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「情報として読む」 と 「古典として読む」

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Academic year: 2021

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( 10 ) 大谷大学図書館・博物館報(第37号)  「若いころ、血を売ってでも本がほしかっ た」との思い出を語ってくださったのは、社 会福祉研究の大先輩だった。20 歳ほど上の 先輩は、1950 年代に大学生活を送っておら れた。いまでは想像しにくいことだが、1960 年前後の日本には、血を売ることでその日の 糧を得る人たちがいた。先輩は、社会福祉研 究の第二世代というべき時代を担われた方で あった。戦前からの社会政策研究の発展を経 て、社会福祉研究が領域的にも学術的にも独 自性を主張しはじめたころの世代である。当 時の世相は、高度経済成長期に入ったとはい え、敗戦後の窮乏状況を引きずっていた。社 会保障制度も整っておらず、貧困問題対策が 社会福祉の主たるテーマであって、社会運動・ 労働組合運動の目標も「生存権保障」であっ た。  先輩が欲した書籍は、『資本論』ではなかっ たはずだが、大河内一男先生の『社会政策総 論』だったのか、大河内と社会政策本質論争 を繰り広げていた岸本英太郎先生の『日本労 働運動史』や『窮乏化法則と社会政策』だっ たのか。何度もくりかえし読んだとのことで あった。売血という社会現象と、そうしてま で本をほしいと思ったという先輩の話の印象 が強烈で、何の本の話題だったのかは、残念 なことにはっきり覚えていない。  この小論のタイトルに表わしたのは、内田 義彦著『読書と社会科学』(岩波新書、1985 年)のはじめのほうに記されている言葉であ る。私が大学院を退学したころの出版で、そ の前に出版されていた『社会認識の歩み』(岩 波新書、1971 年)とともに、気軽に手に取 れる新書版であるにもかかわらず、当時の私 には難解であった。  内田氏は、古典として読むことの意義をつ ぎのように述べている。「新しい情報を得る という意味では役立たないかもしれないが、 情報を見る眼の構造を変え、情報の受けとり 方、何がそもそも有益な情報か、有益なるも のの考え方、求め方を ― 生き方をも含めて ― 変える。変えるといって悪ければ新しく する。新奇な情報は得られなくても、古くか ら知っていたはずのことがにわかに新鮮な風 景として身を囲み、せまってくる、というよ

「情 報として 読 む」 と 「古 典として 読 む」

教授

山 下 憲 昭

(社会福祉学)

(2)

( 11 ) 大谷大学図書館・博物館報(第37号) うな『読み』があるわけです。」  非才の私には、ここに示された内容を学生 たちに伝えるべき言葉として「翻訳」するこ とはとても難しい。情報はいくらでも手に入 る。本を読まなくても情報は大量に降ってく る。情報の嵐のなかで、自分を閉ざしたくな るかもしれない。加速する「情報化社会」か ら「AI 化社会」へのながれのなかで、効率 性や利便性に最大の価値があると思い込んで しまっている、あるいは思いこまされている 側面があるとすれば、先輩の欲求や内田氏の 論説を手がかりにして、いまいちど、自分の ものの見方の構造を振りかえり、いま目に 映っている情報の受けとり方、大きく言えば、 生き方を見直すことができるのではないか。 時代と社会の変化についていけない高齢世代 の苛立ちが言わせているのではないかと自戒 しつつも、古典に学ぶことの意義を学生たち に伝えたいと願っている。  20 世紀の社会発展の特徴は生産性の向上 と情報化で表される。つぎにくる AI 化社会 のなかで、人間の存在そのものを変えてしま う可能性があるともいわれる「シンギュラリ ティ」(技術的特異点)は 2045 年ころには訪 れるとのことである。このような社会の発展 段階で、富と情報の蓄積はますます不均等に なっている。わずか半世紀前に目前の貧困を どうしていくのか、工業生産の増大に身を 削っていたわれわれが、新たな事態に向き合 うことを迫られている。守旧的感覚ではなく、 時代と社会の変化を受け止め、新たな価値を 創造していくための、人間を中心にした社会 のあり方を追求していく足場をしっかりと固 めていかねばならないと思う。真宗学、仏教 学、哲学、文学、歴史学など、とくに人の内 面の営みの研究に足場をおく大谷大学の学び は、このような時代だからこそ、大事にして いかねばならないと思うのである。  はじめに記した先輩の話題にはつづきがあ る。この先輩は、社会福祉行政の第一線で指 導的な役割をはたされたあと、大学に転じら れた。そのころの会話のなかで、「俺、いま だに本に線を引けない」「大事なところはコ ピーしてそれに書き込みしている」と。貧し い時代の記憶にしばられているとも思える が、あの時代、理論を学ぶこと、理論を読み 深めていくことは、どのような手段で書籍を 蒐集するのかも含めて、とても価値あること であったと思う。いま、私は、自分の中心点 に迫ってくるような読みができているのか。 情報の並べ替えだけで汲々としているのでは ないか。

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