離 婚 の 動 向 ピ そ の 意 義
塚
原
仁
二十世紀に入づて土りと云ふ土師は︑むしろ十九世紀後半期工り第二次世界大戦前に至る期間につき西欧諸国に
見らるL顕著たる人口動態現象として︑
死亡
の減
少︑
出生の減退を指摘するととが出来るが︑婚姻については之
b−或期間に限つ一て見る怒らぽ︑確かにト﹂昇とか︑下降とか︑或は横這ひとか︑その動向を云々し得るが︑金期聞を
通して見るときは︑犬休に於て熔姻性向水準とも一去ろペき一定の水準を中心として︑上下する一一種の波動的運動の
繰H返しを看るのが妥当の上ろである︒前世紀上り本世紀にかけて︑経済的・社会的条件に於ける変化は実に割期
的訟ものがあった︒之に従てあらゆる面に於ける人間生活の変続も亦且て人類の経験し友かったととろであった︒
結婚観︑家検観にが︑ける全面的た変化があったκ︒柄拘はらや︑婚姻性向が殆ど影響を受け友かったよちた観がある
ととは︑何と去ってもわれわれには予想外のととL
思は
れる
︒
η況や婿姻はわれわれの意志的規定を受︿る点に於
て生物学的過程たる出生や死亡の如きものL速く及ぼさるとと宏考へる時︑一一周ととごとは重大注意義を持づ︒而
離婚の動向とその意義
して此婚姻は配偶者の一方の死亡によって解消されるが︑叉同時に甚だ不幸友ととであるが︑当事者の一方的意志
叉は合意によっても解消される︒之が離婚である︒
本稿の目的とすると乙ろは︑離婚統計を通して我国に於ける離婚の動向を把握し︑西欧諸国︵米国を含めて︶の
それ去の比較に上って︑その特殊性を検討するにある︒従て先づ離鳩統計の対象たる離婚が如何友るものである
か︑その定義づけから始める︒一冗来離婚は社会学的病理現象の一であクて︑実質的には夫婦関係の破綻︑特にその
1)「経蛍と経済J第三十四年第二冊拙稿「仏蘭自に於ける婚姻の動向につ」、
て」参照
破局的終末を意味するのであるが︑各図の法制慣習は仮令現実的にそろ一式う状態が存在する場合にんが︑ても︑
一定
の
条件を満さ友い限り之を離婚と認め及︑い場合がある・実際関によクては金︿離婚を認め友いものもあり︑叉逆K完
金怒る離婚の自由を認めるものもある︒多︿は此両端の中間にあって︑離婚は裁判による以外に認め友いもの︑叉
更に協議離婚を併せ認めるものがある︒従て離婚統計の対象たる離婚を共通的に一義的に定義するととは不可能で
ある︒間際聯ム口の﹁人口統計年鑑﹂に於て離婚を幅広く定義じてゐるととは︑けだし当然のととである︒即ち﹁難
燃とは婚姻刷の最終的・法律的解消である︒即ち各国の法律に従て民法的叉は宗教的再婚の権利を当事者に与へる司
法王の決定に土る夫婦の別離であるo
﹂り
離婚統計の対象たる離婚の意義を明確にする為には︑之と類縁的制度叉は事象止対比するがもよい︒熔姻を認めた
い関に於て︑別居制度転採ってゐるが︑之は唯夫婦が事実上別々に生活してゐる五一云ちととではなく︑裁判に基く
夫婦の同伎の苓定である︒従て之は法律的聞係である︒離婚と臭る曹ととろは再婚を認め友い点である︒独逸では離
婦の外に別居を認めてゐるし︑端典では別居を離婚の準備期間とし︑一定の別居期間後始めて離婚が自動的に成立
するととにたってゐる︒同によづては別居を離婚統計中に含ませるととがある︒かふる制度の下に於ては︑別居の
訴をしたものが︑更に離婚訴訟を行ひ︑二電計算と殺るとどがある︒併し別同時数は離婚数に比して︑殆E問題とた
らぬ位少いので︑︵例へば一九二ご年プロシアでは離婚二三︑七一一件に対し︑別居は種かに一七件に過ぎ猿かっ
た0﹀之を含めたからと云づて︑離婚統計の在確性売傷けるほEには友らぬ︒島米関に於ては事実上特K下層社会
に於
いて
事実
上の
中心
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師生
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的え
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実ト
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難で
ある
︒
2) Demographic Yearhook. 1953. p. 28. 3) J. Muller. Revijlkerung括tatistitkS. 130‑131.
4) J. Sfrjamaki, The American Family in the Twent田thCentury. p, 116,
家庭の事実上の破綻の形式K遺棄がある︒夫叉は妻が相手を感意を以て遺棄する場合である︒勿論之を理由とし
て離婚する乙とも出来る︒之は実際には甚だ多い︒古い統計だが︑一八八五年の人口調査によれば︑伯林に於て離
婚女性二︑八二四人に対し︑六︑四五七人の遺楽された女性がゐたとの乙とである︒め之は米閣に於ても甚だ多く
貧乏人の離婚︵司
02 gg
〆
4 会
22
︶と称せらるる伎である︒信頼するに足る統計によれば毎年一五O︑
G o
o
−
二0
0000件の遺棄があるとのととである︒酌米同に於ける遺棄の推計が如何K為されたかは判らねが︑かよ︑
うに動態的に捕へる乙とは︑元来その性質上至難たととであるから︑その程度は之を間接的K同勢調査に当クて調
︐へる方法によらさるを得ないが︑かふる事項注調査事項として質問したととろで︑遺棄されたことを恥ぢて︑女は
宙開実たる申告を為さ泣いであらうと忽はれるe従て大雑把に独りで生活してゐる妻を調べて︑之と離婚せる女と対
比せしめるととがあるが︑独りで生一泊してゐる妻の総て左遺棄されたものとは見るを待たい︒けだし夫が旅行と
か︑出稼等による酋守を守る妻がゐるからである︒
離婚と似て非たるものに婚姻取消がある︒之は当事者双方に最初より熔捌がなかクたものとするととによクて︑
婚姻を無効ならしむるもので︑離婚が婚姻の解消であるのと対立する︒併し再婚が可能友点では共通する︒離婚を
隠婚の動向とその意義
認めてゐる固では婚姻取消は余り多︿注いが︑パ
1ン
ズの
一所
謂
之を禁止し︑叉厳格に取扱クてゐるところでは︑
﹁裏
口離
婚﹂
︵ ロ 白
n r e
品︒︒同色町
42
2︶として之に代らんとしてゐる
e η
以上離婚統計の対象としての離婚が如何たる内容のものであるかにクいて略述した訳であるが︑何分にも離嫁制
度は国によって甚だ具クてゐるので︑句特に閑際的比較広当クて︑離婚の意義及範囲を明確にして置くととが必要
である・少︿とも我国にクいて云へば︑民法K離婚は裁判によるものと協議によるものとのごクがあるが︑何れも
一
→
5】J.Miilller. a. a. O. S. 131.
6) H・L.Rames, s。cietyin Transition p. 311‑312 7) H. E. Barnes. ibid p. 291.
8)「商業と経済主第十年第二冊島本英夫「各国の離婚制度」参照
四
当事者の届出によるものを以て編成せるものであクて︑別居晶︑取消が含まれてはゐたい︒戦後家事審判法
︵昭 和
一一
十二
年十
二月
六日
法律
第百
五十
二号
︶
に基く調停離婚及審判離婚がある︒
離婚統計の示唆するものは︑家族の崩壊であり︑解体であり︑社会の不安定である︒とれ等の研究に当つては︑
事実
Kの別居であるとか︑遺棄の範囲等についての知識を必要とするのであるが︑此等の事拍車は前述の如くその性
質上︑統計的把握が困難であり︑従て信頼すべき資料が欠けてゐるので︑比較的縫突な離婚統計に依存せざるを得
注い
離婚統計の蒐集に当クて︑当事者の届出に拠るものもあれば︑叉離婚が宗教的叉は民事的裁判に基くものである ︒
から︑裁判所に於ける業務統計としての資料によるものもある︒我閑では離熔統計の対象は届出でられた離婚であ
る︒周知の如く︑我潤に於ては事実上一の結婦と結婚の届出とは必十しも同一日ではないのが普通であって︑地方に
上つては子供が生れそうにたってから︑又は子供が生れてから入籍すると一五ふ慣習があり︑甚だしきK至つては数
人の子供があっても術所謂内縁関係に尚ることがあるロかもふる状態の下に在つては事実上の熔姻解消があっても︑
それは離婚統計の対象とは友ら放い︒僚かにその一部が家庭裁判に於ける調停等にその頭角が現はれてゐるρ
従て
離帰統計だけでは我国の離婚の正しい頻度の表現は得られたい︒我国の同勢調査に於ては有配偶人口は事実との婚
姻関係をも含めてゐるが︑届出あるものと然らさるものと区刷がないから︑内縁関係の数が判らないし又内縁関係
に於ける離婚数を知るを得猿いから︑官庁統計の一不すと乙ろに従はざるを得ない︒右のようた訳で離婚は届出られ
て始めて︑離婚統計の対象と友るのであるから︑離婚を決意し︑夫婦聞には何等の愛情もなく︑全く家庭が破壊さ
れてゐても︑未だ届出がたい限りそれは離併とはならない︒殊に裁判による離婚しか認めない国に夜クては︑離婚
訴訟は甚だ長びき離婚が確定する迄に一年以Kの年月を要する乙とも稀ではないので︑離婚訴訟を取P下げる乙と
すらあるとのととである・兎も角も離婚の基本的事実又は関係が発生した年次と︑之が確定して統計に現はれる年
次との聞に喰違ひを生やるととL怒る︒め我国の如く大部介が協議離婚である国に於ても︑事情は全く同様であ
る︒けだし協議離婚と云クても夫婦聞に深刻なる争があって︑内むべからざる溝が出来たから︑直に協議離婚に到
達すると云ふことはな︿︑そ乙に至るまでに倣い争ひや︑苦しい涙の年月の経過を忘れてはならたいからである︒
従て離婚年令や離婚時の子供の年令にクいては︑離婚の訴訟︑叉は現実に夫婦が離婚を決意し別居生話を初めた時
に関聯せしむ一べきであるが︑統計は離婚の成立時を取る為に︑時間的友づれがあり︑時κ数ヶ年のづれを見るとと
がある乙とに注意すべきである︒問
更に離婚統計に於ける離婚は前に述べたように法律の規定による夫婦関係の解消であって︑社会学的立場よりす
離婚の動向とその意義
る夫婦関係の解消ではない︒従て再び結ぼれる見込の殆ど及い別居や遺棄が入らぬ乙とは︑既述の通りであるが︑
家庭の崩壊の正しい度合の測定としては︑此等をも含むべきで︑離婚統計だけでは充分ではない︒だから離婚の増
減を以て夫婦生活破綻の程度を結論してはならね︒例へば独逸に於て遺棄や野合婚の増加が伝へられたが︑之は離
婚の減少と随伴するととが考へらる・即ち姦通等による野合婚の場合︑形式的友離婚と新なる結婚とを断念するも
のが多く窓クたとみられるからである︒問
五
9) J. Millier, a. a. 0 S. 132.
10) United Nations, Demographic Yearbook. 1953. p. 29 11) J. Muller, a. a. o. $. 132,
,」ー
、
離婚の頻度の表現としては︑先づ総人口に対せしむるもの︑詳言すれば一定期間︵一グ年︶に於ける離婚件数を
同年の中間人口に対せしめるもので︑人口一00︑
000
人︑
叉は
一
O︑
00
人0
︑叉
は一
︑
00
0人に付何件の
形式で表示さるL
比例
数が
ある
︒
之を一般離婚率とか︑離婚組率と呼び︑
一般
出生
率︑
死亡率︑婚姻率と金く同
様の形式のものである︒従て此等は分母を共通とするので︑直に相互に比較し得るのみたら歩︑計算やその意味が
簡明で判り易い利益を持つが︑他商人ロの年令構成や配偶関係別構成を無e保する点に於て︑特に国際的比較の場合
に︑離熔頻度の測定として不適当のうらみがある︒次に離婚頻度を測定するものとして︑同年中に成立せる結婚に
対する比例数として計算するものがあるの
即ち
結婚
一︑
00
0件につき離婚何件の形式を以て表示するものであ
る︒一云ふ迄もた︿離婚中には同年の結婚に係るものもない訳では友いが︑多︿は直接関係を持たも仏いので︑離婚頻
度の測定としては適当とは云へたいの只年kの結婚数が安定して︑大した変化がない場合には︑之を計算するとと
も意味がない訳では友い︒実際に於て此形式の離婚率は可成り汎︿用ひられてゐるが︑それは理論的よりは︑計算
の簡易さに因るものである︒
一般離婚率も離婚の対婚姻比率も共に︑その分母たるものは︑離婚の危険にさらされてゐる夫婦では取く︑或は
離併に関係ゑき無配偶者人口を含み︑或は単にその一少部分のみしか含まれてゐ友い為に︑それは離婚頻度の正確
たる測度とは云へも仏い︒従て正しくは離婚の危険にさらされてゐる現在婚姻生一拾を営んでゐる夫婦の数K対比せし
むべきである︒けだし︑離婚は婚姻解治の一形式であクて︑婚姻者以外に於て離婚はあり得たいからである︒そこ
で正しき離婚頻度の測定として結婚せる夫婦に対して離般を計算すべきであるの之を特殊離婚率とか︑離婚精率と
一式ふ︒但し此計算を行う為には︑現在結婚してゐるものの数の確定が前提となるが︑之は国勢調奈を行クた年次に
自E婚の動向とその意義
於てのみ正確に確定し畑作るに過ぎや︑その中間年に於ては推計によるの外はない︒時同此場合注産すべきは︑
44
母た
る婚姻者中には内縁関係や別居中のものが含まれ︑而も此等の離婚は離餅統計では捕捉されないので︑との離婚率
は下降的バイアスを生守る乙とになるの理論的Kは此特殊離婚率は前二者に比して健れてゐるが︑比例に触れたやろ
に︑実施とに困難がある為に︑欠陥はあるが︑簡単に計算出来るとのこの方法が普通用ひられてゐる︒尤も同一一同
の場合には︑実際問題として人口の諸構成はそれ程大きた変化をし友いのが普通であるから︑此等の離婚率を以て
離婚頻度の尺度とすることもさして誤りではないであらう︒
我国に於ける離婚数及び一般離婚率を揺ぐれば次の通P
であ
る︒
我国~L_ 於ける離婚 件数及~荷量婚率
f
︐ す
9 0 7 7 3 5 8 9 6 6 2 5 2 0 7 7 0 2 0 9 0 6 6 6 5 2 B 8 3 3 3 2 0 9 4 K 1 3 9 9 0 8 7 6 6 7 7 B 7 6 7 8 2 5 4 4 3 4 3 2 3 2 2 1 1 1 I I I
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正 和
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我国の離婚件数は明治十六年の三一七︑一六二件より明治三十一年の九九︑四六二件に至るまでは︑
大体
一
O
︒ ︑ c
o o l
一 一 一
O︑
00
件の問を上下してゐる︒然るに明治三十一年民法の施行と戸籍法の改正によって離婚0
件数は激減して明治三十二年は六六︑五四五件と明治十六年に比して約半介に減じ︑前年に対しても約三八すの一を
減じ
てゐ
る︒
爾来離婚件数は逐年減少の傾向を明際に一不し︑此傾向は前大戦中まで持続した︒即ち明治末年に六
︒ ︑
00
0代を割り︑昭和八年以降は問︒︑
00
0代となり︑昭和十三年Kは四四︑六五六件と底をついたが︑日
華事変の影響を受けて︑その後粕七井したが︑昭和十七年には四二︑二六八件と一五ふ記録的友低い数字を示した︒
此離婚件数に見られる減退傾向は一般敵椛市中に於て一一層明白に現はれてゐる・即
明治十六年人口一・L U
00
0人
に付離婚三︑三九件であったものが︑明治三十一年にはニ・二七件となり︑報三十二年には一・五Oと半介以下左
もなり︑明治末年より大正初期には三介の一となり︑昭和十一年以後実に五分の一以下と及り︑昭和十三年及び昭和
十七年は僅かに0
・六
二件
κ過ぎたかった︒我国の諸極の人口動態域象中かLる長期間に渉って規則的な傾向を一不
現した離婚の如きものは︑他に細川例を見ない位顕著たものがあった︒
前世紀末葉に於ける︵明治三十一年以前︶我国の離婚性向が甚だ高かった乙とは︑当時丙欧諸学者の驚具の映を
以て指摘するととろで日本を以て世界一の離俗図しとた︒シュナッパl・アン
t κ
よれば
一八
九八
年三
十一
年︶
に成立せる婚姻︵夫婦︶数は七︑九七九︑七七六組で︑之に対し離婚件数は九九︑四六件であるから一
00
︑00
Oの夫婦中一︑二四六・四件の離婚となる︒ブイ1ルクスはそれより以前の年次について夫婦一
00
︑0
00
組に
付離婚件数を計算して次の如く挙げてゐるの
一八
八三
i八五年
一八
八六
i九O年
一八
九一
l九五年
一︑
六一
一一
二・
六
て五 00
・六
一︑
四九
二・
同一著者によればプロシア及びワルデックについては一八九一l九五年離熔は八六・七七件κ過ぎ次かった︒此
ヲートグンの八0年代末の研究によれば低きに過ぎるとしてゐる︒即ち日本甚だ高いと思はるL
日本
の離
婚数
も︑
に於ける結婚の大部分は届出でらるL前に︑死亡や離婚によって解消ごる与ので︑報告K決れてゐるとの見解を開
隣婚の動向とその意義
陳し
てゐ
る︒
ラ1トグシは次で次の如き表を掲げて之について次の如︿述ぺてゐる︒
同離婚
一八
八三
年
一八
八三
年
一八
八四
年
人口キ人に付結婚
九
四
七−六
一一
・九
六・
八
一 一 一 ・
o
此衰の数字は大体にが︑て価値段きものである︒・:・日本では結婚を戸籍役場K届出でるのが上流階級で私甚だ遅
九
。
く︑数ヶ年を経て漸く行はる−Lととも稀ではなく︑第一一児が生れる直前に届出でるのが普通と一去はれてゐる︒その
結呆婚姻を届出でる前に︑死亡又は離婚によって解消するものも少くない︒叉夫婦が呉れる地に本籍を有する場合
に二重に計算さるL
沿そ
れが
ある
︒一
式
A︒町今より五十余年前に独逸学者が我園の統計について行った批判は︑今
日κ於ても亦程度乙そ呉れ妥当することは︑前にも述べた如くである︒前表で明かな様に前世紀末業主的J今世紀頭
初にかけて︑我国の離婚の動向には一クの断層が現はれた︒その結果﹁一九一五年以前離織に於て世界を先導して
ゐた日本は︑その地伎を米国に譲クて今や急速に離婚率を低落せしめる﹂に至クた︒間
今世紀初頭我国の離婚に見らるL断層が何K基くものであったかn叉その前κ於ける高き離婚率は何に凶るもの
であクたか︒叉離婚の減退傾向は如何にして瀦ちされたか.︒高野栄三郎博士はこの事実にクき︑
﹁離
給率
は明
治=
一
十二年に俄然二%以下に低落し︑而も爾来規則正しく絶へや下降しクLある︒かの明治三十一年七月より実施せら
れたる民法及戸籍法の影響は誌にも著しく現はれてゐる
o i 一と述べられてゐるが︑町民法や戸籍法の改正が如何及る
理由でかL
る影
叩明
日を
離婚
に与
へた
か
Kクいては︑何等一士一什及されてはゐないの併し恐らくその理由はそれ以前に於け
る家扶制度や熔納及び離嫉制度に基くものと忠はるも込︒ルヴブス1ルは次の如く述べてゐる︒﹁基督教国とは社会
状態
を全
︿国
間に
して
ゐる
臼木
−
K於て離婚は更に多いの夫は正妻の外κ通常家族の一員たる妾を持クてゐるが︑その
安κは正妻自ら一之を招ゐたものも居り︑その子供は他と金く同等の付過を受けてゐるの夫は欲するまL
にその窓志
のみによクてその正安を去り︑何月何日より自由だと一五ふ離縁状な渡し︑欲ナるま与に或は子供は之を妻に托し︑
叉は渡さ友いで離熔するととが出来る︒特K
下回
同階
級
K於て此権限を行使するものが多いレ︒向之によって明かにゑ
るやろに︑我国に於ける離婚は夫の一方的た意志K
ょっ
−て
板め
て街
単
K行はれてゐた︒即ち民法が施行さるL
以前
12) G. Schnapp町− ,¥ rndt, S<>剖alStahstik. S. 489‑491 13) H. G. I unc回,HackgroundsFor Sociology. p. 467
14)高野治三郎.本邦人口の現在及将来6頁
)5) E. Levasseur. La popu!ati如 Fr柏戸間.•J. p. %.
にが︑て日本は離熔に関する限り︑殆ど約対的た自由が認められτゐ売︒単K棺互的た協議Kよる離婚が認められて
ゐたのみでなく︑当事者の一方が之そ欲すれば︑他方は何等の法律的手段がたく︑云はY双方が解約告知の自由を
有する様訟法律的地位に在づた正一式へるの勿論法律の改正に上って
Jh
何等国家よ旬の干渉はなく︑協議上の離婚は
完全に自由であったの併し一方的意志による離併は法律が定めた離熔理由忙基く判決によらねばたらなくたった︒
かくて従来向山であクた離併がその限Hに於で法律κ土って閑難ならしめらるL乙
k r
友った︒山内如斯法律の寛厳
如何に土クて離婚が影縛な受けたる例は甚だ多いが︑我国の明治三十一︑二年の激減ネ亦その一例を供するもの
で︑それが民法改正κ上るものであったととは明かである︒
如斯にして明治三十一︑二年に於ける離併の激減が︑法律改疋の影叩明引を受けたととは叫怖かであるが︑我国の離婚
は之を契機として︑爾来規則的な低落を四十余年の長さに沙って続けて来てゐる事実は︑到底此法律改正の一事の
みを以て説明し得放いととは云ふ迄もないの此扶律改正によって結婚も亦当然予想さるL如く大役る影響を受けた
ので
ある
が︑
︵明治三十一年には好銅率一0・七六であったのK対し︑翌三十二年には六・七二と激減した︒︶之は
一時的のことであって︑持続的た影酬明日以友かったn従て法律改正後K於ける離婚の持続的低怒κ於て︑法律改正の
離婚の動向とその意義
意義を無国間叉は軽促すべきでは友いが︑唯それだけが我国の離燃の動向を決定づけ得るものでは汝い︒此点に関し
ては︑同欧文化諸国︵米司党合めて︶に於ける難鮮の動向との対比に上って︑我国の特殊性を考察するとき陀譲る
ととにする6
戦争が離婚に与へる影響にクいて︑高野血清三郎博士は︑﹁明治二寸二年以降漸進せる離婚数が明治二十七年及び
殊に明治二十八年に於て減退し︑叉明治三十三年以後左したる動指走塁ぜざる離婚数が明治三十七年及び殊K明治
16) G. v. Mayr. Statistik und Gesellschaftslehre. I Moralstatistik. S.257,
三十八年に於て逓減せるは共κ日清戦争叉は日露戦争の影響に関するものと解釈し得ぺきが如くにしで則ち戦争左
一再ふが如き政治上の事変色離婚数との関係を献明するに似たり﹂去述べてゐる︒め戦争ε離熔去の関係については
此次大戦後忙於ける離婚社述ぺる機会κ譲るが︑日清・日露の両戦役が与へたる程度の勤婦は平年次に於ても之を
見得ると乙ろであづて︑むしろ離婚減退の強い一般的基調に支配され︑戦争が縫か忙矯祥的影響を与へたK過ぎな
いと見るべきである︒
次に経済の好不況にようて離鮮が如何友る影響を受けるかK就で欧米諸国町一幾多の研究があるが︑その結論は必
宇しも一致し左いが︑われわれが安心して結論し得るのは︑へゾグスグ1・ど共に︑次の事実に過ぎ友い︒即ち之を経
済状態及びその影響と比較するに︑離榊は山山生︑死亡︑熊鋼生可の如き社会諸事象忙比しγ
一透
かr敏感では怠いとと
であるe問我国K於て経済発展の一般的規勢とは対山的忙︑離鮮は減退の一途争辿って来たととを考へる友らば︑
両者に尚一相関的関係が定立され得るが如くであるが︑経済発展は所謂景気の隆替の形に於て循環的運動党為すとと
を考へる友らば︑それが我国の離燐に対して犬して影響を与え・なかったと止は看易いと︑とであるの事実舘氏の統計
的研究によるも消極的結論が導かれてゐるの山円
最後K
︑之
はも
う・
三剛
K述ぶべきであづたととだが︑我同の離婚の減退傾向は統計の明示す如くであるが︑果し
でそれな額商通
OK
受取づて主いかどろか左云ふととである︒我悶に於ては内縁関係の夫婦があり︑その離婚も
ある訳だから︑離婚数や離婚率が低落した・としても︑若し内縁関係の夫婦が増加し︑叉その離婚が多く友ってゐる
とすれば︑全休正しての日本人の離熔性向は必宇しも減退してはゐたいと一五ふ反対論も成立するからである︒確か
に内縁関係に存る夫婦K於て届出でられた併姻関係に比して︑難熔の可能性が犬であらうととは︑容易に想像し得
17)高野泊三郎統計学研究、 123ー124頁
18)人口問題第一巻第二号館稔「婚姻及離婚と景気変動」
19〕館稔、前掲論文参照
るととろである︒そとで問題は内縁褐係の夫婦がどの程度に存るか︑叉いとの位地・加してゐるかと一五ふととである︒
然る忙内縁関係にす壮る夫婦の数は︑之を直接確定するを得ない︒
従て間接
K之を推量するの外はない︒高野博士
は︑私生兜数が増加せや︑γ骨口減ビてゐると冒とを以て︑内縁関係が増加してゐないと推論された︒均勿論松生児が内
縁関係の与の所産とは一式へ友いが︑レヘ部八月一はモれ土町生やるものであるととは事実である︒従て私生兜数及び率を
以て内縁関係の間接的指標とするととは︑全く見当はづれとは云へない︒而して私生関数及び私生兜出生率を明治
四十二年以降五ヶ年目毎の数字を示せば次の通円である︒
離婚の動向とその意義
私 生 開 数
私生
兜出
生率
ペ山
山生
百中
︶
明治四十二年一四二︑三二五八・四O
大正
一一
一九
︑七
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年
七
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八八︑九九八
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十 年
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四
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年
五六︑七五九
昭 和
年
一.
一一
四五︑二七O
九 昭 手 口
十四年一・五七二九︑八O
之忙工づて明か友如く︑内縁関係は人々が想像する程広くは行はれてゐたいのではないだらうか︒既に内縁関係
昭 革日
十五年
四
二九︑九七二
が増加してゐないとすれば︑その離婚も亦多︿はないのでは友いだらうか︒此捻論が直しければ︑離婚統計の一不す
20)高野号宅郎「本邦人口現存及将来」、 51頁
ととろをわれわれは素直K受取クても↑へして誤りは汝いであらう去の結論が生れる︒
四の
四
我国の離婚動向の特殊性を知る為陀は︑内欧諸国︵米同左含めて︶のそれとを対比考察するを要する︒次K諸国
の難格率を掲げるととにする・
人口十万人に付厳婚件数
一九
071
一O年
一九 一一
l二O年
一九
一一
一
1三O年
一九 三一
l四O年
一 九 四 一 年 一 九 四 二 年
↓ 九 四 三 年 一 九 四 四 年 一 九 四 五 年
﹂ 九 四 六 年
− 九 四 七 年 一 九 四 入 年 占 九 四 九 年 一 九 五
O半
一 九 五 一 年 一 九 五 二 年
米 国
︒︑ 八四
一︑
一一
ニ 一︑ 五三 一︑
O七
二︑ 二
O
二︑
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一一
︑六 七 三 ︑
O一
一一
一︑
六六
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一一
一六
三コ 一七 一一
︑七 九 一一
︑六 七 二︑ 五五 二︑ 四八
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︑二 六
O︑
二七
O︑
五五
O︑
O O五
︑三 入
︒︑ 三八
O︑四七O
︑四 四
O︑
六二 一︑ 二九 一︑ 四一 一︑ 一四
O︑
九五
O︑
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O︑
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︒ ︑
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二 一
O︑O入
︒︑ 二一
O︑
一五
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三六
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六九
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一 一 一
O︑
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O︑
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︑六 五
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︒︑ 二二
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三
︒︑ 究六
O︑ 人
一 一 一
O︑
九七 一︑ 一四 一︑ 二四 一︑ コ一 四 一︑ 四五 一︑ 入三 一︑ 六七 一︑
七O
一︑ 六五 一︑ 六一 一︑ 五五 一︑ 五五
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o︑
三七
O︑
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五九
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七六
O︑
七二
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七四
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七四
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七二
O︑
八四
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九六
O︑
九五
O︑
九四
O︑
八九
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︑九
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日 本 一︑
三O
一
︑
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︑八 五
O︑六九O︑六七O
︑六 二
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︑九 九 一 ︑
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︑九 八