近世におけるペストの苦難と《峻厳な神》の支配 : 一六世紀の宗教改革の一要因
著者 石坂 尚武
雑誌名 人文學
号 195
ページ 111‑194
発行年 2015‑03‑15
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014104
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難
と ︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
│
│ 一六 世 紀 の宗 教 改 革の 一 要 因│
│
石 坂 尚 武
目 次 第 一 章 課 題 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 視 点 第 一 節 課 題 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 視 点 か ら 宗 教 改 革 を 見 る 第 二 節 人 び と と の 心 性 の 共 有 か ら 見 た ル タ ー 第 二 章
︽ 善 き 神
︾ の 支 配 と 一 二 世 紀
・ 一 三 世 紀 の 時 代
│
│ ペ ス ト 期 に 先 行 す る 安 定 の 時 代
│
│ 第 一 節 安 定 の 時 代 が も た ら し た 第 一 の も の
│
│ 煉 獄 の 誕 生
・ 普 及
│
│ 第 二 節 安 定 の 時 代 が も た ら し た 第 二 の も の
│
│ 七 つ の 秘 跡 の 普 及
│
│ 第 三 節 安 定 の 時 代 が も た ら し た 第 三 の も の
│
│ 聖 母 崇 拝 と と り な し の 高 ま り
│
│ 第 四 節 カ タ リ 派 と の 対 決 か ら 再 確 信 し た も の
│
│ カ ト リ ッ ク の 民 間 信 仰 と 包 容 力
│
│ 第 三 章
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ド イ ツ に お け る ペ ス ト の 流 行 第 一 節 立 ち こ め る 暗 雲
│
│
︽ 人 を 死 に 追 い や る 神
︾
│
│ 第 二 節 一 五 世 紀
・ 一 六 世 紀 の ド イ ツ に お け る ペ ス ト の 周 期 性 第 四 章 青 少 年 期 ル タ ー の 周 辺 と ペ ス ト
│
│ 宗 教 改 革 の 提 起 頃 ま で の ル タ ー の 半 生
│
│
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世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
第 一 節 ル タ ー の 青 少 年 期 と ペ ス ト 第 二 節 落 雷 体 験 と 修 道 士 へ の 道 第 三 節 二 人 の 弟 の ペ ス ト 死 と 修 道 士 へ の 道 第 五 章
︽ 峻 厳 な 神
︾ ゆ え の ル タ ー の 告 解 の 秘 跡 の 拒 否 第 一 節 ル タ ー と 神 秘 主 義 第 二 節 袋 小 路 の な か の ル タ ー と 改 悛 の 困 難 さ
│
│
︽ 峻 厳 な 神
︾ ゆ え に 神 を 愛 せ ぬ ル タ ー
│
│ 第 三 節 ル タ ー に お い て 時 代 の 人 び と と 共 有 さ れ た
︽ 峻 厳 な 神
︾
︵ 一
︶ 告 解 の 成 立 を 妨 げ る ル タ ー の 神 観 念
︵ 二
︶ 改 悛 の 拒 否 と 宗 教 改 革 の 提 起
│
│ 背 後 の
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 存 在 と 共 有
│
│
︵ 三
︶ パ ウ ロ 神 学 と の 出 会 い
│
│ 神 観 念 ゆ え の 既 成 の 宗 教 的 行 為 の 否 定
│
│ 付 記
︽ 供 養 ミ サ
︾ と
︽ 煉 獄
︾ と
︽ ペ ス ト
︾ の 密 接 性 に つ い て
︵ 四
︶ ル タ ー と ス コ ラ 学 者 の 現 実 へ の 対 応 の 違 い お わ り に
│
│
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
│
│ 付 記 ル ネ サ ン ス と 宗 教 改 革 付 記 ウ ィ ク リ フ の 本 質 主 義 と 一 四 世 紀 末 の 深 刻 な 社 会 的 危 機
第 一 章 課 題 と︽ 峻 厳 な神
︾ の 視点 第一
節 課題 と︽ 峻厳 な神
︾か ら宗 教改 革を 見る こ れま で私 は︑ イタ リア
︑さ らに は西 欧の 中世 末か ら近 世の ペス ト︵ 黒死 病︶ の歴 史を 見て きて
︑そ れぞ れの 時代 のペ スト が︑ 神 観念 や神 のメ ージ に大 きな 影響 を及 ぼし たこ とを 指摘 して きた
︒時 代状 況は 神観 念を 変え てし まう
││
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
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時代 によ って キリ スト 教は 違っ て解 釈さ れた
︒つ まり 時代 の心 性に よっ て﹁ キリ スト 教﹂ は変 わり 得た ので ある
︒具 体的 には
︑好 況の 一二 世紀
・一 三世 紀と 打っ て変 って
︑一 四世 紀以 降︑ 人び とは
︑ペ スト がも たら した 恐る べき 脅威 の根 源に 怒れ る神 を見 たの であ る︒ 反復 する ペス トに よる 人び とへ の心 性的 なダ メー ジは
︑ペ スト の原 因が 峻厳 な神 の怒 りに よる もの であ ると いう 共通 した 認識 から
︑人 びと の心 性に おい て︑ 神の 怒り を恐 れ︑ それ に触 れま い︑ でき れば
︑神 を喜 ばし たい とい う意 識が 強く 働き
︑そ こか らし ばし ば行 動︵ 社会 的施 策︶ が導 かれ たの であ る︒ 彼ら がイ メー ジと して 抱い た神 は︑ おそ らく 容赦 なく 神罰 を下 す神
︵旧 約聖 書の 申命 記や ヨブ 記や 詩篇 にも とづ く神
︶の イメ ージ によ るも ので あっ た︒ それ は一 四世 紀か ら︑ それ 以後 ずっ と﹁ 近世
﹂を 通じ て│
│す なわ ち︑ 一五 世紀 のル ネサ ンス から 一六 世紀 の宗 教改 革︑ さら に宗 教戦 争の 一七 世紀 を経 て︑ 最終 的に
︑一 七二
〇〜 一七 二二 年の マル セイ ユの ペス トを もっ て︑ ヨー ロッ パか らペ スト が消 滅す る一 八世 紀初 頭 まで
⑴
││ リ アル に 生 き 続け る の であ る
︒ま さ に五 世紀 間に 及ぶ
﹁ペ スト 期﹂ にお いて
︑共 通し た神 観念
︑神 のイ メー ジが 心性 的に 生き 続け たと 思わ れる ので ある
︒こ の意 味で
︑﹁ ペ スト 期﹂ は︑ 人び とが ほぼ 同質 の神 の イ メー ジ を 抱き 同 質 の心 性 を 抱 いた
﹁ひ と つ の時 代
﹂で あ った かも しれ ない
︒ 具 体 的 に 見る と
︑例 え ば︑ 筆者 が
︑近 世 初頭
︑す な わ ち︑ ル ネサ ン ス 期フ ィ レ ンツ ェ の 政 府 の 施 策 に 関 す る 拙 稿
︵ 二〇 一 三 年︶ で 立証 し た よう に⑵
︑ペ ス トの 脅 威 が もた ら す 厳格 な 神 につ い て の 観念
││
︽峻 厳 な 神
︾の 意 識
││ は︑ 都市 の諸 々の 政策 や判 決や 慈善 行為 など に︑ 広く 強く 表出 され てお り︑ その 姿勢 のな かに 相互 に有 機的 に結 びつ く関 連性 が認 めら れる ので ある
︒そ して
︑そ れは フィ レン ツェ につ いて 言え るだ けで はな く︑ 次に 示す ドイ ツに つい ても
︑さ らに 西欧 全般 につ いて もい える こと であ る︒ つま り︑ 旧約 聖書 に認 めら れる 峻厳 な神 は︑
︽ 啓蒙 思想 の成 立︾
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︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
の直 前ま で︑ ペス トの 流行 とと もに
︑実 にリ アル に生 き続 ける ので あっ た︵
││ こと によ ると
︑ひ とつ に︑ ペス トが 消滅 した こと が啓 蒙思 想の 成立 する 条件 であ った とさ え思 われ る︶
︒ 本 稿の 研究 の視 点は
︑一 六世 紀 の 時 代︵ 近世
︶に 抱 か れた 神 観 念︑
︽峻 厳 な 神︾ で ある
︒本 稿 で は︑ ドイ ツ の マル ティ ン・ ルタ ー︵ 一四 八三
〜一 五四 六︶ の宗 教改 革の 一要 因に つい て考 察し たい
︒ル ター につ いて は別 のと ころ で少 し論 じた が⑶
︑ その 内容 を含 めて
︑こ の観 点か ら︑ ルタ ーの 時代 の疫 病の 状態 と 同 時代 人 の 心 性と 当 時 の神 学 的 潮流 のな かに ルタ ーを 位置 づけ てみ よう と思 う︒ ルタ ー時 代の 心性 史的 な位 置づ けは
︑一 二世 紀・ 一三 世紀 の神 観念
︵第 一章 から 第二 章︶ と一 四世 紀・ 一五 世紀 の神 観念
︵第 三章 から 第四 章︶ を歴 史的 に性 格づ けて
︑そ れと 比較 する こと で浮 かび 上が るも ので ある
︒ 第二
節 人び とと の心 性の 共有 から 見た ルタ ー ル ター の宗 教改 革の 思想 の成 立の 背景 につ いて は︑ 多く の研 究者 によ って これ まで 様々 に論 じら れて きた が︑ 本稿 では
︑一 四世 紀か ら一 六世 紀の ペス トの 発生 に よ っ て生 じ た 恐る べ き 神へ の 畏 怖 の念
︑す な わ ち︑
︽峻 厳 な 神︾ の心 性が 若い ルタ ーに 及ぼ した 影響 とい う観 点を 中心 に歴 史的 に見 てみ たい
︵従 来︑ 神学 にお ける ルタ ーの 傑出 した 個人 的な 能力 があ まり に強 調さ れた 嫌い があ り︑ これ は︑ もっ とト ータ ルに 社会 史的
︑歴 史学 的に ルタ ーを 位置 づけ よう とい う視 点か ら︑ 前世 紀末 と今 世紀 に修 正さ れつ つあ る︶
︒ 私 見 に よ れば
︑若 き ル ター は
︑人 び とと 峻 厳 な 神を 共 有 した こ と から
︑彼 も ま た 時 代 の 子 で あ り︵ 心 性 の 共 有︶
︑ さら に︑ 時代 の子 とし て︑ 今度 は︑ 托鉢 修道 士と いう 指導 的存 在と して
︑み ずか らと 人び との ため に︑ 納得 でき るか
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
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たち で真 の救 済を 求め
︑救 済へ の糸 口を 探し 求め た︒ 彼は
︑神 への 畏怖 のも とで 不安 を抱 く人 びと を救 済に 導く ため に人 びと に光 を与 えよ うと した
︒そ れゆ えに こそ
︑ニ ュル ンベ ルク など 多 く の地 域 で 認 めら れ る よう に⑷
︑広 く 人び とか ら共 感と 支持 を得 たと 理解 され る︒ は じめ に本 稿の ルタ ーに つい て主 張の ポイ ン ト を いう な ら ば︑
︽主 と し てペ ス ト に 象徴 さ れ る︽ 峻厳 な 神︾ へ の恐 れは
︑ル ター にお いて 宗教 改革 を刺 激す る重 要な 要因 のひ とつ とし て作 用し た︾ とい うこ とで ある
︒こ れま で私 がイ タリ アに つい て論 じて きた 観点 は︑ その まま ドイ ツに つい ても 有効 であ る︒ で は
︑な ぜ︽ 峻 厳 な神
︾な の か︒ 黒 死病 は
︑︵ 我 々︑ こん に ち の 日 本 人 の 多 く の 者 が 思 う よ う な︶ 単 な る﹁ 災 害﹂ では なか った
︒そ れは
︑宗 教的 な意 味を 帯び て お り︑ 神 の怒 り
︑神 の 罰と 見 な され た こ と から ま さ に﹁ 宗教 的 事 件﹂ であ った
︒だ から 宗教 的な 意識 から 人び とは 反応 した
︒黒 死病 は︑ 宗教 的意 味が 濃厚 な出 来事 ゆえ にこ そ︑ 年代 記作 家︵ 聖職 者・ 俗人 両方 によ る︶ の強 い関 心と 反応 を引 いた ので ある
⑸
︒そ れ が 繰り 返 さ れ︑ 無 残な 大 量 死が も た らさ れ るこ と に よ って 神 の 峻厳 さ
││
︽峻 厳 な神
︾│
│の イ メ ー ジは
︑ド イ ツ にお い て も 人び と の 心 性 に 深 く 刻 み 込 ま れ︑ こう して 容赦 なく 次々 と黒 死病 の矢 を放 つ﹁ 怒れ る神
﹂に 人び とは 畏怖 した ので あっ た︒ もと もと 一四 世紀 初頭 の頻 発す る飢 饉や
︑さ らに 決定 的に は︑ 一三 四八 年頃 のペ スト の時 代か ら︑ 直感 的に 宗教 的な
﹁不 安﹂ は抱 かれ てい た⑹
︒ すな わち
︑人 びと の信 仰心 が足 らな いこ と︑ 神へ の畏 敬の 念の 不足 が
︑神 を 怒ら せ て い るの で は ない か と 考え られ た︒ さら に一 六世 紀に なっ ても
︑ル ター がみ ず か ら もい う よ うに
︑疫 病 は︑
﹁ 神が 信 仰 の ため に 恐 怖を お 使 いに なる
﹂⑺
結果 と みな さ れ た︒ そし て
︑こ の 恐 怖に お の のい た 一 四 世紀 か ら 一六 世 紀 のド イ ツ や イタ リ ア の多 く の 人び とは
︑政 策・ 立法
・司 法等 で︑
︽ 神の 法︾
︵石 坂︶ の観 点の もと で⑻
︑自 分 たち の 犯 し た罪 の 贖 い︵ 贖罪
︶の 必 要 性を
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︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
自覚 し︑ どう にか して 神を なだ め︑ 神を 喜ば そう と手 立て を講 じて いた ので ある
︒ 今 やイ タリ アに 限ら ずド イツ にお いて も︑ 一四 世紀 から 一五 世紀
︑さ らに 一六 世紀 の人 びと にと って 神の イメ ージ は︑ 一二 世紀
・一 三世 紀の 人び との 場合 と比 べる と
︑︵ も ち ろん 共 通 部分 は あ るも の の︶ 本 質 の部 分 に おい て 大 きく 変わ って しま った ので ある
︒ド イツ の研 究者 P・ ディ ンツ ェル バッ ハー のこ とば
││ 彼は
︑ほ んの ひと こと しか 述べ てい ない のだ が│
│を 借り ると
︑一 二 世 紀・ 一 三世 紀 に は︑
﹁神 は
︑主 と して 慈 愛 深 い︑ 愛に 満 ち た穏 や か な神
︑一 言 で言 え ば
︑︽ 善 き神
︾で あ っ た﹂⑼
︒神 は
︑そ の 時代 に お い て︑ 人び と に 恩寵 の イ メー ジ を 与 えた の で あ る︒ で は︑ まず 先立 つ一 二世 紀・ 一三 世紀 の︽ 善き 神︾ の時 代を 見て みよ う︒ 第
二 章︽ 善 き 神︾ の 支 配と 一 二 世紀
・ 一 三世 紀 の 時代
│
│ペ スト に先 行す る安 定の 時代
││ 一
二世 紀・ 一三 世紀 は﹁ 中世 最温 暖期
⑽
﹂で あり
︑気 候に 恵ま れて いた た め に作 物 が 豊 かに 収 穫 され
︑そ の 余 剰生 産物 が商 業の 発展 と商 人の 都市 の発 展を 刺激 し た︒ D・ マ コ ーレ イ は︑ ゴ シッ ク の 大聖 堂 が そ の象 徴 で ある と し て︑ この 時代 の背 景の 経済 的な 状況 につ いて こう 記し てい る⑾
│
│﹁ 一三 世紀 は 神 の恵 み に あ ふれ る 時 代で し た︒ 戦 争も なけ れば
︑流 行病 も過 ぎ去 って しま い︑ 気候 が良 く農 家は 豊作 で食 物は 十分 にあ り︑ 町の 商人 たち も繁 盛し てい まし た︒ 人び とは
︑こ のし あわ せに 対し て︑ また これ から もと くに 神に 目を かけ ても らえ るよ う︑ 神に 感謝 した いと 思い まし た﹂
︒ この よう に︑ 商業 の活 況を 背景 に︑ 都 市 が隆 盛 し て︑ 富と 人 口 増加 が 時 代 を特 徴 づ けた の で ある
︵│
│と
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︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
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いっ ても
︑M
・モ ラの 指摘 する よう に︑ この 時代 でも 時々 飢饉 が 発 生し
︑人 び と を 苦し め た⑿
︒ 一 二世 紀
・一 三 世紀 の富 は︑ 前の 時代 など と比 べて あく まで 相対 的に 恵ま れて いた ので あり
︑あ まり 強調 しす ぎて もい けな い︶
︒ そし て︑ 当時
︑西 欧に とっ て﹁ 先進 国﹂ であ った イス ラー ム世 界か ら流 入す る高 度な 科学 と理 性の 学問 が時 代を 支配 し︑ その 優勢 のも とで トマ ス・ アク ィナ スな どの スコ ラ学 者が 時代 の心 性を 象徴 した
︒そ れは
︑膨 大な 量の
﹃神 学大 全﹄ の執 筆の エネ ルギ ーに なっ たも のか もし れな い︵
││ この あた りの アク ィナ スの 初期 的な 心性
││ 執筆 の直 接的 な動 機・ 心性
││ がも っと 明る みに され ると いい のだ が︶
︒ 安 定 し た この 時 代 では
﹁形 式
﹂が 重 視さ れ た︒ 一 定 の形 式 は 安定 を 保 証す る 鍵 で あり
︑そ の 象 徴 で あ る か ら で あ る︒ 学問 にお いて は︑ 真理 は︑ 三段 論法 の段 階的 な形 式を 踏め ば手 中に 収め られ るよ うに 思わ れた
︒教 会の 形式
︑す なわ ち︑ 典礼 が重 視さ れ︑ 例え ば︑ 終油 の秘 跡と いう 形式 を踏 んだ 者は
︑た とえ 悪事 をお こな った 者で も︑ 地獄 に堕 ちる こと なく
︑い つか は必 ず天 国に いく こと がで きる とさ れた
︒ま た︑ 信徒 に不 安を 与え まい とい う観 点か ら︑ たと え内 面的
︵霊 的︶ に欠 陥の ある 聖職 者で あっ ても
︑形 どお りに おこ なわ れた 秘跡 は︑ 機能 主義 的に 考え て有 効と され た︒ こう した 見方 は︑ 物事 が順 調に 進ん でい る時 代背 景の もと で根 付く もの であ り︑ ごく 一部 の地 域に おい てカ タリ 派の よう な例 外的 な考 え方 もあ った もの の︑ 基本 的に は︑ 総じ てあ まり 疑問 視さ れな かっ た︒ 西 欧 の 一 二世 紀
・一 三 世紀 と い う︑ それ 以 前 と 比べ れ ば ずっ と 明 るさ と 安 定 を増 し た 時代 の も と で
︑人 口 は 倍 加 し︑ そこ で醸 成さ れた 心性 は特 別な 傾向 の考 え方 をも たら した
︒そ の心 性が うみ だし たも の︑ ある いは
︑定 着さ せた もの とし て︑ 次の 三つ
︵ま たは 四つ
︶が 挙げ られ るだ ろう
︒な お︑ 私は
︑以 下に おい て︑ それ らを
︽善 き神
︾の もと でう まれ たり 育て られ たり した 同質 のも のと して 総合 的か つ有 機的 に並 列さ せる が︑ この まと め方 は︑ 従来 なさ れて
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︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
いな かっ たよ うに 思う
︒ 第一
節 安定 の時 代が もた らし た第 一の もの
││ 煉獄 の誕 生・ 普及
││ ま ず︑ 第一 が︽ 煉獄 の誕 生︾ であ る︒ これ は聖 書の 記載 に根 拠を もつ もの では なく
︑こ の一 二世 紀・ 一三 世紀 の創 造物 であ る︒ 煉獄 とは
︑死 者が 生前 に償 いを 果た して いな い場 合︑ その 罪が 死後 の苦 しみ によ って あが なわ れる 場所 であ り︑ ここ での 浄化 を済 ませ てこ そ︑ 霊魂 は汚 れな く天 国に 行く こと がで きる とさ れ︑ さら に遺 族ら の第 三者 の供 養は 煉獄 での 苦し みの 軽減 や滞 在期 間の 短縮 に有 効と され た︒ 地獄 に堕 ちれ ば︑ そこ で永 遠に 劫罰 を受 け︑ もは や抜 け出 すこ とは でき ない が︑ とも かく 煉獄 に行 った 者は
︑各 人の 生前 の罪 の償 いや 善行 に応 じて いず れ天 国に 行け ると 考え られ た︒ 煉獄 には
︑聖 人で もな けれ ば︑ 極悪 人で もな い中 間的 な普 通の 人間 が行 くと され
︑中 世後 期以 降の 人び とに とっ て大 きな 関心 の場 とな った
︒ し かし
︑地 獄に 堕ち ずに とも かく 煉獄 へ行 くに は条 件が あっ た︒ それ は︑ 死の 前の 改悛
︑す なわ ち︑ 終油 の秘 跡を 済ま せて おく こと が必 要で あっ た︒ ここ で聖 職者 を伴 う形 式が 要求 され たが
︑一 度そ の形 式が 果た され るや
︑い つか 天国 への 到着 がな され るこ とが 保 証 さ れた の で ある
︒こ こ に は︑
︽教 会 側 の 思惑
︑す な わ ち︑ 実入 り
︾と
︽信 徒 側の 救済 志向
︾と の合 致︑ すな わち
︑ギ ブ・ アン ド・ テイ クが 成立 して いた
︒ ル
・ゴ ッフ によ れば
︑死 後︑ 罪が 来世 で浄 化さ れる とい う考 え方
︑ま た︑ 中間 的な 人び とに とっ て過 渡的 な段 階の 世界 があ ると いう 考え 方︑ さら に︑ 死者 の霊 魂の 救済 に生 者│
│第 三者
││ が関 与で きる とい う考 え方 は︑ 突如 とし て生 まれ たの では なく
︑そ れに 近い もの は︑ すで に初 期キ リス ト教 の神 学者
︵ア ウグ ステ ィヌ スな ど︶ や民 間信 仰な
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
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どに も垣 間見 られ てい て︑ それ はさ らに キリ スト 教以 前の 宗教 にさ えル ーツ があ り︑ 非常 に長 い歴 史を もっ てい たと いう
︒し かし
︑﹁ 煉 獄﹂ とい うこ とば は成 立し て い なか っ た︒ よ うや く 浄 罪の 世 界 の 場に 対 し て文 書 で﹁ 煉 獄﹂ とい うこ とば を用 いて 表現 する よう にな った のは
︑一 二 世紀 末│
│具 体的 には 一一 七〇
〜一 一八
〇年 頃で ある
︒そ れは
││ クレ ルヴ ォー のニ コラ ウス
︵一 一七 六/ 一一 七八 没︶ の書 いた 文書 な ど のな か で 認 めら れ る とい う⒀
︒そ し て︑ 一三 世紀 の公 会議
︵一 二七 四年 の第 二回 リヨ ン公 会議
︶な どで 正式 に宣 言さ れる に至 った もの であ る⒁
︒ こ の煉 獄と いう 場所
︵天 国・ 地獄 に 次 ぐ﹁ 第 三の 場 所﹂
︶ は︑ まさ に 人 を﹁ 救済 す る﹂ こ と を目 的 に つく ら れ た場 所 にほ か な ら ない
︒こ れ は︑ せ っせ と 教 会に 通 い 奉 納や 寄 進 をす る 信 徒 に対 し て︑ 対 価と し て 教会 が 与 え た 飴 で あ る︒ 奉納 や寄 進の 相手 は︑ 主に
︑今 をと きめ く托 鉢修 道会 の教 会で あっ た︒ 例話 など によ って 煉獄 を人 びと に強 く意 識づ けた 托鉢 修道 士は
︑後 にペ スト によ って 人び との 間に 高ま った 煉獄 意識 の高 揚と とも に︑ 時代 をリ ード した
︒ 煉 獄の イメ ージ は地 域差 があ った が︵ アイ ルラ ンド
︑イ ング ラン ドな どの 北欧 では 地獄 に近 く︑ 南欧 では 天国 に近 かっ た︶
︑ 煉獄 が誕 生し たも のの
︑ま だ普 及し てい なか っ た 時代 で は︑ 煉 獄は 概 し て地 獄 の イ メー ジ が 強か っ た よう であ る⒂
︒ この 意味 で誕 生し たば かり の一 二世 紀末 と︑ それ が急 速に 普及 する 一! 三! 世! 紀! と で は 大き な 隔 たり が 存 在す る︒
││ 一三 世紀 は︑ まさ に托 鉢修 道会 の世 紀で あっ た︒ 一三 世紀 にお いて 托鉢 修道 会の 運動 は目 を見 張る もの があ るが
⒃
︑彼 らは
︑説 教や 例話 で人 びと に煉 獄を イメ ージ させ たと 考え られ る︒ 例 えば
︑煉 獄が まだ 生ま れた ばか りで あま り普 及し てい ない 一二 世紀 末の ある 例話 では
︑救 済の 道は
︑は るか 長い 道の りだ った よう であ る︒ その 例話 によ る と︑ カ ン タベ リ ー 大司 教 で あっ た ト マ ス・ ベケ ッ ト︵ 一 一七
〇 年 没︶
︵一 七七 三年 列聖
︶の 殉教 した のと ちょ うど 同じ 日に
︑こ の 世 で 三三
〇
〇 人が 死 ん だと い う が︑ 直 接天 国 に 行っ た 者 は︑
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︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
トマ ス・ ベケ ット とあ と二 人だ け︑ 煉獄 へ行 った 者は 三〇 人だ け︑ 残り は地 獄行 きだ った とい う︒ この 例話 では 多く の 人び と は 地 獄を イ メ ージ せ ざ るを 得 な か った だ ろ う︵ この 例 話 に は信 徒 へ の脅 し の 意図 が あ っ たの か も しれ な い が︶⒄
︒ この 厳 し い 状況 は
︑煉 獄 が普 及 す ると と も に︑ 緩 和さ れ る︒ こ れに
︑後 述 す る秘 跡 の 普 及が 援 助 する こ と に なる
︒煉 獄の 普及 は︑ 中世 最温 暖期 の気 候に よる 富と 人口 の増 大す る時 代を 反映 して
︑ペ シミ ズム と涙 の谷 間か ら訣 別す る方 途で あっ た︒ 第二
節 安定 の時 代が もた らし た第 二の もの
││ 七つ の秘 跡の 普及
││ 一 二世 紀・ 一三 世紀 の心 性が もた らし た 第 二 のも の は︑
︽ 七つ の 秘 跡︾ の定 着
・浸 透 で ある
︒以 前 の 時代 と 比 べて ずっ と明 るく なっ た時 代背 景の もと に︑ 霊魂 の救 済を 導く カト リッ クの
︽七 つの 秘跡
︾︵ 終 油の ほか に︑ 洗礼
︑堅 信︑ 婚姻
︑聖 体拝 領︵ ミサ
︶︑ 告 解︑ 叙階
︶が 広く 普 及 し︑ 人び と は︑ ミ サに よ っ て日 々 贖 罪 をお こ な い︑ 人生 の い くつ かの 段階
︵洗 礼︑ 堅信
︑婚 姻︑ 終油
︶で 聖霊 のご 利益 を受 ける こと がで きた
︒聖 職者 に従 って こう した 秘跡 を受 けた 者は
︑い ずれ 必ず 天国 に行 くこ とが でき ると 信 じ ら れた
︒こ の 秘 跡の 形 式 の普 及 に よ って
︑今 や
︽天 国 へ行 く 道 筋︾ がは っき りと 人び とに 見え てき たの であ る︒ 安定 の時 代で は︑ 天国 への 道筋 は観 念的 な説 明で はな く︑ 目に 見え る形 式 を踏 む こ と によ っ て 納得 さ れ たの で あ ろ う︒ 教会 法 で 形式 が 整 備 され
︑典 礼 や 年間 の 行 事
︵教 会 暦
︑祝 祭 日 の 設 定︶ が規 則化 され てい った だろ う│
│儀 式の 神聖 さや 格式 を高 める ため に︑ 例え ば︑ 音楽
︵楽 器や 様式 のあ り方
︑各
じ もつ
種典 礼に 応じ た音 楽や 合唱
・歌 詞の あり 方︶ や︑ 美術 にお ける 聖人 の﹁ 持物
﹂や 機能 のあ り方 のほ かに
︑各 種の 典礼 に 応じ た 司 祭 の式 服 の 色の 使 い 分け
︑告 解 の 秘 跡な ど に 使用 す る﹁ ス ト ラ﹂
︵首 か ら 胸に 垂 ら す 帯
︶の 色 や か け 方︑
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
― 120 ―
じ ゅ ず
聖水
・聖 体︵ ホス ティ ア︶
・ お香
・聖 杯・ 聖餐 皿・ 聖体 ラン プ・ 棕櫚
・ロ ザリ オ︵ 数珠
︶・ 聖櫃
・聖 具室 など のあ り方 や使 い方
︑聖 史劇 のあ り方 など
︑詳 細な 事柄 が時 代と とも に規 則化 され てい った だろ う︒ この 頃の 公会 議︵ 一二 一五 年の ラテ ラノ 公会 議︶ も︑ 教令 を発 布し て︑ 告解 の秘 跡を 信徒 に義 務づ けて その 普及 を図 った
︒こ うし たこ とが
︑地 域差 の激 しい 西欧 にお いて
︑ど れだ け徹 底で きた かは 分ら ない が︑ 巡礼 によ る文 化の 交流 や教 会が 公布 する 通達 文書 の増 加な どが 有効 であ った だろ う︒ 終 油の 秘跡 につ いて は︑ 特別 の装 置が 考え 出さ れた
︒す なわ ち︑ 終油 の秘 跡で 用い られ るオ リー ブ油 は︑ 復活 祭の 朝に 特別 に聖 別さ れて 採取 した オリ ーブ 油が 用い ら れ た︵ 図1
﹁ミ ラ ノ の サ ン
・バ ビ ラ
︵
Babila
︶ 聖堂 の聖 香油
﹂︶
︒ こ うし て︑ 終油 の秘 跡さ えし てお けば
︑ま ずは 地獄 行き を免 れる こと がで きる と教 えら れた
︒一 四世 紀初 頭の ウル スカ ンの オド の弟 子た ちに よれ ば︑ 急死 によ って 告解 の時 を得 なか った 魂や
︑終 油の 秘跡 にお いて 司祭 の命 じた 罪の 償い
︵宗 教的 遺 贈の こ と
︶を し なか っ た 者 を 除 け ば︑
﹁中 程 度 に善 良 な る者 が 直 ち に煉 獄 に 入る の で ある
⒅
﹂と いう
︒
図1 病者の塗油用の聖香油の収納棚(ミラノ のバビラ聖堂)
― 121 ― 近
世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
終 油の 秘跡 をお こな うと とも に︑ 贖罪 の最 後の チャ ンス とし て︑ 遺産 を用 いた 喜捨 や慈 善行 為や
﹁供 養ミ サ﹂
︵﹁ 追 悼 ミサ
﹂︑
﹁ 死 者 ミサ
﹂︑
﹁ レ クイ エ ム﹂
﹁ 私誦 ミ サ﹂ と もい う
︶の 実 施 が遺 言 書 のな か で 明 確 に 約 束 さ れ た の で あ る︒ 中世 後期 以降 にお ける 遺言 書の 定着 は︑ 家族 への 相続
︵世 俗的 要素
︶だ けで はな く︑ この よう に︑ 宗教 的要 素を も帯 び たも の で あ った
︒遺 言 書 は︑ いわ ば
﹁死 後 世界 へ の パ スポ ー ト﹂⒆ と し て︑ 終油 の 秘 跡 と煉 獄 の 考え 方 と 密接 に つ なが って いた
⒇
︒死 を前 にし た重 病人 の家 には
︑医 師や 司祭 が来 たが
︑同 時に 遺 言 書を 作 成 す るた め に 公証 人 や 証人 もや って 来た ので あ る︒ 中 近 世に お い て︑ ふつ う
︑﹁ 医 師﹂
・﹁ 司 祭﹂
・﹁ 公 証 人﹂ の 三 者は
︑臨 終 の 者を 前 に し︑ 相互 に密 接に 関わ った
︒ 第三
節 安定 の時 代が もた らし た第 三の もの
││ 聖母 崇拝 とと りな しの 高ま り│
│ 第 三 に︽ 聖 母 崇拝
︾︵ 聖 人 崇拝
︶が 同 じ く定 着 し た︒ そ れは す で に存 在 し てい た が︑
﹃ 黄 金伝 説
﹄ な ど の 聖 人 伝 や 数々 の説 話︑ 例話
︑絵 画︑ 聖歌 を通 じて いっ そう しっ かり と定 着し た
︒人 び とに と っ て︑ 最 頂点 に 立 つ神 は あ まり に偉 大す ぎた
︒し かし その 下に 位置 する 存在 なら 近づ け た︒ こう し て まず 聖 母 や 聖人
︵天 使 も 含む
︶が い た│
│聖 人は
︑民 間信 仰に おい ては 頼み やす い存 在で あり
︑ま た︑ 祈願 内容 に応 じて 分業 する 多く の聖 人が いた
︒ま た︑ 地域 特産 の聖 人が 非常 に多 くい た︒ その 場合
︑そ の地 域を 離れ ると
︑そ の聖 人の ご利 益が 解消 され てし まう こと もあ った
︵ 聖人 崇拝 の視 覚的 形態 であ る聖 遺物 も地 域限 定︑ つま りそ の地 域で しか ご 利 益が な い 場 合も あ っ た
︶︒ 治 癒 に つい ては
︑体 の部 位に 応じ て聖 人が いた
︒個 々の 聖人 がと りな しの 末端 に位 置す る﹁ 支店
﹂な ら︑ 聖母 は統 括的 に最 上部 に位 置す る﹁ 総本 店﹂ であ った
︒人 が罪 を犯 して も︑ 聖母 や聖 人が 神に
﹁と りな し﹂ をし てく れ︑ 結局 は罪 が赦 され
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
― 122 ―
る と信 じた
︒そ れは まこ とに あり がた い存 在 であ った
︒ こう した 民間 信仰 は人 間の 世界 では ふつ う のこ とで あり
︑洋 の東 西を 問わ ない
︒京 都 の西 山の 勝持 寺︵ 花の 寺︶ には
︑病 気の 部 位を 撫で ると その 箇所 が治 ると いう
﹁な で ぼ と け﹂
︵図 2︶ が 本 堂 の 外 に 置 か れ て い る︒ これ はわ かり やす い民 衆的 な信 仰形 態 であ る︒ こ
の︽ 聖 母 崇 拝
︾︽ 聖 人 崇 拝︾ の 考 え 方 を 推進 させ たの は︑ 教皇 と教 会の 手兵 とな っ て活 躍し た托 鉢修 道会 であ る︒ 托鉢 修道 会 には
︑フ ラン チェ スコ 修道 会︑ ドミ ニコ 修 道会
︑ア ウグ ステ ィノ 隠修 士会
︑カ ルメ ル 修道 会な どが あっ た︒ 特に ドミ ニコ 修道 会 は
︑︽ 聖 母 崇 拝
︾を ス ロ ー ガ ン に 大 々 的
びん ず る そんじゃ
図2 なでぼとけ(鬢頭廬尊者)。
京都西山の勝持寺。 ら かん
そばの解説にはこうある──「仏教を守ると誓った、インドの一六羅漢の一人 です。日本では常に本堂の外におられ、病気のある所を撫でることによって治 る、と言う信仰があり、『なでぼとけ』とも言われている。悪い所、良くなっ てほしい所を、お互いに撫でてください」。患部に直接触れることが治癒につ ながる──これは、極めてわかりやすい民間信仰の典型であろう。
― 123 ― 近
世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
に掲 げて 聖母 の慈 愛を アピ ール した
︒秘 跡の 普及 と煉 獄と 慈善 の普 及と とも に︑ 聖母 崇拝 によ って
︑ま さに 一三 世紀 は托 鉢修 道会 の世 紀で ある
︵さ らに 一四 世紀 も一 五世 紀も そう かも しれ ない
︶︒ 彼 らは
︑ヨ ーロ ッパ の都 市を 中心 に︑ 俗人 の救 済の ため に日 々秘 跡を 施し て 活 躍 した
︒彼 ら の おか げ で︑ 一 三世 紀 に 至 って
︑︵ 相 対 的に 見 て︶ 日 常的
︑民 衆的 レベ ルで ヨー ロッ パが よう やく キリ スト 教世 界に なっ たと いう 見方 もあ る︵
││ その 一方 でル
・ゴ ッフ は﹁ 一五
〇〇 年の 頃で も︑ キリ スト 教国 はま だ布 教活 動中 の国 であ った
﹂と 書い てい る︶
︒ 托 鉢 修 道 士は
︑富 者 の ここ ろ を つか ん だ︒ も と もと 聖 書 のキ リ ス トの こ と ば によ る と︑ 金 持ち は 天 国 に 行 け な い
︵﹁ 金 持ち が天 の国 に入 るの は難 しい
︒金 持ち が神 の国 に入 るよ りも
︑ら くだ が針 の穴 を通 る方 がま だ易 しい
︒﹂
︵ マタ イ第 一九 章二 三│ 二四 ほか
︶︶
︒ 托鉢 修道 会は
︑天 国に 行け ない はず の金 持ち に︑ どう すれ ば天 国へ 行く こと がで きる かを
︑具 体的 方法 をも って 教え た︒ それ は貧 者に 施し をし て援 助を する こと であ る︒ また
︑高 利を 得て 貪欲 の罪 を犯 した 者に は︑ 死の 直前 に﹁ 不当 利得 の返 還﹂ を教 会に 支払 わせ た︒ この よう にし て托 鉢修 道士 は︑ 都市 の支 配者 であ る富 裕者 のこ ころ をつ かん だ︒ こう した 対処 は︑ 躍進 する 托鉢 修道 会に とっ て重 要な こと であ った
││ イタ リア の場 合︑ 托鉢 修道 会は
︑一 二二
〇年 代か ら一 三〇
〇年 まで の八
〇年 間の うち に︑ イタ リア 中に 約五
〇〇 もの 托鉢 修道 会の 教会 を建 築し てし まっ たが
︑そ れが 可能 だっ たの は︑ 都市 の富 裕層 のこ ころ をつ かん だこ とに ほか なら ない
︒ 一 二世 紀・ 一三 世紀 の時 代の 人び とに とっ て︑ ここ ろに 抱く 神は
︑こ の時 代に 隆盛 した ゴシ ック 大聖 堂な どの 教会 の色 彩豊 かな ステ ンド グラ スに 象徴 され るよ うに
︑光 り輝 き︑ 至福 の天 国を 意識 させ る存 在と なっ た︒ 大聖 堂は
︑俗 人と 聖職 者が とも に一 緒に なっ て築 いた もの で︑ 都市 に住 むほ とん どあ らゆ る階 層の 人び との 救済 を目 指す もの であ り︑ 同時 に都 市の 威光 の象 徴で もあ った
︒こ の時 代の 人び とは
︑旧 約聖 書の 不遜 なバ ベル の塔 の話 も恐 れず
︵あ るい
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
― 124 ―
は 忘 れ て︶
︑ 人を あ っ と言 わ せ よう と
︑天 空 を 目 指 し た 非 常に 高い 建造 物を 構築 した
︒そ こで は神 は︑ 仲介 を要 す るも のの 慈愛 深い
︑愛 に満 ちた 穏や かな 神︑ 一言 で言 え ば
︑﹁ 善 き 神﹂ とし て イ メー ジ さ れ た の で あ る
︒図 像 や 彫像 の多 くに おい て︑ キリ スト 像は
︑か つて モザ イク で 表現 され た教 会の 天井 から 威圧 して 見下 ろす 巨大 な成 人 のキ リス ト像 など
││ 例え ば︑ シチ リア のチ ェフ ァル の 大聖 堂の モザ イク 図3
﹁︽ 全 能の キリ スト
︾︵ 一一 六四 年
︶﹂
│
│で は な く︑ 慈愛 の 聖 母 に 抱 か れ た 幼 子
︑ほ ほ え まし い存 在│
│例 えば
︑図 4﹁
︽ 聖母 子像
︾︵ トス カー ナ 地 方︶ 一 二 八
〇 年 頃
︵ポ ル デ ィ
・ペ ッ ツ ォ ー リ 美 術 館
︑ミ ラ ノ︶
﹂
││ と して 表 現 さ れ た
︒今 で も ヨ ー ロ ッ パ を歩 くと
︑一 三世 紀頃 のの どか な聖 母子 像の 彫像 にし ば しば 出会 う│
│そ の制 作さ れた 聖母 子像 の量 はお どろ く べき もの であ った だろ う︒ 聖書 にも
︑ま た教 父の 書物
︵中 世 初 期︶ にも 記 載 され て い ない こ の 聖 母子 の あ り 方 の 解釈 は︑ 時代 状況 がキ リス ト教 のあ り方 を決 める 一例
図3 《全能のキリスト》1148年、モザイク、チェファルの大聖堂
― 125 ― 近
世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
で ある
︒ そし て︑ さら に注 意す べき こと に︑ この 時代 に おい てカ トリ ック 教会 は︑ 人び とを 広く キリ ス ト教 化し よう とい う観 点か ら︑ すで にあ った 民 間信 仰的 なも のを 寛大 に吸 収し て民 衆を 取り 入 れよ うと した よう に思 われ る︒ もと もと
︑中 世 の初 期の グレ ゴリ ウス 一世
︵在 位五 九〇
〜六
〇 四
︶は
︑異 教 徒 の 改 宗 に お い て︑
︽異 教 の 細 部 の要 素は 性急 に抹 殺し ては いけ ない
︒ま ず洗 礼 を施 し︑ 徐々 にキ リス ト教 化せ よ︾ と諭 して いる
︒こ のよ うに
︑民 間信 仰の 尊重 の姿 勢は
︑遠 い過 去か ら存 在 し てお り
︑中 世 後 期の 新 た な﹁ 産物
﹂と は い えな いが
︑既 に述 べた 三つ の﹁ 産物
﹂を 根底 から を補 強し
︑推 進す る要 素と なっ た︒ 先に 述べ たよ うに
︽煉 獄の 誕生
︾に は︑ 祖先 に対 して 生者 の働 きか けを 尊重 する 民間 信 仰 の 要素 が あ った よ う に︑
︽聖 母 崇 拝︾ も また キ リ スト 教 以 前の 地 母神 信 仰 の 要素 を も って い た︒ ま た︑
︽聖 人 崇 拝︾ も︑ 古 代の 英 雄 や多 神 教 的要 素 を 継 承し た 要 素 が 認 め ら れ る︒ ミラ ノの 大聖 堂︵ 図5
﹁ミ ラノ 大聖 堂の 聖人 像﹂
︶ には 外壁 だ け でも 二
〇
〇〇 体 を 越え る 聖 人 像が 据 え 付け ら れ てい る│
│守 護さ れて いる とい うべ きか
︒こ こで は民 間信 仰の エネ ルギ ーが カト リッ クの 聖人 に結 集し てい る︒ 聖 人に よる
︽と りな し︾ の考 え方 も︑ いか にも 当時 の封 建社 会の 上下 関係 を反 映し たも ので あっ て︑ 聖書 にこ の考
図4 《聖母子像》 1280年頃 トスカーナ地方 ポルディ・ペッツォーリ美術館、ミラノ)
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
― 126 ―
え方 は見 出し にく い︒ さら に教 会暦 の個 々の 行事
︵聖 誕祭 や復 活祭 など
︶の 設定 も︑ 冬至 や春 分な ど︑ 季節 性を 重視 した キリ スト 教以 前の 農業 社会 の風 習が 生き てお り︑ カト リッ クが 民間 信仰 的な もの を積 極的 に取 り込 んだ もの とい える
︒ も ちろ ん教 会は
︑時 代と とも に︑ キリ スト 教的 教義 の立 場か ら︑ 自然 崇拝 の民 間信 仰的 な風 習を 禁じ てい くよ うに なる
︒そ の風 習は しば しば 干魃 など の天 候の 悪化 に関 連が あっ た︒ 例え ば一 一世 紀の ドイ ツの ある 地域 では
︑長 く雨 が降 らな いと
︑異 教時 代以 来の 魔術 的風 習で ある 雨乞 いが 行な われ てい たと いう
︵そ の事 実が わか るの はそ れを 禁ず る と贖 罪 規 定 書に 書 か れて い る から で あ る︶
︒ その 風 習 で は︑ 大勢 の女 性た ちが ひと りの 少女 を全 裸に して 村は ずれ に連 れて 行き
︑そ こ で︽ ベリ サ
︵
belisa
︶︾ と 呼ば れ る 草を 探し て︑ それ を全 裸の 少女 に持 たせ て︑ さら に川 の近 くで 彼 女に 水 を か けて 呪 文 を唱 え た︒ そ れか ら 少 女 は︑
﹁カ ニ の よう に
﹂後 ろ 向 きに 歩 い て村 に 戻 った と い う︒ 教 会 は︑
図5 ミラノ大聖堂の聖人像
― 127 ― 近
世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
こう した 風習 を段 々と 抹殺 にか かっ たの であ る︒ 教会 は︑ こう した 行事 を贖 罪に よっ て禁 じて いっ たの であ る︒ こう して
︑カ トリ ック 教会 は︑ 異教 の風 習に 聖 人 を 対置 さ せ た︒ 宮庄 哲 夫 はこ う 言 う│
│﹁
︵ カト リ ッ ク教 会 は︶ 聖 人た ちの 豊か な信 仰の 宝︵ 功徳
︶を もっ て教 会に 連な る人 々を 救い へと 導く こと がで きる とし
︑そ の意 味で も︽ 教会 の外 には 救い はな い︾
︵
extra ecclesiam nulla salus
︶︒ こ の世 の救 済機 関と して
︑神 と人 とを とり なす 無比 の存 在で あっ た︒ 神と 人と の間 に教 会が 位置 づけ られ た中 世の 信 仰 世 界で は
︑人 は 教会 と 教 会が 認 定︵ 列 聖︶ す る聖 人 を 媒介 と し て︑ 神と 救済 に与 るこ とが でき たの であ る﹂
︒ 第四
節 カタ リ派 との 対決 から 再確 信し たも の│
│カ トリ ック の民 間信 仰と 包容 力│
│ 以 上で 述べ たカ トリ ック の産 物や それ に準 じた もの に対 して
︑こ とご とく 対決 する 教え が一 二世 紀に 生ま れた
︒そ れが
︑一 二世 紀後 半か ら南 フラ ンス など 特 定 の 地域 で 興 った 過 激 な﹁ 異端
﹂運 動 で あ り︑ カタ リ 派 と呼 ば れ た︵
﹁異 端﹂ の中 心が 都市 アル ビで あっ たこ とか ら
︑ア ル ビ ジョ ア 派 とも 呼 ば れた
︶︒ し か し︑ こ のカ タ リ 派の 存 在 は︑ 結果 的に
︑大 衆的 な要 素を 持つ カト リッ クの 長所 をむ しろ 浮き 立た せ︑ それ を優 位に 加速 させ るよ うに 作用 した とさ え思 われ る︒ カト リッ ク教 会は
︑も とも と包 容力 のあ る民 間信 仰的 要素 をも って いた が︑ カタ リ派 の運 動を 契機 とし てむ しろ それ をい っそ う浮 かび 上が らせ て︑ この
﹁異 端﹂ と対 抗す る強 力な 戦力 とし てし まっ たよ うに 思わ れる
︒こ のこ とに つい て︑ 次に 論じ よう
︒ カ タリ 派の 運動 は︑ 私見 によ れば
︑こ の時 代に 広が った
﹁富
﹂に 対す る不 安か ら反 応し た逆 説的 な運 動で ある と見 なせ る│
│つ まり キリ スト は天 国に 行け るの は貧 しき 者だ と教 え︑ 富を 悪と 見た
︒ら くだ の針 のた とえ やラ ザロ の話
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
― 128 ―
︵ ルカ 第一 六章 第一 九節
〜第 三一 節︶ など で 訴 えた
︒富 は 地 獄︑ 清貧 は 天 国と 結 び つ けた
︒そ れ ゆ えに こ そ︑ カ タリ 派は
︑︽ 清 貧︾ を旨 とし たの であ る︵ これ はア ッシ ジの フラ ンチ ェス コの 清貧 重視 の本 質に もい える
︶︒ さら に︑ すべ ての 者に 修道 士が おこ なう よう な戒 律を 一元 的に 要求 した
︵一 方︑ カト リッ クの 方は
︑聖 職者 と俗 人と に分 けて
︑戒 律は 修道 士の 方の みに 課さ れる
︶︒ 特 徴的 なこ とに
︑カ タ リ 派に お い ては
︑そ の よ うに 一 種 の エリ ー ト 主義 の 傾 向が 強か った
││ つま りカ タリ 派は
︑︽ 戒 律を 遵守 せ よ︒ ご く一 部 の 者し か 天 国に 達 し 得 ない
︒し か も︑ そ こに 誰 が 達す るか わか らな い︒ 戒律 と信 心し か な い︾ と 考え た
︒さ ら に︑ カタ リ 派 は︑
︽清 貧
︾を 重 ん じる と と もに
︑頑 な な まで に﹁ 性欲
﹂を 禁忌 する こと から
︑交 尾に よっ て生 まれ たが ゆえ に獣 肉 を 食べ ず
︑菜 食 を 中心 と し た
︒ こう し て 彼ら は非 婚さ え要 求し た︒ ま た︑ カト リッ クに おい て︑ 一二 世紀 末に 誕生 し︑ 一三 世紀 に普 及し た煉 獄に つい ては
︑カ タリ 派は
︑そ のよ うな も のは 存 在 せ ず︑ 死者 の 供 養は 無 効 であ る と 考 えた
︵│
│異 端 の 一派
﹁ワ ル ド 派﹂ も 同じ 考 え 方 を し た
︶︒ そ も そ も生 前の 罪が 死後 に赦 され るこ とは あり えな いと
︑後 のル ター のよ うな 考え 方を 展開 した
︒さ らに
︑カ タリ 派は
︑キ リス トの ため に努 める 生者 にと って 聖人
・聖 母の 崇拝 は無 効で ある
︒そ もそ も聖 人が 生者 のた めに とり なし をし て祈 るよ うな こと はあ りえ ない
︒﹁ 救 済さ れる 者﹂
︑﹁ 救 済さ れな い者
﹂︑ それ はす でに 決ま って いる と考 えた
︵こ れも プロ テス タン トの
﹁予 定説
﹂の 考え と一 致し てい る
︶︒ カ タ リ派 に お いて は
︑ち ょ うど ル タ ー の神 学 の よう に
︑理 詰 めの 一貫 した 神学 理論 の要 素が 強く
︑そ こで は民 衆的 な信 仰様 式の 多く は否 定さ れて いる
︒こ うし て︑ カタ リ派 にお いて は︑ 救済 は閉 鎖的 ない し限 定的 であ った
︒ 一 方︑ カト リッ クに おい ては
︑﹁ 異 端﹂ に反 発 し て︑ 救済 は
︵形 式 を踏 む 限 り︶ すべ て の 者 に開 放 さ れて い る と説
― 129 ― 近
世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
いた
︵こ れ は クレ ル ヴ ォ ーの ベ ル ナル ド ゥ スの 雅 歌 に つい て の 説教 か ら もわ か る
︶︒ こ こで カ タ リ派 は
︑む し ろカ トリ ック の抱 いた 確信 を加 速さ せる よう に作 用し たの であ る︒ カタ リ派 は︑ ひと つに
︑物 理的 には フラ ンス 王の 軍事 力に よっ て壊 滅さ せら れた が︑ ひと つは
︑教 義的 な戦 力 に よ って 壊 滅 させ ら れ たと い え る かも し れ ない
︒す な わ ち︑ 教義 的な 戦力 とは
︑カ トリ ック 側の 教義
︑つ まり 救済 が広 く人 びと に向 けら れた 高い 開放 性の 教義 にも とづ くも ので ある
︒│
│カ トリ ック 陣営 は︑ 手兵 の托 鉢修 道士 を都 市に 配置 し︑ 煉獄 を広 く受 容さ せる こと によ って
︑罪 人の 浄罪 の可 能性 を教 え︑ 死者 に対 して 生者 が祈 り︑ 罪の 浄化 に関 与で きる こと を教 えて
︑天 国へ の段 階的 上昇 を教 えた ので ある
︒さ らに
︑人 びと が︑ 例話
・聖 人伝
・絵 画・ 聖歌 を通 して
︑ま た巡 礼に よる 聖遺 物︵ 聖人 の遺 物︶ を通 じて
︑聖 母と 聖人 や教 会の とり なし を祈 願す るこ とで
︑人 びと が犯 した 罪は 神に よっ て軽 減さ れた り︑ 解消 され たり する 可能 性を 教え たの であ る︒
││ そも そも カト リッ ク教 会は ほと んど すべ て聖 人に 捧げ られ
︑聖 人の 名前 を冠 して いる ので ある
︒ こ うし て托 鉢修 道会 は︑ 信徒 がみ ずか ら体 で日 々感 じる 実感 とし て︑ 民衆 的な 基盤
︑民 間信 仰を ある 程度 まで 受容 しな がら
︑新 築さ れた ばか りの 托鉢 修道 会の 教会 にお いて
︑日 常的 に七 つの 秘跡
︑特 に終 油の 秘跡 の形 式的 実践 を提 供 した
︒こ れ に よ って 都 市 の人 び と を心 底 か ら 救済 の 確 信へ と 導 い たの で あ る︒ これ は 信 徒に 提 示 さ れた 希 望 で あ り︑ 飴で あっ た︒ もち ろん 安易 に そ れ ばか り で はな く
︑他 方 で鞭
││ 煉 獄・ 地獄
││ も 提 示さ れ た︒
﹁ 教会 は 恐 怖と 希望 を交 互に かき 立て て︑ 人間 が恩 寵の 手段 を利 用す るに つい て︑ あま りも 安易 であ りす ぎた り︑ 反対 に︑ あま りに も自 信を 失っ て硬 くな りす ぎな いよ うに と図 った
︒﹂
︵ R・ ベイ ント ン︶ な お そ れ ぞれ の 地 域に は
︑教 区 教会 と 教 区 司祭 が 存 在し た が︑ 魅 力的 な 説 教 など 勢 い のあ る 托 鉢修 道 士 を 前 に し
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
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て︑ 完全 に圧 倒さ れて
︑司 祭不 在の 教区 も少 なく なか った
︒
︽善 き神
︾の も とで 築か れた 中世 後期 の三 大構 築体
︑す な わち
︑ゴ シッ ク建 築︑
﹃ 神学 大全
﹄︑
︵ 少し 遅れ るが
︶﹃ 神 曲﹄
︑ この 三者 は︑ それ ぞれ 信頼 する 神を 中心 軸に して
︑宗 教的 合理 主義 のも とに そび え立 つ壮 大な 構築 体で あり
︑そ の段 階的 な積 み上 げら れる 構成 と内 的な 整合 性を もっ て築 かれ た中 世後 期の 三大 遺産
︑三 大シ ンボ ルで ある とい えよ う︒ 第
三 章
︽ 峻 厳 な神
︾ と ドイ ツ に おけ る ペ スト の 流 行 第一
節 立ち こめ る暗 雲│
│︽ 人を 死に 追い やる 神︾
││ と ころ が︑ 今や 神は
︑︽ 人 を死 に追 いや る神
la divinità moritifera
︾︵ デ ィン ツェ ルバ ッハ ー︶ とな って しま った ので ある
︵図 6︽ 疫病 の神 罰と 慈悲 の聖 母︾
︶︒ こ の意 味で
︑一 三四 八年 に疫 病死 し た ドイ ツ の 福 者ヴ ィ ッ テテ ィ ヘ ンの ルイ トガ ルト
︵一 二九 一〜 一三 四八
︶の いう こと ばは 痛切 であ る│
│﹁ 神は
︑鶏 を絞 め殺 すよ うに
︑人 びと を絞 め殺 すこ とを 望ん でお られ る﹂
︒ こ の畏 怖の 念の もと に︑ ドイ ツの 人び とは
︑一 五世 紀の フィ レン ツェ に見 た︽ 峻厳 な神
︾と 同様 のも のを 認め たよ う に思 わ れ る︒ す なわ ち
︑先 の 拙稿 で 見 たよ う に
︑フ ィ レン ツ ェ の人 び と は︑ ど うに か し て貧 民 救 済 な ど の 慈 善 活 動︑ 教会 への 寄進 をお こな って 神の 怒り を鎮 め︑ 人間 との 和解 を回 復し よう とす るも ので あっ た︒ 例え ば︑ 一四 一七 年 六月 一 五 日 のフ ィ レ ンツ ェ の 都市 政 府 の 協同 機 関 の議 事 録 に は︑ およ そ 次 のよ う な 内容 の 市 民 の発 言 が 認め ら れ る
│
│
― 131 ― 近
世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
︽
・
・
・ 疫 病 が 迫 っ て い る の で
︑ 神 に 対 す る 我 々 の 義 務 を 認 識 し
︑ 我 々 の 体 制 を 守 る た め の 準 備 を す る 必 要 が あ る
︒ ま ず
︑ 困 窮 し て 生 活 に 困 っ て い る 者 た ち に 施 し 物 を 配 給 す る べ き で あ る と 考 え る
︒︾
︵ ア ン ト ー ニ オ
・ ア レ ッ サ ン ド リ
︶
︽ 今 飢 え 死 に し つ つ あ る 困 窮 者 や 貧 民 を 助 け る こ と
︑ こ れ 以 上 に 神 を 喜 ば す も の は な い
︒︾
︵ マ ル シ リ オ
・ デ ィ
・ ヴ ァ ン ニ
・ ヴ ェ ッ キ エ ッ テ ィ
︶ 実に
︑こ れと 同様 のこ とは ドイ ツ の一 五・ 一六 世紀 にお いて もま た 広く 認め られ た︒ 例え ば︑ ニュ ル ン ベ ル ク の 都 市 の 参 事 会 は︑ 次 々と 襲い 来る 神罰 とし ての ペス ト に 対 処 す る た め に︑ 一 四 八 三
図6 《疫病の神罰と慈悲の聖母》 1424年、ニーダーザクセン州立美術館(元 ゲッティンゲンのフランチェスコ教会所蔵)
研究者ディンツェルバッハーは、14世紀になって神は《人を死に追いやる 神》となってしまったと言い、さらにこう言う──「人間にとって神は近寄る ことができない。なぜなら、神は仲介者を要求するからである」。ここではゲ ッティンゲン(アイゼナハとハノーファーの間に位置)の人びとは疫病の猛威 を前にフランチェスコ会と聖母に、ただただとりなしを祈願するばかりであっ た(P. Dinzelbacher, “La divinità mortifera,”La peste nera : dati di una realtà ed elementi di una interpretazione,Atti del XXX Convegno storico internazionale, Todi, 10−13, ottobre. 1993, p.148.)
近 世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配
― 132 ―
年︑ 一五
〇三 年︑ 一五 二二 年に 聖セ バル ド ゥ ス︑ 聖 ロー レ ン ツ教 会 に 対し て
︑神 に 祈 念し て
︑﹁ 祈 願行 進
﹂を す るこ とを 命じ てい る︒ また
︑一 五〇 五年 には
︑同 じ く こ の都 市 の 参事 会 は︑ 公 式見 解 と し て︑
﹁贖 罪 を なし
︑神 を 何 より も愛 し︑ 神を 恐れ
︑神 の掟 を守 るこ とが
︑最 高の 薬で あり
︑最 も 確 かな 道 の 一 つで あ る﹂ と 述べ て い る
︒ また
︑ハ イル ブロ ンの 都市 参事 会も
︑同 じ趣 旨か ら一 五〇 一年 から 二三 年の 間に 教会 に祈 り︑ 行進 する こと を命 じて いる
︒ま た︑ 一五
〇五 年︑ ニュ ルン ベル クの 女子 修道 院の 管財 人の S・ トゥ ーハ ーは
︑ペ スト を免 れる には
︑改 悛を もっ て神 に祈 り︑ 神と 宥和 する こと であ ると 論じ てい る︒ さら に︑ 南ド イツ のウ ルム の一 四二 六年 の奢 侈条 令は
︑ま さに
︽峻 厳な 神︾ を意 識し て制 定さ れた もの で ある
││ す な わち
︑そ の 制 定の 目 的 は︑
﹁神 が 過 度 の自 惚 れ や︑ その た め に費 やさ れる 余計 な出 費を 常に 何よ りも 先に 懲ら しめ 給う てき たこ とを 考え
・・
・俗 世で 死を もた らす 災厄 や他 の災 厄と とも に生 じて きた 重大 な諸 事件 に鑑 みて
︑神 の栄 誉と 共同 の利 益と 善の ため
﹂で あっ た
︒ ま た︑ ドイ ツ西 部の シュ パイ アー にお いて 制定 され た一 三五 六年 の奢 侈条 令も
︑同 様に 冒瀆 に怒 った 神の 災厄 を恐 れ て制 定 さ れ 旨が 明 記 され て い る
│
│︽ 我々 は 現 在︑ 損 害が も た らさ れ て い るの を 認 めた
︒こ の 罪 は 神 を 冒瀆 し︑ 人々 に有 害で あり
︑今 やそ のこ とは 地震 や大 いな る災 厄に よっ て遍 く明 らか にな り︑ その 結果 都市 や農 村の 人々 は苦 しみ
︑肉 体も 財産 も被 害を 被っ てい るの であ る︾
︒ 第二
節 一五 世紀
・一 六世 紀の ドイ ツに おけ るペ スト の周 期性 ま ず︑ 先に 述べ たド イツ の人 びと の︽ 峻厳 な神
︾の 心性 に対 して 作用 した ペス トの 広汎 な流 行と 周期 性を 確認 しよ う︒ その 心性 は︑ 当然 なが ら︑ 一五 世紀 末︵ 一四 八三 年︶ に生 まれ たル ター の抱 く︽ 峻厳 な神
︾に つな がる もの であ
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世 に お け る ペ ス ト の 苦 難 と
︽ 峻 厳 な 神
︾ の 支 配