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ア メ リ カ発 展 途 上社 会 論 一 ラ トガ ー ス 大 学 で の 研 究 を終 え て 一

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ア メ リ カ発 展 途 上社 会 論

一 ラ トガ ー ス 大 学 で の 研 究 を終 え て 一

中西 治

ADevelopingSociety

AStudyoftheUSAbyaVisitingFellowatRutgersUniversity

NAKANISHIOsamu

1.は じ め に

私 は2002年4月1日 か ら2003年3月29日 まで1年 間,創 価 大 学 か ら派 遣 さ れ て ア メ リ カ合 衆 国(以 下,ア メ リ カ と略 称)ニ ュ ー ジ ャ ー ジー 州 立 ラ トガ ー ス 大 学 地 球 的 変 化 統 御 セ ン ター で 訪 問研 究 員 と して研 究 す る機 会 を与 え ら れ た。 私 の ア メ リ カ訪 問 は1973年 に 同 国 国務 省 の招 待 で 初 め て50日 間 同 国 に 滞 在 して 以 来10回 目で あ る。(1)

私 は小 学 校(当 時 は 国民 学 校 と称 して い た が)時 代 か ら人 間 の 歴 史 に興 味 を抱 き,学 ん で きた 。1945年8月15日 の 第 二 次 大 戦 終 結 後 は これ か らの世 界 は どの よ う に な る の か に 関 心 を持 ち,1952年 に大 学 で 国 際 関係 を研 究 し始 め た 時 に 地 域 研 究 の対 象 と して私 ば躊 躇 な くソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 同 盟(以 下,ソ ヴ ェ トと略 称)を 選 ん だ 。 中華 人 民 共 和 国 は 生 まれ た ば か りで あ り, 社 会 主 義 ・共 産 主 義 と言 え ば ソ ヴ ェ トの 時代 で あ っ た。 私 が 共 産 主 義 や ソ ヴ ェ トに関 心 を持 っ た の は あ の戦 争 中 に世 界 各 国 に お い て もっ と も勇 敢 に命 を 賭 して 戦 争 に反 対 し た の が 共 産 主 義 者 で あ っ た か らで あ る。

私 は ソ ヴ ェ トの経 済 と政 治 と社 会,ソ ヴ ェ トを 中心 とす る 国際 関係,と く に ソ ヴ ェ トとア メ リ カ の 関 係 を研 究 す る と と もに 両 社 会 の 比 較 研 究 を始 め た。

そ の後,大 学 に お い て 国 際 関係 論 と と もに 国 際 社 会 論 を担 当 す る よ うに な り,

さ ら に研 究 領 域 を広 げ,中 国 と 日本 を加 え て 四 つ の 社 会 を比 較 す る よ う に な

っ た 。 ソ ヴ ェ トは社 会 主 義 の先 進 国,中 国 は そ の 後 発 国,ア メ リ カ は資 本 主

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義 の 先 進 国,日 本 はそ の後 発 国 。 これ らの社 会 を比 較研 究 す る こ とに よっ て 地 球 社 会 の将 来 を予 測 で きる の で は な い か と考 え た か らで あ る。

私 は す で に ソ ヴ ェ トの 内 政 と外 交 の 諸 問題 ソ ヴ ェ トと中 国 との 関係,ロ シ ア と ア メ リ カ との 関 係,ロ シ ア社 会 とア メ リカ社 会 との 比 較 につ い て は一 連 の研 究 結 果 を発 表 して い る。(2)

現 在 私 が 取 り組 ん で い るの は21世 紀 にふ さ わ しい 地 球 社 会 論 の 確 立 で あ る。

本 稿 は そ の 一 環 と して 現 代 に お い て 唯 一 の超 大 国 と言 わ れ る ア メ リカ を取 り 上 げ,ア メ リ カ は い か な る社 会 で あ る の か を検 討 した い 。 最 初 に ラ トガ ー ス 大 学 と 日本 と の 関係 を紹 介 し,つ い で ア メ リカ の歴 史 を振 り返 りな が ら奴 隷 制 の 問題 ス テ ー トと同盟 との 関係,人 種 ・宗 教 ・貧 富 の 問 題 政 治 と外 交 の 問 題 な ど を考 察 し,ア メ リカ は まだ 未 成 熟 な発 展 途 上 の社 会 で あ る こ と を 明 らか に した い 。

2.ラ トガ ー ス 大 学 と 日本

私 は今 回,当 初 ニ ュ ー ヨー ク市 に あ る コ ロ ン ビ ア大 学 ハ リマ ン研 究 所 で研 究 す る予 定 で あ っ た 。 と こ ろ が,1996年9月 に 同研 究 所 で研 究 した と きに お 世 話 に な っ た モ ー テ ィ ル教 授 が ニ ュ ー ア ー ク市 に あ る ラ トガ ー ス 大 学 に新 設 され た 地 球 的 変 化 統 御 セ ン ター に移 られ た の で 私 もこ の セ ン ター で研 究 す る こ と に な っ た 。 セ ン ター とい うの で 研 究 セ ン ター で あ る の か と思 っ て い た が, 実 際 は 地 球 問 題 に つ い て の 修 士 と博 士 の 学 位 を授 与 す る独 立 した 大 学 院 で あ

った 。

私 は こ の と き まで ラ トガー ス 大 学 の こ と を よ く知 らな か っ た 。 お 世 話 に な る こ とが 決 ま っ て調 べ て み て,こ の 大 学 が 日本 と大 変 ゆ か りの あ る大 学 で あ る こ と を知 っ た 。

ラ トガ ー ス 大 学 は ア メ リカが ま だ ヨー ロ ッパ の植 民 地 で あ っ た1766年11月

10日 に時 の グ レー トブ リ テ ン と フ ラ ンス お よ び ア イ ル ラ ン ドの 国 王 ジ ョー ジ

三 世 の特 許 状 に よっ て ク イ ンズ ・カ レ ッジ と して発 足 した 。 実 際 に ニ ュ ー ブ

ラ ンズ ウ ィ ッ ク に 開学 した の は1771年11月 の こ とで あ り,ア メ リ カ で8番 目

に古 い歴 史 を持 つ 大 学 で あ る。 同 大 学 を創 っ た の は ニ ュ ー ヨー ク に本 部 の あ

る オ ラ ン ダ改 革 派 教 会 で あ っ た 。

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アメ リカ発 展 途上社 会論

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そ の 後1825年 に独 立 戦 争 時 に大 尉 と して活 躍 した ニ ュ ー ヨー ク の富 豪 ヘ ン リー ・ラ トガ ー ス が 大 学 の 評 議 員 と して 多 額 の 寄 付 を して 学 校 の 発 展 に尽 く した 功 績 を た た え て校 名 は ク イ ンズ ・カ レ ッ ジ か らラ トガ ー ス ・カ レ ッジ と 改 名 され た 。1864年 に は カ レ ッ ジ は ニ ュ ー ジ ャ.̲̲̲ジー 州 か ら土 地 を提 供 され

る学 校 と して 認 定 され,1924年 に は カ 『 レ ッジ は ユ ニ バ.̲̲̲シテ ィー一とな り,ラ トガー ス 大 学 とな っ た 。 さ らに1945年 と1956年 の法 的 措 置 に よ っ て大 学 は正 式 に ニ ュ ー ジ ャー ジ ー 州 立 大 学 とな っ た 。

ラ トガ ー ス ・カ レ ッ ジ と 日本 との 関 係 が 生 まれ た の は19世 紀 後 半 の幕 末 の こ とで あ る。 オ ラ ン ダ改 革 派 教 会 は オ ラ ンダ生 ま れ で ニ ュ ー ヨー ク の オ ーバ ン神 学校 を卒 業 した教 育 者 で 宣 教 師 の フル ベ ッキ を1859(安 政6)年 に 開 国 に 向 か う 日本 に派 遣 した 。 フ ルベ ッキ は 長 崎 で 英 語 を教 え 始 め た 。 そ の な か に熊 本 藩 の 開 明 的 政 治 家 横 井 小 楠 の 二 人 の 甥,横 井 左 平 太 と横 井 大 平 が い た 。 彼 らは ア メ リカ留 学 を希 望 し,鎖 国 の 禁 を犯 して伊 勢 佐 太 郎,沼 川 三 郎 の偽 名 で1866(慶 応2)年 に 日本 を 出 国 した 。 幕 府 は そ の 直 後,1866年5月21月

(陰 暦4月7日)に 海外 渡 航 を解 禁 した 。

二 人 は 同 年 秋 に ニ ュ ー ヨ.̲̲̲クに着 き,フ ル ベ ッキ の 紹 介 状 を持 っ て改 革 派 伝 道 局 を訪 ね た。 二 人 は ニ ュー ブ ラ ンズ ウ ィ ック の ラ トガ ー ス ・カ レ ッジ の 予 備 校 で あ る グ ラマ ー ・ス クー ル で 学 ぶ こ とに な っ た 。 日本 か らの ニ ュー ブ ラ ンズ ウ ィ ックへ の最 初 の留 学 生 で あ る 。 しか し,彼 らは病 気 や そ の他 の 理 由 で 明 治 初 年 に は帰 国 し,そ の 後 ま もな く亡 くな っ て い る。

ラ トガ ー ス ・カ レ ッ ジへ の 最 初 の留 学 生 は 同 じ く長 崎 で フ ルベ ッキ か ら英 語 を学 ん だ福 井 藩 出 身 の 日下 部 太 郎 で あ った 。 彼 は正 式 の海 外 旅 行 免 状 を持 っ て1867(慶 応3)年2月 に ア メ リカ に 向 か い,ラ トガ ー ス ・カ レ ッ ジ に正 式 に 入 学 し,優 秀 な成 績 で 卒 業 す る こ と に な っ た が,不 幸 に して 卒 業 直 前 の 1870(明 治3)年4月13日 に結 核 で 亡 くな っ た 。26歳 で あ っ た。 若 く して ア メ リカ の 地 で 亡 くな っ た 日下 部 を含 む7人 の留 学 生 と幼 い女 児 一 人 の 墓 は今 もニ ュ ー ブ ラ ンズ ウ ィ ッ ク に 立 っ て い る。

日下 部 との縁 で現 在 で は ラ トガ ー ス 大 学 と福 井 大 学 との 間 で 学 術 交 流 が 進

ん で お り,日 本 とア メ リカ の 両 国研 究 者 に よ る シ ンポ ジ ュ ー ム な どが 実 施 さ

れ て い る。(3)

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3.先 住 民 の 共 同 体 か らヨ ー ロ ッパ の 植 民 地 を経 て独 立 国 家 へ

南 北 ア メ リ カ大 陸 に は遠 い 昔 か ら人 間 が 住 ん で い た 。 最 初 の 人 間 は お よそ 3万 年 前,当 時 地 続 きで あ っ た ベ ー リ ング海 峡 を こ え て ア ジ ア か らや って 来 た とい わ れ て い る。 彼 ら は長 い 年 月 をか け て北 ア メ リ カ か ら中 央 ア メ リ カ, 南 ア メ リカへ と広 が っ て い き,中 南 米 で は ア ス テ カ帝 国 や イ ン カ帝 国 な どの 国家 を つ くっ た が,北 ア メ リカ で は人 々 は部 族 ご と に分 か れ て住 み,国 家 を つ く らず 共 同体 の な か で 生 活 して い た とい わ れ て い る。

1492年 に コ ロ ンブ ス が ア メ リ カ に到 達 した と き に北 ア メ リ カ に何 人 の 人 が 住 ん で い た か につ い て は さ ま ざ ま な説 が あ り,90万 人 か ら1800万 人 と大 きな

開 きが あ る。(4)

そ こヘ ポ ル トガ ル,ス 尽 イ ン,フ ラ ンス,オ ラ ン ダ,ス ウ ェー デ ン,イ ギ リス,ロ シ ア な どの ヨー ロ ッパ 大 陸 の 人 々が 移 り住 ん だ 。

イ ギ リス に よ る本 格 的 な植 民 は17世 紀 初 め に始 ま っ た。1607年 に最 初 の 植 民 地 が つ くられ,未 婚 の女 王 エ リザ ベ ス に捧 げ てバ ー ジ ニ ァ と名 付 け られ た 。

1620年 に ピュ ー リ タ ンの 一 団 が 信 教 の 自由 を求 め て メ イ フ ラ ワー 号 で 到 達 し, プ リマ ス植 民 地 をつ くっ た 。 マ ンハ ッ タ ン島 は1626年 に オ ラ ン ダ人 が わ ず か な贈 り物 で 先 住 民 か ら入 手 し,ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム と名付 け た 。 この 地 域 一 帯 は オ ラ ン ダの 植 民 地 で あ り ,ニ ュ ー ネ ー ダ ー ラ ン ドと呼 ば れ て い た が, 1664年 に イ ギ リスが オ ラ ン ダか らこ の 地 域 一 帯 を奪 っ た あ とニ ュ ー アム ス テ ル ダム は ニ ュ ー ヨー ク と改 称 され,ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー や デ ラ ウ ェ ア な どは イ ギ リス の植 民 地 と な っ た。

ペ ン シ ル ベ ニ ア は クエ ー カ ー の ウ ィ リア ム ・ペ ンが1681年 に 国 王 チ ャー ル ズ2世 か ら譲 り受 け,開 拓 した とこ ろ で あ っ た 。1682年10月 にペ ン は大 西 洋 を こえ て ア メ リカ の 地 に 立 ち,そ の地 を ギ リ シ ャ語 で 友 愛 を意 味 す る フ ィ ラ デ ル フ ィア と名 付 け た。 最 初 の 入 植 者 た ち はデ ラ ウ ェ ア 川 の土 手 に 開い た 洞 穴 で 暮 ら して い た。 ペ ンが 二 度 目に訪 れ た の は1699年 で あ っ た 。 フ ィ ラ デ ル フ ィア は 人 口1万 人 の 豊 か な港 町 に な り,人 々 の多 くは 川 の近 くの レ ンガ造

りの 家 に住 ん で い た 。

1733年 に は ジ ョー ジ ア に植 民 地 が 建 設 さ れ,植 民 地 の 数 は13に な った 。 イ

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アメ リカ発 展 途上社会 論

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ギ リ ス の 勢 力 が 増 大 す る な か で フ ラ ン ス と の 対 立 が 激 し く な っ た 。 つ い に 1755年 に 植 民 地 の 境 界 を め ぐ っ て イ ギ リス と フ ラ ン ス の 問 で 戦 闘 が 始 ま り, 翌1756年 に は イ ギ リ ス が フ ラ ン ス に 宣 戦 を 布 告 し,ヨ ー ロ ッパ の 国 々 も巻 き 込 ん だ7年 戦 争 と な っ た 。 こ の 戦 争 の 結 果,フ ラ ン ス は カ ナ ダ と北 ア メ リ カ

の 多 くの 植 民 地 を 失 い,代 わ っ て イ ギ リ ス が こ れ を 領 有 し た 。

多 額 の 戦 費 に よ る 財 源 難 に 苦 し ん だ イ ギ リ ス 本 国 は 植 民 地 ア メ リ カ に 税 金 を 課 す る こ と に し た 。1764年 に 砂 糖 税 法,1765年 に 印 紙 税 法 が 施 行 さ れ た 。 植 民 地 の 住 民 は こ れ に 反 対 し,1774年 に は ジ ョ ー ジ ア を の ぞ く12の 植 民 地 の 代 表 が フ ィ ラ デ ル フ ィ ア に 集 ま り,第1回 大 陸 会 議 を 開 い た 。 イ ギ リス 本 国 と ア メ リ カ 植 民 地 の 対 立 は 激 化 し,1775年 に は つ い に 武 力 闘 争 に 発 展 し, 1776年7月4日 の 第2回 大 陸 会 議iは独 立 を 宣 言 す る に 至 っ た 。 宣 言 は 「ア メ リ カ の13の 連 合 し た ス テ ー ト(thethirteenunitedStatesofAmerica)」 名 で 発 表 さ れ た 。 ユ ナ イ テ ド ・ス テ ー ツ の 初 登 場 で あ る 。1783年 に イ ギ リ ス

は ア メ リ カ の 独 立 を 承 認 し た 。(5)

4.今 も続 く人 種 分 離 主 義 者 と奴 隷 制 廃 止 論 者 の 抗 争

ア メ リ カ の ジ ャ ー ナ リス ト,マ イ ケ ル ・リ ン ドは1995年 に 出版 した 著 書

『次 の ア メ リ カ 国 家 二新 しい ナ シ ョナ リズ ム と第4の ア メ リカ 革 命 』 で ア メ リ カ社 会 は三 つ の革 命 ま た は戦 争 に よ っ て 三 つ の 国 家 を経験 し,今 や 四つ 目 の 革 命 に 直 面 して い る と主 張 して い る。

第1の 革 命 は独 立 革 命 で あ り,国 家 は1789年 か ら1861年 まで の ア ング ロ ・ ア メ リ カ共 和 国 で あ る。 人種 的 に は ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン とア ン グ ロ ・ゲ ル マ ニ ック か ら成 る コ ミュ ニ テ ィで あ り,市 民 宗 教 は プ ロ テ ス タ ン ト ・キ リス ト 教 で あ っ た 。 ユ ダ ヤ 人 や 黒 人 は言 うに 及 ばず ア イ ル ラ ン ド系 ア メ リ カ人 の カ

トリ ック ・キ リス ト教 徒 も真 の ア メ リカ 人 か 否 か が 問 わ れ た 時 代 で あ っ た 。

第2の 戦 争 は 南 北 戦 争 で あ り,国 家 は1875年 か ら1957年 まで の ユ ー ロ ・ア

メ リカ共 和 国 で あ る 。1861年 か ら1865年 ま で の 南 北 戦 争 と そ の 後 の復 興 期 を

経 て19世 紀 後 半 か ら20世 紀 初 め に か け て ヨー ロ ッパ か ら多 数 の移 民 が ア メ リ

カ に来 た 。 ア メ リ カ は ヨー ロ ッパ 系 中 心 の社 会 と な っ た 。 も はや プ ロ テ ス タ

ン トとか カ トリ ッ ク とか は問 題 に な らず,ユ ダ ヤ教 をふ くむユ ダ ヤ ・キ リス

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ト教,キ リス ト教 全 般 が 受 け入 れ られ る よ う に な っ た。

第3の 革 命 は1950年 代 か ら1970年 代 に か け て の 公 民 権 革 命 で あ り,国 家 は 1972年 以 降 の 多 文化 ア メ リ カ共 和 国 で あ る 。 ア メ リカ はす で に凝 集 した一 つ の ナ シ ョナ ル ・コ ミュ ニ テ ィで は な く,白 人,黒 人,ヒ ス パ ニ ッ ク,ア ジ ア 太 平 洋 諸 島民,ネ イ テ ィ ブ ・ア メ リ カ ン とい う人種 に よ っ て規 定 され る五 つ の ナ シ ョナ ル ・コ ミュ ニ テ ィか ら成 る社 会 で あ る。 宗 教 に代 わ っ て 世 俗 の 哲 学 が そ の 地 位 を 占 め て い る。

リ ン ドは さ らに 第4の 国 家 と して トラ ンス ・ア メ リ カ共 和 国 を想 定 し,皮 膚 の色 が 無 視 され,ジ ェ ン ダー につ い て 中 立 的 な 個 人 の 権 利 が 擁 護 さ れ る体 制 を考 え て い る。(6)

以 上 の リ ン ドの説 に加 え て私 は これ らの 国 家 は 奴 隷 制 と人種 差 別,男 女 差 別 の観 点 か ら次 の よ うに特 徴 付 け られ る と考 え て い る。

第1の 共 和 国 で は奴 隷 制 と人 種 差 別,男 女 差 別 が 公 然 と存 在 した 。1776年 の独 立 宣 言 で 唱 わ れ た 「す べ て の 人 は平 等 につ く られ る」 とい うす べ て の 人 は 白 人 の 男 性 だ け で あ り,そ の な か に は黒 人 は もち ろ ん の こ と白 人 の女 性 も 入 っ て い な か っ た 。1787年 に制 定 され た 憲 法 で は 奴T'制 の こ とは 一 言 も触 れ られ て い な い が,憲 法 制 定 の段 階 で奴 隷 制 を廃 止 して い た の は5の ス テ ー ト だ け で あ り,残 りの8の ス テ ー トで は奴 隷 制 が 存 在 した 。 人 口 の も っ と も多 か っ た バ ー ジ ニ ア で は総 人 口69万1737人 の お よそ40%を 占 め る30万 人 ほ どが 黒 人 奴 隷 で あ っ た。 初 代 大 統 領 ワ シ ン トン は この 地 の 人 で あ り,彼 自 身 も奴 隷 を持 っ て い た。 第14代 大 統 領 ま で の14人 の 大 統 領 の う ち9人 が 奴i隷所 有 者

で あ っ た 。 ⑦

人 ロ は1790年8月2日 現 在392万92ユ4人 で あ っ た が,1860年6月1日 に は 3144万3321人 に増 え て い た 。(8)

第2の 共 和 国 で は合 衆 国 憲 法 に よ り奴 隷 制 が 禁 止 され,黒 人 に も選 挙 権 が 与 え られ た が,実 質 的 に は人 種 差 別 は存 続 し,投 票 権 は制 限 さ れ た 。 ア メ リ カ合 衆 国 議 会 は1865年2月 に奴 隷 制 の存 在 を認 め な い憲 法 修 正 第13条 を可 決

し,1866年6月 に合 衆 国 で 生 まれ た者,合 衆 国 に 帰化 した 者,合 衆 国の 管 轄

権 に服 くす る者 をす べ て合 衆 国 と居 住 す る 当 該 ス テ ー トの 市 民 と認 め る憲 法

修 正 第14条 を可 決 した 。 この 修 正 第14条 は1868年7月9日 に発 効 した 。 さ ら

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に1870年2月3日 に 人種,皮 膚 の色,か つ て の 奴 隷 の 身 分 を理 由 と して投 票

権 を拒 否 また は制 約 す る こ と を禁 止 す る憲 法 修 正 第15条 が 発 効 した 。

法 律 が 出 来 た か ら とい っ て,そ れ が た だ ち に 実 行 さ れ た わ け で は な い 。 1866年 に テ ネ シー で 白 人 の 暴 力 組 織 ク ー ・ク ラ ッ ク ス ・ク ラ ン(KKK)が

組 織 され,黒 人 に残 酷 な暴 力 を振 る い 始 め た 。 この よ うな暴 力 は1870年 代 な か ば まで 続 い た 。1880年 代 か ら1890年 代 にか け て 南 部 で は 人 頭税 の 納 付 を義 務 付 け た り,読 み 書 き能 力 を試 す な ど して 黒 人 か ら実 質 的 に 選 挙 権 を剥 奪 し

て い った 。 また,鉄 道 の客 車 や ホ テ ル,レ ス トラ ン,学 校 な どの施 設 を利 用 す る さい に 白人 と黒 人 を同 席 させ な い で分 離 す る こ とが ス テ ー トの 法 律 で 決 め られ て い っ た 。1896年 に は合 衆 国最 高 裁 判 所 も 「分 離 す れ ど も平 等 」 に扱 え ば憲 法 に反 しな い とい う判 決 を下 して人 種 分 離 制 度 を合 憲 と認 め た 。 この

「分 離 す れ ど も平 等 」 の 原 理 が 公 立 学 校 に は適 用 され な い との合 衆 国最 高 裁 判 所 の判 決 が 出 た の は1954年 の こ とで あ っ た 。 この 判 決 は古 い秩 序 と新・ た な 秩 序 に画 然 と一 線 を引 き,激 動 の 時 代 を生 み 出す 原 動 力 とな っ た。 一 つ の 時 代 が 終 わ り,ま っ た く別 の 時代 が 始 ま った 。 ⑨

1848年 か ら進 め られ て き た女 性 の参 政 権 獲 得 運 動 は19世 紀 末 か ら20世 紀 初 め にか け て成 果 が あ が り始 め た。1890年 に ワ イ オ ミ ング で 初 め て女 性 の参 政 権 が 認 め られ た あ と1918年 ま で に13の ス テ ー トで女 性 が 参 政 権 を行 使 す る よ う に な っ た 。 さ らに1920年8月18日 に は憲 法 修 正 第19条 が 発 効 し,合 衆 国全 体 で 女 性 の 参 政 権 が 認 め られ る よ うに な っ た 。1916年 に はモ ン タ ナ か ら初 の 合 衆 国下 院 議 員 が 誕 生 した。

人 口 は 南 部 もふ くめ て1870年6月1日 の3981万8449人 か ら1960年4月1日 の1億7932万3175人 に増 え て い た。

第3の 共和 国 で は投 票 権 の 制 限 や 人 種 差 別 が 禁 じ られ,差 別 是 正 措 置(ア

フ ァー マ テ ィブ ・ア ク シ ョン)が 講 じ られ る よ うに な っ た 。1964年1月23日

に 人頭 税 や そ の他 の税 金 の未 納 を理 由 と して投 票 権 を拒 否 ま た は制 限 す る こ

と を禁 じる憲 法 修 正 第24条 が発 効 した。1964年7月 に各 種 公 衆 用 施 設 で の 人

種 差 別 を 禁 止 す る市 民 権 法 が 成 立 し,1965年 に合 衆 国 政 府 の 介 入 に よ って 投

票 権 を保 証 す る投 票 権 法 が 成 立 した 。 この 法 律 に よ っ て黒 人 の選 挙 登 録 が 激

増 した 。 選 挙 登 録 を して い た の は1963年 に は南 部 黒 人 の4分 の1で あ った の

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S

が,1969年 に は3分 の2に 増 え た 。

黒 人 の 地 位 向 上 と と も にKKKの 活 動 が ふ た た び活 発 に な っ た 。 黒 人 の暴 動 も頻 発 す る よ う に な っ た 。1965年2月 に はKKKの 暴 力 に対 して 正 当 防衛 を主 張 して い た マ ル コ ムXが ニ ュ ー ヨー クの ハ ー レム で 暗 殺 され,同 年8月 に は ロ サ ンゼ ル ス の ワ ッツ で 黒 人 の 大 暴 動 が 発 生 した 。1966年 に は シ カ ゴ, ロサ ンゼ ル ス,ロ チ ェ ス ター で ・暴 動 が 起 こ り,1967年 に は ニ ュ ー アー ク,デ

トロ イ トで1965年 の ワ ッツ暴 動 を上 回 る大 暴 動 が起 きた 。1968年4月 に は 非 暴 力 で 人 種 差 別 に反 対 して きた キ ング牧 師 が テ ネ シ ー の メ ン フ ィス で 暗 殺 さ

れ た 。

1983年 に キ ン グ牧 師 の 誕 生 日(1月15日)を 合 衆 国 の 祝 日 とす る法 律 が採 択 され,1986年 か ら1月 の第3月 曜 日が キ ング 牧 師 を偲 ぶ 日 と され て い るが, 人 種 差 別 問 題 は今 日 も依 然 と して ア メ リ カ社 会 の 重 大 な係 争 問 題 で あ る 。 白 人 の な か に は大 学 の入 学 試 験 や 就 職 な どで 少 数 人種 や 女 性 を優 遇 す る措 置 は 逆 差 別 で あ る との 声 が あ り,訴 訟 が 相 次 ぎ,1990年 代 後 半 に は カ リ フ ォル ニ ア や ワ シ ン トン な どの ス テ ー トで 住 民投 票 に よ って 廃 止 され て い る。

バ ー ジ ニ ア の 貧 しい12人 の 兄 弟 姉 妹 の家 族 の なか で 育 ち,差 別 是 正 措 置 の お か げ で 高 等 教 育 を受 け,バ ン ダー ビル ト大 学 教 授 とな っ た キ ャ ロ ル ・ス ウ

ェイ ンは2002年 に 出版 した著 書 「ア メ リ カ の新 しい 白人 ナ シ ョナ リズ ム:統 合 に対 す るそ の挑 戦 』 で 過 去10年 間 に新 しい 白人 ナ シ ョナ リス ト運 動 が力 を つ け て きて お り,脆 い 人 種 関 係 をす で に破 壊 す る力 を持 ちつ つ あ る と指 摘 し て い る。(lo)

ブ ッ シ ュ大 統 領 も2003年1月20日 の キ ン グ牧 師 を偲 ぶ 会 に 出席 し,ア メ リ カの な か に は キ ング牧 師 の平 等 の夢 か ら人 々 を尻 込 み させ る偏 見 が あ る こ と を認 め て い る 。 しか し,ブ ッシ ュ大 統 領 自 身が こ れ に先 立 つ1月15日 に ミ シ ガ ン大 学 で 実 施 さ れ て い る入 学 選 考 の さい に十 分 な 数 の 人 が 入 っ て い な い 少 i数派,す な わ ち黒 人 な どに は総 点150点 の 評 価 に20点 を加 算 す る とか,特 別 な入 学 枠 を設 け る とか の制 度 は不 公 正 で あ り,憲 法 違 反 で あ る との 意 見 書 を 合 衆 国最 高 裁 判 所 に提 出 す る と言 明 して い た の で あ る。

この ミ シ ガ ン大 学 問 題 につ い て合 衆 国最 高 裁 判所 は2003年6月23日 に5対

4で 憲 法 は一 定 の 範 囲 で 人 種 を入 学 者 選 抜 の 判 断材 料 にす る こ と を禁 じて い

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アメ リカ発展 途上社 会論

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な い と し,法 科 大 学 院(ロ ー ス クー ル)で 優 遇 措 置 を と る こ と を合 憲 と認 め た 。 しか し,6対3で 学 部 にお い て少 数 派 の た め に一 定 の割 り合 い で 入 学 枠 を設 け た り,自 動 的 に評 点 を加 算 す る措 置 は違 憲 で あ る との判 決 を下 した。(11)

この判 決 は差 別 是 正 に対 す る ア メ リ カ社 会 の考 えが 拮 抗 して い る こ と を示 して い る。 ア メ リ カで は 人種 分 離 主 義 者 と奴 隷 制 廃 止 論 者 の抗 争 は今 も続 い て い る。

人 口 は1970年4月1日 の2億330万2031人 か ら2000年4 .月1日 の2億8142 万2426人 に増 えて い る 。

5.法 的 に は複 数 の 一 邦 国 家 の 同 盟,政 治 的 に は 一 つ の 多 邦 国 家

ア メ リ カ合 衆 国 が 複 数 の ス テ ー トの 同 盟 で あ る の かtそ れ と も,複 数 の ス テ ー トか ら成 る0つ の 国 家 で あ る の か は ア メ リカ合 衆 国が 建 国 され て 以 来 論 議 され て い る大 問 題 で あ る 。 私 の用 語 で は,各 ス テ ー トが 一 つ の 国 家 で あ る 一 邦 国 家(natiOn ‑State)の 同 盟 で あ る の か,そ れ と も,複 数 の ス テ ー トか

ら成 る一 つ の 国家 で あ る多 邦 国 家(nation‑states)で あ るの か で あ る 。

1776年 に13の コ ロ ニ ー(植 民 地)の 代 表 者 が 集 まっ て 独 立 を宣 言 した と き, そ れ ぞ れ の コ ロニ ー は ス テ ー ト(邦)と な っ た 。 そ れ ぞ れ の ス テ̀.ト は 憲 法 を制 定 し,独 立 国家 を確 立 した 。 こ う して独 立 した ス テ ー トは1777年7月12

日に大 陸会 議 で 連 合 と永 続 的 同 盟 の規 約 につ い て 審 議 を始 め,同 年11月15日 に これ を承 認 した 。 この 規 約 で は13の 各 ス テ ー トは そ れ ぞ れ が 独 立 と主 権 を 保 持 し,領 土 内 を統 治 す る絶 対 権 を維 持 して い た 。 この 規 約 を13の す べ て の

ス テ ー トが 批 准 した の は1781年3月1日 で あ っ た 。

よ りい っ そ う完 全 な 同盟 を望 む ス テ ー トの代 表 者 た ち が1787年5月25日 に フ ィ ラデ ル フ ィア で 憲 法 制 定 会 議 を開 き,同 年9月17日 に制 定 した の が ア メ リ カ合 衆 国憲 法 で あ る。 こ の会 議 の た め に各 ス テ ー トで 選 出 され た代 議 員 の 総 数 は74人,出 席 した代 議 員 は55人,最 終 草 案 に 署 名 した の は39人 で あ っ た 。 ユ3のス テ ー トが す べ て批 准 を終 え た の は1790年5月29日,ジ ョー ジ ・ワ シ ン

トンが 初 代 大 統 領 に就 任 して1年 後 で あ っ た 。 ア メ リ カ合 衆 国 は見 切 り発 車 した 。 合 衆 国 憲 法 へ の 反 対 が 強 く,批 准 が 難 航 した か らで あ る。(12)

こ の 憲 法 は 欠 陥憲 法 で あ る。 同 盟 へ の 加 盟 の 規 定 は あ るが,脱 退 の 規 定 は

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な い 。 この た め に1860年 か ら1861年 に か け て奴 隷 制 の廃 止 に反 対 す る11の 南 部 の ス テ ー トが ア メ リ カ合 衆 国 か ら離 脱 して ア メ リ カ連 盟 国(南 部 連 盟)を 作 る とい う事 態 が 起 こ り,こ れ を契機 と して 内戦 が 起 こ っ た 。

ア メ リ カ合 衆 国 は主 権 国家 で あ る各 ス テ ー トが 合 意 して作 っ た もの で あ る か ら,合 衆 国が 不 当 な 権 力 を行 使 す る時 に は そ れ に抵 抗 し,合 衆 国 か ら離 脱 す る権 利 が あ る とい う南 部 の 主 張 は法 的 に は正 しい。 だ か ら,リ ン カー ン も

1861年3月4日 の 大 統 領 就 任 演 説 で い か な る ス テ ー トも勝 手 に合 衆 国 か ら離 脱 で きな い と主 張 した が,具 体 的 に は何 の 措 置 も採 れ な か っ た。 離 脱 を 阻止 す る法 的根 拠 は ない 。

リ ン カー ンが 南 部 攻 撃 の 口実 と した の は南 部 連 盟 に参 加 して い た南 カ ロ ラ イ ナ に あ る合 衆 国 の砦 が 攻 撃 され 陥 落 させ られ た こ とで あ る。 リ ン カー ンは これ を反 乱 と宣 言 し,反 乱 者 を鎮 圧 す る こ と を戦 争 開 始 の 大 義 名 分 と した 。 この 戦 争 は反 乱 者 との 戦 争 で あ って 合 衆 国 か ら離 脱 した ス テ ー トとの戦 争 で は ない とされ た 。

内 戦 中 に ア メ リ カ合 衆 国 の 北 部 は一 邦 国家 の 同盟 か ら一 つ の多 邦 国家 に成 り始 め た 。1861年8月 に こ れ ま で徴 税 権 は ス テ ー トに あ る と さ れ て きた が, 合 衆 国 が 戦 費 を調 達 す る た め に 課税 権 を獲 得 した 。1862年2月 に は これ まで 通 貨 の発 行 権 は ス テ ー トに あ っ た が,合 衆 国 政 府 が統 一 通 貨 を発 行 で きる よ

う に な っ た。(13)

リ ン カ ー ン は1861年3月 の 大 統 領 就 任 演 説 にお い てす で に 「わが 国家 は ア メ リ カ合 衆 国 人 民 を主 権 者 と し,連 邦 政 府 は 『人 民 』 を代 表 す る」 と述 べ て い たが,1863年11月19日 にゲ テ ィス バ ー グ で 行 わ れ た戦 没 者 を悼 む式 典 で そ れ を 「人 民 に よる,人 民 の た め の,人 民 の 政 治 」 と定 式 化 した 時,そ こ に は これ まで ス テ ー トの 同盟 と して ス テ ー トに依 拠 して 行 わ れ て きた合 衆 国 の統 治 を今 後 は直 接 人民 に依 拠 して行 う との 強 い 決 意 が込 め られ て い た 。(14)

1866年7月 に テ ネ シ ー が 合 衆 国 に復 帰 した の に 続 い て1870年 代 な か ば まで

に11の ス テ ー トが す べ て合 衆 国 に戻 っ た 。 ア メ リ カ合 衆 国 に一 度 加 盟 した ス

テ ー トは合 衆 国 か ら離 脱 で きな い との不 文 律 が で き た。 しか し,人 種 分 離 制

度 に見 られ る よ う に,ア メ リカ合 衆 国 の 南 部 は 国 家 の な か の 国 家 で あ っ た 。

19世 紀 後 半 か ら20世 紀 全 体 を通 じて の 鉄 道,自 動 車,航 空 機 な どの 運 輸 交

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ア メ リカ発展 途上社 会論11

通 手 段 の発 達 と第 一 次 大 戦 へ の参 戦,経 済 大 恐 慌 へ の対 策,第 二 次 大 戦 の 勃 発,公 民 権 革 命 な どに よ りア メ リ カ合 衆 国 の0体 化 が進 ん だ 。

この 問 に 共 和 党 と民 主 党 の 政 治 的 立 場 は 入 れ代 わ っ た。19世 紀 に お い て リ ン カ..̲̲.ン の 共 和 党 は奴 隷 解 放 の 党 で あ り,北 部 を基 盤 と して い た 。 奴 隷 制 廃 止 を ア メ リ カ全 体 に広 げ る た め に は ア メ リ カ合 衆 国 の 一 体 化 と合 衆 国 の権 力 の 拡 大 が 必 要 で あ っ た 。 ア メ リカ大 陸 横 断 鉄 道 の 建 設 は これ を促 進 した 。 他 方,民 主 党 は奴 隷 制 維 持 の 党 で あ り,南 部 を基 盤 と して い た 。 現 に奴 隷 制 を 維 持 して い るス テ ー トの権 利 を確 保 す る こ とに努 め,合 衆 国権 力 の 強 化 に反 対 した 。

20世 紀 に お い て民 主 党 は戦 争 遂 行 とニ ュ ー デ ィー ル 政 策,公 民 権 確 立 を進 め る な か で ア メ リ カ合 衆 国 の0体 化 と合 衆 国権 力 の拡 大 を図 る よ う に な っ た 。 他 方,共 和 党 はス テ ー トの権 利 確 保 と小 さ な政 府 を め ざす よ う に な っ た 。

21世 紀 に入 り共 和 党 は9.11事 件 を契 機 とす る ア フ ガ ン戦 争 と イ ラ ク戦 争 の 遂 行,本 土 安 全 保 障省 の 設 置 な ど を進 め る なか で ア メ リカ合 衆 国 の0体 化 と 合 衆 国権 力 の拡 大 を図 っ て い る。

ア メ リ カ合 衆 国 は法 的 に は依 然 と して ス テ ー トの 同盟 で あ る。 そ れ を明 ら か に した の が2000年 の大 統 領 選 挙 の結 果 で あ る。 こ の と きブ ッシ ュ は得 票 数, 得 票 率 と もに ゴ ア よ りも少 な か っ た が,各 ス テ....̲.ト ご と に選 ばれ る大 統 領 選 挙 人 の 数 で ブ ッシ ュが ゴ ア を上 回 っ た の で 当 選 とな っ た 。 この よ う な事 態 は これ まで 今 回 を含 め て4回 あ った 。 最 初 は1824年 の 第16代 大 統 領 を決 め る時,

2回 目は1876年 の 第19代 大 統 領 を決 め る 時,3回 目は1888年 の 第23代 大 統 領 を決 め る時,4回 目 は今 回 の2000年 の 第43代 大 統 領 を決 め る 時 で あ る。 しか し,い ず れ の 時 も選 挙 制 度 の 見 直 しに は至 らな か っ た。 そ れ は建 国 以 来 の 憲 法体 制 の根 幹 を見 直 す こ と に な る か らで あ る。

他 方,政 治 的 に は南 北 戦 争 以 後 ア メ リカ合 衆 国 は 一 つ の 国 で あ っ て 各 ス テ ー トは合衆 国 か ら離 脱 で き な い とい う暗 黙 の合 意 が 成 立 して い る。 離 脱 が 流 血 の 惨 事 を招 い た か らで あ る。

ア メ リ カ 国民 の 多 くは形 式 的 に は ア メ リ カ合 衆 国 を一 つ の 国 と して 認 め な が ら,実 体 と して はス テ ー トの 同 盟 と して の ア メ リカ合 衆 国 を望 ん で い る よ

うで あ る 。

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6.広 く て 豊 か な 社 会 と 貧 し い 人 々

ア メ リ カ は 広 い 国 で あ る 。1999年 末 現 在 で ア メ リ カ 合 衆 国 の 面 積 は973万 2610平 方 キ ロ メ ー トル,ロ シ ア,カ ナ ダ,中 国 に つ い で 世 界 で4番 目 に 大 き

な 国 で あ る 。 日本 は37万7727平 方 キ ロ メ ー トル,世 界 で60番 目,ア メ リ カ の お よ そ25分 の1で あ る 。 日本 は ア メ リ カ の 一 つ の ス テ ー トで あ る カ リ フ ォ ル ニ ア に も及 ぼ な い 。 人 口 は ア メ リ カ が2億7290万 人,中 国,イ ン ドに つ い で 世 界 第3位,日 本 の 人 口1億2650万 人 の2倍 以 上 で あ る 。

ア メ リ カ は 豊 か な 国 で あ る 。1999年 の 国 内 総 生 産(GDP)は ア メ リ カ が 9兆1521億 ドル で 世 界 第1位,日 本 が4兆3469億 ドル で 世 界 第2位 で あ る 。 単 純 な 一 人 当 た りGDPで は 日 本 が3万4340ド ル で あ り,ル ク セ ン ブ ル グ, バ ミ ュ ー ダ,ス イ ス に つ い で ノ ル ウ エ ー と 同 額 で 共 に 世 界 第4位,ア メ リ カ

は そ の 次 で3万3540ド ル,世 界 第6位 で あ る 。 購 買 力 平 価 に よ る 一 人 当 た り GDPで は ア メ リ カ が3万1910ド ル,日 本 が2万5170ド ル で ア メ リ カ が 上 で あ る 。 情 報 化 の 点 で も ア メ リ カ は 進 ん で い る 。 ア メ リ カ の 人 口100人 当 た り の コ ン ピ ュ ー タ ー の 普 及 率 は55.5,イ ン タ ー ネ ッ ト ・ホ ス トは266.1,日 本 は そ れ ぞ れ31.5と36.7で あ る 。

つ い で な が ら ロ シ ア のGDPは4014億 ド ル,購 買 力 平 価 に よ る 一 人 当 り GDPは6990ド ル,中 国 のGDPは9895億 ド ル,購 買 力 平 価 に よ る 一 人 当 り GDPは3550ド ル で あ る 。 ロ シ ア の コ ン ピ ュ ー タ ー の 普 及 率 は4.3,イ ン タ ー ネ ッ ト ・ホ ス トは2.0,中 国 は そ れ ぞ れ1.6と0.1で あ る 。 ア メ リ カ が 経 済 力 の 点 で も情 報 化 の 点 で も 著 し く大 き く進 ん で い る こ と は 間 違 い な い 。(15)

ア メ リ カ は 人 種 的 に 多 様 な 国 で あ る 。・ア メ リ カ に は 白 人 の 他 に 黒 人,先 民,ア ジ ア 系,太 平 洋 諸 島 民 な ど の さ ま ざ ま な 人 種 の 人 が 住 ん で い る 。 そ の 割 り合 い は2000年 の 統 計 で 白 人2億1146万1000人,75.1%,黒 人3465万8000 人,12.3%,先 住 民247万6000人,a.9%,ア ジ ア 系1024万3000人,3.6%,太

平 洋 諸 島 民39万9000人,0.1%,そ の 他 の 人 種5.5%,複 数 人 種2.4%で あ っ た 。 こ の 人 種 に よ る 区 分 の 他 に ス ペ イ ン 語 を 話 す ヒ ス パ ニ ッ ク と い う 分 類 が あ る 。 ヒ ス パ ニ ッ ク に は 人 種 的 に は 白 人 も黒 人 も い る 。 こ の ヒ ス パ ニ ッ ク は2000年 の 段 階 で3530万6000人,12.5%で あ っ た が,2002年7月1日 現 在 で は3880万

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ア メ リカ発 展途 上社 会論13

人 に達 し,ア メ リ カ史 上 初 め て 黒 人 人 口 の3830万 人 を越 え た 。(16)

ア メ リ カ社 会 は この よ う な様 々 な人 種 が 一 つ に溶 け 合 っ た 「人 種 の るつ ぼ 」 で あ る とか,様 々 な人 種 が 混 じ り合 っ た 「人 種 の サ ラ ダ ・ボ ー ル 」 とか とい わ れ て い るが,ア メ リ カ社 会 は そ の 両 者 の 要 素 を合 わせ 持 っ て い る。 どち ら か と言 う と,後 者 の性 格 が 強 い が,そ れ で も人 種 間 の融 合 が 進 ん で い る。(17) ア メ リ カ は宗 教 的 に も多 様 な 国 で あ る 。 ア メ リカ合 衆 国 憲 法 修 正 第1条 は 宗 教 を 国定 した り,宗 教 上 の 自由 な活 動 を禁 止 した りす る こ と を禁 じて お り, 政 教 分 離 の も と に信 教 の 自由 を保 証 して い る。 した が っ て,ア メ リカ に は世 界 の 主 要 宗 教 で あ る キ リス ト教,ユ ダ ヤ教,イ ス ラ ム教,仏 教 の 信 者 が す べ て存 在 して い る。 ア メ リカ で信 者 が もっ と も多 い の はキ リス ト教 で あ り,約

1億5830万 人,そ の う ち プ ロテ ス タ ン トは約8370万 人,ロ ー マ ・カ トリ ッ ク は約6200万 人,東 方 正 教 会 は 約400万 人 で あ る。 こ の他 にユ ダヤ 教 が 約380万 人,イ ス ラ ム教 が 約300万 人,仏 教 が 約50万 人 の 信 者 を擁 して い る と い わ れ て い る。(18)

別 の 資料 に よ る と,2000年 の段 階 で プ ロ テ ス タ ン トの な か で の 最 大 の 集 団 は イギ リス の ビ ュ ー 一リ タ ンの流 れ を引 くバ プ テ ス トで あ り,バ プ テス ト教 会 だ け で も何 十 もの教 派 が あ る 。 そ の うち も っ と も大 きい の は1596万 人 の信 者 が い る南 部 バ プ テ ス ト教 会 で あ る。 第2の 集 団 は イ ギ リス 国教 会 改 革 運 動 と

して 始 め られ た メ ソ ジス トで あ り,こ れ も多 くの 教 派 に分 か れ て い る が,そ の う ち も っ と も大 きい の は834万1000人 の 信 者 が い る連 合 メ ソ ジ ス ト教 会 で あ る。 第3は 非 ピ ュ ー リ タ ン系 プ ロ テ ス タ ン トの ル ター 派 で あ り,そ の う ち も っ と も大 きい の は512万6000人 の信 者 の い る福 音 ル ター 派 教 会 で あ る。 第 4は モ ルモ ン教 とい う名 前 で知 られ る末 日聖 徒 イ エ ス ・キ リス ト教 会 で あ り, 520万9000人 の 信 者 を擁 す る。 第5は257万8000人 の信 者 の い る 神 の 集 い, 231万1000人 の信 者 の い る 監 督 教 会 派,137万7000人 の信 者 が い る キ リス ト連 合 教 会 な どで あ る。 この 他 に ロ ー マ ・カ トリ ッ ク教 会 が6368万3000入,北 ア メ リ カ ・南 ア メ リ カ ・ギ リ シ ャ正 教 司 教 教 会 が150万 人,ユ ダヤ 教 が2001年 に615万 人 の 信 者 を擁 して い た とい わ れ て い る 。(19)

資料 に よ っ て 数値 に違 い が あ る が,ア メ リ カ人 の多 くが ユ ダ ヤ ・キ リス ト

教 的伝 統 の宗 教 を信 じて お り,こ れ が 「見 え ざ る国 教 」 の役 割 を 果 た して い

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る 。(20)

先 に も見 た よ う に,ア メ リ カ は 全 体 と し て は 豊 か な 社 会 で あ る が,問 題 な の は 貧 富 の 格 差 が 増 大 し,豊 か な 人 と貧 し い 人 と の 二 極 化 が 進 ん で い る こ と で あ る 。 例 え ば,1959年 に 所 得 上 位4%(210万 世 帯)の 総 所 得310億 ドル は 下 位35%(1830万 世 帯)の 所 得 総 額 と 同 額 で あ っ た の が,1989年 に は 所 得 上 位4%(380万 世 帯)の 総 所 得4520億 ドル は 下 位51%(4920万 世 帯)の 所 得 総 額 と 同 額 に な っ て い る 。(21)

ア メ リ カ に は 貧 困 ラ イ ン と い う の が あ る 。 こ れ は 物 価 や そ の 他 の 関 係 で 年 に よ っ て 若 干 の 違 い が あ る が,こ の と こ ろ4人 家 族 で 年 収 約1万8000ド (1ド ル=120円 と して216万 円)で あ る 。

2000年 の 世 帯 所 得 で 見 る と,ア メ リ カ の 全 世 帯 数 は7238万8000,平 均 年 収 は5万890ド ル,年 収7万5000ド ル 以 上 は29.6%,貧 困 ラ イ ン 以 下 は8.6%, 622万2000世 帯,3105万4000人(人 口 比 で11.3%,以 下 同 様)で あ っ た 。

そ の 内 訳 は 白 人 の 総 世 帯 数 が6022万2000,平 均 年 収 が5万3256ド ル,年 7万5000ド ル 以 上 が31.4%,貧 困 ラ イ ン 以 下 が6.9%,415万1000世 帯,2124 万2000人(9.4%),黒 人 の 総 世 帯i数 は881万4000,平 均 年 収 は3万4192ド ル, 年 収7万5000ド ル 以 上 は15.6%,貧 困 ラ イ ン以 下 は19.1%,168万5000世 帯, 786万2000人(22.0%),ア ジ ア 太 平 洋 諸 島 民 の 総 世 帯 数 は266万3000,平 年 収 は6万1511ド ル,年 収7万5000ド ル 以 上 は39.3%,貧 困 ラ イ ン 以 下 は 8.8%s23万5000世 帯,121万4000人(10.7%),ヒ ス パ ニ ッ ク の 総 世 帯 数 は 772万8000,平 均 年 収 は3万5054ド ル,年 収7万5000ド ル 以 上 は14.1%,貧 困 ラ イ ン 以 下 は18.5%,143万1000世 帯,715万3000人(21.2%)で あ る 。(22)

2001年 の 資 料 で 見 る と,一 世 帯 当 た りの 平 均 年 収 は4万2228ド ル で あ っ た 。 一 番 収 入 の 多 い の は ア ジ ア 太 平 洋 系 で5万3635ド

,つ い で 非 ヒ ス パ ニ ッ ク 白 人4万6305ド ル,ヒ ス パ ニ ッ ク3万3565ド ル,黒 人2万9470ド ル で あ っ た 。 こ の 年 の 貧 困 ラ イ ン は4人 家 族 で 年 収1万8104ド ル,そ れ 以 下 の 収 入 で 生 活 し て い た 人 が3290万 人(11.7%)い た 。 率 と し て 貧 困 ラ イ ン 以 下 の 人 が も っ と も 多 い の は 黒 人 の23%,つ い で ヒ ス パ ニ ッ ク の21%,ア ジ ア 太 平 洋 系 の 10%,非 ヒ ス パ ニ ッ ク 白 人 の8%で あ る 。

私 が 住 ん で い た ニ ュ ー ジ ャ ー ジ で も 黒 人 と ヒ ス パ ニ ッ ク な どで 年 収10万

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アメ リカ発展 途上社 会論15

ル 以 上 の 人 が い る し,そ のi数 は 増 え て い る 。1990年 に4万3639人 で あ っ た の が,2001年 に は7万341人 に な っ て い る 。 黒 人 の 方 が 白 人 よ り も 平 均 年 収 が 多 い 町 が あ る 。 ミ ドル セ サ ッ ク ス 郡 サ ウ ス プ レ イ ン フ ィ ー ル ド町 で は 黒 人 の 平 均 年 収 は7万7167ド ル,白 人 の 平 均 年 収 は6万6232ド ル,バ ー ゲ ン郡 バ ー ゲ ン フ ィ ー ル ド町 で は 黒 人 の 平 均 年 収 が6万6429ド ル,白 人 の 平 均 年 収 が5 万7358ド ル で あ る 。(23)

ア メ リ カ 商 務 省 が2003年9月28日 に 発 表 し た2002年 の 貧 困 統 計 に よ る と, 同 年 の 貧 困 者 数 は3460万 人(12.1%)で あ り,2000年 以 来3年 連 続 し て 数 ・ 率 と も に 増 え て い る 。 白 人 と黒 人,ヒ ス パ ニ ッ ク の な か で の 階 層 分 化 が 進 ん で お り,白 人 は 豊 か で,黒 人 と ヒ ス パ ニ ッ ク は 貧 し い と一 概 に は 言 え な く な っ て い る が,そ の 日 そ の 日 の 生 活 に も 困 る 人 が10人 に1人 以 上 い る と い う社 会 は 決 し て 健 全 な 社 会 で は な い 。 黒 人 の 場 合 は5人 に1人 以 上 が 貧 しい 人 で あ る 。

7.不 公 正 な 選挙 と金 持 ち 民 主 主 義

ア メ リカ 人 は一 般 に政 治 好 きで あ る。 ア メ リ カ人 は絶 対 主 義 的 な王 権 の も とで の従 属 的 な生 活 を拒 否 し,は る ば る大 西 洋 を越 え て 新 世 界 で の 自立 的 な 生 活 も求 め て きた人 で あ る。 自分 の運 命 は 自分 で 決 め,自 分 で切 り開 こ う と す る 人 々で あ る。

独 立 革 命 も イ ギ リス が ア メ リ カ の植 民 者 た ち の合 意 な しに 一 方 的 に税 金 を 課 した こ とか ら始 ま っ た 。 自分 や 自分 の代 理 人 が い な い と こ ろで 決 め た こ と に は従 わ な い 。 これ が ア メ リ カ人 の原 則 で あ る 。 した が っ て,直 接 住 民 の 意 志 を 問 う住 民 投 票 や代 理 人 を選 ぶ 選 挙 が 頻 繁 に行 わ れ る こ とに な る。

合 衆 国 の大 統 領 は4年 ご と に選 ば れ,下 院 議 員 は 入[数 に応 じて2年 ご と に選 挙 され る 。 上 院 議 員 は 任 期 が6年 で あ り,各 ス テ.̲̲̲トか ら2名 ず つ 選 ば れ る 。50の ス テ ー トの 代 表100名 は2年 ご と に3分 の1ず つ 改 選 され る。 こ の 他 に各 ス テ ー トの ガバ ナ ー(統 治 者,知 事),上 院議 員,下 院議 員,市 町 村 の 執 行 者,代 議 員 な どが 選 ば れ る 。 これ らの任 期 は2年 か ら4年 で あ り, ス テ ー トに よ っ て異 な る。

2000年 大 統 領 選 挙 の と きの18歳 以 上 の有 権 者 総 数(投 票 権 の な い外 国 人 も

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含 む)は2億260万 人,ア メ リ カ で は 有 権 者 は 自動 的 に投 票 権 を得 られ ず, あ らか じめ登 録 して お か な け れ ば な らな い が,そ の登 録 率 は有 権 者 総 数 に対

して63.9%,投 票 率 は 同 じ く有 権 者 総 数 に対 して54.7%で あ っ た。

投 票 総 数 は1億539万7000票,民 主 党 の ゴ ア候 補 が5099万2000票,共 和 党 の ブ ッ シ ュ候 補 が5045万5000票,緑 の 党 の ネ ー ダー 候 補 が288万3000票 を獲 得 し,ゴ ア候 補 が 第1位 で あ った 。 しか し,先 に も述 べ た ご と く,大 統 領 選 挙 人 の 数 で ブ ッシ ュ候 補 が271人 を獲 得 し,ゴ ア候 補 の266人 を5人 上 回 っ た

の で 当 選 とな っ た。(24)

ア メ リカ で は選 挙 が 常 に公 正 に行 わ れ て い る と は言 い 難 い。 建 国 当初 に 選 挙 権 を与 え られ た の は 白 人 の 男 性 だ け で あ った 。 白人 の女 性 と黒 人 や 先 住 民 の 男 女 に は選 挙 権 は与 え られ な か っ た 。 後 に黒 人 や 先 住 民 に も選 挙 権 が 与 え

られ る よ うに な っ た が,い ろ い ろ な理 由 を つ け て そ れ が 剥 奪 され て きた こ と は前 に見 た通 りで あ る。 そ して,そ れ が 今 も続 い て い る。

2000年11月 の 大 統 領 選 挙 の 開 票 時 に ブ ッ シ ュ候 補 の弟 ジ ェ ブ ・ブ ッ シ ュ が ガバ ナ ー を務 め る フ ロ リ ダで 直 接 投 票 の 開票 を め ぐっ て紛 争 が 起 こ り裁 判 沙 汰 に な っ た こ とは 良 く知 られ て い るが,実 は ジ ェ ブ ・ブ ッシ ュ は選 挙 の5か 月 前 に5万7700人 を選 挙 人 名 簿 か ら一 掃 す る措 置 を採 っ て い た 。 選 挙 権 が 認 め られ な い 犯 罪 者 だ か ら とい う理 由 で あ っ た が,そ の ほ と ん どの 人 は無 実 で あ り,大 多 数 が 黒 人 で あ っ た か らで あ る と い わ れ て い る。(25)

2000年 の 大 統 領 選 挙 で は黒 人 の92%は 民 主 党 に投 票 し,共 和 党 に投 票 した の は わ ず か に8%に しか す ぎな か っ た の で,こ の よ うな こ とが な け れ ば ゴア 候 補 は 間違 い な く当選 して い た 。(26)

2002年 度 ア カ デ ミー一 賞 ドキ ュ メ ン タ リー長 編 賞 を受 賞 した映 画 監 督 マ イ ケ ル ・ム ー ア は これ を ア メ リ カ的 クー デ タ ー と名 付 け,ア カ デ ミー 賞 授 賞 式 で ブ ッシ ュ は恥 を知 れ と挨 拶 した 。(27)

2000年 の 大 統 領 選 挙 と同 時 に行 わ れ た議 会 選 挙 の 結 果 は 下 院 で 共 和 党221 議 席,民 主 党211議 席,そ の他2議 席,上 院 で 共 和 党50議 席,民 主 党50議 席

で あ っ た 。 こ れ が2002年 の 中 間 選 挙 の 結 果,下 院 で 共 和 党 が229議i席,民 主 党 が205議 席,そ の 他1議i席,上 院 で 共 和 党 が51議 席,民 主 党 が48議 席,そ

の他 が1議 席 と な っ た 。 ス テ ー トの ガバ ナ ー は 共和 党26人,民 主 党24人 で あ

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ア メ リカ発 展 途上社 会論17

る。 共 和 党 が 大 統 領 職 を獲 得 した 他,合 衆 国 の 上 下 両 院 の 多 数 派 と な り,ス テ ー トの ガバ ナ ー の過 半 数 をお さ え た。 現 在 は 共 和 党 優 位 で あ る 。

ア メ リ カ の 選 挙 の 第1の 問 題 点 は選 挙 に多 額 の 費 用 が掛 か る こ とで あ る 。 2000年 の 大 統 領 選 挙 につ い て の 資 料 は 手 も と に な い が,民 主 党 の ク リ ン トン

と共 和 党 の ドー ルが 争 っ た1996年 の大 統 領 選挙 で1995‑96年 の 予 備 選 挙 の段 階 だ け で 両 者 に よ っ て2億4390万 ドル が 使 わ れ て い る。 そ の う ち1億2640万

ドル が 個 入 献 金,5600万 ドルが 合 衆 国 政 府 の 選 挙 資 金 で あ っ た 。 内訳 は民 主 党 が 個 人献 金3130万 ドル,合 衆 国 政 府 の 選 挙 資 金1400万 ドル,計4620万 ドル, 共 和 党 が 個 人 献 金9310万 ドル,合 衆 国 政 府 の 選 挙 資 金4160万 ドル,計1億 8700万 ドル で あ る。 民 主 党 は現 職 大 統 領 の再 選 運 動 で あ っ た の で 共 和 党 の4 分 の1で 済 ん で い る がi共 和 党 は予 備 選 挙 だ けで224億4000万 円使 っ て い る。

そ の うち111億7200万 円 は個 人 か らの 寄 付 金 で あ る。(28)

上 下 両 院 の 選 挙 につ い て い う と,予 備 選 挙,本 選 挙 を含 め て1999‑2000年 の2年 間(暦 年)に す べ て の政 党 が 集 め た 金 は6億1040万 ドル,使 っ た 金 は

5億7230万 ドル,そ の う ち個 人 か ら集 め た 金 は3億1560万 ドル(378億7200 万 円)で あ る。(29)

金 集 め が で きな い と選 挙 に立 て な い し,当 選 で きな い 。 も ち ろ ん,候 補 者 自身 が 多 額 の金 を持 っ て い な い と選 挙 は で きな い 。 テ レ ビ を通 じて の 宣 伝 が 盛 ん に 行 わ れ る よ う に な っ て選 挙 費 用 は急 激 に増 大 して い る。 ア メ リ カ民 主 主 義 は 金持 ち民 主 主 義 で あ る。

第2の 問題 点 は投 票 権 を得 るた め に は登 録 が 必 要 で あ り,時 に は恣 意 的 に 投 票 権 の 剥 奪 が 行 わ れ る こ とで あ る 。2000年 の大 統 領 選 挙 の 年 に登 録 率 が 低 か っ た の は18‑20歳 と21‑24歳 の 青 年(そ れ ぞ れ40.5%と49.3%),ヒ スパ ニ ック(34.9%),失 業 者(46.1%)な どで あ る。 同 じ く投 票 率 の低 い の も こ の 人 た ち で あ る 。 青 年(28.4%と24.2%),ヒ ス パ ニ ッ ク(27.5%),失 業 者 (35.1%)で あ る 。 政 治 に よ る救 い を も っ と も必 要 とす る人 が 投 票 で きな い の で あ る。(30)

2000年 大 統 領 選 挙 で の ブ ッ シ ュ の大 統 領 当 選 は 未 だ に不 法 で あ り,ク ー デ

タ..一 一.で あ る とい わ れ て い る。 そ の た め に ブ ッシ ュ 大 統 領 は2002年 の 中 問選 挙

で の勝 利 を め ざ した 。 これ は成 功 した 。

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8.自 己 中 心 の 力 の信 奉 者

2001年1月 に息 子 の ブ ッシ ュ政 権 は発 足 した が,人 気 は い ま一 つ で あ っ た 。 ブ ル ッキ ング ズ研 究 所 の世 論 調 査 に よ る と,2001年7月 の ア メ リカ 国 民 の 政 府 信 頼 度 は29%で あ っ た 。 そ れ が2001年9月11日 の事 件 の あ と急 上 昇 した 。 2001年9月14日 に上 下 両 院 は テ ロ を計 画,実 行 した り,こ の よ う な個 人 や 組 織 をか くま っ た 国家 な どに 軍 事 力 を行 使 す る権 限 を大 統 領 に与 え る決 議 を採 択 した。 反 対 した の は民 主 党 の黒 人 女 性 下 院議 員 た だ 一 人 で あ っ た。 ブ ッ シ ュ大 統 領 は ア フ ガ ニ ス タ ンの タ リバ ン政 権 を攻 撃 した 。 誰 か に復 讐 した か っ た ア メ リ カ 国民 は これ を支 持 した 。 政 府 支 持 率 は2001年10月 に は57%に な っ た 。 しか し,2002年5月 に は再 び40%に 下 が っ た。

そ こで 打 っ た 手 が2002年6月6日 の 本 土 安 全 保 障 省 の創 設 提 案 で あ っ た 。 そ の 直 後 の 『今 日の ア メ リ カ』 紙 とCNNテ レ ビお よ び ギ ャ ラ ッ プ世 論 調 査 の合 同調 査 で は72%の 人 が こ の提 案 を 支 持 した 。 共 和 党 が多 数 派 の下 院 で は 早 々 に こ の 法 案 は 通 過 した が,民 主 党 が 多 数 派 の 上 院 で は 審 議 が 難 航 した 。 共 和 党 は2002年11月 の 中 間選 挙 で これ を最 大 限 に利 用 した 。 民 主 党 は テ ロ対 策 に熱 心 で な い と批 判 さ れ た 。 民 主 党 は 受 け 身 に 回 っ た 。

共 和 党 は テ ロ との戦 争 を前 面 に 出 し民 主 党 に 追 い 討 ち をか け た 。 ブ ッシ ュ 大 統 領 は イ ラ ク に対 して 軍事 力 を行 使 す る権 限 を与 え る よ うに上 下 両 院 に要 請 した。2002年10月10日 に上 院 は77対23,下 院 は296対133で これ を承 認 した 。 改 選 を控 え た上 院 議 員 で これ に反 対 した の は民 主 党 の ミネ ソ タ選 出議 員 ウ ェ ー ル ス トンた だ0人 で あ った 。 共 和 党 は ウ ェー ル ス トン に攻 撃 を集 中 す る と

と もに民 主 党 の候 補 者 に テ ロ対 策 とイ ラ ク との戦 争 で 踏 み 絵 を踏 ませ た。

ミネ ソ タの 上 院 議 員 選 挙 は2002年 中 間 選 挙 の 天 王 山 とな っ た。 ブ ッ シ ュ大 統 領 は ウ ェー ル ス トンの 対 立 候 補 と して元 セ ン トポ ー ル 市 長 で あ っ た民 主 党 の コー ル マ ン を民 主 党 か ら引 き抜 い て 共 和 党 の 上 院議 員 候 補 者 と し,選 挙 資 金 集 め な どで積 極 的 に 支援 した 。 ウ ェ ー ル ス トンは選 挙 運 動 中 に飛 行 機 事 故 で 死 亡 した 。 民 主 党 は急 遽,元 副 大 統 領 モ ンデ ー ル を立 て た が,コ ー ル マ ン に破 れ た。

ブ ッシ ュ大 統 領 は ミ ゾ リー で も現 職 の共 和 党 下 院 議 員 ター レ ン トを共 和 党

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ア メ リカ発 展途 上社 会 論19

上 院議 員 候 補 者 と して 引 っ張 りだ し,積 極 的 に支 援 して 当 選 させ た 。 落 選 し た の は2000年 の 選 挙 運 動 中 に飛 行 機 事 故 で 亡 くな っ た が,当 選 した 夫 に代 わ っ て上 院議 員 とな っ た民 主 党 の 現 職 カー ナ ハ ン女 史 で あ っ た 。

共 和 党 は アー カ ンソ ー で 現 職 が 民 主 党 の新 人 候 補 に負 け て 落 選 した が,ジ ョー ジ ア で は 民 主 党 の 現 職 を敗 っ て 当 選 し,結 局,2議 席 増 や して 選 挙 前 の 49議 席 か ら51と な り上 院 の多 数 派 と な っ た 。 ブ ッシ ュ 大 統 領 の 作 戦 勝 ち で あ

っ た。

2003年3月19日,ブ ッシ ュ大 統 領 は イ ラ クの フセ イ ン政 権 へ の攻 撃 を開 始 した。 戦 争 は ま だ続 い て い る。

ア メ リカ が 他 国 の 内政 に干 渉 し,当 該 国 の 政 権 を打 倒 した の は今 に始 ま っ た こ とで は な い 。 植 民 者 た ち は他 人 の 土 地 に勝 手 に入 り込 み,先 住 者 か ら土 地 を安 く買 った り力 で 取 り上 げ た り して 生 活 を 始 め た 。 な か に は 先住 者 か ら 土 地 を正 当 な値 段 で 買 い取 り,先 住 民 と平 和 的 に 仲 良 く暮 ら し,と もに幸 せ

に生 き よ う とす る 人 々が い たが,そ の 多 くは 「明 白 な運 命 」 な ど とい う勝 手 な理 屈 をつ け て 西 部 へ の進 出 を合 理 化 して 国 を広 げ て い っ た。1890年 の南 ダ コ ダの ウー ン デ ッ ドニ ー で の 先 住 民300人 あ ま りの 虐 殺 は北 ア メ リ カ大 陸 で の フ ロ ン テ ィア ・ラ イ ンの消 滅,先 住 民 征 服 の 完 了 を象 徴 す る事 件 で あ っ た。

ア メ リ カ人 の 進 出 ・膨 張 は 中央 ア メ リカ ・南 ア メ リカ,さ らに海 を越 え た 国 々 に 向 か っ た 。 ア メ リ カ は1898年 の ス ペ イ ン との 戦 争 を契 機 と して キ ュ ー バ,プ エ ル トリ コ,フ ィ リ ピ ン,ハ ワ イ を奪 取 した 。 ア メ リ カの 外 国 で の 武 力 行 使 は枚 挙 に 暇 が な い。 そ の延 長 線 上 に朝 鮮 戦 争,ベ トナ ム 戦 争,湾 岸 戦 争,コ ソ ボ戦 争,ア フ ガ ン戦 争,イ ラ ク戦 争 が あ る 。(31)

ア メ リ カ人 は 自分 た ち の 考 え方,生 活 の 仕 方 が 最 良 で あ る と考 え て い る。

アメ リ カ人 は ア メ リ カが 世 界 で あ り,世 界 は ア メ リ カ を 中 心 と して動 い て い る し,動 くの が 当 然 で あ る と考 え て い る 。 ア メ リ カ 人 は 自己 中心 的 で あ る。

ア メ リ カ人 に は力 の信 奉 者 が 多 く,武 力 行 使 に つ い て の 反 省 が 少 ない 。 む

しろ,独 立 革 命,南 北 戦 争,第 一 次 大 戦,第 二 次 大 戦 な どの 武 力 行 使 が 結 果

的 に は正 義 を実 現 した との思 いが あ り,武 力 行 使 を正 当化 す る考 え方 が 強 い 。

ア ンブ ロー ス の よ う な歴 史 家 で さ え先 住 民 や ス ペ イ ン,メ キ シ コ な どか ら土

地 を奪 っ て 進 め られ た ア メ リカ合 衆 国 の膨 張 は結 果 的 に は 良 か っ た と して肯

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定 的 に捉 え て い る。(32)

ア メ リ カの マ ス コ ミ ュニ ケ ー シ ョ ンや 教 育 の場 で も ア メ リ カ社 会 に対 す る 根 本 的 な批 判 が 少 な い た め に 同 じ過 ち を繰 り返 す こ とに な っ て い る。

しか し,す べ て の ア メ リカ 人 が 同 じ よ う に考 え,行 動 して い る わ け で は な い 。 真 摯 に 自分 を見 つ め,す べ て の 人 の 思 想 ・信 条 を尊 重 し,他 の す べ て の 人 と共 存 ・共 生 し よ う と して い る 人 もい る。 ア メ リ カ は大 き くな り過 ぎ,大

きな失 敗 をす る こ とに よ っ て深 く反 省 し,考 え方,生 き方 を大 き く変 え ざ る を得 な くな る時 が くる で あ ろ う。

9.む す び

西 暦 紀 元 前5万 年 く らい まで は 人類 発 祥 の 地 と い わ れ る東 ア フ リカが 文化 発 展 の 中心 で あ っ た 。 そ の 後 い ま か ら4万 年 ほ ど前 に初 め て石 器 を作 り,水 路 を移 動 の 手 段 と した とい わ れ る オ ー ス トラ リ ア の 原 住 民(ク ロ マ ニ オ ン 人)に 文化 発 展 の 中 心 が 移 っ た 。 歴 史 時 代 に入 り中 国 が科 学 技 術 の発 農 で 主 導 的 な役 割 を果 た す よ う に な っ た。 西 暦 紀 元 後1000年 か ら1450年 く らい まで は イ ス ラ ム諸 国 の知 識 と科 学 が 地 球 的 な意 味 を持 っ て い た。 西 洋 諸 国 が 支 配 的 な 地 位 を 占 め る よ うに な っ た の は こ の500年 ほ どの こ とで あ る。 歴 史 的 に は短 い期 間 の 現 象 で あ る 。 西 暦 紀 元 前8500年 か ら西 暦 紀 元 後1450年 まで の ヨ ー ロ ッパ は古 典 古 代 の 諸 国 家 を除 い て全 体 と して ユ ー ラ シ ア の もっ と も発 展

して い なか った 部 分 で あ っ た 。(33)

近 現 代 の ア メ リ カの 歴 史 は ヨー ロ ッパ の勃 興 と と も に始 ま っ た。 当 初 ア メ リカ は ヨー ロ ッパ 諸 国 の植 民 地 で あ った 。1776年 の独 立 宣 言 後1863年 の 奴 隷 解 放 宣 言 まで は奴 隷 制 度 が 公 然 と存 在 した社 会 で あ っ た 。 そ の 後 も1950‑60 年 代 の公 民 権 革 命 まで は 黒 人 に 対 す る激 しい 人 種 差 別 が 続 き,黒 人 が や っ と 人 間 と して の権 利 を獲 得 す る よ う に な っ た の は1970年 代 初 め の こ とで あ る。

そ れ か ら現 在 ま で わ ず か に30年 余,い ま だ に人 種 差 別 が残 っ て い る社 会 で あ る。(34)

ア メ リ カ は 経 済 的 に は世 界 一 で あ る 。 ア メ リカ に とっ て 差 し当 た って の最

大 の競 争 相 手 は ヨー ロ ッパ 連 合(EU)で あ る 。 現 在 の と こ ろ経 済 規 模 で み

て ヨー ロ ッパ 最 大 の ドイ ツ で も ア メ リ カ の4分 の1で あ る が,EU全 体 で は

(21)

アメ リカ発展 途上社 会論21

ほ ぼ 同 規 模 で あ る。EUは 人 口 が ア メ リ カ を大 き く上 回 り,世 界 の 輸 出 市 場 で の シ ェ ア もそ うで あ る 。EUが 計 画 通 り今 後 数 十 年 に 中央 ヨー ロ ッパ 諸 国 に徐 々 に拡 大 して い け ば1ア メ リカ との 差 は さ ら に広 が る で あ ろ う。 さ らに 中 国 が 急 速 に ア メ リ カの 後 を追 っ て い る。 中 国 は20世 紀 の 最 後 の20年 間 に 国 民 総 生 産(GNP)が3倍 に な っ た 。 中 国 経 済 が 年6%の 成 長 を続 け る とす る な ら,2020年 前 後 に は 中 国 は経 済 規 模 で ア メ リ カ に並 び,2065年 か ら2095年 ま で の ど こか で 入 口̲̲̲,人当 た りのGNPで ア メ リ カ に並 ぶ とい わ れ て い る 。(35)

差 し当 た り21世 紀 の 前 半 は まだ 西 洋 の優 位 が 続 くで あ ろ う。 ア メ リカ は 世 界 一 の 地 位 を維 持 す るた め に努 力 し,ヨ ー ロ ッパ 連 合 もい っ そ う拡 大 ・強 化 す るで あ ろ う。 こ の 間 に 中 国 は 巨大 な勢 力 と な る で あ ろ う。

ア メ リ カ は軍 事 的 に も世 界 一・ で あ る。1999年 の ア メ リ カ の 国 防 予 算 は2888 億 ドル で 世 界 第1位 で あ る。 日本 の411億 ドル,イ ギ リス の346億 ドル,ロ シ ア の310億 ドル,フ ラ ンス の295億 ドル,ド イ ツの247億 ドル,中 国 の126・億 ド ル,イ ン ド107億 ドル な どの 合 計 よ り も多 い 。 ア メ リ カ は核 戦 力 と通 常 戦 力 の双 方 で世 界 全 体 を作 戦 範 囲 に し得 る唯 一一 の 国 で あ る。(36)

ア メ リ カ は こ の 強大 な 軍 事 力 を行 使 して21世 紀 の 新 しい 地 球 秩 序 を作 ろ う と して い る。 湾 岸 戦 争,コ ソ ボ戦 争,ア フ ガ ン戦 争,イ ラ ク戦 争 は そ の あ ら わ れ で あ る。 中 に は2001年9月11日 の事 件 を切 っ掛 け と して ア メ リ カ は 「帝 国」 に変 貌 した と主 張 す る論 者 が い る。 確 か に他 国 の 政 府 を変 え て しま う 目 的 の た め に ア メ リカ単 独 で あ っ て も戦 争 を辞 さ な い 国 を 「帝 国 」 と呼 ぶ こ と は 誇 張 で な い か も知 れ な い 。 しか し,こ の 論 者 自身 が 指 摘 して い る よ う に,

これ は ア メ リ カが 採 る 政 策 の 一 つ で あ っ て,変 わ りう る もの で あ る。(37) 現 実 に は2002年 の ア フ ガニ ス タ ンの タ リバ ン政 権,2003年 の イ ラ ク の フセ イ ン政 権 に対 す る戦 争 が 示 す よ う に事 態 は決 して ア メ リ カ の思 う よ う に進 ん で い な い 。 ア メ リカ は 自国 の 考 え を無 条 件 に他 国 に押 し付 け られ る ほ ど強 い 国 で は な い 。 ア メ リカ を 「帝 国」 と して 固定 化 す べ きで は ない で あ ろ う。(38)

戦 争 は 交 戦 国 双 方 の社 会 の 質 を変 え る。 時 に は そ れ を行 っ た者 の意 志 に 反

す る よ う に変 え る。 朝 鮮 戦 争 とベ トナ ム 戦 争 が 公 民 権 革 命 を促 進 し ア メ リ カ

社 会 の質 を変 えた よ う に湾 岸 戦 争,コ ソ ボ戦 争,ア フ ガ ン戦 争,イ ラ ク戦 争

が ア メ リ カ社 会 の 質 を変 え る可 能 性 が あ る。

参照

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2.先行研究 シテイルに関しては、その後の研究に大きな影響を与えた金田一春彦1950

Department of Central Radiology, Nagoya City University Hospital 1 Kawasumi, Mizuho, Mizuho, Nagoya, Aichi, 467-8602 Japan Received November 1, 2002, in final form November 28,

医学部附属病院は1月10日,医療事故防止に 関する研修会の一環として,東京電力株式会社

大谷 和子 株式会社日本総合研究所 執行役員 垣内 秀介 東京大学大学院法学政治学研究科 教授 北澤 一樹 英知法律事務所

”, The Japan Chronicle, Sept.

Strike

〔付記〕

二九四 経済体制構想と密接な関係を持つものとして構想されていたといえる( Leon Martel, Lend-Lease, Loans, and the Coming of the Cold War : A Study of the