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ハンス・フォン・マレーの「ナポリのフレスコ画」について (中の2)

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(1)

ハ ンス・ フォン・ マ レー の「 ナポ リの

フレス コ画」 について

(中

の 2)(1)

高 阪 一 治 (平成元年 6月30日受理)

※図版 にお け る

M.G.と

は,Meier―Graefe,

Juhus:Hans von WIarOes.Bd.2,Munchen

1909に おける図版 を指 し,G.―L.は Gerlach―

Laxner,1」ta:Hans von Marёes.A/1unchen 1980に お ける図版 をい う。

7の

2 さて

,前

稿でみたように,『ペルゴラ』(図

1)の

画面中央で謎 めいて「君臨」す る女性 こそ (図

2),そ

の日常的表現の奥 に,「友情」の擬人的性格 を秘 めた存在であるとすれば

,つ

ぎに

,美

術史 における「友情」表現 について も

,一

瞥 を加 えな くてはな らない。 友情 を造形的 に表現す るとなると

,そ

の表現方法 には様々な ものがあ りうる。 だが

,こ

の問題 に 詳 しいクラウス・ランクハイ トによれば②,これには,大別 して,次の二つの方法が あげ られ る。(1) 直接的方法 としては

,二

人 ない しは群像 による友情 肖像画

(2)間

接的方法 として は

,寓

意 と象 徴 による友情表現

(3)文

芸や神話

,歴

史 にことよせて

,対

ない しは寄 り集 まった友人 たちを出 来事画 として描 き出す友情歴史画 なるジャンル と挿絵。 この区別 にしたがえば

,今

われわれが問題 とすべ きは

(2)の

方法であ り

,

とりわけ

,一

人 の女性像が友情 を表現す るとい う場合である。 この場合 を考 えれば

,友

情表現の豊富 な作例 を提供す るランクハイ トの著作 のなかで

,適

合す る 事例 は三例 しかない。一 は

,13世

紀 に表現 された

,シ

ャル トル大聖堂北袖廊左入 回の飾 リアーチに ある環状装飾 に

,ま

た少 しお くれては

,同

じ大聖堂南袖廊 中央入 口にも現われた「 友 情」である。 若 く美 しい女王 として表わ され

,四

羽 の鳩で飾 られた楯 をひ とつ持つ この像 は

,一

連 の徳 と悪徳 の 表現 にな らって描 き出された ものである0。 三 は,ロ ン ドンにある,フ ランス語で書かれた14世紀初 頭の写本 に見 える「友 情」の像である。 これ は「憎 しみ」の像 と向かいあわせ に置かれ

,や

はり女

(2)

王 として登場 し

,竜

を踏みつけている。手 には円い楯 をもち

,こ

れにも白い鳩が見 える。図像上の 典拠 としては

,先

のシャル トルの彫亥」群 があげ られるであろう “ち 三 は

,チ

ェーザ レ・リーパの『イ コノロジア』 に見 える「 友 情」像である151。 これ らの三例 の中

,最

初 の二例 は,「友情」と鳩 との結びつ きでわれわれにも示唆す る ところがあ るとはいえ

,宗

教的な図像 と女王 としての表現 の点で

,あ

ま りわれわれの参考 にはな らない もので ある。一方

,

リーパの「友情」像 は

,世

俗 的で

,し

か も『イコノロジア』 その ものが周知 の如 く美 術家 に大 きな影響 を与 えた点か らすれば

,わ

れわれの注意 をひ くに足 るものである。以下

,

リーパ の「友情」像 を

,1603年

版 の『イコノロジア』 をもとに

,

しば らく眺めてみる①。 ここに示 され る「友情」像 (図

3)は

,白

い粗末な衣服 に身 を包み

,髪

の乱れた

,裸

足 の若 い女 性立像 として現われ る。彼女 は左手で

,緑

の葡萄 の樹がか らみつ く干か らびた楡の樹 をつかむ一方 で

,裸

の胸 に置かれた右手で もって

,心

臓 を示 している。ここか らは,「遠い

,

近 い」

(LONGE

ET PROPE)と

書かれたモ ッ トーが出てお り

,裾

にも「死 と生」

(MORS ET VITA)と

読 める 銘が縫 い こまれている。 こうしたモチーフの一々について

,本

文 はその意味 を記 しているのであるが

,こ

れ をい う前 に, 本文 には語 られていて

,木

版挿絵 には現われていない七点 について記 しておかねばな らない。まず, 彼女の頭部 にはミルテと柘摺の花で編 まれた花冠があり,その前面には,「冬,夏」

(HYEMS,AESTAS)

と書かれた銘がつけられてい ることである。つ ぎに

,彼

女 は右手 に花束 をもち

,左

腕 で一匹の白い 小犬 を抱 きなが ら

,右

足 を簡懐 の上 に置いている点である。 さらに五点 目の裸体 の三美神 と

,六

点 目の

,脚

の不 自由な者 と盲 目の者 との組 み合わせ

,そ

して最後 の

,燕

の巣が これである。 さて

,こ

れ らのモチーフが もつ意味 について本文が語 るところを要約すれば

,次

の様 になる。 白 い粗末な衣服 については

,飾

りのない魂 の純真 さを

,真

の愛 を示す ものである。乱れた髪 にして も 同様で

,追

従 の潜 む華かな見せかけの虚栄心 とは無縁であることを告げるものである。 この女性が 左肩 と裸 の胸 を見せ,「遠い

,近

い」と書かれたモ ッ トーつ きの心臓 を示 しているのは

,真

の友 は近 くにいようと遠 くにいようと愛する友 の味方であ り

,心

か らの結びつ きで もって決 して離れ ること はない とい うことを

,ま

,裾

に見 えるモ ッ トーや

,花

冠 の前面 に示 され るはずのモ ッ トー は

,時

や運命がいか に変わ ろうとも

,真

の友 は変わ ることな く友情 に生 き

,ま

た死 ぬ用意 のあることを物 語 っている。問緩 もまた同様 に

,真

の友情 は死 を恐れず

,死

に通 じる場合のあることを示す もので ある。 裸足 について は

,友

の世話 に際 しての機敏 さ

,迅

速 を告 げるものであ り

,柘

摺 の花 をまじえた常 緑 の ミルテの花冠 についてはどうか といえば

,こ

れ らは一致 した愛 と内面の結合 の果実であって, 模範

,す

なわち

,賞

賛 さるべ き立派 な行為 (友情

)の

か ぐわ しい香 りを放つ もの として

,こ

こに現 われているのである。小犬 はまぎれ もない忠節の象徴であ り

,三

美神 は友情 につ きものの恩恵の三

(3)

ハ ンス・ フォン・マレーの「ナポリのフレスコ画」について (中の

2) 13

段階を示す

,よ

き完全 な友情 の視覚化 として

,逆

,燕

,不

実な友 の象徴 として語 られている。 ところで,「友情」は

,緑

の葡萄 の樹がか らみつ く千か らびた楡 の樹 を抱 きしめているが

,こ

こで意 味 されているの は

,次

の ことである。すなわち

,順

調 のなか に生 まれた友情 はつねに永続するもの であること

,加

えて

,ひ

どい窮乏の折 にも

,そ

れ はいつにもましてその実 を示すべ きことの二点で ある。最後 に

,脚

の不 自由な者 と眼の不 自由な者 との組 み合せ は

,友

情 による相互扶助 の讐 えであ る。 以上が1603年のローマ版 による「友情」像の槻略であるが

,18世

紀半 ぼのヘルテル版 に見 られ る 場合 も(図

4),基

本的 にはこれ と異 なるもので はない。ただ

,こ

こで は

,1603年

版で は視覚化 され ていなかった本文内容が形象化 されているとい うに とどまらず

,モ

チー フが聖書か らもとられてい て (創世記第33章

,エ

サウとヤコブの兄弟愛

),図

像内容 はより豊富な もの となっている。 ところで

,こ

うした伝統的な友情 の寓意像 は

,18世

紀中頃 までの美術家 にはよ く知 られた存在で あ り

,事

,18世

紀 には

,こ

れを描 いたファル コネ作 の彫像が見出せ る17J。 さて

,こ

うした図像伝統 を踏 まえた上で

,ふ

たたび『ペル ゴラ』の図に戻 ることにす る。 一見すれば

,わ

れわれの解釈 に とって重要 と思 える女主人 の姿 には

,先

の リーパの女性像 を思わ せるものは何 もない。 た しかに, この1870年代 の女性像 には

,

もはやモ ッ トー もなければ ミルテ と 柘摺の花冠 もな く

,ま

,楡

の樹 も葡有 の樹 も見当 らない。 それだか ら

,両

者 の比較 にどれほ どの 意味があるのか

,怪

しむ向 きもあるだろう。 また

,一

般的 にいって

,19世

紀 も後半の美術 に

,伝

統 的なイコノグラフィーが どれほど通用す るものか といった疑 い も残 る。だが

,わ

れわれ はすでに, 南壁の二図において

,か

な りの改変 をへた とはいえ

,伝

統的なイコノグラフィーが受 け入れ られて いる点を見ている。ち そこで

,今

度 は

,油

彩習作 に眼 を転 じてみたい(図 5)。 す ると

,す

でに述べた ことであるが191, 手す りに腰かける女性 は白のシャツ と濃い緑のスカー トとい う質素な身な りで

,胸

をはだけ

,し

か も裸足である。力日えて

,画

面手前 には

,白

い小犬が登場す る。 さて

,今

一度

,フ

レスコ画の女主人 に注意 を向けよう。す る と

,着

衣 におけるある変化 に気がつ く。油作習作 にお ける女性像 に くらべてい くぶん整 えられた とはいえ

,同

様 に質素な身な りを示す この女性 の着衣 の組 み合わせ は

,同

じ く白と緑であるが

,白

のシャツは同 じ色 のエプロンに替 えら れ

,緑

色 はぐっ と明 るさを増 して

,全

身 を被 うにいたっている。この色 の組 み合わせ とこの変化 は, 何 を意味す るのであろうか。従来見過 されて きた この色 の組 み合わせ は

,実

,先

に見た伝統的な 友情観 を反映するもので はないのか。すなわち

,真

の愛

,真

の友情 を意味す る白と

,変

わ ることな き友情

,一

致の愛 を意味す る常緑 の緑 と考 えられ はしないであろうか。 もとよ り

,こ

の色 とその組 み合わせ については

,さ

ほ どとりたてていう程 の こともな く

,た

んに

(4)

造形上 の観点か ら選 ばれただけの ことである

,

と見 ることも可能である。だが この見方で は

,す

で に述べた

,こ

の女主人 の画面上 に占める特異な位置(1°を説明す ることはで きないであろう。 女主人 の着衣 とその色 について述べたの と同様 の ことは

,画

面左 の友人 の集 うテーブルに置かれ たワイ ンについて もあてはまる。人 の集 まるところ,それ も友人 の集 ま りにフインが置かれるのは, ご く自然な光景である。だが それにして はワインが飲 まれた様子がな く

,テ

ーブル上 にも

,ワ

イン がたっぶ り入 ったグラスがひ とつ

,盆

の上のワイン瓶 の手前 に

,ま

るで気づかれないように置かれ ている。そこで

,習

作 同様 に

,友

人 たちの手 にグラスがない ことを考 えあわせ ると

,フ

レスコ画で は

,ワ

インは楽 しみのために飲 まれ る対象で はな く

,い

わば何 らかの意味での儀式性

,象

徴性 を具 えた存在 なので はあるまいか。 こう考 える時

,友

人間に漂 う一種厳粛 な雰囲気 にも納得がゆ くので ある。すなわち

,こ

のフインにも

,伝

統的な友情観 を受 けつ ぐもの として

,先

にみた葡有 の意味 を, つ まり

,葡

有の樹が楡 の樹 と組み合わ された時 に生 じる

,死

をも恐れぬ友情 の不朽性

,永

続性 を伝 えるもの と考 えられ るのである(11ち 以上

,わ

れわれ は,『ペルゴラjの図の全体的解釈 を試みる者 として

,い

わば図の内容 面か ら造形 要素 を眺める道 を辿 り

,

リーパの「友情」像 まで遡 りなが ら

,

これが伝 える伝統的な友情観が

,形

を変 えなが らも

,本

図 にまで流れ こんでいると見なす にいたった。 だが

,マ

レーがいつ

,ど

こで こうした見方 を知 ったのか

,ま

たそれ は何 によってであるか とい う 点になれば

,日

下 の ところ

,言

うことはで きない。イタ リアに来 る以前か

,以

後か。イタリアに来 てか らだ とす ると

,そ

れ はこの企画 に ともなっての ことか

,そ

れ とも第一回のイタ リア滞在 (滞在 を終 えるにあたっての

,フ

ィー ドラー とのヨー ロッパ旅行 を含 めて

,1864-70)の

折か。 このイタ リア滞在以前だ とすれば

,

ミュンヘ ン時代

(1857-64)か

,あ

るいはベル リー ン時代 (1853-57) か。 ミュンヘ ン時代 のマ レーについては

, J.レ

ノルズの『講演集』 に対す るマ レーの高い評価 に 関 して,ミ ュンヘ ン時代か らこれ を知 っていたので はないか とす る,ヒルデ ブラン トの言がある(12ち だが

,ベ

ル リー ンの美術 アカデ ミーや

,C.シ

ュテフェック (Cari Steffeck 1818 1890)の もとで の

,い

わば絵画学習 の時期 に目にした可能性 も否定で きない。いずれにして も確証 はない。 こうした問題 は残 るものの

,さ

て以上 のように見て くれば,『ペルゴラ』の図の意味 は

,全

体 とし て

,い

かなるもの と考 えられ るであろうか。画面 に登場す る老女や建築物 の意味あいについて も, ここで触れたい。 『ペルゴラ』の図 は

,厳

格 な構図が際立つ とはいえ

,一

見すれば

,画

家が仕事 の後 にヒルデブラ ン トや研究所 の仲間たち と過 した

,南

イタ リアでの一夕 を描 いた もの と映 るであろうし

,そ

の場が 居酒屋であれば

,そ

この女主人や物売 りの老女がいて も怪 し くはない。 その意味で は

,こ

の画面 は 風俗画 に近い

,ご

く日常的な光景 を描 き出 した もの と受 け とられ るであろう。 しか し

,こ

れに とど

(5)

ハ ンス・ フォン・ マレーの「ナポリのフレスコ画」について (中の

2) 15

まらず

,画

面左手前で は ドイツ 。ロマ ン派 をひ きつ ぐ友情 肖像画が認 め られ(13七 中央 の女主人 には 伝統的な「友情」の寓意的性格が受 けつがれている。画面右手前の老女 にして も,また,「文明の標(1→」 としての画面奥 の建築物 にして も

,人

物群か ら一人離れて眠 る様子や (とはい え

,こ

の老女 にして も,構図上,内容上で,他の人物群 と切 り離 された存在でない ことは,すでに指摘 した通 りである。)。9, 建築物が廃墟であること(1°を考 え合わせ ると,これ らによって

,ひ

とまず

,先

の問機 に代わ る死が, 換言すれば

,こ

れを乗 り越 えるべ き友情が暗示 されていると見 ることがで きるであろう。 だが,『ペル ゴラ』の図 はこうした見方でつ きるので はない。 そもそ も画家 は

,な

ぜ こうまで友情 を強調す るのであろうか。友情で もって何 を語 ろうとい うのか。そしてまた

,先

の疑間のひ とつ(1め, すなわち

,友

人群 において

,友

情 の絆 で もっ とも強 く結 ばれているはずの画家 と若 い彫刻家が

,奇

妙なことにこのグループの中で はもっ とも州ヽさな画面 しか与 えられていないのはどうしてか

,

とい う疑間が まだ答 えられていない。

'

こうした点 を考 えるにあたって は

,先

に制作 された南壁 との関連 を眺める必要がある。南壁 の二 図 (図

6, 7)に

ついて は以前 に詳 し く述べた ことが あるので(19,こ こでは くり返 さないが

,結

論 の一部 をいえば

,南

壁 の二図が一対 の もの として「人生の諸段階」 を告 げ

,そ

こに鳴 り響 く調子 は 愛にもとづ く現在 の至福

,

とい うものであった。両図 はマ レーの描 く地上の楽園の

,ま

た黄金時代 の像であつたが

,同

時 に

,個

人的な要素 も秘 め

,画

家個人 の現在 の至福 を謳 いあげるもの となって いた。 そして

,こ

の ことを可能 にしたのが

,一

女性 もさることなが ら

,イ

タ リアの地であ り

,こ

の 企画であ り

,こ

の企画 に携わった人々

,な

かんず く

,画

家 のよき理解者 として

,有

能 な助手 として, とい うよ りもむ しろ共同制作者 として立い働 いた ヒルデブラン トなのであった(1"。 南壁 の二図について語 られた こうした見方 は,『ペルゴラ』の図にもあてはまる。小 さ く

,し

か し 中央近 くに自分 とヒルデプラン トを描 きこむ ことは

,一

見矛盾す るようであ りなが らも

,今

南壁 に ついて述べた ことと

,充

,辻

棲が あうのである。 とい うのも

,こ

れ まで見て きたように

,中

央 の 女主人 に「友情」の擬人的性格があるのだ とすれば

,二

人 はこの女性 にもっ とも近 い位置 を与 えら れ

,し

か も

,こ

の「友情」像 にまるで庇護 され るかのように

,手

す りの背後 に奥 まった姿で現われ るか らである。すなわち

,こ

の結写 は

,二

人が もっ とも強 く友情で結 ばれていることを

,ま

た同時 に

,若

い彫刻家 に対す る画家 の感謝 の念 を視覚的に表現するものである90。 こう考 える時

,二

人が いわば重 なるように

,ま

た画家が彫刻家の方 をじっ と見つめるように描かれてい ることに も納得が ゆ くのである (図8)。 実際

,画

家 はある書簡 のなかで次のように書いている。 「私 はヒルデブラン トと一緒 に仕事 をしてい ます。私たちはそれぞれ互 いに補 う身であつて, もとはといえば同 じひ とつの身 なのです。 それだか らこそ

,わ

た したち二人 は同 じ事 に打ち こめたのです。91ち

(6)

一心同体 といえばよいのか

,マ

レー はヒルデブラン トと心 をひ とつにして制作 を進 めた次第が

,こ

こに読 み とれ るのである。 ある意味で は

,こ

の画家 と彫刻家 の友情表現 こそ

,本

図の核心 とい うべ きである。 だが この個人 的な要素 は

,友

人間で も大 きな位置 を占めて はな らなかった。 とい うの も

,画

家 は

,

この企画が本 来 は研究所 の一室 の装飾であ り

,そ

の研究所 はといえば

,ア

ン トン・ ドール ンをはじめ とする自然 科学者 の研究 の場であることを顧慮せ ざるをえなかったのである。いや

,実

,後

に見 るように, このいわば公的要因 こそ

,画

家 の

,そ

して彫刻家の制作 に深 く関与す るものであったのである。そ れだか らこそ

,友

人間では手前 に大 き くドール ンが

,ま

たその後 ろに

,彼

の研究助手 のクライネン ベルクが

,い

ささか 目立つ ように描かれたわ けである。 そして

,こ

の美術家 と自然科学者 の間 に位 置 し

,両

者 を橋が けす るのが

,は

や くか ら両者 と親 しい存在であった

,詩

人 のグラン トなのであっ た'り。 したがって

,か

すかに打 ち寄せ る波音 と互いの鼓動 しか聴 こえぬ この画面 には

,強

い友情の絆が すみずみにいたるまで張 りめ ぐらされているといって も

,そ

れ も突 きつめれば

,画

家 と若 い彫刻家 の友情 に

,さ

らにいえば

,こ

の彫刻家 に対す る画家の友情 の思いに帰着す る。 この思いをもとに, この企画 に携わった友人 たち との友情 を思 うことは

,画

家 にとって

,こ

の企画 との出会 いを

,ま

た イタ リアの地 を

,そ

して現在 の至福 を思い起 こす ことに他 な らなかったのである。 この意味 におい て,『ペルゴラ』 の画面 は

,さ

しあた り

,全

体 として

,友

情 を記念す るものだ とい うことがで きる。 だが

,こ

の友情 の永続 を願 い

,現

在 の至福 の持続 を願 う画家の欲求 も

,今

一度

,老

女や建築物 に 眼 をやれば

,か

すかに漂 う傍 さ とともに受 けとられ るべ きであるか も知れない。 また

,こ

の『ペルゴラ』の図が

,一

連のフレスコ画の制作を締め くくるものであることか らすれ ば03ち この図は

,い

わば内輪の

,フ

レスコ画完成記念の図ともなっており

,ま

たさらに

,研

究所の 開所が翌1874年の2月であることか らすれば

,開

所に先立つ

,親

しい者の間での開所式 という意味 をもおびて

,わ

れわれの前に現われて くるであろう。 8 さて

,こ

うして四壁 にわたる一連 のフレスコ画 を眺めたか らには

,つ

ぎに

,こ

れ らを全体 として 見 た場合 の意味 について考 えてみよう。 これ まで もしばしば触れたように

,ま

,研

究者 の指摘(2oをまつ まで もな く

,こ

の四壁 のフレス コ画 は多 くの対比でみちている。裸体 と着衣

,海

と陸

,労

働 と憩い

,動

と静

,そ

して超時代性 (な い し無時間性

)と

時代性。 さらに自然 と文化。 これ らの対概念 は

,概

ね東西の壁 を両極 として展開す る。前者が西壁 (図

9)を ,後

者が東壁 を

(7)

ハ ンス・ フォン・マレーの「ナポリのフレスコ画」について (中の

2) 17

示す ものであることはいうまで もない。北壁 (図

10)と

南壁 の図 はその間にあって

,た

しかに

,な

にが しかを東西 いずれの図 とも共有す るが

,東

壁 に見 られ るような建築物 をもたず

,ま

たそこに描 かれた ものが

,古

来か ら変わ ることな くつづ く素朴 な人間の営みであってみれば

,西

壁 と共有す る ものの方が多い ことは否 めない。 したがって

,東

壁 と他 の壁 との対比 とい う図式が浮かび上 って く る。むろん

,東

壁 の『ペルゴラ』の図については

,先

に見 たように

,時

代性 ばか りか

,あ

る意味で の超時代性 をも具 えた ものであることが明 らかになったのであるが。 たしかに

,東

壁 の図 は目立つ存在である。 ここに登場す るのが

,文

化 を代表す る学者 と芸術家で あることは

,

もはや くり返す まで もない。かれ らの しかつめ らしい様子 と重 たげな身 な りは

,他

の 画面 に比 して は

,奇

異の感 さえいだかせ る。それゆえに

,こ

の東壁 の図に

,全

体 における不協和音 を認 める向 きもある。9。 また この他 に も

,こ

の四壁 の図に裸体 と着衣が同居す ることか ら

,不

統一 を指摘す る声があが つ ている。の。だが

,こ

の組 み合わせ についていえば

,ル

ネサ ンス はいうに及 ばず

,19世

紀 にも

,ル

ネ サンスにな らう美術家 たちに とどまらず

,

ドラクロワや クールベ

,そ

れにマネにも見出され るので ある。不統一 を指摘す るポールにした ところで

,そ

れだか ら

,す

ぐ後で

,マ

ネの『オランピア』 と 『草上の食事』 を引 きあいに出 したのであった¢り。 もとより

,こ

うした種々のコン トラス トにみちた画面 を

,不

統一な もの としてでな く

,む

しろ積 極的に評価す る立場 もあ りうる。

W.ホ

ー フマ ン

,L.D.ェ

トリンガーの見解 がこれであって

,筆

者 もこの立場 に立つ者である。 だが

,こ

の ことを述べ るに先立 って

,今

一度 みてお くものがある。すでに引用 した°

9,マ

レーの 書簡 にうかが える画家 の構想が

,

これである。重要 な点であるか ら

,再

,引

用す る。 「主題 はすべてLeben(生

,生

,人

生)からとられています。洞窟や島

,岩

の見 える浜辺, 建物一一 とともに描かれた海。そして この海 には

,網

をひろげ

,一

漕 の船 を海へ と押 しや つ ている漁夫 たちがお り,こ の船その ものの中には

,ド

ール ンや クライネンベル ク

,グ

ラン ト, ヒルデプラン ト

,そ

れに私 自身の肖像が見 える。海 ぞいの居酒屋。 そしてまた今度 は

,ま

っ た く陸にあがって

,窓

のある側 には実物大のオ レンジ苑 とそれに相応 しい人物 たち。人物 た ちはすべて等身大です。 この他 には

,二

つの描かれた

,芸

術 と学問の巨大立像。主要壁 の下 の方 には二つの暖炉部分。 またまん中には

,水

の流れ る泉。人物 の大部分 は裸体です。一般 的 な ものについては

,こ

れ位です。一。99」 すでにわれわれ は,『ペルゴラ』の図を眺めた時

,こ

の構想 に触れたのであった力

N30,今

ここで間 題 とすべ きは

,こ

の構想 において

,い

わば企画全体 に言及 している箇所である。すなわち

,(1)主

(8)

題 はすべてLebenか らとられていること

,(2)二

つの描かれた

,芸

術 と学問の巨大立像

,(3)泉

の 三点が

,そ

れである。 この中

,(2)と

(3)に

ついていえば

,(2)は

この構想のままに立 ち消 え となった力部3比 泉 について はヒルデプラン トの手 によって

,北

壁中央下部 に描かれた。だが

,そ

れ も

,こ

の部屋が図書室 に変わ る時点で取 り払われ

,か

わって出入 口 となっている°り。 ここにい う泉 は

,ひ

とまず

,生

命 の泉 と考 えることがで きるであろうが

,立

ち消 えとなった とは いえ

,芸

術 と学問の巨大立像

,そ

れ も寓意像が。3七 画家の構想 のなかにあった という事実 は

,こ

の フレスコ薗連作全体 の意味 を考 える上で

,少

なか らぬ意味 をもつ ものであろう。 (1)の

,主

題がすべてLebenからとられているとい う時の

,こ

のLebenと い う語の取 り扱いには, 注意 を要する。い まさらい うまで もないが

,英

語でい うLifeに等 し く

,生

,生

,人

生な どの豊か な意味 を具 える語であるか らである。したが って

,主

題がすべてLebenからとられているとい う時, このLebenを生命 と考 えれば

,画

面上の植物 (オレンジ苑 な ど

),動

物 (海洋動物

,鳥

,兎,犬

), 人間 (子供

,女

,男

,老

)が

これに含 まれ

,生

活 と考 えれば

,自

然で素朴 な生活 (漁夫の く らし

,あ

るい は単純 な農耕 の くらし

)か

,い

わば文化的

,精

神的な生活 (学者

,詩

,美

術家) までを含む ことにな る。人生 と考 えれば

,画

面 に潜む

,愛 ,友

,至

,そ

して人生の三段階 とい った ものに及ぶであろう。すなわち

,動

植物 における生命か ら

,精

神生活 における価値 といつた も のにまでわたることになる。 さて

,主

題が こうした広範 な ものに及ぶ とい うことは

,何

を物語 るのであろうか。 ところで

,W.ホ

ーフマ ンは

,東

西両図の対照 に注 目して

,次

のように指摘 した。研究者 とイタ リアの漁夫 とを

,計

画の上でひ とつにまとめるとい うことは

,美

術家 の意図 した ところでなかった か もしれない。だが それにもかかわ らず,いや,それゆえに とい うべ きか,画家 は継 ぎ目のない

Leben

の統一 を打ち立 て るのに成功 してい る。4ち と。 そして

L.D.ェ

トリンガー は

,こ

の四壁のフレスコ画の主題 として

,海,地

上 の耕作

,テ

ープルを 囲むフレスコ画のパ トロンと美術家 という三点 をあげ

,こ

れ らはいずれ も,「地域 に根 ざした主題」 であると考 えた。0。 こうしたホーフマ ン

,エ

トリンガーの見解 は

,マ

レーの構想 を理解す る上で

,示

唆に富む もので ある。 とい うの も

,こ

れ らは

,わ

れわれの注意 を再度

,こ

の研究所 (図

11)に ,ま

た ドール ンその 人 (図

12)に

向 けさせ るものであるか らである。 ホーフマン

,エ

トリンガー といえども

,四

壁 のフレスコ画全体 をこの研究所 に

,ひ

いて は ドール ンに関連 させて論 じてはいない。 しか し筆者 は

,先

にみたマ レーの構想 の意味 を

,ま

たこのフレス コ画の全体の意味 をとらえようとするならば

,こ

の点 を見逃 して はな らない と考 える者である。以 下

,こ

の角度か ら論 じることにしたい。

(9)

ハ ンス・ フォン・ マレーの「ナポリのフレスコ画」について (中の

2) 19

研究所 の立地条件

,性

,ま

た ドール ンの人 とな りについて は

,す

でに触れた ことがある。0。 だそこで は

,四

壁 のフレス コ画 の全体的解釈 とい う視点か ら眺めたので はな く

,い

わば制作の機縁 を

,背

景 を述べ るに とどまっていた。今や

,そ

の点 に

,フ

レスコ画全体 の解釈 とい う新たな角度か ら

,ぶ

たたび光 を当てな くて はな らない。 この時

,問

題 となるのは

,立

地条件 もさることなが ら

,

ドール ンが与 えた研究所 の性格である。 すでに述べたように

,ナ

ポ リ臨海研究所 は

,第

一 に

,彼

が,い酔す るダーウィンの精神 にもとづいて,ど 自然界での生存競争 による種 の洵太 を観察 し

,ひ

いて は

,包

括的な生命 の研究活動 を行 うところで あった。 それだか らこそ

,こ

の研究所 の一階に水族館が設置 されているのであるが

,マ

レーが フレ スコ画 を描いた部屋 は

,そ

の上 に位置するのである。 こうした ドール ンの考 えを

,ま

た研究所 の性格 を

,画

家が知 らなかったはず はない。事実

,友

情 で結 ばれた忠実な協力者 とい うべ きヒルデブラン トは

,協

力 の一環 として

,こ

の折 に

,研

究所 に指 針を与 えたダーウィンとベーアの彫像 (ブロンズ

)を

制作 しているか らである°分。 この二体の彫像 は

,今

日もなお

,フ

レスコ画 とともにある。 力日えて

,こ

れ もすでに触れた ことなが ら・

0,マ

イアー・ グレーフェは

,制

作依頼 の経緯 を語 るな かで

,画

家がなん らかの形 で生物学 との結びつ きを考 えていた ことを示唆 してい る。 このように見て くれば

,画

家 は

,フ

レス コ画の制作 にあたつて

,注

文主である ドール ンの意 向を なにが しか掛酌 した と仮定 して も

,さ

ほど怪 し くはないであろう。 で は

,そ

れ はどこに認 め られ るであろうか。 この時

,手

がか りとなるのは

,先

のホー フマ ンが指摘 した「継 ぎ目のないLebenの統一」とい う見 方である。さらに

,こ

のように見れば

,実

に興味深いのは

,マ

レーの構想 における最初 の言である。 これについて は

,わ

れわれ はこれ を画面 に適用 して

,そ

の言の理解 を試みたが

,そ

の際画面 に見出 された ものははなはだ広範囲 に及 び,も はや対比 な どというもので はな く

,む

しろ

,Lebenの

連鎖 と で もよぶ他 はない多様 にみちていた。 筆者 はここに

,画

面 における注文主の意向の反映 を見 る。端的にいえば

,そ

れ は

,

ドール ンが,い 酔 していたダーウィンの進化論 の

,画

家 な りの解釈 とい うことになる。すなわち

,植

,動

,人

間 とつづ く生命 の

,単

純な ものか ら複雑

,高

等 な ものへ と次第 に変化発達す るさまを視覚的に表現 することこそ

,四

壁 のフレスコ画のすべてを貫 く

,隠

れた一大主題 と考 えられ るのである。 もとよ り

,こ

のように眺 めれば

,人

間の精神生活が この連鎖 の最高位 に位置す るの は

,い

うまで もない。 したがって

,東

壁 『ペル ゴラ』の図に登場す る自然科学者 と芸術家 こそ

,こ

の企画 に携わ った友人 たち という直接的な意味 に力日えて

,ま

,生

命活動の最高の営みを象徴す る

,学

問 と芸術 を体現す る存在 なのである。 それだか らこそ

,画

家 の構想 にあって

,後

,描

かれ ることもな く消 え てしまった,「学問」と「芸術」の巨大立像 も

,重

複す るもの として

,あ

えて描 くまで もなかったわ

(10)

20 千考 けである。 そ してまた

,学

者 と芸術家が,「友情」の庇護 の下 に

,同

じテーブルについているとい う ことは

,学

問 と芸術 とが

,い

つ まで も友情関係 にあることをも語 るものであ ろう。 とはいえ

,画

家 は

,い

く度か聴か された ことがあるにせ よ

,ダ

ーウインの進化論がいかなるもの であるか を厳密には知 らなかったであろうし,ま たその表現 も

,他

に思いつかなかったのであろう。 事実

,画

面 に描かれているのは生命活動 の変化発展の様 その もので はな く

,個

々の生命体 であ り, 生物であ り

,そ

れ も

,

とりわけ人間の

,自

,文

化双方にわたる生命活動 の具体的な姿である。 こ の時

,画

家が

,い

わば身近な ところか ら主題 を組 み立てていった ことはい うまで もない。すなわち, このナポ リ周辺で見か けられ るものをもとにして (こ こには友人群 も含 まれ る)。 また

,そ

れだか ら

,画

面 には

,自

然洵太や生存競争 を思わせ るものは何 もない。闘争 どころか, 四壁 のフレスコ画 は全体 として

,む

しろ

,生

きとし生 けるものすべての一致や調和 を

,ま

た協力 を 感 じさせ る画面 となってお り

,楽

園 を想起 させ さえす るのである。 この意味で は

,東

壁『ペルゴラ』 の図 に見 られ る女主人 も

,

この図に とどまらず

,四

壁全体 において も「友情」 として君臨 している ように思 えるのである。 以上

,わ

れわれは制作1贋序 に従 って各図を眺め

,こ

れ らを全体 として とらえるにいたった。 そこ に見出された ものは

,注

文主ア ン トン・ ドール ンとその研究所 に考慮 を払 つた画家 の制作意図であ った。 したがって

,ナ

ポ リのフレスコ画 は

,全

体 としてみれば

,

ドールンに敬意 を表 して

,彼

に, また彼 の研究所 に捧 げられた ものだ とい うことがで きる。 そうであればこそ

,画

家 の了解 の下 に, あるいは指導下 に

,ヒ

ルデブラン トの手 になる三体 の彫像 も生 まれたのであった。 とはいえ

,そ

の画面 に

,画

家 はひそかに個人的要素 を持ち こみ

,個

人的な意味で も楽園の図 とし たのであった。 この意味で は

,そ

れゆえに

,ナ

ポ リのフレスコ画 は

,画

家 自身の思い出 と

,イ

タ リ アの地 に捧 げられた もの といえるのである。 註 徹

)拙

稿「ハ ンス・ フォン・ マレーの『ナポ リのフレスコ画』 について」(上)は鳥取大学教養部紀要第17巻

,昭

和58年(1983),77-■8頁所収。 また同題拙稿 (中の1)は同紀要第21巻,昭和62年 (1987),65-86買所収。

(2) Lankheit, Klaus:Das Freunttchaftsbild der Romantik, Hcidelberger Kunstgeschichthche Abcand―

1■ngen NF.Bd.1,Heidelberg 1952,S,8.

o)Lankheit,K.:op,citi S 14,49 amicitia は友愛

,親

愛 とも訳 され るであ ろうが,こ こで は友情 としてお く。

(4) Lankheit,K :ibid ―

(11)

ハ ンス・ フォン・マレーの「ナポリのフレスコ画」について (中の

2) 21

(0

リーパ の『イ コノロジア』が最初 に世 に出たのは1593年 (ローマ)のことである。 この時 の版 で は

,木

版 に

よる挿絵 は入 っていない。挿絵入 りの最初 の版 は,1603年にローマで刊行 された,増補 。第二版 である。 リ ーパの 『イ コノロジア』 について種々の考察 は,MandOWSky,Erna:Untersuchungen zur lcon01ogie des Cesare Ripa Diss Hamburg 1934に 詳 しい。 またLankheit,K:op cit,S.50-52参 照。われわれが リーパ の「友情」像 を考察する時,手にす るのは次の二つの版 である。Ripa,Cesare:Iconologia 2 Nachdruckauflage

der Ausgabe Rol■a1603 ヽVith an introduction by Erna Mando、 vsky,Hilde eiln,Zurich,New York 1984,

S 15-18 Ripa,Cesare ilconologia Reprint of the 161l edition,Padua With an introduction by Stephen

OrgёI A Garland SeriesI The Renaissance and the Gods New YOrk and London 1976,pp 16-18.Ripa,

Cesare:Baroque and Rococo PiCtOrial lmagery The 1758-60 Hertel edition of Ripa's ttlconologia" With introduction,translations and 200 commentaries by Edward A h/1aser Ne覇 /York 1971,p.52 (7)MandOWSky,E:op.cit.,570 また, Male,Ёmile:L'Art Religieux aprOs le Concile de Trente。 (1972),

p424参

照。

)拙

稿,(上 ),93-99買。 ⑬

)拙

稿,(中の1),70頁。

10 拙稿,(中の1),67,68,73-75頁。

こつ Henkel,Arthur und Albrecht Schё ne(Hrsg VOn):Emblemata Handbuch zur Sinnbildkunst des XVI

und XVII.」 ahrhunderts Sonderausg Stuttgart 1978, S 259,

C) Brief Hildebrands an C Fiedler vom 9 Dezember 1889 1n:JaChmann,Gunter(Hrsg,von):Adolf von Hildebrands Briefvechsel mit Conrad Fiedler.Dresden o J(1927),S290,358

1131 Vgl Ke■er,Harald I Entstehung und Blutezeit des FreundschaFtsb」 des ln:Essays in the History of

Art,presented to R Wittkower to his 65th birthday,Londen 1967,pp. 161-173,esp p. 172 lo LeAz,Christian i I)ie Fresken von Maroesin Neapel ln:Lenz,Christian(HrSg von):HanS VOn WIarOes

Auss.Kat ふンlunchen 1987,S 57 10 拙稿,(中の1),68,72,73頁。 10 拙稿,(中の1),66,67頁。 10 拙稿,(中の1),73買。 10 拙稿,(上),8799買。 10 拙稿,(上),82頁を も参照。 90 拙稿,(上),82買。

9, Brief h/1aroes an Frau Tauber vom 5 Juli 1873 1n:WIeier Graefe,JuliuS I Op cit,Bd 3,W4tunchen 1910,

Br,一Nr 124. 9か 拙稿,(中の1),66買参照。 ところで,ここで,マレーの生誕150年,没後100年を記念 して,1987年に ミュ ンヘ ンで催 された二つの展覧会 の共通 カタログにおいて,レンツが述べた ところを見てお きたい(註14参照)。 レンツはこの『ペル ゴラ』の図 に,「地中海的一古代 的主題 と甑解 をきたす」ものを認 めた。結局,それ は町ヒ 方 と南方の両極性 であ り,古代 と現代 との対立」なのであって,「友人 たちはかれ ら自身が関与 しえない南 と 古代 とを,北と現代 か らメランコ リックに眺 めてい るJと したのであった。 こうした レンツの見方の鍵 をに ぎる存在 は,画中の ドール ンである。彼 こそは,レンツによれ ば,「この素朴 で古代的 な世界 を憧憬す る他 は ない人々〕 のなかにあって,先の見方 を体現す るものであ る。 この見方 をレンツに促 したのは,いうまで も

(12)

阪 側 側 側 側 側 側 側 棚 側 側 硼 な く, ドール ンの姿勢であって,彼は「漁 夫 を描 いた二つの図のある方へ と,メランコ リックに身 を傾 けて いる」 とされ たのであつた (Lenz,Claristian i op.cit,S60,57)。 ドール ンの姿勢 について は,たしかに研究者 の注 目す る ところであ り,われわれ もまた,すで に触れた こ とが ある (拙稿,中の1,71頁)。 た しかに,レンツの見方 は,充分,成立 しうるものである。 ただ,あま りに も一般 的であつて,画家 と彫 刻家 をはじめ とす る他 の友人群 との関連や

,女

主人 の位置 をよ く説明す る もので はない。すなわち,画面全 体 との関連 か らいえば

,不

充分 といわざるをえない。 われわれの見方 はすでに本文で述べたが

,念

のために記せ ば

,次

の ようにな る。すなわち, ドール ンが身 を傾 けてい る点 については

,二

つの理 由がある と思われ る。 ひ とつには,それ は

,他

の友人 たち と同 じよう な厳格 な観面 や姿勢 を示せ ば

,画

面があ まりに も窮屈,単調 になることを恐れた画家 の造形上 の配慮 を,つ ま り,変化 をつ けた ことを示す ものである。二 つ は

,研

究者 に して画家 の注文主である ドール ンその人 を際 立 たせ る配慮 か らである。 したが つて,この意味で は,グローテがい うような見方 も (拙稿,中の1,71頁 参照),留保 つ きなが ら

,認

め られ るであろう。 しか し, この ことは, ドール ンがいわ ば友人群 の結びつ きを弛め る役割 をはたす ものであることを意味 し ない。 とい うの も,すで に指摘 した ように,油作習作 か らフレスコ画 に移 る時点で, ドール ンが手 に もつ も の は杖か ら帽子 に替 えられたが(拙稿,同前),この帽子 に も

,特

徴 的な ことに,テーブル上のフイ ンと同 じ 色が用 い られているか らである。 完成 は1873年 二月。拙稿,(上),80頁参照。

た とえば, Pohl,Sieghard I Betrachtungen zum Freskenwerk des l■ans von Maroesin Neapel Diss Wien

1977,S 25-35

Lenz,Chrである。註22,14参照。 Pohl,S :op.cit, S.29ff。 ,ferner S.24,26 Pohl,s :ibid S 33f

拙稿,(上),81頁。

Brief h/1arOes an C Fiedler von1 20 Juli 1873 1n:h/1eier― Graefe,JuliuS:Op.cit,Bd 3,Br― Nr 126.

拙稿,(中の1),66買。 Lenz,Chr i op cit, S, 51 拙稿,(上),82頁参照。 Lenz,Chr i ibid

Hofmann,Verner:Das irdische Paradies 2 Aufl 山Iunchen 1974, S 248.

Ettlinger L D !Hans von MarOes and the Acade■ ic Tradition ln:Yale Univ Art Ganery Bulletin No 3,Oct.1972,vol XXXHI,p73f

拙稿,(上),7779頁。 拙稿,(上),82頁参照。 拙稿,(上),79頁。

(13)

ハ ンス・ フオン・ マ レーの「ナポ リの フレス コ画」 について (中の 2)

1.東

壁 ペ ル ゴラ 1873年 フ レス コ 350×408側

5.ペ

ル ゴラ 油彩習作

735×

63cm ヴ ッパ ー タール

(14)

_.111

2.図

1の部分

(15)

「ナポ リのフレスコ画Jについて (中の 2)

メ ν

r♂

Frfノ

3.友

情 (ア ミキテ ィア)

C.

リーパ 『イ コノロジア』 1603 ローマ版

(16)

町坊

:れ

,れ

れィ

rヽ

郡辮

V幣

:│ 図

4.友

情 (アミキティア)

C.

リーパ 『イコノロジア』

1758-60

ヘルテル版

(17)

ハ ンス・ フォン・ マレーの「ナポ リのフレスコ画」について (中の 2)

i騨

!■

1軒:!│―

│!:■i擦 を│

││イi、.、 │ 図10。 北壁 中央 図 漕手 図9. 西壁 漁 に出か ける漁 夫 た ち

(18)

6

南壁左側 二人 の女性 のい るオ レンジ苑 図

7

南壁右側 オ ンンジを もぐ男 図12.アン トン・ ドール ンの 肖像 油彩習作 ナポ リ 個人蔵 図11.ナポ リ臨海研究所

図 1.東 壁   ペ ル ゴラ  1873年   フ レス コ  350× 408側
図 2.図 1の 部分
図 3.友 情 (ア ミキテ ィア )
図 4.友 情 (ア ミキティア )
+2

参照

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