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『夜の寝覚』の朱雀院 : 皇女の父院として

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(1)

『夜の寝覚』の朱雀院 : 皇女の父院として

著者名(日) 高橋 由記

雑誌名 大妻国文

41

ページ 19‑37

発行年 2010‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001302/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

大妻国文第引号

O

O

の朱雀院

||皇女の父院として||

E fl'

5

はじめに

源太政大臣・式部卿宮の兄弟で︑帝︵冷泉院︶・女二呂の父︑大皇宮の配偶者である︒巻一冒

頭で源太政大臣と﹁はらから﹂であると紹介されるが︑院自身が描かれることはほとんどないまま︑巻五巻末近くの脱文

部分で崩じたらしい︒描写は決して多くはないが︑女一宮のことを考える大皇宮は院の存在を何度も口にし︑男君に圧力

を与えて行動を規制しようとした︒物語の表面に登場しないにもかかわらず︑女一宮の背後に確固として存在する︑皇女

の父院としての朱雀院の有り様を考察したい︒

史実の皇女降嫁

ー父院・父帝の不在|

史実において皇女降嫁が少ないことは︑既に知られている︒次に示した︽表︾は︑﹃本朝皇胤紹運録﹄・﹃一代要記﹄・

(3)

﹃系図纂要﹄などを参考にして作成した︑平安朝において臣下と結婚した皇女︵内親王・賜姓源氏︶

で 二

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盛 保 ②  ① 姫j

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皇女の父に注目すると︑父院︵父帝︶在世時に臣下と結婚したのは賜姓源氏の潔姫と順子だけで︑内親王の降嫁は確認

できない︒提子内親王の藤原頼通への降嫁が実現すれば︑父帝在位中の后腹内親王の降嫁ということになったが︑これは

(4)

頼通側の事情で不成立に終わった︒また︑皇女の母の没年は不明であることが多いものの︑不成立に終わった降嫁を除け

つまり︑史実における皇女降嫁は︑両親︵父院・母︶没

後︑確かな後盾を持たない内親王が︑臣下と結婚した例が圧倒的に多いのである︒﹃うつほ物語﹄や﹃源氏物語﹄あるい ば確認できる限りにおいては在世時であることはほとんどない︒

は﹃狭衣物語﹄・﹃夜の寝覚﹄など︑作り物語における皇女降嫁は父院在世時のことが多いが︑これは物語ならではの設定

物語の皇女降嫁

母 の 不 在

続いて︑物語における皇女降嫁を簡単に確認したい︒﹃うつほ物語﹄や﹃源氏物語﹄あるいは﹃狭衣物語﹄などの作り

物語では︑主人公やそれに近い人物は皇女を室としている︒中でも﹃うつほ物語﹂では皇女の結婚が多い︒藤原仲忠の母

尚侍は清原俊蔭と一世源氏との聞に生まれた唯一の子で︑俊蔭も清原王と女源氏との子であった︒仲忠の父兼雅は嵯峨院

女三宮を盗むようにして結婚したという︒さらに源正頼の正妻は嵯峨院女二百で︑仲忠の妻は朱雀院女一宮といった具合

である︒玉上琢弥氏が﹁﹃宇津保物語﹄などは栄花の一つの条件に内親王降嫁を数えていると思われるほど﹂と述べられ

たように︑主要人物の妻はほとんど皇女である︒

﹃源氏物語﹄の皇女降嫁は︑桐壷帝同母姉︵妹︶女一二宮︵左大臣室大宮︶・朱雀院女三宮︵以下︑女三戸呂︶・朱雀院女二

宮︵以下︑落葉宮︶・今上帝女二宮の四例である︒桐壷帝同母姉︵妹︶女三宮︵以下︑大宮︶は﹁内裏のひとつ后腹﹂︵相

査・①四八頁︶とあるように后腹内親王である︒大宮降嫁は父院︵父帝︶在世時の可能性はあるものの︑はっきりとはわ

からない︒また︑母后も物語中に一切登場せず︑降嫁の詳細は不明である︒

女御所生の女三宮および今上帝女二宮は︑母没後︑後見の弱い娘の将来を心配した父院︵父帝︶が降嫁を取り決めた︒

(5)

鍾愛する女三宮の降嫁を積極的に進め︑決定した朱雀院については︑既に先学諸氏の御論考に詳しいが︑女一二宮にしろ︑

今上帝女二宮にしろ︑母の不在と後見の弱さ︑つまり将来の不安定さが降嫁に結びついているのはいうまでもない︒落葉

宮の降嫁は︑父朱雀院・母御息所ともに在世時のことだが︑女三宮を得られなかった柏木側の積極的な働きかけがあり︑

さらに﹁下臆の更衣腹︵若菜下・④一二七頁︶﹂であったことも降嫁を可能にした原因の一つだった︒

﹃狭衣物語﹄には︑堀川大臣の妻である故先帝の妹の前斎宮︵狭衣の母︶と︑狭衣に関する降嫁︵嵯峨帝女二宮・嵯峨

院女三宮・嵯峨院女一宮・一条院女一宮︶が描かれている︒﹁一条院︑当帝などの一つ后腹﹂︵巻一・①二一頁︶でありな

がら賜姓したのが堀川大臣であり︑狭衣はその堀川大臣と前斎宮との聞の唯一の子だが︑前斎宮の両親の存在については

一方︑狭衣に対して話題にされた嵯峨帝︵院︶のゴ一皇女の降嫁は︑最初に話題にされた女二宮を除

いずれも母后没後のことである︒ただ︑母后在世時でさえ﹁母宮の御方ざまとても︑もの頼もしき人もものしたま

はす﹂︵巻二・①一六一頁︶︑﹁その宮︑母方に御後見すべき人なくて︑行く末のこと思しめすにこそあらめ﹂︵巻二・①一

六五頁︶と︑有力な後見人がいないことが明かされている︒嵯峨院は︑后の死と自らの出家によって︑娘︵女二宮・女三

宮・女一宮︶を降嫁させる形で狭衣に託そうとした︒嵯峨院三皇女の降嫁はさまざまな事情で不成立に終わり︑結局︑

条院女一宮︵一品宮︶が狭衣に降嫁する︒一品宮は父院没後︑母女院在世時に降嫁したが︑これは事実無根の噂が降嫁に

つながってしまった特異な例である︒狭衣も一品宮側も望まないこの降嫁は︑両者を苦しめることになる︒

﹃源氏物語﹄以降の物語において︑皇女の降嫁が話題となるのは︑多くは父院︵父帝︶在世時で母没後のことである︒

後見の弱い皇女の将来に不安を感じた父院︵父帝︶が︑降嫁という形で夫に皇女を託している︒後見の弱さと母の不在︑

これが物語における皇女降嫁の一つの型といえよう︒

(6)

の女一宮降嫁

﹃夜の寝覚﹄の朱雀院女一宮︵以下︑女一宮︶

の降嫁は第二瓶にあり詳細は不明だが︑第三一部の記述や改作本の描写か ら︑女一宮が降嫁に至った経緯を推定すると︑男君側が﹁この人︵リ女君︶ゆゑこそ︑もし槙捨ならぬこともやと︑思ひ 寄りきこえさせしか﹂︵巻四・四二一二劃︶・﹁︹女君ヲ︺片時も思ひ怠らず︑胸︑心やすからずのみ思ひたまへられしが苦し さに︑ことと慰むこともやと︑あやしきまでまめになりおきはべりにし心を改めて︑朱雀院の宮の御事も思ひ寄りにし﹂

︵巻五・四五五頁︶とあり︑女君が老関白と結婚したことで失意にあった男君が女一宮に近づき︑女一宮側では大皇宮が

U大君︶は︑もとより心ざし深からで︑ありつかずと聞きはべりしかばこそ﹂︵巻三一・二六五頁︶・﹁すべて︑お

のが﹃︹女一宮ヲ︺世づいたるさまにて見たてまつらむ﹄と思ひかけけるが︑

いと悔しきなりL

君と大君の結婚が上手くいっていない噂があることに加え︑大皇宮が女二百の結婚を望んだため︑降嫁が成立したと考え られる︒男君側と女一宮側︵大皇宮︶の双方が降嫁を望んだらしいが︑男君や大皇宮がどれほど積極的であろうとも︑ハメ 院在世中の女一宮の降嫁には院の裁可が必要であったろう︒源太政大臣女を室とする男君に︑女一宮を降嫁させることを 許した理由や院の思惑・心中は非常に気になるところだが︑その詳細は一切わからない︒

后宮所生という高貴な出自に加え︑父院・母后ともに在世時であり︑なおかつ兄︵弟︶帝在位中の女一宮の降嫁は︑史 実ではもちろんのこと︑他の作り物語にもみられないものである︒後見のしっかりした女一宮の男君への降嫁は︑男君室 であった大君に大きな衝撃を与え︑それが大君の死につながったらしい︒第三部では︑女君は女一宮の存在を気にするが︑

女一宮と比して︑女君が自身を﹁劣りざま﹂と感じるのは必然のことであった︒

(7)

朱雀院の描写箇所

さて︑女一宮の父である朱雀院は︑﹃夜の寝覚﹄においてどのように記されているのだろうか︒院の描写は少なく︑現 存部分では十七箇所しか確認できない︒その全用例を挙げ︑物語内の朱雀院の存在意義について考察したい︒用例には便

宜的に①から⑪の番号を振り︑以下︑その番号で述べていくことにする︒

H

V巻 一

①源太政大臣の紹介

そのもとの根ざしを尋ぬれば︑そのころ太政大臣ときこゆるは︑朱雀院の御はらからの源氏になりたまへりしになむあ

②中の君が夢の中で天人から琵琶を習う夜

つねよりも明しといふなかにもくまなきに︑内にも御遊びあるべかりけれど︑朱雀院の帝︑御風起こらせ

たまへりければ︑にはかにとどまりて︑いと映えなく︑ところどころに︑

ひとへに月を賞でたまふ夜あり︒︵一六頁︶

日 ~~If

男 シ

大皇宮は女君に朱雀院参入を勧める

(8)

⑧大皇宮︑女君邸︵故関白邸︶から院に遷御︒女君の院参入をなお勧める

︹大皇宮︺﹁かからましかば︑いかばかりなる乱れあらまし﹂とおぼしめすに︑今より後も︑いとうしろめたけれど︑さ

いかでかは︒院も︑おぼつかながりきこえたまへば︑北の方を︑﹁なほ︑きこゆるに従ひて︑院にさぶらひ

たまへ︒おのれ心とめてきこえなむことを︑

つゆにでもおろかにはありなむや﹂と︑

せちにきこえおもむけさせたまふ

を︑聞くもゆゆしきまでおぼゆれど︑おぼつかなからぬほどにうち紛らはしつつ︑過ぐしたまふ︒﹁いと心もとなし

L

とおぼしめしながら︑院に帰りまゐらせたまふ︒︵二三五頁︶

④帝闇入後︒男君︑詳細を宣旨の君に聞く

つひに構へ出でさせたまひつることなめりかし︒あやしく︑例ならず長居したまふとは見つるぞ︒内侍 督のことをのがれにしかば︑朱雀院にと構へたまふ︒︵略︶

L

︵ 二 一

O

V巻四

⑤女一宮の病重く︑大皇宮が男君を責める

いと弱うくづほれにたり︒さベき仲こそ︑かかる折は頼もしかなれ︒このごろばかりだに︑もて 狂ほされたまはで︑扱ひきこえたまへ︒にくく︑すさまじくは思ひきこえたまふとも︑院の上のきこしめさむところは︑

おぼすまじくやは︒それは︑

いつもいつも見なづさひぬべき人︑宮は︑生きとまりたまはむことも難かめり︒このころ

⑥生霊事件︒大皇宮︑男君を責める

︹大皇宮︺﹁︵略︶かの人︵日女君︶去りがたうおぼされば︑宮に︑

さらに︑人聞きばかりをおぼいて︑絶えぬさまに︑

なつくろひおぼしそ︒院︑内︑きこしめさむところあり︒﹃いかでか︑さはあらむ﹄とおぼさば︑かしこへ︑な立ち寄

(9)

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⑦男君︑女君に言い訳

︹男君︺﹁なほ︑例ならぬ御気色かな﹂と︑胸ふたがりて︑﹁あやしくのみある︹女一宮ノ︺御心地を︑后の宮もいとも

のわづらはしくおいらかならでくねりさいなみつつ︑院にもきこしめすところありなど思ひ倖られつつ︑心のままにも︑

一 二 頁 ︶

⑧病の女一宮︑院に移る

宮には︑﹁かくのみおはしますほどを︑ともすれば見捨てたてまつりたまふ恨めしさは︑尽きせず心憂し﹂とおぼしの

たまはせて︑所替へがてら︑﹁院の上の︑おぼつかなくのみ思ひきこえさせたまひつるを﹂とて︑︹女一宮ヲ︺院に迎へ

たてまつらせたまへれば︑院の御覧ぜむところさへつつみ障るほど︑山里︵川広沢︶には︑思ふままにもえ紛れたまは

⑨女一宮の病︑小康︒男君︑女一宮に帰邸を勧める

過ぎにしかた︑行く先︑もののみ悔しくむつかしきに︑院の御覧ぜむところを︑あながちにつくろふも苦しければ︑

﹁わづらひし所とても︑かならず︑かくやは離れさせたまふ︒おはします所近くさぶらふも︑いとかしこきを︒渡らせ

たまはむ﹂と勧めて︑渡いたてまつらせたまひっ︒︵四二四頁︶

V

⑩男君︑女君の出家を止めるため︑広沢へ赴く

いかがせむ︒さのみつつしむべきことか﹂と︑

心やすきを︑今日ぞよき日なれば︑入道殿に姫君見せたてまつらむとおぼせば︑︵四六七頁︶

⑪大皇宮から女一宮への手紙

(10)

﹁さばかりめでたき人の︑色めかしくもてなしきこゆらむに︑いとしも見えざりし御心は︑いとど名残もあらじを︑さ

てうち添ひたまふらむ︑いといみじく人笑はれなべきを︑院に渡いたてまつりでむ︒さる心せさせたまへ︒なかなかめ

ざましき人目ばかり︑ときどき待ち・つけたまはむも︑なににかはせむ︒昔ながらにておはしませ﹂などあるなりけり︒

︵ 五

O

⑫男君︑女一宮に言い訳

宮の御心ばへと︑院のきこしめさむところとは︑なのめならず心苦しくおぼさるれば︑その夜を念じ明かして︑またの

日のタっかた︑渡りたまふとて︑﹁なかなか︑幼き者一人はべるときは︑夜をも隔てずのみ行き通ひならはひてはべれ

ど︑なめしなど言出でさせたまはぬ御気色の︑なかなかいみじく思ひたまへらるれば︑近きほどながら︑日ごろを過ぐ

O

⑬男君独断の人事を︑大皇宮怒る︒院︑大皇宮を教え諭す

大皇の宮は︑これをきこしめすままにも︑﹁いかでかく心のままにては見聞かむ﹂と言はれさせたまへど︑院の上︑﹁い

かがはせむ︒帝すら大臣のままにおはします︒代も去りにたり︒逆へ言ふべきかたなきことなり﹂とのたまはするを︑

﹁されば︑ただ宮を迎へ取りたてまつりて︑また再びあひ見せたてまつりたまはじ﹂とのたまはすれど︑﹁それ音聞きい

とけしからず︒なほなほしきことなり︒さべきとは言ひながら︑さもこそ思ひ寄らめ︑悪しうおぼしたちそめしなり︒

さて︑たけかるべきやうなし︒人はなかなか︑心やすくこそ思ひならめ︒をこがましく︒さりとも︑ょにおろかには思

ひきこえじ︒任せて御覧ぜよ﹂と︑教へたてまつらせたまふ︒︵五二一一頁︶

A

で崩じたらしい︒男君︑仏事に尽力

⑭督の君に皇子誕生︒女君の縁者︑督の君に奉仕

御消息のみ︑隙なく通ひつつ︑権大納言︑按察使大納言︑民部卿︑右大将︑さベきゆかりといふなかにも︑故大臣の御

(11)

時にとりわき浅からざりし御心ざしをおぼし知れば︑﹁この君たちの御事をこそはつかうまつらめ﹂とおぼして︑院の

御忌みには立ち離れたまへり︒︵五三二頁︶

⑮督の君慶賀

いとめでたく︑うれしげなる御産屋の︑院の御忌みさしあひて︑いと折悪しくて︑何事の栄えもなし︒御産屋に龍りた

さべきかぎり︑内々に忍びやかにもてないたるばかりぞ︑口惜しげなりける︒︵五三六頁︶

⑩朱雀院の忌み果て︒男君︑早速女君のもとに渡る

御忌み果てぬれば︑いつしかと渡りたまひて︑ありし夜の怠り述べつづけ︑人の御恨めしさも尽きせずきこえなやまい

⑪男君︑傷心の女一宮のもとに居がち

朱雀院には︑名残遠くなるままに︑宮のいといたく心細げにおぼし乱れたまへるを︑このほどは夜離れなく慰めたてま

つるべきものとおぼせば︑あなたがちに︑しげうものしたまふを︑女君も︑さるべきことわりとみなおほし知り︑

じからむことをも︑心よりほかに漏らすべくはたものしたまはねば︑

崩後のため︑描写はないか︒ いとなだらかなり︒︵五四四頁︶

引用部分で記したように︑朱雀院は巻五巻末近くの脱文部分で没したらしく︑⑭1⑪は院没後のことである︒少ない描写

ではあるが︑院の存在には大きな意義が感じられるので︑以下︑考察したい︒

(12)

五 朱雀院の存在感

全十七箇所と少ない院の描写であるが︑まず全体像を確認しておく︒

︵女一宮降嫁︒女君の院参入の話︶

巻三③④大皇宮︑女君に院参入を勧める

巻四⑤⑥⑦⑧⑨ 

U

Q 同両|巻

援隆副五

⑩ 

⑪ 

~

第一部では︑院の描写はほとんどなく︑源太政大臣と﹁はらから﹂であると記された箇所︵①︶と︑名が記された箇所

﹃夜の寝覚﹄の朱雀院

(13)

第二部における院・の登場の詳細は不明だが︑前述したように女一宮降嫁には院の許司があっただろうから︑院の描写も

あったと思われる︒また巻三では︑大皇宮が女君に朱雀院への参入を勧めており︑女君の院参入は第二部からの話題だっ

た︒なお︑女君参入に対し︑朱雀院自身がどのように感じていたのかは現存部分からは読み取れない︒

第三部︑巻一二の③④はいずれも大皇宮が女君の院参入を企て︑女君がそれを拒否したことが記されている︒院の存在は

それほど大きいわけではない︒

院に関する記述が増え︑存在感が大きく取り上げられるのは巻四以降である︒巻四の主要な出来事は生霊事件で︑生霊

の噂に苦しむ女君は広沢に移るが︑この一件は女一宮側からみても重要であった︒今まで存在が記されていたに過ぎなかっ

た女一宮が病になって以降︑本人の描写が増え︑男君が外聞を気にするためだけではなく︑本心から心配していることが

記される︒男君の心内において︑女一宮の存在感が増すのが女ご呂の病以降なのである︒その女一宮の病に関連して大皇

宮が院の存在を口にする︒⑤﹁院の上のきこしめさむところは︑おぼすまじくやは﹂・⑥﹁院︑内︑きこしめさむところあ

り﹂と︑大皇宮は朱雀院や帝の存在を前面に出し︑女一宮を大切に扱うよう︑そして女君のところへは行かないよう︑男

君に釘を刺す︒院の存在の大きさは︑大皇宮の語るところだけではなく︑実際︑男君も気にしていたようで︑⑦﹁院にも

ころありなど思ひ僚られつつしと︑男君は女君の所に行くことが出来ない︒院が登場したわけでもなく︑何きこしめ

か行動をしたわけでもないが︑院がいるということが男君にとって無言の圧力になっているのである︒

⑧では病の女一宮が院に引き取られる︒院への引き取りは︑実質的には大皇宮の働きかけによるものと推察されるが︑

女一宮が院に引き取られたことは︑目に見える形で女一宮の後盾としての院の存在を男君に実感させ︑ひいては女一宮の

社会的立場の重さを内外に知らしめることになろう︒﹁院に迎へたてまつらせたまへれば︑院の御覧ぜむところさへつつ

み障るほど﹂と︑男君は︑院の目を気にして︑広沢に移った女君の所に行くことが出来ない︒

巻五では広沢に移った女君が出家を決意し︑男君はそれを阻止するために広沢に赴く︒⑩は友君の出家という危機に際

(14)

し︑男君が院や大皇宮の思惑など構っていられないと思っている箇所である︒裏を返せば︑女君出家という事態でなけれ ば︑男君は院の思惑を考えて行動してしまうということであり︑また︑このような緊急時でありながら︑院や大皇宮の存 在が男君の脳裏をかすめたわけで︑男君にとって院や大皇宮がどれほど無視できない存在であるのかは明白である︒大皇 宮は以前から︑男君や女君をさまざまな言動で縛ろうとしていたのだから︑女君の所に赴いた男君がその存在を思い浮か べるのは当然であるが︑院は現存部分ではほとんど実質的な登場が認められないにもかかわらず男君の脳裏に浮かぶ人物 なのである︒男君が女君に関連して何か行動を起こそうとしたとき︑思い起こされるのが院の存在なのである︒

⑫でも院の存在が男君の行動を規制している︒女一宮の背後には︑常に父である朱雀院の存在が見え隠れしている︒

本人が登場せず︑その存在が男君に圧力を与える人物は︑朱雀院に限ったことではない︒巻四初め︑宮中からやっと退

出した女君のもとに男君が赴こうとしたとき︑男君は女一宮の存在を気にする︒男君は何も語らない女一宮に言い訳をし

て女君のもとに向かうが︑野口元大氏は﹁女一宮は︑この間︑

一一一面も口をきかず︑身じろぎ一つしないかの趣である︒女 一宮が存在するというそのことだけで︑内大臣はかくも振り廻されざるをえないのである︒描かれないことによって︑逆 にこの上ない存在感を印象づける女一宮の特異なあり方に注目する必要があろう︵傍線筆者︶﹂とされる︒野口氏の御論

考は︑女一宮に関するものだが︑その存在の有り様は朱雀院にも通じるといえよう︒

っかついて⑬だが︑これは現存部分で唯一︑院自身のことばが書かれている箇所である︒女君への愛情ゆえに︑女君の一

族を優遇した人事を行った男君に対し︑大皇宮は激怒する︒そうした大皇宮を院はたしなめる︒

院の上︑﹁いかがはせむ︒帝すら大臣のままにおはします︒代も去りにたり︒逆へ言ふべきかたなきことなりL

ただ宮を迎へ取りたてまつりて︑また再びあひ見せたてまつりたまはじ﹂とのたまはすれ

ど︑﹁それ音聞きいとけしからず︒なほなほしきことなり︒さべきとは言ひながら︑さもこそ思ひ寄らめ︑悪しうお

ぼしたちそめしなり︒さて︑たけかるべきやうなし︒人はなかなか︑心やすくこそ思ひならめ︒をこがましく︒さり

(15)

とも︑ょにおろかには思ひきこえじ︒任せて御覧ぜよ﹂と︑教へたてまつらせたまふ︒︵巻五・五二二頁︶

怒りのままに女一宮を引き取ることを進言する大皇宮に対し︑院は︑それでは﹁音聞き﹂が悪く︑そもそも降嫁が﹁悪し

うおぼしたちそめし﹂ことだという︒男君は女一宮を﹁ょにおろかには思ひきこえじ﹂なのであり︑﹁任せて御覧ぜよ﹂

と︑将来的な視点をもって︑もう少しおおらかに見守るようにと︑教え諭している︒感情のままに行動することの多い大

皇宮を押さえることの出来る人物が院である︒また︑今まで見てきたように︑院は存在そのものが男君の行動を規制して

いたが︑院自身は降嫁した女一宮の問題に介入することを極力避けていた︒物事を見極める冷静な判断力︑広い視野をもっ

た人物が院だといえよう︒

このような院が存在すれば︑大皇宮の専横も押さえられるのではないかと思われるが︑院は巻五巻末近くの脱文部分で

没したらしい︒その死の詳細は脱文のため不明だが︑⑭以降は院の忌みが語られるから︑没したことは確かである︒⑭か

ら⑮は院の忌みよりも︑男宮を出産した督の君の慶事を大事とする女君の一族の様が記される︒そうしたなか︑⑪﹁朱雀

院には︑名残遠くなるままに︑宮のいといたく心細げにおぼし乱れたまへるを︑このほどは夜離れなく慰めたてまつるべ

きもの﹂と︑院没後の女一宮の心細さを心配する男君は︑女一宮に夜離れなく通う︒﹃狭衣物語﹄では︑一品宮の母女院

が没した際︑狭衣は一品宮を思いやることは一切せず︑それどころか宮の姫君の引き取りが延引することを憂慮していた︒

狭衣に比したとき︑男君が女一宮を大切に扱っているのがはっきりとする︒女一宮の病以降︑男君は女一宮自身に愛情を

感じていることを自覚しており︑社会的立場の重さはもちろんのこと︑たとえ院没後であろうとも女一宮が疎かに扱われ

ることはない︒第四部においても女一宮は重要な役割を果たしたであろう︒

以上みてきたように︑﹃夜の寝覚﹄の朱雀院はその存在が常に男君に圧力を与えているが︑本人は殆ど記されていない︒

登場しないにもかかわらず大きな存在感を示す朱雀院は︑降嫁した皇女の父院の有り様として非常に興味深いといえよう︒

(16)

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降嫁した皇女の父院

最後に︑﹃源氏物語﹄と﹃狭衣物語﹄における降嫁した皇女の父院を確認したい︒

まず﹃源氏物語﹄だが︑大宮の父は一院の可能性があるものの︑一院が大宮や左大臣に対してどのような態度を取った

のかは記されていない︒﹃源氏物語﹄において降嫁した皇女の父院として︑もっとも印象的なのが女三宮の父朱雀院であ

ろう︒朱雀院がいかに女三宮を鍾愛したのかは︑先学諸氏の御論考にも詳しい︒朱雀院は女三宮を心配して︑宮の降嫁そ

のものにも積極的に行動し︑降嫁後も引き続きさまざまなことをしている︒山寺から源氏や紫の上に文を贈り︵若菜上・

④七五頁︶︑女三宮の異母兄弟にあたる今上帝に女三宮のことを依頼し︑結果︑女三宮は二品に叙された

七六頁︶︒﹁内裏の帝さへ︑御心寄せことに聞こえたまへば︑おろかに聞かれたてまつらんもいとほしくて︑渡りたまふこ

と︑ゃうやう等しきゃうになりゆく﹂︵若菜下・④一七七頁︶と︑朱雀院のみならず今上帝の心寄せのある女三宮を源氏

は丁重に扱った︒父院が積極的に内親王に関われば︑当然︑配偶者である男性貴族にとっては大きな圧力となる︒女三一宮

に対する朱雀院の関わり方は︑﹃夜の寝覚﹄の朱雀院とは対照的で︑むしろ大皇宮に似通うところがあるといえるが︑配

偶者である男性貴族に対する圧力としての存在感は︑﹃源氏物語﹄の朱雀院も﹃夜の寝覚﹄の朱雀院も同様である︒

女三宮に対してさまざまな心配りをした朱雀院だが︑柏木に降嫁した落葉宮に対して何らかの援助をしたという記述は

ない︒そもそも︑朱雀院は女三宮だけを鍾愛したのだから︑落葉宮への心寄せはなかったであろう︒柏木は落葉宮に対し

て﹁人目に笹めらるまじきばかりにもてなし﹂︵若菜下・④一一一七頁︶・﹁かしこまりおきたるさまにもてなし﹂︵若菜下・

④二三二頁︶と︑対外的には皇女としての体面を保てる扱いをしていたというが︑落葉宮の背後に朱雀院の存在が具体的

(17)

今上帝は女二宮に対し︑女二宮の場合の朱雀院のような積極的な援助こそしなかったが︑薫の母であり自身の異母姉妹

にあたる女三宮に女二宮のことを複数回依頼している︵宿木・⑤四七七頁︑東屋・⑥八八頁︶︒薫は女二宮を﹁かしこま

りおきたるさまL︵東屋・⑥八八頁︶・﹁いとやむごとなき方は限りなく﹂︵同︶と重々しく扱うが︑そこには帝の存在が見

え隠れする︒たとえば浮舟の引き取りについて女二宮に了解を求めたとき︑﹁内裏になど︑あしざまに聞こしめさする人

やはべらむ﹂︵犀舟・⑥一六二頁︶と︑薫が帝の思惑を気にしていることからも明らかである︒

﹃狭衣物語﹄では︑狭衣の母である前斎宮が堀川大臣に降嫁しているが︑狭衣の母は︑﹁故先帝の御妹﹂︵巻一・①二一

頁︶と記されるものの︑父の姿は物語内にみえない︒また︑狭衣に対する皇女降嫁は何度も話題にされたが︑実際に降嫁

一条院は故人だった︒降嫁が不成立に終わった嵯峨院皇女は別として︑

﹃狭衣物語﹄では降嫁した皇女の父院は物語内にみえない︒

﹃源氏物語﹄や﹃狭衣物語﹄と比べると︑本人が描かれることが少ないにもかかわらず︑その存在が何度も話題に上り︑

存在そのものが男君に無言の圧力を掛ける﹃夜の寝覚﹄の朱雀院の有り様は︑独自のものだといえよう︒

おわりに

女二邑が病になって以降︑男君は女一宮自身に愛情を感じていることが記される︒そして朱雀院の存在感が特筆される

のも︑女一宮の病以降である︒女一宮自身の魅力と相まって︑女一宮の背後に存在する朱雀院が大きく取り上げられ︑男

君は女一宮を無視することが出来ない︒女一宮の存在が大きくなればなるほど︑女君の慎悩も深まる︒﹃無名草子﹄に

﹁はじめより︑ただ︑人ひとりのことにて︑散る心もなく︑しめじめとあはれに︑心入りて作り出でけむほど﹂︵二二四頁︶

と︑女君の心を深く描く﹃夜の寝覚﹄にとって︑女一宮︑そして後盾としての父朱雀院の存在は大きい︒

(18)

平安朝の史実では︑内親王が降嫁した際にその父院が在世中であることは確認できないから︑父院が娘の行く末を心配 し︑降嫁させることはない︒降嫁した皇女の父院は物語ならではの造型ということになる︒﹃夜の寝覚﹄の朱雀院は︑存 在そのものに意義があり︑臣下である男君の行動を規制している︒姿を現さずに︑それでありながら登場人物にとって大

きな存在感を有しているのが︑﹃夜の寝覚﹄の朱雀院といえよう︒

士 占

1︶ 皇女・内親王の数は資料によって若干の違いがあるが︑今井源衛氏﹁女コ一宮の降嫁﹂︵﹃改訂版源氏物語の研究﹄未来社一九

六二・七︶によると︑平安初頭より一条朝以前までの皇女︵賜姓源氏を含む︶一六四名のうち︑配偶者を持つ皇女は二五名で︑

︒光孝皇女源礼子は伊予介藤原連永に配したとあるが︑光孝天皇は五五歳で即位したので︑礼子の結婚は父帝即位以前の可能

O

また某①は︑光孝天皇の即位︵元慶八年︵八八四︶︶と時平の生年︵貞観十三年︵八七一︶︶を勘案し︑父帝即位後の結婚の

︒﹁裁可﹂は︑降嫁・結婚にあたり帝や院︵皇女の父以外の帝や院を含む︶等の許可があったかどうかを示す︒結婚後に容認さ

たが︑承平元年︵九三二十二月に雅子内親王が斎宮に卜定されたためにそのままとなった︒当子内親王と道雅は︑密通の

︒普子内親王の母満子女王は延喜二十年︵九二O︶六月二十七日没︵﹃貞信公記﹄︶と思われ︑普子内親王の裳着は延長三年 2︶ 

(19)

ー し

ノ\

3︶ 

4︶ 

︒康子内親王所生の深覚は天暦九年︵九五五︶生なので︑師輔との関係が始まったのはそれ以前︒母穏子は天暦八年︵九五四︶

一月に没している︒師輔とのことと母穏子の死との前後関係は不明だが︑木村佳織氏は穏子の死後まで待って康子内親王の結婚が行われたかのようでさえあるとする︒︵﹃源氏物語﹄の婚姻と内親王降嫁の持つ意味妻としての紫上に与えられた特

殊性|﹂︑﹃人物で読む﹃源氏物語﹄第六巻紫の上﹄勉誠出版二

OO

五・六所収︶

︒保子内親王と兼家の結婚時期は不明だが︑﹃鯖蛤日記﹄中巻によると天禄元年︵九七

O

︶七月には兼家と﹁先帝の皇女しとの ことが道綱母の耳にも入っていた︒﹁先帝の皇女Lは保子内親王か︒保子内親王の母藤原正妃は康保四年︵九六七︶没なので︑

内親王の結婚は母没後の可能性が高い︒

︒盛子内親王の母源計子の没年は不明だが︑﹃拾遺集﹄︵巻二十・哀傷・一二八四︶によると︑村上天皇より早く没したらしい0

0穂子内親王の教通への降嫁は︑﹃栄花物語﹄巻二十四﹁わかばえ﹂によると母城子が病だった頃から話があったが︑実際に降

玉上琢弥氏﹃源氏物語評釈﹄七︵角川書店一九六六・二︶

﹃源氏物語﹄の本文は︑阿部秋生・秋山虞・今井源衛・鈴木日出男氏校注・訳新編日本古典文学全集﹃源氏物語﹄①

i

⑥︵小

学館一九九四・一二1﹁紅葉賀﹂に記される一院は桐壷帝の父か兄とされる︒父の場合︑大宮の父院ということになるが︑兄の場合︑大宮の父の存在

大宮の降嫁について︑藤本勝義氏は左大臣の人柄を重視し︑﹁左大臣︵降嫁時の官位は不明︶の人物を見込んで︑帝側︵おそらく

一院の見解︶が降嫁を考えた﹂とされる︵藤本勝義氏﹁大宮の准拠と造型﹂︑﹃源氏物語の想像力史実と虚構﹄笠間書院

朱雀院と女三宮との関係を述べた御論考としては︑上田満寿美氏﹁六条院世界の崩壊|女三宮の降嫁における朱雀院|﹂︵﹃徳島文理大学研究紀要﹄五六一九九八・九︶の他︑中西紀子氏の以下の御論考がある︒﹁﹃源氏物語﹄の舶来品にかかわる人々

女三の宮と朱雀院のまなざし﹂︵﹃王朝文学研究誌﹄一一二

0 0 0

2

雀院と娘女三の宮の場合﹂︵﹃大阪芸術大学短期大学部紀要﹄二五二

o o

院と女三の宮の紐帯をとおして|﹂︵﹃王朝文学研究誌﹄一二二

OO

一 ・ 一 一

一 ︶

5︶ 

6︶ 

7︶ 

(20)

﹃狭衣物語﹄の本文は小町谷照彦・後藤祥子氏校注・訳OO

﹃夜の寝覚﹄は中間と末尾に欠巻のあることから四部に分けて把握するのが通説となっている︒以下︑小論もそれに従う︒第一部巻一・二︵三巻本では上巻︶第二部|中間欠巻部分

第三部現存巻三

1

第四部l末尾欠巻部分

﹃夜の寝覚﹄の本文は︑鈴木一雄氏校注・訳新編日本古典文学全集﹃夜の寝覚﹄︵小学館一九九六・九︶による︒傍線は筆

者 ︒

史実では︑三条天皇は降姫女王︵具一平親王女︶を室としている頼通に︑提子内親王を降嫁させようとした︒また﹁源氏物語﹄

では︑朱雀院は雲居雁︵太政大臣女︶と結婚したばかりの夕霧に︑女三宮を降嫁させることを考えていた︒いずれの話も立ち消えとなったが︑妻の有無は皇女降嫁にとって決定的な障害にならないのだろう︒

拙稿﹁﹃夜の寝覚﹄の女一宮降嫁した内親王の問題として﹂︵﹃明星大学研究紀要日本文化学部|言語文化学科﹄一四一一

00

野口元大氏﹁第三部における人間の認識三︑生霊事件|臼侍の崩壊!﹂︵﹃夜の寝覚研究﹄笠間書院一九九

0

第四部における女一宮の存在・役割を探ることは難しいが︑﹃物語二百番歌合﹄では女一宮のことを﹁一品宮﹂と記している︒

現存部分で女一宮のことを一品と呼ぶことはないから︑第四部で一品に叙された可能性が高い︒関根慶子・小松登美氏﹁増訂

寝覚物語全釈﹄︵学燈社一九七二・九︶の﹁末尾欠巻考﹂でも︑﹁︹女一宮ハ︺末尾欠巻で一品に進まれたらしい﹂とする︒第

四部の女一宮︵一品宮︶は︑社会的立場の重い男君室として描かれたのではあるまいか︒

﹃無名草子﹄の本文は︑久保木哲夫氏校注・訳新編日本古典文学全集﹁松浦宮物語無名草子﹄︵小学館

8︶ 新編日本古典文学全集﹃狭衣物語﹄①②︵小学館

9︶ 

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参照

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