ミャンマー連邦共和国
2013/11/16 メンバー:田中美咲、西村崇人、布留谷望<基本情報>
面積: 68 万平方キロメートル 人口: 6,367 万人 首都: ネピードー 言語: ミャンマー語 宗教: 仏教(90%),キリスト教(5%),イスラム教(4%)、ヒンドゥー教(0.5%) GDP: 540 億ドル (一人あたり GDP): 834 ドル 識字率: 95.13 % (男性: 86.4% 女性: 93.9%) 通貨: チャット 政体: 大統領制、共和制 元首: テイン・セイン大統領 在日○○人: ビルマ 観光都市: ヤンゴン、バガン、マンダレー、バゴー 主要都市: ヤンゴン、マンダレー、ネピドー 略史: 諸部族割拠時代を経て 11 世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝 1044 年~1287 年)が成立。その後タウングー王朝,コンバウン王朝等を経て,1886 年 に英領インドに編入され,1948 年 1 月 4 日に独立。 ミャンマー統一資料 1<司法アクセス概観>
※( )内の数は、裁判所の数を表します 連邦最高裁判所: ・2008 年憲法及び 2010 年司法制度法に基づき創設(以下、特別裁判所を除き同様)。 ・首都ネピドーに設置。 判事は 7~11 名(長官含む)。 ・三審制をとるミャンマーにおいて最上級の上訴裁判所でありながら、一定の場合には 第 1 審として事件を審理することができる。 その他、種々の令状発布権限あり。 管区・州高等裁判所: ・全国 14 の管区・州に設置(7 管区、7 州。前述の地図を参照)。 ・判事は 3~7 名(長官含む)。 総判事数は男性 36 名、女性 16 名(2012 年)。 ・ 控訴裁判所としての機能を有する。 特別の場合には第 1 審として事件を審理。 自治管区・自治区裁判所: ・刑事・民事事件それぞれの第 1 審又は郡区裁判所からの控訴審の審理を行う。 ・ それぞれの自治管区・自治区内に所在するすべての郡区裁判所の監督権限を有する。 県裁判所: ・各県裁判所に 1 人の裁判官(連邦最高裁判所が任命)。業務量に応じて追加される。 ・総判事数は男性 70 名、女性 76 名(2012 年)。 ・刑事・民事事件それぞれの第 1 審又は郡区裁判所からの控訴審の審理を行う。 連邦最高裁判所(1) 管区・州高等裁判所(14) 自治管区・自治区裁判所(?) 県裁判所(67) 郡区裁判所(324) 少年裁判所(326) 都市犯罪裁判所(12) 交通裁判所(10) ミャンマー統一資料 2・ 管轄権の範囲内に所在するすべての郡区裁判所の監督権限を有する。 郡区裁判所: ・各郡区裁判所に 1 人の裁判官(連邦最高裁判所が任命)。業務量に応じて追加される。 ・総判事数は男性 446 名、女性 292 名(2012 年)。 ・ 原則として第 1 審の役割を有する。比較的軽微な事件の管轄権を有する。 少年裁判所: ・法律により設置された特別裁判所(以下同様)。 ・ヤンゴン・マンダレーに固有の少年裁判所を持つが、原則として郡区裁判所内に 設置され郡区裁判所の裁判官によって裁判がなされる。 ・ 科刑に上限有り(死刑、終身刑、7 年以上の懲役刑は不可)。 都市犯罪裁判所: ・ネピドーに 1 つ、ヤンゴンに 7 つ、マンダレーに 4 つ設置。 ・ 各都市の都市法に基づき、歳犯罪を審理。 交通裁判所: ・ネピドーに 1 つ、ヤンゴンに 7 つ、マンダレーに 2 つ設置。 ・車両規則及び道路規則に違反した者を審理。
<発表内容>
テーマ: ミャンマーの少数民族における国民としての法的地位 背景(テーマと関わる社会情勢、テーマ設定動機、日本関与の理由などを含め): 近年のミャンマーの経済発展は著しく、日本や欧米の企業も多数進出し、その開発が世 界中から注目されている。2013 年 8 月には日本による法整備支援の合意文書が締結された。 しかし、その華やかな発展の裏では、人口の三割に値する宗教的、民族的少数派の人々の 差別の現状がある。ミャンマー政府による国策としての仏教中心主義に基づいたビルマ族 への同化政策によって、少数民族の人権は著しく害されているのである。その中でも特に、 民族的にも宗教的にも、また歴史的にも特殊なアイデンティティを持つロヒンギャ民族へ の差別が著しい。国軍や多数派である仏教徒による迫害によって、強制労働、住居破壊、 土地没収、強奪と恣意的課税などが行われており、ロヒンギャ民族は難民化している。近 年、タイへ逃れようとしたロヒンギャ民族をタイの海軍が沖まで連れて行き洋上に放置し たとして国際的にロヒンギャ難民問題が取り上げられることとなった。そのように逃げ出 した難民はミャンマーの隣国だけでなく、日本にも難民申請に訪れる。そんな中、日本政 ミャンマー統一資料 3府は 2010 年よりミャンマーの難民キャンプに限って日本への第三国定住の道を開く事を決 定した。UNHCR への拠出金が世界第二位であるのにも関わらず難民の受け入れに難色を示し ていた日本の立場としては異例の事であり、そこには外交上の策略も垣間見える。しかし ながら、非人道的な民族・宗教差別によって発生する難民をただ受け入れて行くだけでは 日本の立場として無責任でないだろうか。ODA によっても少数民族支援はなされているが、 政治色が強くセンシティブとされているロヒンギャ民族への支援はまだ具体的には行われ ていない。ただ発生する難民を傍観し、受け入れるのではなく、その国内での発生原因を 日本が行う法整備支援として法によって解決する事を試みたい。 具体的な説明: ミャンマーにおける宗教的、民族的少数派である少数民族は、行政手続きにおいて差別 されている現状がある。その理由が「国民登録証」にある。これは、国籍を持つ国民が18 歳になると登録するが、その際に職業や住所だけでなく、民族や宗教の記載も義務づけら れている。この欄に仏教以外の宗教を記入する事で、生活におけるあらゆる面で差別され ることとなる。そして宗教的にも民族的にもどちらもビルマ族とは縁遠いロヒンギャ民族 は、この国民登録証を取得する際に必要となる国籍さえも認められていない。とりわけ差 別は激しい。このロヒンギャ民族を排除しようと試みるミャンマーの国籍法の変遷とその 歴史的背景を追いながら、日本が行う法整備支援として、政治性の強い国籍法にどのよう なアプローチをしていく事ができるかを、国内法整備だけでなく、国際法による最低限の 人権基盤構築からの視点もふまえて考察する。 問題点の整理: ・ 国策による宗教差別と社会的な民族差別差別の存在 ・ ミャンマー政府によるロヒンギャ民族への行政手続き上の差別 →国民登録証による宗教・民族の管理 →国民登録証の運用レベルで窓口対応が大きく異なる現状 ・ ロヒンギャ民族の難民化 ・ ロヒンギャ民族の無国籍問題 —1947 年憲法では、「両親のいずれもが先住民に即している者」とあり、ロヒンギャに も国籍取得の余地があったが、1948 年連邦国籍法で「先住民」からロヒンギャを排 除し、純粋な国民となる事が不可能となった。しかし。帰化による国籍取得の可能性 は残っていた。 —1948 年の連邦国籍法施行時は、法の認識不足と選挙への参加の事実から、申請をしな くとも国籍を与えられていると考えるロヒンギャが多くいたため、実際に申請をほと んどのロヒンギャ民族が行っていなかった。 ミャンマー統一資料 4
—1982 年ビルマ国籍法においては、国民を三種類に分け、国民、準国民、帰化国民とし たが、ロヒンギャはどの枠組みにおいても国籍を取得する事が困難となった。 ・ 国際機関による支援の「国籍法改正」への影響力の少なさ ・ 日本のODA によるロヒンギャ民族への支援の具体的策が現在存在していない現状 ・ 高度に政治的であるとされる「国籍法」の改正へ向けて、またそれに伴う実質的な権利 の付与へ向けてどのような策を日本が行う法整備支援として行っていくべきか。 問題提起、解決策の示唆(支援機関の活動などを含め): 国際機関による支援は、国際法を基にした難民キャンプの創設やその支援などであり、 発生した後の難民を生存させる事にまず第一の目的がある。難民となった後ではなく、難 民となってしまう前の段階において国内でこの問題を解決することができないか。 ※ ロヒンギャ問題の複合性(民族問題、宗教問題、政治的問題、法的問題が絡み合う) 「国籍法」という政治性の強い法律である特殊性を鑑みると、 ① 普遍的な人権基準に基づく最低限の人権基盤をつくるために、国際法履行とそのサポー トを、法整備支援の中で行っていく ② 逸脱してはならない人権規範を守りながら、窓口対応によって差別されるような実務レ ベルでの問題を解決し、実質的に国民として尊重されつつ生活する権利を保護していく →①と②の双方からの法整備が必要ではないか。
<キーワード>
ロヒンギャ民族 アラカン州西部、ヤンゴンに居住している民族である。全員がイスラム教を信仰しており、 人口は 200 万人ほどと言われている。人々の大多数は稲作農業に従事している。ミャンマ ー国内では、国籍を付与されていないために外国人として扱いを受けており、国家からの 差別的政策も合わせて冷遇されているため、周辺諸国への難民化が深刻な問題となってい る。 ボートピープル 一般的には、紛争や圧政から逃れようとして、漁船や小型のヨット等に乗り、難民として 他国へ逃げ出した人々のことをいう。ミャンマーにおいては、2009 年にロヒンギャ民族が タイへ逃れようとしたが、これを排除しようとするタイ海軍によって強制送還されたこと が大きなニュースとなった。ロヒンギャ民族の問題を世間に投げかけた話題であり、国際 社会の関心も高まる契機となった。 宗教省 ミャンマーにおける宗教政策を担う政府機関。宗教省の役割は次のような事項である。① ミャンマー統一資料 5ミャンマー連邦内部のすべての国民が自らの保持する宗教を自由に信仰する権利を守る、 ②国民の89.2%が信仰する宗教にふさわしく、仏陀の残したパリヤッティ(教義)、パティパ ッティ(瞑想)とパティウェダ(布教)という 3 つを広めるよう尽力する、③伝統的なミャンマ ーの文化が繁栄し、国民の行動規範が向上するよう尽力する。 ふたりっ子政策 2005 年にミャンマー政府によって導入された。結婚を望むロヒンギャの男女には、子供は 二人までとするとの契約書提出が義務づけられている。ふたりっ子政策への侮辱は、罰金 と懲役刑による処罰の対象となる。3 人目の子供を妊娠した女性は処罰を恐れて中絶をす るか、賄賂を払って生まれた子供を法的に結婚している夫婦の子として登録するか、子供 の存在を隠して未登録とする場合が多い。現在は推計で未登録時は 6 千人に及ぶと言われ ている。 国民登録証 現在ミャンマーにおいて通称「登録証」と呼ばれる身分証明書である。最初の登録は満 10 歳になった日から一年以内であり、その後満 18 歳になった日から一年以内に書き換えを行 い、国民登録証が発行される。1982 年ビルマ国籍法で新たに設けられた準国民及び帰化国 民に分類分けされた人々もそれぞれ「準国民審査カード」、「帰化国民審査カード」を発行 されている。この登録証には、民族や信仰する宗教を記載する欄があり、この所属によっ て、恣意的な課税や移動の制限など、生活の様々な場面において差別されている現状があ る。
<追加資料>
ミャンマーの国籍法の歴史的背景 ・ウー・ヌー政権(1948 年〜1962 年) 1948 年、ビルマ連邦は英国から独立した。独立後のウー・ヌー政権はロヒンギャ民 族の存在を公に認め、1961 年にはアラカン州を設置し、その中のロヒンギャ民族の 多く住むマヌ地方については、中央政府直轄の「マユ辺境行政区」を設けた。中央 政府がロヒンギャ民族を守る、という目的の下この行政地区は設置され、アラカン 州の中でも仏教徒とイスラム教徒とを分けて別の選挙区を設置した。1961 年から 1965 年にかけて、ビルマ国営第二放送が週三回ロヒンギャ語の放送を行っていた事 実があるということも記されている。 ・ネ・ウィン政権(1962 年〜1988 年) しかし、1962 年 3 月のクーデターによってネ・ウィン政権に変わり、その後 26 年続 く軍政による「ビルマ式社会主義」の時代となった。ウー・ヌー政権でのマユ辺境行 政区は排除され、中央集権体制の統治下におかれた。ネ・ウィンはロヒンギャを不法 ミャンマー統一資料 6移民とみなし、差別した。1982 年には新たにビルマ国籍法が制定されたが、この際、 ネ・ウィンは「独立直後に制定された国籍法等の法律がうまく機能せず、ビルマで外 国人および外国人と混血の人々の問題は残存したままであったため、新しく国籍法を 制定することになった」という演説を行っている。この 82 年国籍法での正規の「国民」 は「1823 年以前からビルマに住んでいた人々の子孫」と規定されている。これは、英 国が初めてミャンマーに戦争を仕掛けた第一次英緬戦争の一年前である 1823 年以前 までは混血のない純粋なミャンマーであったが、それ以後は外から様々な人々が侵入 してきたことで汚されてしまった、という認識に基づいて規定されている。 ロヒンギャ問題に対する支援の詳細
NGO Human Rights Watch ビルマ政府への勧告
・ 国際メディアと人権機関に対し、ロヒンギャの人権状況を報道するため、アラカン 州へのアクセスを許可すること
・ ロヒンギャに対し、ビルマ全土での移動の自由を保障すること
NGO amnesty international ビルマ政府への勧告 ・ 以下の国際条約に加盟する事を勧告する。 無国籍者の地位に関する条約(1954 年)、無国籍削減のための条約(1961 年)、市 民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約、1966 年)、および、差別撤廃 条約(1969 年) である。 日本の ODA による支援 2013 年 3 月に合意した無償資金協力の贈与契約の案件 ・ 少数民族地域における避難民支援計画(UNHCR 連携)(供与額 6.51 億円) この事業は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と連携し、国内避難民や無国籍者が存 在するラカイン州、カチン州、カレン州、カヤー州、モン州、シャン州、タニンダーリ 地域において、各地域の状況に応じ、避難民・無国籍者の特定・登録、日用品等の必要 物資の支給、教育・保健サービス等の提供支援、緊急時のシェルターの提供等を行うも のである。本事業によって、対象となる約 43 万人の人権状況および生活環境が改善され、 緊急時には避難者の身体の安全が保たれることが期待されます。特にラカイン州におい ては、ラカイン族とベンガル系住民の双方にバランスよく支援を行うことにより、生活 環境の改善と将来の平和的共存につながることが期待される。 ミャンマー統一資料 7
<参考文献>
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Irish Centre for Human Rights
“Crimes against Humanity in Western Burma: The Situation of the Rohingyas” 2009 年 ミャンマー・エクスプレス 45 号、52 号 根本敬 『「ロヒンギャー問題」の歴史的背景 —「仏教国」ビルマの中のイスラム教徒たち—』 2007 年 岩沢雄司 『日本における国際難民法の解釈適用』 ジュリスト2006 年 建石真公子 『国際人権保障の現状と課題—ヨーロッパを中心に—』2009 年 UNHCR 『国籍と無国籍 議員のためのハンドブック』 2009 年 松尾弘 『グローバリゼーションと法 —序論的考察—』 初鹿野直美『「法と開発」研究におけるエスニシティ試論—チュア論文を題材に—』アジ研ワールドトレンド2007 年 佐藤安信 『人間の安全保障のための「法と開発」研究』アジ研ワールドトレンド 2007 年 8 月 松尾弘 『日本発「開発法学」の理論的構築の試み』 アジ研ワールドトレンド 2007 年 8 月 鮎京正訓『アジア法ガイドブック』 名古屋大学出版会 2009 年 ティン・ティン・ヌウェ 松尾 弘/訳『ミャンマーの司法における民事訴訟手続き』 JICA 『ミャンマー特集 変わる国 動く人』 JICA’s world 2013 年 6 月
JICA 『国際協力機構 年次報告書 JICA 2012 年』