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の辭賦を中心に

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(1)

亂の機能について 六

の辭賦を中心に

井上一之

(一 ) 序

辭賦作品の形式

(屈原、宋玉の 篇の末尾にさらに短篇の韻文を添加する形式で、古く楚辭 の一つに、亂というものがある。一 (1)

できる。この文 作品)のなかに複數の用例を見出すことが

用語は、その特

學 な名稱のためか、中國文 辭の 究においてかなりはやくから目されており、とくに楚 究 によって、その意味および淵源についての (2)

究が められてきた。また、わが『

學の 歌が、この亂の形式に則ったとする向きがあり、日本上代文 集』の長歌に付される反 究 の でその影

ころ「離騷」の亂辭に付した、後 ところで、この亂の定義・機能については、これまでのと 關係の有無が論じられてもいる。 (3)

、王

の「亂は理なり。 詞指を發理して、其の

を總撮する

もとづき、「亂は 以なり」という釋に 篇の意を

する」(鈴木虎雄『賦史大

細に吟味してみると、必ずしも と見なすものが多い。だが、いまあらためて個々の作例を仔 (4) 』)

ものも見受けられる。とくに とばかりは言えない 代より後の作品にその傾向は しいようである。そこで本稿では、亂の

史性という

から六 點

時代の辭賦作品を檢討し、亂の機能および賦の

法という問題について、少し考えてみたい。

(二 )

賦の亂

時代の亂辭を檢討するまえに、それ以

、すなわち

代の亂辭の

況を見ておこう。現存する

を含めるとおよそ二八〇篇あり、そのうち亂辭を示す「亂曰」 (5) 賦は、斷篇・殘句

亂の機能について(井上)

1

(2)

という記號をもつもの として、

の一五篇(

譯は

篇、後 、七

、八篇)がある。

」、劉同「九賦玄」、同「太賦泉雄「甘」、揚懷 劉徹「洞簫賦」襃王、「七諫」東方朔、「李夫人賦」、

賦」、班彪「北征賦」、班固「幽 「遂初 張衡「泉賦」、王 賦」、班昭「東征賦」、 「九思」、王

同「 壽「魯靈光殿賦」、 賦」、蔡

「 行賦」。

*辭賦作品の篇末には「亂曰」のほかに、「訊曰」「重曰」「歎曰」「詩曰」「系曰」「辭曰」「歌曰」「頌曰」等の語も見え、今日これらを等しく亂辭の記號と見なす論

り、まだ記號 り、「亂曰」のように必ずしも安定したものではない(つま しかし、これらの語はほとんどが一つか、二つの少數例であ も少なくない。

するに至っていない)。また

「亂曰」が發展變 に見ても、

時 したものではなく、むしろ「亂曰」と共 味 に存在するものであることから、そこにはなんらかの意 ・機能

差 かに篇末(最 が存在すると考えるのが自然である。たし ておく。なお 直すことに重點があるため、ひとまず考察の對象から除外し 辭と見なすこともできるが、本稿は亂の定義そのものを問い 章)に置かれるという點において、廣義の亂

年の 究書

では「○曰」形式のほかに「已 の亂辭、「亂曰、已矣哉、國無人莫人我知兮、又何懷乎故 矣哉(乎)」を亂の記號と見なすものがある。これは「離騷」 (6)

に由來すると考えられており、六 」 後 から 辭賦作品において多用されている(現存 代にかけての 淵明「歸去來」)。しかしこれも立論の 料中の初出は、陶 ておく。 合上、いまは除外し

右の

賦はその篇題からも察せられるように、

また題材 にも、

にもほとんどばらばらである。これまでの

が亂辭をもつ作品の系列を系統

」「付けても付けなくてもよいという結論に (7) しようとしながら、結局

「魯靈光殿賦」泉賦」「 無理はない。ただ、大きな傾向として言えるのは、「 ちいたのも 體賦(大 賦」の三篇を除いておおむね騷 の形式を襲う)だということである。 が「××××××兮、××××××」の「離騷」

!に散體賦、なかでも 賦の代表と目される「子

"・上林賦」のような

體・には一切 #假設問答

$用されていない。これは

代の 亂が騷體賦の形式 %會のなかで、

&と見なされていたことをある

單純に結論づけるわけにはいかない。おそらく時代による變 をもたない作品も現に存在しており、騷體賦は亂をもつ、と 唆するものと考えられる。とはいえ、騷體賦でありながら亂 '度示 中國詩文論叢第十九集

(3)

とともに、創作

況の相 關わるものではないので、これ以上の論 の基準はあったのだろうが、この問題は直接、本稿の趣旨に 等、亂の有無に關するなんらか

さて、 い。 はひかえておきた の亂辭の

容を見てみると、たしかに

おり「 のと

文の

である。その典型 」と見られるものが大勢を占めているよう

な作例として、

(『文 末、揚雄の「甘泉賦」

』卷七)の亂辭を

げてみる。

亂曰:(本部の對應する句)崇崇

丘、

隱天兮。

↓洪臺崛其獨出兮、

北極之

登 。

、單 垣兮。

↓鬼魅不能自

兮、

長 而下顛。

宮參差、駢嵯峨兮。

↓駢交錯而曼衍兮、

嬰。 隗乎其相

!"

#$、洞無

%兮。

↓&

''其廖廓兮、似紫宮之崢

上天之縡、杳旭 (。 )兮。

↓方攬

*+之 ,剛兮、

爲 -.明與之

/。 0皇穆穆、信厥對兮。

↓蓋天子穆然、珍臺

12、 3題玉 4、 56

徠 78之中。

9郊 :、 .;依兮。

↓於是欽柴宗

<、燎

=皇天、招搖 徘徊招搖、靈棲遲兮。 泰壹。

↓>暗藹兮

輝光眩燿、 ?壇。

@兮。

子子孫孫、長無極兮。 ↓瑞穰穰兮委如山。

↓恤胤錫羨、拓迹開統。

この賦は、序+賦の本部(本體部分)+亂という、いわゆる三段式の

ABをとっており、本部は

つの段 容の點から大きく三 C(=場面)に分けられる。まず一段

Cめは、

の B なった經 Dが世繼を得るために甘泉宮で祭天の儀式をとり行うことに

Eを Fべ、幸行の

GHと甘泉宮までの

*のりを

第二段 Iく。

Cは「是に於いて大廈雲のごとく

詭し」と、壯大な甘泉宮の あや Jしく、波のごとく あや Kを L麗な措辭によって

のち、高く聳える「洪臺」、そこから I寫した Mまれる N圍の景 數多くの美しい建 H、 O物などが

て事變じ物 P陳される。そして「是に於い Qし、目駭き耳回る」から始まる第三段 おどろめぐ

天子による嚴かな儀式の Cでは、

RSが順を

Tって敍 最後は「天子の恩澤が雨の如くにゆき渡って、君臣みな美 Fされてゆき、

+

が備わり、その輝きは

、滂沛于胥 U代まで續くであろう」(雲飛揚兮雨 +兮麗

U世)という頌

る。 +の辭をもって結ばれてい

亂の機能について(井上)

3

(4)

以上の本部の後に置かれるのが、右の亂辭である。本部と對照すると、趣旨がまったく同じであることは容易に看取できるであろう。すなわち、第一・二句「崇崇たる圜丘、

天を隱う」から第七・八句「 おおたか

れいえいりん

じゆん、洞 ほがらかにして

し」までが、宮殿のスケールを り無 かぎ 第九・十句「上天の縡、杳かにして旭 こときよく く本部第二段に相當し、

遲十六句「徘徊招搖して、靈棲す」までが、祭天の儀式を詳 せい たり」から第十五・ する第三段に相當する。そして「輝光眩燿して、厥の げんよう

し、子子孫孫、長く極まり無し」の四句は、儀式の目 くだ

明する第一段を踏まえ、皇室の

榮を だが、こうした本部の各段との る。 念するのであ 容 句に意味 ここでとくに興味深いのは、亂辭の各句が本部のいずれかの 照應關係よりも、

これは、作 に對應している(右圖下段)、という點である。

揚雄が本部のなかの重

なポイントとなる句を 意味するように思われる。つまり、作 の亂辭の形式)という四言句によって表現しなおしたことを び、それを「××××、×××兮」(『楚辭』「九章・懷沙」

亂は、本部の の創作意識において 念 ・抽象

たとえば稱頌や諷諫といった作

の思想を重點

べるではなく、あくま でも

文の摘 この亂辭に本部と別の新しい 反復でしかなかったわけである。それゆえ、

報が一切

り もっとも、同一 のは、ごく當然なことだと言ってよい。 まれていない

容の反復繰り

あり方は、辭賦の しという、こうした亂の 史の最初から確立していたわけではない。

賦の ずしも一樣でないことは の五篇の篇末に亂が置かれているが、これらの亂の樣態が必 江」章・「九章・哀郢」「九章・抽思」「九章・懷沙」「招魂」 な源流とされる楚辭には、「離騷」のほかに、「九

亂辭は、本部( !目に値しよう。ことに「招魂」の

"文)とどういう關

#性があるのか理解に

$

しむところである。この點について、

辭』は %の蒋驥『山帶閣註楚

&のように指摘する。

'解亂爲總理一賦之

惟懷沙總申 (。今按離騷二十五篇、亂詞六見、

"意、小 )一篇結 魂、則引歸本旨、江・哀郢、則長言詠 *、可以總理言。騷經・招

敍事、未可一 +。抽思則分段 ,論也。余意亂

、蓋樂之將

(、衆 而詩歌之 -畢會、

.、亦與相赴、

-促

餘。(上)卷論」「耳 .故有是名、亂、紛交錯 中國詩文論叢第十九集

(5)

ここで蒋氏は、まず楚辭の各亂が

にそれぞれ役

を にする點を指摘し、「一賦の

りを總理する」という

に反駁を加えている。そして作品中における亂の役

ではないとすれば、朱熹『楚辭集註』が「亂は樂の名」と が一樣 くように、當時の演奏形態との關

考すべきではないか、と考えるわけである。この「亂=最 のなかで亂の定義を再

樂」

なり」と批 に對して、游國恩『離騷纂義』は「實を蔽するの患 かく

するが、楚辭の亂における個別

相 に

その役 目し、

について「未だ一

斷定した點は にして論ずべからざるなり」と そうして見ると、「亂は其の 價してよい。

を總撮する」という王

定義は、必ずしも楚辭の時代の の むしろ王 況を踏まえたものではなく、

當時=後

中期の

會 かったかと疑えなくもない。實際、 念を反映したものではな 最古の作例である、武 賦の亂辭中、現存する 劉徹「李夫人賦」(『

「外戚傳」)を見ると、本部にはない別の新しい 書』卷九七上 なかに少なからず存在しており、 報が亂辭の 中期の作

武 亂をたんなる「 が賦の 文の しかし、亂のこうした原初のあり方は 解されるのである。 (8) 」とは考えていなかったことが理

第に變容し、整備 されいったらしく、すでに見たように、

は、王 末の揚雄の頃に

のいう亂の

後 念がかなり明瞭になっている。つづく く 時代にも數多くの亂が作られているが、この定義を大き すでに安定した するような作品がないことから、だいたいこの頃には

と言えるようである。つまり、後 念として賦作家たちに受け入れられていた

時代の亂は「

文を

する」ものであり、本部に對して從屬

・付屬

ぎなかったと なものにす のであろうか。 ではこうした亂の機能はその後、どのように推移してゆく 括できよう。

に三國六

たい。 時代の亂辭の實態を考察してみ

(三 ) 陸雲 「

民賦」

三國六

時代(魏晉南北

そのうち に傳わるものは、およそ九九〇篇(斷篇・殘句を含む)あり、 隋の意)の辭賦作品として今日 の計九篇の篇末に亂辭が見られる。

魏・曹植「

賦」、魏・孫該「三公山下祠賦」、魏・

!康「琴賦」、西晉・左芬「離思賦」、西晉・陸雲「

賦」、同「九愍」、宋・謝惠 民 「

"賦」、宋・顏

#之「赭

亂の機能について(井上)

5

(6)

白馬賦」、梁・江淹「江上之山賦 (9)」。

*九篇という數は、現存作品

體の數量から見ても、

〇年という時代の長さから見ても、たしかに少ない。 四〇

辭賦が 代の

作例をもつことを思えば、亂は後 二八〇篇しか殘っていないにもかかわらず、一五の

以後、徐々に衰

た、という推測も していっ なものではないだろう。というのも、 り立ちそうである。が、事實はそう單純

亂辭が作られているからである 代になお依然として

。そもそも、現存する六 10

賦の大部分は、『北堂書鈔』『文 辭 隋 聚』『初學記』といった 代の らの 書に依據するものである。言うまでもなく、これ 書は

をその基本

る亂辭まで收 性格としており、篇末に置かれ 篇中、曹植「 するケースは稀少だと言ってよい。これら九 賦」と孫該「三公山下

かの作品が『文 祠賦」を除いて、ほ び本集では亂を 』などの總集、『晉書』などの史書、およ

いながら、

書のなかではそれが

完篇の乏しい現 この點を傍證するものであろう。ていることは、したがって、 除され

にあっては、

例に よく殘ったこれら少數の作 る。 して、時代の趨勢を推し量ってゆくしかないわけであ

右の九篇を見ると、それぞれに檢討すべき點は少なくないが、ここではそのうち、陸雲「

民賦」、謝惠

賦」、そ この三篇が亂の して江淹「江上之山賦」を取り上げることにしたい。それは

變 、および賦家の亂に對する意識の をよく傳えているように思われるからである。

民賦」は、宋刻本『陸士龍文集』(北京圖書

八八年]を用いる)に收められる。「與 まはこのテキストを底本とした『陸雲集』[中書局、一九 。い た作 よると、この賦は、皇甫謐の『高士傳』を讀んで刺激を受け !原書」(其の三)に

"が謐に

文中、隨 ぐる、皇甫謐とある人の議論を意識したとおぼしい表現が本 #るために作ったものらしく、隱遁と出仕をめ に その議論とはある人が謐に $められる。

く人と交わったらどうか」と言った。しかし謐は、「 %めて「名分を正してひろ

もなければ出仕と隱棲を &人で

'行することは

ても尭 (しい。田里にあっ )の

*を樂しめるのに、なぜ世俗の利

を重んじ、役人となってあくせくして、名をなす必 +に接すること だが (『晉書』本傳)というもの。 うか」と答え、さらに「玄守論」を作って反駁した…… ,があろ

-生躬

.と /0の生活を實踐した皇甫謐と

このとき官界に身を置く作 1なって、

"陸雲にとって、謐の

2張はただ 中國詩文論叢第十九集

(7)

ちに受け入れられるものではなかった。そこで

究明し、自らの生き方を 民の本質を 篇題から隱 索しようとしたのがこの賦である。

に對する憧憬の念をつづった抒

がちであるが、實際は當時流行していた玄學の影 小賦と想像し 賦はまず、序において作賦の趣旨を 受けた議論の文と言ってもよい。 をつよく り、 明したあと本部に入

世有

民兮、栖遲乎於一丘。委天刑之外心兮、淡

求。陋此世之險隘兮、又安足以盤。杖短策而 然其何 石而漱流。 兮、乃枕

とうたいおこす。「天刑」は自然の法則。

則に心を委ね、何も 民は自然の法 しむことのできないこの世を い求めたりしない。「險隘」で「盤」

である。ついで高岑に秋 け、自然のなかに身を置くの を らい、玉泉に髮を洗い、

に 露を

り、夕に幽

を玩ぶ隱

の悠々自

の が羅列 と幽居の趣 に だが、世俗を超越したはずのこの隱 寫されてゆく。

は、必ずしも

ていないらしく、第一段 し

の最後で、 悲滄浪之濁波兮、詠

池之 瀾。鄙 南之辱

兮、

之考槃。眄 伯陽

霄以寄傲兮、泝凌風而頽

と、世の混濁を悲愁

している。これを

!機として、

"

の第二段

の議論が始まる。

#載晏、何思何欲。漂

$行雲之

%、泊 得之必喪兮、蓋居寵之召辱。……擠考 $窮林之木。咨有 於 自摧。殉有喪之假樂兮、方無身其孰哀。美 &期兮、顛靈根而

人之玄覽兮、

' ()於無爲。

*べる、深

&

#妙なる義理に

をはなれて長命保身をねがう るように、手に入るものは必ず失うことになる。一方、名利 いねがうことはないはずである。高位高官もいつか辱められ +じていれば、何も思 本が滅べば、そのねがいも碎かれる。ならば執 ,もあるが、この肉體という根

の -を棄て無爲

./を持して、

はこうである。 0物の本質を見極めよう、と。その本質と

物有自

1、 ,無不可。萬殊有同、齊物無寡。並家於國、等

亂の機能について(井上)

7

(8)

于野。榮在此而貴身兮、

居形而 我。

考えてみれば、

物は一つひとつ

等しく、「 て、じつは同じなのだ。この立場に立てば「家」も「國」に なっているように見え こうして作歸するところは同じなのである。 」も「野」も等しい。すなわち、出仕も隱遁も

仕しても心は隱 は、「體は出 」という思想に歸

し、「曾てに天

明らかにすれば、何ぞ人 を を み、同に大 悲せん。國風の皇恤を陋し てつこうじゆついや

六 を明哲せん」という語で賦の本部を結んでいる。

時代には、隱

を 境 題ととらえる「 なものでなく、心のあり方の問

隱」の思想が

た「 行したが、この賦もこうし 隱」または「心隱」の思想

系譜に

なるものと

さてこの後に よう。 せ の亂辭が置かれている。

亂曰:乘白駒兮皎皎、

穹谷兮藹藹。

峻路兮崢

、臨 槃丘園兮暇豫、翳 水兮悠裔。

瞻洪崖兮 兮重蓋。

輝、紛容與兮雲際。 詠 欲凌霄兮從之、恨穹天兮未泰。

友兮 唱、和爾

兮此世。

「白駒」とは、『詩經』小

士・賢人にたとえる。作 「白駒」を典據とする語で、隱 はいう、隱

深い谷に の乘る白駒に跨って、

わたしはこの世であなたと と思ってみても、天は必ずしも泰らかではない。それならば、 でゆったりとくつろぐのだ。大空を凌いで俗世を超越しよう んだり、丘や園に余暇を樂しんで、高い空のもと

う、と。 らかに交わってゆくことにしよ のように、亂とは「

文の この亂辭は、本部の !反復」であった。だが

"容を同語反復

に繰り はしていない。第二段 #すようなこと

$における

%理 ひそめ、 表現はここでは影を

&に たく言 '頭「白駒の皎皎たるに乘る」は、本部にまっ (されておらず、讀

に對して

のである。そもそも、この亂辭には本部と大きく )*な印象を與えるも

ある。それは敍 なる點が の +,點 言うまでもなく、賦の本部は基本 -である。

に三人稱

,點から

體が客

.に

さしく詠物賦と見なされるが、しかし一方、亂辭においては、 /寫されている。この點において、この賦はま 中國詩文論叢第十九集

(9)

最後の二句「

友を詠じて

唱し、爾の なんぢ

から推察されるように、作 に此の世に和す」

個人の れており、作 點(一人稱)が設定さ はここで自分の立場=表現意圖の明確

かっている。そうして見ると、「穹谷の藹藹たるに をは 園に槃しみ暇豫す」るのは、書き手自身であり、第一段に たの び」「丘

かれる山林の隱棲

(他 はつまり、ここでの「隱 )ではないことになろう。これ 」の えたものではなく、張國星『六 寫は本部の第一段を踏ま 賦

第二段で言 』等が指摘するごとく、 11

した「心隱」の

世界をより

體 の役 のと考えられるわけである。したがって、この賦における亂 したも は、

理 な本文の一部第二段の

點を形象

に補充することによって、讀

により實感

な ところで、亂辭におけるこうした ことにあると言えよう。 識を與える 點の轉換という現象は、

代の賦にはほとんど見られない。

賦の亂辭は、基本

「本部の に

容の反復」であり、敍

の設定も本部と一

×××兮」という四言リズムとは という楚辭「九歌」の形式は、重厚さをそなえる「××××、 れまでの賦に似ていない。「×××兮××、×××兮××」 のが常態なのである。また形式面においても、この亂辭はそ する

質なものと言える。この 點は晉代の賦が形式

賦の傳統の束

んなる付屬物としてではなく作品 わずか一例とはいえ、西晉の賦作家が賦の亂を本部のた 對する意識が變わりつつあったことを物語ってもいるだろう。 たれていたことを示唆するものであるが、同時に賦家の亂に からすでに解き放 體の 考しはじめたことをここで確 のなかで再

しておきたい。

(四 ) 謝惠

「 賦」

宋の謝惠

「 賦」は、『文』卷十三「賦・物色」に收

!される。篇題が示すとおり、

をモティーフとする六

物小賦のひとつである。ただ、傳統 詠

な詠物賦とやや

ところは、 なる

人)が對話を行うという、物語の手法・枠組みを "史上の人物(梁王、鄒陽、枚乘、司馬相如の四

る點であろう。これが、それまでの詠物賦の #入してい ネリズムを打破し、讀む $っていたマン に新鮮な印象を與えた

では賦の %以である。

容を

&單に見てゆくことにしよう。

く四つの段に分けることができる。まず第一段は、 文は大き '將 (、時 )昏、

*風積、愁雲

+。梁王不

,、 乃置旨酒、命 於兎園。

-友。召鄒生、

.枚叟。相如末至、居客之右。

亂の機能について(井上)

9

(10)

俄而 霰零、密

下。王乃……授

思、騁子妍辭。 於司馬大夫。曰、抽子祕 色揣稱、爲寡人賦之。

と、物語の

況設定

相如らと兎園で宴會を催しているとき、折しも の梁孝王が鄒陽、枚乘、司馬

たを がり出し

明する部分。ここで示される言

は語り手=作

が、聞き手=讀

の言 に對して發せられるものであるが、この後

は、物語世界

が梁孝王に對して語りかけるものであり、物語の質が の語り手司馬相如、鄒陽、枚乘

る點に な

意したい。

の第二段

は、本作品の中心をなすもの。「

命を受けた司馬相如が「 をありのままに、わたしのために賦してくれ」と、梁王から の美しさ 相如の賦はまず、 賦」を作ることになる。

乃玄津窮、嚴氣升。焦溪涸、湯谷凝。……霰浙瀝而先集、

紛糅而

多。

と、

が形 される

から

こし、ついで

い形 の美し

麗な措辭によって

陳してゆく。 其爲

也、散漫交錯、氛

蕭索。……

因方而爲珪、亦

圓而

璧。眄隰則萬頃同縞、瞻山則千巖倶白。……

そして、最後は「霜

の交はり積もれるを踐み、枝

ひ の相

同に歸らんことを願ふ」と、 へるを憐れむ。遙かなる思ひを千里に馳せ、手を接して

つづく第三段 めくくっている。 の思いをべてこの賦を締 陽が二首の歌を作る場面を は、相如のこの賦を聞いて、興を催した鄒

!く。その歌(「積

「白 之歌」と

之歌」)とは、

のようなものである。

携佳人兮披重幄、

"綺衾兮坐

燎 #縟。

$鑪兮炳明燭、

%桂酒兮揚

(「積 &曲。

曲 之歌」)

揚兮酒

陳、朱顏

願低帷以昵枕、念解珮而 '兮思自親。

怨年 (紳。

)之易

君 *、傷後會之無因。

+見階上之白

(「白 、豈鮮燿於陽春。

之歌」) 中國詩文論叢第十九集

(11)

は酒宴の優

なさまを詠じた敍景の詩。一方、後

・人生短促・の は

きをつづった抒

に詩歌を の詩である。賦の本部中 を淵源とし、 入するこうした形式は、楚辭「漁父」(滄浪の歌)

ので、ここはその傳統 代の賦のなかにもしばしば見受けられるも ただし、それらの詩歌(系詩)を な手法を繼承していると思われる。

う作品は一般

もたないのがふつうである。それは篇末 に亂を 作品に收束感を與えるからであるが、この賦の作 くに置かれる歌が、

筆をすすめて、「王乃ち はさらに し、腕扼覽撫翫吟繹す。 がんぎんじんらんえきやくわん

叔(枚乘)に謂ふ、 みて枚 ちて亂を爲れ、と」と

の枚乘の亂が最 べている。そ 段 である。

亂曰:白

未 白玉雖白、空守貞兮。 雖白、質以輕兮。

茲 玄陰凝不昧其 、因時而滅。

、太陽 不固其 。 豈我名、

憑雲升 豈我貞。

値物賦像、任地班形。 、從風飄零。 素因偶立、汚隨染

縱心 。

然、何慮何營。

大意を示せば白

も白玉も、白い點では

るが、 と同じであ

が時に從って變

するのに

ばない。嚴しい

なかでも さの

白さを失わず、日の照るときには

となくえてゆく。物に從って柔軟に形を變え、 を固持するこ さて、問題のこの亂辭であるが、 ない。 じて色を變えてゆく。とらわれぬ自由な心は何の氣がかりも !況におう

"容 に見ると

司馬相如の「 #文(=

賦」)の反復でもなければ、

でもなさそうである。相如の賦は $%ということ の形

!を の性質には言 &寫しても、そ 作品においてどういう役 していないからである。では、この亂辭は本

作 'を果たしているのだろうか。なぜ 私見によれば、これは はこの賦に亂を付したのだろうか。

(モード(mode.ディスコースの

)型)の轉換

12

ず本作品 *という點に關係しているように思われる。ま とりを軸にしていることから、基本 #體の枠組みから言うと、登場人物たちの話のやり

には時

+の經 て出來事を敍 ,にそっ してゆく、敍事型(narrativemode)のモー

亂の機能について(井上)

11

(12)

ドである。だが賦の

如の「 乘の亂の三部分は、必ずしも敍事型で統一されていない。相 部を見ると、相如の賦、鄒陽の歌、枚 賦」は

の美しさを客

寫する

scriptivemode)を基 寫型(de-

とし、鄒陽の「白

之賦」は酒宴の

樂と人生の一回性に對するきを一人稱

點から

直に べる抒

は 型(lyricalmode)であり、そして枚乘の「亂」

の特長を比較對照によって理知

に論じる

positorymode)のモードを 示型(ex- 用している。これを圖式

れば、 す

のようになろう。

第一段

= 第二段 入部分・序=敍事型

=司馬相如の賦=

第三段 寫型

=鄒陽の歌=抒

第四段 型

=枚乘の亂=

示型

このように「

賦」では、一篇の作品のなかに、多

ドを なモー

用し敍

ところで、賦という樣式の基本 していることは留意されてよい。

な性格は、

體物

だと言われる。これはすなわち、事物を

とにほかならない。詩が事物の切斷面を きつくすというこ

くのに對して、賦 はその

體を

く、というより

した性格ないし きつくすわけである。こう 識は、

代のみならず、ふつう賦が小品

したと言われる六

時代(實のところ小品

の現象が顯

なるのは、六 に

の後

人々が賦作品を批 お依然として存在していたと考えられる。たとえば、當時の 、齊梁のころである)にあっても、な も、書かれなかったこと、漏れていることを重 する場合、そこに書かれていることより

している事 は、かれらの意識のなかで、賦がなお 13

體性・

て、この賦の作謝惠 つ樣式と考えられていたことを物語っているだろう。したがっ 羅性をも

!においても「賦は對象を

もの」という意識が、多少なりとも存在したことは きつくす

"

こうした樣式 い。 #いな 理念を實現するために、

が 代の賦作家たち 寫型のモードを用い、統一された

材)の 點のもとで對象(素 體を

くことに力を

結果、賦は長篇 $いだことはよく知られている。

ようにこの賦の作はこうした方法を してゆくこととなった。だが、すでに見た

が試みたのは、一つの作品のなかに多樣なモードを 用していない。かれ

%り この多樣なモードを という手法である。 &む

'用するという手法は、賦の傳統から 中國詩文論叢第十九集

(13)

見れば

端であるが、「事物の

體を

は、 の理念を實現するという點では同じものと言える。というの きつくす」という賦 寫型の語り口では、

にまつわる故事や

の い

る風景を ち

くことはできても、

な感 によってひとがく樣々 、および

の本性から

き出される思想・

たものを表現することは 訓といっ しいからである。しかし、

モードを切り替えてゆくことによって、素材= の人物による架空の對話という枠組みを設定し、そのなかで 史上 の 體を

くことは可能である。そして、このモードの切り替えにあたって、作

あることは改めて が利用したのが、賦中の系詩(歌)と賦末の亂辭で

明するまでもなかろう。

知のように、

晉の李 いものではない。現存作品に限ってみても、西晉の孫楚、東 という素材は詠物賦においてとくに新し 代當時においてすでに 、伏系之らによって何度も取り上げられており、宋

きつくされた文學

こうして見ると、「素材の くことは、必ずしも容易なことではなかったはずである。 言える。それゆえ、同じようなやり方で先行作品を超えてゆ 素材であったと 體を

理念を實現するうえで、亂が重 きつくす」という賦の な役

理解されよう。思えば、この を擔っていることが

モードの轉換

という機能は、 亂が賦の本部の外に置かれる(といってもテクスト

る)という性質によるものである。それを 部にあ 部の反復 の賦家たちは本 はしなかった。一方、本作品の作 のために使用し、それ以上のものを求めようと

は亂のこうした性質に

目し、賦の

素のひとつとして積極

わけである。私たちはここに作 な意義を見出した の懸 の個人差というより、時代 を感じざるをえない。六

亂はすでに作賦の規則規制 後の文人たちにとって、

・慣例

ではなく、手

となっていたのである。

(五 ) 江淹 「 江上之山賦」

最後に、梁の江淹「江上之山賦」を見てみよう。江淹は今日、「雜體詩三十首」(『文

野のほうにある。現存作品數四十篇 く知られるが、實のところかれの本領は詩ではなく、賦の分 !』卷三十一)などの詩作品でよ

も、齊梁期隨一の分量であり、六 という數だけとってみて 14

ても言い 後最大の賦作家と言っ

「江上之山賦」は、明 "ぎではない。

#宋刻本『江文

初 $文集』(『四部叢刊

%』

&收)に收められる。わずか二四四字の小賦であるが、

'の張 (「江山愁心賦」など、後世の賦に與えた影

)は小さ

亂の機能について(井上)

13

(14)

くない。賦の

文は以下のとおりである。

潺湲

溶兮、楚水而

江。刻劃嶄

兮、雲山而碧峰。挂

蘿兮萬仞、竪丹石兮百重。嵯峨兮巖

、如 尖出、巖 兮如。嶢嶷兮

兮空鑿。波

兮吐

峯兮積沓。

兮赤尾、

兮 匝。見紅

之交生、眺碧樹之四合。

自然而千

樹無 、

嗟世 而百色。

之 茲、牽憂恚而來逼。惟爐

於片景、

息。 於一

而生短、恆輪

才力。 而路仄。信懸天兮窈昧、豈繋命於

群龍之咸疑、焉衆

之極。俗逐事而變

而迴旋。 !、心應物 "

#其未悟、亦

$%而已 星之殞天。悵日 &。伊人壽兮幾何、譬流 '兮吾有念、臨江上之斷山。雖不

願從 (而無操、

亂曰、折 )芬與玉堅。

嗟乎景沈。 *+兮蔽日、冀以盪夫憂心。不共愛此氣質、何獨

この賦の本部は大きく二段

第一段 ,に分けることができる。まず ,は、篇題にある「江上の山」の景物を

勢いよく流れる江水、そのなかにそそり立つ山、重なり -くところ。

る峰々、水中を泳ぐ魚や龜、山中に生い .な /る

木などが、 騷體の形式と數多く奇字によって

して かもしれない。だが「招隱士」における自然が不快なものと 措辭は、あるいは劉安の「招隱士」をいくらか踏まえている -寫されている。こうした -かれるのに對して、この賦の作

えている點は大きな相 0は好ましいものと捉 1である。

2の第二段

,は、敍景から抒

へと轉じる。

3段末の「

は自然にして千

あり、樹は無

發せられるのが、「世 にして百色あり」を受けて の茲に という、て來り逼る」「世 なるを嗟き、憂恚に牽かれ ゆう

」に對する

45である。作

いう、高邁な志を 0は き、

36の この短い人生の 坦なることを思い願っても、

6上で挫折や失意に

ひついで「俗は事を逐て變 7うのが現實なのだ、と。

!し、心は物に應じて迴旋す。

"くつ

#

きゆうにして其れ未だ悟らず、亦た

$

%して已に かく

人心の移ろいやすさを &る」と、

5く。「

$%」は背き

紛總總の「其離合兮、忽 1うこと。「離騷」

$%其 わ「ずかの 8&」にもとづく語である。

9で人の心がくいちがって疎

紹初・張亞新『江淹集校 になる」とは、兪 :』(中州古

;出版 指摘がするように、あるいは作 <、一九九四年)

0の個人 るのかもしれない。そして人壽のいくばくもないことを =體驗を踏まえてい

悲しむ作 5き 0は、「不

(にして無操と雖も、願はくは

)芬と玉 中國詩文論叢第十九集

(15)

堅に從はん」と、自らの決意を示して、賦の最後を締めくくっている。一方、篇末の亂辭はわずか4句の短いものである。一句め「

を折りて日を蔽ふ」は、おそらく「離騷」の「折

天に登り崑崙山に至った屈原が、傳 以拂日、聊逍遙以相羊」を踏まえるだろう。「離騷」の句は、 木 の を拂って徘徊躑躅するさまを 木の枝を折り日光 上の美しい夕景に臨んで悲しみたたずむ作 くものであるが、ここでは江

の の句の「憂心」は、『詩經』「 を表す。

于群小」を出典とする語で、「世 風・柏舟」の「憂心悄悄、慍 」の艱

に對する作

は、第一段 だが、この後の二句がわかりにくい。三句めの「此氣質」 身の憂いをさすものと見られる。 自 にある「江上の山」=自然の高

のであろうが、もとより作 な氣質をさす が、その て、厭うものではけっしてない。また、「獨り嗟く」とある はそれを「愛」するものであっ 語はだれなのか。もしそれが作

はだれを讀 たら、「共に」とはだれとともになのか。そもそもこの作品 自身であるとし 曹 として想定しているのだろうか。

衡「江淹作品寫作年代考」(『中古文學史論文集續

[文津出版 』

、一九九四年]

收)によれば、この賦は宋の 泰豫元年(四七二)に作られたものである

。この年、作 15

十九 二

。 年(泰始七年)に建

任し、この年も建 王劉景素に從って荊州に赴 王の として引き續き荊州の

た。ところが、この頃、泰始二年(四六六)以來ほぼつねに 府にあっ 僚として仕えてきた

君劉景素との關係がにわかに惡

る。この す

の事 について江淹自らのように

べている。

轉巴陵王右常侍、右軍建

王 。 待累年、

以文章見 。而宋末多阻、宗室有憂生之

。王初欲

求一旦之幸。淹嘗從容曉諫、言人事之 檄天下兵、以

!敗。

宗廟之安、如信左右之計、則復見麋鹿霜棲露宿於姑蘇之臺矣。 "曰、殿下不求

#不以

$、而更疑焉。(「自序」)

諫めたが、て、江淹はそれを度々まるようどいと思 %するに、宋末のてる劉景素に對しを謀反て乘じ亂に混企

から疎まれるようになったらしい。この後、兩 &に景素 轉することなく、元徽二年(四七四)、ついに景素の の關係は好 ふれた江淹は、 &鱗に '興令に左

直ではあるまい。つまり、この賦はど無理することもさほ釋 問題解をのどを踏まえたならば、さきほ實事記こうした傳 (されることになる。

亂の機能について(井上)

15

(16)

接には 最後の二句に、固い 君劉景素に對して書かれたものなのである。本部の

端 操を保持する決意を示すのは、それを となく、ひたすら政治 獨り景沈を嗟く」とあるのは、美しい自然に關心を寄せるこ に示していよう。そして「此の氣質を共に愛せず、何ぞ

野心を

しようとする

然を愛さず、どうしてあなたはひとり げなく諫めたもの、と考えてよい。「わたしとともにこの自 君をさり 日を くのか

したがって、この賦の本部は意味 」と。 16

に二重の

いると考えられる。對自 をもって

には自らの不

あり、對他 感をうたうもので には自然と世俗を對比することで

君(讀

の )

ちを諷諫しているのである。もちろん、作

にとって重

なのは、後

謀反を企圖する劉景素との人 (諷諫)の方であろう。作賦の本來の動機は、

らく當時の時代 このように作賦の動機を亂のなかで仄めかす態度は、おそ ら。 關係のこじれにあるわけだか 況と無 は、作賦の動機や趣旨はふつう序のなかで ではあるまい。從來の賦において

序の べられるが、賦 例としてその語り手(speaker)は作

一 (author)と

するために、作

になる。しかし、 の意圖は直接讀み手に傳えられること 代よりもいっそう不穩な政治

況下にあっ た六

もテクスト る場合はなおさらである。したがって、本部の外部で、しか 險を招くことになりかねない。この賦のような諷諫を意圖す 時代においては、こうしたやり方はときとして身の危 部にある亂において、ある種の

相對 の動機=諷諫を仄めかす方が、序において言明するよりも、 として作賦 に安 であったと考えられるのである。ここには、六 後 の表現

たちの置かれた困

な しての亂の新しい機能が示されているように思われる。 況とともに、手法と

(六 ) 結語

代において「

文の 」であった亂が、その後、

から宋末までの三つの作例を 示、といった多樣な機能をもつようになってゆくさまを西晉 の補充、ディスコースのモードの切り替え、作賦の動機の暗 旨 が、こうした變 して見てきた。

に、亂のあり方に變 らかの原因が存在すると考えるのが自然である。そこで最後 はもとより結果であって、そこにはなん ささか私見を が生じた一因または背景について、い そもそも賦は、 べておきたい。

誦される文

樣式であった。

て楚辭が「誦讀」されていたことは當時の文獻のなかでしば 代におい 中國詩文論叢第十九集

(17)

しば言

されているが、賦の新作も同じように公

いて誦讀されていたと考えられる。たとえば、 な場にお の宣

を誦讀し、さらに病の とき、王襃が病氣の太子を樂しませるために自ら作った作品 の 簫賦」の二篇を後宮の貴人たちに誦讀させたことが、『 えた太子が、襃の「甘泉賦」と「洞

「王襃傳」に見えている。また後 書』

て、「歌はずして誦す、之を賦と謂ふ」(『 の班固が賦の定義につい

書』「

とくのも、當時の 文志」) 思うに、このような享受形態において、賦の亂が「 れよう。 況を少なからず踏まえたものと考えら

文の 賦が第一義 」であったというのは、それなりに意味をもっている。

に耳で聞くものであるとすれば、線

な作品の結末に

旨を示す方が享受

すいからである。しかも賦は、 の印象・記憶に殘りや め、事物が上下左右に擴張 陳を旨とする樣式であるた に列

こうした饒舌性による多樣な變 されてゆく傾向がある。

を、亂において意味

一することは、享受 に統 つ四言リズム になる。その際、「××××、×××兮」という安定感をも に對してある種の收束感を與えること がその效果をいっそう 17

像に めたであろうことは想 くない。劉

『文心雕龍』「詮賦」に「亂は以て篇を 理め、文勢を寫

(收束)す

」とあるが、これは 18

に 賦の實態

した分析として讀むことができる。つまり、

が「 賦の亂辭

文の 」であることは、必ずしも

極 つものではなく、むしろ「 な意義をも 文の ところが、六 賦のなかで機能すると言えるだろう。 」であってはじめて、

時代になると賦をめぐる

る。すなわち、賦は目で讀むものになるのである。陸雲の書 況が樣變わりす を讀むと、自ら書いた賦の

稿を兄陸機に

んで添

もらったり、また出來上がった作品を して

方の知人に手紙で

たりしている樣子が窺われるが

、遲くとも西晉時代には賦の 19

誦性ないし同時同座性は希

れる(むろん二 し、讀みものとして享受さ は、享受 このように享受の重心が耳から目へと移行していったこと になっていたと思われる。 !に誦讀することはあっただろうが)よう

のみならず、表現

の意識にも少なからず影

"を ぼしたはずである。

誦されるのであれば、時

#の經

ともに $と

%聲が

えてゆく(一回性)ため、意味を享受

憶にとどめる工夫が必 の記 になる。しかし、基本

み に何度も讀

るが &されることすなわち讀書のリズムによって享受され 提となれば、こうした工夫はとくに必

なものでは

亂の機能について(井上)

17

(18)

ない。むしろ、篇末に

旨を反復することは、かえって樣式 された陳腐な印象を讀

また、六 に與えることになりかねない。

あった。これは、「變 なり、本部の長篇性・饒舌性はしだいに失われてゆく傾向に 時代になると短篇の作品が多く作られるように

と統一」という、本部と亂との

の關係性を根底から 來 このように考えてみると、六 である。 收束感を與えることにも從來ほどの意義を見出しえないわけ すものである。それゆえ、亂において

た の賦作家たちの置かれてい 況がある度明確になってくる。つまり、「

文の としての亂はその本來の役 」 を で、當時の賦作家たちは、本部との關わり、すなわち作品 えていたわけである。そこ

體の

のなかで改めて亂の役

・存在意義を

ねばならなかった。その試みが、亂の機能の多樣 索してゆか 亂の 象を生み出していったのではないだろうか。 という現 史 變 の

(本體部分)の變容という二點を指摘し、讀 なくないが、本稿ではひとまず、享受形態の移行と賦の本部 因については、なお檢討すべき點が少

賢の批

乞いたい。 を ・

(1)亂は ・

代以後、もっぱら辭賦作品に用いられるが、例外

にほかの文體においても使用されることがある。管見の

限りでは、以下の作品に見られる。 ぶ

・相和歌辭「

同「孤兒(生)行」、魏・曹植「靈 病行」、

篇」、同「孟

篇」、晉・ 曲歌辭「窮武篇」、後

・闕名「巴郡太守樊

(2)楚辭の「亂」の意味については、これまでのところ、後 」。

の王

の に從って「亂は理」と見るものと、宋の朱熹の

に從って「亂は樂

の名」と見るものがある。後

校 「昔正考父に「魯語」『國語』②とあること、洋乎盈耳哉」 洋之亂、關師摯之始、「に「泰伯篇」『論語』①言えば、 について

!之名十二篇于

"大師、以

ることを根據としており、 ること、③『禮記』「樂記」に「始奏以文、復亂以武」とあ #爲首。其輯之亂曰……」とあ 來『詩經』の頃に用いられた 得力がある。亂そのものは、本

$樂用語(これは曲の

結尾として付されるもので、さしずめ西洋 わりに ぜ「亂」と呼んだのか、またなぜ da]に相當するであろうか)であったわけだが、それをな $樂のコーダ[co たのかは、論 $樂用語が楚辭に用いられ によって意見が分かれる。詳しくは、星川

%

孝『楚辭の

&究』(

'(

(3)わが國の反歌が辭賦の形式から學んだとする見方は、中西 )、一九六一年)を參照されたい。

*『 +,集の比較文學

&究』(南雲堂櫻楓

)、一九六三年) 中國詩文論叢第十九集

(19)

などによって廣く支持されている。その論據となるのは、『荀子』の賦の末に「反辭」という短い韻文が置かれていること、そして『

集』卷十七

載歌番號

3976の大 翰( 家持の書 文)に、「式擬亂曰(式て亂に擬して曰はく)」として 詩一首、短歌二首が記されていることである。ただし、

木正兒『支文學

考』は、「『亂』の形式が和歌に影

本獨自の發生と考えるべきだと たと考へることは時代の上から見ても早すぎる」として、日 し 歌考序 張する。また、吉井嚴「反 」(『 文學に於ける亂、反辭はやはり反 』第二十六號、一九五八年)でも、「中國

對して、 の域を出ない」のに の反歌には「反

ない」點を指摘し、亂との影 と言ふ傾向のものが非常に少

(4) 關係を否定している。

だったものに、

守中『中國古代詩歌體裁

大學出版 論』(吉林 、一九八八年)、

幼明『辭賦

論』(湖南

版 育出

、一九九一年)、曹明綱『賦學

論』(上

古 出版 一九九八年)、 、 水雲『六

駢賦 究』(文津出版

九年)などがある。なお中西 、一九九 『 集の比較文學

第二章では、こうした 究』

とは別に、「末尾の抒

民文學出版 機能を指摘する。また袁濟喜『中國古代文體叢書・賦』(人 」という 、一九九四年)では、「

題を昇

に始まる「七」體、宋玉の「九」に始まる「九」體、およ (5)ここでは、「賦」と題する作品はもとより、枚乘の「七發」 に亂を用いるともいう。 する」ため び賈誼「惜

!」等の騷體の

(6)「歸去來」の最 いる。 る。なお、頌や設論に屬する作品は別の文體として除外して "作品も廣義の賦と見なして數え

#段 號と見なすのは、金・王 $の「已矣乎」を亂の始まりを示す記

%&『 '南 (老集』卷三四の

言に始まる。曰く、「已矣乎之語、 )の發 以便章而爲斷。

亂曰之 *系曰・

+」と。この後、錢鍾書『管錐

,』(中 七九年)がこの 書局、一九 を支持し、ついで李

析集』( ,『陶淵明詩文賞 -振甫執筆、巴蜀書

、一九八八年)、

南北 .章燦『魏晉 賦史』(江蘇古

出版 、一九九二年)、

水雲『六

駢賦

明『歸去來兮辭』の 究』などもこれに從っている。詳しくは、拙論「陶淵

/已矣乎

0をめぐって」(中國詩文

(7)中島千秋『賦の 會『中國詩文論叢』第十三集、一九九四年)を參照されたい。 究 1立と展開』(關洋紙店印刷

年)第三章第四 、一九六三 2では、亂をもつ賦作品の系列を、

3樂の 祭祀の +、 +、招魂歌の

+の三 +に分けているが、最

れが #に「そ 賦では

#樂章として

題をのせる句型として

+型 形式 用いられ、原初の意を失ったのであろう。そしてだんだんに に 4し、付けても付けなくてもよいようになり、

とする

(8)「李夫人賦」は、武 は本文になったのである」と結論づけている。

5が寵 子、稚、兄弟が、亂辭に見える 悲られているづとつ切々がみしった失を女性の愛もので、最 6、李して作った際に死人の夫 束といった話は、本部のな

亂の機能について(井上)

19

(20)

かではまったく言

されていない。これは、李夫人が臨

床において、ふとんで顏を隱したまま、息子(昌邑王劉 の と兄弟(李 ) 年、李廣利ら)のことを武

に託した、という 話に關

「武 するものである。詳しくは、DavidR.Knechtges 賦」(『第三屆國際辭賦學學

(9)なおこのほかに、疑問の作として、陸機「 國立政治大學、一九九六年])を參照。 討論會論文集』[臺灣 これは『 賦」がある。

( 「辭曰」に作っており、「亂」であると確定できない。 聚』卷六九では「亂曰」に作るが、本集では 10)管見の

「 んだ限りでは、以下の作品に亂が見られる。王勃 廟山賦」、梁肅「

園賦」、劉禹錫「山陽

禹錫「傷 賦」。また劉

( 賦」の篇末には「系曰」が見える。

11)張國星『六

賦』(文

出版

「心隱」この賦の亂について、の 、一九九八年)では、 世界を

體 段の形象の補充をなす、と し、第二

( く。

12)モードの分

ここでは小西甚一「分析批 については、さまざまな見解がありうるが、

賞』、一九六七年五 のあらまし」(『國文學解釋と鑑

(ntレンによる・FundamealsofGoodWriting・ いては、クリアンス・ブルックスとロバート・ペン・ウォー の三つのディスコースの性質につonosxpn,etioripscdeiti なお至文堂)に從う。號、narration,

bsDoonLtd)に詳しい。 1956,Dennis (

13)たとえば『續晉陽秋』(『世

新語』「文學」

晉の袁宏が「東征賦」を作り、當時の名士を賦中に悉く 97引)に、

ながら、ひとり桓に言 げ

( れ、には怨まれた、という話が見えている。 しなかったために、伏滔に諫めら

( に「山中楚辭」等の騷體の作品が十二篇ある。 14)篇題に「賦」と名付ける作品が、二十八篇あり、そのほか 15)兪紹初・張亞新『江淹集校

!』、劉

"

文學』(付 #『門閥士族與永明

( く、同じ泰豫元年の作とする。 $「永明文學繋年」、三聯書店、一九九六年)でも 16)本句の「景沈」について、兪紹初・張亞新『江淹集校

では、君 !』

( なす。 %(劉景素)が危險に直面していることの比喩と見

(大論』修 17)四言リズムの表現感覺については、松浦友久『中國詩歌原

( れたい。 &書店、一九八六年)〔五、詩とリズム〕を參照さ 18)

'行本では「寫

(文勢」を「

)*文 +」に作るが、いまは ,寫本の文字に從う。なお「寫

(」の解釋は、

-.『文心

/

龍義證』(上

0古 1出版 、一九八九年)に引く、

牟世金らの 2田活曉、

( による。

19)たとえば「與

參照‥佐 3原書」其三、其五、其十、其二十六など。 4利行『陸雲

5究』(白

、一九九〇年)。 中國詩文論叢第十九集

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