Ⅰ.問題関心
本稿は,日本の経済教育が欧米に比較して,その特 質がどこからでてきたかを考察する。その一環として, 昭和 35 年(1960 年)告示の高等学校の学習指導要領 とその解説,さらには作成された「政治・経済」の教 科書をもとに,日本の経済教育を規定してきたものが 何かを探ってゆく。研究の仮説としては以下のとおり である。 (1)どんな官制文書でも,それを実際に書いた人間 がいる。その人間の意向は文書の内容に影響する。 (2)法的強制力をもった文書でも,実際に実物が作 られる過程で,様々な修正がはたらく。教科書では執 筆者,編集者,文科省,現場の教員の意向などの要素 がはたらく。 (3)1960 年代は,現場教員の意向が一番大きな影響 をもっていたのではないか。 (4)経済教育の整理と体系化の指向は,昭和 35 年 (60 年)告示では成し遂げられず,以降の改定ごとに 徐々にすすめられ,現在でも完成していない。 これらを検証するために,時期を昭和 35 年改定の 学習指導要領,指導書,教科書を対象とした。この時 期に限定したのは,戦後のすべての時期を概観するだ けの余裕がなかったこと,執筆者が高等学校で授業を 受けた時期のものであることが理由である。1)Ⅱ.1960 年改定時の政治状況と改定の実
態
まず,1960 年当時の政治経済状況を概観しておこ う。なぜなら,学習指導要領でもその内容は,作成時 の政治経済状況との密接な関連があると考えられるか らである。 1960 年は政治的には 60 年安保の年として記憶され る戦後史のエポックの年である。このような大騒動が 起こるのは左傾化した教育に原因があるとして,教育 界では,これ以前からの動きとして,1956 年には教 育委員会が公選制から任命制になり,勤務評定の導入 が強行されるなどの当時の文部省による教育への「支 配」が強まった時期でもある。 経済面では 60 年は高度成長の加速期と位置づけら れる。安保改定後,「国民所得倍増論」をひっさげて 池田内閣が成立する。政治の時代から経済の時代への 転換である。 しかし,高度成長ははじまったばかりであり,中小 企業問題,二重構造論,農業のあり方など,今日と テーマは同じであるが,内容の質としては貧困の解消 が大きな課題であり,高度成長をいかに評価するかが 教科書でも大きな論点となっていた。 次に,改定の担い手を確認してゆこう。 文部省側で,この時に改定にあたった教科調査官は, 飯田芳郎,朝倉隆太郎,平田嘉三の三氏の名前が挙げ られている。2)うち,飯田調査官は生活指導の専門 家,3)朝倉調査官は地理の専門家,平田調査官は世界 史の専門家である。4)ということは,現在の公民科に 関しては,政治も経済も教科内容に関連する専門家は 文部省にはいなかったことが分かる。ちなみにその前 年に告示された中学校の学習指導要領の改定では,朝 倉,平田両氏の名前があがっているので,その延長線 上でどちらかの方が絡んだとは考えられないことはな い。高等学校の改定では,「倫理社会」と「政治・経 済」が新設されることになっており,その前提で飯田 調査官が任命されたとすると,公民分野に関しては飯 田調査官がもっぱら担当したと推定される。5) それでは文部省の外部の応援団である作成協力委員 ではだれが重要メンバーであろうか。「教科等調査研 究会,中学校高等学校社会科小委員会」の名簿による と,現場の教員を除き専門家で経済関係者は次の二人 のみである。一人は,板垣與一氏(当時一橋大学教 授),6)もう一人は水田直昌氏(当時全国銀行協会連合教科書と経済教育
─ 1960 年代の高校教科書の分析から─
The Journal of Economic Education No.32, September, 2013School Textbook and Economic Education : Findings from an Analysis of 1960’s Textbooks
Arai, Akira
会専務理事)7)である。ここから伺えるのは,調査官 が経済の専門家でないこと,協力者で経済は二人であ ることというバックアップの弱さである。つまり, 「政治・経済」,特に経済教育は,当時はあまり重視さ れていなかったということである。
Ⅲ.指導要領,指導書,教科書の実際
枠内は学習指導要領本文である。現在と異なる点は 以下の通りである。項目だけ指摘してあり細かい内容 に関しての指示は少ない。また,労働,福祉は別項目 で現在と構成が異なっていて,当時の問題関心の所在 がよくわかる。また,マクロ,ミクロの関係が明確で はなく,最初に経済理論を概観させ,その上で日本経 済の構造や特色,諸問題を取り上げるという構成を とっている。全体として,理論より問題を考察させる 指向が強い。また,経済に関する見方や考え方という 現在の指導要領の基底におかれている考え方は特にと りあげられているわけではない。 (2)日本の経済 国民経済の循環と発展 経済主体と経済体制(社会主義経済にもふれ る。)/国民所得の動き/価格機構/金融・財政 /貿易・国際収支 日本経済の構造 国民所得と経済の成長/産業構造の特色 日本経済の諸問題 労働・雇用問題/生産性向上・技術革新/農業 と農村問題/中小企業の現状とその対策/長期 経済計画と日本経済の発展 (3)労働関係・社会福祉 労働関係の改善 社会福祉の増進 以下略 この学習指導要領に基づき解説本が執筆された。そ の記述の一部を紹介しておこう。 ○ …国民経済についての基本的事項を理解させるこ とを目指している。その場合,大切なことは総合 的に理解させることである。経済現象を個別的, ら列的に理解させるようなことを避けて,国民経 済全体の動きを総合的に理解させることである。 次いで日本経済についてその特質や問題点を明ら かにする。その際たいせつなことは,今後の日本 経済の発展に資するような観点から日本経済の問 題点を明らかにすることである。以上のような理 解と認識の上に日本経済の民主化と発展に貢献す るような態度と,それに必要な能力を養うのであ る。(2 の目標,より)8) ○ …経済主体の活動や経済体制についての指導にあ たっては,資本主義経済体制の学習を主とし,そ の理解の上に社会主義経済体制にもふれるように することが妥当である。(同,イ経済体制の相違 について,より)9) ○ …なお,現実の諸問題への関心や基本事項への理 解は,生徒の公正な判断力,健全な批判力を養う ことに役立たせるように指導することが必要であ る。…現実性のない抽象的な価値や理想は,社会 生活の向上発展と無関係なものに墮してしまうお それがある。この点にじゅうぶん配慮して適切に 指導することが必要である。(4 指導計画の作成 および指導上の留意事項,より)10) ここからは,資本主義経済という歴史的段階認識を 持たせること,そのなかで経済発展を目指すために経 済を理解させるべきであると言う当時の実践的指向が 痛いほど伝わってくる。また,社会主義を理想とする 政治運動や国民の意識への強い警戒感が浮かび上がっ てくる。保守と革新の対決,体制選択が学校教育のな かでも問われるという 55 年体制のもとでの教育政策, そのなかでの社会科,さらには「政治・経済」という 教科の位置を読み取ることができよう。 この学習指導要領と指導書のもとで,教科書が 17 冊刊行された。〈表 1〉 この表から浮かび上がる特徴を指摘しておく。 第一は,発行会社の多さである。途中名称変更した 好学社を除き 16 社というのは,現在の寡占化が進行 している教科書会社を思うと,自由競争の原理が教科 書で働いていたということが分かる。逆に,倒産した り(中教出版,一橋出版など),教科書つくりから撤 退(三省堂,講談社,角川書店など)したメンバーを 見ると,ある種の幅の広さがある。 第二は,執筆者の多様さである。当時の主要な経済 学者がかなり参加していることがわかる。特に,自由 書房の有沢広巳氏や教学社の青山秀夫氏,帝国書院の 安藤良雄氏のように,単独執筆であろうと思われる教 科書があることが現在との大きな違いである。ただし, それらが本当に本人の執筆かどうかは調査しきれてい ない。また,昭和 20 年代には執筆者であった大内力 氏などの労農系・宇野派系は消えている。11) 第三は,執筆者がかなり明快に色分けできることで ある。例えば,実教出版は二冊出しているが,一冊はいわゆる都留本(10)であり一橋系である。この実質 的な執筆者は伊東光晴氏であろう。この本は,現在ま で同じ系譜で出版されている。それに対して,もう一 冊は大阪市大のマルクス経済学者たちの共同執筆本 (11)である。これも執筆者は代替わりがしているが 同じ流れで現在も出版されている。ほかには,講談社 の大塚久雄氏の監修本(7)がある。この執筆者は関 口尚志氏であり,大塚史学の教科書と言ってもよいだ ろう。有沢広巳氏の単独執筆の自由書房版,青山秀夫 氏の単独執筆の教学社版なども明確な学派を背負った 著者の執筆である。また,大学学系別の本も出版され ていて,早稲田系(3),中央大系(6),東京教育大系 (9),一橋系(14,17)などかなりはっきりと執筆者 による特色があることである。12) 第四に,現場の教員が執筆するということがあまり ないと推定されることである。現場教員がかなり執筆 していると推定されるのは,東京書籍版(1)のみで あり,これは奥付の執筆者を見た時に,大学の経済学 者は東畑精一氏だけであり,当時の東畑氏の 60 歳と いう年齢,農政審議会の会長や日本学士院の会員に なっているというキャリアから考えて名前だけという ことが推定されるからである。13)そうなると蜂須賀氏 ら現場の教員が執筆したことが推定されるからである。 ほかの本では現場教員は何人かが登場しているが,一 部を執筆するか,脚注や図版の選定などの編集作業に 携わっていると推定される。
Ⅳ.各教科書の内容分析
次に,17 の教科書の(1)国民経済の部分,特に市 場経済の記述に焦点をあてて特長をまとめてゆきたい。 番号は前記と同じである。〈表 2〉 教科書分析から次のような知見が得られる。 第一は,学派のバランスが意外ととれていることで ある。全体としてマルクス経済学と近代経済学の比率 では,判別可能なものについて言えば,マル経 6 社と 近経 7 社である。これは,当時の経済学会の比率から 言えば,意外と近代経済学系が頑張っているとも言え よう。また,学習指導要領のしばりがあることもあり, 分類でマルクス経済学にいれた教科書でも,それほど 強烈に立場を打ち出しているわけではない。 第二は,学習指導要領のしばりがあることが影響し て,記述そのものは高校生がすんなり理解できるよう にはなっておらず,経済の仕組みや全体像が浮かび上 がらないことである。現在の教科書も「俳句のよう だ」と記述の不十分さが指摘されているが,それ以上 に構成的にミクロもマクロも区別せず,国民経済の循 環として記述されていることがおおきな要因となり, とにかく理解しづらいものとなっている。 第三は,執筆者が単独で大きなまとまりを執筆した 表 1 教科書名 出版社 執筆者(経済分野関係) その他 1 政治・経済 東京書籍 東畑精一,蜂須賀孝他 現場教員が執筆? 2 政治・経済 自由書房× 有沢広巳 単独執筆 3 政治・経済 高教出版社× 小松芳喬,吉村健蔵他 早稲田系の執筆者 4 政治・経済 一橋出版× 木村健康,板垣與一 近代経済学系 5 現代の政治と経済 山川出版社 石井良助,土屋清 新聞社関係が執筆陣 6 政治・経済 日本書院× 波多野鼎,麓健一,高木暢哉 中大系,九大系 7 標準高等政治・経済 講談社× 大塚久雄,関口尚志,田添大三郎 大塚史学系 8 新政治・経済 帝国書院 安藤良雄 東大系,単独執筆 9 現代政治・経済 清水書院 美濃部亮吉,三潴信邦,梶哲夫 教育大系 10 政治・経済 実教出版 都留重人,伊東光晴 一橋系 11 高校政治・経済 実教出版 末永隆甫,名和統一,硲正夫他 大阪市大系 12 新版政治・経済 教育図書× 市村真一,内川洋一 大阪大学系 13 政治・経済 三省堂× 篠原三代平,川野重任 近代経済学系 14 政治・経済 中教出版× 山中篤太郎,小山博也 一橋系 15 政治・経済 教学社× 青山秀夫 京大系,単独執筆 16 高等学校政治・経済 好学社× 堀江保蔵,住谷三喜男,川田侃 学校図書に変更 17 高等学校政治・経済 角川書店× 増田四郎,玉井龍象,山田欣吾 一橋系 *順序は新井が適宜ふった。出版社の×は,倒産,撤退などで現在教科書を発行していない会社。のではないかと思われる本が多く,現在のようにこま かくわけて書き,切り貼りした教科書とは違う風格を もっているものが目に付くことである。例えば,自由 書房の有沢広巳氏(2)などは教科書の本文に自筆署 名が掲げられているくらいである。 第四は,経済学的な記述が多いことである。この時 の学習指導要領には,細かい事項に触れないこととい う制限条項がないこともあり,大学の教科書をやさし くしたものという教科書が多い。逆に,現場教員の意 向や生徒の実態を踏まえた東京書籍(1)や中教出版 (14)の教科書は,現代の教科書に通じる雰囲気を もっているが,当時としては少数派である。 第五は,四と関連するが,近代経済学系の教科書で は,ミクロ部分で記述内容が詳細,高度であり,その 当時の教員でこの教科書を使って授業をすることがで きる人間はきわめて限られていたであろうと思われる ものがあることである。その典型例として青山秀夫氏 の単独執筆の教学社版教科書(15)がある。この種の 教科書は内容がすぐれていたとしても「淘汰」され, 次の改定時には姿を消してゆく。青山氏の教科書も同 じ運命をたどった。ちなみに大阪大学系の市村真一氏 の本(12)なども同じ運命をたどっている。 第六は,上からの課題解決志向が極めて強いことで ある。これも学習指導要領のしばりから当然なのであ ろうが,それを差し引いても経済学習において,日常 生活から問題を経済的にとらえ,それを地域に,日本 表 2 市場の扱い 他の記述の特色 全体の特色 1 東京書籍 D.S グラフ(以下グラフ)な し,経済的選択の用語 経済行為を丁寧に扱う 記述はバランス論,現場教員の意向反映か? 2 自由書房 グラフなし,生産の無政府性 を強調 独占資本主義という用語,二重構造論を強調 有沢流の記述,特徴あり(△) 3 高教出版社 グラフあり,シフト扱う MV=PT あり,シュンペーター あり成長肯定 早大政経の路線(○) 4 一橋出版 グラフあり,シフト扱う,限 界生産費,寡占論 シュンペーターあり,成長肯定,信用創造あり 木村健康氏の執筆か?近代経済学的(○) 5 山川出版社 グラフなし 現状分析重視,経済成長肯定 特徴的な傾向なし,ジャーナ リスト参加 6 日本書院 グラフなし,比較生産費説を 扱う 歴史重視 中大,九大マルクス系(△) 7 講談社 グラフなし 経済思想が独立,経済史関係詳 細 大塚史学系の記述(△) 8 帝国書院 グラフあり 歴史主義的,制度の説明が多 い,為替の図あり 比較的マルクス経済学的(△) 9 清水書院 グラフなし 歴史主義的,現状分析指向 美濃部,三潴の教育大マルク ス系(△) 10 実教出版 グラフあり 政治と経済の結びつきを強調, インフレを問題視 伊東光晴流の記述 11 実教出版 グラフなし 資本主義経済,独占などを強調 マルクス主義経済学の色が濃 い(△) 12 教育図書 グラフあり,シフト扱う。記 述は丁寧 経済取引の表あり,日銀の窓口規制を強調 近代経済学的記述(○) 13 三省堂 グラフなし,分業と交換を強 調 歴史部分は現行本に近い,国民所得の図あり 近代経済学系(○) 14 中教出版 グラフあり MV=PT あり,記述はコンパク ト 立場は明確ではない 15 教学社 グラフなし,記述は丁寧 国民所得図,産業連関表,ロー レンツ曲線あり 青山流近代経済学を丁重に記述(○) 16 好学社 グラフあり,シフト扱う MV=PT あり,福祉国家の経済 学を指向 近代経済学(○) 17 角川書店 グラフあり,シフト扱う 有 効 需 要,I=S バ ラ ン ス を 扱 う,歴史的説明丁寧 近代経済学(○) *学派の判断,特徴の分析は新井が行った。14)
に,世界に広げようとする順次性はあまりうかがえな い。大所高所もしくは経世済民の観点から問題を捉え るという姿勢が強いのである。 第七は,経済を考えるときの概念や理論,さらに経 済的な見方や考え方が明示されていないことである。 これは,現在でも課題である部分だが,この時期の教 科書全体に,道具を与えないで問題を考えよという姿 勢が目立つのである。 これらの特色は全体からみたものであり,個別にさ らに検討が必要となろう。15)
Ⅴ.これらの教科書はどう受け入れられた
のか
ではこれらの教科書は現実にはどのように受け入れ られていったのだろうか。 それを実証する具体的な数字としては,教科書の発 行部数が最も良い数字である。高等学校の場合は教科 書の採択は学校単位であり,「政治・経済」のような 担当者が一人の科目の場合は,担当者の思想,趣味, 嗜好で採択が決められるのが普通である。その意味で は,これらの教科書の採択数は,「政治・経済」とい う狭いながらも,市場での価格投票と同じであるとい うことができる。ところが残念ながら,この時期の教 科書の採択数の数字が入手できなかった。16)そこでそ の後のデータから推定しながら論を進めることにする。 使うデータは昭和 60 年(1985 年)のものである。 〈表 3〉 学習指導要領が変わり,執筆者も変わっている教科 書が多いので,厳密な議論ができないが,それでもこ こからいくつかの事が言える。 一つは,この間に出版社の淘汰が進んだということ である。講談社,角川書店など一般書も発行していた 会社がいち早く撤退している。また,高教出版,日本 書院,教学社,好学社(学校図書)なども消えている。 第二は,同じ出版社でも執筆者を大幅に入れ替えて いることがある。この時期,60 年代の執筆者が残っ ているのは,実教(伊東光晴),清水(三潴信邦),中 教(小山博也)とこの年のデータで掲載されていない, 自由(有沢広巳)のみである。17) 第三は,この間の教科書の消長には,マルクス経済 学系教科書の没落と近代経済学系教科書の自滅があっ たと推定されることである。85 年二位の東書は宇沢 弘文氏を執筆者としているが,内容的には一部宇沢流 の表現があるが,全体としてコンパクトに情報をうま くまとめて何でもアリ,したがって使いやすいという 教科書である。60 年代の東書が現場教員の意向をか なりうけた編集をしていることでもわかるように,あ まり学問的に特色があるものは使いにくいというのが 現場の声である。それを反映しているとみることがで きるだろう。一位の実教都留本も同じである。伊東光 晴氏の記述は平明でわかりやすく支持をうけたと考え られる。ロングセラーになる要素を持っているといえ る。 それに対して,一橋の最初の本(表 1 の 4)は,学 問的に厳密であっても,それを読みこなせる生徒,使 いこなせる教師がいないという,現場を無視した教科 書であった。そのような教科書は市場から淘汰される ということであろう。われわれはよく冗談に「学問的 に正しい教科書は売れない」というが,まさにそれが 成り立つと言える結果である。 では,現場教員は何を最終的なファクターとして教 科書を選んだか。これも数値がないので推定でしかな いのであるが,意識的な政経教員だったら,大雑把な 教科書の立場をまず判別したうえで,それぞれの教員 がどの思想的立場に近いかで選択したと考えられる。 しかし,教科書を教えるというスタイルの教員であれ ば,使いやすい教科書を優先するであろう。その点で, 85 年に上位を占めている教科書が象徴するように, ある程度リベラルであり,ある程度有名な執筆者が書 いた教科書が採用されてゆくという傾向はあるだろう。Ⅵ.さしあたりのまとめ
冒頭の仮説を一つ一つ吟味しながら以上の分析から 見られる知見をまとめてみたい。 (1)どんな官制文書でも,それを実際に書いた人間 表 3 発行者 部数 比率 1 実教 200,800 23.9 2 東書 149,900 17.9 3 一橋① 102,400 12.2 4 第一 91,200 10.9 5 三省堂 91,000 10.8 6 清水 65,200 7.8 7 教出 51,600 6.1 8 一橋② 49,000 5.8 9 中教 27,900 3.3 10 数研 10,300 1.2 合計 839,300 100.0 *出典:『内外教育』共同通信社,3698 号より引用がいる。その人間の意向は文書の内容に影響する。 これに関しては,学習指導要領の作成者は文部省で あるが,実際に書いたのは教科調査官である。35 年 版を誰が書いたのかは実証できなかったが,かぎりな く飯田芳郎氏であろうと推定される。飯田氏は生活指 導の専門家としてその後大学に移っており,経済教育 の点ではほとんど素人もしくは当時の学的雰囲気を踏 まえて書いたと考えられる。その雰囲気は,系統学習 への指向をもちつつ,これまでの経済学をやさしく祖 述するというレベルのものであったと言えよう。 (2)法的強制力をもった文書でも,実際に実物が作 られる過程で,様々な修正がはたらく,教科書で は執筆者,編集者,文科省,現場の教員の意向な どの要素がはたらく。 修正の第一は省内での議論である。いわゆる事務方 からの提言,圧力にまずはさらされる。当時の事務次 官は内藤譽三郎氏である。当時は,歴史教科書,倫理 の導入などの方が問題であり,「政治・経済」の経済 分野は圧力の対象にならなかったと推定される。作成 協力者からの提言は,板垣與一,水田直正両氏であろ うが,これも歴史教育や倫理教育のように強烈なイデ オロギーで何かを修正しようとしたとは思えない。そ こでできあがった指導要領は,当時としては攻撃や検 討の対象となるものではなかったろう。教科書の執筆 者は多様で,それぞれの経済学を踏まえてよく言えば 個性的に,悪く言えば勝手に指導要領を読み解いて書 いたと言える。その意味では,この時点での,教科書 の内容を決めた最大要素は執筆者であったと言えよう。 執筆者の協力,補佐をしていった現場教員のなかに経 済教育でその後発言なり,業績を残した人物があまり 見当たらないことを考えると,この前後の経済教育は 一種の空白地帯であったともいえる。 (3)1960 年代は,現場教員の意向が一番大きな影響 をもっていたのではないか。 これは,厳密に実証できなかったが,85 年採択結 果が如実に示していよう。やはり決定的な影響は現場 教員の意向であり,それにマッチできなかった教科書 は淘汰されていった。これは記述が優れている,いな いというレベルの問題ではなく,きわめて実践的,卑 近な選択だったと言えるだろう。 (4)経済教育の整理と体系化の指向は,昭和 35 年 (60 年)告示では成し遂げられず,以降の改定ご とに徐々にすすめられ,現在でも完成していない。 経済教育の整理と体系化は,まず,教科書の淘汰で 決められていった。先にも触れたが,71 年改定まで に淘汰された教科書が数冊でている。教育図書,日本 書院,教学社,講談社,角川書店がそれであり,一橋 出版は著者を全く入れ替えて,市民社会派のマルクス 経済学者である岸本重陳氏を経済分野の執筆者として 採用して一定の市場を確保することに成功する。ここ で目立つのは,マルクス経済学系より,近代経済学的 な教科書が多く淘汰されていることである。60 年代 は,まだ共通一次試験がはじまっておらず,入試問題 が教科書や授業内容を規定することは少ない。した がって,規定要素としては,指導要領,著者,現場教 員の三者である。そのいずれも,経済教育の本質は何 か,使命は何か,生徒が持つべき経済認識とは何か, それを持つためにどのような方策が必要か,概念や理 論は何かなどが突き詰めて議論されている様子はない。 経済教育は,大学での経済学がまだ大きな影響力を もっていた 60 年代においても,社会科のなかで片隅 に追いやられて,地歴,政治分野の教育に比して後塵 を拝してきた。それがアメリカの経済教育の紹介とと もに,すこしずつ市民権を獲得するのはやっと 70 年 代になってからである。18) 70 年代以降の経済教育の変化,そのなかでの教科 書の変化の分析は,今後の課題としたい。 註 1) 戦後の社会科の経済教科書の分析は,柴田透・児玉康弘 「初期社会科高校教科書における経済学的内容の変遷研 究」(『公民教育研究』vol.17, 2009)が論文としては唯一 のものと思われる。本研究はその成果を踏まえて 1960 年 (昭和 35 年)改定の教科書を取り上げている。また,本 稿執筆者は 1949 年生まれ,ここで分析された教科書を 使った世代(1967 年に高等学校三年生で使用)であり, そのことも本研究の大いなる動機となっている。 2) 文部省『高等学校学習指導要領解説社会編』昭和 36 年 4 月刊,p3 〜 p4 による。 3) 飯田芳郎氏は 1950 年に『生徒活動─その教育課程化と展 開─』高陵社書店を刊行している生活指導の専門家であ る。文部省退官後には,東京学芸大学の教授などを歴任 している。また,『生徒指導事典』第一法規出版,1969 刊 などの編集者となっていて,経済に関しては専門家とは 言い難い。 4) 朝倉隆太郎氏は,退官後宇都宮大学教授に,平田嘉三氏 は,広島大学教授としてそれぞれ地理教育,歴史教育の 専門家として活躍した。なお,朝倉氏は社会科が地歴科 と公民科に分かれたときに文科省と対立して各種の委員 からはずされている。 5) 飯田調査官は,この時の改定では,「倫理社会」が導入さ れたので,その成立に関わったのであろう。ここまでは 確実に読めるが,飯田調査官が「政治・経済」まで担当 したかどうかの確証は得られていない。 6) 板垣與一氏は,1908 年生まれの国際政治経済学者。一橋 大学教授,亜細亜大学教授,八千代国際大学学長を経て, 2003 年死去。中山伊知郎ゼミの一期生。太平洋戦争中は ジャワ島の調査などにも従事。戦後はアジアの経済発展
と日本の関係に関して多くの論文を執筆。アジア経済研 究所の設立に参画。対象とした 1960 年改定時の高等学校 社会科の「教材等調査研究会中学校高等学校社会小委員 会」委員。その後も 1978 年の教育課程審議会委員,1979 年からも同委員を務めている。経歴著作などは,『一橋論 叢』第 68 卷第 5 号(1972 年 11 月)に詳細なものが掲載 されている。氏の経歴と当時の役職から考えて,「政治・ 経済」の内容,解説に関して影響力がある発言をされた と思われるが,その記録は発見できていない。 7) 水田直昌氏は,当時は全国銀行協会専務理事である。実 務家もしくは財界からの発言者ということで板垣氏と同 じ研究会の委員となったと思われる。水田氏は朝鮮総督 府の最後の財務局長を経験した人物で,戦後引き揚げて 銀行協会の専務理事となっていた。その縁で経済に関す る実務家として委員となったと推定できるが,本質は官 僚であり,経済教育に関して見識ある発言をされたのか どうかは不明である。なお同氏は,1961 年の第一次国民 生活審議会の委員なども務めていて政府の諮問機関との 強い結びつきをうかがわせている。 8) 文部省『高等学校学習指導要領解説社会編』昭和 36 年 4 月刊,p59。なお,表記は同書のままである。 9) 同,p68。 10) 同,p78 〜 89。 11) 前掲柴田・児玉によると,昭和 26 年版社会科社会教科書 では,実教出版が大河内一男,東畑精一,共立出版が松 浦茂治,実業の日本社が大河内一男編,中教出版が長洲 一二,暉岡衆三,清水書院が美濃部亮吉,教育図書が大 内力,大島清のそれぞれの著者があがっている。上記の 35 年版と比較すると,大河内一男,松浦茂治,長洲一二, 暉岡衆三,大内力,大島清の各氏が執筆者から消えてい る。松浦茂治氏が東京商大出身の神戸大学の研究者であ るのを除くとあとはいずれもマルクス経済学者であり, 労農系宇野派,共産党構造改革系などの学者がパージさ れたのか,それとも自発的かのいずれかで執筆者からは ずれていることが分かる。ただし長洲一二氏は,のちに 一橋出版の教科書の執筆者として名前が登場しているが, 名目だけの執筆者であろう。 12) 戦後日本の経済学の歴史的概観は,池尾愛子編『日本の 経済学と経済学者』日本経済評論社刊,1999 年,が与え てくれる。そのなかで,赤間道夫氏は,日本の戦後マル クス経済学は四大学派(正統派,宇野派,市民社会派, 数理経済学派)に整理できるとしている(同書 p164)。こ のなかで高校の経済教育に参入していたのは,正統派と 市民社会派である。ただし,美濃部亮吉氏や教育大系の マルクス経済学者は,これに分類されない大内兵衛氏な どの労農系マルクス主義の影響を受けており,それを入 れると三つの流れが参入していたと言えるだろう。ちな みに,正統派系は 11 の実教版のみであり,この流れは実 質的には排除されていたと言える。伊東光晴氏が中心執 筆者である 10 の実教都留本は,近代経済学的流れである が,この流れ以外にある杉本理論の影響も受けているの で混合型とも言える。なお,有沢広巳氏のマルクス経済 学者としての理論と実践の関係に関しては,前掲池尾編 が戦後の有沢を広く扱い,牧野邦昭『戦時下の経済学者』 中央公論新社刊,2010 が戦時中の有沢に焦点をあてた研 究を行っている。 13) これはあくまで新井の推定であり,実態は当時の編集者 なり執筆者からの聞き取りが必要となるが果たしていな い。 14) マルクス経済学,近代経済学という用語はその当時の使 用法を踏襲している。マルクス経済学に関しては注 12 に 記したように,いくつかに分かれている。近代経済学と いう分類そのものも,現在ではもはや死語であり,新古 典派のなかでも,サムエルソン流のケインジアンなのか そうでないのか,シカゴ学派の中でもフリードマン流の マネタリストなのか,ハイエク流のオーストリア学派の 継承者たちなのかなど,一括して語るわけにはいかない が,ここでは一括して扱う。 15) 本研究では,特色ある教科書(一橋版と実教版)のケー ススタディを行ったが紙数の関係で掲載されていない。 16) 最近は時事通信社発行の『内外教育』にその年度の採択 数が掲載されるのであるが,この時期に発行されたもの を閲覧したが記事として掲載されておらず,データを得 ることができなかった。表のものは『内外教育』3698 号, 1985 年 12 月 6 日発行のデータである。 17) 検定の申請による関係なのか不明だが,1986 年のデータ に自由書房の有沢本が登場して約 5 万部シェア約 5%を販 売している。 18) 内海巌他編『講座社会科教育』第 4 巻,第 5 巻,柳原書店, 1965 年刊は,この時代の「政治・経済」を扱っている。 同書は広島大学系の研究者による講座であるが,総論で は,当時の広島大学政経学部の狭田喜義氏が「経済主体 と経済体制」を書いている。内容はドッブやストレイ チーのイギリス流社会主義の紹介である。それを受けた 各論では,手島正毅,建林正喜氏という立命館マルクス 経済学者と,小野茂樹,高橋衛氏などの広島大学の経済 学者による解説が書かれる。当時の大学の経済学の雰囲 気を象徴した執筆陣の選定である。また,内海巌氏と広 島大学附属高等学校の柳澤金弥氏による「政治・経済」 の構想という展望論文と授業計画,実践事例が掲載され ている。金沢氏の実践事例は,いま読み返しても,すぐ れた認識と高いレベルの指導内容である。また,内海氏執 筆の展望論文のなかには,アメリカの JCEE(現 CEE)に よ る 1961 年 の Economic Education in the Schools と, 1964 年 の Teachers Guide to Developmental Economic Education Program という刊行物の紹介が紹介されている。 それらの著作がサムエルソンなどの協力のもとでの共同 著作であることも紹介されている。この紹介は先駆的で あるが,アメリカの動きを学び,日本における経済教育 の確立を志向しようとする本格的動きは 70 年代にやっと 始まる。