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に対する諸資本家の対外的対策構想

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(1)

イギリスの「大不況」(1873年〜96年)に対する諸資本家の対外的対策構想 157

イギリスの「大不況」(1873年〜96年)

に対する諸資本家の対外的対策構想

−「商工業不況調査委員会報告書」(1886年)を中心に−

藤田暁男

1.問題の方向

2.「報告書」の背景と分析の方法 3.自由貿易主義,「自由帝国主義」の志向

4.「新自由帝国主義」の志向 5.保護関税導入の志向 6.むすび

1.問題 の方 向

「大不況」の下での諸資本家の活動形態が,それより以前の自由主義的競 争の時代のそれとは違った形に変移しつつあったことは云うまでもない。そ の変化の特色は,端的に云えば,集団的,政策的対応形態の台頭であろう。

それは,例えば,同業者協会(trade association)のこの時期における特色 ある展開にも示されている。1870年以前の自由な競争の時代にも,対労働者 対策にかんしてはそれなりの機能を果していたが,概して非公式な或は緩や かな組織形態で,活動も目立ったものではなかった。それは,「大不況」に入

るや,労働組合運動の高まりや,価格,利潤率などの長期停滞に対応するた めの組織としての成長を示し,重工業を中心に価格協定や市場割当の調整機 関として機能するばかりでなく,諸個別資本家と国家との問に在って,政策

(1)

意思形成の一つの媒介体としての機能も持ち始めたのである。

このようなtrade association のこの時期における目立った成長が,

「the United States of Americaにおけるその発展と殆んど正確に並行し

(2)

158 

経 営 と 経 済

(2) 

ていた点は興味深い。」また,同じ時期

l

乙,保護貿易運動も,イギリスにお ( 3 )  

いてドイツ,アメリカとほ

Y

雁行してす〉められた。こうした動向は

I

大 不況」が世界的現象であったことと無関係でなく

I

大不況」への諸資本家 の対応が,それぞれの国で形態的特殊性を持ちながらも,共通した一面を持 っていたことを伺わせるものである

O

1870

年代に,各国は,諸資本の競争の必然的結果としてあらわれた新しい 生産力の発展段階の形成過程に入ったが,それに伴って基軸産業化しつつあ った重工業での新たな生産力形成は,その巨大さと市場ののび率の停滞の故

(4) 

に ,

I

一つの社会的規模」での「一大新投資」を継続的に展開する条件を持 たず,投資は漸進的,断続的にならざるをえず,生産財部門の景気浮揚起動 の難行は不可避であった。さらに世界市場における後発資本主義諸国の競争 力の成長は,各国相互に市場の困難性を加え,国内外の競争戦を激化させ,

上記の過程を一層深刻にし,重工業を基軸とする資本主義への発展を阻む根 底的な経済的困難を現出させた。

1873

"'1896

年の「大不況」とは,ほ

Y

(5) 

のような性格のものであったと考えられる

D

諸資本家は,否応なしに,乙の困難への必死の対応行動を余儀なくされた わけだが,その諸資本家の対応を特色づけるものとして,様々な集団的対応 形態と,ある程度の困難の認識の上に立つ目的意識的な政策的対応形態とに 注目したい。独占資本の経済構造の形成ばかりでなく,国家の経済に対する役

(6)(7) 

割もこの時期より目立って大きくなっていった乙とにも注意するとき,

I

大 不況」下の諸資本家の集団的,政策的対応形態の考察といういわば政治経済 的アプローチは,私にとって,歴史的にも論理的にも,

20

世紀資本主義社会

(8) 

接近への重要な橋頭壁をなすものである

o

そこで

I

大不況」に対する諸資本家の集団的,政策的対応を考察するに 際して,対外的対策と国内的対策に分けよう

O

ただし,この分け方はかなり 便宜的なものであり,二つが不可分な形で構想されている場合が少くない が,不況対策の具体的手段が対外的なものか国内的なものかを一応の目安と

して分けることにする

o

本稿では,まず,対外的対策構想がとりあげられる。というのも

I

大不

(3)

イギリスの「大不況J(1873年‑96年)に対する諸資本家の対外的対策構想 159  況 」 に 対 す る 対 策 構 想 は 対 外 的 対 策 に 関 心 が 集 ま る 傾 向 が あ り 吉 見 の 対 立

もその点をめぐって起きる傾向があったからである。例えば,次節で述べる よ う に i商 工 業 不 況 調 査 委 員 会 」 の 「 最 終 報 告 書 」 の 多 数 意 見 と 少 数 意 見は,一般に自由貿易派と保護貿易派の対立として受けとられた口こうした 傾向は, i世界の工場」主として君臨したイギリス経済人が i大 不 況 」 を もっぱら「世界の工場」の崩壊に伴う危機として受けとることになったこと から,当然出て来る社会的意思の方向であったと云えよう。

( 1 )  

trade associationは,わが国では一般に,カノレテノレのイギリス的特殊形態 として把握される傾向が強いが, chamber of commerceと共に,それ以 外の「政治経済的」機能をも併わせ持っていた点は,もっと注意されてよいと 思われる。

概観は, J.  Clapham, An Economic  History  of  Modern Britain.  Free Trade and Steel (18501886)(Cambridge

, 

1963) pp. 145‑15

1 .  

ibid.  Machines and  National  Rivalries (1887‑1914)  . with an Epi lougue (1914‑1929) pp.  301302. 

労働組合との対応関係の視角から,前川嘉一 fl9世紀後半期のイギリス使用 者団体一王立委員会調査報告(1892)を中心にしてーJW経済論叢.Jl (京大〉

出 102巻?Æ~

4号.不充分な「党書」であるが,拙稿rW大不況.Jl (1873‑96)  における経営者協会 (tradeassociation)にかんする覚書JW九州共立大学 紀要』箔3

w 2号. (1969) 

(2)  J.  w. Grove

, 

Government and Industry in Britain.  (Longmans

, 

1962) p.  20. 

イギリスの tradeassociation にかんするモノグラフは非常に少ないが,

アメリカにかんしては多少在り, 19世紀末から20世紀初めにかけての問題を含 むものに,例えば, E.  H. Naylor, Trade Associations. (Ronald, 1921)  J.H. Foth, Trade Associations.  (Ronald, 1930)がある。

(3) 

高橋哲雄

rW大不況』下のイギリス関税改草運動JW商学論究.Jl(関西学院大〉

22 34頁。この論文は,表題にかんする戦後我が国の先駆的労作であり,

教えられるところ多い。

(4)宮塚良三『恐慌論研究.Jl (未来社, 1962年)182

(4)

160  経 営 と 経 済 (5) 

この点は,拙稿「イギリスにおける『大不況~

(1873'"''1896年〉と諸資本 の対応(1

) J IT'経営と経済~

123号(1971)で不充分ながら論じている。本稿は その論文に続く一連の論文となる筈であったが,資料的にふれておきたい点も 多く,ひとまず資料中心に整理しておくほかないと考え,問題接近の順序はそ のま訟に,独立の論文として提出するととにしたものである。

(6)  r恐らく,経済史において, 1880.......92年の時期ほど『移行電transition'

~

という説明がぴったりの時期はあるまい。即ちそ乙には,国家の基本的政策と しての個人主義の終りがみられ,そして,国家の義務と役割にかんし,より 現代的観点の採用に向う明白な傾向が強まるのがみられたのである。 Jw.  Page

, 

Commerce and Industry.

(London

1919) p. 299. 

( 7 )  

乙の点に関し,当時の代表的公法学者 A. V.  Diecyの現実認識は興味深い。

彼は,乙の時期の社会的意思の特色を, r団体主義 collectivismJととら え,それが国家から享受しうる利益を霊くみる志向を持っているととを強調す る。例えば次のように云う。 r既に団体主義の傾向を強めていた立法関係が,

20世紀初頭に団体主義者の理念を直接に示した諸法律を生み出すだろうという ととは, (立法関係者には…藤田)1900年に明白になっていたが,この判断 は,財政の分野で, IT'公正貿易 fair

trade~ の名によって知られている保護

関税への信頼の復活をもたらした事実によってあからさまな形で確認された0

・…・社会主義と保護主義は共通な一面を持っている。それらは共に,国家権力 が,たとえ個々の市民の契約的自由と矛盾しようとも,有益な展開をすると いう信念の上に立っている。保護主義者も社会主義者も自由放任(laissez faire)への信頼を捨て去っている。どのような点から考えても,我々は,既 1900年までに laissezfaireの理念は一般的な権威を失っていたと判断 せざるをえないのである。 JA. V.  Diecy, Law and Public Opinion  in England during  the  Nineteenth Century.  (Macmil1an, 1963,  first ed. 1905) pp.  xxxi.......xxxi

i .  

(8)  19世紀末から20世紀初めにかけての諸資本家の集団的,政策的対応形態を論理 にとりこむ発想は, A. Marshall にもみられる。 Marshallは,個人とその 集合としての全体という枠組みで分析する古典学派やローザンヌ学派のいわ ゆる原子論的社会観と異り,社会を価格形成に参加する同質的行動の様々な

「集団 groupJに区分けして,より複雑な枯造を持ちつつあった19世紀末以

(5)

イギリスの「大不況J(1873"'96年)に対する諸資本家の対外的対策構想、 161 

│年の社会へ接近した。そして, groupの中の社会調整的役割を担う under takerの産業活動が,有機的成長の源動力とみなされ,理論構成においても 根幹をなした。しかし, M. Dobbの云う「健全なリアリズムJを持っていた にもかかわらず,当時のますます激化しつつあった諸資本集団間,諸階級間の 利害対立を inthe long run Iとおいて,自動的に融和されうるものとする理 論構成や, political  economyの方法を排して,より広義の一般理論として economicsを構築するための行動概念の非政治化,一般化をおしす弘める 方法ば,結局,現実と一般理論との斉合性を保っととを困難にしたと考えられ る。拙稿「マーシヤJレ『経済学原理』における社会調和論の方法についてー交 換論と分配論における『行動』概念ーJIT'九州共立大学紀要』第3巻第1

(1968) 

2. 

r

報告書」の背景と分析の方法

以上のような観点で r大不況」に対する諸資本家の対策構想を考察しよ う と す る と き , 最 も 包 括 的 で 基 礎 的 資 料 は r商工業不況調査委員会報告 書」全4 (FirstSecond, Third, Final Report of the  Royal Commis‑

sion Appointed to  Inquire into the Depression of Trade and Industry. 

(1) 

1886.)であると思われるo この「報告書」が作られた時期(18858

29 日に委員会発足, 188612

22日に「最終報告書」完成)は,アイノレランド 自治問題(土地問題)と並んで,自由貿易政策の堅持か,関税改1ti=保 設 貿 易政策への転換かが,経済政策上の基木方針をめぐる政争の重要な焦点にな りつつあった時であるo

19世紀中葉以降の自由貿易に対する反動は,恐慌に続く不況j自の1868 (2) 

フランスなどに対する報復関税を内容とする互志要求に始まる。 70年 lこ互志 協定のための議会委員会設置の要求などが出されたが, 70年‑73年の好況に それらの要求は沈静した。しかし, 74年から79年にかけての深刻な不況と凶 際収支の悪化は,再びこうした要求と論議を復活させ,

76

年 の 保 守 党 か ら 下 院への保護貿易の要求, 79年の C. T. Ritchieの 捉 案 に よ る 「 本 国 お よ び 悩民地砂糖業調五特別委只会TheSelect Committee on Home and Colonial 

(6)

162 

経 営 と 経 済

Sugar Industry J

の設置とその相殺関税の勧告,その他,保護貿易を主張 する多くの団体の成立,出版物での活発な論議など,その流れは日増しに大 きくなり,

1881

7

月,一つの大きなエポックをなす「国民公正貿易述盟

(3)  The National Fair Trade LeagueJ

が 設 立 さ れ て 行 っ た の で あ る

O

しか

し,このような互恵主義,保護貿易の要求は,自由党政府の容易にとりあげ るところではなく1"自助の政策

ThePolicy 0 '1Self Help.  1879J

の著者

w. F. Ecroyd

が ,

83

年に議会に出した「関税と内国税収入法

Customeand 

(4) 

Inland Revenue Billj

も受け容れられず,また,公正貿易連盟会長

Earlof  Dunraven

の提出した調査委員会設置,輸入関税,植民地特恵要求も,保守 党議員への意見浸透は著るしかったにもかかわらず,自由党内閣の拒否によ って,撤回を余儀なくされたのである口しかし,

85

6

月の政権交代によっ て成立した保守党第一次

Marquisof Salisbury

内閣の出現は,新たな状況

(5) 

を作り出したのであった。

この内閣には,関税改革に好意的な保守党幹部が加っていた。首相の

Marquis of Salisbury

をはじめ,不況調査委員会の委員長に就任すること になる下院保守党首

Earof Iddesleigh 

(かつての

SirStafford Northcote 

一大蔵総務) ,それに「第

4

党」派のリーダーであり,保守党統一協会全国 同盟の副会長である

LordR.  Churchill 

(インド担当相)や

SirR.  A. 

Cross 

(内務相) , 

Lord G.  Hamilton 

(海相)等がそうであり,公正貿易

(6) 

連盟会長

Earlof Dunraven

は植民地次官として入閣していた。こうした 条件に支えられて,不況調査委員会設置が蔵相

M. Hicks ‑Beach 

!こより提 案され,

85

8

月29 日に発足をみるのである

D

上記のような事情が示すように,この委員会の設置そのものが反自由貿易 運動の所産という色あいを持っており,それは委員就任要請に対する大物自

(7) 

由党員の拒否によって一層強められた。しかし,新内閣をとりまく政治情勢 は,委員会を反自由貿易の推進体としうるような余裕と安定を与えるもので はなかった。そうした状況は「報告書」に微妙に反映されているように思わ れるので,簡単にふれておこう。

第一次

Salisbury

内閣は,その政権獲保と安定のために,

C.  S.  Parnell 

(7)

イギリスの「大不況

J(1873

年‑

96

年)に対する諸資本家の対外的対策構想

163 

の率いるアイノレランド国民党に対しアイノレランド自治にかんする密約と取引 さえしなければならない事情におかれていたが,その約束を果たしえず,アイ ルランド自治運動のエスカレートに対し保守党本来の強圧的姿勢に出るや,

自由党の農業労働者擁護の強調によるゆさぶりに押され,

86

1

月不信任に 追い込まれるといった有様であった。再び政権は,自由党第三次

Gladstone

内閣によって担当されたが,やはりアイノレランド自治問題を処理し切れず,

( 8 )  

「帝国体制

EmpireSystemJ

の確立の立場からアイノレランド議会の分離に 反対する

J. Chamber1ain

一 派 の 離 反 (

Chamberlain

の地方自治長官の辞 任 , 自由統一党の結成)によって,アイノレランド自治法案は

30

票差で否決さ れ,それを契機に議会が解散された。

7

月の総選挙で,保守党

316

, 自由統 一党7

8

, 自由党

1

9l,アイノレランド国民党

85

という勢力構成となり,統一派

(9) 

は分離派を

118

も越え

8

月に第二次

Salisbury

内閣が生まれるのである。

その年の1

2

月2

2

日,政治的激動の中で調査活動を続けて来た委員会は

r

最 終報告書」を出したのであった。

委員長

Earlof Iddesleigh

は調査活動の開始に当り,政治情勢を考慮し て ,

r

調査の目的は法的施策を提示することではなく,諸事実を確証するこ と‑不況はどれほど進んでいるか,そしてそれは何もしないとすればいかな る状況を導くか,ということを把握することであり,従ってまた,提起され

(10) 

た諸対策を多少批判的に検討することである

oJ

と述べ,政策提案のための 委員会でないことを印象ずけようとした。こうした方向は,委員会内部に も,例えば,

G. A. Jamieson

のように委員会が自由貿易問題の論争にか かわりそうな調査に入ることを回避したことにあからさまな不満を述べる者

(11) 

を生み出した。そして,全体の構成からみれば,政策提案部分のウェイトは 必ずしも大きくなかったにもかかわらず,実際上,多数意見,少数意見の対

( 1

2) 

立は,政策上の方針にかかわる形であらわれたと云ってよい。

「報告書」の「第一,第二,第三」までは,主として諸産業,諸地域代表 の証言,それにかんする党書,産業および労働諸団体へ出した質問状回答,

いわゆる学識経験者からの意見,在外公館からの情報など,調査活動の記録 (

1

3) 

および資料であり,

r

最終報告書」に,それらの残りと,委員会としての怠

(8)

164 

y . . .

~~ç-: 

l

ψ1

ねよか守

とす;ぇJ

見が収録されている。23 名の委只による委員会としての志見は,

18

名の岩名を 持つ多数意見と

4

名の署名を持つ少数;意見, それに

A. O'Connerω;

ぷ見 とに分かれている

O

一般に,多数

73

見は現状維持の自由貿易思潮の基調を持 ち,少数意見は保設貿易思諒fJの基調を持つものとみなされ,二つの対立と

( 1

4) 

して受けとられている

o

先述したように,委員会の設置そのものが反自由貿易気迩高揚の所産とい う色あいを持つものであったにもかかわらず,委員長

Earlof Iddesleigh

の 署名をも持つ多数怠見が自由貿易の基調であった点は注怠を要する

o

恐らく 当時の政治情勢に対する配慮が少からず働いていたであろう

O

しかし,少数 志見という形であったにしろ,イ呆設貿易思潮が特定の産業のためのものとし てでなく,国民的な諸資本家の政策思潮として,

19

世紀中葉以降はじめて国 家レベルでいわば公的な形でとりあげられた意味は大きかったと思われる

O

また,多数意見についても,自由貿易思湖の単なる反映でなく,保護貿易に 踏み切れない委員を合む非保護貿易的思考の最大公約数的志見と云った方が より正確かもしれない口その乙とは,

18

名の多数志見の中の

11

名によって付 加された何らかの補足意見

(thereservations and remarks)

の中にも示さ れている。その中の

8

名が多数志見の楽観的自由放任基調に部分的であるが 何らかの国家介入による修正の必要を認めており

2

名は明らかに自由貿易 の修正を主張していることは注目されねばならない

oConner

報告は当 時のアイノレランドにかかわる資本家の考えを代表しているものと考えられる が,このような「報告書」の構成に,先述した政治情勢が微妙に影をおとし ていることが伺われるのである

O

さて,このような「報告書」を,諸資本家の不況対策構想分析の素材にし ようとする場合

r

最終報告書」の整理された委員会としての怠見以外の,

それらの素材ともなった証言や資料等をも検討すれば,より生き生きと諸対

策構想を把握しうるに追いない

c

だが,その

M

大な系材を処理するのは容易

でない。そこで,委員会が諸資本家団体へ出した調査質問状の回答を基礎に

し,それに関連ある若干の証言やその他の文献によって肉付けする方法をと

りたいと思う

D

これは,前節で述べた,諸資本家の集団的,政策的対応形態

(9)

イギリスの「大不況J(1873年‑96年)に対する諸資本家の対外的対策杭想 165 

の動向を考察しようというねらいからも当を得た方法と思われる

o

委員会は,広く産業実態の情報を集めるために,全国の商工会議所

(the Chambers of  Commerce)

と主な同業者協会

(the Commercial Associa tions)

へ ,

85

9

2日付で調査質問状を出した。その14

の質問項目の主 な内容は次のようなものであった。

商工会議所に対しては,

0

関係地域の範囲口@その地域の主要産業,

投下資本量,雇用量,生産量などで測られた場合の。@市場の国内外の割 合と主たる輸出国。E)1865~70, 70~75, 75~80 の各時期に比較しての最 近

5

年間の産業状況。@最近2

0

年は,

normallevel以上か以下か。@現時

点で明らかに「不況だ」と云えるか

oo

不況なら,その始期,最低;!lJ], 

最も支配的な徴伎口@そのプロセスは一様にあらわれたか不均等にか。

近い将来にはどうか口@不況の影響は異なった産業で,時,強さにおい て同じであったか。⑪その地域の特色を作った特別な環境があったか。

@資本に対する需要,供給,収益は最近

20

年の平均の以上か以下か。

@賃金率は,最近2

0

年の平均の以上か以下か口@あなた方の怠見ではど んな方策が産業の現状の改菩に適当であるか。

(a)

立法措置によるもの

o(b) 

立法措置によらないもの

oa

現状は次のどの原因によって影響を受けたと 考えるか口

a

資本労働の関係の変化。 b 労働時間の変化。

C

生産者,

分配者,消費者の関係の変化。 d 価格低下或は価値標準の胎賞。

e通 貨

と銀行法則の状態。 f 信用の制限或は膨JJl~o

g

過剰生産口 h 外国との 競争。

k

外国関税と奨励金。

1

税金問題,地方或は帝国。

m

他の諸市

(15)  j

易との交流。

n

産業関係立法。

o

土地関係立法。

同業者協会に対しては,

0

と@がなく

12

項目であるが,基本的に全く同じ 内容であり,産業部門別に適応するように該当部分が変えられているだけで

(16) 

ある

D

( 1

回答は

9

月末までにするよう要請された。結局,

12

月中旬までかかって,

58

の商工会議所と

31

の同業者協会から計8

9

の回答が寄せられた。

そこで,木~汚では,その中から不況対策にかんする質問@(同業者協会の

方は(D)

I

あなた方の芯見ではどんな方策が産業の現状の改善に適当である

(10)

166 

経 ~riJ;と粕~ i 斉

j

に対して,何らかの回答をよせた団体の対策提案をとりあげ,それを 次のようないくつかのタイプに分けて考察を試みる。一つは,それまでの実 績を踏襲する自由貿易主義的志向を基調とするもの。二つは,それを何らか の形で修正し,諸外国の保護主義に対応しようするが,保護関税導入にまで 至らないもの,三つは,保護関税導入を基調とするものD この三つに大別し て考察の枠組を作り,乙れに関連する証言や委員の意見などによって肉付け をして行きたい。与えられる素材は,対外,国内要因が不可分の形であった り,極めて簡単で分類に際して充分な内容判断をなし得ない場合もあるが,

主要な論点と包括的な把握は可能であろう。

(1)  この「報告書」は,古くは, Tugan‑Baranowsky, Studien  zur Theorie  und Geschichte der Handelskrisen in England.  (Jena, 1901)をは

じめ,現在でも多くの論者によって引用されているが,最近になって, Final  Report については,吉岡昭彦氏の次の論稿によって背景や内容が紹介され た。興味深い問題提起もあり示唆に畳む論稿である。吉岡昭彦 I

i l 商工業不況

調査委員会報告書』分析J

i l

国民経済の諸類型』川島武宣,松田智雄編(岩被 害居, 1968年)pp.  207‑234. 

以下,この4つの Reportは,単に, First  Report, Second  Report,  Third Report, Final Reportのように略記する。

(2)  C.  J.  Fuchs, The Trade Policy of  Great Britain and Her Colonies  Since 1860.  translated by C.  M. Archibald.  (Macmillan, 1905) p.  188. 

(3)  C.  J.  Fuchs, ibid.  pp.  189'"''195.吉岡昭彦,前掲書209頁.

(4)  C.  J.  Fuchs. ibid.  p.  197.  (5)吉岡昭彦,前掲書, 212'"''213頁.

(6)高橋哲雄,前掲書, 65頁. S.  Low, 

L .  

C.  Sanders, The Political  History  of  England.  Vol.  XI

I .  

1837‑190

1 .  

(Longmans.  1926) P.  516. 

(7)吉岡昭彦,前掲書, 213頁.

(8)  坂井秀夫「チェンパリンの帝国政策ー帝国と体制ーJ

i l

近代国家の政治指導ー 政治家研究1I篠原ー,横山信編(東大出版会,J 1964年)95....97

(9)  S.  Low

, 

L.  C.  Sanders

, 

op.  cit.  pp.367'"''387. 

(11)

イギリスの「大不況J(1873年'"''96年)に対する諸資木家の対外的対策構想 167  (10)  W. Page.  op.  cit.  p.  304.吉岡昭彦,前掲書, 213頁.

( 1 1 )  

r私は,この問題(関税問題…藤田)にかんして報告書が比較的言葉少なく,

明らかに無関心であるのは,一つの組織としての委員会が自由貿易問題にかん する論争になりそうな調査を回避した乙とに依るものと考えざるをえない。し かし,私には,証言によって極めて強烈に我々の認識の前に突き出されたこの問 題にかんし,ある程度取組むことなくして事に当ることは不可能と思われる。

それを取扱うことに抵抗するのは,誤った認識があるからだと思う。 JFinal  Report. p. xxxiv. 

{ 1 2 )  

C. J. Fuchs. op.  cit.  p.  199. 

( 1 3 )  

収録されている資料の中には,興味深い問題を持ち,もっととりあげられてよ いと思われるものがある。例えば,この時期の鉄鋼業研究には不可欠となって いる Sir Lowthian Bell  (British  Iron  Trade Asso.会長)の State ment Relating to the Iron Trade of the United Kingdom (Second  Report.  pp.  317‑362)。また,当時の世界的ひろがりを持つ通貨問題にか んして,委員の一人であったR.H. 1.  Palgrave (Economist主宰)が提 出した, Currency  and  Standard  of  Value  in  England, France,  and India, and the Rates of Exchange Between these  Countries. 

(Third Report. pp.  312‑390) PalgraveがW. Baghotと共に当時 の国際金本位制確立過程の新たな事態に新たな積極的金融政策観をもって対応 しようとした代表的人物とすれば(松井安信「貨幣と貨幣制度一管理通貨体系 の形成一JW金融論講座LJl有斐悶, 1964年40'"''41頁),注目に値する論文。

また,委員会の「通貨と価格の問題にかんする質問状」に対して寄せられた 27の回答 (FirstReport.  pp.  391""436) 0なかでも A. Marshallの回 答や.インドを中心とするアジア経済問題の専門家で, The. Industrial  Competition  of  Asia.  (Kegan Paul 1890.通貨問題が中心)という著書 を持つ C. Daniell  (Bcngal Civi1 Service)の回答。そして,回答中最も 長文で,最も理論的かっ唯一の銀行学派的観点で立かれていると思われる Luke Hansardの一文等。

( 1 4 )  

C. J.  Fuchs.  op.  cit.  P.  188.吉岡昭彦,前掲苦, 233頁.荒井政治『近 代イギリス社会経済史Jl(未来社 1968年).248

(

1

5)  First Repor

t .  

p.  73. 

(12)

168 

終~ 't~:; と桁済 {

1

 l6First  Repor

t .  

p.  115. 

( 1 7 )   この要請に際して,

11

・問項目の対策と原因にかんする長後の 2 問@①のために 遅れないように,という注怠がなされている。恐らく,との項目にかんしては かなりの対允紛糾を予怨してのととであろう。

3. 

I~I 由貿易主義,

I自由帝問主義」の志向

こ〉ではイギリスの産業上の優越性にねざした,従前に支配的であった自 由貿易主義を踏襲する政策観を基調とするものをとりあっかう

O

京材の検討 に入る前に,その特色づけに「自由帝国主義」を加えている点について若干 の説明を要しよう

D

これは, ] .  

Ga

l 1

agher

, 

R.  Robinson

の , 自由貿易主 義の現実は植民地支配を含む「自由貿易帝国主義」にほかならなかったとす

(1) 

る問題提起を受けたものである。(この意見の問題点は次節でふれる

o ) 

「大不況

J1m

に入り日増しに帝国主義政策が強化されて行くに伴い,自由貿易 主義はますます現実性を弱めて理念化を強め1"自由帝国主義」は,従前の それの延長線上に拡大積極化して行くと共に,次節で述べるような従前の枠 をはみ出す「新自由帝国主義」とでも云うべき思潮と現実をも生み出して複居 化して行ったと考えられる。ここで云う「自由帝国主義」は,次節の国家主 導型の帝国主義に対して,民間主導型の帝国主義とでも云うべきものである が,前者の顕著な展開に影響されて従前の内容をかなり変容させながら拡大 積極化していった

O

植民地への意欲が目立って積極化している点からみれ ば,それは「大不況」下でこそ最もよくその内容を開花することになったと さえ云えるかもしれない

O

しかし,自由貿易,自由放任を固持する基調は,

もはやイギリス資本主義の支配的な政策観たることはできなかったのであ る

D

従って,ここで検討されるタイプの多くについては,自由貿易,自由放 任主義の色あいを持ちながら,その枠内で「自由帝国主義」の強化という形 の変容を余儀なくされていった点に注意しなければならない

O

ここでの代表的なものは, 自由貿易主義の伝統的一大拠点

Manchester

c. C.  (Chambers of  Commerce

C. C.

と略記する)の対策構想であ

る。それは,次のような質問状回答の対外的対策提案項目に端的に示されて

(13)

イギリスの「大不況

J(1

873年‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 9 6 年 ) 1 と対する諸資本家の対外的対策 H~想 1 6 9   いる。但し,この回答には綿以外の産業は入っていない。それを整理して示 すと,

(1) 

産業の自然律

(thenatural laws of trade)

の機能をそこなう規制は原 則として望ましくない。

(2) 

しかし,本国および植民地の行政当局は,より充分な国内外の情報活動 を推進すべきである

O

そのために領事の増加と改善をはからねばならな い 。

(3)

新市場の開拓を実際的方法で推進すべきだ。

M. A. R.  Colquhoun 

の ,

British Burmah

WesternChina

との聞の,そして

Siam

the Shan State

を通る鉄道提案の交通を実行すること

o

( 2 )  

(4)  lndia

の鉄道及び社会事業の拡充をはかること

o

このような提案を商工会義所理事の

G. Lord

の証言により多少肉付けし てみよう。

Lord

の構恕の基本線は,イギリス本国を中軸とする鉄道,電 信,海運などによる

Communication

の拡大充実である

D

この思考の伝統 的実績について彼は云う

o 11860

年,貿易が極めて不調であったとき,

Colonel Baird Smith

Nowth‑West

に不況原因の追求にさし向けられ た。そして,彼は次のような報告書を作った。即ち,道路やあらゆる程類の輸 送機関が開発されたところではどこでも自由に消賀されているイギリス商品 を見出した。そして彼は,その点が最も重要であると指摘した。それは1

861

年のことだが,私の経験からして,現在についても云えることだ。私は,全

(3) 

ての国々にわたる

Communication

の展開に最大の価値を認める。」そして

この展開は,仲介商人を在庫負担から解放し,売り込みを容易にすると云 う

oLord

のこの基本線を具体的に進める場合の最大のねらいは,前述回答 のように,

lndia

周辺の鉄道機構

(rai1waysystem)

であり,更に,

China 

の開発であった口 「私は

lndia

の次に

China

の市場が綿貿易の依存すべき

i

長大のところであると思う

oChina

を我々が単に開発するだけでも,無限

(4)  (5) 

の拡大の可能性が生まれるである

oJ

と云う。

こうした植民地,後進国の開発によって,そこの競挙相手としての産業

が利益をうることについては

r

それは,彼等が持っている各自の天定、

(14)

170 

経 営 と 経 済

(natural advantage)

であり,イギリスの競争者より多くの度合で受益する ( 6 )  

わけではない口」と云う

o

また,保護関税等を採用している大陸などの競争 者も,国内消費の限界に直面すると共に1"中立的市場で我々と競争はでき

( 7 )  

ない,だから彼等も同じように因っている

oJ

という見方をして居り,イギ リス(綿)産業の優越性を前提とした世界市場での自由競争の可能性の認識 で貫かれている

O

しかし,前述回答にもあったように,対外政策にかんする政府の行政機能 に対する改革要求は極めて強い。そこには,一方で植民地における鉄道機構

(8) 

などの拡充にかんし政府の怠慢を激しく非難し,尻を叩きながら,他方で は,政府の独自的な力の伸長に対するいらだちが伺われる

D

例えば,

Lord 

は,政府が利害関係者に相談するこなくフランス通商条約,スエズ迩河協 定,商船法,商標法などを締結,制定,修正した乙とを激しい口調で攻撃 し,その悪い結果を強調して次のように云う

o

1"私が注意を喚起したいこと は,我々の政府の首脳と産業団体

(commercialcommunity)

との聞の接触 の不足である

D

そこでもし通商上の権威に常時自由に相談がなされたなら

( 9 )   ば,我々は救われたかもしれないと思う

o

このように,政府に対する

Manchester

約業資本家の態度は,資本家の 要請に応じて新しい事態に対処しうるような行政機能の改善,充実の要求 である

o

こうした意見の中には1"外務植民地省,インド省,商務省を改組 し,そこの職員の全員を放逐し,彼等に代って充分にこの国の産業の要求を

( 1

0) 

理解し,通商上の訓練をえている人々を配置すること

oJ

といった強硬なも のも含まれている

o

産業団体と対外政府機関がどのような形で対外的問題に対処すべきかにつ いての積極的な考えを,

Manchester

の綿製造業者

T.Stuttard

の証言に よって示そう

O

彼は,政府が商工会議所の存在に注目していることを前提 に,これを公的勧告によってより多くの産業人を結集して,半ば公的なもの とし,そこへ外国公館関係者が,その地域的産業の特色に応じた外国の情報

(11) 

を流すという考えを示し,続けて次のように云う

o

1"もし我々の中立的市場

の領事が,殊に未開地市場で,イギリスの製造業者や商人からその都度の委

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