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智山學報 第47 - 009藤田 隆乗「頼瑜の浄土観(二)」

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(1)

頼瑜の浄土観 (二 〉   頼 瑜 ( 一 二 二 六 〜 一 三 〇 四 ) は

倉 時 代 末

に 活 躍 し た

真 言 教 学 の 確 立 者 で あ る 。

瑜 の 生 き た

代 は 、 既 に 末 法 ( 永 承 七 年 一 〇 五 二 ) に 入 っ て か ら 約 } 七 〇

、 生 前 中 に は 二

古 襲 来 、 す な わ ち

の 役 ( 文 永 十 一 年 囗 一 二 七 四 ) ・ 弘

の 役 ( 弘 安 四 年 目 一 二 八 一 ) が あ っ て

字 ど お り 国 難 の 世 で あ っ た 。 こ の よ う な 時 代 状 況 の な か で 、 時 代 は

然 、

、 一 遍 な ど 淨 土 思 想 家 を 輩 出 し た 。 彼 ら と ほ ぼ 同 時 代 を 生 き た 頼 瑜 に と っ て も 淨 土 思 想 は

で き な い 状 況 に あ っ た と 考 え ら れ る 。   頼 瑜 に 関

る 従 来 の 研 究 は 加

法 説 を 中 心 と し た も の が

い 。 確 か に 教 主 義 は 根 来 山 の 新 義 真 言

と 高 野 山 の 古 義 真 言

の 教 義 を 区 別 す る

上 の 重 要 な 問 題 点 で は

る 。 し か し こ れ を も っ て 頼 瑜 教 学 の 全

ら か に さ れ た と は 言 え な い 。   そ こ で

稿 で は 頼 瑜 の 浄 土 観 、 往 生

に 視

を 置 い て 頼 瑜 教

の 一 側 面 を

っ て み た い 。 −

(2)

智 山学報第四七輯

  頼 瑜 の

の 中 か ら 浄 土 ・

生 に 関 す る 記 述 を 検

し た い 。

ず は 頼 瑜 の 弟 子 の 頼 豪 ( 一 二 八 二 〜 = 二 六 〇 、 頼 踰

時 二 二 歳 ) が

し た と 推 定 さ れ る 『 束 草

  を 見 て み た い 。

密 に は 『

醺 は 伝 記

料 と は 言 え な い が 、

者 の 頼

は 頼 瑜 に

接 教 え を

け て お り 、

来 時

の 頼 瑜 あ る い は そ の

た ち の 消 息 を

え る

重 な 史 料 で あ る 。       中

竪 義 前

最 初 2 夫 れ 以 み れ ば 一 代 利 物 の 竟 り 釈 尊 、 光 を 鶴 林 の 煙 に 隠 し 、 三 蔵 結

、 迦

形 を

足 の

る 。

縁 已 に 盡 れ ば 如

な お

退

の 疑 を な

。 弘 通

く 窮 は 、

聖 ま た 縁 謝 即 滅 の 相 を

す 。

れ ば

ち 先

聖 霊

の 終 を 七 十

の 星 霜 に

し 圓 寂 別 を 二 十 九

の 涼

に 告 ぐ 。

し て 惟 み れ ば 生 前 薫 修 の 日 常 に 阿

の 正

に 入 り

念 を 凝 ら す 。 最

の 時 、 方 に 無 量 壽 の 秘

に 住 し て 圓 寂 に 帰 す る 。

世 の 行

已 に 此

す 。 已 隼 修

盍 ぞ 此

ら ざ る 。 是 の

に 護

一 門 諸 徳 、

今 臼 を 迎 え て 此 一

を 設 け た ま え り 。 其

の 體 と な す な り 。 先

  坐 の

膓 を 飾 り 弥 陀 の

を 讃 ず る 。

で 竪

五 門 の 齋 莚 を

ろ い

勝 門 の 義 科 を 決 す 。 観 は 夫 れ 微 、 供 は 是 の 故 に

ぞ 必 ず 霜 を

山 の 雲 を

ん 。

伽 は ま た 遺 跡 の 花

か さ ら に 凍 を 叩 い て

の 月 を 汲 ん 、 世 間 出 世 間 な お

芳 を

さ ん 。

俗 諦 ま た 法 主 の 深 信 を

ず る も の な り 。 も し し か ら ば 聖 霊

浄 の 蓮 は 外

よ り 生 じ 、

の 月 は

字 の 胸 を

ら さ ん 。 乃 至

界.

182

(3)

頼瑜の浄土観 (二) こ の こ と か ら 頼 瑜 が 日 常 、 阿 弥

如 来 の 三

し て い た こ と 、 臨 終 に は 無 量

寿

の 秘

ん で 示 寂 し た こ と が 分 か る 。 ま た こ の 故

に 因 ん で

来 山 で は 中

院 竪 義 と

し て 、 頼 瑜 の

日 で あ る 正 月 一 日 を 一 ヶ 月 繰 り 上 げ て 十 二 月 一 日 に 『 釈 摩 訶 衍 論 』

十 巻 の 中 の 「

向 勝 不

退

門 」 に

す る 論 義 を

っ て い た こ と が 分 か る 。   次 に 伝 記

料 の

 

』 3

 

『 本

伝 』 4

 

』 5

 

燈 廣 録 』 6

 

教 傳 来 三 國 祖 師 血 脈

』 7 等 か ら 頼 瑜 の 示 寂 に 関

る 記 述 を

て み た い 。

 

『 結

」 中     嘉 元

、 伝 法

会 を 勤 め 釈 論 愚

を 集 記 し て

六 の 中 に 至 る 。 第 六 の 下 よ り 已 去 八 冊 は 和

記 に あ ら

。     後 に

草 を 以 て こ れ に 続 て 全 二 十 巻 と な す 。 こ の

、 風 寒 を

じ 自 ら 起 た

る を 知 り

を 遺 嘱     す 。

正 月 朔 日 忽 ち 起 て 座 し 正

量 壽 印 を 結 ん で 晏

と し て

す 。

に 嘉 元 二

な り 。 世

享 る     に 七

九 。

 

『 本

』 巻

十 六     嘉 元

、 釋 論 愚

十 二 巻 を

す 。 是 歳 の 仲

、 風 に 疾 む 。 自 ら

た ざ る を

り 後

を 遺 嘱 す 。 翌

、 正 月 朔     日 、

坐 正

し 弥 陀 の

を 結 び 湛 然 と し て 化 す 。

年 七 十

九 。

 

『 東 国

』 巻

十     嘉 元

十 一 月 、 疾 に 遘 い

ら 時 至 を 知 り

を 嘱 す 。 明

正 月

日 、

ち 起 き て 趺 座 す 。 無 量

印 を 結 ん で     晏 然 と し て 化 す 。 世 壽

閲 す る に 七 十 九

 

『 績

』 巻

十 之 下    

、 仲 冬 、 霜 寒 に 痛 む 。 増 ま す

こ と 深 し 。

た ざ る こ と を 知 っ て 咸 な 徒

し て 、 後 事 を     誠 る こ と 丁

な り 。 明

、 正 月

日 に 起 座 し 無 量

の 印 定 に 住 し 静 然 と し て 寂 す 。 七 十

九 。

183

(4)

智 山学報 第四十七輯

 

『 密 教

三 國 視

血 脈

』     嘉 元 二

、 甲 辰 正 月 朔 日 、 無 量

寿

を 結 び 起 座 し て 化 す 、 世 壽 七 十 九 歳 『 結 網

』 以 下 ほ ぼ 問 様 の 記 述 で あ る が 、 『

伝 』 の み 阿 弥 陀

と あ る

は 皆 、 無 量

寿

の 印 を 結 び

し た と 記 し て い る 。 『 束 草

』 が こ れ ら の

述 の 根 拠 と な っ た も の と 考 え ら れ る 。

つ い

  さ て 頼 瑜 は 臨

に 際 し て

量 寿 印 を

び 遷

し た わ け で あ る が 、 こ の 臨

の 印 に 関 し て 「 真

抄 』 に 次 の よ う な 記 述 が

る 。

 

臨 終 印 明

8    

な り 。 但 し 風 空 の 問 少 し 圓 穴 に な す べ し 歟 。 八

は 八

。 風 空 の 問 の 圓 穴 は 月

。 左 の 空

は 本

    の 彌 陀 。 右 の 空

生 の 彌 陀 。 二 空

る は 是 れ 本 有

生 不 二 、 本

の 意 な り 。

に 縛 す る 両

掌 は     月 翰 、

音 勢 至 の 二 菩

な り 。 是 れ 即 ち 八 葉 上 の 月 輪 な り 。 月 輪 の 上 に

證 不 二 の 弥 陀 を

じ 、 彌 陀 の 左    

に 観 音

至 の 二

薩 こ れ を 観 ず べ し 。 明 は 南 無 阿 弥 陀 仏 十

。       木

音 院 に 於 い て

永 二 年 七 月

八 日 酉 刻 傳

奉 り 畢 ぬ 。 師 の 云 く 此 の 印 明 は 安 祥

流 最

な り 。

 

臨 終

9   問 う 。 如 何 。

う 。 御 口 に 云 く 、 人 の

っ て 用 る 所 の 印 不 同 な り 。 仍 っ て 行 者 の

に 随 う べ し 。

れ   の 印 言 を も 用 ゆ べ し 。 一 切 の 印

は 皆 是 れ 入 佛 の

路 、 成 覺 の

道 の

に 。 或 は

分 外 縛 の

を 用 う 、 此 の 印

184

− 一

(5)

頼瑜の観 (     は 即 ち 日 輪 の

の 故 に 。 又

陀 の 根 本

は 此 の

よ り 起 る

な り 。     成 就

寛 助

正 は 都

う 故 に 金 剛

印 m を 用

。 明 は

に こ れ 尋 る べ し

 

此 れ

な る 歟 。

 

に よ れ ば 文

二 年 ( 一 二 ⊥ ハ 五 ) 頼

歳 の

に 、 木

院 に お い て 真 空 か ら 臨 終 の

と し て 「 外

し て 二 空 を 交 叉 し 二 空 . 二

の 問 を

し あ け て 圓 形 に す る 」 と あ る よ

に 阿 弥 陀 定 印 を

け た こ と が 分 か る 。 ま た

 

に あ る 御 口 決 と は

恩 院

の 口 決 で あ る 。 こ れ に つ い て 憲 深

が 教 相

相 の 肝 要 を 十

に 分 け て

し た 『

抄 』 の 第 十 「

來 生 死 大 事 第 十 」 . に は 、     問

は 臨

は 印 言 を 用 う べ き や 。 答

。 用

は 意 に 任 す 云 . 。 重 て 問

し こ れ を 用 う は     何 の

言 を 用

や 。

う 。 習 に 依 り て 尋 ぬ べ し 。 と あ っ て 同 一 の 内 容 が

さ れ て い る 。 こ れ は 臨

の 大

を 説 い た も の で あ る 。   憲 深 の 口

に よ れ ば 、 真 言

が 臨 終 の

に 用 い る

は 、 い ず れ の 印 契 と

で あ っ て も か ま わ な い 。 な ぜ な ら ば 、 い

れ の

言 も 入

の 徑 路 で あ

成 佛 へ の

道 で あ る か ら で あ る 。 そ し て 用 い る 印

・ 真 言 の 選 択 は

人 の

に 任 さ れ て い る 。 そ の 一 例 と し て

教 大 師 の

で あ る 成 就 院 の 寛 助 は 、 都 率

生 を 願 い 金 剛 輪

を 用 い た と

る 。

 

 

の 記 述 か ら

が 臨 終 の 際 に 結 ん だ

は 、 木 幡 の

空 か ら 伝

さ れ た 阿 弥 陀 如

の そ れ で あ り 、

述 の

の 記 述 と 一 致 す る 。   と こ ろ で 『

草 集 』 は 、 頼 瑜 が 日 頃 か ら 阿 彌 陀 如 来 の 三

地 法 を 修 し て い た こ と を 伝 え て い る が 、 頼 瑜 自

も 『 祕

』 呪 の な か で 、     問

儀 軌 に 大 日 弥 陀

真 言 な り と 云 . 。

の 文 か 。

う 。

言 儀

に 云 く 、 こ の

毘 盧 遮 那 如

、 無     量 寿

の 両

来 の 心 中

な り 。 一

を 誦 せ ば 百 億

量 の 大 乗

、 百

無 量 の

を 誦 し 畢 な り 。

も     こ の

毘 盧

の 肝 心 秘

呪 な り と

り 。

185

(6)

智 山学報 第四十七

に 云 く 、 こ の

っ て 阿 弥 陀 を 以 て

す 。

軌 の

る 。 何 ぞ こ れ 偽 説 と い

や 。 中 ん 就 く に       毘 盧 、 弥 陀 は 同 体 異 名 な

。 安 養 蔵 は 同 じ く 仏 の 遊 処 な り 。

阿 彌 陀 を 以 て 本 尊 と

す 。

に 胎 蔵 法       に つ い て

日 心 月 を 阿 彌 陀 に 観 じ 、 光 明

法 を

し 、 先

の 菩 提 に 資 し 、

ね て 自

生 極

の       因 と 為 す の み 。 ( 傍 線

者 ) と 述 べ て い る 。

の 部 分 は 興 教

師 の 『 五 輪 九

明 祕 密 釋 』 の 文 . で あ る 。 ま た 『 金 剛 界 念 誦 私 記 』 の 注 釈 書 『 金 界 発 惠

』 隣 な か で も 阿 弥 陀

尊 と

行 す る こ と に つ い て は 、 顕 教 で 言 う 西 方 淨 土 の 阿

で は な

言 密 教 の 曼

に 基 づ く 蓮

部 の 尊 と し て の

で あ る と 述 べ 、 頼 瑜 の 浄 土

は 興 教 大 師 の そ れ を

襲 し た も の で あ る 。 ま た 『 十 八 道 口 決 』 に は 十 八 道 の 本

寺 流 で は

来 と す る が 、 三 宝 院

深 方 、 い わ ゆ る 報 恩

流 で は 如 意

と す る の は

故 か と の 問 い を 提 示 し 、 そ れ に 答 え て 「 五

悪 世 の 衆 生 を 利 益 す る に は 如

輪 観 音 が

に 餘 尊 を

え て い る 」 。 と 述 べ 、 末

の 世 に お け る 如

輪 観

在 王

11

阿 弥 陀

来 に 対 す る

の 実 践 、

仰 の 立 場 を 示 し て い る 。   さ ら に 頼 瑜 の 阿 弥 陀 如 来 、 及 び 往 生 に 関 し て 注 目 す べ き 点 が あ る 。

瑜 は 晩 年 ま で 『

摩 訶 衍

』 の 研 究 に 精 力 を 傾 け て い た が 、 中 で も 第 十 巻 に 関

冊 の 完 成 を 強 く 望 ん で い た 。 し か し そ の 完 成 を 見 る こ と な く 死 去 し た 。 そ し て そ れ は

の 順 繼 に よ っ て 果 た さ れ た 。 こ の こ と は 順

の 『

訶 衍 論

十 廣

冊 』 の 跋 文   か ら

認 す る こ と が 出 来 る が

衍 論 』 第 十 巻 の 中 で 頼 瑜 が 著 述 を 熱 望 し て い た 箇 所 が 、 『 大

起 信

』 「

行 信 心 分 」

説 の 念 仏 往 生 を 論

る 一 段 卩 で あ っ た こ と は 注 目 さ れ る 。 ま た

述 の よ う に 『 束

』 の 記 述 か ら 、 頼 瑜 の 入 寂 の 翌

か ら 「 勧 劣

勝 不 退 門 」 、 す な わ ち 『 釈 摩

衍 論 第 十

短 冊 』 に も と つ

竪 義 が

わ れ て い た こ と 、 さ ら に は 『 塵 塚 』 に 「 毎 年 両

の 竪 義 、 十 二 月 朔 日

身 報 土 の

こ れ を 沙 汰 す 。 頼 瑜 僧 正 の

な り 」 と あ り 、 頼 瑜 の 忌 日 の 一 月 一 日 を 一 ヶ

繰 り 上

、 十 二

一 日 に 報

報 土 と

し て 阿 弥 陀 如 来 の 仏 土 に 関 す る 竪 義 が

わ れ て い た こ と

に も 注

を 一 186一

(7)

頼瑜の浄 土観 (二 払 わ な け れ ば な ら な い 。 こ れ ら に つ い て は 別 な

い た い 。

  次 に

書 の 識 語 の 中 か ら 往 生 、 浄 土 に 関 す る 記 述 を 抜 き 出 し て

討 し て み た い 。

1

往 生 の

粮   三 十 五

 

提 心 論 初 心 鈔 』 巻 下

 

 

日 本 大 蔵

四 八 、 一 三 五

    文 応 元

庚 申 八 月 七 日

進 聊 以 抄 記 是 則 呈 初 心 之

往 生 之

而 巳                                        

 

 

 

 

        高 野 山 大

法 院 隠 侶 豪

2

、 九

 

三 十 六

 

『 野 胎 口 決 鈔 』 巻 下

 

 

正 蔵 七 九 、 八 九 頁 上    

元 年 十 月 上

報 恩 院 。

朔 日 至

五 日 五 箇 日 之 問 。 奉 傳

胎 藏 之 次 。 遂 日 馳

畢 。 未 再 治 草 本

 

断     也 ・ 不 可 出 箱 外

以 両 部 傳

之 日 ・ 必

九 品

生 之 縁 而 已

 

 

求 法 沙 門

 

 

 

 

3

、 順 次 往 生

 

三 十 七

 

子 口 決 』 巻 第 五

 

七 九 、 二 〇 三 頁 下     弘 長 二

二 月 四 日

同 七 日 記 之 了 願 以 披

記 之 功 必

順 次 往 生 之 縁 而 已

4

生 の 素 懐

 

三 十 七 歳

 

『 薄 草 子 口 決 』 巻 第 二 十

 

大 正 蔵 七 九 、 二 九 九 頁 中     弘 長 二 年 黄 鐘 上 旬

五 十 一

+ 餘 帖

 

軌 一 百 六 十 四

九 + 九 巻   敬 以 傳

閲 已 訖 。

頼 瑜

遇 明 師 之 慈 誨     忝 傳 秘 法 之

旨 。 仍 恐

綱 概 。 即 一 部 廿

。 號 云 口

也 。 屡

悼 愚 記 之 謬 解 。 再 悦 備

覧 之 刊 定 一

    目 是

縵 。 再 治

該 括 。 誠 厥

示 之 肝

三 密 骨 目 而 已 。 相

之 遣 弟 傳

之 末

。 護 惜

眼 精

失 。

    願 両

諸 尊 三 國 祖 師 。 知 見 懇 慓

求 願 尊

受 之 功 経 軌 披 覧 之 善 。 正 酬 海

之 師 恩

生 之 素

乃 ム 土

   

益 矣  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醍 醐

院 末

頼 瑜 記

(8)

智山学報 第四十七輯

5

、 九

往 生   四 十 五 歳

 

『 十 住 心

』 巻 九 下     文

六 月 十 一 日 酉 尅 終 此

勘 文 抄

    願 以 三

之 抄 記 之 功 必 為 九 品 往 生 之

福 寺 善 本 目

 

       

 

 

 

 

                                    金 剛 資 頼 瑜

 

生 年 四 十 五

6

、 九 品

 

五 十

日 経 疏

』 五

 

  真

目 録

 

二 七 頁 、 三 八 頁        

 

 

 

 

                            大 正

五 九 、 六 四 五 頁 上 〜 中    

治 元

五 月 比

野 山 傳

院 以

之 次 草 了 同 年 七

正 院

老 眼 加 點     了

一 毛 合

意 者 願 以 彼

爲 九 品

生 因 矣 披 覧 人

       

 

 

 

 

                                    金 剛 佛 子 頼

 

五 十 歳

7

、 後 生 之

五 十 歳

 

『 大 日 経

心 抄 』 六

 

福 寺 善 本 目 録 続 、 二 八 頁 、 三 八 頁        

 

 

 

 

                         

正 蔵 五 九 、 六 六 〇

下     建

六 月 比 於 高 野 山

談 義 之

遂 日 馳

以 南 都 中 川

清 書 了 同 年 八 月 上 旬 於 醍 醐

中 正 院 加     點

是 則 勵 初 心 之 勸 學 爲 後 生 之

而 已        

 

 

 

 

                                    金

子 頼 瑜

 

生 年 五 十 歳 云 々

8

順 次 往 生 五 十 七 歳

 

『 十 住 心 論 衆

』 巻 一 下 真

本 目

、 一 〇 五 頁        

 

 

 

 

                              真

宗 全

一 〇 、 七 四 頁     弘

三 月 中

至 六 月 下 旬 一 百 ヶ 日 於

院 談 此

一 卷 之 次 出

會 之 處

議 其 外 私

逐 日 記 之

但 外     道 段

訟 令 上 洛

私 更

醍 醐 中 性

       

 

 

 

 

                                    金 剛 佛

頼 瑜   生

五 十 七

188

(9)

9

10

11

12

、  頼 瑜の浄土観 (二

14

     

13

、                    、 願 以

生 一

之 功 必

九 品

生 之 業

已 九 品

 

五 十 五 歳

 

『 声 字

全 書 一 四 、 一 一 三 頁    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

福 寺

目 録

、 一 五 七 〜 一 五 八 頁

三 年 五

上 旬

野 山

院 草 庵 以 傳

草 之 了 願 以

巻 抄 記 之 功 為 九 品

生 之 因 而 已    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  醍 醐

報 恩 院 末 資 金 剛 仏 子 頼 瑜 云 々

次 往 生

 

五 十 九

『 十 住 心

衆 毛

』 巻 二 下

 

真 福

本 目 録

、 一 〇 五 頁 、 一 〇 八 頁

安 七 年 以

會 談

抄 記 畢 潤 四 月 十 三 日 雨 中 也

 

金 剛 佛

頼 瑜 生

五 十 九 願 以 今 生

之 功 必

当 来 作 佛 之 因 而 已 来 世 得

 

六 十 一

 

「 十 住

愚 草 』 第 五

四 真 福 寺 善

目 録

、 九 六 頁 弘 安 九

七 月 三 日 當

願 以

之 功 必

来 世

脱 之 胤    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  金 剛

瑜 生

  六 十 一 日 阿 弥 陀

 

六 十 七 歳

 

『 十

九 愚

 

目 録

、 一 〇 一 〜 一 〇 二

正 應 六

一 日 以 傳

會 談

之 次 依 先

遂 日 再

但 雖 文

義 理 疎

之 人 必 可

而 已    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  金

日 阿 彌 陀 仏

生 之 因

 

六 十 九

 

『 十 住 心 論 愚 草 』

十 愚

福 寺

本 目 録

、 一 〇 二

上 旬 比 以 傳

談 義 之

草 本

治 畢 願 以 此 抄 草 之 功 必

生 之 因 耳    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  金

佛 子

 

六 十 九 生 四 十 八

厳 之

 

七 十 歳

 

『 十

心 論

下 真

、 一 〇 三

189

(10)

智 山学 報第四十七 輯    

仁 三 年 五 月 十 日 又 以 傳 法

談 義 以 次 先 年 草 本 重 記 畢 逐 日 馳

之 間 文 章 狼 藉

者 歟 是

呈 初 心 之 披

請     後

之 刊

而 已     願 以 三 十 入 巻 抄 記 之 行 言 必 生 四 十 八 願 莊 嚴 之 淨 刹 而 已                                

 

 

 

 

            金 剛 佛 子

 

春 秋 七 十 才     抄

披 覧 人 必 可

廻 向 予 菩 提

15

、 九 品 往 生 七 十 二 歳

 

『 寶 鑰 愚 草 』 下 一

福 寺 善 本 目 録 末 、 一 四 七 頁     永 仁 五

夏 比

會 秋 季 談 義 出 講 義

愚 意 擬 常

之 畢

九 旬 之 問 身 躰 老

口 而

不 覚

智 曚 昧

義 理     疎 浅

然 為 初 心 勧 学

之 畢 願 以

日 抄 記 之 功 必

生 之 因 而 已                                

 

 

 

 

            三 寶 院 末

少 僧 都

 

頼 瑜   春 秋 七 十 ニ ー

6

、 當

脱 之 縁 七 十 三

 

鑰 愚

』 下 四 真 福 寺

目 録

一 四 八 頁     永

六 年

七 月 九 日 於 根 来 寺 以

談 義 之 次 逐 日

鑰 一 部

義 爲 後 學

形 記 之 老

後 不 覚 文

    尾 相 違 歟 雖 然 於 此

一 部 無

細 抄 出 故 不 顧 後 見 嘲 哢 爲 呈 初 心

記 之 畢

佛 意

之 者 必

脱 之 縁

                               

 

 

 

 

            南 山 朽 老 頼 瑜 七 十 三

17

、 九 品

生 七 十 三 歳

 

『 秘 蔵 宝 鑰 勘 注 』 下

 

真 福

善 本 目 録 末 、 一 五 一 頁     永

亠 ハ 年 七 月 九 日 於

来 寺

性 院 傳 法

時 以 書 籍 披 覧 之 勘 註

不 能

思 不 及 再

隨 見 及

引 集 間 定

    相 違

乖 角 之

而 已 願 以 経

諸 文 抄 出 之

必 為 当 來 九 品 往 生 之 因 矣                                

 

 

 

 

            南 山 朽 老 賜 紫 沙 門 頼 瑜

 

生 年 七 十 三

18

、 九 品

生 七 十 三 歳

 

秘 蔵 宝 鑰 巻 下 引 文 』 真 福 寺

目 録 続 、 一 五 二

    永

六 年 七 月 九 日 於 根 来 寺 中 性 院 傳 法

談 義 時 以

籍 披

之 次

注 畢 不 能

思 不 及 再

見 及 令 引 集 間 定

一 190一

(11)

頼瑜の 浄土観 (二)

乖 角 之

賢 取

刊 定 而 已

以 経 論

抄 出 之 功 必

当 來 九 品

生 之 因 矣                              

 

 

 

 

          南 山 朽

沙 門 頼

 

生 年 七 十 三

19

、 當 来

之 縁 七 十 五

 

『 法 華 開 題

草 』

 

福 寺

本 目

末 、 一 八 五 頁

 

 

二 年 五

廿

七 日

精 談 此 書 以 此

所 及

記 問

所 出

議 加 之

 

 

願 以 此 抄 記 之

必 爲

脱 之 縁 而 巳

 

 

 

                                         

 

 

南 山

老 頼 瑜 春 秋 七 十 五 以 上 の 奥 書 か ら

生 、 浄 土 に 関 し て 「 往 生 の

粮 」 「 九 品

生 の 因 」 「 九

往 生 の 縁 」 「 九

往 生 の 業 」 「 往 生 の

」 「

生 の

」 「 順 次

生 の

」 「 順

往 生 の 縁 」 「

生 の

」 「 生 四 十 八 願

の 浄 刹 」 「 當 来

脱 の 因 」 「

脱 の

」 等 の 語 を

出 す る こ と が で き る 。 頼 瑜 は

相 ・ 教 相 に わ た り

く の 著

し た が 、 そ の

述 活 動 の 功

を 以 て 九 品 往 生 の 因 縁 、 順 次

生 の 因 縁 と し 、

生 の

懐 を 遂

る こ と を 願 っ て い た こ と が 分 か る 。 し か も

書 に 記 さ れ た

次 か ら 、 こ の

い は

瑜 の 三 十 五 歳 か ら 七 十 五

に 至 る ま で 一

し て い た こ と が 知 ら れ る 。 こ の 中 で 「 求 法

門 頼 瑜 」 、 「 金 剛

子 頼 瑜 」 「 醍

報 恩 院

資 金 剛 仏 子 頼 瑜 」

と 記

と と も に

に は 「 南 山 朽 老 頼 瑜 」 「 南 山 隠 老 頼 瑜 」 と も 記 し 、 敢 え て 「 南 山 」 の

し だ こ と は 注 目 さ れ る 。

  と こ ろ で 頼 瑜 は

、 順

往 生 、 九 品

生 を 願 っ て い た の か 。 真 言

僧 と し て 即

成 仏 を

め て い な か っ た の で あ ろ

か 。 そ の

の 一 つ を 頼 瑜 自

の 機 根 認

に 求 め る こ と が 出 来 る 。

根 に つ い て 頼 瑜 は 『

子 口

第 191

(12)

智 山学報第四十 七輯 一 二 。 に 、     そ も そ も 諸 仏 の

願 に 淺

無 く 十 方 刹 土 に 優

無 し と い え ど も 大

の 門

は 専 ら 中 心 を

率 の

に 繋 ぎ 上 生 を     内 院 に 遂 げ る 者 歟 。 こ れ に よ り

嚴 禪 議 の 言 わ く 、 高 祖 既 に

す 。

蓋 ん ぞ 願 わ ざ る ム. ム 。 こ の 言 肝 に 銘 じ 已     ぬ 。 た だ し 予 の

き 愚 鈍 の 類 、

な く も 大 日 餘 輝 を 信 仰 す と い え ど も 猶 し

の 花

に 顕 し 難 し 。

祖 の     遺 風 を 傳 え る と い え ど も ま た 都 率 の 雲 閣 に 攀 り 難 し 。 仍 っ て

と こ ろ は こ れ 順 次

生 を 九 品 に 遂 げ 見 佛 聞

を     三 會 に

し 而 し て 已 ぬ 。 ま た 『 顕

問 答 鈔 ヤ 巻 下 卩 で は 、     抑 も 頼

忝 な く も 法 雨 の

け て 幸 い に 智 水 の

流 を 汲 む 。

し 一 生 一 世 の 機

の み に

ら ず 。

ら 是 れ    

世 の 宿 縁 な り 。 さ ら に 『 菩

心 論 初 心 鈔 』 巻 上 、。 に は 、     真 言 上

相 應 機 根 を 上 根 と

つ く 。 即

成 仏 の 頓 機 は 最 上 智

人 の 故 に 上 智 と 云 う 也 。 若 し ま た

縁 の

    ず る 時 は 、 下 根 下 智 人 と い え ど も こ れ を 遮 す べ か ら ず 。

禮 波

愚 鈍 の 我 等

下 心 を 成 ず る べ か ら ざ る 也 。 と 述 べ 、 「 予 の

き 愚 鈍 の 類 」 、 「 一 生 一 世 の 機

に あ ら ず 」 、 「 末

愚 鈍 の

等 」 の

か ら う か が え る よ う に 頼 瑜 は 、

を 即

成 仏 の 機 根 で あ る 上

、 頓

で は な く 、 下 根 、

機 と 認 識 し て い た と

え ら れ る 。   ま た 真 言

は 弘 法 大

の 居 ら れ る

浄 土 、

率 の 内 院 に 往 生 を

う を 第 一 義 と す べ き で あ ろ

が 、 自 分 は 機 根 が

る の で そ れ は

わ な い 。 し た が っ て 順 次

生 (

11

九 品

生 ) し て そ の

、 弥

下 生 の 際 、 そ の

の 座 に 連 な り た い と の 願 い を 記 し て い る 。 頼 瑜 に と っ て

往 生 は

往 生 よ り 難 行 で あ る 。   と こ ろ で 中

で 問 題 と な っ た 弥 勒 と 弥 陀 、 都

と 極 楽 の

生 の

劣 ・

易 に 関 す る

争 は 、 日

で も 源 信 の 『

生 要

』 を は じ め 真 言

内 部 で も 問 題 と さ れ た 。 た と え ば 済 暹 ( 一 〇 二 五 〜

一 五 ) は 『 讃 歎

192

(13)

頼瑜の浄土観 (二 勒 菩

 

の 中 で 、 都

が 極 楽

生 よ り

れ て い る と し て 四 点 を 挙 げ る が 、 そ の

三 番 目 に 都 率

生 の 易 行

す る 聰 。     三 に は 極 楽 の 行

は こ れ

し 難 き 故 に

生 し 難 き な

率 の

業 は 修 し 易 き 故 に 往 生 し

き な り 。 さ ら に 路 、    

の 崇 帰 す る と こ ろ 、 三 密 教 迹 之 傳

、 俗 に 弘

と 謚 す 。 自 ら 願 を 発 し て し か も

氏 内

に    

す 。 故 に 弟 子 は

の 所 に 生 じ て 三 密 の 教 義 を 諮 問 せ ん と 欲 す る な り と

べ 、 弘

大 師 の 弟 子 で あ る か ら こ そ

生 を 願

べ き で あ る と す る 。 頼 瑜 と は 立 場 を 異 に し て い る 。 都

と 極

生 に つ い て 興

大 師 は 『 五

九 字 明 秘

釈 』 洪 の 冒

で    

都 率 は 同

の 遊

は 一 心 の 蓮

な り 。

し い か な

賢 、

易 を 両 土 に

う こ と を 。 と 述 べ 、 両 者 の 難

を 争

こ と 戒 め 、 優 劣 ・ 不 同 を 論 じ な い が 、 あ え て 頼 瑜 は 都 率

生 で は な

生 の 立

を 取 っ た 。 た だ し 興 教 大

は 『 五 輪 九

明 秘 密

』 の 別 な 箇 所 で は 「 実 慧 、 真

は 、 先 に

に 生 じ 、

に 都

に 往 く 」 鱒 と 述 べ て 、 弘

慧 や 真 然 が 、 先 ず 極

に 生 れ て か ら 都

っ た と し て 、 「

生 」 の 語 を 「

」 と 「 生 」 に 分 け て い る

意 す べ き で あ る 。

し 頼 瑜 の 願 っ た 往 生 が 、 先 ず 極

に 生 ず る

で あ っ た か 否 か は 今 は

で は な い 。  

に つ い て 頼 瑜 は 『 四 十 九 院

』 で は

率 天 の

院 を 胎

西 方 極

世 界 、 内 院

界 、 密

国 土 の 両

に 配 し て 不 二 、、 と

る 。 さ ら に

率 ・ 極 楽 の 不 同 ” に つ い て 、     私 に そ の 不 同 を 云

が 釈 し て 云 く 身 に

あ る を 極 楽 と 云 い 、 心 に

あ る を

足 と 云 う 云 云 。 こ れ 具 足 成 就 は     こ れ

足 の 極 、 究

円 満 は 則 ち 至 極 の

な り 。 楽 と

と そ れ 同 な り 。 極

天 は

す で に 同 な る こ と を 得     る な り 。 天 と 土 は こ れ 心

所 住 の 不 同 な り 。 依 身 は 陰 を 主 と し 心 法 は 陽 を 主 と す 。 即 ち こ れ 横 竪 な り 。 故 に 心

193

(14)

智 山学報 第四十七輯     の

は 竪 に 上 天 に

し 、 身 の 浄 刹 は

に 西 方 に 在 り 。 密 教 の

意 は 西

世 界

万 荼 羅 の 所

な り 。     都

は 密

仏 國 の 月

殿

、 金 界 の

な り 。 横 竪 な り 。 色

は 昇 沈 の

な り 。 と 述 べ て お り 、 こ れ を 整 理 す る と

の よ う な 関 係 に な る 。   極

11

11

11

11

11

の 浄 刹

11

西 方 凵 蓮 華 世 界 胎 藏 曼 荼 羅

11

色 身

11

性   都

1

11

11

11

11

心 の 浄

” 上 天

11

厳 佛 國 月 殿 金 界

11

11

性 さ ら に こ れ に 続 い て 弘 法

の 入

に つ い て 『 日 日

向 文 」 認 を

げ る 。    

師 、

野 の 樹 下 に

し 花 蔵 界 西 方 に 同 ず 、 魂 を 兜 率 の

上 に 遊 ば し む 金 剛 界 心 月 殿 。 こ の 部 分 は 『 弘

大 師 全

』 第 五

所 収 の 『 日 日 影

文 』 で あ る が 、 全

所 収 の

章 は 「

を 高 野 の 樹 下 に ト し

を 兜

の 雲 上 に 遊 ば し む 」 で あ り 、 頼 瑜 は 「 居 」 を 「 身 」 に 、 「

」 を 「 魂 」 に 読 み 換 え て い る 。

法 大 師 の 入

を 、 身 体 は 高 野

に 留 ま り 、 そ の 魂 は 都 率 に 往 生 し た と 解 釈 す る 。

と し 魂 を 昇 性 と す る

瑜 の 理 解 に は 、 人 間 を

11

11

肉 体 と に 分 け 死 に よ っ て 魂 は 天 上 に 、 魄 は 地 下 へ 行 く と

る 儒 教 的 汐 な 影 響 を

る こ と も 出

る 。 儒 教 の 理

に よ れ ば 肉

を 主

す る 魄 の

は 遺 骨 隠 舎 利 で あ る 。

に つ い て

は 『

法 大 師 講

』 ,。 の な か で 『 日 日

』 の 同 一 箇 所 を 引 用 し た

に 、

の 都

往 生 、 弥 勒 浄 土 へ の 上 生 を 示

『 二 十 五 箇 条 御

告 』 コ 可 報 進

生 来 世 弟

恩 縁 起 第 十 七 」 釧 の 「 微 雲

よ り 見 て 信 否 を 察

べ し 。 こ の 時 、 勤 め あ る 者 は 祐 を 得 べ し 。

の 者 は 不

な ら ん 。

ろ に

か に す る こ と な か れ 」 の

を 引 用 し 、 さ ら に 講

後 に は 、     南

禮 如 来

利 本 地 法

法 界 塔 婆     南

祖 大 師 遍 照 金 剛 入 定

舎 利 と 記 し て い る 。 こ こ で 弘 法

の 入 定 を 、

と 見 て い る こ と に 注 目 し た い 。 「 入

留 身

」 の 語 が 如 何 な る 意 味 を

っ て い る の か 。 興 教

野 聖 と の 関 係 、 十 二 世 紀 頃 か ら 始 ま る 高 野

に 対 す る

の 風 潮 、 高 野 山 を 一

194

(15)

現 世 の

土 と み な し 、 そ こ へ 遺

を 納 め る こ と に よ っ て 往 生 を 願 う 納 骨

と の 関 係 等 も

め て 検 討 す べ き で

る が 、

日 を 期 し て

は 行 わ な い 。   頼

楽 往 生 へ の 希 求 は 、

己 の 機

と と も に 極 楽

11

高 野

、 弘

の 入

す る 高 野 山 に 往 生 し 、

勒 の 下 生 を 待 ち た い と の 願 い が あ っ た か ら で あ ろ う 。 そ し て そ れ は 真 言 宗 の 学

と し て は 、 高 野 山 と 袂 を 分 か ち

来 山 に

真 言 教

立 し た 頼

で は あ っ た が 、 弘

大 師 を

祖 と し て 仰 ぐ 一 人 の 真 言 宗 僧 と し て は 、 高 野 山 に 入

す る 大 師 に 対 す る 深 い 思 慕 と

い 畏 敬 の 念 を 生 涯 、 懐 い て い た か ら と

え ら れ る の で は な い だ ろ う か 。

頼瑜の 土観 (二

 

に よ れ ば 頼 瑜 は 日 頃 か ら 阿 弥 陀 を 本

と し て 三 摩 地 法 を

し て い た 。 ま た 臨

を 迎 え る に 当 た っ て も 無   量

來 の 印 を

ん だ と あ り 、

教 浄 土 と し て の 阿 彌 陀 浄 土 の 信 仰 を 有 し て い た こ と が う か が え る 。

 

頼 瑜 は

く の 著

し て い る が そ の 奥 書 に は 、

・ 教 相 に わ た る 著 述 の 功 徳 に よ っ て 順 次 往 生 を 願 っ て い た   こ と が

さ れ て お り 、 そ の 願 い は 三 十 代 か ら

年 ま で 一 貫 し て い る 。

 

頼 瑜 の 願 っ た 順 次 往 生 は 事 相

の 記 述 か ら み て も 興 教 大 師 の そ れ を 踏 襲 し た 真 言

の 浄 土 で あ る 。 た だ し

教  

が 『 述

詞 』 の な か で 、 現 生 で は 現 身

生 す な わ ち 即

成 仏 を め

が 、 臨 終 ま で そ れ が 果 た せ な い 場 合 に  

生 を 願 っ た

姿

と は 異 な り 、 は じ め か ら 順

往 生 を 願 っ て い た よ う に

え る 。

 

そ の 理 由 は 頼 瑜 自 身 の 機 根 認

に 基 づ く と

え ら れ る 。

 

己 の

根 認 識 は ま た

生 と 都 率 往 生 の

易 に も 関 係 す る 。

な わ ち 「 四 十 九 院 事 」 の な か で は

楽   を 金 剛

・ 胎 藏

と み て

二 を 主

し て い る も の の 『

』 「 弥 勒

」 の 識

に は

た る も の は 弘

(16)

智 山学報第四 十 七   法 大

の 居 ら れ る 都

生 す べ き を 第 一

と す る が 、

に は

生 、 す な わ ち 大

へ の

は 自

に は 困 難   で あ る と し 、 阿 弥 陀

来 の

生 を

し 、

下 生 の

に そ の

法 の 座 に 連 な り た い と の

い を 持 っ て い た 。

 

ま た 『 日 日

文 』 の 中 の 「 居 を 高 野 之

下 に ト し 神 を

率 の 雲 上 に 遊 ば し む 」 の 居 と

を 、 居 凵

、 神

11

霊   魂 と に 読 み

え 、

体 が

ま る 高 野 山 を 現 世 の 浄 土 、 阿 弥 陀 の

世 界 と

な し そ こ へ の

生 を 願 っ   た 。 か つ て は 伝

い 居 住 し た

野 山 と 袂 を 分 か ち 、

来 山 に

立 し た 頼 瑜 で あ っ   た か ら こ そ 、 逆 に

野 山

の 院 に 入

す る 弘

へ の 思 慕 が 強 か っ た も の と

え ら れ る 。

の 著 作 の 奥 書 に   「 南 山 朽 老 頼 瑜 」 「 南 山

頼 瑜 」 と 記 さ れ て い る の は 、 こ の こ と を 物 語 っ て い る の で は な い だ ろ

か 。 註

1

234567

者 は 平 成 四 年 十 二 月 四 日 、 大 正 大 学

合 佛 教 研 究 所 の 所

究 発

で 「 頼 瑜 の 浄 土

( ご 」 と 題 し て 発 表 し た 。 そ の 発 表 要

は 『 大 正 大 学

合 佛 教 研 究 所

報 』 第 十 五

載 し た が 、 紙 幅 に 制 限 が

っ た の で

料 の 提 示

、 論 述 が

十 分 で あ っ た 。 本 稿 は そ の 続

で あ り 資

、 論 述 が 重 な る と こ ろ も あ る こ と を お 断 り し て お き た い 。 『

』 三 一 、 一 〇 四 頁 上 ・ 下 『

日 本 仏 教 全 書 』 一 〇 六 、 三 九 二 頁 上 『

日 本 仏

全 書 』 一 〇 二 、 二 四 四 頁 下 『

日 本 仏 教 全 書 』 一 〇 四 、 一 二 五 頁 下 『

真 言

全 書 』 三 三

 

四 四 九 頁 「 興 教 大

傳 記 史 料 全

二 編 史

、 七 三 四 頁

(17)

8

109

頼瑜の浄土観 (

13

 

12

 

11

『 真 言

全 書 』 三 七 、 三 三 六 頁 臨 終 印 に つ い て は 『

雑 記 問

七 (

全 第 三 十 七 、 一 二 八 頁 ) に 次 の よ

な 同

あ る 。 「

印 問 う 何 ん 。

の 云 く 、 外

し て 二 空 又

叉 し て 二 風 二 空 間 少 し あ け て

形 空 に し て 月

ず る な り 。

以 下 の 八

は 八

な り 。 二 空

叉 は 始 本 不 二 の 彌 陀 如 來 と

じ 兩 手 の

を ば 日 月 と

ず 。 即 ち 觀

勢 至 と 為 す な り 。 眞 言 は 南

阿 彌 陀 佛 十 遍 」 『 真 言 宗 全

』 三 七 一 九 四 頁 寛

の 臨 終

に つ い て は 『 薄

子 口 決 」 第 十 二 ( 大 正 七 十 九 、 二 四 四 頁 下 ) に は 「

口 に 云 く 弥 勒 は

、 大 金

、 小 金

、 転

こ れ 一 體 な

。 故 に

院 寛 助

正 は

率 を

し 最 後 終

の 時 、 小 金 剛 輪 の 印 言 を 結 誦 す と 云 . 」 と あ り 、 ま た 『 秘 鈔 問

第 十 ( 大 正 七 九 、 四 五 六 頁 下 ) 「 弥

」 に も 『

口 決 に 云

、 弥 勒 は 因

薩 、 大 金 剛 輪 、 転

こ れ 一 體 な り 。

に 成 就

助 僧 正 は 都

求 し 最

に 小 金 剛 輪 の 印 言 を 結 誦 す と 云 、 』 と 同 様 の 記 述 が あ る 。 ま た 教

の 『

』 巻 第 十 八 ( 『

言 宗 全 書 』

二 十 八 、 二 九 三 頁 ) に も 「

口 に 云 く 、 成 就 院

正 は 弥 勒 秘 印 に は 、 小 金 剛 輪 を 以 て 秘

と な

な り 。 最

臨 終 の 時 も こ の 印 を 結 ば れ た り 云 . 」 と あ る 。 『 眞 言

全 書 』 二 二 、 一 八 九 頁 上 『 大 正

』 七 九 、 三 四 六

下 『 大 正

』 七 九 、 十 一

上 ・ 中

 

顕 教 に は

に 弥

あ り

蔵 に は

日 即 ち 弥 陀 、 極

の 教 主 な り 。 ま さ に

る べ し 、 十 方 浄 土 は

こ れ 一 仏 の 化 土 、 一 切 如 来 は

く こ れ 大 日 な り 。

盧 、 弥 陀 は 同

密 厳 は

異 に し て 一 処 な

智 の

力 加 持 を も っ て 大 日 の 體 の 上 に

陀 の 相 を 現 ず 。 お よ そ 是 の 如 く の

を 得 れ ば 、 上 、

薩 賢 聖 を

く し 、 下 、 世 天

鬼 八 部 に 至 る ま で

日 如 来 の 體 に 非 ら ざ る こ と な し 。 五 輪 門 を 開 い て 自 性

を 顕 わ し 、 九

門 を 立 て て は

を 標 す 。 既 に

ん ぬ 、 二 仏 平

な り 。 あ に 終 に

197

(18)

 智 山学 報 第四十 七輯

16

 

15

     

14

17

18

差 別 あ ら ん や 。

養 都

は 同 仏 の 遊 処

華 蔵 は 一 心 の 蓮 台 な り 」 『 大 正 蔵 』 七 九 九 八 頁 中

 

「 私 に 云

婆 世

の 衆 生 、 殊 に 阿 弥 陀 仏 に 宿 縁 深 厚 な る が 故 に 、 蓮 華 部 に 就 い て 修 行 勧 め る な り 。 こ れ に 依 っ て

中 の 西

を 勧 め る に は

ず 。 真 言 の 経

も ま た 極

を 勧 め る が 故 に 蓮 華 部 に 依 っ て

則 を

る な り 。 故 に 五 相 成

陀 の 定

に 住 し 、 心 月 輪 に 八 葉 蓮

を 観 ず 」 『 大 正

』 七 九 、 六 五 頁 上 『 大 正

』 七 九 、 六 〇 三 頁 上 中 、 「 去 し 嘉 元 元 年 癸 卯 の

、 中 性 院 の

師 上 綱 、 病

に 寝 の 日 、 愚 質 に 命 じ て 云 く 、

化 滅 の

年 忌 辰 に 竪 義 決 擇 を 勤 む べ し 。 我 、 頃 日 勧 劣 向 勝 不 退 門 に つ い て 彼 の 短 冊 を 記 ん と 欲 す 。 然 れ ど も 未 だ そ の 功 を 遂

。 露 命 ま さ に

え な ん と す 。 爾 ら ば す べ か ら く こ の 短 冊 を 書 て

の 竪 問 を

む べ し 。 遂 に す な わ ち 翌 年 正 月

旦 耒 刻 に 至 り

と し て 滅

し 愁 傷 肝 を

す 。 遺 訓 、 耳 に 止 む 。 こ れ に 由 っ て

行 の 涙 を 拭 い 十 題 の 草 を 綴 り お わ ん ぬ 。 こ の 草 本 を 醍 醐 寺 報 恩

上 綱 憲 淳 の 一 覧 を 経 る 。 す な わ ち 第 四 重 の

釈 中 に 就 い て

々 添 句 を 被 る 。 因 っ て 重 ね て こ の 中 に 書 き 入 れ 同 九 月 十 九 日 再

ん ぬ 。 金

順 継 四 十 五 歳 」 『

』 三 二 、 五 八 三 頁 上 「 ま た

に 衆 生 初 め て こ の 法 を 学 し て 正

を 欲

す る に 其 の 心 怯 弱 に し て 此 の

世 界 に

す る を 以 て 、 自 ら 常 に 諸 仏 に 値 い て 親 承 し 供

す る こ と 能 は ざ る を 畏 れ 懼 れ て 信 心 は 成 就 す べ き こ と 難 し と 謂 い 、

退

せ ん と 欲 す る

に は 当 に 知 る べ し 、 如 來 に 勝 方 便 有 り 、

心 を 摂

し た も

。 意 を

ら に し て

を 念 ず る

縁 を 以 て 、 願 い に

い て 他 方 佛 土 に 生 ず る こ と を 得 て 、 常 に 佛 を 見 て 永 く 悪 道 を 離 れ る を 謂 う 。 修

に 説 く が

し 。 若 し 人 専 ら 西 方 極 樂 世

の 阿 弥 陀 佛 を 念 じ 、 修 す る

を 廻 向 し て 、 彼 の 世 界 に 生 ぜ ん と 願 求 す れ ば

ち 往 生 す る こ と を 得 と 。

に 佛 を 見 る が 故 に 終 に 退 す る こ と

し 。 若 し 彼 の 佛 の 真 如

じ て 、 常 に 勤 め て

習 せ ば 、 畢

じ て 生 ず る こ と を

て 正

に 住 す る が

な り 。 」 『 大 正 蔵 』 七 九 、 二 四 七 頁 下 一

198

(19)

21

 

20

 

19

24

 

23

 

22

頼瑜の浄土 観 (二 )      

26

 

25

『 続

言 宗 全

二 三 、 二 〇 頁 『 日 本 大 蔵 経 』 二 四 、 九 二 頁 『 讃 歎 覩

天 彌 勒

頌 玄

』 は 写

の み 伝 来 し て い た が 、 最 近 、 堀 内 規 之 氏 に よ り 翻

と そ の 内 容 研

が 発

さ れ た 。 「 『 讃 歎 覩 史

天 彌

薩 偈 頌 玄 意 』 に つ い て 」 ( 『 曲 豆

教 学 大 会 紀 要 』 第 二 十 三

) 、 「 『 彌 勒 菩

玄 意 』 に お け る 住 生

に つ い て 」 ( 『 密

学 研 究 』

二 十 八

) 、 「 『 彌 勒

薩 偈 頌 玄 意 』 の 特 色 に つ い て 」 ( 『 印

学 仏 教

究 』

二 号 ) 『 曲 豆 山 教 学

会 紀 要 』

二 十 三 号 、 二 = 二 頁 『 同 右 』 、 二 一 四 頁 『 大 正 蔵 』 七 九 、 十 一

、 「 難 易 を 両 土 に 諍 う 」 の 「 両 土 」 の

に つ い て 、 『 大 正 蔵 経 』 所 収

と 『 興

大 師 全

』 所 収 本 の

文 に は 、 い ず れ も 「 西 土 」 と あ る が 、 大 正 蔵 経 の 脚 註 に は 「 両 」 と あ る 。 こ の

目 さ れ た 本

隆 仁 氏 は 「 興 教 大

生 」 ( 『 興 教 大 師 八 百 五 十 年

遠 忌 記 念 論

 

覚 鑁

究 』 所

) で 「 西 土 す な わ ち

楽 浄 土 へ の

、 そ の 道 の 難 易 を 問 題 に し て い る の で は な く て 、 極

浄 土 と 都 率

土 の 両 土 ど ち ら へ の 道 が 難

な の か 、

る い は

楽 浄 土 と 都 率

生 と ど ち ら が

れ て い る か が 問 題 で あ ろ う と

え た 。 」 と 指 摘 さ れ て い る 。

者 も

氏 と 同

に 理

す る の で 「 両 」 の 語 を 取 っ た 。

正 蔵 七 九 、 二 〇 頁 下 『 四 十 九 院

』 、 二 丁

「 外

は 即 ち 胎

の 土 を 顕 わ す 。 五 百 億 の

殿 あ り 。 こ れ 胎 蔵 の 五 大 楼

、 こ れ 胎

の 身 殿 な り 。 内

の 四 十 九 院 は 金 剛 界 の 密

土 な り 。 ま た 西 方

は 台 蔵

蔵 世 界 な り 。

利 を 以 て 不 二 と 為 す 。 諸 尊 の 道

大 法 悉 く

利 を 以 て

と 為 す 。

細 の 甚 秘 こ れ を 略 す 。 一 乗

賢 品 に

利 兜

を 以 て

居 と 為 す 。 こ の 意 ろ こ れ に

り 。

師 の 云

史 本 来 胸 中 と こ れ 二 土 を 以 て

蔵 二 界 と 一 199一

(20)

     智 山学報 第四 十 七輯

31

  

30

  

29

  

28

  

27

し て

の 地 輪 の 上 に こ れ を 建 立 す 。 西

の 土 は 地 に

る 故 に

な り 。

殿 は 空 に 居 す 。 既 に こ れ

足 と 云

は こ れ

浄 土 な り 。 故 に

氏 菩

と 云

ち 毘 盧 遮 那 如 来 な り 」 『 同 右 』 九 丁

法 大

五 輯 、 三 九

儒 教 の

に つ い て は 加 地 伸

氏 の 『

黙 の

』 、 『

教 と は 何 か 』 等 を

照 。 『 興 教 大

』 下 、 = = ○

法 大

二 輯 、 七 九 八 頁 一 200一

参照

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