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ドイツ語における結果性について

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Academic year: 2021

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ドイツ語における結果性について

片 岡 宜 行

1.はじめに

ドイツ語はスラヴ諸語のような体系化されたアスペクトを持たないが、動詞 が完了相であるか未完了相であるかの動作様態の違い1)が文法体系において意 味を持つことがある。その一つが完了時称における助動詞の選択である。ドイ ツ語では完了時称が形成される際に助動詞として

haben(=have)ないし sein

(=be)が用いられるが、一般に、動詞が自動詞であり、かつ動作様態が完了 相の場合には

sein

が用いられる。ところが、以下の2.で見るように未完了相 であるにもかかわらず完了助動詞として

sein

が用いられる

bleiben「とどま

る、〜のままである」のような動詞が存在する。これは初級文法の教科書でも 例外として扱われる現象である。

これによく似た現象が自由な与格(freier Dativ)の用法にも見られる。自由 な与格は与格目的語と異なり特定の動詞や形容詞の支配を受けないが、一方で 何の制約も受けず文字通り「自由」に用いられるわけではない。そこで与格の 使用を可能にする条件を明らかにすることが必要になるが、その際に一つの要 因として関わっているのが動作様態である。以下の3.で見るように、与格の 使用が可能である文の条件の一つとして、動作様態が完了相であることが挙げ

福岡大学人文学部准教授

(2)

られる。しかしながら、ここでも動作様態が明らかに未完了相であるにもかか わらず与格の使用が許容されるという、一見矛盾する現象が見られる。

これらの現象を説明するうえで「結果性(Resultativität)」という概念を用 いることが有効であると思われる。動作様態が未完了相であるにもかかわらず 完了助動詞として

sein

が用いられたり自由な与格の使用が許容されたりする 一つのケースは、ある事態に何の変化も生じないが、まさに変化のないこと自 体が何らかの結果としての意味を帯びるような場合である。何らかの変化とそ の結果を伴う出来事と同様に「変化が生じないゆえの結果」を持つ事態もまた

「結果性」を有すると考えることで、このような事例を矛盾なく説明すること が可能になる。このような観点から「結果性」という概念について考察するこ とが本稿の目的である。

2.完了助動詞の選択と「結果性」

ド イ ツ 語 に お い て 完 了 時 称 が 形 成 さ れ る 際 に は 助 動 詞 と し て

haben

(=have)もしくは

sein(=be)が用いられるが、動詞が自動詞である場合に

はこの選択に動作様態が関与する。一般に動詞が未完了相である場合に

haben

が用いられ(haben支配)、完了相である場合に

sein

が用いられる(sein 配)。しかしながら、この完了助動詞の選択と動作様態の関係は完全な体系を 示すものではない。aufschreien「叫び声をあげる」のような完了相の自動詞が

haben

支配である一方で、いくつかの未完了相の自動詞は

sein

支配である2)

ここでは、未完了相の自動詞

bleiben

sein

支配となる理由について、Eisen-

berg(1

9:18―19)を参考に考察する3)。まず、一般的な傾向の通りに未完 了相の動詞が

haben

支配に、完了相の動詞が

sein

支配になる例を見る。

a)Die Blume hat geblüht.

(3)

b)Die Blume ist aufgeblüht.

a)のように未完了相の動詞 blühen「

(花が)咲いている」が

haben

によっ

て完了時称を形成するのに対し、1

b)のように完了相の動詞 aufblühen「

(花 が)咲く」では

sein

が用いられる。Eisenbergによれば、自動詞が

sein

を用 いて完了時称を形成するのは動詞が「主語に関して完結的(telisch)」な場合 であり、このときこの動詞の過去分詞は、動詞の表す出来事の生じた「後の状 態」(Nachzustand)に関連する。

すなわち、1

b)においては「花が咲く」という出来事が生じた結果、

「花が 咲いた状態である」という「後の状態」を表すために助動詞として

sein

が用 いられると考えられる。それでは、未完了相の動詞

bleiben

ではどうか。

a)Renate ist Ministerin geblieben.

b)Renate ist Ministerin geworden.

bleiben「〜のままである」が用いられた2 a)は、先の1 b)とは逆に事態に

何の変化も生じていないことを表している。Eisenbergによれば、この場合に も「後の状態」がテーマ化されるがゆえに助動詞として

sein

が選択される。

つまり、まさに変化が生じなかった結果、現在ある状態が重要性を持つからこ

そ、1

b)と同様に sein

が用いられると考えられる。この点では2

b)のように

werden「〜になる」が用いられた場合、すなわち変化とその結果を伴う出来

事を表す文の場合と何の違いもないのである。

たしかに完了相の自動詞に対して完了助動詞

sein

が選択されるという原則 はあるが、動作様態が未完了相であっても何らかの重要な結果が認められる場 合に助動詞

sein

が用いられうることが2

a)からわかる。変化を伴う出来事の

有無を問わず、事態が何らかの有意味な結果を持つ場合に「結果性」があると

(4)

考えるなら、2

a)において完了助動詞 sein

が選択される理由を合理的に説明 することができる。

3.自由な与格の出現条件と「結果性」

ドイツ語の与格をめぐっては、様々な用法で用いられる与格を互いに「異質」

なものとみなすか、あるいは本質的に「同質」なものとみなすかという観点か ら論争が繰り広げられてきた。伝統文法において、動詞や形容詞の支配を受け る与格は「目的語の与格」と呼ばれ、そのような直接的な支配を受けないもの が「自由な与格」とみなされてきた。自由な与格は普通、次のように下位分類 される。

3)Er legte

mir die Hand auf die Schulter.(彼は私の肩に手を置いた。

4)Er trägt

mir den Koffer.(彼は私のためにトランクを運んでくれる。

5)Er arbeitet

mir zu langsam.(私にとって彼の仕事は遅すぎる。

6)Komm

mir ja nicht zu spät!(お願いだから遅れてこないでね。

これらのそれぞれの文で与格人称代名詞

mir

が自由な与格として現れてい る。3)の

mir

auf meine Schulter「私の肩に」と所有代名詞を用いて言い

換えられることから「所有の与格」(Pertinenzdativ)と呼ばれる。4)と 5)

はどちらも前置詞

für「〜のために、〜にとって」を用いて言い換えられるが、

4)の

mir

は動詞の表す行為によって利害を受ける人物を示すので「利害の与 格」(Dativus commodi / incommodi)と呼ばれ、5)の

mir

は文の表す判断

「遅すぎる」)の基準となる人物を示すので「判断の与格」(Dativus

iudican-

tis)と呼ばれる。6)の mir

は話し手の特別な関心を表し、「関心の与格」(Da-

tivus ethicus)と呼ばれる。

(5)

このような分類的記述は伝統文法においてなされてきたものであるが、結合 価理論(ヴァレンツ理論)の代表的な研究者である

G. Helbig

は、厳密な分類 基準を設けることでこのような記述の仕方を正当化し、またより詳細な分類を 行おうとした(Helbig11)

Helbig

はさらに「所有の与格」を付加語に、「利 害の与格」を副詞句に、「関心の与格」を心態詞にそれぞれ類似するものとし て位置づけようとしているが、これは結合価理論の枠組みで記述することが困 難な自由な与格を他のカテゴリーと関連づけることによって処理しようとした ものと見ることができる。一方で、

Wegener(1

5)のように「目的語の与格」

も含め、それぞれの用法の与格の同質性を強調する立場もある4)

与格の分類的記述については多くの問題点があるが、ここでは

Wegener

(15:72)の挙げる次の例について見ておきたい。

a)Sie schreibt ihm den Aufsatz.(彼女は彼のために論文を書く。

b)

Sie schreibt ihm an dem Aufsatz.

(彼女は彼のために論文を執筆中である。

c)Sie schreibt für ihn an dem Aufsatz.

(彼女は彼のために論文を執筆中である。

a)の与格人称代名詞 ihm

は先に示した分類に従うなら「利害の与格」と

いうことになろう。しかしながら、7

a)の対格目的語 den Aufsatz

を7

b)のよ

うに前置詞句

an dem Aufsatz

に置き換えることで文の表す意味が継続的な行 為(「執筆中である」)に変化すると、与格の使用は不可となる(一方で7

c)が

示すとおり

für

を用いた前置詞句はこの場合も使用できるので、与格と前置詞 句は必ずしも相互に交換可能ではないことがわかる)。7

b)においても文の表

す出来事によってある人物が利益を受けるという事態は十分に想定できるの で、「与格は出来事の利害を受ける人物を表す」といった捉え方では7

b)で与

(6)

格が使用不可となる理由を説明することができない。「所有」や「利害」など の意味や他の統語手段での置き換えの可能性によって与格の用法を分類する記 述の仕方では、どのような条件によって与格出現の可否が決定されるのかを明 らかにすることができないのである。

Zifonun/Hoffmann/Strecker(1

7:10―11)は、他動詞のもとで与格が 出現する条件として動詞が完結的(telisch)もしくは変容相(transformativ)

であることを挙げている。すなわち、動作様態が完結的である7

a)では与格

の使用が可能であるのに対して、完結的でない7

b)では与格が使用できない。

完結的であるか否かに加えて変容相であるか否かの対立が見られる例としては

次の8

a)

、8

b)が挙げられている。

a)Er fährt ihr das Auto in die Garage / zu Schrott.

(彼は彼女のために車をガレージに入れる/車を壊して彼女に損害を与える。

b)?Er fährt ihr das Auto, auch wenn er keine Lust hat.

(彼は気が向かないときも彼女のために車を運転する。

完結的であり、変容相でもある8

a)では与格を用いることができるのに対

し、そのどちらでもない8

b)では与格を用いると不自然な文となる。しかし、

Wegener(1

5:72)は7

a)

〜7

c)と同時に、完結的でない文において与格が

許容される以下の例を挙げている。

9)Er hält

ihr die Tür auf / den Platz frei.

(彼は彼女のためにドアを開けたままにしておく/席を空けておく。

Zifonun/Hoffmann/Strecker

も、この例を動作様態が完結的または変容相で

あるか否かという与格出現の条件が絶対的なものではないことを示すものとし

(7)

て挙げている(p.1)。しかしながら、Wegenerはこれを例外とはみなして いない。Zifonun/Hoffmann/Streckerも述べているとおり、このような場合に は、まさに有利(もしくは不利)な状況に関して何も変化が生じないことにこ そ重要な結果があるのであり、Wegenerは7

a)と同様に 9)にも「結果性」

を認めているのである。

ここまで見てきた例からは、何らかの変化を経て生じた結果が重要性を持つ 場合と同様に、変化を経ない結果が重要性を持つ場合にも与格の使用が可能と なることがわかる。これらのいずれの場合にも「結果性」を認め、これを与格 の使用を可能にする条件の一つ5)とみなすなら、9)のような現象を矛盾なく 説明することが可能になる。動作様態の対立だけでは現象を十分に説明するこ とができず、「結果性」という概念によって統一的な解釈が可能になるという 点では、先に見た完了助動詞の場合と共通しているということができる6)

なお、Zifonun/Hoffmann/Streckerは、動作様態が完了相であっても与格を 用いた場合の容認性に違いがある例を挙げている(pp.2―13)

a) Jemandem verwelken die Blumen.(花がしぼむ)

b)?Jemandem blühen die Blumen auf.(花が咲く)

a)Jemandem ist der Braten angebrannt.(肉が焦げてしまった)

b)?Jemandem ist der Braten knusprig geworden.

(肉がうまく焼き上がった)

c)Heute ist ihr zum allerersten Mal der Braten richtig knusprig geworden.

(今日彼女は本当に初めて肉がうまく焼けた。

a)や1

a)のようにネガティブな出来事の場合には与格を用いることが

できるが、1

b)や1

b)のようにポジティブな出来事の場合には与格が用い

られることは考えにくい。Zifonun/Hoffmann/Streckerによれば、ポジティブ

(8)

な文で与格が容認されるのは1

c)のように殊更に予想外の出来事であった場

合である。

ここでも「結果性」という概念を用いて解釈するなら、ある出来事が予想や 期待に一致しないことによってより高い「結果」としての意味が生じ、それが 与格の使用を可能にしていると見ることができる。ある出来事がそれに関与す る人物にとって悪いものである場合には、その結果がその人物にとって重要性 を持つことは容易に予想できる。しかし、ある人物にとって良い出来事、もし くは良いか悪いかという点で中立的な出来事である場合には、必ずしもその結 果が重要性を持つとは限らない。このような場合に与格の出現が容認される程 度に高い「結果性」が得られるためには、予想や期待との不一致によって結果 の持つ意味が高められることが必要になると考えられる。

0)、11)で用いられている動詞では、与格使用の可否にかかわらずいずれ も完了助動詞として

sein

が用いられることから、自由な与格が容認される要 件と自動詞が

sein

支配となる要件が必ずしも一致しないことがわかる。完了 助動詞として

haben

が選択されるか

sein

が選択されるかは原則として動詞ご とに固定されていることから、seinが選択される要件となる「結果性」は、そ れが変化を経た結果であるか否かを問わず、基本的に動詞そのものの語義に含 まれる意味的特性であることが予想される。これに対し、1

b)と1

c)の比

較からわかるとおり、自由な与格の出現条件となる「結果性」は必ずしも動詞

(述語)の意味に含まれるとは限らず、「結果性」の有無はある出来事の結果が 特定の状況の中で相応の意味を持ちうるかどうかに依存する。

Wegener(1

5:74)は、「結果性」という概念は厳密なものではなく、こ

の概念について明確な文法規則を立てることはできないと述べている。「結果 性」を厳密に定義し、与格の出現条件を明確に定式化することは実際に困難で あることが予想されるが、少なくとも動詞語義だけではなく発話がなされる際 の状況をも視野に入れた検討が必要となるであろう。

(9)

4.おわりに

本稿では、動作様態だけでは十分に説明することのできない二つの現象(完 了助動詞の選択と自由な与格の出現条件)について、「結果性」という概念を 用いることにより矛盾なく説明できる事例を見てきた。すなわち、「変化を経 た結果」がある場合と同様に「変化が生じないゆえの結果」が相応の意味を持 つ場合にも「結果性」があると考えることで、例外とみなされる現象を合理的 に説明することができた。

完了助動詞の選択と与格の出現条件という互いに異なる事柄において共通し て作用することから、「結果性」はドイツ語の文法体系において一定の位置づ けを必要とすることが予想される。しかしながら、完了助動詞

sein

の選択に 関わる「結果性」が基本的に動詞語義に含まれるのに対し、自由な与格の使用 を可能にする「結果性」は発話がなされる状況の中で出来事が持つ意味の大き さによっても規定される。「結果性」という概念について考察するには、動詞 や述語の意味から発話の状況までを含む幅広い視野での分析が必要であるとい える。

1) ドイツ語において完了相や未完了相などの動詞の意味的性質は、通例、動作様態

Aktionsart

)と呼ばれる。一般に動作様態は始動相(

inchoativ

)や終動相(

egres- siv

)などにより細かく分類される。

2) ヘンチェル/ヴァイト(14:40)を参照。

3) 以下に挙げる用例は

Eisenberg

に基づくが、部分的に改変している。

4) 与格をめぐる議論については小川(14)を参照。

5) 与格の出現条件は「結果性」の有無のみで規定できるわけではなく、小川(11)

(10)

は「高い結果性」と「小さい距離」のうちの少なくともどちらか一方が満たされた 場合に与格の使用が可能になると考えている。

a)Er hat mir das Fleisch weich geklopft.

(彼は私のために肉をたたいて柔らかくした。

b)Er hat mir auf die Schulter geklopft.(彼は私の肩をたたいた。

c)Er hat(

mir)auf den Tisch geklopft.(彼は机をたたいた。

結果を表す語である

weich「柔らかい」を含む a)に対し b)は結果を含意しない

が、与格人称代名詞

mir

からの「距離」が小さい

die Schulter

の存在が与格の使用 を可能にしている。これに対し「高い結果性」と「小さい距離」のいずれの条件も 満たされていない

c

)では与格の使用は不可となる。

Ogawa

(23)も参照。

6)

Wegener

は「結果性」という概念を、「完了性」(Perfektivität)などとは同一視で

きないものとみなしている(p.2)

文献一覧

Eisenberg, P.(1

9)

. Grundriß der deutschen Grammatik. Bd.

2. Der Satz.

Stuttgart/

Weimar : Metzler.

Helbig, G.(1

1)

. Die freien Dative im Deutschen. Deutsch als Fremdsprache,

8,1―

.

E

.ヘンチェル・

H

.ヴァイト[西本美彦ほか(訳)(14)『ハンドブック 現代ドイ ツ文法の解説』東京:同学社

小川暁夫(11)「3格の実現について」『ドイツ文学』87,19―1 小川暁夫(14)「3格をめぐって」『エネルゲイア』19,61―6

Ogawa, A.

(23)

. Dativ und Valenzerweiterung. Syntax, Semantik und Typologie. Tübin- gen : Stauffenburg.

Wegener, H.

(15)

. Der Dativ im heutigen Deutsch. Tübingen : Narr.

Zifonun, G., L. Hoffmann & B. Strecker

(17)

. Grammatik der deutschen Sprache. Ber-

lin/New York : de Gruyter.

参照

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