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財政改革にかんする2,3のパンフレット--1848年~50年---香川大学学術情報リポジトリ

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財政改革にかんする2,3のパンフレット

ーー1848年∼50年岬

西 山 一 郎 Ⅰ・はじめに.。ⅠⅠ.マグレガー・『財政改革』(1849年)。ⅠⅠⅠ.匿 名氏『改革を求めるイギリスの叫び,経費削減と減税』(18娼年)。 ⅠⅤ・匿名氏『大蔵省の情実任用,これこそ経費節約の大きな癌』 〔1849年〕。Ⅴ・キンプトン『財政改軋通貨等』(1849年)。ⅤⅠ. ノ−・マン『ゎが国および近隣の諸国における租税負担紅関する2,3 の通説の検討』(1850年)。ⅤⅠⅠ.同上(つづき)。ⅤⅠⅠⅠ.むすび。 I 1848年12月,2年前の穀物法廃止の立役者,コプデン(RichardCobden)は, リグァプ−)L/財政改革協会会長グラッドストン(Rober・tSOn Gladstone)にあ て手紙を書き,彼の財政改革の構想を示した。それは「国民予算(National Budget)」と称せられ,骨子は.,現在の国家経費を1,000万ポンド削減して 1835年の水準に・引き下げ,浮いた財源でもって関税,消費税等の減税をおこな おうというものであった。1)コプヂンは,翌年2月.「国民予算」を動議として 庶民院に提出しその実行を政府に.せまった。彼の動議は275対78で否決された が,2)当時のコプデンの名声や改革運動におけるリグァプ−ル財政改革協会の 1)T′’αC′・ざ0ノ■才力βエよ紺ゆ抑=物紬紆紘=物伽Ⅶ月・ざ・ざ〃ぐ∠α′才〃〝.No.6,〔London〕,18 51,pp.8−12. 2)3LtGn・Sard,Cii,1218−1303.February26,1849.

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香川大学経済学部 研究年報18 J97β ーJ∂0− 地位やを考えると,世論は財政改革の帰趨に大いに.注目していたと思われる。 関税,消費税を全廃してイギリスを自由港(F工ee PoIt)にすべきであると いう匿名氏ほ,時の大蔵大臣を,広い視野と財政運営の経験を欠いた「田舎紳 士」ときめつけ,新しい時代にほ新しい人材が求められているとした。3)この 発言は,ラッセル政府の財政運営にたいするプル汐ヨアジ−のいら立ちを示し たものとして興味ぶかいが,これに呼応するかのように.1848年∼49年にかけて コプデンのようなアマチュアの大蔵大臣が輩出し,それぞれの財政改革案を競 った。4)そしてついに.,ロンドン大学のラテン語の先生までが,大陸諸国を襲 っている革命のうねりと国内のチヤ」−テイスト運動の高揚をみて−イギリスの将 来を心配し,国債の償還と浪費的な員族政治の改革を主張するアピ−ルを,中 産階級に.むけて発表した。5) 庶民院におけるコプヂンの財政改革の動議ほ1849年2月のそれ1回かぎりの 3)Anon.,A βαdg♂≠ 0/Tぴ∂ rα.ガ♂こS O乃J一γ.A 5摘机上m.方,紺哀〃7〃才βエβgαC.γ β〝才.γ月初那須zβdα乃dβ∬Jβ乃dβdわβeαJPγ■♂♪β亘γ,α乃dαP′・0ββγf.畑n㍑,4卵油 β♂ わ A//ββαJ∠gβ♂ アブ・〃♪βデ′.γ,紗彦一拍‘∽」軸融Jα∂/βP′・ゆ′わ鋸=わノ加切別, London,1848,p.5㊥

4)E.Phipps,A FewWords ofihe Three Amateur Budgets ofCobden,Mbc・

G㌢βgOγ,α〝dlya.s∂〟,London,1餌9.3人のアチュアによる予算案とほ,R.

Cobden,“The NationalBudget for1849”;J.MacGregor,‘‘FinancialReform, a Letter to the Citizens of Glasgow”;R..Wason,りA Budgetior the Mil−

1ion,in a Le七重er to theInhabitants ofthe BoroughofIpswich”,である。この

うち小稿ではマグレガーの『財政改革』のみをとりあげる。コプデソの「国民予算」 の詳しい検討’は,タグァプール財政改革協会を分析するさい紅.おこないたい。クエイ ソンのパンフレットは、私の知るかぎり ロンドン大学図書館内の Goldsmiths’ LibI・aI■yに1部所蔵されているので,閲覧の機会があたえられれば小稿の補遺として 紹介したい。 5)Fねnci5 W.Newm飢㍉+』朋.4如毎勿「九〉 ム転」怯ddJ♂Cん㍑・5β′5ロガ 才力β ぴ7−gのわ 〃々Cβ1S・Sよ秒 βノ■∧な∽β7・0α・ざ 属お離cαJ尺q/b7偶・S,ダよ乃α乃C去〃/〃搾dO7■銅融c.London, 1848.ニュ−マンほ当時ユニプァ−シテ■イ・カレッジのラテン語の教授。このパン フレットは,ケ・ニソトン・コモンに.おける大箱願集合の4日前,1848年4月6日に脱 稿した。(その後の調査で,ニューマンは一介のラテ・ン語の教授叫といっても,彼 はUniveISityCollege,London,のラテ・y語の正教授(chair ofLatitl)を1846年か ら69年までつとめ、同年名誉教授となる岬でほないこ.とが判明。彼には、ラテン語 ・ラテン文学に関する著作の他に、神学,論理学,数学,歴史,政治・社会問題に.関 するおびただしい著作がある。そして,エβCわ‘γβ5〃〝ア〃J古書オcαJ動0〝0∽.γ,London, 1851,ほけ マルクスが『資本論』の6カ所において引用している。ニュー・マンの経 歴,著作目録等については,丁如㌧ひ行わ〃乃〃γ.γ〃ノ■凡れ血相J朗〃gγ種々γ,S〝♪クJβ研β〝f, をみよ。)

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財政改革紅かんする2,3のパンフレット ーJ5J− ようであるが,急進派の指導者と称せられるJ.ヒュームは,18・48年∼51年にか けて陸海軍予算の削減を連年の敗北に.もかかわらず政府:に執拗紅要求しつづけ ていた。議会内あるいは院外のこのような財政改革の動向をみていると,1848 年∼1850年代初頭を,‘財政改革の季節’と呼んでさしつかえないよう紅思う。 小稿では,あたかもハイド・パークのSpeakers’Corner・のごとくであったで あろう財政改僅論争のうち管見にふれた1848年′−50年の2,3のパンフレットの みをとりあげ,それらの内容を紹介するとともに若干の検討を加えたい。 ⅠⅠ まずはじめにり マグレガ−『財政改革』(1849年)8)をとりあげる。ロンド ン軋つぐ大都市グラ−ズゴクの市民代表(Burgess represer)tative)であること を誇る国会議員マグレガーほ.,元商務省(BoardofTrade)事務次官。彼は熱 心な自由貿易論者であり,1846年に.おける穀物条例廃止を契機に.商務省次官の 地位をなげうってグラ−ズゴクより立候補した。7)このパンフレットは,当時 イングランドのマンチェスタ−やリグァプ∴−ル,スコットランドのグラーズゴ ウのような商工業都市の住民,すなわちブルジョアジーの関心をひいていた財 政改革について−の彼の見解を,選挙区戌あての手紙の形をとって発表したもの である。 マグレガ−の財政改革論執筆の契機をなしたものは,やはり1848年の革命で あった。彼に.よれば,大陸諸国は今日財政的困窮と内乱にみまわれ,侵略戦争 をしかける可能性がたかい。「それ故に.,今日はど財政改革の実行をもとめら

れている時はないとわれわれほ信じる。要するに,誰れが首相になろうと,わ

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

● が国ほ.租税と経費の全面的改革をおこなわなければならないであろう。」8)そし

6).丁.MacGI−egOIL,ダよ〝α形C査α/勒/b7・桝:Aエβ≠≠β7紬≠カβ.C∠f∠zβ兜5〃./GJ〃∫卯紺, /ン∂∽,ルカ乃 〃αCG′・βg〃′・,〟.P.紺わ滋一卯7J丸け・のねほわβ〝 α花d S〝ゑタJβ桝β〝fαγγ NoteS,London,1849.pp.xviii,54. 7)r恩βヱカcfよ0乃αrγ0メ■A払子之■〃乃αJβグ∂gγα♪々γ. 8)MacGregor,OP.ciiりp.V.傍点は,原文がイタリックであることを示す。以下 同じ。

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香川大学経済学部 研究年報18 J97β ーJ∂2− て,彼ほ,財政改革を通じてイギリスの商工共を発展させるとともに・,世界平 和,とくに大陸の強国フランスとの友好を増進しなければならないと考える。 国際貿易を通じる国家間の結びつきは最も強固な平和の保障であり,「とくに フランスとのそのような友好と安全の絆は,他のどのような主義主張にもまさ って文明を発展させ,平和を効果的に約束し,結果的紅はヨー・ロツパの国々 の租税負担を軽減する。」9)したがって,自由貿易を推進する財政改革は同時に 世界平和実現の手段でもある。ここにわれわれは,「世界のエ場」としてのイ ギリス資本主義の世界戦略(PaxBritannica)をみてとることができよう。 マグレガ一にとって財政問題の算1は,重い租税負担であった。「卒直に1、 って,イギリスは租税負担が最も重い国であり,したがって私は大規模な財政 改革が絶対に必要であると考えている。イギリスの重い租税−アイルランド のそれは別にして−−は,同時に・,納税者の負担能力に比例していない。」10)そ して,このヰ・うな重い不平等な租税負担をまねいたのは,経費が大きいからで ある。そこで,経費の削減が要求される。経費削減の第1の対象に・あげられる のは,陸海軍および軍需省の経費と,国債の利払い費である。しかし,後者は 削減不可能と判断され,前者の大幅な削減が要請される。「われわれの確信す るところでほ,海軍費は戦力と能率をそこなわずに削減することができるであ ろう。また,イギリスの属領,とくにアイルランドの統治形態をかえることに より,陸軍と軍需の経費も大幅に削減されるであろう。」11)マグレガーほ,イ ギリスの海軍力が沿岸を防衛し,通商の安全を確保し,そして植民地を守護す る以上のものであると認識し,海軍費の大幅な削減が可能であるとする0 陸軍費の削減に関連してマグレガ−は,植民地の統治方式の変更を主張す 畠。彼は,数あるイギリスの植民地に関しては基本的にはその維持を主張す る。「要するに,すべてのわが植民地に・関していえることは,それらをよき統 治,すなわち正義にもとづいて,いいかえると武力によってではなく自治紅ゆ だねること紅よって保持しなければならないというこ.とである。」12)植民地の .Ⅵ 7・1545 pトト針 , , , ●◆● リd.〃.dイ 、●− ・●一 ・●● ・−一 Ⅲ ︶ ︶ ︶ ︶ 9 0 1 2 1 1 1

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財政改革紅かんする2,3のパンフレット ーJ∂β− 放棄ほ植民地白身にとってものぞましくないとして否定はするが,植民地を2 種類に.分仇 北アメリ九植民地,オ−ストラリア植民地,希望峰などは自治紅 ゆだね,イギリスの軍事費負担を軽減する。他方,ジブラルタル,マルタ,イ オニア諸島等の地中海紅点在する軍事植民地については,駐屯軍の削減をすべ きではない。「もしわれわれが地中海における通商や航海,交易の現状ならび に,エジプトを経由してインドや中国等々との陸路による交易を維持する必要 性を考えるならば,駐屯軍を大幅に削減することほできないであろう。」13)し たがって−,陸軍真の削減は自治植民地の駐屯軍の引きあげに.よって達成され る。 マグレガ−ほ,パ−・マストン外相の酷極外交を批判して外交政策ほ不干渉政 策を基本とすべきであるという。そして−,ナポレオン戦争の経験に敬してか, 戦争の負担ほ戦争が終っても国民を圧迫するとのぺ,「それ放に.,イギリスの 基本政策は,他国に.たいする干渉をおこなわないということ,今日十分立証さ れているよう紅イギリスの地理的位置から考えて中立であることが安全である ということ,戦争を回避すること,効果的な防衛力を保持すること,しかし主 権の回復か,あるいは海上交通の要衡の維持,すなわち世界市場の安全を守る という名分かが存在する以外に.ほ攻撃をしないという ことである。」14)とい う。 以上のような陸海軍の削減方針と外交政策から看取されることは,財政の効 率的運営をはかるとともにイギリス産業資本の海外における市場と梅益一特 にインドと中国におけるそれ−を守護し,不干渉主義を国是とすべきである という主張である。このような経費政策の下で削減される経費は弟1表に示さ れたごとぐである。経費削減の総額は542万ポンド,1847年度に比較して9% の減額である。 さて,5,200万ポンドの経費をどのような租税収入でまかなうのか。マグレ ガ−は,新,旧2つの歳入計画を考えているが,新しい案を示せば第2表のよ 13)J∂よd. 14)乃よd.,p.Vi.

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香川大学経済学部 研究年報18 ・一」巧虻− j97β 第1義 経費削減案 (単位 ガボンド) 第2表 歳入試案 (単位 万ポンド) 1847年度l新規見

竺艶」」竺讐賢一

経 費 項 目 海 軍 費 陸 軍 費 軍 需 糞 国 債 費 統 合 基 金 ジグィル・リスト 御 料林費 等 徴 税 費 雑 費 項 目 金 額 1.関 税 タ ツ■ バ リイ ピ コ 糖ツ ン ス 物 の品 砂 ス ワ ス果茶緒奮 等 品俸 製 2.消 費 税 等 スピリッツと 麦 芽 酒類販売免許 印紙税と相続税 未償還地に対す る課税1) 3.郵 便 事 業 4.王 領 地 5.不動産収入にた いする5%の課税

5,770い,228!542

合 計 〔出所〕MacGI・egOI,ダ∠〝α乃C友一α7月βノ■〃㌢・∽, pp.15−17. うになる。減税の方針は,タバコ以下の8 品目を除いて関税は全廃し,スピリッツ, 麦芽,酒類販売免許の8つ以外の消費税も 全廃し,そして査定税(assessed taxes) については未償還地に対する課税を除いて これまた全廃する。そして,現行の所得税 は廃止する。このような税制改正に.よる減 税額は,窓税その他の査定税が282万ポン ド,火災保険税が110万ポンド,レンガ税 が68万ポンド,そして所得税が560万ポン ド,合計1,020万ポンドであった。15)した 合 計 l5,200 〔出所〕Jゐよ−d.,pp.28−・29. 〔注〕1)英語は,unredeemedland taxであるが,内容は私に. は不明である。 15)J∂∠♂.,pp.29−39.

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財政改革にかんする2,3のパンフレット ーJ55−− がって,減税案の目玉は.減税総領の55%をしめる所得税の廃止であったd さて,1,000万ボン仁ド余の減税による税収入の減少を,マグッガ−は・,不▲動 産収入紅たいする5%の比例課税で埋め合せるこ.とを提毒する。不動産収入と は,家屋,土地,倉庫からの地代′・家賃収入,国債,東インド会社の株券等市場 で売買されるすべての有価証券からの収益をふくむ。そして.,それらの総価値 ほ,マグレガーの見積りに.よれば年額2億ポンド紅蓮し,5%の税率でし000 万ポンドの税収をあげうる。現行の所得税を廃止して不動産収益税を導入する 理由は,後者が前者紅比較して「年間〔収入の〕査定に・おいてより審問的では なく,より直接的で平等な方法」16)であるからである。そして,上記のような 不動産収益税は,「窓税その他の査定税やレ∵/ガ税,火災保険税の廃止に・よる 税負担の軽減を考えあわせると,現行の所得税はど土地や家屋を圧迫しないで あろう。」17)と,マグレガ−はいう。しかし,減税財源を,不動産所有者一 地主,員族等の旧勢力ーの収益に.たいする課税によって補填しようとするこ とは否定しない。 以上がマグレガ−・の税制改革の概略であるが,その要点ほ,関税,消費税, 所得税等の減税を不動産収益税を導入することによっておこなおうとするもの である。この税制改革で最も問題となるのは,不動産収益に・たいする課税であ る。なぜなら,マグレガ−の提案する不動産収益税は∴フィッブス紅・よれば, 企業利潤(profits王rom trade)とあらゆる専門醜の所得(al1professional pI・Ofits)を免税にするからである。「所得に関して私〔フィツブス〕の理解す るとこ.ろでは,彼〔マグレガ−〕は.,国債からのそれのみならず,運河,ドッ ●● ク,鉄道等々からのすべての利潤を含む(しかも,現行の2倍ちかい税率で課 ●●●●●

税される)が,彼は,企業の利潤全額とすべての専門職の所得を免税する。」18)

フィツブスは,不動産所有者が減税に.よって凰恵をうけるのはたしかだが,だ からといって企業利潤と専門職の所得に.たいする課税を免除すべしということ 16)J∂まd.,p.22. 17)∫∂∠d.,p.30. 18)Phipps,OP.cit.,p..11.現行の所得税の税率ほポンドあたり7ぺyス,すなわ ち約3%であった。

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香川大学経済学部 研究年報18 ー・J∂6■− J.97β に」はならないとし,企業利潤も国債利子と同様に.課税しうるという。彼は,収 益税を新設することよりも,現行税制の不公平,特匿不動産に.たいする相続税 の免税を廃止することを条件に.現行の所得税の存続を主張しているから地主階 級の味方というわけではないが,企業利潤を免税にするのは不公平だという主 張は正論である。したがって,マグレガ】−の税制改革ほ,企業家と専門職を露 骨軋優遇しようとするものであるといえよう。 マグレガ・−・の財政改革ほ,結論的紅いって,経費の削減計画においても税制 の改革案に.おいても商工業者階級の利益(interests)を周到に.擁護しようとす るものであり,コプデンの「国民予算」と同工異曲である。もっとも,マグレ オー自身ほ,彼の財政改革の構想ほコプデン以前紅発表しており,19)ねらいほ コプデンと同じであるが,第1に経費削減額紅おいて,第2に.麦芽税を存続し ている点に.おいてこ.となるという。20)そうすると,コプデンがマグレガーの亜 流ということに.なる。 ⅠⅠⅠ つぎに,匿名パンフレット『改革を求めるイギリスの叫び,経費削減と減税 〔以下,改革を求めるイギリスの叫び,と略称〕』(1848年)糾を検討する。ま ず最初に.執筆者の推定であるが,パンフレットの最後にM.C.M.という署 名がある。しかし,これは Middle−Class Man の頭文字をとったに,すぎな い。22)タイトル・ぺ−ジをみて異様に感じるのほ,その下万一通常,発行地 19)それは,1鋸5年の私家版のパンフレットー私は未見一紅.おいて全容がのぺられ るとともに.,1845年2月19日の『タイムズ』−一これも未見−−一に.発表された。そし て,その考えは,さらに輸入関税に.関する1840年の議会の委員会における彼の証言等 紅さかのぼるという(MacGIegOI・,叩.C∼≠.,p.Xiv,fn.)。 20)′∂∠d.,pp.Xiv−・ⅩⅤ. 21)Anon.,劫査fαよ乃’∫Cγγノbγ尺βル′桝,だ抽′■♂ガCカ∽β花≠α乃d々βd〟Cね〝〃ノ’rα∬α′よr〃乃,

ケy a Middle−Class MbnC以下,Briiain’sCr二y.fbrReJbrm,と略称:〕,Manchester,

I.,eeds et al.,1848.pp.16.

22)もっとも,Goldsmitbs’L血aI・y のカタログが私の手許にないので現在確認でき ないが,そこ/では,M.,M.C.,βr≠≠〃∠〝’ざC′γ/わ′・点β/b′・沼,と記載されていた ように.記憶している9

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財政改革にかんする2,3のパンフレット ーヱ57− と印刷所を示す箇所∼に,, Manchester:A∴Heywood,01dham Street. Leeds:I).Green.Bradford:J.Hainsworth,and W.Cooke.Hudders二 field:J.Richardson.Halifax:D.Wilsbn,LoId,Midgley,NichoIson and Wilson と,地名と人名がやたらに並んでいることである。これらの地名 と人名がなに.を示すのかが私に.は現在明らかでないが,それらをこ.のパンフレ ットの発売元と考えれば,このパンフレットは「中産階級」ノの1人紅よって書 かれ,イギリス綿工業の中心地マンチー王スター・および羊毛工業を主産業とする ヨ−クリヤ」−のクーエスト・ライディソグの諸都市2の に‥痴いて配布あるいは販 売されたものと推測される。 早速内容の紹介に入ろう。匿名氏ほ,パンフレットの冒頭において,旧約望 まち めぐ 書エゼキエ・ル杏の1節(第9寮費4節),「邑の中エルサレムの申を巡れ,而し て邑の中に.行なわるるところの諸々の憎むぺき事のため紅嘆き哀しむ人々の額

しるし に記号をつけよ」を引用し「『巡れ』,わが愛国者たち!産業の沈滞や貧民の飢

餓状態,貴族の督移,国民の〔租税〕負担をなお増加しようとする政府の決定 や国家存亡のただ中にあっでなお国旗の完全な無関心が存在することに思いや れ。」24)と中産階級に.よぴかけ,1847年恐慌に.よってうちひ、しがれた労働者階 級の窮状を認識せよという。匿名氏は,地元のマンチェ.スタL−の例をあげ, そこでは施設外の救済をうける貧民が週平均1万7千人もおり,・労役場や病院 む落成で」・杯だという。「あ1,との状況ははとんどすべての都市にみられ る!イギリスは.今日どの国と比較してもまけないだけの富をもっているのに, 国民の大部分は窮乏化し,破産し,零落し,刻々と赤貧洗がどとき状態紅なっ ている。」25)その結果,救貧税が増加し,「それはその他の種々の重い地方税 の負担と一・終に.なって,特紅商人たち(shopkeepers)を圧迫するとともに., 労働者(labouring population)の顧客の減少に,より商売が漸次左前となるた 23)ちなみに.,これら諸都市の人口を1851年センサスに.よって示せば,マンデェスタ− が30.3万人,リ−・ズが17.2万人,ブラッドフオ−ドが10.4万人,ハタスフイ・−ルドが 3.1万人,そ・してノ、ジフアックスが3.4万人であった(B.R.Mitcbell,Aゐ.s≠rαC才 0ノ■劫’∼≠≠頭」封扉〝来が5加納・Sわ亡ぶ,CambIi鴎e,1962,p.24.)。 24)Anon.,Britain’s CryfbrRefbr・m,p.2, 25)∫∂よd,

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香川大学経済学部 研究年報1・8 ーヱ5β一 J.97β め,まもなく耐えられなくなるであろう。」26)すなわち,労働者階級の窮乏ほ 商人階級にとってまったく他人事でほない。さらに,今日,労働者階級の賃金 はしばしば切り下げられるとともに,実業家達申(Millocrats)そrの他の有産 者が負担すべき所得税は転嫁され,労働者が「間接的納税者」となっているた め,彼らの経済的苦境はますます深まっている。27) このような現状を改善する方策としては,第1に.,つぎのようなものが挙げ られる。「現在餓死状態にあり,ポロをまとい,l廼屋に住む多くの人々に.仕事 をあたえ.,彼らの労働に.たいして正当な報酬を保障せよ。そうすれば彼らほよ ろこんで即刻子供たちに.教育をうけさせるであろう。−一多くの有識者の意見

●● は,もし政府.と貴族が外部の声に耳をかたむけないならば,中産階級(middle

Class)が滅亡する時がくるというものである、。実際,社会ほそのような状況 紅むかっているようにみえる。」払)労働者に仕事をあたえ,正当な賃金を保障 することと,子弟に.教育をうけさせることの閑適が私には十分わからないが, とにかく,匿名氏は,失業をなくし労働者の経済生活を改善しなければ自らが その叫・員である「中産階級」がはろんでしまうという強い危機意識をもち,そ れを回避するため紅財政改革を主張するのである。 こ.とで,匿名氏のいう「中産階級」とはなにかについてすこし考えてみる。 先の引用文払おいて「商人たち」という言葉が出てきたが,匿名氏のいう中産 階叔は,具体的紅ほ.卸・小売商のようである。29)匿名氏に.よれば,貧民の増大 26)′∂j−d. 27)ここで,匿名氏は,旧約聖番ヨプ記の1節(算35章算9節),「暴虐(しいたげ) の甚だしきに.因りて∴叫び(cI・y),権勢(いきおい)ある者の腕に圧(おさ)れて呼ば わる(cIy Out)人々あり。」を引用する(云∂よ♂.,p.5.)。私は,失業と低賃金と生活 苦にさいなまれる労働者階級の叫びという意味がこのパンフレットの表題の最初の 1句(β再ヂα∠乃’.ざCγγ)にこめられてこいると思う。なお,匿名氏は,イギリスの現状 を分析する部分に.おいて聖苔をたびたび引用し,「塁審の倫理は貧民にたいする同感 である」(吏∂fd.)といっているところからみて,彼ほキリスト教社会主義思想紅共 鳴していたのかもしれない。 28)J∂よd.,p.3.

29)というのは,上記の引用文紅つづき,‘Disastrousisthe effect o董sucha$tate

of things upon tr・ade.Both the wholesale and retaildealer know this,.

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財政改革にかんする2,3のパンフレット ーJβ9一 により救貧税負担が増大するとともに,顧客の減少により商売が不振にな

る。したがって,中産階級は貧民の状況紅無関心でほいられない。「商人た

ち,〔すなわち■〕中産階級の人々ほそれ〔労働者の窮乏〕に注目し,今日わが 国に・存在する,冒をおおいたくなるような悲惨な状態が改善され除去されるよ う紅,貧民ととも紅声を大にして要求しなけれほならない。」叩 ここ紅は,労 働者階級の実状の認識から「射すすんで,彼らとの統一感線の主張がみられる が,これが匿名氏の立論の特徴のひとつである。氏ほ,労働者階級(operative Classes)こそが国の大黒柱であり,中産階級,金持ち,貴族,さらには国王ほ 彼らに依存していると,正しい社会認識を披摩している。第2に,したがっ て,中産階級が新興の産業資本家を意味していないということを指摘する必要 がある。匿名氏に・よれば,今日の国民的窮乏をもたらした原因紅ほ馬鈴薯の不 作,鉄道投機などが考えられるが,その他の大きな原因として機械の大幅な導 入がある。しかし,機械導入の利益は資本家(capitalist)が独占し,労働者ほ 雇用の機会をうばわれ,救貧税に.たよるようになる。しかし,労働者だけが被 害者ではなく,「すべての地方税納税者(rate−PayerS)ほその影響の下に坤吟 している。中産階級,商人たち等々は機械の利益の独占に.よって作りだされた 多くの貧民を支援しなければならない。」81)したがって,中産階級と資本家階 級の利益は−・致せず,中産階級は労働者階級と共同行動をしなければならない のである。32) 匿名氏は,救貧税を中心とする地方税の負担の増大紅つき両三度言及してい るが,これは氏の思いつきの発言ではなく当時紅おける地方税問題の重要な側 面に関連しているので,そ・れについてはんのすこし付言しておく。当時の地方 税収入の内訳ほ第8表の通りであり,総額は1,200万ポンド余り,国税収入

5,600万ポンドの20%余であった。そして,その中心は救貧税である。イギリス

の地方税の納税者が不動産一土地と家屋が中心一占有者であり,その賃貸 30)J∂よ♂小 31)J∂よdリp.4. 32)一言ことわっておくが,中産階級イコーール商人というのは匿名氏の定義であ・る。19 世紀のイギリスに.おける中産階級の実態紅ついては,簡単紅は,R.Lewisand A. Maude,7heEngl多・ShMiddle Clqsses,PelicanBook$,1953,pp.35−・42,をみよ。

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ヱ97β 香川大学経済学部 研究年報18 第3表 地方税収入内訳(1852年) (単位 万ポンド・パーセント) ・−J6クー 金 額】構成比 項 目 地 方税(RATES) 救 貧 税 教 会 税 道 路 税 首都およびシティ の 地 方 税 通行税(TOLLS)等 5 00 2 4 9 4 3 3 7 5 1 一4 00 0 6 8 7 4 6 9 6 1 合 計 【 1,238l lOO.0 〔出所]J.W.Grice,Nationaland LIOCal ダ〃2α〝Cβ,London,1910,p.29. 価格を課税標準とすることは周知のことであるが,地方税の要であった救貧税 紅閲しそのような原則が確定したのは,長い紆余曲折をへたあげくの1840年で あった。S3)その結果,産業資本家の所有する,いわゆる「諸設備(stoch−in− trade)」Nこれは,わが国の地方税のlつである固定資産税でいえば,償却資 産に・ちかいものでほ.なかろう ことになった。叫匿名氏は,産業資本がうみ出す失業者あるいは貧民の面倒を われわれ借地・借家人がみなければならないのは不当であると非難するのであ る。トーサーのディズレ−リーは,翌年の庶民院に.おいて「虚業階級(agricultural

classes)」−具体的にいえば,借地選一にたいする救貧税等の地方税の負

担の是正を求める動議を提出するが,その演説の中で「ランカレヤ」一における ある機械の発明は,ノL−サンプトンジャーーの全村の人間の職をうばう効果をも っているであろう。」呵とのべ,不動産だけに地方税を負担させる必然性のない

33)E.Cannan,7he HistOr.y OfL,OCalRaieSin England,2nd ed・,London,

1912,pp.85−101.

34)この頃における救貧税の負担の不公平に.ついては,小山路男『層洋社会事業史論』

光生館,1978年,114ぺ−・ジ,も指摘している。 35)3翫兜5¢γd,Ci叫433,MaI−Cb9,1849,

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財政改革にかんする2,3のパンフレット ーヱ6J− ことを力説する。ことわって.おくがディズレ−・リ−を引きあいに出したからと いって,私ほ,匿名氏が農業階級の味方であるということを言いたいのではな く,資本家階級にたいする匿名氏の反感の大きな根拠が地方税の負担の不平等 にあったということを指摘したいのである。 つぎに,匿名氏の財政批判をみよう。匿名氏ほ.,発1に国家経費をとりあげ るが,二最初紅槍玉濫あげるのほヴィクトリア女王=以下の貴族の容体である。匿 名氏によれば,これまでの支配者ほはとんど例外なしに.国民の利益のためでは なく,自らの致富のために.行動し,それが今日のわが国の困窮の原因の1つを なす。その実例として:,第4表のような,ヴィクトリア女王以下の王侯貴族や 弟4表 王侯曳族等と農業労職者との収入の比較 年 収1 日 ヴィクトリア女王 アルバート殿下 アデライド皇后 ケント公爵 カンパーランド公爵 カンタペソ一大主教 ブルー・ム卿 1,287ポンド13シリ 82ポンド3シリ 273ボンド9シ′リ 82ポンド3シ′リ 57ポンド10レリ 54ポンド15シ′リ 13ポンド15レリ 470,000ポンド 30,000ポンド 100,000ボンド 30,000ポンド 21,000ポンド 20,000ポンド 5,000ポンド ソグ5ぺンス ング10ぺソス ング5ぺンス ング10ぺンス ソグ8ぺンス ング11ぺンス ソグ11ぺンス 〔出所〕Anon.,劫行扇乃,∫C7.γノ■0㌢斤βノβγ∽,p.7. 僧侶とグロスタ・−シヤ」一以下の農業労働者一彼らを,匿名民は「国の誇り」 と呼ぶ−の年収と日収を比較し,その貧富の格差を赤裸々紅する。そして, 特にアデライド女王(ウイリアム4世の皇后,当時は寡婦)をあげ,彼女の年 間収入は10万ポンドとなっているが,外国旅行の経費等を加え.ると最低20万ポ ンドに遷するとしたあと,「この女性こそ国民の明白な敵であることを忘れて

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香川大学経済学部 研究年報1′8 ヱ.97g −J62− はならない。なぜなら彼女が全力をそそいでしたことは,選挙法改正法案を承 認しないように夫君ウイリアム4世を説得したことであるからである。」36〉 と いう。これは.1例であるが,このようなほげしい上流階級批判を含むために, このパンフレットほ.匿名になったのでほ.ないかと思う。 そのイ也の経費の分析はごく簡単であり,つぎのが全文であるぴ 「イングランドの諸君! つぎの諸事実を熟考し平和と経費の別線(Peace a皿d Retr・enCbment)を推進すべきかどうかを判断せよ。策1。民事行政の総 経贋は年間650万ポンド紅すぎない。 しかし,1847年の軍事予算は.,陸軍が

6,840,074ポンド,海軍が7,561,876ポンド,兵端部門が2,679,127ポンド,雑

費が3,750,000ポンドで,合計20,881,077ポンドである。33年間平和が続いて いるのに,軍事関係費ほ5億ポンド以上に適する。舞2。戦争のための借金, 別名国債の利子は,本年度28,045.,000ポンドである。そして,1815年の終戦以 来,これ紅10億しポンド支出している。貨3。税金として納める20シリングのう ち,わずか2シリング6ぺンスが民事行政のためのものであり,残り17シ′リン グ6ぺンスは戦争の支払い,あるいぼ準備のためのものである。策4。現在の 庶民院紅おいては約150人の議員が陸海軍人かあるいは戦争体制(Warsystem) の推進に.直接関係して−いる。」87) 匿名氏ほ,具体的な経費の削減ほ.いわないが,38)平時におけるイギリスの経 費構造を「戦争体制」と命名し,軍事費の削減と平和を希求する。 なお,匿名民は,イギリス国教会関係の経費が年間1,200万ポンド以上に.適 し,アメリカ政府の国家経費を上まわるとのぺ,「金,金,金,献金,献金, 常に献金というのが,神につかえる尊師たちのやるすべでである。」89、)と僧侶 たちを手厳しく批判し,教会財産を教育と貧民救済に.あてるぺきであるとい 36)Annn.,βγ・わ厄葎’5C7.γノ■〃′・点βノ■0γ・桝,p〃7. 37)J∂よd..,p.9. 38)ただ,パンフレットの終りの方で,軍事力を批判するコプヂソの主張に.関連して、 陸海軍費ほ4分の3ほど削減しうるし,徴税費は現行の8∼10%でほなく1.5%で十分 だといっている(J∂よd.,p\・15.)。 39)′∂オd‥p.10,

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財政改革にかんする2,3のパンフレット ーJ6−3− う。 租税負担については第5表をかがけ,匿名底は,地球上においてイギリスの 第5表1人当りの租税負担額の比較 〔出所〕J∂∠♂.,p.12. 半分の税金さえ納めている国ほ.なく,フランスを除いてどの国もイギリスの4 分の1さえ.も納税していないといい,国際的紅みてイギリスの租税負担が重い ことを主張する。ただし,これは租税の絶対簡の比較であり,所得との対比紅 おける相対的負担割合ではないこと紅注意しなければならない。この点は,の ちにみるようにノ−マンが批判するところである。 以上のように,イギリスの現状と財政問題をア汐演説口調でのべたあと,潜 論軋入る。第1はいうまでもなく,礎費の削減である。「歴代の大臣の乱費 −それ昧,国家の信用を危うしく国債所有者全員を破滅の渕に.しずめるであ ろうーから生まれるものがなにかを想像することは困難ではない。准費節約 (economy)以外紅女王を救うものはない!」40)っっいて,匿名氏ほ,「早急 ●●●●■● な改革,すなわち選挙権の拡大以外紅,負族,すなわち多様な国家的弊害をう み出す根源を救うものはない。」41)とのべ,議会改革を主張する。庶民院議 40)J∂≠d・,p・12・ここで匿名氏は一転して君主制一つぎの引用から,貴族制一支 持者にかわったよう・にみえるが,これが匿名氏の限界,あるいほヰ産階級の中産階級 たる所以かもしれない。匿名氏は,君主御あるいは王制の否定に.まではつきすすまな いのである。 41)J∂よd.

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香川大学経済学部 研究年報18 ユタ7β ー・J64− 員の約半数266人ほ員族の息子,兄弟,縁者であり,150名は陸海軍人あるい はそれにちかいものである。「そのような議会が国民のためになることをする と,学識あり経験豊かな人間が考えるだろうか。改革されなければならない。 選挙権は拡大されなければならない。議員の任期は短縮されなければならな い。この国の市民を圧迫している負担はもほや耐えられない。」42)ここまでく れば,われわれは,匿名氏の正体を明確に把握できるであろう。すなわち,そ れほ,財政改革と議会改革を結合し,地主,貴族,軍人等の支配する庶民院の 改革を労働者階級とともにおこなおうとする NationalFarliamentary and FinancialReform Association(以下,NPFRA と略称)の先駆的主張であ る。43) ⅠⅤ 算8祇.,匿名氏『大蔵省の情実任用,こ.れこそ経費節約の大きな癖〔以下, 大蔵省の情実任用,と略称〕』〔1849年〕44)を紹介しよう。これも匿名パンフレ ットではあるが,内容をみれば筆者が郵政省のロンドン郵便本局郵便為替部 42)J∂∠d. 43)匿名氏は,付論として,算1に.,あらゆる改革∵−・議会改革,経費の削減,減税嶋 の最大の阻害要因は土地の長子相続法(Law of Entailand P工imogeniture)であ

り,それが議会を蛮族,大地主の少数独裁たらしめる原因であるとしてそれに.反対 し,第2に,J.S.バッキンガムのかかげる課税6原則(James S.Buckingham, PJα乃〃./’β〝J∽か’〃むβdJ符CO研βr〃ガα那仁吼犯Jダ=招7サ“k,紺葎ゐ‘沼ふ卯ォα∂J♂ 九わdc pT■Rぐdc川Iiltg(hc NGfiolla[Dぐbf,,London,1Sヰ5,pp.11−13.)によ りながら関税、消費税の全廃を主張し,現行の所得税を擁護してその改革を提廣し, 最後に.,植民地の保持ほバカバカしいとする(Anon.,劫・よ才α∠〝’.s C71γ./bγ屈βノb′刑, pp・13−16・)。ここに.も,貴族,地主に.たいする反感と,自由貿易および経費削減の 主張がみられる。 44)Anon・,アナβα・S〟′二γ Pαわ℃乃αgβ,才力β G7’鋸け加須痛め掛川f ∠わ ■飢0乃叩γ α㌘d 点βわ■の即鬼別の扉.Aダβ紺ダαCf.s/わγタα′・〃の肌用烏汀ツ(川ば一打花α乃C∠αJ点βメbγ∽β7・ぶ, Addr♂ざ・Sβd, ね.批相加戒「∬〃,且叩.,如姶」軌抑〝β花子 P〃∫ト〇.//■∠cβ 斤♂ノb′■刑β7’,∂.γαl軒卯・烏査形g CJe′・点,打鋸㈹枕y 且叫肋.γβd ≠乃 fカe5β㌢・びよeβ〔以下, TY’CaSu7・y Patronage,と略称〕,…London,〔1849〕,pp.47.

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財政改革にかんする2,3のパンフレット −ヱ65−

(Money Order Depa工tment Of the Gene工alPost Office)勤務の元職員サ

ンダ・qス(SamuelSanders)であることほただちにわかる。45一サンダースは 郵便為替部紅おいて所轄の郵便局から上ってくる郵便為替の勘定口座(daily accounts)の点検を担当していたらしいが,1848年9月16日,ある郵便局から 本局に上ってきた勘定口座に.おいて正しくは8ポンド12シ/リング0ぺンスと記 載されるべきところが2ポンド12〝クング0ぺソスと記載されており,その誤 りを発見できなかったため職務怠慢だとして上司の部長(Chief Cla工k)に叱著 された。そのさい,これは部長の勇み足かと思うが,彼ほサンダー・スに.「男が 勘定口座の点検を全然サボっているとV、うことはお見通しだ。」といったとい う。これは今日でもよくみられる部下と上司の日常的衝突の1駒であって,通 常ならサンダ・−・スほパブにでも行ってうさを晴らしておさまったであろう。と ころがサンダースはただの鼠ではなかったようで,同年11月21日に,郵政大臣 クランリカ−ド侯爵(Marquis of Clanricarde)に,手紙をかき,真相の公正な 調査をうったえた。しかし,郵政大臣.からの返事は,真相調査の必要を認め ず,サンダースは部長に謝罪をすべきであるという内容だった。そこで,翌月 11日,サンダースほ.再寮郵政大臣あてに手紙を巻くが,その内容ほ上司の無能 を強く糾弾するものであった。そこまで事態がくればもう途は1つしか残され ていなかったようで,サンダースは辞職を決意する。1848年12月26日,郵政大 臣秘書官であるとともに郵便為替部の支配人(Mana女er)であったヒル(Row− 1and Hill)は,サンダースの依願退職を承認した。 宮仕え.から開放されたサンダースは郵便為替事務改革への闘志をもやし,事 態はさらに.発展した。1849年2月26日,チヤ−テイストの国会議員(チェレヤーー のMacclesfield選出)ウィリアムズ(John Willams)は,ロンドン郵便本局郵 便為替部の機構改革を要求する同部元職員サンダースの請願書を庶民院に.提出 した。請願書においでナンダースほ,「かつての記帳轟験と郵便為替部の仕事 に実際にたずさわった体験とからいって,複式簿記(system of keeping the accounts by double entry)こそほ,現行制度の下でおどろくぺき規模で生じ

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香川大学湛済学部 研究年報18 J97β −J6−6− ている一信じがたいミスの発生を防ぐの魂ならず,〔郵便為替部の〕仕事を約22 人′と7冊の帳簿と現在と同数の.メッセンジャー・でおこなうように.し,したがっ て経贋を5分の4,すなわち郵便為替部のみで年間2万ポYドを削減できるで あろうと,請願者は確信しております。」4の とのぺたニ。当時,同部に.ほ第6表 第6表 郵便為替部の現在の職員構成等と経堂

目1人(人)員l覧ソ酎各ン葦

支 配 人

事 務 長

部 長 1等上級職員 2等上級磯貝 下 級 職 員 見習 い 職 員 メ ッセンジャー 臨 時 手 当 て 帳簿その他の文具 1,200 500 400 240 170 160 70 78 1,200 500 400 1,200 4,250 5,0001) 9,240 1,014 1,500 2,000 111 525 5032 13一 l 合 計 f 228 26,30421 〔注〕1)人員に単価を乗ずれば8,000ポンドとなる。 2)下級職員の人件費が8,000ポンドの場合,合計ほ 29,304ポンドとなる。 〔出所〕Anon.,rγ・絡Sαγ.γタα≠γ0〝αgβ,p.27. \Tて1 のように214人の職員4T)がおり210冊の帳簿をそなえ年間2万6千ポンドの経 費がかかっていたが,それを,サンダースは複式薄記の導入に.より職員を192 人,帳簿を200冊余,経費を約2万ポンド削減しようというのであるから,破 天荒な機構改革と経費の節約である。これに.たいしてヒルは,5月4日,ウィ リアムズ議員に.会い,サンダースの提案については誠意をもって検討し実行で 46)J∂よd.,p.12. 47)これほ第6表の228人のうち,事務長以下見習職員までの合計をさすものと思われ る。

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財政改革濫かんする2,3のパンフレット 十ヱ67− きるものがあれば採用したいと答えるとともに,具体的な改革案の提示をサン ダースに.もとめた。そこで彼は,同月17日,ヒルあて一に・前文を付した20項目に わたる改革要綱を提出した。 サンダーースは前文に.おいて「…・・・・・・職員にたいする公正(抽stice)と納税者 (tax−payerS)にたいする公正の実現が私の唯一・の目的であります。/私の提 案は,記帳の最善かつ周知の方式に.厳密に.合致し,すべ‘くの事務が計算の能率 と正確とに.調和しもっとも節約的な方式でおこなわれるべきであるという政府 の要求にも合致していると存じます。」48)とのべ,自らの提案が職員,納税 者,政府の三者にとってともに有益であることを強調する。郵便為替とり扱い 紅関する現行の単式簿記方式をあらため,各勘定闇に.連絡をもたせ,計算上の 誤りをただちに‖検証しうる複式簿記方式の導入をのぺた20項目にjったる要牌の 最初の3項目をあげれば,舞1に,地方郵便局紅おいて郵便為替を取りあつか う者(deputies)−これに.は郵便局長があてられていたもよう−にほ,L郵 便為替1,000ポンドに.つき4ポンドの手当てこを支給すべきこと,算2に,職属 についてほ年功序列に.よる昇進(pIOmOtion by senio工ity)La)原則を廃止して 能力による昇進(promotionby merit)の原則を導入し,勤務時蘭を延長する こと,第8に,現行の記帳方式に.かえて複式簿記という単一・の−システムを導入 すべきことであった。そして,第4項以下ほ.複式簿記方式にもとづく郵便替為 とり扱いのこまかい手順をのべ,最後に付録として口座勘定の現行の会計処理 に.よるサンプルと新しい複式簿記に.よるそれとをかかげた。49)複式簿記の導入 を主なテコとした事務機構の改革は,策7表のよう紅まとめられる。すなわ ち,職員の身分ほ部長,職員,メッセンジヤ−の3種紅再編され,人件費等は 48)∫∂よd.,p.13. 49)これらのサンプルを,同僚でぁる会計学担当助教授の笠井敏男氏に鑑定していただ いたところ,現行の会計処理紅ついてこほ帳面にDI.,Cr∴ の文字がみえるので100パ −・セント単式簿記とするには無理があるが,はぼ単式簿記と考えて大きなまちがいで ほないこと、各郵便局とロンドン本局との間の郵便為替の処理にかんするサンダース の改革案は複式簿記にもとづく企業会計でいう本支店会計の方式によるものであろう とのことであった。

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香川大学経済学部 研究年報18 J97β −J6∂− 弟7表 郵便為替部の改革案 合 計l 27 妻 i 5,820 〔出所〕∫みよd. 6,000ポンド足らずに.削減される。 サンダ、−スの改革案は約束通りヒルの手をへて郵政大臣.紅提出されたもよう である。1849年8月2日付でヒルからウィリアムズ議員あてに.回答があり,さ らにそれが8月5日何で同議員からサンダースに通知された。ヒルほ,クイリ アムズ議員あての回答で,郵政大臣が郵便為替部に.関するサンダースの改革案 を検討した結果,「大臣の見解は,改革案ほ現行制度より明らかに劣ってお り,特に.ミスと詐欺行為を防ぐ紅ほ十分でないこと,そして,現状もよくない がサンダース案ほ提案よりも多くの人員がなくでは実行できないであろうとい うものであります。」50)とのべた。 この返事にたいしでサンダースほ,郵政大臣の方がまったく誤っていると して長文の反論をかく。「郵政省の長官である閣下の関心は,情実任用 (pat工・Onage)を縮少しないために現在の乱費を継続することである。私の関 心は,1人の納税者として減税をおこなうために.公務員(establishment)の削 減をすることである。」51)ここにおいてサンダ・−スは,自らが郵政大臣と正反 対の立場にあることを明らかに.し,当時における公務員問題の核心である情実 任用をとりあげる。すなわち,今日のように郵便為替部の人員が増加したのは 歴代大臣の安易な情実任用に.よる。1841年∼46年の郵政大臣ロンズデール伯爵 、50)乃よd.,p.35. 51)J∂∠d.

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財政改革紅かんする2,3のパンフレット ーヱ69− (Ea工lof−Lonsdale)は一博に40人も採用し,1846年1月∼7月まで大臣をつ

とめたセンいジヤ.マンス伯爵(Earlof St.GeImanS)も友人Lord

AdolphusFitzclarenceの要請により人が余って:いるのに・さらに〔何名かは不 明〕採用した。また,1846年7月に大臣に就任した現在のクランリカ−・ド侯爵 も40人を新規採用した。そして,このような情実任用が可能であるのほ,貴族 が両院に.おいて圧倒的な多数をしめているからである。したがって,「納税者 は党派的拘束をうけない議員(independentmembe工S)の努力に・よる〔公務 員制度改革の〕成功を期待できない。というのほ,他の党派〔ホイッグとトー リ−〕が団結する時,彼らは無力だからである。効果的な改革が実現される唯 一・のコ−スほ,議会に.おける改革派の議員(refo工■me工■S)の数を大幅軋増加す ることであり,それは納税者の−・致団結した不退転の決意で実現されるであろ う。」52)これが情実任用で膨脹した郵便為替部の根本的改革に・関するサンタ− スの結論である。(なお,パンフレットのタイトルが『大蔵省の情実任用』と なっているのは,上記のような縁故採用の斡旋元が大蔵省であったからであろ う。) 以上が発端ほささやかな計算ミスであったのがついに・は議会改革紅まで発展 していった,丸谷才一属の小説のタイトルをかりればサンタ−スの「たった1 人の反乱」とでも称すべき事件の経緯である。この事件をみて第1に・印象づけ られることは,職を賭して郵政大臣や郵便為替部の責任者にいどみ,さらに・は 国会にまで請願をするサンダーー・スの果敢な行動である。こ.こに・私は,言論の自 由を尊重するイギリス社会のよい伝統をみる思いがする。 第2に指摘したいことは,サンダ・−・スの「たった1人の反乱」がけっして孤 立したものではなく社会的基盤をもっていたということである。すなわち,郵 便為替部は,産業革命後のイギリス経済の発展をうけて19世紀中葉に・おいては きわめて需要の大きい営業部門であった。同部は1838年把・郵政省の所管となっ たが,郵便為替の取り扱い件数ほ1839年紅19万件であったのが,翌年に・ほ59万 件となり,1846年には著増して800万件,さらに1854年にほ.550万件と,15年間 52)J∂∠d.,p.46.

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−J70− 香川大学経済学部 研究年報18 J97β に30倍ちかくに∴激増した。58)こ.れが歴代郵政大臣匿.よる職員の大患採用の大き な原因と思われるが,しかし,その採用方式や昇身の原則,事務機構は近代的 な公務員制度とほほど遠いものであった。そこで,当時の商工業者階級ほ,政 府の行政機構の近代化・合理化を要求しつづけてきた。瑚1′848年に.はじまる公 務員制度改革の契機となった諸原因を分析したキングスリ一教授は,「・……そ のようなノアの汲水〔1849年のチャーチイストの請願に.代表される社会の大変 動〕の恐怖が行政改革′を要請した唯一・の要因ではない。その他の重要なものほ 彼ら〔商業階級〕の利害紅ただち、に.関係する政府の諸部門,すなわち関税およ び内国消費税局と郵政省の機能に関して商業階級(commercialclasses)が常 に・不満をもって1、たということであった。」55)という。時期的に若干ずれるが, 1853年末の『タイムズ』の社説は,郵便物 】 国内および外国の−が迅速か つ規則的に・配達されない問題をとりあげ,「現在の郵便局をロンドンの商人ほ 単なる障害物のように.みており,この問題について発言したり『タイムズ』の 投書欄に手紙をかく紳士たちは,この〔郵便物がとどかないための〕いらいら と失望の大きな原因が郵便配達制度の欠陥にあるとしている。」呵 とのべ,商 人たちの経済活動を阻害している郵便事業の改革を主張した。したがって,当 時,営業上の観点より郵便事業あるいは.郵便為替の能率化。合理化を商工業階 級が要求してし、たことはまちがいないであろう。 第3。郵便為替部門改革のサンダースの戦略は,納税者−ということでサ ンダー・スの頭にあったのほ商工業者階級であったであろうーの利益を尊重 し,減税と経費の削減を目ざし,それらを実現するために濱族の支配する議会 を改革しようとするものであった。したがって,これもNPFRA型の路線の変 種といえよう。サンダ−スの「たった1人の反乱」は,当時の急進派=労働連 合の改革運動に結びつく可能性をもっていたと考えられる。 53)H.Robinson,劫・紘扇がjタのイ0.〝■よc♂,London,1953.p.163. 54)郵便為替の会計処理への複式帝記の導入というサンダ−スの提案も,商工業階級の 経済合理主義の精神を官庁会計紅いかそうとしたわけであろう。

55),.Dv Kings】ey,R(♪7CS(NfL7ti!,C BtEr(G7LCJ・9(.J・,qlt[/lf(]かCta(ioIL O.f th{

British CivilService,Yellow Springs,Ohio,1944,p.50. 56)The Times,December29,1853.

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財政改革にかんする2,3のパンフレット ーJアヱ一 第4。サンダースのキヤンぺ一−ンがその後どうなったかほ私に・は現在不明で ある。しかし,サンダースの主張し′た情実任用の廃止,能力による昇進の原 則などほ,1858年のノースコー・ト=トレヴエリアン報告書に・おいて−実現され た。さ7)そして,同報告番がイギリスに.おける一近代的公務員制度確立の端緒をな したことは周知のことである。 Ⅴ 第4にキンプトン『財政改革,通貨等【二以下,財政改革,と略称〕』(1849 年)58)をとりあげる、。これほ,、ウオ−ムズリ・−を会長紅いただくN署FRAのメ ンバーの1人と推測されるラティモアに.あてた手紙の形をとって彼らの財政改 革ならびに議会改革を批判するこ.とを課題とする。59) キンプトンほ,経責の削減と減税という財政改革論者の主張紅全面的把賛成 であるといいつつ,しかし問題がないとほt、えない、とする。ト…・・財政改革論 ●●●●●● 者(FinancialReformers)は・それ〔財政改革〕が困難をすくう唯一・の救済策 ●●● であると′信じ,それによって大きなプラスの効果がうまれると期待しているよ ●●●●●●●●● うに.みえる。しかし,私の理解するところでは,こ.れのみに.よってほそのよう な効果ほ・もたらされないであろうし,現状をわずか㌧か改馨しないであろう0 ほっきり言.え.ば,繁栄をとりもどし国民の生活水準を引き上げるにほ.,それは 57)キングスリー・教授紅.よれぼ,1853年の/−スコ岬ト=トレグエリアン報告番の提案 はつぎの4点にまとめられる。舘1は,公務員採用のさい紅年令制限を課すること, 第2は,採用にあたり情実任用(patronage)を廃止し競争聾記試験(competing literary examinations)をおこ.なうt,と、第3は,行政事務を知的事務と反復的事 務に分割すること,第4は,昇進は能力に.もとづくこと(p工二OmOtiotlby meIit)で あった。そして,これらの諸提案の核心は第2の公開競争試験の導入であった (Eingsley,∂♪.cよ才.,p.66)。なお,ノースコート=トレヴエリアン報皆の詳細 な分析把ついて.は,足立忠夫『英国公務員制度の研究』弘文堂,1968年,欝4茸貨1 節,をみ.よ。 58)W.Kimpton,FinancialRe.fbrm,CurYenqy,&c.A Letterio C.H. ム好わ加卯♂,且印.,London,HeI−tford,1849.pp.16. 59)キンプトンならびにラティモアの経歴等ほ不詳である。ご存知の方がおられたらご 教示磨いたい9

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香川大学経済学部 研究年報18 −J72−・ J97β まったく有効ではない。」60)問題の根は深く数百万ポンド′の経費の削減と減税 では現状をいかんともしがたく,解決策は別の方面にもとめられなけれほなら ないというわけである。キンプトンのいう解決策とはなに.かについてはあとで みることにして−,′ つづいて財政改革論者の根本信条である自由貿易の原理にた いする彼の批判をみよう。 キンプトンほ,自由貿易政策の推進によってイギリス社会が改善されたとほ 思えないという。自由貿易政策とほ,披に,よれば,「低価格の原理(principle Of CHEAPNESS)」であるが,これに,よってイギリス国民ほ不利益をこうむっ ていると判断される。その理由ほすこし長いが引用すれはつぎのようである。 「私の見るところ,男たちは減税と経費の削減を支持する一・方,他方では社 会に福音をもたらすものとして低価格の原理を支持している。しかし,君たち は低価格がすべての勤労階級Ⅶきわめて重要なことほ彼らが社会の大部分を なすということである岬の租税負担を実質的に重くするということ狂気がつ いていない。もし商品の価格,したがって商品生産紅おいて雇用される労働が 30シ′リシグから20シリングに.引き下げられるとすれば,低価格に.よって利益を うけるのほ,販売すべき商品あるいほ労働をもたない者だけであり,商品の生 産紅従事している者はすべて−それによる被害者である。というのは,君たち −いや彼らTほ,20シリング〔の所得〕からは,30シ/リングの場合と同様 に.5シリングあるいほ10シ′リング〔の税金〕を納めることができないことほ明 白であるからである。それ故に.,君たちの路線は矛盾(antagonistic)して1、 る。という意味は,一方でやっていることを他方で帳消しにし無効に.している からである。君たちほ減税をしているというだろうが,現実に」は全生産階級, したがって国民の大部分にたいする租税負担を増加しているのである。」61) しかし,この議論はおかしい。というのほ,価格低下の原因の1つに関税,消 費税等の減税が考えられるとすれば,価格の引き下げと同時紅組税負担の低下 もおこるはずである。キンプトンの設例でいえば,所得が30シリングか ら20シ リング紅低下するとともに,たとえば納税額も3分の1だけ,すなわち10シ′リ 60)J∂Zd.,p.4. 61)′∂∠♂‥p・5.

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財政改革紅かんする2,3のパンフレット ーJ7β− ングが6. 7シ′リング紅,5シ′リングが3.3シリングに.引き下げられるほずで ある。したがって,所得紅たいする租税負担率はかわらないであろう。 この点ほおいてキンプトンの主張をつづければ,、彼は「低価格」が暗いイメ −i7に結びつくという。「低価格は,安っぽい国々(cheap countries)が常に もっとも貧しい国々であることから−・般的にいってどの国に.おいても貧困の象 徴とうけとられている。このことは,わが国においても低廉な価格(lowpエices) が困窮と結びついていることによぅて十分例証されている。」呵 そこで,彼ほ ナポレオン戦時下のインフレ政策を称賛する。周知のよ.うにイギリスは,1797 年からはば4分の1世紀,1820年まで正貨見換を停止したが,その結果物価 勝負や地金の市場価格の騰貴,為替相場の下落にみられるインフレーションを 経験した。63)しかし,キンプトンに.とってほその時期こそ,「わが国の歴史上 かつてなかったほど産業のあらゆる分野で大きな前進がみられ,国民の安寧, 福祉,幸福が増進した。租税はなるはど大きかったが,容易に.納税できた。」叫 ところが今日ほ,その時代に比較して人口ほ増大し租税収入は減少したのに., 国民ほ税金に.くるしんでいる。「この原因ほ,ひとえに.価格が誤まった貨幣立 法(moneylaws)により不当な水準に‥おし下げられたからであり,膨大な経 費を要した長い戦争ののちわが国が不可避的に.おかれた環境の変化に十分に対 応できないままに∴金属本位制(metallic standaI・dof value)を再建したから である。」¢ラ)キンプトンは,発券制度の幅を極職紅せばめた1844年のピ−ル条 例こそ諸藩の根源といいたかったのである。 1849年当時,他方に.おいては働く意志のある屈強な男たちが多数おり,−・方 紅は貨幣さえあればのどから辛がでるほどはしい商品の滞貨がある。 「過剰生 産と過剰人口が同時に存在する!あり余る食糧とあり余る人間!かくして, 『穀倉には小麦がみちあふれ,戸口に.ほ餓鬼があふれる。倉庫に.は衣類が山杯 だの紅,街頭には檻礫が−・杯』ということ紅なる。飢えた人間に食物をあた 62)∫∂∠d.,p.6. 63)峰束縛子『イギリス金融史論一過貨論争の潮流−・』世界裔院,1978年,5ぺ− 汐。 64)Kimpton o♪..c才f.,p.6, 65)′∂よd,

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ーヱ74− 香川大学経済学部 研究年報18 J.97β え.,裸の人々に衣類をきせればこの異常な事態は解消する。しかし,分配過程 紅欠陥がある。.交換手段が不足している。交換を媒介し,人々の間に層々の生 産物を分配する1貸幣がその機能と役割をほたしていない。」呵 要するに,今日 の経済的窮境の償因▲は,交換手段の不足,発券制度の欠陥にある。そのため 紅,国旗の所得は減少し,産業ほ適正な利潤をあげえない。 そこで,キンプトンほ「報償価格(remune工ative p工ites)」という概念を もち出す。それは■,「生産物の価値を、租税負担分だけ引き上げた価格」8rトであ る。そして,ト川川・資本に.たいする▼報償(remuneration)こそが産業を活動さ せる条件であり,報償は適正な価格−−租税負担によって−影響きれない価格 一紅よってのみ保障される。このような適正な価格は十分かつ適切な通貨紅 よっての・み維持される。」68)したがって,キンプトンのあげた以前の例でいえ ば,価格を20.シリングに弘き下げるのでほなく,30シリングに維持すべきなの である.。そ・して,生産と消贋の矛盾を解消し,報償価格を保障して産業活動を 活発濫するため紅,∴結論として,金本位制度の廃止が主張される。「…・1・わが 国の通貨は生嵐の増大や租税負担,.−・般的負担に、比例して膨脹すべきであり, 現在の金本位制度が永遠に備障する見込▲みのない報償価格を生産的産業(p工0− ductiveindus触y)紅認めるペきである。わが国をめぐる環境は約200年前にお げる現在の本位制度の確立以来根本的にかわったので,租税および一・般的真納 カi大きな束縛に卜なっている以上それをわが国紅強制することは非常に・不健全な 政策である。」69)硬直した金本位制皮を離脱して通貨発行紅幅をもたす管理通 貨制度に.移ることに.より,通貨供給は増加し価格ほ上昇する。その結果,資本 紅とっては租税負担凌カグァ・−する報償価格が保障され,完全雇用が実現され る。)そ・して,生産と消費のアンバランスが解消され,それほきっと国庫収入の 増大をもたらすであろう・。以上のようなキンプトンの考えは,すこし先走って いえば,国家独占資本主義段階匿おける管理通貨制皮論の先駆けであるといえ よう。 66)■ 乃∠d.,p.11. 67)∫あまd.,p.10. 68)′∂宣d. 69)J∂£d.,pp,1ト12.

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財政改革紅かんする2,3のパンフレット ーj75− なお,1,2つけ加えれば,管理通貨制度の下でほ.不換紙幣の発行限度がな くなるのでほないかという懸念に.たいして,キンプトンは,通貨としての不換 紙幣の発行鼠は「生産的産業紅たいする適正な報償が要求する水準」70)に.制限 され,地方銀行の場合には地方の現実の需要以上償不換紙幣が発行されれば, それほ「競争機閲(riv,alestablishments)のチャンネルを通ってただちに還 流する」71)という。また不換紙幣につきもののインフレ−ション(b短h prices)の危険紅ついて一ほ.,価格が報償価格の水準以上には上昇しないから存 在しないという。なぜなら,「価格がその水準以上に上昇したならば,競争が 必らずほじまり,不可避的に.価格を再び適正な均衡点におし下げ,種々の産業 部門を通じて必要なバランスを回復するであろうからである。一」72)ここでも, キンプトンほ,価格が報償価格を中心に変動してインフレ−ションをまねかな いといって1、るが,このような眉解は,基本的にほ銀行学派のそれであろう。 以上が財政改革論者紅たいするキンプトンの批判と積極的提案である。 彼ほ,議会改革についても言及しているので,つぎ紅それを簡単にみよう。 キンプトンほ,NPFRAのかかげる戸主選挙権とチヤ、−テイストたちの主張す る男子普通選挙権を区別せず,とにかくそのいずれが実現されても,「庶民院 ほデマゴーグと詐欺師で一・杯に.なるであろう。」73)という。たしか紅庶民院は 完璧であるとほいえないが,現在大陸で進行しつつある実験をみれば,「普通 選挙紅近づけば近づくほど,健全で正しい路線を推進するに.あたってのインテ リの活動の場がますます小さくなる。もっとも広い形態の純粋な民主主義を確 立することは,無政府性と逆コーー.スならびに.このような状態〔純粋な民主主 ●●●● 義〕に.つきもののあらゆる弊害の発生を天下紅宣言する以外のなにものでもな い。」74)キンプトンほ,普通選挙が実現すれば議会は堕落し混乱するばかりで あるとして,議会紅大衆の声が反映されるのを拒否する。そして,彼紅よれ ば,現在の庶民院の欠陥ほ健全な判断力と難局に対処する能力をもったすぐれ 70)∫∂≠d.,p.13. 71)′∂∠d. 72)′∂≠♂.,pp.13−14. 73)′∂よd.,p.7. 74)J∂よ♂.

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