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「偉大な魔女」との出会い −The Ambassadors 論 −

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

「偉大な魔女」との出会い −The Ambassadors 論

著者 谷本 泰子

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 34

号 1

ページ 17‑25

発行年 1985‑11‑25

その他のタイトル Meeting with 'the Great Enchantress' −A Study on The Ambassadors−

URL http://hdl.handle.net/10105/2197

(2)

奈良教育大学紀要 第34巻 第1号(人文・社会)昭和卯年 Bull. Nara Univ. Educ, Vol. 34, No. 1 (cult. & soc), 1985

「偉大な魔女」との出会い ‑TheAmbassadors論‑

谷  本  泰  子 (奈良教育大学英米文学教室)

(昭和60年4月30日受理)

ヘンリー・ジェイムズ(Henry James, 1843‑1916)が『ロデリック.‑ドソン』 (Roderick Hudson, 1875)で措いているように、芸術家は勤勉と快楽の二頭立の馬車を乗りこなすことに よって立派な作品を生み出し、成功した人生を送ることができるが、これは至難の業であり、若 いロデリックは官能的な喜びを追い求め、情熱に翻弄されて身を滅ぼしてしまう。これは人生一 般についても同様であり、ロデリック以外の他の主人公たちも、往々にして感覚的な喜びの背後 にひそむ幻滅や裏切りによって人生の危機に直面する。挫折や試練の中での自己認識の問題が、

ジェイムズの数多くの作品の重要なテーマになっている。

「生き」ようとして試練に直面する若い主人公たちとは対照的に、 『使者たち』 (The Ambas‑

sadors, 1903)のストレザーは情熱や快楽を体験する概会のないまま、義務や良心や努力のため に人生を過ごしてきた初老のアメリカ人である。そのため彼は人生に対する漠然とした疲労感と 喪失感を抱いている。その彼がパリの園遊会に集う華やかな紳士淑女の姿に強く心を打たれて、

自分はこれまで「生き」てこなかったことを悟り、若い友人に向って「生きなさい!」と忠告す る。 (よく知られているように、ハウエルズ〔W.D. Howells〕の体験がこの小説のモチーフにな っている。)このように『使者たち』ではこれまでとは異なった角皮から「生きる」問題が描か れているが、作者の基本的な姿勢は同じであり、バランスのとれた成功した人生とはいかなるも のかという問題を追究している。

ストレザーはどのような人物で、どのような人生を送ってきたのか、作者はこの小説の連載に 先だってまとめた「構想」の中で次のように説明している。

Educated, with excellent gifts, intelligent, having passed, for the most part, as exceptionally 'clever', he has had a life by no means wasted, but not happily concentrated... He feels tired, other words, without having a great deal to show for it; disenchanted without having known

any great enchantments, enchanters, or, above all enchantresses ; and. ‥ is vaguely haunted by

the feeling of what he has missed, though this is a quantity, and a quality, that he would be rather at a loss to name."1

すぐれた知性と教養を身につけ、彼なりに有益な人生を送ってきたが、我を忘れて何かに夢中に なったことがない。人生の楽しみ、とりわけ心を奪われるような魅惑的な女性を知る機会もない まま、人生に幻滅してしまった。それが彼の漠然とした喪失感の原因である。彼はこれまでいつ

も「ニューイングランド的良心」にとらわれていた、と作者は説明している。

ストレザーは若い頃妻と息子を失ない、その後ずっと独り身を通してきたが、女性には信頼さ れるタイプの紳士で、彼に好意を寄せる女性は少なくなかったようだ。そして日下ウーレットの 実力者ニューサム未亡人の再婚相手と見なされているO しかし、ピュリタン的道徳とビジネス中 心のアメリカ社会は、男の心を魅惑する「偉大な魔女」の存在には適していないようだ。他の若

17

(3)

18 谷 本 泰 子

い主人公たちと同じように、ストレザーは遅れて体験したヨーロッパを通して、 「運命の女」と 出会うことになる。

ストレザーと若い主人公たちの違いは、彼は今では「遅すぎる」と感じていることである。し かしそのためにかえって、新しく目覚めた「生」の実感に敏感に反応し、自分の感情に忠実であ ろうとする。その一方彼はやはりニューイングランド的モラリストであり、ヴィオネ伯爵夫人の 中に感覚的な喜びと美徳の結合を見出そうとする。彼は自分の失なわれた青春の代償として、若 いチャドとヴィオネ夫人の「きれいな関係」のために問おうとする。彼の行動は非個人的な理想 主義に基づいていたはずだ。彼は理想のために自分の個人的な利益‑ニューサム夫人との結婚

‑を犠牲にしようとした。

しかし、現実にはストレザーはヴィオネ夫人に幻惑されて、正しい判断力と行動の自由を失な っていた。チャドとヴィオネ夫人の性的な関係に思いを及ぼすことができなかった。ヴィオネ夫 人の存在そのものが彼を惑わし、さらにパリの街と、そこに住む自由で屈託のない若者たちの姿 が彼の想像力を刺激して、判断を誤らせることになった。

チャドとヴィオネ夫人の本当の関係を知ってストレザーの理想主義はもろくも崩れてしまう。

彼はヴィオネ夫人が彼の助けをもっとも必要としている時に、彼女の世界から立ち去ることを決 意する。ゴステリィ嬢の求婚も断って、待つ人もいないアメリカに帰って行くのである。彼の3 カ月間のパリでの体験は一体何だったのだろうか? ヴィオネ夫人との出会いは彼の人生にどの ような意味をもたらしたのだろうか? 以下テキストを分析しながら、ストレザーにおける「生 きる」問題を検討し、 「偉大な魔女」としてのヴィオネ夫人の役割を明らかにしていきたい0

ニューサム夫人の「使者」としてヨーロッパに出てきた当初のストレザーの反応は、解放感で あり逃亡感である。チェスターからロンドン、パリへと移動する中で、彼は近年にないほど自由 で若々しい気分になり、ヨーロッパが与えてくれる好ましい印象をありのまま受け入れようとす る。その一方で彼は大西洋の向うにいるニューサム夫人の目を意識し、任務から大きく逸脱する ことを恐れてもいる。彼の複雑な立場が次のように予告されている。

‑his relation to his actual errand might prove none of the simplest. He was burdened, poor Strether‑it had better be confessed at the outset‑with the oddity of a double consciousness.

There was detachment in his zeal and curiosity in his indifference/

「彼の実際の用向き」とはニューサム家の息子チャドをアメリカに連れ戻すことであり、それに 成功すれば、ストレザーとニューサム夫人の結婚は確実になる。そのような任務に対して、彼は 熱意と無関心、よそよそしさと好奇心を同時に味わっている。

ニューサム夫人との結婚については、ウェイマ‑シュやゴステリィ嬢やチャドとの会話を通し て,彼の立場が明らかにされていく。彼の老後の安定を保証するこの結婚は、逃すことのできな い重要なチャンスだ。しかし、ストレザー自身果して本気でそれを望んでいるのか否か、必ずし も明確ではない。彼はこれまで数々の試みに失敗して、自分は人生の敗北者だと感じている。そ して今では、ニューサム夫人のために編集している『レヴュー』の表紙に掲げた名前だけが、彼 のアイデンティティだと言っている。彼は自分のそのような立場を次のように思いめぐらす。

He was Lambert Strether because he was on the cover, whereas it should have been, for

anything like glory, that he was on the cover because he was Lambert Strether. He would

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「偉大な魔女」との出会い‑The Ambassadors論‑ 19

have done anything for Mrs. Newsome, have been still more ridiculous‑as he might, for that

matter, have occasion to be yet; which came to saying that this acceptance of fate was all he had to show at fifty一丘ve.(3)

「表紙に載っているからランバート・ストレザーだ」というのは、ニューサム夫人の付属品とし ての彼のアイデンティティを示すものであり、彼個人の名誉とはならない。彼は自分の立場を

「こっけいだ」と感じながらも、 「ニューサム夫人のためなら何でもしよう」という気特になって いる。二人の結婚についても、彼女がそれを望むのなら、その意志にそうのが彼の務めであり運 命なのだろう。ウ‑レット的基準からすれば、それが唯一の正しい道であり、当然のこととして、

彼女への絶対的な忠誠が求められていた。

パリに出てきたストレザーは、ウ‑レット的基準とは相反する自由で豊かな人生に接し、その 方にどんどん引かれていく。美しいパリの街並みと公園、日の当る居心地よさそうなチャドの住 み家、留守を守る気持のいい青年ビラムとその仲間たち。悪い女につかまって堕落しているはず のチャドは立派な紳士に変貌していた。予期していなかった(あるいは半ば予期していたのかも しれない)新しい状況の中で、ストレザーは戸惑いながらも好奇心と快い解放感を味わっている。

有名なグロリアニの庭園の場面で、ストレザーは華やかにくり広げられるパリ社交界の人間模 様に強く心を打たれ、自分はこれまで「生き」てこなかったことを悟り、ビラムに向って「君は まだ若い、生きなさい!」と熱っぽく語る。彼のこの認識は突然めばえたものではなく、ヨーロッ パに出てきてからのさまざまな印象の総決算として、この場で一つの確信に達したのである。こ の場面でのヴィオネ夫人の印象はそれほど強くない。彼はむしろチャドの立派な態度、グロリア ニやヴィオネ夫人親子を相手に堂々と振る舞っているチャドの姿に感動し、 「チャドのようにな りたい」とまで言っている。華やかな社交界は猛獣の住むジャングルでもある。知的で良心的な 初老のアメリカ人が若い雄虎(チャド)の姿に感動している。 「人生」の持つ豊かさと危険性が この場面に擬縮されている。 (この時ストレザーが語った「人生の問題」については、後に検討 する。)

ストレザーがヴィオネ夫人について決定的な印象を得るのは、チャドの頼みに応じて彼女の家 を訪問した時である。彼はその訪問によって、これまで求めていたが得られなかったパリ、歴史 と伝説と神話の世界に足を踏み入れることになる。ヴィオネ夫人の客間の家具装飾nは、意図的 に収集したコレクション類とは無縁の、古い家系に伝わる由緒ある遺品であり記念品である。そ の場の雰囲気は見る者をうやうやしい気分にさせる。

ヴィオネ夫人はチャドとの問題に悩み、ストレザーの助けを求めている。彼女の悩みは自分と は無関係なはずだ、関わり合いになりたくない、と彼は考えている。しかし彼女の真剣な態度と その場の雰囲気に影響されて、彼はいとも簡単にヴィオネ夫人との関係を受け入れてしまう。長 年培ってきたニューサム夫人との関係が悪化することを、彼は早くも覚悟している。

"Well, I can bear almost anything! our friend briskly interrupted. Deep and beautiful on this

her smile came back‥.what had he by this time done but let her practically see that he

accepted their relation?... At the back of his head, behind everything, was the sense that she was‑there, before him, close to him, in vivid imperative form‑one of the rare women he had so often heard of, read of, thought of, but never met, whose very presence, look, voice, the mere contemporaneous fact of lvhom, from the moment it was all presented, made a relation of mere

recognition/

(5)

20 て‑I I‑I二五千

彼にとってヴィオネ夫人は「話で聞き、木で読み、心で考えていたが、まだ一度も出会ったこと のない稀有な女性」である。彼がロマンティックに夢想してきた女性が身近かに、目の前にいる。

彼は彼女の要求に抗することができず、この訪問の帰り際に彼女を「救う」ことを約束する。

一方、大西洋の向う側にいるニュ‑サム夫人はストレザーにとって現実そのものである。文通 が頻繁に続いているのだから、二人の間は無傷だ、と彼は考えようとしている。そう考えながら も、彼の心は目の前のヴィオネ夫人の方に大きく傾いていく。チヤツドのパーティで陽気に振る 舞う彼女を見て、 「二人の関係はイノセントだ」とストレザーは断言する。 「きれいな関係」 (vir‑

tuos attachment)というのはビラムが用いた言葉だが、ストレザー自身、自分の目で確かめてそ う確信する。

現実のヴィオネ夫人はロマンスの女主人公ではなく、洗練された巧妙な社交婦人である。彼女 は娘のジャンヌに対するストレザーの思いやりの気特を逆手にとって、彼との関係を強化しよう とする。彼は又もや彼女の巧妙な話術にはめられ、彼女の意のままになってしまう。

The sound of it lingered with him, making him fairly feel as if he had been tripped up and had a fa】1. In the very act of arranging with her for his independence he had, underpressure from a particular perception, inconsistently, quite stupidly, committed himself, and, with her subtlety sensitive on the spot to an advantage, she had driven in by a single word a little golden nail, the sharp intention of which he signally felt. He hadn't detatched, had more closely connected himself/5'

ヴィオネ夫人の巧妙さもさることながら、ストレザー自身の過敏な反応が彼の行動の自由を奪っ てしまったのだ。ヴィオネ夫人は自分の有利な立場をすばやく察知して彼の心に「金のくぎ」を 打ち込む。彼の方はまた彼女の鋭い意図を読みとって、彼女の問題にさらに深く関わってしまう

のである。ストレザーとヴィオネ夫人の関係は一種の腹芸的な相互作用であり、彼女は自分の意 図を伝えるために、多くを語る必要はなかった。この場面で,チャドがアメリカに帰りたがって いることをストレザーはビラムから聞かされ、 「ヴィオネ夫人を見捨てるようなことがあれば、

チャドは全くの恥知らずだ」と断言する。

ストレザーがヴィオネ夫人の問題にさらに深く関わるのは、ノートルダム寺院で偶然彼女と出 会って食事に誘った時である。その時彼は運命的なものを感じ、彼女から逃れようとしても無駄 だと思う。彼はニューサム夫人の理解を得るために一時帰国するつもりだったが、ヴィオネ夫人 はそれを許さない。彼女は自分とチャドの問題を、 「それは間違いもなくあなたの問題になった のですよ」と言って、ストレザーの問題にしてしまう。彼の名誉心に訴えて彼を引き止めようと する彼女の態度は、ニューサム夫人の真剣さにも勝るほどであり、彼はこの場で「金のくぎ」が

1インチ深く突きささるのを感じる。

ストレザーはヨーロッパに出てきてからの自分の行動を「青春に対する屈服であり賛美である」

と語り、 「チャドとヴィオネ夫人はわたしの青春だ」と言っている。また別のところでは、 「わた しはチャドとヴィオネ夫人に買収されたのだ。自分を売ってしまったのに、その代償はまだ受け 取っていない」と感じている。彼は自己犠牲に見合うだけ、ヴィオネ夫人と親しくなりたかった のだろう。このように彼の行動の動機は、ロマンティックで理想主義的な一面と個人的で現実的 な一面がある。一方、ニューサム夫人との関係は少しも弱くなっていない。彼女から手紙が釆な

くなると、彼はこれまで以上に彼女の存在を身近に感じ、強迫観念にとらわれている。彼女のよ

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「偉大な魔女」との出会い ‑The Ambas∫adors論‑

蝣21

うな女性に信用されるのは、やはり名誉なのだ。彼は彼女の信頼を取り戻したいと願っている。

新任の「使者」ポコック一行に対するヴィオネ夫人の態度は巧妙というより露骨である。彼女 はサラ(ニューサム夫人の娘)の目の前でストレザーを「自分のボートに引きこみ」、ジム(サ

ラの夫)を相手に20歳の娘のように振る舞っている。これもすべてチャド‑の執着の強さを示す ものだが、チャドは問題の解決すべてをストレザーに押しつけてしまった。彼は奇妙な立場に立 たされ、 「異教の神に自らを生にえに捧げてしまった」と語っている。バラス嬢はストレザーに 向って、 「あなたがドラマの主人公だ」と言う。

サラはチャドの好ましい変化をまったく認めようとはせず、ストレザーがヴィオネ人の功績を 称えるのはニューサム夫人への侮辱だ、ときめつける。ストレザーは話し合いの余地は全くない

ことを悟り、多分これでおしまいなのだろうと感じる。しかし彼は二度目の会11を求めて、チャ ドと自分の帰国をもう少し待って欲しいと申し出る。

「わたしは彼女(ニューサム夫人)に合わせるためにずっと歩み寄ったが、彼女は一歩も動こ うとしない」 「わたしはこれまで自分の行動が彼女にどんな印象を与えるか、いつも気に病んで きた。自分が見てきたことを彼女にもわかってもらおうとしたが、聞き入れてもらえなかった」

「彼女は前もって何もかも心に決めてしまい、他の人の考えを受け入れる余地がない。かたくな な人だ」等々、ストレザーはゴステリィ嬢に向って、ニュ‑サム夫人についての不平不満を述べ ている。アメリカではそんなニューサム夫人を受け入れてきたが、今の彼にはそれはできない。

彼女が考えを改めないなら、彼女から知的・精神的に離脱するはかない。サラとの二度目の会見 の後、ストレザーはこう心に決めている。

ここで述べられたニューサム夫人評は大部分が頁実であろう。ニューイングランド的偏狭さに 対する批判は、この作品の重要なテーマでもある。しかし、読者はこの段階で主人公の立場を全 面的に支持することはできない。彼がヨーロッパで「見てきた」ことの重要な部分は彼の幻想で あり、ヴィオネ夫人の問題について彼がニューサム夫人に「ずっと歩み寄った」とは言い難い。

もうしばらくパリに滞在したいという彼の申し出の隠れた動機が、ヴィオネ夫人に対する個人的 な感情であるとすれば(ゴステリィ嬢はその事実を見ぬいている)、ニューサム夫人の代理サラ が彼の不実を非難するのは当然である。

ストレザーはチャドとヴィオネ夫人の問題に関わり、ヴィオネ夫人の立場を守ろうとする行動 を通して、ニューサム夫人と決裂した。将来の安定を犠牲にしたというよりは、これまで果せな かった精神的独立を果したと見なすべきであろう。しかし、この段階では彼のニューサム夫人か らの独立はヴィオネ夫人‑の従属と裏腹の関係にあり、真の自立とは言えない。

ストレザーが真の自立を迫られるのは、ヴィオネ夫人の本当の姿を知った時である。サラー行 がヨーロッパ旅行に出発した後、彼は絵のように美しいパリ郊外の自然の中で安らぎの一時を過 ごしていた。そこに偶然来合わせたチャドとヴィオネ夫人の様子から、二人が夜を共に過ごす恋 人同士であることを彼は悟る。結婚していない一組の男女(チャドは28歳で独身、ヴィオネ夫人 は38歳で夫と別居中)の間に性的な関係があったことを知って衝撃を受けるストレザーは、やは

り正統なニューイングランド人である。ウ‑レットの人たちが当然のこととして最初から嫌悪し、

パリの人たちが当然のこととして最初から黙認していた事実を、彼は大きな回り道をして大きな

代償を支払って悟ることになる。この時の彼の感情は道徳的非難というよりは、もっと個人的な

感情である。秘密を共有し合う恋人たちを前にして、彼は心が冷たくなるような孤独感と挫折感

を味わっている。

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2二2 谷 本 泰 子

眠れない一夜を過ごしたストレザーは、翌朝ヴィオネ夫人から呼び出しの電報を受け取り、落 ちつかない時間を過ごした後、夜も更けて指定の時間に彼女の家を訪問する。雷模様の天候のせ いもあって、ヴィオネ夫人の部屋は「革命の臭い」 「血の臭い」が漂い、白衣の女主人は断頭台 のローラン夫人を思い起こさせる(彼の最初の訪問の時と比べて、女主人のイメージは一変して いる)。彼女は彼の気持を取り戻そうと、いつになく多弁に訴えかけてくる。自分の将来はどう なってもいい、ただ、ストレザーには自分たちのそばにいて欲しいと懇願する。彼は次のように 感じる。

・..what was at bottom the matter with her was simply Chad himself. It was of Chad she was after all renewedly afraid; the strange strength of her passion was the very strength of her fear; she clung to him, Lambert Strether, as to a source of safety she had tested...it was like a chill in the air to him, it was almost appalling, that a creatrure so丘ne could be, by mysterious forces, a creature so exploited.c

彼はヴィオネ夫人の身勝手さを見ぬき、彼女のチャドに対する情熱の強さにたじろいでいる。彼 女の方がより強く愛するがゆえに、相手に搾取され、傷つき苦しんでいる。そのような女の情熱 はストレザーにとって謎であり、ぞっとするような驚きと失望である。

「性」の問題をぬきにして「生」の問題を神聖祝してきたストレザーは、この場面では「厳密 な人間業」 「単なる地上の喜びや快楽や逸脱」 「ありふれた体験」などの表現を用いて、チャドと ヴィオネ夫人の関係を世俗祝している。 「どんなに立派になってもチャドはチャドに過ぎないの に」と彼は考え‑ ヴィオネ夫人がなぜそれほどまでにチャドを崇めるのか、理解できないでいる。

男と女の問に存在する言わゆる「聖なる泉」の問題は、ストレザーの想像力の限界をこえた出来 事なのだ。

その夜のヴィオネ夫人は年齢相応に老けて見え、悲しげに泣く様子は「若い男を求めて泣く女 中」のようである。伝説の中の女主人公は地上の泥にまみれてしまった。ストレザーのロマンス は崩れ、チャドとヴィオネ夫人の問に見出していた彼の青春は挫折してしまった。

しかし、この最後の会見も含めて、ヴィオネ夫人との出会いはストレザーの人生に決定的な意 味を与えることになる。ゴステリィ嬢が何度も言っているように、彼にとってヴィオネ夫人は依 然として「世界中でもっとも魅力的な女性」であり、彼は彼女の崇高さを信じている。現実的な

ニューサム家の人々とは反対に、二人は鋭敏な心と豊かな想像力を共有し合っており、 「友だち になれたかもしれない」のだ。だから自分はアメリカに帰ることにした、とストレザーは言う。

彼はヴィオネ夫人を道徳的に批判しているのではなく、彼女の中に「人生」の危険性を感じ、そ の影響から逃れようとしているのである。

ストレザーの厳しい忠告にもかかわらず、チャドはいずれアメリカに帰り、父親譲りの事業の 才/」発揮するであろうことが予想される。 「使者」としてストレザーの任務は必ずしも失放した のではなく、ニューサム夫人と和解の機会が残っている。しかし、 「それはもう終ったのだ」と 彼は言明する。 「あまりにも多くのことがありすぎて、わたしは変ってしまった。ニューサム夫

° °

人は以前と全く同じだが、わたしが彼女を見るようになった」と言っている。アメリカでは見え なかった彼女の姿が見えるようになったのであり、彼女と結婚する意志はない、と彼は言ってい

'サ">o

それでは彼はなぜアメリカに帰っていくのだろうか? ヨーロッパに留ることはできないのだ

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「偉大な魔女」との出会い ‑The Ambassadors論‑ 23

ろうか? 『使者たち』の結末については、現実的な問題や小説構成上の問題からいろいろ議論が なされているが、本稿ではもう一度グロリアニの庭園の場面に立ち戻り、ストレザーが語った

「人生の問題」を参照しながら、彼のヨーロッパでの冒険と最後の行動について考察してみよう。

ストレザーはビラムに向って「生きなさい、そうしないのは誤りです。わたしは今では年老い て遅すぎる。失なったものは取り返せない」と語った後、次のように続けている。

The affair‑I mean the affair of life‑couldn't, no doubt, have been different for me; for it's at

the besとa tin mould, either fluted and embossed, with ornamental excrescences, or else smooth

and areaがully plain, into which, a helpless jelly, one's consciousness is poured‑so that one

takes'the form, as the great cook says, and is more or less compactly held by it: one lives in 丘ne as one can. Still, one has the illusion of freedom; therefore don't be, like me, without the memory of that illusion. I was either, at the right time, too stupid or too intelligent to have

it‥ (7)

「人生は初めから型が決まっており、人はその中であれこれ思いめぐらすことしかできない。し かし、自由の幻想を持つことができる」というのが、ここに示された人生観である。ストレザー の「人生の鋳型」は知的で良心的なニューイングランド人として生きることであり、彼はこれま でずっとその道を歩んできた。彼は人生の潮時、すなわち青春時代に「自由の幻想」を抱いた思 い出がない。そのため精神的に何か満たされないものを感じていたが、ヨーロッパに出てくるま では、それが何なのかははっきり自覚できないでいた。

ヴィオネ夫人はストレザーにとって遅れて訪れた「自由の幻想」であった。 「今では遅すぎる」

と言っていた彼が、失なわれた青春の代償としてチャドとヴィオネ夫人の関係を成就させようと し、彼自身がドラマの主人公となって「生き」ようとしていた。しかし幻想は崩れ去り、彼は現 実に直面する。パリでくり広げられる人生模様がどんなに魅惑的なものであろうと、彼にとって そこは異教の地であり、高貴なヴィオネ夫人はチャドの愛人にすぎないのだ。ストレザ‑は自分 が生れ持った人生、アメリカ人としての人生を全うするために帰国を決意する。彼はヨーロッパ 体験を通して「自由の幻想」の思い出を持つことができたのだ。それは彼にとって最初で最後の 貨重な体験である。

本稿の初めに引用した「構想」に立ち戻って説明すれば、ヴィオネ夫人はストレザーにとって

「偉大な魔女」であった。彼は彼女に魅惑されて、ニューサム夫人の「使者」としての道を誤り、

異教の神の祭壇に導かれることになった。ウ‑レット的基準からすれば、これは身の破滅を意味 するが、ストレザー自身にとっては、精神的・感覚的な解放を意味していた。ニューサム夫人の 許で自己を抑圧し疲労困燈していた彼は、ヴィオネ夫人との交流を通して、これまで経験したこ

とがないほどの休養と成功感を味わうことができた。

「魔女」の正体を知った時、ストレザーは混乱と失望に陥り、自分のこれまでの努力はすべて

無に終ったと感じる。しかし、決してそうではない。彼はヴィオネ夫人の問題を通して、ニュー

サム夫人から精神的に離脱することができた。独立したアイデンティティを確立することができ

た。これは彼にとって最大の収穫である。ストレザーはヴィオネ夫人の影響を恐れて、直ちにパ

))を去ろうとする。このことは人生に対する彼の認識が中途半端に終ったことを意味するもので

はない。(8)彼は豊かな想像力と同時に、現実を直視するリアルな目を持っており、人生の「行為

者」であると同時に「観察者」である。若い主人公たちとは違って、彼は人生の冒険者になる道

(9)

24 谷 本 泰 子

を選ばなかったのだ。自分の残りの人生はアメリカにしかないことをはっきり認識して、彼は帰 国を決意したのである。彼の将来は孤独と貧しさの中で過ぎていくだろう。小説の所々で言及さ れているように、彼の人生は女性からの影響力が大きすぎたようだ。彼はヴィオネ夫人の思い出 とともに、孤独な人生を全うする道を選んだのである。

ストレザーがゴステリィ嬢の求婚を断る最後の場面について、一言述べておきたい。 『使者た ち』が主人公とその相談相手役の女性の結婚という中途半端なハッピーエンドで終れば、作品の 重要なテーマがぼやけてしまう。その意味でも、ストレザーは孤独の道を選んでアメリカに帰っ ていかねばならなかったのだ。 「正しくあるために(アメリカに帰る)」という彼の説明に対して、

ゴステリィ嬢は「正しくあろうとする、あなたのおそろしく鋭い目のためでしょう?」と言い返 している。 「鋭い目」というのは、中途半端な‑ッピーエンドを拒否する作者の目でもあろう。

ゴステリィ嬢自身、ストレザーと同じ鋭い目を持っており、彼女の個人的な問題は別にして、正 しくあろうとする彼の理論に抗することはできない。 『使者たち』は作者と主人公と相談役の女 性の認識が一致したところで、 「そら、どらんなさい!」 (̀̀Then there we are!")という主人 公の台詞で完結している。

( 1 ) Henry James, The Ambassadors, ed. by S. P. Rosenbaum (New York; Norton & Company 1964),

pp. 376‑377.

( 2) Henry James, The Ambassadors (1907; rpt New York; Charles Scribner's Sons, 1937), vol, I, p. 5.

(3) ibid., vol. I, pp. 84‑85.

(4) ibid., vol. I, pp. 251‑252.

(5) ibid., vol. I, p. 276.

(6) ibid., vol. II, p. 284.

(7) ibid., vol. I, p. 218.

(8) F.O. Matthiessenは主人公が新しい生の感覚に目ざめながら,それを満たすために何もしないことに対

して,批判的である(Henry James; The Major Phase, p. 39.)

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25

Meeting with ̀the Great Enchantress'

‑A Study on The Ambassadors‑

Yasuko Tanimoto

{Department of English Literature, Nara University of Education, Nara 630, Japan) (Received April 30, 1985)

In The Ambassadors, Henry James develops his characteristic theme 'to live'from an elderly gentleman's point of view. Unlike young heroes and heroines of the author's other

novels, Strether is too old to be a passionate seeker for his own life. Instead, he appreci‑

ates 'the virtuous attachment'between Chad and Madame de Vionnet, and fights for the

ful丘Iment of their relationship, thinking that they are his youth. Strether's idealistic vision of life is partly illusive. He overestimates Chad's丘ne development and Madame de Vion‑

net's contribution to it. To Strether, Madame de Vionnet seems to be a rare woman of legend who exists only in his dreams. In reality, she is a superb kind offemme du monde that the European culture has produced. She drives ̀a golden nail'into his mind, and deprives him of his independence of mind. He stands by her against his duty as ̀the ambassador'of Mrs. Newsome, risking his future security, that is, his marriage with his prosperous mistress.

Strether has fully responded to the romantic vision of life which Europe has revealed him. But his idealism collapses when he丘nds out that Chad and Madame de Vionnetare having sexual relations. His New England conscience cannot cope with the raw reality of life; Madame de Vionnet's strange passion for Chad is the cause of wonder and disappoint‑

ment to Strether. At the end of the novel he returns to America after making his mar‑

riage with Mrs. Newsome impossible.

What does his three months experience in Europe, especially his meeting with Madame de Vionnet mean to his life? To him, she is ̀the illusion of freedom,'which he said in the scene of Gloriani's garden, one can have in one's mould of life. Strether's mould of life is to live as a clever and consciencious New Englander; he cannot have another kind of life. But he does have the illusion of freedom, by which he appreciates and lives for

̀the most charming woman in the world. Madame de Vionnet is also the ̀great enchant‑

ress'whom he has never known in his life in America. She charms and allures him out of his loyalty to Mrs. Newsome and destroys his future security. But he does enjoy a few happy moments, neglecting his duty and living for his personal, his spiritual and sensuous pleasure, without which, the author indicates in his many novels, one cannot fully live.

Moreover, he has got rid of Mrs. Newsome's dominating in凸uence with the fuller vision

of life which he has gained through his European experience. His future life will be in

solitude and with slender means, but he may live up to his mould of life with the memory

of the great enchantress and the illusion of freedom.

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