21世紀の教会の歌をめざして――『讃美歌21』の神 学的・文学的検討――
著者 原口 尚彰
雑誌名 東北学院大学論集. 教会と神学
号 34
ページ 107‑126
発行年 2002‑03‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024307/
21世紀 の 教会 の歌をめざ し て
『讚美歌21』の 神学的 ・ 文学的検討
原 口 尚 彰
は じ め に
1997年2月に日本基督教団讚美歌委員会編
「
讃美歌2l」
が刊行され た。
教団の設美歌委員会は,
1954年の「
設美歌」
以来, f
讚美歌第二編」
(1967年)
, 「
と も に う た ぉ う」
(l976年)を編纂したが,
これらは1954 年の「
讚美歌』 を補完する従属的な役割を与えられていたに過ぎない。
これに対して,
「
設美歌2l」
は, 「
讚美歌」
の全面的改訂版として, 「
讚 美歌」
を代替する日的で編築されたものである' 。
讚美歌委員会が「
讃 美歌」
の全面改定版を企画したのは,
1974年であり,
l992年の「
改訂 設美歌試用版』の刊行を経て,
1997年の「
讚美歌2l」
刊行まで,
実に 23年の時間を費やした大事業であった2。
願 美 歌 2 l
」
の刊行より既に4年を経過して,
教団内外の教会やキリ スト主義学校において「
讚美歌21」
を 採 用 す る と こ ろ や,
採用を検討 す る と こ ろ も 增 え て 来 て い る。
本稿の日的は, 「
讚美歌2l」
の神学的・
文学的検討を行うことによって
,
この新讚美歌集を評価する材料を提 供 す る こ と に あ る。
-
107-
l . 『證美歌21』編築方針
新讃美歌集の編纂方針は
, 「
讚美歌2l」
の序文によると下記の八項日 に組められる3。
① 現代という変化する時代と状況の中で
,
信仰を共に証する歌。
② 代々の聖徒たちから受け継がれてきた歴史的な適産を
,
新しい 視点と用途の中で生かせる歌,
また次代にも引き継がれていく歌。
③ 公同礼拝にふさわしい歌 (公同性
,
賛美の歌と析りの言葉の対 話性,
典礼性を生かし, 会衆参与を促す)。
④ 今日における宣教の使命の多様な展開とそのような新しい領域
へ
の視野を持つ歌。
⑤
ェ
キュメニカルな視野を持つ歌。
⑥ 欧 米 に 限 ら ず 世 界 各 国
,
各民族の賛美歌。
日本人の作品。
⑦ 礼拝以外の諸集会や信徒の生活の中でも
,
多様な展開ができる 歌。
⑧ 用 語 や 歌 詞
,
音楽の面でも,
現代の会衆が理解出来る歌,
また その感性に応じる歌。2 . 「 語美歌2l 」 の検討
上記八項目の編集方針に従つて
, 「
讃美歌2l』の内容的検討を行つて みたい。
108
-
2l世紀の協会の歌めざして 3
( l ) 現代の教会の信仰の表明
①
「
現代という変化する時代と状況の中で,
信仰を共に証する歌。」
④
「
今日における宣教の使命の多様な展開とそのような新しい領 域へ
の視野を持つ歌。」
(①と④の項日は
,
相互に関連しているので,
ひ と ま と め に し て 取 り 扱 う )。
教団識美歌委員会は
,
従来の「
讚美歌」
が,
今日の福音理解から見 た神学的な諸間題に対応出来ていないと理解している' 。
それは具体的 に言えば, 「
平和と正義,
人権,
被造世界の回復・
統合,
差別等々の現
実の諸課題に立ち向かう福音の証の歌もない」
と い う こ と で あ るS。
「
議美歌21』に新しく採用された設美歌のなかには,
実際に歌詞や曲 想の面で非常に新鮮な印象を受けるものもかなりあり,
現代の教会の 思想や感覚に合つた歌が採用されていると言える ( ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ も 参 照)。
この設美歌の題名が「
設美歌2l」
とされたのは,
新世紀である二一
世紀の教会の讚美歌となることを日指したためであろう。
た と え ば,
5 7 番 ( ガ リ ラ ヤ の 風 か お る 丘 で )
,
6 0 番 ( ど ん な に ち い さ い こ と り で も),
550番(大地よ, 星々
よ ) な ど は,
現代的な感覚の曲想,
歌詞で あ り な が ら,
聖書的である優れた歌である。563番(ここに私はいます) などは,
ホームレスの人々
との連帯を歌つた歌で,
現代の教会の人権 感覚を表現している。
参考までに
,
これらの設美歌歌詞の一
番を記してぉきたい。
-
l09-
4
57番 ガリラヤの風かおる丘で 60番
「
ど ん な に ち い さ い ひとびとに話された こ と り で も 恵みのみことばを か み さ ま はわ た し に も 聞 か せ て く だ そ だ て て く だ さ る
」
つて さ い。
イ ェ ス さ ま の お こ と ば 550番 大地よ, 星々
よ,
563番 ここに私はいます,
主に向かって歌え
。
ホ ームレスの眠る街。
雨風
,
吹雪さえ,
歌え,
新 ここに私はいます,
しい歌
。
( く り か え し ) 凍える子の涙にも。
神のすばらしいわざ あなたは?
歌え
,
声あわせて(2) 過去の音楽的伝統の継承
②
「
代々の聖徒たちから受け継がれてきた歴史的な遺産を,
新しい 視点と用途の中で生かせる歌,
また次代にも引き継がれていく歌。」
既存の讃美歌をある程度継承することは
,
過去の伝統の継承の上に 現在と未来の設美歌が形成されていくのであるから当然である。「
設美 歌21」
の編算作業が「
設美歌」
の改訂作業として始まっ
たので,収録 されている全597曲のうち(曲番はl番から580番迄だが, 39 -
l 番 から 3 9
-
7 番,
40-
1 番 か ら 4 0-
8 番,
42-
1 番 か ら 4 2-
2 番,
43-
l 番 か ら 4 3-
3 番
,
44-
1 番 か ら 4 4-
3番のように枝番がついている曲もそれぞれ独:
立 の 1 曲 と 数 え ら れ る。
他方,93番は礼拝式文であり,
設美歌ではない ので除外する)267曲が, 「
設美歌」
から採用されている。
他方, 「
設美 歌二編」
か ら 8 2 曲, 「
と も に う た ぉ う 』 か ら 1 7 曲, 「
こ ど も さ ん び か」
-
1l0-
2l世紀の協会の歌めざして 5 か ら 3 l 曲 が 採 用 さ れ
,
その他の内外の諸設美歌集や新作識美歌から 200曲が採用されている。
内容的に見れば
,
単旋律聖歌や(44-
l,228,231,245,292番),
ア ト ス 典礼歌(30番),
ガリア典礼歌(31番), ス コ
ツトランド詩編歌(36,167, l68番),
ジュネープ詩編歌(1l3,1l5,122,124,128,130,137,159番),
さ ら に は
,
宗教改革期のコラール (3,7,63,86,160,224,246,317,34l, 377番)など,
非常に長い歴史を持つた歌が被極的に採用されているのが日立つ。
(3) 公同性と典ネ
L
性の追求③
「
公同礼拝にふさわしい歌(公同性,
賛美の歌と祈りの言葉の対 話性,
典礼性を生かし,
会衆参与を促す)」
「
識美歌2l」
は, 9 3 -
l 番 か ら 9 3-
7番に礼拝式文を入れ,
25番から29番に項栄の識美歌を置き
,
30番から35番にキリェ
唱を置き, 39 -
1 番か ら 3 9
-
7番ハレルヤ唱を置き,
40-
l か ら 4 0- 8にアーメン唱を置き,
41番から49番にその他の応答唱を置いている
。
これは,
礼拝における 司式者と会衆の対話や応答ということを重視した結果である6。
また,
113番からl83番は
,
詩編歌を中心とした煩歌である7。
このため,
公 同の礼拝で用いられる設美歌集という性格が強くなっている。
また
,
教会暦の主題に沿つて選曲された曲が, 「
設美歌』では83曲 であった の が ( 9 4 番 か ら l 7 6 番 ), 「
設美歌2l」
では142曲(223番か ら364番) に な り,
大幅に拡充されている。
礼拝において教会暦をよ り 重 視 し て い こ う と す る,
設美歌委員会の姿勢がここに現れている。
こ れは教団の讚美歌編集方針が,
プロテスタント教会の中でも,
礼拝の-
l l 1-
6
典礼性をより多く残し
,
教会暦を重視する聖公会やルーテル教会の設 美歌集の編集方針と近付いたことを意味する8。
他方
,
カトリック教会の典礼歌の一
部が採用されているのは, 「
設美 歌 2 l」
の大きな特色であり,
教団の教会の礼拝によりリタージカルな 面を取り入れ,
司式者と会衆の応答を強調する,
設美歌委員会の姿勢 を示している。
8 1 番 ( 主 の 食 卓 を 囲 み ) や,13l番(谷川の水を求め て ) は,
日本人の作曲(81番は新垣壬敏,
13l番は高田三郎)になる,
カトリック教会の典礼歌であり
,
現代的でありながら,
礼拝に相応し い格調を備えている。
しかし
,
讚美歌末のアーメンの処理という点では, 「
讚美歌21」
も課題を残している
。
会衆の肯定的応答を意味するアーメンは,
欧米の讚 美歌原曲では,
項栄を内容とする曲にだけに付けられている。
と こ ろ が,
l931年版と l954年版の願美歌」
が,
すべての識美歌の末尾にアー メンを付けたため,
日本の教会では讚美歌の最後に必ずアーメンを付 けるという習慣が出来てしまった。
この問題は,
早くから気付かれて お り,
日本聖公会「
古今聖歌集」
1956年や,
日本福音ルーテル教会の「
教会設美歌」
(聖文舎,
1974年)は,
頌栄にしかアーメンを付けてい ない9。
日本基督教団讚美歌委員会もこれに倣つて,
l992年「
改訂 設 美歌試用版」
の段階では,
頌栄にしかアーメンを付けていない。
と こ ろ が,
試用版刊行後,
アーメンをすぺての讚美歌に付けて欲しいとい う現場の教会の声に押されて,
ほとんどすぺての設美歌の細外にアー メ ン を 付 け,
こ れ を 用 い る か ど う か は,
個々の教会の司式者の判断に 委ねた。
日本基督教団設美歌委員会は, 「
本来,
アーメンは歌詞の一
部 ではなく,
礼拝においてその賛美歌の歌われる位置や用途,
歌詞の内-
l l 2-
2l世紀の協会の歌めざして 7 容によって有無が決まるのです
。
必要に応じてぉ使いいただけるよう に,
便宜的にほとんどの曲にアーメンを付けました」
と述べている'
o。
この
「
便宜的」
妥協のため, 「
設美歌21」
におけるアーメンの処理は大 変中途半端なものになった。
実際のところ, 「
設美歌2l」
を採用してい る教会の礼拝では,
棚外のアーメ ンが自動的に歌われるのが習慣と なっ
ている。
(4)
ェ
キュ
メニ
カルな性格⑤
ェ
キュメニカルな視野を持つ歌。
戦後の日本の教会の特色の
一
つは,
エキュメニカルな対話と協力が,
教団レぺルでも
,
各個教会レベルでも進んだことであり,
その目に見 える成果が,
カトリックとプロテスタントの聖書学者が協力して刊行 した「
新共同訳聖書」
(1987年)である。超教派的な礼拝に与る機会も 増える中で,
他教派の優れた設美歌に触れる機会も多くなっ
た。「
識美 歌21」
には教団系の教会で歌われている設美歌だけでなく,
カ ト リ ッ ク 教 会 や ( 8 1 番,
13l番),
テゼ一
共同体識美歌や(26番, 3 4 番 , 3 8
番
,
39-
3 番, 3 9 -
4 番,
42-
1 番, 4 3 -l 番,
46番,
47番,
48番,
49番,
89番
,
l12番,
33l番),
ルタ一
派の教会の設美歌(7番, 1 6 0 番 , 2 3 3
番,
256番,
368番,377番 ,
550番他),
さらにはバプテスト派の教会 の設美歌(79番,451番他) も採用されている'' 。
(5) 非欧米的積美歌も収録する
⑥
「
欧米に限らず世界各国,
各民族の費美歌。
日本人の作品。」
日本の教会が設美歌の歴史は
,
l9世紀末の日本再宣教に際して日本-
113-
にやってきた欧米の宣教師に始まる
。
初期の識美歌はほとんど,
欧米 の讚美歌に訳詞を付けたものであった。
その後の日本の教会の歩みの
中で,
日本人の作詞作曲になる曲が少しずつ生まれてきたが,
戦前は その数が限られていた。
欧米の讚美歌中心という性格は,
戦後l0年日 のl954年に刊行された「
識美歌」
にも引き継がれ,
収録曲全585曲(曲 番は1番から567番までっ
い て い る が, 3 7 番, 8 7 番,260番 ,
272番,
273番
, 5 4 9 番 ,
550番,
551番, 5 5 2 番 ,
553番,
554番には,
同一
歌 詞に二つの別の曲が付いている。587番は8つの別
々のアーメン唱か ら な る ) の う ち,
日本人が作曲した曲は20曲であった(4.l%
)。
これ に対して, 「
讚美歌21」
全597曲のうち,53曲が日本人が作曲した曲 で あ り,
収録比率はかなり向上している(8.9%)。
このことは,
明治期 の日本再宣教以来,
l30年を経過した日本の教会の歴史の中で,
日本人 が作つた讃美歌が少しずつ
集 積 さ れ て き て い る こ と を 示 し て い る。
欧米地域や日本以外の地域で生み出された讚美歌は
,
全部で23曲で あ る。
これに,
欧米地域であるが,
先住民やアフリカ系の人々
が生み 出した議美歌は7曲ある。
これらを加えれば,
日本以外の非西欧的設 美歌は全部で30曲となる。
この数値は余り大きいとは言えず,
非西欧 的設美歌を出来るだけ収録していこう設美歌委員会の方針は画期的で あ る が,
まだ十分に成果を挙げていない。
こ れ か ら も,
第三世界の教 会が生み出す設美歌に目配りを怠らず,
優れた讚美歌を掘り起こして い く こ と が 必 要 で あ ろ う。
日本が位置する東北アジアの隣国の設美歌では
,
中国の設美歌が2 曲(80番,
388番),
韓国の讃美歌が5曲(l26番,
196番,
397番, 398
番,
421番)採用されている。
この点では,
例えば,
398番(光さす朝)-
114-
21世紀の協会の歌めざして 9 は
,
植民地支配の苦難,
戦後の民族分断の痛みを乘り越えて,
神の光 に導かれた新しい歴史世界の到来を祈り求めている。
4 2 l 番 ( ウ リェ
イウ ッ ソ ン と な り び と は だ れ で し ょ う ) は
,
サマリア人の喩えに語 られた隣人愛の本質を良く言い表しているものであり(ルカl0:25-
37を参照)
, 「
こ ど も さ ん び か」
14l番に収録してあったものを再録する形 と なっ
た。
(6) ;
iL
拝以外の場でも使用出来る識美歌の収録⑦
「
礼拝以外の諸集会や信徒の生活の中でも,
多様な展開ができる 歌。」
こ の ポ イ ン ト は
,
既にl967年刊行の「
讚美歌第二編』の編集日的のーつであった
。 「
讚美歌2l」
は,
指針①では礼拝で用いられる讚美歌 集という性格を追求しているのだ か ら,
指針⑦は指針①とは全反対 の要求を同時に満たそうとしていることになる。
教会で行われる聖日 礼拝以外の場の中でも,
特にキリスト教主義学校での礼拝に用いること が 出 来 る よ う に
,
550番から557番の8曲の識美歌には「
学校」
と い う表題が付き,
歌詞の中に「
学舍」
や「
キ ャ ン パ ス」
と い う 言 葉 が 出 て く る。「
設美歌」
では439番から441番の3曲に「
学校」
と い う 表 題 が付いているだけだから, 「
讚美歌21」
は,
以 前 よ り も キ リ ス ト 教 主 義 学校で歌われる讃美歌集という性格が強化されている。
(7) 開
・
音楽の現代化⑧
「
用語や歌詞,
音楽の面でも,
現代の会衆が理解出来る歌,
また その感性に応じる歌。」
-
115-
10
a・ ロ
語イt: 1
歌詞の口語化の課題は
,
既にl954年の「
讚美歌」
編算の時点で意識 さ れ て い た が, ロ
語の言語としての未熟を理由に見送られていた'
2。
し かし, 「
讚美歌」
は,
文語文を歴史的仮名適いでなく,
現代仮名適いで 表 記 す る と い う こ と を 行 つ た た め に,
極めて不規則な表記法を採用す る結果となった'
3。
1967年に刊行された「
設美歌第二編』は,
編第の方 針として口語化を掲げたが,
実際に採用された口語体歌詞の設美歌は 全259曲中の31曲に留まった。
しかし
,
日本語の言語状況は, 「
識美歌」
や「
讚美歌第二編」
の刊行 当時から,
さ ら に 大 き く 変 化 し,
文語的表現が特に若い世代にますま す理解困難になっ
たために,
日本語訳聖書と同様に讚美歌の口語化の 課題は避けて通れなくなった。 「
設美歌21』を編算するにあたって,
設 美歌委員会は口語化を全面的に推進することを試みた。
しかし, f
設美 歌21」
を総体的に見ると文語調の歌調の歌が半数近くあり,
設美歌委 員会自身がf
讚美歌2l」
の序文で認めているように,
設美歌の口語化 はまだまだ完成に至つていない。
口語体歌詞は文語体歌詞に比ぺ,
同 じ意味内容を表現するのに 約 l 5%
余計に音節を必要とする'' 。
こ れ が,
聖書翻訳のロ
語化が,
既にl955年に実現したのに対して,
讚美歌 歌詞の口語化が遅れている最大の理由であろう。
口語化が遅れている第二の理由は
,
文語の方が日本語による詩の言 葉 と し て の 歴 史 が 遥 か に 長 い 成 熟 し た 言 葉 で あ る と い う こ と で あ る。
文語は現代日本の日常生活からは姿を消したが
,
短歌や俳句といった 定型詩の世界には生き残つており,
口語で短歌や俳句を詠む人は少数 で あ る と い う 事 実 も あ る'
5。
しかし,日本の伝統的定型詩に用いられて-
l l 6-
21世紀の協会の歌めざして l l きた和語は
,
古今集以降花鳥風月的な叙情に流れるという問題があり,
設美歌の歌詞となった時に
,
キリスト教信仰が知らず知らずのう ち に 花鳥風月的叙情に置き換えられる危険も持つている。
その例として従 来から指摘されているのが,
別所梅之助作詞・
富岡正男作曲「
設美歌」
l55番である
'
6。
次に歌詞を引用してみる。
l .
3.
空 は う ら ら に, 風 は そ よ ぎ
,
ひばりよ,
高く 雲間に舞え,
あらしは失せて
,
かすみ立ちぬ。
小川よ,
清 く 岸 に う た え こずえのみどり 色をまして,
わがイェ
ス君は 失せしならで,
よろこびの声
ょ
も に き こ ゆ あ り し さ ま に て よ み が え り ぬ2. 3.
花ひきつれて 春 は き た り
,
山よ,
た た え よ き みの御名を すみか定めつ,
野ぺに里に。
谷もいずみも 丘もぉどれ。
すみれあらわれ
,
桃はわらい,
みよ,
君は活く,
失せしきみは 山吹なびき,
さ ゆ り か お る。
す く いのぬしと よみがえりぬ。
この曲は復活の設美歌の
一 つ
として採用され,
春が来て自然が再生 する喜びを,
キリストの復活の喜びに重ね合わせているが,
復活信仰 を花鳥風月的叙情が覆い隠している印象を受ける。
非常に易しい文語 で書かれ,
理解には問題がないにも拘わらず,
この識美歌は「
讚美歌 21』 に再録されなかった。
それは,
口語化という新設美歌の編集方針 が花鳥風月的叙情を避けるという側面も持つているからであろう。
し か し,
現代談美歌集が文語の花鳥風月的美を排除しようとするときに,
用いる現代口語が詩の言葉としての十分なリズムと美とを備えている
の
か と い う こ と が 問 題 に な る。
-
l l 7-
l 2
「
識美歌2l」
の中には,
詩の言葉としての文語と口語を比較する良い 例があ・る。 「
設美歌2l」
に収録されている,
別所梅之助が作詞した155 番(山べにむかいて)と改訂委員会作調のl56番(日を上げ,
わ た し は見る) は,
同じ曲に詩編12l編に基づく文語と口語の歌調をっ
けたものである
。
以下にその一
番の歌調同士を比較してみよう。
文語歌調 山ぺにむかいてわれ 日をあぐ 助けはいずかたより き た る か
。
あめ
っ
ちの
み か み よ り たすけぞわれにきたる。
口語歌調 目を上げ
,
わたしは見る,
山々。
助けはどこから来る
,
わたしに。
天と地を造られた み神のもとから来る
。
口語歌詞のねらいは
,
文語歌詞「
あめつちの
み か み よ り」
には,
そ れ程はっきりとは現れていない,
創造主という神学的概念を, 「
天と地 を造られた み神のもとから来る」
と い う 句 で 明 確 に す る こ と に あ る。
こ の こ と は
,
讚美歌委員会編「
設美歌2l 略解」
が,
別所の作品の特 色 と し て, 「
当時の自然神学の影響もあり,
日本の伝統的詩歌や花鳥風 月的表現がしばしば見られます」
と 述 ぺ て い る こ と か ら も 真 付 け ら れ る'
7。
しかし,
文語歌調の文学性の高さに口語歌調は違く及んでいな い。文語歌詞の一
行目と二行日,
三行日と四行目は,
類律の上で並行 し,
見事な対をなしており,
非常に美しく響く。
また二行日は間いに なってぉり,
三,
四行日はその答えになっている。
これに対して,
口 語訳は,
詩編121編のへ
プライ語本文の語順に従う形で,
日本語単語-
1 l 8-
21世紀の協会の歌めざして 13 を配置しているが
,
日本語としての響きは悪く,
詩的な美しさは失わ れている'
8。
この口語歌詞は日本的情趣に包まれた詩的な美しさより も,
神学的な正しさと逐語訳的な忠実さを追求していると言える'
o。識
美歌委員会の意図は良く分かるが,
果たしてこのような歌詞が愛唱さ れ る だ ろ う か と い う 疑 間 が 残 る。
讚美歌口語化の障害をなす第三の理由は
,
日本人が作詞作曲し,
今 も教会で愛唱されている讚美歌に文語で作調されたものが多いという こ と で あ る。
このような創作詩を作詞者本人がロ
語化するならまだし も,
後の世代の人間が改変を加えることは基本的に許されないと考え るべきであろう。
例えば,
鳥居忠五郎作曲,
三輸源造作詞「
ひつじは ねむれり」
(252番),
安部正義作曲,
由木康作詞「
馬糟のなかに」
(280 番)などは,
内容的にも文学的にも優れた日本の代表的讚美歌であり,
これらの歌詞に対して
ロ
語化の大義名分のもとに改変を加えるのは暴 挙 で あ ろ う。
さしもの讚美歌委員会も,
これらの設美歌につ
いては, 口
語化の大館を振るわず,
その
まま残している。
b
.
神道用語,天皇用語の排除明治期の教会は
,
日本語の伝統には存在しなかったキリスト教用語 を形成しなければならなかった。
その際,
明治期の教会指導者たちは,
漢訳聖書の用語を継承して
,
漢語系の言葉を,
聖書翻訳や信仰告白文 書に用いた。
今日, 「 エ ク レ シ ア」
が「
教会」
であるのも, 「
デ ィ カ イ オシュネー」
が「
義」
であるのも, 「 エ メ ス 」
が「
真実」 , 「
バプテスマ」
が
「
洗礼」
であるのも,
すべてここから来ている。
他方,
彼らは西欧 の設美歌の歌詞を訳するに際しては,
和語を用いた。
明治期の聖書翻 訳に関わった松山高吉や奥野昌綱は,
讚美歌の編築にも関与していた-
l l g-
l4
のだから
,
聖書翻訳に漢語を用い,
設美歌訳調に和語(大和言葉) を 用いたのは,
彼らの意図的選択であったと推定される。
彼らは先祖伝 来の大和言葉は,
厳密な思索には適しないので,
神学的思索や信仰的 立場の表明には漢語系の言葉を使い,
自分たちの信仰者としての心情 を歌うときには和語を用いたと言える2° 。
日本の伝統的詩文には漢詩 と和歌の両方の伝統があるが,
明治のキリスト者たちは,
和歌の用い る柔らかな語調の大和言葉の方を好んだのだった。
しかし,
詩の言葉 としての和語は,
和歌の長い伝統の中で育まれたものであり,
古代に おいては宮廷がその中心であったので,
花鳥風月的表現はもちろんの こ と,
神道的用語や天皇用語も混ざっているのは事実である2' 。
讚美歌委員会が
,
設美歌歌調から神道用語,
天皇用語の排除するということ は,
方向としては正しいが,
そこに介在する文化的伝統の間題の深さ を理解しているかどうかが間題である。
l954年の
「
讃美歌」の編集委員会も新意法下の時代になって,
l931 年版「
讚美歌」
の中に存在する国家主義的・
天皇崇拝的傾向に気付き,
讚美歌改訂にあたっては
,
国家主義的・
天皇崇拝的歌詞を取り除くよ う と し た 形 跡 は あ る が22,
それは極めて不十分なものであった。
l954年の 「
讚美歌』の中に用いられた,
神道用語,
天皇用語の例を幾つか見 て み よ う。
l4番の歌詞一
番は,
以下の通りである。
わ が た ま さ め て ほめたたえよ
,
世をすぺしらす 大御神を
。
た か き に い ま す 主のみ いつを 地に あ る わ れ ら は あがめまつる
。
この讃美歌は
, 「
讃美歌2l」
には継承されていない。
その理由は,
二-
l20-
21世紀の協会の歌めざして 15
行日の
「
大御神」
という表現が神道的であるのと,
三行日の「
みいつ」
がしばしば天皇を設美する形容詞として使用されているからであろ うo
松山高吉作詞
, G ・
オルチン編曲で,
元は「
新撰設美歌」
に収められ ていた「
談美歌」
4l5番の歌調一
番は,
以下の通りである。
わがやまとの 国 を ま も り あ ら ぶ る 風をしずめ 代
々
やすけく ぉ さ め た ま えわが神
この歌詞の間題は
,
伝統的詩歌に用いられる「
やまとの国」 , 「
あ ら ぶる風」
などの表現を踏製したために,
全体として天皇制を設美する 歌 と 響 き が 非 常 に 似 て い る と こ ろ に あ る。
この歌調は少し手を加えれ ば,
容易に天皇設歌に転嫁しうる内容を持つている。
例えば,
二語入 れ替えると以下のような歌になる。
わ が や ま と の 国 を ま も り あ ら ぶ る 仇 を う ち 倒 し 代
々
や す け く ぉ さ め た ま えわが君
実際のところ
,
設美歌415番は,
戦前の教会や学校で行う国家行事 の祝典で歌われて来たし,
戦後も天皇が神戸女学院を訪れた時に,
歓 迎式典で歌われたという来歴を持つている2 3。
こ の よ う な 識 美 歌 が,
「
設美歌2l」
に継承されなかったのは当然である。
「
年末年始」
という表題が付けられている「
識美歌」
414番の歌調一
番は
,
以下の通りである。
-
l 2 l-
16
あ ら た ま の 年たちかえり
,
う ら う ら と 初日におえり
,
家 ご と に 前 立 て て
,
新年を
ぃ
わ う め で た さ,
この歌調には全くキリスト教的性格がない
。
この歌調は内容的に,
下 記の千家尊福作詞「 一
月一
日」
と大差はないと言える2' 。
年の初めの ためしとて 終わりなき世の めでたさを 前 立 て て 門毎に
祝ふ今日こそ たのしけれ
これに対して
, 「
設美歌2l」
において「
新年」
と表題がついている,
江口武意作詞
・
山田敬作曲の368番 (新しい年を迎えて) の歌調一
番を見てみよう
。
新しい 年を迎えて 新しい 歌 を う た ぉ う な き も の を あ る が ご と く に 呼 び た も う 神をたたえて 新しい 歌 を う た ぉ う
この歌調は
,
通かに聖書的であり,
旧設美歌の414番が除かれ,
こ の設美歌が採用されているのも当然である。
「
識美歌21」
は, 「
御望」
という言葉が神道的であるとして, すぺて「
聖露」
という言葉で置き換えている(25番,
339番,
340番,
3 4 l 番,
342番
,
343番, 3 4 4 番 ,
345番,
346番, 3 4 7 番 ,
348番, 3 4 9 番,
350 番)。
25番の煩栄は「
父,
御子,
御望の神に 御栄えあれ」
ではなく,
-
l22-
21世紀の協会の歌めざして 17
「
父・
子・
聖館に み栄えあれ」
と なっている。
これは神道的連想を排 除するという意味では,
神学的に正しい改変であろう。
また,
信仰告 白文書や神学書では聖盤という言葉であるのであるから,
讚美歌がそ れに合わせるのも自然である。
しかし,
歌詞の言葉としては語昌が悪 く,
歌 い に く い と い う 欠 点 が あ る2 S。
また,
歌詞の全体は和語で書かれ ているのに, 「
聖館」
だけが漢語であるという問題もある。
c・
差別語や不快語の排除この方針は
,
聖書翻訳とも並行する問題であり,
公の礼拝の中で使 用される聖書や讚美歌の言葉が,
差別意識を助長したり,
人に不快感 を与えてはいけないという配慮から出ており,
基本的には正しい。
し か し,
何が差別語や不快語かという具体的規準を設定することは,
簡 単でない。 「
讚美歌2l」
の序文は, 「
讃美歌』の中に差別語,
不快語が 存在することを全面改訂の理由の一
つとして挙げているが,
何が差別 語や不快語に該当するかということは示していない。
この点で参考に なるのが,
設美歌委員会が,
1988年l2月に配布した, 「
識美歌におけ る不快語の読替について」
という読替表である。
例えば,
この読替表 に よ る と, 「
設美歌」
l l l 番 2 節 の 「踐の女をば母として」
は, 「
お と めマ リ ア を 母 と し て
」
と な り,
223番2節「
た か き も ひ く き も みかみにつ
かえて」
は, 「
すぺてのものみな みかみにつかえて」
と読み替えら れ る。
社会的身分の高低を示すような表現は好ましくないというのが,
これらの読替の趣旨であるが
, 「
賤の女」
や「
た か き も ひ く き も」
が不 快 語 に 当 た る か ど う か と い う こ と は,
識 論 の あ る と こ ろ で あ ろ う。
-
123-
l 8
お わ り に
以上の検討により
, 「
讚美歌21』は, 「
讚美歌」
を様々
な点で改善し,
現代の教会の信仰を証する設美歌集という正しい方向に向かった努力 の成果である言えることが分かる
。
しかし,この「
設美歌21』も決し て完全ではなく,
様々
な課題を持つていることも明らかである。
この 讚美歌をさらに改善する努力を続ける必要があることも判明した。
教 会や神学者は,
開かれた場で,
識論を深めていくことが大切である。
注
1 北村宗次
「
なぜ, い ま 費 美 歌 改 訂 な の か 一「
識美歌21」
発刊にあたり」f
礼拝と音楽」
第93号(1997年)4買は, 「一
九五四年版「
設美歌」
の現 行「
設美歌」
と い う 呼 称 も,
もう過去のものとしたい」
と設美歌委員長としての抱負を述べる。 2
「
設美歌21略解」
4-
5頁。
3
「
設美歌21」序文vii。4
「
設美歌21J序文v, 北村宗次「
なぜ,
いま賛美歌改訂なのかJ「
礼拝と 音楽」
第 9 3 号 ( l 9 9 7 年 ) 5-
6買。5
「
設美歌2l」
序文v。6 こ の こ と について
,
今橋朗・飯增子「
新しい費美歌に親しもう一
多様な 贊 美 を さ さ げ る た め に」 「礼祥と音楽
」
第 9 3 号 ( l 9 9 7 年 ) l 0-
1 2 買,
今橋朗
「
応答唱の回復一
ど う し た ら 礼 拝 で 使 え る か」「
礼祥と音楽」
第 9 7 号 (l998年) 24-
29頁を参照。
7 似田兼司「礼拝を豐かにする請幅の歌
一
六〇曲の詩編をどのように も ち い る か」 「
礼拝と音楽」
第 9 3 号 ( l 9 9 7 年 ) 1 6-
l9買を参照。8 日本塑公会
「
古今聖歌集」
l956年,
日本福音ルーテル教会「
教会設美歌」
塑文舎
,
l974年を参照。
9 「教会設美歌
」
序文6頁を参照。
10
「
設美歌2l」
序xii-
xiii,今橋朗・
飯培子「
新しい費美歌に親しもう一
-
l24-
21世紀の協会の歌めざして 19 多 様 な 資 美 を さ さ げ る た め に」 「礼拝と音楽』第93号(1997年) 12買を 参照。
11 「設美歌21
」
が「反エキュメニ力ルな性格」を持つという, 唐津東流「礼 拝における資美歌の意味と意味と機能」日本音楽研究会, 2001年, 70-
71頁の議論は, 事実誤認である。
12
「
設美歌」序5頁参照。尤も,1954年当時の日本の教会の言語感覚におい て, 設美歌の口語化が困難であっても, 不可能ではなかったのではない か と い う 意 見 を, 当時の讚美歌改訂委員の一・人であった飯清が後に述べ ている。
飯清「現行「誠美歌」成立までの歴史とその特徴」 「礼拝と音楽」第 4 4 号 ( l 9 8 5 年 ) 9頁参照。
l 3 原恵「費美歌 その歴史と背景」日本基督教団出版局,1980年285頁。
l4
「
識美歌第二編」
序 7 頁 , 原 恵「資美歌」
298頁を参照。l 5 原恵
「
贊美歌」
276-
277買, 山本尚患「現行「設美歌」
の特徴と間題点」「
礼祥と音楽」第 4 4 号 ( l 9 8 5 年 ) 4 7 頁 を 参 照。l 6 原意「資美歌」276頁, 北村宗次「なぜ, いま資美歌改訂なのか」 「礼拝 と 音 楽」第 9 3 号 ( 1 9 9 7 年 ) 5 頁 。
l 7 「識美歌2l 略解
」
110頁参照。花爲風月的・自然神学的傾向は, 明治36 年版「識美歌」以来の日本の設美歌歌詞の間題として, 以前から指摘さ れ て き た 。 小 泉 功「明治36年版「
設美歌」について」 「礼拝と音楽」
第 4 4 号 ( l 9 8 5 年 ) 4 0 頁, 山本上記論文49頁を参照。18 唐津東流 「礼拝における資美歌の意味と意味と機能
」
日本音楽研究会,
200l年,78頁は,156番の歌詞を155番の別所梅之助の詩の翻案である としているが,むしろ詩編121編に基づいた直訳調の訳詞であると言え る
。
尚,別所の歌詞は, John Campbellが作詞した原詞 Unto thehills around do I l i f t up mylonging eyes. の訳である。19 「設美歌21」の歌調が
,
神 学 的 正 し さ と, 芸術性・文学性とを程良く調和 さ せ て い る と い う, 山内一
郎「混迷の時代の希望の響きを一「
敬美歌2l」
刊 行 l 年 に 思 う
」 「
礼拝と音楽」第97号(1998年)37頁の趣旨には,
費 成出来ない。20 拙稿「「信仰」か
「
信 』 か ?-
Pistisの翻訳史を文化史,宗教史的視点よ り 考 え る一」 「基督教論集」第 4 1 号 ( l 9 9 8 年 ) 4 9 頁 参 照 。2 l 原意「資美歌 その歴史と背景」日本基督教団出版局,1980年266
-
273頁, 小 泉 功「明治36年版「設美歌」について」 「礼拝と音楽」第44号 (l985年)40頁参照。
22 日本基督教団設美歌委員会発行「讚美歌委員会史」l965年, 49頁, 北村 宗次「現行「
1
裁美歌」以後」 「礼拝と音楽」
第44号(1985年)3l買参照。-
125-
20
23 設美歌委員会編「讚美歌略解前編 歌詞の部」日本基督教団出版局,1954 年,230頁を参照。
24 堀内敬三・井上武士編「日本唱歌集」岩渡普店, 1 9 5 8 年 , 4 3 頁 を 参 照 。 25 唐津東流 「礼拝における賛美歌の意味と意味と機能」 日本音楽研究会,
2001年,30頁を参照。
参 考 資 料
日本基督教団讚美歌委員会編 「設美歌21」 1997年 同「識美歌21略解」l998年
同「識美歌
」
1954年同「11資美歌略解前編 歌詞の部
」
1955年 同「設美歌第二編」1967年同「と も に う た ぉ う」1976年
同「こ ど も さ ん び か ( 第 三 版 )」l987年 同「改訂 設美歌試用版」l992年 日本聖公会「古今聖歌集」1956年
日 本 福 音 ル ーテル教会「教会讀美歌」聖文舎,1974年
日本基督教団出版局・日本基督教団識美歌委員「讚美歌における不快語の読替 について」
日本基督教団出版局「礼拝と音楽
」
第 4 4 号 ( 1 9 8 5 年 ) 同 第 5 2 号 ( 1 9 8 7 年 )同第93号 (1997年) 同第97号 (1998年)
堀内敬三・井上武士編「日本唱歌集」岩波書店,1958年
1
l:1:
l 壮一「キ リ ス ト 教 音 楽 の 歴 史」日本基督教団出版局,l979年原1lS
- 「資美歌 その歴史と背景」日本基督教団出版局,1980年
横坂康彦「教会音楽史と1
l:1ll美歌学」
日本基督教団出版局,l993年
同「新しぃ資美歌作家たち」日本基督教団出版局,1999年 同「現代の資美歌」日本基督教団出版局,2001年
f書津東流「礼拝における費美歌の意味と意味と機能」日本音楽研究会, 2001年 一 l 2 6