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財 産 権 不 可 侵 の 意 義 口

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(1)

五 四

はじめに 不可侵と保障

ザ 布

r

の財産権不

r l J 侵の例

¥4

ー '

︵ 

9 J  

—ーフランス

9 ,  

ドイツ︵以し本号︶

不可侵と制度的保障 むすび

財 産 権 不 可 侵 の 意 義 口

ー 財 産 権 保 障 の 研 究

I

高 橋

4 ‑ 3‑558 (香法'85)

(2)

財産権イ'~1J侵の意義(・)(高橋)

の関係を検討することとしたい︒ 日本国忍法:九条二項は︑﹁財産権は︑これを侵してはならない﹂と規定する︒この財産権の不可侵性という性格は︑

財産権保障理論や︑損失補償理論の構成にとって屯要な影陣を持つはずのものでありながら︑容易にその十分な理解

を許さないし︑解釈者に不全感を覚えさせずにはおかない︒

その原因は明らかに︑﹁侵してはならない﹂という︑自然権思想の流れをくみ︑

考え方に基づく︑

それにも増して問題なのは︑﹁不可侵﹂という互口葉の解釈である︒例えば︑最新のコンメンタールである﹁註釈日本

国恋法﹂によれば︑﹁﹃侵してはならない﹄という表現に特別の意味を認めることなく︑﹃保障する﹄ということと実質

(2 ) 

的に異ならない︵今村成和︑損失補償制度の研究︹一九六八︺八頁︶という解釈が今日では一般的になっている﹂︒こ

のことを前提として︑﹁一項は︑私有財産制を制度的に保障するとともに︑個人の現に有する具体的財産権を保障して

いる﹂という結論を大多数の学説が支持していると言う︒かかる理解が︑もうひとつしっくりしないのである︒

ここ

では

{種時代錯誤的な定式が︑今日の権利観に適合しない故であろう︒

八七

まず﹁侵してはならない﹂という言葉を﹁保障する﹂と同義とし︑次に﹁保障する﹂という言葉に基づ いて︑具体的財産権保障と制度的保障の併存説を導いているが︑筆者は︑前段の等置についてそもそも不審を抱くも

のである︒従って︑それを前提とする議論にも影薯が及ぶであろう︒この意味でこの疑いは言葉の穿盤に止まらない︒

以下︑疑いの根拠を述べ︑次に財産権の不可侵という観念を持つ若干の憲法のあり方を調べ︑最後に制度的保障説と

は じ め に

︱八・九世紀の所有権を絶対視する

4 ‑ 3 ‑559 (香法'85)

(3)

であ

る︶

0﹂ に意味の変化はないということについて︑

A n

s c

h t

i t

z ,

  a .  

a .  

0 . ,  

S .   7 05

. もちろんこのことは︑ るところはない︵プロイセン忍法九条︵

八五

0

年 ︶ ︶

からワイマール芯法一五三条への︑

うな意味では︑

( u

n v

e r

l e

t z

l i

c h

)

とい

おう

と︑

( 1

)  

( 2

)  

( 3

)  

( 4

)  

法学協会編﹁註解日本國憲法︵上巻︶﹂︵昭四

0 )

樋口•佐藤・中村・浦部共著(上巻)(昭五九)六七五ー六頁

同︑六七六頁

財産権の不可侵と言うのは︑厳密に言えば正確ではない︒

p r o p e r t y , p r o p r i e t e ,   Ei ge nt um はある場合には︑所有権の意で用いら

れることがある︒しかし︑本稿は不可侵を中心問題としており︑所有権はさし当り財産権の典型例として扱えば足りる︒また︑自

然法論では財産と財産権が区別しにくい形で出てくる場合が多い︒本稿では︑どうしても区別を必要とする場合以外財産権として

処理することとした︒

不可侵と保障

﹁不可侵﹂を﹁保障する﹂と自覚的に等置されるのは今村成和教授である︒名著﹁損失補償制度の研究﹂の中で次の

ように述べられる︒

国法秩序の中においてのみ存在しうる︒忠法は︑

﹁不

可侵

﹁保

障す

る﹂

このような表現の移り変り

思想史的変遷とは別問題

(g

ew

ah

r  l e

i s t e

n )

とい

おう

と︑

実質において異な かかる財産権の存在を認め︑かつ保障しているのであって︑ 憲法二九条1

項は

﹁財

産権

は︑

侵してはならないという表現に︑自然権思想の名残りを止めているが︑

J ¥\ 

I

このよ

財産

権は

4 ‑ 3‑560 (香法'85)

(4)

財産権不可侵の意義(‑.)  (高橋)

周知のようにワイマール慮法は︑ 憲

法第

^篇

第一

に︑

日常言語の用法から見れば︑﹁侵してはならない﹂と言うのは︑

れる︒慮法上の用語としてもそのような使われ方をした例がある︒

この芯法は︑財産の不

f l J 侵性 ( l ' i n v i o l a b i l i t e

) すなわち⁝⁝補償︑ ︑

一五三条で財産権を保障するが︑ むしろ﹁保障する﹂の一形態のように思わ

を保障する

( g a r a n t i

t ) ︒

第 一

1に︑勿論︑言語用法が重なり合わないとの指摘は十分な反論ではありえない︒法的な構成において両者が一致

しうるかを調べなければならない︒教授の引用される

G

.アンシュッツについて検討しよう︒

その一項は﹁財産権

( E

i g

e n

t u

m )

は憲法によっ

て保障される︒その内容及び限界は法律によって明らかにされる﹂と規定する︒

ルは︑慮法による保障ということは︑

と言っている︒すなわち︑

のものであった︒ アンシュッツの有名なコンメンター

プロイセンヤ叫法九条一項の﹁不可侵である﹂と実質的に

(s ac hl ic h)

同じである︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

いずれの場合でも個人の具体的財産権に関する限り︑個人や彼の財産権の主権性を承認し

ているのではなく︑個人は自己の財産を法律あるいは第三者の権利に抵触しない限り︑自由に処分しうるからであると

(3 ) 

言うのである︒一九ニ︱年二版においてはかかる説明で十分であった︒しかし︑後の︑例えば一九三三年一四版では

(5 ) 

事情が異なる︒当時既にアンシュッツは﹁憲法によって保障される﹂という規定から﹁制度的保障﹂をも抽出していた

からである︒従って︑個人の財産権に関する限り等置しうるが︑制度的保障の場合には話は別ということになるはず

この様な事情を勘案すれば︑我国のように︑不可侵規定を持つ条文において﹁不可侵﹂を﹁保障す

この等置がはたして成り立つか︑ということを若

F

詮索して見ることとしよう︒

八九

︵フランス一七九一年

4 ‑ 3‑561 (香法'85)

(5)

三屯の保障が条文じも完備しているのはマサチュウセツッ因法︵↓七八

0 )

であ

るの

で︑

法律による取りあげとその条件である︒

l ) 

ようである︒

そのうちの1部を欠く場合でも︑

その条文を掲げる︒

解釈を通じて大体の斉一性を確保していた

をなしている︒

そオ

t

口財産が自然権であること︑

る﹂

と等

置し

若干の財産権不可侵の例

↓アメリカ ︑ . ︐

9

¥  

人権立︳↓‑口の母体と:般に認められている初期アメリカ諸邦の匹法︑

口法の適正手続によらなければ奪われないこと︑口同意または

侵 ﹂

は不可侵のままで︑その意義を検討することが必要なのである︒

人権

官言

国に

おい

て︑

財産権の保障は三重の構成

その上で﹁保障する﹂から制度的保障を導出しようとするのは問題であると言わねばならない︒

( l

)

1

︶八貞︵誤植は訂正した︒︶.

( 2

)  

G .  

An sc hu tz ,  D ie   Ve rf as su ng e   d s  D eu ts ch en   Re ic hs   vo

m 

11 . A ug st

1 

91 9. ,  2.  A u f l .   1 92 1.  S .   2 46 . 

( 3

)  

I b i d .   S . 

24 6.  

( 4

)  

C .  

S c h m i t t ,   V e r f a s s u n g s l e h r e ,  

A u f l .  

19 70 , 

S .  

17 0f f.  

( 5

)  

An sc hu tz , 

p .  

c i t   ; 

14 

A u f l .   S .  

706

7.

九〇

﹁不

可 4 ‑ 3 ‑562 (香法'85)

(6)

財産権不可侵の意義(‑‑) (高橋)

られあるいは公共の用に充てられることは︑正義の観点から許されない︒⁝⁝さらに︑公共の緊急性が個人の財産

を公共用に充てるべしと要求する場合には︑前もって正当な補償が与えらるべきである︒

この財産権保障の思想的基礎づけは︑

リスのマグナ

1 1 カルタ以来の権利章典の混合物のように考えられる︒いずれにせよ︑

産権の自然権性の承認こそが︑

で︑不可侵の文言はないけれども︑それがいかなる解釈を受けたかについて検討することにする︒

いかなる意味で自然権とされたかが問われなければならない︒ここで述べられる財産権は︑貴族の特権と

(2 ) 

いう贅肉を取りはらったものという意味ですでに相対化されたものであったが︑生命や自由と同じ程に自然的かつ本

質的な不可譲の権利と考えられたのではなかったことに注目しなければならない︒

この点はすでにロックにおいて意識されていた所であり︑

の中で自然権として生命・自由と並列したのは財産ではなくて幸福追及であったということは︑

第一

に︑

二 い 条

一二

すべての人間は︑生まれながら自由︑平等であり︑自然的かつ本質的な不可譲の一定の諸権利をもっている︒

これらの権利の中には︑生命と自由を亨受しかつ擁護する権利︑財産を獲得し所有し保護する権利︑すなわち︑人々

の安全と幸福とを求めうる権利が崎然含まれている︒ 1

( J

e f

e r

s o

n )

も独立宣言︵一七七六︶ 一般に︑このアメリカにおける財 いかなる国民

( s u b

j e c t

) も︑同輩の裁判

( j

u d

g e

m e

n t

o f

  h i s

  p e e r s )

あるいは国の法

( l

a w

o f

  t h

e   l

a n

d )

 

による場合を除いて、…•••生命、自由あるいは財産を奪われない。

いかなる個人のいかなる部分といえども︑彼自身の同意あるいは人民の代表団体の同意なしに︑取りあげ

その文言からも察せられるように︑

J

・ロ

ック

( L

o c

k e

) 流の財産権論とイギ フランス人権宣言によって確立された財産権不可侵規定の母体をなすものとされるの

T

・ジェファソン

この差異の認識を明

3 ‑563 (香法'85)

(7)

う考えられたのであろうか︒ のように思われる︒

この

よう

に︑

﹁国

の法

( l a w

o f

  t he  l a n d )

﹂は︑固知のように ︑︑︑︑︑︑︑

瞭に物語るものである︒彼らにとって︑財産は不可譲ではないと同時に︑財産があらゆる場合に自然的であり︑幸福

の基礎でありうるわけではないと考えたと推測されるのである︒

この種の配慮は︑独立宣言においてだけではなくマサチュウセッツ憲法やヴァジニア権利章典(‑七七六︶

らかに看取される︒そこで不可譲の自然権とされるのは︑﹁財産を獲得し所有し保護する権利﹂︵マサチュウセッツ一

条︶であり︑﹁財産を取得所有する⁝⁝権利﹂︵ヴァジニア一条︶なのであって︑標語的に使われる場合を除いて︑財

︑︑

︑︑

︑ 産そのものを自然権とするのを慎里に避けていることに注意しなければならない︒それに対して具体個別的財産は︑

(5 ) 

所有者の同意または代表の同意︵法律︶によって制限︑剥奪されうるものと考えられたことが︑条文上も明らかである︒

アメリカにおいては自然権と合っても︑生命・自由とは違ったニュアンスの下に扱われていたことは︑

自然権を実定法的秩序に組み人れようとする場合には当然のことであろうけれども︑特に注目しなければならない点

第;

1 に︑以上のように理解された自然権たる財産は︑

いかなる保障を受けるのであろうか︒特に立法との関係はど

(6 ) 

ここで論じなければならないのは︑法の適正手続による財産権の保護である︒

マサチュウセッツ慮法七条の

(7 ) 

l a w )

﹂と同義のものとされる︒従って︑

自由または財産を奪われない﹂ ﹁法の適正な手続

( d

u e

p r

o c

e s

s  

o f   それを人れ替えれば﹁何人も⁝⁝法の適正な手続によらなければその生命・

とする連邦四法修正五条と同じ意味を持つことになる︒自然権の考え方が支配してい た初期のアメリカ諸邦・連邦において︑本条が刑事裁判手続以外の場合︑

(8

はしえない︒しかし︑厳密な意味はともかく︑解釈には一.方向があったようである︒

いかなる意味を与えられていたかは明確に 一は︑法の制定と執行において恣意的であってはならず︑自然的ないし実質的正義に合致すべきを求める原則の表

にも明

3 ‑564 (香法'85)

(8)

財産権不可侵の意義(一)(高橋)

明とする説であり︑他は︑個人の私的権利は︑正規に制定された法律及び正式で合法的な手続によってのみ干渉され

(9 ) 

るべき要求にすぎないとするものである︒前者は︑立法権をも制約しようとする論者による主張であるが︑実際には

立法部に対する制約とはされなかった︒判例は︑ごく一部の例外を除いて︑立法部に対する制約としなかったのであ

( 1 0 )  

り︑それは大体.八五

0

年代まで続いたのである︒その根拠として指摘されるのは︑法の適正手続は手続を扱う部分

に位置するのが^般的であること︑及び適

続を通じて保護をサえるのは本来吃法部の役割であると考えられたな

l E F

( 1 1 )  

こと

であ

る︒

従って︑本稿の検討範囲である自然権の流布した︱八.

1 ‑ 0

年代までの時期については︑財産権についても立法部を

制約するものとは考えられなかったことが認められるのである︒

第一一一に︑同意または法律による財産の取りあげの可能性の問題を検討する︒前述のように︑自然権としての財産は︑

それが具体個別的財産である場合には︑不可譲であるとは考えられなかった︒これは一般的な議論として︑有名なパ

ーソンズ

( P

e r

s o

n s

)

のパンフレットの中で述べられた所である︒それは﹁すべての人間は生まれながらに自由かつ平

等である︒生まれながらに人間の保持する諸権利も平等であり同種のものである︒その権利の中のあるものは譲渡可 能なものであり︑等価物と引換に譲り渡せる︒他の権利は不可譲であり︑固有のものである︒この上なく重要なもの

であるために︑等価物と引換になどはなしえないからである﹂と述べる︒

るのが︑同意による財産譲渡の議論であり︑

かかる思考に基づき︑財産を譲渡可能とす

その拡張が代表の同意の理論であった︒おそらくこれは﹁代表なければ

課税なし﹂とのアメリカ独立革命時の標語とマッチする一般にも受け入れ易い主張であったと考えられる︒例えばヴ

アジニアでは︑﹁彼ら自身の同意またはそのようにして選出された彼らの代表の同意︵六条︶﹂︑マサチュウセッツでは︑

﹁彼自身の同意あるいは人民の代表団体の同意

( ‑

0

条︶﹂があれば︑財産は剥奪されうることが明文で認められてい

4 ‑ 3‑565 (香法'85)

(9)

配した邦にあっては︑自然財産権という抽象的財産理論の遵守は形式的なものであって︑それは多数派である債務者

が債権者の財産を懐に人れてしまうような法律を制定するのを抑制する力を持たなかった︒﹂ここにおいては︑自らの

( 1 5 )  

立場に基づいて︑権力分立に基づく抑制︑あるいは参政権に対する財産制限等が︑交々議論されたのであった︒しか いずれにせよかかる文言のあり方は︑立法権に対する制約という発想を抑える役割を果たしたであろう事は容易 第四に︑補償の要求について最後に述べておこう︒自然法論においては︑財産が取りあげられた場合において補償

が与えられなければならないとするのは通常の主張であった︒しかし︑

アメリカにおいては︑取りぁげ

( t a k e )

すな

わちエミネント

1 1 ドメーン

( E

m i

n e

n t

D o

m a

i n

) は︑上級所有権の考え方に基づくものとされ︑補償はむしろ実定法的 根拠に基づくと考えられたようである︒取りあげとされる以外の財産権の規則に対してはポリス

1 1 パワー

( 1 8 )  

P o

w e

r )

の行使として補償が与えられなかったからである︒しかし︑

( 1 9 )  

まいにされてはいたけれども︒ に想像できるであろう︒ し ︑

このように同意理論を構成する際の要点は︑同意主体が彼らの代表であるというのがその一っである︒﹁政治的自由

を︑法律が許容する行動の自由と定義したのでは十分ではない︒圧政者

( t y r a n t ) も法律によって支配することができ るからである︒政治的自由とは︑各人が国家の内において︑自らが同意した法律によって禁じられていないことをな す権利である︒社会に参入した後においては︑人は全体の利益が要求する場合においてだけ自らの自然権をコントロ

( 1 3 )  

それは多数者によってのみ決められるのである︒﹂ールする権限を失なうのであり︑

( P o l i c e  

もう︱つの要点は︑財産を多数者の支配からどう保護するかというものである︒﹁︵財産を持たない︶人民多数が支 こ ︒

それは既得権

( V

e s

t e

d R

i g

h t

)

論によってあい 九

4 ‑ 3 ‑566 (香法'85)

(10)

財産権不可侵の意義(一)(高橋)

( 5

)  

アメリカで自然法論が有力に主張された時期には︑

( 2

)  

( 3

)  

( 4

)  

神聖である

( s

a c

r e

d )

  これを主張した論者たちの依拠した

w

.ブラックストーン

( 2 2 )  

性 及 び

不U J

侵性について述べるが︑

法論者もこの点において同様であったのである︒

4

A

と\っことカ

これは明らかに立法権に対抗しうるものとは考えられなかった︒

九五 における詳細な検討

( B

l a

c k

s t

o n

e )

  られたものであって︑実際にそれに違反したと考えられたために法律が無効とされた例は知られていないようである︒

( 2 1 )  

のコンメンタリーは財産権の絶対性︑

p .  

c i t . .   p .   1 9 6 .  

マサチウセッツ

10

条︑ヴァジニア六条

( 6

)

F

︑松井茂記︑﹁非刑事手続領域における手続的デュー・プロセス理論の展開

(l法学論叢.0

( 7

) 同︑一こハー七貞

( 8

)

. .  

五ー六頁

( 9

)  

C .  

H a i n e s ,   T he   Re vi va l  o f   N at ur al   La w  Co n c

e p t s ,   1 9 5 8 ,   p .   1 0 7 .  

( 1 0 )

H  

ai ne s 

̀  o p c i .   t . ,   p .   1 0 8 f f .  

( 1 1 )

H  

a i n e s ,

 

p .   c i t . ,   p .   1 0

5   , 6.

 

アメリカの自然

(l

) 

l N i c h o l s ,   T he   La w  o f   E mi ne nt   Do ma in   (3 r d   r e v i s e d   e d .   b y  S ac km an   an d  Br u s t ,

  1 9 7 0 ) p .   v .  

~

5

]

J

はないが︑判例によれば自然権であるとされた︒

( 2 D a l l a s 3 0 4 , 3   1 0   ( 1 9 7 5 ) )   R .   S c h l a t t e r ,   P r i v a t e   P ro pe rt y 

̀ 1 9

5 1 ,   p .   1 9 9 .   ロック及びジェファソンの認識の詳細については︑種谷春洋﹁アメリカ人権官吾口史論﹂︵昭四六︶二五六I六三頁参照︒

ジェフアソンは上地再分配論に同情をポしたり︑

t

地財産の不平等な分配は惨めさの原因であることを承認していた︒

S c h l a t t e r ,

神聖

判例の中にも財産が自然権に属し︑

( 2 0 )  

われることはあった︒

しか し︑ それらは全く抽象的なコンテクストの中で述べ

絶対である

( a

b s

o l

u t

e )

とか

4 ‑ 3 ‑567 (香法'85)

(11)

この規定は︑

あらゆる政治団体の目的は︑

全及び圧政に対する抵抗である︒ 二条 財産権不可侵条項を創出し︑

(l ) 

人権宣言である︒

まず

フランス , 1,  

 

人間の自然権を保全するにある︒

これらの権利とは︑

( 1 2 )

B .    

Wr ig ht ,  A me ri ca n  In t e r p r e t a t i o n s f   o   Na tu ra l  L aw ,  1 9 6 2  

̀  p .  

1 1 0 .  

( 1 3 )

I b  

i d .   p p .   1 1

0   , 1.

 

( 1 4 )

S  

c h l a t t e r ,   op

.   c i t . ,   p .   1 9 0 .  

( 1 5 )

W  

ri gh t,   o p . i t   c

̀ .  

p .   1 1 1 .  

( 1 6 )

I b  

i d .   p p .   2 9

2   , 4.

 

( 1 7 )

拙稿︑﹁アメリカにおける財産権保障の理論

﹂香川大学教育学部研究報告第一部第四二号 ( 1 8 ) 同︑一四ー六頁 ( 1 9 ) 田中英夫﹁私有財産権の保障規定としての

Du e Pr oc es s  C la us e

の成立﹂国家学会雑誌六八巻一・ニ号参照︒

( 2 0 )

Wi ll ki ns on

v .  

Le la nd ,  2 Pe t  6 2 7 ,   65 7  ( 1 8 2 9 )  

( 2 1 )

W.  

Bl ac ks to ne ,  C om me nt ar ie s  o

n  t he   La w  o f  E ng la nd (   1 4 t h   e d .

  b

y  C h r i s t i a n ,   1 8 0 3 )   B K  

I I I  

p .   1 3 8 .  

( 2 2 )

B  

la ck st on e,   o p .   c i t . B,   K  I p p .  

139•40.

二条は財産が自然権であることを宣言して次のように述べる︒

ルソー

( R

o u

s s

e a

u )

ではなく明らかにロックの流れを汲む社会契約説にもとづく財産自然権論による

自由•財産(propiete)•安

以後の各国人権規定中の財産権保障規定の原型となったのは︑

一七八九年のフランス 六ー八頁参照︒

九六

4 ‑ 3‑568 (香法'85)

(12)

財産権不可侵の意義(一)(高橋)

るのが難かしいことである︒

九七

(2 ) 

ものである︒制定当時においては︑財産が自然権に属すべきかについては相酋の論議があった︒﹁革命時の人々は︑疑

(3 ) 

いもなく︑個人主義者であり民主

t

義者であった︒しかし︑人も知るように︑彼らはなかんづく財産所有者であった︒﹂

かくして︑革命の収獲者たる有産階級は結局︑財産を自然権とすることにより確保する道を選び︑

六日自然権的財産法論は﹁フランスの根本法の二部﹂となり︑今日に至るまで強力な呪縛力を発揮しつづけることに

なったのである︒この自然権説にもとづいて︑より具体的に規定するのが有名な↓七条である︒

財産は神聖にして不可侵の権判

( d r o

i t

i n v i

o l a b

l e  

e t  

s a c r

e ) であるから

( e t a

n t )

︑何人も適法に確認された

公の必要性が明白にそれを要求する場合で︑

強い影粋力を持ったにもかかわらず︑ かつ事前の正当な補償の下でなければ︑

この規定は︑文言を見る時には︑収用

( e

x p

r o

p r

i a

t i

o n

) の要件の設定にあるように解されるが︑その制定過程から不

(5 ) 

可侵性の確認が主たる趣旨であったことが看取される︒しかし︑本条は歴史上に有名であり︑後世の条文のあり方に

その法的意味を見出すのは極端に困難である︒その困難は以下のようなもので 第一は︑神聖・不可侵といった絶対的意味を含むような言葉が使われており︑法という相対的秩序の中に位置づけ

第二に︑財産は自然権の一っであり︑自然権は前文によれば﹁不可譲にして神聖

( i n a

l i e n

a b l e

s e t  

s a c r

e s )

とされる︒財産はどのような意味で不可譲なのであろうか︑

に関する推論は誰も確信をもってはなしえないのではないだろうか︒この点において周到に考え抜かれた前示アメリ あ

る︒ 一

七条

また一七条の不可侵といかなる関係にあるのか︒これら

これを奪われない︒

である

一七八九年八月

4 ‑ 3 ‑569 (香法'85)

(13)

財産を制限するためには法律の関与が必要であるということ︑

より一般的な原則の一側面であるにすぎない︒蓋し︑ と

にあ

る︒

﹁第一に︑私有財産の芯法による保障は︑私有財産に対する諸制約は法律

( l o i

) によってのみ定められうるというこ 下のように解釈する︒ ド・ローバデール ヽ~゜ がある︒第一は︑ ろ

うか

ルソーに従い一般意思

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l )

を表明するとされる法律

( I o i )

﹁不可譲にして神聖﹂な財産との関係はどのように調整されるべきか︒法律による財産権の制限は考えられないのであ

フランスには一七八九年宣言を実定法的に解釈する学問的伝統もなければその必要もなかったから

(6 ) 

である︒そもそもそれは︑明瞭にして執行さるべき法律条項ではないのであって︑一八世紀の哲学及びそれが発展さ

(7 ) 

せた精神運動の直接の産物として扱うべきものと考えられたのである︒第二に︑例え実定法的解釈を施こそうとして も︑当時の法律の観念等を変容させなければならず︑法秩序としての意味をも変えなければならないからである︒し

(8 ) 

かし︑限定的ながらも第四共和国慮法以来一七八九年宣言の実定法的解釈の必要性が生じ︑また

L

・デ

ュギ

( D

u g

u i

t )

(9 ) 

の如くそれに法律をも越える実定法的位置付けを首唱した人も出現した︒それらの説を紹介し理解の導きの糸とした

第三

に︑

一七条の実定法的解釈を試みる必要がある︒しかしながらこれには基本的な困難

( d

e   L

a u

b a

d e

r e

)  

これらの問題に答えるためには︑

はフランス人権宣言における私有財産の保障は︑二重の構成から成るとして以

カ諸邦及び連邦の条文のあり方と異なっている︒

それは一七八九年宣言の基本的観念の一っである︑

一般に自然権は法律によってのみ制限されうるからである︒自

︵ 六

条 ︶

と﹁神聖にして不可侵﹂︑

九八

4 ‑ 3‑570 (香法'85)

(14)

財産権不可侵の意義(‑) (高橋)

/七八九年宣言二条と四条の比較は︑最も良く上記の推論を明らかにす

﹃これらの権利︵消滅することのない人間の自然権︶

る﹄と規定する︒他方︑

第二の保障として︑

四条

は︑

九九

とは︑自由・財産・安全及び圧政に対する抵抗であ

﹃︵自然権の︶限界は︑法律によってのみ決定されうる﹄と規定する︒従って︑財産

権の限界の決定をするため︑すなわちそれを制約ないし制限するためには︑法律が必要だということ︑

が与える第^の保障がある︒

L a

そこに権利宣

一七条が直接問題とされる︒﹁それはより明瞭なものである︒すなわち︑法律それ自体は︑

の場合に一定の条件の下でのみ︑財産の剥奪を定めうるというものである︒ここでは︑

制約であるかは問うところではない︒すなわち︑

その保障は最も重大な侵害である剥奪にのみ関係する︒しかしその

( 1 1 )  

かわり︑ここでは法律は私有財産にどのような犠牲を課すかについてもはや自由ではない︒﹂すなわち︑収用の条件た

このような解釈が可能であるとして︑神聖かつ不可侵ということに全く触れられていないのは示唆的である︒すなわ

ち︑実定法的解釈では独自の意味を持ちえないのであって︑第一の保障と第二の保障の連結の役割をはたす機能を持 問題は︑財産を制約ないし制限する法律が︑四条の﹁各人の自然権の行使は︑社会の他の構成員にこれら同種の権

利の享受を確保すること以外﹂の事項について規制し︑あるいは濫用にわたる規定をした場合はどのような効果が生

ずるかである︒

F

・ル

シェ

ール

( L

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はごく簡単に言う︒﹁収用の場合を除いて︑所有者の権利を法律が減殺し

( 1 2 )

1 3

)  

うるなどとは︑人権宣言は全く予想していない﹂と︒法律の無謬性は維持されるが︑実定性は損なわれている︒

デュギイは︑本条の規範性を別の側面から抽出しようと努める︒彼は︑財産権の絶対ということを認めない︒すな つものと推測されるのである︒ る公の必要性や補償によって限定されるからである︒ る

︒一

一条

由は自然権であることは明らかなのである︒

この保障は財産のどのような

一 定

4  3 ‑571 (香法'85)

(15)

の自由処分に委ねられる

は簡単である︒人権宣言の制定者は国家を愛していたがそれに劣らず所有する土地をも愛していた︒彼らは主権を一 つの教義としたが︑財産権もそれに劣らぬ基本的教義とした︒財産権は個人的主権なのである︒個人的主権と国家の 主権が抵触したときいずれが優越するかを定めなければならなかった︒彼らは財産権が優越すると定めたのである︒

( 1 7 )  

⁝⁝私有財産が損害を蒙った場合には︑国家の金銭上の責任が承認されたのである︒﹂

ると思うが︑次に人権宣言に基づいて作られた忍法及び実際の扱いについて若干言及する︒

一七九一年憲法は一七八九年宣再をとり込んだが︑財産権について第一篇﹁芯法によって保障される基本規定﹂中

この憲法は︑財産の不可侵性︑すなわち

いつでも国

( o u )

適法に確認された公の必要性が犠牲を要求する財産への事前の正当な

補償を︑保障する︒礼拝の費用や公共サーヴィスのあらゆる用途にあてられる財産は︑国に属し︑ に次のように規定された︒ 本条を実定法解釈の対象とするためには︑

これらの例で明らかなように相当の文言の変容を要することが理解しう

補償の下でなければ︑ は財産権を不可侵と宣して

かつ事前の正当な

わち︑財産権に対する警察権の行使にも補償が必要であるとか︑その存続において無期限であるとかということは認

( 1 4 )

1 5 )  

められないとする︒そもそも財産は個人権ではなく機能なのであるとする︒従って一七条は︑個人権には位置づける

ことはできないのであって︑それは国家責任の承認という役割を持つのだとして以下のごとく述べる︒

( 1 6 )  

﹁主権国家は法律に対して責任を負うことはできない︒蓋し︑法律は主権の表現だからである︒﹂しかし︑﹁人権宣言

﹃何人も適法に確認された公の必要性が明白にそれを要求する場合で︑

これを奪われない﹄

と定めた︒ここで主権無責任原則に対する攻撃がなされたのである︒説明

1 0

0  

4 ‑ 3 ‑572 (香法'85)

(16)

財産権イ~i1J侵の意義(.) (高橋)

以上のことから人権宣言

1七条の扱い方がおのづから定まるであろう︒すなわち︑本条は︑主として憲法による財

産権保障規定形式の源泉として扱うべきである︒条文の文言は矛盾し︑

解釈の参考に供する場合には特に慎菫でなければならない︒

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220 

1 .  

と言わなくてはなるまい︒

/ J

的な行政の意思表明に基づいて︑裁判所のコントロールもなしに︑収用が行なわれ︑補償j

( 1 8 )  

は所有者との協定に従って行政当局によって確定されたと言われる︒本条の非実定性︑哲学的性格を露わにした事実

こ ︒

さ ォ

それ以前は︑

また

これらのおごそかな宵言にもかかわらず︑ あることをポ唆するものと言えよう︒ 件に対応していることがぷされている︒

1 0  

実際にはやっと二

0

年後の一八︱

0

年に収用に関する法律が制定

本条は︑人権宣言/七条と実質的に異なるものとは考えられてはいないのであり︑彼此を対照するとき︑以下のこ とが推測できる︒第こに︑神聖ということが述べられていない︒おそらくそれは実質的な意味を持たないと考えられ

たとぷうことである︒第:は︑ q

七条では明瞭ではなかったけれども︑本条の規定では明らかに︑不可侵が収用の要 このことは特に注目すべき事のように若えられるのである︒第三は︑宗教用 財産等が本粂の保障対象となっていないことを明ぷしている︒

すなわち︑﹁財産L

とは︑本来封建財産のごとき財産が 排除される可能性ある相対的ものであることが明らかとなろう︒

そうであるとすれば︑

その振り分けのためには結局 法律が不

欠であることが導かれざるをえないことになり︑法律をこえた絶対的な保障を本条に与えることは誤りでQ J

また実際とも合致しないのであって︑実定法

4 ‑ 3‑573 (香法'85)

(17)

011 

(M) A. Esmein, Elements de Droit Constitutionnel, 7 ed. 1924, Tome III p. 463. 

(""") Schlatter, op. cit., p. 220. 

Neuhaus, op. cit., S. 31‑2. (Uj) 

(c.o) Esmein, op. cit, p. 592. 

(i:‑‑‑) Ibid. pp. 591‑2. 

(00)盆工希要「I'¥11',¥ K笞逮叫埠怜宕‑<星(菩回!)

(O'>)匡,1 };; K~t\\涯゜

ぼ)de Laubadere, L'Etat et la propriete privee en droit franc;ais. (H. Mosler (Hrsg.), Staat and Privateigentum, 1960) p. 113.  I兵ーI¥rnI:t¥¥笙[゜ (S8,~ 如︶L£8│

(;:::) Ibid. p. 113. 

(;:::!) F. Luchaire, Le Conseil Constitutionnel(l980) p. 210. 

(~) L. Duguit, Law in the Modern State (translated by F. and H. Laski, 1919) pp. 27‑8. 

ほ)Duguit, Les Transformations Generales du Droit Prive depuis le Code Napoleon, 1912, pp. 153‑5. 

ぼ)Ibid. pp. 145ff. 

ぼ)Duguit, Law in the Modern States. p. 200. 

(~) Ibid. pp. 221‑2. 

(乏)G. Jeze, Das Verwaltungsrecht der Franzosischen Republik, 1913. S. 340. Anm.l. 

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文゜

(18)

財産権不可侵の意義(‑→) (高橋)

一文として独立したために一層難かしくなったのである︒ この条文ではじめて不可侵条項が独立し︑この形式は以後

1八四九年フランクフルト憲法草案(‑九六条︶を経て︑

一八

0

年プロイセン憲法︵九条︶に至って定着した︒本稿では︑最も典型的であり研究も豊富なプロイセン憲法の

プロイセンヤ叫法は︑財産権を保障して次のように規定する︒

財産権(Eigentum)は不可侵である︒財産権は︑公共の福祉に基づき︑法律に従って︑あらかじめ緊急の

場合には少なくとも仮に確定されるべき補償を給してのみ︑奪いあるいは制限することができる︒

本条の特色としては︑

その形式は明らかにフランス人権宣言に従っているにかかわらず︑自然法的発想の下に制定 されたものではなかったことである︒プロイセンの政治的立場もそうであったし︑法学のあり方においても法実証主

義的態度が主流となって来ていたからである︒しかし︑

そこにまた問題がある︒すなわち︑財産を自然権と見て形成 された保障の定式をいかなる形で法実証

E 義的解釈枠組の中に封じ込めるかということである︒特に不可侵条項が第

不可侵条項の解釈の根拠づけには︑自然法論に従うものがなかったわけではないが︑それは全くの小数説であって︑

非自然法的既得権論によるものと徹底的に法実証主義的に理解する二つの傾向があったと言えよう︒

非自然法的既得権とは︑従来自然法論に基づいて基礎づけがなされて来た既得権に実定法的構成を与えたものであ

る︒そこでは︑既得権とは特別の法律名義に基づく権利で︑現実に個人の権利となっているものとの定義がなされ︑

個人の具体的財産はそれに当るとされたのである︒

九条 財産権保障について検討する︒

1 0

4 ‑ 3‑575 (香法'85)

(19)

る ︒

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・ショムロー

( S

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) に

よれ

ば︑

( R t i

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例えば︑・リュッティマン

した︒しかし︑既得権論は一方で財産権等の既得権の保障は︑国家権力の行政活動の制限をなすだけではなく立法へ の制限でもあるとするが︑実はその制限とはせいぜい補償の義務が生ずるにすぎないとするのが普通である︒従って

不可侵は︑立法に対しても︑E張しうるが︑補償にその眼目があるということになる︒

非自然法的既得権説が︑その本質において自然法的たることが明らかにされ︑また特別の法律名義なるものが︑法

(6 ) 

的には存在しえないことが証明されると︑それに基づいて形成された本説も自ずから消滅した︒

解釈論の主流をなした法実証主義者は︑

はプロイセン憲法九条は︑既得財産権の保障をなすものであることを主張 どのように﹁不可侵﹂を解したかが︑次に検討されねばならない︒そこで

は︑法実証主義の発展の中で︑﹁不可侵﹂ということは︑権利自体が国家の法律によって作り出されるものである以上︑

立法に対してはありえないものであるとする考え方が主流となって来た︒従って︑

ものであり︑行政部の行なう法的根拠を欠く財産制限や九条二文に違反する収用だけが問題であるとされるに至った︒

では何故九条は1

文に﹁不可侵﹂という誤解を生み易い表現を採用したのであろうか︒実際︑憲法制定会議におい てこの事は論義された︒第一一部会から提案があって︑九条一文は結局収用に関係するだけで権利に関係しないのであ

り︑不

侵という言葉は全く実相と合致しない文はであるから削除すべきであると言うのであった︒n J

委員会は﹁行政権による恣意的

( w i l

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h ) な収用に反対するところに条文の真のねらいがある﹂としてその存続を

計ったのであった︒

では.体︑本条の意義はどのように考えるべきであるか︒それは︑従来の法状態との対比によって知ることができ ることができ︑︵公共の利益が存在するか否かも︑行政によって判断される︑

これに対し中央

それは行政段階において妥当する

↓ 八

l i t

紀木までは︑財産は︵公共の利益のためであれば︑行政権単独で剥奪す

(8 ) 

という状況であったという︒本条は︑

1 0

4 ‑ 3 ‑576 (香法'85)

(20)

財産権不可侵の意義(^)(高橋)

所 有 権 規 定 た る 民 法 典

(B

GB

)

0

三条との関係で

いず れも

か か る 状 況 を 恣 意 的 な り と し て 否 定 す る こ と に そ の 趣 旨 が あ り

︑ 財 産 に 関 し て 法 律 に よ る 行 政 を 確 立 し

︑ 近 代 法 治 国 家の基礎付けをなそうとしたものと解される︒

T

・モムゼン

(M

om

ms

en

)がフランクフルト憲法草案の註釈書の中で︑

(9 ) 

ドイツ国民のマグナ

1 1 カルタには逸しえない条文であるとしたのは︑

﹁財産権の不

侵なしには国家は存在しえず﹂

w J

従って︑本条には法律︐日体か財洋を規制することについては︑何ら制限する意図がなかった︒当時の議会観からし ても︑立法の恣意性ということは衿えられていなかった︑

九 条

; 文 の 通 説 は

t

の見解を承認して︑次のように述べる︒﹁この忍法条項は︑見かけだおしである

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︶︒それは本来︑収用制度を合法化するにすぎないのであって︑

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  は そ の 臣 民 の 財 産 を 私 人 の 不 法

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n )

︑ 当 局 の 恣 意 うことをもったいぶって保障するにすぎない︒﹂

このように九条一文の意義を定める時︑

﹁不可侵﹂にはどのような法的意味が与えられるのであろうか︒代表的なア

( 1 2 )  

ンシュッツの註釈書コンメンタールは論理を次のように進める︒

彼 に よ れ ば

︑ 財 産 権 の 不 可 侵 は 人 身 の 自 由

( p

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かることを念頭に憤いてのことと杓えられる︒

1 0

の保障︵五条︶とパラレルをなすものである︒

ど ん な 人 間 も

︑ 法 律 や 他 人 の 権 利 に 反 し な い 限 り

︑ 随 意 に 生 活 し う る と い う 考 え 方 に 基 づ く も の で あ る か らである︒そうであるとすれば︑﹁不可侵﹂は﹁保障する﹂と同じ意味を持つことになる︒すなわち︑九条一文は﹁財 産 権 は 保 障 さ れ る

﹂ と し て 解 釈 す れ ば よ い

︒ 無 制 限 性 と か 個 人 の 主 権 と か を 言 う も の で は な い

︒ 個 人 は 法 律 や 権 利 が 禁止しないあらゆることをなしうるということを︑財産に関して規定しているにすぎない︒

えば︑九条一文は九

0

三条に対する公法上の︑特に行政法上

( W i l

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h o

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)  

から守るのだとい ついでに国家

ということはこの事を裏付けるであろう︒

か 4 ‑ 3‑577 (香法'85)

(21)

産権制限の中にのみ存在しうるという結果が得られる︒

所有

権は

の補完の役割をはたす︒所有権は︑行政に対抗して所有物を任意に処分できるが︑行政が法律上の根拠を持った時に

はそこで任意の処分性が限定されるに至るからである︒行政に関する意味としては︑﹁行政は︑法律に基づいてのみ財

産権を侵害することができる﹂ということが導出される︒

彼の推論は︑

典雅とさえ言える程のものである︒

しか

し︑

この

条文

を︑

アプリオリに存在する財産を単に

側面の同一性を根拠として無雑作にパラレルなものとしていることである︒当時の考えでは︑財産権の自由権として

の扱いが当然の前提であったのであろうが︑今日の観点からすれば再考しうる余地がある所であろう︒

アンシュッツに代表される通説は︑憲法制定者の意思とも良く一致するとされる︒それにまた︑実定法的財産権の あり方とも調和する︒例えば︑前示民法九

0

三条は︑所有権を次のように規定する︒

0

三条

h r

e n

)  

物の所有者は︑法律または第三者の権利の制限内で︑

し︑また他人の一切の

F

渉を排することができる︒

︑︑

︑︑

このように︑法律によって定義されるのである︒なお︑

確認しているものと読むことは︑

その所有物を任意に処分

( n

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e r

f a

  ,  それが自然法論につながることは別にしても︑難かしい︒特に︑法律または第三者

の権利という実定法を予想あるいは前提している点を見ればそれは明らかであろう︒このように見る時には︑憲法の

( 1 3 )  

不可侵として保障する財産の内容物は︑法律の時々の状態の中で定まるものと言わなければならないであろう︒不可

侵は立法による財産権の定義や制限の中には存在しえないのである︒

かく

して

︑ それは行政以下の国家権力による財

ここで気になるのは︑財産権と人身の自由を︑自由権的

1 0

4 ‑ 3‑578 (香法'85)

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