使 用 者 た る 最 高 裁 判 所 論
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(2) 論. 説︵中山︶. ︵2︶. コニ四. から︑目新しいものではなかった︒ただ︑﹁使用者たる政府﹂という表現そのものが︵ILO関係文書ではすでに用. 一方で労働基本権の完全保障を要求する︵いわゆる﹁スト. いられていたものではあるけれども︶一種の新鮮さをもって︑したがってまた︑ある種の説得的なひびきをもって︑ うけいれられた︒もちろん︑﹁使用者たる政府﹂概念は︑. 権奪還闘争﹂︶公務員労働組合運動にとって︑その主張の正当性を根拠づけるものとして機能させられるとともに︑ ︵3︶. 他方において︑公務員に対する労務管理の﹁近代化﹂を志向する政府自身にとっても︑管理体制強化︵人事局を中心. すとる︶の正当化理由として機能させられることとなる︒それは︑公務員を管理・支配の機能をもつ一群の官僚と︑. その下で労働者として働く多数の公務員とに二分し︑公務員の中から身分的階層を除去した戦後の民主化のもたらし ︵4︶. た公務員像を︑あらたな階層化へと再構成しなおす役割りをも果しうるものとして︑注意しないわけにはいかない性 質のものである︒. だが¥さしあたり︑﹁使用者たる政府﹂概念は︑公務員が全体の奉仕者であることを理由として︑労働基本権の大. 部分を剥奪している現行法制の下では︑労働基本権の確立へむけての主張に︑より大ぎな機能を果しえている︒その ︵5︶. 断片は︑いわゆる全逓中郵事件︑東京都教組事件︑そして仙台安保六・四事件についての最高裁判所の判決中に見出 される︒. しかし︑こうした機能が法律の解釈の領域では︑断片的に見出され︑また︑それが拡大し得る可能性が予見される. にもかかわらず︑現実の公務員にたいする労務管理の中では︑依然として﹁全体の奉仕者﹂性を中軸とする﹁政府た. る政府﹂による労務管理がおこなわれており︑労働法の一般原理との間にたえまないあつれぎを生じている︒.
(3) ﹁使用者たる政府﹂概念の確立をめぐつて公務員一般について生じている右のような状況は︑公務員の中でも特殊. な性格をもつ国会職員︑司法職員について︑特殊な様相をもってあらわれている︒これら二種類の公務員は︑防衛庁. 職員などとともに︑特別職公務員として︑一般の公務員が国家公務員法のもとにおかれているのに比し︑特別な取扱 ︵6︶ いをうけている︒したがって︑そこで生ずる労働法上の間題も特殊性を帯びることとなる︒. 本稿は︑そうした特殊な領域での問題の一つとして︑裁判所職員にたいする労務管理と﹁使用者たる裁判所﹂の問 ︵7︶. 題をとりあげる︒この問題は︑一九六九年九月一〇日付の最高裁事務総長名にょる依命通達︑﹁裁判所職員のプレー. ト・リボソ等の着用について﹂をぎっかけとした︒そして︑この通達が問題とされたのは︑二重の意味においてであ. った︒第一のそれは︑プレート・リボソ等の着用という︑日本の労働組合の何れもが採用してきている団結活動の労. 働法上の評価をめぐつてである︒組合員の一人一人が︑組合の︑あるいは職場の︑さらには自己の要求を記載したプ. レート・リボン等を着用することは︑使用者にたいして要求の内容とひろがりを確認させ︑団結示威の意味をもちう. るとともに︑一般公衆に対してその作業所で発生している問題について公示し︑理解ないし支持を期待するという意. 味をもつ︒また︑それだけでなく︑組合員一人一人が組合の活動に参加することになるので︑それが団結意思ないし. 連帯意識の強化に作用するという意味をも持つ︒そうした意味あいをもつ︑団結行動としてのプレート・リボン等の. 装着についての労働法上の法的評価は︑裁判所でいくつかの裁判例を生み出し︑労働法学における論述をも生み出し. コニ五. ている︒そうした労働法上の問題として︑事務総長通達を検討するというのが︑まず第一次的なものとしてとりあげ られるっ. 使用者たる最高裁判所論.
(4) 論. 説︵中山︶. 一三六. 第二のそれは︑この通達がプレート・リボンの着用を﹁違法﹂ときめつけていることが︑最高裁判所による法の解. 釈として︑下級の裁判所にたいして与える影響面からの問題である︒第一のそれで言及したように︑プレート・リボ. ンの着用の労働法的評価については︑下級裁判所でいくつも問題となつている︒とりわけ公務員のそれについて︑懲 ︵8︶ 戒処分を不当とし慰籍料の支払を命じた灘郵便局事件についての神戸地裁判決は︑現在国によって控訴され︑大阪高. 等裁判所に係争中である︒それにもかかわらず︑最高裁が違法とぎめつける通達をおこなったことは︑それら裁判所. にたいする重大な影響を与えることになる︒それは︑当時︑司法部門における大問題となっていた長沼事件について ︵9︶. ︵10︶. の担当裁判官にたいする裁判所長の書簡︑ならびにその書簡を契機とする所長にたいする処分と︑それをめぐる飯守. 判事の発言などの問題に対応する︑裁判官の独立性侵害問題と共通する側面を持つこととなる︒. 事務総長通達は︑こうして二重の面からとりあげられ︑論じられることとなった︒しかし︑もう一つの側面︑つま. り︑最高裁判所のもつ多面的機能の側面からのアプ・ーチが︑この問題の的確な把握︑分析のためには欠かせないよ ︵11︶ うに思われる︒本稿は︑したがって︑その側面からのアプ・ーチを中心とするものである︒ ︵1︶ 片岡・中山訳﹁ドライヤ!報告﹂一二三三項o. ︵2︶ たとえば一九六三年の公務員にかんする専門家会議報告書寓Φ9ぼひq9国巷R房80自象賦o参9白o涛鎖昌qω段証8. a℃蔭98留署m馨即O曲o芭国三一9旦図いく自Z9一℃㌘認h昌ρ一〇〇↑参照Qこの報告については︑別稿を予定してい. るo ︵3︶ 中山︑﹁公務員政策と法﹂︑法社会学会編﹁現代日本社会と法﹂所収参照︒.
(5) 西ドイツにおける切$ヨ貫︾昌鴨2亀5>吋竃津霧への身分的階層化が︑これまで果してぎた機能を考慮に入れるべぎで. あろうQまた︑公務員の中に身分的階層制を認めてこなかったアメリカにおいても︑上級公務員と一般公務員の区分がとか. ︵4︶. これら三判決についての論評は︑おびただしい数に上るので︑引用は省略させていただくQ. れるに到っていることは︑国家独占資本主義の現段階における行政権の占める比重と無関係ではないといえようQ ︵5︶. たとえぱ︑自衛隊員の訓練拒否や︑﹁脱走﹂などが︑ジャーナリズムをにぎわしたことを参照o労働法上はサボタ!ジュ. この通達は通常参照困難な文書であるので︑以下︑その大要をあげる︒. や退職の自由 の 問 題 で あ る ︒. ︵6︶. ︵7︶. 岸. 盛一. 最高裁人職C第一号︵人ろf一一︶. 昭和四四年九月噌○日 最高裁判所事務総長. 高裁︑地裁︑家裁所長宛 裁判所職員のプレート・リボン等の着用行為について︵依命通達︶. 近時︑いわゆるプレート︒リボン團争によって職員が所属の長から注意処分をうける事例が増加しておりますが︑特に勤. 務時間中における裁判所職員の右プレート・リボン等の着用行為は︑国家公務員法に違反する行為であると考えられますの. 一三七. で︑裁判所職員が法秩序の維持につき重い責務を有することにかんがみ︑右の趣旨を職員に対し周知させるとともに︑今後 このような行動に出ないよう格別の配慮を願います◎. 灘郵便局事件︵または全逓兵庫地本事件とよばれる︶︑昭四二.四・七判︑労旬別冊六三二号︒. 右は︑裁判官会議の議を経たものでありますo ︵8︶. 使用者たる最高裁判所論.
(6) 論. 説︵中山︶. 二二八. この側面を主としてとりあげるのは︑野村平爾﹁最高裁通達と裁判干渉﹂法時六九年一一月号などo. 有倉遼吉﹁平賀書簡をめぐる諸問題﹂全逓時報六九年二一月Q法時六九年一一月号の諸論文など︒. ︵10︶. 本稿は全司法新聞七〇七︑八号に掲載した﹁使用者たる最高裁判所の労働法感覚﹂を土台とするものであるQ右の論文に. ︵9︶. ︵11︶. は︑本稿でとりあげた問題のほか︑第二部として最高裁通達の法理についての解釈論の立場からの批判を加えてあるが︑本. 稿では解釈論は割愛したQなお︑リボン闘争の労働法上の法理的検討を︑この通達との関係でもっとも詳細に展開するの は︑籾井常喜﹁リボン等着用行動の自由とその正当性﹂労働法律旬報七二八号であるQ. 最高裁判所の多面的機能とその相互関係. 最高裁判所が法の解釈を行なう最終の機関であること︑とりわけ憲法擁護の上で︑制度上最高の地位を占めるもの. であることは︑いまさらあげるまでもない最高裁のもっとも中心的な機能である︒最高裁はこのほか規則制定権をも. ち︑裁判官︵最高裁のそれをのぞく︶の人事権をもつ︒これらの最高裁の諸機能は︑一般に説明されているものであ. る︒だが︑最高裁はこの他にも︑なお重要な機能をもっている︒その中の一つは︑裁判所職員の使用者たる機能であ り︑また︑一つは裁判所職員の労使関係についての判定者たる機能である︒. 私はここで︑最高裁のもつ︑以上のような多様な機能の一つ一つについて検討しようというのではない︒本稿との. 法の解釈機 能 と 本 問 題 と の 関 連. 関係で︑以上の中︑労働法にかかわりのある三つの機能についてのみ殿きだし︑分析の対象とすることとする︒. ①.
(7) 最高裁の中心的な機能である法の解釈機能と︑本問題との関連を最初に検討しておこう︒この問題との関連では︑. 最高裁判所が全逓中郵判決以来︑前述したように﹁使用者たる政府﹂の概念をとり入れ︑公務員が全体の奉仕者であ. ることを理由として︑労働基本権を全面的に剥奪することは許されないとする見解をうちたててきていること︑とり. わけ︑仙台安保六・四事件では︑﹁使用者たる国﹂という言葉そのものをとり入れていることが注目される︒公務員. が憲法二八条にいう﹁勤労者﹂であり︑労働基本権の主体であることが明確となり︑公務員の労働基本権を制約︵合. 憲であるように︶できる原理と限界が︑全体の奉仕者や公共の福祉という呪術に代って︑具体的な四つの評価基準で. 説明されるにいたったのである︒そして︑東京都教組事件判決では︑﹁勤労者の提供する職務または業務の性質が公. 共性の強いものであり︑したがってその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し︑国民生活に重大な障害. をもたらすおそれのあるものについて︑これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである﹂. とする全逓中郵判決で示された第二評価基準が︑﹁公務員の職務の性質・内容はきわめて多種多様であり︑公務員の. 職務に固有の︑公共性のきわめて強いものから︑私企業のそれとほとんど変わるところのない︑公共性の比較的弱い. ものに至るまで︑きわめて多岐にわたっている﹂と具体化されていることをあげる必要があろう︒つまり︑公務員で. あるからその職務の公共性が高く︑公共性が高いから労働基本権の制約がゆるされるという︑安易な論理は否定さ. れ︑問題とされる公務員の従事している職務の性質にしたがって︑具体的に判断されなければならないということで ある︒. 一三九. こうした労働基本権論は︑最高裁判例の中で最初から存在していたというものではなくて︑長い抗争の末︑﹁画期 使用者たる最高裁判所論.
(8) 論. 説︵中山︶. 一四〇. 的﹂な転換といわれる全逓中郵判決を経て︑ようやく踏み固められてきているものだということに注意しなければな らない︒. ここで︑踏み固められてきている︑という表現を用いたのは︑すでに多くの人々によって︑いろんな角度から指摘. されているように︑全逓中郵以下の三判決の論理の中には︑なお展開されていない部分があるばかりでなく︑論理的 整合性を欠く部分 も い く つ か 存 在 す る か ら で あ る ︒. とりわけ︑本問題との関連でみれば︑裁判所職員の職務の公共性について︑仙台安保六・四事件判決が﹁すべて司. 法権は裁判所に属するものとされ︑裁判所は︑この国家に固有の権能に基づぎ︑国民の権利と自由を擁護するととも. に︑国家社会の秩序を維持することをその使命とするものであることにかんがみると︑このような裁判所の行なう裁. 判事務に従事する職員の職務は︑一般的に︑公共性の強いものであり︑その職務の停廃は︑その使命の達成を妨げ︑. ひいては︑国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるものといわなけれぽならない﹂としている部分が注目され. よう︒この判旨の論理は︑誰もが否定しない裁判所のもつべぎ機能をかかげ︑それを裁判所職員の職務にすりかえて. いる︒つまり﹁このような裁判所の行なう裁判事務﹂という言葉は︑その前に述べられているような性質のものを前. 提とするのであるから︑﹁裁判事務﹂そのものの意味内容には限定があることになる︒そうだとすれば﹁:・⁝裁判事. 務に従事する職員の職務﹂とは︑裁判所職員すべての従事する職務ではなくて︑裁判所職員の中の一部分︑とりわ. け︑裁判官の職務を意味する他はないのである︒それにもかかわらず︑判旨の右の部分は︑﹁裁判所職員の争議行為. の制限について考えてみるに﹂という書き出しで始まっているのだから︑とりわけ裁判官について妥当しうる論理を.
(9) もって︑裁判所職員全体の争議行為の制限の論理としていることになる︒裁判所職員の中には︑タイピストも︑守衛. も︑掃除夫も含まれるのであるから︑風と桶屋の関係での論理を用いないかぎり︑右の論理は成り立ち得ないことと なろう︒. それにもかかわらず︑裁判所職員の争議行為の制限について︑﹁短時間のものである﹂としても制限されているの. だとするのは︑最高裁が労働基本権についての憲法解釈をしているというよりは︑使用者としての立場において︑裁. 判所における争議行為を認めない旨を説示したものであるという理解が︑より的を得ているのではないかとすら考え られるのである︒. 法の解釈を任務とする裁判所が︑法の解釈をするにあたって︑使用者たる裁判所の主張をふくめているとすれば︑. 労働者にとって︑裁判所は一般に使用者の立場で法を解釈しているという批判をまぬかれることはできない︒裁判所. が憲法に忠実であるためには︑法の解釈に︑使用者としての裁判所の主張を含めることは絶対に許されないからであ るQ. ②使用者たる最高裁判所. 法の解釈者たる立場における裁判所が︑厳正な中立的立場を要求されるのにたいして︑最高裁判所は︑裁判所職員. にたいする関係では使用者たる立場にたつ︒もとより裁判所職員も憲法一五条二項にいう全体の奉仕者であるから︑. 抽象的理念的には︑その使用者は国民全体であるけれども︑具体的現実的に使用者たる機能をもつのは裁判所であ. 一四一. る︒ドライヤ1報告や︑仙台安保六・四事件の表現をかりて︑使用者たる裁判所という言葉を使うのは︑その意昧に 使用者たる最高裁判所論.
(10) 論. おいてである︒. 説︵中山︶. 一四二. 裁判所職員が一般の行政職公務員とは別に特別公務員とされ︑使用者としての行政官庁の支配の下におかれていな. いのは︑それなりに合理性があるといえよう︒行政官庁の支配の下におかれた労働委員会の職員についての批判があ. るのを考えれば︑司法権の独立を根底から支えるものとして︑裁判官の任命にとどまらず︑裁判所職員についても一 般公務員と異なる特別職公務員とすることの意義は大ぎい︑というべきであろう︒. 昭和二六年の裁判所職員臨時措置法は︑こうして国家公務員法の適用下におかれない裁判所職員の身分︑取扱いに. ついて定めるものである︒だが︑この法律は︑裁判所職員にいくつかの読みかえ規定をのぞけば︑国家公務員につい. て適用される法規の多くを︑そのまま適用するという︑ごく簡単なものでしかない︒その読みかえの中心は国公法中. の﹁人事院﹂または﹁内閣総理大臣﹂とあるのを﹁最高裁判所﹂と︑また﹁人事院規則﹂﹁政令﹂または﹁命令﹂と. あるのを﹁最高裁判所規則﹂とすることにある︒それによって最高裁判所は︑使用者たるの立場を︵というより︑次. にみる第三の機能をもつことによって︑使用者たるのみか︑全能者的な立場を︶占めることとなった︒. 労使関係の中で使用者たる立場に立つということは︑労働者にたいして対立者たる立場にあることを意味する︒公. 務員をすべて等質的な全体の奉仕者たる側面からのみ把握し︑労使の対立関係の存在を否定した法理がすでに崩壊し. ている以上︑そのことは︑裁判所職員についても例外ではあり得ない︒もしそれを否定しよ5とすれぱ︑裁判所職員. の労働者性を一律に否定する他はないし︑裁判官をのぞいた裁判所職員一般について労働者性を否定することは不可 能だからである︒.
(11) 労働者にたいして対立的関係にある使用者は︑産業民主制の神話を現実のものとする制度的保障を欠くかぎり︑使. 用者の属性を反労働者的に露呈することとなるのをさけがたい︒つまり︑裁判所職員の集団的意思を反映する裁判所. 運営が行なわれる制度的な保障をもたないかぎり︑使用者たる裁判所の職員にたいする指揮命令は︑使用者一般のも つ属性にしたがって︑使用者に有利なようにおこなわれることをさけがたいのである︒. 裁判所職員の集団︵職員団体という法上の名称をもつ労働組合︶が︑使用者たる裁判所を相手方として要求を提出. し︑交渉することを認める︵準用されている︶国家公務員法のたてまえそのものは︑右の原理を承認するからに他な. らない︒その集団が要求を貫徹するための争議行為をなすことを許さないのは︑争議行為によって国民生活全体に重. 大な障害が発生するおそれがあるからであって︑全体の奉仕者たる身分を裁判所職員が有するからでないとする理. は︑仙台安保六・四事件判決によって確認された︑最低限度の法理であって要求や交渉をさまたげる法理は︑もはや 存しない︒. そうだとすれば逆に︑法の解釈者としては中立な裁判所が︑裁判所職員にたいする関係では中立者でなく︑対立す. る使用者として存在することを否定することはでぎないから︑裁判所が使用者としての立場において裁判所職員に相. 対し︑行動することも否定できないことになろう︒厳正中立な法の番人としての裁判所が︑法を侵し︑不当労働行為 をはたらくことも︑決してあり得ないことではないのである︒. 今次のいわゆるリボソ通達は︑本来的にはこうした使用者たる立場での裁判所による︑対立者たる裁判所職員に対. 一四三. する労務管理方針の宣明に他ならない︒それは︑施設内で︑就業時間中に︑記載された内容の如何をとわず︑リボ 使用者たる最高裁判所論.
(12) 論. 説︵中山︶. 一四四. ソ・プレートを労働者が着用することに嫌悪感をもつ︑使用者たるの属性から生じたものであって︑法の解釈者たる. 裁判所の属性から出たものではないことに注意する必要がある︒だがそれにもかかわらず︑この通達が︑裁判官会議. の議を経たものとして︑リボン・プレートの着用を違法だとする︑法の解釈の様相を呈して示されているところに︑. 労使関係の中 立 者 と し て の 最 高 裁 判 所. 根本的な問題があるというべきであろう︒このことは次章においてふれる予定である︒. ⑧. 右に述べてきた︑最高裁判所の第一の機能と第二の機能とは︑とぎに矛盾しうるものである︒法の番人たるの裁判. 所は︑使用者たる立場においても法に忠実であり︑もっとも善良な使用者でなければならないけれども︑現実には︑. 裁判所もまた使用者たるの属性において︑法を侵し︑不当労働行為をおこないうる︒官は悪をなさずというのは︑現 実に存在しない理想をいうにすぎない︒. 一般職公務員の場合︑官は悪をなさずの原則の不存在が予定されていて︑公務員労使関係において中立者たるべき. 人事院が︑各種の機能をもって設けられている︒だが裁判所職員の場合︑前述した裁判所職員臨時措置法によって︑. ﹁人事院﹂が﹁最高裁判所﹂とされ︑﹁人事院規則﹂が﹁最高裁判所規則﹂とされていることの結果︑つぎに例示す. 試験︑任用について︒国公法上は人事院がとりあつかう公務員試験の方法等は︑裁判所職員については使用者. るような現象がもたらされている︒. ④. たる最高裁判所自身が行なうこととされ︑使用者の属性が生み出しうる不公正を規制する担保を欠く︒. @分限・懲戒について︒公正でなければならない公務員の分限︑懲戒について︑国公法上人事院の果している機.
(13) 保障について︒国公法上︑職員が人事院にたいして行ないうる行政措置要求が︑裁判所職員の場合︑最高裁判. 能が︑使用者たる裁判所に帰属させられている結果︑前記と同一の結果を生ずる︒. の. 所にたいして行なうこととされる結果︑ぎわめて戯画的な結果を生じている︒つまり︑給料その他の労働条件を使用. 者たる裁判所が決定し実施しているのにたいし︑これを不満とする職員は︑裁判所が適正な行政措置をとるように勧. 告するよう︑最高裁判所にたいして要求することができる︑ということを意味する︒さらに︑職員の意に反する不利. 益処分についても同様である︒不利益処分をおこなった裁判所を相手方として︑不利益処分審査請求を︑最高裁判所. に提出でぎる︑ということになる︒人事院が公務員労使関係について中立な第三者であるというたてまえがあっては. じめて意味をもつ︑これら保障に関する一連の制度が︑人事院の代りに使用者たる最高裁判所によって担当されるこ. とによって︑なんらかの機能を果しうると考えるとすれば﹁官は悪をなさず﹂の押しつけを︑今目に維持するという. 他はあるまい︒最高裁判所にたいして勧告するよう︑最高裁判所に要求するとか︑最高裁判所のおこなった不利益処. 分を審査するよう︑最高裁判所に請求するとかいうのは︑現実の労使関係の中では︑許されようのない戯画に他なら ないQ. だが︑現実に最高裁判所は︑このような第三の機能を︑裁判所職員臨時措置法を通じて自己の手中に収めているの. である︒他の機能はさておくとして︑ここで検討してきた三つの機能を同時にもつ最高裁判所が︑労使関係にかかわ. 一四五. る間題について︑なんらかの意思表示をおこなう場合︑これら三つの︑互いに衝突し矛盾しあう機能の何れにもとず く意思表示であるかは︑常に不明確なものとなるの他はないのである︒ 使用者たる最高裁判所論.
(14) 使用者たる最高裁判所の自制の原理. 説︵中山︶. 二. 一四六. を︑一般行政と同一の平面で把握し続けてきた公務員法の基本的性格i現行公務員法が︑公務員の労務管理︑労働. 元でおこなわれることが︑国家公務員の場合︑法の解釈という形態をとりうることからおこる︒労使関係上の問題. から生ずる︒つまり︑民間の使用者の場合には︑使用者の労務管理政策︑労働組合対策として︑法の解釈とは別の次. だが︑問題は︑人事局の労務管理のためにする諸手段が︑国公法の行政解釈という形態をとる場合をふくむところ. もまた︑現在の機構を前提とするかぎり︑不可避的な傾向だといえるかもしれない︒. てきた公務員にたいする管理体制のもちいる諸手段は︑最高裁にも︑いわぽ一つのモデルとして反映し得よう︒それ. は︑使用者たる最高裁にたいしても︑なんらかの影響をもちうると考えられる︒人事局創設以来︑飛躍的に強化され. 使用者としての機能を︑一般職公務員にたいする関係で集中的に管理する総理府人事局の労務管理︑労働組合対策. 最高裁が使用者としての属性をもつことは︑現行法を前提とするかぎり︑一つの必然性をもつ︒そして︑公務員の. 論じられなければならず︑また︑通達の意義も︑かかる原理との関係で明確にされなければならないことになろう︒. であることを考えれば︑最高裁自からが︑かかる通達をおこなうにあたって自からに課すべきであった自制の原理が. 以来︑その不備が問われ続けてもいる︒今回の通達が︑そうした不備の中で出てきた︑使用者としての最高裁の主張. こうした機能を付与している裁判所職員臨時措置法の不備が問われなければならないし︑また︑いわゆるILO闘争. 最高裁判所が︑以上のような三つの機能を同時に保有することの非合理性は︑多言を要せずして明らかであろう︒. 論.
(15) ︵1︶ 組合対策法としての性質をもっていることーから出てくる︑公務員労使関係における﹁過度の法律主義﹂の一形態 というべぎであろう︒. もちろん︑人事局による国公法の行政解釈は︑行政解釈であるかぎりはそれとして問題となりうるに止まる︒誤っ. た︑不当な行政解釈が行なわれる例は数知れないし︑それが空洞化され︑ないしは変更される例も少なくはない︒と. りわけ労使関係についての行政解釈は︑使用者たる属性から出る願望と不可分である場合がほとんど常であるから︑. 抵抗にであい︑あるいは﹁厳正中立な﹂法の解釈にであって︑それとの差を明確にされ︑後退を余儀なくされる場合. もありうる︒ところが︑最高裁判所が︑右の行政解釈を用いるとなると問題の性質に差を生じうる︒今回の通達が︑. ﹁右は裁判官会議の議を経たものであります﹂という︑おすみつきをつけて︑違法だとする見解を述べているのは︑. 法の解釈を任務とする最高裁判所が︑使用者たる最高裁判所としての国家公務員法のいわば行政解釈にすぎないもの に︑法の厳正中立な解釈であるかのようなよそおいを与えた︑ということを意味する︒. 行政解釈の場合︑それが法源として裁判所を拘束することはない︵すくなくとも︑たてまえ上は︶︒しかし最高裁. の﹁裁判官会議の議を経た﹂法の解釈は︑それが︑使用者たる裁判所の解釈であるにもかかわらず︑法の解釈機能を ︵2︶ もつ裁判所の解釈としてうけとめられることになってしまう︒もちろん︑そうしてうけとめることに問題があるけれ. ども︑最高裁がこうした二つの衝突する機能をもつことが︑かかるうけとめる方を必然的にすることこそ︑根本的に. 問題とされなければならない︒この事実は︑裁判所職員について不当な結果を強い︑国民一般に対しても︑裁判をう. 一四七. ける権利との関係で不当な結果を強いることになってしまう︒さぎにふれたように︑すでに灘郵便局事件についての 使用者たる最高裁判所論.
(16) 論. 説︵中山︶. 一四八. 神戸地裁の判決があり︑現に大阪高裁に係属中であることは︑最高裁のすでに知っている事実であり︑それにもかか. パ. ロ. わらず︑法の解釈のよそおいをもつ通達をなすことの果しうべき役割りは︑平賀書簡の比ではない︑重大なものとな りうるからであるQ. この点︑昭和四二年一一月一目の衆議院法務委員会議録は︑きわめて興昧ぶかい素材を提供している︒この日の委. 員会で︑自由民主党森山委員は︑リボソ闘争について︑右の判決に言及しつつ︑﹁これはさらに上告まで持っていっ. て︑最終結着をひとつつけていただかなければならないと考えております︒係属中の事件でございますから︑それ以. 上申し上げることを差し控えたいと思います﹂と半ば自制的態度を示しつつ︑使用者としての最高裁﹁当局﹂のリボ. ソ闘争についての見解をただしている︒これにたいして矢崎最高裁長官代理は︑禁止さるべきものであるとの考え方. を示し︑森山委員が﹁こういうことはもうやっては困るのだと私ども常識的に申し上げているわけであります︒別に. 法理論をここに特に言っているわけではないのであります﹂とくりかえし主張しているのが注目される︒つまり︑国. 会議員としての質間にあたって︑使用者たる最高裁に法の解釈を提示することを要求していないという外観を維持す べく細心の注意を払っていることが知れるのである︒. また︑岸最高裁長官代理の答弁に︑﹁判決のある以上は︑どこの裁判所の判決であっても尊重しなければなりませ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ん︒しかし︑最終的にわれわれが拘束をうけるのは最高裁の判決︒まだ係属中である限りにおいては︑このリボソ間. 題について︑われわれ行政の仕事に携わる者がやはり独自の解釈を考えることは︑これは差しつかえない︑かように. 考えております﹂︵傍点中山︶とあること︑前出矢崎代理者の答弁中に﹁現在係属中の事件でございまして︑これに.
(17) ついて︑私どもにおいてとかくの解釈を申し述べることは差し控えさせていただきたい﹂といいながら﹁当然ただい. まの問題は法律上の問題として禁止することが妥当であるという結論に相なるとわれわれは考えておるわけでござい. ます﹂と答えていること等が注目されよう︒つまり︑そこでは司法機関としての最高裁判所が答えを求められていた. のではなくて︑司法行政機関としての︑使用者たる最高裁判所の法の行政解釈が求められており︑与えられているの. である︒今回の通達が︑裁判官会議の議を経ていようと︑違法だという解釈を提示していようと︑それが判決ではな. くて︑行政解釈であることには一向に差はないというべきである︒その意昧で︑下級審等がこの通達によって︑その. 行なう裁判についての影響をうけることは︑ありえないし︑また︑あってはならないのである︒. このように把握することによって︑今回の通達が下級審等における裁判に与え︑もしくは与えうべき不当な影響を. 遮断することが必要であろう︒だが問題はそれに尽ぎるのではない︒最高裁が右にみてきたような三つの機能を同時. に保有することを前提として考えるかぎり︑使用者たる最高裁のおこなう行政解釈は︑高度に自制的でなければなら. ないことになる︒もつと極端ないい方をすれば︑使用者たる最高裁判所は︑その使用者たる属性から流れ出る欲望. を︑法の解釈の形で表現することは︑どの点からみても明白である場合をのぞいて︑禁じられていると考えられるべ きだということである︒. 最高裁判所の使用者たる属性から流れ出る願望は︑民間企業の使用者の損益勘定に基礎をおく合理性すらもたな. い︑保守的体質からのものであるから︑ときに︑一般官庁におけるそれよりも︑はげしいものですらありうる︒それ. 一四九. が︑一般に司法の反動化状況といわれるものと結びついたときに︑全能者としての裁判所の︑すべての機能面に貫流 徒用者たる最高裁判所論.
(18) 論. 説︵中山︶. 一五〇. する﹁法の解釈﹂を形成していくことになれば︑裁判所はもはや︑労使関係についての中立者ではないといわれるこ. とを免れえまい︒今次リボン通達は﹁裁判所職員が法秩序の維持につぎ重い責務を有することにかんがみ﹂て︑リボ ︵4︶. ン着用を違法とするものであるが︑その違法論の論拠は薄弱であり︑また一般的にいって労働法上のリボン闘争の法. 理︵下級審判例によって形成されてきたものを含めて︶に対抗しうるものでもない︒それは︑労使関係の側面をも司. 法機関たるの側面によってぬりつぶしてしまおうとする発想によってのみ説明することができるものであり︑そうで. あれば︑さぎに仙台安保六・四事件判決について述べた使用者たるの側面が︑法の解釈の中に貫流しているという批 判をうらがきするものとなり得よう︒. 最高裁がこうした衝突しあう三つの機能を同時に併有することの非合理性は︑たとえば裁判所職員の団結体に︑よ. り広汎な団体交渉能力を承認し︑労使関係の規律が法の行政解釈によつてではなく︑労使の合意によっておこなわれ. る方法を︑現実に確立することによっても︑相当程度改善されえよう︒必要なことは︑三つの機能がそれぞれ別個の. 前掲ドライヤー報告︑一コ六〇項以下Q. 分離したものであることを明白に自覚し︑その上での合理性を探究していくことに他ならない︒ ︵1︶. の中では︑従来と異なり﹁勤務時間中における職員のリボン等の着用行為は違法である⁝⁝﹂と述べているQ断定すること. ︵2︶ 事実︑総理府人事局は一九六九年のいわゆる一一・一三團争にたいする各省庁あての指示︑﹁一一・一三統一行動対策﹂. 第五六回国会衆議院法務委員会議録第三号︵昭四二・扁一・一︶o. はできないけれども最高裁通達の﹁違法﹂論がなにほどかの影響をもったであろうことは容易に推測することができようQ ︵3︶. ︵4︶ 籾井前掲論文︑ならびに中山前掲論文参照Q.
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