沖縄久米島の陽宅「風水」 : 具志川村の事例の予 備考察
著者 河合 洋尚
雑誌名 民俗文化研究
巻 3
ページ 50‑70
発行年 2002‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10502/5590
〔論 文 〕
沖 縄 久 米 島 の陽 宅 「 風 水 」
具志川村の事例 の予備 考察
河 合 洋 尚
1.は じ め に
動 機 と 目的 沖縄 で は、 屋 敷 、 コ ミュニ テ ィ、 方 位 観 に 関 す る研 究 が数 多 く な され て きた が 、 そ れ ら と密 接 な 関連 に あ る 「風 水 」 思 想 か らの 研 究 は 、80年 代 ま で考 慮 され な い か、 あ るい は補 助 的 に扱 わ れ て き た(1)。80年代 以 降、0連
の優 れ た 業 績 に よ り、 沖縄 に お け る 「風 水 」 知 識 の 概 要 、 お よ び 受 容 の歴 史 が 次 第 に明 らか とな り、 「風 水 」 研 究 は進 展 を み せ た もの の、 未 だ に い くつ か の 課 題 が 存在 して い る。 こ こで は 深 く言 及 す る余 地 は な い が、 さ しあ た り、 現 地 調 査 に 基 づ く研 究 が、 相 対 的 に少 な い こ との み 指 摘 して お き た い。 つ ま り、現 在 の 「風 水」 研 究 で は、 大 部 分 が 史料 や 風水 書 を 対 象 と して お り、 住 民 を 対 象 と した、 い まを生 き る 「風 水」 の思 想 と実 践 の報 告 は 限 られ て い るの で あ る(2)。
た とえ ば 、 屋敷 、 コ ミュニ テ ィ、 方 位 観 を、 詳 細 な 聞 き取 り調 査 か ら報 告 した 事 例 は、 与 那 国 に お け る渡 邊 の 研 究(3)を含 め、 数 え る ほ ど しか な い。
筆 者 が久 米 島 に お い て実 施 した調 査 は、 そ の意 味 で は 、 従 来研 究 の 不 足部 分 を多 少 な り と も補 う もの に な り う るだ ろ う。 調 査 は 、2001年10月31日 か ら11月 10日 ま で、 渡 邊 欣 雄 、 劉 正 愛 の 両氏 と と もに、 具 志 川 村 の 西 銘 ・上 江 州 地 区 に て実 施 した。 風 水 は、 お お ま か に分 け て、 住 宅 一屋 敷 一コ ミュニ テ ィを 対 象 と す る 陽 宅 風 水 と、 墳 墓 を 対 象 とす る陰 宅 風 水 とに 分 け る こ とが で き る。 現 地 で は、 筆i者は主 に 前者 を担 当 した。 短 い 調査 期 間 で は あ った が 、地 区 で 「風 水」
知 識 に富 む と村 人 達 か ら考 え られ て い る6人 の イ ン フ ォー マ ン ト(以 下 、「識 者」 と呼ぶ)か ら話 を伺 う こ とが で き、 い ま ま で 報 告 さ れ る こ との な か った 、
い ま を生 き る久 米 島 の 「風 水 」 知 識 の 断 片 が 明 らか とな った 。
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本 稿 は、 主 に6人 の 「識 者 」 の 「語 り」 に着 目 し、 久 米 島 の陽 宅 「風 水 」 の 紹 介 を しよ う とす る もの で あ る。 具 体 的 に は、 住 宅 の レベ ル か らコ ミュニ テ ィ の レベ ル まで6段 階 を設 定 し、(1)方位 判 断 、(2)日選 び、(3)寸法 お よ び間 取 り、
(4)門の位 置 と幅、(5)屋敷 の 形 と位 置 、(6)村落 共 同体 、 に関 連 した 「風 水 」 知 識 を報 告 す る。 構 成 と して は 、 ま ず 調 査 地 の 概 況 を 述 べ て か ら、 次 に陽 宅 「風 水 」 の 報 告 を 行 い 、 最 後 に、 沖 縄 の 「風 水 」 研 究 に か か わ る い くつ か の 課 題 を、 要 約 的 に ま とめ る予 定 で あ る。 その 前 に、 久 米 島 に風 水 思 想 が 如 何 な る経 由 で導 入 され た の か、 風 水 概 念 の 簡 介 と併 せ 、 述 べ て お き た い。
風 水 と風 水 史 東 ア ジア の 社 会 ・文 化 に強 い影 響 力 を もつ 風 水 思 想 は、 古 代 中 国 に 始 ま る。 起 源 は 、 春 秋 ・戦 国 時 代 に ま で遡 る と さ れ、 『詩 経 』 に は相 地 に 関す る0節 が あ る。 風 水 の語 は既 に漢 代 に見 え るが 、 定 義 づ け られ た の は、
晋 代 の 郭 瑛 に委 託 され る 『葬 経 』 か らで あ る。 こ の書 に よ る と、 風 水 と は
「風 」 と 「水 」 で あ り、 「気」 の 動 きを 操 作 す る た め の地 理 的 条 件 を い っ た。 以 後 、 「風 水 之 法 」 は、 環 境 を 整 え る こ と に よ っ て、 い か に良 い 「地 気 」 を 確 保 す る か の 方 法 論 を指 す よ う に な る。 『葬 経 』 は、 「風 蔵 水 得 」(4)の語 や 「気 」 の 概 念 を生 み 出 した こ とで も知 られ る。
4世 紀 以 降、 中 国 にお け る文 化 の 中心 地 は 中原 か ら華 南 へ 移 行 し、 風 水 文 化 も華 南 に て形 成 され る こ と とな る。 唐 代 に入 る と、 今 日に伝 わ る よ う な形 で の 体 系 化 が進 め られ、 唐 代 中期 の もの と され る 『錦 嚢 経 』 で は 「気 」 の流 れ が一 体 の龍 神 に比 喩 され、 人 間 の 吉 凶 禍 福 に影 響 を及 ぼす 「気 」 の凝 集 と拡 散 の あ り さま を、 地 上 の景 観 か ら見 分 け る術 が 述 べ られ て い る(5)。唐 末 に な る と、 江 西 省 に て楊0松 が 「形 勢 学 派 」 を 、 宋 代 に は王 仮 が福 建 に て 「理 気 学 派 」 を創 始 す る に至 り、 華 南 に て二 大 学 派 が 登 場 した。 「形 勢 学 派 」 は、 別 名 「江 西派 」
と も呼 ば れ 、 周 囲 の 地 形 か ら風 水 の善 し悪 しを 判 断 す る。 龍 脈 の 論 理 に基 づ き、 箆 喬 山 に発 す る 「気 」 の 流 れ を想 定 して 、 山 の形 、 水 に流 れ を見 る の で あ る。 他 方 、 「理 気 学 派 」 は、 別 名 「福 建 派 」 と も呼 ば れ 、 羅 盤iを使 って 周 囲 の 環 境 を厳 密 に測 り、 理 想 の 方 位 と地 点 を追 求 す る。 卦 、 十 二 支 、 星 宿 な ど、 天 体 の運 行 原 理 に基 づ く手 段 を 用 い る。
や が て、 明清 代 に入 る と、
理 論 上 は と もか く、 実 践 面 で は 両 者 の 差 が 曖 昧 に な る。
「形 勢 学 派 」 も羅 盤 を用 い、
「理 気 学 派 」 で も地 形 を 重 視 す る よ うに な った(6)。中 国 か ら沖 縄 に風 水 が伝 え られ た の は、 この 時期 で あ る。 中 国 で は後 に、 「迷 信 」 の扱 い を受 け て弾 圧 ・抑 制 さ れ た が、 い ま で も社 会 ・文 化 に強 い影 響 力 を も って い る。
さ て、 沖 縄 で風 水 思 想 が い つ 受 容 さ れ た の か。 これ につ い て は、 諸 説(7)があ り0定 し
な いが 、 中国 福 建 省 へ の留 学 図1 風水思想 の久 米島への変容過程 生 を通 じて 、17〜18世 紀 に は広 ま って い た の は確 か で あ る。 当 時、 風 水思 想 は 国 策 と して 用 い られ 、 琉 球 王 府 の事 業 、 村 落 、 墓地 な どの立 地 に も役 立 て られ た 。 そ の た め、 留 学 に よ っ て高 度 な科 学 的知 識 で あ る風 水 を身 に つ けて い た 久 米 村 の唐 栄 士 族 は、 国 家 の重 要 な ポ ス トを担 って い た の で あ る。 風 水 知 識 は、
は じめ は唐 栄 士 族 が 、 の ち に は民 間識 者 た ち が沖 縄 各 地 に普 及 させ、 今 日あ る よ う な生 活 知 識 と な っ た(8)。
久 米 島 で は、 早 く も17世 紀 後 半 に は風 水 知 識 が伝 え られ て い た とい う。 第 一 に、 中国 と沖 縄 本 土 と の 中継 点 に久 米 島 が位 置 して い た こ と、 第二 に 、 久 米 島 の地 方 役 人 が か つ て風 水 に深 い 関心 を抱 い て い た こ とが、 久 米 島 に風 水 知 識 を 伝 達 させ た主 な要 因 と な っ た(9)。かつ て具 志 川 村 の風 水 が看 られ て い た こ と、
重 要 文 化 財 で あ る上 江 州 家 が風 水 の原 理 か ら成 る こ と、 泰 山石 敢 当 の 存 在 な ど が 、 風 水 の存 在 を物 語 っ て い る。 久 米 島 に お い て風 水 知 識 は、 次 第 に地 方 役人 か ら、 サ ンジ ンソ ー(三 世相)、 大 工 に移 り、 民 衆 に定 着 して い った。 現 在 で も
沖縄久米 島の陽宅 「風水」
「風 水」 は、 人 々の 生 活 実 践 の 中 にみ る ことが で き る。 現 地 で は、 風 水 は 「フ ンシ」 と呼 ば れ て い た。 厳 密 に い え ば(10)、本 稿 で 対 象 と して い る の は、 「フ ン シ」 で あ る。
2.調 査 地 の 概 況
地 理 的 位 置 久 米 島 は 、 北 緯26度 、 東 経126度 の 地 点 に あ る 。 那 覇 市 の ほ ぼ 真 西90km に 位 置 し、 沖 縄 の 島 々 の 中 で は 比 較 的 広 大 な 面 積 を もつ 。 霧 島 火 山 帯 に 属 し 、 面 積 は 6,333k㎡ 、 周 囲 は48 kmで あ る 。 島 の 人 口 は9,550人 、 世 帯 は3,582世 帯 で 、1世 帯 あ た り平 均3人 弱 と い う家 族 構 成 に な っ て い る(11)。
行 政 区 と して 、 い ま の と こ
ろ 久 米 島 は 、 東 の 仲 里 村 と西 図2 久米 島における調査地 の位置 の具 志 川 村 の、 二 つ の村 落 に分 か れ て い る。 具 志 川 村 は さ らに、 大 岳 、 フ ソ コ 岳 の麓 に ひ ろ が る台 地 に位 置 す る仲 村 渠 、 具 志 川 、 仲 地 、 山里 、 上 江 州 、 西 銘 、 久 間 地 の各 字 と、 大 原 平 野 の北 原 、 大 原 、 そ して海 岸 沿 い の 鳥 島、 仲 泊、
大 田、 兼 城 、 嘉 手 刈 の14の 字 に分 か れ る。 筆 者 を含 む3人 が調 査 した 西 銘 、上 江 州 の両 地 区 は、 山岳 の麓 に あ るた め、 北 側 に行 くほ ど高度 が上 が る。 東 北 の 方 向 に ダ ル マ 山 を、 北 の方 向 に は大 城 山 を構 え、 南 側 は海 に臨 ん で い る。
調 査 地 の概 観 調 査 地 で あ る西 銘 、上 江 州地 区 の 景 観 につ いて は、 図3に 示 した。 上 江 州 が よ り山側 に、 西銘 が海 側 に位 置 して い る。 図 には 太 線 で 示 した が、 西 銘 公 民 館 の西 側 の 道 は、 尾 根 にな って お り、 この 道 を基 準 に東 西 に分 断 され る。 調 査 した地 区 は、 全体 的 に 「集 村」 で あ るが 、 東 側 と西 側 で は景 観 に
図3 調査 地の景観 および地形(○ は人家、 ●は石敢当を示 している) 出典:『ゼ ンリン住宅地図:久 米島』(1999)
お いて 多 少 の差 異 が 見 られ る。 東 側 は、1753年 に建 て られ た重 要 文 化 財 ・上 江 州 家 を は じめ、 赤 瓦 の古 い住 宅 が 比 と して多 い。 東 側 に少 し離 れ た地 点 に は、
上 江 州8代 目の墓 な ど、2、3世 紀 前 に は建 て られ た古 い墓 も点 在 して い る。 逆 に東 側 は、 西 側 に比 べ る と新 しい住 宅 が多 く、 コ ン ク リー ト造 りの住 宅 もい く つ か 見 られ る。 集 落 の西 側 に少 し離 れ た地 点 に は墓 が 多 数 点 在 して い るが 、 聞
く と こ ろ大 部 分 が100年 も経 っ て お らず 、 古 くて も明 治 期 に しか遡 れ な い 。 か つ て は東 側 が 栄 え、 後 に西 側 に 中心 が 移 行 した史 実 の、 ひ とつ の表 れ で あ る。
屋 敷 の 概 要 概 して 、 久 米 島 の住 宅 は、 沖 縄 で 通 常 見 られ る形 態 に似 て、 床 を 張 った居 住 部 分(ウ フヤ)と 土 間 の 炊 事 場 部 分(ト ング ワ)か らな る。 ウ フ ヤ は東 側 に トング ワ は西 側 に位 置 し、 こ の二 つ の部 分 が 合 わ さ る こ とで 、0つ の 住 居 と して の機 能 を果 た して い る。 両 者 は、 南 を 向 い て い る場 合 が多 い。 さ ら に、 ウ フ ヤ に は表 と裏 が あ り、 表 は東 か ら ::座、 二 番 座 、 三 番 座 と名 づ け ら れ る。 :.座 は、 珍 しい客 人 を 迎 え るな ど神 聖 な 空 間 で あ り、 二 番 座 は仏 間 と
沖縄久米島の陽宅 「風 水」
な っ て い る。 三 番 座 は最 も位 が低 く、普 段生 活 す るの に主 に使 わ れ る。 裏 は 、 ウ ラザ と 呼 ば れ、 主 に寝 床 や物 置 に使 わ れ る。 か つ て は 、 ウ フヤ と トン グ ワを 離 して建 て る分 棟 型 が主 流 で あ った 。 現 在 で は 、 分 棟 型 の 住 宅 は減 少 して い る もの の、 トング ワ部 分 を ウ フヤ か ら突 出 部 と して 、 分 棟 型 の 痕 跡 を と どめ て い る住 宅 も少 な くな い(12)。ま た、 屋敷 の 周 囲 には 石 垣 を め ぐ ら し、 そ の 内 側 に フ ク ギ な ど の樹 木 を屋 敷 林 と して植 え る。 屋敷 に よ って は 、 豚 小 屋 と便 所 を 兼 ね る フ ール を屋 敷 内西 側 に配 置 した り、 門 と二 番 座 の 間 に ヒ ン プ ン(13)を備 え た り して い る。 門前 に は、 シー サ ー(14)が置 か れ る場 合 もあ る。
3.久 米 島 に お け る 陽 宅 「風 水」
「風 水 」 知 識 の 成 層 性 単 純 に 区 分 す る と、 「風 水 」 知 識 につ い て は、 詳 し い人 と そ うで な い人 の双 方 に分 か れ、 一 見 す る と後 者 の ほ うが 数 と して は圧 倒 的 に多 い。 調 査 地 に お け る戸 数 は100余 りで あ るが 、 村 人 達 に 「風 水 」 知 識 に 富 む と思 わ れ る 「識 者 」 は 、 筆 者 の 知 る限 りで は 、 せ い ぜ い10人 足 らず で あ る。 残 りの 人 は、 体 系 的 に 「風 水 」 を 説 明 す る こ と はで き な い。 「風 水 」 に つ いて の 質 問 を投 げ か け て も、 「よ く知 らな い」、 「フ ン シは歴 史 的 な もの だ か ら、
地 域 の 歴 史 に詳 しい人 な ら知 って い るだ ろ う」、 「あ そ この お 爺 さん が 詳 しい か ら聞 いて ご らん 」 と、 否 定 の声 を返 され る こ とが 大 部 分 で あ った。
しか し、 否 定 の声 を投 げ か け る村 人 で さえ も、 住 宅 や 墓 を 造 る際 に は方 位 や 日取 り等 を考 慮 し、 「識 者 」 に相 談 して い た こ とが 調 査 を 通 して 判 明 した。 村 人 の 多 くは、 「風 水 」 と は何 か につ い て体 系 的 に語 る こ と こそ で き な い もの の、
生 活 知 識 の 一 部 と して 「風 水 」 を考 慮 して い る の で あ る。 「風 水 」 知 識 は、 村 落 にお いて 成 層 性 が あ り、 知 識 の依 存 関 係 が 存 在 す る。 依 存 関 係 が 成 り立 つ た め に は、 依 頼 者 と被 依 頼 者 の双 方 に 、 「風 水 」 に 関 す る知 識 が な くて は な らな い。 従 って 、 調 査 地 に お け る 「風 水 」 知 識 は、 「識 者 」 だ けで な く、 一 般 の 村 人 に まで 広 く浸 透 して い る と考 え るの が 妥 当 で あ る(15)。
「識 者 」 簡 介 少 な くと も風 水 知 識 の 調 査 お い て 、 風 水 が あ るべ き理 想 の レ ベ ル で 語 られ て い る の か、 若 し くは 知 識 の 依 存 関 係 を も含 め た 実 践 の レベ ル で
語 ら れ て い る の か の 区 別 は 、 必 要 で あ る。 調 査 を 通 し て 筆 者 は 、6人 の 「識 者 」 た ち に よ る 「語 り」 が 、 村 人 達 の み な らず 「識 者 」 に お い て で さ え 、 実 践 の レ ベ ル で は必 ず し も 適 用 さ れ て い な い こ と を 知 る こ と と な っ た 。 彼 ら の 「語 り」 は あ る 意 味 に お い て 理 想 の モ デ ル な の で あ る 。 そ れ は 、 「こ う あ る べ き 」 で あ る と か 、 「昔 は こ う で あ っ た 」 と い う 話 者 達 の 考 え が あ ら わ れ て い る 。 本 稿 で は 、 序 論 で 述 べ た よ う に6人 の 「識 者 」 た ち の 「語 り」 を 紹 介 す る 。 イ ン
フ ォ ー マ ン ト と し て 貴 重 な お 話 を 提 供 し て い た だ い た の は 、A氏(67歳 、 男 性:西 銘 西 在 住)、B氏(77歳 、 男 性:西 銘 東 在 住)、 C氏(82歳 、 男 性:西 銘 西 在 住)、D氏(76歳 、 女 性:西 銘 東 在 住)、 E氏(80歳 、 男 性:上 江 州 在 住)、 F氏(82 歳 、 男 性:西 銘 在 住)の6人 で あ る 。 イ ン フ ォ ー マ ン トは 、 す べ て65歳 以 上 の 高 齢 で 大 方 は 男 性 で あ る が 、 こ れ は 「風 水 」 知 識 に 富 む 人 が65歳 男 性 に 偏 る と い う久 米 島 の 状 況 を あ ら わ して い る 。 以 下 、 「識 者 」 た ち の 発 言 を 筆 者 な り に 統 合 す る こ と で 、7つ の レ ベ ル の 陽 宅 「風 水 」 を 紹 介 して い く。 「語 り」 の 内 容 は 、 理 想 の モ デ ル が 主 で あ り、 そ の 全 て が 現 地 の 「風 水 」 実 践 に 結 び つ い て い な い こ と は 、 予 あ 断 っ て お き た い 。 デ ー タ ー は 、 「語 り」 の 部 位 に 関 し て は 、 す べ て 「識 者 」 の 発 言 に 基 づ い て い る。
(1)方位 判 断
方 位 観 沖 縄 の方 位 研 究 に お い て注 意 せ ね ば な らな い の は、 住 民 の考 え る方 位 と、 わ れ わ れ の考 え る方 位 に ズ レが生 じる とい う こ とで あ る。 前 者 は民 俗 方 位 、 後 者 は 自然 方 位 と呼 ば れ る。 自然 方 位 は方 位 磁 石 な どで判 断 され る、 西 洋 仕 様 の 方 位 で あ る。 本 稿 で は、 両 者 を 区別 し、 民 俗 方 位 の場 合 に つ き括 弧 に付 した。 ちな み に、 久 米 島 で は 、 「東 」 を ア ガ リ、 「西 」 を イ リ、 「南 」 を ヘ ー、
「北 」 を キ タ と呼 び、 「東 」 と 「西 」 の名 称 は、 太 陽 の動 き とか か わ って い る。
「語 り」 よ り 方 位 判 断 は、 久 米 島 の屋 敷 「風 水 」 に お い て、 最 も重 視 さ れ る。 特 に、 南 向 き に家 を構 え る の が も っ と も良 い。 事 実 、 久 米 島 の住 宅 の8割 以 上 は南 を 向 いて い る。 しか し、 「風 水 」 判 断 に よ る と、 住 宅 の 向 き に は い く っ か の 禁 忌 が 存 在 す る。
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沖縄久米島の陽宅 「風水」
まず 、 第0に 、 家 の 向 き を正 方 位 に 向 けて は な らな い。 つ ま り、 真 東 、 真 西 、 真 南 、 真 北 に は 向 け て は な らな い ので あ る。 久 米 島 で は真 南 に家 を 向 け るの が 理 想 で あ る と い わ れ、 筆 者 もそ の よ う に聞 い た こ と が あ る が、 こ の場 合 の 「真 南 」 は民 俗 方 位 を指 して い る の で あ り、0般 にわ れ われ が指 す 南 で はな い 。 ほか の 方 位 の場 合 も同様 で あ
図4 「トゥイ ノハ 」 の 方 角 は 、 久 米 島 で は特 に忌 まれ る, る。 第 二 に、 生 まれ 年 の方 位 に家 を 向 けて は な らな い。 家 族 の 成 員 の十 二 支 を 考 慮 し、 そ れ と重 な る方 位 に 向 けて はな らな い。 但 し、 家 族 全 員 の十 二 支 を見 るわ け に は いか な いか ら、 実 際 に は、 戸 主 と長 男 の十 二 支 さえ 考 慮 され て い れ ば よ い。 第 三 は、 住 宅 を 、 墓 や 御 嶽(ウ タキ)、 拝 所 の 方 向 に 向 け て はな らな い。 自己 の 墓 は家 の 「東 」 側 に位 置 して はな らな い と され るが 、 同様 に家 は墓 の 「西 」 側 に して は な らな い。 墓 が 「東 」 に、 家 が 「西 」 に あ る状 態 で 家 が
「東 」 を 向 い て い る の は、 忌 ま れ る とす る。
そ して 、 どの 「識 者 」 も強 調 して い た の が、 家(墓 も同様)を 「トゥイ ノハ 」 の 方 向 に 向 け て は な らな い とい う こ とで あ る。 「トゥイ ノ ハ」 とは 「酉 の方 」 を意 味 し、 文 字 ど お りの 意 味 で は 西 の 方 向 を 指 す 。 ゆ え に、 曖 昧 な表 現 で 、
「西 の 方 に 家 を 向 け て は な ら な い 」 と い う人 もい た。 しか し、 久 米 島 で い う
「トゥイ ノハ 」 は、 単 に 西 を 指 して い るの で はな い。 太 陽 の 動 き と関 係 して お り、 太 陽 の沈 む方 位 で あ る と い う。 つ ま り、 久米 島 の 民 俗信 仰 が そ うで あ る よ うに、 太 陽 の沈 む方 向 を 凶 と し、 そ の方 向 に家 を 向 けて は な らな い とす る ので あ る。 太 陽 の昇 降 と 「トゥイ ノハ」 向 けの 関連 性 は、C氏 お よ びD氏 の指 摘 す る と ころ で あ る(16)。この場 合 、C氏 やD氏 が 指 して い る 「トゥイ ノハ 」 とは民 俗 方 位 で あ り、 わ れ わ れ が普 段 使 うよ うな 自然 方 位 で は な い。C氏 の説 明 よ る と ころ に よ る と、 「西 南 」 か ら 「西 」 の 間 が 「トゥイ ノハ 」 で あ り、 最 も危 険 な方 角 で あ る。 「西 」 か ら 「西 北 」 に か け て は 、 太 陽 の昇 降 とか か わ りが な い た め、 家 を 向 け て もか ま わ な い とい う。
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い ま の 時 点 で 聞 き取 る こ との で きた 方 位 判 断 に関 す る禁 忌 は 、 以 上 の4つ で あ る。 基 本 的 に、 禁 忌 さえ 守 られ れ ば 、 南 側 に向 いて いな くて も良 い。 牛 未 の 方 角(南 よ り少 し西にズ レる)が 特 に良 い とは 聞 い たが 、 理 想 と され る方 位 に関 して は、 特 に聞 く こ と はな か った。 方 位 判 断 は 、 専 門家(17)が 「カ ラハ イ 」(羅 盤)を 用 いて 行 う。
(2)日選 び
「語 リ」 よ り 今 回 の 調 査 を 通 して 日選 び は、 いず れ の 「識 者 」 に よ って も 強 調 され る こ と はな か った が 、 久 米 島 で は、 屋 敷 を 建 て る際 に は、 方 位 判 断 と と も に看 る こ とが 望 まれ て い る。
日選 び につ いて は、 第 一 に、 ウル ウル シ(う るう年)の と きが 良 い と さ れ る。
これ は、 墓 の 建 造 に関 して も同 様 で あ った 。 ウル ウル シ は、 旧 暦 で もよ く、 い ず れ か が 望 ま しい とい う こ と はな い。 第 二 は、 大 安 の 日が よ い と され る。 こ こ ま で は 比 較 的 単 純 な 判 断 で あ るが 、 さ らに専 門 的 な 日選 び とな る と、 琉 球 暦 が 参 照 され る。 そ れ に よ る と、 建 築 に良 い と され る 日選 び は、 第 三 に、 琉 球 暦 に あ る○ の部 分 、 特 に 「珍(シ ン)」 の 日で あ る。 琉 球 暦 に よ る と、 逆 に ● の 部 分 、 つ ま り、 赤 口、 二 黒 、 七 赤 の 部 分 は忌 まれ る。 また 、 先 勝 の 日 に は、 二 十 八 宿 の 中 の 血 忌 日、 凶 会 日な ど、 下 段 の ● 部 分 に あた る 日 も避 けな けれ ば な ら
な い 。 日選 び は 、 大 工 や 易者 、 あ る い は サ ン ジ ンソ ー(三 世相)に 相 談 す るの が普 通 だ が 、 で きれ ば 自分 で 知 識 を つ けて 日を 選 ぶ の が 良 い と され る。
(3)寸 法 お よ び 間 取 り
バ ン ジ ョ ー ガ ネ 家 の 寸 法 を 測 る と き 、 久 米 島 で は 、 「バ ン ジ ョ ー ガ ネ 」 と 呼 ば れ るL字 型 の も の さ し を 使 う 。 こ れ は 、 中 国 か ら 伝 わ っ て き た も の で あ る 。 裏 と 表 が あ り、 表 は 普 通 の もの さ し だ が 、 裏 に は 特 別 な 文 字 が 刻 ま れ て い る 。 文 字 は 、 長 い ほ う の 先 か ら 、 「吉 」、 「害 」、 「劫 」、 「官 」、 「義 」、 「離 」、 「病 」、
「財 」 と書 か れ て い る。 こ れ を 吉 寸 に 合 わ せ 、 間 取 り を 決 あ る の で あ る 。 た だ し、「バ ン ジ ョ ー ガ ネ 」 は 誰 で も使 え る と い う わ け で な く、60歳 以 上 の 人 で な い と 、使 い こ な せ る 人 が 地 区 に は い な い 。住 宅 は 、一 に 図 面 を 、二 に 「バ ン ジ ョ ー
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沖縄久米 島の陽宅 「風水」
①軒下 の高 さ
②番座 の高 さ ③仏壇 の寸法
図5 家屋の寸法で最 も考慮 され る部分
ガネ 」 を 、 三 に位 牌 を祀 る二 番 座 を、 最 後 に家 全 体 を 、 手 順 と して 造 る。
「語 り」 よ り 家 の 「風 水 」は墓 の 「風 水 」よ り重視 され な い(18)たあ、 す べ て の寸 法 を 測 る と い う こ とは しな い。 か つ て の久 米 島 で は 、 家 の ほぼ 全 て の部 分 の吉 寸 を測 って い た とい うが、 い ま で は半 分 も合 え ば 良 い と され る。 家 の 寸 法 に関 す る人 々 の行 為 は、 お お よ そ次 の二 通 り に分 か れ る。 第0は 、 全 く考 慮 し な い場 合 。 第 二 は、 部 分 的 に考 慮 す る場 合 で あ る。 家 の 寸 法 に関 して は、 重 要 度 が 決 め られて い る た0、 後 者 の場 合 は、 重 要 と され る部 分 だ け看 る。 その 部 分 と は、一 に軒 下 の 高 さ、二 に番 座 の高 さ、三 に仏 壇 の高 さで あ る(図5参 照)。
まず 、 軒 下 の高 さ は、 地 面 か らの距 離 で な く、 軒 下 そ の もの の 段 差 を 考 慮 す る。 軒 下 は、 大 抵 が複 数 の段 を有 して お り、 そ れ ぞ れ が 奥 に い くご と に1尺5 寸 あ げ る と良 い。 重 要 文 化 財 ・上 江 州住 宅 は 、 実 際 に そ うな って い る。 次 に、
久 米 島 の住 宅 に は、 ::座、 二 番 座 、 三 番 座 が 存 在 す るが 、 これ らと廊 下 の間 に は段 差 が あ る。 この段 差 も、 寸 法 の重 要 な 対 象 とな る。 段 差 は、1寸8分 あ げ る と良 い。 仏 壇 は、 高 さだ けで な く、 各 々の 寸 法 も見 な けれ ばな らな い。 た とえ ばA氏 は、 自身 の 仏 壇 を例 に、 次 の よ うに説 明 す る。 「仏 壇 は、 下 段 が 高 さ9寸 で 、 奥 行 き が7寸 。 中 段 は高 さ7寸 、 奥 行 き7寸 に な って い る。 位 牌 を
祀 って い る上 段 は 決 ま りが な い。7 や9は 魔 除 け の数 字 で あ るた め、7 寸 や9寸 に して い る」。
筆・者 が 家屋 内 の 寸法 に つ い て 聞 い た 事 例 は 他 に二 つ あ る。 ひ とつ は、
部 屋 の 間取 りに つ い て で あ る。 た と
コンクリー トi造り
三番座 は別館に設けてある。
図6 C氏 宅の間取 りと寸 法
え ばC民 は、 一 番 座 、 二 番 座 か ら トング ワ に至 る まで 、 各 部 屋 の縦 横 の長 さを 3の 倍 数 で 統 一 し、3尺 や9尺 と い った 寸 法 を、 意 識 的 につ く りだ して い る (図6参 照)。C氏 は 、 これ を 「風 水 」 で はな く 「しき た り」 で あ る と主 張 す る 一 方 で、 「風 水 」 と も関係 す る と述 べ て いた 。 ま た、 家 の 間 取 りで、6尺 に設 計 す る こ と は構 わ な い が 、6尺 と6尺 を 重 ね る と不 幸 が起 き る と い わ れ て い
る。 住 宅 の 高 さは、5尺8寸 にす る のが 理 想 的 で あ る と され る。
間取 りで は、 寸 法 の ほ か部 屋 の広 さ も 「風 水」 判 断 の 対 象 に な る。E氏 に よ れ ば 、8畳 が金 相 の 座 、6畳 が 水 相 の 座 、4.5畳 が 木 相 の 座 、3畳 が 火 相 の座 とい う具 合 に、 各 々 の 間取 りが 家 の 相 に対 応 す る。 これ に よ る と、6畳 と4.5 畳 は水 と木 だ か ら隣 り合 わせ に して よ いが 、6畳 と3畳 は水 と火 で相 性 が悪 い
難 器 論 論謙鎌 懇 篇謙 鳶 纏讐 奨
小 が 決 定 され る の で あ るQた だ し、 Pの 住 宅 に6畳 と3畳 の組 み 合 わ せ が あ った よ うに(図7参 照)、 間取 りは必 ず し も住 宅 の 「風 水 」 に重 要 な要 素 で は な く、 経 済 的 な側 面 な ど で無 視 され う る。
も うひ とつ は、 柱 につ い てで 、 数 と寸 法 が 判 断 の 対 象 とな る。 ま ず、 数 は奇 数 で な けれ ば な らな い。 沖 縄 で は、 奇 数 が 良 い数 字 で あ るか らで あ る。 ま た、
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沖縄久米島の陽宅 「風水」
*高 さ は5尺8寸(約80cm)築 後47年 0.18尺[段 差]
図7 E氏 宅 の 間取 り と寸 法。 軒 下 の 高 さ、 番 座 の 高 さ、 住 宅 の高 さ、
間 取 り、 柱 の 数 と寸 法 な どは、 お お よ そ理 想 通 りに な って い る。
柱 間 の 距 離 は9尺 にす る必 要 が あ る。 柱 と柱 の 間 は、 「芯 々間 」、 あ る い は 「上 間 」 と呼 ばれ て い る。9尺 にす る理 由 は、 数 と 同 じ く、 奇 数 が魔 除 け の数 字 に
あた るか らで あ る。
(4)門 の 幅 と 位 置
ジ ョー グ チ 屋 敷 へ の 出入 り 口 は、 「ジ ョー」 あ る い は 「ジ ョー グ チ」 と 呼 ばれ て お り、 玄 関 が 重 要 な意 味 を果 た さ な い沖 縄 で は、 門 に相 当 す る 唯0の 空 間 で あ る(19)。本 稿 で 記 した 門 と は、 久 米 島 で 「ジ ョー グ チ」 と呼 ば れ る もの を 指 して い る。 久 米 島 で は、0般 的 に 門 は ひ とつ で あ る が、 複 数 の 門 を ひ とつ の 屋 敷 に有 して い る事 例 も少 な くな い。 そ の場 合 、 以 下 に お け る説 明 で は、 正 門 を指 して い る。
「語 り」 よ り 門 は 「風 水 」 上 、 重 要 な箇 所 で あ る。 最 近 は あ ま り看 な く な った が、 判 断 の うえ で 対 象 とな る の は、 寸 法 、 形 状 、 向 き の 三 点 で あ る。 ま ず、 寸 法 で あ るが、 門 の 幅 は9尺 にす る の が良 い。9は 奇 数 で あ るた め 縁 起 が 良 いか らで あ る。 魔 除 け とな り、 悪 い影 響 力 を 防 ぐ こ とが で き る。 門 の 幅 を9
屋外の方向
切 り捨 て る
良 い と され る位 置 ↓ 屋 敷 の 方 向
図8 門を開 ける理想的位置
尺 とる の は 、 久米 島 の 「しき た り」 で あ る と、C氏 は主 張 す る。 次 に、 門 の形 は、 末 広 が りが 良 い とさ れ る。 つ ま り、 逆 八 の字 形 に な って い れ ば 良 い。 そ し て、 向 き で あ る が、 住 宅 の方 位 判 断 と同 じ く、 正 方 位 が忌 ま れ る。 た とえ ば、
真 西 に 門 を 開 け た な らば、 災 難 が多 発 す る とい わ れ る。 ま た、 丑 寅 と寅 卯 の方 角(東 北 の方 角)も 忌 ま れ る。 も し こ の方 位 に 門 を 開 け た ら、 そ の家 に住 む人 が 早 死 にす る とい わ れ る。
久 米 島 で最 も理 想 とさ れ る 門 の位 置 は 、 次 の よ うで あ る(図8参 照)。 まず 、 屋 敷 の敷 地 を、 南 に 向か っ て左 側 か ら3尺 を切 り捨 て る。 そ の後 、8つ に 区切 り、 ① か ら⑧ ま で の通 し番 号 とつ け る。 そ して 、 ① 、 ③ 、 ⑤ と い っ た奇 数 に あ た る部 分 を 門 にす る。 た だ し、 同 じ奇 数 で も⑦ の位 置 に は門 を開 けて は な らな い。 方 位 が 「西 」 を 向 い て い るか ら、 良 くな い の で あ る。 「西 」 側 は第 二 、 第 三 の 門 と して 開 け る場 合 が あ るが 、 そ の時 は、 相 対 的 に 「不 浄 」 の 意 味 を 付 せ
られ る こ とが 多 い。
(5)屋 敷 の 形 と 位 置
「語 り」 よ り 屋敷 の 「風 水」 判 断 は、 屋敷 外部 の 要 素 と も関 係 して お り、
具 体 的 に は、屋 敷 を立 地 す る地 形 、 屋敷 にか か わ る水 、 屋敷 そ の もの の形 、 屋 敷 を取 り囲 む道 、 他 の屋 敷 との位 置 関係 、 の5点 が 看 られ る。
ま ず、 どの よ うな場 所 に家 を建 て るか。 沖縄 の諺 に もあ る よ う に、 背 後 に ク サ テ ィ(山)を 構 え る の が 最 も理 想 的 で あ る とい わ れ る。 従 って 、F氏 な ど一 部 の話 者 は、 屋 敷 が前 側 よ り後 側 の方 が 高 くな るの が 良 い と述 べ る。 しか し、
屋 敷 の高 低 は、 この地 区 で は重 要 な要 素 で は な く、A氏 やC氏 、 E氏 の よ うに
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沖縄久米島の陽宅 「風水」
図9 屋 敷 の 形 状 の 善 し悪 しにつ いて
屋 敷 の 後 側 は必 ず し も高 くな くて も良 い と答 え る人 の方 が多 い。E氏 は、 前 側 が 低 く後 側 が 自然 と高 くな って い る場 所 を 「サ ン」 と呼 ぶ と解 説 し、 墓 は 「サ ン」 に 沿 って 建 て られ る のが 理 想 的 で あ る が、 屋 敷 の方 は 「サ ン」 に沿 って建 て る必 要 はな い と主 張 した。 ま た、 久 米 島 に は、 東 側 の方 が高 くな け れ ば な ら な い とす る考 え はな い。
次 に 、 水 との 関 係 で あ るが 、 久 米 島 で は17Cか ら用 水 工 事 が行 わ れ、 屋 敷 の 位 置 も用 水 の 流 れ る場 所 に左 右 され て き た。 調 査 で は、 今 現 在 の屋 敷 地 と用 水 との 関係 を 聞 くこ と はな か った が 、 大 正 時 代 に入 るま で、 用 水 の南 側 に家 を構 え る こ とは な か った 。 屋 敷 の 北 を水 が 流 れ て い る と 「腰 が冷 え る の で家 が繁 栄 しな い」 と言 わ れ た と い う。
屋 敷 の形 に 関 して は 、 幅 ・長 短 と もに あ ま り考 慮 され な いが 、3つ の良 いパ タ ー ン と2つ の 悪 いパ タ ー ンを 聞 く こ とが で き た(図9参 照)。 まず 、 久 米 島 の 屋 敷 は 方 形 で あ る こ と が 多 い が、E氏 に よ る と 「マ ッチ 型 」 の 屋 敷 は 良 くな い。 つ ま り、 ① に み る よ う な、 奥 に長 い縦 長 の 屋 敷 は 避 け られ る。 方 形 の 場 合、 ② の よ うな横 長 の 屋 敷 が 良 い と され る。 また 、 ③ の よ うに後 側 が 前 側 よ り 長 い屋 敷 もよ い。 た だ し、 逆 に、 前 側 が 後 側 よ り長 くな る の は良 くな い。 理 想
とさ れ る の は、 ④ の よ うに 、 西 側 が 尖 って い る屋 敷 で あ る。E氏 の 話 で は、 西 側 は女 の方 向 で あ り、 この 方 向 が へ こん で い る と女 性 の運 が 悪 くな る ので 、 な
るべ く避 け た ほ うが 良 い とい う。
家 を 建 築 す る場 合 は 、 周 りの道 と の兼 ね 合 い も考 慮 に 入 れ な けれ ば な らな い。 道 との 関 係 の場 合 、 理 想 と され る像 はな い が 、 避 け な け れ ば な らな い パ
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図10 屋敷 間の理想 的な配 置
タ ー ンは二 種 類 あ る。 第 一 は、 屋 敷 の周 囲 を 道 路 に囲 まれ るパ タ0ン で あ る。
この場 合 、 四 隅 に橋 か ア ンキ ョウ(排 水管)を 設 置 して 、 対 処 す る必 要 が あ る。
第 二 は、 東 に 屋 敷 よ り高 い 坂 道 が あ る パ タ ー ンで あ る。 こ の場 合 、 「フ ン シ ゲ ー ジ」 と して屋 敷 の東 側 に池 をつ くれ ば よい と され る。 東 に坂 道 で な く大 道 路 が あ るパ タ0ン は、 凶で あ る と は され な い。
最 後 に、 屋 敷 と屋 敷 の位 置 関 係 で あ るが 、 これ も避 け られ るパ タ ー ンが二 種 類 あ る。 ひ とつ は、 図10に 示 した よ うに、 二 つ の屋 敷 の 間 に、 自身 の屋 敷 が挟 まれ て は な らな い とす る事 例 で あ る。 両側 の屋 敷 の勢 力 に お され て しま うか ら 良 くな い ので あ る。 も し真 ん 中 にな って しま った な ら、 両 脇 に コス ジ(小 道)
をつ くるべ き と され る。 も う ひ とつ は、 分 家 一本 家 の 関係 に か か わ る。 久 米 島 で は、 子 供 が 成 長 して 結婚 す る と、 最 終 的 に は長 男 が残 り、 次 男 以 下 は分 家 す る。 そ の た め、 本 家 一分 家 関係 が あ らわ れ るの だ が、 両 者 の 間 に は、 空 間配 置 につ い て の序 列 が で き る。 原 則 的 に は、 分 家 は本 家 の後 側 、 つ ま り高 い場 所 に 位 置 して はな らな い と され る。
(6)コ ミ ュ ニ テ ィ の 「風 水 」
「語 り」 よ り 西 銘 は 「風 水 」 が 良 い と よ く い わ れ る 。 ま た 、F氏 の 話 に よ る と、 西 銘 に は 龍 脈 が 通 っ て い る と、 か つ て は 噂 さ れ て い た 。 特 に 、 西 銘 の 東 側 は 「風 水 」 が 良 く、 上 江 州 家 や ヌ ン ド ゥ ン チ な ど、 旧 家 や 聖 地 が 集 中 して い る 。 上 江 州 家 は 、 「風 水 」 の 原 理 に よ っ て 構 成 さ れ た こ と が 証 明 さ れ て い る ⑳ が 、 ヌ ン ド ゥ ン チ(21)もま た 「風 水 」 と 関 係 し て い る。 こ の 地 域 で は 、 生 ま れ た
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て の赤 ん坊 を連 れ て 参 拝 す る と い う習 俗 が あ るが 、 それ は ヌ ン ドゥ ンチ の 「風 水 」 が 良 い た め 赤 ん 坊 が育 ちや す い とす る考 え に 基 づ くだ ろ う とC氏 は語 る。
「風 水 」 は、 人 間 に非 常 に た め に な る もの だ か ら、 赤 ん 坊 の成 長 に大 い に 関 係 して い る の で あ る。 ま た、 ヌ ン ドゥ ンチ に は 石 が 三 つ あ るの だ が 、 そ の 上 で 穀 物 を焚 きつ け て ご飯 を食 べ る と、 健 や か に 成 長 す る とい う言 い 伝 え が あ る。 ヌ ン ドゥン チ は、 赤 ん 坊 か ら大 人 ま で、 成 長 す る源 な の で あ る。 少 な くと も、上 江 州 家 と ヌ ン ドゥ ンチ が 「風 水 」 と関 わ る とす る意 見 は、 ほ とん どの 「識 者 」 が 主 張 す る と こ ろの もの で あ る。 他 に も、 上 江 州 地 区 の最 も山 に近 い あ た りは
「風 水 」 が 強 い とい わ れ る。E氏 の 話 で は、 こ の辺 りに人 が住 む 際 に は、 注 意 が 払 わ れ た とい う。
4.お わ りに 要 約 と展 望
本 稿 で は、 久 米 島 にお け る 「風 水 」 知 識 を、 数 人 の イ ンフ ォ ー マ ン トの認 識 か ら と らえ よ う と した 。 そ の 結 果 、 住 宅 か ら コ ミュ ニ テ ィ の レベ ル ま で 「風 水 」 知 識 が 関 わ って い る こ とが、 明 らか と な った 。 調 査 で は、 「識 者 」 の い う 理 想 と さ れ る モ デ ル に焦 点 を 当 て、 そ れ が 実 際 の 「風 水 」 実 践 に どれ だ け反 映 され て い るか を み て い な い。 ま た、 地 域 的 に も限 られ て い る。 しか しな が ら、
そ う した 不 十 分 さ は認 め るに して も、 今 後 の研 究 につ な げ う るい くつ か の課 題 を、 要 約 的 に提 起 して お き た い。
第 一 は 、 久 米 島の 屋 敷 の造 りや村 落 景 観 が、 あ る程 度 「風 水 」 の観 点 か ら読 み 解 け る とす る可 能 性 で あ る。 た とえ ば、20年 前 に久 米 島 で実 施 され た建 築 系 の 調 査 で は、 四 方 を 道 で 囲 ま れ た住 宅 が1%と 極 端 に少 な い こ と報 告 して い る。 これ は、 四 方 を道 で 囲 まれ た住 宅 は 良 くな い とす る、 「風 水 」 上 の 原 理 と 符号 す る もの で あ る。 また 、 な ぜ 久 米 島 の住 宅 の 間取 りに3尺 一6尺 一9尺 と い った 寸 法 が 多 い の か 。 これ につ いて も、 「風 水 」 上 の説 明 を受 け て い な けれ ば、 理 解 が 困難 で あ る。 本 稿 で は、 住 宅 を 正 方 位 に 向 け る こ とへ の禁 忌 、 墓 や 御嶽 に 向 け る こ とへ の 禁 忌 、 「トゥイ ノハ 」 に 向 け る こ とへ の禁 忌 とい った 方 位 判 断 か ら、 屋 敷 の 形 状 や本 家 一分 家 間 の配 置 に 至 る ま で、 「風 水 」 知 識 が 関 係 して い る こ とを 明 ら か に した 。 実 際 に 、 い くつ か の住 宅 で は 、 「風 水 」 に
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よ つ て屋 敷 の造 りや村 落 景 観 が 決 定 され て い る。
第 二 は、 現 地 調 査 を通 して 得 た 「風 水 」 知 識 と、 史 料 や風 水 書 に記 載 さ れ た 風 水 原 理 とが 、 相 補 的 に参 照 で き う る とす る可 能 性 で あ る。 本 稿 か ら事 例 を あ げれ ば、 西 銘 村 落 の龍 脈 説 が 該 当す る。 都 築 晶 子 は、 西 銘 に お け る形 勢 論 と し て 、 ダル マ 山か ら大 城 山 を経 由 し上 江 州 家 周 辺 を通 る龍 脈 の流 れ を 『家 記 』 よ り明 らか に した(22)が、 こ の説 明 は何 も史 料 だ け の もので は な い。 これ らの場 に 龍 脈 が 通 る とす る話 は、 い まで も耳 にす る こ とが あ る。 史 料 お よ び風 水 書 に書 か れ た 事 項 は、 現 代 にお いて も確 認 す る こ とが 可 能 な の で あ る。 逆 に、 な ぜ 上 江 州 家 や ヌ ン ドゥン チが 「風 水 」 と関 係 して い るの か 、 な ぜ 西 銘 の 東 側 が か つ て 栄 え て いた の か 、 な ぜ 上 江 州 の 山側 の 「風 水 」 が 強 い と いわ れ るの か 、 現 地 調 査 にお け る疑 問 点 を 史 料 か ら裏 づ けす る こ と もで き る。 また 、 久 米 島の 風 水 書 に は、 「福 建 派 」 の理 論 につ い て ま とま った もの が 多 くみ られ る と い うが 、 現 地 で も地 形 判 断 よ り は方 位 判 断 の ほ うが 重 視 され る傾 向 が み られ た 。 第 三 は、 「フ ン シ」 と呼 ばれ る久 米 島 の 「風 水 」 知 識 が 、 中 国 の風 水 思 想 に
は な い、 独 自性 を 有 す 可 能 性 で あ る。 本 稿 で あ げた 事 例 の い くつ か は、 中 国 の 事 例 と も共 通 性 が あ るが 、 筆者 の 知 る限 り、 現 地 調 査 か ら は まだ 報 告 され て い な い 事 例 も中 には あ る。 そ の0例 が 、 奇 数 信 仰 の 「風 水 」 との 関 わ りで あ る。
先 に も述 べ た とお り、9尺 な ど奇 数 尺 は 、 必 ず し も吉 を 指 す とは 限 らな い 。 に もか か わ らず、 仏 壇 の 寸 法 か ら間 取 りの 寸 法 、 門 の 寸 法 、 柱 の 数 や 芯 々間 に至 るま で 、 久 米 島 で は 奇数 を 好 ん で 用 い る。 これ は、 奇 数 を 魔 除 け、 幸 運 の 数 字 と考 え る久 米 島 の 習 俗 の影 響 で あ る故 と、 「識 者 」 達 は考 えて い る。 中国 で は、
奇 数 を 陽 、 偶 数 を 陰 とす る習 俗 が あ るた め 、 奇 数 信 仰 と 「風 水 」 の 関連 性 は 中 国 に な い とは 断言 で き な い と筆者 は 考 え るが 、 い ま の と こ ろ調 査 報 告 が 見 当 た らな い た め、 久 米 島 独 自 の信 仰 で あ る可 能 性 も否 定 で きな い。 他 に は、 「トゥ イ ノハ 」 向 け の禁 忌 が 、 久 米 島 固 有 の信 仰 と結 び つ け られ て い る可 能 性 が あ る。
第 四 は 、 久 米 島 の 「風 水」 思 想 が 、 日本本 土 の そ れ と、 あ る程 度 の類 似 性 を もつ とす る可能 性 で あ る。 た とえ ば、 久米 島 に は 分 家 が 本 家 よ り後方 に あ って は な らな い とす る観 念 が 存 在 した が、 筆 者 は 同 様 の 観 念 を、 長 野県 小 諸 市 の調
沖縄久米 島の陽宅 「風水」
査 で も聞 い た 。 ま た 、 小 諸 市 で は、 西 を 凶 とす る観 念 が存 在 す る が、 この点 で も久米 島 の 事 例 と類 似 して い る。 小 諸 市 で も方 位 は重 要 な要 素 で あ り、 不 幸 が 起 きな い た.一の 方 位 判 断 が な され る し、 不 幸 が 生 じた場 合 に は住 宅 の 向 きが 変 え られ る㈱ 。 久 米 島 で は また 、 池 が 不 幸 を 避 け る手 段 と して使 われ て い た。 小 諸 市 で は 、 逆 に池 が 不 幸 を呼 ぶ 要 因 と して み な さ れ て い る。 沖 縄 の 「風 水 」 と 日本 の そ れ とは 、 区 別 され るの が 通 例 で あ るが 、 以 上 の事 例 を考 慮 す れ ば両 者 を 完 全 には 区 別 で きな い と も考 え られ る。
い ま の 沖縄 の 「風 水 」 研 究 で は、 特 に第 三 、 第 四 の項 目、 つ ま り、 住 宅 ・コ ミュニ テ ィ と 「風 水 」 との 関 係 を、 中国 や 日本 と比 較 す る視 点 が 欠 け て い る。
そ の理 由 と して は 、 ひ とつ は沖 縄 にお け る現 地 調 査 の不 足 が あ り、 も うひ とつ に は 、 中 国 や 日本(特 に後者)に お い て も比 較 に足 り る ほ ど十 分 な現 地 調 査 が な され て い な い こ とが あ げ られ る。 「自然 」 と 「文 化 」 を対 立 さ せ ず、 不 可 分 か つ相 補 的 な 関 係 に お く思 考 が 風 水 で あ る とす る な らば、 風 水 的 思 考 は、 人 間 の吉 凶 が 自然 の影 響 を 受 け る と し、 建 築 の 際 に 自然 に は た らきか け る久 米 島の 人 々 の 中 に も存 在 す る。 同 様 の こ と は、 中国 や 日本 につ い て もい え る。 久 米 島 だ け で な く、 中 国 な らび に 日本 を 視 野 に含 め て 研 究 す る必 要 性 を指 摘 す る こ と で、 本 稿 を結 ぶ こ と に した い。
【注 】
(1)渡 邊1990:159。
(2)渡 邊 の 指 摘(2001)で は、 沖 縄 に お い て 、 史 料 や 風 水 書 に基 づ く 「テ キ ス トの 風 水 」 と、 近 現 代 の 話 し手 か らの 聞 き書 き に 基 づ く 「コ ンテ キ ス トの風 水 」 に差 異 が 見 られ る とい う。 従 って 、 「風 水 」 研 究 は、 双 方 か ら捉 え る必 要 が あ る。
(3)渡 邊1993:144‑185。 他 に は 、 原 の与 那 国 調 査(2000)な ど、 現 地 調 査 に基 づ く研 究 が 、 い くつ か 存在 す る。
(4) 「風 を 蓄 え、 水 を 得 る」。 立 地 の 際 に 、 良 い 自然 環 境 を選 択 す る術 が 述 べ られ て い る。
(5)都 築1990:24 一 25。
(6)い ま で も福建 省 で は 、 両 派 が 並 存 して お り、 状 況 に よ っ て使 い分 け て い る。
(7)沖 縄 へ の風 水 受 容 は 、1667年 、 周 国俊 国 吉 通 事 が 福 建 省 に渡 り、 「地 理 」 を学 ん で帰 った の が 始 ま り とい わ れ る。 しか し、 中 国 か らの渡 来 人 で あ る唐 栄 人 に よ り、
1650年 に は沖 縄 に 風 水 知 識 が 伝 え られ て い た とす る文 献 もあ る。 ま た、1392年 の 閾南 人 渡 来 以 降 とす る説 も少 な くな い。
(8)渡 邊1990:160。
(9)横 山 ・都 築1999:1、 上 江州1999:7。
(10) 「フ ン シ」 は、 明 らか に 中 国 の 風 水 思 想 の 影 響 を 受 け て い る の だ が 、 沖 縄 の 「風 水 」 は 中国 の風 水 と必 ず し も一 致 しな い とす る指 摘(渋 谷2000)も あ る。 従 っ て 、 本 稿 で は 、 沖 縄 の 風水 に 限 り、括 弧 に く く って 表 記 した。
(11) 『都 市 デ ー タ ー ブ ック2002年 度 版 』(東 洋 経 済 新 報 社)よ り
(12)あ る 「識 者 」 が主 張 して い た よ う に、 「コ ンク リー ト使 用 の 家 で も、 民 家 の 間取 り は以 前 の 木 造 民 家 と同 じで あ る」 こ と が 多 い た め、 赤 瓦 の 古 い民 家 か ら コ ンク リー ト造 りの 近代 的 な住 宅 ま で、 広範 囲 に適 用 で き る。
(13)住 宅 の 門 の 間 に あ って 、 住 宅 の 視 界 を遮 る た め の建 造 物 。 通 常 は 四 角 形 の石 壁 が 使 わ れ るが 、 木 で代 用 さ れ る場 合 も あ る。 中 国 で は、 「殺 気 」 除 けが 目的 で設 置 され て い る こ と が多 い の だ が 、 久 米 島で は 同様 の声 を ま だ 聞 いて いな い。 最 近 は、
自動車 の 出入 りに不 都 合 な た め、 撤去 さ れ る傾 向 に あ る。
(14)獅 子 の 形 を した建 造 物 。 一 般 的 に は魔 除 け の た め に設 置 され る。 「識 者 」 の うち 数 人 は 「ア ク フ ー ゲ ー ジ」、 つ ま り 「殺 気 」 除 け の 建 造 物 で あ る と見 て い た。 い ま で は 門 の正 面 に 一 対 置 くの が 慣 例 とな って い る が 、 も と も と屋 根 に 置 くの が 普 通 で あ る。 口の 開 い て い る方 が オ ス で 、 閉 じて い る方 が メ ス 。 屋 根 の 上 に乗 っ て い る シ ーサ ー は オ スで あ る。 門 前 に 置 くよ う に な っ た の は、 那 覇 の あ る村 で お き た 事 件 が 原 因 で あ る とい う。
(15)調 査 地 の風 水 意 識 に 関 す る統 計 は、 ま だ と って い な い。 今後 の課 題 と した い。
(16) 「トゥイ ノハ 」 は 民 俗 方 位 で あ るた め 、 年 間 を 通 して変 化 し う る。 な ぜ な ら、
太 陽 の昇 降地 点 は、 時 期 に よ り変 わ るか ら で あ る。 従 って 、 実 際 の 方 位 計 測 に、
「トゥイ ノハ 」 向 け の禁 忌 が 如 何 にか か わ って い る か 明確 で はな い。 本 稿 で紹 介 し た の は、 話 者 の 意 識 の上 で の 問題 で あ る。 実 践 面 で の 「ト ゥイ ノ ハ 」 向 け に 関 す る詳 細 な報 告 は、 今 後 の課 題 と した い。
(17)地 区 で は、 「風 水 」 を看 る人 が い るが 、 彼 らは 「風 水 」 判 断 を 専 業 と して い な い。 ま た 、 「風 水 師 」、 「地 理 先 生 」、 「陰 陽 先 生 」、 「六 時 先 生 」 に相 当 す る言 葉 で も 呼 ば れ て い な い。
(18)た とえ ばA氏 は、 「家 は と もか く墓 は そ の人 の運 命 を 破壊 しか ね な い 」 と父 親 に 忠 告 され た た め 、 墓 の 「風 水 」 判 断 は しな い と い う。 家 は一 時 の 住 処 で あ る が 墓 は一 生 の住 み 処 で あ る とす る観 念 は、 久 米 島 に お い て も存 在 す る。
(19)赤 嶺1999:145。
(20)東 京 都 立 大 学 ・渡 邊 欣 雄 教 授 と同大 学 ・何彬 助 教 授 に よ る。
沖縄久米島の陽宅 「風水」
(21)上 江 州 付 近 に あ る拝 所 。 「祝 女 殿 内 」 と書 く。
(22)都 築1999:52 一 54。
(23)住 宅 そ の もの を変 え るの が 困 難 で あ る場 合 は 、 玄 関 口 な ど 内装 を変 え る。 こ う した 事例 は、 香港 や 福 建 省 で も報 告 され て い る。
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一69一
上江州均 渡邊欣雄
横 山俊夫
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1999 「久 米 島具 志 川 の 日選 び」 『久 米 島 に お け る東 ア ジ ア諸 文 化 の媒 介 事 象 に 関 す る総 合 研 究 』(科 学研 究 費成 果 報 告 書)
都 築 晶 子 1999 「研 究 成 果 報 告 」 『久 米 島 に お け る東 ア ジ ア諸 文 化 の媒 介 事 象 に 関 す る総 合研 究』(科 学研 究 費成 果報 告 書)
〒192‑0355東 京 都 八 王 子 市 堀 ノ 内3‑30‑1‑405