密 教 文 化
パ
ス
カ
ル
の
人
間
理
解
の
方
法
-弁
証
法
的
統
一
の
論
理
-児
玉
正
幸
L ・ ゴ ル ド マ ン が 夙 に 洞 見 し た よ う に 、 ﹃ パ ン セ ﹄ 的 風 土 か ら 出 発 す る と 、 パ ス カ ル の 立 場 の 本 質 的 図 式 は 逆 説 で あ り 、 人 間 は 逆 説 的 存 在 で あ る 。 ﹃ 人 間 は 、 生 来 、 信 じ 易 く て 、 疑 い 深 く 、 臆 病 で 、 向 こ う 見 ず で あ る ﹄ ( L 一 二 四 -B 一 二 五 ) (X I I I ・ 46 ) 。 と い う よ う に 、 入 間 の 内 に は 相 反 す る 性 質 が 厳 然 と し て 共 在 す る 。 人 間 の 逆 説 の 中 で 最 た る も の と し て 、 我 々 は ゴ ル ド マ ン と 共 に 、 ﹃パ ン セ ﹄ の 中 に 悲 劇 的 逆 説 的 人 間 観 ( 1 ) を 確 認 す る 。 即 ち 、 人 間 と は 、 絶 対 的 価 値 へ の 内 的 要 求 を 抱 き 続 け な が ら も 存 命 中 に は 決 し て そ れ を 見 出 し 得 な い 、 と い う 偉 大 に し て 悲 惨 な 逆 説 的 存 在 で あ る 。 こ の よ う 徐 逆 説 的 二 重 構 造 を も っ た 人 間 を 合 理 的 立 場 か ら 理 解 し よ う と す る 限 り 、 諸 説 紛 々 と し て 、 人 間 は 人 間 に と っ て 不 可 解 な 謎 と し て 残 存 せ ざ る を 得 な い 。 ﹁ 対 立 す る 二 つ の 真 理 の 関 連 を 理 解 す る こ と が で き ず 、 一 方 を 容 認 す る こ と は 他 方 を 除 外 す る こ と で あ る と 思 い 込 ん で い る だ け に 、 一 方 に 固 執 し て 他 方 を 排 斥 す る ﹂ ( L 七 三 三-B 八 六 二 ) ( X IV ・ 3 0 5 ) 独 断 論 や 、 真 理 認 識 の 相 対 性 を 説 く 懐 疑 論 で は 、 人 間 と い う 謎 を 全 面 的 に 解 明 す る に は 到 ら な い 。 両 論 の 一 面 的 相 補 的 真 理 を 否 定 的 に 綜 合 止 揚 す る 立 場 こ そ 、パ ス カ ル の 到 達 し た 人 間 理 解 の 弁 証 法 的 統 一 の 立 場 で あ る 。 具 体 的 に は 、 そ れ は 、パ ス カ ル に と っ て 、 調 停 役 と し て の 福 音 の 真 理 の 立 場 で あ っ た 。パ ス カ ル が 福 音 書 に 真 理 を 見 出 し た と い う こ と は 実 は 、 自 ら の 聖 書 研 究 や 典 礼 の 実 践 を 通 じ て 、 信 仰 と 道 徳 に 於 け る 弁 証 法 的 論 理 に パ ス カ ル が 気 付 い た 、 と い う こ と に 他 な ら な い 。パ ス カ ル は 自 信 を 以 て 語 る 。 ﹁ 信 仰 と 道 徳 と に つ い て 、 相 容 れ な い よ う に 見 え な が ら 実 は 一 つ の 驚 く べ き 秩 序 に 於 い て 悉 く 共 存 す る 極め て 多 く の 真 理 が あ る 。 あ ら ゆ る 異 端 の 源 泉 は 、 こ れ ら の 真 理 の 或 る も の を 除 外 す る 処 に 存 す る ﹂ ﹃ L 七 三 三-B 八 六 二) ( 図 IV ・3 0 5) 。 信 仰 と 道 徳 に 於 け る 弁 証 法 的 論 理 を 見 出 し た パ ス カ ル は 、 教 会 離 脱 の 宗 教 改 革 運 動 と 教 会 刷 新 の 反 宗 教 改 革 運 動 が 政 治 絡 み で 激 突 す る 時 代 に 、 こ の 論 理 を 駆 使 し て 、 晩 年 に は 、 そ の 後 の 思 想 史 家 を 悩 ま す こ と に な る 謎 に 満 ち た 思 想 的 境 位 に 立 つ 。 本 稿 の 目 的 は 、 深 い 謎 に 包 ま れ たパ ス カ ル 晩 年 の 思 想 的 境 位 を 解 明 す る 一 里 塚 と し て 、パ ス カ ル の 聖 餐 観 と 聖 書 解 釈 を 貫 く 人 間 理 解 の 方 法 を 究 明 す る こ と に 存 す る 。 一 パ ス カ ル の 聖 餐 観 ﹃パ リ の 日 疇 書﹄、 ﹃ ポー ル・ ロ ワ ヤ ル の 時 禧﹄、 ﹃ 宗 教 行 事 暦 ﹄ 等 を 常 時 肌 身 離 さ ず 持 ち 歩 い て い たパ ス カ ル が 、 典 礼 に よ っ て 信 仰 を 培 っ た と い う 実 証 的 研 究 は 、 セ リ エ の ﹃パ ス カ ( 2) ル と 典 礼 ﹄ に 詳 し い 。 と こ ろ が セ リ エ の 該 書 に は 、 典 礼 の 核 を 成 す 聖 餐 に 就 い て のパ ス カ ル 独 自 の 視 座 、 に 対 す る 考 察 が 、 そ っ く り 脱 け 落 ち て い る 。 聖 餐 と は 無 論 、 最 後 の 晩 餐 の 謂 で 、 こ れ に 関 連 す る 新 約 聖 書 の 記 述 を 巡 り 、 古 来 、 二 系 統 の 対 立 す る 立 場 が 存 続 す る 。 一 は 象 徴 説 で 、 ﹃ ル カ に よ る 福 音 書 ﹄ ( 22 ・ 19-20) とパ ウ ロ の ﹃ コ リ ン ト 人 へ の 第 一 の 手 ( 3) 紙 ﹄ ( 11 ・ 24-25) の 聖 句 を 論 拠 に 、 聖 体 (パ ン と 葡 萄 酒) を ア ナ ム ネ ー シ ス キ リ ス ト の 十 字 架 と 栄 光 の 象 徴 、 死 と 復 活 の 記 念 と み る 。 他 は 現 臨 説 で 、 キ リ ス ト がパ ン と 葡 萄 酒 の 形 色 sp ec ie s の 下 に 現 臨 す る と み る 。 当 該 説 は 、 後 に 化 体 説 に ま で 押 し 進 め ら れ て 行 く 。 最 終 的 に 化 体 説 を 確 立 し た の は ト リ エ ン ト 公 会 議 で あ る 。 十 六 世 紀 の ト リ エ ン ト 公 会 議 で 確 立 さ れ た 聖 体 の 秘 蹟 ( 4) に 関 す る 教 理 と は 、 概 略 、 次 の 通 り で あ る 。 (a) パ ン と 葡 萄 酒 の 形 色 の 下 に 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト は 、 真 実 に v e r e-単 に 象 徴 と し て で は な く-、 現 実 に r eali te r-信 徒 の 信 仰 心 の 内 に 観 念 的 に あ る の で は な く-、 本 質 的 に s u b s tan t iali te r-天 に 存 す る 実 体 に 起 因 す る 力 に 応 じ て で は な く-、 現 臨 す る ( ト リ エ ン ト 公 会 議 、 S es s . Y I I I, c an . 1, D e n z . 88 3) 。 (b) キ リ ス ト は 聖 体 拝 領 の 時 だ け で な く 、 そ の 前 後 に も 聖 体 中 に 恒 常 的 に 現 臨 す る ( 同 公 会 議 、S e s s . X I I I, can . 4, D e n z . 8 8 6) 。 (c) キ リ ス ト の 全 体 的 現 臨 、 即 ち 、パ ン と 萄 葡 酒 の あ ら ゆ る 部 分 に キ リ ス ト が 現 臨 す る ( 同 公 会 議 、 Ses s . X I I I . パ ス カ ル の 人 間 理 解 の 方 法-弁 証 法 的 統 一 の 論
理-密 教 文 化 c a p. 3, ca n. 3, D e n z. 8 7 6, 8 8 5; S ess. X X I, ca p. 3, c a n. 3, D e n z. 9 3 2, 9 3 6 )。 (d) 全 質 変 化 ( 化 体 ) tran s s u b s u tan t ia t io に よ る キ リ ス ト の 現 臨 化 、 即 ち 、 パ ン は キ リ ス ト の 肉 体 に 、 葡 萄 酒 は キ リ ス ト の 血 に 実 体 的 変 化 を 遂 げ 、パ ン と 葡 萄 酒 の 聖 変 化 の 後 に も 、 偶 有 性 ( 形 色 、 味 、 重 さ 等 ) は 失 わ れ る こ と な く 残 存 す る ( 同 公 会 議 、 S e s s. X I I I, cap. 4, c an. 2, D en z. 8 7 7, 8 84 ) 。 (5 ) カ ル ヴ ィ ニ ス ト 、 ジ ェ ズ イ ッ ト 、 ジ ャ ン セ ニ ス ト が 三 つ 巴 で 宗 教 論 争 に 明 け 暮 れ る 十 七 世 紀 初 頭 の 激 動 の 時 代 を 生 き た パ ス カ ル は 、 プ ロ ヴ ァ ン シ ア ル 論 争 に 巻 き 込 ま れ る こ と に よ っ て 、 神 学 上 の 諸 問 題 を 根 源 的 に 思 惟 せ ざ る を 得 な い 局 面 に 立 ち 到 っ た 。 如 上 の カ ト リ ッ ク 教 会 の 化 体 説 に 対 し て 、 又 そ の 対 極 の 象 徴 説 に 対 し て 、パ ス カ ル は 如 何 な る 聖 餐 観 に 到 達 し た の で あ ろ う か 。 パ ス カ ル の 聖 餐 観 を 窺 い 知 る 好 個 の 主 資 料 と し て 、 一 六 五 六 年 十 月 二 十 九 日 付 の ル ア ネ 嬢 宛 の 私 信 と ﹃ プ ロ ヴ ァ ン シ ア ル ﹄ 第 十 六 書 簡 、 そ の 他 に ﹃パ ン セ ﹄ の 断 章 L 七 三 三-B 八 六 二 が 、 我 々 に 遣 さ れ て い る 。 先 ず 、 ル ア ネ 嬢 宛 の 私 信 ( 第 四 信 ) か ら 検 討 に 付 す る こ と に す る 。 (一) ル ア ネ 嬢 宛 第 四 信 ﹃ プ ロ ヴ ァ ン シ ア ル﹄ 論 争 や 信 仰 宣 誓 文 問 題 な ど の 渦 中 に 、パ ス カ ル が ル ア ネ 嬢 に 宛 て た 私 信 は 、 ピ エ ー ル・ ゲ リ エ の 書 写 に よ っ て 九 通 だ け 伝 存 し て い る 。 敦 れ の 私 信 に も 、 信 仰 の 問 題 で 悩 む ル ア ネ 嬢 を 導 くパ ス カ ル の 霊 的 指 導 者 と し て の 姿 が 如 実 に 現 れ て い る 。パ ス カ ル と ル ア ネ 嬢 と の 関 係 は 、 J ・ メ ナ ー ル の 好 著 ﹃パ ス カ ル と ル ア ネ 兄 妹 ﹄ に 詳 細 に 解 明 さ れ て い る 。 本 書 で 分 析 さ れ て い る よ う に 、 私 信 全 体 に 披 握 さ れ た ﹃パ ス カ ル の 教 理 と 考 え は 、 隠 さ れ た 言 葉 で 表 明 さ れ ( 6 ) て い る の で は な い 。 そ れ ら は 額 面 通 り に 解 釈 す べ き ﹄ も の で あ る し 、 又 、 指 導 者 と 指 導 を 受 け る 者 と の ﹁ こ の 霊 的 二 体 性 ( 7 ) が ︽ 私 達 ︾ と い う 言 葉 の 頻 繁 な 使 用 を 説 明 し て く れ る 。 ﹂ 如 上 の 特 色 を 通 有 す る ル ア ネ 嬢 宛 私 信 の 第 四 信 に 開 陳 さ れ たパ ス カ ル の 聖 餐 観 を 、 我 々 は 、 額 面 通 り に 受 け 取 っ て よ い 。 ル ア ネ 嬢 宛 私 信 の 全 体 を 特 色 付 け る 率 直 さ と 真 撃 さ は 、 同 時 期 に 平 行 し て 執 筆 さ れ た ﹃ プ ロ ヴ ァ ン シ ア ル ﹄ ( ル ア ネ 嬢 宛 第 一 信 は 第 十 二 書 簡 に 前 後 し て 発 信 ) に も 確 認 さ れ る 。
問 題 の 第 四 信 は 、パ ス カ ル の 姪 の マ ル グ リ ッ ト の 身 の 上 に 起 き た 教 会 公 認 の 聖 荊 の 奇 跡 ( 一 六 五 六 年 三 月 二 十 四 日 ) に 関 心 を 抱 い た ル ア ネ 嬢 に 対 し て 、 隠 れ た る 神 の 秘 義 に 就 い て ( 8 ) 伝 え る 信 書 で 、 そ の 内 容 は 概 ね 、 左 の 通 り で あ る 。 奇 蹟 と い う 形 で 神 が 稀 に 自 然 の 秘 奥 か ら 出 て く る の は 、 私 達 の 信 仰 心 を 高 め る た め で あ る 。 奇 蹟 は 頻 繁 に 生 じ る も の で も な け れ ば 、 全 く 発 生 し な い も の で も な い 。 奇 蹟 が た び た び 生 じ る よ う で は 、 信 仰 は 無 価 値 に な る 。 反 対 に 奇 蹟 が 決 し て 起 こ ら な い よ う で は 、 信 仰 は 廃 れ て 了 う 。 隠 れ た る 神 は 、 神 に 仕 え る 人 達 の 前 に、 稀 に 自 ら を 隠 す 帳 を 挙 げ て 現 れ る 。 隠 れ た る 神 は 曽 て 、 人 類 救 済 の た め に 、 最 大 の 奇 蹟 を 起 こ し た 。 即 ち 、 自 然 の 帳 の 下 に 隠 れ て い た 神 は 、 人 間 の 姿 で 現 れ ( 御 托 身 ) 、 降 臨 の 日 ま で 聖 体 の 中 に 留 ま る こ と を 選 ん だ 。 聖 ヨ ハ ネ が ﹃ 黙 示 録 ﹄ の 中 で 、 ﹁ 隠 さ れ て い る マ ナ ﹂ ( 2 ・ 17 ) と 呼 ぶ の は こ の 聖 体 の 秘 蹟 の こ と で あ り 、 ﹁ ま こ と に 、 あ な た は ご 自 分 を 隠 し て お ら れ る 神 で あ る ﹂ ( ﹃ イ ザ ヤ 書 ﹄ 45 ・ 15 ) と 言 っ た イ ザ ヤ は 、 聖 体 中 に 神 を 見 て い た の で あ る 。 こ の 最 大 の 奇 蹟 は 神 の 明 確 な 発 現 の 段 階 で あ る に も 拘 ら ず 、 得 て し て 人 間 の 認 識 は 逆 行 す る 。 そ れ 故 、 不 信 の 徒 は 、 自 然 の 内 に 留 ま り 、 自 然 の 創 造 主 に 想 い 到 ら な い 。 ユ ダ ヤ 人 は 、 旧 約 聖 書 の 字 義 的 解 釈 に 留 ま り 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト を 人 間 と し か 見 徹 さ な い 。 他 方 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト が 神 人 で あ る こ と を 知 る 異 端 の キ リ ス ト 教 徒 と い え ど も 、パ ン と 葡 萄 酒 の 外 観 を 見 な が ら そ れ ら の 形 色 の 下 に 在 す 神 を 知 ら な い 。 そ こ に ま で 神 の 光 が 届 い て い る の は 、 私 達 カ ト リ ッ ク 教 徒 の み で あ る 。 本 私 信 よ り 判 明 す る の は 、パ ス カ ル は 、パ ン と 葡 萄 酒 を 神 の 十 字 架 と 栄 光 の 記 念 と の み 見 る 象 徴 説 を 損 斥 す る と 共 に 、 カ ト リ ッ ク 教 徒 を 自 認 し て い る 、 と い う こ と で あ る 。 実 は 、 本 私 信 の 一 ヶ 月 余 り 後 の 十 二 月 四 日 に 書 き 上 げ た ﹃ プ ロ ヴ ァ ン シ ア ル ﹄ 第 十 六 書 簡 で も 、パ ス カ ル は 聖 体 の 問 題 を 正 面 切 っ て 取 り 上 げ て い る 。 本 書 簡 は 、 イ エ ズ ス 会 か ら ﹁ カ ル ヴ ィ ニ ス ト ﹂ と 謂 れ 無 き 誹 諺 を 蒙 る ポ ー ル ・ ロ ワ ヤ ル の 聖 餐 観 を 擁 護 す べ く 、 神 学 論 争 に 名 を 借 り た 、 イ エ ズ ス 会 の ポ ー ル ・ ロ ワ ヤ ル に 対 す る 悪 意 、 を 暴 く 書 面 で あ る 。 カ ト リ ッ ク 伝 来 の 教 理 に 則 る も の と し て 、 こ こ でパ ス カ ル が 祖 述 す る ポ ー ル ( 9 ) ・ ロ ワ ヤ ル の 聖 餐 観 は 、 紛 れ も な く 、 前 掲 の ト リ エ ン ト 公 会 議 の 裁 決 事 項 に 副 っ て い る 。 と こ ろ が 、 そ の 後 書 か れ た と 推 ( 10 ) 定 さ れ る L 七 三 三-B 八 六 二 ( セ リ エ の 年 代 推 定 で は 一六 五 パ ス カ ル の 人 間 理 解 の 方 法 -弁 証 法 的 統 一 の 論
理-密 教 文 化 九-六 二 年 ) に は 、 前 掲 の 二 通 の 信 書 に は 見 ら れ な い 、 聖 体 に 関 す る パ ス カ ル の 表 現 が 登 場 す る 。 そ れ は 何 か 。 (二) ﹃パ ン セ ﹄ の 断 章 L 七 三 三 -B 八 六 二 本 断 章 に 極 め て 簡 明 に 書 き 留 め ら れ たパ ス カ ル の 聖 餐 観 を 示 す 一 節 を 抜 粋 す れ ば 、 ト ラ ン ス 聖 体 の 秘 蹟 の 問 題 に つ い て 。 私 達 は 、パ ン の 実 体 が 、 実 体 ス ブ ス タ ン シ ア シ オ ン 的 変 化 ( 全 質 変 化 即 ち 化 体 ) に よ っ て 、 私 達 の 主 の み 体 に 変 化 し 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト が そ こ に 現 実 に 現 臨 さ れ る 、 と い う こ と を 信 じ る 。 こ れ が 真 理 の 一 つ で あ る 。 い ま 一 つ の 真 理 は 、 こ の 秘 蹟 が 、 十 字 架 の イ エ ス ・ キ リ ス ト 及 び 栄 光 の イ エ ス ・ キ リ ス ト の 象 徴 で あ り 、 こ の 両 者 の 記 念 で あ る 、 と い う こ と で あ る 。 こ こ に 、 互 い に 対 立 し て い る よ う に 見 え る こ れ ら 二 つ の 真 理 を 包 含 す る カ ト リ ッ ク の 信 仰 が あ る ( X IV. 3 0 6) 。 要 す る に 、パ ス カ ル の 聖 餐 観 は 化 体 説 と 象 徴 説 を 弁 証 法 的 に 綜 合 統 一 す る 立 場 で 、 こ の 立 場 に こ そ カ ト リ ッ ク の 信 仰 の 本 質 が 存 す る 、 とパ ス カ ル は 堅 く 信 じ た の で あ る 。パ ス カ ル に 依 れ ば 、 当 節 の 異 端 は 、 弁 証 法 的 統 一 の 論 理 を 知 ら な い 為 に 、 真 理 の 一 方 を 容 認 す る こ と が 対 立 す る 他 方 の 真 理 を 排 除 す る こ と に 直 結 す る と 速 断 す る 処 に 由 来 す る 。 聖 体 の 秘 蹟 の 真 理 を 理 解 す る に は 、 化 体 説 と 象 徴 説 の 敦 れ か 二 方 に 立 つ 丈 で は 不 十 分 で あ る 。 こ の 秘 蹟 が 化 体 に よ る イ エ ス ・ キ リ ス ト の 現 臨 化 と 共 に イ エ ス ・ キ リ ス ト の 十 字 架 と 栄 光 の 象 徴 を 同 時 に 含 む 、 と す る 弁 証 法 的 理 解 が 、 カ ト リ ッ ク の 信 仰 の 精 髄 で あ る 。 こ の 弁 証 法 的 統 一 の 聖 餐 観 こ そ 、 象 徴 説 と 化 体 説 の 三 面 的 相 補 的 真 理 を 包 摂 す る カ ト リ ッ ク の 信 仰 だ と 、 晩 年 の パ ス カ ル は 登 り 詰 め た 宗 教 的 到 達 点 を 披 握 し て い る 。 そ れ で は 、 聖 体 の 秘 蹟 に 就 い てパ ス カ ル が 鮮 や か な 切 り 口 を 残 し た 伝 家 の 宝 刀 、 弁 証 法 的 統 一 の 論 理 は 、 如 何 な る 機 縁 の 下 に 見 出 ざ れ た の で あ ろ う か 。 二 聖 書 解 釈 を 淵 源 と す る 弁 証 法 的 統一 の 論 理 の 発 見 暗 諦 す る ま で に 聖 書 に 親 爽 し て い たパ ス カ ル は 、 ﹁ 四 福 音 書 の 外 見 上 の 不 一 致 ﹂ ( L 三 一 八-B 七 五 五 ) ( X IV. 2 0 7) を 見 過 ご し て い な い 。 そ れ を 忽 に で き な いパ ス カ ル は 、 後 に ﹃ 要 約 イ エ ス ・ キ リ ス ト 伝 ﹄ で 、 四 福 音 書 に 記 録 さ れ て い る 順 不
同 の 出 来 事 を 年 代 順 に 再 編 成 す る 試 み を 企 て て い る 。パ ス カ ル は 新 約 聖 書 に 諸 事 象 の ﹁ 外 見 上 の 不 一 致 ﹂ を 指 摘 す る の は 疎 か 、 新 旧 約 両 聖 書 敦 れ に も 一 見 相 矛 盾 す る 章 句 が 多 出 す る 事 実 を 厳 正 に 指 摘 す る 。 例 え ば 、 ﹁ こ の 病 い は 死 に 到 ら な い ( 11 ) -し か も 死 に 到 る ( ﹃ ヨ ハ ネ に よ る 福 音 書﹄11・4、 後 註 参 照 ) 。 ラ ザ ロ は 眠 っ て い る-し か も そ の あ と で 彼 は 言 わ れ た 、 ( 12 ) ラ ザ ロ は 死 ん だ ( 同 上 11 ・ 11 、 14 、 後 註 参 照 ) ﹂ ( L 七 三 〇-B 七 五 四 ( X IV. 2 0 7) 。 ﹁ 信 仰 は 互 い に 矛 盾 し て い る よ う に 見 え る 多 く の 真 理 を 含 む 。 ︿ 笑 う と き 、 泣 く と き ﹀ 等 々 ( ﹃ 伝 道 ( 13 ) の 書 ﹄ 3 ・ 4 、 後 註 参 照 ) 。 ︿ 答 え よ 、 答 え る な ﹀ 等 々 ( ﹁ 箴 言 ﹂ ( 14 ) 26 ・ 4 、 5 、 後 註 参 照 ) ﹂ ( L 七 一三 一三-B 八 六 二 ) (XIV. 3 04)。 こ の よ う に 聖 書 に は 外 見 上 相 容 れ な い 章 句 が 散 在 す る の は 、 一 体 何 故 か 。 平 板 な 理 性 万 能 主 義 の 立 場 に 立 脚 す る 限 り は 、 聖 書 は 矛 盾 に 満 ち た 錯 雑 な 最 物 に 他 な ら な い 。 自 然 的 理 性 を 放 棄 で も し な い 限 り 、 常 識 に 反 す る 聖 書 を 信 じ る こ と は で き な い 。 平 板 な 理 性 万 能 主 義 者 は そ の よ う に 考 え る 。 聖 書 は 理 性 に 反 す る 無 意 味 な 著 述 な の で あ ろ う か 。 そ れ と も 自 然 的 理 性 の 次 元 と は 別 途 の 秩 序 を も つ 有 意 味 の 書 な の で あ ろ う か 。 聖 書 が 有 意 味 の 書 で あ る と す れ ば 、 そ れ は 統 三 的 視 座 で 貫 か れ て い る は ず で あ る 。 統 一 的 視 座 の も と に 記 述 さ れ た 書 物 で あ れ ば 、 そ れ は 、 相 反 す る か の 如 き 外 観 を 呈 す る 章 句 を 一 致 さ せ る 統 一 的 意 味 を 内 蔵 し て い る は ず で あ る 。 統 三 的 意 味 の 内 在 を 確 認 す る こ と は 聖 書 が 有 意 味 で あ る 為 の 必 要 十 分 条 件 で あ る 。 で は 先 ず 、 旧 約 聖 書 の み を 有 意 味 の 書 と す る 歴 史 的 民 族 、 ユ ダ ヤ 教 徒 に 御 教 示 を 仰 こ う 。 彼 等 は こ の 統 一 的 意 味 を 提 供 し て く れ る で あ ろ う か 。 否 。 字 義 的 解 釈 を す る 肉 的 ユ ダ ヤ 教 徒 は 、 旧 約 聖 書 中 の 背 反 す る 章 句 を 一 致 さ せ る こ と が で き な い 場 合 に 多 々 直 面 す る 。 例 え ば 、 ホ セ ア に よ っ て 預 言 さ れ た 王 位 や 公 位 の 断 絶 を 、 ヤ コ ブ の 預 言 と 一 致 さ せ る こ と が で き な い 。 律 法 、 犠 牲 、 王 位 な ど を 実 在 と 解 す る 限 り 、 全 て の 章 句 を 合 致 さ せ る の は 不 可 能 で あ る 。 と な れ ば 、 そ れ ら は 象 徴 と 解 釈 し な け れ ば な ら な い ( L 二 五 七-B 六 八 四 ) ( X IV. 1 2 2-23) 。 事 程 左 様 に 、 一 事 が 万 事 、 彼 等 は 統 一 的 意 味 を 提 示 す る こ と が で き な い 、 とパ ス カ ル は 旧 約 聖 書 研 究 の 結 論 を 披 握 す る 。 聖 書 の 統 一 的 意 味 を 模 索 す るパ ス カ ル に と っ て 、 旧 約 聖 書 に は 象 徴 的 解 釈 を 導 入 し な け れ ば 理 解 不 可 能 な 場 合 が 内 在 す パ ス カ ル の 人 間 理 解 の 方 法-弁 証 法 的 統 一 の 論
理-密 教 文 化 る の は 紛 れ も 無 い 事 実 だ が 、 さ り と て 新 旧 約 両 聖 書 に 対 す る 象 徴 的 解 釈 二 辺 倒 も 厳 に 慎 し ま な く て は な ら な い 態 度 で あ る 。 聖 書 解 釈 で 我 々 の 陥 り 易 い ﹁ 二 つ の 誤 謬 ﹂ が 在 る こ と を 、パ ス カ ル は 指 摘 す る 。 ﹁ 一 、 全 て を 字 義 的 に 解 す る こ と 。 二 、 全 て を 霊 的 に 解 す る こ と ﹂ ( L 二 五 二-B六 四 八 ) ( X IV. 8 9 ) 。 聖 書 研 究 を 通 じ て 漸 層 的 に 思 索 を 深 め て 行 くパ ス カ ル は 、 最 終 的 に 到 達 し た 立 場 を 、 次 の よ う に 披 握 し て い る 。 ﹃ 愛 に ま で 到 ら ぬ も の は 全 て 象 徴 で あ る 。 聖 書 の 唯 一 の 目 的 は 愛 で あ る 。 こ の 唯 一 の 愛 に ま で 到 ら ぬ も の は 全 て 象 徴 で あ る ﹄ ﹁ L 二 七 〇-B六 七 〇 ) ( X IV. 106 ) 。 聖 書 研 究 の 結 実 を 美 し く も 簡 潔 に 表 現 し た こ の 一 文 を 解 す る に 、パ ス カ ル は 、 聖 書 の 目 的 で あ る 愛 、 即 ち キ リ ス ト に 到 る ま で の 旧 約 聖 書 の 歴 史 を 、 キ リ ス ト 来 臨 の 象 徴 と 見 る の で あ る 。 だ が 、 新 約 聖 書 に 対 す る 旧 約 聖 書 の 象 徴 的 状 態 を 説 く こ の 解 釈 はパ ス カ ル の 創 見 で は な く 、 ジ ャ ン セ ニ ウ ス 著 ﹃ ア ウ グ ス チ ヌ ス 、 救 い 主 キ リ ス ト の 恩 寵 に 就 い て ﹄ を 淵 源 と す る 。 そ れ で は 新 旧 両 約 聖 書 の 各 々 の 解 釈 に 対 し て は 、パ ス カ ル は 如 何 な る 立 場 を 宣 揚 す る の か 。 結 論 を 先 回 り し て 言 え ば 、 そ れ は 、 字 義 的 解 釈 と 霊 的 象 徴 的 解 釈 を 綜 合 統 一 す る 弁 証 法 的 解 釈 の 立 場 で あ る 。 そ れ は 、 先 の ﹁ 二 つ の 誤 謬 ﹂ の 断 章 ( L 二 五 二-B六 四 八 ) に も 消 極 的 に 表 現 さ れ て い た が 、 含 蓄 に 富 ん だ 前 掲 文 ( L 二 七 〇-B六 七 〇 ) に はパ ス カ ル の 立 場 が 集 約 的 に 表 明 さ れ て い る 。 前 掲 文 を 解 読 し て み よ う 。 シ ヤ リ テ 即 ちパ ス カ ル は 、 聖 書 の 有 す る 統 一 的 意 味 を 愛 に 見 出 し て い る の で あ る 。 こ の 愛 と は 、 イ エ ス ( 人 ) に し て 、 キ リ ス ト (神 ) な の で あ る 。パ ス カ ル は 、 聖 書 の 有 す る 統 一 的 意 味 を 神 人 イ エ ス ・ キ リ ス ト に 見 出 し て い る の で あ る 。 信 仰 や 道 徳 に 於 け ア ン カ ル ナ シ オ ン る 外 見 上 の 矛 盾 の 根 拠 を 神 の 受 肉 に 、 即 ち ﹁ イ エ ス ・ キ リ ス ト に 於 け る 二 つ の 本 性 の 結 合 ﹂ ( L 七 三 三-B八 六 二 ) ( X IV. 3 0 4) に 求 め るパ ス カ ル に と っ て 、 受 肉 し た 神 の 教 え で あ る 有 意 味 の ﹁ 聖 書 を 理 解 す る に は 、 全 て の 相 反 す る 章 句 が そ こ で 三 致 す る よ う な 二 つ の 意 味 を 捉 え な け れ ば な ら な い ﹂ ( L 二 五 七-B六 八 四 ) ( X IV. 1 2 2 ) 訳 で あ る 。 即 ち 、 聖 書 の 中 に 驚 く べ き 秩 序 に 於 い て 共 存 し て い る 相 反 す る 真 理 を 止 揚 す る 鍵 を 神 人 イ エ ス ・ キ リ ス ト に 見 出 し たパ ス カ ル は 、 聖 書 解 釈 に 於 い て 、 字 義 的 解 釈 と 霊 的 象 徴 的 解 釈 の 二 面 的 相 補 性 を 否 定 的 に 綜 合 統 一 す る 立 場 を 、 即 ち 然 り 且 つ 否 の 綜 合 統 二 の 道 を 独 創 的 に 開 拓 し た の で あ る 。 ﹁ 信 仰 と 道 徳 と
に つ い て 、 相 容 れ な い よ う に 見 え な が ら 実 は 一 つ の 驚 く べ き 秩 序 に 於 い て 共 存 す る 極 め て 多 く の 真 理 が あ る 。 あ ら ゆ る 異 端 の 源 泉 は 、 こ れ ら の 真 理 の 或 る も の を 除 外 す る 処 に 存 す る ﹂ ( L 七 三 三-B八 六 二 ) ( X IV . 3 0 5 ) 。 聖 書 か ら 教 え ら れ た 聖 書 理 解 の こ の 方 法 が 、 そ の 後 のパ ス カ ル に と っ て 伝 家 の 宝 刀 と な る 弁 証 法 的 統 一 の 論 理 で あ る 。 そ の 後 、 弁 証 法 は 不 可 解 な 謎 に 満 ち た 人 間 理 解 の 有 効 な 手 段 と し て 用 い ら れ 、 無 神 論 者 を 神 に 導 く 為 の 未 完 の 遺 稿 ﹃パ ン セ ﹄ の 中 で 縦 横 に 駆 使 さ れ る こ と に な る 。 次 節 で は 、 ﹃パ ン セ ﹄ の 分 析 を 通 し て 、パ ス カ ル の 人 間 理 解 の 方 法 を 探 っ て み た い 。 三 弁 証 法 的 統 一 の 論 理-こ の 人 間 理 解 の 方 法 ﹃パ ン セ﹄ のパ ス カ ル は 先 ず 、 鋭 利 な 人 間 観 察 に より、 人 間 の 逆 説 的 二 重 構 造 を 赤 裸 々 に 挟 り 出 す 。 人 間 は 誰 し も 本 源 的 に 幸 福 を 希 求 す る 。 老 若 男 女 、 洋 の 東 西 を 問 わ ず 、 古 往 今 来 、 人 間 は 幸 福 を 求 め 続 け て い る 。 生 き た い と 願 う 人 も 、 自 ら 命 を 断 つ 人 も 、 幸 福 に な り た い と い う 思 い は 共 通 し て い る 。 地 上 で の 幸 福 の 実 現 に 望 み を 繋 げ 得 な い か ら こ そ 、 自 殺 者 は 命 を 断 つ の で あ る 。 併 し 、 幸 福 の 実 体 が 掌 握 で き な い 地 上 の 大 多 数 の 人 間 は 、 日 常 生 活 の 中 で ひ と と き の 充 足 を 追 い 求 め て い く 内 に 、 謄 て 退 屈 と 束 の 間 の 喜 び の 間 を 振 子 の よ う に 揺 れ 動 く 人 生 の 幕 切 れ を 迎 え る 。 後 は 頭 か ら 土 を か け ら れ る だ け で あ る 。 人 間 に と っ て 幸 福 と は 何 な の か 。 幸 福 を 求 め る 気 持 ち が こ ん な に 強 い の に 、 何 故 人 間 は 幸 福 の 幻 想 か ら 必 ず 醒 め る の か 。 そ の 説 明 原 理 を 求 め て 、パ ス カ ル は 伝 存 の 思 想 的 遺 産 を 検 討 す る 。 と こ ろ が 、 伝 来 の 諸 学 派 が 教 え 示 す も の は 、 理 性 の 勝 利 な ら ぬ 理 性 の 脆 弱 さ で あ る 。 理 性 を 侍 む は ず の 哲 学 者 達 は 諸 説 紛 々 の 幸 福 論 を 展 開 し て い る の が 実 情 で あ る 。 し か も 人 間 に 内 在 す る 幸 福 へ の 本 源 的 願 望 の 根 拠 と そ の 願 望 が 充 足 さ れ な い 理 由 を 、 ど の 賢 哲 の 書 も 教 え て は く れ な い 。 一 方 で 独 断 論 者 が 高 ら か に 理 性 を 謳 歌 す る か と 思 え ば 、 他 方 で 懐 疑 論 者 は 認 識 の 相 対 性 を 主 張 し て 判 断 を 停 止 す る 。 と こ ろ が 、 無 力 な 理 性 は 独 断 論 者 を 困 惑 さ せ 、 自 然 の 斉 一 性 は 懐 疑 論 者 を 困 惑 さ せ る 。 自 然 的 な 理 性 に の み 依 拠 し て 人 間 を 探 求 す る 者 は 、 両 学 派 の 敦 れ か 三 方 を 回 避 す る こ と も で き な け れ ば 、 そ こ に 踏 み と ど ま る こ と も で き な い 。 我 々 は 幸 福 の 観 念 を 持 ち な が ら そ こ に 到 達 す る こ と が で き な い 。 我 々 は パ ス カ ル の 入 間 理 解 の 方 法-弁 証 法 的 統 二 の 論
理-密 教 文 化 完 全 に 無 知 で あ る こ と も 確 実 に 知 る こ と も で き な い 。 絶 対 的 価 値 即 ち 幸 福 へ の 内 的 要 求 を 抱 き 続 け な が ら も 存 命 中 に は 決 し て そ れ を 見 出 し 得 な い 、 と い う 人 間 の 逆 説 的 二 重 構 造 を 前 に し て 、 人 間 の 理 性 は 傲 慢 不 遜 に 天 翔 け る か 、 さ も な く ば 、 意 気 地 無 く 怠 惰 の 枕 で 眠 り 込 む 。 エ ピ ク テ ー ト ス に 代 表 さ れ る 独 断 論 者 は 、 人 間 の 義 務 に 気 付 き な が ら も 絶 対 的 価 値 を 実 現 す る 手 段 が 人 間 の 内 に 在 る と い う 高 慢 に 陥 っ た 。 逆 に モ ン テ ー ニ ュ に 代 表 さ れ る 懐 疑 論 者 は 、 理 性 の 脆 弱 さ に 気 付 い た も の の そ の 儘 無 気 力 、 無 関 心 に 陥 り 、 人 間 の 義 務 に 対 し て 投 げ 遣 り に な っ て 了 っ た 。 エ ピ ク テ ー ト ス の よ う に 自 己 満 足 す る に は 余 り に も 理 性 の 限 界 と 運 用 を 知 り 尽 し て お り 、 モ ン テ ー ニ ュ の よ う に 怠 惰 の 枕 で 惰 眠 を 貧 る に は 余 り に も 幸 福 へ の 本 源 的 願 望 の 強 烈 なパ ス カ ル は 、 既 成 の 独 断 論 や 懐 疑 論 に 見 切 り を つ け て 、 原 罪 遺 伝 の 秘 義 と い う 理 性 に と っ て は 全 く 不 可 解 な 謎 解 き を 提 示 す る 、 伝 存 の キ リ ス ト 教 の 教 え に 、 虚 心 担 懐 に 傾 聴 す る 姿 勢 を 整 え る 。 既 成 の 哲 学 に 求 め て も 得 ら れ な い 幸 福 の 実 体 と 人 間 本 性 の 抱 え る 矛 盾 の 納 得 の い く 説 明 を 求 め るパ ス カ ル は 、 幸 福 を 求 め ず に は い ら れ な い 人 間 本 性 に 隠 さ れ て い る 重 大 な 事 実 を 探 り 当 て る 。 人 間 通 有 の 幸 福 へ の 本 源 的 願 望 は 、 謂 わ ば 廃 王 の 復 位 願 望 で あ る 。 追 放 さ れ た 国 王 で な け れ ば 王 位 へ の 激 し い 執 着 心 を 持 た な い よ う に 、 曽 て 幸 福 な 状 態 で あ っ た 者 で な け れ ば 止 み 難 い 幸 福 願 望 に 身 を 焦 が す は ず が な い 。 我 々 の 心 に は 幸 福 の 生 得 観 念 が 宿 っ て い る の で は な か ろ う か 。 原 状 復 帰 を 願 う 幸 福 へ の 本 源 的 願 望 は 、 人 間 の 栄 光 の 出 自 を 示 唆 す る 決 め 手 に な る の で は あ る ま い か 。 他 方 、 幸 福 を 求 め て も 得 ら れ ず 、 そ の 代 償 行 為 と し て 、 真 の 幸 福 か ら 目 を 背 け さ せ る 有 限 の 気 晴 ら し に 耽 ら ざ る を 得 な い と い う 、 人 間 本 性 の 厳 粛 な 事 実 か ら は 亦 、 目 然 的 な 補 修 の き か な い 深 刻 な 悲 惨 さ を 、 パ ス カ ル は 実 感 す る 。 人 間 存 在 の 恐 る べ き 実 存 状 況 を 目 の 当 り に し て 、 パ ス カ ル の 口 か ら は 自 ず か ら 言 葉 が 洩 れ る 。 ﹃ 人 間 と は そ も そ も 何 と い う 怪 物 で あ る こ と か 。 何 と い う 新 奇 、 何 と い う 妖 怪 、 何 と い う 混 沌 、 何 と い う 矛 盾 の 塊 、 何 と い う 驚 異 で あ る こ と か 。 あ ら ゆ る も の の 審 判 者 に し て 愚 か な 蛆 矧 、 真 理 を 託 さ れ た 者 に し て 不 確 実 と 誤 謬 の 掃 き 溜 、 宇 宙 の 栄 光 に し て 宇 宙 の 屑 ﹂ (L一 三 一-B四 三 四 ) ( X I I I 34 6 ) 。 人 間 の 置 か れ た 戦 藻 す べ き 状 況 の 説 明 原 理 と し て 、 キ リ ス
卜 教 は 原 罪 遺 伝 の 秘 義 を 教 え る 。 そ れ に 依 れ ば 、 人 間 だ け の 幸 福 へ の 本 源 的 願 望 は 、 堕 落 以 前 の 原 初 の 偉 大 さ の 痕 跡 で あ る 。 求 め ど も 幸 福 が 現 実 に は 得 ら れ な い 、 と い う 本 性 の 悲 惨 さ は 、 ア ダ ム の 原 罪 に 由 来 す る 。 幸 福 へ の 熱 い 思 い を 抱 き 続 け な が ら も 存 命 中 に は 決 し て そ れ を 見 出 し 得 な い 人 間 は 、 幸 福 の 生 得 観 念 故 に 偉 大 に し て 、 ア ダ ム の 原 罪 故 に 悲 惨 な 、 逆 説 的 悲 劇 的 存 在 で あ る 。 ア ダ ム の 失 楽 園 と 共 に 、 ア ダ ム の 子 々 孫 々 は 、 ア ダ ム の 原 罪 を 免 れ な い 宿 命 な の で あ る 。 弧 弧 の 声 を あ げ た ば か り の 無 邪 気 な 赤 子 が 、 ア ダ ム の た め に 先 天 的 に 有 罪 を 宣 告 さ れ て い る 、 と い う の で あ る 。 そ の よ う な 理 不 尽 な 有 罪 宣 告 と 刑 の 執 行 は 、 人 間 の 正 義 の 基 準 に 反 す る 許 し 難 い 暴 挙 で あ る 。 併 し な が ら 、 地 上 の 正 義 の 基 準 に 悸 る こ の 不 可 解 な 原 罪 遺 伝 の 秘 義 を 措 い て 、 人 間 存 在 の 謎 を 解 く も の は な い 。 人 間 の 正 義 の 基 準 に 反 す る こ の 不 可 解 な 原 罪 遺 伝 の 秘 義 が な け れ ば 、 こ の 秘 義 が 人 間 の 理 性 に と っ て 不 可 解 で あ る 以 上 に 、 人 間 が 人 間 に と っ て 不 可 解 な も の と な る 。 偉 大 に し て 悲 惨 な 人 間 の 逆 説 的 二 重 構 造 の 発 生 根 拠 を 説 明 し て く れ る 点 で 、 キ リ ス ト 教 は 尊 敬 す べ き も の で あ り 、 ま た 真 の 幸 福 を 約 束 す る 点 で 愛 す べ き も の で あ る 。 こ う し てパ ス カ ル は 最 終 的 に 一 求 道 の 到 達 点 と し て 、 キ リ ス ト 教 国 に 生 ま れ 合 わ せ た か ら で は 断 じ て な く 、 キ リ ス ト 教 国 に 生 ま れ た に も 拘 ら ず ( L 八 一 七-B六 一 五 ) ( X IV . 5 5 ) 、 独 断 論 と 懐 疑 論 の 一 面 的 相 補 的 真 理 を 綜 合 統 一 す る 福 音 の 真 理 の 立 場 に 立 脚 す る 。 ﹁ さ れ ば 、 傲 慢 な 人 間 よ 、 汝 が 汝 自 身 に と っ て 如 何 に 逆 説 で あ る か を 知 れ 。 遜 れ 、 無 力 な 理 性 よ 。 黙 れ 、 愚 か な 本 性 よ 。 人 間 は 無 限 に 人 間 を 越 え る も の で あ る と い う こ と を 知 れ 。 汝 の 知 ら な い 汝 の 真 の 状 態 を 、 汝 の 主 か ら 学 べ 。 神 の 言 葉 を 聞 け ﹂ ( L 一 三 一-B四 三 四 ) ( X I I I . 3 4 7 ) 。 引 用 略 号 L: Bl a is e P b S O A L: Penecs sttr la religion et snr q uel qucs autres su j e ts . I n tr oduc ti o n do Louis L AF UMA, v o L ., P a r is, E d it ion dn Luxc m bou rg, 1 9 52 . B:P e n se e s, 3 vol= T ome s X I I-X IV d es OE ue r es d e Bl a is e P as oal, b a r L e o n B R U N S CHV I CG, P a ris, H a che t t e, C oll c ti o n ︿ Les O r and s E c r i v a i n s de la F ra n ce ﹀, 1 9 0 4 . 本 稿 で は 、 ﹃パ ン セ ﹄ か ら の 引 用 は 、 右 記 の ブ ラ ン シ ュ ヴ ィ ッ ク 編 ﹃パ ン セ ﹄ ( 略 号 B ) に 依 拠 す る 。 略 号 の 次 の 漢 パ ス カ ル の 人 間 理 解 の 方 法-弁 証 法 的 統 一 の 論
理-密 教 文 化 数 字 は ﹃パ ン セ ﹄ の 断 章 番 号 、 ロ ー マ 数 字 は 巻 数 、 ア ラ ビ ア 数 字 は 頁 数 を 示 す 。 例 L 一 二 四-B 一 二 五 (X I II. 4 6 ) 註 ( 1 ) L u c ie n G O L DMA N N: Re qu e s la jenis-la e ission tr
aque monde et de in Rehrches
d
ialectiques,
B
ibl
ioque des Garg, 1959,
P
P.
1
53-168.
epari esti "purlibein"? in
Blaise pascal N'hone et P a r i s, e d. U i t, 1 9 56. P P. l l1-l31 h
edien ahe, ede
s sion tragie P ensess de Pascsl at da ns le theatri de R ecin, P a r is G all ima r d, 1955. ( 2 ) Phili b b e se L L IE R: Pascal et la liturgin. p a r i s, P. U. F.. 1966. ( 3 ) ﹃ こ れ は 、 あ な た が た の た め に 与 え る わ た し の か ら だ で あ る 。 わ た し を 記 念 す る た め 、 こ の よ う に 行 い な さ い ﹂ (﹃ ル カ に よ る 福 音 書 ﹂ 22 ・ 19 、 日 本 聖 書 協 会 訳 ﹃ 聖 書 ﹄ 、 一 九 七 八 年 刊 ) 。 ﹃ ﹃ こ れ は あ な た が た の た め の 、 わ た し の か ら だ で あ る 。 わ た し を 記 念 す る た め 、 こ の よ う に 行 い な さ い ﹄ 。 食 事 の の ち 、 杯 も 同 じ よ う に し て 言 わ れ た 、 ﹃ こ の 杯 は 、 わ た し の 血 に よ る 新 し い 契 約 で あ る 。 飲 む た び に 、 わ た し の 記 念 と し て 、 こ の よ う に 行 い な さ い 上 (﹃ コ リ ン ト 入 へ の 第 一 の 手 紙 ﹃ 11 ・ 24-25、 ﹃ 同 書﹄)。 ( 4 ) 上 智 大 学 編 纂 、 独 逸 ヘ ル デ ル 書 犀 共 編 ﹁ カ ト リ ッ ク 大 辞 典 ﹄ 第 三 巻 、 富 山 房 、 昭 和 二 十 七 年 、 二 三 二 二 二 頁 に 準 拠 。 ( 5 ) ﹃ 恩 寵 文 書 ﹄ と ﹃ パ ン セ ﹄ を 綿 密 に 調 べ る 限 り (H.M. D A I D O N a n d P. H. DB a consit pon's P BNSEES, C o mel U n ive r s i t y P r e s s, 1975.), パ ス カ ル が 批 判 の 念 頭 に 置 い て い た の は 、 明 ら か に カ ル ヴ ィ ニ ス ト で あ る 。 両 書 に は ツ ヴ ィ ン グ リ の 名 は 全 く 登 場 し な い し 、 ル タ ー の 名 は 三 回 ( L 七 三 三-B八 六 二 に 抹 消 の 一 例 、 L 九 五 六-B九 二 五 に 二 例-内 二 例 は 後 に 抹 消 ) し か ﹃ パ ン セ ﹄ に 現 れ な い 。 し か も ど の 断 章 も ル タ ー を 正 面 切 っ て 取 り 上 げ て い な い 。 そ れ に 比 べ る と 、 カ ル ヴ ァ ン に 関 連 す る 用 語 は 使 用 頻 度 が 高 い 。 カ ル ヴ ア ン 関 連 用 語 は ﹃ 恩 寵 文 書 ﹄ に も 登 場 す る の は 勿 論 の こ と 、 ﹃ パ ン セ ﹄ 中 に は C al v i n が 一 例 ( L 八 五 八-B八 四 〇 )、 calvi n is t e (s ) が 三 例 ( L 九 〇 三-B八 五 一 、 L 七 三 三-B八 六 二 、 L 七 九 一-B七 七 七 に 各 二 例 ) 、hu q u eno t s が 三 例 ( L 五 六 七 -B八 七 四 に 一 例 、 L 五 七 二-B七 七 五 に 二 例 ) 見 ら れ る. ( 6 ) Je a n M d S N A R D :
Pascal et les roanries,
t. I, Par i s. Des cl ee d e b ro u We r, 1965, P. 534. ( 7 ) ib i d ; b. 53 7. ( 8 ) O B u e r es d
e blnise Pascea. Par Leon B
R UN C H I C G, P ie r re O T R O U N e t F el ix G A N IE R. t. v I. P a r i s, H a ceh t t e, l9 l 4, pp. 87-90. の 概 要 。 ( 9 ) C h. ibid, P P. 26 3-266. ﹃ パ ス カ ル 全 集 ﹄ 人 文 書 院 、 昭 和 三
十 四 年 初 版 第 二 巻 所 収 の 中 村 雄 次 郎 訳 ︿ ﹃ プ ロ ヴ ツ ン シ ア ル ﹄ 第 十 六 の 手 紙 ﹀ 、 三 三 五 -三 三 七 頁 、 参 看 。 ( 10 ) Bl a iS e P AS C A L:
Pensees. nolle etabli la
premiere fois apres refercnce gilberte
P
as
oal. philiPPe SELLIER,
P a r is, Mercure d e F r a n ce, 1 9 76, p. 5 4 2. ( 11 ) ﹁ さ て 、 ひ と り の 病 人 が い た 。 ラ ザ ロ と い い 、 マ リ ア と そ の 姉 妹 マ ル タ の 村 ベ タ ニ ア の 人 で あ っ た 。 こ の マ リ ア は 主 に 香 油 を ぬ り 、 自 分 の 髪 の 毛 で 、 主 の 足 を ふ い た 女 で あ っ て 、 病 気 で あ っ た の は 、 彼 女 の 兄 弟 ラ ザ ロ で あ っ た 。 姉 妹 た ち は 人 を イ エ ス の も と に つ か わ し て 、 ︿ 主 よ 、 た だ 今 、 あ な た が 愛 し て お ら れ る 者 が 病 気 を し て い ま す ﹀ と 言 わ せ た 。 イ エ ス は そ れ を 聞 い て 言 わ れ た 、 ︿ こ の 病 気 は 死 ぬ ほ ど の も の で は な い 。 そ れ は 神 の 栄 光 の た め 、 ま た 、 神 の 子 が そ れ に よ っ て 栄 光 を 受 け る た め の も の で あ る ﹀ ﹂ ( ﹃ ヨ ハ ネ に よ る 福 音 書 ﹂ 11・ 1-4 、 前 掲 ﹃ 聖 書﹄)。 ( 12 ) ﹁ そ う 言 わ れ た が 、 そ れ か ら ま た 、 彼 ら に 言 わ れ た 、 ︿ わ た し た ち の 友 ラ ザ ロ が 眠 っ て い る 。 わ た し は 彼 を 起 し に 行 く ﹀ 。 す る と 弟 子 た ち は 言 っ た 、 ︿ 主 よ 、 眠 っ て い る の で し た ら 、 助 か る で し ょ う ﹀ 。 イ エ ス は ラ ザ ロ が 死 ん だ こ と を 言 わ れ た の で あ る が 、 弟 子 た ち は 、 眠 っ て 休 ん で い る こ と を さ し て 言 わ れ た の だ と 思 っ た 。 す る と イ エ ス は 、 あ か ら さ ま に 彼 ら に 言 わ れ た 、 ︿ ラ ザ ロ は 死 ん だ の だ 。 ⋮ ⋮ ﹀ ﹂ ( ﹃ ヨ ハ ネ に よ る 福 音 書 ﹂ 11・ 11-14、 前 掲 ﹃ 聖 書 ﹄ ) ( 13 ) ﹃ ⋮ ⋮ 泣 く に 時 が あ り 、 笑 う に 時 が あ り 、悲 し む に 時 が あ り 、 踊 る に 時 が あ り 、 ⋮ ⋮ ﹂ (﹃ 伝 道 の 書 ﹂ 3・ 4 、 前 掲 ﹁ 聖 書 ﹄ ) ( 14 ) ﹁ ⋮ ⋮ 愚 か な 者 に そ の 愚 か さ に し た が っ て 答 を す る な 、 自 分 も 彼 と 同 じ よ う に な ら な い た め だ 。 愚 か な 者 に そ の 愚 か さ に し た が っ て 答 を せ よ 、 彼 が 自 分 の 目 に 自 ら を 知 恵 あ る 者 と 見 な い た め だ 。 ⋮ ⋮ ﹂ ( ﹃ 箴 言 ﹂ 26・ 4 、 5 、 前 掲 ﹃ 聖 書 ﹄ ) パ ス カ ル の 人 間 理 解 の 方 法-弁 証 法 的 統 一 の 論