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ドイツ経営経済学における CSR に関する一考察

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神奈川大学大学院経営学研究科 F研究年報』第10 2006年3月 3

■ 研究論文

ドイツ経営経済学における CSR に関する一考察

一 特 に ドイツ企業倫理学説 を中心 として ‑

ConsiderationconcerningCSRinBet1‑iebswirtschaftslehre

‑ Mainly,GermanBusinessEthicsTheory

神奈川大学大学院 経営学研究科 国際経営専攻 博士後期課程

山 田 英 俊

EishunYamada

■キーワー ド

CSR、 ドイツ経営経済学、企業倫理、技術の進歩、 CSRの基礎概念

は じめに

CSRは最近研究 がな されて きた学問であ り、

筆者 は企業倫理、 SR I等の論文 に関 して研究 を 進 めて きた。 ここで言 うCSRは企業倫理や社会 環境問題、自然環境配慮 を包含 した学問であると 考 えている。

ではまず、 ドイツ経営経済学について概略的に 述べ る。詳細 については後述す ることとしよう。

ドイツにおいて、商学 または経営学 は経営経済 学 と称 され る。 これは実学 としての商学が、 ドイ ツ独 自の発展形態によって生成 されて きたことに よるものであるOその独 自の発展形態 とは、一般 に私経済論争 とい うもので、「商学 は学 問た りえ るか ?」とい うものであった。経営学や商学 といっ た学問は今 日学問 として認知 されてい るが、その 学問が学問た りえる背景 には先駆者の努力があっ たのである。

ドイツで は1912年 か らブ レンタ‑ ノとエ ー レ ンベル クが この経営経済学 に批判 を行った。彼 ら

は、経営経済学 が学問 とい う名 を利用 して私的な 企業の利益 を代表 、弁護す るだけであ り、金儲 け のためだけの もので、学問の生成発展 に有害であ るとした。

この批判 に対 し、 シュマ‑レンバ ッハ は 「動的 貸借対照表論」を1926年 に発表、シュ ミッ トは 「有 機観貸借対照表論」 を1921年 に発表、そ してニ ッ ク リッシュが 「経 営経済原理」 を1928年 に発表 し、 さらに組織共同体論 を提唱す ることによって この批判 に答 えたのである。 これがいわゆる第一 次方法論争 と呼ばれ るものである。 そ して第二次 世界大戦後 に経済学の学問的成果 を取 り込 む こと によって、 グーテ ンベル クは 「経営経済学原理

を1951年 に発表 し、 ドイツにお け る経営経済学 は、その学問的地位 が論争 に巻 き込 まれ ることの ない地位 にまで向上 した。現在ではアメ リカの経 営学の影響 を強 く受 け、 さらに発展 している。

ドイツにおける経営経済学の特徴 を挙 げるとす るな らば、理論性や抽象性 を重視 していることが 挙 げ られ る。 これは経営経済学 とい う学問が、論

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4 神奈川大学大学院経営学研究科 F研究年

10 2006年3月

争の中でその地位 を獲得す るために実用性 よりも 認識 を明 らかにす る必要 があったことに要因があ ると考 えられ る。第二 に、理論や科学性 を重視 し ていることが挙げ られ るだろう。 これ も上述の こ とを考 えての ことであると筆者 は考 えている。経 営経済学は、 日本 における経営学 と会計学 を包含

した ものであるといわれ る所以である。

ドイツにおける経営経済学の特徴 を考 えるとき、

アメ リカの経営学 と比較す るとその違いが非常に 明 らかであることが理解で きる。 アメ リカの経営 学 は 「経営学の父」 と呼ばれ るテイラーの科学的 管理の提唱に代表 され るように、実践的な ものが 要求 され る学問であった。 よって、 ドイツのよ う な 「論争」 はな く、工場や生産現場でのプラグマ テ ィズムの もとで、企業の経営実践 に役立つ もの を優先 に発展 して きた学 問 なので ある。従 って、

技術論、経営実践 を重視 し、 ドイツのような理論 性や抽象性 は軽視 された。 ドイツにおける経営経 済学の理論的構築 に対す る努力は、大別 して規範 科学的、応用科学 (技術論)的、理論科学的な立 場か ら行われ ることとなる。 そ して、第二次世界 大戦後 は旧西 ドイツ経営経済学 が復興 し、グーテ ンベル クの経営経済学 を中心にいわゆるグーテ ン ベル ク学派 (理論科学的)経営経済学の発展が中 心的な もの となってい るのである。

しか しなが ら、本稿 においては、グーテ ンベル クが提唱 し、そ してアメ リカにおける経営学 に強 い影響 を受 けてい る経営経済学 を中心 とす るもの ではない。 とい うのは、第二次世界大戦前 にニ ッ ク リッシュが提唱 した規範的経営経済学が、今 日 議論 されてい るCSRには非常 に重要 な考 え方で あ り、 ドイツにおける経営経済学の観点か らCS Rを考察す るとき、 アメ リカ的経営学 に依って考 察 を進 めれ ば、 それ はCSRその もの が偽善 と なって しまう恐れがある為である。偽善 となって しまうと筆者 が考 えるその理 由は、先述 した ドイ ツにおける経営経済学 とアメ リカにおける経営学 の発展形態 にある。CSRがその学問的基盤が企 業の経営実践 に役立つ もの とす るのであれば、そ れ は経営戦略論の中で議論 され るべ き問題であ り、

さらにはブ レンターノとエー レンベル クがこの経 営経済学 に批判 を行 った、経営経済学 が学問 とい う名 を利用 して私的な企業の利益 を代表、弁護す るだけであ り、金儲 けのためだけの もので、学問 の生成発展 に有害で あるとした ことが実証 されて しまう為である。CSRは経営経済学の中でまず 学問的基礎 を構築 し、その上で研究 され るべ きも のである。 それは企業の利益 を代表、弁護す るも のであっては決 してな らない と筆者 は考 える。 た だ し、戦略論 による議論 を否定す るものではな く、

今後の研究課題 としたい。そこで、 まずCSRの ヨーロッパ における定義 を挙げ、そ して、それが どのように経営経済学 と関連す るのか とい う考察 か ら始 めたい。 その後学説比較 は筆者 が研究 して きたCSRの一領域である企業倫理の ドイツにお ける学説比較 を行 う。

1 CSRの基礎概念

CSRとは、"CorporateSocial1Responsibility"

の略語であ り、企業の社会的責任 とい う意味であ る。企業 は営利主体であ り、 より良質のサービス を、 より安価 に提供す ることによって、当該業界 において競争力 を発揮 し、市場調査 によって常 に 新 しいニーズに応 えることが要求 され る。

現代 は、大量生産 ・大量消 費社会 であ り、 また 消費者 は新 しい製品 ・サービスに敏感 になってい る。テ レビ、 ラジオ、 インターネ ッ ト等、いわゆ るマスメデ ィアの発達がこれ をさらに助長 してい るといえよ う。 こうした市場社会 に対 し、企業 は その活動 によって貢献 をしてい くものである。

しか し現代 は、市場 に提供 され るサー ビスが、

どの ような方法によって生み出 されてい るものな のか、 さらにどのよ うな経営体制の下で生み出 さ れているものなのか とい うことも、重要 な問題 と して社会 か ら注 目されてい る。日本 で は公害 問題 に端 を発 し、海外で も公害、企業不祥事が、技術 と企業規模の発達 によって様 々な問題 になること となった。 そこで登場 した概念 がCSRである。

倫理的意思決定 を推奨 し、かつ コンプ ライア ン ス (法令遵守等) を貫徹 し、情報開示や環境対応

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「ドイツ経営経済学におけるCSRに関する一考察

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などに対 し、積極的に取 り組む企業 を促進す るこ の概念 は、米国で発生 した。

CSRの定義 について、筆者 はこれ までその定 義 が困難である為に、不可能であるとい う高巌氏 の主張 を引用 して きた。それは次のよ うな もので あった。即 ち、「CSRとは実際に何 を指すのか、

何 に対応 しなければな らないのか (例 :人権、労 働環境、環境保護、地域貢献など) とい う具体的 な定義 はほ とん ど不可能であると考 えている。 な ぜな らば、CSRは、社会又は市場 との関係にお いてその内容 が決 まって くるものだか らである。

つ まり、CSRの指す ところは、市場や地域の人々 との交流や対話 を通 じて、又は相互作用 を通 じて 何 をや るかを決めてい くことで、その具体的な実 践 内容 が決 まって くるか らである

J

とい うもの であった。 しか しなが ら、現在では様 々な見解が あるものの、定義がな されている。本稿ではNG Oのマルチステークホル ダー ・フォーラムの定義 をCSRの定義 とす る。 その理由は、本稿 が ドイ ツ経営経済学におけるCSRに関す る考察であ り、

マルチステークホル ダー ・フォーラムは欧州委員 会 が中心 となっているものであるためである。

そ こで、CSRの定義 は、「CSRとは社会 ・ 環境配慮 を自主的に自社業務 に統合す ることであ

り、法的な制約や契約上の義務 を上回 るものであ る。 また、 CSRはそれ らに置 き換わ るもので も それ らを避 けるための もので もな

】1とい うも のであ り、 この定義 を基礎 的定義 とす る。

しか し、 このCSRに対 して疑問視す る声 もあ る。例 として、 ドイツのベル リン自由大学経営学 教授 であるギュ ンター ・ドゥル ーゴス氏の講演、

「企業利害 と疑 わ しい倫理指針要 因 と しての公共 の福祉 l"がある。

同氏は中央大学商学部教授会 (研究会) におい て、次のように述べている。即ち、「企業活動は、

無関心、補足 的、そ して コンフリク トといった様 式の多 くの種 々の利害の焦点 を形成 す る。 コンフ リク ト的利害 は、経済的な形式的諸 目標への相互 の指針において少な くとも潜在的であれ交換関係 に基礎づけ られている。 これ らの利害 は、広 い競

争状態か らや、例 えばェ コロジーの ように一方 の 妨害か ら生 じるのである。 コンフ リク ト的利害 は、

別 々の職能の担 い手の間ばか りではな く、同一職 能の担い手の間に も生 じる。そこか ら結果す る諸 コンフリク トは、正常であ り基本 的にはアンビバ レンツな社会現象であ り、その発現 は、 また企業 領域では決 して特別 な ものではな く、 ここでは最 初 か ら否定的な もの と判断 されてはな らな

とい う。

さらに、自由州バ イエル ンの州法では、公共の福 祉 につ いて、「全体 的経済活動 は公共 の福祉 に役 立 ち、個人の経済的自由は隣人 な らびに国家の公 共 の福祉 の要求 を考慮す るとき限界 を有す る '

と州法151条で定めてい ることも述べている

結論 と して同氏 は、「法制化 と判例 が この疑問 の多い設計案 を放棄すべ きなのかの問題 は、法律 の文献での接近方法の論争で論議 され、 これ まで 優勢 なのは否定的に しか回答 されていな

」 、'1と してお り、同氏は企業倫理や企業 の社会 的責任 と いった領域 に対 して、法的解釈の視点か ら限界 を 有す るもの として、否定的立場 であると考 えられ

る。

ではCSRはこうした疑問や否定的解釈 に対 し て明確 な理論的根拠 を示 してい るので あろ うか。

現段階の筆者 の考 えは、否で ある。 その要 因は、

筆者 自身の研究不足 も多分にあるが、CSRの理 論的構築が困難であることと、その領域の広範 さ 故であると筆者 は考 えている。

しか し、そ もそ もCSRが主張す るのは、 これ までの営利追求型企業 は悪 で あ り、社会指向的、

慈善事業的な企業 は菩であるとい うよ うな、勧善 懲悪型の分顎 によって企業 を扱 うものではない。

なぜ な らば、営利 な くして企業 は存在 しえず、企 業活動 その ものが否定 されて しまうか らである。

CSRは、営利 のみ を追求す ることの問題 を指 摘 してい るのである。即 ち、 これ まで成功 を収 め て きた営利 追求志 向が生 み出す い くつ もの弊害 が、現代社会 においては、企業経営者 などの個人 のみな らず、組織構成員 も含めた、当該企業の企 業活動全体 を否定す ることに繋がるとい うことを、

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6 神奈川大学大学院経営学研究科 『研究年報』 第10 2006年3月

CSRは示唆す る。そ して、その弊害 を未然 に防 ぐ 行動規範の確立の必要性 を主張 してい るのである。

今後、特定の企業が倫理的な行動規範 を確立 し得 なかった場合、当該企業の企業活動 は停止せ ざる を得 ない状況 になるであろう。

さらに、 ここで重要 な問題 となるのは、当該企 業のみの問題解決行動では、社会全体の問題解決 に至 らない とい うことである。具体的に言 えば、

企業 における労働者 に対す る問題‑労働問撞、環 境汚染 などの問題 を発生 させたことによる自然環 境汚染の被害 ‑自然環境問題、自社製品の品質管 理の問題であれば、その製品によって被 った消 費 者側の被害 ‑対消費者問題、 といった問題 が挙 げ られ る。 これ らの問題 は互 いに連鎖 ・増幅 し、後 世 まで尾 を引 くこととなるO即 ち、企業の規模 が 拡大 し企業活動が世界規模 に拡大 したこと、そ し で 情報技術の発展等が大 きく関与 し、 こうした問 題 をさらに拡大 させ ることとなるのである。

そ して、現実的問題 としてCSRは、様 々な問 題 を有 してい る現代 において、必要不可欠な研究 領域 であり、総論的な理論構築が困難であった と して も、各論的な理論 を展開 し、それ らを収束 さ せ ることは可能であると筆者 は考 える。

では次 に、 ドイツ経営経済学 とCSRとの関連 について述べ ることとす る。

2 ドイツ経営経済学 とCSR

そ もそも現代経営学は、20世紀初頭 に、 ドイツ とアメ リカを中心 として生 まれた学問である。 ま ず、筆者がこれ までの研究 によって認識 している ドイツ経営経済学 と、アメ リカ経営学の相違につ いて述べ る。 ドイツの場合、経営学生成の契機 と なったの は、商科大学 (Handelshochschule) の 設立 であるとい う、'】■。

商科大学 は、1898年、 ライプチ ヒに設立 され、

その 中心 的科 目と して形成 され たの が経営学 で あった。そ して、そこで問題 となったのは、大学 の中心科 目と してふ さわ しいか否 か とい う点 で あった。即 ちその 「学問性」が問われたのであ り、

この点が、アメ リカの経営学の発展 と異 なる部分

である。即 ち、学問性 を重視 した ドイツの経営学 に対 し、 アメ リカの経営学 はその学 問性 よ りも、

「実践性」 がよ り強 く志向 されたのである。

さて、 ドイツにおいて上述 したような経営学の 学 問的整備 を行 う必要性 は、1912年 に国民経済 学者であるブレンタ‑ノが、経営学の否定 を行っ たことで、急速 に促 され ることになったとされて いる。国民経済学者のブレンタ‑ノは、経営学 が、

「企業者 のための利潤追求 の手引 きで ある」、1"と し て、そ うした ものは学問 としては有害 な ものであ り、否定 され るべ きであると主張 した。国民経済 学 か らの批判 とは、経営学 が、「企業者 とい う特 定の人間 ・組織の利益 を志向す るものであるとし、

その限定 された営利追求 を発展 させ るために、研 究成果 を提供す るものである」 とい うものである。

そ して、真理 に対す る無前提の研究 として行われ なければな らない 「科学」 に反 している、 とい う ものであった。

さらに、経営学が 目指す ものは、つ まるところ 企業者の営利追求 に対す る単 なる 「技術論」では ないか、 とい う批判 がな された。技術論 とは、限 定的な問題 に対す る解決の方法 と手段 を構築す る ために、便宜的に科学の知識 を利用す るにす ぎな い ものであ り、そこで現象全体の分析 と、法則的 体系 を確立す ることは困難である。 それ故 にやは

り科学 とは区別 されねばな らない とい うのである。

この ように、 ドイツ経営経済学 は、その生成期 において、「金儲 け」への実践性 の要請 に重点 が 置かれていると見 られていた。それ故 に 「経営経 済学 は金儲 けのための学 問で ある」 とい う非難、

そ して、「そ もそ も経営経済学 は学問た り得 るか

とい う問いかけがな された。 この ことがきっかけ となって、 ドイツにおける経営学 が学問 としての 地位 を確立す ることに関す る、様 々な論争が展開 され ることとなる。 この論争 に、後の経営経済学 研究の中心的存在であるニ ック リッシュと、 シュ マ‑ レンバ ッハ が参加 した。

まず、「企業者 とい う特定の組織集 団の利益 を 代表 し、 その私的な営利追及 を発展 させ るために 研究成果 を提供す るものなのではないか」 とい う

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「ドイツ経営経済学におけるCSRに関する一考察

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批判に対 して、ニ ック リッシュが反論 した。即 ち、

経営学の研究対象 として中心的な ものは、組織 と しての企業であ り、企業者 はそれ を構成 す る一器 官で しかな く、そのため、企業者 自体 が獲得す る 利益 を追求す るための学問ではない。企業 を支配 す るのは一定の経済的な法則関係であって、企業 者の私的な利害 関係 がその考察の出発点ではない。

また、利潤 と金儲 けとは同 じことではないと区別 した。 とい うの も、利潤は、 この経済的法則関係 において、初 めてその存在意義 が与 えられ るもの で あ り、経済的な法則 と関連 してい るのに対 し、

たんなる 「金儲 け」 は経済的法則関係 を欠いてい る。利潤は組織 としての企業 に働 く諸力の給付に 対す る対価物 であ り、 したがって、 この利潤 をめ ぐる問題が、企業経営の研究の中心的な領域 を形 成す るのは当然であると説明 した。

そ して次の批判 で ある、「経営学 が 目指す もの は、つ まるところ企業者の営利追求 に対す る単 な る技術論 なのではないか」 とい う批判 に対する反 論 が必要 で ある。 そ こでシュマ‑ レンバ ッハ は、

経営学が目指す ものはまさに技術論であると反論 した。 とい うの も、技術論 と科学 は共 に 「科学」

であるとい うのである。即ち、技術論 に対す る「科 学」 は、哲学的に組み立て られた科学であ り、そ の違 いにつ いて、 「技術論」 は工学 的に組み立 て られた科学であるとい う。 この二つの 「科学」の 違いは、現代 においては 「応用科学」 と 「理論科 学」の違いに相当す るもの と考 えられ る。つ まり、

理論科学 にとっては、個 々の事実や認識 を統一的 に説明できる一定の普遍性 をもった体系的な知識 を展開す ることが中心的な課題である。 それに対 して、応用科学の課題 となるのは、実践的な社会 生活に於 ける問題 を解決す ることであ り、そのた めの手段や方法 を研究す るために、理論科学の成 果 を応用 し、実践 的な問題 を解決す ることである

国民経済学 が、 このような理論科学 を目指すので あれば、経営学 は応用科学で あ り、 その課題 は、

企業経営 とい う実践 的な生活 における問題の解決 を目指す ものであると反論 したのである。

この国民経済学か ら問題提起 された 「全体的な利

益の代表 か、特定の利益の代表か」 とい う問題 と、

「科学 か、技術論か」 とい う問題 に対す る批判 は、

当時新 しい科学 として発生 した経営経済学の位置 を認識す る機会 となった。そ して後 にこの論争 は 私経済論争 と呼ばれ、 この論争によって、経営経 済学の発展は促進 され ることとなる。

シュマ‑ レンバ ッハ とニ ック リッシュは、それ ぞれ独 自の思考 と内容 をもった経営経済学 を体系 化 し、 この二人の学説 を中心 として、その後の経 営経済学が形成 され ることとなった。

技術論 としての経営経済学 を主張 したシュマ‑

レンバ ッハ は、その中心概念 を、生産性の概念 と した。 ここでい う生産性 とは、生産過程 に投入 さ れた一定の生産要素 が、生産物の産出にどれだけ 貢献す るか、その大 きさの程度や関係 を表す、経 済的合理性 を判断す るための基準 を示す ものであ る。 シュマ‑レンバ ッハにとって、 この生産性の 概念 を企業活動の原理 として とりあげたことは、

私経済論争で問題 となった経営経済学の実践的要 求 に対す る答 えで あった.第一次大戦 の敗北 に よって、 ドイツが被 った痛手か ら市場経済 と企業 経営 を再建す るために、 まず第一 に、産業の合理 化 と生産性の向上 こそが不可欠の課題であると考 えたのである。

また、ニ ック リッシュは、経営経済学の研究対 象 としての経営 を、本源的経営 と派生 的経営 とに 区分 した。 これ らの経営はどち らも 「人間の共同 体」 を意味 している。 そ して、企業 に於 けるあ ら ゆる活動やその過程 は、組織 としての観点か ら解 明 されねばな らない とした。 「人 間の共 同体」 と しての企業 に於いて、その構成員である企業者 と 労働者 はともに自律的な主体 としての 自由を見出 さなければな らない とし、そのような人間 として の 自由を獲得す るために、共同体の構成員に対 し て、それぞれの給付 に対す る正 当な経営成果の配 分が行われなければな らない と主張 した。そこで、

経営成果 の形成 と配分 を行 うための原理 として、

ニ ック リッシュは経済性 を企業活動の原理 として とりあげた。経営成果 を企業の生産活動によって 得 られ る付加価値 と して、 この 「経済性 の原理」

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8 神奈川大学大学院経営学研究科 F研究年報』 第 10号 2006年 3月

は生産過程 における最大可能な成果の生産 と、分 配過程 における給付に応 じた公平 な成果の分配 を 命ず るのである。 そ して彼 は特 に分配の問題 を重 要 であると考 え、労働者 をたんなる経営の手段 と してではな く、組織の構成員 として、企業者 とと もに自立的な主体 として認めねばな らない と主張 した。即 ち、ニ ック リッシュは、組織 としての共 同体の維持 と、それに対す る構成員の活動の維持 を、経営学の課題 としたのであった。

しか し、第二次世界大戦の敗戦後 は、周知のよ うに ドイツが東西 に二分 され、それぞれの経済体 制 も異 なることとなった。 また、東西 ドイツは戦 災による社会 的 ・経済的混乱や、多 くの研究者 が 戦争の犠牲 となって しまったために、経営経済学 を本格 的に研究 す ることは非常 に困難 な状況 に あった。 さらに、ニ ック リッシュの規範論学派の 経営経済学 は、ナチズムの立場 を支援 していたた めに、その学問的地位 を失 って しまったのである。

そこでシュマ‑レンバ ッハの経営経済学 が主流 となるかに見 えたが、それに対 して、 リーガーは、

理論 を欠いてい ることと、市場 を考慮 していない といった批判 を行い、結果 として、 シュマ‑ レン バ ッハの経営経済学 も支配的地位 を得 ることは出 来 なかった。即 ち、終戦直後の経営経済学 は混乱 状態 にあ り、 ドイツ経営経済学の歴史 における空

白の時代であった。

しか しこの異常な事態 は、グーテ ンベル クの著 作 『経営経済学原理』の第‑巻 ・生産論の登場で 変化す る。グーテ ンベル クは、企業の諸側面 を数 学的手法 を用いて理論的に精微分析す ることを試 みた。 この構想 は ドイツの伝統 的な経営経済学 を 志向す る経営研究者達か らすれば、新たな方 向性

を示 す もの として注 目されたが、国民経済学 の成 果の導入に否定的な学者や、人間 を生産性原理に 基づ く要素結合 との関連で扱 うことに疑問 をもつ 学者達か らは批判があがった。批判側の学者 の代 表 としてメ レロヴイツツはグーテ ンベル クとの間 で経営経済学の方法 と内容 をめ ぐって論争 を行 っ た。 しか しなが ら、最終的にはグーテ ンベル クの 構想 が アルバ ッハ な どの研究者 に よって継 承 さ

れ、その後の西 ドイツに於 ける経営経済学の中心 的位置 を占め るよ うになったのである。 そ して現 在 も影響力の大 きな学説 となっている。 そ して、

1960年代半 ばか ら、経営経済学 の分野 では様 々 な構想 が提唱 された。 そ して、それ らの構想 は内 容的に密接 に関連 してお り、一方では補完 し、他 方では対立 しなが ら展開 されて きた。 アメ リカ経 営学の成果の摂取や様 々な科学論の影響、経済社 会の変化 といった事象の もとで展開 されて きたの が、戦後 における ドイツ経営経済学 であったので ある。

ではCSRはどのように発展 して きたのか。本 稿 において、 CSRの定義は、「CSRとは社会 ・ 環境配慮 を自主 的に自社業務に統合す ることであ

り、法的な制約や契約上の義務 を上回 るものであ る。 また、CSRはそれ らに置 き換わるもので も それ らを避 けるための もので もな

」 】‑tとい うも のであ り、 この定義 を基礎 的定義 と位置づ けてい る。 この定義 について筆者 は次のよ うに認識 して いる。即 ち、CSRは第‑に社会的配慮 を自主的 に行 うものである。 この社会的配慮 には、労働環 境の問題や雇 用形態の問題、そ して労働者 それぞ れに対す る配慮 も包 含 され るものであると考 えて い る。第二 に、環境配慮 については自然環境の破 壊 を未然に防 ぐ努力 を自社業務に取 り込む ことを 指 してい る。製造業 を例 に とれ ば、製 品の設計 開発段 階か ら「3R」、即 ち、 リユ ース (再利用)、

リデュース (削減)、 リサ イクル (再利 用) を考 慮 して行い、当該製品の廃棄後 について も可能な 限 り自然環境破壊 を起 こさないよう配慮す ること が求め られ る。 当然の ことなが ら、 これ ら社会的 配慮 と環境配慮 を法的に、 しか も厳 しく制約 した 場合 、経済的な競争力や技術力の強い企業のみが 生 き残 ることとな り、いわゆる中小企業 は経営活 動 を停止せ ざるを得 ない状況 とな る。 その ため、

「法的な制約や契約上の義務 を上回るものである

とい う認識の もとで、あ くまで自主 的な活動 とし てCSRは認識 され るべ きであると筆者 は考 える。

筆者 が考 えるCSRは 「自主的な活動」 として社 会 ・環境 配慮 を行 った結果、「経営状況 が好転」

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「ドイツ経営経済学におけるCSRに関する一考察

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もしくは 「国内の経済状況の好転」に繋が るとい うものであ り、決 して

CSRを行 うのは利益の ためである」 とい う認識ではない とい うことを強 調 してお く。 CSRが、「学問」 とい う名 を利用 して私的な企業の利益 を代表、弁護す るだけであ り、金儲けのためだけの もので、学問の生成発展 に有害であるとい うことになってはな らないので ある。

この よ うな筆者 の考 え方 と、 「ドイツ経営経済 学」の考 え方 は通 じるものがあると筆者 は考 える。

即 ち、CSRは新 しい学問領域であるが、純粋に それが学問 とし、て地位 を得 られ るか とい うところ か ら出発 し、発展 させ ることが出来 るのは、アメ リカ経営学ではなく、 ドイツ経営経済学であると 考 えるのである。従 って、 ドイツ経営経済学 とC SRとの関連 を、筆者はその学問性に見出 してい るものであ り、純粋学問 としてCSRを考察する ためには、 ドイツ経営経済学 に依 って考察 を進 め るべ きであると主張 したい。

そこで次 に、 ドイツにおけるCSRの学説 を2 つ紹介 し、比較検討 した後、筆者 の考 えを述べ る こととす る。

3 ドイツ にお け るCSR(企 業倫 理 )学 説 比較

本節では、様々な企業倫理 に関す る研究 が ドイ ツに於 いて発達 して きているとい う事実 も踏 まえ た上で、敢 えて、シュタインマ ンとアルバ ッハの 学説 を 「ドイツ企業倫理学」 と設定す る。 そこで 彼 らの学説 を比較 す ることとす る

。「

CSR学説 比較」 を行 うには ドイツCSRに関す る資料が不 足 していることも挙 げ られ るが、なによ りCSR として研究 が進 め られ るとい うよ りも、CSRに 関す る学問領域の集合体がCSR論 を形成 してい ると筆者は考 えている。 そこで、CSRの中で も その中心的課題 とされ る 「企業倫理」 について比 較 ・考察 を行いたい。

では企業倫理 は、 これ らの流れの中で どのよう な位置 にあるのであろうか。 ドイツ経営経済学 は、

その生成期か らの要請 によって、実践 的学科 とし

ての機能 を十分にはた して こなかったといわれ る。

その理由 として、企業倫理学説代表の一人 として とりあげるシュタイ ンマ ンは、「経営経済学 が倫 理、経済倫理 との関係 を十分 に解明 して こなかっ た xことをあげてい る. また、倫理 的 ・規範 的 経営経済学の研究者の多 くが、国家社会主義 に同 調 Lやすかったことが、経営経済学の倫理的方向 付 けに関す るその後の試みに、懐疑的、ない し否 定的な考 えを生み出す原因 となったとシュタイン マ ンは考 えている。 また、近年の ドイツにおける 企業倫理学の急速 な発展 について、 ドイツ企業経 営 を研究 している田中照純氏 は、 その著書の中で、

要 因 を2つ にわけて説明 してい る。田中氏 は第一 に、 ドイツ社会 に於 いて実際に発生 している環境 問題の存在、第二 に、 アメ リカでの企業倫理学の 先行的な研究過程 による影響 をその要 因 としてい る。

第‑の要因 として挙 げてい る環境問題 について は、「自然環境 を破壊 せず、 それ と調和 しなが ら 如何 に企業 は継続す るのか、そこに企業倫理上の 課題 が必然的に発生す る。 とくに先進国の中で も 環境保全につ いての関心や取 り組みの進んでい る ドイツにおいて、企業がそ うした社会 的要請 を強 く受 けて企業倫理の問題 として意識 し重要視 した ことは当然の ことで もあった xliと説明 してい る。

なお田中氏 は、環境問題のみな らず、社会環境 と の関わ り、即 ち、企業経営 とそれ を取 り巻 く利害 関係者集団 との、相互の利害調整 に関係す る倫理 上の問題 も、取 り上 げている。

第二のアメ リカの企業倫理学 に関す る先行研究 につ いては、 アメ リカ を 「企業倫理学 の先進 国

と し、「その学 問 的確 立 は1985年 に は既 に完 了 していた xiiと して、他 の経営学 の領域 と同 じく、

企業倫理学 もアメ リカでの研究成果 に強い影響 を 受けてい ると説明 してい る。 これ ら2つの要 因に 加 えて、田中氏 は、 ドイツ経営学 それ 自身につい て も企業倫理学 を生み出す要 因を内在 していた と 述べている。 とい うのは、 ドイツ経営学の歴史の なかで、ニ ック リッシュをは じめ とした研究者達 によって、規範的な性格 をもった経営学が発展 し

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10 神奈川大学大学院経営学研究科 『研究年報』 第10 20063

て きた とい うことを根拠 とし、それ らが現在の ド イツ企業倫理学の学問的基盤 となっていると述べ ているのである。 このように、 ドイツでは企業倫 理が非常に盛んに議論 されている

まず、 シ ュ タ イ ンマ ンの学 説 か ら考 察 す る こ と とす る。 シ ュ タ イ ンマ ンは そ の著 書 の一 節 で あ る 「Ⅲ企 業 倫 理 の概 念 (EinBegriffvon Unternehmensethik)」 の 中で、企業 倫 理 を以下 の ように定義 している。

「企業倫理 とは、利害 関係者 との、対話 的合意 を通 じて、根拠付 ける、 もしくは根拠付 け られ う るすべての実質的、過程的規範 を包含す るもので ある。 その規範 は、企業経営 によって、束縛的な 自己拘束の 目標のために発効 され るもので、利潤 原理の利害衝突に関連 した影響 を、具体的な企業 活動の指導の際に制限す るものである

.

」 xiii

さて、 シュタイ ンマ ンの企業倫理の定義 か ら、

彼の主張 について、 どのような考 えが導 き出 され るであろうか。筆者 は さしあたって二つの主張が 導出で きるのではないか と考 えている。

第‑ に、企業倫理では、利害関係者 (Betroffene) との対話 を重視 していることである。では、 ここ でい う 「対話」 とは何か。 この対話 とい うものは、

様 々な利害 関係者 が挙 げ られ る中で、 (具体 的に は株主、消 費者、取引先の企業、従業員および労 働組合、報道媒体、地域社会、そ して政府等) そ れ ら利害関係者集団 との、双方向の対話 を示 す も のであると考 えられ る。そ して、利潤の増大 を目 指す企業経営の側 と、当該利害関係者 との対話 を 通 じて、起 こりうる利害衝突 を調整 (Ausgleich) す ることを目指す とい うものである。

第二 に、利 潤原理 (Gewinnprinzip)と企 業倫 理 との関係 について、 シュタインマ ンはその定義 に用いてい る 「自己拘束 (Selbstbindung)」 とい う言葉 にあるように、利潤原理 と企業倫理 は対立 関係 にあると考 え、その上で、両者 が、ただ単 に 対立 関係 にあるのではな く、企業経営 において、

企業倫理が、利潤原理 に優先 して考 えられ るべ き であるとい うことを主張 している。即 ち、彼の主 張す る企業倫理が、利潤原理の制限す るものであ

ることを認識 しつつ も、利潤原理 に対 して優位 に 位置 しているとして捉 えていると考 えられ る。

そ して彼は、利潤原理 と企業倫理の対立関係 を 承認 しているその前提 において、企業倫理 とい う 考 え方 を企業 内で活用 し、いかに してその対立 を

「調整」す るか とい うことに問題意識 をもってい ると言 えよ う。

彼 は企業倫理学 における定義 を提示 してい るが、

その著書の中で具体的方策 を規定す るとい うこと を否定 してい る。即 ち、「本論文 では、全 ての考 えられ うる倫理的な問題状況 に対す る、具体的な 行動規定や解決策 は見出 されないであろう。 ここ には、倫理的な問題が起 こっている状況 に対す る 基礎 が示 されてい るのである。即 ち、倫理的問題 について、経済的用具の構築が重要 なのではな く、

多かれ少 なかれ、継続的かつ良好 に、期待 した経 済的成果 を基 に して、 目的 (利潤 目標)への方法 としての有用性が評価 され るとい うことが重要 な のである。む しろ企業倫理が論議の対象 となって いることが、企業行動 自体のための正当な 目標 な のである xivと述べているのである。

従 って、 この ことか らも、企業 と諸利害 関係者 との対話 を重視 し、かつ企業倫理 を、利潤原理 を 制限す るものであることを認めつつ も、その有用 性 ・優位性 (利潤原理 に対す る優位性) について 強調す るとい う認識の下で議論す るとい う姿勢 が 窺 えるであろう

さて、彼 はその企業倫理の定義 の内的要素 を、

「好 ま しい生 活 態 度 の 基 準 (規 範 )」「Kriterien dergelungenenLebensfuehrung (Norme)」「基 礎 付 け義 務 (理 性 倫 理 )」「Begruendungspflicht

(Ⅵ汀nur此e仇ik)」「対話 の 中で論証 的意思疎通 を 通 じた基礎付 け (対話的倫理)」「Begtlruendung durchargumentativeVerstaendigungim Dialog (kommunikativeEthik)」、 「利 潤 目的の状況 的制 限 (衝突 ・葛藤倫理)」「situativeBeschraenknng desGewinnziels (KoIdildethik)」、「権 利 との 関 係 (自己義 務 と して の倫理 )」「Verhaeltniszum Recht(Ethikalsselbstverpflichtung)」、 とい うよ うに区分 し、 さらに、「企業倫理の事実 目標導入

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「ドイツ経営経済学 におけるCSRに関す る一考察」 11

rsachzielorientierungderUnternehmensethikJ として、それぞれについて詳 しい考察 を している。

本稿 に於 ける 「ドイツの企業倫理の代表的研究 者の一人」 として提示す るシュタインマ ンは、企 業倫理 をこのよ うに6つの内的要素 に分類 してい るが、 これ らに含まれ る要素 としての これ らの意 味す るところはどうい うことなのかを、以下 にて 提示す る。この ことによって、彼の主張 がどういっ た ものに重点 を置いてい るのか、即 ち、「彼の主張

が判明す ることになるであろう。

さて、1つ めの、「好 ま しい生活態度の基準 (規 範)」で あるが、 ここで彼 はどういった主張 を し てい るのであろ うかO それは、「企業倫理 には規 範 が重要である。 これについては、企業倫理 につ いての要請 が重要 で あ り、一定の条件 に よって 決定 され た行動 を実行、 も しくは一定 の結果 を 導 くことが重要 である」xvと述べてい る。 そ して、

このような規範 には、「一般的に物理的方法 にも、

過程的な方法 に も重要であ りうるものである xv‑)

と主張す る。 ここでい う 「物理的方法」 とは、法 令などの規制の ことであ り、例 として彼 は 「たと えば法令に準拠 した企業行動支援 によって、販売 者の行動に倫理的枠組みが与 えられ うるとい う販 売促進の処置が規定 され うる」 xviiとしてい る. そ

して、 この物理 的規範 を発展せ しめるもの として、

諸制度 (Inst血tionen)が最初 に発展 を促進す る ものであると述べている。 この諸制度 を発展 させ るとい うことが過程的規範であり、過程的規範で たびたび議論 されている提案 は 「倫理委員会の構 築(dieKonstruktioneinerEthik‑Kommission)」xviii であるとい う。即 ち、過程的規範 によって、倫理 委員会 などの設置 ・設立 が議論 され、それによっ て、物理的規範である、法令 などの諸制度 が規定

され るとい うことが重要 であると述べている。

2つめの 「基礎付 け義務 (理性倫理)」では、理 性的な実際の行動 と、非理性的行動 に対す る指導 が問題 となる。基礎付 け義務 とい う言葉で表 され る理性倫理 とは、以下の シュタインマ ンの主張に 基づ く用語である。即ち、 シュタインマ ンは理性 が重要であると主張 し、そこで理性倫理、つ まり

倫理 に照 らし合 わせ た理性的な行動が、社会 に害 悪 とな らないことが重要 であると しているのであ

る。 これが理性倫理である。

実際の行動、具休的には、企業 が個 々に とる経 済行為は、法律等の社会的諸規制 によって規制 さ れてはいるものの、 この規制だけでは、現在の企 業の不祥事 を見て も明 らかなよ うに、十分ではな い。 そこで、 「企業 倫理 は理性倫理 と して、哲学 的議論 と結びつ けることの中で考 えられ、理性倫 理 は、自らの行動 目的を自分で決定す ることを正 当化す るもので ある」 xixしてい る。 そ して、理性 倫理 は、「様 々な機会 の中で、経済行為 との関連 か ら生み出 された新たな規範 (倫理) に基づ く実 際的な活動の基準 とな りうる ものである

」 と主 張す る。即ち、経営者個人の正 当性 のある理性 よっ て、全体経済の中で企業 が運営 され るには、理性 倫理 が含まれねばな らないことを示 唆す るもので

ある。

3つ めの 「対話 による論証的意思疎通 を通 じた 基礎付 け (対話倫理

)

」 は、 どの よ うな ことを示 唆す るものなのか。彼の主張によれば、「基礎 的 ・ 現実的な企業倫理の規範 は、論証 を通 じた、対話 的意思疎通でのみ得 られ るべ きで ある xxとい う ものである。企業 内部 においては企業 内部関係者 との協力 を通 じて、 そ して外部 で は同 じ権利 を 持 った論証相手 と しての企業 との対話 を通 じて、

実践的意志伝達の中で、企業倫理 は構築 されねば な らない とい うことを示 してい る。彼 はこの論証 を対話の重要性 を示すために次の ような叙述 して いる。 とい うのは、「ユ ダヤ人 が言 うよ うに、個 人の観察 な くしては対話 は成 り立 たない ものであ

り、そこでは対話的な基礎構築 は発生 しないので ある xx'と述べてい る。 ここで重要 なのは、対話 条件 を設立す るための努力の継続 であ り、企業倫 理 を内部や外部 によって固定化す ることを目的 と す るのではな く、対話によって時間的な制約 を受 けずに、企業倫理 は 「独 自や定説 と して理解 され てはな らな

」x血とい うことを主張 しているO不 断の努力‑対話 によって、企業倫理 は理解 されね ばな らない とい うことを主張 してい るのである。

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12 神 奈川大学大学院経営学研究科 『研究年報』 第10 20063

4つ めの 「利潤 目的の状況 的制限 (衝突 ・葛藤 倫理)」では、そ もそも彼の企業倫理の理解は、「体 系的 ・統一的管理 メカニズムを構築す るのは経済 倫理 の課題 xxjiiで あ り、企業倫理 は利潤 が制 限 され ることを前提 に議論 を展 開 しよ うとしてい る ことを示 している。企業 がその置かれた経済状況 によって利潤が制約 され るとい うことが、企業倫 理 を実践す る上で問題 となるとい うことを示 して い るのである。そ して、彼 は 「人間は多 くの管理 原則や組織文化の形態 について熟考 し、倫理 とい う言葉 によってそれ らを飾 り立て る xxivとしてい る。 しか し、それ らを行 って も、其の企業倫理の 議論 は活発にはな らず、 さらに能率計画や利潤追 求 を支援す る企業倫理 を議論 していては企業倫理 学 は発展 しない と主張す る。彼 は企業倫理的企業 行動 をとる場合 には、その費用が負担 され るもの であ り、 よって、利潤追求 と企業倫理 とは相反す るものであるとい うのである。 ここで言 う費用 と い うのは、例 として倫理委員会の設置や現在 よく 用い られてい るチェ ック リス トの作成、その必要 人員の構成 に関わ る費用等々が挙 げ られ るであろ

う。

5つ めの 「権利 との関係 (自己義務 としての倫 哩)」 では、「企業倫理 は自己義務の行為 として理 解 されねば な らない」 xxvと主張 し、 「利潤努力の 制限は、原則的には既 に、多岐にわたる国の法規 によって も生 じてい るため、企業倫理 は政府 (な どの上部機 関)が遂行す るのではない規則 によっ て発展 させ られ るべ きである」 Ⅹyiとい うことを主 張 している。 そ して、「企業倫理 とい うのはつ ま り、

営利追求の原則 を通 してのみ状況 に応 じて改善 さ れ るのではな く、関連す る制度 によって も状況 に 応 じて改善 され る、 と考 え られ る」 xxviiと述べ て いる。 ここで企業倫理 は、経営者 自身や、その企 業文化による組織構成員による自己の義務 として 理解 されねばな らない とい うことを主張 している0

6つ めの 「企業倫理 の事実 目標導入」 で主張 し ていることは、企業倫理 を考 える場合 に、企業 は その内部関係の協調 とともに、企業の外部関係 と の協調 もまた重要であ り、それ らの協調 な しでは、

企業倫理 は実質的に導入 され えない とい うことを 述べ てい るxxviil, そ もそ も企業倫理 はその当該企 業 内部に於いて考察 され るものであ り、 どうして も外部関係 が見落 とされがちである。 そこで、彼 は当該企業内部 における対話 を通 じた合意 と、そ れに加 えて企業外部の利害関係者 との対話 を通 じ た合意がな されなければ、企業倫理の実際的な導 入 は不可能であるとい うことを示唆す るものであ る。

以上の ことをまとめると、つ ぎの ようなことが、

彼の主張か ら導出 され るであろう。即 ち、法令等 に準拠 して企業が経済行為 を行 う場合 に、企業倫 理 が問題 とされ るのではな く、法令に準拠す るこ とは当然の ことで あ り、 さらに、 これ に加 えて、

自主 的な経営者やその組織構成員 との対話 を通 じ た合意 によって、 よ り倫理的な経済行為 を遂行す ることを可能 とす ること。そ して利潤原理 に基づ く私的営利追求が、必ず しも社会全体の利益の増 進 には直結 しない ことを示 し、そこで 自己義務的 に企業倫理 を理解 し、遂行す ることによってのみ、

企業の社会 的な責任が遂行 され うるとす る。

この企業 の社会 的な責任の遂行、つ まり倫理的 な企業行動の遂行努力は、その時の経過 とともに 絶 えず行われねばな らない ものであ り、そこには 常 に企業 と社会一般 との 「倫理 的 ・理性 的対話

が存在 しなければな らない とい うことが彼の主張 であるとい えるだろう。

次 にアルバ ッハの主張 を考察す る。 アルバ ッ

は 「経営経済学 の倫理 的根源 は6つ の経営 に関す る諸要素 を もとに して明 らかに され る もので あ る xxixこれ らは経 営経済学 に含 まれ てい る とい うことを彼 は主張 してい る。 そ して以下 の原則、

即 ち、

1 経済性の原則 4 自己決定の原則 2競争経済的原則 5財務バ ランスの原則 3 結合 プロセス 6 自律原則

とい う6原則 を提示 して彼の理論 を主張 している。

アルバ ッハによれば、企業倫理 は経営経済学 に 含 まれてお り、 「企業倫理」 と して個別 に研究 す る必要性 は無 い と主張 してい る。では、それぞれ

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「ドイツ経営経済学におけるCSRに関する一考察

13

の原則 について概述す ることとす る。

1経済性の原則では、F経済的合理性 に基づ くこ とは、即 ちカン トの定言命法である "二世界理論"

に基づ くことである。 ここでい う二世界理論 とは、

常 に 「コンフ リク トのない ものな ど存在 しない」

とい うものであ り、経営 を行 う際に もこの ことは 言 えるものである。外部経済的責任意識が無い場 合 は経済合理性 を追求す ることがで きず、資源 を 浪費す るのみ となる。全ての理性 は、経営経済学 が教 える倫理的公正原則 によって経済性 を発揮で きるものなので ある』 xxx'としてい る。2競 争経済 的原則 では、「競争原則 とは、市場経済 の安定 に おける諸企業の活動原則である。 ここでは活動倫 理 と安定倫理が考察対象 とされ るが、競争経済的 原理には活動倫理が重要である。 この ことはグー テ ンベル クが示 したように、利潤最大化が重要で あるとい うことではない。その活動が重要 なので ある。倫理的経営活動 を怠 っては、利潤最大化は 不可能である。 したがって、競争経済的原則は活 動倫理 的根 源 を包含 してい る」 xxxiとい うことを 示 してい る。3結合 プロセスは、「結合 プロセスと は、平等倫理 と理性倫理の最大化に繋がる生産機 能に有効 な ものである。生産問題 をセ レロヴイツ ツとグーテ ンベル クが取 り上げてい るが、結合 プ ロセスは専門技術的なプロセスではない。それ ら のプロセスは理性 的交換 と、熟練 した職員 との間 に存在す るものなのである」 mri)と述べてい る04 自己決定の原則 は 「理性倫理 と責任倫理は自己決 定の原則の倫理的基礎 を形成す る。経営経済学に おいて、成果の倫理は諸倫理 としてよ り高い意義 を持 っている。 この優位性 は目標倫理か ら導 き出 され るものである」 xxiilとしている。 そ して、5財 務バ ランスの原則では、「財務バ ランスの原則 は、

財務活動 を意味す るものではない。バ ランス倫理 の基礎 に対 して、財務活動が違反す ることに言及 す るものである。財務関係 において 日和見主義的 態度 は、理性倫理 を傷つ けるものである」 xxxivと している。最後 に、6自律原則では、「自律原則は 目標倫理 か ら導 き出 され る。企業の関心は単一の ものの把握 だけでな く、その他の ものの把握 にも

ある。責任倫理に対 して監督者 が違反す るよ うな 行動 をとった場合、 自己の利害関係 は企業の利害

と一致 しないのである」 xVと述べているO 彼の主張 は即 ち、彼 が提示 す る6原則 はいずれ も経営経済学の 中で主 張、証 明 出来得 る もので あ るとい うもので あ り、従 って企業倫理 は個 別 学 問 と して考察 され な くと も良 い とい うこ とで あるO彼 の論文題名 が

「 B

etriebswirtschaftslehre ohneUnternehmensethik!(企業倫理 な き経営経 済学 !)」 とされ るのは、企業倫理学 が含 まれ な い経営経済学 などは存在 しない とい う主張の表れ であろう。

シュタインマ ンは、 「法令等 に準拠 して企業 が 経済行為 を行 う場合 に、企業倫理 が問題 とされ る のではな く、法令 に準拠す ることは当然の ことで あり、 さらに、 これに加 えて、 自主的な経営者や その組織構成 員 との対話 を通 じた合意 によって、

よ り倫理的な経済行為 を遂行す ることを可能 とす ること。 そ して利潤原理 に基づ く私的営利追求 が、

必ず しも社会全体の利益 の増進 には直結 しないこ とを示 し、そこで自己義務的に企業倫理 を理解 し、

遂行す ることによってのみ、企業の社会的な責任 が遂行 され うる」 とい う主張であった。そ してア ルバ ッハの主張 は 「企業 倫理 を形成す るもの は6 原則 によって成 り、 それ ら6原則 は経営経済学 に 包含 されているものである。従 って、経営経済学 の研究で十分であ り、企業倫理 とい う個別学問は 不要である」 とい う主張である。 これ を比較す る と、アルバ ッハ とシュタインマ ンとの間に 「ドイ ツ経営経済学 に対す る認識の相違」が理解で きる のではなかろうか。 シュタインマ ンは ドイツ経営 経済学の中でのみ、企業倫理やC SRといった課 題 を解決 しようとしてい るわけではな く、現代 の ドイツ経営経済学 とアメ リカ経営学の実践的学問 の貢献 を摂取 して企業倫理やC SRを 「個別学問 として研究す る必要 がある」 と考 えているO しか し、 シュタインマ ンと違い、アルバ ッハは ドイツ 経営経済学の中でのみ企業倫理 を捉 え、それは ド イツ経営経済学 によって既 に議論 されて きた もの で、十分解決出来得 るもの と考 えている。 しか し

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現実的にアルバ ッハの主張は現代社会 に貢献で き るものであろうか。次節 にてまとめを行い、筆者 の考 えを述べ ることとす る。

おわ りに

シュタインマ ンは、 「法令等 に準拠 して企業 が 経済行為 を行 う場合 に、企業倫理 が問題 とされ る のではな く、法令 に準拠す ることは当然の ことで あ り、 さらに、 これに加 えて、 自主的な経営者や その組織構成員 との対話 を通 じた合意 によって、

よ り倫理的な経済行為 を遂行す ることを可能 とす ること。そ して利潤原理 に基づ く私的営利追求が、

必ず しも社会全体の利益の増進 には直結 しないこ とを示 し、そこで自己義務的に企業倫理 を理解 し、

遂行す ることによってのみ、企業の社会的な責任 が遂行 され うる」 とい う主張であった。 そ してア ルバ ッハの主張 は 「企業倫理 を形成す るものは6 原則 によって成 り、 それ ら6原則 は経営経済学 に 包含 されてい るものである。従 って、経営経済学 の研究で十分であり、企業倫理 とい う個別学問は 不要である」とい う主張であった。しか しアルバ ッ ハの主張 には限界 が あるように筆者 は考 える。1 経済性の原則では、外部経済的責任意識が無い場 合 は経済合理性 を追求す ることがで きず、資源 を 浪費す るのみ となるとい うことが主張 されていた。

この ことは、経営学 でい う、外部利害 関係者 との 良好 な関係作 りとい うことを意味 し、従来の経営 学 で教 えるもの と変 わ りない。2競争経済 的原則 では、競争原則 とは、市場経済の安定 における諸 企業の活動原則であるとしてお り、不安定 な市場 での経営は困難であるとい う常識的議論 を行って い る。3結合 プロセスでは、理性 的交換 と、熟練 した職員 との間に存在す るものなのであるとされ てお り、「理性 的」 といった経済的交換 と社員 と の様 々なプロセスが円滑 に実施 されなければな ら ない とい うことが述べ られてい る。4自己決定の 原則 では、成果の倫理 は諸倫理 としてよ り高い意 義 を持 っていると述べ られているが、 この ことが 意味す るのは、企業 が利潤 を最大化す るよ う振舞 うことは当然であるとい うことを指す。 しか しな

が ら、その利潤最大化 は様 々な倫理の上 に成 り立 つ もので ある。5財務バ ランスの原則 で は財務活 動が法律や倫理 に違反す ることに言及 した もので あった。 この ことは粉飾決算 などに相 当す るもの で、 当然 の ことなが ら、違反 は企業 に とってマ イナスの効果 を もた らす ものである。6自律原則 は目標倫理か ら導 き出 され るとし、企業の関心は 様 々な情報の把握 にあるとしている。 この ことも、

ヒ ト、モ ノ、カネ、情報 とい う経営資源 に依 って いる企業には一般 的なことである。

以上 よ り、 アルバ ッハ の主張、「経営経済学 が あれば企業倫理 は不要 である」 とい うものに も、

ある意味妥当性 があると考 えられ る。 しか しなが ら、筆者 はアルバ ッハが述べている倫理 につ いて の解説が、論文では不十分であ り、そ もそ も 「倫 理」 とい うものが経営経済学で教 えられない以上、

企業倫理 に関す る研究 は経営経済学 に とって有益 なものであると考 える。

そ して筆者 は、 シュタインマ ンの学説 に依拠 し なければ、CSRの研究 は進展 しない と考 えてい る。即 ち、先述 したよ うに、 ドイツ経営経済学 は、

その生成期か らの要請 によって、実践的学科 とし ての機能 を十分にはた して こなかった といわれ る。

その理 由 として、企業倫理学説代表の一人 として とりあげるシュタイ ンマ ンは、 「経営経済学 が倫 理、経済倫理 との関係 を十分に解明 して こなかっ た Xxxviことを挙 げてい るためで ある。純粋学 問 としての研究 としてC SRは研究 され るべ きであ ることに も触れたが、筆者 はどのような学問であ れ、社会 的に貢献で きない学問、特 に経営学、経 済学の ような学問は直接的に社会 に貢献可能な学 問で あ り、加 えて、C SR、即 ち 「社会 的責任

といった学問は現実社会 において貢献で きなけれ ばその学問的発展 は無意味であると考 えるためで ある。 CSR研究 は純粋に学問 として研究 されな ければな らない。 それは 「社会 的責任」 とい う重 大 な責任 を研究者 に も要求す るものであ り、偽善 的な ものであってはな らない。 しか しなが ら、そ れが純粋学問か ら発達 した後、一般社会 において 応用で きなければ、それ は 「社会 的責任」 を研究

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「ドイツ経営経済学におけるCSRに関する一考察

15

したことにはな らず、偽善以下の もの となるであ ろ う。筆者 はCSRの研究が人頬の為 になる経営 経済学の応 用学問 と して位置づ けてお り、今後の 研究 が一般社会 に偽善 的にではな く、規範的 ・道 徳 的に定着 す るべ き学問であると考 えてい ること を強 く主張 したい。経営学 とい う応 用科学の課題 となるのは、実践 的な社会生活に於 け る問題 を解 決す ることであ り、そのための手段や方法 を研究 す るために、理論科学の成果 を応用 し、実践的な 問題 を解決す ることなのである。

参考文献

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iv 上掲書pp92‑93

V ギュ ンタ一 ・ドゥル ーゴス講演 高橋 由明訳

『企業利害 と疑 わ しい倫理 指針要 因 と しての 公 共 の福 祉

商学 論某 第32巻4号 中央 大 学商学研究会p94

d 上掲書p98

vii 大橋 昭一編著 『ニ ック リッシュの経営学

p311 同文舘 1996年

viii ここでい う企業者 とは、企業 の所有者兼経営 者 とい う存在 を さし、 ブ レンタ‑ノは、特定 少数の彼 らの よ うな存在のみ が多大 な利益 を 得 ることに対す る問題 を提起 したのであ る。

LX EuropeanMultistakeholderForum onCSR

"Financialresultsandrecommendation"

2004

x HorstStienmann"Unternehmensethik‑Zur GeschichteeinesungeliebtenKindesder Btriebswirtschaftslehre"明 治 大 学 学 会 冊 子 2002年

xi 田中照純 『現代 ドイツ経営経済学』 p691 19‑ p7012税務経理協会 1997年 xii 田中氏 はこの よ うに論 じてい るが、筆者 は未

だアメ リカ他諸外国に於 いて もCSR・企業 倫理の研究 は継続 的に行 われてお り、発展段 階にあると考 えている。

xi'i HorstSteinmann/AlbertLoehr"Einleitung:

GrundfragenundProblembestaendeeiner Unternehmensethik"in"Unternelm ensethik"

HorstSteinmann/AlbertI.oer(HRSG) p10 123‑ 28 1990

xlv HorstSteinmann/瓜bertLoehr"Einleitung:

GrundfragenundProb】embestaendeeiner Unternehmensethik"in"Unternehmensethik"

HorstSteinmann/AlbertLoer (HRSG) p4125‑ 26

Ebd.slll1‑ 4

(14)

16 神奈川大学大学院経営学研究科 『研究年報』 第10 20063月

xvl Ebd.sl114‑ 6 xvr' Ebd.sll17‑ 10 xvi" Ebd.sll117

xlX HorstSteinmann/AlbertLoehr"Einleitung:

GrundfragenundProblembestaendeeiner Unternehmensethik"in"Unternehmense血ik"

HorstSteinmann/AlbertLoer(HRSG)sll1 30‑ 33 1990

Ebd.sl215‑ 7

xxi Ebd.sl2114‑ 15

xx]i Ebd.S1313‑ 4

xxiiiEbd.S13118‑ 21

xxiv HorstSteinmann/AlbertLoehr"Einleitung:

GrundfragenundProblembestaendeeiner Unternehmensethik"in"Unternehmensethik"

HorstSteinmann/Albertl刀er(HRSG)S13 118‑ 21

xxv Ebd.S1413‑ 4 那 Ebd.sl3134‑p1413 xxl。iEbd.S14I25‑ 27

xINiiiEbd.S14132‑ p1512 血 zfB75.Jg.(2005)H.9p830 xn Ebd.S811

xxxi Ebd.S812

xxxiiEbd.S813‑p814

xxxii'Ebd.S818

m ivEbd.S821

X zfB75.Jg.(2005)H.9 S82l

w iHorstStienmann"Unternehmensethik‑Zur GeschichteeinesungeliebtenKindesder Btriebswirtscha氏slehre"明治大学学会 冊子 2002年

参照

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