社
会
福
祉
専
門
教
育
に
お け
る
演
劇 的
手 法
の
意 義
と
可
能 性
の
探 求
一 「臨 床
の知
」 の発 見
・獲 得
は い か に し て可 能
であ
るか?
一中 根
真
「社会的現実は, つ ま り, 演劇的に 実現される。 別の言い か た をすれば,現 実は一つ の ドラマ であ り,人生は 劇場であ り, そし て社会的世界は本来 劇的な ものである。」 (ラ イマ ン ほ か 一清 水訳 1981 :4
) は じ め に本
稿の 目的は,社会
福 祉士 や保
育士の 養 成な ど広 く社 会福祉専 門教 育
に おけ る演 劇 的 手 法の意 義
と可能
性を探る こ とである。なぜ演 劇 的 手 法なの か につ い て の
詳
細は本 論に譲 る とし て , 一 言で 言 えぽ, 現 行 社 会福 祉
専 門 教 育 が直
面 して い る様々 な 閉塞
状 況 を打
開 す る糸
口 の1
つ に な る と考
えて い る。 無 論,未
だ仮
説 の 域 を 出る もの で は な い が,2005
年度社
会 福 祉援助技術
演習
に おける試行
的な実践 (
以下, 試 行 と略 記)
を起 点 とし, そ の 教 育実
践の意 味
や意義
に つ い て,文
献研究
を ふ ま えて 明 らか にする。 と りわ け, 演 劇 的 手法
が, 従 前の 社 会福 祉
専 門教
育論 の な かで は十分議
論 がさ れ て こ なか っ た学生
の 「臨
床の 知」 の発
見 ・獲得
の ため の ア プ ロ ーチ と して重要
な意
味
を もつ こ と, さ らに, 学生 と教 員 との 関 係 性を も転
回 させ て い く教
育 / 学習
方法
と して の 意 義 と可能 性な どを論 じ る。 とこ ろ で , 認知症 高齢 者ケア ・ス タ ッ フ の 研 修に詳 細な検 討を 加えた春 日 キ ス ヨ(
2002
:489
)
に よれ ば ,あ
る研修
方法
が社会
的に普
及するため に は,記 述 可
能
性,伝 達 可能 性,
評 価 可
能
性の3
つ の 条 件が ある。 こ れに依 拠 す れ ば, 筆 者に よ る試 行 もまた 例 外で は な く, その 教 育 / 学習
方 法 とし て3
つ の 条 件 を 整 えて い く必 要がある。 したが っ て, 本稿
で は ひ と まず前
二 者の条件
に 限定
し, 試行
の 記述
と伝 達
の 可能
性を高
め るこ とを第
1
の 目的 としな が ら, 同 時に,様
々 な文
献研究
の成果
をふ ま えて,筆者
に よる試行
の 意 味や意
義, さら 龍 谷大学論集 一 61 一に
演
劇的
手法
の意義
と可能性
を幅 広い 視 野か ら探 求し て い く。本
稿
の構成
は以下 の 通 りで ある。 まず
,社会福
祉専門教育
にな ぜ演
劇的
手 法 を導
入す るの か につ い て, その 理 由 や 根 拠を説明する(
1
)
。 次に , 研究
フ ィ ール ドとし て の社
会福
祉援
助 技 術 演習
につ い て , そ の教
育の現状
と課題
を 明 ら か にする(
il
)
。 そ して, 従 前の社
会福
祉 専門
教 育に おい て も多 用されて きた演
劇的
手法
の 一種
と して , ロ ール プ レ イ ン グ の研究
や実
践等
の知 見を ふ まえ る(
皿)
。 その 上 で ,2005
年
度 社 会 福 祉援助 技 術 演 習に お け る 試行 の展開 過 程 を 説 明し(
N
)
, こ れをふ くめた演 劇
的手法
が現行
の専 門教育
に問
い かけて い る もの を明 らか に し て い く(
V
)
。最 後
に, こ の試 行の限 界 と今後
の課題
を整理 し て い る(
おわ りに)
。1
.社 会
福
祉 専 門教 育
に お い て ,な ぜ
演 劇 的 手 法
な
の か?
(
1
)
新
た な教 育
/学習
方法
の開発
がなぜ 必要
か ?社会福
祉 専門
教育
に お い て新
た な教育
/ 学 習 方 法の開発
が求め られて い る。 その 理 由は何
だ ろ うか 。第
1
に現 行教
育の 限界
の 認 識で ある。 例 えぽ
, 白澤 政 和は福
祉 系大
学に お け る教 育の 現 状 と課 題につ い て, 「福 祉 系 大 学は専 門職 とし て の ソ ー シ ャ ル ワ ー ク実
践を可 能にする教 育が十分
に な さ れず
, ソ ー シ ャ ル ワー ク教育方
法 全 体の見直
しが 必 要 となっ て い る」 との認識
を 示 してい る(
白澤2003
:33
−34
)
。 す な わ ち,「
特
に ソ ーシ ャ ル ワ ー ク教 育に つ い て は… …教 科書
の み に 頼 っ た講 義で は , 具体
性や説 得力が 弱 く,学 生か らすれ ぽ臨場感 の 欠 けた もの と な り, 学 習 効 果 も薄
い 。 その ため , 自 らや他
の 研 究 者の 研究 成 果 を 教 育に活か し, 学 生の い っ そ うの興味
の わ く説 得 力の ある もの とし てい くこ とが求め られ る。事
例や ビデォ とい っ た教育教
材の活
用 や,現 場
の実務者参
加に よる教育
等 を工 夫す る こ と も, 学 習 効 果に有
効に 機能
する」(
白澤
2003
:34
)
。こ の よ うに 述べ られ る
背 景
に は 現行
教育
の重心 が座 学に あ り,福
祉六 法を中 心 とした社 会福祉 制度
の 教育
で ある た め, ソ ー シ ャ ル ワ ーカ ー とし て の資質
を高
め る側 面が弱い教育
体系
であ
る との認識
が ある。 した がっ て , その解
決の方
向
性は授
業(
教 授=学
習過程)
に おける具体
性や説得
力を高
め , 学 生の臨
場感
を高
め る教 育方 法を採 用 する こ とで あろ う。第
2
に,教 育
の受
け手で あ り,学習
の 主体
者である学 生の実態
もま た新た な教
育 / 学習方
法を要 請して い る 。 学 生の 実 態は 一般
に 個々 の教
員に よ る 日常
的 な経験
を通し て語
られ る こ とが多
く, その 問題
の 広が りや 程 度につ い て の 正確 一62
一社会福祉 専 門教 育に おける演劇 的手 法の意義と可能
1
生の探 求(中根)な実 態 把 握は容 易で ない こ とに一
定
の留
意が 必要で ある。 その 上で,現実的
な問題
と して ,我
々 は次
の よ うな学
生の実態
とどの よ うに向 き合
っ て いく
の か を 問わ れて い る。 小松
啓は社 会福祉
援助
技 術演習
の 教 育につ い て ,厂
実
践経
験の ない, し か も社会 福祉
の授業
その もの や, 社会福祉援
助技
術等
の 演習
に対す
る 動 機づ け も低い 学生た ち に どの よ うな教 え方 をすれ ば よい の か , 教員
は 途 方に くれ る こ と がある。 刊 行 されて い る テ キス トは 立派 す ぎ, 盛 り込み す ぎてい て ,取
っ付 き
の悪
い今
日の 学 生 がす ぐ使
える もの か らは ほ ど遠い 」 と述べ , さ らに ,「
今
日の 多 くの 学 生が最 も苦 手 とする社 会 福 祉 援 助 技 術 演習
とい う科 目 の シ ラバ ス を, 少 な くとも今 日の 学 生に現 実に受 けい れ られる よ うに検討 作
成 しなおすとい う作 業が必 要に なっ て くる 」 と述べ て い る(
谷 川2005
:162
)
。こ の指 摘に は い くつ か の 間題が混 在 し て い る。
1
つ は実 践 経 験が無
い こ とに 起 因す る学 生 の リア リ テ ィ 感 覚の 欠如
とその 状 況 下で教 育を進め て い く困難 性 で ある。 こ の 点は 先の 白澤が 指摘
した 学 生に とっ て の 臨場感
とも関
わ っ て く る。無
論, 実習
前の 学 生であれ ば,社会
福 祉 施設
や機 関
に おける実
践経
験を経
て い ない こ とか ら, そ こ で 培わ れ る リア リテ ィ感覚
は期 待で き ない 。 し か し, 教 員が学生 に備
え るこ と を期 待 する リア リ テ ィ感覚
とはそ もそ も何だ ろ うか。筆
者はその リア リテ ィ感覚
とは決 して実
習現場 に 限 定 される必 要はない と考え る。 確かに 専 門 職 養 成を進め て い く上で は, 実 習現 場に対 する リア リテ ィ感 覚
が ある程度
まで 必 要で ある が, 地 域福
祉の 推 進が謳わ れ, 地 域 自立生 活が志 向 されて い る現
状に 照 らせ ば,求
め られるの は実
習現
場に集
約で きない 地域 生 活 の 多様かつ 幅 広い リ ア リ テ ィ 感 覚なの で は ない か と考える。 その よ うに仮 定 す る と, 学 生が既に もっ て い る様
々 な経 験 を 活用
してい く可能
性が開か れる。す
な わ ち, 堀 越 由紀
子(
2002
:188
)
が指摘
す る 「経験を引 き出す こ と」であ り, これは学生が既に もっ て い る豊富
な対人接 触
や関係
の体験
を もとに して, ソ ー シ ャ ル ワ ー ク専 門職 らしい 遂 行様
式を形 成す るこ とへ の着
目で ある 。2
つ め に 学 習意 欲の 乏 しい 学 生, 平た く言 えぽ, 不 本意
入学 生の存在
に つ い て で ある。 これ は大 学 全入時 代の到 来 と 入学 者の 多 様 化が もた らし た結 果の1
つ か もしれ ない 。 その 対 応 として 昨今
, 各 大 学で は 一年
次 教 育や導
入教 育の 検討
と試行
錯誤 が続
い てい る が, そ の 焦点は大 学 教 育 全 体へ の 導入 に 置かれ, 逆 に専 門 分 野へ の導
入は未
だ十分
な 検討
に至 っ て い ない の で は ない か と思われ (1) る。い ず れに し て も, 学 生の
(
ある程 度の)
学習意
欲を前提
に 組み 立 て られた従 前の 大 学 教 育は多少
な りと も揺
らい でい る。今後
,大学
は不本
意入学 生の 存在 龍 谷大学 論集 一63
一も
前
提 とし, カ リ キ ュ ラ ム の あり方, なか で も専門
の援助技
術 演 習や現場実
習 の 履 修へ の 配慮
が 不 可欠で あ る。 つ ま り, 専 門 職 養成 とい う単 一 の 目的に収
斂 させ た タ イ トなカ リキ ュ ラム だけでなく
, 学 生の 状 況に 応 じて柔 軟
に対
応 可能
な緩
やか なカ リ キ ュ ラム の編
成 も併
せ て準備
してお くこ とに よっ て教 育上 の ミ ス マ ッ チ を 回避で きる場合
もあるだろ う 。3
つ め に各種 教
科書
や厚
生労働 省
通 知の内容 (
以 下,厚生
労働
省所 定 シ ラバ ス と表
記)
と学生 の レデ ィ ネス との 齬齟
で ある。 これ も一概に 判 断で きない が, 基 本 とな るの は塩 村
公子
の次
の指摘
で ある。 す なわ ち, 「入学 生の 学 力 低 下に つ い て は大 学に よっ て格 差が あろ うが, 学 生の 幼 さ ・社 会 的 訓 練の 不 足に つ い て は , 共 通す
るもの が ある よ うに思わ れ る。 した がっ て , 学ぶ学 生の 発達
段 階に合わ せ た 教育
と い っ た もの を考
えるべ きで ある」(
塩村
2004
:38
)
。 そ の際
, 重 要 とな るの は齟 齬
の 原 因を見 極め るこ とで ある。 基 礎学 力の不 足 が原 因な の か, 対 人 関 係上 の 成熟
度が原 因なの か, そ れ とも先に ふ れ た学生 の リア リテ ィ感覚
の欠 如
が原 因 なの か等
が問 わ れ な けれ ば な らない 。以上の よ うに, 現 行 の
社 会
福 祉 専門
教 育は教 育 者の み な らず
, 学習者
もま た い くつ か の 間 題や課 題に直 面し て い る こ とか ら, 新た な教 育 / 学 習 方 法が待た れてい る と考え られ る。(
2
)
問
われる学
生の 主体 的
な学習態度
と その涵養
新た な
教 育
/ 学 習 方法
を考え る場 合, 何に重 点を置 け ぽよい の か 。 重 点の 置 き方
は多様
に あ りえるが, 以下の 理由
や 問題
意識
に も とづ き,筆
者は学 生の 主 体 的な学 習 態 度の 涵 養に重 点を 置 く。筆者
が 日々 の 教育 実
践を通 じて 危惧
してい る の は, 里 見実
が 指 摘 し た 「『学 び』に対 す るシ ニ シ ズ ム(
冷
笑主義)
」 や 「学び の 中に 自分
がない とい うこ と」 である。 よ り具 体的に言えぽ, 何を 学ん で も, その内
容自体
は学 習 者の ア イ デ ン テ ィ テ ィ とは何
の 関わ りも もたず
, 現 代 社 会の 切 実 な 問題は学 習 者に とっ て 結 局, 覚 え るべ き知識に止ま り, そ こに 自分は 全 く関わ っ て い ない の である(
里 見2001
二32
−33
)
。 「学ぶ とは …世 界の まえに 立 っ て, そ れに 応 答 する こ と。 好 奇心 と驚
きを もっ て, 世界
と対 話す るこ とゴ(
里 見2001
:44
)
である とす
れ ぽ,応 答
も対
話 もない とこ ろに学
びは 成立 しない 。こ れに関 し,
汐
見稔
幸(
2004
:176
−177
)
は, 日本の 環 境 教育
を学び に 来て い た ドイ ツ 人 教 師 との会
話を紹 介し て い る。 すな わ ち, 日本の環境教育
の レ ベ ル は確
か に高
い と思 うが, ド イ ッ で は環境 問題
を学んだ ら, み な翌 日 か ら空 き 一64
一社 会福祉 専 門教育に おける演劇的 手法の意 義と可能性の探 求 (中根)
缶を拾っ て くる よ うに な るの に, 日本の 中
学
生は学んで も次の 日か らなん ら生 活態
度が変わ ら ない の は ど う して か とい う問
い か けで あっ た 。 汐見
は こ れに 対 し, 「問
題を客観的
な立場
で理解す
る だけで は不十分
で, 二人称
ない し 一人 称
の 立場で理解 す る こ とが不可欠になる。 知識 と行 動 と結びつ けるあるい は知識
と思想
をつ なげ
る こ とが不 可 欠の課 題 となる」 と指 摘す る。 言い換
えれ ば, こ れは 自分を棚上 げに せ ずに もの ご とを考えて い くこ とで ある(
森 岡1997
:26
)
。筆 者
は,「『
学
び 』 に対
する シ ニ シ ズム(冷
笑主義)
」 や 「学
び の 中に 自分が ない とい うこ と」 を克 服 するため の起 点を そ こ に 見 出せ る と考 える。 そこ を 起 点とす れ ぽ, どの よ うに学 生 が 「学び の なか に自分
」 を見 出す機会
を創
る か , どの よ うに 学 生が 「世界
の ま えに立 っ て , そ れ に応答
する 」 機 会を創る か, ど の よ うに学
生が 「自分 を棚
上げ
に せず
に もの ご とを考
えて いく
」機会
を創
る か (2) が問
われて くる。ただ し, こ の よ うな
機
会が必 要である に し て も, 全ての 学 生に 対 して 必要な の か とい う反 論 もあ りえよ う。 その 意 図は ,(
1
)
で述べ た 学 習意欲
の乏
しい学
生へ の基
本 的 なア プ ロ ーチ とし て, 自分(
当 該 学 生)
を起 点に考え る機i
会 一彼
/ 彼 女自身
が遭 遇し た体
験や 出来
事の もつ 意 味を 考 える機 会 一を多
様に設 け る こ とは, 学 習意 欲の高
低 に か か わ らず, 可能で は ない か と考 える。 ま た. 同 時に , 全 ての 学 生に対
し, 学び方
その もの を問い かけ
る こ とで もある。す
なわ ち,「
あ
な た はなぜ 学ぶ の か ?」 と。(
3
)
「
臨
床の 知」 の 発 見 ・獲
得 と方法
論 的 足場 として の 演 劇 的 手 法し か し, 「『学 び』 に対 する シ ニ シ ズム 」 等の 現 象は ひ と り学 生に 責めを 負 わす こ とが で きる だ ろ うか。 先の 白澤の 指
摘
を想 起す
れ ば, 現行教
育の あ り方 やそ こ で 採 用 され る教育
/学 習
方 法に起 因
し て い る可能 性は否
め ない 。な ぜ 現 行 教 育はそ の よ うな現 象を
引
き起 こ し て し ま うの か。 秋葉 昌
樹に よ れ ぽ, 従来
の 教育
学や社会福祉学
の 研究
は と もす
れ ば,個
々 の現
場 で ヴ ァ ル ネ ラ 7 ク チ=L ア ル ブル な 立 場に置
か れ て い る人々 に とっ て 日常
的かつ 個別 ・具体
的な 問題か ら乖
離
し, いわば上空 飛行的議論
に終始
してき
た か らであ
る(
秋葉
ほ か2006
:1
)
。 言い 換 えれば, 個 人 的な体験や 思考か ら切 り離 された こ とばで語
るこ とを伝統
と し て きた 人文
・社 会
科学系 の ア カ デ ミ ッ クな 風 土 が, 個 別 ・具体
的な現実
を教
育研究
の 中の語
りに とっ ての 素 材 ない しはb
ピ ッ ク として 位 置づ け,研 究
と い う営み が当
事 者に 生 きられ る現 実を疎 外 する よ うな事態
を脈
々 と受 け 継い で きた か らで ある(
秋葉
ほ か2005
:18)
。 教 育社
会 学 者の秋
葉は, 主 と して教
育 龍 谷大学論集 一65
一研究
を念
頭に以上の 指摘
を行
っ て い るが, こ れ らの 指摘
は社 会福 祉
研究
に も妥
(4)当
する と考
え られ る。 したがっ て,社会福
祉の新
た な教 育
/学 習
方法
を考
え る 場合
に は この 点へ の配
慮が 不 可欠 とな る。そこ で ,
筆
者 らは, 学生 が 「臨 床の 知」 を発 見 ・獲 得
で きる よ うに 授 業 運 営 の方
法 論的
足 場と して演劇 的手法
を採用
し た 。 こ こ にい う演
劇 的 手法
とは , 教 育や社 会福祉
の 現 場に おい て , 教 師や社 会福
祉専 門職
が 日常 的に 経験
する行
為
・出来
事, 特に現 場で 発 生 する コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 上 の 諸 閙 題に対 し, 学 生 ア ク チユ ア ル が個別 ・具 体 的にア ブ ロ 一一チ するた めの方法
である(
秋葉
ほ か2006
:1
)
。そ もそ も 「
臨床
の知
」 は , 中村雄
二 郎に よ っ て1983
年
か ら提
唱 されてき
た も (5) の で あ り(
中村1992
:80
)
, 「個々 の 場合
や 場所を 重視して 深層
の 現実
に か か わ り, 世 界や 他 者が わ れ わ れに 示す 隠
された 意味
を相
互行 為の うち に 読み取
り, 捉える働 きをする 」(中
村1992
:135
)
と説 明されて い る。 これ は普遍性, 論理 性, 客 観 性の3
原理か ら なる近 代 科 学が無 視 し, 排 除し て きた現 実の 側 面 を捉え なおすため の 重要
な原
理 で あ り, コ ス モ ロ ジ ー , シ ン ボ リズ ム , パ フ ォ ーマ ン ス の3
原理か らなる 。 言い 換 えれば , 固有 世 界 事物
の 多義 性, 身体
性 をそなえた行 為の3
つ を併
せ て構
成さ れ るの が臨床
の 知の モ デル であ
る。 そ の 場 合,経 験が大 きな役 割を果
たすが(
中村1992
:9
−O
)
, こ こ にい う経 験 とは 〈活 動す る身 体〉を そ な え た 主体
が行 う他 者 との 間の相
互行 為で あ る と定義
さ れる。 そ し て, 内面 化されない経験
では な く,真
の 経験
とな る ため に は, ある 出来 事に遭
遇 し, 〈能 動 的に〉, 〈身体
を そ な え た 主体
とし て〉
, 〈他 者か らの 働 きかけを 受 け とめ な が ら〉, 振舞
うこ とが 必要 となる(
中村
1992
:62
−63
)
。 こ の よ うな経験
観に 立つ とき,身
体を媒 介
とし た能
動 性 と受 動 性の さなかの 行為
が問題
と な る。中 村の 指
摘
をふ ま え る と, 教 室空間に おけ る上 空飛 行 的 議 論を脱 却 し て 「臨 床の 知」 を獲 得
・発 見
して い くし か け の1
つ と し て 演 劇の 可能
性が 考 え られ る。 中 村自身
は 「演 劇的
知」 の 考 察の なか で , 演 劇の 本 質を 「人 間 と世界
とを 凝 縮化
して重層
的に 捉え,描
き出すこ と」 や 「等身
大の 日常的
な人 間で はな く 可能
的な人間 を表
現 す る こ とに よ っ て , 人 聞の 隠 れた 本 質を 捉 える こ と」 に 求 め て い る(
中村
1992
:ll6
)
。 ま た, 平 田 オ リ ザ は,演 劇
があ
る表現構造
を通 し て 日常 生 活の な か で は見落
と して し ま う, あるい は 見て み ない ふ りを して し ま う人 間の微
細な精
神の振幅
を顕 在化
させ る とい う役 割を果
た すと指摘
する(
平 田1998
:43
−44
)
。 これ らの演 劇観
に 共 通 す るの は,演
劇 が 「人 間の隠
れ た 本質
」 や 「人
間の微
細な精神
の振 幅
」 な ど, 日常
生活
の なかで わ れ わ れ が見
え な 一 66 一 社会福祉 専 門教育に おける演劇的手法の 意義と可能性の探求(中根)い もの や見えに くい もの の把 握 や顕 在
化
にある と考
え られる。さ らに , ラ イマ ソ らは演 劇 と理 論,
社
会 科 学 との関
係を次の よ うに 説 明する(
ラ ィマ ン ほ か =清
水 訳1981
:2
−3
)
。す
な わ ち,“ 理
論
” (theory)
という語
は ギ リシ ア語
の “劇
場”(
theatre)
を起源
とし, その由来
は 理論化
の適
切 な方 法が当 初か ら演 劇 的な構 造を もっ てい た こ とを示 し て い る。 初 期ギ リシ ア の 理論 家た ち は テ オ リア(
theoria)
と呼ばれた が, こ の 語は信 託を受け つ か わ される
使
者,1
つ の都市国
家か ら他
の都市国
家に その 聖 なる祭
式 や競
技に 参 列 する た め 選ぽれた使 節 団, 競 技の 観覧
者, さ 瞬 こは他 国を訪 れて 異 国の 風 俗, 慣 習,掟
等を学ぶ旅 人を意 味して い た。 し た が っ て, 理論 化 する(
theorize
)
とい うこ とは, 世界
を見
る こ と/ 報 告 する こ とで あ り, さ らに 重 要なの は その 世 界の 目に見 えて い るが気づ か れ てい ない 特 徴を解 明す る こ とに あっ た と指 摘 する。 ギ リシ ア 人に とっ て の 人 間 的 事 象 とは行 為の 所産 とし て発 生 し, 遂 行 され, 思考
が 可能
な もの であ
っ た とい う意 味
に おい て ,人
聞 的 事象
に つ い て の 理 論は 行 為の 理論で あ っ た 。 反復
とテ キ ス ト化に よ る行為
の 具 象 化は ドラ マ に見
られ る が, その ギ リシ ア語
源のdran
が “ 行 う”(
to
act)
を意 味
する劇(
drama
)
とは 通 常の 行 為の 模倣
であっ た 。 さ らに, 劇は , そ れが具 象 化す る と ともに普 遍 化 する, 隠された真
理を観 客(
テ オ リア)
に発
見 する(
ア ル テ ィ ア)機
会を 提 供 する こ とか ら, 根 源 的な “ 社 会 科 学” で ある。 つ ま り, 劇は全て の 社会
科 学の根
源 的 問 題で ある人 間の 人 問に対 す る関 係を 上演
する もの で あ る との演
劇 観が 示 さ れ る。以上 を ふ ま え,
筆者
が発見
・獲得
をめ ざす
「臨床
の 知 」 は真
の経
験 を重視
す るが, 教 室 空 閲に おい て, 学 生が その よ うな経 験をする こ とは き わめ て 困難
で ある。 その 結 果, 教 科書
等の 文献
に依 拠 した 上 空飛行的議論
に終
始 しがちであ
っ た と考え られ る。 そこ で , 学 生に真の 経験を 可能 とす る た め に は, 中村が指 摘した能 動 性, 身 体 性, 受動 性の3
つ を伴
っ た 相互 行 為が 必要と な り, その ア プ ロ ーチの1
つ が演 劇 的 手 法で ある と考 えて い る。 そ もそ も演 劇は 日常 生 活の なか の見
え ない もの や見
えに くい もの の 把握
や顕在
化に優
れ て お り, ま た全て の 社 会 科 学が根 源 的 問題 とし て い る人 間の 人 間に対 する関 係を 上 演す る こ とか ら,社
会福 祉
学や教育
学へ の 応 用可能性
も開か れて い る で あろ う。とこ ろで , 従 前の 社 会
福 祉
研 究や教育 実
践に おい て, 演 劇 的 手 法の1
つ と考 え られ る ロ ール プ レ イ ン グの 知 見が ある。 筆 老が研 究フ ィ ール ドとし て きた社会福
祉援 助技
術演 習
は,厚
生労働 省
所定
シ ラ パ ス はも
とよ り各種教科書
におい 龍 谷大学 論 集 一 67 一て もロ ール プ レイ ン グの 活 用が前 提 とされて い る。 し た が っ て, あ えて演 劇 的 手 法 と言わ
ず
とも, ロ ール プ レイ ン グとい う表現
で 十分
なの では ない か との 反 論も 予想 され る。し か し,
後
に 明 らか にする よ うに, 社 会福
祉領 域に おけ る ロ ール プ レイ ン グ の 知 見は 頭 だ けで な く, 身 体を通 し て感
じ(体感
し)
,気
づ くこ とに主 眼 が置
かれ, 先述
し た 「臨
床の知
」 を発
見 ・獲得す
る た め の教 育 / 学 習 方 法 とい う明 (6) 確な認識は希
薄であっ た。 また, 日本心 理 劇 学会
や 日本演
劇学会
な ど隣接
領 域 の動
向を ふ ま え る と, ロ ール プ レ イ ン グは演 劇 的 手 法の1
つ に過 ぎず
, 他に も 例 えば, サ イ コ ドラマ や ソ シオ ドラマ , プ レイバ ッ ク ・シ ア タ ー等
の バ リエ ー シ ョ ン が ある こ とを考慮
し て お きた い 。 以上 の 理 由か ら, 本稿
で は演 劇 的 手 法 とい う表現
を用
い る こ とにす る。H
.研 究
フ ィ ー ル ドと し て の社
会
福
祉
援 助技
術
演
習
:そ
の教 育
の現 状
と課
題
筆
者は研 究 フ a 一ル ドとして 社会福 祉援助技術演 習
を選び ,演
劇的
手法
の 導 入 を試み た。 そ こ で , 社 会 福 祉専 門教 育に お ける当 該 科 目の 位 置づ けや 内容, さ らにそ の 教 育の 現 状 と課題 を 明らかに し て お く。(
1
)
カ リキ ュ ラ ム 上 の位 置
づけ社 会 福 祉 援 助 技 術 演 習は, 現 行 の
社
会福祉専
門教 育の なか で社 会福
祉士養 成 の 必修科
日の1
つ に 位置
づ け られて い る。厚
生 労働 省
所定
シ ラ バ ス に即 して , 目標や内 容,留意
点を整理 し た もの が表li
−1
で ある 。(
2
)
社 会福 祉援助技
術 演 習に おけ る教 授内
容の偏重社会
福 祉援
助技
術 演習
に お ける教 授 内容に つ い て ,谷川和
昭(
2005
)
に よる 包 括 的 な 研 究に 依拠
して 明 らか に する。 こ の 研究
は 日本社
会福祉
士養 成校協
会 の 加 盟 校へ の ア ン ケ ー ト調 査, ヒ ア リ ン グ調 査, テ キ ス ト分 析の3
つ を総
合 し て行
われた もの で ある。加 盟 校へ の ア ン ケ ー ト
調
査の結果
に よれば,技 法別
の教授到達 度
は, 自己 理 解 ・自己覚知(
74
.4
%)
, 他 者理解 (7
α1
%)
, コ ミ ュ ニ ケ ーシ ョ ン技法 (
68
.3
%)
など臨 床 性の強
い 項 目で 高 く, 逆に ソ ーシ ャ ル ・プ ラ ン ニ ン グ(
18
,2
%)
, ソ ー シ ャ ル ・ア ク シ ョ ン(
19
,5
%)
, 評 価の 技 法(
20
%)
等, 臨 床 性の弱い 項 目で 低か っ た(
谷
川2005
:154 )
。 つ ま り, その 教 授 内 容は 自己 や他 者の 理解を 一 68 一社会福祉専 門教育における演劇的 手法の意義 と可能性の探求(巾根)
表
il
−1
社会福祉援助技術演習の 目標 ・内容 ・ 留意点 目 標 内 容 留 意 点 社 会福祉の専門 援助 技術 を個別指導な らびに集団指 .[
導を通してその精度を高め E つ つ 習得させ る。 ・具体 的な事 例や援 助場面 を想定 し た実技指導 (ロ ー ル プ レ ーイ ソグ等 ) を中心 とする演 習形 態 を とる ・社会 福祉援 助技術に関す る講 義及び現場実習 と関連 さ せ る 学生個々人が自分 自身で 学 習し, 考え, 主体的に行 動する態度を涵養する。 演 習のなか で, 具 体的に 人権尊 重, 権利 擁護, 自立 支援につ い て理 解し, 実 際 に行動で きる よ うにする。 さらに,在 宅での 生 活支援 も視野に 入れ て 理 解 さ せ る。 具 体的な援 助事 例を体系 的に と りあ げるなど して, 社会福祉 援助技術 を その援 助 過程 を含め具体的に理 解 させ る ため担当教員に よる 個 別指導並 びに 集団指導の もとで, 学 生 自身が積 極的 に参加で きる様 に す す め る。 さらに , 基本 的なコ ミュ ニ ケーシ ョ ン等 含めた社 会 福祉援助技術が学生個々人 に身に付 くよ う, 具体的 な 援助場 面を想定 し た実技指 導 (ロ ール プ レ ー イ ン グ 等 )を実施 する。 実習前に おい て は , 具体 的な課 題別 の 事 例 を活 用 し, 相談 援助業 務に必要な 専門 援助技術, 面接 技術, 記録 実技, 評価 ・効果 測定 実技等に つ い て の 指導を行 い, 講義の 内容を 深めた り 実習の教 育効果があ がる よ うにする。 実 習後におい て は, 実習 総括をふ ま えて, 社会福祉 援助技術を よ り深め て身に つ け させ る ようにする。 注) 厚生 労働省通知 「社会福祉士養成施設等に おける捜業科目の 目標及び内容並びに介護 福祉 士養 成施 設等に おける授 業 科 目の 目標及び内容につ い て 」 (昭 和63
年2
月12
日社庶第
26
号, 各都道府県知事あて厚生 省社会局長 ,最終改定平成 14年4
月1
日社援発第0401015
号)に も とづき, 中根が作成し た。 は じめ コ ミ ュ ニ ケー シ ョ ン技 法
な どケ ース ワ ー クや グル ー プ ワ ー ク の基
礎 的 な もの に偏重 し, 個 人と社会
の両方
を介
入焦
点とする社 会福 祉
援助技術
の うち直接援助技術
の 基礎
が取 り上 げ られて い る に 過 ぎない こ と を意味
する。 た だ し, こ うし た現 状は近 年に限 られ るもの で はない こ とに 注 意が必 要であ る。 例 えぽ, か つ て演
習の 到達 課
題を検 討
し た 栗田修 司
(
1992
)
は ,既
に教 育
内
容の 偏 重を指摘
して い た。 具体
的に は, ケ ース ワ ークへ の 偏重 , 面 接技
法の うち精 神療法
や カ ウ ン セ リン グ との共
通 ・共有技 法
へ の 偏重
が,精 神療法
や カ ウ ン セ リン グとソ ー シ ャ ル ワ ー ク の相違
を 不 明瞭に す る リス ク を指摘
し, こ の 偏重 を是正す
る 「社会
的な視 点」 の 必要 性 と意 義を 明 らか に し て い た 。 そ れ以 龍谷大学論集 一69
一降
10
年
余 りが経 過 し た 現在
も依 然 とし てその状 況が変
わ っ てい ない の で ある。と はい え,
2001
年
4
月 以降
の演 習 時 間の倍増
(
60
時 聞→120
時 間)
に伴
い , 演 習の内容
や展
開を巡 る研 究や 出版
が次第
に増
加 し て きた 。 ある意
味で は , よ り良
い教 育/学 習
プ ロ グラ ム の研究
・開発
が模索
されてい る 兆候
とも
言 えるだ (9) ろう
。(
3
) 間接援 助技
術は な ぜ教授 内
容 とし て取 り上 げ られ に くい の か ?先に
述
べ た教 授内
容の 偏 重の結
果,「
臨床
性の 弱い 項 目」 で の教 授 到 達 度が 低い こ とが 明らか に な っ た。 言い換
え れば, 間接 援助技術
の教授
到達度
が 低 い, つ ま り, 教 授 内容 とし て 取 り上げ られ に くい とい うこ とになる。 そ れは な ぜか。まず,
第 1
に, 間 接 援 助 技 術が働 きかけ る対 象の 属 性の 問 題が考
え られ る。 具体
的に は , コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク は地域 社 会を , ソ ー シ ャ ル ・ア ドミ ニ ス トレ ー シ ョ ン は組織
を対象
として い る。 さ らに , ソ ー シ ャ ル ・リサ ーチ や ソ ー シ ャ ル ・プラ ソ ニ ン グ, ソ ー シ ャ ル ・ア ク シ ョ ン に至っ て は 介 入 対 象が よ り一層 複雑化
する。 つ ま り,学生
に とっ て はいず
れ も漠 然
とした イ メ ージ に止ま り(
佐
藤
1996
:187
−188
;加 納1998
:137
−140
;高森
ほ か2003
:42
−43
) , 学 習の しに く さがあ
る と同時
に,教 員
に とっ て も学
生の 具体
的な理解
に つ なげる こ とが困難
となっ て い る。 し た が っ て , 学生 の 具体
的な 理解
とい うレ ベ ル で考 えれ ぽ, 抽象
性が常に付 随 する間 接 援 助 技 術 よ り も, 少しで も具 体 性を伴
う直
接 援助
技 術 が取 り上げ られ やす くなる と考え られる。第
2
に, 間接 援助技
術の 教 育 /学 習
プ ロ グ ラ ム は 直接 援助技
術の そ れに比べ る と, 量 的に乏
しい現 状
もある。 その背
景に は 先 述 し た 介 入対象
の属性
の問
題 に 加え, 社 会福
祉 援 助 技 術 現場実
習と関
連づ ける こ とも要 請さ れて い る本演 習 が, 学 生の 実 習 経 験を反 映 させ た 結 果, 間 接 援 助 技 術は取 り上 げ られ に く くな っ てい る の で は ない か と考え られる。 そ れ は, 現 行 教 育に お ける所定
の 実 習 時 間数
が不 足 し て 間 接 援助
技 術の 経 験に まで 至 らな い 結 果で あ り, ま た学 生の 問 題 意 識や関
心 な ど レ デ ィ ネ ス が伴
わ なか っ た結 果,自ず
と制約を受けて い る と考
え られ る。(4 )
コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の教
育 /学 習 プ ロ グ ラ ム の意 義と課 題そ れで は 以下, コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク に 限 定 し て 論 述を進め る 。 まず, 課 題 と なるの は学 生の
抱
く地域社
会の イ メ ージを どの よ うに具体
的 な もの にす
る の か 一70
一社会福祉専 門教育に おける演劇的 手法の意義と可能性の探求(中根)
で ある。
自戒
をこ め て言 えば, 地 域社会
につ い て, 教員
はそ れを当 然視 し,暗黙
の 前 提に立 っ て教 育 しよ うとする。 しか し, その際
,学
生 に とっ て地域社 会
と は ど の ような もの なの か ,彼 /彼
女 が そ こで どの よ うな経験
を重ねて きた の か , 日 頃の 地域社会
との結びつ きは ど うな っ て い る か等
を問い か け な が ら, 具体
的な イ メ ー ジ を喚起
し て い く必要がある。 例 えば, 唱歌 「ふ る さ と」 の 歌 詞ひ とつ とっ て みて も,「うさぎ追い し かの 山, 小 鮒
釣
りし かの 川」 とあるが, こ こ で 歌われる よ うな地 域 社 会の 姿は , 地 域 格 差は ある に し て も, 基 本 的に1955
年か ら1973年
まで とされ る高度経済
成 長 期 以 前の こ とで ある。 か つ ての 地域社
会は そ の 自然 環境
は も とよ り 地域 共 同体 とし て の様
々 な 特 性を 帯び て い た 。 例え ぽ,自給 自足
や職
住 一致
の 生活
ス タ イ ル だけ
で なく
,対面的
な接
触に基づ く緊密
な人 間関
係,換
言 すれ ば,閉
鎖 的な人間関 係に よっ て , 地域へ の帰 属
意識や社会的
紐帯
を高
め ,維持す
る こ と を可能
に して い た。し か し, 現 在わ れわれが教
育
の場で 出会
う学生た ちは お お む ね1980年 代
半 ば 生 まれ であ
る こ と を念
頭に お けば,前述
した よ うな 地域社会
を彼
らが体
験 的に 知る はず
もな く, 地 域 社 会の 具 体 的な イメ ージ形 成はそ れ ほ ど容 易な こ とで は ない 。 例 えば,宮
台真
司(
2000
:135
−147
)
に よ る 「二段 階のr
郊
外 化 』」 の 考 え方
は その 困 難 性を 明 らか に する。 宮 台に よれ ば,第
一段階
の 郊外
化とは1955
年
か ら1970
年
代 末に か けて の 団地化で あ る が, これ は地域共 同体の 崩
壊
と家
族へ の内閉化
を もた らし た 。次
に .第
二 段階
の 郊外
化 とは1983 年
か ら執筆
当 時の1996
年
現 在まで継 続 してい る コ ン ビ ニ 化で あるが , これは家
族 共 同体
の崩
壊 と第四空間 化を もた らし た 。 こ こに い う第四 空間 とは家 族で も地域で も 学
校
で もない 空 間を意 味
する。結
論 的に は,1980 年代後
半の コ ン ビニ は , 家 ・ 学校
・地域に居場所を喪 失 した子ども らに最後
の 居 場 所を提 供 す る一方, そ こ で売 買
さ れ る新種
の雑誌
や誌 面
広告
の テ レ ク ラや ダ イヤルQ2
を通して ,彼
ら を家
・学 校 ・地域か ら 「第四空 間 =都 市 的 現 実」 へ と解
放 する とい う両 義 的な 機能
を果た して い た と分 析 されて い る。 以上 の 見解をふ ま える と, 現 代の 学生
た ちに とっ て地域社会
と は決 し て 自 明で は あ りえず, む し ろ第四空 間 とし て の コ ン ビニ の もつ 意 味や そ こで の諸体
験へ の 配慮
が 欠かせ ない 。翻っ て 社 会
福
祉 専 門教育
に 立 ち戻
れぽ, 現 代 社 会 福 祉の 理念
は ノ ーマ ラ イゼ ーシ ョ ンや ソ ーシ ャ ル ・イ ン ク ル ージ ョ ン , 地 域福祉
の推進
であ
る と説
明され る た め , 学 生に とっ て み れば, 地 域 社 会は度々耳にする重 要な キ ー ワ ー ド の1
つ で もある。 し た が っ て, 各 種 演 習 教 科 書で も, 「地 域を 理解 す る方 法 一歩 龍 谷大 学論集 一 71 一き, 語 りかけ, 観 察す る ことか ら始め よ う 一 」
(
澤ほ か編 著
2003
:208
−213
)
や 「地域社会
を理解す
る」(
中部 学 院 大 学社 会
福
祉援 助技術研究会編 著
2004
:97
−99
)
, 「『地域』 を感
じ る写真
を撮る」(
筒
井2004
:17
−24
)
等 , 学 生が改め て 地 域社会
を考
え る ため の プ ロ グ ラ ム が開発
さ れ ,提 案
されて い る。確
か に , これ らを活 用 す れ ば, 学 生に とっ て 地 域 社会
がある程度身近
なも
の に な る と思われる。 実 際に , 筆 者 も地 域 福 祉論の 開 講 初期
に筒 井の り子に よる 写真
を用
い た プ P グラム を試 行 し て みた が, 受 講 生 聞で 地域
の多様性
を確認
し合
え る機会
とな り, 一定
の興 味
・関
心 を喚起す
る こ とがで きた。 その 意味
で , これ らの プ ロ グラ ム は い ずれ も学 生に地域 社会
へ の 興Wt
・関
心 をある程度喚
起 す る とい う教育効果
を有
して い る。他
方, これ らの プ P グ ラ ム の 活用
に よっ て は漏 れ落
ちてゆ く地域社会
の現実
が ある こ とに も注意
が 必要で ある。 例 えぽ, 平 野隆
之(
2001
:19
−20
)
が指 摘 し た よ うに , 地 域 社会
は,福 祉
課題
に 共 感 し, その解
決に協
力して くれ る側面
もあるが ,時に は福 祉 課 題を抱
え る人び と を差別 し,排除
する側
面 もある。 言 っ て み れ ば, 地域社会
の負
の側面
が先 述
し た プ ロ グラム で は す っ ぽ り と漏れ落
ち て しま うの で ある。 周 知の よ うに ,2000
年
12
月に はr
「社 会
的な援護
を要
す る人々 に対 する 社 会福
祉の あ り方に 関 する 検討会
」報告 書
』 が示 されて い る が, 社 会的
排 除 の問題
は未だに教 育 / 学習
プ ロ グラム に は反映
されてい ない 。(
5
)
人権尊
重や権利 擁
護 の視
点に立つ教 育/
学 習プ ロ グラ ム構
成上 の 留 意 点厚
生労働省
所定
の シ ラ バ ス に よれぽ,「
演 習
の なかで , 具体的
に 人権 尊
重,権
利擁護
, 自立支 援
につ い て 理解 し, 実 際に 行 動で きる よ うにする。 さ らに ,在
宅で の 生 活支援
も視
野に入 れて 理 解 させ る」 とい う 目標が掲 げ られて い る。 こ れを想 起 す れ ぽ, 地域 社 会へ の 興 味 ・関心 を喚
起 す る に止 ま らず , 人 権 尊 重 や権利
擁護
の視
点か ら地域社
会 の現 実へ の ア プ ロ ーチが必 要 となっ て くる 。各 種 演 習 教 科 書に お い て も, 人 権 尊 重や権 利 擁
護
に関 す る プ ロ グラ ム が別途 用 意 されてい る。 例 え ば, 「偏 見 ・差 別に つ い て 学ぶ 一絵 本 『ち び くろサ ン ボ』 よ り一」(
澤ほ か 編著
2003
:67
−72 )
や 「人権
の 理解
一子 どもの 権 利 条 約を素材
に して 一」(
澤ほ か 編 著2003
:73
−78
)
, 「社 会福
祉士 の倫
理 綱領
を学
ぶ」(
澤ほ か 編著
2003
:79
−84
)
, 「ソ ーシ ャ ル ワ ー ク の視 点 ・目標 ・価 値 ・倫
理に 関 する演 習」(
北 島ほ か編2002
:17
−36
)
, さ らに は 異色の演 習テ キ ス ト 『価値
と倫
理を 根底
に 置い た ソ ー シ ャ ル ワ ー ク演 習 』(
川村
2002
)
もある。 た だ し, 一 72 一 社会福祉専門教育に おける演劇的手法の意義と可能性の探求(中根)い