• 検索結果がありません。

2 目次 はじめに 3 第 1 部板東俘虜収容所捕虜製作印刷物 5 1. 書籍 冊子類 7 2. 音楽プログラム 演劇プログラム 演芸会 スポーツ大会などのプログラム ポスター ちらし 地図 絵はがき 切手 127 第 2 部その他 1. 印刷物以

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "2 目次 はじめに 3 第 1 部板東俘虜収容所捕虜製作印刷物 5 1. 書籍 冊子類 7 2. 音楽プログラム 演劇プログラム 演芸会 スポーツ大会などのプログラム ポスター ちらし 地図 絵はがき 切手 127 第 2 部その他 1. 印刷物以"

Copied!
161
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

鳴門市ドイツ館所蔵品目録

板東俘虜収容所ならびに第一世界大戦時の全国収容所関連史料

(2)

目次

はじめに

· · · 3

第1部 板東俘虜収容所捕虜製作印刷物 · · · 5

 1.書籍、冊子類 · · · 7

 2.音楽プログラム · · · 28

 3.演劇プログラム · · · 92

 4.演芸会、スポーツ大会などのプログラム · · · 108

 5.ポスター、ちらし、地図 · · · · 118

 6.絵はがき、切手 · · · 127

第2部 その他

 1.印刷物以外の板東収容所捕虜製作品 · · · 138

 2.板東収容所捕虜所持品その他 · · · 146

 3.板東収容所関連物品 · · · 149

 4.板東収容所以外での印刷物と製作品 · · · · · · 152

 5.写真アルバム

· · · 158

(3)

はじめに

 ここに掲載する史料は、鳴門市ドイツ館が所蔵しているオリジナルなものばかりである。研究史料として価値あるも のであっても、複写は除いている。今回の目録作成にあたって収録の方針として、第一次世界大戦当時のものに限定す ることとし、板東俘虜収容所での捕虜印刷物を初めとして、他収容所の印刷物、捕虜の製作品、捕虜および収容所関係 者が所有・使用していた物品とした。この方針によって、ここに漏れる所蔵品は、絵画や家具、貨幣、人形、模型、陶 器、玩具、楽器、レコード、CD など第一世界大戦前後から現代にいたるまで多岐にわたるが、それらについては別の 機会にまとめることとしたい。  絵はがきについては、捕虜制作によるものだけをここに収録した。それ以外の収容所関連の絵はがき(写真はがきも 含む)と捕虜から(または捕虜宛)の私信(手紙およびはがき)は未整理のものもあり、あえて収録しなかった。また、 捕虜の生活や収容所内外を撮影した写真も当時の様子を知る上で非常に貴重な史料ではあるが、それらは別の機会にま とめることとし、捕虜所有の写真アルバムの外観とその一部だけを掲載した。  ここに収録する史料は、多くのばあい寄贈によって鳴門市ドイツ館が所蔵するにいたったものであるが、元捕虜の名 前を除き、あえて寄贈者または旧所蔵者の名前はここに掲載しなかった。ご好意をいただいた方々には、その点のご了 解とお許しを願いたいと思う。  板東俘虜収容所での捕虜製作の印刷物については、合わせて 298 点が一括して徳島県登録有形文化財に指定されて いる。そこで、昨年「板東俘虜収容所における捕虜製作の印刷物—鳴門市ドイツ館所蔵品図録」(以下、「図録」と称す) という冊子を制作したが、極めて少部数しか印刷せず、また配布先も極めて限定されていた。そこで今回の所蔵品目録 には、この「図録」の内容も再録することとした(ただし一部手直しがある)。なお、この印刷物の点数は後の調査で 追加したものを含め 303 点となっている。  印刷物以外の捕虜による製作品と所持品については、収容所内で製作した物か、外部で製作されたものを単に所有し ていたかの判定に困難なものもあるが、寄贈時の記録に基づいて振り分け、それでも不明な物は「所持品その他」に分 類した。  史料の整理番号の割り当ては次のとおり。 板東俘虜収容所捕虜製作印刷物

Pnnnn

n

は数字を示す。以下同様) 印刷物以外の板東収容所捕虜製作品

Wnnnn

板東収容所捕虜所持品その他

Bnnnn

板東収容所関連物品

Cnnnn

板東収容所捕虜以外による印刷物ならびに製作品

Ennnn

写真アルバム 

Annnn

 なお板東俘虜収容所捕虜製作印刷物については、P というカテゴリー表記文字を追加して数字を4桁に統一した以外、 「図録」の番号をそのまま踏襲している。

(4)

第1部 板東俘虜収容所捕虜製作印刷物

ここに収録の印刷物は第一次世界大戦時、ドイツの租借領であった中国青島への日本軍の攻撃に敗れたドイツ兵が 板東俘虜収容所に収容された後、さまざまな機会に出版したものである。 第一世界大戦当時に限定しても、世界各地の捕虜収容所ではいろいろな出版物、とりわけ捕虜相互の意思疎通や 連帯感の確保のために収容所新聞が発行され、催し物のパンフレットなどが制作されていた。そして、それらを発行 するために捕虜が運営する収容所内の印刷所もあった。そうした中で、板東収容所での印刷物は種類、数量、質の点 で、さらには美術的な観点からも群を抜いている。第一世界大戦時に各地の捕虜収容所で発行された新聞を研究した Rainer Pöppinghege(2006) もそのことを指摘していて、単に地元だから高い評価を与えたというわけではない。 さて、その印刷物の種類だが、ここでは次のようにグループ分けし、順次画像とともにタイトルやサイズ、印刷の 種類などを記述し、簡単な説明を付した。ただ、印刷物ゆえに重複するものも多くあるので、それらについては番号 をあげるのみとし、画像はそのうちのひとつだけ掲載した。 書籍 画集や冊子類もここに入る。また講演会での配布資料も冊子にまとめられたものは、この中に入れてある。 プログラム類 板東での印刷物中、多色刷りのものが多く、もっとも華やかで美しい。音楽会がもっとも多く、ついで演劇プロ グラム。そのほか演芸会、講演会、スポーツ大会などがある。 ポスター、ちらし、地図 絵はがきおよび切手 印刷所 板東俘虜収容所には、それぞれ印刷方法を異にする2カ所の印刷所があった。ひとつはもっぱら謄写版による印刷 を行っていた所で、ドイツ語では単に Lagerdruckerei(収容所印刷所)と表記されたり、Lagerdruckerei Bando(板東 収容所印刷所)と表記されたりしている。ここは印刷だけでなく、製本も行っていた。もうひとつは主に石版印刷を 使用していたところで、絵はがきなどではドイツ語で Steindruckerei(石版印刷所)という表記がされている場合があ るが、特別な表記がない場合もある。たとえば『鉄条網の中の4年半』では文字としては「板東で印刷された」とし か記載がないが、その画質から謄写版でないことは明らかである。また、裏表紙に描かれている挿絵は石版印刷機そ のものであることも石版印刷所で印刷されたと断定できる理由である。一方、『鉄条網の中の4年半 追録』では最終ペー ジに「板東東印刷所」印刷という字句があるが、板東の東地区にあった印刷所とは石版印刷所のことである。 謄写版技法について 謄写版は、すでに板東に来る以前の徳島俘虜収容所で発行されていた週刊新聞 Tokushima Anzeiger(『トクシマ・ アンツァイガー』、『徳島新報』と訳されることもある)の印刷に用いられていた。この新聞の発刊は 1915 年4月5日 のことであって、捕虜たちは日本に収容された早い段階から謄写版の存在を知り、その技術に慣れ親しんでいったと 思われる。 Tokushima Anzeiger にも多くの挿絵が使われていて、インクも黒以外に赤、緑、茶色が使われていること もあった。このころの絵では塗りつぶしに線を無数に引く方法だけでなく、べた塗りの印刷もすでに使われている。 Tokushima Anzeiger 中の挿絵の説明から、この時に使われていた謄写版はドイツ製ではなく、日本の「堀井謄写堂」 の製品であることは間違いない。するとそれを引き継いだ板東もほぼ同じであろう。志村章子 (1995) もそう指摘する。 それによると、このメーカーは陸軍と太いパイプを持っていたということなので、捕虜が収容所に入った当初から収 容所事務室で目にしていたことは十分考えられることである。 板東では、徳島収容所の捕虜からもたらされた謄写版をさらに独自に発展、さまざまな技法を駆使して美術的にも 高度な作品を制作していった。これは、日本人によるさまざまなアート技法が大正末期以降に開発されていったので あり、それに先行する優れた技術であった。板東俘虜収容所所長の松江豊寿もこれに着目し、陸軍への報告に彼らの 優れた謄写版印刷技術を収容所職員に学ばせていると書いているほどである。しかし、彼らの技法が日本側で普及し

(5)

ていったという痕跡は残念ながら見つかっていない。 製本 収容所印刷所は製本部門も併設していて、厚紙製本だけでなく、かなり本格的な書籍の布張り製本も行っていた。 その布張りに謄写版印刷が行われている点も注目して良いのではないかと思われる。にじみやインクの油がしみ出し が見られないのだが、どのように印刷したのであろうか。 使用字体について 当時の国内収容所ではタイプライターはあったものの、多量に印刷 ・ 配布に使用できるものではない。活版印刷な どむろん望むべくもなかった。ほとんどの場合、謄写版が使われたのである。そこで手書きによるガリ切りとなるが、 その際に用いられた書体はたいてい昔のドイツ語筆記体であり、一部がラテン文字体に近いブロック書体であった。 そのために習熟していない人にとっては非常に読みづらいものであるが、文字自体は非常に丁寧に書かれていて、鉄 筆を取る人の几帳面さが現れている。 制作者について 書籍やプログラム類には、制作者の名前ないしイニシャルが記載されているものがある。この中で、『ディ・バラッ ケ』には編集部スタッフの名前が記載されているが、このうちの誰が記事を書き、ガリ切りをしたかは書かれていない。 幸い、後に述べる『三つの童話』に制作者が上記編集部スタッフの一員であるグスタフ ・ メラーだと記載されていること、 そのイニシャルの G.M. もそこに見られることから、イニシャル署名のひとりの特定はできている。プログラム中の制 作者の署名は他に F.S. があるが、板東収容所には F.S. のイニシャルの人物は 16 人もいて、こちらは残念ながら誰か不 明である。

(6)

1.書籍、冊子類

P0001 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第1巻 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Band I 1918 年3月発行 謄写版(一部多色刷) 19.8cm × 27.4cm 607 ページ 布張り上製本 『ディ・バラッケ』は板東俘虜収容所で捕虜により発 行されていた週刊(後に月刊)の新聞である。編集者 には5人の名前があがっているが、そのうち途中でス タッフがひとり交代している。この第1巻は 1917 年 10 月から 1918 年3月までの合わせて 26 号分をまと め、合本としたものである。記事本文に用いられてい る字体は当時のドイツ語筆記体であって、現在のドイ ツや日本で使われているローマ字筆記体とは全く異な る。鳴門市ドイツ館史料研究会によりローマ字化した 復刻版 CD-ROM(第4巻までを収録)が制作、発行さ れている。 P0002, P0003 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第2巻(1918 年4月~9月) Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Band II, April-September 1918. 1918 年9月発行 謄写版(一部多色刷) 19.8cm × 27.3cm 727 ページ 布張り上製本 これも第1巻と同様に合本とし て発行されたものである。この 第2巻は通巻で第 27 号から第 53 号が収められている。 第2巻見開きの中表紙

(7)

P0004, P0005 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第3巻(1918 年 10 月~ 1919 年3月) Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Band III, Oktober 1918-März 1919. 1919 年3月発行 謄写版(一部多色刷) 19.8cm × 27.2cm 623 ページ 布張り上製本 第1巻、第2巻と同様、合本として発行されたもの。この第3巻は通巻 で第 54 号から第 79 号までを収めている。 P0006 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第3巻下(1918 年 12 月~ 1919 年3月) Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Band III, Dezember 1918-März 1919. 1919 年3月発行 謄写版(一部多色刷) 19.8cm × 27.2cm 623 ページ 紙表紙簡易製本 第3巻すべてではなく、後半の第 12 号から 26 号までを合本としたもの。 P0007, P0008, P0009 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 1919 年4月号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefan-genenlager Bando, Japan. April 1919 1919 年4月発行 謄写版(一部多色刷) 19.4cm × 26.7cm 164 ページ 紙表紙簡易製本 『ディ・バラッケ』の週ごとの発行は 1919 年3月までで、4月からは月刊となった。 その理由は戦争が終結し、捕虜の解放が近 いかもしれないので、月刊による発行の方 が発刊停止に対応しやすいことを考慮した からであった。

(8)

P0010, P0011, P0012 (上左) 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 1919 年5月号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Mai 1919 1919 年5月発行 謄写版(一部多色刷) 19.4cm × 26.7cm 146 ページ 紙表紙簡易製本 P0013, P0014, P0015 (上右) 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 1919 年6月号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Juni 1919 1919 年6月発行 謄写版(一部多色刷) 19.4cm × 26.5cm 124 ページ 紙表紙簡易製本 P0016, P0017, P0018 (下左、下右) 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 1919 年7月号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Juli 1919 1919 年7月発行 謄写版(一部多色刷) 19.4cm × 26.5cm 108 ページ 紙表紙簡易製本

(9)

P0019, P0020

『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 1919 年8月号

Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefan-genenlager Bando, Japan. August 1919 1919 年8月発行 謄写版(一部多色刷) 19.2cm × 26.3cm 111 ページ 紙表紙簡易製本 P0021, P0022, P0023 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞  1919 年9月号

Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefan-genenlager Bando, Japan. September 1919 1919 年9月発行 謄写版(一部多色刷) 19.3cm × 26.4cm 149 ページ+絵 10 枚 紙表紙簡易製本 『ディ・バラッケ』の最終号である。なお付 録として 10 月号に相当する部分もあるので、 実際の発行日は9月ではなく、10 月であった かも知れない。 この号には演劇舞台の書き割りを写した絵が 10 枚、特別に挿入されている。これらはサイズ 185.3cm × 97.4cm の 珍しいベタ刷り多色謄写版となっていて、本紙に綴じ込まれた焦げ茶色の紙に貼付けられている。 P0024 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第 25 号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. No. 25, 17. März 1918. 1918 年3月 17 日発行 謄写版(一部多色刷) 19.3cm × 26.4cm 42 ページ+表紙(表裏) 紙表紙簡易製本 『ディ・バラッケ』の週刊新聞として発行された単一号である。これは、そ の表紙絵に見られるとおり、収容所近くの四国霊場一番札所の霊山寺と板 東町公民館を会場に開催された俘虜製作品展覧会の特集号である。

(10)

P0025 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第2巻第1号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Band 2, No. 1, 31. März 1918. 1918 年3月 31 日発行 謄写版(表裏の表紙は4色刷) 19.3cm × 26.4cm 28 ページ 紙表紙簡易製本 第1号から数えて第 27 号目となるもの。 P0026 『ディ・バラッケ』板東俘虜収容所新聞 第2巻第2号 Die Baracke. Zeitung für das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Band 2, No. 2, 7. April 1918. 1918 年4月7日発行 謄写版 19.3cm × 26.4cm 42 ページ 紙表紙簡易製本

(11)

P0027, P0028 『ラーガーフォイアー』、松山のドイツ兵捕虜 のための週刊新聞、第1年次第1号~第 25 号 "Lagerfeuer". Wöchentliche Blätter für die deutschen Kriegsgefangenen in Matsuyama. I. Jahrgang No.1-25. Neudruck, heraus-gegeben im Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Januar 1919 1919 年1月発行 謄写版(一部多色刷り) 21.5cm × 32.0cm 520 ページ 布張り製本 松山収容所で秘密裏に発行されていた週刊新聞の復刻版。元はタイプライターで印字され、こんにゃく版やカーボン 紙による複写であったが、これは謄写版。「ラーガーフォイアー」とはキャンプファイアを意味するドイツ語だが、こ の新聞のタイトルは従来『陣営の火』とも訳されていた。内容は、日本や中国についての紹介記事、戦況分析、歴史、 自然科学のほか、収容所内で行われていた事柄についての記述がある。 P0029 『ラーガーフォイアー』、松山のドイツ兵捕虜のための週刊 新聞、第1年次第 26 号~第 50 号

Lagerfeuer.Wöchentliche Blätter für die deutschen Kriegsgefangenen in Matsuyama. I. Jahrgang, No. 26-50. Neudruck, herausgegeben im Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Januar 1919. 1919 年1月発行 謄写版(一部多色刷り) 744 ページ 布張り製本 P0030(画像なし) 『ラーガーフォイアー』、松山のドイツ兵捕虜のための週刊新聞、第1年次第 26 号~第 50 号および第2年次第1号~ 第 13 号 Lagerfeuer.Wöchentliche Blätter für die deutschen Kriegsgefangenen in Matsuyama. I. Jahrgang, No. 26-50. & II. Jahrgang, No. 1-13. Neudruck, herausgegeben im Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Januar 1919. 1919 年1月発行 謄写版(一部多色刷り) 21.4cm × 32.1cm 494 ページ 布張り製本 第1年次後半と第2年次とを合本にしたもの。

(12)

P0031 『ラーガーフォイアー』、松山のドイツ兵捕虜のための週刊新聞、第2年次第1号~第 13 号 Lagerfeuer.Wöchentliche Blätter für die deutschen Kriegsgefangenen in Matsuyama. II. Jahrgang, No. 1-13. Neudruck, herausgegeben im Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Januar 1919 1919 年1月発行 謄写版(一部多色刷り) 21.4cm × 32.1cm 250 ページ 布張り製本 P0032 『板東俘虜収容所案内記』 Adressbuch für das Lager Bando 1917/18 1917 年 11 月ごろ? 編集・発行:ルドルフ・ヒュルゼニッツ 謄写版 19.9cm × 26.0cm 84 ページ 紙表紙簡易製本 日本語のタイトルは「案内記」となっているが、ドイツのタイトルに あるように「住所録」とするほうが合っている。内容は第1部がアル ファベット順による捕虜名のリストで、そこに地位、収容棟、部屋番号、 所属班などが記載されている。そして第2部は収容棟ごとの部屋割り と居住者リストとなっている。その他に収容所内店舗の広告ページと 活動団体についてのページもある。なお、ここには成就院に分離収容されていた非ドイツ系捕虜5名は記載されてい ない。発行年月日は記載されていないが、1917 年 12 月6日に死去した捕虜の名前が記載されているので、それより 以前の発行と見られる。

(13)

P0033, P0034, P0035, P0036 『日本国板東俘虜収容所案内』 Fremdenführer durch das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan 1918 年8月 謄写版 13.8cm × 20.0cm 62 ページ 紙表紙簡易製本 副題に「久留米から板東に来た戦友のために」とあるように、久留米から移 送されてきた新入りの捕虜に対して、板東収容所のガイドブックとして制作 され、配布されたものである。32. の『案内記』とは異なり、板東収容所で 暮らしていくために必要なさまざまな事項や注意点、店舗ガイドなどが記載 され、当時の収容所の様子を知る上で貴重な情報源となっている。 P0037, P0038, P0039, P0040 『日本国板東俘虜収容所からの収容所漫筆』 Plaudereien aus dem Kriegsgefangenenlager Bando in Japan 1919 年 著者:パウル・ケーニヒ 謄写版 17.5cm × 22.7cm 186 ページ 布張り上製本 捕虜たちの生活・活動などをコミカルにまた皮肉をこめて描いた エッセー集。板東への収容当初から翌 1918 年 12 月までに書か れたもので、『ディ・バラッケ』中の同名のコラムと多くは内容 が重複するが、そこには掲載されていない挿絵がいくつもある。 なお挿絵は G.M.(グスタフ・メラー)が描いている。

(14)

P0041, P0042, P0043, P0044, P0045, P0046, P0047

『鉄条網の中の4年半 スケッチ集』

4½ Jahre hinter'm Stracheldraht. Skizzen-Sammlung. 1919 年 作者:ヴィリー・ムッテルゼー(絵)、カール・ベー ル(詩) 石版(絵)+謄写版(文) 27.3cm × 18.0cm 62 ページ 紙表紙簡易製本 (41 と 47) または厚紙・布張り上 製本(42 ~ 46) 板東での一日の生活、さまざまな活動を韻文による描写とスケッチ画によって活写する。表題の「4年半」とは捕虜 になってからの年月を言うのであって、板東に居た年月のことではない。印刷は絵を石版で、詩文の部分を謄写版によっ て印刷している。印刷所の記載はないが、下に示すように裏表紙には石版印刷機が描かれていて、板東東地区にあっ た石版印刷所での印刷が示唆されている。 P0048, P0049, P0050 『鉄条網の中の4年半 追録』 Nachtrag zu 4½ Jahre hinterm Stracheldraht 1919 年 作者:ヴィリー・ムッテルゼー(絵)、カール・ベー ル(詩) 石版(絵)+謄写版(文) 28.4cm × 18.1cm 34 ページ 紙表紙簡易製本 表題どおり、これは『鉄条網の中の4年半 スケッ チ集』の続編である。こちらは詩文が2ページし かなく、それ以外すべて絵である。末尾に印刷者 がヒュルゼニッツ、板東東地区の印刷所(つまり 石版印刷所)であることが記載されている。

(15)

P0051 『板東でのわれわれの体操』 Unser Turnen in Bando. 1919 年 謄写版 19.5cm × 27.2cm 183 ページ 布張り上製本 序文の日付は 1919 年7月となっている。板東俘虜収容所内の 体操協会の設立(1918 年5月)から 1919 年9月までの活動の 記録を収めたもの。 P0052 『俘虜生活からのまじめで快活な詩』 Ernste und heitere Gedichte aus der Kriegs gefangenschaft 1919 年 謄写版 13.6cm × 19.4cm 46 ページ 紙表紙簡易製本 青島戦以来、折にふれ歌ってきた長短の詩のアンソロジー。末尾に中部ドイツ 方言で書かれた散文。 P0053, P0054, P0055 『第6中隊の過去の映像あるいは不治の鉄条網患者のひらめき』 Schlagschatten aus der Vergangenheit der K.6 oder Gedankenblitze eines unheilbar Stacheldrahtkranken. 1919 年 12 月 作者:カール・ベーア 謄写版 19.1cm × 26.5cm 35 ページ 紙表紙簡易製本 1919 年 12 月 22 日の第6中隊の「お別れの 夕べ」で上演された劇の台本。登場人物は第 6中隊の捕虜自身の4人。

(16)

P0056 『第6中隊の演劇』 Theater K. 6. 1919 年末 謄写版 15.3cm × 18.8cm 32 ページ 紙表紙簡易製本 著者の記載はない。収容所からの解放にさいして、松山時代に始まるこの演劇グルー プの活動と上演内容について回顧する。 P0057 『板東健康保険組合』 Krankenkasse Bando 1919 年 12 月 謄写版 26.3cm × 19.5cm 58 ページ 紙表紙簡易製本 板東収容所には捕虜自身による互助組織として健康保険組合が設立 されていた。これは当時、他の収容所では例を見ないものであった。 その 1917 年から 1919 年までの3年次分の報告とスペイン風邪に 関する報告をまとめたもの。 P0058, P0059 『第6中隊、バラック第1棟への告別の辞』 Der K 6 zum Abschied von Baracke 1 1919 年 12 月 作者:F. ゾルガー 謄写版 27cm × 19.7cm 4 ページ 表紙なし 第6中隊演劇部の舞台があったバラック第1棟へ別れを告げる詩。

(17)

P0060, P0061, P0062 『日本国板東収容所俘虜の故国住所録』 Heimatsadressen der Kriegsgefangenen im Lager Bando, Japan. 1919 年6月 謄写版 19.0cm × 26.5cm 49 ページ 画用紙簡易製本 板東俘虜収容所収容の捕虜たちの本国帰還先の住所録。全員ではなく、 827 名のみ。 P0063 『板東収容所捕虜の部隊別名簿』 Namentlicher Verzeichnis der Kriegsgefangenen im Lager Bando mit Kompagnieeinteilung 1918 年または 19 年 謄写版 27.4cm × 20.0cm 44 ページ 表紙なし 将校ならびに将校待遇文官をのぞく 994 名の部隊ごとの名簿。原則的 に姓のみ記されている。 P0064, P0065, P0066, P0067, P0068 『美術工芸展案内』(ドイツ語版) Führer durch die Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit 1918 年3月 謄写版 13.7cm × 20.1cm 52 ページ 薄紙簡易製本 1918 年3月8日~ 19 日の 12 日間、板東公会堂と四国霊場第一番札所の霊山 寺を会場に捕虜たちの制作した美術工芸品の展覧会が開催された。これはその 案内パンフレットであり、制作品の目録ともなっている。日本語版と較べると より詳細で、作品には作者の名前が付され、収容所内の店舗の宣伝などもある。

(18)

P0069 『絵画・手工展覧会案内』(日本語版) 1918 年3月 謄写版 13.7cm × 20.1cm 52 ページ 薄紙簡易製本 会場案内図のほか、ジャンルごとに展示品の簡略な名称がリストアップされて いる。 P0070, P0071, P0072 『日本での収容所生活から集めた言い間違いの花束(ドイツ語迷文集)』 Ein Strauß Stilblüten gepflückt in japanischer Kriegsgefangenschaft. 1919 年 謄写版 13.7cm × 20.1cm 22 ページ 画用紙簡易製本 主に収容所当局からの命令・告知などに見られる、ドイツ語としては不適 切な表現を集めた冊子。 P0073 『三つの童話』( 初版 ) Drei Märchen (1. Auflage) 1917 年 著者:エルンスト・ベール 謄写版 19.3cm × 26.7cm 81 ページ 布張り上製本 「塹壕のハンス・ヴンダーリヒ」、「幸せのターラー銀貨」、「言葉 を話すナイチンゲール」という創作童話3作を収める。著者は捕 虜ではなく、神戸在住のドイツ人。売り上げを困窮捕虜の救済に 当てるべく企画された著書である。

(19)

P0074, P0075, P0076 『三つの童話』(第2版) Drei Märchen (2. Auflage) 1917 年 著者:エルンスト・ベール 謄写版 19.3cm × 26.7cm 81 ページ 布張り上製本 『三つの童話』の初版が大好評であったため、増刷したもの。 内容は同一であるが、文字組みと挿絵はすべて新しいものに 取り替えられている。 (画像は中表紙) P0077 『船員生活 23 年 』 23 Jahre Seefahrt. 1919 年 著者:フリッツ・ブラウン 謄写版 12.6cm × 19.6cm 30 ページ 画用紙簡易製本 講演を元に書かれた、青島に召集されるまでの著者の体験談。なお講演会のタイトルは「船員生活 22 年」である。

(20)

P0078 『中国の夕べ』第1部(1917 年5月~ 12 月) Chinesische Abende I, Mai-Dezember 1917 1917 年 著者:フリードリヒ・ゾルガー 謄写版 27.0cm × 38.5cm 107 ページ 厚紙簡易製本 著者は北京大学教授で、第二次世界大戦後ベ ルリン大学教授となった地質学者であるが、 多彩な方面に博識を有する人であった。この 本は同名の講演シリーズのうち、最初の 34 回 をまとめたもの。内容は中国の歴史と人文地 理および自然地理に関するものである。 P0079 『故国の土と父祖の血−板東収容所で 1918 年1月から 1919 年6月ま で行われた講演「郷土研究」の思い出』

Heimaterde und Ahnenblut. Eine Erinnerung an die vom Januar 1918 bis zum Juni 1919 im Lager Bando gehaltenen 'Vorträge zur Heimatkunde' 1919 年 フリードリヒ・ゾルガー著 謄写版 19.6cm × 27.1cm 403 ページ 布張り上製本 ほとんど毎週のように行われていた「郷土研究」と題する講演をまと めたもの。内容は地学的、地史的なもの、生物の進化に関するもの、 人類の発生から進化の話、そして考古学から現代のドイツ人にいたる までの歴史など広汎にわたる。 P0080 『ベートーヴェンの第九交響曲』 L. van Beethovens Neute Symphonie 1918 年5月 謄写版 20.0cm × 13.8cm 24 ページ 表紙なし 日本初演となったベートーベンの第九交響曲公演のための楽曲解説書である。

(21)

P0081, P0082 『Uボート戦とその効果』 Der U-Bootskrieg und seine Wirkung 発行年不詳 謄写版 31.5cm × 23.0cm 17 ページ 表紙なし、和本綴じ 潜水艦を使った艦船攻撃の目的とその効果について、図表付きで解説 したもの。本文6ページと 11 枚の図表からなる。 P0083 『工場施設 — 技術面と経済面の関係についての研究』 Fabrikanlagen. Studie über Beziehungen zwischen Technischem und Wirtschaftlichem. 1919 年 エドゥアルト・フォッケロート Jr. 著 謄写版 19.5cm × 26.8cm 242 ページ 布張り上製本 工場設備と動力に関して細かく検討を加えた論文。動力に関しては蒸 気機関、内燃機関、電力、水力、風力について述べ、設備に関しては、 立地から照明、暖房、通気などに触れている。 P0084 『日本の小学校読本解説』第1分冊 Erläuterungen zu den japanischen Volksschulfibeln. Heft I 1917 年 ハンス・ティッテル、ハインリヒ・グロースマン訳著 謄写版 19.7cm × 27.3cm 36 ページ 薄紙簡易製本 当時の尋常小学校読本を、ページごとにその記述内容をドイツ 語訳し、解説を加えている。この分冊は1年生前半が対象。

(22)

P0085 (画像なし) 『日本の小学校読本解説』第2分冊 Erläuterungen zu den japanischen Volksschulfibeln. Heft II. 1918 年 ハンス・ティッテル、ハインリヒ・グロースマン訳著 謄写版 19.7cm × 27.3cm 54 ページ 薄紙簡易製本 この分冊は1年生後半が 対象。 P0086 『日本の小学校読本解説』 第3分冊 E r l ä u t e r u n g e n z u d e n japanischen Volksschul-fibeln. Heft III. 1918 年 ハンス・ティッテル、ハイ ンリヒ・グロースマン訳著 謄写版 19.7cm × 27.3cm 66 ページ 薄紙簡易製本 この分冊は2年生前半が 対象。 P0087 『日本の小学校読本解説』第 12 分冊 Erläuterungen zu den japanischen Volksschulfibeln. Heft XII. 1917 ~ 1919 年 ハンス・ティッテル、ハインリヒ・グロースマン訳著 謄写版 19.7cm × 27.3cm 260 ページ 簡易製本 この分冊は6年生後半が対象。

(23)

P0088 『国民年中行事 — 国民の経験中の一年、日本語からの正当な翻訳』 Kokumin nennchuu gyoji. Das Jahr im Erlebnis des Volkes. Berechtigte Übersetzung aus dem Japanischen. 1919 年初期 アドルフ・バルクホールン、エルンスト・カイスナー、ハインツ・ファン = デア = ラーン、グスタフ・ルドルフ、エー リヒ・シモーニス訳 タイプコピー 21.5cm × 28.7cm 368 ページ 布張り上製本 大正3、4年頃出版の『国 民年中行事』という本の 独訳版。板東での出版物 には珍しいタイプ印刷で ある。 P0089 『日本の警察』 Polizei in Japan. 1919 年 謄写版 19.0cm × 26.4cm 64 ページ 画用紙簡易製本 大正5年刊行の『日本の警察』の訳および注釈。内容は日本の警察 制度についての解説書。

(24)

P0090 『日本の格闘技相撲《相撲図説》』 SUMO der japanische Ringkampf. Nach japanischen Quellen. 1919 年 ハンス・ティッテル訳著 謄写版(挿絵に多色刷り) 45 ページ 画用紙簡易製本 日本の相撲について、その起源から、力士の位階、土俵、決まり手など絵入りの詳しい解説書の独訳版。 P0091 『日本地理』 Japanische Erdkunde. Aus dem Japanischen übersetzt. 1918 年 クルト・マイスナー訳 謄写版 19.5cm × 27.2cm 317 ページ 布張り上製本 大正2年(1913 年)発行の中学校および師範学校用「新訂 日本地 理教本」の独訳版。内容は自然地理および人文地理(日本本土ならび に台湾、朝鮮、樺太を含む)。

(25)

P0092 『中国礼節指南』 Wegweiser durch die chinesischen Höflichkeitsformen. 1919 年 フランツ・ティーフェンゼー著 謄写版 19.7cm × 27.0cm 300 ページ 布張り上製本 著者は第一世界大戦前、青島の徳華高等学堂で教鞭を執っていた中国 語学者。内容は中国人との親密な交際に必要な儀礼を事細かに記載し たもの。後に、東京のドイツ東洋文化協会から再版が出されている。 P0093 『中国語の多音節集』 Sammlung Chinesischer Mehrsilber 1919 年 謄写版 20.3cm × 26.9cm 1015 ページ 布張り上製本 中国語の二字以上の漢字表現を集めた中独辞書。20名以上の人が参加して新聞などから資料を収集し、独自に編纂 したものである。謄写版ではあるが、板東東印刷所(石版印刷所)の出版物である。

(26)

P0094 (右、中) 『1920 年ふるさとカレンダー』 Heimatskalender 1920 1920 年 ムッテルゼー、ヒュルゼニッツ制作 石版 13.1cm × 19.2cm 106 ページ 画用紙簡易製本 絵入りの日めくりカレンダー。「ふるさと」という表現があるが、画題は日 本人や日本の風景である。 P0095, P0096, P0097 (下) 『14枚の石版画』 14 Steinzeichnungen 1919 年 石版(絵)+謄写版(文) 19.8cm × 26.8cm 31 ページ 画用紙簡易製本 5人の作者による単色石版画の画集。画題は日本の風景 や人物画など。

(27)

P0098, P0099, P0100, P0101, P0102 『収容所スケッチ10枚』 10 Zeichnungen aus dem Lager. — Originalzeichnungen auf Wachsbogen von M. Blomberg. 1919 年 ヴィルヘルム・ブロンベルク 謄写版 29.5cm × 22.0cm 10 枚 収容所内のさまざまな風景のスケッチ画である。副題によれば、 画家自身が謄写版のロウ原紙に直接描いたものである。つまり、 いったん紙に描かれた原画をロウ原紙上でなぞって模写したもの ではないらしい。

(28)

2.音楽プログラム

 板東に収容される以前から、徳島、丸亀、松山の各収容所では楽団が結成され、音楽会も数多く催されていた。これ らの楽団は、ある程度のメンバーの増加と変動はあるにしても、板東に来てもそのまま独自に活動を続けていく。ひ とつは H. ハンゼンの指導する徳島オーケストラ(後に MAK オーケストラに改称)であり、もうひとつは P. エンゲル の指揮するエンゲル・オーケストラである(ただしプログラムではエンゲル・オーケストラの名称はほとんど使われず、 「エンゲル指揮のコンサート」という表現が用いられている)。これらは管弦楽団である。3番目として A. シュルツの 指揮するシュルツ・オーケストラがあるが、これは吹奏楽団である。2つの管弦楽団は競い合うように数多くのコン サートを開いているが、それにともないプログラムが作成されている。これらは、後に紹介する演劇、演芸会、スポー ツ大会なども含め、すべて謄写版による印刷である。特に表紙には多色刷りが多く使われ、とても美しいものである。 「エンゲル・オーケストラ」のプログラムにはオーケストラ名の記載がなく、単に「パウル・エンゲル氏指揮の第~回 コンサート」とされているだけの場合があるが、「エンゲル・オーケストラ」という名称がプログラム上に書かれてい るときもあるので、日本語タイトルでは一貫してこの名称を用いることにする。  会場はバラック第1棟が多い。ここの東半分が講堂として用いられ、音楽会のみならず、演劇、講演会、演芸会な どの会場となったのである。また、特に合唱や演劇のプログラム中には、「禁煙」と書かれているものが見かけられる ことがある。それだけ会場内での喫煙者が多かったのであろう。

(29)

P0103 『エンゲル・オーケストラ第1回コンサート』 1. Konzert unter Leitung des Herrn Paul Engel, am Sonntag, den 13. Mai 17, nachmittags 3.00 Uhr in Baracke I. Bando. 1917 年5月 13 日 謄写版(単色) 20.3cm × 16.6cm 二つ折り(4ページ) 表紙文面の訳は「パウル・エンゲル氏指揮による第1回コンサートプログラム、1917 年5月 13 日、日曜日、午後3時、 バラッケ第1棟にて」。 プログラムは、メンデルスゾーン「司祭の行進」、ロッシーニ「セビリアの理髪師」序曲、ワルトトイフェルのワルツ「と てもかわいい」、グノー「ファウスト」による幻想曲、ルビンステイン「(ヘ調の)旋律」、ニコライ「ウィンザーの陽 気な女房たち」メドレーの全6曲。

(30)

P0104 エンゲル・オーケストラ第2回コンサート 2. Konzert in Bando unter Leitung des Herrn Paul Engel, am Sonntag, den 3. Juni 17, abends 7.15 Uhr im Musik-Pavillon. 1917 年6月3日 謄写版(3色刷) 20.5cm × 16.6cm 二つ折り(4ページ) 周囲の枠は帝政ドイツ国旗の「黒・白・赤」の3色を配している。帝政ドイツ国旗の3色の帯が巻き付けられ、下に は古代の竪琴が配されている。プログラムの表題を翻訳すると「パウル・エンゲル氏指揮による板東第2回コンサー トプログラム、1917 年6月3日、日曜日、午後7時 15 分、音楽堂にて」となる。 曲目は、マイアベーア「戴冠式行進曲」、オッフェンバック「天国と地獄」序曲、アルディーティ「キスワルツ」、サラサー テ「チゴイネルワイゼン」、ケレル・ベラ「喜劇序曲」、シュトラウスのワルツ「春の声」、ワルトトイフェル「ベラ・ マズルカ」、ドリーブのバレー組曲「コッペリア」の全8曲。

(31)

P0105 徳島オーケストラ第5回コンサート Tokushima Orchester Ⅴ . Konzert, Bando, den 10. Juni 1917 1917 年6月 10 日 謄写版 (3色刷) 32.5cm × 21.2cm 1枚(1 ページ) 上部、植木鉢の絵の左右にはト音記号とヘ音記号とが見える。画像では見づらいが、輪の左右下部にも繊細な線によ る装飾がある。 曲目は、パウル・エンゲルの行進曲「青島の戦士」、ボワルデュー「白衣の婦人」序曲、サンサーンス「汝が声にわが 心は開く」、ベートーベン交響曲第9番から「歓喜に寄す」、ワーグナー「ウォータンの別れ」と「火の魔法」の全5曲。 最下段には午後7時 15 分開演とある。

(32)

P0106 シュルツ・オーケストラ第3回コンサート 3. Konzert Orchester Schulz 1917 年6月 17 日 謄写版(3色刷) 31.6cm × 21.0cm 1枚(2ページ) 吹奏楽団の演奏会プログラム。鶴首花瓶にいけられた菊を左側に配し、上部で音楽会のタイトルと曲目との境をなす ように描かれている。このプログラムの印刷時期は菊の季節ではないので、何らかの日本の元絵があったと思われるが、 具体的には不明である。 曲目は Ad. ヴィルツの行進曲「インペラートル」、Fr.v. スッペのオペレッタ「Flotte Burschen」序曲、パラディス「パ ステル」メヌエット、ハイザーのバラード「荒野の墓」(トロンボーン・ソロ)、レオ・ファルのオペレッタ「離婚し た妻」よりワルツ「踊れるじゃないか」、「大帰営譜」(裏面に解説)。開演は 1917 年6月 17 日(日)、午後7時 15 分。 「大帰営譜」とは、軍楽隊による帰営曲から始まり、いくつかの楽曲演奏と祈りの後、楽隊の退場までにいたる祝典演 奏である。

(33)

P0107, 108 徳島オーケストラ第6回コンサート Tokusimaer Orchester 6. Konzert. Bando, den 1. Juli 1917 1917 年7月1日 謄写版(3色刷) 32.3cm × 21.0cm 1枚 意匠は 105 とまったく同じである。 曲目はシュレートの行進曲「ルイトポルト摂政公」、マスカーニの歌劇「カバレリア・ルスティカーナ」による幻想曲、 ケーゲルの「ホームシックのヴァイオリン弾き」、レオ・ファルの喜歌劇「別れた妻」メドレー、ヴァイサーの「マッ ケンゼン行進曲」。

(34)

P0109, P0110 エンゲル・オーケストラ第3回コンサート 3. Konzert in Bando unter Leitung des Herrn Paul Engel, am Sonntag, 8. Juli 17. abds. 7.15Uhr im Musik-Pavillon 1917 年7月8日 謄写版(3色刷) 20.0cm × 16.5cm 1枚(2ページ) 周囲の枠はこのプログラムの制作者グスタフ・メラーがしばしば用いているつるバラである。 プログラムの表には「パウル・エンゲル氏指揮、板東での第3回コンサート、17 年7月8日、日曜日、午後7時 15 分、 音楽堂にて」と書かれている。曲目には現在でも有名な曲がそろっていて、スッペ「私人と農夫」序曲、ワルトトイフェ ル「スケーターズ」ワルツ、モーツァルト「魔笛」による幻想曲、シュトラウスのワルツ「オーストリアの村ツバメ」、 モシュコフスキー「セレナータ」、シュトラウスの喜歌劇「ジプシー男爵」のメドレーの全6曲である。

(35)

P0111 モルトレヒト・マンドリン楽団第2回コンサート 2. Konzert der Mandolinen Kapelle 1917 年7月 22 日 謄写版(4色刷) 31.5cm × 21.0cm 1枚(2ページ) 音楽プログラム全体でデザインがこのように日本趣味なのは「和洋大音楽会」をのぞいてこれだけである。演奏曲目 はブルーンの海軍行進曲「われわれの青い上着」、ハイドン「セレナード」、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しく 青きドナウ」、ドリーブのバレー「シルヴィア」からピチカート、オスカー・シュトラウスのワルツ「ワルツの夢」、リッ ターのポルカ「子猫」。

(36)

P0112, P0113 タンネンベルク戦勝三周年記念コンサート Konzert zur dreijährigen Wiederkehr des Sieges bei Tannenberg. Bando, den 28. Aug. 1917. Abends 7. Uhr. 1917 年8月 28 日 謄写版(2色刷) 27.3cm × 19.8cm 二つ折り、4ページ 背景に黒白赤の三色旗を縦置きに配して、中央にこの戦闘で国民的英雄となったヒンデンブルク陸軍元帥が描かれて いる。 徳島オーケストラ第8回コンサートとなるコンサート。プログラム自体には書かれていないが、ヤンセンとヴェルナー の2つの合唱団も共演して、軍隊音楽全5曲が演奏された。

(37)

P0114, P0115 リーガ占領祝賀コンサート 1917 年8月 28 日 謄写版(2色刷) 39.0cm × 27.0cm 1ページ 音楽プログラムとしては、かなり大きなサイズ。上部中央にリーガ周辺地図が描かれ、そこに帝政ドイツ国旗が翻り、 左右には鉄十字勲章が置かれている。 これは徳島オーケストラ第9回コンサートとなる音楽会である。最初と最後に軍隊の行進曲が置かれているが、シュ トラウスのワルツ「美しく青きドナウ」やモレーナの「ベルリンは揺れる」と題するメドレー音楽も演奏されていて、 軍楽一色ではない。

(38)

P0116 徳島オーケストラ第10回コンサート Tokushima-Orchester 10. Konzert, Bando, den 15. Sept. 1917 1917 年9月 15 日 謄写版(4色刷) 32.0cm × 21.5cm 1ページ 上部中央の丸枠に、有刺鉄線が張られた丘を背景として、収容所内の池とそのほとりにあった野外音楽堂の夜景が描 かれている。演奏会場の記述はないが、おそらく絵にある野外音楽堂なのであろう。 演奏曲目はマイヤベーア「戴冠式行進曲」、ビゼー「カルメン」による幻想曲、ワーグナー「ワルキューレ」から「ジー クムントの愛の歌」など全5曲。

(39)

P0117 エンゲル・オーケストラ第4回コンサート 4. Konzert in Bando unter Leitung des Herrn Paul Engel 1917 年9月 30 日 謄写版(2色刷) 20.2cm × 16.5cm 二つ折り、2ページ 開催日時は 1917 年9月 30 日午後7時 30 分、会場はバラッケ第1棟。演奏曲目はメンデルスゾーン「結婚行進曲」、ベー トーヴェン「エグモント」序曲、ベリオ「エア・ヴァリエ」(ヴァイオリン独奏:パウル・エンゲル)など全6曲。

(40)

P0118 徳島オーケストラ第11回コンサート Tokushima Orchester 11. Konzert 1917 年 10 月 14 日 謄写版(3色刷) 21.5cm × 32.5cm 1ページ 横長の音楽プログラムはめずらしい。挿絵には森を背景に牧神パンが描かれている。しかしこれは演奏曲目とは関係 ない。曲目はツェラー「鉱山技師長」行進曲、オベール「左官と鍵屋」序曲など全6曲である。

(41)

P0119, P0120 エンゲル・オーケストラ第5回コンサート(ラムゼーガー夫妻を迎えて) Konzert aus Anlass der Anwesenheit von Herrn und Frau Ramseger, Kobe. 1917 年 10 月 21 日 謄写版(2色刷) 21.1cm × 16.2cm 4ページ 表紙に「忠臣蔵」の文字と二つ巴が配されて、日本情緒をもつプログラムとなっている。理由はプログラムに『忠臣蔵』 前奏曲と序曲が含まれるからである。これは神戸在住のドイツ商人ラムゼーガーが作曲したものであるが、彼は甥が 収容されている板東収容所の捕虜に対して積極的に支援を行った人である。これ以外にウェーバー「魔弾の射手」に よる幻想曲とベートーヴェン「エグモント」序曲が演奏された。なおプログラムの末尾には「忠臣蔵」について簡単 な紹介とあらすじが書かれている。

(42)

P0121 シラー生誕記念日によせて Zum Geburtstage Schillers 1917 年 11 月 11 日 謄写版(単色刷) 27.3cm × 19.6cm 2ページ 周囲の装飾枠はまるで唐草模様である。鐘の下部の帯には Vivos voco. Mortuos plango. Fulgura frango. という「鐘の歌」 のモットーである碑文がある。 演奏曲目は A. ロンベルク作曲独唱、合唱とオーケストラのための「鐘の歌」のみである。主催は収容所合唱団、徳島オー ケストラ有志協演とあるが、複数あった合唱団のいずれかは不明である。開演時間が午後3時というのはめずらしい。

(43)

P0122, P0123 第1回室内楽の夕べ Kammermusik. Erster Abend. 1917 年 12 月2日 謄写版(4色刷) 26.2cm × 15.2cm 12 ページ 黒い枠は自転車のペダル歯車とチェーンのようにも見える。中央の五線譜上の音符は二点イの音を示すが、特別の意 味はなさそう。 ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲とベートーヴェンのピアノソナタイ長調。演奏者は書かれていない。5ペー ジにわたる詳しい曲目解説がある。

(44)

P0124, P0125, P0126 エンゲル・オーケストラ第1回シンフォニー・コンサート Erstes Sinfonie Konzert, am 9. 12. 1917 unter Leitung des Herrn Paul Engel 1917 年 12 月9日 謄写版(2色刷) 21.2cm × 16.2cm 二つ折り、4ページ 表紙はオーク(ドイツカシの木)の葉を意匠化したもの。オークは不死の象徴でもあり、また葉は勝利者の栄冠に用 いられた。 疾病金庫(健康保険組合)支援コンサートと銘打たれている。曲目はライネケ「マンフレート王」前奏曲、ベートーヴェ ン「プロメテウスの創造物」序曲、シューベルト「未完成」交響曲、リスト「ハンガリー狂詩曲」第2番の4曲である。

(45)

P0127, P0128, P0129, P0130 徳島オーケストラ・クリスマスコンサート Weihnachts Konzert des Tokuschima Orchesters 1917 年 12 月 22 日 謄写版(3色刷) 27.3cm × 20.0cm 二つ折り、4ページ 絵は収容所バラックとその背後の山に立つクリスマスツリー。プログラム内部の末尾に番号記入欄があって、どうや ら景品配布のくじ引きに使われたようである。 曲目にはズーダーマン「スウェーデン結婚行進曲」、ライネケ「平和祝祭序曲」、「クリスマス牧歌」(「聖夜」によるパ ラフレーズ)などのほか、指揮者ハンゼンの編曲による「クリスマス・メドレー」。

(46)

P0131, P0132, P0133 第2回室内楽の夕べ II. Kammermusikabend 1917 年 12 月 30 日 謄写版(2色刷) 27.2cm × 19.7cm 二つ折り、4ページ 宮殿のサロンの雰囲気を漂わせる図柄。曲目はメンデルスゾーン作曲の弦楽四重奏曲 op. 44 ニ長調およびピアノ三重 奏曲第1番 op. 49 の2曲だが、演奏者の記載はない。

(47)

P0134, P0135, P0136 エンゲル・オーケストラ第7回コンサート 7. Konzert in Bando unter Leitung des Herrn Paul Engel 1918 年1月6日 謄写版(3色刷) 21.2cm × 16.2cm 二つ折り、4ページ 中央上部には笹の葉のようにも見えるものがあるが、赤と緑で描かれ、紅葉の葉のようでもある。 曲目はオベール「フラ・ディアヴォロ」序曲、ヴュータン「バラードとポロネーズ」(独奏エンゲル)など全6曲。

(48)

P0137 『歌の公演』コンサート(ヴェルナー指揮) Gesangs-Aufführung, Leitung W. Werner. 1918 年1月 13 日 謄写版(単色) 27.0cm × 19.5cm 7ページ 上部のバラの花とツルをモチーフとする唐草模様をこの制作者(グスタフ・メラー)は他の場所でも用いている。6 人の作曲家の歌曲とヘンデルの「ハレルヤ」などを徳島オーケストラとピアノ伴奏により演奏。プログラム内部に5 頁にわたり歌曲の歌詞が印刷されている。

(49)

P0138, P0139 徳島オーケストラ第 14 回コンサート — オペレッタの夕べ Tokushimaer Orchester 14. Konzert, Operetten-Abend. Bando, den 20. Jan. 1918 1918 年1月 20 日 謄写版(2色刷) 27.4cm × 19.9cm 二つ折り、4ページ F.S. 制作。上部にオペラ劇場らしい建物が描かれている。オペレッタの曲目を特集したプログラム。シュトラウス「ジ プシー男爵」序曲、喜歌劇「コウモリ」のメドレーなど全7曲。内部のページにはメドレーに含まれる曲名が記載さ れている。

(50)

P0140 第三海兵大隊第6中隊の皇帝誕生日祝賀会 Kaisersgeburtstagsfeier der 6. Komp. Ⅲ .S.B. 1918 年1月 26 日 謄写版(単色刷) 27.3cm × 19.5cm 6ページ 祝賀会で歌われた国歌の "Deutschland über alles" や愛国歌など4曲の歌詞を印刷したもの。

(51)

P0141, P0142, P0143, P0144, P0145 「軍楽行進曲」徳島オーケストラ第15回コンサート — 皇帝陛下の誕生日に Der Militärmarsch”, 15. Konzert des Tokuschimaer Orchesters am Geburtstag S.M. des Kaisers. 1918 年1月 27 日 謄写版(5色刷) 27.5cm × 19.5cm 二つ折り、4ページ 人物と楽器、および青い背景を線だけで表現した、技巧的には非常に凝った絵である。その割に年数経過のせいか、 赤と茶の区別があまり効果的でない。 軍隊行進曲特集。13 世紀から 19 世紀にかけての行進曲全 36 曲。プログラムの説明によれば、シュレージエン工兵大 隊第6中隊の L. コット楽隊長によって年代順に編成された軍楽行進曲集である。

(52)

P0146, P0147 ベートーヴェンの夕べ(第3回室内楽の夕べ) Beethoven-Abend, 3. Kammermusikabend, am 3. Februar, 6.15 abends. Kriegsgefangenenlager Bando, Japan 1918. 1918 年2月3日 謄写版(3色刷) 27.5cm × 20.0cm 二つ折り、3ページ 一見単色のようにも見えるが、2種類の淡色の線が用いられている。印刷では分かりづらいが、全体に五線と四分音 符の丸い模様が 11 個も散りばめられている。 演奏曲目はベートーヴェンのピアノ四重奏曲 変ホ長調 op. 16 とヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」の2曲 である。プログラムに演奏者は記載されていないが、『ディ・バラッケ』にこの音楽会の記事があり、ヴァイオリンは P. エンゲル、ピアノは A. ヴンダーリヒであった。

(53)

P0148, P0149, P0150 エンゲル・オーケストラ第8回コンサート 8. Konzert in Bando unter Leitung des Herrn Paul Engel. Sonntag, 17. Februar 1918, 6.15 nachm. 1918 年2月 17 日 謄写版(5色刷) 27.7cm × 19.7cm 13 ページ 表紙は童話「ヘンゼルとグレーテル」をモチーフにしている。演奏曲目はロルチング「皇帝と大工」序曲、グリーグ「ペー ルギュント」組曲第1番、フンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」幻想曲。このプログラムにはオペラ「ヘ ンゼルとグレーテル」中の歌詞(演奏部分と思われる)を記載した冊子(12 頁)が含まれている。

(54)

P0151

徳島オーケストラ第16回コンサート 第1回シンフォニー・コンサート ベートーヴェンの夕べ

16. Konzert des Tokushimaer Orchesters. Ⅰ . Symphonie ‐ Konzert. Beethoven − Abend.24, Februar, 1918. 1918 年2月 24 日 謄写版(5色刷) 27.3cm × 19.7cm 5ページ 演奏曲目は、ベートーヴェン作曲の「レオノーレ」序曲第3番および交響曲第4番。第4交響曲の解説がある。この 交響曲第4番は日本初演となるものである。

(55)

P0152, P0153, P0154 第4回室内楽の夕べ:モーツァルト,ハイドン,ショパン 4. Kammermusikabend. MOZART, HAYDN,CHOPIN. 4. 3. 1918. Kriegsgefangenenlager Bando, Beginn 6.15 1918 年3月4日 謄写版(4色刷) 27.3cm × 19.7cm 二つ折り、4ページ 配色は唐草模様の葉の緑、中央の青、作曲者の文字の薄い赤である。演奏曲目はハイドン弦楽四重奏曲第 20 番ハ長調、 ショパン「子犬のワルツ」、モーツァルトピアノ三重奏曲(ピアノ、クラリネット、ヴィオラ)。

(56)

P0155 17. Konzert des Tokuschimaer Orchesters. 31. März 1918. 6.15 abds. 徳島オーケストラ第17回コンサート 1918 年3月 31 日 謄写版(4色刷) 27.3cm × 19.7cm 二つ折り、4ページ 藤の花(?)に囲まれた枠内にはピアノを演奏するシューベルトとそれを囲む友人達の絵(シューベルティアーデ) が描かれている。 曲目はロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲、ドヴォルジャーク「ユーモレスク」、ベルテ喜歌劇「3 人娘の家」メドレー。 絵にあるシューベルトの曲は含まれていない。

(57)

P0156, P0157 5. Kammermusikabend, Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Sonntag, 14. Apr. 1918 第 5 回室内楽の夕べ 1918 年 4 月 14 日 謄写版(2 色刷) 27.5cm × 19.7cm 二つ折り(4ページ) 八重椿をモチーフとするデザインである。 ベートーヴェンの初期ピアノソナタ 3 曲の演奏会。有名なものとしては「悲愴」が演奏されている。演奏者記載なし。

(58)

P0158 エンゲル・オーケストラ第 2 回シンフォニー・コンサート Zweites Sinfonie-Konzert des Engel-Orchesters, am 28. & 29. April 1918. Haydn, Beethoven 1918 年 4 月 28 日、29 日 謄写版(3 色刷) 27.5cm × 19.5cm 二つ折り(4ページ) 演奏曲目はハイドン交響曲ト長調、ベートーヴェン交響曲第 5 番(運命)。

(59)

P0159, P0160 エンゲル・オーケストラ第 9 回コンサート Konzert des Engel Orchesters. 20. Mai 1918, 3.30 Uhr nachm. 1918 年 5 月 20 日 謄写版(5 色刷) 27.5cm × 20.0cm 二つ折り(4ページ) 古代の竪琴を太い線で描写し、花束の花と葉にベタ刷りを用いた、華やかなプログラム冊子である。エンゲル「青島 の戦士」行進曲、スッペ「詩人と農夫」序曲、J. シュトラウスのワルツ「君と君」など全 5 曲。  

(60)

P0161, P0162 べートーヴェン『第九交響曲』、徳島オーケストラ第 2 回シンフォニー・コンサート(第 18 回) Beethovens Neunte Symphonie 1918 年 6 月 1 日 謄写版(3色刷) 27.4cm × 19.6cm 6ページ 日本初演となった第 9 演奏会のプログラム。表紙の絵はマックス・クリンガー作のベートーヴェン像を使っている。 内側には指揮者と 4 名のソリストの名前の記載がある。合唱は 80 名。公演日は 1918 年 6 月 1 日。公開総合リハー サルはその前日(5 月 31 日)。開演 6 時 30 分。二つ折りプログラム中に 4 楽章の歌詞を印刷した紙片 1 枚(162 のみ)。

(61)

P0163 エンゲル・オーケストラ第 1 0回コンサート 10. Konzert des Engel Orchesters. Sonntag, 7. Juli1918. Anfang 7.30 1918 年7月7日(日)7時 30 分開演 謄写版(3色刷) 27.5cm × 19.7cm 二つ折り、4ページ 演奏曲目はモレーナ「ハンガリー門」行進曲、オベール「ポルティーチの唖娘」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲 第 5 番と第 6 番、オペラメドレーなど全 5 曲。

(62)

P0164, P0165 徳島オーケストラ第 2 0回コンサート 20. Konzert des Tokuschimaer Orchesters. Sonntag, 28. Juli 1918, 6.30 abds 1918 年 7 月 28 日(日)6 時半開演。 謄写版(3色刷) 27.3cm × 20.0cm 1ページ デザインはドイツ帝国国旗の黒白赤の三色リボンを結んだ木の葉のリース用いている。 演奏曲目は「1814 年パリ入城行進曲」、オベール「左官と鍵屋」序曲、ヴェルディ「リゴレット」による幻想曲など全 6 曲。

(63)

P0166 第3海兵大隊吹奏楽団第 1 回コンサート 1. Konzertdes Blasorchesters vom Ⅲ .S.B. Leiter : Trompeter - Untffz. A. Schulz. Sonntag 4. August 1918. 1918 年 8 月 4 日(日) 謄写版 (4 色刷) 27.4cm × 19.6cm 二つ折り(4ページ) 指揮はシュルツ伍長。フチェック「騎馬哨兵」行進曲、キースラー「アマゾネス」序曲、ドニゼッティ「ルチア」か らアリアなど全 6 曲。

(64)

P0167 徳島オーケストラ第 21 回コンサート 21. Konzert des Tokuschimaer Orchesters. Sonntag, 18. 8. 18. 7Uhr abds. 1918 年 8 月 18 日(日) 謄写版(5色刷) 27.0cm × 19.5cm 二つ折り(4ページ) 曲目はゼーダーマン「スウェーデン結婚行進曲」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲、ハイザー作曲バラード「荒野の墓」 (指揮者のハンゼンによるトロンボーン・ソロ)など全 6 曲。

(65)

P0168, P0169 タンネンベルク戦勝 4 周年記念コンサート(徳島オーケストラ第 22 回コンサート) Konzert zur vierjährigen Wiederkehr des Sieges bei Tannenberg. Tokuschimaer Orchesters. Unter Mitwirkung des Männerchors Moltrecht und der Spielmannskapelle. 28. August 1918. Anfang 7 Uhr 1918 年 8 月 28 日(水) 謄写版(5色刷) 27.5cm × 19.5cm 6ページ 川沿いのドイツの都市を背景に、三色旗を巻いたリースをつかんで飛翔する鷲を描いている。 モルトレヒト男声合唱団と辻音楽士団協演の音楽会。行進曲と愛国歌を中心とする曲目が並べられている。歌詞記載 の紙片の挟み込みあり。

(66)

P0170 エンゲル・オーケストラ第 11 回コンサート 11. Konzert des Engel-Orchesters, Sonntag 1. September 1918. 1918 年 9 月 1 日(日) 謄写版(3 色刷) 27.5cm × 19.8cm 二つ折り インクの色としては3色ではあるが、縦線で刻まれたアーチの内部(カーテン)は同じ黒でも全体枠と文字とは別々 の版を用いているようである。従って原紙は4枚を使っている。 演奏曲目はブランケンブルク「アイテル・フリードリヒ公」行進曲、ケレル・ベラ「ハンガリーの喜劇」序曲など全 5 曲。

(67)

P0171 MAKオーケストラ(弦楽)クリスマス・コンサート Weihnachts-Konzert der Kapelle der M.A.K. (Streichmusik) 1918 年 12 月 22 日(日) 謄写版 (5 色刷) 27.0cm × 19.5cm 一枚(2ページ) 中央に収容所のバラックと背後の山、周囲は樅の葉のリースにクリスマスデコレーションのガラス玉とロウソク。水 色インクで樅の葉が描かれている部分があるが、ほとんど見えず、効果的ではない。 演奏曲目は、タイケ「忠節を重ねて」行進曲、メンデルスゾーン「静かな海と幸せな航海」序曲、クリスマスメドレー など全 5 曲。裏面にはクリスマス・メドレーに含まれる曲目を記載。

(68)

P0172 エンゲル・オーケストラ ソロコンサート Solisten-Konzert des Engel-Orchesters. 19. Januar 1919, 7 Uhr. Dirigent: V.Wachtm. d.L. Werner, Solist: Seesoldat Engel(Violine). 1919 年 1 月 19 日(日) 謄写版 (4色刷) 27.5cm × 19.5cm 一枚(2ページ) 地味な印象の作品だが、円環部分の小花弁などきめ細かな作業をしている個所もある。表題の SOLISTENKONZERT- の 文字はべた塗り印刷で、周囲の線画と明瞭な対照をなしている。 演奏曲目は裏面に印刷されているが、メンデルスゾーン作曲ヴァイオリン協奏曲、ヴュータン作曲「バラードとポロネー ズ」、ブルッフ作曲ヴァイオリン協奏曲の3曲であった。

(69)

P0173, P0174 ウィーン・アンサンブル第 1 回コンサート 1. Konzert der Wiener Besetzung Leitung : Paul Engel. 8. Und 9. Februar 1919. Anfang 7 Uhr. 1919 年 2 月 8、9 日 謄写版 (4色刷) 27.3cm × 19.6cm 二つ折り 「ウィーン・アンサンブル」はエンゲル ・ オーケストラのメンバーからなる、主としてポピュラーな曲目を演奏する楽 団である。この時の曲目はウェーバー「オベロン」序曲、シュトラウスのワルツ「芸術家の生活」、リスト「ハンガリー 幻想曲第 2 番」など全 5 曲であった。

(70)

P0175 エンゲル・オーケストラ第 3 回シンフォニーコンサート(べートーヴェンの夕べ) BEETHOVEN, 3. Sinfonie-Konzert des Engel-Orchesters, 22.-23. Februar 1919. Anfang 7 uhr 1919 年 2 月 22、23 日 謄写版 (4 色刷) 27.5cm × 19.5cm 二つ折り 背景と両サイドの花(?)はべた塗り印刷を使っている。 演奏曲目はベートーヴェンの交響曲第 1 番と第 5 番(運命)。

(71)

P0176, P0177 MAKオーケストラ(弦楽)第 27 回コンサート(ウラジオストクで苦難を共にしつつあるドイツ・オーストリア俘虜 のために) 27. Konzert der Kapelle der M.A.K.(Streichmusik), zu Gunsten der notleidenden deutschen und österreichischen Kriegsgefangenen in Wladiwostok. Anfang 7 Uhr 1919 年3月9日 謄写版 (4 色刷) 27.3cm × 19.7cm 1枚(1ページ) ロシアの収容所に抑留されている同胞のための慈善コンサート。そのためか、プログラムに赤十字があしらわれている。 プログラム内には公演日の記載はないが、収容所新聞『ディ・バラッケ』に記事がある。演奏曲目はアイレンベルク「軍 隊がやってきた」行進曲。ベルリーニ「ノルマ」序曲、サンサーンス「サムソンとデリラ」から「汝が声にわが心は開く」 など全 6 曲。

(72)

P0178 エンゲル・オーケストラ第 14 回コンサート 14. Engel-Orchester Konzert. Sonntag 16. März 1919. Anfang 7 Uhr. 1919 年 3 月 16 日(日) 謄写版 (5 色刷) 27.5cm × 19.7cm 一枚(2ページ) 竪琴とそれに巻き付けられた青い布をデザインしている。竪琴の枠と布にはべた塗りが用いられている。右側の影に は緑、左には薄赤が細く施されて立体感を出そうと試みているが、あまり効果的でないように見受けられる。 演奏曲目はエンゲル「シュテッヒャー大尉」行進曲、ブラガ「レジャンド・ヴァラク」ワルツ、など全 6 曲。

(73)

P0179 大正八年三月 和洋大音楽会 Konzert des Engel-Orchesters (Kriegsgefangenenlager Bando) in Tokushima, März 1919 1919 年 3 月 22 日 謄写版(5 色刷) 27.0cm × 20.0cm 二つ折り(4ページ) 日本の農村を背景に梅の木をあしらったプログラム。内部のページに「俘虜印刷」とあり、まちがいなく収容所印刷 所の発行である。演目は日本人向けに日本語で書かれていて、エンゲル楽団による洋楽と長唄などの邦楽、および舞 踊の題が記載されている。

(74)

P0180, P0181, P0182 MAK 吹奏楽団、板東町立公園開園式プロムナード・コンサート Promenadenmusik zur Einweihung des neu angelegten Bandoer Stadtparks. Kaplle der M.A.K. (Blasmusik) Sonntag, 23. März 1919. 1919 年3月 23 日 謄写版(4 色刷) 27.4cm × 19.8cm 一枚 モチーフは軍楽隊で使われる儀礼行進用の鉄琴である。演奏曲目はすべてタイケ作曲の行進曲。

(75)

P0183 第 7 回室内楽の夕べ:ベートーヴェン,シューベルト,ブラームス Kammermusik Abend, Beethoven — Schubert — Brahms. Mittwoch, 26. März, 1919. Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. Anfang 7 Uhr. 1919 年 3 月 26 日 謄写版(4色刷) 27.5cm × 20.0cm 簡素なデザインだが、それでも表紙に黒以外の3色を使っている。 曲目はベートーヴェン作曲ヴァイオリンソナタ第 7 番、シューベルト作曲ピアノ五重奏曲「鱒」、ブラームス作曲ヴァ イオリンソナタ作品 78 の 3 曲。演奏者の記載はない。

(76)

P0184 モルトレヒト合唱団 歌の夕べ Lieder Abend des Sängerchors Moltrecht. Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. 13. April 1919. Anfang 7 Uhr. 1919 年4月 13 日 謄写版(3 色刷) 27.5cm × 20.0cm 二つ折り 開演7時。ウィーン・アンサンブル友情出演。曲目は合唱曲、二重唱、オーケストラ器楽曲の計 10 曲。

(77)

P0185 第三海兵大隊吹奏楽団第 3 回コンサート Konzert des Blas-Orchesters vom Ⅲ .S.B. Sonntag. 20. April 1919. Anfang 9.30. 1919 年4月 20 日 謄写版 (4 色刷) 27.0cm × 19.7cm 1ページ 曲目はスッペ作曲「軽騎兵」序曲やワルツ、メドレーなど計 8 曲。

参照

Outline

関連したドキュメント

・ぴっとんへべへべ音楽会 2 回 ・どこどこどこどんどこ音楽会 1 回 ステップ 5.「ママカフェ」のソフトづくり ステップ 6.「ママカフェ」の具体的内容の検討

(1) 令第 7 条第 1 項に規定する書面は、「製造用原料品・輸出貨物製造用原 料品減免税明細書」

[印刷]ボタンを押下すると、印刷設定画面が起動します。(「3.1.7 印刷」参照)

活動前 第一部 全体の活動 第一部 0~2歳と3歳以上とで分かれての活動 第二部の活動(3歳以上)

41 の 2―1 法第 4l 条の 2 第 1 項に規定する「貨物管理者」とは、外国貨物又 は輸出しようとする貨物に関する入庫、保管、出庫その他の貨物の管理を自

目印3 目印4 目印5 目印6 目印7. 先端の重り12

東京電力(株)福島第一原子力発電所(以下「福島第一原子力発電所」と いう。)については、 「東京電力(株)福島第一原子力発電所

印刷物の VOC排出 抑制設計 + 環境ラベル 印刷物調達の