• 検索結果がありません。

゜ 頂:研究ノート::

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "゜ 頂:研究ノート::"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

.̲L̲

̲

̲̲̲̲

̲̲̲̲

̲̲̲̲

̲̲̲̲̲

:

̲̲̲

:

̲JJ

米 国 従 業 員 持 株 制 度 の 理 論 と 政 策 ー ル イ ス ・ オ ー ・ ケ ル ソ ー よ り 一 ( 3 )

市 J I   I 

はしがき ー 理 論 の 部

1 基 本 概 念 ( 以 上 8巻 3号) 2 政 治 的 民 主 主 義 と 経 済 3  セーの法則の再検討

4 民 主 資 本 主 義 ( 以 上8巻 4号) 5 経済史

= 

政 策 の 部

1 序 論

2 伝 統 的 な 金 融 方 法 ( 以lご本号)

3 民 主 的 な 金 融 方 法

4 資本主義を民主化する 8つの金融手段 5 民 主 的 か つ 商 業 的 な 資 本 侶 用 保 険 6 株 式 会 社 の 民

t

7 税 制

四 批 判 と 反 批 判 の 部 五 む す び

~]~ 9 ‑ 2 -~378 (香法'89)

(2)

米国従業員持株制度の理論と政策—ールイス・オー・ケルソーより (3) (市川)

0 九

5 経済史

①  第 1段階:原始から19世紀まで

ケルソーは経済を労働制経済(iaboristeconomy)と資本制経済(capitalisteconomy)  に区分する。労働制経済とは,労働(つまり,人の生産力と技能)が富の生産における 主要な力となっている経済である。生産的財産の所有は生産された窪の分配においてそ の所有者に分け前を受取る権利を与えるのであるが,労働制経済においては労働がその

(I) 

生産的財産の唯一または

t

要な形態である。資本制経済とは,資本手段がー主要な生産力

(2) 

であり,自然資源と合わさって生産的財産の主要な形態となっている経済である。

19世紀になってT業生産が現れるまでの過去の経済はすべて労働制経済であった。事 実その多くは奴隷制経済であった。なぜならば,喜の生産に用いられた人の労働の大部 分が動産として所有された人々から引き出された。しかし労働制経済は必ずしも奴隷制 経済ではない。事実,原始的な形態の労働制経済は全く奴隷をもたなかった。奴隷制が 尊入され,これが文明の発達にとって不可欠のものとなったのは,文明化された形態の

(3) 

労働制経済においてのみであった。

原始的な労働制経済は,孤立した家族や小さな村落ないし部族の経済であった。そこ においては,集団の構成員の間に何らかの労働の区分があり,各々の家族が自身の労働 カ,その道具および家畜を所有し,土地は誰かに占有されているというよりはむしろ共 有物であり,若干の雇われ人,つまりその生活のかてを他人の支払に依存している人々

(4) 

がいた。

原始的な労働制経済において,一般に,生産された富の分配は,権利によって決定さ れ稼ぎに応じて割当てられるというよりは,むしろ,贈与を伴い必要に応じて割当てら れた。しかしながら,(たとえば,孤立した入植地や辺境の開拓地におけるように)分配 は贈与によるよりもむしろ権利によることもあった。その場合には,分配方式において も労働制的 Oaboristic)であった。もし分配を正当に行おうとするならば,それ以外の 方法はほとんどありえなかっただろう。なぜならば,労働が主な生産力である経済にお いて,生産された富の分け前を

1 E

当に分配するためには,分け前は

t

として労働の駄つ まり労働の力と技能に応じて決定されねばならない。というのは,そこでは,人々は労

(5) 

働によっで畠の生産に貢献する。

原始的な労働制経済においては,生産的財産の所有は広く分散していた。各々の人や 家族がそれ自身の労働力,道具および家畜を所有した。この種のほとんど普遍的な分散 は,資本主義革命が完全に成就されるまで, 2度と達成されないであろう。というのは,

たいていの文明化された形態の労働制経済においては,生産的財産の主な形態である労 働の所有が高度に集中されていた。この点では資本制経済の最初の150年間についても同

9 ‑‑2 ‑‑377 (香法'89) ‑ 2 ‑‑

(3)

じであり,そこにおいても生産的財産の主な形態である資本の所有が高度に集中されて

(6) 

いたし,それはいまなお高度に集中されている。

上に述べたことが原始的形態の労働制経済と文明化された形態の労働制経済との重大 な違いに気づかせる。後者の形態は通常奴隷制または農奴制を含み,そこでは生産的財 産の主な形態つまり人の労働ないし技能の所有もしくは支配が奴隷所有者または封建領 主の手に集中している。

文明化された形態の労働制経済は都市の出現および自由な人々からなるレジャー階級 と奴隷,機械工,職人の働く階級とへの社会の分裂と共に生じた。奴隷所有者または封 建領主は土地の所有者でもあり,道具,家畜,原材料等の所有者でもあった。それゆえ,

ほとんどすべての生産的財産の所有が少数者の手に集中しており,もちろん,それと共 に,政治的権力も高度に集中していた。レジャー階級は支配階級であった。働く大衆は 政治的地位,権利および自由を有しなかった。宗教改革時の農民一揆のような血の反乱

(7) 

の場合を除いて,彼らは政治的権力を行使する方法をもたなかった。

文明化された形態の労働制経済においては,生活財のための作業における労働が分裂 していたのみならず,より一層重要であるのは,人の活動そのものが生活財のための作 業とレジャーのための作業に鋭く分裂していたことであった。奴隷や労役者は社会全体 を支え繁栄させる富を生産したが,一方,財産のあるレジャー階級の人々,そのうち少 なくとも道徳的であると同時に自由である人々が文明財を生産した。奴隷,農奴または 彼らと同じようにどん底にある人々の労働は,文明の作業ができるよう少数の人々を解

(8) 

放するため必要である, と一般に考えられた。

②  第2段階: 1800年から現在まで

動力機械の発明・改良と共に,労働は生産的財産の主な形態としてのその役割を失い 始めた。社会が手工業的な生産から機械的な生産へ,機械化されていない農鉱業から機 械化された農鉱業へ移るにつれて,労働が窟の生産になす貢献はますます減少し,資本 手段の貢献はますます増大する。機械の生産効率が増大するにつれて,生産の負担はし だいに人々から機械に移った。この変化と共に,資本が生産的財産の主な形態としての 労働に取って代った。

労働が経済において主な生産力である時にも,労働は, もちろん,自然資源や道具の ような,他の生産要素と結合されねばならない。同様に,機械が主な生産力である時に は,機械も自然資源や労働のような他の生産要素と結合されねばならない。それゆえ,

生産の機械化されていない組織と工業組織との間の主な違いは,生産的財産の主な形態 が労働から機械に代っている点にある。

資本は 1つの生産手段,つまり労働を除くすべての富を生産する手段である財産から

0 八

‑‑ 3 -~· 9~- ‑376 (香法'89)

(4)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより (3) (市川)

成り立つ。したがって,生産的財産の主な形態が労働から機械に代ることによって,我々

(9) 

は労働制経済から資本制経済に移る。

③  経済の分類

すべての経済は,労働が主な生産力でありかつ生産的財産の主な形態であるか,それ とも,労働よりはむしろ資本がその地位にあるかによって,区分できる。かくして,経 済の最初の区分は生産の様式に基づくものである。この基準によると,すべての経済は 労働制かまたは資本制かである。労働制かまたは資本制である経済はさらに所有の様式

と分配の方式によって区分できる。

既に見たように,労働力の所有は,奴隷制の存しない原始的な労働制経済におけるよ うに,普遍的に分散されるか,または,人の労働の大部分が少数の奴隷所有階級によっ て所有されている文明化された労働制経済におけるように,相対的に集中されるか,で

嘉 。

生産された富のすべてまたは主な部分が労働によってそれを生産した人々の間に分配 される場合には,その分配方式を「労働制的 Oaboristic)」と呼ぶ。そのような分配の原 理は,それが権利に基づくか必要に基づくかによって正義かまたは慈善かである。生産 された富の分け前が,生産への作業者の貢献を競争的に評価して,その生産者間に割当

(11) 

てられる場合には,労働は労働の稼いだものを受取っている。

奴隷制経済は最初にあらわれる異常な例である。それは生産様式においては労働制で あるが,生産された富の大部分が土地,道具および動物も所有する奴隷所有者のものと なる限り,分配方式は労働制的でない。たとえ労働がその所有する生産的財産の主な形 態であるとしても,もし奴隷所有者を資本家と呼ぶことができるとすれば,その分配方 式を「資本制的 (capitalistic)」と言ってよい。その意味するところは,生産された富の 大部分が自らの労働力によってではなくその所有するそれ以外の他の生産手段の使用に

よって富を稼いだ者に分配されている,ということである。

今までに労働制経済の種類を説明するため用いた用語は純粋に説明的なものである。

それらは社会の富の生産方法,社会の主要な生産的財産の所有方法および生産された富 の分配方法について説明する。しかし分配方式から分配原理に移ると,正義の問題を回 避できない。たとえば,既に見たように,生産様式が労働制であり,分配方式が労働制 的である経済において,分配原理は正義でもありうるし慈善でもありうる(すなわち権

(12)

利でもありうるし必要でもありうる)。

奴隷制経済の異常さは生産様式が労働制でありながらその分配方式においては労働制 的というよりはむしろ資本制的である点にある。各人は自らの労働力を財産として所有 するという自然法に反するがゆえに,奴隷制は本質的に不正であるという基本的な事実

9 ‑ 2 ‑375 (香法'89) ‑ 4 ‑

(5)

が奴隷制経済の異常さの基になっている。それが生産様式が労働制でありながら分配方 式では資本制的である理由を説明する。生産様式と分配方式にそのような相違がある場 合にはいつでも,その経済組織は経済的正義の3原理,つまり分配,参加および制限の

(13) 

原理のいずれかを満たしていないと推測する十分な理由がある。

奴隷制経済における資本制的な分配方式は正義の原理の 1つ,つまり貢献の大きさを 基礎として分け前を分配するという原理を満たしているが,他の2つの原理に反してい る。これは次のように言うことと同じである。すなわち,労働所有の高度の集中(参加 の原理と制限の原理の違反)を問題としないならば,その場合,奴隷所有者は,社会の 富の大部分を受取っているのであるが,彼らは彼らの財産の生産的な使用が彼らのため

04) 

に稼いだものを受取ったのである。

④  資本主義経済の分類

上述の分類基準によって,生産様式が資本制である経済を, (1)所有様式, (2)分配方式,

(3)分配原理,によって分類してみよう。まず純粋に説明的な分類を試みよう。だが資本 主義の種類の説明は正義や自由の問題と分離できるけれども,その種類が人間に対して

(15) 

持つ意味は正義や自由の問題に照らして始めて判断できる。

(1)  所有様式

社会の資本手段は(a)個人,家族および会社によって私的に所有され,運用されるか,

または, (b)国家によって公的に所有され,それを統治する官僚によって運用されるか,

である。

(a)  資本の私的所有制度の下では,その所有は一方の極では少数者の手に高度に集中 されるか,または,他方の極では全住民の間に広く分散されるか,または,その集中ま たは分散の程度がこの両極の間のどこかにあるかである。それが高度に集中されている 限り,それは少数者に経済的権力を与え,これによって彼らは政府の機関や人事に不当 な影響力を行使できる。それが広く分散されている限り,それは人々に一般的に経済的

(16) 

独立性を与え,これによって彼らは政治的自由を擁護できる。

(b)  資本の公的所有制度の下では,その所有は国家法人に完全に集中される。これは 次のことを意味する。すべての実際的な目的のためには,資本所有が国家の政治権力を 行使する政策形成担当者の手に高度に集中される。これらの人々が選挙人に完全に責任 を負い,人民主権のすべてのチェックに服する場合にのみ,国家によって所有された資 本手段の管理支配は,たとえその所有が分散されていないとしても,広く分散されるこ とができたであろう。しかし,資本制経済において,私人や私法人が資本手段を財産と して所有していない場合,彼らは政治権力を有する人々に対する支配を行使するために 経済権力を利用できない。それゆえ,国家が唯一の資本家である場合には,経済権力と

0 六

‑ 5 ‑ 9 ‑ 2 ‑374 (香法'89)

(6)

米国従業員持株制度の理論と政策一—ルイス・オー・ケルソーより (3)  (市川)

政治権力の両方が政府の機関または事務局に集中される傾向にある。国家の名において 行為する官僚はチェックを受けず責任を負わなくなる。そのような状況の下では,民主

(17) 

的手続は擬制であり,個人の政治的自由と同じく経済的自由もほとんどなくなる。

(2)  分配方式

資本手段が

t

な生産力であり,生産的財産の主な形態である経済において,分配方式

(18) 

(a)資本制的であるかまたは(b)労働制的である。

(a)  資本制的な分配方式とは,生産された窪の大部分が資本所有者のものとなる場合 である。資本が私的に所有されかつその所有が少数者の手に高度に集中している経済に おいては,残りの富が労働大衆に割当てられるのであるが,これは必然的に相当な生活 水 準 を 維 持 す る た め 必 要 な も の よ り よ り 少 な く な る で あ ろ う い 場 合 に よ っ て は み す ぽ

(19) 

らしい生活を維持するため必要なものよりより少なくなる。

(b)  労働制的分配方式とは,生産された富のすべてかまたは大部分が自らの労働力を 用いてのみ生産に貢献した人々のものとなる場合である。生産された窪の重要な部分が 多数の人々の相当な生活水準を支えるため労働者のものとなり,その残りは資本所有者 のものとなるのであるが,これが富の大部分より少ない場合には,その分配方式は部分 的に労働制的でありかつ部分的に資本制的 (partlylaboristic and partly capitalistic)  である。

資本所有が国家の手に完全に集中されている経済においては,分配方式は純粋に労働 制的であり,必然的にそうなる。

資本が私的に所有されており,かつその所有が少数者の手に集中されている経済にお いては,分配方式は,資本における私有財産権を全く侵すことなしには純粋に労働制的 であることはできない。工業的に生産された富の純粋に労働制的な分配は資本の有効な 私的所有と両吃しない。そのような分配は資本財産の生産的利用を帳消しにする。とい うのはそのような財産を生産的に利用するのはその財産が生産した富の分け前を獲得す るためである。しかし私的所有制度の下で,資本所有が高度に集中されている場合に,

可能な分配方式は純粋に資本制的であるかまたは部分的に資本制的でありかつ部分的に

(20) 

労働制的であるかのいずれかである。

(3)  分配方式の基礎にある原理

分配方式の基礎にある原理は, (a)厳密な正義の原理,これは資本と労働における私有

財産権およびその他の人権に基づくものである,かまたは(b)慈善の原理である。

分配方式の基礎にある原理が慈善の原理であり,人の必要または福祉への配慮が資本 における財産権の限られた侵害のみを導びく場合には,分配方式は部分的に資本制的な ものにとどまるであろう。分配方式の基礎にある原理が慈善の原理であり,必要の原理

9 ‑‑‑‑2 ‑‑‑373 (香法'89) ‑ 6 ‑

(7)

が権利の原理に完全に取って代わる場合には,資本における私有財産権は完全に廃棄さ

(21) 

れ,分配方式は純粋に労働制的となるであろう。

ソビエト・ロシアの資本制経済は,完令に人の必要と幅祉に粘づく純粋に労働制的な 分配がなされている,と公言されている経済を代表する。必要が権利に取って代わるこ とは資本における私有財産権の廃止と同じである。この両者は共に次のような見解を表 明している。すなわち,国家が人々の福祉のためすべての生産手段を保有すべきである ので,資本によって生産された富は必要に応じて人々に分配されるべきであり,各人が その労働によってなした様々な貞献に韮づいて割当てられるべきでない。

最近の報告によれば,ソビエト・ロシアにおいて,機械的労働者よりもずっと高い生 活水準が国家によって経営的・技術的労働者に与えられており,現実の行為はマルクス 理論から逸脱しているようである。これは,資本制経済においては経営的・技術的労働 が機械的労働よりもずっと大きく社会の富の生産に貞献しているという事実を考えるな らば,権利への配慮の先祖返り的復活であると考えられるかもしれない。しかしもし生 活水準における大きな違いの国家による設定がもっぱらある種の作業をうまく行わせる ため必要な刺激または誘因を与えるという要望からなされているとすれば,その場合,

支配する原理は正義の原理でも慈善の原理でもなく,便宜(expediency)の原理である。

(22) 

それはその経済そのものの生存,またはそのより大なる生産性と繁栄を目的とする。

資本所有が少数者の手に集中しているがゆえに,大多数の者が富の生産に有効に参加 できない資本制経済は,ほとんど正当な経済ではない。その資本制的な分配方式は資本 家である少数者の財産権を完全に尊甫しているとしても,その経済は正義の3原理のう

ちの2つに,参加の原理と制限の原理に反する。

大多数の者の経済的な困難,悪い,みじめな状態は19世紀の英国と米国の資本制経済 においてなされた不正の直接の結果である。その原因は資本の私的所有にあるのではな い。資本の私的所有は労働力の私的所有と同じく正当である。その原囚は純粋に資本制 的な分配方式にあるのではない。純粋に資本制的な分配方式もそれ自体は生産様式が資

(23) 

本制である経済においては全く正当である。その原囚は資本所有の高度な集中である。

不正であり,大衆のなげかわしい生活につけ加えて, 19世紀の英・米の資本制経済は,

もしその資本制的な分配方式が無修正のまま存続したとすれば,マルクスが予言してい るように,「それ自身の破壊の種をまいた」であろう。富の大部分が資本所有者である人 口の10分の 1のものとなり,その残りの富が人口の10分の9のものとなる場合,それは

(24) 

彼らに高い水準の生産を支えるのに十分な購買力を与えない。

一般的な生活水準を引上げ,広く分散した購買力を創出することによってのみ,資本 制経済の大斌生産を支える富の消費が可能となる。したがって, もし他に何もないとす

0 四

―.. 9~-‑372 (香法'89)

(8)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより一(3)(市川)

れば,分配方式が純粋に資本制的なものから部分的に労働制的なものに変わることは極 めて好都合であった。それは経済を持続させ,好況と不況の循環のクライマックスでの

(25) 

破滅から経済を救った。

ニュー・ディールの明言された政策の中にはそのような動機を証明するのに十分なも のがある。だがその本来の,根本にある,より深い関心は人間の悲惨な状態を多少とも

よくすることであり,大衆の境遇を改善することである。

分配方式の変化を支配する原理は,経済の安定性に対する配慮を別とすれば,深い人 類愛的な動機,つまり,人間的必要を押し進め,忘れられた人々の経済的福祉に配慮す ることから生じた。これらの良き目的が,経済自体の効率性や繁栄と並んで,混合方式 の分配を作り出したのであるが,それは年を経るにつれてますます労働制的となります

(26) 

ます資本制的でなくなってきた。

しかしながら,これらの良き目的は19世紀の資本主義の不正を正すことなしに推進さ れた。 19世紀の資本主義は,資本の私的所有の高度の集中と共に純粋に資本制的な分配 方式を維持していたので,自己破壊的でもあり,非人間的でもあった。一方で,資本制 経済,特に富の10分の 9が資本手段によって生産されている技術の発達した経済におい て,労働制的と資本制的との混合せる分配方式は資本所有者に対する重大な不正である。

それが労働力の所有者によってほとんど稼がれていないにもかかわらず,労働力の所有 者に与える分配の分け前を増加するため,資本が稼いでいるので正当に資本所有者のも のであるはずの分配の分け前をますます大きく削減するにつれて,それは資本における

(27) 

財産権を侵害し,弱め,むしばむ。

それゆえ,英国と米国の現在の資本制経済は,それが前世紀から受け継いだ不正を正 それに分配方式の不正も付け加えた。その分配方式は,本来な らば資本所有者に帰すべきものであるのに労働者のものとなっている富の増加分で測定 ますます労働制的となってきた。富の分配におけるこの変化はその目的に つまり人々の一般的福祉と経済の繁栄に役立っていることによって,正当化で それを人間的または便宜的にするかも知れないが,それを正当には していないのみならず,

するならば,

よって,

きるという事実は,

二 0 三

しない。

正当であるためには,富の生産と分配は,すべての人権が十分に尊重されるように,

つまり誰もが財産を使用して生産に参加し,資本制生産様式の下で生存または相当な生 活を可能とする収入を稼ぐ権利,と同時に,誰もがその生産的財産の生産した分け前を

(28) 

完全に受取る権利を十分に尊重されるように,組織されねばならない。

資本主義の最初の段階から存在し,資本の私的所有の高度な集中の結果としていまな お存在する不正をなくし,付け加えて,慈善,福祉,または社会主義の原理の下に導入

9 ‑ 2‑371 (香法'89) ‑ 8 ‑

(9)

され,最近しだいに強まっている労働制的分配方式に伴う不正をなくするためには,資 本の私有財産権を完全に尊重する純粋に資本制的な分配方式を復活すると同時に,資本 の私的所有の広い分散を実現することが必要である。

その方法においてのみすべての関連する経済的権利は守られることができる。

法においてのみ経済的正義の三原理のすべてが資本制経済に組み入れられることができ その方法においてのみ資本制経済は正当に組織されることができる。その方法にお いてのみ,資本制経済の繁栄が維持され,高められることができ,財産権を侵害するが ゆえに不正であるのみならず,政治権力と経済権力の同一集団への集中を伴うがゆえに 自由にとって有害でもある,手段に頼ることなしに,大衆の経済的福祉は配慮されるこ

(29) 

とができる。

その方

る。

いわゆる共産主義革命は資本主義経済の完全な社会化を達成した。完全に社会化され た資本主義は,ある程度の経済的繁栄を確保するため,十分効率的に機能できるかもし

それは,純粋に労働制的な分配方式によって,人間的必要に配慮し,

人々の生活水準を徐々に改善することさえできるかもしれない。

れない。

しかし,

すべての たとえそれが これらの点において成功するとしても, それは正義と自由,個人的権利と個人の自由,

つまり私有財産制度に結びついているすべてのもの, および人が排他的に支配する財産 によって稼いだものによって生きる権利を犠牲にしてのみそうすることができる。

必要とされているのは資本主義革命,すなわち正義と自由の大義を推進するのみなら ず,効率的で繁栄する経済とすべての人々のために十分な経済的福祉を供給する生活水

(30) 

準をより確かにより完全に創り出す力をも有する革命である。

資本主義革命がたどる道は共産主義革命がたどった道とは正反対の方向にある。

は資本の私的所有を完全に廃止する代わりにそれを分散することを求める。

それ それは国家 を唯一の資本家にすることによって誰もが資本家になることを妨げる代わりにすべての 人々を資本家にすることを求める。

資本主義革命は,部分的に社会化されたあるいは労働制的な資本主義である混合経済 とも方向を異にする。しかしそれは19世紀の不正かつ非人間的な資本主義に逆戻りする のではない。それは,正義の諸原理の完全な実現を推進するものであるが,

主義の下で最初から可能であったはずのものである。

これは資本 それは,生産様式において資本制 である経済を, そのあるべき姿に, つまり分配方式においても純粋に資本制的である経 それは,すべての人々を資本家にすることを求めることによっ て,自らの労働によってと同じく自らの資本財産によって稼いだもので生きる人々の権 利を有効にすることに努める。資本手段が富の大部分を生産する社会では,人々はその

(31) 

ように生きることができるべきである。

済にすることを求める。

二 0 ニ

︐ 

‑ 2 ‑370 (香法'89)

(10)

米国従業員持株制度の理論と政策ーゾレイス・オー・ケルソーより ‑(3)(市川)

⑤  資本主義の4類型

(1)  原始資本主義 (primitivecapitalism) 

この型の資本主義は19世紀の英国に存在し,衰えながらも第一次大戦まで生き長らえ た。原始資本主義は,工業生産の出現と同時に,資本主義がとった最初の形態である。

それは,工業生産の発達が最も低い段階にあることを示すと共に,動力機械その他の資 本手段が次第に主な生産力となった経済組織における最初の段階であることを示す。

原始資本主義の特徴は次の点にある。 (a)資本手段の私的所有, (b)そのような所有の無 制限の,それゆえ不当な集中, (c)生産的財産の稼いだものがすべてその所有者のものに なる資本制的分配方式, (d)労働大衆の生きて行くのがせいいっぱいの,もしくはそれよ

(32) 

り悪い生活水準。

(2)  国家資本主義 (statecapitalism) 

この型の資本主義は今日ソビエト・ロシアに存在する。所有様式に着目すれば,国家 資本主義だが,分配方式に着目して,完全に社会化された資本主義と言ってもよい。

国家資本セ義の特徴は次の点にある。 (a)資本手段の公的所有, (b)そのような所有の国 家の手への完全な集中,または,あらゆる実践的目的のためには国家の政治権力を操作 する官僚の手への完全な集中, (c)労働制的分配方式,これは作業者(workers)の経済的 福祉のため国家によって支配され,管理される。 (d)大衆の基礎的生活水準の大いなる改 善,これは,極めて高度に生産的な種類の労働に対して,稼いだ報酬ではなく,インセ

(:l:l) 

ンティブを与えるために追加された異なる収入基準を伴う。

(3)  混合資本主義 (mixedcapitalism) 

この型の資本主義は今日の米国と英国に存在し,第一次大戦終結以来発達してきたも のであり,政府の拮坑力 (countervailingpower)の助けによる労働組合権力の増大を 伴う。この型の資本主義は部分的に社会化された資本主義 (partlysocialized  capital‑ ism)とも福祉資本主義 (welfarecapitalism)とも呼ばれる。これらの名称は分配方式 が部分的に資本制的でありかつ部分的に労働制的であることを示すと共に,分配を支配 する原理が,労働制的であること,つまり,労働のみによって生産に参加する人々の必 要に対する配慮であって,生産への貢献を基準として生産への参加によって正当に権利 を得るものに対する配慮ではないことも示している。混合資本主義は,相対立する要素 の混合に,つまり,一方での原始資本主義の痕跡と,他方での,もし抑制なしに続けら れるならば,この経済をますます完全に社会化された資本主義または国家資本主義へと 追いやるであろう傾向を有する,妥協的な施策との混合に着目した名称である。

混合資本主義の特徴は次の点にある。(a)資本手段の痕跡的なないし名目上の私的所有,

(bfそのような所有の無制限の,それゆえ不当な集中,この集中は原始資本主義における

9 ‑ 2 ‑<169 (香法'89) ‑ 10 ‑

(11)

よりも幾分ゆるやかであるが。 (c)部分的に資本制的でありかつ部分的に労働制的である 分配方式。これによれば,資本所有者が受取るものはその財産が生産したものの一部で あり,その生産への貢献によって測定されたならば与えられたであろうよりもずっと少 ない。一方,これによれば,機械的な労働のみによって生産に参加する者はその参加が 生産への貢献によって稼ぐよりもずっと大きい分け前を受取る。 (d)労働大衆の一般的に

(34) 

高い生活水準。

(4)  民主資本主義 (Capitalism)

この型の資本主義は,資本主義革命が資本主義経済を初めて正しく組織した後に,ぉ そらく米国に最初に出現するだろう。民主資本

t

義は資本主義革命によって創り出され る資本主義経済であり,関連する経済的正義の原理すべてによって組織されている唯一→

の資本主義である。

民主資本主義の特徴は次の点にある。 (a)資本手段の私的所有,この私的所有は現在の 名目的な状態や弱められた権利とは異なってその完全な効力を回復する。 (b)そのような 所有の可能な限り広範な分散,これはその経済の全構成員が富の生産に有効に参加する ことを可能とする。 (c)資本制的分配方式,これは,資本所有者に資本の稼いだものすべ てを支払うと共に,労働賃金を極限まで減らす,つまり労働の貢献が自由競争の条件の 下で需要によって測られた場合に稼ぐものにまで減らす。(d)全員のための高い生活水準,

これは個人ないし家族のための生存可能な最低収人を基礎とするものであり,たいてい の場合に,資本所有者もしくは労働と資本の両方の所有者としての生産への参加から得

(3;i) 

られる。

(5)  相互比較

これら 4類 型 を す べ て 資 本 主 義 と 呼 ぶ の は す べ て 生 産 様 式 が 資 本 制 で あ る か ら で あ る。しかし原始資本主義は工業の発達段階において他のすべてものと異なる。今日の米 国やソ連の生産性は19世紀末の原始資本主義の生産性を大きく上回っているが,もし国 家資本主義や混合資本主義がこれからも半世紀以

t

存続し続けるとすれば,それらはオ ートメーションがほんの前兆にすぎない第二次産業革命の到来によって今日存在する最 も発達した工業国の生産性をはるかに大きく上回ることとなろう。だがこの点に関して,

民主資本主義は,技術的進歩の抑制のない追求と促進によって,国家資本主義や混合資 本主義よりもはるかにずっと進むことができるであろう。それは資本手段の生産能力を

(36) 

最も完全に実現するであろう。

国家資本主義,混合資本主義および民主資本主義は,全人口の経済的福祉ないし一般 的生活水準に関して,原始資本主義とは異なる共通性を有する。これらは,異なる支配 原理の指導の下に異なる手段によって望ましい目的を達成するのであり,そのすべてが

~11~ 9 ‑ 2 ‑368 (香法'89)

(12)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより一(3)(市川)

原始資本主義の下に存した経済的困難と広範囲にわたる悲惨を除去できる。国家資本主 義と混合資本主義は,生産性における発展を予想して,その現在の傾向を持続するなら ば,この方向により一層進むことができるであろう。しかし,この点に関して,民主資 本主義はその原理のゆえに最もよく進むことができるであろう。なぜならばまさにその

(37) 

原理は正義の原理であって,慈善ないし福祉の原理ではない。

もう 1つ,国家資本主義,混合資本主義および民主資本主義は原始資本主義とは異な る共通性を有する。原始資本主義は,公開市場での大量生産を支える大量消費を阻止す る,所有様式と分配方式によって自己破壊を運命づけられていた。しかし,国家資本主 義は生産と同じく消費も管理することによってその問題を回避できるし,混合資本主義 もその福祉原理のはたらきによって大衆のため一般的に高い生活水準を創り出すと同時 に有効な大量の購買力を創り出すことができる。民主資本主義は,混合資本主義の誤れ る目的である完全雇用に必然的に伴う過剰生産の洪水とその結果生じる貨幣インフレー ションを回避できるであろう。これら 3資本主義は,その存続に必要な最小限の効率性 でもって少なくとも一時的には資本制経済を運営できる。だがこの点に関しても,民主 資本主義は,混合資本主義における不必要な富の過剰生産に伴う人的資源の浪費と道徳 の堕落なしにかつ国家資本主義における自由の抑圧なしに,より高いレベルの効率性と 安定性を達成できるであろう。ひとたび全員のため相当な生活水準が達成され,軍需費 の増加が止まりその減少さえ起りうるようになると,直ちに,経済的バランスが達成さ れ,その下で技術が発達し,過剰な軍需費の浪費がなくなると共に,完全雇用を与える という目的のためだけの余剰物の生産に伴う浪費がなくなり,我々の生活水準は合理的

(38) 

な限界にまで引上げられるであろう。

以上の3点では,民主資本主義は原始資本主義よりも国家資本主義や混合資本主義に 似ている。民主資本主義が原始資本主義に似ている唯一の点は,資本制的分配方式によ って資本の私的所有に完全な効力を与えていることである。資本制的分配方式は,自由 競争市場での需要によって測られた生産への貢献の価値に基づいて生産された富の分け 前を分配するという原理の下でのみ,機能する。

私有財産制度という点では,混合資本主義は原始資本主義および民主資本主義と似て いるが,この点において国家資本主義は異なる。しかしある重要な点において,混合資 本主義は国家資本主義と極めて強い類似性を有する。というのは,それは資本手段の私

的所有を名目上認めているが,部分的に資本制的でありかつ部分的に労働制的である分 配方式の下でそのような所有権に完全な効力を与えていない。それは,部分的に社会化 された資本主義ないし福祉資本主義として,完全に社会化された福祉国家である国家資 本主義に強く傾いている。統御不可能な技術の発展や完全雇用政策から必然的に生じる

9 ‑ 2 ‑367 (香法'89) ‑ 12 ‑

(13)

貨幣インフレーションによって深刻な経済的危機に落ち込んだならば,疑いもなく混合 資本主義はもっと国家資本主義の方向に曲るであろう。

民主資本主義には完全に独自な非常に菫要な点がある。それは資本手段の分散した私 的所有を基盤とする唯一の資本主義である。それゆえにそれは経済が正しく組織される

(39) 

唯一の資本主義である。

ニ 政 策 の 部

1 序 論

①  民主資本主義の経済理論の要点

民主資本主義に基づく経済政策について述べる前に,ここにおいて,民主資本主義の 経済理論の要点を箇条書きしよう。

(1)  富の生産が工業的になると,資本が富の大部分を生産し,労働は富の小さい部分 を生産するにすぎない。

(2)  資本の私的所有と,その所有の所帯間での可能な限り広い分散。

(3)  富の生産要素を私的に所有する人々(つまり,労働力の私的所有者と資本の私的 所有者)の自主的な団体や協力による富の生産。これに関係する人々の大部分は作 業者 (workers) としてと同様に資本家としても機能する。

(4)  富の生産に従事した人々の財産権に応じる富の分配。様々な参加者に与えられる 分け前の大きさは彼らの生産への貢献の大きさによって決定される。富の生産への 貢献の大きさは自由競争の条件の下での需要と供給によって評価される。

(5)  工業生産の自動化の進行につれて労働力(つまり,機械的労働に従事する人々の 数)の減少が進む。そしてレジャー作業ないし質において機械的でない生活財のた めの作業に従事する人々が着実に増加する。

(6)  一般的に高い生活水準を自由競争の条件の下で設定された賃金と資本持分の稼ぎ からなる収入によって維持すること(資本収入は競争的に設定された賃金が生存を 可能とする収入に達しない場合には特に重要である)。

(7)  大量生産を支える手段としての広く分散した大量購買力の創出。ただし,雇用を 増やす目的のためだけの人為的な生産拡大はしない。

(8)  富の工業生産をより効率的にするあらゆる技術的進歩を促進し採用すること,こ

(40) 

れによって生産に必要とされる生活財のための作業の量は減少する。

次に現在一般に受け入れられている経済思想の中で,民主資本主義を理解する妨げと

九 八

13  9 ‑ 2 ‑366 (香法'89)

(14)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより (3) (市川)

なっている誤りを箇条書きしよう。

(1)  人のなす生活財のための作業が富の積極的な生産者であるのと同じ意味におい て,資本手段が富の積極的な生産者であることを認識していないこと。

(2)  その結果として生じる,労働による富の生産への参加は積極的なものであるが,

資本による富の生産への参加は消極的なものであるとする,糾った区別。

(3)  その結果さらに生じる,資本の生産的使用から引出される収入は労働力の生産的 使用から引出される収入と同じ意味において稼がれたものではなく,資本財産は消 極的なものであるので労働財産と同じ権利を与えられるべきでない,とする考え。

(4)  工業経済全体がますます効率的となる資本手段の導入によって生産性を高めるに つれて,機械的労働の生産性も上昇するという幻想,その結果として,米国のよう な発達した工業経済においては機械的労働は窟のわずかな部分(おそらく 10%以下)

を生産するにすぎない,という事実に目を閉じること。

(5)  現代の米国経済において資本の財産権はかなりむしばまれてきたということを理 解できないで,自己欺職によって米国経済は資本の財産権を昨重していると信じて いること。

九 七

(6)  経済権力の分散は資本の私的所有とその所有権の完全な蒻重なしには不可能であ ることを認めず,資本の有効な私的所有は,広く分散されれば,現代政府の必然的 に中央に集中する政治権力を抑制し制限できる自由社会における唯一の制度である ことを認めないこと。

(7)  適当かつ効果的な資本形成の重要性を認めながらも,その私的所有をより広く分 散させることの必要性を認めないこと。

(8)  工業経済におけるごく少数の所帯への資本財産の大量集中が全所帯による富の生 産への有効な参加を阻止しているという事実を見ず,その結果,このようにして少 数の所帯によって獲得された経済的安全が他の所帯の経済的安全にとって破壊的で あるという事実を見ないこと。

(9)  資本所有の過度の集中による,生産への片寄った参加が,私有財産である資本と 労働を基礎とする工業経済における経済的混乱ないし定期的「不況」の基本的原因

であることを認めないこと。

(IO)  完全雇用と富の労働制的な分配が,工業経済の生産する富を消費する広く分散し た購買力を創り出すため不可欠であり,それゆえ,「不況」を克服するため必要であ る, とする誤った信念。

(lU  労働を節約する手段が雇用を作り出すとの誤った観念,すなわち,技術的進歩が 生活財のための作業での完全雇用政策と両立できると想定する誤った考え。

9 ‑ 2 ‑365 (香法'89) ‑ 14  ‑‑

(15)

(12)  工業化している会社の経営者ないし役職員は会社の他の従業員と全く同じ意味に おいて生活財のための作業者であり,その作業の重要性と創造性の程度においての みこれらの者と異なる, という事実を認めず,会社の経営者ないし役職員は,会社 の使用する資本の「単なる所有者」と対照区別して,我々の社会における「真の資

(41) 

本家」であるとする誤った信念。

②  民主資本主義と国家の役割

(1)  政治経済学としての民主資本主義は,市場の自己規制を絶対視する,いわゆるレ ッセ・フェーレ学説と混同されてはならない。政府が経済に全く介入しないならば,経 済法則の自然な作用によってすべての人々の自由のみならず経済的繁栄,一般的な経済 的福祉および正義が実現するであろう, という信念は全くの誤りである。数多くの広く 受入れられている信念が真実を見るのを妨害している。これらの昏迷を導びく信念の多

くは自由競争の経済的機能に関するものである。たとえば,自由競争は政府の規制や干 渉を受けないならば,経済活動の自動的な調整者として機能するであろうと信じられて

(42) 

いるし,また,自由競争は完全雇用を実現し,自動的に自らを推持すると信じられている。

政治経済学としての民主資本主義は,自由競争が完全雇用を実現するとは考えないだ けでなく,さらに,完全雇用そのものが望ましい目的ではなく,それを達成する手段も 同じく望ましいものでない, と考える。民主資本主義は,自由で競争的な市場が存しな いならば,経済的価値が客観的かつ公平に決定されないので,正しい経済という概念全 体がうつろなものになってしまう, ということを主張するけれども,それは自由競争に 内在する自己破壊の傾向に坑して全市場での自由競争を推持するためには,政府の経済 を規制する極めてねばりづよい努力が必要であることも認める。それゆえ,民主資本主

(43) 

義の下では,政府は経済の全市場において自由競争を推持する責務を負う。

レッセ・フェーレ学説と異なって,民主資本じ義は,民主資本主義の経済諸原理,特 に正義の原理と両立する政府規制によって経済活動における参加者の最大限の自由が達 成されると主張する。社会的規制がなければ自由な社会を創出できないのと同じように,

(44) 

適切な経済的規制がなければ自由な経済を創出できない。

(2)  新資本の形成が財貨とサービスの産出高を増やす宅な源泉であるので,新資本の 形成率は,可能な限り,経済を支配する物理的限界まで,加速されねばならない。直接

(45) 

的な目的は一般的な豊かさを生み出すのに十分な規模の経済を建設することである。

(3)  新資本形成の各段階の背後にある見えない経済構造は,いまだ生存可能な資本所 有を保有していない消費者単位においてそのような保有を作り出すのに寄与するよう構 想されねばならない。ここで目指すべきは消費者需要全体を完全に活用することである。

すべての所帯が普及している技術水準から必要とされる雇用と資本所有の両方によって

—- 15·~· 9~2 ‑‑364 (香法'89)

I. 

/¥ 

(16)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーよりー(3)(市川)

生産に従事することができなければならない。財貨とサービスを消費する経済能力は各 消費者単位の財貨とサービスを生産する能力を引上げることによって引上げられねばな らない。物理的な必要と欲求はそれらを満足させるのに十分な生産力に合わせられねば

(46) 

ならない。

(4}  信用制度は主として新資本の形成および新たな生存可能資本資産の形成に融資す るため用いられるべきである。それの消費財購入への利用は副次的にのみなされるべき である。信用制度の目的は,借入れによってよりはむしろ経常的な稼ぎによって十分な 消費が可能となるよう,生産力を引上げることにあるべきである。もちろん,住宅や自 動車のような高価な消費財については,引続き消費者信用が必要であろう。しかし,収 人を引上げ価格を引下げることによって,利子による購買力の損失を最小にするため,

(47) 

借入れ期間を思い切り短くすべきである。

(5)  私有財産は法制度によって保護されねばならない。生産における非人間的な要素 である私有財産のダイナミズムが特に重視されるべきである。「あなたの所有するものが 生み出したものはすべてあなたのものである」という原理が民主資本主義経済を構築す るための最も強力な要素の 1つである。財産は生産の非人間的要素と個々人をつなぐ導 管である。財産は経済的正義のアーチの礎石である。同様な基礎として各人の自らの労

(48) 

働力に対する私有財産権の保護がある。

(6)  国家経済計画に新しい反独占概念の導入が必要である。その目的はあらゆる個人 における富を生産する能力の不当な集中を回避することである。窟の生産は目的つまり 消費の手段である。生産総額と消費総額は自然の等式の両側である。もし誰かが自ら消 費できるもしくは合理的期間内に消費するつもりのものよりもより多く生産する能力を 蓄積するならば,必然的に他の誰かの生産額は彼が消費を望むものよりもより少なくな

るであろう。

この不均衡が工業化前の概念に基づいて構築された社会につきまとうすべての経済的 害悪のもとである。もちろん,生産能力と豊かな消費を完全に一致させることは不可能 であるし不必要でもある。既に現存する資産の大部分を所有する所帯が新たに形成され た資本のすべてを自動的に与えられることは,経済的に不健全であり,社会的に不正で あり,実践的には機能できない。反集中原理の個々人への適用は,競争市場を維持する ため米国において実行されてきた伝統的な反トラスト政策の必要かつ余りにも遅すぎた

(49)

補充である。

(7)  それぞれの消費者単位において資本所有からの収人が増えるにつれて,政府は絶 的不可欠の福祉機能をのぞくすべての福祉機能から撤退すべきである。富を生産する能 力がすべての所帯および個人に広まるにつれて,必要に基づく富の分配はますます必要

9 ‑ 2 ‑363 (香法'89) ‑ 1 6 ‑

(17)

でなくなる。事実上一般的な豊かさを実現した経済においてさえも,何らかの私的な慈 善と公的な福祉が必要であるということは,確かなことである。しかし,民主資本主義 における経済計画の目的は公的福祉と私的慈善の必要を最低限にまで減じることであ る。あらゆる個人の人としての尊厳が一般的な豊かさを享受することおよびそれを自ら

(50) 

生産することを要求する。

(8)  政府による計画は経済的な生産力の創出とその私的所有の分散を目ざすべきであ る。民主資本主義の下では,生産的な企業が政府所有となるような方法で企業に融資す る理由はない。企業規模に関係なく,企業の新たに形成された資本が合理的な期間内に その形成の費用を支払うであろう場合にのみ,融資は経済的に実行可能である。会社の 所有構造は,その持分株式が多数の個人によって所有されるよう,構想されることがで きる。新たな,または拡大された企業が自ら支払ったとき(すなわち,それがその資本 形成の費用を利息も含めて支払ったとき),そのときからそれはその所有者のための収入

(51) 

を生み出すよう機能できる。

(9)  政府は,公共のハイウェーのような,私的所有が機能できないまれな例外を除い て,資本財産を所有すべきでなく,管理すべきでない。今,述べたような例外はあるけ れども,政府は富の生産に従事すべきでない。したがって,政府は富の生産に付随して

(52) 

起る富の分配や再分配にも従事すべきでない。

ますます生産的資本の所有によって代表されるようになりつつある経済権力と政治権 力との分離は自由な社会の核心である。生産的資本の政府所有は常に権力の全体主義的

(53) 

な集中への一歩である。

(IO)  工業化前の経済概念の下での政府計画が,工業,農業および商業の技術的要求に 関係なしに完全雇用の永続を求めることによって,全体主義的労役国家への道を開いた のと丁度同じように,民主資本主義概念の下での政府計画はレジャー社会への道を用意 するであろう。

当面の目的である一般的な豊かさが満たされると,文明の作業が重要となる。有益な 財貨とサービスの生産や分配は背後に消え去る。もちろん,一般的に豊かな社会は,財 貨とサービスの絶え間のない流れを必要とする。しかし生産の重荷は主として非人間的 要素によって担われ,その要素は社会全体に分散されているので,各々の消費者単位が 自ら豊かさを生産できる。それゆえ,経済問題は大衆の生産的・創造的エネルギーの一

(54) 

部分のみを占めることとなろう。

③  民主資本主義の経済政策の骨子

ケルソーによれば,以下に述べる民主資本主義の経済政策は,最終的なものでもまた 考えられうる最上のものでもない。彼はこれらの提案がこれに続く研究や討議なしには

九 四

‑ 1 7 ‑ 9 ‑ 2 ‑362 (香法'89)

(18)

米国従業員持株制度の理論と政策ールイス・オー・ケルソーより (3) (市川)

機能できないであろうし,そのすべての欠点が予見できているわけではない,と述べる。

ケルソーは彼の提案する政策が機能

r : i J

能であり,資本主義革命の実行

(5:i) 

可能なことをが<すものであると信じている。

にもかかわらず,

(1)  一般的な政策

1 . 既存の企業の所有を拡大すること。

2 . 新たな資本形成および新たな資本家によって所有された新たな企業組織を促進す ること。

3. 所帯による資本所有の集中が,完全に資本主義的な経済のiEしい組織と両立する

(:,6) 

その集中を抑圧すること。

限界点を超えたならば,

(2)  個別的な政策

先に述べた一般的な政策から次のような個別的な政策が勧告される。

1 . 産業における持分分与制度の利用を増やすこと。

2 . 膨大な数の生存可能資本資産を創出し,世代から世代へ引継ぐのを促進するよう に,相続税と贈与税を修正すること。

3 . 民

t

資本主義への移行が進むにつれて,衡平な方法ですべての所帯から政府の必 要とする収入を徴収できるよう,個人所得税を調整すると共に,法人所得税を除去 すること。

4 . 資本所有をより一層集中させるような政府行為を除去すること。

5. 技術的・物理的理由から独占が認められねばならないような,まれな場合を除い すべての市場において自由かつ有効な競争が維持されるよう,政府が経済を効 て,

一 九 三

果的に規制すること。

6. 生存可能収人を稼ぐのに十分な範囲で富の生産に参加する合理的な機会をすべて の所帯に確保することが政府の責務であることを政府が認識すること。

7. 成熟した会社がその純利益の100パーセントをその株主に支払うこと要求するよ うな法律を制定すること。

8. 資本資産によって生存可能でない所帯による生存可能資本資産の獲得を促進する ため,投資優遇制度を開発すること。

9. 税務政策と信用政策によってすべての所帯が生存可能資本保有を獲得するのを促 進すること,ただしこれらの政策が集中または独占的な保有を発展させるためもし

くは投機目的のため誤って用いられるのを阻止するような制限を伴うこと。

10. 我々の信用制度を,主として新たな資本家の下での,独占的保有にならない,新 資本形成を促進するよう用いること,が一方,消費とつりあいのとれた生産への参

(57) 

加がしだいに達成されるにつれて,消費を支えるための信用の利用を減らすこと。

9 ‑‑2 ‑‑‑361  (香法'89) ‑ 18 ‑

(19)

2 伝統的な金融方法

①  伝統的な金融方法による新資本の形成

米国および西側世界を通じて,私的に所有された資本がほとんどすべて貯蓄を元手と する金融によって獲得されてきた,ということはよく知られているので証明するに値い しない。工業化の初期の時代にはこれらの貯蓄は主として個人によっていた。だが,資 本形成において会社貯蓄が個人貯蓄にとって代るという方向での金融技術のゆっくりし た変化が生じた。会社の勃興,個人所得税および法人所得税制度の導入,並びにその結 果として重要性の増大した減価償却,減耗償却および特別償却手続がこの変化を促進し た。個人所得税率の増大する苛烈さが会社株主に,より低い率で課税されるかまたは国 によっては全く課税されないこともある,(株式その他の資本の市場価値での)キャピタ

(58) 

ル・ゲインによる蓄積の利益を求めさせた。

新資本の形成において個人貯蓄よりもむしろ企業貯蓄を利用する傾向を促進したもの として,おそらくより一層重要なのは,会社利潤を株主に配当するよりはむしろ企業拡 大に用いる裁量権を経営陣に与える,西側世界の会社法にほとんど普遍的な慣行である。

個人貯蓄が新たに発行された普通株式や優先株式の売却によって会社制度に導入されて いる限り,個人貯蓄は資本形成のための重要な資金源であった。その場合には,株主が 喜んで投資を追加するよう彼らの満足する配当を与える必要があり,これが経営陣が利 潤を会社内に留保しようとするのを押し止めるよう働いた。しかしながら,新発行株式 の売却は資本の重要な資金源ではなくなった。米国において, 1948年から1957年までの 10年間における,会社による年平均資本形成額は310億ドルであった。このうち,現金を 対価とする持分証券の売却は平均6.2%であった。普通株式だけなら,この10年間の平均

(;i9) 

値は会社資金源全体のうちの4.6%にすぎない。

米国において会社は,半分以上の富を,つまり, 1959年の生産総額4,028億ドルのうち の2,198億ドルを生産しているが,新資本の形成を貯蓄に依存している点では,会社でな い企業と全く同じである。すべての会社資金は,利潤の内部留保であれ,減価償却,減 耗償却または特別償却引当金であれ,経済の個人メンバーの立場からは,貯蓄である。

それらは個人消費に用いられる財貨というよりはむしろ生産手段に投資される資金であ る。会社は法律上実在物とみなされるので,会社はそのような貯蓄の直接の(究極ので はないが)所有者として扱われる。しかし最終的に重要なのは経済の個人メンバーヘの

(60) 

影響である。

貯蓄を資本形成につなぐ金融の仕組は,会社であろうとなかろうと,我々のすべてに よく知られている。個人はその収入の 1部を用いて会社の株式,社債または手形を購入 する。会社はかくして取得した資金を用いて土地, I場,設備を購入するかまたはその

~- 19~ 9 ~~2 ‑360 (香法'89)

参照

関連したドキュメント

最後 に,本 研究 に関 して適切 なご助言 を頂 きま した.. 溝加 工の後,こ れ に引

[4]Hetzel, Robert L., “Arthur Burns and Inflation,” Federal Reserve Bank of Richmond, Economic Quarterly, Winter 1998, pp.21−44. [5]Keller,

[r]

【 大学共 同研究 】 【個人特 別研究 】 【受託 研究】 【学 外共同 研究】 【寄 付研究 】.

共同研究者 関口 東冶

人類研究部人類史研究グループ グループ長 篠田 謙一 人類研究部人類史研究グループ 研究主幹 海部 陽介 人類研究部人類史研究グループ 研究員

人類研究部長 篠田 謙一 人類研究部人類史研究グループ グループ長 海部 陽介 人類研究部人類史研究グループ 研究主幹 河野