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ア メ リ カ発 展 途 上社 会 論
一 ラ トガ ー ス 大 学 で の 研 究 を終 え て 一
中西 治
ADevelopingSociety
AStudyoftheUSAbyaVisitingFellowatRutgersUniversity
NAKANISHIOsamu
1.は じ め に
私 は2002年4月1日 か ら2003年3月29日 まで1年 間,創 価 大 学 か ら派 遣 さ れ て ア メ リ カ合 衆 国(以 下,ア メ リ カ と略 称)ニ ュ ー ジ ャ ー ジー 州 立 ラ トガ ー ス 大 学 地 球 的 変 化 統 御 セ ン ター で 訪 問研 究 員 と して研 究 す る機 会 を与 え ら れ た。 私 の ア メ リ カ訪 問 は1973年 に 同 国 国務 省 の招 待 で 初 め て50日 間 同 国 に 滞 在 して 以 来10回 目で あ る。(1)
私 は小 学 校(当 時 は 国民 学 校 と称 して い た が)時 代 か ら人 間 の 歴 史 に興 味 を抱 き,学 ん で きた 。1945年8月15日 の 第 二 次 大 戦 終 結 後 は これ か らの世 界 は どの よ う に な る の か に 関 心 を持 ち,1952年 に大 学 で 国 際 関係 を研 究 し始 め た 時 に 地 域 研 究 の対 象 と して私 ば躊 躇 な くソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 同 盟(以 下,ソ ヴ ェ トと略 称)を 選 ん だ 。 中華 人 民 共 和 国 は 生 まれ た ば か りで あ り, 社 会 主 義 ・共 産 主 義 と言 え ば ソ ヴ ェ トの 時代 で あ っ た。 私 が 共 産 主 義 や ソ ヴ ェ トに関 心 を持 っ た の は あ の戦 争 中 に世 界 各 国 に お い て もっ と も勇 敢 に命 を 賭 して 戦 争 に反 対 し た の が 共 産 主 義 者 で あ っ た か らで あ る。
私 は ソ ヴ ェ トの経 済 と政 治 と社 会,ソ ヴ ェ トを 中心 とす る 国際 関係,と く に ソ ヴ ェ トとア メ リ カ の 関 係 を研 究 す る と と もに 両 社 会 の 比 較 研 究 を始 め た。
そ の後,大 学 に お い て 国 際 関係 論 と と もに 国 際 社 会 論 を担 当 す る よ うに な り,
さ ら に研 究 領 域 を広 げ,中 国 と 日本 を加 え て 四 つ の 社 会 を比 較 す る よ う に な
っ た 。 ソ ヴ ェ トは社 会 主 義 の先 進 国,中 国 は そ の 後 発 国,ア メ リ カ は資 本 主
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義 の 先 進 国,日 本 はそ の後 発 国 。 これ らの社 会 を比 較研 究 す る こ とに よっ て 地 球 社 会 の将 来 を予 測 で きる の で は な い か と考 え た か らで あ る。
私 は す で に ソ ヴ ェ トの 内 政 と外 交 の 諸 問題 ソ ヴ ェ トと中 国 との 関係,ロ シ ア と ア メ リ カ との 関 係,ロ シ ア社 会 とア メ リカ社 会 との 比 較 につ い て は一 連 の研 究 結 果 を発 表 して い る。(2)
現 在 私 が 取 り組 ん で い るの は21世 紀 にふ さ わ しい 地 球 社 会 論 の 確 立 で あ る。
本 稿 は そ の 一 環 と して 現 代 に お い て 唯 一 の超 大 国 と言 わ れ る ア メ リカ を取 り 上 げ,ア メ リ カ は い か な る社 会 で あ る の か を検 討 した い 。 最 初 に ラ トガ ー ス 大 学 と 日本 と の 関係 を紹 介 し,つ い で ア メ リカ の歴 史 を振 り返 りな が ら奴 隷 制 の 問題 ス テ ー トと同盟 との 関係,人 種 ・宗 教 ・貧 富 の 問 題 政 治 と外 交 の 問 題 な ど を考 察 し,ア メ リカ は まだ 未 成 熟 な発 展 途 上 の社 会 で あ る こ と を 明 らか に した い 。
2.ラ トガ ー ス 大 学 と 日本
私 は今 回,当 初 ニ ュ ー ヨー ク市 に あ る コ ロ ン ビ ア大 学 ハ リマ ン研 究 所 で研 究 す る予 定 で あ っ た 。 と こ ろ が,1996年9月 に 同研 究 所 で研 究 した と きに お 世 話 に な っ た モ ー テ ィ ル教 授 が ニ ュ ー ア ー ク市 に あ る ラ トガ ー ス 大 学 に新 設 され た 地 球 的 変 化 統 御 セ ン ター に移 られ た の で 私 もこ の セ ン ター で研 究 す る こ と に な っ た 。 セ ン ター とい うの で 研 究 セ ン ター で あ る の か と思 っ て い た が, 実 際 は 地 球 問 題 に つ い て の 修 士 と博 士 の 学 位 を授 与 す る独 立 した 大 学 院 で あ
った 。
私 は こ の と き まで ラ トガー ス 大 学 の こ と を よ く知 らな か っ た 。 お 世 話 に な る こ とが 決 ま っ て調 べ て み て,こ の 大 学 が 日本 と大 変 ゆ か りの あ る大 学 で あ る こ と を知 っ た 。
ラ トガ ー ス 大 学 は ア メ リカが ま だ ヨー ロ ッパ の植 民 地 で あ っ た1766年11月
10日 に時 の グ レー トブ リ テ ン と フ ラ ンス お よ び ア イ ル ラ ン ドの 国 王 ジ ョー ジ
三 世 の特 許 状 に よっ て ク イ ンズ ・カ レ ッジ と して発 足 した 。 実 際 に ニ ュ ー ブ
ラ ンズ ウ ィ ッ ク に 開学 した の は1771年11月 の こ とで あ り,ア メ リ カ で8番 目
に古 い歴 史 を持 つ 大 学 で あ る。 同 大 学 を創 っ た の は ニ ュ ー ヨー ク に本 部 の あ
る オ ラ ン ダ改 革 派 教 会 で あ っ た 。
アメ リカ発 展 途上社 会論
3そ の 後1825年 に独 立 戦 争 時 に大 尉 と して活 躍 した ニ ュ ー ヨー ク の富 豪 ヘ ン リー ・ラ トガ ー ス が 大 学 の 評 議 員 と して 多 額 の 寄 付 を して 学 校 の 発 展 に尽 く した 功 績 を た た え て校 名 は ク イ ンズ ・カ レ ッ ジ か らラ トガ ー ス ・カ レ ッジ と 改 名 され た 。1864年 に は カ レ ッ ジ は ニ ュ ー ジ ャ.̲̲̲ジー 州 か ら土 地 を提 供 され
る学 校 と して 認 定 され,1924年 に は カ 『 レ ッジ は ユ ニ バ.̲̲̲シテ ィー一とな り,ラ トガー ス 大 学 とな っ た 。 さ らに1945年 と1956年 の法 的 措 置 に よ っ て大 学 は正 式 に ニ ュ ー ジ ャー ジ ー 州 立 大 学 とな っ た 。
ラ トガ ー ス ・カ レ ッ ジ と 日本 との 関 係 が 生 まれ た の は19世 紀 後 半 の幕 末 の こ とで あ る。 オ ラ ン ダ改 革 派 教 会 は オ ラ ンダ生 ま れ で ニ ュ ー ヨー ク の オ ーバ ン神 学校 を卒 業 した教 育 者 で 宣 教 師 の フル ベ ッキ を1859(安 政6)年 に 開 国 に 向 か う 日本 に派 遣 した 。 フ ルベ ッキ は 長 崎 で 英 語 を教 え 始 め た 。 そ の な か に熊 本 藩 の 開 明 的 政 治 家 横 井 小 楠 の 二 人 の 甥,横 井 左 平 太 と横 井 大 平 が い た 。 彼 らは ア メ リカ留 学 を希 望 し,鎖 国 の 禁 を犯 して伊 勢 佐 太 郎,沼 川 三 郎 の偽 名 で1866(慶 応2)年 に 日本 を 出 国 した 。 幕 府 は そ の 直 後,1866年5月21月
(陰 暦4月7日)に 海外 渡 航 を解 禁 した 。
二 人 は 同 年 秋 に ニ ュ ー ヨ.̲̲̲クに着 き,フ ル ベ ッキ の 紹 介 状 を持 っ て改 革 派 伝 道 局 を訪 ね た。 二 人 は ニ ュー ブ ラ ンズ ウ ィ ック の ラ トガ ー ス ・カ レ ッジ の 予 備 校 で あ る グ ラマ ー ・ス クー ル で 学 ぶ こ とに な っ た 。 日本 か らの ニ ュー ブ ラ ンズ ウ ィ ックへ の最 初 の留 学 生 で あ る 。 しか し,彼 らは病 気 や そ の他 の 理 由 で 明 治 初 年 に は帰 国 し,そ の 後 ま もな く亡 くな っ て い る。
ラ トガ ー ス ・カ レ ッ ジへ の 最 初 の留 学 生 は 同 じ く長 崎 で フ ルベ ッキ か ら英 語 を学 ん だ福 井 藩 出 身 の 日下 部 太 郎 で あ った 。 彼 は正 式 の海 外 旅 行 免 状 を持 っ て1867(慶 応3)年2月 に ア メ リカ に 向 か い,ラ トガ ー ス ・カ レ ッ ジ に正 式 に 入 学 し,優 秀 な成 績 で 卒 業 す る こ と に な っ た が,不 幸 に して 卒 業 直 前 の 1870(明 治3)年4月13日 に結 核 で 亡 くな っ た 。26歳 で あ っ た。 若 く して ア メ リカ の 地 で 亡 くな っ た 日下 部 を含 む7人 の留 学 生 と幼 い女 児 一 人 の 墓 は今 もニ ュ ー ブ ラ ンズ ウ ィ ッ ク に 立 っ て い る。
日下 部 との縁 で現 在 で は ラ トガ ー ス 大 学 と福 井 大 学 との 間 で 学 術 交 流 が 進
ん で お り,日 本 とア メ リカ の 両 国研 究 者 に よ る シ ンポ ジ ュ ー ム な どが 実 施 さ
れ て い る。(3)
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3.先 住 民 の 共 同 体 か らヨ ー ロ ッパ の 植 民 地 を経 て独 立 国 家 へ
南 北 ア メ リ カ大 陸 に は遠 い 昔 か ら人 間 が 住 ん で い た 。 最 初 の 人 間 は お よそ 3万 年 前,当 時 地 続 きで あ っ た ベ ー リ ング海 峡 を こ え て ア ジ ア か らや って 来 た とい わ れ て い る。 彼 ら は長 い 年 月 をか け て北 ア メ リ カ か ら中 央 ア メ リ カ, 南 ア メ リカへ と広 が っ て い き,中 南 米 で は ア ス テ カ帝 国 や イ ン カ帝 国 な どの 国家 を つ くっ た が,北 ア メ リカ で は人 々 は部 族 ご と に分 か れ て住 み,国 家 を つ く らず 共 同体 の な か で 生 活 して い た とい わ れ て い る。
1492年 に コ ロ ンブ ス が ア メ リ カ に到 達 した と き に北 ア メ リ カ に何 人 の 人 が 住 ん で い た か につ い て は さ ま ざ ま な説 が あ り,90万 人 か ら1800万 人 と大 きな
開 きが あ る。(4)
そ こヘ ポ ル トガ ル,ス 尽 イ ン,フ ラ ンス,オ ラ ン ダ,ス ウ ェー デ ン,イ ギ リス,ロ シ ア な どの ヨー ロ ッパ 大 陸 の 人 々が 移 り住 ん だ 。
イ ギ リス に よ る本 格 的 な植 民 は17世 紀 初 め に始 ま っ た。1607年 に最 初 の 植 民 地 が つ くられ,未 婚 の女 王 エ リザ ベ ス に捧 げ てバ ー ジ ニ ァ と名 付 け られ た 。
1620年 に ピュ ー リ タ ンの 一 団 が 信 教 の 自由 を求 め て メ イ フ ラ ワー 号 で 到 達 し, プ リマ ス植 民 地 をつ くっ た 。 マ ンハ ッ タ ン島 は1626年 に オ ラ ン ダ人 が わ ず か な贈 り物 で 先 住 民 か ら入 手 し,ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム と名付 け た 。 この 地 域 一 帯 は オ ラ ン ダの 植 民 地 で あ り ,ニ ュ ー ネ ー ダ ー ラ ン ドと呼 ば れ て い た が, 1664年 に イ ギ リスが オ ラ ン ダか らこ の 地 域 一 帯 を奪 っ た あ とニ ュ ー アム ス テ ル ダム は ニ ュ ー ヨー ク と改 称 され,ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー や デ ラ ウ ェ ア な どは イ ギ リス の植 民 地 と な っ た。
ペ ン シ ル ベ ニ ア は クエ ー カ ー の ウ ィ リア ム ・ペ ンが1681年 に 国 王 チ ャー ル ズ2世 か ら譲 り受 け,開 拓 した とこ ろ で あ っ た 。1682年10月 にペ ン は大 西 洋 を こえ て ア メ リカ の 地 に 立 ち,そ の地 を ギ リ シ ャ語 で 友 愛 を意 味 す る フ ィ ラ デ ル フ ィア と名 付 け た。 最 初 の 入 植 者 た ち はデ ラ ウ ェ ア 川 の土 手 に 開い た 洞 穴 で 暮 ら して い た。 ペ ンが 二 度 目に訪 れ た の は1699年 で あ っ た 。 フ ィ ラ デ ル フ ィア は 人 口1万 人 の 豊 か な港 町 に な り,人 々 の多 くは 川 の近 くの レ ンガ造
りの 家 に住 ん で い た 。
1733年 に は ジ ョー ジ ア に植 民 地 が 建 設 さ れ,植 民 地 の 数 は13に な った 。 イ
アメ リカ発 展 途上社会 論
5ギ リ ス の 勢 力 が 増 大 す る な か で フ ラ ン ス と の 対 立 が 激 し く な っ た 。 つ い に 1755年 に 植 民 地 の 境 界 を め ぐ っ て イ ギ リス と フ ラ ン ス の 問 で 戦 闘 が 始 ま り, 翌1756年 に は イ ギ リ ス が フ ラ ン ス に 宣 戦 を 布 告 し,ヨ ー ロ ッパ の 国 々 も巻 き 込 ん だ7年 戦 争 と な っ た 。 こ の 戦 争 の 結 果,フ ラ ン ス は カ ナ ダ と北 ア メ リ カ
の 多 くの 植 民 地 を 失 い,代 わ っ て イ ギ リ ス が こ れ を 領 有 し た 。
多 額 の 戦 費 に よ る 財 源 難 に 苦 し ん だ イ ギ リ ス 本 国 は 植 民 地 ア メ リ カ に 税 金 を 課 す る こ と に し た 。1764年 に 砂 糖 税 法,1765年 に 印 紙 税 法 が 施 行 さ れ た 。 植 民 地 の 住 民 は こ れ に 反 対 し,1774年 に は ジ ョ ー ジ ア を の ぞ く12の 植 民 地 の 代 表 が フ ィ ラ デ ル フ ィ ア に 集 ま り,第1回 大 陸 会 議 を 開 い た 。 イ ギ リス 本 国 と ア メ リ カ 植 民 地 の 対 立 は 激 化 し,1775年 に は つ い に 武 力 闘 争 に 発 展 し, 1776年7月4日 の 第2回 大 陸 会 議iは独 立 を 宣 言 す る に 至 っ た 。 宣 言 は 「ア メ リ カ の13の 連 合 し た ス テ ー ト(thethirteenunitedStatesofAmerica)」 の 名 で 発 表 さ れ た 。 ユ ナ イ テ ド ・ス テ ー ツ の 初 登 場 で あ る 。1783年 に イ ギ リ ス
は ア メ リ カ の 独 立 を 承 認 し た 。(5)
4.今 も続 く人 種 分 離 主 義 者 と奴 隷 制 廃 止 論 者 の 抗 争
ア メ リ カ の ジ ャ ー ナ リス ト,マ イ ケ ル ・リ ン ドは1995年 に 出版 した 著 書
『次 の ア メ リ カ 国 家 二新 しい ナ シ ョナ リズ ム と第4の ア メ リカ 革 命 』 で ア メ リ カ社 会 は三 つ の革 命 ま た は戦 争 に よ っ て 三 つ の 国 家 を経験 し,今 や 四つ 目 の 革 命 に 直 面 して い る と主 張 して い る。
第1の 革 命 は独 立 革 命 で あ り,国 家 は1789年 か ら1861年 まで の ア ング ロ ・ ア メ リ カ共 和 国 で あ る。 人種 的 に は ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン とア ン グ ロ ・ゲ ル マ ニ ック か ら成 る コ ミュ ニ テ ィで あ り,市 民 宗 教 は プ ロ テ ス タ ン ト ・キ リス ト 教 で あ っ た 。 ユ ダ ヤ 人 や 黒 人 は言 うに 及 ばず ア イ ル ラ ン ド系 ア メ リ カ人 の カ
トリ ック ・キ リス ト教 徒 も真 の ア メ リカ 人 か 否 か が 問 わ れ た 時 代 で あ っ た 。
第2の 戦 争 は 南 北 戦 争 で あ り,国 家 は1875年 か ら1957年 まで の ユ ー ロ ・ア
メ リカ共 和 国 で あ る 。1861年 か ら1865年 ま で の 南 北 戦 争 と そ の 後 の復 興 期 を
経 て19世 紀 後 半 か ら20世 紀 初 め に か け て ヨー ロ ッパ か ら多 数 の移 民 が ア メ リ
カ に来 た 。 ア メ リ カ は ヨー ロ ッパ 系 中 心 の社 会 と な っ た 。 も はや プ ロ テ ス タ
ン トとか カ トリ ッ ク とか は問 題 に な らず,ユ ダ ヤ教 をふ くむユ ダ ヤ ・キ リス
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ト教,キ リス ト教 全 般 が 受 け入 れ られ る よ う に な っ た。
第3の 革 命 は1950年 代 か ら1970年 代 に か け て の 公 民 権 革 命 で あ り,国 家 は 1972年 以 降 の 多 文化 ア メ リ カ共 和 国 で あ る 。 ア メ リカ はす で に凝 集 した一 つ の ナ シ ョナ ル ・コ ミュ ニ テ ィで は な く,白 人,黒 人,ヒ ス パ ニ ッ ク,ア ジ ア 太 平 洋 諸 島民,ネ イ テ ィ ブ ・ア メ リ カ ン とい う人種 に よ っ て規 定 され る五 つ の ナ シ ョナ ル ・コ ミュ ニ テ ィか ら成 る社 会 で あ る。 宗 教 に代 わ っ て 世 俗 の 哲 学 が そ の 地 位 を 占 め て い る。
リ ン ドは さ らに 第4の 国 家 と して トラ ンス ・ア メ リ カ共 和 国 を想 定 し,皮 膚 の色 が 無 視 され,ジ ェ ン ダー につ い て 中 立 的 な 個 人 の 権 利 が 擁 護 さ れ る体 制 を考 え て い る。(6)
以 上 の リ ン ドの説 に加 え て私 は これ らの 国 家 は 奴 隷 制 と人種 差 別,男 女 差 別 の観 点 か ら次 の よ うに特 徴 付 け られ る と考 え て い る。
第1の 共 和 国 で は奴 隷 制 と人 種 差 別,男 女 差 別 が 公 然 と存 在 した 。1776年 の独 立 宣 言 で 唱 わ れ た 「す べ て の 人 は平 等 につ く られ る」 とい うす べ て の 人 は 白 人 の 男 性 だ け で あ り,そ の な か に は黒 人 は もち ろ ん の こ と白 人 の女 性 も 入 っ て い な か っ た 。1787年 に制 定 され た 憲 法 で は 奴T'制 の こ とは 一 言 も触 れ られ て い な い が,憲 法 制 定 の段 階 で奴 隷 制 を廃 止 して い た の は5の ス テ ー ト だ け で あ り,残 りの8の ス テ ー トで は奴 隷 制 が 存 在 した 。 人 口 の も っ と も多 か っ た バ ー ジ ニ ア で は総 人 口69万1737人 の お よそ40%を 占 め る30万 人 ほ どが 黒 人 奴 隷 で あ っ た。 初 代 大 統 領 ワ シ ン トン は この 地 の 人 で あ り,彼 自 身 も奴 隷 を持 っ て い た。 第14代 大 統 領 ま で の14人 の 大 統 領 の う ち9人 が 奴i隷所 有 者
で あ っ た 。 ⑦
人 ロ は1790年8月2日 現 在392万92ユ4人 で あ っ た が,1860年6月1日 に は 3144万3321人 に増 え て い た 。(8)
第2の 共 和 国 で は合 衆 国 憲 法 に よ り奴 隷 制 が 禁 止 され,黒 人 に も選 挙 権 が 与 え られ た が,実 質 的 に は人 種 差 別 は存 続 し,投 票 権 は制 限 さ れ た 。 ア メ リ カ合 衆 国 議 会 は1865年2月 に奴 隷 制 の存 在 を認 め な い憲 法 修 正 第13条 を可 決
し,1866年6月 に合 衆 国 で 生 まれ た者,合 衆 国 に 帰化 した 者,合 衆 国の 管 轄
権 に服 くす る者 をす べ て合 衆 国 と居 住 す る 当 該 ス テ ー トの 市 民 と認 め る憲 法
修 正 第14条 を可 決 した 。 この 修 正 第14条 は1868年7月9日 に発 効 した 。 さ ら
ア メ リカ発 展 途 上 社 会 論「 7
に1870年2月3日 に 人種,皮 膚 の色,か つ て の 奴 隷 の 身 分 を理 由 と して投 票
ノ
権 を拒 否 また は制 約 す る こ と を禁 止 す る憲 法 修 正 第15条 が 発 効 した 。
法 律 が 出 来 た か ら とい っ て,そ れ が た だ ち に 実 行 さ れ た わ け で は な い 。 1866年 に テ ネ シー で 白 人 の 暴 力 組 織 ク ー ・ク ラ ッ ク ス ・ク ラ ン(KKK)が
組 織 され,黒 人 に残 酷 な暴 力 を振 る い 始 め た 。 この よ うな暴 力 は1870年 代 な か ば まで 続 い た 。1880年 代 か ら1890年 代 にか け て 南 部 で は 人 頭税 の 納 付 を義 務 付 け た り,読 み 書 き能 力 を試 す な ど して 黒 人 か ら実 質 的 に 選 挙 権 を剥 奪 し
て い った 。 また,鉄 道 の客 車 や ホ テ ル,レ ス トラ ン,学 校 な どの施 設 を利 用 す る さい に 白人 と黒 人 を同 席 させ な い で分 離 す る こ とが ス テ ー トの 法 律 で 決 め られ て い っ た 。1896年 に は合 衆 国最 高 裁 判 所 も 「分 離 す れ ど も平 等 」 に扱 え ば憲 法 に反 しな い とい う判 決 を下 して人 種 分 離 制 度 を合 憲 と認 め た 。 この
「分 離 す れ ど も平 等 」 の 原 理 が 公 立 学 校 に は適 用 され な い との合 衆 国最 高 裁 判 所 の判 決 が 出 た の は1954年 の こ とで あ っ た 。 この 判 決 は古 い秩 序 と新・ た な 秩 序 に画 然 と一 線 を引 き,激 動 の 時 代 を生 み 出す 原 動 力 とな っ た。 一 つ の 時 代 が 終 わ り,ま っ た く別 の 時代 が 始 ま った 。 ⑨
1848年 か ら進 め られ て き た女 性 の参 政 権 獲 得 運 動 は19世 紀 末 か ら20世 紀 初 め にか け て成 果 が あ が り始 め た。1890年 に ワ イ オ ミ ング で 初 め て女 性 の参 政 権 が 認 め られ た あ と1918年 ま で に13の ス テ ー トで女 性 が 参 政 権 を行 使 す る よ う に な っ た 。 さ らに1920年8月18日 に は憲 法 修 正 第19条 が 発 効 し,合 衆 国全 体 で 女 性 の 参 政 権 が 認 め られ る よ うに な っ た 。1916年 に はモ ン タ ナ か ら初 の 合 衆 国下 院 議 員 が 誕 生 した。
人 口 は 南 部 もふ くめ て1870年6月1日 の3981万8449人 か ら1960年4月1日 の1億7932万3175人 に増 え て い た。
第3の 共和 国 で は投 票 権 の 制 限 や 人 種 差 別 が 禁 じ られ,差 別 是 正 措 置(ア
フ ァー マ テ ィブ ・ア ク シ ョン)が 講 じ られ る よ うに な っ た 。1964年1月23日
に 人頭 税 や そ の他 の税 金 の未 納 を理 由 と して投 票 権 を拒 否 ま た は制 限 す る こ
と を禁 じる憲 法 修 正 第24条 が発 効 した。1964年7月 に各 種 公 衆 用 施 設 で の 人
種 差 別 を 禁 止 す る市 民 権 法 が 成 立 し,1965年 に合 衆 国 政 府 の 介 入 に よ って 投
票 権 を保 証 す る投 票 権 法 が 成 立 した 。 この 法 律 に よ っ て黒 人 の選 挙 登 録 が 激
増 した 。 選 挙 登 録 を して い た の は1963年 に は南 部 黒 人 の4分 の1で あ った の
S
が,1969年 に は3分 の2に 増 え た 。
黒 人 の 地 位 向 上 と と も にKKKの 活 動 が ふ た た び活 発 に な っ た 。 黒 人 の暴 動 も頻 発 す る よ う に な っ た 。1965年2月 に はKKKの 暴 力 に対 して 正 当 防衛 を主 張 して い た マ ル コ ムXが ニ ュ ー ヨー クの ハ ー レム で 暗 殺 され,同 年8月 に は ロ サ ンゼ ル ス の ワ ッツ で 黒 人 の 大 暴 動 が 発 生 した 。1966年 に は シ カ ゴ, ロサ ンゼ ル ス,ロ チ ェ ス ター で ・暴 動 が 起 こ り,1967年 に は ニ ュ ー アー ク,デ
トロ イ トで1965年 の ワ ッツ暴 動 を上 回 る大 暴 動 が起 きた 。1968年4月 に は 非 暴 力 で 人 種 差 別 に反 対 して きた キ ング牧 師 が テ ネ シ ー の メ ン フ ィス で 暗 殺 さ
れ た 。
1983年 に キ ン グ牧 師 の 誕 生 日(1月15日)を 合 衆 国 の 祝 日 とす る法 律 が採 択 され,1986年 か ら1月 の第3月 曜 日が キ ング 牧 師 を偲 ぶ 日 と され て い るが, 人 種 差 別 問 題 は今 日 も依 然 と して ア メ リ カ社 会 の 重 大 な係 争 問 題 で あ る 。 白 人 の な か に は大 学 の入 学 試 験 や 就 職 な どで 少 数 人種 や 女 性 を優 遇 す る措 置 は 逆 差 別 で あ る との 声 が あ り,訴 訟 が 相 次 ぎ,1990年 代 後 半 に は カ リ フ ォル ニ ア や ワ シ ン トン な どの ス テ ー トで 住 民投 票 に よ って 廃 止 され て い る。
バ ー ジ ニ ア の 貧 しい12人 の 兄 弟 姉 妹 の家 族 の なか で 育 ち,差 別 是 正 措 置 の お か げ で 高 等 教 育 を受 け,バ ン ダー ビル ト大 学 教 授 とな っ た キ ャ ロ ル ・ス ウ
ェイ ンは2002年 に 出版 した著 書 「ア メ リ カ の新 しい 白人 ナ シ ョナ リズ ム:統 合 に対 す るそ の挑 戦 』 で 過 去10年 間 に新 しい 白人 ナ シ ョナ リス ト運 動 が力 を つ け て きて お り,脆 い 人 種 関 係 をす で に破 壊 す る力 を持 ちつ つ あ る と指 摘 し て い る。(lo)
ブ ッ シ ュ大 統 領 も2003年1月20日 の キ ン グ牧 師 を偲 ぶ 会 に 出席 し,ア メ リ カの な か に は キ ング牧 師 の平 等 の夢 か ら人 々 を尻 込 み させ る偏 見 が あ る こ と を認 め て い る 。 しか し,ブ ッシ ュ大 統 領 自 身が こ れ に先 立 つ1月15日 に ミ シ ガ ン大 学 で 実 施 さ れ て い る入 学 選 考 の さい に十 分 な 数 の 人 が 入 っ て い な い 少 i数派,す な わ ち黒 人 な どに は総 点150点 の 評 価 に20点 を加 算 す る とか,特 別 な入 学 枠 を設 け る とか の制 度 は不 公 正 で あ り,憲 法 違 反 で あ る との 意 見 書 を 合 衆 国最 高 裁 判 所 に提 出 す る と言 明 して い た の で あ る。
この ミ シ ガ ン大 学 問 題 につ い て合 衆 国最 高 裁 判所 は2003年6月23日 に5対
4で 憲 法 は一 定 の 範 囲 で 人 種 を入 学 者 選 抜 の 判 断材 料 にす る こ と を禁 じて い
アメ リカ発展 途上社 会論
9な い と し,法 科 大 学 院(ロ ー ス クー ル)で 優 遇 措 置 を と る こ と を合 憲 と認 め た 。 しか し,6対3で 学 部 にお い て少 数 派 の た め に一 定 の割 り合 い で 入 学 枠 を設 け た り,自 動 的 に評 点 を加 算 す る措 置 は違 憲 で あ る との判 決 を下 した。(11)
この判 決 は差 別 是 正 に対 す る ア メ リ カ社 会 の考 えが 拮 抗 して い る こ と を示 して い る。 ア メ リ カで は 人種 分 離 主 義 者 と奴 隷 制 廃 止 論 者 の抗 争 は今 も続 い て い る。
人 口 は1970年4月1日 の2億330万2031人 か ら2000年4 .月1日 の2億8142 万2426人 に増 えて い る 。
5.法 的 に は複 数 の 一 邦 国 家 の 同 盟,政 治 的 に は 一 つ の 多 邦 国 家
ア メ リ カ合 衆 国 が 複 数 の ス テ ー トの 同 盟 で あ る の かtそ れ と も,複 数 の ス テ ー トか ら成 る0つ の 国 家 で あ る の か は ア メ リカ合 衆 国が 建 国 され て 以 来 論 議 され て い る大 問 題 で あ る 。 私 の用 語 で は,各 ス テ ー トが 一 つ の 国 家 で あ る 一 邦 国 家(natiOn ‑State)の 同 盟 で あ る の か,そ れ と も,複 数 の ス テ ー トか
ら成 る一 つ の 国家 で あ る多 邦 国 家(nation‑states)で あ るの か で あ る 。
1776年 に13の コ ロ ニ ー(植 民 地)の 代 表 者 が 集 まっ て 独 立 を宣 言 した と き, そ れ ぞ れ の コ ロニ ー は ス テ ー ト(邦)と な っ た 。 そ れ ぞ れ の ス テ̀.ト は 憲 法 を制 定 し,独 立 国家 を確 立 した 。 こ う して独 立 した ス テ ー トは1777年7月12
日に大 陸会 議 で 連 合 と永 続 的 同 盟 の規 約 につ い て 審 議 を始 め,同 年11月15日 に これ を承 認 した 。 この 規 約 で は13の 各 ス テ ー トは そ れ ぞ れ が 独 立 と主 権 を 保 持 し,領 土 内 を統 治 す る絶 対 権 を維 持 して い た 。 この 規 約 を13の す べ て の
ス テ ー トが 批 准 した の は1781年3月1日 で あ っ た 。
よ りい っ そ う完 全 な 同盟 を望 む ス テ ー トの代 表 者 た ち が1787年5月25日 に フ ィ ラデ ル フ ィア で 憲 法 制 定 会 議 を開 き,同 年9月17日 に制 定 した の が ア メ リ カ合 衆 国憲 法 で あ る。 こ の会 議 の た め に各 ス テ ー トで 選 出 され た代 議 員 の 総 数 は74人,出 席 した代 議 員 は55人,最 終 草 案 に 署 名 した の は39人 で あ っ た 。 ユ3のス テ ー トが す べ て批 准 を終 え た の は1790年5月29日,ジ ョー ジ ・ワ シ ン
トンが 初 代 大 統 領 に就 任 して1年 後 で あ っ た 。 ア メ リ カ合 衆 国 は見 切 り発 車 した 。 合 衆 国 憲 法 へ の 反 対 が 強 く,批 准 が 難 航 した か らで あ る。(12)
こ の 憲 法 は 欠 陥憲 法 で あ る。 同 盟 へ の 加 盟 の 規 定 は あ るが,脱 退 の 規 定 は
10
な い 。 この た め に1860年 か ら1861年 に か け て奴 隷 制 の廃 止 に反 対 す る11の 南 部 の ス テ ー トが ア メ リ カ合 衆 国 か ら離 脱 して ア メ リ カ連 盟 国(南 部 連 盟)を 作 る とい う事 態 が 起 こ り,こ れ を契機 と して 内戦 が 起 こ っ た 。
ア メ リ カ合 衆 国 は主 権 国家 で あ る各 ス テ ー トが 合 意 して作 っ た もの で あ る か ら,合 衆 国が 不 当 な 権 力 を行 使 す る時 に は そ れ に抵 抗 し,合 衆 国 か ら離 脱 す る権 利 が あ る とい う南 部 の 主 張 は法 的 に は正 しい。 だ か ら,リ ン カー ン も
1861年3月4日 の 大 統 領 就 任 演 説 で い か な る ス テ ー トも勝 手 に合 衆 国 か ら離 脱 で きな い と主 張 した が,具 体 的 に は何 の 措 置 も採 れ な か っ た。 離 脱 を 阻止 す る法 的根 拠 は ない 。
リ ン カー ンが 南 部 攻 撃 の 口実 と した の は南 部 連 盟 に参 加 して い た南 カ ロ ラ イ ナ に あ る合 衆 国 の砦 が 攻 撃 され 陥 落 させ られ た こ とで あ る。 リ ン カー ンは これ を反 乱 と宣 言 し,反 乱 者 を鎮 圧 す る こ と を戦 争 開 始 の 大 義 名 分 と した 。 この 戦 争 は反 乱 者 との 戦 争 で あ って 合 衆 国 か ら離 脱 した ス テ ー トとの戦 争 で は ない とされ た 。
内 戦 中 に ア メ リ カ合 衆 国 の 北 部 は一 邦 国家 の 同盟 か ら一 つ の多 邦 国家 に成 り始 め た 。1861年8月 に こ れ ま で徴 税 権 は ス テ ー トに あ る と さ れ て きた が, 合 衆 国 が 戦 費 を調 達 す る た め に 課税 権 を獲 得 した 。1862年2月 に は これ まで 通 貨 の発 行 権 は ス テ ー トに あ っ た が,合 衆 国 政 府 が統 一 通 貨 を発 行 で きる よ
う に な っ た。(13)
リ ン カ ー ン は1861年3月 の 大 統 領 就 任 演 説 にお い てす で に 「わが 国家 は ア メ リ カ合 衆 国 人 民 を主 権 者 と し,連 邦 政 府 は 『人 民 』 を代 表 す る」 と述 べ て い たが,1863年11月19日 にゲ テ ィス バ ー グ で 行 わ れ た戦 没 者 を悼 む式 典 で そ れ を 「人 民 に よる,人 民 の た め の,人 民 の 政 治 」 と定 式 化 した 時,そ こ に は これ まで ス テ ー トの 同盟 と して ス テ ー トに依 拠 して 行 わ れ て きた合 衆 国 の統 治 を今 後 は直 接 人民 に依 拠 して行 う との 強 い 決 意 が込 め られ て い た 。(14)
1866年7月 に テ ネ シ ー が 合 衆 国 に復 帰 した の に 続 い て1870年 代 な か ば まで
に11の ス テ ー トが す べ て合 衆 国 に戻 っ た 。 ア メ リ カ合 衆 国 に一 度 加 盟 した ス
テ ー トは合 衆 国 か ら離 脱 で きな い との不 文 律 が で き た。 しか し,人 種 分 離 制
度 に見 られ る よ う に,ア メ リカ合 衆 国 の 南 部 は 国 家 の な か の 国 家 で あ っ た 。
19世 紀 後 半 か ら20世 紀 全 体 を通 じて の 鉄 道,自 動 車,航 空 機 な どの 運 輸 交
ア メ リカ発展 途上社 会論11
通 手 段 の発 達 と第 一 次 大 戦 へ の参 戦,経 済 大 恐 慌 へ の対 策,第 二 次 大 戦 の 勃 発,公 民 権 革 命 な どに よ りア メ リ カ合 衆 国 の0体 化 が進 ん だ 。
この 問 に 共 和 党 と民 主 党 の 政 治 的 立 場 は 入 れ代 わ っ た。19世 紀 に お い て リ ン カ..̲̲.ン の 共 和 党 は奴 隷 解 放 の 党 で あ り,北 部 を基 盤 と して い た 。 奴 隷 制 廃 止 を ア メ リ カ全 体 に広 げ る た め に は ア メ リ カ合 衆 国 の 一 体 化 と合 衆 国 の権 力 の 拡 大 が 必 要 で あ っ た 。 ア メ リカ大 陸 横 断 鉄 道 の 建 設 は これ を促 進 した 。 他 方,民 主 党 は奴 隷 制 維 持 の 党 で あ り,南 部 を基 盤 と して い た 。 現 に奴 隷 制 を 維 持 して い るス テ ー トの権 利 を確 保 す る こ とに努 め,合 衆 国権 力 の 強 化 に反 対 した 。
20世 紀 に お い て民 主 党 は戦 争 遂 行 とニ ュ ー デ ィー ル 政 策,公 民 権 確 立 を進 め る な か で ア メ リ カ合 衆 国 の0体 化 と合 衆 国権 力 の拡 大 を図 る よ う に な っ た 。 他 方,共 和 党 はス テ ー トの権 利 確 保 と小 さ な政 府 を め ざす よ う に な っ た 。
21世 紀 に入 り共 和 党 は9.11事 件 を契 機 とす る ア フ ガ ン戦 争 と イ ラ ク戦 争 の 遂 行,本 土 安 全 保 障省 の 設 置 な ど を進 め る なか で ア メ リカ合 衆 国 の0体 化 と 合 衆 国権 力 の拡 大 を図 っ て い る。
ア メ リ カ合 衆 国 は法 的 に は依 然 と して ス テ ー トの 同盟 で あ る。 そ れ を明 ら か に した の が2000年 の大 統 領 選 挙 の結 果 で あ る。 こ の と きブ ッシ ュ は得 票 数, 得 票 率 と もに ゴ ア よ りも少 な か っ た が,各 ス テ....̲.ト ご と に選 ばれ る大 統 領 選 挙 人 の 数 で ブ ッシ ュが ゴ ア を上 回 っ た の で 当 選 とな っ た 。 この よ う な事 態 は これ まで 今 回 を含 め て4回 あ った 。 最 初 は1824年 の 第16代 大 統 領 を決 め る時,
2回 目は1876年 の 第19代 大 統 領 を決 め る 時,3回 目は1888年 の 第23代 大 統 領 を決 め る時,4回 目 は今 回 の2000年 の 第43代 大 統 領 を決 め る 時 で あ る。 しか し,い ず れ の 時 も選 挙 制 度 の 見 直 しに は至 らな か っ た。 そ れ は建 国 以 来 の 憲 法体 制 の根 幹 を見 直 す こ と に な る か らで あ る。
他 方,政 治 的 に は南 北 戦 争 以 後 ア メ リカ合 衆 国 は 一 つ の 国 で あ っ て 各 ス テ ー トは合衆 国 か ら離 脱 で き な い とい う暗 黙 の合 意 が 成 立 して い る。 離 脱 が 流 血 の 惨 事 を招 い た か らで あ る。
ア メ リ カ 国民 の 多 くは形 式 的 に は ア メ リ カ合 衆 国 を一 つ の 国 と して 認 め な が ら,実 体 と して はス テ ー トの 同 盟 と して の ア メ リカ合 衆 国 を望 ん で い る よ
うで あ る 。
12
6.広 く て 豊 か な 社 会 と 貧 し い 人 々
ア メ リ カ は 広 い 国 で あ る 。1999年 末 現 在 で ア メ リ カ 合 衆 国 の 面 積 は973万 2610平 方 キ ロ メ ー トル,ロ シ ア,カ ナ ダ,中 国 に つ い で 世 界 で4番 目 に 大 き
な 国 で あ る 。 日本 は37万7727平 方 キ ロ メ ー トル,世 界 で60番 目,ア メ リ カ の お よ そ25分 の1で あ る 。 日本 は ア メ リ カ の 一 つ の ス テ ー トで あ る カ リ フ ォ ル ニ ア に も及 ぼ な い 。 人 口 は ア メ リ カ が2億7290万 人,中 国,イ ン ドに つ い で 世 界 第3位,日 本 の 人 口1億2650万 人 の2倍 以 上 で あ る 。
ア メ リ カ は 豊 か な 国 で あ る 。1999年 の 国 内 総 生 産(GDP)は ア メ リ カ が 9兆1521億 ドル で 世 界 第1位,日 本 が4兆3469億 ドル で 世 界 第2位 で あ る 。 単 純 な 一 人 当 た りGDPで は 日 本 が3万4340ド ル で あ り,ル ク セ ン ブ ル グ, バ ミ ュ ー ダ,ス イ ス に つ い で ノ ル ウ エ ー と 同 額 で 共 に 世 界 第4位,ア メ リ カ
は そ の 次 で3万3540ド ル,世 界 第6位 で あ る 。 購 買 力 平 価 に よ る 一 人 当 た り GDPで は ア メ リ カ が3万1910ド ル,日 本 が2万5170ド ル で ア メ リ カ が 上 で あ る 。 情 報 化 の 点 で も ア メ リ カ は 進 ん で い る 。 ア メ リ カ の 人 口100人 当 た り の コ ン ピ ュ ー タ ー の 普 及 率 は55.5,イ ン タ ー ネ ッ ト ・ホ ス トは266.1,日 本 は そ れ ぞ れ31.5と36.7で あ る 。
つ い で な が ら ロ シ ア のGDPは4014億 ド ル,購 買 力 平 価 に よ る 一 人 当 り GDPは6990ド ル,中 国 のGDPは9895億 ド ル,購 買 力 平 価 に よ る 一 人 当 り GDPは3550ド ル で あ る 。 ロ シ ア の コ ン ピ ュ ー タ ー の 普 及 率 は4.3,イ ン タ ー ネ ッ ト ・ホ ス トは2.0,中 国 は そ れ ぞ れ1.6と0.1で あ る 。 ア メ リ カ が 経 済 力 の 点 で も情 報 化 の 点 で も 著 し く大 き く進 ん で い る こ と は 間 違 い な い 。(15)
ア メ リ カ は 人 種 的 に 多 様 な 国 で あ る 。・ア メ リ カ に は 白 人 の 他 に 黒 人,先 住 民,ア ジ ア 系,太 平 洋 諸 島 民 な ど の さ ま ざ ま な 人 種 の 人 が 住 ん で い る 。 そ の 割 り合 い は2000年 の 統 計 で 白 人2億1146万1000人,75.1%,黒 人3465万8000 人,12.3%,先 住 民247万6000人,a.9%,ア ジ ア 系1024万3000人,3.6%,太
平 洋 諸 島 民39万9000人,0.1%,そ の 他 の 人 種5.5%,複 数 人 種2.4%で あ っ た 。 こ の 人 種 に よ る 区 分 の 他 に ス ペ イ ン 語 を 話 す ヒ ス パ ニ ッ ク と い う 分 類 が あ る 。 ヒ ス パ ニ ッ ク に は 人 種 的 に は 白 人 も黒 人 も い る 。 こ の ヒ ス パ ニ ッ ク は2000年 の 段 階 で3530万6000人,12.5%で あ っ た が,2002年7月1日 現 在 で は3880万
ア メ リカ発 展途 上社 会論13
人 に達 し,ア メ リ カ史 上 初 め て 黒 人 人 口 の3830万 人 を越 え た 。(16)
ア メ リ カ社 会 は この よ う な様 々 な人 種 が 一 つ に溶 け 合 っ た 「人 種 の るつ ぼ 」 で あ る とか,様 々 な人 種 が 混 じ り合 っ た 「人 種 の サ ラ ダ ・ボ ー ル 」 とか とい わ れ て い るが,ア メ リ カ社 会 は そ の 両 者 の 要 素 を合 わせ 持 っ て い る。 どち ら か と言 う と,後 者 の性 格 が 強 い が,そ れ で も人 種 間 の融 合 が 進 ん で い る。(17) ア メ リ カ は宗 教 的 に も多 様 な 国 で あ る 。 ア メ リカ合 衆 国 憲 法 修 正 第1条 は 宗 教 を 国定 した り,宗 教 上 の 自由 な活 動 を禁 止 した りす る こ と を禁 じて お り, 政 教 分 離 の も と に信 教 の 自由 を保 証 して い る。 した が っ て,ア メ リカ に は世 界 の 主 要 宗 教 で あ る キ リス ト教,ユ ダ ヤ教,イ ス ラ ム教,仏 教 の 信 者 が す べ て存 在 して い る。 ア メ リカ で信 者 が もっ と も多 い の はキ リス ト教 で あ り,約
1億5830万 人,そ の う ち プ ロテ ス タ ン トは約8370万 人,ロ ー マ ・カ トリ ッ ク は約6200万 人,東 方 正 教 会 は 約400万 人 で あ る。 こ の他 にユ ダヤ 教 が 約380万 人,イ ス ラ ム教 が 約300万 人,仏 教 が 約50万 人 の 信 者 を擁 して い る と い わ れ て い る。(18)
別 の 資料 に よ る と,2000年 の段 階 で プ ロ テ ス タ ン トの な か で の 最 大 の 集 団 は イギ リス の ビ ュ ー 一リ タ ンの流 れ を引 くバ プ テ ス トで あ り,バ プ テス ト教 会 だ け で も何 十 もの教 派 が あ る 。 そ の うち も っ と も大 きい の は1596万 人 の信 者 が い る南 部 バ プ テ ス ト教 会 で あ る。 第2の 集 団 は イ ギ リス 国教 会 改 革 運 動 と
して 始 め られ た メ ソ ジス トで あ り,こ れ も多 くの 教 派 に分 か れ て い る が,そ の う ち も っ と も大 きい の は834万1000人 の 信 者 が い る連 合 メ ソ ジ ス ト教 会 で あ る。 第3は 非 ピ ュ ー リ タ ン系 プ ロ テ ス タ ン トの ル ター 派 で あ り,そ の う ち も っ と も大 きい の は512万6000人 の信 者 の い る福 音 ル ター 派 教 会 で あ る。 第 4は モ ルモ ン教 とい う名 前 で知 られ る末 日聖 徒 イ エ ス ・キ リス ト教 会 で あ り, 520万9000人 の 信 者 を擁 す る。 第5は257万8000人 の信 者 の い る 神 の 集 い, 231万1000人 の信 者 の い る 監 督 教 会 派,137万7000人 の信 者 が い る キ リス ト連 合 教 会 な どで あ る。 この 他 に ロ ー マ ・カ トリ ッ ク教 会 が6368万3000入,北 ア メ リ カ ・南 ア メ リ カ ・ギ リ シ ャ正 教 司 教 教 会 が150万 人,ユ ダヤ 教 が2001年 に615万 人 の 信 者 を擁 して い た とい わ れ て い る 。(19)
資料 に よ っ て 数値 に違 い が あ る が,ア メ リ カ人 の多 くが ユ ダ ヤ ・キ リス ト
教 的伝 統 の宗 教 を信 じて お り,こ れ が 「見 え ざ る国 教 」 の役 割 を 果 た して い
14
る 。(20)
先 に も見 た よ う に,ア メ リ カ は 全 体 と し て は 豊 か な 社 会 で あ る が,問 題 な の は 貧 富 の 格 差 が 増 大 し,豊 か な 人 と貧 し い 人 と の 二 極 化 が 進 ん で い る こ と で あ る 。 例 え ば,1959年 に 所 得 上 位4%(210万 世 帯)の 総 所 得310億 ドル は 下 位35%(1830万 世 帯)の 所 得 総 額 と 同 額 で あ っ た の が,1989年 に は 所 得 上 位4%(380万 世 帯)の 総 所 得4520億 ドル は 下 位51%(4920万 世 帯)の 所 得 総 額 と 同 額 に な っ て い る 。(21)
ア メ リ カ に は 貧 困 ラ イ ン と い う の が あ る 。 こ れ は 物 価 や そ の 他 の 関 係 で 年 に よ っ て 若 干 の 違 い が あ る が,こ の と こ ろ4人 家 族 で 年 収 約1万8000ド ル (1ド ル=120円 と して216万 円)で あ る 。
2000年 の 世 帯 所 得 で 見 る と,ア メ リ カ の 全 世 帯 数 は7238万8000,平 均 年 収 は5万890ド ル,年 収7万5000ド ル 以 上 は29.6%,貧 困 ラ イ ン 以 下 は8.6%, 622万2000世 帯,3105万4000人(人 口 比 で11.3%,以 下 同 様)で あ っ た 。
そ の 内 訳 は 白 人 の 総 世 帯 数 が6022万2000,平 均 年 収 が5万3256ド ル,年 収 7万5000ド ル 以 上 が31.4%,貧 困 ラ イ ン 以 下 が6.9%,415万1000世 帯,2124 万2000人(9.4%),黒 人 の 総 世 帯i数 は881万4000,平 均 年 収 は3万4192ド ル, 年 収7万5000ド ル 以 上 は15.6%,貧 困 ラ イ ン以 下 は19.1%,168万5000世 帯, 786万2000人(22.0%),ア ジ ア 太 平 洋 諸 島 民 の 総 世 帯 数 は266万3000,平 均 年 収 は6万1511ド ル,年 収7万5000ド ル 以 上 は39.3%,貧 困 ラ イ ン 以 下 は 8.8%s23万5000世 帯,121万4000人(10.7%),ヒ ス パ ニ ッ ク の 総 世 帯 数 は 772万8000,平 均 年 収 は3万5054ド ル,年 収7万5000ド ル 以 上 は14.1%,貧 困 ラ イ ン 以 下 は18.5%,143万1000世 帯,715万3000人(21.2%)で あ る 。(22)
2001年 の 資 料 で 見 る と,一 世 帯 当 た りの 平 均 年 収 は4万2228ド ル で あ っ た 。 一 番 収 入 の 多 い の は ア ジ ア 太 平 洋 系 で5万3635ド ル
,つ い で 非 ヒ ス パ ニ ッ ク 白 人4万6305ド ル,ヒ ス パ ニ ッ ク3万3565ド ル,黒 人2万9470ド ル で あ っ た 。 こ の 年 の 貧 困 ラ イ ン は4人 家 族 で 年 収1万8104ド ル,そ れ 以 下 の 収 入 で 生 活 し て い た 人 が3290万 人(11.7%)い た 。 率 と し て 貧 困 ラ イ ン 以 下 の 人 が も っ と も 多 い の は 黒 人 の23%,つ い で ヒ ス パ ニ ッ ク の21%,ア ジ ア 太 平 洋 系 の 10%,非 ヒ ス パ ニ ッ ク 白 人 の8%で あ る 。
私 が 住 ん で い た ニ ュ ー ジ ャ ー ジ で も 黒 人 と ヒ ス パ ニ ッ ク な どで 年 収10万 ド
アメ リカ発展 途上社 会論15
ル 以 上 の 人 が い る し,そ のi数 は 増 え て い る 。1990年 に4万3639人 で あ っ た の が,2001年 に は7万341人 に な っ て い る 。 黒 人 の 方 が 白 人 よ り も 平 均 年 収 が 多 い 町 が あ る 。 ミ ドル セ サ ッ ク ス 郡 サ ウ ス プ レ イ ン フ ィ ー ル ド町 で は 黒 人 の 平 均 年 収 は7万7167ド ル,白 人 の 平 均 年 収 は6万6232ド ル,バ ー ゲ ン郡 バ ー ゲ ン フ ィ ー ル ド町 で は 黒 人 の 平 均 年 収 が6万6429ド ル,白 人 の 平 均 年 収 が5 万7358ド ル で あ る 。(23)
ア メ リ カ 商 務 省 が2003年9月28日 に 発 表 し た2002年 の 貧 困 統 計 に よ る と, 同 年 の 貧 困 者 数 は3460万 人(12.1%)で あ り,2000年 以 来3年 連 続 し て 数 ・ 率 と も に 増 え て い る 。 白 人 と黒 人,ヒ ス パ ニ ッ ク の な か で の 階 層 分 化 が 進 ん で お り,白 人 は 豊 か で,黒 人 と ヒ ス パ ニ ッ ク は 貧 し い と一 概 に は 言 え な く な っ て い る が,そ の 日 そ の 日 の 生 活 に も 困 る 人 が10人 に1人 以 上 い る と い う社 会 は 決 し て 健 全 な 社 会 で は な い 。 黒 人 の 場 合 は5人 に1人 以 上 が 貧 しい 人 で あ る 。
7.不 公 正 な 選挙 と金 持 ち 民 主 主 義
ア メ リカ 人 は一 般 に政 治 好 きで あ る。 ア メ リ カ人 は絶 対 主 義 的 な王 権 の も とで の従 属 的 な生 活 を拒 否 し,は る ば る大 西 洋 を越 え て 新 世 界 で の 自立 的 な 生 活 も求 め て きた人 で あ る。 自分 の運 命 は 自分 で 決 め,自 分 で切 り開 こ う と す る 人 々で あ る。
独 立 革 命 も イ ギ リス が ア メ リ カ の植 民 者 た ち の合 意 な しに 一 方 的 に税 金 を 課 した こ とか ら始 ま っ た 。 自分 や 自分 の代 理 人 が い な い と こ ろで 決 め た こ と に は従 わ な い 。 これ が ア メ リ カ人 の原 則 で あ る 。 した が っ て,直 接 住 民 の 意 志 を 問 う住 民 投 票 や代 理 人 を選 ぶ 選 挙 が 頻 繁 に行 わ れ る こ とに な る。
合 衆 国 の大 統 領 は4年 ご と に選 ば れ,下 院 議 員 は 入[数 に応 じて2年 ご と に選 挙 され る 。 上 院 議 員 は 任 期 が6年 で あ り,各 ス テ.̲̲̲トか ら2名 ず つ 選 ば れ る 。50の ス テ ー トの 代 表100名 は2年 ご と に3分 の1ず つ 改 選 され る。 こ の 他 に各 ス テ ー トの ガバ ナ ー(統 治 者,知 事),上 院議 員,下 院議 員,市 町 村 の 執 行 者,代 議 員 な どが 選 ば れ る 。 これ らの任 期 は2年 か ら4年 で あ り, ス テ ー トに よ っ て異 な る。
2000年 大 統 領 選 挙 の と きの18歳 以 上 の有 権 者 総 数(投 票 権 の な い外 国 人 も
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含 む)は2億260万 人,ア メ リ カ で は 有 権 者 は 自動 的 に投 票 権 を得 られ ず, あ らか じめ登 録 して お か な け れ ば な らな い が,そ の登 録 率 は有 権 者 総 数 に対
して63.9%,投 票 率 は 同 じ く有 権 者 総 数 に対 して54.7%で あ っ た。
投 票 総 数 は1億539万7000票,民 主 党 の ゴ ア候 補 が5099万2000票,共 和 党 の ブ ッ シ ュ候 補 が5045万5000票,緑 の 党 の ネ ー ダー 候 補 が288万3000票 を獲 得 し,ゴ ア候 補 が 第1位 で あ った 。 しか し,先 に も述 べ た ご と く,大 統 領 選 挙 人 の 数 で ブ ッシ ュ候 補 が271人 を獲 得 し,ゴ ア候 補 の266人 を5人 上 回 っ た
の で 当 選 とな っ た。(24)
ア メ リカ で は選 挙 が 常 に公 正 に行 わ れ て い る と は言 い 難 い。 建 国 当初 に 選 挙 権 を与 え られ た の は 白 人 の 男 性 だ け で あ った 。 白人 の女 性 と黒 人 や 先 住 民 の 男 女 に は選 挙 権 は与 え られ な か っ た 。 後 に黒 人 や 先 住 民 に も選 挙 権 が 与 え
られ る よ うに な っ た が,い ろ い ろ な理 由 を つ け て そ れ が 剥 奪 され て きた こ と は前 に見 た通 りで あ る。 そ して,そ れ が 今 も続 い て い る。
2000年11月 の 大 統 領 選 挙 の 開 票 時 に ブ ッ シ ュ候 補 の弟 ジ ェ ブ ・ブ ッ シ ュ が ガバ ナ ー を務 め る フ ロ リ ダで 直 接 投 票 の 開票 を め ぐっ て紛 争 が 起 こ り裁 判 沙 汰 に な っ た こ とは 良 く知 られ て い るが,実 は ジ ェ ブ ・ブ ッシ ュ は選 挙 の5か 月 前 に5万7700人 を選 挙 人 名 簿 か ら一 掃 す る措 置 を採 っ て い た 。 選 挙 権 が 認 め られ な い 犯 罪 者 だ か ら とい う理 由 で あ っ た が,そ の ほ と ん どの 人 は無 実 で あ り,大 多 数 が 黒 人 で あ っ た か らで あ る と い わ れ て い る。(25)
2000年 の 大 統 領 選 挙 で は黒 人 の92%は 民 主 党 に投 票 し,共 和 党 に投 票 した の は わ ず か に8%に しか す ぎな か っ た の で,こ の よ うな こ とが な け れ ば ゴア 候 補 は 間違 い な く当選 して い た 。(26)
2002年 度 ア カ デ ミー一 賞 ドキ ュ メ ン タ リー長 編 賞 を受 賞 した映 画 監 督 マ イ ケ ル ・ム ー ア は これ を ア メ リ カ的 クー デ タ ー と名 付 け,ア カ デ ミー 賞 授 賞 式 で ブ ッシ ュ は恥 を知 れ と挨 拶 した 。(27)
2000年 の 大 統 領 選 挙 と同 時 に行 わ れ た議 会 選 挙 の 結 果 は 下 院 で 共 和 党221 議 席,民 主 党211議 席,そ の他2議 席,上 院 で 共 和 党50議 席,民 主 党50議 席
で あ っ た 。 こ れ が2002年 の 中 間 選 挙 の 結 果,下 院 で 共 和 党 が229議i席,民 主 党 が205議 席,そ の 他1議i席,上 院 で 共 和 党 が51議 席,民 主 党 が48議 席,そ
の他 が1議 席 と な っ た 。 ス テ ー トの ガバ ナ ー は 共和 党26人,民 主 党24人 で あ
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る。 共 和 党 が 大 統 領 職 を獲 得 した 他,合 衆 国 の 上 下 両 院 の 多 数 派 と な り,ス テ ー トの ガバ ナ ー の過 半 数 をお さ え た。 現 在 は 共 和 党 優 位 で あ る 。
ア メ リ カ の 選 挙 の 第1の 問 題 点 は選 挙 に多 額 の 費 用 が掛 か る こ とで あ る 。 2000年 の 大 統 領 選 挙 につ い て の 資 料 は 手 も と に な い が,民 主 党 の ク リ ン トン
と共 和 党 の ドー ルが 争 っ た1996年 の大 統 領 選挙 で1995‑96年 の 予 備 選 挙 の段 階 だ け で 両 者 に よ っ て2億4390万 ドル が 使 わ れ て い る。 そ の う ち1億2640万
ドル が 個 入 献 金,5600万 ドルが 合 衆 国 政 府 の 選 挙 資 金 で あ っ た 。 内訳 は民 主 党 が 個 人献 金3130万 ドル,合 衆 国 政 府 の 選 挙 資 金1400万 ドル,計4620万 ドル, 共 和 党 が 個 人 献 金9310万 ドル,合 衆 国 政 府 の 選 挙 資 金4160万 ドル,計1億 8700万 ドル で あ る。 民 主 党 は現 職 大 統 領 の再 選 運 動 で あ っ た の で 共 和 党 の4 分 の1で 済 ん で い る がi共 和 党 は予 備 選 挙 だ けで224億4000万 円使 っ て い る。
そ の うち111億7200万 円 は個 人 か らの 寄 付 金 で あ る。(28)
上 下 両 院 の 選 挙 につ い て い う と,予 備 選 挙,本 選 挙 を含 め て1999‑2000年 の2年 間(暦 年)に す べ て の政 党 が 集 め た 金 は6億1040万 ドル,使 っ た 金 は
5億7230万 ドル,そ の う ち個 人 か ら集 め た 金 は3億1560万 ドル(378億7200 万 円)で あ る。(29)
金 集 め が で きな い と選 挙 に立 て な い し,当 選 で きな い 。 も ち ろ ん,候 補 者 自身 が 多 額 の金 を持 っ て い な い と選 挙 は で きな い 。 テ レ ビ を通 じて の 宣 伝 が 盛 ん に 行 わ れ る よ う に な っ て選 挙 費 用 は急 激 に増 大 して い る。 ア メ リ カ民 主 主 義 は 金持 ち民 主 主 義 で あ る。
第2の 問題 点 は投 票 権 を得 るた め に は登 録 が 必 要 で あ り,時 に は恣 意 的 に 投 票 権 の 剥 奪 が 行 わ れ る こ とで あ る 。2000年 の大 統 領 選 挙 の 年 に登 録 率 が 低 か っ た の は18‑20歳 と21‑24歳 の 青 年(そ れ ぞ れ40.5%と49.3%),ヒ スパ ニ ック(34.9%),失 業 者(46.1%)な どで あ る。 同 じ く投 票 率 の低 い の も こ の 人 た ち で あ る 。 青 年(28.4%と24.2%),ヒ ス パ ニ ッ ク(27.5%),失 業 者 (35.1%)で あ る 。 政 治 に よ る救 い を も っ と も必 要 とす る人 が 投 票 で きな い の で あ る。(30)
2000年 大 統 領 選 挙 で の ブ ッ シ ュ の大 統 領 当 選 は 未 だ に不 法 で あ り,ク ー デ
タ..一 一.で あ る とい わ れ て い る。 そ の た め に ブ ッシ ュ 大 統 領 は2002年 の 中 問選 挙
で の勝 利 を め ざ した 。 これ は成 功 した 。
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8.自 己 中 心 の 力 の信 奉 者
2001年1月 に息 子 の ブ ッシ ュ政 権 は発 足 した が,人 気 は い ま一 つ で あ っ た 。 ブ ル ッキ ング ズ研 究 所 の世 論 調 査 に よ る と,2001年7月 の ア メ リカ 国 民 の 政 府 信 頼 度 は29%で あ っ た 。 そ れ が2001年9月11日 の事 件 の あ と急 上 昇 した 。 2001年9月14日 に上 下 両 院 は テ ロ を計 画,実 行 した り,こ の よ う な個 人 や 組 織 をか くま っ た 国家 な どに 軍 事 力 を行 使 す る権 限 を大 統 領 に与 え る決 議 を採 択 した。 反 対 した の は民 主 党 の黒 人 女 性 下 院議 員 た だ 一 人 で あ っ た。 ブ ッ シ ュ大 統 領 は ア フ ガ ニ ス タ ンの タ リバ ン政 権 を攻 撃 した 。 誰 か に復 讐 した か っ た ア メ リ カ 国民 は これ を支 持 した 。 政 府 支 持 率 は2001年10月 に は57%に な っ た 。 しか し,2002年5月 に は再 び40%に 下 が っ た。
そ こで 打 っ た 手 が2002年6月6日 の 本 土 安 全 保 障 省 の創 設 提 案 で あ っ た 。 そ の 直 後 の 『今 日の ア メ リ カ』 紙 とCNNテ レ ビお よ び ギ ャ ラ ッ プ世 論 調 査 の合 同調 査 で は72%の 人 が こ の提 案 を 支 持 した 。 共 和 党 が多 数 派 の下 院 で は 早 々 に こ の 法 案 は 通 過 した が,民 主 党 が 多 数 派 の 上 院 で は 審 議 が 難 航 した 。 共 和 党 は2002年11月 の 中 間選 挙 で これ を最 大 限 に利 用 した 。 民 主 党 は テ ロ対 策 に熱 心 で な い と批 判 さ れ た 。 民 主 党 は 受 け 身 に 回 っ た 。
共 和 党 は テ ロ との戦 争 を前 面 に 出 し民 主 党 に 追 い 討 ち をか け た 。 ブ ッシ ュ 大 統 領 は イ ラ ク に対 して 軍事 力 を行 使 す る権 限 を与 え る よ うに上 下 両 院 に要 請 した。2002年10月10日 に上 院 は77対23,下 院 は296対133で これ を承 認 した 。 改 選 を控 え た上 院 議 員 で これ に反 対 した の は民 主 党 の ミネ ソ タ選 出議 員 ウ ェ ー ル ス トンた だ0人 で あ った 。 共 和 党 は ウ ェー ル ス トン に攻 撃 を集 中 す る と
と もに民 主 党 の候 補 者 に テ ロ対 策 とイ ラ ク との戦 争 で 踏 み 絵 を踏 ませ た。
ミネ ソ タの 上 院 議 員 選 挙 は2002年 中 間 選 挙 の 天 王 山 とな っ た。 ブ ッ シ ュ大 統 領 は ウ ェー ル ス トンの 対 立 候 補 と して元 セ ン トポ ー ル 市 長 で あ っ た民 主 党 の コー ル マ ン を民 主 党 か ら引 き抜 い て 共 和 党 の 上 院議 員 候 補 者 と し,選 挙 資 金 集 め な どで積 極 的 に 支援 した 。 ウ ェ ー ル ス トンは選 挙 運 動 中 に飛 行 機 事 故 で 死 亡 した 。 民 主 党 は急 遽,元 副 大 統 領 モ ンデ ー ル を立 て た が,コ ー ル マ ン に破 れ た。
ブ ッシ ュ大 統 領 は ミ ゾ リー で も現 職 の共 和 党 下 院 議 員 ター レ ン トを共 和 党
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上 院議 員 候 補 者 と して 引 っ張 りだ し,積 極 的 に支 援 して 当 選 させ た 。 落 選 し た の は2000年 の 選 挙 運 動 中 に飛 行 機 事 故 で 亡 くな っ た が,当 選 した 夫 に代 わ っ て上 院議 員 とな っ た民 主 党 の 現 職 カー ナ ハ ン女 史 で あ っ た 。
共 和 党 は アー カ ンソ ー で 現 職 が 民 主 党 の新 人 候 補 に負 け て 落 選 した が,ジ ョー ジ ア で は 民 主 党 の 現 職 を敗 っ て 当 選 し,結 局,2議 席 増 や して 選 挙 前 の 49議 席 か ら51と な り上 院 の多 数 派 と な っ た 。 ブ ッシ ュ 大 統 領 の 作 戦 勝 ち で あ
っ た。
2003年3月19日,ブ ッシ ュ大 統 領 は イ ラ クの フセ イ ン政 権 へ の攻 撃 を開 始 した。 戦 争 は ま だ続 い て い る。
ア メ リカ が 他 国 の 内政 に干 渉 し,当 該 国 の 政 権 を打 倒 した の は今 に始 ま っ た こ とで は な い 。 植 民 者 た ち は他 人 の 土 地 に勝 手 に入 り込 み,先 住 者 か ら土 地 を安 く買 った り力 で 取 り上 げ た り して 生 活 を 始 め た 。 な か に は 先住 者 か ら 土 地 を正 当 な値 段 で 買 い取 り,先 住 民 と平 和 的 に 仲 良 く暮 ら し,と もに幸 せ
に生 き よ う とす る 人 々が い たが,そ の 多 くは 「明 白 な運 命 」 な ど とい う勝 手 な理 屈 をつ け て 西 部 へ の進 出 を合 理 化 して 国 を広 げ て い っ た。1890年 の南 ダ コ ダの ウー ン デ ッ ドニ ー で の 先 住 民300人 あ ま りの 虐 殺 は北 ア メ リ カ大 陸 で の フ ロ ン テ ィア ・ラ イ ンの消 滅,先 住 民 征 服 の 完 了 を象 徴 す る事 件 で あ っ た。
ア メ リ カ人 の 進 出 ・膨 張 は 中央 ア メ リカ ・南 ア メ リカ,さ らに海 を越 え た 国 々 に 向 か っ た 。 ア メ リ カ は1898年 の ス ペ イ ン との 戦 争 を契 機 と して キ ュ ー バ,プ エ ル トリ コ,フ ィ リ ピ ン,ハ ワ イ を奪 取 した 。 ア メ リ カの 外 国 で の 武 力 行 使 は枚 挙 に 暇 が な い。 そ の延 長 線 上 に朝 鮮 戦 争,ベ トナ ム 戦 争,湾 岸 戦 争,コ ソ ボ戦 争,ア フ ガ ン戦 争,イ ラ ク戦 争 が あ る 。(31)
ア メ リ カ人 は 自分 た ち の 考 え方,生 活 の 仕 方 が 最 良 で あ る と考 え て い る。
アメ リ カ人 は ア メ リ カが 世 界 で あ り,世 界 は ア メ リ カ を 中 心 と して動 い て い る し,動 くの が 当 然 で あ る と考 え て い る 。 ア メ リ カ 人 は 自己 中心 的 で あ る。
ア メ リ カ人 に は力 の信 奉 者 が 多 く,武 力 行 使 に つ い て の 反 省 が 少 ない 。 む
しろ,独 立 革 命,南 北 戦 争,第 一 次 大 戦,第 二 次 大 戦 な どの 武 力 行 使 が 結 果
的 に は正 義 を実 現 した との思 いが あ り,武 力 行 使 を正 当化 す る考 え方 が 強 い 。
ア ンブ ロー ス の よ う な歴 史 家 で さ え先 住 民 や ス ペ イ ン,メ キ シ コ な どか ら土
地 を奪 っ て 進 め られ た ア メ リカ合 衆 国 の膨 張 は結 果 的 に は 良 か っ た と して肯
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