頼
瑜
の
浄
土
観
(二
)藤
田
隆
乗
は
じ
め
に
頼瑜の浄土観 (二 〉 頼 瑜 ( 一 二 二 六 〜 一 三 〇 四 ) は鎌
倉 時 代 末期
に 活 躍 し た新
義
真 言 教 学 の 確 立 者 で あ る 。頼
瑜 の 生 き た時
代 は 、 既 に 末 法 ( 永 承 七 年・ 一 〇 五 二 ) に 入 っ て か ら 約 } 七 〇年
余
、 生 前 中 に は 二度
に及
ぶ蒙
古 襲 来 、 す な わ ち文
永
の 役 ( 文 永 十 一 年 囗 一 二 七 四 ) ・ 弘安
の 役 ( 弘 安 四 年 目 一 二 八 一 ) が あ っ て文
字 ど お り 国 難 の 世 で あ っ た 。 こ の よ う な 時 代 状 況 の な か で 、 時 代 は法
然 、親
鸞
、 一 遍 な ど 淨 土 思 想 家 を 輩 出 し た 。 彼 ら と ほ ぼ 同 時 代 を 生 き た 頼 瑜 に と っ て も 淨 土 思 想 は無
視
で き な い 状 況 に あ っ た と 考 え ら れ る 。 頼 瑜 に 関す
る 従 来 の 研 究 は 加持
身
説
法 説 を 中 心 と し た も の が多
い 。 確 か に 教 主 義 は 根 来 山 の 新 義 真 言宗
と 高 野 山 の 古 義 真 言宗
の 教 義 を 区 別 す る教
学
上 の 重 要 な 問 題 点 で はあ
る 。 し か し こ れ を も っ て 頼 瑜 教 学 の 全貌
が明
ら か に さ れ た と は 言 え な い 。 そ こ で本
稿 で は 頼 瑜 の 浄 土 観 、 往 生観
に 視点
を 置 い て 頼 瑜 教学
の 一 側 面 を探
っ て み た い 。 −智 山学報第四十七輯
二
、伝
記
資
料
に
見
る
頼
瑜
の臨
終
頼 瑜 の伝
記資
料
の 中 か ら 浄 土 ・往
生 に 関 す る 記 述 を 検討
し た い 。先
ず は 頼 瑜 の 弟 子 の 頼 豪 ( 一 二 八 二 〜 = 二 六 〇 、 頼 踰寂
時 二 二 歳 ) が撰
述
し た と 推 定 さ れ る 『 束 草集
を 見 て み た い 。厳
密 に は 『束
草集
醺 は 伝 記資
料 と は 言 え な い が 、撰
者 の 頼豪
は 頼 瑜 に直
接 教 え を受
け て お り 、根
来 時代
の 頼 瑜 あ る い は そ の弟
子
た ち の 消 息 を伝
え る貴
重 な 史 料 で あ る 。 中性
院
竪 義 前講
最 初 2 夫 れ 以 み れ ば 一 代 利 物 の 竟 り 釈 尊 、 光 を 鶴 林 の 煙 に 隠 し 、 三 蔵 結集
の後
、 迦葉
形 を鶏
足 の雲
に脱
る 。化
縁 已 に 盡 れ ば 如来
な お僑
恣
厭
退
の 疑 を なす
。 弘 通漸
く 窮 は 、賢
聖 ま た 縁 謝 即 滅 の 相 を示
す 。然
れ ば則
ち 先師
聖 霊化
導
の 終 を 七 十九
歳
の 星 霜 に示
し 圓 寂 別 を 二 十 九年
の 涼燠
に 告 ぐ 。伏
し て 惟 み れ ば 生 前 薫 修 の 日 常 に 阿弥
陀
の 正受
に 入 り観
念 を 凝 ら す 。 最後
終焉
の 時 、 方 に 無 量 壽 の 秘契
に 住 し て 圓 寂 に 帰 す る 。在
世 の 行儀
已 に 此尊
に帰
す 。 已 隼 修善
盍 ぞ 此法
に依
ら ざ る 。 是 の故
に 護持
一 門 諸 徳 、毎
年
今 臼 を 迎 え て 此 一會
を 設 け た ま え り 。 其會
儀
の 體 と な す な り 。 先ず
講
経
坐 の梵
膓 を 飾 り 弥 陀 の素
怪覧
の妙
旨
を 讃 ず る 。次
で 竪儀
五 門 の 齋 莚 を刷
ろ い勧
劣向
勝 門 の 義 科 を 決 す 。 観 は 夫 れ 微 、 供 は 是 の 故 に薗
菓
菰
。何
ぞ 必 ず 霜 を拂
て暮
山 の 雲 を捨
ん 。阿
伽 は ま た 遺 跡 の 花水
、誰
か さ ら に 凍 を 叩 い て寒
谷
の 月 を 汲 ん 、 世 間 出 世 間 な お先
師
の餘
芳 を貽
さ ん 。真
諦
俗 諦 ま た 法 主 の 深 信 を信
ず る も の な り 。 も し し か ら ば 聖 霊自
性清
浄 の 蓮 は 外縛
の邸
よ り 生 じ 、本
覚朗
然
の 月 は満
字 の 胸 を照
ら さ ん 。 乃 至法
界.套
182
頼瑜の浄土観 (二) こ の こ と か ら 頼 瑜 が 日 常 、 阿 弥
陀
如 来 の 三昧
を修
し て い た こ と 、 臨 終 に は 無 量寿
の 秘印
を結
ん で 示 寂 し た こ と が 分 か る 。 ま た こ の 故事
に 因 ん で根
来 山 で は 中性
院 竪 義 と称
し て 、 頼 瑜 の命
日 で あ る 正 月 一 日 を 一 ヶ 月 繰 り 上 げ て 十 二 月 一 日 に 『 釈 摩 訶 衍 論 』第
十 巻 の 中 の 「観
劣
向 勝 不退
門 」 に関
す る 論 義 を行
っ て い た こ と が 分 か る 。 次 に 伝 記資
料 の『
結
網集
』 3『 本
朝
高
僧
伝 』 4『
東
国高
僧
伝
』 5『
續
傳
燈 廣 録 』 6『
密
教 傳 来 三 國 祖 師 血 脈鈔
』 7 等 か ら 頼 瑜 の 示 寂 に 関す
る 記 述 を見
て み た い 。『 結
網
集
」 中 嘉 元元
年
、 伝 法大
会 を 勤 め 釈 論 愚草
を 集 記 し て第
六 の 中 に 至 る 。 第 六 の 下 よ り 已 去 八 冊 は 和尚
の筆
記 に あ らず
。 後 に他
師
の談
草 を 以 て こ れ に 続 て 全 二 十 巻 と な す 。 こ の年
、仲
冬
、 風 寒 を感
じ 自 ら 起 たざ
る を 知 り後
事
を 遺 嘱 す 。明
年
正 月 朔 日、 忽 ち 起 て 座 し 正受
に住
し無
量 壽 印 を 結 ん で 晏然
と し て化
す 。実
に 嘉 元 二年
な り 。 世壽
享 る に 七十
有
九 。『 本
朝
高
僧
傳
』 巻第
十 六 嘉 元元
年
、 釋 論 愚艸
十 二 巻 を集
す 。 是 歳 の 仲冬
、 風 に 疾 む 。 自 ら起
た ざ る を知
り 後事
を 遺 嘱 す 。 翌歳
、 正 月 朔 日 、晏
坐 正受
し 弥 陀 の印
を 結 び 湛 然 と し て 化 す 。享
年 七 十有
九 。『 東 国
高
僧
伝
』 巻第
十 嘉 元元
年
十 一 月 、 疾 に 遘 い自
ら 時 至 を 知 り後
事
を 嘱 す 。 明年
正 月朔
日 、忽
ち 起 き て 趺 座 す 。 無 量壽
印 を 結 ん で 晏 然 と し て 化 す 。 世 壽を
閲 す る に 七 十 九年
。『 績
傳
燈
廣
録
』 巻第
十 之 下嘉
元元
年
、 仲 冬 、 霜 寒 に 痛 む 。 増 ま す髓
に徹
て病
こ と 深 し 。起
た ざ る こ と を 知 っ て 咸 な 徒衆
を徴
し て 、 後 事 を 誠 る こ と 丁寧
な り 。 明年
、 正 月朔
日 に 起 座 し 無 量壽
の 印 定 に 住 し 静 然 と し て 寂 す 。 七 十有
九 。183
智 山学報 第四十七輯
『 密 教
傳
来
三 國 視師
血 脈鈔
』 嘉 元 二年
、 甲 辰 正 月 朔 日 、 無 量寿
の印
を 結 び 起 座 し て 化 す 、 世 壽 七 十 九 歳 『 結 網集
』 以 下 ほ ぼ 問 様 の 記 述 で あ る が 、 『本
朝
高
僧
伝 』 の み 阿 弥 陀印
と あ る他
は 皆 、 無 量寿
の 印 を 結 び寂
し た と 記 し て い る 。 『 束 草集
』 が こ れ ら の記
述 の 根 拠 と な っ た も の と 考 え ら れ る 。三
、臨
終
印
に
つ いて
さ て 頼 瑜 は 臨終
に 際 し て無
量 寿 印 を結
び 遷化
し た わ け で あ る が 、 こ の 臨終
の 印 に 関 し て 「 真俗
雑
記
問答
抄 』 に 次 の よ う な 記 述 があ
る 。臨 終 印 明
事
8印
は外
縛
印
な り 。 但 し 風 空 の 問 少 し 圓 穴 に な す べ し 歟 。 八指
は 八葉
。 風 空 の 問 の 圓 穴 は 月輪
。 左 の 空指
は 本有
の 彌 陀 。 右 の 空指
は修
生 の 彌 陀 。 二 空交
る は 是 れ 本 有修
生 不 二 、 本覚
始覚
冥會
の 意 な り 。内
に 縛 す る 両手
掌 は 月 翰 、観
音 勢 至 の 二 菩薩
な り 。 是 れ 即 ち 八 葉 上 の 月 輪 な り 。 月 輪 の 上 に本
有修
證 不 二 の 弥 陀 を安
じ 、 彌 陀 の 左右
に 観 音勢
至 の 二菩
薩 こ れ を 観 ず べ し 。 明 は 南 無 阿 弥 陀 仏 十遍
。 木幡
観
音 院 に 於 い て文
永 二 年 七 月十
八 日 酉 刻 傳受
奉 り 畢 ぬ 。 師 の 云 く 此 の 印 明 は 安 祥寺
流 最極
秘事
な り 。臨 終
印
事
9 問 う 。 如 何 。答
う 。 御 口 に 云 く 、 人 の意
樂
に随
っ て 用 る 所 の 印 不 同 な り 。 仍 っ て 行 者 の意
樂
に 随 う べ し 。何
れ の 印 言 を も 用 ゆ べ し 。 一 切 の 印言
は 皆 是 れ 入 佛 の径
路 、 成 覺 の眞
道 の故
に 。 或 は多
分 外 縛 の印
を 用 う 、 此 の 印184
− 一頼瑜の浄土観 (二) は 即 ち 日 輪 の
印
の 故 に 。 又彌
陀 の 根 本印
は 此 の印
よ り 起 る故
な り 。 成 就院
寛 助僧
正 は 都率
を楽
う 故 に 金 剛輪
印 m を 用う
。 明 は師
に こ れ 尋 る べ し此 れ
彌
勒
の印
な る 歟 。に よ れ ば 文
永
二 年 ( 一 二 ⊥ ハ 五 ) 頼瑜
四十
歳 の時
に 、 木幡
の観
音
院 に お い て 真 空 か ら 臨 終 の印
と し て 「 外縛
し て 二 空 を 交 叉 し 二 空 . 二風
の 問 を少
し あ け て 圓 形 に す る 」 と あ る よう
に 阿 弥 陀 定 印 を受
け た こ と が 分 か る 。 ま たに あ る 御 口 決 と は
報
恩 院憲
深
の 口 決 で あ る 。 こ れ に つ い て 憲 深自
身
が 教 相・事
相 の 肝 要 を 十章
に 分 け て記
し た 『宗
骨
抄 』 の 第 十 「流
來 生 死 大 事 第 十 」 . に は 、 問う
。眞
言行
者
は 臨終
の時
、若
は 印 言 を 用 う べ き や 。 答う
。 用否
は 意 に 任 す 云 . 。 重 て 問う
。若
し こ れ を 用 う は 何 の印
言 を 用う
べき
や 。答
う 。 習 に 依 り て 尋 ぬ べ し 。 と あ っ て 同 一 の 内 容 が記
さ れ て い る 。 こ れ は 臨終
の 大事
を 説 い た も の で あ る 。 憲 深 の 口決
に よ れ ば 、 真 言行
者
が 臨 終 の時
に 用 い る印
言
は 、 い ず れ の 印 契 と真
言
で あ っ て も か ま わ な い 。 な ぜ な ら ば 、 いず
れ の印
契
・真
言 も 入佛
の 徑 路 で あり
成 佛 へ の直
道 で あ る か ら で あ る 。 そ し て 用 い る 印契
・ 真 言 の 選 択 は各
人 の意
楽
に 任 さ れ て い る 。 そ の 一 例 と し て興
教 大 師 の師
で あ る 成 就 院 の 寛 助 は 、 都 率往
生 を 願 い 金 剛 輪印
を 用 い た とあ
る 。、
の 記 述 か ら
頼
瑜
が 臨 終 の 際 に 結 ん だ印
契
は 、 木 幡 の真
空 か ら 伝授
さ れ た 阿 弥 陀 如来
の そ れ で あ り 、前
述 の伝
記
資料
等
の 記 述 と 一 致 す る 。 と こ ろ で 『束
草 集 』 は 、 頼 瑜 が 日 頃 か ら 阿 彌 陀 如 来 の 三摩
地 法 を 修 し て い た こ と を 伝 え て い る が 、 頼 瑜 自身
も 『 祕抄
問答
』 呪 の な か で 、 問う
。次
第
儀 軌 に 大 日 弥 陀合
体
真 言 な り と 云 . 。何
の 文 か 。答
う 。光
明真
言 儀軌
に 云 く 、 こ の大
毘 盧 遮 那 如来
、 無 量 寿如
来
の 両躯
は如
来 の 心 中呪
な り 。 一遍
を 誦 せ ば 百 億無
量 の 大 乗経
、 百億
無 量 の陀
羅
尼
を 誦 し 畢 な り 。最
も こ の大
毘 盧遮
那如
来
の 肝 心 秘密
呪 な り と文
り 。185
智 山学報 第四十七輯
私
に 云 く 、 こ の文
に依
っ て 阿 弥 陀 を 以 て本
尊
と為
す 。儀
軌 の説
に依
る 。 何 ぞ こ れ 偽 説 と いう
や 。 中 ん 就 く に 毘 盧 、 弥 陀 は 同 体 異 名 なり
。 安 養 蔵 は 同 じ く 仏 の 遊 処 な り 。予
、年
来
阿 彌 陀 を 以 て 本 尊 と為
す 。故
に 胎 蔵 法 に つ い て大
日 心 月 を 阿 彌 陀 に 観 じ 、 光 明真
言
法 を修
し 、 先師
二親
等
の 菩 提 に 資 し 、兼
ね て 自身
の往
生 極楽
の 因 と 為 す の み 。 ( 傍 線筆
者 ) と 述 べ て い る 。傍
線
の 部 分 は 興 教大
師 の 『 五 輪 九宇
明 祕 密 釋 』 の 文 . で あ る 。 ま た 『 金 剛 界 念 誦 私 記 』 の 注 釈 書 『 金 界 発 惠抄
』 隣 な か で も 阿 弥 陀佛
を本
尊 と為
し修
行 す る こ と に つ い て は 、 顕 教 で 言 う 西 方 淨 土 の 阿弥
陀佛
で は なく
真
言 密 教 の 曼荼
羅
観
に 基 づ く 蓮華
部 の 尊 と し て の修
行
で あ る と 述 べ 、 頼 瑜 の 浄 土観
は 興 教 大 師 の そ れ を踏
襲 し た も の で あ る 。 ま た 『 十 八 道 口 決 』 に は 十 八 道 の 本尊
を仁
和
寺 流 で は大
日如
来 と す る が 、 三 宝 院憲
深 方 、 い わ ゆ る 報 恩院
流 で は 如 意輪
観
音
と す る の は何
故 か と の 問 い を 提 示 し 、 そ れ に 答 え て 「 五濁
悪 世 の 衆 生 を 利 益 す る に は 如意
輪 観 音 が殊
に 餘 尊 を超
え て い る 」 。 と 述 べ 、 末法
の 世 に お け る 如意
輪 観自
在 王如
来
11
阿 弥 陀如
来 に 対 す る自
身
の 実 践 、信
仰 の 立 場 を 示 し て い る 。 さ ら に 頼 瑜 の 阿 弥 陀 如 来 、 及 び 往 生 に 関 し て 注 目 す べ き 点 が あ る 。頼
瑜 は 晩 年 ま で 『釈
摩 訶 衍論
』 の 研 究 に 精 力 を 傾 け て い た が 、 中 で も 第 十 巻 に 関す
る短
冊 の 完 成 を 強 く 望 ん で い た 。 し か し そ の 完 成 を 見 る こ と な く 死 去 し た 。 そ し て そ れ は弟
子
の 順 繼 に よ っ て 果 た さ れ た 。 こ の こ と は 順継
の 『釈
摩
訶 衍 論第
十 廣短
冊 』 の 跋 文 か ら確
認 す る こ と が 出 来 る が、 「釈
摩
訶
衍 論 』 第 十 巻 の 中 で 頼 瑜 が 著 述 を 熱 望 し て い た 箇 所 が 、 『 大乗
起 信論
』 「修
行 信 心 分 」所
説 の 念 仏 往 生 を 論ず
る 一 段 卩 で あ っ た こ と は 注 目 さ れ る 。 ま た前
述 の よ う に 『 束草
集
』 の 記 述 か ら 、 頼 瑜 の 入 寂 の 翌年
か ら 「 勧 劣向
勝 不 退 門 」 、 す な わ ち 『 釈 摩訶
衍 論 第 十廣
短 冊 』 に も と つく
竪 義 が行
わ れ て い た こ と 、 さ ら に は 『 塵 塚 』 に 「 毎 年 両度
の 竪 義 、 十 二 月 朔 日報
身 報 土 の論
義
こ れ を 沙 汰 す 。 頼 瑜 僧 正 の弔
な り 」 と あ り 、 頼 瑜 の 忌 日 の 一 月 一 日 を 一 ヶ月
繰 り 上げ
、 十 二月
一 日 に 報身
報 土 と題
し て 阿 弥 陀 如 来 の 仏 土 に 関 す る 竪 義 が行
わ れ て い た こ と等
に も 注意
を 一 186一頼瑜の浄 土観 (二) 払 わ な け れ ば な ら な い 。 こ れ ら に つ い て は 別 な
機
会
に行
い た い 。四
、奥
書
に
見
ら
れ
る
往
生
・浄
土
次 に奥
書 の 識 語 の 中 か ら 往 生 、 浄 土 に 関 す る 記 述 を 抜 き 出 し て検
討 し て み た い 。1
、 往 生 の資
粮 三 十 五歳
『
菩
提 心 論 初 心 鈔 』 巻 下日 本 大 蔵
経
四 八 、 一 三 五頁
文 応 元年
庚 申 八 月 七 日依
或勧
進 聊 以 抄 記 是 則 呈 初 心 之披
覧
為
往 生 之資
粮
而 巳高 野 山 大
伝
法 院 隠 侶 豪信
2
、 九品
往
生三 十 六
歳
『 野 胎 口 決 鈔 』 巻 下
大
正 蔵 七 九 、 八 九 頁 上弘
長
元 年 十 月 上旬
。於
醍醐
寺
報 恩 院 。従
朔 日 至第
五 日 五 箇 日 之 問 。 奉 傳受
胎 藏 之 次 。 遂 日 馳筆
畢 。 未 再 治 草 本断 也 ・ 不 可 出 箱 外
矣
願
以 両 部 傳受
之 日 ・ 必為
九 品往
生 之 縁 而 已求 法 沙 門
頼
瑜一
3
、 順 次 往 生三 十 七
歳
『
薄
草
子 口 決 』 巻 第 五大
正蔵
七 九 、 二 〇 三 頁 下 弘 長 二年
二 月 四 日奉
傳受
同 七 日 記 之 了 願 以 披覧
抄
記 之 功 必為
順 次 往 生 之 縁 而 已4
、往
生 の 素 懐三 十 七 歳
『 薄 草 子 口 決 』 巻 第 二 十
大 正 蔵 七 九 、 二 九 九 頁 中 弘 長 二 年 黄 鐘 上 旬
尊
法
五 十 一尊
ハ + 餘 帖経
軌 一 百 六 十 四部
看
九 + 九 巻 敬 以 傳授
披
閲 已 訖 。抑
頼 瑜幸
遇 明 師 之 慈 誨 忝 傳 秘 法 之幽
旨 。 仍 恐廃
忌粗
記
綱 概 。 即 一 部 廿卷
。 號 云 口決
也 。 屡雖
悼 愚 記 之 謬 解 。 再 悦 備賢
覧 之 刊 定 一鈔
毛
目 是散
縵 。 再 治綱
領
即
該 括 。 誠 厥=
示 之 肝心
三 密 骨 目 而 已 。 相承
之 遣 弟 傳持
之 末資
。 護 惜如
眼 精敢
勿令
散
失 。仰
願 両部
諸 尊 三 國 祖 師 。 知 見 懇 慓成
求 願 尊法
傳
受 之 功 経 軌 披 覧 之 善 。 正 酬 海岳
之 師 恩兼
満往
生 之 素懐
乃 ム 土法
界
平
等
利
益 矣醍 醐
寺
三寶
院 末資
頼 瑜 記智山学報 第四十七輯
5
、 九品
往 生 四 十 五 歳『 十 住 心
論
引
文
』 巻 九 下 文永
七年
六 月 十 一 日 酉 尅 終 此巻
勘 文 抄畢
願 以 三巻
抄
記
之 抄 記 之 功 必 為 九 品 往 生 之縁
真
福 寺 善 本 目録
続
=
九頁
金 剛 資 頼 瑜
生 年 四 十 五
歳
6
、 九 品往
生五 十
歳
『大
日 経 疏指
心抄
』 五真
福
寺
善本
目 録続
二 七 頁 、 三 八 頁
大 正
蔵
五 九 、 六 四 五 頁 上 〜 中建
治 元年
五 月 比於
高
野 山 傳法
院 以傳
法
會
談
義
之 次 草 了 同 年 七月
比於
醍醐
寺中
正 院誂
他人
令
清
書畢
自拭
老 眼 加 點 了若
九牛
一 毛 合佛
意 者 願 以 彼功
徳
爲 九 品往
生 因 矣 披 覧 人必
可令
訪
菩
提矣
金 剛 佛 子 頼
生
年
五 十 歳7
、 後 生 之資
粮
五 十 歳『 大 日 経
疏
指
心 抄 』 六真
福 寺 善 本 目 録 続 、 二 八 頁 、 三 八 頁大
正 蔵 五 九 、 六 六 〇頁
下 建治
元年
六 月 比 於 高 野 山傳
法會
談 義 之次
遂 日 馳筆
畢
以 南 都 中 川法
泉
坊令
清 書 了 同 年 八 月 上 旬 於 醍 醐寺
中 正 院 加 點畢
是 則 勵 初 心 之 勸 學 爲 後 生 之資
粮
而 已金
剛
佛
子 頼 瑜生 年 五 十 歳 云 々
8
、 順 次 往 生 五 十 七 歳『 十 住 心 論 衆
毛
鈔
』 巻 一 下 真福
寺善
本 目録
続
、 一 〇 五 頁真
言
宗 全書
一 〇 、 七 四 頁 弘安
五年
自
三 月 中旬
至 六 月 下 旬 一 百 ヶ 日 於傳
法
院 談 此第
一 卷 之 次 出大
會 之 處論
議 其 外 私案
論
義
逐 日 記 之畢
但 外 道 段爲
寺
家
訴
訟 令 上 洛事
私 更於
醍 醐 中 性院
記續
畢
金 剛 佛
弟
頼 瑜 生年
五 十 七188
9
、10
、11
、12
、 頼 瑜の浄土観 (二 )14
13
、 、 願 以今
生 一巻
抄
記
之 功 必為
當来
九 品往
生 之 業而
已 九 品往
生五 十 五 歳
『 声 字
義
開
秘鈔
』真
言宗
全 書 一 四 、 一 一 三 頁真
福 寺善
本
目 録続
、 一 五 七 〜 一 五 八 頁弘
安
三 年 五月
上 旬於
高
野 山傳
法
院 草 庵 以 傳法
會
談義
之次
草 之 了 願 以両
巻 抄 記 之 功 為 九 品往
生 之 因 而 已醍 醐
寺
報 恩 院 末 資 金 剛 仏 子 頼 瑜 云 々順
次 往 生五 十 九
歳
『 十 住 心論
衆 毛鈔
』 巻 二 下真 福
寺
善
本 目 録続
、 一 〇 五 頁 、 一 〇 八 頁弘
安 七 年 以春
季
傳
法
會 談議
次
抄 記 畢 潤 四 月 十 三 日 雨 中 也金 剛 佛
弟
頼 瑜 生年
五 十 九 願 以 今 生披
覧
抄
記
之 功 必為
当 来 作 佛 之 因 而 已 来 世 得脱
六 十 一
歳
「 十 住
心
論
愚 草 』 第 五−
四 真 福 寺 善本
目 録続
、 九 六 頁 弘 安 九年
瓢
七 月 三 日 當卷
抄
記
了鰻
群緤
願 以今
生抄
記
之 功 必爲
来 世得
脱 之 胤金 剛
資
頼
瑜 生年
六 十 一 日 阿 弥 陀六 十 七 歳
『 十
住
心論
愚草
』第
九 愚草
四真
福寺
善
本
目 録続
、 一 〇 一 〜 一 〇 二頁
正 應 六年
七月
一 日 以 傳法
會 談義
之 次 依 先年
聞書
遂 日 再治
畢
但 雖 文章
狼
藉
義 理 疎簡
披覽
之 人 必 可令
訪
頼
瑜菩
提
而 已金
剛
佛
子
日 阿 彌 陀 仏往
生 之 因六 十 九
歳
『 十 住 心 論 愚 草 』
第
十 愚草
上真
福 寺善
本 目 録続
、 一 〇 二頁
永
仁
二年
六月
上 旬 比 以 傳法
會
談 義 之次
以先
年
草 本再
治 畢 願 以 此 抄 草 之 功 必為
往
生 之 因 耳金
剛
佛 子頼
瑜生
年
六 十 九 生 四 十 八願
荘
厳 之浄
刹
七 十 歳
『 十
住
心 論愚
草
』第
十
下 真福
寺
善
本
目録
続
、 一 〇 三頁
189智 山学 報第四十七 輯
永
仁 三 年 五 月 十 日 又 以 傳 法會
談 義 以 次 先 年 草 本 重 記 畢 逐 日 馳筆
之 間 文 章 狼 藉義
理疎
簡
者 歟 是則
呈 初 心 之 披覧
請 後學
之 刊定
而 已 願 以 三 十 入 巻 抄 記 之 行 言 必 生 四 十 八 願 莊 嚴 之 淨 刹 而 已金 剛 佛 子
頼
瑜春 秋 七 十 才 抄
物
披 覧 人 必 可被
廻 向 予 菩 提矣
15
、 九 品 往 生 七 十 二 歳『 寶 鑰 愚 草 』 下 一
真
福 寺 善 本 目 録 末 、 一 四 七 頁 永 仁 五年
夏 比傳
法
會 秋 季 談 義 出 講 義任
愚 意 擬 常抄
出記
之 畢齢
及
九 旬 之 問 身 躰 老老
口 而前
後
不 覚心
智 曚 昧而
義 理 疎 浅歟
然 為 初 心 勧 学記
之 畢 願 以数
日 抄 記 之 功 必為
九品
往
生 之 因 而 已三 寶 院 末
資
権
少 僧 都頼 瑜 春 秋 七 十 ニ ー
6
、 當来
得
脱 之 縁 七 十 三歳
『
寶
鑰 愚草
』 下 四 真 福 寺善
本
目 録末
、 一 四 八 頁 永仁
六 年鑛
七 月 九 日 於 根 来 寺 以傳
法會
談 義 之 次 逐 日記
之畢
寶
鑰 一 部論
義 爲 後 學如
形 記 之 老躰
前
後 不 覚 文義
首
尾 相 違 歟 雖 然 於 此書
一 部 無委
細 抄 出 故 不 顧 後 見 嘲 哢 爲 呈 初 心勧
學
記 之 畢若
會
佛 意義
有
之 者 必爲
當来
得
脱 之 縁矣
南 山 朽 老 頼 瑜 七 十 三
17
、 九 品往
生 七 十 三 歳『 秘 蔵 宝 鑰 勘 注 』 下
末
真 福
寺
善 本 目 録 末 、 一 五 一 頁 永仁
亠 ハ 年 七 月 九 日 於根
来 寺中
性 院 傳 法會
談義
時 以 書 籍 披 覧 之 勘 註畢
不 能沈
思 不 及 再治
隨 見 及令
引 集 間 定有
本末
相 違文
義
乖 角 之事
歟後
賢
取捨
刊
定
而 已 願 以 経論
諸 文 抄 出 之功
必 為 当 來 九 品 往 生 之 因 矣南 山 朽 老 賜 紫 沙 門 頼 瑜
生 年 七 十 三
18
、 九 品往
生 七 十 三 歳『 秘 蔵 宝 鑰 巻 下 引 文 』 真 福 寺
善
本
目 録 続 、 一 五 二頁
永仁
六 年 七 月 九 日 於 根 来 寺 中 性 院 傳 法會
談 義 時 以書
籍 披覧
之 次勘
注 畢 不 能沈
思 不 及 再治
隨
見 及 令 引 集 間 定有
本
一 190一頼瑜の 浄土観 (二)
末
相違
文義
乖 角 之事
歟後
賢 取捨
刊 定 而 已願
以 経 論諸
文
抄 出 之 功 必為
当 來 九 品往
生 之 因 矣南 山 朽
老
賜紫
沙 門 頼瑜
生 年 七 十 三
19
、 當 来得
脱
之 縁 七 十 五歳
『 法 華 開 題
愚
草 』真
福 寺善
本 目録
末 、 一 八 五 頁正
安
二 年 五月
廿
七 日於
傳
法
會
始
精 談 此 書 以 此愚
案
所 及私
記 問答
畢
大會
所 出他
人論
議 加 之願 以 此 抄 記 之
功
必 爲當
来
得
脱 之 縁 而 巳南 山
隠
老 頼 瑜 春 秋 七 十 五 以 上 の 奥 書 か ら往
生 、 浄 土 に 関 し て 「 往 生 の資
粮 」 「 九 品往
生 の 因 」 「 九品
往 生 の 縁 」 「 九品
往 生 の 業 」 「 往 生 の素
懐
」 「後
生 の資
粮
」 「 順 次往
生 の因
」 「 順次
往 生 の 縁 」 「往
生 の因
」 「 生 四 十 八 願荘
厳
の 浄 刹 」 「 當 来得
脱 の 因 」 「當
来得
脱 の縁
」 等 の 語 を抽
出 す る こ と が で き る 。 頼 瑜 は事
相 ・ 教 相 に わ た り多
く の 著作
を残
し た が 、 そ の著
述 活 動 の 功徳
を 以 て 九 品 往 生 の 因 縁 、 順 次往
生 の 因 縁 と し 、往
生 の素
懐 を 遂げ
る こ と を 願 っ て い た こ と が 分 か る 。 し か も奥
書 に 記 さ れ た年
次 か ら 、 こ の願
い は頼
瑜 の 三 十 五 歳 か ら 七 十 五歳
の晩
年
に 至 る ま で 一貫
し て い た こ と が 知 ら れ る 。 こ の 中 で 「 求 法沙
門 頼 瑜 」 、 「 金 剛佛
子 頼 瑜 」 、 「 醍醐
寺
報 恩 院末
資 金 剛 仏 子 頼 瑜 」等
と 記す
と と も に晩
年
に は 「 南 山 朽 老 頼 瑜 」 「 南 山 隠 老 頼 瑜 」 と も 記 し 、 敢 え て 「 南 山 」 の語
を付
し だ こ と は 注 目 さ れ る 。五
、極
楽
往
生
と
都
率
往
生
と こ ろ で 頼 瑜 は何
故
、 順次
往 生 、 九 品往
生 を 願 っ て い た の か 。 真 言宗
僧 と し て 即身
成 仏 を求
め て い な か っ た の で あ ろう
か 。 そ の解
答
の 一 つ を 頼 瑜 自身
の 機 根 認識
に 求 め る こ と が 出 来 る 。機
根 に つ い て 頼 瑜 は 『薄
草
子 口決
』巻
第 191智 山学報第四十 七輯 一 二 。 に 、 そ も そ も 諸 仏 の
悲
願 に 淺深
無 く 十 方 刹 土 に 優劣
無 し と い え ど も 大師
の 門弟
は 専 ら 中 心 を都
率 の雲
に 繋 ぎ 上 生 を 内 院 に 遂 げ る 者 歟 。 こ れ に よ り密
嚴 禪 議 の 言 わ く 、 高 祖 既 に住
す 。末
資
蓋 ん ぞ 願 わ ざ る ム. ム 。 こ の 言 肝 に 銘 じ 已 ぬ 。 た だ し 予 の如
き 愚 鈍 の 類 、忝
な く も 大 日 餘 輝 を 信 仰 す と い え ど も 猶 し質
多
の 花台
に 顕 し 難 し 。屡
に高
祖 の 遺 風 を 傳 え る と い え ど も ま た 都 率 の 雲 閣 に 攀 り 難 し 。 仍 っ て欣
と こ ろ は こ れ 順 次往
生 を 九 品 に 遂 げ 見 佛 聞法
を 三 會 に期
し 而 し て 已 ぬ 。 ま た 『 顕密
問 答 鈔 ヤ 巻 下 卩 で は 、 抑 も 頼瑜
忝 な く も 法 雨 の末
滴
を受
け て 幸 い に 智 水 の餘
流 を 汲 む 。但
し 一 生 一 世 の 機感
の み に非
ら ず 。併
ら 是 れ多
生多
世 の 宿 縁 な り 。 さ ら に 『 菩提
心 論 初 心 鈔 』 巻 上 、。 に は 、 真 言 上乘
相 應 機 根 を 上 根 と名
つ く 。 即身
成 仏 の 頓 機 は 最 上 智慧
人 の 故 に 上 智 と 云 う 也 。 若 し ま た結
縁 の機
を論
ず る 時 は 、 下 根 下 智 人 と い え ど も こ れ を 遮 す べ か ら ず 。佐
禮 波末
代
愚 鈍 の 我 等卑
下 心 を 成 ず る べ か ら ざ る 也 。 と 述 べ 、 「 予 の如
き 愚 鈍 の 類 」 、 「 一 生 一 世 の 機感
に あ ら ず 」 、 「 末代
愚 鈍 の我
等 」 の語
か ら う か が え る よ う に 頼 瑜 は 、自
身
を 即身
成 仏 の 機 根 で あ る 上根
、 頓機
で は な く 、 下 根 、漸
機 と 認 識 し て い た と考
え ら れ る 。 ま た 真 言行
者
は 弘 法 大師
の 居 ら れ る弥
勒
浄 土 、都
率 の 内 院 に 往 生 を願
う を 第 一 義 と す べ き で あ ろう
が 、 自 分 は 機 根 が劣
る の で そ れ は叶
わ な い 。 し た が っ て 順 次往
生 (11
九 品往
生 ) し て そ の後
、 弥勒
下 生 の 際 、 そ の説
法
の 座 に 連 な り た い と の 願 い を 記 し て い る 。 頼 瑜 に と っ て都
率
往 生 は極
楽
往 生 よ り 難 行 で あ る 。 と こ ろ で 中国
、朝
鮮
で 問 題 と な っ た 弥 勒 と 弥 陀 、 都率
と 極 楽 の往
生 の優
劣 ・難
易 に 関 す る論
争 は 、 日本
で も 源 信 の 『往
生 要集
』 を は じ め 真 言宗
内 部 で も 問 題 と さ れ た 。 た と え ば 済 暹 ( 一 〇 二 五 〜=
一 五 ) は 『 讃 歎覩
史多
天弥
一192
一頼瑜の浄土観 (二) 勒 菩
薩
頌
玄
意の 中 で 、 都
率
往生
が 極 楽往
生 よ り優
れ て い る と し て 四 点 を 挙 げ る が 、 そ の第
三 番 目 に 都 率往
生 の 易 行性
を指
摘
す る 聰 。 三 に は 極 楽 の 行業
は こ れ修
し 難 き 故 に往
生 し 難 き なり
。都
率 の行
業 は 修 し 易 き 故 に 往 生 し易
き な り 。 さ ら に 路 、弟
子
の 崇 帰 す る と こ ろ 、 三 密 教 迹 之 傳法
の祖
師
、 俗 に 弘法
大
師
と 謚 す 。 自 ら 願 を 発 し て し か も現
に慈
氏 内院
に居
す 。 故 に 弟 子 は彼
の 所 に 生 じ て 三 密 の 教 義 を 諮 問 せ ん と 欲 す る な り と述
べ 、 弘法
大 師 の 弟 子 で あ る か ら こ そ都
率
往
生 を 願う
べ き で あ る と す る 。 頼 瑜 と は 立 場 を 異 に し て い る 。 都率
と 極楽
の往
生 に つ い て 興教
大 師 は 『 五輪
九 字 明 秘密
釈 』 洪 の 冒頭
で安
養
都 率 は 同仏
の 遊處
、密
厳
華蔵
は 一 心 の 蓮台
な り 。惜
し い か な古
賢 、難
易 を 両 土 に争
う こ と を 。 と 述 べ 、 両 者 の 難易
を 争う
こ と 戒 め 、 優 劣 ・ 不 同 を 論 じ な い が 、 あ え て 頼 瑜 は 都 率往
生 で は なく
極
楽往
生 の 立場
を 取 っ た 。 た だ し 興 教 大師
は 『 五 輪 九字
明 秘 密釈
』 の 別 な 箇 所 で は 「 実 慧 、 真然
は 、 先 に極
楽
に 生 じ 、後
に 都率
に 往 く 」 鱒 と 述 べ て 、 弘法
大師
の高
弟
の実
慧 や 真 然 が 、 先 ず 極楽
に 生 れ て か ら 都率
に往
っ た と し て 、 「往
生 」 の 語 を 「往
」 と 「 生 」 に 分 け て い る事
は注
意 す べ き で あ る 。但
し 頼 瑜 の 願 っ た 往 生 が 、 先 ず 極楽
に 生 ず る事
で あ っ た か 否 か は 今 は明
で は な い 。極
楽
と都
率
に つ い て 頼 瑜 は 『 四 十 九 院事
』 で は都
率 天 の外
院 を 胎藏
界、 西 方 極楽
世 界 、 内 院を
金剛
界 、 密厳
国 土 の 両部
に 配 し て 不 二 、、 とす
る 。 さ ら に都
率 ・ 極 楽 の 不 同 ” に つ い て 、 私 に そ の 不 同 を 云う
。或
が 釈 し て 云 く 身 に楽
あ る を 極 楽 と 云 い 、 心 に悦
あ る を喜
足 と 云 う 云 云 。 こ れ 具 足 成 就 は こ れ満
足 の 極 、 究竟
円 満 は 則 ち 至 極 の義
な り 。 楽 と喜
と そ れ 同 な り 。 極楽
と兜
率
天 は名
す で に 同 な る こ と を 得 る な り 。 天 と 土 は こ れ 心身
所 住 の 不 同 な り 。 依 身 は 陰 を 主 と し 心 法 は 陽 を 主 と す 。 即 ち こ れ 横 竪 な り 。 故 に 心193
智 山学報 第四十七輯 の
浄
處
は 竪 に 上 天 に約
し 、 身 の 浄 刹 は横
に 西 方 に 在 り 。 密 教 の深
意 は 西方
は蓮
華
世 界、 胎藏
万 荼 羅 の 所表
な り 。 都率
は 密厳
仏 國 の 月殿
、 金 界 の法
刹
な り 。 横 竪 な り 。 色身
心身
は 昇 沈 の性
な り 。 と 述 べ て お り 、 こ れ を 整 理 す る と次
の よ う な 関 係 に な る 。 極楽
11
土11
身
11
陰11
横11
身
の 浄 刹11
西 方 凵 蓮 華 世 界 胎 藏 曼 荼 羅11
色 身11
沈
性 都率
ー1
天11
心
11
陽11
竪11
心 の 浄處
” 上 天11
密
厳 佛 國 月 殿 金 界法
刹
11
心身
11
昇
性 さ ら に こ れ に 続 い て 弘 法大
師
の 入定
に つ い て 『 日 日影
向 文 」 認 を挙
げ る 。大
師 、身
を高
野 の 樹 下 にト
し 花 蔵 界 西 方 に 同 ず 、 魂 を 兜 率 の雲
上 に 遊 ば し む 金 剛 界 心 月 殿 。 こ の 部 分 は 『 弘法
大 師 全集
』 第 五輯
所 収 の 『 日 日 影向
文 』 で あ る が 、 全集
所 収 の文
章 は 「居
を 高 野 の 樹 下 に ト し神
を 兜率
の 雲 上 に 遊 ば し む 」 で あ り 、 頼 瑜 は 「 居 」 を 「 身 」 に 、 「神
」 を 「 魂 」 に 読 み 換 え て い る 。弘
法 大 師 の 入定
を 、 身 体 は 高 野山
に 留 ま り 、 そ の 魂 は 都 率 に 往 生 し た と 解 釈 す る 。身
を沈
性
と し 魂 を 昇 性 と す る頼
瑜 の 理 解 に は 、 人 間 を魂
11
精神
と魄
11
肉 体 と に 分 け 死 に よ っ て 魂 は 天 上 に 、 魄 は 地 下 へ 行 く とす
る 儒 教 的 汐 な 影 響 を見
る こ と も 出来
る 。 儒 教 の 理解
に よ れ ば 肉体
を 主宰
す る 魄 の実
質
は 遺 骨 隠 舎 利 で あ る 。舎
利
に つ い て興
教大
師
は 『弘
法 大 師 講式
』 ,。 の な か で 『 日 日影
向
文
』 の 同 一 箇 所 を 引 用 し た後
に 、弘
法大
師
の 都率
往 生 、 弥 勒 浄 土 へ の 上 生 を 示す
『 二 十 五 箇 条 御遺
告 』 コ 可 報 進後
生 来 世 弟子
祖師
恩 縁 起 第 十 七 」 釧 の 「 微 雲官
よ り 見 て 信 否 を 察す
べ し 。 こ の 時 、 勤 め あ る 者 は 祐 を 得 べ し 。不
信
の 者 は 不幸
な ら ん 。努
々後
ろ に疎
か に す る こ と な か れ 」 の文
を 引 用 し 、 さ ら に 講式
の最
後 に は 、 南無
帰
命
頂
禮 如 来舎
利 本 地 法身
法 界 塔 婆 南無
高
祖 大 師 遍 照 金 剛 入 定留
身
舎 利 と 記 し て い る 。 こ こ で 弘 法大
師
の 入 定 を 、留
身
舎
利
と 見 て い る こ と に 注 目 し た い 。 「 入定
留 身舎
利
」 の 語 が 如 何 な る 意 味 を持
っ て い る の か 。 興 教大
師
と高
野 聖 と の 関 係 、 十 二 世 紀 頃 か ら 始 ま る 高 野山
に 対 す る納
骨
の 風 潮 、 高 野 山 を 一194
一現 世 の
浄
土 と み な し 、 そ こ へ 遺骨
を 納 め る こ と に よ っ て 往 生 を 願 う 納 骨信
仰
と の 関 係 等 も含
め て 検 討 す べ き であ
る が 、他
日 を 期 し て今
は 行 わ な い 。 頼瑜
の極
楽 往 生 へ の 希 求 は 、自
己 の 機根
認識
と と も に 極 楽11
高 野山
、 弘法
大
師
の 入定
留
身
す る 高 野 山 に 往 生 し 、弥
勒 の 下 生 を 待 ち た い と の 願 い が あ っ た か ら で あ ろ う 。 そ し て そ れ は 真 言 宗 の 学僧
と し て は 、 高 野 山 と 袂 を 分 か ち根
来 山 に新
義
真 言 教学
を確
立 し た 頼瑜
で は あ っ た が 、 弘法
大 師 を宗
祖 と し て 仰 ぐ 一 人 の 真 言 宗 僧 と し て は 、 高 野 山 に 入定
す る 大 師 に 対 す る 深 い 思 慕 と強
い 畏 敬 の 念 を 生 涯 、 懐 い て い た か ら と考
え ら れ る の で は な い だ ろ う か 。ま
と
め
頼瑜の 浄土観 (二 )伝
記
資
料
に よ れ ば 頼 瑜 は 日 頃 か ら 阿 弥 陀 を 本尊
と し て 三 摩 地 法 を修
し て い た 。 ま た 臨終
を 迎 え る に 当 た っ て も 無 量壽
如
來 の 印 を結
ん だ と あ り 、密
教 浄 土 と し て の 阿 彌 陀 浄 土 の 信 仰 を 有 し て い た こ と が う か が え る 。頼 瑜 は
多
く の 著作
を残
し て い る が そ の 奥 書 に は 、事
相
・ 教 相 に わ た る 著 述 の 功 徳 に よ っ て 順 次 往 生 を 願 っ て い た こ と が記
さ れ て お り 、 そ の 願 い は 三 十 代 か ら晩
年 ま で 一 貫 し て い る 。頼 瑜 の 願 っ た 順 次 往 生 は 事 相
書
の 記 述 か ら み て も 興 教 大 師 の そ れ を 踏 襲 し た 真 言密
教
の 浄 土 で あ る 。 た だ し興
教大
師
が 『 述懐
詞 』 の な か で 、 現 生 で は 現 身往
生 す な わ ち 即身
成 仏 を めざ
す
が 、 臨 終 ま で そ れ が 果 た せ な い 場 合 に往
生 を 願 っ た姿
勢
と は 異 な り 、 は じ め か ら 順次
往 生 を 願 っ て い た よ う に見
え る 。そ の 理 由 は 頼 瑜 自 身 の 機 根 認
識
に 基 づ く と考
え ら れ る 。自
己 の機
根 認 識 は ま た極
楽往
生 と 都 率 往 生 の難
易 に も 関 係 す る 。す
な わ ち 「 四 十 九 院 事 」 の な か で は都
率
.極
楽 を 金 剛界
・ 胎 藏界
と み て不
二 を 主張
し て い る も の の 『薄
草
子
口決
』 「 弥 勒法
」 の 識語
に は、真
言行
者
た る も の は 弘智 山学報第四 十 七輯 法 大
師
の 居 ら れ る 都率
に往
生 す べ き を 第 一義
と す る が 、実
に は都
率
往
生 、 す な わ ち 大師
へ の値
遇
は 自身
に は 困 難 で あ る と し 、 阿 弥 陀如
来 の極
楽
往
生 を希
求
し 、弥
勒
下 生 の時
に そ の説
法 の 座 に 連 な り た い と の願
い を 持 っ て い た 。ま た 『 日 日
影
向
文 』 の 中 の 「 居 を 高 野 之樹
下 に ト し 神 を兜
率 の 雲 上 に 遊 ば し む 」 の 居 と神
を 、 居 凵身
体
、 神11
霊 魂 と に 読 み換
え 、弘
法大
師
の身
体 が留
ま る 高 野 山 を 現 世 の 浄 土 、 阿 弥 陀 の極
楽
世 界 と見
な し そ こ へ の往
生 を 願 っ た 。 か つ て は 伝法
会
、談
義等
を行
い 居 住 し た高
野 山 と 袂 を 分 か ち 、根
来 山 に新
義真
言教
学
を確
立 し た 頼 瑜 で あ っ た か ら こ そ 、 逆 に高
野 山奥
の 院 に 入定
す る 弘法
大師
へ の 思 慕 が 強 か っ た も の と考
え ら れ る 。晩
年
の 著 作 の 奥 書 に 「 南 山 朽 老 頼 瑜 」 「 南 山隠
老
頼 瑜 」 と 記 さ れ て い る の は 、 こ の こ と を 物 語 っ て い る の で は な い だ ろう
か 。 註1
234567
筆
者 は 平 成 四 年 十 二 月 四 日 、 大 正 大 学綜
合 佛 教 研 究 所 の 所内
研
究 発表
会
で 「 頼 瑜 の 浄 土観
( ご 」 と 題 し て 発 表 し た 。 そ の 発 表 要旨
は 『 大 正 大 学綜
合 佛 教 研 究 所年
報 』 第 十 五号
に掲
載 し た が 、 紙 幅 に 制 限 があ
っ た の で資
料 の 提 示等
、 論 述 が不
十 分 で あ っ た 。 本 稿 は そ の 続編
で あ り 資料
等
、 論 述 が 重 な る と こ ろ も あ る こ と を お 断 り し て お き た い 。 『続
真
言宗
全書
』 三 一 、 一 〇 四 頁 上 ・ 下 『大
日 本 仏 教 全 書 』 一 〇 六 、 三 九 二 頁 上 『大
日 本 仏教
全 書 』 一 〇 二 、 二 四 四 頁 下 『大
日 本 仏 教 全 書 』 一 〇 四 、 一 二 五 頁 下 『続
真 言宗
全 書 』 三 三四 四 九 頁 「 興 教 大
師
傳 記 史 料 全集
」第
二 編 史料
、 七 三 四 頁8
109
頼瑜の浄土観 (二)13
12
11
『 真 言宗
全 書 』 三 七 、 三 三 六 頁 臨 終 印 に つ い て は 『真
俗
雑 記 問答
鈔
』第
七 (真
全 第 三 十 七 、 一 二 八 頁 ) に 次 の よう
な 同様
の記
述も
あ る 。 「臨
終
祕
印 問 う 何 ん 。答
う
。木
幡
の 云 く 、 外縛
し て 二 空 又交
叉 し て 二 風 二 空 間 少 し あ け て圓
形 空 に し て 月輪
と観
ず る な り 。風
以 下 の 八指
は 八葉
な り 。 二 空交
叉 は 始 本 不 二 の 彌 陀 如 來 と観
じ 兩 手 の掌
を ば 日 月 と観
ず 。 即 ち 觀音
勢 至 と 為 す な り 。 眞 言 は 南無
阿 彌 陀 佛 十 遍 」 『 真 言 宗 全書
』 三 七、 一 九 四 頁 寛助
の 臨 終印
に つ い て は 『 薄草
子 口 決 」 第 十 二 ( 大 正 七 十 九 、 二 四 四 頁 下 ) に は 「御
口 に 云 く、 弥 勒 は因
菩
薩
、 大 金剛
輪
、 小 金剛
輪
、 転法
輪
こ れ 一 體 なり
。 故 に成
就
院 寛 助僧
正 は都
率 を欣
求
し 最 後 終焉
の 時 、 小 金 剛 輪 の 印 言 を 結 誦 す と 云 . 」 と あ り 、 ま た 『 秘 鈔 問答
』巻
第 十 ( 大 正 七 九 、 四 五 六 頁 下 ) 「 弥勒
法
」 に も 『御
口 決 に 云く
、 弥 勒 は 因菩
薩 、 大 金 剛 輪 、 転法
輪
こ れ 一 體 な り 。故
に 成 就院
寛
助 僧 正 は 都率
を欣
求 し 最後
終焉
に 小 金 剛 輪 の 印 言 を 結 誦 す と 云 、 』 と 同 様 の 記 述 が あ る 。 ま た 教舜
の 『秘
鈔
口決
』 巻 第 十 八 ( 『真
言 宗 全 書 』第
二 十 八 、 二 九 三 頁 ) に も 「御
口 に 云 く 、 成 就 院大
僧
正 は 弥 勒 秘 印 に は 、 小 金 剛 輪 を 以 て 秘事
と なす
な り 。 最後
臨 終 の 時 も こ の 印 を 結 ば れ た り 云 . 」 と あ る 。 『 眞 言宗
全 書 』 二 二 、 一 八 九 頁 上 『 大 正蔵
』 七 九 、 三 四 六頁
下 『 大 正蔵
』 七 九 、 十 一頁
上 ・ 中「 顕 教 に は
釈
尊
の外
に 弥陀
あ り、密
蔵 に は大
日 即 ち 弥 陀 、 極楽
の 教 主 な り 。 ま さ に知
る べ し 、 十 方 浄 土 は皆
こ れ 一 仏 の 化 土 、 一 切 如 来 は悉
く こ れ 大 日 な り 。毘
盧 、 弥 陀 は 同体
異名
、極
楽
密 厳 は名
異 に し て 一 処 なり
。妙
観察
智 の神
力 加 持 を も っ て 大 日 の 體 の 上 に弥
陀 の 相 を 現 ず 。 お よ そ 是 の 如 く の観
を 得 れ ば 、 上 、諸
仏
菩
薩 賢 聖 を尽
く し 、 下 、 世 天龍
鬼 八 部 に 至 る ま で大
日 如 来 の 體 に 非 ら ざ る こ と な し 。 五 輪 門 を 開 い て 自 性法
身
を 顕 わ し 、 九字
門 を 立 て て は受
用報
身
を 標 す 。 既 に知
ん ぬ 、 二 仏 平等
な り 。 あ に 終 に賢
聖197
智 山学 報 第四十 七輯
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差 別 あ ら ん や 。安
養 都率
は 同 仏 の 遊 処、 密厳
華 蔵 は 一 心 の 蓮 台 な り 」 『 大 正 蔵 』 七 九、 九 八 頁 中「 私 に 云
く
、娑
婆 世界
の 衆 生 、 殊 に 阿 弥 陀 仏 に 宿 縁 深 厚 な る が 故 に 、 蓮 華 部 に 就 い て 修 行 勧 め る な り 。 こ れ に 依 っ て顕
教
経輪
中 の 西方
を 勧 め る に は非
ず 。 真 言 の 経軌
も ま た 極楽
を 勧 め る が 故 に 蓮 華 部 に 依 っ て念
誦軌
則 を造
る な り 。 故 に 五 相 成身
は弥
陀 の 定印
に 住 し 、 心 月 輪 に 八 葉 蓮花
を 観 ず 」 『 大 正蔵
』 七 九 、 六 五 頁 上 『 大 正蔵
』 七 九 、 六 〇 三 頁 上 中 、 「 去 し 嘉 元 元 年 癸 卯 の冬
、 中 性 院 の先
師 上 綱 、 病床
に 寝 の 日 、 愚 質 に 命 じ て 云 く 、我
化 滅 の後
、毎
年 忌 辰 に 竪 義 決 擇 を 勤 む べ し 。 我 、 頃 日、 勧 劣 向 勝 不 退 門 に つ い て 彼 の 短 冊 を 記 ん と 欲 す 。 然 れ ど も 未 だ そ の 功 を 遂ず
。 露 命 ま さ に消
え な ん と す 。 爾 ら ば す べ か ら く こ の 短 冊 を 書 て彼
の 竪 問 を勤
む べ し 。 遂 に す な わ ち 翌 年 正 月朔
旦 耒 刻 に 至 り寂
然
と し て 滅度
し 愁 傷 肝 を屠
す 。 遺 訓 、 耳 に 止 む 。 こ れ に 由 っ て千
行 の 涙 を 拭 い 十 題 の 草 を 綴 り お わ ん ぬ 。 こ の 草 本 を 醍 醐 寺 報 恩院
上 綱 憲 淳 の 一 覧 を 経 る 。 す な わ ち 第 四 重 の会
釈 中 に 就 い て少
々 添 句 を 被 る 。 因 っ て 重 ね て こ の 中 に 書 き 入 れ 同 九 月 十 九 日 再治
畢
ん ぬ 。 金剛
仏
子
順 継 四 十 五 歳 」 『大
正蔵
』 三 二 、 五 八 三 頁 上 「 ま た次
に 衆 生 初 め て こ の 法 を 学 し て 正信
を 欲求
す る に、 其 の 心 怯 弱 に し て 此 の娑
婆
世 界 に住
す る を 以 て 、 自 ら 常 に 諸 仏 に 値 い て 親 承 し 供養
す る こ と 能 は ざ る を 畏 れ、 懼 れ て 信 心 は 成 就 す べ き こ と 難 し と 謂 い 、意
の退
せ ん と 欲 す る者
に は、 当 に 知 る べ し 、 如 來 に 勝 方 便 有 り 、信
心 を 摂護
し た もう
。 意 を専
ら に し て佛
を 念 ず る因
縁 を 以 て 、 願 い に隨
い て 他 方 佛 土 に 生 ず る こ と を 得 て 、 常 に 佛 を 見 て 永 く 悪 道 を 離 れ る を 謂 う 。 修多
羅
に 説 く が如
し 。 若 し 人、 専 ら 西 方 極 樂 世界
の 阿 弥 陀 佛 を 念 じ 、 修 す る所
の善
根
を 廻 向 し て 、 彼 の 世 界 に 生 ぜ ん と 願 求 す れ ば、即
ち 往 生 す る こ と を 得 と 。常
に 佛 を 見 る が 故 に 終 に 退 す る こ と無
し 。 若 し 彼 の 佛 の 真 如法
身
を観
じ て 、 常 に 勤 め て修
習 せ ば 、 畢竟
じ て 生 ず る こ と を得
て 正定
に 住 す る が故
な り 。 」 『 大 正 蔵 』 七 九 、 二 四 七 頁 下 一198
一21
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頼瑜の浄土 観 (二 )26
25
『 続真
言 宗 全書
』第
二 三 、 二 〇 頁 『 日 本 大 蔵 経 』 二 四 、 九 二 頁 『 讃 歎 覩多
天 彌 勒菩
薩偈
頌 玄意
』 は 写本
の み 伝 来 し て い た が 、 最 近 、 堀 内 規 之 氏 に よ り 翻刻
と そ の 内 容 研究
が 発表
さ れ た 。 「 『 讃 歎 覩 史多
天 彌勒
菩
薩 偈 頌 玄 意 』 に つ い て 」 ( 『 曲 豆山
教 学 大 会 紀 要 』 第 二 十 三号
) 、 「 『 彌 勒 菩薩
偈
頌
玄 意 』 に お け る 住 生信
仰
に つ い て 」 ( 『 密教
学 研 究 』第
二 十 八号
) 、 「 『 彌 勒菩
薩 偈 頌 玄 意 』 の 特 色 に つ い て 」 ( 『 印度
学 仏 教学
研
究 』第
四十
五巻
第
二 号 ) 『 曲 豆 山 教 学大
会 紀 要 』第
二 十 三 号 、 二 = 二 頁 『 同 右 』 、 二 一 四 頁 『 大 正 蔵 』 七 九 、 十 一頁
、 「 難 易 を 両 土 に 諍 う 」 の 「 両 土 」 の語
に つ い て 、 『 大 正 蔵 経 』 所 収本
と 『 興教
大 師 全集
』 所 収 本 の本
文 に は 、 い ず れ も 「 西 土 」 と あ る が 、 大 正 蔵 経 の 脚 註 に は 「 両 」 と あ る 。 こ の点
に注
目 さ れ た 本多
隆 仁 氏 は 「 興 教 大師
と都
率往
生 」 ( 『 興 教 大 師 八 百 五 十 年御
遠 忌 記 念 論集
興
教大
師
覚 鑁研
究 』 所収
) で 「 西 土 す な わ ち極
楽 浄 土 へ の道
、 そ の 道 の 難 易 を 問 題 に し て い る の で は な く て 、 極楽
浄 土 と 都 率浄
土 の 両 土 ど ち ら へ の 道 が 難易
な の か 、あ
る い は極
楽 浄 土 と 都 率往
生 と ど ち ら が優
れ て い る か が 問 題 で あ ろ う と考
え た 。 」 と 指 摘 さ れ て い る 。筆
者 も本
多
氏 と 同様
に 理解
す る の で 「 両 」 の 語 を 取 っ た 。大
正 蔵 七 九 、 二 〇 頁 下 『 四 十 九 院事
』 、 二 丁左
〜右
「 外院
は 即 ち 胎蔵
の 土 を 顕 わ す 。 五 百 億 の寳
殿 あ り 。 こ れ 胎 蔵 の 五 大 楼閣
、 こ れ 胎蔵
の 身 殿 な り 。 内院
の 四 十 九 院 は 金 剛 界 の 密厳
浄
土 な り 。 ま た 西 方極
楽
は 台 蔵花
蔵 世 界 な り 。仞
利 を 以 て 不 二 と 為 す 。 諸 尊 の 道場
両部
大 法 悉 く仞
利 を 以 て所
居
と 為 す 。委
細 の 甚 秘 こ れ を 略 す 。 一 乗法
華
の普
賢 品 に仞
利 兜率
を 以 て所
居 と 為 す 。 こ の 意 ろ こ れ に在
り 。大
師 の 云く
、安
養
都
史 本 来 胸 中 と こ れ 二 土 を 以 て密
厳花
蔵 二 界 と 一 199一智 山学報 第四 十 七輯