弘
丶深
抄
序
説
廣
瀬
觀
友
一 、發
見
事惰
實
導 上 人 の 講 逑 を纒
め た も の や 上 人 自 か ら 記 述 さ れ も の に 關 し て は 、 『信
仰 の 友 』第
三 百 十 三 號 に 、 森 敷 授 が 集 銖 さ れ て あ る だ け で も 、 二 十 三 部 八 十 八 卷 の 多 數 が あ る ○ 而 し て今
こ 丶 に 紹 介 せ ん 巴 す る 口 、 弘 深 抄 一 は 、今
ま で 曾 て 敖界
に 知 ら れ て ゐ な い 、 先 人 未 發 見 の 珍書
で あ る 。 而 も 余 輩 の寡
聞 な る 、 此 種 の 講 述 が 貽 さ れ て あ る な ご は 、 先 輩 か ら 聞 傳 へ た 事 も な く 、 ま た 諸 記 録 に も見
出 す 事 の 出 來 な か つ た の は末
學
の 一 人 し し て 深 く 慚 愧 す る所
で あ る G然
る に 佛 祀 の 冥 見 こ 言 は う か 、 昨 秋東
京 に て 開 催 さ れ た 、 日 本 佛 敖學
協 會 の 研 究 發 表會
に 出 席 し た 折 、 測 ら す も 東 洋 文 化 學 院 の 研究
員
、 塚 本 善 隆 師 に 懈 遑 し 、 坂本
西 敷 寺 に 卩 、 觀 町義
草 案 』 の外
に 『 弘 深 抄 』 其 他 の 書 籍 を 多數
藏 し 居 る こ 巴 の 紹 介 を 受 け た 。 『觀
門
義
」 の 草 案 に 關 し て は 、 「 西 山 全 書 』 の 第 四 卷 に 收 め ら れ て あ る 以 外 に 、何
處 か に 埋沒
さ れ て あ る な ら ん だ は 、 誰 し も 相 像 す る 所 で あ る が 、 そ れ が 現今
’ 、 西 山 全葺
一 に 收 め ら れ て あ る 以 外 の 物 ご す れ ば 西 山 敷義
研 究 の 上 に 、 大 な る 輻 音 を齎
す ば か り で な く 、 殊 に 塞 覺 上 入 の 跛 文 に 見 ぬ て あ る 、 『 觀門
義
』 講述
の 年 代 ざ塲
所 が 明 瞭 す れ ば 、 租 師 の 行 迹 を 尋 組 る 上 に 、 絶 好 の 史 料 ご 考 へ た 。 殊 に 鰐 、 弘 深 抄 』 の 如 き 一 五NII-Electronic Library Service 、 一 六 先 人 未 發 の 租
書
が 、 秘 藏 さ れ て あ る 以 上 は 、 是非
こ も 拜 覽 の榮
に 浴 し た ぐ 、 歸京
草 々 山 口 先 生 を 介 し て 西 敖 寺 本 山 に 閲 覽 を 申 込 ん だ 。 是 ざ 同 時 に 西 激 寺 本 山眞
盛 派 の 碩 學 岩 田 敖圓
師 か ら も 、 森 敷 授 に 紹 介 状 を 託 さ れ て 來 た の で 、幸
ひ に 西 敷 寺 本 山 に 於 て も 、 令 法 久 住 の 深 き 思 召 ご 、 特 に 西 山 の學
徒 な る 故 を 以 て 、 惜 氣 も な く 十 箱 に 充 さ れ て あ る 、 淨 土 抄 の 書 籍 を 拜讀
す
る こ ご を 許 さ れ だ o こ れ 偏 へ ゜ に 山 口 先 生 の 奔 走 ご 、 西 敷寺
本 山 の 好 意 の 賜 物 で あ つ て 、 吾 人 は 深 く 此 等 の 譜 大 徳 に 戚 謝 す る ε 共 に 、 之 を 最 初 に 紹 介 さ れ た 塚 本 善隆
師 に 、 滿 腔 の 敬 意 を 表 す る も の で あ る o 初 め に西
敖 寺 へ 赴 い た の は 、 確 か 十 月 の中
頃 で あ つ π ご 記憶
す る ○當
日 は 山 口 先 生 を 先 達 こ し て 、 森石
垣 の 兩 敷授
も 同 行 さ れ た 。 他 に か ね て 逋 知 し て あ つ た 塚 本 善 隆 師 も 、 若 き 二 人 の學
徒 を 具 し て 登 山 さ れ π が 、 い つ れ も 意 外 な 收 獲 が あ つ た事
ご 思 ふ Q 殊 に 我 等 西 山學
徒 の 欣 喜 措 く 開 は ざ る も の は 、 「 信 仰 の 友 」第
三百
二 十 三 號 に 掲載
さ れ て あ る數
部 の 租 書 で あ つ た o中
に 於 て 我等
の 最 も驚
歎
し 、 戚 激 に 堪 わ ざ る も の は 、 鋼 、 弘 深 抄 」 十 卷 、 『 觀 門義
草 案 』 入 卷 、 假名
菁 口 , 觀 門義
一七
卷 の 三 部 で あ る o 其 日 は 何 分 十箱
に 充 さ れ て あ る , 淨 上 抄 を 一 應 勢 類 す る だ け で も 、 容易
な業
で な か つ た の で . 更 に後
日 を 期 し て 詳 細 覽 讀 の 機會
を得
ん も の こ . 深 く 西 敷 寺 本 山 當 局 に 、 謝 意 を 表 し て 引 立 げ た 。 翌 日 登 校 の 折 , 綾 長 や 學 監 に も 其 旨 を 報告
し て .租
敖 宣 揚 の 爲 め に , 十 分 の援
助 を 輿 わ ら れ む こ ご を 懇 望 し 、 ま た } 方 山 ロ先
生 を介
し て 、 藏 書 の貸
出 し を 西 欷 寺 へ 交 渉 し た が 、 何 分貴
重 な圖
書 で あ る 爲 め 、 門 外 へ 出 す事
は 不 可能
で あ る が 、 來 訪す
れ ば 便 宜 を計
る こ の事
で あ つ た 。 仍 て 十 一 月 中句
. 再 び 森 敷 授 ご 西 敢寺
を 訪問
し 、十
河 激 擧 部 長 に も初
對面
の 挨 拶 を し て 、 秘 書 の 閲 覽 を 乞 ふ た 。暫
く す る ご十
河 敷擧
部長
が 、 不 思議
な事
に は 只今
N工 工一Eleoironlo Llbrary岩 田 数
圓
師 が 、 東 京 か ら 登 出 さ れ π こ の 知 ら サ に 、 我 等 兩 人 は 、 意 外 な 處 で 意 外 な 人 に 逢 ふ 事 を 得 た の を 喜 び な が ら . 西 山 敖 學 に貴
重 な 文 獻 で あ る 所 以 を 物 語 つ た 所 、然
ら ば 引 受 け て青
竄眞
に 撮 る や う 、 便 宜 を計
ら う ざ 快 諾 し て 下 さ つ た 。 夫 故 今 回 測 ら す も 、 副 、 弘 深 抄 』 十 卷 、 「 觀門
義
草案
」 八 怨 、 『 眞 慰 初 學問
答 抄 』 二 憲 の 三 部 二 十 卷 を 撮 映 す る こ ご を得
だ の で あ る 。 こ れ 偏 へ に 岩 田 先 生 の奔
走努
力
に 依 る も の で 吾 人 は 此 日 + 河 敷學
部 長 や 、 眞 盛 派 の 篤 學 者 た る 岩 田 先 生 が 、 偶然
落 合 ふ τ 、門
外
不 出 の 秘 書 を 撮 映 す る の 好 意 を 寄 せ ら れ た に 就 て は 、 令 法 久 住 の 止 み 難 き 熱 意 に 依 る ご は 云 へ 、 佛 祗 の 亘、見
こ 擁護
の 骨 な ら ざ る を 肝 銘 し て , 双 頬 に 涙 の 慱 ふ の を 禁 じ 得 な か つ た Q 二 、舜
興 藏 に 就 て今
回青
寫 眞 に 撮 映 し た 前 記 三 部 の 祺 書 は 、 夫 々 分 澹 し て 研 究 す る こ ご に な つ て 居 る が 、 自 分 は今
『 弘 深 抄 』 に 就 て 、 そ の 一 端 を 紹 介 し や う ざ 思 ふ o 抑 も 本 抄 の 内 容 は 、 全 く 善 導 の 四 帖 疏 を 講 述 し た も の で 、 『 立義
分抄
= 一 卷 、 罰序
分義
抄 』 二 卷 、 『 定 善義
抄 」 三 卷 . 崢 、散
善
義
抄 」 三 霧 の 全 十 霧 よ り 成 り 、 一 行 二 十 五 六 字詰
十 行 の も の 、堂
々 九 百七
十 五 紙 に纏
め ら れ て あ る G 夫 れ が 悉 く 堅 牢 な る所
謂 美 濃 紙 に 書 か れ て 、 表 紙 に は 全 部 柿 澁 が 塗 ら れ て あ る o ま た 以 て 本抄
が い か に秘
藏 さ れ て あ つ た か を察
す る こ ご が 出 來 や う 。 而 し て 本 抄 は そ の奥
書 に 依 る ご 、 慶 安 二 年 ( 二 三 〇 九 ) よ り 承 應 三 年 ( 二 ご = 四 ) に 至 る 、 前 後六
ヶ 年 の 日 子 を 費 し て書
寫 さ れ た も の で 、 該 奥 書 に は 、 書 寫 の 年 月 日 の 外 に . 「 嵯 峨 二 奪 院 本 ヲ 恩 借 シ 書 寫 仕事
」 ご か 、 叉 は 「嵯
峨 二尊
院 本 ヲ 恩 借 シ 寫 畢 」 ざ 記 し 、 其 下 に 「 江 州 粟 太 郡芦
浦觀
音 寺 法 印 舜 興 藏 し 又 は 「 江 州 栗 太 郡 芦 浦觀
音
寺 舜 興藏
」 ε署
名
一 七NII-Electronic Library Service ゜ 一 八 さ れ て あ る か ら , 主 ビ し て 舜 興 法 印 が 、 二
尊
院
の藏
書 を 拜 借 − て . 書 寫 さ れ だ も の な る こ ご が 知 ら る 丶 の で あ る o舜
興 法 印 の 事 蹟 に 就 て は 、 今 日 徴 す べ き 紐料
が 見 附 か ら な い に 依 て 、 そ の 詳細
を 知 る事
は 不 可能
で あ る が 、 十 河 敖 學 部長
の 説 に 依 る ご .舜
興 法 印 の 師 仙 ? 舜 阿 闍 梨 は 、 叡 山 の 藏書
が兵
火 の 爲 め に 失 な は れ た る を 慨 い て . 弟 子 の舜
興 法 印 に 之 が 充實
を 託 さ れ た の で 、 法 印 は そ の 孚 生 を圖
書
の蒐
集 に 捧 げ ら れ た 結 果 、 ム 。 日 西 敏 寺 に 慱 つ て 居 る舜
興 藏 … な る も の が 、 乃 ち 是 で あ る ご 云 ふ, の で あ る o 舜 興 注 印 の 藏 書[ は い か 程 あ る か 、 西 敏 寺 で は 全 部 の 整 理 が 出來
て ゐ な い 爲 め に 、 そ の實
數 を 知 る 事 を 出來
澱 が 、 淨 土 敖 に 關 す る 圖 書 だ け で も 、 入 十 八 部 二 百 十 七 卷 の 多數
が 藏 さ れ て あ る 。 も し 夫 れ 顯 密圓
戒
の 藏 書 に 亘 つ だ な ら 恐 ら く 數 百卷
の 多 き に達
す る事
で あ ら う )此
等 の 大 部 分 が , 多 く の 時 日 ε勞
力 を費
し て 、 而 も 珍 貴 な も の 〜 み を 、書
冩蒐
集 さ れ た事
は 、 實 に 塞 前 の 逸事
こ し て .廣
く學
界 に 紹 介 す べ き事
柄 ε 思 ふ 。 勿 論 之 等 の藏
書
が .全
部 舜 興 法 印 の 書 寫 さ れ に も の で な い事
は 、 明 か で 、中
に は 筆 耕 に託
廴 て 書 寫 さ れ た も の 丶 あ る は . そ の筆
蹟
を 見 て も 明 か に 判 斷 す る事
が で き る ○併
し 一 …. 弘 深 抄 』 の 如 き , 雄渾
達 筆 な る 書 風 を 以 て , 全 十 卷 を 書 冩 さ れ て あ る は 、 全 く驚
歎 に 價 ひ す る も の で . 該 抄 の 『 玄義
分 抄 」末
卷 の奥
書 に は承
應 癸 巳 年・十
日 μ 二十
入, 日 … 以 二 曾 寸 院 本 之 童 口 … 畢・ 注 立 院 盖 旦 肺 亠 ハ 十 亠 ハ 止 威 ご 云 ぶ 署名
が あ る か ら . 或 は 舜 興 注 印 の外
に 、 善 茄 な る 人 が 筆 耕 し だ や う に も 考 へ ら れ る が 、 .前
後
の 書體
を 比 較 す る ご 、 何處
に も 異 つ た 點 が な い の で 、善
砧 な る 人 が 全 十 卷 を 書 寫 し た も の か 、 夫 れ ご も 舜 興 其 人 を 、 一名
善
鮪 ε も 稱 し た か の 疑問
を存
で る も 、 本 抄 の 筆跡
ご 、 「 江 州 栗 太 郡芦
浦 觀 音寺
舜
興 藏 」 の 署N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
、
名
ご を 比較
す る ご 、 別 人 の や う に も 見 受 け ら れ る の で 、 善肪
な る 人 が 全十
卷 を 筆 耕 し 、舜
興 法 印 が 卷 々 に 自 分 の 署名
を し た の で は 無 か ら う か ご も 想 像 さ れ る o 何 れ に し て も 舜 輿 法 印 の眞
筆 霍 繕 す る も の が 見當
ら ぬ の で 、 早計
に 之 を斷
す る こ ε は 不 可 能 で あ る 。 果 し て余
輩
の 推 定 す る 如 く ,善
鮪 な る 人 が 舜 興 法 印 の 囃 託 を デ け て . 之 を 筆 耕 し た こ す れ ば , 何 處 に 於 て 書 寫 さ れ た も の で あ ら う か 、 是 の 參 考 ε な る べ き も の は 、 全 † 卷中
た い 『 定 善義
抄 」 末 卷 の 奥 書 に 干 時承
應 二 年紳
無
月 九 日 於 河原
森 草 庵 法 光 院書
之 江 州 渠太
郡芦
浦觀 音 寺 舜
興
藏 ビ 明 記 さ れ あ る か ら 、 當 時 善 鮪 な る 人 が 、 河原
森 の 法 光 院 に 於 て 、 書 寫 さ れ た も の な る事
が 推 定 さ れ る の で あ る o處
で 舜 興 法 印 が 二尊
院
で 恩 借 し た 、 『 弘 深 抄 』 を始
め 、 『 鸛門
義
草 案 』 及 び 調 、 假名
書 觀門
義
』 の 斷 片 に て も 、 二奪
院 に 現 存 さ れ て な き も の 炉 ご 、 昨多
も 態 々 兩 三名
の 者 ビ ニ 曾 院 を 訪問
し た が 、 悲 し い こ ご に は 二 奪 院 に は此
種 の も の は 悉 く 散 逸 し て 、今
は 漸 く 禁 裡 及 び 當 時 の官
署 よ り 、 交附
さ れ た 公 文 書類
を 藏す
る の み で 、 祀 書 に 關 す る も の は 全 く 殘 っ て 居 ら 盻 。舜
興 法 印 が 二 奪 院 よ6
恩 借 し た 當 時 か ら 、 十 五 亠 ハ 年後
の寛
文 十 一 年 ( 二 三 三 一 ) に 岡 觀 門 義 」 を 開 板 し だ 室 覺 上 人 が 、 二 尊 院 の書
庫
を搜
索
し た 時 に は 、 既 に そ の 一 部 が 、 襖 の 下 張 り に さ れ て居
π ε傳
へ ら れ て 居 る か ら 、 歴 代 の 佳 持 が 圖 書 の 保管
に關
し て は 、 全 く念
頭 に 無 か つ た も の こ 思 は れ る が 、 返す
み 丶 も遺
憾 の 極 み で あ る 。 ° 三 、本
抄
の講
逋 「 弘 深 抄 』 は 本 山義
の 開租
. 康 室 示 導 上 人 ( 一 九 四 ⊥ バー
二 〇 〇 亠 ハ ) の資
、仁
室實
導 上 人 ( 一 九 六 九i
一 九 φNII-Electronic Library Service 曹 二
C
四 八 ) が筆
銖 講義
せ ら れ た も の で 、 の 如 く で あ る o 立義
分 弘 深 抄 定善
義 弘 深 抄 散 善 義 弘 深 抄 散善
義 弘 深 抄 散善
義 弘 深 抄 右 は A @ @ @ @@
中 本 { 本 ) @ j ) ) ) 本 抄 の 頭 に 記 さ れ て る 、
二 〇 年 代 講 述 の 塲
所
を 墨 ぐ れば
、 永 元 六 七 於 江 州 寶 壽 寺 被談
之永
徳 元 十 十 日 於 江 州 寳 壽 寺 光 舒 院 被 談 之 至 徳元
年
六 十 七 日 於 西 山 往 生 院 本坊
被
談之
至 元 年 十 「 月 一 日 江 州 寶 壽 寺 光 舒 院 徳 年 十 二 月 五日
江 州 寶 壽 寺 光 舒院
次「
玄
義 分 弘深
抄 』 に本
末 二 卷 、司
定 善 義 弘 深 抄 』 に 本 中 末 三 卷 、 “ 散 霽 義 弘 深 抄 』 に 之 亦 本 中 末 三 卷 の 計 十 卷 あ る中
前 記 卷 頭 に 記 さ れ て あ る も の で 、 『 序 分 義 弘 深 抄 』 に は 、 他 の 抄 の や う に 卷 頭 に は 、 講 逋 の 年 代 ご 塲 所 が 記 さ れ て な いけ
れ
ざ も 、 本 卷 の 禁 父 縁 下 に は 「 康 暦 二 四 於 寳 壽 寺 如 來 前 被 談 之 」ご
記 され
て あ るo
、 こ れ に 依 て 之 を 見 る に 、 本 抄 は 實 導 上 人 が 、 永 和 年 ( 二 〇三
五 ) よ り 至 徳 元 年 ( 二 〇 四四
) に 至 る 十 個 年 の 久 し きに
亘 つ て 、 江 州 原 田 の 寶 壽 寺 、及
西 山往
生 院 帥 ち 三 鈷 寺 に 於 て 講談
さ れ 把 もの
で 、西
山 往 荏 院 は 實 導 上 人 が 法兄
の示
淨 上人
入 寂 後 、續
さ れだ
寺 であ
り 、 ま だ 江 州 の 寶 壽 寺 は 、 實 導 上 人 が 後 日 の 爲め
に 書 殘さ
れ た 齟 、 仁 室 置交
」 に 依 ご 、 觀 應 二 年(
二 〇 = )の
秋 七 月 に 、 江 州 千 松 原 の 北 洞 に建
て
ら れ た圓
音寺
を 、交
和 四 年(
二 〇 一 ) の 春 三 月 に 、 同國
敏 滿 寺 の南
山 脚 に 移 轉 し て 、 寶 壽 寺 ご 改 稱し
た
も の で 、 此 處 に は 二 十 餘 年 間 、 居 の 地 と し て 自 行 化 他 の 薫 物 に 盡 し た ご 書 か れ て あ る か ら 、實 導 上 人 が 四 十
七
歳 以 後 住 持 さ れ て 居 た 寺 な る事
が 知 ら れ る の で あ る 。處
で 實 導 上 人 が 、原
田 に寶
壽寺
を 移 轉 す る に 先 立 て . 其 年 の 二月
二 十 八 日 に 、 西 山 往 生 院 の 住 持 な る 法 兄 の 示 淨 上 人 が 、 播 州 慶 妙 寺 に 於 て 歸 寂 さ れ た の 弔 丶 恩 師 示 導 上 人 の 遺 屬 も あ り 、 且 つ ま た 先 住 示 淨 上 人 が 、 臨 終 の 際 に 認 め ら れ た 、 往 生 院 附 屬 の 劵書
も邊
つ 、 て 來 た の で 、 こ 、 に 實 導 上 人 は 師 跡 の 往 生 院 を 相 續 す る事
に な つ た o 夫 か ら後
は專
ら 往 生 院を
本 據 ご し て 、原
田 の寶
壽
寺 を 繋 務 さ れ て ゐ た も の で 、京
都 に 於 け る 實 導 上 人 の 行 跡 は 言 は す も か な 、 江 州 に 於 て も 錦仁
室 置 文 』 に よ る ご 、 多 賀 の 西 生 寺 、 箕 浦 の 西 園 寺 、 岩脇
の 護 念 寺 、 李 方 の本
光 寺 、國
友 の長
修 寺 が 、實
導 上 人 の 徳 を 慕 ふ て 建 立 さ れ 、 そ れ が 西 山 往 生院
の 末 寺 ピ し て 、 傳持
さ れ た ざ 記 さ れ て あ る か ら 、 い か に 上人
の 敷 化 が 、 都 鄙 の 群 類 に 及 ん だ か を察
す る こ ご が 出 來 る 。 而 し て 本 抄 は 、 そ の 卷 頭 に 記 さ れ て あ る 如 く 、 齡 、 散 善善
弘 深 抄 」 の 本 卷 が 、 西 山 往 生 院 に 於 て 講 談 さ れ た る 外 、 他 の 九 卷 は 江 州寶
毒 寺 に 於 て 講 談 さ れ た も の で 、實
導 上 人 の 六 十 六 歳 以 後 、七
十 五 歳 に 至 る 十 個 年 の 力 作 な る事
が 知 ら れ る の で あ る Q 四 、本
抄
の體
裁
『 弘 深 抄 』 一 部 十 卷 は 、 善 導 大 師 の 『 四 帖 疏 』 を 講 談 さ れ た も の で 、 そ の體
裁 は 恩 師 示 導 上 人 が 、康
永 年 間 ( 二 〇 〇 二i
⊥ 一QC
⊥ ハ ) , に 大 慈 恩 寺 で 講 談 さ れ た 一康
永 抄 』 ご 相似
た る 所 が あ る o 但 し 凵 . 弘 深 抄あ
『康
永 抄 』 に 異 な る 點 は 、 『康
永 抄 』 は 抄 士 亠 示 導 上 人 が 、門
弟 の 隆 筌 示 淨 、 仁 塞實
導 の 兩 上 人 に 樹 し 講 談 さ れ夫
れ を 、 筆 録整
理 し だ も の で あ る か ら 、 從 つ て 師 弟 の 間 に 戰 は さ れ た 、 法 門 上 の 質疑
や 、 决 擇 の 有樣
啄 ご も 記 さ れ て あ る o 乃 ち 抄 の中
に 「 仰 云 」 ご あ る は 、 抄 圭 示 導 上 人 の 説 で あ り 、 ま π 「 隆 云 」 「 仁 云 」 二 一NII-Electronic Library Service 二 二 亀 あ る は 、
隆
塞 示 淨 上 人 や 、 仁 塞實
導 上 人 の 説 を 指 し た も の で あ る 。 然 る に 『 弘 深 抄 』 は 、最
初 よb
實
導 上 人 自 か ら が 、 講 説 ε し て 筆 録 し た も の で あ る か ら 、 門 弟 に 示 授 す る 意 味 で 、 所 々 に 「 示 云 」 ビ 置 か れ て あ る ○ そ し て 文 章 の 簡 賂 を 期 す る 爲 め に 、當
時 盛 ん に 行 な は れ だ 、 和 漢 の 混 合 文 を 以 て 記 草 さ れ て あ る o然
れ こ も 何 分 天 台 淨 土 の 蘊 奥 を窮
め 、 か ね て 圓戒
に も精
逋 さ れ て 居 た 比類
の學
匠 で あ る 上 に 、 回 西 山 上 人 縁 起 」 の 如 き 、 豊 麗 圓 雅 な る 文章
を 物 す る 程 の 、能
文家
た る 上 人 の 筆 録 で あ る か ら 、 兎 角 難解
不 通 ご 謂 は れ て 居 る 、 西 山 所 傳 の 末 書 甲稀
に 見 る讀
み よ き 抄 で あ る事
は 、 吾 人 の 最 も 戚 謝 措 く能
は ざ る 所 で あ る o O 而 し て 本 抄 が い か な る 入 の 爲 め に 講 ぜ ら れ だ か は 、 抄 の 上 に 明 か で な い が 、 『 仁 塞 置文
』 に 依 る “ 。 、 江 洲 原 田 寶 壽寺
條
下 に 爰 照 惠 大徳
先 年 隨 從 仁 下 向 江洲
○ 寄 住敏
滿 寺 依學
年久
Q 逕 あ る 。敏
滿寺
は實
導 上 人 が 、 文 和 四 年 に 江 洲 千 松原
の 北 洞 に 建 て ら れ て あ つ だ圓
音
寺
を 移轉
し て 、寶
壽 寺 ε 改稱
し だ寺
の あ る 地 名 で あ つ て 、 同 置 文 に 依 る ど 、此
の 照 惠大
徳 は 、 實 導 上 人 の 法 兄 な る 示 觀 上 人 に 入 室 し た が 、 示 觀 上 人 が 早 世 せ ら れ π爲
め 、 ’ 示 導 上 人 に 奉 仕 し 、 示 導 上 人 の 入 寂後
は 實 導 上人
に 隨 從 し て 、 聖道
淨
土 の學
功 を 積 ま れ だ ざ あ る か ら 、 元 は 實 導 上 人 の 法 弟 で あ つ た の が 、 示 導 上人
入 寂後
、 實 導 上 人 に師
事
し た 人 で あ る り こ の 照 惠 大 徳 は 、實
導 上 入 が 江洲
亠 ハ 個 寺 の 本 寺 な る 、 西 山 往 生院
帥 ち 三鈷
き の後
職 に 擬 せ ら れ て ゐ た 、 實 導 上 人 の 同門
な る 正叡
大 徳 が 、貞
治 元 年 ( 二 〇 二 二 ) 正 月十
五 日 に 亠 ハ 十 五 歳 を 一期
ε し て 、 箕 浦 の 西 園 寺 で 入 寂 さ れ た の で 、其
跡
を襲
ふ て 西 園 寺 の 住 持 ビ な り 、後
に は 實 導 N工 工一Eleotronlo Llbrary上 人 の
遺
屬 に 依 て 、 本 寺 の 三鈷
寺 を 相續
さ れ た 人 で あ つ て 、 一 、散
善義
弘 深 抄 い の 本 殊 を除
く 他 の 九 卷 が簣
壽
寺 に 於 て 講 談 さ れ た 點 か ら 考 察 ず る ご 、 照 惠 大徳
を能
聽 の 首 座 ご せ ら れ の で な か ら う か 、 勿 論實
導 上 人 に は譲
り 弟 子 ε し て 、 照惠
大 徳 の 外 に 、實
導 上 人 に 次 で京
都 慮山
寺 五 世 の 住 持 ε な ら れ π 、明
導 上 人 の遺
弟 な る 惠 達 大徳
や 、 照 惠 大 徳 の 跡 を繼
い で 、 三 鈷 寺 十 三 世 こ な ら れ だ 、 一、 小 淨 上 人 の遺
弟 示 鏡 大 徳 な ざ が 、 師 匠 入 寂 の後
は實
導 上 人 に 師事
し て 、 聞法
鯡精
の 功 を 積 ま れ 疋 ε 、 『仁
室 置文
」 に 記 さ れ て あb
、 爾 こ の外
に 、實
導 上 人 入 室 の 直 弟 も 相當
あ つ た に 依 て 、 照 惠 大 徳 一 人 を 能 聽 者・ し 斷 す る事
は で き な い に し て も 、本
講 席 の 首 座 を 占 め ら れ て ゐ た 事 だ け は 想 像 さ れ る の で あ る 」 惟 ふ に實
導
上 人 の 講逋
ビ 稱 す る も の や 、 或 は 上 人 自 か ら が筆
録整
理 蟲 れ だ も の な ご に 就 て は 、 森 敷 授 か 唄 信 仰 の 友 』第
三 百 十 三號
に 掲載
さ れ て あ る だ け で も 、 二 十 二 部 八 十 四 卷 の 多 數 が あ る o 中 に 就 て 圓 戒 に關
す
る も の で 、 相當
纒
ま つ た も の 、 あ る は 知 ら れ て あ る も 、 敷 相 に關
す る も の で 、 上 人 主 張 の 法門
を 述 べ た 、 圓 戒 に 匹 敵 す る 程 の 大 部 の 著 述 が 傳 は っ て居
ら 澱事
は 、 吾 人 の 窃 か い 訟審
っ て ゐ た 所 で あ る 勿 論 判淨
土 希 聞 抄 』 の 如 き 著 述 も あ る が 、 夫 は 僅 か に 一 部 五 卷 の 小 冊 子 で 、 固 よ り 上 人 の 敖 義 を 談 る ε し て は 、 完 壁 で な い 憾 み が あ っ た o 殊 に 該 一 、 淨 土 希 聞 抄 』 の奥
書 に は 、 欣 求淨
土 沙門
統惠
な る 人 が 仁 師 御 抄 出廣
賂繁
多 也 o 於 } 其廣
説 一 者 愚 見 無 レ 所 レ寄
。 於一 其 最 略 吋 者 短 慮 叉 難 レ 辨 。今
此
一 抄 者非
レ廣
非 レ 略 o 談 レ 細 拂 沙 塵 一拾
金 玉 一除
→ 枝葉
一取
二 貞實
→ 可 ソ 謂眞
宗 極 致 學 者 要 須 一 矣 o 希聞
之 號 良有
レ 以 者 欺 。 ご 記 さ れ て あ る や う に 、 『 希 聞 抄 」 が 實 導 上 人 の廣
説 で な い事
は 明 か で あ つ て 、 此 . 抄 の 外 に 更 に 大 部 の も の が あ ら う8
は 、 昔 か ら 學 者 の 常 に 搜 索 し て 居 た 所 で あ る ○ さ れ ば 統 惠 上 人 が 、 實 導 上 人 の廣
説 を 遞 ベ ニ 三NII-Electronic Library Service 二 四 た 著
書
ε し て. 捜 索 さ れ て ゐ た 抄 は今
度
發 見 の 口 、 弘 深 抄 」 を 指 す の で な か ら う か 、 示 導 上 人 の 講談
さ れ た 一 、 康 永 抄 』 を ,筆
録 整 理 し た も の が實
導 上 人 で あ る こ す れ ば 、 こ の 『 康 永 抄 」 ε 簧 導 上 人 講 述 の 洲淨
土 希 聞 抄 」 ざ 、 及 び こ の 、 弘 深 抄 』 ε を 比較
す る塲
合 に 、 そ の 思 想 發 表 の 形式
が 三 部 こ も 相似
た る ば か り で な く . 講談
の 目 次 ま で が 大 同 小異
な る 點 か ら 考 へ る ご .實
導 上 人 の淨
土 敖 に 關 す る 撰 述 は 『康
永 抄 」 に 依 て そ の 素 地 を養
は れ 、 邃 に 開 、 希 聞 抄 』 の如
き 、所
謂廣
に非
す 略 に あ ら ざ る も の で , 而 も 宗 の 極 致 を 養 し た も の や 、 或 は 「 弘 深 抄 』 の 如 き 、 細 を つ ζ し 微 を 穿 つ て 、 全 十 卷 九 百七
十 五 紙 も あ る や う な 、 所 謂廣
説 を 成 す る に 至 つ た の で あ ら う o 最 も 此 間 に は 、 『 論 義 抄 』 全 八 卷 の 如 き も の も あ る が 、 之 は 先 師 示 導 上 入 の七
回 忌 に 當 つ て . 法樂
の爲
め に遣
弟 が 論 義 し た も の を ま ご め た 抄 で 、此
時 に も實
導 上 人 は 、 判 者 の 地 位 に居
ら れ だ で あ ら う 。 夫 れ は此
の中
に 「圓
慈 師 御 難 云 」 こ か 、 或 は 「 , 慈 師 云 」 「 慈 師 御難
云 」 な ざ あ ざ に 徴 し て も 首 肯 さ る ・所
で あ つ て .固
慈 は實
導 上 人 の 別名
で あ ら う 事 は 、 當 時 示 導 上 人 の 門 下 に實
導 上 人 に 對 抗す
る 程 の 、 學 徳 を備
へ た 者 の な か つ 陀 點 か ら 見 て も 明 か で あ る o さ れ ば 實 導 上 人 の 撰 述中
に於
て も 、 敏義
の癢
説 を 述 べ た る も の 芝 し て 、 此 の 調 , 弘 深 抄 」 は 西 谷 の = . 私 記 』 、 深 草 の 『楷
定 記 」 ご 並 べ て 、 本山
義
を 代 表 す る 抄 た る は 言 を俟
た ぬ 。此
の 意味
に 於 て 從 來 は 司. 論義
抄 』 が 、 「 私 記』
、楷
定 記 r ざ 共 に 、 西 山 三箇
の書
ε 稱 さ れ て ゐ た事
は 、今
後 訂 正 す る 必 要 が あ ら う ご 思 ふ 。 五 、本
抄 の 特 色 本 抄 の 特 色 を 簡 單 明 瞭 に 發 表 す る事
は 、 相當
困 難 な る 問題
で あ る 。 ま だ 自 分 は 全 十 卷 を精
讀
す る 暇 が な い に 依 て . 之 を 批 評 す る こ 巴 は 不 可能
で あ る が 、 一 寸 通讀
し 陀 い け で も 、 西 谷 だ著
し き 相 違 を 威 す る N工 工一Eleotronlo Llbrary點 は 、 諸 經 ピ 觀 經 ビ の 關 係 で あ
う o
此
事
は 善 導 大 師 の 齢 , 觀 經 序 分義
』 に 、 化 前 序 の 一 段 が 設 け ら れ て あ る Q そ の化
前 序 の義
意 に 就 て 、 善 導 大 師 を 祀 述 す る 淨 土 一 門 の中
に 、處
に 約す
る ご 、 法 に 約 す る 巴 、 機 に 約 す る の 説 が あ る o 既 に 西 谷 を 代 表 す る 行 觀 上 人 の 『 私 記 し に は 西 山 に は 機 の 方 を化
前 序 ε 云 ふ て 、 法 の方
を ば 化 前 序 ざ 取 ら す ご 云 ふ な り 。 ご 明 か に 機 に 約 す る 説 を唱
へ ら れ て 居 る 。 然 る に 『 弘 深 抄 」 ( 序 本 茄 址 訂 ) に は 化 前 ご 云 ふ は廣
く此
經 の 起化
の 前 き を 指 す 。 是 は 何事
の 爲 め ぞ ご 云 ふ に 、 一 代 が 惣 じ て 未 來 極 惡 の ル 夫 の 爲 め に 、無
生淨
土 の 門 を 開 顯 せ ん 巴 爲 る 、 螢起
の 相 に て あ る ぞ ご 、 和 徇 は得
玉 ひ て 。 一 時 巳 下 を 發 起 序 ε は 釋 し 給 ふ な り ○ ざ 述 べ ら れ て あ る ○ 之 は 確 か に 化 前 序 を ぱ 法 に 約 す る 説 で 、 善 導 和 爾 がコ
時 佛 在 L 以 下 「 云 何 見 極樂
世 界 」 ま で を 、 發 起 序 ご 分 け て , 其中
で二
時 佛 在 L 已 下 「 而 爲 上 首 」 ま で を . 化 前 序 こ せ ら れ た の で あ る か ら 、 發起
序 の 一 分 ド・ し て 釋 さ れ た 巴 云 ふ の で あ る之 は 乃 ち 發 起 序 を ば
七
段
ご 分 け て 、 其 中 に 化 前 序 を ば 遠 發起
。六
縁 を ば 近發
超 ど 見 ・義
が あ る か ら で あ つ て 、化
前 序 を 法 に 約 す る 説 は 、實
導 上 人 に 初 ま つ た わ け で な く 、 … 念 義 を 唱溢
し た 成 覺 房 幸 西 の 如 き も 、 一 代 諸 經 を化
前 序 芝 立 て 、 樺 者 聖 人 の 爲 め の方
便 敖 ε し 、 月待
っ 程 の 手 遊 び ご 評 し だ こ は 、 行 觀 上 人 の 沸 私 記 』 ( 立 私 記 二 か 三 ) に 見 受 く も 所 で あ る が , 一 念義
を 述 ぶ る 幸 西 の 撰 述 な る も の が 傅 つ て 居 な い 爲 め に 、 }、 私 記 」 の 説 の 當 否 を 決 定 す る事
は 不 可能
で あ る o 然 れ ご も , . 私 記 』 に 傳 ふ る 、 一 念義
所
立 の化
前 序 説 ビ 、 同 巧 異 曲 の義
意 を 爲 す も の は 、 其後
に 於 て も尠
く な い や う で あ る Q 一 例 を 擧 ぐ れ ば 眞 宗義
の 調 、鑚
仰 記 』 に 二 五 ONII-Electronic Library Service ● 二 六 起 化 ハ 近 . 起 畠 王 宮 之 化 → 化 前ハ 遠 . 通 勘 一 代 略 依 聖 序
題
ノ 意 〜漸
頓
八萬
. 諸 經 { 玄 力 . 漣 3今
經門
餘 , 正 化 → 遠 近 總 攝 ス 故 二名
助 化 前 序 → ご あ る 如 き は 、 化 前 序 を ば 法 に 約 す る 説 ご 見 る べ き で あ ら う o 然 れ ざ も 吾 人 が 特 に 『 弘 深 抄 』 を讀
ん で 興 味 を 戚 す る 點 は 、 化前
序 の義
意 を 同 じ 法 ヒ 約 す る に し て も. 一念
義
の 如 き は 一 代 諸繼
を 権 方 便 こ し 、 月 待 っ 程 の 手 遊 び ご 評 し た に 對 し 、 『 弘 深 抄 」 に は 、 一 代 諸 經 はす
べ て 極 惡 の 凡 夫 の 爲 め に 、無
生 淨 土 の 門 を 開 顯 せ ん こ し て 、發
起 さ れ た ε 云 ふ 説 で あ つ て 、 も し 一 念 義 の 云 ふ が 如 き 、 釋 尊 出 世 の本
懐 は 、 垢 障 覆 深 の 凡 夫 の 爲 め に 、 こ の 觀 經 を 説 か ん ご す る に あ る も , 未 だ に そ の 時期
に 至 ら 函 故 o 時 期 到來
を 待 つ 間 の 手 遊 び こ し て 、權
者 聖 人 の 爲 め に . 漸 頓 八萬
の 敷 を 説 き給
ふ セ を 、 化 前 序 巴 云 ふ の で あ れ ば 、 一 代 諸 經 ビ觀
經 ご は 何 處 ま で も 封 立 し て 、 其 間 何 等 の 交 渉 を 有 せ ぬ事
に な る の で あ る 9 然 る に ] 、 弘 深 抄 』 の 云 ふ が 如 く 、 一 代 諸 經 は 極 惡 の 凡 夫 を救
ふ爲
め に 、無
生 淨 土 の 門 を 開 顯 せ ん こ し て , 發 起 さ れ た こ 云 ふ 意 味 に 取 れ ば 、 漸 頓 八 萬 の 欷 は 、 畢 竟 觀 經 開 説 の 由 序 ご 云 ふ事
に な つ て 、 一 代 諸 經 ど 概 經 ビ は ,尤
も 密 接 な る 關 係 を 有 す る事
に な る の で あ る Q 然 ら ば 何 故 に 、 一 代 諸 經 が 無 生淨
土 の 門 を開
顯 す る に あ る ご .言
ひ う る か ビ 云 ふ に . 一 、 弘 深 抄 』釜
本 叡じ
に は 「 玄 義 分 」 の 序 題門
に 釋 さ れ て あ る 、 「眞
如
廣 大 」 ご 云 ふ よ り 「 恒 沙 功 徳 寂 用 湛 然 」 ま で を ,總
括 的 に 批 判 し て 上 に 逑 ぶ る 所 の眞
如
法 性 の 理 は 、 一 切 衆 生 本 來 所 具 の 法 な り ご 云 へ ざ も 、 垢障
に覆
は れ て 顯 照 の用
を顯
さ す o 故 に 此 の眞
如 の 淨 體 を 顯 さ し め ん か 爲 め に 、 釋奪
は 出 現 し て廣
く 八萬
四 千 の 法門
を 説 き 玉 へ り 。 仍 て 之 を 聞 ぐ も の解
脱 を 蒙 て 、此
本 有 の 理 を 悟 り て顯
し た り c 云 ひ た る・ 樣 に 、 文 の 面 は 見 へ た る N工 工一Eleotronlo Llbraryも 、 文 の 本 意 は
然
ら ざ る な り ○ 。 ご 述 べ て あ る 。 之 で 見 る ざ 八 萬 四 千 の 洪 門 は 、 我 等 が 本 來 具有
し て 居 る 、 眞 如 法 性 、換
言 せ げ 佛 性 を 顯發
せ し む る 爲 め に 、 説 か れ た も の ビ解
し で は な ら ぬ ご 云 ふ の で あ つ て 、 つ まb
修 因 戚 果 、 自 力解
行 を 策 勵す
る 爲 め に 、 説 か れ た 敖 で な い ご 云 ふ の で あ る o 夫 れ な ら ば 、 釋 奪 数化
の 目 的 は 何 に あ る か 、 自 力解
行 に 依 て 、 本 來 所 具 の 佛 性 を顯
發 す る を 目 的 こ せ な い な ら ば 、 敷 化 の 對 象 を こ の 程度
に 置 く べ き で あ ら う か 、 『 弘 深 抄 』 ( 立 本 菰 二 ) に は序
題門
に 釋 さ れ て あ る 、 「 然 衆 生障
重 取 レ 悟 之 者難
レ 明 」 の 交 を 註 し て此
障 重 の 機 の 爲 め の 出 現 に て だ に も あ る な ら ば 、 一 代 の 問 に 大 小 權實
の 洪 を 説 い て 、隨
機 に得
盆 せ し む ご 見 た6
し を 、 驚 入 火 宅 の本
意 ε は 意 得 べ か ら す o 垢障
覆 深 の 機 の 爲 め に 出 現 し て 、此
機 の 上 に眞
如
法 性 の 理 を 、 顯 さ ん 爲 め の 一 代 の 佛 法 な る 事 は 、 仔 細 な き な り 。 其 一 代 が 垢 障 の 凡 夫 の爲
め な る 謂 を ば 、 正 し く韋
提 の 請 に 依 て 淨 土 の 要門
を 開 き 、 別 意 の 弘 願 を 顯 彰 し た ま ふ 等 ピ 、 釋 し顯
は さ れ た り ξ 意得
べ き な り 。. こ れ に 依 て 之 を 見 る に 、 釋
釁
出 世 の本
懐 は 、 垢 障 覆 深 の 凡 夫 を 救 ふ爲
め で あ つ て 、固
よ り 權 者 聖 入 の 爲 め に 、大
小 權實
の 洪門
を 説 い て 、 隨機
得
盆 せ し む る の が 目 的 で な い 。 勿 論 垢 障 覆 深 の 凡 夬 を救
は ん こす
る は 、本
來 所 具 の 佛 性 を 、 顯 は さ し め ん が 爲 め で は あ る が 、 夫 れ は 全 ぐ 自力
解 行 に 依 る の で な い 、 凡 夫 な が ム淨
土 に 往 生 し て 、 淨 土 の中
で眞
如 法 性 の 理 を 、 悟 り 顯 さ し め や う ε す る 意 で あ る 。 夬 故 一 代 諸 經 に 説 く 所 の 大 小 樺 實 の 敷 似 、畢
竟 凡 夫 の 爲 め に 説 か れ た事
に な る か ら 、 調 、 弘 深 抄 』 に は 「 此機
の 上 に 眞如
法 性 の 理 を顯
さ し め ん 爲 め の 一 代 の 佛 法 な る 事 は 、 仔 細 な き な り 」 ε 述 べ ら れ た の で あ つ て 、 『 亥義
二 七 馬NII-Electronic Library Service 一、 λ 分 」 の
序
題
門
に 漸 頓 師各
稱 二所
宜 一 隨 レ 縁 者 則皆
蒙
解 脱 一 ご 釋 さ れ て あ る 文 よ b 考 へ る ご 、 一 代 諸 經 は 五 乘 の 用 島 る も の に 封 し て 、 五 乘 の 法 を 説 き 給 ふ た 如 く解
せ ら る 丶 も 、 觀 麗 を 立 塲 こ し て 一 代 諸 經 を 見 る 塲 合 に 、 夫 れ は 許 さ れ ぬ 所 で あ つ て 唄 弘 深 抄 』 ( 玄 本 叡 一 ) に は 一 、 玄義
分 』 の 十 四 行 の 偈 に 頌 せ ら れ て あ る 、 「 頓 敷 一 乘 海 」 の 意 義 を 説 明 し て 凡 一 乘 の 宗 冒 ご 云 は ん す る は 、 諸 宗 よ り し て眞
如 法 界 の 理を
顯 は す る に 付 て 、 種 々 の 道 が あ b て 、 穢 土 に て悟
る樣
、 淨 土 に て悟
る 樣 も 各 別 に 、 叉 此 理 を 證 す る に 付 き 、 彼 の 行 を 修 し て も悟
り 、此
行 を 修 し て も 悟 る樣
に は 沙 汰 せ ざ る な り 〇 一 乘 ご 云 ふ は 、 唯有
一 乘 法 無 二 亦無
三 に て あ る な り Q 除 佛 方 便 説 ご 云 ふ て 、方
便 の 説 を 設 け だ る こ そ 、 三 乘 五 乘 の 不 同 も あ る 樣 な れ ご も 、 正 し く 佛 意 を 述 ぶ る 時 は 一道
無 殊 霍 て 、 天 台 の 意 は 法華
の 意 な ら す し て は 、 佛 に な る 道 は 無 な り 眞 言 の 意 亦 、 唯具
言 法 中 即 身 成 佛 故 に ご 、眞
實 の 凡 夫 の 佛 に な る 謂 は 、 鵈 譽 言 の 意 な ら で は 、 之 あ る 可 か ら す ご 談 す る な り Q今
の 法 も 叉頓
敏 一 乘 海 に て あ る な ら ば 、 餘 敷 の 修 行 に 堪 へ ざ る 、 一類
の 機 の 出 離 の 道 ば か も を 、 往 生 淨 土 ご は 沙 汰 た る ぞ な ご 言 ひ て は 、 一 乘 義 に て は あ る ま じ き な り ○ ご 斷 定 を 下 さ れ て あ る 。 之 等 は 西 谷 一 流 に 、 聖 淨 兩實
を 立 て 、 聖 道 一 代 の 敷 は 、 五 乘 の 機 根 に 對 し て 、 五 乘 の 法 を 説 き 給 ふ た の て あ る か ら 、失
れ の 用 あ る も の は 、 各 々 縁 に 隨 つ て 解 脱 す る事
を う る な ら ん も こ の 觀 經 は 聖道
の 修 行 に 絶 望 し た 、 失此
法 財 の 凡 夫 を 救 ふ 爲 め に 、 説 か れ た 敷 で あ る か ら 、 是 に よ つ て 彌 陀 の 弘 願 に 歸 入 し た も の は 、齊
し く 淨 土 に 往 生 す る事
が 出 來 る ご 主 張 す る 西 谷 義 ご は 、 根 本 的 に 相 容 N工 工一Eleotronlo Llbraryれ ざ る 所 で あ つ て 、 既 に
本
山 義 の 開祀
た る 康 塞 示 導 上 人 の 一 、康
永抄
』 へ 西 憂 八 炉 姻 ) に も 、 一 代 は 皆 依 心 起 於 勝 行 の體
な れ ば 、 心 に 依 て勝
行 を 起 す門
な れ ば 、 障 重 の 機 遍攬
に 由 な し ご 云 ふ 也 、 遇 因 韋 提 等 者 、茹
來 の 出 現 は 此 機 の爲
也 。 在 世 の 聖 人 の 爲 に は あ ら す 、此
事
處
々 に も 談 す る事
也 。 ご あ る 點 か ら 考 察 す る ご 、 「 弘 深 抄 』 が 一 忙 諸 經 を 觀 經 に 取 入 れ て 、 極 惡 の 凡 夬 を救
ふ 爲 め に 、 無 生 淨 土 の門
を 開 顯 す る に あ る ご 云 ふ 思 想 は .實
導 上人
の 今案
で あ る や う に 解 せ ら れ る G 爰 に 至 っ て實
導 上 人 の 敷 學 を 醢醸
し た 、 派 租 譫 塞 上 人 の 撰 述 に 遡 る 必 要 が あ る 。 一 體 本 山義
の 誇 り ごす
る 所 は 派 租 の 激義
を 純 蔽 に 祀 匙 す る に あ る o 派 租 證 塞 上 人 の門
下 で あ る 淨 骨 、 道 鸛 、 立 信 、觀
鏡 の 四哲
が 、 派 租 の 滅後
に 於 て 各 々 法幢
を 樹 て 、 租承
の 精義
を 發 揚 し た も の が 、 、 之 が 所 謂淨
音 の 西 谷義
、 道 觀 の 嵯 峨義
、 立 信 の 深 草義
、 觀 鏡 の東
山 義 な る 四 流 で あ る o 然 る に 派 租 の 減後
四 十 年 に 出 世 し た 、 本 山 義 の 開租
康 室 示 導 上 人 ( } 九 四 ⊥ バー
二 〇 〇 ⊥ ハ ) は 、 『 西 谷 上 人 縁 起 」 (第
五 卷 ) に 依 る ざ 、 初 め 猪 熊 の本
光 上 人 灘仙
に 就 て 天 台 を 學 ぴ 、傍
ら眞
言 を 研究
さ れ て 居 た が 、後
に は 之等
の廣
學
を 措 い て 淨 土 門 に 歸 入 し 、 因 縁 あ つ て 鎌倉
の 佛 觀 房 に 師 事 さ れ て 居 た o 此 の 佛觀
房
は東
山義
の 開租
觀 鏡 上 人 の 門 人 な る 、 觀 明房
の 弟 子 で あ つ て 、 觀 明 房 は 派 祀 撰 述 の 『 他 筆 鈔 」 を 、 蒐 蕪整
理 し た 入 ご も 傳 ね ら れ て 居 る o さ れ ば 弟 子 の 佛 觀 房 も 、 定 め し 淨 土 敷 に 造 詣 も 深 か ら う ピ 期 待 し て 居 た が 、 意 外 に 淺 薄 で あ っ た 爲 め 、 佛 觀房
所 持 の 「 他 筆 鈔 」 を 乞 請 け て 、 專 心 に 之 を 研究
さ れ て 居 た 。 二 十 四 五 歳 の 頃 、 佛 觀房
の 下 を辭
し て 西 山 往 生 院 に 攀 登 り 、 玄 觀 上 人 に 師事
し て 、 圓 戒 淨 土 兩 宗 の 相 承 を 受 け ら れ た が 、 此處
で も 玄 觀 上 人 の義
が 、 意 に 滿 だ 譫 點 が あ つ た o 然 る に 往 生 院 所 藏 の 『自
筆 鈔 並 び に 「 積 學 鈔 」 を 初 め て 二 九NII-Electronic Library Service 三 〇
披
覽
す る に 及 ん で 、得
る所
甚 だ 多 く 、 其後
は 師 説 の い か ん に 拘 は ら す 、 組 師 の遺
籍 を 指 南 ご し て 、 ひ た す ら 租 意 の 顯彰
に努
め ら れ た の が 、 即 ち 本 山義
の 濫 觴 で あ る 。 而 し て實
導
上 人 の淨
土 敷 は 、 素 よ り 師 意 を體
し て 祀 訓 の 弘 通 を 能事
こ せ る も の で あ る か ら 、 從 つ て本
山義
大 成 の 功勞
者 こ し て實
導 上 人 の 地位
は 西 谷 義 の 行觀
、 深 草義
の 顯 意 兩 上 人 に 、 劉抗
す べ き 人 師 た る は 言 を俟
だ ぬ が 、祀
訓 の 發 表 形式
は 、 必 す し も 師 弟 の 間 に 一 器 寫瓶
で な か つ た事
は 、 前 に 例 證 し た 一 .康
永 抄 』 の 説 ざ 比較
し て 、 そ の 一 短 を 窺 ふ 事 が 出來
る 。 蓋 し 本 山義
な る名
稱 は 、 派租
證 察 上 人 が 建保
元 年 一 八七
三 ) よb
、寶
治 元 年 ( 一 九 〇 七 ) 十 一 月 二 十 亠 ハ 日 入 寂 に 至 る 、 三 十 五 年 間 の後
牢 生 を 、 西山
往 生院
即 ち 三鈷
寺 で邊
ら れ た 、 西 山 敷義
發 群 の 地 陀 る 根本
邁塲
で あ る ざ 共 に 、 派 租 の 敷義
を 純 直 に 傳 ふ る 意 味 か ら 生 じ だ も の で 、 西 谷 、 深 草 、東
山義
等
が 開 祗 の 居處
に 約 し て名
を 立 つ る に 、 撰 ん だ 點 の あ る 事 も 見 逃 し て は な ら 漁 o さ れ ば實
導 上 人 の 敷 學 が 、 派 組 證 室 上 人 の 読 を 、 純 直 に 傳 わ て 居 る や 否 や を 、 組 書 に 就 て 研 尋 す る 必 要 の あ る は 當然
で あ つ て今
の 「漸
頓 部 各 稱所
宜隨
縁 者 則皆
蒙 解 脱 」 の 釋 に 對 す る 、 證 塞 上 人 の 高 説 を 窺 ふ に 、 口 、 弘 深抄
』 ご 相似
た る 點 の あ る は 、 否 定 す べ か ら ざ る事
實
で あ る 。 試 み に そ の 一 節 を 擧 ぐ れ ば 、親
門
義
気
西 全 三 、 陀 三 ) に は 次 の 如 砂 く 逑 べ ら れ て あ る o ° 漸 頓 は 即 ち 前 の門
餘 八萬
な り o 各 稱 所 宜 は 機 宜 に 應 す る な う ○ 隨 縁 稱 宜 ご は 語 異 に し て 意 同 じ Q總
じ て 機 敷 相應
の義
を 言 ふ の み ○ 皆 蒙解
脱 ご は 並 べ て こ 障 を 除 く 、 般 舟讃
に 云 く 、 或 漸 或 頓 明 室有
人 法 二障
遺雙
除
根 性 利 者 皆 蒙解
脱鈍
根 無 智 難 開 悟 ご 、 漸 頓 異 な り 巴 雖 も 、 同 じ く 二 障 を 除 く 、 乃 ち 是 れ究
竟 N工 工一Eleotronlo Llbrary
解
脱 の 故 な り o當
に 知 る べ し 、 如 來 の 臨 化 は 本 心 偏 に 垢障
常 沒 の 苦機
の 爲 め の 故 に 、始
め 成 道 よ b 絡 り 泥 河 に 至 る ま で 、 彼 の 一 代 の 時 處 に 託 し て 、 一 切 衆 生 の 爲 の に 一 切 の 注 を 説 き て 、常
に 我 等 凡 夫 の 永 生 の 樂 果 の 爲 め に 、 因 縁 を 作 さ す ご 云 ふ こ ε な し o 各 解 脱 を 蒙 乃 こ ご は 、 皆 大 悲 の 法 澤 に 因 ら す ε 云 ふ こ ざ な し 、 故 に 彼 の 聖衆
、 既 に 自 か ら 佛 知 見 の 邁 に開
入 す れ ば 、 佛 の 大 悲 を 學 し て 、 佛 の 悲 化 を 助 く 、 佛 ご 共 に 無 生 淨 土 の門
を 開 顯 し て 、 常 沒 の 衆 生 を救
濟 せ ん ざ 欲 す る な り o 『 康 永 抄 」 に 「 如 家 の 出 現 は此
機 (障
重 の 機 ) の 爲 也 。 在 世 の 聖 人 の 爲 に あ ら す 」 ご あ る所
は 、一
觀
門
義
」 に 「 如 來 の 臨 化 は 本 心 偏 へ に 垢 障 常沒
の 苦 機 の 爲 め の 故 也 」 ざ 云 へ る の ε 同 一 で あ る が 、 『 康 永 抄 」 は二
代 は 皆 依 心 起 於 勝 行 の體
な れ ば 、 55 に 依 て 勝 行 を 起 す門
な れ ば 、 障 重 の機
遍 攬 に 由 な し 巴 云 ふ 也 L ε 云 へ る 點 は 、 聖 淨一 .門
を 明 か に界
眸 し た 思 想 で あ つ て 、 踊 、 觀門
義 」 に 「 初 め 成 道 よ り 終 り 泥 疸 に 至 る ま で 、 一 代 の 一 切 の 時 處 に 託 し て 、 一 切 衆 生 の 爲 め に 一 切 の 注 を 説 き て 、 常 に 我等
凡 夫 の 永 生 の 樂 果 の 爲 め に 、 因 縁 を 作 ら す ε 云 ふ こ ビ な し 」 ε 云 へ る は 、 」 代 諸 經 を觀
經 の 由 序 ご 見 る 思 想 で あ る 。 茲 に 至 つ て 實 導 上 人 の 激 學 臆 、 派 耐 の 説 を 其 ま 丶 相承
し だ ざ も 言 ひ う る の で あ つ て 、 『 西 山 上 人 縁 起 』第
二 卷 ) に 述 べ ら れ て あ る 化 前 序 の義
意 を 、 』 . 觀門
義 』 の 説 に 比較
す る ご 、實
導 上 人 の 思 想 が 一 層 明 瞭す
る の で あ る o ま つ 觀 經 の 化 前 序 ざ い ふ は 、 釋奪
一 代 の 説 敖 、 五 乘 八萬
の 洪門
を 總 じ て 觀 經 の 發 起序
ご 立 ら れ だbo
さ れ ば 成 迸 の は じ め に 、 法 界 唯 心 の 理 を 説 れ し よ り 、 泥 疸 の ゆ ふ べ に 佛 性 常 住 の 旨 を 宣 給 ふ に 至 る ま で 、 こ ご み 丶 {頓
敷 一 乘 の 海 に會
し 、 無 生 淨 土 の門
に 歸 せ す ご い ふ こ ざ な し ) 故 に ひ ろ く 一 代 の 時 佛 = 二NII-Electronic Library Service 三 二 處 衆 を 、 化 前 の 四 句 ご は つ ら 澱 る 趣 を 沙 汰 せ ら れ し か ば 、 聞 人 耳 を 驚 か し け る ご か や 。 こ れ に 依 て 之 馳
見
る に 、實
導 上 人 の 化 前 序 説 は 、 正 し く 『 觀門
義 』 即 ち P 、 自 筆 抄 』 を 相 承 し π も の で あ る事
. 炉明
か に な つ た 。然
れ こ も 證 塞 上 人 の 欷學
を 談 る 撰 述 の 上 に 、 初期
の も の ご後
期 の も の あ る こ ε を 判 別 し て 、 而 し て 後 に組
訓 の 眞意
を 開 顯 す る に努
む る は 、末
徒 の責
務 な る を 忘 れ て は な ら 臓 o此
事
に 就 て は實
導 上 人 の 調 、 希 聞 鈔 』 に も 凡 ソ 御 自 筆 ノ 抄 ド ハ 、 法然
上 人 ノ ロ 決 シ タ マ ヘ ル 趣 ヲ 、 先 ヅ 其 マ ・ 二 記 シ 置 カ レ タ ル 書 ナ リ ト 申 傳 タ リ 。 他筆
ノ 御 抄 以 下 ハ 、此
書
傳 ノ 趣 ヲ 切 瑳 琢 磨 シ デ 、 微細
二義
理 ヲ 成 ジ プ 、 宗 旨 ノ 淵 源 ヲ 被 ・ 盡 ラ 7 ア 川 也 ○ ビ 述 べ ら れ て あ る や う に 、 『 觀門
義 」 四十
一 卷 は 、 宗 租 法然
上 人 よ り 口 决 さ れ た 相 傳 の 趣 き を 、 後 日 に筆
録整
埋 し た も の で 、 派租
の 思 想 が 織 込 ま れ て あ る に し て も 、 最 も 初 期 ( 三 十 七 歳 以後
) の 撰 述 で あ る か ら 隨 つ て 思 想 の圓
熟
を缺
く 點 の あ る は 免 れ 戯 事 で あ ら う 。 然 る に “ 、 他筆
鈔 儒 ( 六 十 四 歳 以 後 ) に 至 る 巴 、 切 嵯 琢 磨 の 功 績 が 全 慫 に漲
っ て 、 眞 に 派 祀 巳 證 の 洪門
π る面
目 が 餘 蘊 な く 發 揮 さ れ て あ る や う で あ る o さ れ ば 派祖
の眞
骨張
を 知 ら う こ す る に は 、勢
ひ 「 他筆
鈔 』 に 根 據 を 置 く べ き で あ つ て 、 『 他筆
鈔 』 ( 西 全 四 じ 八 二 ) に は 次 の如
く 論 ぜ ら れ て あ る 。 ‘ 依 心起
於 勝 行 等 上 訳事
Q此
の 如 ぐ門
々 不 同 の 敷 、 機 に隨
て 説 き 給 ふ 、 各 々 心 に 隨 て 行 を 起 す 、 仍 て 八萬
四 千 の 薇門
あ り o漸
頓 各 々 情 に 隨 て 其 益 を得
る セ 云 ふ な り 。此
ま で は 化 前 序 の 位 を 釋 す る な り 。 然 衆 生障
重 等 レ 云 事 o 此 よ り は 正發
逸 の 意 を 標 す る な り 。 是 帥 ち 上 に 云 ふ 所 の 、漸
頓 入萬
の 諸 經 は 、 皆 N工 工一Eleotronlo Llbrary悉 く 五 乘 の
用
の 受 る所
の 敖 な り o 垢 障 の 凡 夫 は 其 敷 釜 に 依 て 悟 を 取 る も の あ る べ か ら す 。 爾 る に韋
提 極樂
に生
せ ん ご欣
び 、 敷 我 思 惟 正 受 ご 稱 す る に 依 て 、 佛廣
く 未 來 凡 夫 の 往生
す べ き 謂 れ を顯
し 給 へ る所
謂 定散
二善
を 廻 し て 、 弘 願 の 一 行 に 歸 す る 是 な り o此
謂 れ を 釋 し顯
す を今
經 の 正 發 超 ご は 云 な り ○序
題門
一章
の中
で 、 「 眞 如 廣 大 」 よ り 「 皆 蒙解
脱 」 ま で を 化 前 序 、 「 然 衆 生 障 重 」 よ り 「 以 爲 墫 上 縁 也 」 ま で を 正 發起
ε 判 す る 事 は 、 『 他筆
鈔 』 も 『 弘 深 抄 」 も 同 じ で あ る が 、化
前序
の義
意 を 異 に す る 點 は 、 『 弘 深 抄 」 ざ 對 照 す れ ば 明 か で あ る Q 帥 ち 八 萬 四 千 の 敷門
は 、 機 に 隨 っ て 説 き 給 ふ た も の で 、 心 に 隨 つ て 行 を起
し た 者 の 、 敷 盆 を 蒙 む る 分 を 化 前 序 ご名
け 、 こ の 敖 盆 に 漏 れ て 法 を う ぐ る事
の 出 來 な い 、障
重 の 凡 夫 の爲
め に 、韋
提 希 夫 人 の 請 あ る を 機會
に 、此
の觀
經 を 説 い て 、 弘 願 の 一 行 に 歸 せ し め 給 ふ だ 所 か ら 「 然 衆 生 障 重 」 以 下 を 、 正 發 起 こ 爲す
ご 云 ふ の で あ る 。仍
て 諸 經 ビ 觀 經 ざ は 何 處 ま で も 對 立 し て 、 聖 淨 二 門 は 眞實
な る 二 個 の 存 在 ご 見 る の が 、 證 塞 上 人 の 圓熟
し た 思 想 の や う に 拜 せ ら れ る 、 此 點 に 就 て は 西 谷 の 日 私 記 』本
山義
の 口.康
永 抄 」 な ご は 、 「 他 筆 鈔 』 を 相承
し π 説 ど 云 ふ事
が 出 來 や う o 處 で實
導 上 人 が 一 代 諸 經 を化
前 序 ε 爲 し 、 開 顯無
生淨
土門
ご 判 す る 論 據 は 、第
十七
咨
嵯 稱 揚 の 願 に あ る は 勿 論 な る が 、 更 に 之 を 裏付
け る も の は 、 建 保 五 年 ( 一 入七
七
) に 派 祀 が 仁 和寺
の 經藏
か ら 發 見 さ れ た 、 『般
舟讃
」 の 説 で あ る o 之 は 一 、 西山
上 入 縁 起 」 ( 卷 二 ) に も 述 べ ら れ て あ る が 、 「 般 舟讃
』 の 前序
に は 釋迦
如 來實
是 慈 悲 父 母 o 種 々 方 便 發 二 起 我 等無
上 信 心 ℃ 又 説 二 種 々 方 便 一 敷門
非
二 〇但
爲 こ我
等倒
見 凡 夫 ℃ 若能
依
レ 敷 修 行 者 。 則門
々 見 佛得
レ 生 ; 淨 土 皿 だ 釋 さ れ て あ る所
か ら 、實
導 上 人 は 一 代 諸 經 を 化 前序
ご 爲 し 、 嗣 顯 無 生 淨 土門
ご 判 せ ら れ だ も の で 、 該 三 三NII-Electronic Library Service 三 四 縁
起
に釋
迦 一 代 の 種 々 の 説 敖 は 、 ひ ご へ に 我等
が 無 上 の 信 心 を 發 起 せ し む る方
便 な り ご い ふ は 、 無 上 の 信 心 ε は 觀 經 の 三 心 なbQ
ま た 大 小 權實
種 々 の 勢門
… に あ ら ざ れ こ も 、 こ ビ み 丶倒
見
の 凡 夫 の 爲 な る ゆ へ に 、 か の 宗 を學
し こ の 敖 を も て あ そ ぷ ざ も 、 一 々 の 敖 意 を あ き ら め む れ ば 、か
の門
よ り も 臨 終見
佛 の 盆 を 成 じ 、 こ の 門 よ り も 得 生 淨 土 の 道 に 歸 せ す ご 云 ふ こ ざ な し 巴 釋 す る に あ ら す や o ご 逑 べ ら れ て あ る 點 は 、 之 亦 『 觀門
義 匹 の 説 を 相承
し た も の − 、妙
樂
大 師 が 「 諸 經 所 讃 多 在 彌 陀 」 ご 釋 さ れ た 縄度
の も の で 、 『 私 記 』 の所
謂難
易 廢 立 の 領 域 を 、 脱 し得
な い 點 を 注 意 で る 必 要 が あ る ○惟
ふ に實
導 上 人 の 淨 土 敷 學 は 、 派 組 の 撰 述 に 敷 相事
相 に 渉 て數
多 く あ る 中 で も 。 特 に 『 觀 門 義 」 を 重 ん じ 、 夫 れ に 派 祀 が 往 生 院 在 住 中 に 發 見 さ れ た 、 『 般 舟讃
』 流 布 の 意 も 手 慱 て 、構
成 さ れ た の で な か ら う か 、 『 弘 深 抄 』 ( 立義
三 ) に゜ 一 代 の 説 法 さ ま
ぐ
、 な る樣
な れ こ も 、 只 偏 に 我 等倒
見 の 凡 夫 に 、此
願 意 を 知 ら し め ん と す る に て あ り け る を 隔 さ も 思 知 ら す し て 、 ご や せ ま じ か く や せ ま じ ざ 思 つ る 意 を 打 捨 て 、 一 代 佛 法 は 只 發 遣 の 謂 な ゜ h け り o 彌 陀 の 超 世 の 別 願 只 我 等 を救
は ん 爲 め 正 覺 の體
に て あ り け る 上 は 、此
よb
外 に 出離
の 路 は 、 叉 二 も あ る べ き事
に非
で 。 ざ 言 ひ 、 叉 入 立轟
八 )釋
迦
一 代 の 説 敖 は 、 展 轉 敖 將 入 法 林 こ て 、 淨 土 の 法 林 に 勸 め 入 れ 、 別 願 の體
を 我等
が爲
め に 知 ら す る よ り 外 の事
は 無 き な り 。 さ れ ば 諸 佛 の 世 に 出 て 法 を 説 く ド・ 云 ふ は 、第
十
七
の 願 よ り 出 て 、 稱 讃 我名
す N工 工一Eleotronlo Llbraryる に て あ る 故 に 、 凡 そ 佛 法 ざ 云 ふ は 、 悉 く 彌 陀