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法律 ・措置法律 ・ノモス

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社会科学論集 第

116

2005.ll

《 論 文》

法律 ・措置法律 ・ノモス

三 宅 雄 彦

キーワー ド:法律,措置法律,法と倫理

1 .序

法律概念 は理論実践の両面で挑戦を受 けている。

第‑ に,行政組織法 における近時の研究進展 とい わゆる基本法や基本条例への注 目がある。 いわゆ る内部関係やプログラム法律 における理論的空隙 は今 や充填 されつつ あるが( 1 ) ,この動 向は 「自由 と財産」,即 ち国民 の権利及 び義務への法律 の関 連 を問いに付す。第二 に,特権許与か ら行政処分 への歴史的変遷 の視座か ら法律概念を洗 い直す研 究 もある。 この方向は立法専制への防壁 を期待 さ れ る,一般性の属性を法律か ら剥奪 してい く。法 律の一般性の概念は担造 されたものとの,セ ンセー シ ョナルな指摘 が我 々の 目を引 く( 2 ) 。第三 に,経 済的又 は誘導的手法 を始 め環境法制な どで国民へ の幣導的喚起 が多 く見 られ る( 3 ) 。正 当性 の基盤 の みな らず政策手段 さえ も,環境倫理学か ら法学 は 供給 を受 けている。 この傾 向は強制手段以外 に も 環境倫理 の考察 を求め,法 と道徳の分離 テーゼの 放棄 を促す。 か くして

,

「直接 または間接 に国民 の権利義務 にかかわ る一般的法規範」 とい う,か って磐石 を誇 った実質的法律概念 の理解 も,正面 か ら否定 されないなが らも浸食を受 ける( 4 ) 。本稿 では,いまや殆 ど議論 の対象 とはな らない措置法 律 を素材 に( 5 ) ,第三 の観点か らこの概念 の検討 を 試みてみようと思 う。

2.

「 法律 と措置」図式の原意

( 1 ) まずは,措置法律 とは周知の とお り,第二 次大戦後の ドイツで続 出 した法律の呼称で,戦後 の経済混乱期 に鉄鋼業 ・鉱工業等 に緊急 に補助投 資す る法律な どが これに当た り,わが国で も,あ る私立大学の大学紛争解決のために制定 された法 律がその例 とされ る( 6 ) 。そ して,措置法律概念 は, 法律概念 と措置概念の区別を前提 に し,更 にこの

図式が, シュ ミッ トの国法学会報告 に由来す るこ とも, これまた良 く知 られた ことだ( 7 ) 。 その学会 は大統領独裁権限をテーマの一つ とす るが,彼は, この権限の中に三種類 の制約 を見 出 してい く。第 一の制約 とは,公共の安全及び秩序回復に向けた,

この ワイマール憲法

48

条 が憲法 を前提 とす るこ と。憲法秩序全体が安全 と秩序 の脅威 になること はな く,それ故,独裁権 はこの憲法秩序 に触れて はな らない。加えて,憲法が記 した既存 の国家組 織 の ミニマムが,大統領独裁か らも保護 されるこ

とが, 第二 の制約 だ。48 条 を根拠 に大統領権 限 の拡張す ること,議会 による行政統制の権 限を縮 小す ることは,想定外である( 8 ) 。だが しか し,我 々 の関心事 は

,

「ライ ヒ大統領 は措置 しか行 っては な らない」 とい う第三 の制約 の中にある。

シュ ミッ トが ここで導入す るのが,法律 と措置

を区別す る図式である。 これによると,一方で法

律 とは,法原理 を 自ら表現 し,法理念の支配を受

け,正義 に適 った内容を持つ。他方で措置 は,具

体的命令や政治的 目的への適合性,具体的事物状

2 3

(2)

況への適合性,即 ち,合 目的性 を持つ。法原理 と 法理念,対,具体的合 目的性, これが法律 と措置 を分かつ構図である( 9 ) 。尤 も留意すべ きは, この 法律 と措置の対抗が,一般的規範 と具体的命令の 区別ではない, ということである。第一 に,措置 は,法律以外 にも, 同 じく法正義 に基づ く個別的 な判決 と比較 されている。要す るにここでは,個 別的命令 を法律概念か ら廃棄す る発想 は,そ もそ もないのである。第二 に,措置 として, ライ ヒ大 統領が一般的諸規範を制定す ることも禁止 されて いない。 この一般 的措置を基礎 として裁判所が判 決 を行 うことも可能だ と, シュ ミッ トは述べ る。

だが, この指摘を,法律 と措置の二分論の破綻な どと診 る必要 はない。一般的措置であろうと,汰 理念の支配がなければそれは措置のままだ。 その 意味で シュ ミッ トのい う法律 と措置のメル クマー ルは堅固である。一般性 ‑抽象性 と個別性 ‑具体 性ではな く,理念性 ‑正義性 と目的性 ‑状況性が, 法律 と措置 とを明確 に分か

(

10)。

( 2 ) とはいえ,仮 にこの法律 と措置の区分が正 義 と目的の視座 に立脚す るとして も, これは後の 法治国家批判か ら登場す る法律 とは無関係か もし れない。 とい うの も, ワイマール憲法を法治国家 的部分 と政治的部分 とに分 け,前者 の核心を特定 の法律概念 に置 くシュ ミッ トの思考が,周知 の如 く提示 され るか らだ。つ ま り,市民的法治国家の 本質 は 「 法規範の普遍的性格」 にある, という指 摘である。 これ こそが真正法律の合理的概念の ミ ニマムを成 し,法律 と命令,理性 と意思 とい う古 典的区別を支 える( l l ) 。勿論, この法治国家的法律 概念 は,形式的法律概念や政治的法律概念か らの 区分 けの為 にある。前者 は,立法管轄権者 によ り 立法手続規定 に基づ き制定 されるものだが,管轄

と手続 を拡張すれば外延 は変動 し,その意味で真 正 の概念ではない。 この実質的概念 と形式的概念 を混 同すれば,法律 と法治国家の二概念 は混濁 し て しま う( 1 2 ) 。他方 で,国民の主権的行為 を指すの が, もう一つの概念である。 この法律概念 は立憲 君主制では国民議会の立法参加 を求める。 だが, 君主 と議会の対抗が主 たる論題の ここで法律概念 を持 出す な ら, 必要 なのは政治 的概念 で しかな

24

い( 1 3 ) 。つ ま り, この両概念か ら法治国家的法律概 念を救助せ よ, これが シュ ミッ トの主張である。

けれども,ここで留意すべきは,一般規範イコー ル法律ではない, ということだ。 シュ ミッ トは注 意深 く強調す る。法律 とは 「 何 らかの諸性質」又 は 「 何 らかの諸特徴」を持つ規範である。つま り, 一般的性格 は法律の一つの性質 であ って,唯一の 性質ではない( 1 4 ) 。 「 正 しさ,理性性,正義性」 と い う諸特徴 を持つ規範 , 「 理性的 ‑一般 的な るも の」 と呼ぶ ことができる規範 , 「 正義性,理性性」

とい う様 々な諸性質を持 った規範, これのみが法 律なのである。法律の特徴 は複数存在す るのであ る( 1 5 ) 。勿論, 自然法がその明証性を失えば正義 と 理性 もその基礎 を失 い, この 自然法的な確信 は政 治的経済的困難 に代替す る力を持たない。やは り,

「 法規範 の普遍 的性格」 こそが市民的法治 国家 の 基礎であ り, この法治国的法律概念 こそが 「 法治 国家のアルキメデスの点」である。 けれ ども, こ の普遍的又は一般的特徴 は飽 くまで 「 一つの特徴」

で しかない。つま り,正 しさ,理性性,正義性を, 普遍性又 は一般性 に還元す ることな ど, シュ ミッ

トの発想 には希薄なのだ。要す るに,法律の究極 の特徴 は一般性 にあるとして も,一般性のみが法 律概念のメル クマール とは断言できぬ( 1 6 ) 。即 ち, 法律の普遍性 を強調す るシュ ミッ トにおいて もな お,それ以外の法律 の特徴が忘却 された訳 では必 ず しもない。正 しく理性的で正義 に適 った もので なければ,法規範を法律 と呼ぶ ことはできないの である。

(3)

それで も, シュ ミッ トの法律概念の中で一

般性の要素が,その主導的地位を失 うとは考えて

はな らない。普遍的性格 は法律 の全てを汲み尽す

ものではないが,か といって これを所持せぬ法律

は法律概念ではない。 けれ ども, この構想が民主

国家 における立法者の専制を,可能性の段階か ら

封 じる為 だけの ものである, こう考え るの も実 は

早計である。 む しろこの憲法学が法律概念 に論及

す るのは, これを法治国的現象 として攻撃す る為

である

(17)

。 ところで,規範主義,決断主義,具体

的秩序思考, この法思考の三類型を彼 は打 ち出 し

た。 これ らは法の本質を規則,決定,秩序 に見て,

(3)

法律 ・措置法律 ・ノモス そこか ら残 り二つを導出 しようとする思考だ。 シュ

ミッ トは法律概念 と規範主義 とを同一視す る。彼 日 く,つま り規範主義 は法を規則又 は規範 と同 じ と見て,法秩序 は規則又 は規範 の唯の総体 に過 ぎ ぬ と言 う。 しか もこの規則 と規範 は一般的普遍的 性格 を持 ち,個別的具体的事態か ら超越 ・超然 し た ものとされ,更 にこの主観的決断でな く客観的 規範があるか ら,人の支配ではな く法 の支配が実 現す るのだそ うだ。 この一般性 と個別性,主観性 と客観性 の二分論 は,やがては当為 と存在 とい う 不毛な二元論 を生 出す( 1 8 ) 。法律の一般性 は決断主 義 とともに廃棄 され るのだ。 こう考えなければ, 法律概念 とシュ ミッ トの市民的法治国家批判 とが, 対応 しないではないか。

な らば彼の真正 の立脚点 は何処か。勿論 それは 具体的秩序思考 にある。つま り, シュ ミッ ト日 く, 法 とは具体的秩序である。 しか も, この秩序 とは 個別の規範や規則の集積ではな く,規範や規則を 己れの中に含む全体を,意味す る。従 って,規範 と規則 はこの秩序 を基礎 としてのみ統制機能を発 揮できるのであ り,規範 と規則 はこの秩序 と結合 せず して法学任務を遂行できないといえる。 もし, 規範 と規則を秩序か ら切離 して捕捉す るな ら, こ れ らはそれ以外の 「 単なる事実」か ら切断 されて, 例えば刑法でい う犯罪 は単 なる法適用の要件 とな

り, ひいては規範性 と事実性 は別物 だ という議論 を生み,犯罪が起 きて も安全 に影響 ないとの妙な 結論 を導 く。常識か ら考 えれば犯罪 は平穏を破 る 筈であるのだが,そ う考 えるには安全を具体的秩 序 と考える他 はな

い (1

9

)

。 そ して, こうした意 味で の具体的秩序を, シュ ミッ トはノモスと名づける。

ところで,規範主義 は窓意性でな く確実性を探究 して,主観的な正義でな く客観的な正義を選択 し, 人の支配ではな く 「 ノモス パソレウス 法律 の支配」を要求 し, ピン グロスの言葉 「 王 と してのノモス」 を,法思考 の 最 も美 しい言葉 にこれを指定す る。 だが この規範 主義の思考 はす ぐに自壊す る。 その発想か らは規 範のみが存在可能の筈で,国家 も裁判官 もどれ も 規範の函数 に過 ぎず,具体的な権力や尊厳 は元来 取上げ様がない。む しろ,ノモスとは具体的な生 ‑ 共 同体秩序であ り,王 も法概念上 の秩序表象 と把

握す るべ きだ。「 王 としてのノモス」 とは , 「 現実 的王 としての現実的 ノモス」 を意味す

(20)

0

そ して, このノモスこそが後の 「 大地のノモス」

とな る。つま り,欧州国際法史 の基礎的出来事 を 法史学 的 ・法哲学 的 に概念把握 す る可能性 が,

「ノモス」概念 によ り開かれ る。 シュ ミッ トは言 う。 その語源 たるギ リシャ語 の動詞 「ネメイ ン」

タ イ レ

ヴ ァ イ デ

,

「区分 ける」 と 「放牧す る」 を同時 に意味す る, と。つ ま り

,

牧草地 をまず測量 し区分 けるこ

ラ ン ト ナ ー

と,即 ち 「 土地 を占拠 し 」 具体 的秩序」 を創 る こと, これが 「ネメイ ン」である。従 って 「ノモ ス」 は,大地 の土地 と地面 を特定 の秩序 で分割 し 選定 して,それによ り政治的社会的宗教的秩序を 形象化す る。土地 を占拠 し都市 を建設 し植民地 を 作 ることによ って, 部族 や従士 や民族 が住 ま う

「ノモス」が可視的 となる。 その意味で 「ノモス」

マウ ア ー

とは 「 城壁」 である

(21)

。 しか も , 「ノモス」 は, 土地や所有の如 く成長 し増加す るものである。単 数の 「 神のノモス」か ら,複数の 「 人間のノモス」

が養分 を待て現れ る。その意味で 「ノモス」 とは

ナール ン

「 培養」 である。 つ ま り, シュ ミッ トの主張 に従 うな らば, ノモスとは 「 城壁」であ り尚且つ 「 培 養」 で あ る, 従 って , 「構成 を行 う空 間秩序 の 行為」であ り,それでいて同時に, この具体的秩 序 を維持 し拡張 させ る 「 歴史 的過程」 で あ る。

オ ル トゥ ン

オ ル トヌ ン

「 位置づ けと秩序 づ けの連関」 こそ, ノモスの真 正 の姿なのである( 2 2 ) 0

しかも, ノモスに特徴的であるのは,第‑ に, こ ウア・ アクト れが成文不文全ての規律の根源 となる 「 原 ・行為」

であること,第二 に,単なる過去 の事象でな く, 常 に未完成で開かれた ものであることである。つ ま り, まず ノモス とは, 堅 固 に秩序 づ け られた もの,既 に構成を与え られた ものではな く,む し

コン ス ティト ゥ イ ‑レ ン

,

「構成す る 諸過程」 として,構成 される諸過 程全てに先行す るものである。その意味で これは

「憲法 に構成 された権力」 でな く 「憲法 を構成す

る権力」であ り, それ以外 は全て,単なる補充物

か分割物,派生物か逸脱物の地位 しか もたない( 2 3 ) 。

か とい って,唯の昔 日の出来事 として骨董趣味の

関心対象 となる訳ではない。諸状況 は固定 してお

らず,全人類 と諸国民 は過去 のみな らず未来 も所

25

(4)

持す る。 それ故,いつ も常 に新 しい世界史の出来 事 に新 しい ノモ スが姿 を現 して くる。 この惑星 の上で全時代 に重要な 「 空間分割的な基本過程」

が展 開 され る訳 だ。 その上, この ノモス とは,

「国際法 の 中で構成 を行 う過 程」 で もあ る。 つ ま り , 「国土 の 占拠」 は, 国 内 と国外 に向 けて

ラデ ィカル タイ ト

「根本的権原」 の構成 を行 うが, 国内では,獲得 した地盤 の上で多種多様の所有権の配分 と創造を 実行 に移 し,国外では,新たな空間への進 出や民 族 の大移動 と定住 を通 じ法 と秩序を創 る。勿論, 侵略や占領 はノモスを生 まず,既存法秩序 に編入 され る占拠 もある。 だが , 「 新 しい国際法上 の空 間秩序 を構成す る」 もの こそ, ノモスである( 2 4 ) 0 しか しなが ら, この制度 としてのノモスを,莱 証主義者 の如 く 「 法律」 と同義 と見ては, ノモス を科学的に取扱 うことにはな らない。実際に, こ の言葉が もつ元来の意味は, ピングロスの真意 と 共 に失われ,定立,条例,措置,命令な ど,規律 や指図の制定でさえあれば, どんな もので も指示 す る実体なき一般的な名称へ と成 り下が る。 そ う なると, ノモスは存在 と当為を分断す る図式‑ と 組込 まれ,それが持つ具体的秩序の空間 という性 格 まで も見失われてい く。 ま してや法実証主義者 の言 う法律 とノモスの同視 は禁物である。法律概 念 は自然科学の法則 と同様,唯の計算可能性 に過 ぎない

(2

5 ) 。 シュ ミッ ト日 く

, 19

世紀 の定立実証 主義 は革命の夢破れた後, 自然諸科学の諸成果や 産業社会の進歩主義 に全面的に降伏 して, 自身の 歴史的 ・思想的 ・職業的諸前提が失われて しまう ことを,法律家 は忘却 して しまう。 その帰結 に登 場す るのが,服従強制を伴 う単なる定立 としての, 法律観である。 この下 では,法律 は単なる命令 に 過 ぎず,措置 との区別 さえ も,消滅 してゆ (( 2 6 ) 0 こうなると法律 と措置の区別 は, ノモスの法律化 の代償 として,完全に意味を失 うだろう。 シュ ミッ

トが守 るものがようや く判明す る。一般性を持つ 法律概念で も,合 目的性 に仕 える措置で もない。

それは,具体的秩序, ノモスに他な らないのであ る。法律概念 はノモス獲得 とともに止揚 され る運 命 にある。

26

3.

措置法律 と 「 法律の精神」

(1)

ところで,冒頭で述べた措置法律の概念 は 周知 の通 り, フォルス トホフの‑論文か ら注 目を 浴 びた( 2 7 ) 。彼 日 く,古典的法治国家 は普遍的規範 と個別的命令の二分論 を採用 し, ここか ら前者 を 立法者 に後者 を行政庁 に配分す る立場 を選ぶ。尤 ら, これは自律的社会への介入 を一般規範の定立 に抑制す る点で,国家 と社会 の二元論 という特定 の社会構造 を前提 に している。そ こで経済生活 に 国家が積極介入す る現代 この図式 は崩壊 し,立法 者 は一般性の枠 を突破 して個別的な措置を実施 し 始 める。現代国家で増大す るこの措置法律の分析

こそが フォルス トホフの 目指す点である( 2 8 ) 。 しか し, この一般 ‑個別,抽象 ‑具体の対立項では, 措置法律の正確な確定 は無理だ と,彼 は最初 に断 言す る。第‑ に,言葉上 は一般的で も実質上 は個 別的な作用があると言 う。抽象的な構成要件諸要 素の組み合せを工夫 して,一事態のみに該 当す る 規範を作 ることができる。第二 に,個別的法律 を 禁ず る法治国家原理 には例外があると言 う。組織 法上の行政庁の設置 は個別的事態を規律 し,領土 や恩赦 に関す る法律 も具体的な法律である。つ ま り,法治国家的な法律概念が もつ形式的メルクマー ルでは,措置法律の特徴づ け作業 は相当の困難 に 出会 うだろう。 そ うではな く,措置概念それ 自体 への撤密な精査か ら, フォルス トホフは出発 しよ

うと試 みる( 2 9 ) 0

勿論 そ こで援用 され るのは,彼の師 シュ ミッ ト の区別だ。つま り,先 に紹介 した国法学会報告で 陳述 された,具体的事物状況 と目的に規定 され る 措置,法原理 を表現 し法理念 に支配 され る法律, この措置 と法律の区別である。 フォルス トホフは こう指摘す る。措置を特徴づ けるものは手段 と目 的の特殊な関係であ り,即 ち,特定の 目的に向け られた手段が措置の本質である。勿論, ある生活 領域 を秩序づ けるべ く法規範が,合 目的的に創 ら れ ることも十分 あ り得 る。 その意味で法律 も目的 に仕える。だが,立法行為 は意思 され ることか ら

オ ルト ヌン ク

そ う見えるだけで,法律の本務 は 「 秩序」を打立

(5)

法律 ・措置法律 ・ノモス

コ ンステ イ トゥイー レ

て , 「 構 成 す る」 ことにあ り,それは一般的か個 別的かで何 ら変わ りはないのだ( 3 0 ) 。従 って,措置 法律 の核心 は, 目標又は 目的に拘束 されること, 特定 の具体的状況 に繋がること, ここにある。 だ が この措置法律 を基本法 は拒否 しない。措置法律 は立法権 による行政権 の纂奪 に もなるか ら,措置 法律 の承認 は権力分立原理への違反 にな りうる。

けれ ども,基本法 は社会への国家介入 を既 に容認 し,故 に形式的法治国家の前提を放棄又 は修正 し ている。 それに, ワイマール憲法の大統領独裁権 はボ ン基本法 には最早存在 しない。嘗ての この独 裁の規定があればこそ,措置を例外 に封 じ込 め ら れたのだが,措置 は 「 許 されな くはない」 となる。

この意味で,措置 と法律 の融合概念,措置法律の 概念 を,基本法 は渋 々なが ら承認 しているのであ

(31)。

継 いで, この概念が憲法体制 内で もつ地位, 中 で も憲法裁判権 の統制 について,検討が加え られ る。 ここでの出発点 もやは り,措置法律 の特殊性 である。つま り,措置法律 は具体的 目的を持 ち, この 目的が措置 には優先す る。 そ して,措置の こ の論理的構造又 は 目的の論理的優先が,立法裁量 とい う表現 を措置法律 に可能 にす る。 だが元 々, この裁量概念は通常の立法手続 とは無関係である。

フォルス トホフの理解では,行態の 目的がまず最 初 にあ り, 目的達成 に適 した手段 を選ぶ, この と きに限 って裁量がある。 目的を持 ち手段 を選ぶ行 政行為 にこそ裁量概念 は相応 しい。 けれ ども,本 来 は秩序づけ構成す る法律概念 には裁量 はない。

裁量がないのは,憲法上判断余地がないか らでな く,法律が秩序づけ構成す るか らである( 3 2 ) 。だが, 法律が 目的を持 ち手. 段 と化すな らば話 は別で,立 法者が許 され る裁量限界内にとどまったか,裁量 範囲内で合 目的的な解決策 を選択 したか,いわゆ る目的 と手段の比例原則の適用がある。 な らば, 措置法律 と行政行為 の両者 の取扱 は相等 しい。憲 法裁判所の規範統制 と行政裁判所 の処分審査 は, 密度の点で接近す る。つま り,第一 に措置法律の 目的の合憲性 を問い,第二 に措置法律の手段 の合 憲性を問 う( 3 3 ) 。 この我 々に馴染み深 い目的審査 と 手段審査の図式 は, 目的手段構造を もつ措置法律

の普及 した結果であ り,それ と連動 した憲法裁判 所 の権 限拡張の現れである, こうい う訳 だ。

( 2) ところで, この措置法律の概念が持つ趣 旨 は,ひとまずは正確 に理解 されてい く

(34)

。例えば, シュ ミッ ト門下でその記念論集で個別法律 を論 じ たハ ンス ・シュナイダー。彼 は,措置法律の本質 を具体的 目的への奉仕 と, その 日的実現 に適切な 法的手段 の選択 に見 出 し,他方で個別法律の特徴 を一般性 と継続性 に見 る。つ ま り,個別法律 と措 置法律が同義ではないこと,状況拘束的である点 で,全ての個別法律 は措置法律 に該 当す るが,拷 置法律全てが個別法律 とは限 らぬ こと, こう結論 づ ける( 3 5 ) 。更 に , 規範及 び措置 としての法律」

を論題 に国法学会で第一報告 を したメンガーはど うか。 フォルス トホフ色 も濃い シュバイエル行政 大学 に在籍 した彼 は,規範 は正義を尺度 とし措置 は 目的を志 向す ると述べて,基本法 における措置 法律 の射程範囲を歴史的に論ず る。( 彰嘗てモ ンテ スキューは国家機能でな く政治諸力の均衡 として 権力分立を検討す るも,政治諸力が市民社会で融 合 した ドイツでは権力分立 は単な る国家機能の均 衡 となる,② だが基本法 は憲法 に政党を編入 して ( 即 ち政治諸力 を編入 して) モ ンテスキ ュー型 の 権力分立 モデルに復帰す る, また憲法裁判所設置 は国民主権 に基づ く作用 と 「 法 の主権」 の作用の 二元体制を作出す,( 卦その結果,立法権 ・行政権 ・

司法権 の諸作用の分離 は権限境界づ けの能力 を喪 失 し,ただ基本法の実質的 ・法治国家的構造のみ が措置立法の制約を形成す ることになる ( 人権領 域では正義尺度が支配 し単なる合 目的的人権侵害 は許 されない,国民主権でな く 「 法の主権」 に依 拠す る司法権 は措置法律 を排除す る,な ど), と。

こうした興味深い指摘 もメンガーか ら得 られる( 3 6 ) 0

だが,残念なが ら本来 の措置法律概念 は,現在

では全 く誤解 されて しまった。つ ま り,措置法律

は個別法律であ り,法律 の一般的性格 を脅かす,

と。 まず正確 に理解 されたが故 に法学か ら追放 さ

れ る。既 に上記学会の時点で措置法律概念 は批判

された。例えば,先の シュナイダーは,措置法律

でな く正 しくは個別法律 と呼称すべ きだ, と発言

し, シ ョイナ‑な ど多 くの学者 も, この概念 は個

27

(6)

別法律 と重複す る限 りで無駄であ り,社会学的考 察 にのみ資す る限 りで無意味で もある, と非難 し た( 3 7 ) 。遂 にはフォルス トホフ門下のツ ァイ トラ‑

さえ も,措置法律 も正義 に従 う点で法律一般 と構 造上 同 じ, 目的を尺度 として も立法者意思か らの 判定 は困難, こう結論づ ける( 3 8 ) 。 こうして措置法 律概念の法学的意義が消滅すれば,残存す るのは 現象 とい う社会学的意味で しかな く,改正 のない 限 り消 しよ うのない基本法

19

1

項 に, この条 項が禁止す る個別的法律 に該 当す るか否か, この 観点か ら議論 され ることしかな くな ってい く。代 表的な教科書 も措置法律 と個別法律を同一視 して, 市民の人権保障を最善 に行 う一般的抽象的法命題 が,措置法律 の憲法的正当性 を吟味の対象 にす る だろう, こうした指摘 しか もはや行わない( 3 9 ) 。 わ が国で も事態 は同 じで,一般的性格 に法律 の本質 を見 る説 を引きず り, ここに 「 立法 の専制への防 壁」 を見て とって , 「法律 は一般 的規範でなけれ ばな らない」 と,即 ち,措置法律 は立憲主義への 脅威である, とされ る( 4 0 ) 。 しか しなが ら斯 くの如 き事態があるとして も,真正 の措置法律 の発掘 を 断念 してはな らない。何故な ら, フォルス トホフ の 「 法律 の精神」 とは,元来普遍的では断 じてな いか らである。

( 3) 実定憲法法解釈 の教義学的関心か ら, フォ ルス トホフの法哲学的関心を救 出せねばな らない。

ところで, フォル ス トホフはモ ンテスキ ューの主 著の翻訳者で もある( 4 1 ) 。だが フォルス トホフ日 く, モ ンテスキューの名 と共 に語 られる権力分立論 は, フランス革命か ら遡及的に付与 された名声であ り, ただ世間の人 は第

1

1篇第

6

部 のみを視野 に入れ, 肝腎の彼の作品全体は何 も読 まずに満足 している。

そ もそ もモ ンテスキ ューの最大 の功績 は,政治秩 序 と人間本性 の関連づけにあ り,単なる国家作用 の均衡論 には存 しない。つ ま り,人間像 による憲 法学の構築,人間学的基本諸事態か らの国家形態 と憲法形態の解明, これ こそが我 々にとり有用で 必要な観点である, と

(42)

。 けれ ども, この政治的 思考 と人間像 との結合 は大革命後 には,イデオ ロ ギー又 は世界観 との結合 に変 わ るだ ろ う

。 19

世 紀 とは,政治論か ら人間像を,法秩序か ら人格性

28

を,放逐 した時代 なのである。 こうした憲法思考 の技術化 によって,人 々の眼はただ二つの問いに 向か う。国民 による国家意識形成 と個人の諸 自由 の人権保障が,それ。 これ ら諸 問題 の解決 は,具 体的人間像ではな く技術的な手段 によ り,可能 と なる。権力分立を人権保障の手段 として見 るのは, この技術の視座か らすれば適切なのだろう。だが, それではモ ンテスキュー全体 を読んだことにはな

らない( 4 3 ) 0

つ ま り, フォルス トホフは三権分立の真意 をこ う見 る。権力の阻害 による自由の確保, よ りも, 国家諸作用 の下 の権力の均衡,である, と。国民 の社会階層 を顧慮 して各種権力の配置を行 い, こ の適切な配置 によ り社会的調整を行 う訳である。

故 にモ ンテスキ ューの権力分立 は,我 々の権力分 立 とは姿 を異 にす る。前者では,立法権力 による 他 の権力 の支配 を防止す る為,執行権力 には立法 拒否権が承認 されているが,後者では,モ ンテス キューの この本質的制限が拒否 され, 自己集会 ・ 停会の権限までが議会 に付与 され る。 しか し,覗 代流の権力分立 はル ソー系統のそれであ り,国民 の一般意思を継続 的に顕在化 させている。 だか ら こそ,元 の権力分立が重視 した社会的調整 を無視 し,権力分立 の祖が導入 した制限 と妨害 を犠牲 に したのであろう( 4 4 ) 。憲法意識の技術化 による政治 諸制度 の変質 は,権力分立 に限 られた議論ではな い。選挙 と法律が問題解決の単なる技術 とな った の も, この人間像の脱落のせいである。特 にフォ ルス トホフは法律 について こう述べ る。法治国家 的で一般的な規範が,個別行為 と一般規則の厳格 な区別 に基づき,技術的な作用を展開 している, と。つま り,法律の一般性 とは法律の技術性 に他 な らない。従 って,技術的な一般的法律 は法秩序 か ら人格を排除する,フォルス トホフは M ・ヴェ‑

バー と共 にこう非難す るだろう

(4

5 ) 。

それでは, フォルス トホフがモ ンテスキ ューに

託 した,法律 の本質 とは奈辺 にあるか。その答え

への鍵 は,憲法形態論 にある。 これについて彼白

く,憲法形態其 々には各種行態類型がある。貴族

制 には節制が,君主制 には名誉が,専主制 には恐

怖が, そ して民主制 には徳が,である。では民主

(7)

法律 ・措置法律 ・ノモス 制 に何故徳が要 るのか。国家の規律化 に不可欠 だ

か らだ。法律や権力では規律 を担保 できず,む し ろそれ らを市民の徳が支え る。ではその徳 とは何 か。祖国への愛,民主制への愛,即 ち,平等 と節 度への愛である, モ ンテスキューはこう言 う。つ ま り,技術化を被 った国法理論 のいう形式的な法 平等ではな く,必要分 を手元 に剰余分 を国家 に, との節度が必要なのだ。民主主義 は社会構造が条 件づ ける,従 って,富者 と貧者 の調整が不可欠 と なるのだ

(4

6 ) 。要す るに,法制度の基礎 には諸市民 の倫理があ り, これ と同 じ論理 は法律 にも当て飲 まる。 それでは,倫理的法律観への道 は,如何 に して回復 され るのか。 それは,人間学的原事態, 現実複合の全体を取返す こと,国家学 ・憲法学 の 対象への直観性を取戻す ことによって可能である。

「シュ ミッ トとスメ ン ト」 の如 く

,

「 対象的国家学 と憲法学」 を狙 い

,

「憲法理論 の対象化」 を 目指 さな くてはな らない

(4

7 ) 。 この憲法学の回復 の為 に こそ, モ ンテスキューが参考 にな る。 その主著 に フォルス トホフが与えた題 目がそれを象徴 してい

ガイ ス ト デア ゲゼ yツ

る。つ ま り,『法律 の精神』である( 4 B ) 0

今や, シュ ミッ トが法学か ら放逐 を企図 した法 律 は,その弟子 フォルス トホフによ り回収 される 訳である。彼 は言 う。法律 とは,形式的であ り同 時に実質的である,抽象的であ り尚且つ具体的で ある, と。成 る程,憲法か ら処分等 に至 る客観法 形式の体系を完成 させた点で,全 く本質的で形式 的な要素 こそ市民的法治国の成果である。 しか し,

この形式 に法の内実を充填す る,人格活動 の作品 こそこの憲法秩序 を指す。国家の法律な らどんな 法律で もよい, この想定 は現実それ 自体 と合わな い。法実証主義最盛期 の帝政期 に法制度の最高潮 があった ことは,単 なる形式 に解消 されない法律 の本質へ と我 々を誘 うだろう

(4

9 ) 。その核心 は当時 の立法者 にある。 この立法者 は権限か らすれば君 主 と議会だが,作製か らすれば各省の官僚である。

だが この官僚 は単な るテ クノクラー トではない。

彼 らは,伝統的法曹身分である点で己れ 自身への 信頼を持 ち,加えて,歴史法学の隆盛か ら法 の継 続形成を行 う資格 も得 る。 この ドイツ法曹身分の エ リー トが,法学識者 による参加を獲得 しつつ,

法律解釈の中核を占める訳である。法実証主義 に よる国家的法律への信頼 とは, この ドイツ法曹身 分 に対す る信頼 を意味す る。 そ して,法体系 とは 倫理を寄付 けない単なる技術ではな く,特殊な人 間的徳 に依拠 したエー トスに基づ くもの とい うべ きである。 もはや法律 とは法実証主義 を もって し て も唯の形式ではない。現実が,対象が,即 ち徳 が法律 に復元 されなければな らない( 5 0 ) 0

自由で正義 の社会秩序 を打立て るには,法律 よ りむ しろ,人間の徳が必要である。民主制 は徳 に 基づ く,モ ンテスキューはこう述べた。 けれ ども, 徳でな く法律 に依存す る国家を, フォルス トホフ

は診 断 しな くて はな らない。 つ ま り

,20

世紀 の 法律国家か ら行政国家への移行 は,従来 にない責 任 を国家作用担当者 に負わせて,国家作用がよ り 包括的 ・介入的になるにつれ,法律 によるこの作 用 の固定が求め られて くる。道徳が全ての者 に備 われば国家的義務 は十分履行 されよ うが,なけれ ばこの義務 を履行せ よと権力手段が導入 され るだ ろう。 この状況での法律 は法治国家的法律では最 早ない。市民的法治国では,包括的理性 の表現 と

して, ラテ ィオ として, ワイマール期 には,普遍 的規範 とい う意味での法律が投入 され, この法律

コンステ ィ トゥイー レン ウ ン ト ヘル シェ ン

,

「 構成 し且つ支配す る」 作用が付与 されてい たが,戦後 には,眼下の緊急状態を解決す る単な る手段 と方法 として,対象及 び時間の点か ら目標 を限定 してア ドホ ックに執行 を行 う,我 々が知 る 法治国家的法律 とは全 く異質 の法律 が,投入 され る

(5

1 ) 。尤 も, 自由な国家 とは徳 による国家である として も,法律形式 に倫理 や道徳 を注入 して嘗て の法治国家を回復す ることは,必ず しもフォルス トホフの真意 ではない。 しか し,法律の脱倫理化 のプロセスの末端 にあるもの こそ, この措置法律 であ り, この概念 こそが法律 と国家 に内在す る倫 理 と道徳 の問題を照射 して くれ る( 5 2 ) 0

4.

本稿の結論 は以下の通 りである。法律概念への 近時の揺振 りの中には,法 と道徳 の分離 をめ ぐる 論点がある。一般性が法律概念の本質 に指名 され,

29

(8)

措置法律 が その重大 な例外 とされ る。 だが法律 と 措 置 の区別 の本来 の意 味,措置法律 の発見者 フ ォ ル ス トホ フが,法律形 式化 の末路 を この概念 に求 め,『法律 の精 神 』 中 に打 開へ の道 を見 る。措 置 法律 の概念 が提起 した問題群 とは,一般性 の危機 で な く倫理 の危機 で あ る, と。 けれ ど も,公法学 と倫理学 の連 関 に関す る この結論 は,更 に教義学 上 の重大 な論 点 まで も洗 い出す。 目的手段 図式 が 措置 の本質 で あ り法律 の核 心 でな いな らば,違 憲 審査 で投入 され る この図式 は果 た して根拠 を持 つ のか。法律 と倫理 の関連 が分 断的でな く調和 的で あ るとす るな ら,個別 の憲法条項 の解釈 にそれ は 如何 な る影響 を及 ぼす のか。 これ は今 後 の公法学 の難 問で あろ う し, ま してや,小稿 が扱 え る問 い で はない。 その他,形式 的な法律概念への不満 を, ●●

シュ ミッ トは構成 的な ノモスの発案 で, フ ォル ス トホ フは法律 自体 の構成化 で, それぞれ解 消 した とい う師弟 間の相違 も,副産物 と して析 出 され る に至 るが,措置法律 の概念 を契機 と した法哲学 と 教義学上 の論 点 の指摘 を もって,本稿 を閉 じる こ

とと しよ う。

本稿は,日本学術振興会平成

17

年度科学研究費

.

1

l

研究成果の一部である。

:

《注》

(1 ) 橘幸信 「 実務か ら見た法律の特徴的な傾向」法 学セ ミナー5

99

(2004

年)3

842

頁,木佐茂夫

「 地方 自治基本法」岩波講座 『自治体の構想 1 』

(2002

年)8

5‑108

頁。

(2)

玉井克哉 「 法律の 『 一般性』について」芦部信 書古稀記念 『 現代立憲主義の展開 ( 下) 』( 有斐閣,

1993

年)3

83‑412,407,408409

頁,同 「国家作 用 としての立法」法学教室

239

(2000

年)7

2 80,74‑77

頁,同 「 特権許与か ら行政行為への史 的発展」塩野宏古稀記念 『行政法の発展 と変革 ( 上) 』( 有斐閣,2

001

年)30

3330,321‑327

頁。

(3)

中原茂樹 「 誘導手法 と行政法体系」塩野宏古稀 記念 『 行政法の発展と変革 ( 上) 』( 有斐閣,2

001

年)5

53‑5

7 2貢。なお,拙稿 「いわゆるエコ税の 合憲性」 自治研究

81

(2005

年公刊予定) 0 30

(4)

阿部照哉 『憲法 [ 改訂版]』 ( 青林書院,1

991

年)1

96

頁,長谷部恭男 『 憲法 [ 第

3

]

』 ( 新世 社,2

004

年)3

26

頁。

(5)

詳細な措置法律研究 として,小山正幸 「 西 ドイ ツにおける措置法論争の概観

(1)(2)

」阪大法学

115

(1980)45‑90

,120

(1981

年)7

3‑119

頁,同 「 法律の 『 一般性』に関する一考察」山口 経済学雑誌

32

3・4

(1983

年)7

3‑106

頁。

(6) Gesetztiberdielnvestionshilfedergewerbli chenWirtschaftvom 7.1.1952(BGBII7);

「 学 校法人紛争の調停等に関する法律 」 ( 昭和

37

年法 律

70

号) 0

(7) CarlSchmitt,DieDiktaturdesReichspr畠si dentenmachArt.48WRY,in:VVDStRL,H.1

(1924),S.63‑104.

(8) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.7),S.9ト95.

(9) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.7),S.97f.

シュミットの 法 律概念一 般 につ き, Vg l

.,Gerd Roellecke

,

DerBegriffdespositiven Gesetzesund das Grundgesetz,1969,S.98‑111;ChristianStarck

,

DerGegesetzbegriffdesGrundgesetzes,1970

,

S.138‑142.

(10) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.7),S.97‑99;ders.,Der HtiterderVerfassung,1931(2.Aufl"1969),S.

125f

.以上につき,拙稿 「 例外状態について

(2)

( 早大院)法研論集

80

(1997

年)2

70‑280

頁。

(ll) CarlSchmi

t

t,Verfassungslehre,1928(Neu‑

druck,1954),S.139,142;ders.,Diegeistesge schichtlicheLagedesheutigenParlamentaris mus,2.Auf1., 1926 (7.unveranderte Auf1

. ,

199

1

),S.52‑63.

(12) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.ll) re

" )

,S.143‑146,besリ143f. (13) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.ll)

re

" )

,S.146‑150.

(14) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.ll) re

" )

,S.138,146f.,149f, (15) Schmi

t

t,a.a.0.(Anm.ll)

r

e

" )

,S.139,141,151

.

(16) Schmi

t

t,a.a.0.(Ann.ll)

r

e

" )

,S.141f.

(17) vg

l

.,Wolfgang Schuller,

("Verfassungsleh‑

(Verfassungsleh‑

("Verfassungsleh‑

("Verfassungsleh‑

(MVerfassungsleh‑

DerRechtsstaat beiCarlSchmi

t

t,in:R.Morsey/H.Qualitsch/

H.Siedentopf(Hrsg.),Staat,Polit

i

k,Verwa1 tunginEuropa.Gedachtnisschri

f t

ftirRoman Schn

u

r,1998,S.117‑133,118‑123.

(18) CarlSchmi

t

t,OberdiedreiArtendesrechts wissenschaftlichen Denkens, 1934 (2.Auf

l . ,

参照

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