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トロイアのヘレネーと聖女アンナ ―― 美術展随想 ――

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Academic year: 2021

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美術展随想

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2012年6月22日パリ

宮 嵜 克 裕

 2012年4月からはじまったパリでの在外研究の一年間、わたしはマラルメ 研究のかたわら、特別展が開催されるたびによく美術館を訪ねに行ったもの である。ルーブルやオルセーの常設展にもなんどか足を運んでいるので、一 年間ですくなくとも20回くらいは絵や彫刻や工芸にふれたことになろうか。

 以下にしるすのは、とくにつよい感銘を受け、いまなお網膜に残像のよう に残るふたつの展覧会へ行った日の夜に書いた日誌の抜萃である。

 日誌によれば、ふたつの展覧会とも2012年6月22日の午後に見に行ってい る。すでに夏時間にはいり、日没もだいぶ遅くなっていたパリに、ときおり セーヌから運ばれてくるさわやかな初夏のそよ風にさそいだされたのかもし れない。

☆ ☆ ☆

ギュスターヴ・モロー「《トロイアのヘレネー》――壮麗なる美」展1)

国立ギュスターヴ・モロー美術館 パリ9区

 2012年6月22日金曜 ヌイイ=シュル=セーヌ。午前中曇。肌寒い。午後 快晴。汗ばむ陽気。久しぶりのモロー美術館。16年ぶりの再訪。パリ9区ま で足をのばすのも久しぶりだ。メトロ12号線トリニテ駅で下車し、地上に出 ると、目の前はデスティエンヌ・ドルヴ広場。右手の小さなトリニテ公園の 向こうには、パリ・トリニテ教会。一棟の鐘楼だけの、瀟洒な佇まいの教会 は、おそらくパリで最も美しい形態をもつ教会のひとつであろう。

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 デスティエンヌ・ドルブ広場からサン・ラザール通りを東に2分ほど歩き、

ラ・ロシュフコー通りを左折して、北に1分ほど行くと、入り口近くにフラ ンスの国旗が掲げられた国立ギュスターヴ・モロー美術館に到着する。美術 館のファサードは、壁面の汚れがきれいに落とされ、薄い肌色の石壁が新築 の建物のように露呈しており、16年前に訪れたときの面影がない。16年前の あの汚れて黒ずんでいたファサードの方が、かえって画家モローの生きた19 世紀末をしのばせ、情緒があったので少し残念である。

 美術館の建物は、画家と家族が実際に暮らしていた旧居で、1階(日本式2 階)には、居間、書斎、寝室、食堂などの居住スペース、2階と3階には画家 のアトリエがほぼ当時のまま保存されている。16年前に来たときには閉館ま ぎわだったので、1階居住部分を見る時間がなかったが、今回はすこし余裕 があったので、特別展を見る前に、じっくりと見学する。1階のほとんどの 部屋には、ユイスマンスの小説『さかしま』の主人公デゼッサントの部屋か、

そのモデルとなったロベール・ド・モンテスキウ伯爵の部屋かと見まごうほ どの絢爛豪華たる室内装飾が施され、おびただしい数の絵画や珍奇な美術工 芸品にあふれかえり、これこそまさしく世紀末パリの神経症美学の範である かのような異様な美しさである。デゼッサントが崇拝した詩人マラルメの部

1 パリ・トリニテ教会

(パリ9区) 2 モロー美術館のファサード

(パリ9区)

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屋のあまりにも質素な室内装飾とは比較にならないほどの贅沢このうえない 耽美的室内装飾の精華であり、逆に空虚すら覚えてしまう。

 画家のアトリエだった2階と3階は広い部屋で、いずれも天井高が4メート ル以上、50坪以上はあるかとおもわれる。3階へは2階左手奥の瀟洒な螺旋階 段で上がるが、スケルトン型階段のため、途中で2階フロア全体が俯瞰でき る(図5)。2階と3階の四方の壁面にはすべて、画家の完成作や習作、素描が

図3 モローの寝室 パリ ギュスターヴ・モロー美術館1階

図4 モローの部屋 パリ ギュスターヴ・モロー美術館1階

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床から天井までいたるところに展示されており、その膨大な量に一瞬、眩暈 がする。特別展の作品群は、2階奥の青い壁面のところにまとめて展示され ているが、常設展とのあいだに間仕切りがないため、常設展の作品群と比較 しながら同時に鑑賞できる。

 今回の特別展は、ギリシア神話のゼウスとレダの娘ヘレネーがテーマで、

トロイア戦争勃発の原因となった宿命の女として、これまでホメーロスやエ ウリピデスなど、かずかずの文学作品に登場してきたが、特にゲーテのヘレ ネー像に霊感をうけたモローが、1878年ごろから死の直前まで20年以上にわ たって、強迫観念に取り憑かれたかのように執拗に取り組んでいた画題であ る。モローと言えばすぐに《サロメ》連作が想起されるが、ヘレネーもサロ メ神話におとらず、モローにとって重要な画題であったことはほとんど知ら れていない。その点でも、この展覧会の開催意義はきわめて大きいと思われ る。

 2階奥の特別展会場(図5)には、1880年の官展に出展された、現在所在不 明の《トロイアのヘレネー》を除き(モノクロ写真版複製のみ展示)、《ヘレ ネー》を主題とする連作や習作、素描などがところ狭しと展示されている。

キャプションには正確な制作年代は記されてはいないが、観覧順序が番号札 で指示されているので、おそらく本展監修者によって制作年代順に並べられ

図5 特別展会場(モロー美術館2階奥,螺旋階段より撮影)

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ていたようである。その順序にしたがって《ヘレネー》連作や習作を見てい くと、驚くべきことに、次第にヘレネーの顔や人体の写実的細部が単純化さ れていき、最後にはほとんどその形象が消失している段階にまで達している ものまである。そこでは、筆触の物質的な痕跡だけがタブローの表層になま なましく剥き出しになっており、その痕跡の線描をなんども眼でたどること で、かろうじてそれがヘレネーの姿だと判別される(図6)。この段階の《ヘ レネー》には、20世紀のフォービズムか、あるいは戦後の抽象表現主義をは やくも先取りしているかのような抽象化の志向が如実に認められる。

 ところが、不思議なことに、初期の《トロイアのヘレネー》連作では、弟 子マチスの《生の悦び》などを彷彿とさせる抽象化の方向に向かっていたか に思われたモローが、後期の《ヘレネー》連作になると、再び古典主義的な 写実性を取り戻し、具象性へと回帰していく。だが、それは見かけだけの退 行であり、実際、後期《ヘレネー》連作の細部を仔細に観察すると、その写 実的形象の上には装飾的な線描がいくつも施されており、異様な装飾化の傾 向が認められる。これは《サロメ》連作にも見られる特徴である。常設展に

図6 モロー《ヘレネー》(部分)厚紙に油彩 55x45

パリ ギュスターヴ・モロー美術館蔵 撮影は筆者自身

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展示されているこの画家の《刺青のサロメ》からも如実にうかがわれるよう に、このサロメの裸体の上から刺青のように描かれた装飾模様は、サロメの 裸体をはみ出し、もはや刺青ではなく、タブローの表層にサロメの刺青とは 無関係に描かれた抽象的な模様として、あらたな別の空間を切り開いている

(図7)。それはあたかも、すでに描かれたタブローのサロメの形象の上から、

その形象を否定するかのようにタブローそれ自体の装飾として線描を加える ことによって、そこにはタブローの表象とその表象自体を否定する装飾的線 描とが互いに拮抗する緊張関係が発生し、そこからタブローの空間が二重化 され、多層化されているかのようである。同時に、この装飾模様によって、

最初のサロメ神話とは異質な、絵画という芸術表象それ自体を疑問に付すよ うな別の主題も導入されている。つまり、サロメ神話と調和した表層に、物 語性の否定としての装飾性が新たに生起し自律しているのである。

 西洋絵画は、20世紀のフォービズムや抽象絵画へと至るためには、19世紀 末のモローに認められるような、このような過剰な装飾性の経験をいったん 通過せねばならなかったのであろうか。

図7 モロー《サロメ》(部分)1876年

パリ ギュスターヴ・モローモロー美術館蔵 撮影は筆者

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☆ ☆ ☆

「レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作《聖女アンナ》」展2)

ルーブル美術館 パリ1区 2012年6月22日夕刻

 午後5時半頃ルーブル着。閉館時間が午後9時までだったので、午後8時半 までダ・ヴィンチ《聖女アンナ》展観覧。

 ルーブルが所蔵するダ・ヴィンチの作品群――《聖女アンナ》、《岩窟の聖 母》、《聖ヨハネ》、《イザベラ・エステの肖像》、《モナ・リザ》――のうち、《モ ナ・リザ》以外のすべての作品がこの特別展のために一同に集められて展示 されている。また、ラファエロ《美しき女庭師》(ルーブル蔵)、ラファエロ とミケランジェロがダ・ヴィンチの《聖女アンナ》に霊感を受けて描いた作 品、英国ナショナル・ギャラリー蔵のダ・ヴィンチ《聖女アンナ》初期習作 も展示されていた。さらに、《聖女アンナ》関連のダ・ヴィンチ手稿――ウ インザー手稿、パリ手稿(詩人のポール・ヴァレリーは22歳頃、「レオナルド・

ダ・ヴィンチ論」を執筆するためパリ学士院図書館でこれを閲覧している)、

図8 レオナルド・ダ・ヴィンチ《聖母子と聖女アンナ》 1510年頃

パリ ルーブル美術館

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ミラノ手稿、英国女王エリザベス二世蔵のダ・ヴィンチ手稿――も展示され ており、さすがは世界最大の美術館ルーブルだと唸らせる。おそらく近年の ダ・ヴィンチ展としてはきわめて重要な展覧会であろう。さらに2008年の赤 外線分析によって、《聖女アンナ》の画布の裏に、この画家による《アンギ エリの闘い》の馬の頭部の習作が描かれていることが初めて明らかにされた が、展覧会会場では、この馬の頭部も観覧できるように展示が工夫されてい る(ただし、馬の頭部の素描は肉眼では判明しがたい)。

 数年前、ペイターとヴァレリーのダ・ヴィンチ論を検討した講義で(2010 年度春学期「外国文学(フランス編)」)、ダ・ヴィンチの全作品を検証して いたときに感じたことだが、この特別展監修者も主張しているように、ダ・

ヴィンチの最高傑作は、《モナ・リザ》(ジョコンダ)では断じてなく、《聖 女アンナ》(図8)だと、実物を目の前にしてあらためて認識する。アンナが マリアと幼子イエスに差し向けるあの慈愛に満ちた微笑の瞑想的な美しさは

(あえてダ・ヴィンチはアンナの瞳を描かなかった)、瞳の描かれたジョコン ダの微笑をはるかに凌駕している。マラルメが《モナ・リザ》をルーブルで 見ていることは、書簡からたぶん確かな事実だが、この《聖女アンナ》の方 も見ていたのだろうか?ヴァレリーとプルーストはおそらく見ていたはずだ が。

 また、マリアが幼子イエスにさしだす腕の運動性、その右腕にまとわりつ く袖の薄い生地の襞の描き方には、単なる写実性を超えた、えも言われぬ美 しさがある。右腕の袖の薄い生地の波うつ襞のうえから、マリアの乳白色の 肌がほのかに描かれており、その微細な描き方はもはや人間がなせる技とは 思われない。

 さらに、《聖女アンナ》の後景には、《モナ・リザ》にも描かれているよう な荒涼たる岩山と河川の水の流れの風景がみとめられるが、これは、故ダニ エル・アラスが《モナ・リザ》論で述べているように3)、人間が存在する以 前の原始の光景であり、この《聖女アンナ》においてもダ・ヴィンチは、人 類の始原の時間と慈愛に満ちた母なる女性とを融合させ、ひとつに結晶化し たのかもしれない。

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 夜9時半頃帰宅。

 ふたつの展覧会を梯子するという超ハードなスケジュールだったが、心地 よい疲労をともなう充実した午後であった。

 その夜、床に就き、眼をとじたあとも、あのヘレネーの謎めいた抽象的な 容貌と聖女アンナの慈愛にみちた微笑が、網膜になんどもよみがえった。そ のうち、いつしかわたしは深い眠りについていた。

1) Exposition Gustave Moreau Hélène de Troie. La Beauté en majesté, Paris, Musée national Gustave Moreau, du 21 mars au 25 juin 2012, Marie-Cécile Forest et Pierre Pinchon (commissariats).

2) Exposition La Sainte Anne l’ultime chef-d’œuvre de Léonard de Vinci, Paris, Musée du Louvre, du 29 mars au 25 juin 2012, Vincent Delieuvin (sous la dir.).

3) Daniel Arasse, Histoire de peintures, Paris, Denoël, 2004, pp. 31-32. ダニエル・アラス

(1944-2003)は,フランスの美術史家。フランス国立社会科学高等研究院元教授。

2003年歿。専門はイタリア・ルネサンス美術。主要著作は,『タブローのなかの 主 体 ――分 析 的 図 像 学 試 論 』(Le Sujet dans le tableau. Essai d’iconographie analytique, Flammarion, 1997),『レオナルド・ダ・ヴィンチ ――世界の律動』

(Léonard de Vinci. Le rythme du monde, Hazan, 1997),『イタリアの受胎告知 ―― あ る透視図法の歴史』(L’Anonnciation italienne. Une histoire de perspective, Paris, Hazan, 1999)など。なお,今年度(2013年度)春学期の「フランス語言語文化原 典演習」の授業では,アラスが《モナリザ》を分析したテクスト(仏語)を教材 に使用した。

参照

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