保険業規制の国際協調のあり方に 関する考察
保険のリスク移転と金融仲介機能に焦点をあてて
諏 澤 吉 彦
■アブストラクト
本稿は,保険事業が国際化するなか,そのリスク移転と金融仲介機能が確 保され,持続的国際経済・社会に資するために必要な保険業規制の国際協調 のあり方を探ることを目的とする。従来の保険規制は,保険企業の支払能力,
保険料率・商品内容,被保険エクスポージャのリスク実態に関する情報の不 完全性を緩和するために個々の市場で行われてきた。しかし保険企業による リスク移転取引が国際化しつつある現状からは,支払能力に関する情報不完 全性は一層深刻となり,保険の諸機能を損ないかねない。このため,ソルベ ンシー規制,セーフティネット,会計基準,破綻処理規制などの健全性規制 に関しては,一定の共通化が必要であろう。一方で,保険料率・商品規制お よび販売規制などの市場行動規制について,個々の市場の歴史的・社会的背 景や経済成長段階の違いを軽視した共通化は,かえって保険のリスク移転機 能を損ないかねず,一定の個別性は許容されるべきである。
■キーワード
保険業規制,健全性規制,市場行動規制
*平成26年10月19日の日本保険学会大会(香川大学)報告による。
/平成27年1月18日原稿受領。
1.はじめに
保険企業が,様々な経済主体に対してリスク移転と補償の手段を提供する ことをとおして,各国経済・社会の発展と安定に貢献し得ること,そして,
保険企業が蓄積した保険資金を投資・運用に充てることで,経済主体の活動 を支えていることは,これまで繰り返し議論されてきた。一方で,企業活動,
投資活動そして保険事業が国際的に展開していくなか,世界経済・社会の持 続的発展に向けて保険事業が貢献することへの期待が高まっている。このこ とは,国連環境計画金融イニシアティブ(UNEP Financial Initiative)が 2012年に発 表 し た 持 続 的 保 険 の 基 本 原 則 (
Principles of Sustainable Insurance
,以下PSI
という)において,国際経済・社会の持続的発展に向けて保険事業が貢献すべきであると呼びかけていることからも読み取れる。
同原則は,4つの基本原則により構成されるが,世界的に少子高齢化が進展 するとともに,大規模自然災害が頻発していることを踏まえたうえで,リス ク軽減活動と革新的技術開発の推進,生活保障や環境保全などへの支援にお いて,各国の保険企業が寄与すべきであると呼びかけている 。
このような現状認識に立って,本稿では,保険事業が国際化するなか,そ れが,そのリスク移転と金融仲介機能を発揮し,世界経済・社会の持続性に 資するためには,保険規制に関して,どのような公的規制,競争政策,そし て国際協調の枠組みが求められるのかを探る。以下では,まず,保険事業の リスク移転機能と金融仲介機能を先行の理論研究および実証分析に基づいて 再整理を試みると同時に,保険事業の国際化と保険業規制の国際的協調の実
1)
UNEP Finance Initiative
(2012),pp.3‑9.
具体的には,原則1:事 業 に 関するあらゆる意思決定の局面において,環境,社会およびガバナンスに関す る諸課題を考慮すること,原則2:これらの諸課題に関して顧客およびビジネ スパートナーの認識を高め,解決策を探る努力をすること,原則3:各国政府 や規制監督者およびその他の主要なステークホルダーと協働し諸課題について 社会全体での幅広い行動を促すこと,原則4:PSI実施の進捗状況を信頼性と 透明性を確保したうえで定期的にディスクローズすることが挙げられている。態を確認する。さらに保険事業の国際化が,その市場特性をどのように変化 させ,保険事業のリスク移転と金融仲介機能にどのような影響を及ぼしてい るのかを検討したうえで,保険規制の国際的協調のあり方を,健全性規制,
市場行動規制,競争(競争制限)規制の3つの分野に分けて探っていく。
2.保険事業のリスク移転・金融仲介機能と持続的社会
⑴ 保険のリスク移転機能と持続的社会
保険の基本的機能は,リスク移転と補償の手段を,様々なリスクにさらさ れる経済主体に提供することである。このような保険のリスク移転機能によ り実現される個人・家計および企業・組織の財務的安定は,消費活動の促進,
資本の生産性向上,技術革新とロスコントロールの推進,そして生活保障シ ステムの補完といった派生的な効果により,社会の持続性に貢献すると考え られることは諏澤・Scordis(2013)が述べているとおりであるが ,これ らの効果の関係性を明確にしたうえで,保険のリスク移転機能の貢献として とくに重要と考えられる消費の促進と技術革新に焦点をあてて再整理すれば,
以下のとおりとなる。
①個人・家計の消費促進と正の外部性
個人・家計は様々なリスクに対処するためにリスク保有とリスク移転の選 択を行っているが,期待損失またはパラメータ不確実性が比較的高いエクス ポージャに関してリスク保有を行っている場合,キャッシュフローから損失 を埋め合わせることは困難となる場合がある。このことを懸念するリスク回 避的な個人は,貯蓄などをとおして多額の資金を流動性の高いかたちで保有 する必要があるため,とくに高額資金を消費に充てることを躊躇すると考え られる。反対にこれらのエクスポージャに保険を付すことによりリスクを移 転できれば,個人は,より積極的に消費活動を行うと期待できる 。このよ
2) 諏澤・Scordis(2013),p.57。
3)
Curak et al.
(2009), pp.31‑32 .
ここでは,財物保険が住宅の消費,また,うに保険が入手可能であることは,市場における商品・サービスの需要を維 持し,その結果,企業・組織による商品・サービスの開発と生産を促し,雇 用を活性化するといった正の外部性をもたらし得ると考えられる。
②企業・組織活動の促進と技術革新
企業・組織がリスク保有をする場合には,多額の資金を損失準備金などと して流動性の高いかたちで保有し続ける必要がある。このことにより企業は 将来利益の見込まれる新規プロジェクトなどの有利な投資機会を得たとして も,そこに資金を投入することを許さないかもしれない。さらに,発生した 損失が,キャッシュフローはもちろん損失準備金をもってしても埋め合わせ ることができない水準であった場合には,新たに証券を発行する必要に迫ら れるかもしれない。証券発行には,投資銀行への手数料や,届出書類の作成,
情報公開手続きなどの法律・規制要件を満たすための事務コストがかかるこ とは言うまでもない。さらに,このような明示的なコストに加え,証券発行 に際しては,証券の過小評価のコストも企業・組織は負担することとなる 。 企業・組織の経営者と投資家との間には経営実態に関して情報不均衡が存在 するが,損失発生後の株式や社債の発行は,情報劣位にある投資家に,企 業・組織の将来キャッシュフローに問題があるためであると推測させること となる。その結果,引き受けるリスクにみあったリスクプレミアムを差し引 いた価格でしか,証券をすすんで購入しないと考えられる。このようなコス ト負担の可能性を認識する企業・組織は,新規投資に消極的にならざるを得 ない。
反対に,保険により様々なリスクを移転することで,潜在的なコスト負担 を免れれば,企業・組織は本来の基幹的な事業に注力でき,また新規投資機 会を積極的に利用すると期待できる。このことは,将来性が見込めるものの,
自動車保険が自動車の消費といった高額の消費を促進し得ることが議論されて いる。
4) 米山・箸方監訳(2005),p.278。
不確実性が高いプロジェクトにも多くの資源を投入することにもつながり,
革新的な商品・技術の開発を促進すると考えられる 。たとえば新たな商品 の開発・販売による損害賠償責任負担のリスクを,製造物責任保険などをと おして移転可能となれば,企業は,たとえ不確実な新商品開発であっても過 度に躊躇することはなくなると考えられる。このような革新的な技術開発は,
前述の 持続的保険原則 においても言及されている持続可能な新エネルギ ーシステムの開発や,自然災害などによる損失回避・縮小のための新たなロ スコントロール技術開発などの分野においても期待できるものである 。
⑵ 保険の金融仲介機能と持続的社会
保険事業は,そのリスク移転機能をとおして経済諸活動を支えていると同 時に,保険取引をとおして形成された責任準備金などの保険資金を投資・運 用に充てることにより,世界的な資本市場のなかで重要な機関投資家となっ ている 。このような保険の金融仲介機能の経済における役割について諏 澤・ 口(2011)は,Skipper(1997)の議論に基づいて金融市場の安定,
通商の促進,国内における貯蓄資金の動員,資本の蓄積促進,国内資本の効 率的配分の促進などについて述べている 。これに他の先行研究の議論も踏 まえ,再整理を試みれば,保険事業の金融仲介機能は,以下のとおり効率的 な資本の集積と配分に貢献し得ると考えられる。
①資本の効率的集積
保険企業は,多数の保険契約者から収受する保険料を主な原資として保険 資金を蓄積することにより,比較的低い取引コストで効率的に資本を集積す ることができる 。資金の集積はまた,より分散化したポートフォリオ構成
5)
Webb, Grace and Skipper
(2002), pp.3‑6 .
6)UNEP Finance Initiative
(2012), p.1 .
7)Skipper and Kwon
(2007), p.505 .
8) 諏澤・ 口(2011),pp.2‑3。9)
Curack et al.
(2009), p.33 .
を可能にするが,保険企業が,適切なポートフォリオ管理によりリスク分散 を図っていることを前提とすれば,保険料収受と保険金支払いの間に存在す るタイムラグを利用して,保険資金の多くを公社債,株式などの有価証券と して運用することとなる。とくに生命保険事業においては,保険期間が長期 にわたるため,長期的な資金の提供者としての役割は大きく ,また,集積 した保険資金を大規模な投資に充てることも可能となる。
②資本の効果的配分
集積された保険資金は,将来の支払保険金に充てられるものであるため,
投資活動には安全性と流動性が求められる。実際にも保険企業の投資活動に は,支払能力を確保し,迅速な保険金支払いを可能とするため多くの市場に おいて厳格な運用規制がなされており,リスクの相対的に高い資産,流動性 の低い資産への投資を制限している。このように保険企業は,投資の安全性 と流動性を重視すると同時に,収益性も最大化するインセンティブを持つと も考えられる。すなわち,保険料率算出において保険企業に一定の裁量が与 えられている市場においては,純保険料は通常投資収益が織り込んで算出さ れている。保険企業が自社の保険商品の価格競争力を確保するためには,一 定の投資収益を得ることは不可欠となっている 。このように保険企業は,
投資先に対するモニタリングを強化し,安全性と流動性,そして収益性のバ ランスをとった資金配分にも貢献すると考えられる。
3.保険事業の国際化と保険市場の変化
⑴ 保険事業の国際化
1990年代以降,新興市場の経済成長,国際取引の自由化,情報技術および 10)
Arena
(2008), pp.923‑924 .
11)
Vaughan and Vaughan
(2008), pp.141‑142 .
ここで は,比 較 的 保 険 期 間 が長期となる生命保険商品の保険料率算出においては従来から一定の予定利率 が織り込まれており,近年は損害保険分野でも投資収益が保険料の重要な構成 要素になりつつあることが指摘されている。それを基礎としたネットワーク社会の急速な発展などに伴い,商品・サービ スの国際取引の活発化や海外投資の増加など,企業活動・投資活動がグロー バル化している。また,一部の保険企業の海外進出,国際的な連携,そして 国際的金融・保険グループの形成などに見られるように,保険事業のグロー バル化も進展している。このような金融・保険グループの成長には,商品開 発,販売および資産投資などにおいて規模の利益を生み出すことが期待さ れ ,一定の経済性があるものと考えられる。しかし,組織が巨大となれば,
分権化された意思決定化で適切なコーディネーションを行うために追加的な コストが必要となるおそれもあり,その結果,グループの経営主体にとって も組織内細部にわたるオペレーションの実態を把握することはしばしば困難 となることはもちろん,投資家をはじめとするステークホルダーにとってグ ループの経営実態,リスク実態に関して不透明性が増すこととなる 。金 融・保険市場の国際化と,保険市場と他の金融市場間との融合の進展は,同 様に個々の市場の規制監督者がその実態を把握することを難しくする。実際 にも米国のサブプライムローン問題に端を発する金融危機は,2008年の米国 大手証券会社の経営破綻を経て世界中に波及し各国に不況をもたらした 。 このことは,金融・保険グループの経営実態とリスク実態に関する情報の不 完全性が拡大したことも一因となっていると考えられる。こうした過程を通 じて国際保険規制・監督体制の必要性が認識されるようになり,実際にも 1994年 に 発 足 し た
International Association of Insurance Supervisors
(IAIS)は,保険監督者間の国際的な協調と情報交換の促進や金融各分野の 12) 諏澤(2013),pp.52‑54。ここでは,規模の経済性とともに,単一の金融機 関が複数の分野の金融商品を販売することによる範囲の経済性の可能性につい ても触れている。
13) 恩蔵(2013),pp.106‑108。ここでは,金融コングロマリットのリスクにつ いて,不安定性と支払不能のリスク,不透明性のリスク,そして自由競争と消 費者の権利を侵害するリスクに整理したうえで,コングロマリット内で関係が 複雑化すれば,資金の流れや保有,ビジネスリスク,指揮系統などについて監 督当局が把握しにくくなると指摘している。
14) 溝渕(2013),p.1。
規制監督者とのコーディネーションなどに取り組んでいる。IAISの保険基 本原則(Insurance Core Principles)を規制領域に注目して見れば,①財 務健全性に関する事項(負債,投資,デリバティブ契約やソルベンシーな ど),②市場行動に関する事項(保険仲介者,消費者保護や情報開示など),
③マネジメントに関する事項(免許交付,ガバナンス,内部統制など)を含 むが ,保険監督規制の国際的な調和を目指すと同時に,各市場の発展段階 や,歴史的・文化的背景の違いにも配慮していることが読み取れる。
⑵ 従来の保険市場の特性と保険規制
規制による公的介入は,市場の不完全性によってもたらされる取引当事者 のコスト負担の増加などの非効率を縮小することを目的として行われるとみ ることができる。完全市場は,取引に関する情報が完全であること,特定の 当事者が市場支配力を持たないこと,そして負の外部性がないことなどを要 件とするが ,これらの要件のなかで保険市場においては,従来から,取引 に関する情報の完全性の問題が重視されてきた。保険市場における情報の不 完全性には,諏澤(2010)が検討しているとおり,保険料率・商品内容に関 する情報,保険企業の支払能力に関する情報,そして被保険エクスポージャ のリスク実態に関する情報の不完全性が主なものとして挙げられる 。すな わち,保険料率・商品内容に関する情報と保険企業の支払能力に関する情報 の不完全性は,潜在的な保険契約者には保険商品,保険企業選択のための追 加的なサーチコストを,保険企業には自社の財務・商品情報を知らしめるシ グナリングコストを課すものである。被保険エクスポージャのリスク実態に 関する情報の不完全性によって,保険契約者の逆選択とモラルハザード防止 のために追加的コストが必要となり,これらのコストは最終的に取引当事者 間で負担しあうこととなる。
15)
IAIS
(2011), pp.3‑8 .
16)
Skipper and Kwon
(2007), pp.178‑179 .
17) 諏澤(2010),pp.65‑69。金融市場における公的規制は,健全性規制(prudential regulation),市 場行動規制(market conduct regulation),競争(競争制限)規制(com-
petition regulation
)の分野において行われてきた 。保険市場においては,前述のとおり情報の不完全性の問題が重大であったために,これらの分野の なかで,とくに健全性規制と市場行動規制に公的規制の主軸が置かれてきた。
すなわち健全性規制として,財務規制,ソルベンシー規制,支払保証基金な どをとおして,保険企業の支払能力に関する情報不完全性の問題を緩和して きた。これらの健全性規制とならんで,市場行動規制としての料率・商品規 制 ,販売規制などをとおして,保険料率・商品内容に関する情報不完全性 と支払能力に関する情報不完全性の問題を緩和してきたといえる。一方で,
競争(競争制限)規制に関しては,他の産業では,一般に競争制限的行動の 防止を主な目的としてかたちづくられてきたのに対して,保険市場において は,過度の価格競争をはじめとする破壊的競争(destructive competition) を防止するために ,厳格な免許規制,市場参入規制,保険料率・商品規制 などが,多くの場合に競争を制限する方向に設計され,実施されてきた。
⑶ 国際化にともなう保険市場の特性の変化
保険事業が国際化するなか,情報の不完全性に代表される保険市場の特性 は,どのように変化するであろうか。保険料率・商品内容に関する情報に関 しては,保険商品の取引が各市場(法域)内で行われる限りは,情報の不完
18) 諏澤(2013),pp.39‑41。ここでは競争規制が,金融市場においては金融機 関の競争制限的行動を回避することを目的としていることを踏まえたうえで,
保険市場においては過度な競争を回避することを目的としている場合が多いこ とを述べている。
19) 保険料率・商品規制は,市場行動規制であると同時に,これにより保険企業 の支払能力を確保するという健全性規制の側面も持つものである。わが国にお いては,1990年代後半の規制緩和以前の保険市場においては,保険料率・商品 規制の健全性規制としての役割が大きかったことは,諏澤(2010)pp.72‑74 の検討からも読み取れる。
20)
Vaughn and Vaughn
(2008), pp.101‑102 .
全性,取引当事者間の情報の不均衡に変化はないと考えられる。しかしなが ら,将来的に取引が従来の各市場の境界を超えて行われれば,情報の不完全 性・不均衡は拡大するおそれがある。
保険企業の支払能力に関する情報の不完全性については,国際的に事業を 展開する保険グループなどの経営実態に関しては,各市場(法域)の規制監 督者は,十分な情報を得られない可能性が高い。このため,個々の市場を超 えて保険グループのユニット間で信用供与,証券取引,リスク移転取引が行 われれば,そのグループ全体のリスク実態に関して不透明性が増すこととな る 。さらに諏澤(2013)が検討しているとおり,保険グループが,より有 利な法域に本拠を置くグループ内のユニットにリスクを移転するなどのいわ ゆる規制裁定(regulatory arbitrage)が行われるおそれもあり,その結果,
グループ内の一つのユニットが直面するリスクが顕在化すれば,負の影響の 伝播(contagion)も起こりやすくなると考えられる 。
一方で,被保険エクスポージャのリスク実態に関する情報の不完全性に関 しては,保険商品が,個々の市場に存在するエクスポージャを対象として,
その市場内で提供される限りは,情報の不完全性,取引当事者間の情報の不 均衡に変化はないと考えられる。しかし,将来複数の市場にまたがって存在 または活動する企業などのエクスポージャを,包括的に保険カバーの対象と してリスク移転取引がなされることとなった場合には,情報の不完全性・不 均衡は拡大するおそれがある。
⑷ 保険の諸機能への国際化の影響
以上のような国際化による保険市場特性の変化は,保険のリスク移転と金 融仲介機能へどのような影響を及ぼし,その結果これらの機能を損なうこと 21) 溝 渕(2013),pp.17‑18。こ こ で は,イ ギ リ ス の プ ル ー デ ン ス 規 制 機 構 (
Prudential Regulation Authority
)の保険監督に関する報告書に基づいて,金融・保険グループを構成する保険企業の資本と準備金の管理のリスクマネジ メント実態を,当該グループ全体で把握する必要性が指摘されている。
22) 諏澤(2013),pp.55‑56。
があり得るのであろうか。このことについて以下では,保険市場におけるさ まざまな情報の不完全性がどのように変化するのか,あるいはしないのかに 焦点を当てて検討する。
①保険のリスク移転機能への国際化の影響
保険のリスク移転機能は,保険料率・商品内容に関する情報と被保険エク スポージャのリスク実態に関する情報の不完全性・不均衡の影響を強く受け る。このため,これらの情報不均衡を緩和することを目的とした保険料率・
商品規制および販売規制などの市場行動規制は,個々の市場・法域の成熟段 階,歴史的・社会的背景などを反映した個別性の高いものであった。保険に よるリスク移転取引が各市場内で行われる限りは,情報の不完全性により保 険のリスク移転機能が追加的に大きく損なわれることはないが,保険取引が 各市場を超えて行われれば,情報の不完全性・不均衡は拡大し,そのリスク 移転機能を損なうかもしれない。
また,国際保険グループなどの国際的に事業を展開する保険企業のリスク 実態に関する不透明性が増せば,潜在的な保険契約者にとって,保険企業の 支払能力の適切な評価が困難となる。保険企業・保険商品選択に関して適切 な意思決定が困難となれば,保険のリスク移転機能は損なわれかねない。
②保険の金融仲介機能への国際化の影響
巨大な保険グループなどの保険企業の経営実態,リスク実態に関する不透 明性が増せば,規制監督者や投資家などのステークホルダーにとって保険企 業の支払能力の評価が困難となるが,ステークホルダーによるモニタリング が困難となれば,競争圧力にさらされる保険企業は,リスクテイキングな投 資行動をとるおそれがある。また,国際的に活動する保険グループなどの規 模が巨大となれば,世界市場に及ぼす影響も大きくなり,規制監督者はいわ ゆる
TBTF
(Too-Big-To-Fail)ポジションを取りやすくなり,このことを 認識する保険グループの行動が,リスクの高い方向に変化するかもしれない 。さらに,将来的に保険企業が有利な法域に資産・資金を移転するなど の規制裁定が可能となれば,本来は前述のとおり安全性,流動性および収益 性を重視する保険企業の投資行動が歪められ,その金融仲介機能を損なう事 態となるおそれもある。
4.保険業規制の国際的協調のあり方
⑴ 健全性規制と国際的協調
以上のような保険事業の国際化が,そのリスク移転機能と金融仲介機能に 及ぼす影響を踏まえたうえで,PSIが期待するように保険事業が国際経済・
社会の持続的発展に資するためには,保険業規制の国際協調がどのような枠 組みで行われるべきであろうか。
健全性規制が,保険企業の支払能力に関する情報の不完全性・不均衡を緩 和することを目的とすることは,前述のとおりであるが,保険企業の経営・
リスク実態の不透明性が保険事業の国際化により拡大し,その結果,保険契 約者,投資家をはじめとするステークホルダーにとって支払能力の評価が困 難となり,保険のリスク移転機能と金融仲介機能を損なうおそれがあった。
このため,保険企業の支払能力を確保するために,健全性規制を構成する財 務規制,ソルベンシー規制に一定の国際的協調,各市場の監督者間で統合さ れた監督システムまたは迅速な情報交換が可能な協調体制の構築が求められ るのではないだろうか。また,ステークホルダーのモニタリングにより市場 規律を機能させるためにも会計基準,破綻処理規制にも一定の国際的共通化 が不可欠であろう 。
また,健全性規制のなかでも,支払保証基金などのセーフティネットが,
各市場により異なれば,多国間で事業を行う保険グループなどが,有利な市
23) 諏澤(2013),p.57。
24) 上野(2013),pp.76‑77。ここでは金融庁の示した金融検査の基本指針を取 り上げ,金融検査が,外部監査を前提としつつ市場規律を補強するものである ことを述べている。
場にリスクを移転することも考えられる。このような保険企業の規制裁定を 回避するために,各市場間で,セーフティネットに関して賦課金・拠出金の 体系,事前または事後拠出の別などの財源確保の方法,またその保護水準な どを共通化することも必要かもしれない。
⑵ 市場行動規制と国際協調
保険料率・商品内容に関する情報と被保険エクスポージャのリスク実態に 関する情報の不均衡は,前述のとおり保険事業の国際化により大きく影響を 受けるものではなかった。このため,これらの情報不均衡を緩和することを 目的とした保険料率・商品規制および販売規制などの市場行動規制は,個々 の市場・法域の成熟段階,歴史的・社会的背景などを反映して,個別に設計 され実施されるべきであるといえる。反対に,各市場の社会的,歴史的背景 を十分考慮しない統一的な規制緩和や,反対にリスク細分化の制限などの規 制強化を伴う極端な国際的共通化は,かえって保険料率・商品内容に関する 情報不均衡を拡大し,保険のリスク移転機能を損なうおそれもある。このた め,保険契約によるリスク移転が,個々の市場内で行われる限りは,市場行 動規制を構成する保険料率・商品規制,販売規制などは,個々の市場の特性 や経済成長段階の違いを反映して設計され実施すべきであり,国際協調は必 ずしも求められないのではないか。
しかしかりに,保険取引が複数の市場間で行われることとなれば,保険料 率・商品内容に関する情報不完全性・不均衡は拡大しかねない。たとえば,
多国間で活動する企業・組織に対してリスク移転の手段としての保険商品を 提供する場合,各市場で異なる規制に従って取引を行うにはリスク判定・評 価などのコストが過大となるおそれがある。このため,少なくとも一部の企 業分野の保険契約取引などに関しては,保険のリスク移転機能を確保するた めに,市場行動規制の国際的協調も将来的に必要になるかもしれない。
⑶ 競争(競争制限)規制と国際協調
個々の市場の参入障壁が過度に高くなく,かつ適切な競争状態が保たれて いれば,保険市場が破壊的競争状態に陥ったり,大規模な保険企業が圧倒的 な市場支配力を持ったりすることはないと考えられる。このため,免許規制,
市場参入規制,保険料率・商品規制などの競争(競争制限)規制は,各市場 の発展段階,成熟度などに適合して個別に設計されるべきであり,必ずしも 共通化は求められないと考えられる。
しかしながら,多国間,他分野で事業を展開する保険グループなどの経営 実態の透明性が損なわれれば,国外または保険規制の対象外の分野のユニッ トから,内部補助やフリーキャッシュフローの投入がなされ,その結果市場 の競争を歪めるおそれもある。このような事態に個々の市場で対処すること が困難となることも考えられるため,規制監督者間での情報交換体制の構築 などの対策を将来的には整備する必要もあろう。
5.むすびにかえて
これまで見てきたとおり,保険のリスク移転機能は,保険料率・商品内容 に関する情報と被保険エクスポージャのリスク実態に関する情報の不完全性 から強く影響を受けるものの,保険事業が国際的に展開したとしても,保険 取引が個々の市場内で行われる限りにおいては,これらの情報の不完全性の 問題は,著しく変化しないと考えられる。しかし,保険グループなどの保険 企業が巨大となり,活動範囲が広がれば,ステークホルダーにとって,その 経営実態・リスク実態のモニタリングが困難となる。その結果,保険企業の リスクテイキングな行動や規制裁定を誘引し,その結果,保険のリスク移転 機能と金融仲介機能の双方が損なわれるおそれがあった。
以上のことを踏まえたうえで,保険業規制の国際的協調のあり方を検討す れば,保険企業の財務健全性と支払能力に関する情報の不完全性を緩和する 健全性規制に関しては,一定の国際的な調和と共通化が求められる。すなわ ち,ソルベンシー規制は,保険契約者,規制監督者をはじめとするステーク
ホルダーにとって国際的に活動する保険企業であってもその経営・リスク実 態が把握可能なように共通化の努力が求められよう。同様に,セーフティネ ットに関しても,多国間で活動する保険企業がより有利な法域にリスクを移 転するような規制裁定行動を避けるためにも,各市場間で保護水準を共通化 するなどの措置が必要といえる。さらに,投資活動が国際化する中,保険の 金融仲介機能を確保するためには,投資家などによるモニタリングを容易に し,市場規律が機能し得るよう,会計基準,証券規制,保険企業の破綻処理 規制の国際的協調も必要と考えられる。
一方で,保険料率・商品規制および販売規制などの市場行動規制の,個々 の市場の歴史的・社会的背景や経済成長段階の違いを軽視した極端な共通化 は,かえって保険カバーの価格と内容に関する情報の不完全性・不均衡を拡 大させ,保険のリスク移転機能を損なうおそれがある。このため,保険契約 取引が個々の市場内で行われる限りにおいては,保険料率・商品規制および 販売規制などの市場行動規制の形態は市場ごとに異ならざるを得ない。しか し,企業活動の国際化を鑑みれば,多国間で活動する企業・組織に対する保 険のリスク移転機能を確保するためには,少なくとも一部の企業分野の保険 契約取引に関しては,市場行動規制の国際的協調も将来的に必要になるので はないか。同様に,適切な市場の競争状態も,個々の市場の発展段階,成熟 度などによって異なるといえ,このことから競争(競争制限)規制について も,個々の市場の状況に適合して設計されるべきである。また,巨大な保険 グループなどの保険企業の経営・リスク実態に関して,健全性規制の共通化 によっても解消されない残余の不透明性によって市場の競争を歪めるような 事態となれば,個々の市場の規制監督者間での情報交換体制の構築などの対 策が必要となってくると考えられる。
本稿での検討は,保険事業の国際化の現状を踏まえて,保険の諸機能が持 続的国際経済・社会に貢献するための保険規制の国際協調の枠組みを検討し たものであるが,今後,保険によるリスク移転取引や,保険企業の金融仲介 活動がどのように進展するのかについては不確実な点が多い。保険事業にか
かる諸規制のより具体的な設計と実施のあり方に関しては,保険事業の国際 化の動向を注視しつつ,引き続き検討することが求められる。
(本稿の執筆にあたり,平成25‑27年度科学研究費助成事業(基盤研究 課題番 号:25380584)の助成を受けた。)
(筆者は京都産業大学経営学部教授)
参考 献
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諏澤吉彦(2010) 損害保険料率規制の転換―保険市場の情報問題からの一考察
― 保険学雑誌 第611号,pp.61‑79。
諏澤吉彦(2013) 国際金融・保険グループの成長と金融・保険監督規制に関する 考察 中浜隆編 国際的保険グループの監督規制 (公益財団法人生命保険文化 センター),pp.29‑66。
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