中 田 儀 直 に み る 昭 和 戦 前 期 の 地 方 政 治
季武嘉也
中田儀直にみ る昭和戦前期の地方政治
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[︑はじめに
中田儀直は︑明治二十二年秋田県北秋田郡大館町に中田友之助の次男として生れた︒中田家は元士族身分であったが︑
維新後友之助が金融業を始めそれが成功して大館では有数な名家の一つとなった︒儀直はそんな家庭の中で大館中等学校
(現大館鳳鳴高等学校)を優秀な成績で卒業し︑地方では充分な教育を受けた町の若きエリートとしての道を歩み始めた︒
そして︑青年儀直の持つ純粋さ︑バイタリティ︑向上心は︑理論よりも行動が先行する性癖と共に︑政友会系の町会議員︑
県会議員︑衆議院議員となっても継承された︒本稿は︑そのような地方政治家中田儀直を中心にして昭和戦前期の秋田県
北秋田郡の政治状況を傭轍しようとするものである︒ここでその主人公中田儀直の簡単な経歴をみてみよう︒
明治四十三年十一月一年志願兵終末試験合格︑陸軍砲兵軍曹として除隊
明治四十五年三月大館町役場書記
大正二年一月陸軍砲兵少尉
同年二月
大正六年六月
大正七年十二月
大正九年三月
大正十五年六月
昭和二年三月
同年九月
昭和六年三月
昭和七年四月
昭和十年九月
昭和十年十二月
昭和十一年二月
昭和十一年十二月
昭和十二年四月
同年同月
昭和十六年一月
昭和十七年二月
昭和十七年四月 大館読書会創立に参加
二十八才で町会議員に当選︑以後四年毎の町会議員選挙に戦前期は連続して当選
従兄平塚来吉とともに︑大館製作所(鉄道省の指定を受け主として鉄道の信号保安装置を製作する)を創
立
大館に秋田木堂会を創立
北秋田郡連合青年団長
帝国在郷軍人会大館分会長
秋田県会議員に当選︑以後政友会に所属し昭和六︑十年も当選
秋田県体育協会北秋田支部長
北秋田郡政友倶楽部を創立︑副会長に就任
北秋田郡政友会支部幹事長
秋田県政友会支部幹事長
総選挙に出馬し一票差で当選するが︑のち当選無効
秋田県政友会支部長
総選挙で当選︑代議士となる
秋田県鉄工機械器具工業協同組合理事長
東亜聯盟促進議員聯盟の一員として中国を訪問
大館町長
翼賛選挙に落選
中田儀直 にみ る昭和戦前期 の地方政治
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昭和十七年九月大政翼賛会秋田県事務局長
昭和二十一年十二月公職追放︑以後主として実業家としての道を歩みながら︑代議士石田博英を後援︑昭和五十年に逝
去
以上にみられるように︑ヴァイタリティ溢れる地方政治家中田の経歴は非常に多彩である︒本稿の主眼は︑中田に於い
てこれらの相互関係︑特に政党と地方の諸団体の関係がどのようなものであったのか︑という事を通して昭和戦前期の地
方政治の実態︑そして政党の態様を探ろうとするものである︒
ところで本稿で利用した史料についてであるが︑我々は数年前より元民政党総裁町田忠治の伝記編纂を進めていた︒そ
の過程で︑彼の選挙地盤である北秋田郡にも山室建徳氏等と共にしばしば足を運んで史料探索を行い︑その結果︑比内町
公民館に保存されていた﹃北鹿朝日新聞﹄や︑中田直敏氏所蔵の﹁中田儀直日記﹂及び関連史料に出会う事が出来た︒こ
れらは︑まだ未刊行ではあるが町田忠治の伝記に反映されることになるが︑しかし反対党である中田儀直の関連文書はそ
こでは充分に活かす事が出来なかった︒本稿はそれを補おうという意図も含めて執筆したものである︒したがって︑その
町田忠治の伝記(該当部分は山室氏執筆)と本稿を合わせ︑北秋田郡の地方政治に関する研究が完結するものと考えていた
だきたい︒また︑我々の突然の訪問に対し快く応対していただいた中田直敏氏御家族に対し︑心より謝意を表する次第で
ある︒尚︑﹁中田儀直日記﹂は現在︑国立国会図書館にマイクロフィルムで所蔵されている︒
二︑中田儀直の行動半径
本節では︑地方政治家として中田がどのような政治的社会的活動を行っていたのか︑を探っていく︒勿論︑彼は北秋田
郡の政友会勢力の中心人物として行動していたのであるが︑単に政党人としてだけに終始したのではない︒これからみる
ように︑彼は様々な団体と関係していたのであり︑そしてそれらは当然のことながら政党活動とも関連を持っていた︒そ
こで︑ここでは中田儀直という個人に焦点を当て︑その政治家としての全体像を明らかにしたい︒
秋田木堂会
金儲けは我が目的に有らず︒我が目的は如何にかして社会の功献を為さんにあり︒︹略︺大館は未だ眠むれり︑眠む
れり︒然して覚めずして︑黄金万能の悪気を呼吸しつつあるなり︒利己の毒液を飲用しつつあるなり︒虚栄の為めに
動くは多くして真に大館の為めとて動くはまれなり︑否︑有らざるなり︒︹略︺革命は青年の務なり︒警鐘を撞くは
(1)青年の努なり︒起たんいざ︒
これは︑大館中学時代に中田が書いた文章の一部であるが︑ここでも分る通り中田は社会改革に燃え︑﹁革命﹂を起こ
そうというほどのエネルギーをもった人物であった︒そんな彼が理想とした人物が木堂犬養毅であった︒犬養は明治十六
年﹃秋田日報﹄主筆として秋田に来て以来︑県内に多くの支持者を獲得したが︑その中の一人に中田の叔父で大館在住の
平塚鉄治がいた︒中田もこの叔父から感化を受けており︑早くから犬養に強い尊敬の念を持っていた︒そして彼ら犬養を
尊敬する人間たちによって大正九年三月二十五日に結成されたのが︑阿部亀五郎を中心とした秋田木堂会であり︑中田も
当然それに参加した︒次の史料は︑その時の趣意及び会則である︒
秋田木堂会趣意
之を仰げば弥々高きは吾が木堂先生の風格なる哉︒先生政界に馳騎すること幾んど︒五十年澗濁を極めし雰囲気中に
在りて些かも点染を受けず︑恰も一董の荷花泥中を擢んで・芳香を放つに似たり︒山林泉石の問に悠遊して独りを潔
うすること或は難からず︒俗簑に在りて清節を完うするは難中の難たり︒先生東西を暖うするの識見と憂国愛民の赤
誠を有して高風清義国士の模範を以て推さる︑先生の如きは真に千百年にして僅に一人を得たる偉人と謂ふべし︒
時代を同うして親しく教を先生に侯つを得るもの何の光栄か之に若かん︒即ち生等膏議り永く先生の徳風を慕ひ感化
中田儀直にみる昭和戦前期の地方政治
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を仰がんとし︑弦に秋田木堂会を組織す︒志を同うするの士奮つて来り会せよ︒
大正九年三月廿五日発起人
会規
一︑本会を秋田木堂会と称す︒
一︑本会々員は政党政派の如何を問はず木堂先生の人格を景仰する同志を以て組織す︒
一︑本会は毎年一回総会を開く︒
一︑本会は当分本部を大館町に置く︒
一︑本会に幹事若干名を置く︒
(2)一︑本会の維持費は会員の寄附に由る︒
残念ながら会員名簿が無いのでメンバーを確定することはできないが︑この会について書かれた戦後の﹃北鹿新聞﹄の
記事によれば︑会員はつぎのようであったという︒
田中磯松︑金谷嘉一︑野口久兵衛︑石田吉松︑阿部雄之助︑阿部弥太郎︑伊藤恒治︑虻川竹治︑加賀豊次郎︑松原慎
一郎︑平泉栄吉︑畠山又七郎︑岩谷憲三︑五十嵐貞一郎︑武田纏蔵︑武内菊治︑竹村憲吾︑石井忠恕︑田堰武四郎︑
野口忠八(良太郎)︑田中喜久治︑山内直治︑伊藤弥一郎︑中村嘉七︑越前谷玄一︑前小屋収二郎︑石川長吉︑富樫丈
助︑斎藤喜恵︑中田儀直︑鎌田四郎︑小野長治︑八代光一︑柴田永蔵︑伊藤孝次郎︑丸谷万吉︑斎藤重夫︑鷲尾義直︑
(3)上月吉次︑阿部忠一郎︑佐藤三郎
秋田木堂会は当然のことながら︑その政治的傾向も犬養の中央での行動と連動していた︒犬養が第二次護憲運動に立上
がれば彼らもそれに呼応し︑また犬養が政友会に入党すれば彼らも政友会に傾いていく︒そして︑中田も含めて会員たち
は政治的にも強く団結しており︑以後ずっと政治的団体として活動を継続した︒しかし後にみるように︑これを単に政友
会等政党の下部組織と断じてしまうことは出来ない︒木堂会はあくまでも憂国の赤誠を持って国家や社会の改革に燃え︑
尚且つ人格高潔である犬養を見習おうとする青年達の修養団体であった︒犬養は︑以前より特に青年層に向ってそのよう
(4)な事を強く主張していた︒そして大正二年四月十三日︑京都に於いてそれに呼応した人物たちによって木堂会が成立した︒
さらにその後︑各地に地名を冠した木堂会が成立していったようで︑秋田木堂会もその一つであった︒つまり︑犬養は国
家︑社会の改革を目指す若者達の一つのシンボルであったのである︒そして︑犬養を理想とする若者達が同志として政治
的に結合し︑昭和期では偶々犬養が政友会に入党していたが故に︑彼らも政友会を支持したに過ぎないのであった︒従来︑
しばしば指摘されているように︑第一次世界大戦後は国家︑社会の改造を目指す若者達が一斉に社会に飛出し︑様々な形
の主張を繰広げていくのであるが︑木堂会もその一つに数える事が出来よう︒
大館青年会
(5)やがて小野長治に対抗する新たな外町の勢力が出現した︒大館青年会を結成した金谷嘉一︑野口久兵衛︑田中磯松︑
虻川竹治といった大中︹大館中学︺の卒業生が核となっていた︒阿部亀五郎は小野と姻戚にあったが︑大中一期生と
いうことで青年会の旗頭︑私︹中田儀直︺は役場の職員だから表面だって運動はできないが︑青年会には入っていた︒
(6)私が町会に出たのは︑大正六年︑平泉孝作と二人︑青年会推薦で出て当選した︒
この史料は大正六年に中田が初めて町会議員に当選した時の模様である︒大館中学(秋田県第二尋常中学校)は明治三十
一年開校で︑中田は第五期生︑史料中に登場する人物も概ね彼と同期か少し上級生たちであった︒この会の創立時期︑及
び会員は明確に分らないが︑断片的な史料から会員を列挙していけば︑次のようになる︒
阿部亀五郎︑金谷嘉一︑野口久兵衛︑田中磯松︑虻川竹治︑中田儀直︑武内喜久三︑石川長吉︑鳴海兵次郎︑山城雄
(7)之助︑丸谷万之助︑平泉栄吉︑越前谷玄一︑泉重一
青年会は︑﹁心と活動の結社である︒断じて同志を裏切らない﹂という誇り︑信念を共有すると同時に︑﹁その半面青年