訴 は次 第 に減 少 し,審 判 者 た る裁 判 官 が 職 権 で 訴 追 す る こ とが 常 態 化 し,こ こ に職 権 主 義 が 確 立 され た の で あ る 。 次 に,一 定 の 証 拠 が あ れ ば必 ず 事 実 を認 定 す る と い う法 定 証 拠
ザ クセ ン ・フォーク トラン トにおける自由主義193 主 義 が 前 提 と さ れ た こ とで,有 罪 判 決 を下 す に は,被 告 人 自 身 の 自 白 も し くは2人 な い しは3人 の 証 人 に よ る証 明 が必 要 と さ れ た 。 こ の た め被 告 人 の 自 白採 取 が 有 罪 宣 告 の た め の 至 上 命 題 とな り,拷 問 を容 認 す る糾 問 主 義 の 定 着 を招 い た の で あ る。18世 紀 に は人 文 主 義 や 啓 蒙 思 想 の 影 響 を受 け, イギ リス や フ ラ ンス,プ ロ イ セ ン な どで は糾 問 主 義 が廃 止 さ れ て い くに も か か わ らず,ザ ク セ ンで は前 近 代 的 な訴 訟 手 続 が 妥 当 し続 け た 。 まず,審 理 の 公 開制 ・口頭 制 の 導 入 要 請 は,弁 護 士 と して の ブ ラ ウ ン の キ ャ リ ア と密 接 に 関連 し て い る 。 なぜ な らば,弁 護 人 の 果 たす こ との で き る役 割 は非 公 開 か つ 書 面 に よ る 審 理 の 下 で は き わ め て 限 定 さ れ て い るか ら で あ る。 した が っ て ブ ラ ウ ン や カ ン ツ ら 『フ ォ ー ク トラ ン ト誌 』 の 法 実 務 家 が 審 理 の公 開 制 ・口頭 制 の導 入 に高 い 関心 を寄 せ た こ と は 自然 な こ とで あ る。 次 に,公 開制 ・口 頭 制 は被 告 人 の 人権 を擁 護 す る とい う観 点 か ら要 請 さ れ る もの で もあ っ た 。 つ ま り,1831年 ザ ク セ ン憲 法 が 制 定 され た こ と を う け,公 開 主 義 ・口 頭 主 義 に基 づ い た 審 理 の 導 入 が 被 告 人 の 人 権 に対 く の す る 配 慮 か ら な お 一 層 求 め ら れ る よ う に な っ た と い う こ と で あ る 。 こ の 主 張 に は,「 自 由 な プ レ ス を 支 援 す る た め の フ ォ ー ク ト ラ ン ト協 会Voigt-landischeVereinzurUnterstiitzungderfreienPresse」 で の 活 動 の か ど で ブ ラ ウ ン 自 身 が 被 告 人 と な っ た 経 験 も 影 響 し て い る だ ろ う 。 裁 判 で は ブ ラ ウ ン の 他 に も,法 律 家 の デ ィ ス カ ウ や カ ン ツ が 有 罪 判 決 を 受 け て い る 。 協 会 な ら び に 裁 判 の 詳 細 に つ い て は 後 述 す る が,彼 ら は こ の 裁 判 を 通 し て,申 し 立 て た 異 議 が 悉 く行 政 各 局 に よ っ て 斥 け ら れ る と い う 辛 酸 を 舐 め る こ と と な っ た 。 こ の よ う に,1830年 代 の プ レ ス や 後 述 の 協 会 に 関 わ る 活 動 を 通 し て 獲 得 し た2つ の 視 座,す な わ ち,弁 護 活 動 の 範 囲 の 拡 大 な ら び に 拡 充, 被 告 人 の 人 権 の 保 障 と い う2つ の 視 座 が ブ ラ ウ ン を 刑 事 訴 訟 制 度 の 整 備 へ く ラ と向 か わせ た 。 従 来 の ブ ラ ウ ンに 関 す る記 述 で は,刑 事 訴 訟 制 度 改 革 にお け る功 績 が 常 に 中核 を な し,と りわ け1840年 代 以 降 の 第 二 院 議 員 時代,首 相 や 司 法 大 臣 時代 に お け る彼 の活 動 に関 心 が 集 中 して い る 。 しか しな が ら彼 の 改 革 の 原 点 は1830年 代 初 頭 の弁 護 士 業 務 や プ レス,ひ い て は協 会 活 動 で の経 験 に あ
る こ と を 看 過 す べ き で は な い 。 ま さ に1830年 代 前 半 の 活 動 こ そ,刑 事 訴 訟 手 続 の 整 備 と い う彼 の ラ イ フ ワ ー ク の 基 礎 を な し た と い え よ う 。 以 上 の よ う に,『 フ ォー ク トラ ン ト誌 』 で 扱 わ れ た 問 題 を 整 理 す る こ と か ら,プ ラ ウエ ン 自由 主 義 者 た ち は ど の 問題 に対 して も,革 命 で は な く法 律 に沿 っ た 形 で の改 革 を志 向 した こ と,そ の 改 革 に お い て は 国家 が 直 接 的 にせ よ 間接 的 にせ よイ ニ シ ア テ ィ ブ を発 揮 す る こ とが期 待 さ れ た こ とが 明 らか に な っ た 。 同時 に彼 ら は,そ の 国 家 の 政 治 に参 加 す る公 民 の創 出 が 喫 緊 の 課 題 で あ る と認 識 して い た 。 つ ま り公 民 は,国 政 に参 加 し責 任 を全 う す る に ふ さわ しい財 産 と教 養 を有 して お らね ば な らず,そ の よ うな 公 民 を 生 み 出す 法 的,社 会 的,経 済 的 環 境 の 整 備 が 改 革 の 中 で 追 求 さ れ た の で あ る。 しか し も う一 点 明 らか に な っ た の は,ザ クセ ン を代 表 す る プ ラ ウエ ン自 由 主 義 は確 か に 「ジ ュ ス ト ・ミ リ ュ ー」 の 自 由主 義 を 基 盤 に据 え て は い る が,完 壁 に 自 由主 義 的 な改 革 が遂 行 さ れ る こ と を強 く望 む 勢 力 へ と変 貌 し つ つ あ っ た とい う事 実 で あ る 。彼 ら は,国 家 主 導 で の 改 革 に期 待 す る一 方 で,そ の 国 家 が そ の責 任 を十 分 に 全 うで きな い 場 合 に は,自 らが 国 民 代 表 と して改 革 の 完 遂 に 当 た る とい う心 構 え も持 ち始 め た 。 選 挙 法 や 司 法 制 度 の 整 備 に 関 す る提 案 や 注 文 は ま さ にそ の表 れ で あ る 。 この 変 質 の 背 後 に は, 近 隣 諸 国 で 起 き た革 命 や 蜂 起 を 目の 当 た り に して,彼 らが 緩 慢 と した 自 国 の 改 革 に不 十 分 さ を感 じ た こ とが あ ろ う。 そ して ブ ラ ウ ン ら 自 由 主 義 者 は 『フ ォー ク トラ ン ト誌 』 と い うプ レス に加 え,ザ ク セ ン国 内 外 の 政 治 に対 して よ り直接 的 か つ 積 極 的 に作 用 しう る協 会 へ と,い よい よ そ の 活 動 の 場 を拡 げ て い くこ とに な る。 第3章 プ ラ ウ エ ン ・ポ ー ラ ン ド支 援 協 会 と 自 由 主 義 確 か に 『フ ォ ー ク トラ ン ト誌 』 の 論 文 の多 くは 匿名 で 執 筆 さ れ て い る た め,執 筆 者 を確 定 す る こ と は残 念 なが ら きわ め て難 しい 。 そ れ に 比 して ブ
ザ クセ ン ・フ ォー ク トラ ン トに お け る 自由主 義195 ラ ウ ン の 関 与 が よ り 明 確 に 確 認 で き る の が,1831年12月 に 創 設 さ れ 彼 が 書 記 を 務 め た 「援 助 が 必 要 な ポ ー ラ ン ド を 支 援 す る た め の 協 会Vereinzur UnterstutzunghilfsbediirftigerPolen」(以 下,プ ラ ウ エ ン ・ポ ー ラ ン ド支 援 協 会 と記 す)で あ る 。 同 協 会 は,1830年 に ワ ル シ ャ ワ で 起 こ っ たll月 蜂 く ラ 起 の 関係 者 や 犠 牲 者 へ の 支 援 を 目的 と した組 織 で あ っ た 。 こ の章 で は,1820年 代 の ブ ル シ ェ ンシ ャ フ トに代 わ り,自 由主 義 や 立 憲 主 義 が そ の 拠 り所 とす る よ う に な っ た協 会 に焦 点 を 当 て る。 本 章 で は,ブ ラ ウ ンが運 営 に携 わ っ た プ ラ ウ エ ン ・ポ ー ラ ン ド支 援 協 会 を取 り上 げ る。 ブ ラ ウ ン ら 自由主 義 者 が 隣 国 ポ ー ラ ン ドの 問題 にい か な る ア プ ロー チ を 図 っ た の か,協 会 と い う新 た な表 現 形 態 はザ ク セ ンの み な らず ドイ ツ 同 盟 の 枠 組 み の 中 で い か に作 用 した の か,そ して何 よ り協 会 は プ レス とい か な る 関 係 を構築 した の か を検 証 す る 。 (1)ポ ー ラ ン ド問 題 と ヨ ー ロ ッ パ の 自 由 主 義 ll月 蜂 起 は,ポ ー ラ ン ド と歴 史 的 に 深 い つ な が り を も つ ザ ク セ ン に と っ くフの て は単 な る 隣 国 の 問題 とい う以 上 の 意 味 を有 した。 ザ クセ ン とポ ー ラ ン ド との 関係 は17世 紀 末 に まで 遡 る 。 とい うの も,1697年 カ トリ ックへ の 改 宗 を選 択 す る こ とで ザ クセ ン選 帝 侯 は ポ ー ラ ン ドの 王 座 を手 に し,そ の 後 二 人 の ザ ク セ ン選 帝 侯 が ポ ー ラ ン ド国 王 を兼 ね る と い う歴 史 を有 した か らで あ る。 一 度 は 王 位 を手 放 した が,1807年 ナ ポ レ オ ンに よ っ て ポ ー ラ ン ドの 一 部 に ワ ル シ ャ ワ公 国 が 建 国 され る と,ザ クセ ン 国王 フ リ ー ドリ ヒ ・ア ウ グス ト1世 が そ の君 主 と な っ た 。 公 国 に は ナ ポ レ オ ンが 口 述 した 憲 法 とナ ポ レ オ ン法 典 が 導 入 され た こ とで,封 建 的 な伝 統 との 妥協 が あ っ た もの の, 個 人 の 自由 や 平 等 とい っ た概 念 が 持 ち込 まれ る こ とに な っ た。 ll月 蜂 起 の 直 接 的 な原 因 は ロ シ ア に よる専 制 的 な支 配 で あ っ た 。 ナ ポ レ オ ン の敗 北 後,1815年6月9日 に 締 結 さ れ た ウ ィ ー ン議 定 書 に した が い, ポ ー ラ ン ドは ロ シ ア,オ ー ス トリ ア,プ ロ イセ ン に よっ て 再 度 分 割 され, 1条 は,ポ ー ラ ン ド王 国 と ロ シ ア 帝 国 は ロ シ ア皇 帝 が ポ ー ラ ン ド国 王 を兼 く ね る 同君 連 合 を形 成 す る こ とを規 定 した。 ポ ー ラ ン ド王 国 に は 自由 主 義 的
196(桃 山法学 第23号'14) な憲 法 が欽 定 さ れ,行 政 面 で は 司 法,国 防,内 務 ・警 察,財 務,宗 教 ・公 教 育 の五 省 が 設 置 され,立 法 機 関 と して二 院 制 の 国民 代 表 議 会 が 設 け ら れ くフ た 。 しか し皇 帝 ア レ クサ ン ドル1世 の 弟 コ ンス タ ンチ ン ・パ ヴ ロ ヴ ィチ 大 公 が 軍 隊 の 指 揮 権 を握 り事 実 上 の 総 督 に な る と,大 公 は 憲 法 の 自由 主 義 的 原 則 を否 定 し,ポ ー ラ ン ドの政 府 や 国 民 代 表議 会 か ら権 力 を奪 取 した 。ll 月 蜂 起 は ま さ し く 「ロ シ ア か らの 解 放 」,「ポ ー ラ ン ドの 領 土 統 一 」 を 目指 し た 闘 い で あ っ た。 ll月 蜂 起 を論 ず る上 で 注 目 すべ き は,こ の 蜂 起 が 単 な る ポ ー ラ ン ド国 内 の 問 題 に 終 始 しな か った 点 で あ る 。 義 勇 兵 が ヨ ー ロ ッパ 各 国 か ら集 結 した こ と,ポ ー ラ ン ドを支 援 す る活 動 が 各 国 で展 開 さ れ た こ と は,ポ ー ラ ン ド で の 蜂 起 が 自 由主 義 思 想 や 革 命 思 想 を共 有 す る ヨ ー ロ ッパ の 人 々 に と っ て 見 過 ごせ な い 問 題 で あ る こ と,つ ま り絶 対 主 義 や 専 制 主 義 か らの解 放 は今 や 全 ヨー ロ ッパ 的 な課 題 で あ る と捉 え られ て い た こ と を示 して い た 。 そ し て こ の姿 勢 は,1831年 夏 以 降 各 地 で 創 設 され た ポ ー ラ ン ドを支 援 す る活 動 けヨラ に顕 著 に 表 れ る。 当初 の 支 援 活 動 は 人 道 的 で 実 体 的 な性 格 を有 して い た。 し たが っ て 支 援 の 内容 も,支 援 物 資 や 寄 付 金 の 送 付,ポ ー ラ ン ドへ 向 か う 医 師 に対 す る経 済 的援 助,亡 命 者 受 け入 れ を表 明 した フ ラ ン ス や ベ ル ギ ー へ の 亡 命 の 手 助 け な どで あ り,個 人の活動 に負 う ところ も大 きかった。 し か し支 援 の 動 きは次 第 に政 治 化 し,11月 蜂 起 を 自 国 の 政 治 の 自 由化 を推 し くフ 進 め る一 契 機 と捉 え る協 会 が 自由 主 義 者 た ち を 中心 に 組 織 さ れ始 め る。 ま た こ れ らの協 会 は,複 数 国 に ま た が る亡 命 ル ー トの整 備 な ど に と も ない 相 互 連 携 を 図 る よ うに な り,各 国 の 自 由主 義 者 間 の 交 流 や ネ ッ トワ ー クの 確 立 を促 進 した 。 中 で もザ ク セ ンは,ポ ー ラ ン ド支 援 を 取 り締 ま る プ ロ イ セ ン と オ ー ス トリ ア との 問 に位 置 す る と同 時 に,自 由 主 義 的 な西 南 ドイ ツへ の 玄 関 口 に あ た る こ と もあ り,国 内 に創 設 され た協 会 は ポ ー ラ ン ド支 援 に くフの お い て重 要 な 役 割 を果 た した 。 また,ザ ク セ ン各 地 で 支 援 協 会 が精 力 的 に 活 動 しえ た 背 景 に は,自 由主 義 者 で あ る首 相 リ ン デ ナ ウが い ち早 くポ ー ラ ン ド支 持 を表 明 した こ とが あ っ た 。 しか しな が ら,ポ ー ラ ン ド分 割 を正 当 な もの とす る ウ ィ ー ン体 制 を否 定