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1590年代の英国におけるRichard IIにまつわる主題 と検閲

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1590年代の英国におけるRichard IIにまつわる主題 と検閲

著者 勝山 貴之

雑誌名 主流

号 56

ページ 1‑18

発行年 1995‑02‑25

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015116

(2)

1 5 9 0 年代の英国における R i c h a r d  I I   にまつわる主題と検閲

勝 山 貴 之

演劇の持つ反乱的要素を証明しようとする新歴史主義批評家や文化唯物主 義批評家たちは,自分たちの議論を正当化するひとつの証拠として,作品 Richard IIがEssex反乱事件の前日に上演された事実をしばしば引用する.

反乱事件の前日, Essexの勝利を念願する者たちは,役者たちに特別の報酬 を約束して作品Richard11の上演を依頼した.そればかりか

E l i z a b e t h

自身 が口にしているように,

R i c h a r d  I I

を題材にした芝居は女王の最晩年,市中 いたるところで

4 0

回以上も上演されたという

作品Richard11に対するこのような批評家たちの解釈に,近年, Leeds 

B a r r o l l

を始めとする研究者たちから批判の声が上がっている 2もともと Richard IIについては,その時事的危険性をめぐって既に

1 9 2 0

年代に激しい 議論が交わされていた.3

B a r r o l l

たちの指摘によれば,そうした議論もかえ りみないまま,新歴史批評家たちは,歴史の中の反乱的要素を強調しようと するあまり,作品Richard11とEssexの反乱事件の関係を短絡的に肯定し,

歴史的事実を無視して議論を進めているというのである.むしろ現存する証 拠はいずれも,当局が芝居Richard11を危険視していなかった事実を物語っ ているという 4

Richard IIの時事的危険性を認めようとしない

B a r r o l l

らの主張によれば,

まず反乱事件の前日に上演に関係した者たちは,いずれも厳しい裁きを免れ ているばかりか,実際,上演に携わった役者たちも一切罪を関われてはいな

(3)

2  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検閲

い.それどころか劇団はその後も宮廷での上演を許可されている.つまり枢 密院は決してRichardIIを危険なプロパガンダとは見ていなかったのであ る 次 に , 当 時ElizabethをRichardIIにたとえる風潮があったというが,

果してそれはどの程度信頼のおける事実なのかBarrollたちは疑問であると いう. しばしばこれらの風潮を立証するものとして,ひきあいに出されるの が,ふたりの宮廷人, Sir Francis Knol1ysとHenryCarey, Lord Hunsdon  (Chamberlaine's father)の残した記録である. しかしこれらはいずれも10年 近くまたは15年ほど前の記録なのであって, 1595年当時としてはあまりにも 遠い過去の事実に過ぎない更に ,RichardIIの時事的危険性を指摘する際,

度々王の廃位の場面が検閲により削除されている問題がとりあげられてき た. しかし,この点に関しでも,果して本当に削除されたのか,それとも最 初からその場面が存在しなかったのかは非常に難しい問題である.検閲によ る廃位の場面の削除を証明できない以上,この点を根拠にRichard11が危険 な芝居であったとは結論できないはずで、あると Barrollたちはいう 7

こうした観点から,彼らは当時の政府が警戒していたのは, Shakespeare  のRichardIIではなく,むしろ Sir

ohn Haywardの筆になる歴史書 The Life and Reign of Henry the IVであると結論づける.1599年3月に出版され たこの書物はその題名にこそHenryIVの治世と詠っているものの,内容は Richard IIとHenryIVの政権交替を扱ったもので, Essex伯爵に捧ぐとの ラテン語の献辞が付されていた.政府はこの書物の危険性に目を向け,まず 献辞の削除を命じたが,最終的には全面的出版禁止処分とし,既に印刷され たものに対しては焚書を命じた.しかし,その時点で約1000冊以上が市中に 出回っていたという.1599年に禁書ということで決着のついていたはずのこ の書が,再ぴ政府の調査の対象になるのは, 1600年7月, Essex伯がアイル ランドから女王の許可を得ずに帰国し,その罪に対して裁判の行われた1ヶ 月後のことであった.Haywardはこの時,政府側から再度,尋問を受け,

最終的に彼の歴史書はEssex伯の謀反の計画を立証するひとつの証拠とし

(4)

1590年代の英国における

R i c h a r d

IIにまつわる主題と検閲 3  て政府当局から糾弾されることとなった.この歴史書摘発の経緯からもわか るように,本来,

R i c h a r d  

IIの治世を扱った内容に問題があったのではなく,

そこに附された

Essex

への献辞に問題があったのではないか.そして,こ の歴史書から,

E l i z a b e t h

R i c h a r d

に,そして

Essex

Henry

にたとえ る傾向が世間に広まったと

B a r r o l l

らは主張する.

E l i z a b e t h

の発言をも含めて,当時の人々が

Essex

との関係で

R i c h a r d

II  のことを口にする時,人々の念頭にあったのは常にこの

Hayward

の歴史書 であり,市中で演じられた芝居とはこの書物の舞台化であった.当局は,こ の歴史書に掲げられた献辞から,

Essex

の謀反の証としてこの歴史書を危険 視したのであって,あくまで

R i c h a r d

IIという主題そのものが危険である

とされた記録は存在しないと

B a r r o l l

たちは結論するのである 8

しかし,

B a r r o l l

たちの言うとおり,本当に

R i c h a r d

IIの主題そのものは,

当時の社会において危険なものではなかったのであろうか.ここでは,

Leeds B a r r o l l

を中心とする批評家たちの主張を再検討しながら,彼らの挙 げている歴史的証拠を今一度考察すると共に,時代の大きな流れにも注目し てみることによって,果して彼らが言うように,本来

R i c h a r d1 1

は危険な芝 居ではなかったと言い切ることができるのかどうか,再考を試みることとし

てみたい.

まず,議論の中で

B a r r o l l

たち批評家は,当局の

R i c h a r d1 1

上演に対する 反応を問題にしている.確かに,

Essex

反乱事件前日の上演に関して,上演 を依頼した者たちが比較的軽い裁きしか受けていないばかりか,実際に上演 に携わった役者たちもなんら政府からとがめを受けた形跡はない.では,

r R i c h a r d

王の芝居は昔のもので,長い間使っていないので客はほとんど来 ないだろう

J

との宮内大臣一座の座員

A u g u s t i n eP h i l l i p s  

は証言について,

そのことばをそのまま鵜呑みすることができるだろうか.

P h i l l i p s

の証言は,

(5)

4  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検閲

Essex反乱事件との関連で,反乱前日に七演されたという RichardIIの芝居 の関係者を尋問する裁判の場においてなされたものである.役者たちは,自 分たちの無罪を証明するために,作品の持つ時事的問題を自分たちが全く理 解していなかったことを当局に訴える必要があったにちがいない.尋問を受 けた役者たちはこのように証言することによって,また報酬についても「ふ つうよりも40s.多く出そう」と約束してくれたことを強調することによっ て,それはあくまで金銭目当ての仕事であって,自分たちが依頼者と共犯関 係にはないという印象を当局に与えようとしていただけであるとも考えられ

る.

確かにこの件に閉じて,芝居の依頼者は罰せられたものの,役者ーたちが罰 せられたとの記録は残っていない. しかし, Essex伯の反乱事件に関する政 府側の対処を考える時,果して役者たちを裁くことがそれほど重要なことで あったであろうか.当局側にしてれば,反乱分子たちが劇団に王の廃位を描 いた芝居の上演をわざわざ依頼していた事実をつきとめ,反乱の首謀者たち の謀反の立証をしていくことは重要であるとしても,金銭目当ての公演で あったことを主張する役者たちを検挙することなど,事件の性格上たいした 問題で、はなかったはずで、ある

それでは,劇の上演にあたった劇団員が処罰を受けなかったことが,即座 にRichardIIという題材が当時の政府にとって危険なものではなかったと するだけの根拠になりうるだろうか.Barrollたちの論文を読んで、疑問に感 ずるのは, Richard IIの主題をめぐる1590年代という時代との関連性に対す る考察の欠如である.ShakespeateのRichardIIを考える時, 90年代という 時代に起こった社会構造の変化,しいては価値観の変化というものも考慮に 入れたうえで,同時代の他の作品に登場する RichardIIの主題をも考察し てゆく必要があるはずである.むしろ RichardIIという主題が90年代をと おして有名なものであったことは,時代を再考するなかで明らかになる.

90年代という時代はスペインの無敵艦隊に対する大勝利をおさめたイング

(6)

1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検問 5  ランドにおいて,その愛国心の高揚という表面的な華やかさとはうらはらに,

Elizabeth治世の抱える様々な問題のふきだしてきた時代でもあった.実際,

スペインに対する勝利の陰で,戦費の調達はただでさえ潤沢とは言い難い国 庫に大きな負担を負わせ,その対策とじて政府のうちだした増税政策は国内 に多くの不満の種を蒔くこととなった.これら国家予算の困窮に追い打ちを かけるかのように, 1594年から1597年にかけて凶作がイングランド農民を襲 い各地で反乱が勃発した.また度重なる疫病の蔓延,戦争によるインフレー ションなどにより,貧富の差が一層広がり,民衆の生活は決して楽なもので はなかった.

更に, Elizabethが大貴族の影響力を退けるため,枢密院に中位階級出身 の多くの政治家を採用したことは伝統的な干士会階級に混乱をきたし,世襲貴 族たちの反発をかうこととなった.こうした血統を誇る大貴族と一般政治家 たちの摩擦は,後にEssexとCecilの衝突となってElizabeth政権を揺るが せることとなるのである.ElizabethをRichardIIにたとえる SirFrancis  KnollysやHenryLord H unsdonの記録は古いものであるが, 90年代になっ てそれはより深刻な意味あいを持つようになってきたことは否めない 10

このような時代の空気が,当時の劇作品の中に様々な形で反映されている ことを無視してはならない. 1591年頃の作品と推定される TheLife and  Death of Jack Strawは14世紀に起こった重税に対する農民の反乱を描いてい るものの,それは90年代に問題となった政府の税制や民衆の問の貧富の差の 拡大に対する人々の不満をうかがわせる.作者はRichardIIの治世1381年 に時代を設定することによって,間接的に 1590年代当時の世相への批判をそ こに展開しているのである.また体制側がこのような時事的危険性をIともな う作品に,検閲という手段でどのように介入じているかということは注目に 値する.この TheLife and Death of Jack Strawでは,作品の冒頭,この Richard IIの治世下に起こった農民の反乱が王の徴税人の殺害をきっかけ に始まったとされる. しかし,劇の展開の中で、反乱の主題が脇へ追いやられ

(7)

6  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検閲

てしまうことや作品全体に漂う統一性の欠如は,オリジナルと1593年に出版 された現存のテキストとの聞に検聞が関与した可能性をうかがわせるもので ある 11

作品JackStrawの転覆性に注目するなら,作者不明の Tlwmasof Wood.  stock (1593‑94年頃の作)はより大胆な形で反動的要素を含んでいるという 点において一層興味深い.この作品は上演用の原稿が現存しているだけで,

印刷出版された形の台本としては存在していないばかりか,実際に上演され たのか,またどの劇団が所有していたのかすら不明である.作品の中で若き Richard IIは貧欲な側近連中の言いなりとなり,賢明な忠告者の助言を退け,

民衆を重税で苦しめる.作品の主人公Thomasof W oodstock, Duke of  Gloucesterは,それでも王への謀反は神に対する反逆であるとの封建社会 のおきてを主張し,暴君であってもそれを神の意志としてその圧政に堪え忍 ぶのが臣下の勤めと説いて,自らの死をもって自分の信念の証とするのであ る. しかし, Woodstockの死後,貴族たちは暴君に対する反乱の正当性を 主張し,王とその側近たちをたおすべく民衆とともに立ち上がることとなる.

原稿の最終ページが欠落しているため,劇の結末は知るすべもないが,その 主題が90年代のイングランドの状況と重なってくることは明らかである.(作 品中,王の側近たちが仮装した姿でWoodstockの屋敷へ侵入する場面にお いて,彼らを先導する人物がElizabethの象徴ともいえる月の女神Cynthia に扮装している点を見のがしてはならない.)更に,作品と検閲との関係を たどるならば,Woothckは多くの示唆をわれわれに与えてくれる.現存す るテキストは作者のオリジナルから書き移された清書版と考えられるが,多 くの人々の手が入り台詞が削除された跡が残されている.改変は主に Richardに対する真っ向からの非難や,民衆の反乱への言及,もしくは反乱 を宣言するといった文言に対して行われ,削除の指示が与えられている.従っ てテキストに残された削除の跡は,おそらく検問官の指示を受けて作者また は劇団側が手を加えたものであろうと推測されるのである 12またこの作品

(8)

1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検問 7  には,筋の展開の中に政府を風刺するざれ歌と,それを取り締まろうとする 政府の役人の耳目│きが挿入されており,当時の体制側の弾圧とそれに対する 抵抗の様子がうかがわれる .

J a c k  S t r a w

にしろ

W o o d s t o c k

にしろ,民衆クロ ニクル劇に対する当時の検閲が,作品の主題そのものを禁ずるのではなく,

直接的・表面的なものに終始している点は注目に値する.

当時の劇作品以外にも間接的ではあるがRichardIIにふれたものを挙げ るとするなら,イエズス会士RobertParsonsが自分の素性を隠lR. Dole‑ manの名で1594年 に 出 版 し た 論 説

A C o n / e r e n c e  a b o u t  t h e  s u c c e s s i o n  t o   t h e   C l o

ωπ

0 /   E n g l a n d

を忘れてはならない.Parsons はそのなかで宗教上の理由 があれば王の後継者に関して臣民が決定する権利があると主張し, Eli‑ zabethの後継者としてInfantaof Spainの正当性を説いた.そして議論のな かで過去の歴史からRichardIIの例が引かれ,王の廃位の正当性を認める 発言がなされていたのである.この書の時事的危険性についてはSirJohn  Haringtonの残した作者への非難がその要点をついている.

. . . you harp on a seditious string of deposing of Princes for disabili‑ tie  and weaknes, and  that  in  such  a tyme, when malcontentes  so  abound in citie  and countrye, when in  the Court thcommonphrase  of old srvantesis  that  their is  no commiseration of any man's dis‑ tressed estate, that  a few favorites  gett  all, that  the  nobi1itie  is  de‑ pressed, the Clergy pil1ed and contemned, forraine invasion expected,  the  treasure  at  home exhausted, the  coyne in  Ireland  imbased, the  gold of England transported, exactions doubledndtrebled, and al1  honest hearts. . . . troubledY 

ここに挙げられた Elizabeth治世の抱えた問題点のいくつかは,そのまま Richard IIを主題とする劇作品のなかに描かれた王に対する不満と重なりあ うことは明らかである.Dolemanの書物は出版されるなり,女王の後継者

(9)

8  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検問

問題という最も危険な題材を真正面から取りあげた謀反の書として,たちま ち政府の警戒するものとなった.この書のように,女王の後継者問題をおおっ ぴらに議論したり,政府の政治姿勢を直接批判するような場合,当局はその 弾圧の手を緩めることはなかったのである.書物は出版禁止処分となり,そ れがEssexに捧げられていたことから, Essexは一時窮地に立たされたと

14 

u

、 つ .

1595年に登場したと考えられる ShakespeareのRichard11を議論しようと する時,このような時代とそこに現れた一連の作品の流れを無視して語るこ とはできないはずで、ある.Shakespeare作品のなかでも,その扱いかたに程 度の差こそあれ, Richard II治世下の税金問題や王の側近問題が取り上げら れ当時の社会の時事的問題と重ね合わされていることは指摘するまでもな い.15 Shakespeareの作品は ,Jack Strawや Wooa伝tockに代表される民衆ク ロニクル劇の中に流れる貧農イデオロギーのエネルギーをその中に取り込ん でいたであろうし,新興貴族たちの台頭による既存の階級社会の浪乱も作品 の中に吸収していたはずである.当時の社会を生きる民衆にとって,

Richard IIの主題は特別の意味を有するものであり,おそらく Shakespeare もそうした時代の雰囲気に敏感に反応していたであろう.

Shakespeareの場合, Arden版の編者PeterUreやCambridge版の編者 Andrew Gurrは, deposition sceneは検閲によって削除されたにちがいない としている 16しかし,現存のテキストからだけではUreやGurrの主張を 確証できない以上, Barrollたちの主張するように,廃位の場は最初から存 在しなかったのだという説を否定じてしまうことは難しい.従って廃位の場 の削除を理由にShakespeareのRichard11を危険な芝居と断定することはで きないかもしれない. しかし,Jack Stra

τ u

やWoodstockに影響した検閲の圧 力がまったく Shakespeareには及ばなかったとするのは,むしろ不自然で、

はないだろうか.Shakespeareも当局の検閲組織と様々な駆け引きを行なっ ていたのではないだろうか.Richard IIの回折版の出版に携わった者たちは

(10)

1 5 9 0

年代の英国における

R i c h a r dI I

にまつわる主題と検閲

政府の検閲のことをまったく心にかけず¥楽々と出版にこぎつけたと考えら れるだろうか.上演にいたる,あるいは出版にいたる過程に,検閲と作者の なんらかの攻防があったはずであり,当時の社会において

R i c h a r dI I

の主 題は,そうした検閲の介入なしには済まされない題材であったはずである.

当時の検閲の状況を見る限り

B a r r o l l

たちが考えるように発禁処分や上 演禁止処分になっていなし3からといって,それが当時の体制側にとって危険 な題材ではなかったとは,とうてい言い切れない.当時の劇団にとって観客 の噌好に応え,政局に対する批判や民衆の不満の芦を代弁することが,当局 の取締りを前にして危険でありながらも荷業的には誘惑の多い題材であった ことは容易に推測される.これに対して当時の検闘がかなり許容範囲を持っ ていたことも事実である.当時の役職は,それにまつわる利権と大きくかか わっており,

M a s t e r  o f  t h e  R e v e l s

は劇作品の検閲をすることで,劇団側か ら検閲料を徴収していたため,どの程度検聞が公平になされたかは判断し難 い問題である.17Jack Strawや Woodstockの例が示すように,検閲官が気に 入らない場面を削除させるか書き直させることで,作品全体の上演や出版は 許可されている.作品に残されたわずかな手がかりをたどる限り,当局の検 聞は時事的関連性のある台詞や場面に対する部分的修正または削除の指示に とどまっており,いずれも非常に表面的な作品解釈にすぎないといえる.検 閲側も検閲料をとる以上,よほどのことがない限り全面的上演禁止には踏み 切らなかったのであろう.更に,演劇というジャンルについていうなら,検 問官に提出される台本と実際の上演の相違は当然起こりうることである.そ こでは,台本になかった台詞の追加はもちろんこと,役者の表情,仕種,服 装,小道具にいたるまで,検閲官の予期せぬ演出や即興の演技が展開される ことは充分考えられる l8当局の弾圧をかいくぐり,劇は舞台上に様々な形 で、転覆的要素を展開していたと思われる.

B a r r o l l

たち批評家がするように,

上演禁止や台本の出版禁止といった公的記録をひとつの尺度として劇の危険 性・転覆性を云々することはできないのである.

(11)

10  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検閲

Richard IIの時事的危険性を認めようとしない批評家たちは,危険で、あっ たのはHaywardの歴史書の内容よりもそこに付されていたEssexに捧げる という献辞そのものであるとし,この書から ElizabethをRichardIIに, EssexをHenryになぞらえる風潮が始まったとしている. しかし,もっと 以前からEssexの周辺ではそうした風潮が生まれつつあったのではないだ ろうか.現存する限られた証拠からこの事実を証明することは難しい. しか し,いくつかの記録から,その可能性をさぐることはできそうに思われる.

1601年2月,星室庁においてなされたEssexに対する裁判において,

Cecil は伯爵がここ 5,6年の間,英国王になることを企んでいたと,

Essexの罪科を糾弾している 19このCecilの証言は, 1594年に出版された Dolemanの書物のことを想起させる.

ohn of Gauntの子孫であることを理 由にInfantaof Spainの王位継承権を主張していたこの書物は, Essexに捧 げられたことでEssexを窮地に立たせることとなったが, Essexの伝記作 家によれば,そこには特に伯爵自身の血統,すなわちEdwardIIIの第六子 Thomas of Woodstock, Duke of Glaucesterの子孫であることを,誰かが 持ち出して聞もない時期であったことも大いに関係しているという 20

Essexの王位継承権が問題となっていたことは,後の1599年,伯爵がアイル ランド遠征の指揮官をかつてでたことをめぐる宮廷内での噂の中にも辿るこ とができる.William Camden はEssexの行動に対して次のように記して いる.

and in  such sort  did he bear himselfe, that  he seemed to  his  adversaries  to  wish nothing  more, thnto  have an army under his  command, and to binde martiall men unto him; and that with such ear‑ nest seeking, that some feared lest he entertained some monstrous de‑

(12)

1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検閲 11  sign, especially  since  he  shewed  his  contumacy  more  and  more  against the Queene that had beene most bountifull to him,and his fol‑ lowers made great crakes, as that he was descended from the Royall  family of the Scots、 . . . . That hereupon he had better title  to  the  Scepter of England, then any other competitors, whose titles  (except  that of the  Infanta of Spain) Dolemans booke dedicated to  him had  confuted.21 

Camdenの言うとおり, Essexの王位継承権については, Dolemanの書物 が世に関われた時期から既に人々の頭にあったのである.

1599年以前に既にCecilたちの間で, Richard IIという主題がなんらかの かたちで話題になっていたことは当時の書簡からも窺われる.Essexを交え た会食の後, Raleighから Cecilにあてられた1597年7月6日付けのやや謎 めいた手紙の中には, CecilがRichardIIを話題にとりあげていたらしいこ

とカf記されているのである.

1 acquainted my Lord Generall [Essex) with your letter  to  me, and  your kind acceptance of your entertainment.  He was also wonderful  merry at  your conceit of Richard II.  1 hope it  shall never alter, and  whereof 1 shall  be most glad of, as  the ture way to  our good, quiet,  and advancement, and most of al1  for  her sake whoseaffairs shal1  thereby find better progression, Sir, 1 will ever be yours; it is  all  can  say and 1 will perform it  with my life and with my fortune.22 

ここに記された conceitof Richard II"がいったい何を意味するのかは不明 である. しかし,意図してあいまいに記されたように見受けられるこの手紙 は, RaleighとCecilの栽密さを物語る点で重要なものであろう.この時期,

RaleighとCecilはEssexに努めて親しくみせかけていたが,この手紙から

(13)

12  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検閲

も推測されるようにRaleighはある程度Cecilの指示を受けて, Essexの内 心を探っていたのかもしれない.いずれにしても, Essexの王位継承権の噂 とRichardIIの主題は同時期に宮廷内に見え隠れしながら存在していたと

,考えられる 23

こうした点から, Essex派の人々の問に浸透していた政治思想を考察して おくことは重要である.Richard IIの時事的危険性を認めようとしない批評 家たちは, Haywardの書物の内容そのものは危険ではなかったとしている が,果して本当に危険ではなかったのであろうか.Haywardがその序文の 中でTacitusの名に言及しているように,この歴史書は当時大陸で再評価さ れ人気を博していたローマの歴史家CorneliusTacitus (5日‑120?)の歴史 観にたった歴史書であった 24大陸における Machiavel1iの政治思想が人々 の関心を集める中, Machiavelliと同じく,歴史家の仕事は歴史を単に物語 るのではなく,歴史的事件の原因や動機を分析し説明しようとすることであ るとするTacitusの手法は過去をみなおす新じい手段であった.歴史の出来 事の陰にある人間性を解き明かそうとするTacitusは,歴史を築き上げてい くのは,神ではなく人間の意志なのだと考え始めた人々に大いに歓迎された のである.イングランドにおいては,当然のことながらまず大陸の思想に通 じた知識階級の間に Tacitusは伝わった.既に1580年代に

J

ean Hotman,  Henry Cuffe, Thomas Savile, William Cameden等の知識人がOxfordに 集まってTacitusを読んでいたという記録が残されている 25そしてこの Thomas Savileの兄弟HenrySavileが始めてTacitusの一部を英語に翻訳,

1591年出版しており,このグループから Tacitusは囲内に伝播していったと 考えられる.興味深いのは,これらの知識人のうち何人かはなんらかの形で Essexと親交があったという事実である.更に Essex自身がTacitusの信 奉者であったことはその書簡からも知れるところである 26

このTacitusの歴史観から,英国の歴史を眺めた最初の試みがHayward の

H e n r

IV

であった.彼はRichardとHenryの政権交替を,過去の歴史家

(14)

1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検問 13  たちのように神の支配する歴史観から道徳的にとらえようとしたのではな し事件の背景にある原因やそれに関与した人々の動機を究明しようとした.

それと同時に,この歴史書をとおしてRichardの廃位に関して自分自身の 政略的考察を展開して見せたのであった.Savileの英訳したTacitusの書 から多くの格言や例文を盛り込み, Haywardは自分の記した歴史書をTaci. tus流の英国史であることをことさら強調しようとしていた.27Haywardは この書を Essexに捧げることによって自分もまたEssex派の一人と目され ることを願っていたと考えられるが, Haywardはこの歴史書がEssex派の 人々の主張を代弁するものとして,彼らの思想、に充分訴えかけるものである ことを期待していたにちがいない.実際,この書はその読み方によっては,

Ess自のような立場に置かれた人聞が政権を握るためにどう振舞うべきかを 説き,また王を廃位に追い込むことによって現実に起こってくるであろう 種々の問題を想定した王位塞奪の指南書といえるものであった 28

しかし,この書物から RichardとHenryの歴史にElizabethとEss伎 の 対立を重ねあわせる傾向がうまれたとするのはあまりにも極論であろう.

HaywardがEssexをHenryIVに重ね合わせたのは誰も予想しない全くの 奇想であったので、あろうか.むしろ HaywardにTacitus流の歴史観から英 国史における王位塞奪のエピソードを書かせたものは,広く Essex派の知 識人の問に交わされていた暗黙の了解事項ではなかったか.またそれは一般 の宮廷人や知識人の聞においてもある程度共有されたEssexのイメジでは なかったか.言い替えれば,それは時代に内在する精神性であったかもしれ ない.Haywardはそれに印刷物という形を与えた に過ぎないのである.

確かに, Essex反乱事件の裁判において,このHaywardの歴史書が伯爵 の謀反の動機を暴ぐため,体制側の有力な証拠を形作ったことは事実であろ ラ.しかし,この書物がEssexの謀反を物語る欠くことのできない唯一の 証拠であったわけではなぐ, Cecilは伯爵の反乱の目的を明確にする手近な 証拠として利用したのである.Essex派ばかりでなく,宮廷人の問でまた知

(15)

1 4   1 5 9 0

年代の英国における

R i c h a r dI I

にまつわる主題と検閲

識人の内にも広まりつつあった

Essex

の評判を,印刷物の形で白日のもと に晒すこととなったこの書は,政府側にとって裁判に持ち出すのに扱い易い 材料であった.当局は書の中にある

Essex

派の思想的背景は一切問題には せず,時事的問題と直接の関連のある部分だけを摘発したのである.この歴 史書から突然

E l i z a b e t h

R i c h a r d

にたとえ,

Essex

Henry

にたとえる 傾向が生まれたのではなく,政府当局がこの書を利用することによって

Essex

を糾弾しようとしたことから,必然的に現存する記録の中にこの書物 ーへの言及が含まれることとなったと考えられる. しかし

Essex

が度々足を 運んだとされる,もしくは

E l i z a b e t h

が市中いたるところで演じられたとい う

R i c h a r dI I

劇が,この歴史書の舞台化であったという証拠はどこにも存 在しない.それはひとつの芝居を指すのではなく,

R i c h a r d  I I

にまつわる主 題を扱った複数の作品に言及したものと考えるほうが妥当であろう.

Essex 

を王位継承権ある者として

E l i z a b e t h

の後継者とあおぐ風潮は,

Essex 

派の 中から派関をこえて拡がり始めていたのである.

R i c h a r d  I I

E l i z a b e t h

を重ね合わせ,

Henry

Essex

を重ね合わせる風 潮がいつ頃から生じたかを断定することは難しい.

9 0

年代において,民衆ク

ロニクル劇の中で伝統的社会階層の握乱や重税に対する民衆の不満を描くの に,

R i c h a r d  I I

という題材が利用されたことはみたとおりである.この民衆 クロニクル劇の中に展開された農民一撲に象徴される転覆的要素は,大陸で の

M a c h i a v e l l i

の思想の拡大と,それにともなう英国内での

Essex

派を中 心とした

T a c i t u s

の流行を背景に,王位をめぐる権力闘争という更に重要な 意味をそこに重ね合わせていったと考えられる.

S h a k e s p e a r e

T a c i t u s

に 関する知識を持っていたという証拠はないにしても,彼のRichardIIに登場 する

Henry

M a c h i a v e l l i

的な時代精神を体現するものであることは明ら かである.そしてこの題材は

9 0

年代後半になって,

Essex

C e s i l

の衝突に

(16)

1590年代の英国にお付るRichardIIにまつわる主題と検閲 15  より一層その時事性と危険性を増したと考えるべきであろう.それは決して 一冊の本から始まったとは言い切れない.むしろ時代の変化とうねりのなか で醸成されていったと考えられるのである.

しかしこれは決してShakespeareのRichardIIを単なるプロパガンダとし てとらえようとするものではない.1590年代においてRichardIIという主 題は,それぞれの作品の完成度は別にするとしても,当時の重税に苦しむ民 衆の不満を代弁するものとして,また一般政治家の台頭による階級秩序の混 乱に対する貴族たちの反発を描くものとして,時代の反動的エネルギーを内 包したものであることは明白で、ある.そしてそれは同時に封建主義的価値観 が近代的合理主義にとって代わられる価値の逆転の瞬間を見事に捉えている のである.そこには神の摂理を中心としたチューダ一朝神話とMachiavelli 的政治観という全く相反するふたつの時代精神の衝突と葛藤の姿が読み取れ るはずである.そしてShakespeareのRichdrdIIはそうした葛藤を最も見事 にとらえているといえるのである.

Richard IIの持つ時事的危険性を否定しようとする批評家たちは,当時の 劇や歴史書に対する体制側の検聞を文字通り,真正面からとらえる傾向があ る.上演禁止や出版禁止がそのまま作品の危険性・転覆性につながるわけでら はない.むしろ,作品の持つ転覆性とそれを検閲する当局側の認識のずれの なかに,作者の意図と当局の弾圧の激しいせめぎあいの跡をみることができ るはずである.作者は当局の検閲の目をかいくぐりながら,様々な方法をと おして,観客の感性に,また時には教養ある読者の知性に直義訴えかけよう としていた.ここにみられる体制側の弾圧と作者の激しい攻防こそ,われわ れが前景化し問題化していかなければならない部分なのである.新歴史主義 批評家や文化唯物主義批評家たちが指摘するとおり, Richard IIという主題 は1590年代において多くの転覆的要素を内包した作品であったのである.

(17)

16  159Q年代の英国における RichardIIにまつわる主題と検閲 注

1 The Power 

0 /  

Forms in the English Renaissae,ed. Stephen Greenblatt (Norman,  Oklahoma.: Pilgrim Books, 1982), p.  4;この書のp.45においてStephenOrgelも Richard 11に 関 し て , 同 様 の 扱 い を し て い る . 更 に PoliticalShake.eare,eds  Jonathan Dollimore and Alan Sinfield (Ithaca, N. Y.: Cornel1 Univ. Press, 1985),  p.  8.  Leonard Tennenhouse, Power onDisplay (London: Methuen, 1986), p.  88.参

2 Leeds. Barroll,A New History for  Shakespeare and His  Time," Shake.teare Q rterly,39 (1988), 441‑464.太田一昭「リチヤード二世とエセックス反乱事件J,

『シェイクスピアの歴史劇j日本シェイクスピア協会編(東京:研究社, 1994)  pp.41‑56. 

3 Evelyn  May Albright,Shakespeare's  Richard  11  and  Essex  Conspiracy," 

PMLA, 42 (1927), 686‑720. Ray Heffner,Shakespeare, Hayward, and Essex," 

PMLA 45 (1930), 754‑80. Evelyn May Albright,"Shakespeare'

sRichard 1 [Hay‑

ward'

SH

torη

0 /

Hη7IV

κ ;

.and the Essex Conspirac払 "y PMLA, 46 (1931) 694‑

719. Ray Heffner,Shakespeare, Hayward, and Essex Again," PMLA, 47 (1932),  898‑99. Evelyn May Albright,Reply to Ray Heffner's 'Shakespeare, Hayward,  and Essex AgiIi.'"PMLA, 899‑901 

4 Barroll, 442‑44太田,p.42.

5 Heffner, 754‑55. Barroll, 445‑46.太田,p.49 6 Heffner, 768. Barroll, 448.太田,p.42.

7 Barroll, 448‑49太田, pp.  49‑50また DavidBergeron,The Deposition  Seene in Richard 1[," R仰 向sancePapers 1974 (1975), pp. 31‑37参照のこと.

8 Heffner, 763太田, pp.45‑46. 

9 Albright,Shakespeare's  Richard 11, Hayward's Hisωry 

0 /  

Henry IV, and the  Essex Conspiracy," 708‑9. Sir Edward Coke はEssexの反乱事件において重要な 役割を演じたSirGi1ly Merrickの謀反を証明することを特に重要と考えていた.

その点で,RichardIIの上演を彼が劇団tこ依頼したという事実は重要であった.更に,

Albrightは役者たちが,罰を受けたとの記録もないが,罰を免れたとの記録もない と主張している.Albright, 710. 

10  John Guy, TuゐrEngland (Oxford:  Oxford Univ. Press, 1988) pp.  352‑458  Wallace T. MacCffrey,Elizabeth  1:  War and Politics, 1488‑1603 (Princeton  Univ. Press, 1992.) pp. 453‑536 Keith Wrightson,中野忠訳『イギリス社会史 1580‑1680J (東京:リブロポート, 1991)  pp.  19‑56. Mervyn James, Society,  Politics  and Culture: Studies  in  Early Modern England (Cambridge Univ.  Press, 

(18)

1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検問 17  1986.),pp. 416‑65 

11  Janet Clare, 'Art made tongue‑tied by auorzがCEliz.abethan and Jacobean Dramatic  CensorslJip. (Manchester Univ. Press. 1990.), pp 37‑39 

12  Clare, pp. 43‑46. 

13  Tracton Succession, p.  76この記録はAlbright,Shakepeare'sRichard 11 and the  Essex Conspiracy," 704に引用されている.

14  Charles Ripley Gil1ett, Burned Books: Neglected Chφters  in  BrishHis‑yand Literarure, (New York: Columbia Univ.Press, 1932), pp. 84‑85 

15  宮廷における王の取り巻きに対する言及は,King Riard  I,II I.  i. 17 ffまた税 金問題に関しては, II  i. 241 ffなどに見られる.Shakespeareの作品への言及は

The Rhside,似 た 学S 'l!are,ed.  G.  Blakemore Evans (Boston:  Houghton Mifflin,  1974)によるものとする.

16  King Richard , IIed.  Peter Ure (The Arden Shakespeare"; London: Methuen,  1961), p.  xiv.  King Richard 1 ,Ied.  Andrew Gurr (Cambridge, 1984), p, 9.  Janet  Clare, pp. 47‑51. 

17  Christopher Hil1,Censorship and English Literature," in  The Collected EssのIS

0 /  

Chris

ω ρ

her Hill:  Writing and Revolution in. SevueenthCentury England (Amherst:  University of Massachusetts Press, 1985), 1. pp.  32‑72. Gerald Eades Bentley, 

The Progression 

0 /  

Dramatist in Shakespeare's Time, 1δ90‑1642 (Princeton: Prince  ton  Univ.  Press, 1971), pp.  145‑196.  Phyllis  Rackin, Siges

0 /  

His

ω

ry:  ShakespeareEglishChronicles (Cornell Univ. Press, 1990), pp. 236‑7. 

18  Rackinも指摘しているように ,Hamletの劇中劇の際にHamletが役者に与える 指示はこうした即興の演技が劇にもたらす影響をものがたるひとつの例を示してい る.劇の上演前に, H昌mletは役者に台本にない台詞は喋らせないよう指示してい る( letthose that play your clowns speak no more than is  set down for them" III.  ii.38‑40.)またTheMurther 

0 /  

Gonz.agoの直前でのH昌mletによる改変が劇中劇に 重要な時事的危険性を与えることとなるのである( 昌speechof soine dozen lines,  or sixteen lines, which 1 would set down and insert in't" II. ii.  541‑42)'¥ 

19  この記録はAlbrightの論文の中に引用されている. Shakespeare'sRichard 11  and Essex Conspiracy," 699. 

20  この記録はAlbrightの論文の中に引用されている."Shakespeare's Richard 11  and Essex Conspiracy," 697. W. B. Devereux, Lives and Letters 

0 /  

teh Devereux, n  d.  1, 313 

21  Annals (English Translation printed for Benjamin Fisher, London, 1630), Book  4, p.  138この記録はRayHeffner,Shakespeare, Hayward and Essex," 760‑61に

(19)

18  1590年代の英国におけるRichardIIにまつわる主題と検問 引用されている.

22  State Papers Domestic Elizabethan, 1595‑9

voLCCLXIV, art.  10この手紙は Albrightの Shakespeare'sRichard 11 and Essex Conspiracy," 698に引用されてい

る.

23  AlbrightはCecilが1595年にRichardIIではないかと思われる芝居を観た可能性 を示唆している. Shakespeare'sRichard II and Essex Conspiracy," 697‑8  24  Sir John Hayward, The First Part of the Life and Rtiigne of King Henethe iiii 

Ex.ωuliηcg  to  the end of the first yeare of his raigne (London, 1599, S.  T.  C.  1454)  Tacitusに関してはPeterBurke,Tacitism," in Tacitus, ed T. A. Dorey (London;  Routledge & Kegan Paul, 1969), pp 149‑171; Herbert W. Benario, Aη1ntroduc‑ ti, toTacitus (Athens:  Univ.of Georgia Press, 1975);  Kenneth C.  Schel1hase,  Tacitus in RUlissancePolitical  Thought (Chicago:Univ. of Chicago Press, 1975);  Ronald Martin, Tacitus (Berkeley: Univ. of Ca1ifornia Press, 1981)参照のこと.

25  F. J. Levy, Tudor HisricalThought($an Marino, California: Huntington Lib‑ rary, 1967) p.  250 

26  Essex がTacitusを引用した書簡については, Edwin A.  Abbott, Bacon and  Essex (London, 1977), p.  110参照のこと.またこれはEdwinB. Bemjamin, "Sir  John Haywardand Tacitus," Rev. Eng. Studies. new series, viii  (1957), 275‑6にも 引用されている.

27  Haywardの歴史書に秘められた謀反に関しては, David Womersley,Sir John  Hayward's Tacitism," Renaissance Studies, 6 (1992)参照のこと.

28 太田氏はHaywardがHenry1Vの中で国王の廃位を肯定しているわけではないと し

r

私たちは,国王の地位を不可侵とし,その廃位に反対するカーラ子ルの10ペー ジにも及ぶ堂々たる演説の挿入されていることを,忘れるべきではない.(p. 55. n.) 

とされている.しかし太田氏の指摘されるとおり, Carlisleの演説の挿入をもって この歴史書の危険性は失われてしまうものなのだろうか.すくなくとも大陸の思想 にすこしでも関心を持ち, Tacitusの歴史書をひもといたことのあるものなら,

Haywardの記した歴史書に描き出されたTacitus流の英国史観を理解したはずであ る.そのような読者が,教会の演説のひきうっしにすぎないと恩われるBishopof  Carlisleの発言を通して,あらためて伝統的歴史観へ誘導されると考えるのはむし ろ不自然である.この問題に関しては,拙論 TudorProvidential History and its  Tacitean Subversion: Sir John HayW'ard's Life of King Henry the Fourth and the  Essex Affair," 

r

同志社大学英語英文学研究j,56  (1992), 168‑203参照のこと.

参照

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