申
国
の
五
山
十
刹
制
度
の
基
礎
的
研
究
e
石
井
修
道
は じ め に 中 国 の 五 山 十 刹制
度 に つ い て は 、 無著
道 忠 ( 一 六 五 三 ー 一 七 四 五 ) が 、 そ の 名 著 『禅
林
象 器箋
』 と 「 十刹
」 の項
に 説 明 す る と こ ろ が 有 名 で 、 か つ 肝 要 であ
る 。 そ れ に は 次 の よ う に あ る 。 巻 一 の 「 区 界 類 」 に 「 五 山 」 五 山 支 那 の 五 山 は 、 一 に 径 山 興 聖 万 寿 寺 〈 杭 州 の 臨 安 府 に 在 り 〉、 二 に 阿 育 王 山 郎 峯 広 利 寺 く 明 州 の 慶 元 府 に 在 りV
、 三 に 太 白 山 天 童 景 徳 寺 〈 明 州 の 慶 元 府 に 在 り 〉、 四 に 北 山 景 徳 霊 隠 寺 〈 杭 州 の 臨 安 府 に 在 り 〉 、 五 に 南 山 浄 慈 報 恩 光 孝 寺 く 杭 州 の 臨 安 府 武 林 県 に 在 りV
な り 。 た 宋 濂 が 護 法 録 の 覚 原 禅 師 の 遺 衣 塔 銘 の 序 に 曰 く、 浮 図 の 禅 学 を 為 す 者、 隋 唐 よ り 以 来 、 初 め よ り 定 止 無 し 。 惟 だ 律 院 を 借 り て 以 て 居 す 。 宋 に 至 り て 楼 観 方 に 盛 ん な り 。 然 も 猶 お 等 第 を 分 た ず 。 惟 だ 京 に 在 る 鉅 刹 を 推 し て 、 之 が 首 と 為 す 。 南 渡 の 後、 始 め て 江 南 を 定 め て 、 五 山 十 わ た あ ず オ す 刹 と 為 す 。 其 を し て 級 を 拾 り て 升 ら し む 。 黄 梅 ・ 曹 渓 の 諸 道 場、 反 っ て 其 の 間 に 与 か ら ざ る こ と は 、 則 ち 其 の 古 を 去 る や 益 ま す 遠 し 。 元 氏 も た だ 国 を 有 つ 。 文 宗 の 潜 邸 、 金 陵 に 在 り 。 臨 御 に 至 る に 及 ん で 、 詔 し て 大 竜 翔 集 慶 寺 を 建 て 、 独 り 五 山 に 冠 た ら し む 。 蓋 し 其 の 弊 を 矯 し め ん と な り 。 国 朝、 之 に 因 る 。 錫 う に 新 額 を 以 て し 、 寺 に 就 て 官 を 建 て て、 天 下 の 僧 尼 を 据 轄 す 。 虎 関 錬 和 尚 曰 く 、 唐 土 の 五 山 は 、 大 慧 已 後 に 起 れ り 。 当 時 、 霊 隠 寺 の 兄 弟 、 直 指 堂 〈 法 堂 の 傍 に 在 り 〉 に 会 し て 、 五 山 を 議 定 す 。 朝 廷 の 制 に あ ら ず 。 一 に 径 山、 二 に 霊 隠 等 な り 。 或 が 問 う 、 霊 隠 、 何 に 因 て か 独 り 議 定 す る こ と を 得 た る や 。 答 え て 曰 く 、 霊 隠 の 京 都 の 内 に 在 る や 、 お ほ し い 日 本 の 平 安 城 に 北 山 有 る が 如 し 。 径 山 は 則 ち 隔 遠 な り 、 平 安 の 東 大 寺 に 於 け る が 如 し 。 故 に 霊 隠 の 兄 弟、 専 ま ま に 之 を 定 む る こ と を 得 た も り 。 又 た 径 山 は 本 と 小 刹 な り 、 大 慧 に 至 っ て 初 め て 巨 刹 と 為 る 。 此 の 時 の 王 都 は 杭 州 に 在 る な り 。 駒 澤 大 學 佛 激 學 部 論 集 第 十 三 號 昭 和 五 十 七 年 十 月 八 九Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究
e
( 石 井 ) 九 〇 中 峯 の 本 禅 師 の 山 房 夜 話 に 云 く、 達 磨 東 邁 し て、 百 丈 未 だ 生 ぜ ず、 牛 頭 横 に 一 枝 を 出 し 、 南 北 の 宗 の 両 派 を 分 つ に 及 ん で 、 皆 な 鎌 を 腰 に し さ ん じ ゆ ん え か い じ き 鐇 を 荷 っ て 、 火 種 刀 耕 し、 爨 を 執 っ て 春 を 負 い、 鶉 衣 丐 食 す る な り 。 身 心 を 鉄 石 に し、 懐 抱 を 氷 霜 に し て 、 仏 祖 の 大 事 因 縁 を 以 て 、 = 肩 に あ た い ず く 負 荷 し て 、 了 に 畏 怯 無 し 。 蓋 し 行 処 既 に 親 し け れ ば、 到 る 所 必 ず 的 る な り 。 彼 の 時 、 安 ん ぞ 五 山 十 刹 の 広 居、 三 玄 五 位 の 奇 唱 、 放 収 殺 活 の も ヨ も 異 作 、 拈 頌 判 別 の 殊 音 有 ら ん 。 雕 琢 を 加 え ざ れ ど も、 而 も 玉 本 と 瑕 無 し 。 安 ん ぞ 規 模 を 用 い ん 。 而 も 眼 元 と よ り 自 ら 正 し 。 百 丈 の 叢 林 を 建 し げ い か ん て て よ り 已 来、 広 田 大 宅 、 指 顧 意 の 如 し 。 其 れ 正 因 日 に 墜 ち、 謬 妄 日 に 滋 く、 紀 綱 日 々 に 繁 く し て 、 礼 義 日 々 に 削 ら る る こ と を 奈 せ ん 。 ( 以 下 略 ) 十 刹 支 那 の 十 刹 は 〈 傍 注 。 位 次 は 中 峯 十 一 中 の 鈔 に 依 る 〉 、 一 に 中 天 竺 山 天 寧 万 寿 永 祚 寺 〈 杭 州 の 臨 安 府 に 在 り 〉、 二 に 道 場 山 護 聖 万 寿 寺 く 湖 州 の 烏 程 県 に 在 りV
、 三 に 蒋 山 太 平 興 国 寺 〈 建 康 の 上 元 府 に 在 り 〉 、 四 に 万 寿 山 報 恩 光 孝 寺 〈 蘇 州 の 平 江 府 に 在 り 〉、 五 に 雪 竇 山 資 聖 寺 く 明 州 の 慶 元 府 に 在 りV
、 六 に 江 心 山 竜 翔 寺 〈 温 州 の 永 嘉 県 に 在 り 〉、 七 に 雪 峯 山 崇 聖 寺 く 福 州 の 侯 官 県 に 在 りV
、 八 に 雲 黄 山 宝 林 寺 〈 婆 州 の 金 華 県 に 在 り 〉 、 九 に 虎 丘 山 雲 巌 寺 〈 蘇 州 の 平 江 府 に 在 り 〉、 十 に 天 台 山 国 清 教 忠 寺 〈 台 州 の 天 台 県 に 在 り 〉 な り 。 ( 原 漢 文 。 柳 田 聖 山 主 編 、 中 文 出 版 社 本、 三 八 〜 四 一 頁 。 〈V
は 割 注 、 以 下 同 。 ) こ の 五 山 十 刹 制 度 は 、 日 本 に も 影 響 し た こ と は 周 知 の 事実
で あ り 、 無着
も そ れ に 言 及 す る が 、 こ の 論 文 は 、 中 国 の 制 度 の み に 限 定 し て 述 べ て よ う と す る も の で あ る 。 し か し な が ら 、 実 際 に 五 山 十 刹 制 度 が 、 い つ 成 立 し 、 五 山 十 刹 の 位 次 が い か な る も の で あ っ た か は 現 在 の と こ ろ今
一 つ 明 ら か で は な い の で あ る 。 無 著 が 引 用 す る よ う に 、 虎 関 師錬
( 一 二 七 八 − 一 三 四 六 ) が 「 五 山 」 に つ い て 述 べ 、 中 峯 明本
( 一 二 六 三 ー = 二 二 三 ) が 「 五 山 十 刹 」 に 言 及 し 、 宋濂
( = 三 〇1
→ 三 八 一 ) が 同 じ く 「 五 山 十刹
」 に つ い て述
べ る 。 特 に 無著
の 引 用 は 、 『 宋 学 士 全 集 』 巻 二 五 ( 但 し 無 著 は 『 護 法 録 』 の 同 文 に ょ る ) で あ る が 、 宋 濂 の 同書
の巻
四 〇 に あ る 「 住 持 浄 慈禅
寺
孤 峯 徳 公 塔 銘 」 の次
の よ う な 文 を 鷲 尾 順 敬 博 士 が 「 五 山 十 刹 の 起 原沿
革
」 ( 「 禅 宗 」 明 治 三 八 年 八 月 、 の ち に 『 日 本 禅 宗 史 の 研 究 』 所 収 、 教 典 出 版、 昭 和 二 〇 年 一 〇 月 ) に 引 用 さ れ 、 こ れ が 先 覚 に 継 承 さ れ 、 一 般 に 支 持 さ れ る に 至 っ て い る 。 い に し え お の お よ 古 は、 住 持 各 お の 席 に 拠 り て 説 法 し、 以 て 有 情 を 利 益 す 。 未 だ 曾 つ て 崇 庫 の 位 有 ら ず 。 宋 季 に 逮 ん で 、 史 衛 王 は 奏 し て 五 山 十 刹 を 立 つ 。 い わ ゆ ま わ た 世 の 所 謂 る 官 署 の 如 し 。 其 れ 其 の 間 に 服 労 す る 者 は 、 必 ず 小 院 よ り 出 世 し、 其 の 声 華 の 彰 著 す る を 候 っ て 、 然 し て 後 に 之 を し て 級 を 拾 り て 升 ら し め 、 其 れ 五 名 山 に 至 る を 得 。 殆 ん ど 猶 お 仕 宦 し て 将 相 に 至 る が ご と し 。 人 情 の 栄 に 至 る が 為 に 、 復 た 増 加 す る 所 有 る こ と 無 し 。 緇 素 い た や す の 人 は 往 き て 之 を 欣 飴 す 。 然 も 行 業 の 常 倫 に 負 出 す る に あ ら ざ れ ぽ 、 則 ち 未 だ 此 に 臻 る こ と 易 か ら ざ る 者 有 り 。 古 者、 住 持 各 拠 席 説 法、 以 利 益 有 情 。 未 曾 有 崇 庫 之 位 焉 。 逮 乎 宋 季 、 史 衛 王 奏 立 五 山 十 刹 。 如 世 之 所 謂 官 署 。 其 服 労 於 其 間 者 、 必 出 世 小 N工 工一Eleotronlo Llbrary院 、 候 其 声 華 彰 著、 然 後 使 之 拾 級 而 升、 其 得 至 於 五 名 山 。 殆 猶 仕 宦 而 至 将 相 。 為 人 情 之 至 栄 、 無 復 有 所 増 加 。 緇 素 之 人、 往 欣 髄 之 。 然 非 行 業 夐 出 常 倫、 則 有 未 易 臻 此 者 矣 。 ( 四 部 叢 刊 本 ) つ ま り 、 五 山 十 刹 制 度 の
起
源 に 関 し て 、 も っ と も 詳 し く 説 明 さ れ て い る最
初
の も の で あ る 。宋
濂 が 孤峯
明 徳 ( = 一 九 四1
「 三 七 二 ) の 塔 銘 を 書 い た の は 、 明 の 初 め で あ る か ら 、 や っ と こ の 時 期 に 至 り て 五 山 十刹
制 度 に つ い て 知 ら れ る こ と に な る 。 も し 史 弥遠
(二
六 四 ー 一 二 三 三 ) が奏
上 し て 成 立 し た制
度
で あ れ ぽ 、宰
相 で在
っ た 一 二 〇 八i
=
一 三 三 の こ と で あ ろ う 。 衛 王 と は 、彼
の 歿後
に 追 封 さ れ た呼
び 名 で あ り 、 当 時 は 、寧
宗 (=
九 四1
一 二 二 四 年 在 位 ) お よ び 理 宗 ( 一 二 二 四 − 一 二 六 四 年 在 位 ) の 時 代 で あ る 。 因 っ て 史 弥 遠 が宰
相 に な っ て 最 も活
躍 し た 嘉 定年
間 ( =6
入i
= ゴ西
) の 寧 宗 の 時 に 制 度 が 公 的 に 認 め ら れ た と 宋 濂 の 記 事 が 解 釈 さ れ る に 現 在 至 っ て い る 。 さ ら に こ れ ら 一 般 に 言 わ れ て い る 五 山 十 刹 制 度 の 成 立 に つ い て 、 古 く か つ信
用 す べ き 資 料 を 望 む が 、 現 在 の と こ ろ林
希 逸撰
へ ゐ ヘ ヘ モ の 允 憲 (=
七 九 ー 一 二 四 七 ) の 塔 銘 に 「 銭 塘 上 天 竺、 諸 教 寺 之 冠 冕 也 。 位置
其
人 、 亦猶
五 山之
双 径 焉 」 ( 膚 斎 集 巻 二 一 ) の 語 を 初 見 す る こ と が 指摘
で き る が 、 こ こ で は 、 し ば ら く 五 山 十 刹 制 度 の 成 立 に関
す る 説 の 断 定 を 控 え て 、筆
者
は寧
宗 代 に 書 か れ た 「 山 記 」 が い か な る 性 格 を も ち、 当 時 、 五 山 に 住 し た 禅 僧 の塔
銘 は ど の よ う に 表 現 さ れ て い る か 、資
料 を ま ず 収 集 整 理 し 、 五 山 十 刹制
度 の 成 立 し た と 思 わ れ る 時 点 の 特 に 五 山 の 様 子 を 探 ろ う と し た の が 、 こ の 論 文 で あ る 。 つ ま り寧
宗 代 に 大 体 の 中 心 を 置 い て 、 空間
的 に は 「 山 記 」 を 、 時 間的
に は 「塔
銘 」 を 、 ま ず 正 確 に 読 む ( 難 解 な 内 容 上 、 誤 読 を 恐 れ つ つ ) こ と に 努 め よ う と 考 え た 訳 で あ る 。 同 時 に ま た 玉 村竹
二 博 士校
訂 の 『 扶 桑 五 山 記 』 ( 江 戸 中 期 の 写 本 ) の 分析
も 必 要 で あ ろ う 。 こ の著
の 中 国 の 五 山 十刹
の 記 事 は 、宋
濂
が述
べ る 以 前 の古
形 を 伝 え て い る か ら で あ る 。 『 扶桑
五 山 記 』 に 類す
る 新 し い資
料 は 比 較 的 多 く 存 在 し 、 『 扶 桑 五 山 記 』 の 中 国 の 五 山 十 刹 の 欠 け た 部 分 を補
正 す る 良 本 の 資料
は 未 だ 発 見 さ れ て い な い が 、 こ れ も 今 後 に努
め る べ き 事 柄 で あ ろ う 。 と こ ろ で 、 最 初 に 引 用 し た 無著
の 『葛
藤 語 箋 』 の 「 五 山 」 の 位 次 の 基 づ く資
料 は 不 明 で あ り ( 但 し 、 十 刹 の 順 序 は 異 る も 、 長 得 院 所 蔵 の 『 両 朝 名 藍 記 』 は 五 山 の 順 序 同 じ ) 、 一 般 に は 『 和 漢 禅 刹次
第
』 ( 貞 享 五 年 〈 一 六 八 八 〉 写 ) の 「 大 唐 禅 刹 位 次 」 や 先 に い う 『扶
桑 五 山 記 』 が 使 用 さ れ て無
著 と 異 る も の で あ る 。今
後
、 問 題 を展
開 す る 上 に重
要 で あ る の で 、 ま ず 『 和 漢 禅 刹 次 第 』 の 「 大 唐 禅 刹 位 次 」 ( 駒 沢 大 学 図 書 館 所 蔵 本 を 底 本 に 『 群 書 類 従 』 巻 八 二 一 を 参 照 し た 訓 読 の み ) を 『 扶 桑 五 山 記 』 の 「 大宋
国 諸寺
位 次 」 を参
考
中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究e
( 石 井 ) 九 一Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究
e
( 石 井 )九 二 に し て 、
第
一 に か か げ て お こ う 。 以 下 は 「 山記
」 、 「 塔 銘 」 の 順 序 で 問 題 に し て い き た い 。 「 山 記 」 と 「塔
銘 」 は 十刹
ま で 含 め( 補 注 ) る と 問 題 が 複 雑 に な る の で 、 五 山 を 中 心 と し 、 『 五 山 十
刹
図 』 は 別 処 で考
え た い 。 〔 資 料 一 〕大 唐 禅 刹 位
次
五 山 。 〈 第 一 〉 径 山 。 興 聖 万 寿禅
寺
。 杭 州 の 臨安
府 に あ り 。 径 山 又 た 径 塢 と 日 い、 又 た 双 径 と 日 う 。天
下 径 山 く総
門
V
、 清凉
法海
〈 山門
〉 、 龍 井 く 一 穴V
・ 流 止亭
・ 五 齢 峰 〈 五峰
有 る が 故 な り 〉 、浄
髪 閣 ・凌
霄
峰
〈 主 山 〉 、凌
霄
閣 、龍
渕
室
〈
方 丈 〉、 不ホ 動 岩 、 不
動
軒 〈 方 丈 。 法 堂 、 方 丈 を 以 て 之 を 兼 ぬ 。 方 丈 の 后 山 に 不 動 岩 有 り 〉 、稜
伽 室 、含
暉
亭
、 御 愛 峰 、福
地 、 喝 石 岩 、 鉢 孟 峰 、霊
難 塚、 碁 盤 石 、 万年
正 続 院 〈無
準 の塔
あ り 〉 あ り 。 開 山 は 法 欽 国 一 国師
、 第 二 は無
上 ( 鑒 ) 宗禅
師
、第
三 は 法 済洪
ネ 謹 禅 師 、
第
四 は 演 教賞
禅
師 、 第 五 は 法警
庠
禅師
、第
六 は修
禅 師 、第
七 は 無 畏 禅 師 な り 。 ネ僧
恵
崇
は 径 山 欽 法 師 に謁
し 、 観 音 咒 を誦
し て よ り功
、 比 べ る も の無
し 。 師 曰 く 、吾
、 石 屏 の後
に 坐 す 。 能 く 之 を 咒 し て破
せさ め し む る や 。 曰 く 、 可 。 遂 に 之 を 叱 す 。 石 屏 、 裂 け て 三 片 と 為 る 。
今
、 喝 石 岩 と 謂 う 。韻
府 。〈
第 二 〉 北 山 。 景 徳 霊 隠禅
寺 。杭
州 の臨
安 府 に あ り 。 飛 来峰
く 又 た小
朶峰
と 云 うV
、直
指
堂、冷
泉亭
、 北 高 峰 〈 霊 隠 は浄
慈
に 対 す る 故 に南
北 の名
有 り 〉 、 呼 猿 洞 〈 又 た 白 猿 洞 と 云 う 〉 、 石蓮
峰
、 合 澗橋
、 鷲 嶺 、 九 里 松 径 、 壑 雷亭
、 蓮峰
堂 、栴
檀 林 あ ネ り 。 第 一 は恵
理 禅 師 な り 。 ( さ ら に ) 永 明 ( 延 ) 寿 禅 師 、宏
智 ( 正 )覚
禅 師 、 月 禅 師 、光
禅 師 あ り 。第
一 は ( 玄 ) 本 禅 師、第
二 は 慈済
(文
勝
)禅
師 、 第 三 は 恵 明 ( 延 ) 珊 禅 師 、 ( 第 四 は 恵照
蘊聡
禅 師 ) 、 第 五 は 雲智
禅 師 、第
六 は普
慈
( 幻 )旻
禅 師 、 第 七 は 仏 照 光禅
師 な り 。 ネ 正 宗 賛 の 寿禅
師
の 伝 に 又 た 云 う 、建
隆 元年
、 忠 懿 王 、請
う て 霊 隠 に 入 ら し め て 第 一 世 と 為 す 。 明年
、請
う て 永明
に住
せ し め て 第 二 と 為 す 、 と 。 右 と 考 う べ し 。 ネ ホ ネ 〈 第 三 〉 太 白 山 。 天 童 景 徳 禅寺
。 明州
の慶
元 府 に あ り 。光
明 蔵 、 九峰
、 龍 潭 、玲
瓏岩
、 双 沼 、清
関 、 万 松 関 、 登 閣 、 太 白 禅 居 、 妙高
台 、 翠鎖
亭
、 万 工池
、 門 外 二 十 里 の松
径 、 虎胞
泉 、 五鳳
楼 〈 楼 大参
、 記 を作
す 。 楼 上 に 千 仏 を 安 置 す 。 名 づ け て 千ホ ネ 仏 閣 と 日 う 〉 、 宿
鷺
亭
あ り 。開
山 は 義 興禅
師
、第
一 は ( 威 ) 啓禅
師 、 第 二 は義
禅 師 、第
三 は ( 宝 ) 堅 禅 師 、 第 四 は (懐
)清
N工 工一Eleotronlo Llbrary
禅
師 、第
五 は ( 子 ) 凝禅
師 、 第 六 は ( 利 )章
禅
師
、 第 七 は 新禅
師
な り 。 〈第
四 〉南
山 。浄
慈 報 恩 光 孝 禅 寺 。 杭 州 の 臨 安 府 、 武林
に 在 り 。南
屏 山 又 た 南 屏 峰 と 云 う 。 恵 日 山 、 南高
峰
、 六 和塔
〈后
山 〉 枯 木 堂〈
僧
堂〉
、宗
鏡 堂 〈 法 堂 〉 、 六 橋 、 西 湖 、 千峰
閣 、 正 鶴知
閣
、 羅 漢 堂 〈 浄 慈 寺 に 五 百 羅 漢 の 勝 覧有
り 〉、霜
花
岩
、 双 井 あ り 。開
山 は 永 明 ( 延 ) 寿 禅 師〈
一 本 に 道 潜禅
師 が 開 山 な り〉
、 第 二 は 永明
( 道 )鴻
禅 師 、第
三 は 円 照 (宗
)本
禅
師 、第
た い ら 四 は 大 通 ( 善 ) 本 禅 師 、 第 五 は 宝
印
( 楚 ) 明 禅 師 、第
六 は 普 照象
禅
師 、第
七 は 行 堂 ( 道 ) 昌禅
師 な り 。〈
観
物
初 は 平 か に御
書 の 正 偏 知 閣、華
巌 法 界 の 二 扁 を 浄慈
に賜
う を 謝 す こ と 有 り 。表
し て 大 川 に代
り て 、 浄 慈 に 住 す る 日 、霊
隠 に 住 す る後
に須
ら く降
す べ き こ と を請
う を奏
す 。V
〈 第 五 〉 阿 育 王 山 。 邸 山 広 利 禅 寺 。 明州
の慶
元 府 に あ り 。 玉 几峰
、 玉 几 亭 、 妙喜
泉〈
張 九 成并
び 大 慧 禅 師 、泉
の 銘 を 作 す 〉 、 ホ ネ 無 畏 堂 、 郢峰
、 舎 利 道 場 〈 又 た 妙勝
之 殿 と 云 う 〉 、 霊 鰻 池 〈 又 た ( 霊 鰻 を ) 聖 井魚
と 云 う 〉 あ り 。 開 山 は 宣密
素 禅 師 、第
二は 初 禅 師 、
第
三 は ( 常 ) 坦 禅 師 、第
四 は ( 澄 ) 逸禅
師 、第
五 は 大 覚 ( 懐 )漣
禅
師 、 第 六 は 宝 鑑 ( 法達
)禅
師
、 第 七 は 正覚
禅
( 二 ) 師 な り 〈 三 十 三 代 は 無準
和
尚 な り 。 入 唐 記 〉 。ホ 霊
鰻
菩
薩 、護
鰻 菩 薩 は 、 育 王 の 土 地神
に し て 、仏
舎 利 を 護 る 。 云 云 。 育 王寺
の 井 に 霊 鰻有
り 、 即 ち 大 現 修 理菩
薩 な り 。 東 晋 の時
、 中 印 土 の 宝 掌禅
師 は 、東
の方
、 震 旦 に 游 び 、 此 に 戻 止 し 、 世 に 住 す る こ と 一 千 七 十 二年
な り 。唐
の 威 亨 中 に 云 り て 示寂
す 。 云 云 。 蒲室
疏 序 。 十 刹 。 中 竺 。 天 寧 万 寿 永祚
禅 寺 。杭
州 の 臨安
府
に あ り 。 天 竺 寺 、 中 天 竺 、 中峰
と も い う 。 開 山 は 千 歳 宝 掌禅
師 な り 。 天 香閣
、桂
子 堂 、 千 歳 岩 、 三 生 石 、摩
利 支 殿、稽
留 峯 、永
青
山 、 葛 洪 丹 井 あ り 。マ マ
〈
宣 政 院 、 奏 し て 中 天 竺 を改
め て 天 暦 万 寿 永 祚 禅 寺 と為
し て 、如
一 渓 を 請 し て 住 持 せ し む る疏
、 蒲 室 。V
道 場 。 護 聖 万 寿禅
寺 。 潮 州 の烏
程 県 に あ り 〈 火後
再 び造
る 。疏
に 又 た 云 う 、 久 しき
や 、叢
林
、 蓍 害 に 冠 た り 。 〉 。 運 菴録
に 万ホ ネ 歳 寺 と い う 。 伏 虎 道 場 、 雲
峰
閣 、 来 月 軒 、 宜晩
亭
、 瑤 石 山 、 嘯 月亭
、 瑤 石 池、 披雲
亭 、牧
石 寮 、 列翠
軒 、青
山 堂 、 瑤 池 石 山 、 水 昌 宮 、 八 徳 池 、 一 人 泉 あ り 。開
山 は 如 訥禅
師 、 伏 虎 と 号 す 。 .蒋
由 。 太 平 興 国 禅寺
。 建 康 の 上 元 府 に あ り 。今
、改
め て 霊 谷 寺 と 日 い 、 十刹
第
一 と 為 す は 、 乃 ち 王 荊 公 半 山 な り 。 江 山 第 一 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究e
( 石 井 ) 九 三Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究
e
( 石 井 ) 九 四峰
、 第 一禅
林
〈外
門 〉 、 定林
塔
、 円 悟 関 、 正 伝 閣、独
龍
崗 、 宝 山 堂 、潮
音
閣
く 方 丈V
、 一人
泉 く 鐘 山 頂V
、 入 功 徳 池 、 十 五里 松 、 宝
峰
列 壑亭
、 玉 山庵
〈
痴 絶塔
〉 、 鐘 山〈
又 た鐘
阜
と 云 う 〉 あ り 。 開 山 は 宝 誌禅
師
な り 。 宝 誌 塔 あ り 。 万寿
。 報 恩 光孝
禅
寺
。 蘇 州 の 平 江 府 に あ り 。 開 山 は禅
月大
師 な り 。 禅 月 堂 、帰
雲 堂、 帰 雪 堂 、 江 東 第 一禅
林
あ り 。雪
簧 。資
聖 禅寺
。 〈 明 州 〉慶
元府
あ り 。 又 た寺
を 瀑 頂 と 号 す 。 諺 に 東 の雪
竇
、 西 の 虎 丘 と 日 う 。 天 開 図 画 〈 方 丈 〉 、中
岩
、錦
ネ
鏡
池 、 金 輪峰
、中
峰 〈 主 山 〉 、 乳峰
〈 又 た 乳竇
と 云 う 〉 、 妙 高峰
〈 又 た 妙高
台 と 云 う〉
、 応 夢 名 山 く宋
理宗
の 宸 翰 な りV
、飛 雪 岩 〈 又 た 飛
雪
亭 と 云 う 〉 、 千 丈 岩瀑
〈 此 の 源 は 錦 鏡 池 よ り 出 づ 。 千 丈 岩 の 上 に 栖 雲 菴 主 和 公 の 旧 居有
り 。 和 公 、道
化 有ホ
っ て 、 平 生 、 虎 に 騎 り て
遊
ぶ 。 今、 床 下 に 亦 た 虎 を 刻 ん で之
を 置 く 〉 、含
珠 林 、 二覚
堂 〈 永 明 智 覚 ・ 明覚
顕、 二 公 を 以 て 之ネ
を 名 つ く 。 乃 ち 法 堂 な り 〉 あ り 。 開 山 は 常 通
禅
師 な り 、 趙 州 に 嗣 ぐ 。よ お も
雨 嶂 烟
轡
、 翆 流 れ ん と 欲 す 、 天 画 図 を 開 い て 万 山 の 頭 。 凌霄
閣 上 、 闌 に凭
り て 意 う 、 佗年
を 留 与 し て 、 旧遊
を 説 く 。 天如
の詩 な り 。
ホ 江 心 。 龍 翔 禅 寺 。 温 州 の 永 嘉 県 に あ り 。 開 山 は
真
歇
( 清 ) 了禅
師 な り 。 松 風 閣 、 孤 嶼 、 中 川 、 江 月亭
、 潜 光 堂 、 深 浄 亭 、 蜃 江中
間 あ り 。 雪峰
。 崇 聖 禅 寺 。福
州 の 候 官 県 に あ り 。開
山 は真
覚 (義
存
)禅
師 な り 。 大歇
堂 、 留 香 堂 〈僧
堂 〉 、 三箇
僧 堂 、 鰲 山 閣、望
州
亭
、 応 潮 泉、南
閥
天 下 雪 峰 〈 山 門 額 〉 、 象 骨 峰 、 六花
峰
、 三 毬 堂 、 難 提 塔 、 妙 香 、 禅悦
、 天 香 雪峰
〈 門 額 〉 、 衆 香 〈 二僧
堂か 。 一 に 留 香 と 日 い 、 二 に 衆 香 堂 と 日 う 〉 、 無 字 堂
碑
あ り 。ホ ネ 双
林
。 宝 林 禅 寺 。婆
州 の 金華
県 に あ り 。開
山 は 傅 大 士 く 又 た善
恵 大 士 と 云 うV
な り 。 行 道 塔 、 照 影 池 、 雲黄
山 、 一 撃亭
、慈
氏
宮
、 第 一 輪 蔵 、金
華
山 あ り 。虎 丘 。 雲
岩
寺 。 蘇 州 の 平 江 府 に あ り 。 開 山 は 明教
( 契 )嵩
禅 師 な り 。 海 涌峰
、 剣 池 、 生 公 台 〈 講 台 石 ト 勧善
書 九 ニ ア リ〉
、 看ヰ ネ
経 室 、 千 人 岩、 試 剣 石 、 致 爽 閣 〈 方 丈
〉
、 点 頭 石 あ り 。〈
虎
丘 は 呉 王 闔閭
の 墳 名 な り 。蘇
州 に 在 り 。 因 り て 以 て 寺 を 名 つ く 。V
国 清 。 天 台 山 教 忠 禅 寺 。 台 州 の 天 台 県 に あ り 。 五 峯 山 景 徳 国
清
禅寺
と も い う 。 開 山 は智
者
(智
顎 ) 大 師 な り 。 無 畏 堂 〈 法 堂 〉 、毘 廬 境 〈 仏 殿 。 釈 迦 〉 、 宸 奎 閣 、 瑛 林 、 振 錫
橋
く 又 た 卓 錫 井 と 云 うV
、 豊 干 道 場 、寒
山 石 〈 或 は 寒 山岩
と 云 う 〉 、 拾 得 岩 、 N工 工一Eleotronlo Llbrary更 好
亮
、 五峰
、 霞峰
あ り 。 双 澗 、曹
源
、 八 柱 峰 、 四 禅 寮、 三 隠 堂 く 豊 ( 干 ) ・寒
( 山 ) ・拾
(得
) な りV
、 祥雲
峰、 霊 芝 峰 、 霊禽
峰
・ 映 ※ ( 書 シ ( * * *謳
駢 齢
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1
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詳
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酔
餘
嚇
孛
粤
総
譯
ハ 但 池 ゜ 竃 『 和 漢 禅 刹 次 第 』 に は 、 さ ら に 甲 刹 を 説 明 す る 。 こ れ ら 「 大 唐 禅 刹 位 次 」 の 記 録 の 原 型 が お よ そ い つ 頃 成 立 し た の か、 大 切 な 点 で あ る が 不 明 で あ る 。 た だ 現 存 の も の は、 た と え ぽ 甲 刹 の 龍 翔 の 項 に 「 太 祖 高 皇 帝 は 龍 翔 を 定 め て 大 天 界 寺 と 称 す 。 御 書 天 界 第 一 禅 林 の 六 字 を 門 に 賜 う 」 と あ っ て 明 初 の 記 録 が あ り 、 ま た 「 天 界 第 一 禅 林 」 の 寺 号 は 、 至 正 二 七 年 ( 一 三 六 七 ) に 賜 っ た と さ れ る か ら 、 補 注 の 部 分 に は、 明 代 に な っ て の 記 録 も あ る こ と も 確 か め ら れ る 。 さ ら に 笑 隠 大 訴 ( 一 二 八 四1
;
一 四 四 ) の 語 の 引 用 も あ る か ら 、 そ の 時 代 頃 ま で に 伝 え ら れ た 制 度 で あ っ て 、 決 し て 南 宋 代 の 制 度 そ の も の と 同 じ も の と は 断 定 で き な い で あ ろ う 。 し か し な が ら 、 → 方 で は 、 大 天 界 寺 を 五 山 の 頂 と し て ま と め ら れ て い る 訳 で は な い か ら 、 元 代 の 制 度 で あ っ た と い え る し、 こ の 「 大 唐 禅 刹 位 次 」 は 、 ほ と ん ど 『 扶 桑 五 山 記 』 と 一 致 し て 、 し か も 後 に 系 譜 を 示 す よ う に 五 山 の 住 持 者 が、 行 叟 行 端 ( 一 二 五 五 〜 = 二 四 一 ) 等 を 最 後 と し て ま と め ら れ て い る と こ ろ を み る と 、 元 代 の 制 度 で あ っ た と い う こ と は 言 え る の で は な か ろ う か 。 少 く と も、 宋 濂 が い う 五 山 十 刹 の 直 接 的 な 南 宋 末 の 内 容 は、 具 体 的 に わ か ら な い と し て も、 宋 濂 よ り 以 前 に 成 立 し て い た 五 山 十 刹 の 内 容 が 、 こ れ ら 日 本 に 伝 承 さ れ て 来 て い た 著 述 類 か ら う か が い 知 れ る こ と は 確 か で あ る 。 〔 資料
二 〕 天 童 山 千
佛
閣
記 淳 熈 五年
、孝
宗
皇 帝 、 親 灑 宸 翰 大 書 太 白名
山 、 以賜
天 童 山 景 ホ 徳 禪寺
。寺
之 門甚
雄 、敬
刻 雲 章 、奪
閣
其 上 。 又 于 方 丈専
建 一 閣、以
藏
眞跡
。實
爲
禪
林
盛 事、 前 所未
有
也 。 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究e
( 石 井 ) モ そ淳
煕 五 年 (=
七 八 ) 、 孝 宗 皇 帝 は 親 し く 宸 翰 を灑
げ る 大書
は な の 太 白 名 山 を 、 以 て 天 童 山景
徳
禅 寺 に 賜 う 。 寺 の門
は甚
は だ さ か つ つ し た つ と の 雄 ん に し て 、敬
ん で 雲 章 を 刻 し 、尊
び て其
の 上 に 閣す
。 又 た 九 五Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究
e
( 石 井 )初 、 西
晉
永 康 中、沙
門
義
興 、 卓 庵 此 山 。 有童
子 來 給薪
水 。後
既有
衆
。 途 辭 去 日、吾
太 白 一 辰 。 上帚
以 師篤
于 道 行 、 遣 侍 左 右 。 因忽
不 見 。 自是
始
有
太 白 天 童 之名
。 山 在 郡東
南
六 十 里 所 。 太 白 一 峯 、高
壓
千嶺
、 雄 奪 深秀
、爲
一 郡 之 望 。 紹 興初
、 宏 智 禪師
正覺
、 欲 撤 其寺
而 新 之 、 謀 于 衆 。有
蜀 僣 、 以陰
陽家
言 、自
獻
日、 此寺
所
以未
大 顯 者 、 山 川 宏 大 、 而棟
宇
未 稱 。師
能
爲 層 樓 傑 閣 、 以發
越
淑 靈 之 氣 、 則 此 山 之 名 、 且 將 振 耀 于時
矣
。覺
深 然 之 。 乃拓
舊
址 、 謀 興 作 、 内外
鼎 新 、 以 次 就 成 。智
匠
高
妙 、 務 極崇
侈
。 門爲
高 閣 、 延 袤 兩 廡 、 鑄千
佛
列ホ 其 上 。 前
爲
二 大 池 、 中 立 七塔
、 交 映 澄撤
。 游 是 山 者 、初
入萬
ホ 松 關 、 則 青
松
夾 道 、 凡 三 十 里 。 雲棟
雪脊
、層
見
林表
、 而 倒 影 ホ 池中
、 未 入 窺樓
閣
、 已 非 人 間 世矣
。中
建
盧 舎 那閣
、 尤 爲 壯 麗 。 佳 山 三 十年
、 其 爲 久 遠 之 計 。皆
絶 人遠
甚
。九 六
お さ 方 丈 に 専 ら 一 閣 を 建 て 、 以 て
真
跡 を蔵
む 。実
に 禅 林 の盛
事
と為
り 、 前 に 未 だ 有 ら ざ る 所 な り 。初
め 、 西 晋 の 永 康 中 ( 三 〇 〇 〜 三 〇 } ) 、 沙 門義
興 は庵
を 此た の 山 に 卓 つ 。
童
子 有 り て来
り て薪
水 を 給 す 。後
に 既 に し て衆
有
り 。 遂 に辞
去 し て 曰 く 、 吾 れ 太 白 の 一辰
な り 。 上 帝 は 師 の 道 行 の篤
き を 以 て 、 左 右 に 侍 せ し む 。 因 て 忽 ち 見 え ず 。是
れ よ り 始 め て 太 白 天 童 の 名有
り 。 山 は 郡 の 東 南 六 十 里 の所
に 在 り 。 太 白 の 一峯
は 、 高 く 千 嶺 を 圧 し 、 雄尊
深 秀 に し て 、 一 郡 の 望 と 為 る 。の ぞ 紹 興 の 初 め (
=
三 一 〜 ) 、宏
智禅
師 正 覚 は 、 其 の寺
を 撤 きお も は か て 之 を 新 た に せ ん と 欲 い 、 衆 に 謀 る 。 蜀 僧
有
り て陰
陽 家 の 言ゆ え ん を 以 て 自 ら 献 じ て 曰 く 、 此 の 寺 の
未
だ 大 い に 顕 わ れ ざ る 所 以か な は 、 山 川 は 宏 大 な る も 、 棟 宇 は
未
だ 称 わ ざ る な り 。 師 の 能 く 層楼
傑 閣 を為
し 、 以 て 淑 霊 の気
を 発 越 せ ぽ 、 則 ち 此 の 山 のま さ し か 名 は 、 且 つ 将 に 時 に 振 耀 せ ん と す 。 覚 は 深 く 之 を 然 り と す 。
い た 乃 ち 旧
址
を 拓 き 、 興 作 を 謀 り 、 内外
鼎
新 し て 、 以 て 就 成 に 次お ぎ す う し し ん る 。
智
は 高 妙 を 匠 め 、 務 は 崇侈
を極
む 。 門 は 高 閣 と 為 し、延
ぽ う 袤 両 廡 に し て、 千 仏 を 鋳 し て其
の 上 に 列 す 。 前 に 二 大 池 を為
し 、 中 に 七 塔 を 立 て 、 交 映 し て 澄徹
す 。 是 の 山 に 游 ぶ 者 は 、さ し は さ 初 め 万
松
関 に 入 れ ば 、 則 ち 青 松 は道
を 爽 む こ と 、 凡 そ 三 十 里 な り 。 雲 棟 雪 脊 は 、林
表 に 層 見 し 、 而 し て 影 を 池 中 に 倒 し 、う か が す で 未 だ 楼 閣 を 入 り
窺
わ ざ る も 、 已 に人
間 の 世 に あ ら ざ る な り 。 N工 工一Eleotronlo Llbraryネ
後
有
慈 航 了朴
唄坐
亦 二十
年
。 起 超諸
有 閣 于盧
舍
那 閣 之 前 、複
ネ 道 聯 屬 、 至 今 歸
然
相
望 。 夊大
築
海
塗
、 増 盆 歳 入 。 由 是 天 童 不特
爲
四 明 甲 刹、東
南
數 千 里、 亦皆
推
爲 第 一 。 游宦
者 必 至 、 至 則 忘歸
、 歸 而 詫 于 人 。 聲 聞 四方
、 江 湖 衲 子 、 以 不 至 爲歉
。皇
ホ 子 魏 惠 憲 王 出 鎭 、 一
見
慈 航 、 歡若
夲 生 、 暇 日 來游
、顧
瞻
山 林 、 登玲
瓏
、 坐宿
鷺
。 或累
日 不 忽去
。因
圖 以 進 于 上 。 會稽
郡 王太
師
史 文 惠 公 、 又 從容
奏
請 。 途有
四 大 字 之 賜 。瑰
奇 絶 特 之 觀 、 無 以 加 矣 。 十 六年
、 虚庵
懐 敞 、自
天 台 萬 年來
、 主是
刹 、 百廢
具 擧 。 追 跡 二 老、 而 千 佛 之 閣 、 歳 久寝
壇 。 且 將弗
支
。 獪 以 前 人 規 模 、爲
未 足 以稱
上 賜、 欲 從 而 振 起 、更
出 舊 閣 及 前 二 閣 之 上 。 僉 以 爲ホ 難 、 師 之 志 不 囘 也 。
先
是 、 日本
國
僭 千 光法
師 榮 西 者 、 奮發
願 心 、欲
往
西 域 、 求 教外
別傳
之 宗 。若
右 告 以天
台萬
年
、 爲 可 依者
、 航海
而來
、 以 師 爲歸
。 及 邏 天童
、 西 亦随
至、 居 歳餘
。聞
師有
改 作 之 意 、 請 日 、 思報
攝
受
之 恩 、 糜軈
所
不 憚 。 況 下 此 者乎
。 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究e
( 石 井 ) 中 に盧
舎
那 閣 を建
て 、尤
も 壮 麗 と為
す 。 山 に 住 す る こ と 三 十年
に し て 、其
れ 久遠
の 計 を 為 す 。皆
な人
を 絶 す る こ と 遠甚
な り 。後
に慈
航
了朴
有 り 、 }坐
亦 た 二 十年
な り 。 超 諸有
閣 を盧
舎 那 閣 の前
に 起 し 、 複 道 に て 聯属
し 、今
に 至 る も 歸 然 と し て 相 い 望 む 。 又 た 大 い に海
塗 を 築 き 、 歳 入 を増
益 す 。 是 れ よ り 天 た 童 は 特 だ 四 明 の 甲 刹 の み と 為 さ ず し て 、東
南 数 千 里 よ り亦
た 皆 な 推 し て 第 一 と 為す
。 游 宦 の 者 は 必 ず 至 り 、 至 れ ぽ 則 ち帰
ほ こ る を 忘 れ 、 帰 り て 人 に 詫 る 。 声 は 四 方 に 聞 え 、 江
湖
の 衲 子う ら み は 、 至 ら ざ る を 以 て
歉
と 為 す 。 皇 子 魏 恵 憲 王 は 鎮 を 出 で 、 慈ご と 航 に 一 見 し て 、 歓 ぶ こ と 平 生 の
若
く 、 暇 日 来 游 し て 、 山林
を こ せ ん 顧瞻
し 、玲
瓏
に 登 り 、 宿鷺
に 坐 す 。 或 は累
日 、 去 る に 忍 び ず 。 因 り て 図 り て 以 て 上 に進
む 。 会稽
郡 王 太 師 史 文 恵 公 は 、か い む 又 た 従 容 と し て 奏 請 す 。
遂
に 四 大 字 の賜
有
り 。 瑰奇
絶 特 の観
に し て 、 以 て 加 う こ と 無 し 。 十 六 年 (=
八 九 ) 、 虚庵
懐 敞 は 、 天 台 の 万年
よ り 来 り て 是と も の
刹
を 主 ど り 、 百 廃 具 に挙
す 。 二 老 を追
跡 す る に 、 千 仏 の閣
し ん ひ な は 、 歳 久 し く し て 寝 杷 す 。 且 つ 将 に 支 え弗
か ら ん と す 。猶
お 前 人 の 規 模 を 以 て 、 未 だ 以 て 上 賜 に 称 う に 足 ら ざ る が 為 に 、 従 い て 振 起 せ ん と し て、更
に 旧 閣 及 び前
二 閣 の 上 よ り 出 さ ん お も み と欲
う 。 僉 な以
て 難 し と 為 すも
、 師 の志
は 回 ら ざ る な り 。是
よ り 先 に 、 日本
国 の 僧 の 千 光 法 師 栄 西 ( 一 一 四 一 〜 = = 五 ) 九 七Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究
e
( 石 井 )吾
忝 國 主 近屬
。 它 日歸
國
、 當致
良
材 以 爲助
。 師 日、 唯 。未
幾 、 逾歸
。 越 二年
、 果 致 百圍
之木
、 凡若
干、 挾 大舶
泛 鯨 波 而 至焉
。 千 夫 威 集 、 浮 江 蔽 河 、 輦致
山 中 。 師笑
日 、吾
事 濟 矣 。 于是
鳩 工 度 材 、雲
委
山 積 、 列 楹 四 十、 多 日 本 所致
。餘
則 取 于 境 内 之 山 。 始建
于 紹 熈 四年
季 秋 之 甲 申 、 才 三載
告 畢 。 費 緡 錢 二萬
有
奇 。 是歳
、 海 莊 倍稔
、 贏 穀 三 千斛
。 如 有 相 之者
、 不 求 于人
。 見 者 樂 ネ 施 、 以 迄 于 成 。凡
爲閣
七 間 、高
爲
三層
。 横 十有
四 丈 、 其高
十有
二丈
、 深 八十
四 尺 、衆
楹 倶 三十
有
五 尺 、外
開 三門
、 上 爲藻
井 。 井 而 上 十有
四 尺 、爲
虎 座 。大
木
交
貫、 堅 緻 壯密
、 牢 不 可 拔 。 上 層 又 高 七 丈 、 擧 千 佛 居 之 。位
置
面 勢 、無
不 曲 當 。 外檐
三 、 内 檐 四、檐
牙 高 啄、直
如引
縄
。 旅 楹 有 閑、 聲 飛 跂 翼 、 周延
四 阿 、 繚 以 欄楯
。 内爲
綺 疏 、表
裏
明 谿 、 自 下 仰 望 、 如 見 崑 九 八 ふ る な る 老 、 発 願 心 を奮
い て、 西域
に 往 き、 教外
別伝
の 宗 を 求 め ん と 欲 す 。有
る が 告 る が 若 く 、 天 台 の 万年
を 以 て 、 依 る べ き者
と 為 し て 、 航 海 し て 来 り 、師
を 以 て 帰 と 為 す 。 天 童 に 遷 る に 及 ん で 、 ( 栄 ) 西 も 亦 た 随 い 至 り 、 居 る こ と歳
余 な り 。 師 の 改 作 の 意 有 る を 聞 い て 、請
う て 曰 く 、摂
受 の恩
に 報 い ん と び く 思 い 、 糜躯
し て 憚 ら ざ る 所 な り 。 況 ん や此
の老
に 下 さ ん や 。 か た じ け な 吾 れ 国 主 の 近 属 を忝
く す 。 它 日 帰 国 し て 、 当 に 良材
を 致 し て 以 て 助 と 為 さ ん と す 。 師 日 く 、 唯 。未
だ幾
く な ら ざ る に 、 遂 に 帰 る 。 二年
を 越 え て 、 果 し て 百 囲 の木
を 致 し 、凡
そ は さ う か み 若 干 は 、 大 舶 に 挾 め て 鯨 波 に 泛 べ て 至 る 。 千 夫 威 な 集 り 、 江 て ぐ る ま に 浮 か べ河
を 蔽 い 、輦
に て 山 中 に 致 す 。 師 は笑
い て 日 く 、 お わ あ つ は し ら 吾 が 事 は 済 れ り 。 是 に 工 を 鳩 め材
を 度 し 、 雲委
山 積 し 、 楹 を な ら 列 べ る こ と 四 十 、 多 く は 日 本 よ り 致 す 所 に し て 、 余 は 則 ち 境 内 の 山 よ り 取 る 。 始 め 紹 熈 四年
( 一 一 九 三 ) の 季 秋 ( 九 月 ) の 甲 申 ( 二 一 日 ) よ り わ ず か お わ 建 て て 、 才 に 三 載 に し て畢
り を告
ぐ 。 緡 銭 を費
す こ と 二 万有
み の ウ ま 奇 な り 。 是 の歳
、 海 荘 は 稔 を 倍 し 、 穀 を贏
す こ と 三 千斛
な り 。 有 相 の者
の 如 き は、 人 を 求 め ず 。 見 者 は 楽 み て 施 し 、 以 い た て 成 る に迄
る 。 凡 そ 閣 七間
と 為 り 、 高 く 三 層 と為
る 。 横 は 十 お お 有 四 丈 、其
の高
さ は、 十 有 二 丈 、 深 さ は 八 十 四 尺 、 衆 く の 楹 は 倶 に 三 十有
五 尺 に し て 、 外 は 三 門 に開
き
、 上 は藻
井 と 為 た か る 。 井 は 上 さ 十 有 四 尺 に し て 虎 座 と 為 る 。 大 木交
貫 し 、 堅 緻 N工 工一Eleotronlo Llbrary聞 。
梵
唄磬
鐘、 牛 空 振 響 。 禰 佯 登覽
四 山 、 下瞰
河 漢 星斗
、 如 在 欄 檻 。 御 書 金 榜、 巍 乎 中 峙 、 翊 以翔
龍 、護
以絳
稍 。高
出 雲霄 之 上 、
眞
足 以 彈壓
山 川 。 傳 示 千 古 、善
財
童
子、 大 莊嚴
藏 、 入 見樓
閣 、廣
博 無 量 、 則 不 可 知 。 若 經 行 四 方、室
屋 亘麗
、 殆未
見
其
比 也 。 鑰奉
祠 東 歸 、嘗
往 遊 焉 。驚
歎 傑 特 、 目眩
瀞
駭
、 過 于 耳聞
。 敞請 記 其 事 。 老
矣
學落
、 不 能 形 容 。 姑 記大
槧 、 以 表 吾 郷之
勝
。海
内 好 奇 之 士 、 欲 游 而未
遂 者、覽
此 、 則 太 白 之景
、思
過牛
矣
。 虚 庵 道 價 素高
、 禪 子 向方
。 島 夷 亦 聞 其 名 而歸
之 。 加 以 願 ホ ホ力
深 重 、 才 列 恢 恢、 巧 匠 瑰 材 、 成 此 勝 事 。 觀 者 無 不羨
歎 。 或 ホ ネ請
飾 之 。 敞 日 、 殫力
竭
財
、 幸 躋 登 茲 。 行 且謝
去
。 若 丹穫
華
飾
、 尚有
頼 于後
之 人 云 。 中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究e
( 石 井 ) か た 壮 密 に し て 、 牢 く し て 抜 く べ か ら ず 。 上 層 は 又 た 高 さ 七丈
に し て 、 千 仏 を 挙 し て 之 に 居 せ し む 。 位 置 面勢
は 、 曲 当 せ ざ る の き は 無 し 。外
の檐
は 三 、 内 の檐
は 四 に し て 、 檐 牙 高 啄 し 、直
なり よ え い き ひ あ ま わ る る こ と 引
繩
の 如 し 。 旅 楹 、 閑有
り 、 輦 飛 、 翼 を 跂 げ 、 周 に 四 め ぐ ら き そ 阿 を 延 べ 、繚
す に 欄楯
を 以 て す 。 内 は綺
疏 を 為 し 、 表裏
明 豁こ ん ろ う に し て 、 下 よ り
仰
望 せ ば 、崑
閲 を 見 る が 如 し 。 梵 唄 磬 鐘 は 、し よ う よ う か 半 空 に 振 響
す
。 禰 祥 と し て 登 り て 四 山 を覧
て 、 河 漢 星 斗 を 下 か ん瞰
せ ば 、 欄 檻 に在
る が 如 し 。御
書
金 榜 は 、 巍 乎 と し て 中峙
と し 、 翊 ぶ に 翔 竜 を 以 て し 、護
る に 絳 納 を 以 て す 。高
く 雲 霄 の 上 に 出 で、 真 足 以 て 山 川 を弾
圧す
。 千 古 に 伝 示 す、善
財 童 子 は 大 荘 厳 蔵 よ り 入 り て楼
閣 を見
て 、 広 博 無 量 に し て 、 則 ち 知き ん ひ ん る べ か ら ず 。
若
し 四 方 を 経行
せ ぽ 、 室 屋 巨麗
に し て 、 殆 ん ど 未 だ其
の 比 を 見 ざ る な り 。こ こ 鑰 、 奉 祠 し て
東
よ り 帰 り 、嘗
て往
き て 焉 に 遊 ぶ 。 傑 特 に驚
く ら み だ歎
し 、 目 も 眩 み神
も 駭 れ、 耳 聞 よ り 過 ぐ 。 敝 、 其 の 事 を記
すし ば ら こ と を 請 う 。 老 い た り 、 学 落 ち 、 形 容 す る こ と
能
わず
。姑
く 大概
を 記 し て 、 以 て吾
が 郷 の 勝 を 表 わ す 。 海 内 好 奇 の 士 は 、お も み 游 び て 未 だ 遂 げ ざ ら ん と 欲 う 者 は 、 此 を
覧
ば 則 ち 太 白 の 景 は な か ば も と た だ し き 思 い 半 を 過 ぎ ん 。 虚庵
の 道 価 は 素 よ り 高 く 、禅
子 は方
に 向 う 。島
夷
は 亦 た 其 の 名 を 聞 い て 之 に 帰 す 。 願 力 深 重 に 加 え て 、オ
刃恢
恢 と し て 、 巧匠
瑰 材 を も て 、 此 の 勝 事 を 成 せ り 。 一 観 る 者 は羨
歎
せ ざ る は無
し 。或
は 請 う て 之 を 飾 る 。 敞 曰 く、九 九
Komazawa University
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中 国 の 五 山 十 刹 制 度 の 基 礎 的 研 究
e
( 石 井 ) 天 奮 コ 敬 %ll
/il
* ナ 校 敝蟇
餮
轍 貢
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一 於蒙
1
難
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纛
総
騨
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゜ ・飜
叢
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饕
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遊 懽 ( *櫞 蕘
才 ゜ 以 校q
定 攻 * 下 * ) 娩 集 』 巻 五 七 所峡
四 部 叢 刊 本 A 上 海 涵 芬 樓 蔵 武 英 殿 聚 珍 版5
人
鬘
一 〇 〇 つ く づ く こ こ 力 を 殫 し 財 を 竭 し て 、幸
い に 茲 に 躋 登 す 。行
ぎ 且 つ謝
し 去 な ん わ く ご と る 。 丹穫
華 飾 の若
き は 、 尚 お後
の 人 に 頼 む こ と有
り と 云 う 。 叢 書 集 成 初 編 叢 ) 。 嘉 慶 『 天 童 山 巻} ( 天 ) よ るN工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 『 攻 娩 集 』 = 一 〇 巻 は 、 楼 鑰 (