一校則問題 を中心 として一
社会教育教室:
生 田 周 は じblこ 昨年の東欧 を中心 とす る国際的な変化 は,ピ
ープルズ 。パ ワーを示す とともに,一
般・ 特殊 とい う図式か ら,個
別 。一般 とい う図式への変化であつた とも言 える。 た とえば,こ
れ まで社会主義 の 大義,国
際共産主義運動 の防衛 というような一般的な必要 を重視 し,個
々の民族 の主権や利益が特 殊 なもの として軽視 されて きた経緯があつたが,そ
うで はな く個別 の民族 の主権 や利益 の尊重 こそ が真 に全体 の利益 につながるという点の確認 の年であつたように思 える。 それは,も
のを構造主義的に見 る見方か ら,個
人や個別が全体 に優先 しなければな らない とい う 点である。いわゆる個人主義 のうえに民主主義が成立す ると言いなお して もいいだ ろう。 こうした国際的動向 は,日
本 に とって も,
ものの見方 を考 えさせ る契機 となった といえる。 た と えば,こ
こに面 白い新聞投書がある。「小二の娘 の ことば」とい う題で掲載 されていたが,そ
の内容 は,親
子で中国の郵小平辞任 のテレビを見ていて,天
安門事件 のことに話が及び,娘
が「 あの とき 集 まっていた人 たちは,何
をしようとしていたの。」と質問 したのに対 して,母
親が「中国 をもっ と 自由な国 にしてほしいっていってたの。 あれ はやっちゃだめ,そ
んな こといっちゃだめなんて国 じ ゃな くて,自
由に自分 の意見 をいった り,や
った りして もいい国にしてほしい と集 まっていたの」。 娘 は,「ふ―ん,じ
ゃ,学
校みたいな国にしないでってい うことなんだ」。母親 はこの言葉 について, 「娘 と学校 の ことを話 している と,『それ はやっちゃいけない ことになっているの』とい うた ぐいの せ りぶが よ く出て」くることを思い出 し,納
得するとともに,続
けて娘 の学校 の様子 を記 してい る。 「朝会で は整列 をす る,目
をつぶ って授業 の始 まるのを待つ,学
童保育 の帰 りは並んで歩 くな ど, 子 どもの集中力 を養 うとか,安
全 を守 るとか,理
由はあるにせ よ,も
っ と自由な生活であって もい い と思 うことも少 な くあ りません。 自由な発想 にもとづ く自発性 こそが,自
立獲得の基礎 とす るな ら,子
どもにもっ と自由な時間 をと願わずにはい られ ません。」つ 学校 とい う秩序 を優先 させ るあまり,も
っ と大事 な個人 の自発性 の発揮 の場が奪われてい くこと への危惧が述べ られている。 このように各所で,個
人 と集団,個
別性 と普遍性 とい う古 くて新 しい問題が登場 して きてい る と いえる。民主主義,人
権,自
由 とい う言葉 と,専
制主義,秩
序,支
配 。抑圧 という言葉が対 となっ て,個
人 と集団の問題 を考 えざるをえない。 では,自
由や民主主義 をどう考 えればよいいのか。ユー ゴスラビアのカルデ リは,『自主管理 と民主主義』の中で示唆的な ことを述べている。すなわち
,自
由 とは,「人間が相互依存 。本目互責任・連 帯・平等の諸関係 お よび諸条件 の もとで,で
きるか ぎり自分で自分 の利益 を管理す る」 ことであ り, 「 これが本質的 には真 の人間的 自由」りなのだ としている。 また民主主義 について,「自分 の利益 について自分で一ただし,他
者 の同一 の権利 を民主的に尊重 しつつ一決定す る人間に基礎 をお く政治制度」であ り,「自主管理 と複数主義 にもとづ」働かなけれ ばならない としている。 彼 はまた若者 の権利状況 に触れて,「若者 もまた,他
の人々 と同 じように,生
きた実践 と労働 と責 任 ある意思決定 のなかでのみ,自
己を試 し,自
己の理念,イ
エシアチブ,見
解,そ
して錯誤 を検証 し,あ
わせて社会 の現実的な可能性 と能力 をも知 ることがで きるようになるのであ り」0,「若者 た ちは,具
体的な意思決定 の分野,『イエス』か『ノー』か をい うべ き場 で自己の思想 を検証 し,経
験 を積み,学
び,そ
して,社
会生活 のあらゆる分野でその清新 な若 さによって問題 の解決 に現実的貢 献 をなす ことが必要である」のと述べている。 この点 は,参
加 と自己決定,自
主管理の重用性が述べ られていて興味深い。 これ も新聞のコラム 欄 であるが,国
際的動向である18歳選挙権 の問題で高校生の多数が,「責任が重 くなるか ら」「何 も わか らずに投票 して しまいそうだか ら」 とその権利 を `遠慮″してい る一方で,あ
る高校生が こう 書いている。「十八歳賛成。二年早 く大人 になれ ば二年早 く自覚 を持 ち,社
会で もっ とよ く活動で き る。」コラム士 は次のようにまとめている。「逆説的 にいえば,十
八歳選挙権 と聞いて不安が るの は, 十八歳 にして選挙権 を持 っていないがため,か
もしれ ません。」0 以上 の諸点 をふ まえて,本
論で は,ま
ず子 どもの権利条約 の中で特 に注 目されている「意見表明 権」 に至 る子 どもの権利 の歴史 を概観 し,次
に校則改正 をめ ぐる動向について鳥取県内のある実践 についてふれ,最
後 に子 どもの人権 と教育・ 学校 をみる視点 を提示 し,ま
とめ とする。1.子
ど もの 権 利 条 約 に つ い て 子 どもの権利 を考 える際 に,基
本 となることが らは,家
庭的環境 の中での正 しい庇護 の下 にある こと (睡眠 。食事・遊 び),児
童労働が一定年齢 に達す るまで課 されない こと,教
育への権利が保 障 されることの三点であった。 これは二つのP,す
なわち protection(保 護)と prOvision(提 供)が
近代 において中心的な課題 とな り,産
業革命 の進行 に伴 う「過酷 な児童労働 か ら,子
どもを保護 す ることが社会的課題 となって以来,子
どもの権利 の内容 は拡大 し,そ
れ を保護す る具体的措置 も整 備 されて きた」のことに表れている。中岡哲郎 は『人間 と技術 の文明論』の中で,よ
りわか りやす く 次のように述べている。 産業革命 の初期 の工場で多数の児童労働がみ られたの も,同
じ事情 であつた と考 えられ ます。 だが工場 には教育的機能 はあ りませんで した。単純 な機械 的労働 のなかで,子
どもたちが肉体 的 にも精神的にも荒廃 してい くことが社会問題 とな ります。この経験 のなかか ら,工
場法 によって, 子 どもの一定年齢 までの就労 を禁止 し,そ
の期間の子 どもを学校へ通わせ る義務教育 の制度が, ロバー ト・ オーエ ンのニュー・ ラナークの学校 な どの影響 もうけて,形
成 されてい きます。 公教育 とは,前
段階の社会で労働が もっていた教育的機能が,労
働 の工場化 によって失われた ことか ら,そ
の代わ りとして作 られた制度で した。 もう少 し皮肉にいえば,放
っておいて も子 ど もは育つ社会か ら,放
ってお くと子 どもは非行 に走 る社会 に突然投 げだされて,途
方に暮れている親 に代わって
,子
どもの非行 と有害な労働か ら隔離す るついでに教育 す る施設だったのです。9 児童労働 の禁上が大 きな課題 であった時期 を経 て,国
同士の最初 の総戦力 となった第一次世界大 戦 の後,社
会 の荒波 によって子 どもの生存 自体が危ぶ まれ る状況の中で戦争が及 ぼす人権侵害の自 覚化がすすみ,生
存権 とい う新 しい権利へ向けて大 きく前進す る時期 に,イ
ギ リス児童救済基金団 体 という民間団体 は,1922年
「世界児童憲章」 を発表 した。前文で は次のように述べ られている。 この団体 は子 どもを保護す ることは両親 のつ とめであると同時 に特権 で,い
かなる地方におい て も,親
の保護が えられないために,子
どもが死 んでゆ くということは,許
され るべ きことでは ないこと,経
済的苦境期 に免れ ることので きない困難か ら,児
童 を護 ることは,社
会 の一大関心 でな くてはな らない こと,お
よび苦境期 における児童の最 も確実な保護 は,高
い水準の児童教育 と正当なる状態 における保護 を与 えるにあることを信ず るものである。 社会的・経済的困難か ら子 どもを保護す る点 と,教
育 を提供す る点の二つが述べ られている。 この憲章 をうけて,国
際連盟で は1924年に「子 どもの権利 ジェネープ宣言」を発す ることとなる。 「すべての国の男女 は,人
類が児童 に対 して最善 の ものを与 える義務 を負 うことを認 め,人
種,国
籍,信
条のいかんをいっさい問わず,つ
ぎの ことを,そ
の義務 として宣言 し承諸す る」 とい う前文 に続 けて,次
の五つの権利が宣言 された。 ①児童の発達権 の保障,②
要保護児童の救済の原則,③
児童 の救済最優先 の原則 ④児童の自立促進 と搾取か らの保護,⑤
児童育成 の究極 目標 としての人類への奉仕 しかし,こ
うした子 どもの権利 は考慮 され ることな く第二次世界大戦 に突入 し,多
くの青少年の 生命が奪われた。 戦後,国
際連合 を中心 にして,様
々な人権問題 に取 り組む ことになる。 その基本的な宣言 として は,1948年
に出された「世界人権宣言」 を挙 げることがで きる。 そして,子
どもに関 して は,1959
年「子 どもの権利宣言」が出 され,「児童 の最善 の利益」とい う観点か ら,子
どもの権利が全面的に 保障 されなければな らない ことを明示 した。 子 どもが,幸
福 な子 ども時代 を送 り,か
つ,自
己 と社会 の福利 のために この宣言 に掲 げる権利 と自由を亨有す ることがで きるようにす るため,
この子 どもの権利宣言 を公布 し,ま
た,親
,個
人 としての男女,民
間団体,地
方行政機関お よび政府 に対 して,こ
れ らの権利 を認識 し,以
下の 諸原則 に従 って漸進的に とられ る立法お よびその他の措置 によって,こ
れ らの権利 を遵守す るた めに努力することを要請す る。 ここでの特徴 は,「世界人権宣言」の中の事項が この宣言の中にも反映 している点である。 その関 係 は,以
下 のようになっている。 名前 。国籍取得権(3条
)←
「世界人権宣言」15条 医療 。社会保障権(4条
)←
同
22,25条
障害児の権利(5条
)
←同
25条
家庭環境権(6条
)
←同
16条
教育権(7条
)
←同
26条
「世界人権宣言」の条約化 は
,1966年
「国際人権規約」とい う形で実現 し,1979年
に日本 は批准す ることになる。 この規約 は,社
会権規約 と自由権規約の二本立てでで きてお り,人
権 をよ り具体的 な もの としている。 これ と同様 に,昨
年1989年11月 20日 に国連 で採択 された「子 どもの権利条約」は,ち
ょうど30年前 に採択 された「子 どもの権利宣言」を各国に義務付 けることを意図 している。 この きっかけになった の は,そ
の10年前の1979年「国際児童年」 の際に, 1月
9日ポーラン ドのワルシャワで開催 された 「子 どもの権利 の法的保護 に関す るヨーロッパ会議」であった。そこでは,「子 どもの権利宣言」の 原則的な理念の実体化の総点検 を呼び掛 け,「子 どもの権利条約」制定 の提案が行 なわれた。 その会議では,特
に次のようなステー トメン トを発表 した。 「子 どもが責任 を果 た しうる年齢 になるにしたがい,その将来 を決定す るような出来事 に関する自 己の意見 は一層重要 となる。法的に成年 に達す る以前の段階 において も,身
体的かつ精神的な健康 に関す るいかなる主要な決定 について も参加 で きなければな らない。」 「完全 に法的に無力 な年齢 の子 どもに関す る権利保障の方法 と,よ り成熟 した ことか ら,法
が,部
分的な法的能力 を与 えることがで きる子 どものそれ とは区別 されなけれ ばな らない。 とくに,そ
の 学習,職
業,そ
して必要な らば住居 についての選択 においてである。 そしてそれ は,成
年 に達 し, 十分 な法的能力 を行使 す る段階的な準備 となるだろう。」9 これ は,従
来の二つのPに
,第
二 のPと してparticipation(参加)が加 えられた ことを意味する。 具体的 には,第
12条の意見表明権,そ
して市民的自由 として,参
政権以外 のすべての権利 (13条 : 表現・ 情報の自由,14条
:思想・ 良心・ 宗教 の自由,15条
:結社・集会 の 自由な ど)の
保障,教
育 に関す る条項が教育への権利 (28条)。教育 の目的 (29条)と
い う具合 に二つに分かれた点な どがそ れ にあたる。ステー トメン トとも関わ る第12条の条文 は次の通 りである。1
締約国 は,自
己の見解 をまとめる力 のある子 どもに,そ
の子 どもに影響 を与 えるすべての事 柄 について,自
由に自己の見解 を表明す る権利 を保証す る。その際,子
どもの見解が,そ
の年齢 お よび成熟 に従 い,正
当に重視 され る。2
この目的のため,子
どもは,
とくに, きにおいて,直
接的にまた は代理人 もしく 続規則 に従 つて与 えられ る。 ところで 日本 において,子
どもの権利 に関 して言及 された最初 は,1924年
(大正13年)に
賀川豊 彦が「子 どもの権利」 とい う演題で,東
京 。江東公会堂で演説 したのが記録 されてい る。 その中で 彼 は,次
の九つの子 どもの権利 を指摘 している。生 きる権利,喰
う権利,眠
る権利,遊
ぶ権利,指
導 して貰 う権利,教
育 を受 ける権利,虐
待 されない権利,親
を選ぶ権利,人
格 としての待遇 を受 け る権不J。 10) 戦後,民
主国家 として再生 したわが国 は,子
どもに三度 と悲惨 な体験 をさせないために,1951年
「児童憲章」 を公表 した。 これ らはいずれ も二つのPに
関す る事柄 である。第二 のPと しての「参 加」 をどう保障 してい くのか は今後 の大 きな課題である。 自己に影響 を与 えるあ らゆる司法的お よび行政的手続 は適 当な団体 を通 して聴聞 され る機会 を,国
内法の手2.規
則 と自治活動
体罰・校則問題がここ数年ホットな話題 となっているが
,三
つの事例を通して規則 と自治の問題
に迫 ってい きたい。 まず,米
子東高校 の女子高生か らの投書「校則で心 は縛れない」で は,「今や校則 はまさし く`拘 束〃となっている。生徒を縛 るための便利 な道具で しかないように思われる,(中
略)月艮装や外観 を 意のままに支配 した として も,私
たちの心 まで は縛 ることはで きない。それ も分か ろうともせず, 校則 な どをうのみにして無理 に生徒 を支配 しようとす るか ら,俗
に言 う`不良″が生産 され るのだ。 誤解 してお られないだ ろうか?
生徒 を良 くす るには校則で はな く,先
生のハー トだ とい うことを ・…o」 11) 同 じく男子高校生 (鳥取県東伯郡)か
らの投書「先生 に対 して失望」で は,信
頼 していた教師が 生徒 を殴った ことに対す る思いを述べた後,次
のように締 め括 っている。「私 は今の高校生活が不満 だ。外部 に分か らなかった ら,ど
ん どんエスカレー トしてい く体罰。生徒たちの意見 を述べ る場 も ない ことも現実である。 こんな教員 たちで本当によいのか…。」1の これ らの投書で は,学
校 という存在,教
師のあ り方,規
則 (校則)の
あ り方に対す る問題提起が されている。学校秩序への疑問,あ
るい は秩序維持 とい う大義名分が大手 を振 って罷 り通 り,個
性 や自発性 を押 し殺 して しまっている現状への批判 とも受 け取れ る。 次に,学
校 に民主主義 をという立場か ら昨年出版 された尾木直樹著 『思春期 ばんざい』 の中に, 「`反省″す る子」とい う節がある。内容 は,中
2の
春,班
行動 によるウオークラリー形式で,ク
イ ズを解 きなが らチェックポイン トを通過す る楽 しいが結構厳 しい遠足 の際のことである。6月 とし ては記録的な猛暑や,昼
食時間が短かった とい う背景 もあって,途
中でおやつを食べて はいけない とい う事前の約束 にもかかわ らず,アメな どを口に入れ る者がかな り出て しまった。それに対 して, 筆者 は,期艮装や持 ち物やおやつタイムのルール はみんな学級討議 をへて遠足実行委員会で決定 して いった ものだったのです。 それへの違反 は,自
分 たちの自治 をこわ し,自
由 と自治の伝統 に輝 く本 校生徒会 の歴史 にも泥靴で跡 をつけるに等 しい行為 だったのです。ですか ら,私
はその ことを悲 し みました。怒 りました。」と述べている。筆者 の観点 は,このような規則違反の際 によ く遭遇 す る「体 罰」との関係で,「体罰 なんて無用」,「道理 を尽 くして真剣 に向 きあえば,ど
んな子の心 に も大人 の 正義 とロマンは響 く」 というポイン トを示 そうとす ることにある。 そして,節
の最後で「 自分で 自 分 を叱れ るキ ッカケづ くりとその道筋 をつけてや るのが,思
春期 の子 らとともに生活す る者 の叱 り 方で はないで しょうか。」とめと結んでいる。 しか し,も
うひ とつ落 としてはな らない ことは,生
徒が書いた作文 の中で明 らか になってい るよ うに,罰
として「秋 の遠足のおやつ禁止」が申 し渡 された ことである。 ここで は,体罰問題が取 り沙汰 される中で,子どもに自省 させ る指導 を模索する教師のあ り方 とし て提起 されている点 と,規
則 と自治 をめ ぐる点 とが絡 み合 つている。 最後 に,校
則見直 しを実際に行 なった坂本安之 は「生徒・ 父母・ 教師による校則 の見直 し 茨城 県神栖第一 中学校 の実践か ら」の中で,校
則見直 し活動 に対す る生徒,父
母,教
師の当初 の反応 と して挙 げてい る点 は,次
の通 りである。 生徒 :多 かれ少なかれ,校
則 (特に丸刈 り)に
対 して不満 を持つが,表
立 って不満 を表 した り反対 を行動 に表 した りす ることはな く,た
んに「かっ こ悪いJと
い う表面的な反対意見 のみ。「生徒 に新校則 の原案 をすべて任せてみ ました。する と
,教
師が考 えている以上 に細 かい規 則 を作 ろうとした り,違
反者への罰只Jを強化 しようとす る傾 向が随所 に見 られたのが印象的 で した。」1つ 家庭 :男 子 の丸刈 りの強制 に対 して65%以
上 の父母が賛成 し,し
か も学年が上が るにつれて多 くな る。 学校側 は,「家庭教育 の見直 し」とい う観点か ら,細
かい点での判断 は家庭 に任せ る方針で臨 む。 教師:新校則 の「特 に規定 しない」 とか「学校生活 に支障のない ように」 という表現 は,指
導 に混 乱 をきたすので はないか とい う不安 と,「丸刈 りな ら統一指導で きるが,丸
刈 り以外 を許可す ると,ど
こまで髪型 を指導 していいのか分か らな くなって しまう」という不安があった。「『ほ んの数人 の心配 の生徒 のための規制 を全員 の生徒が受 けるのはおか しい。生徒 を信用 しまし ょう。問題が起 きた ら,ま
たみんなで考 えましょう』 と,一
見心 もとないが,こ
れ まで培わ れた生徒への確かな信頼 と教師間の協力体制 の もとで」10,活
動 は推進 された。 こうした車し蝶があったが,髪
型・ 靴・ かばん類 を主な改正点 とす る新校則 の施行後,学
校 の様子 は,一
人一人 の生徒 の顔が より個性的に見 えるようになった とい う面 と「髪型 も人格 の大切 な一部」 とい うことを教師 自身が再認識す る良い機会 となった。 また,授
業 を始 め とする学校生活全般 に活 気が出て きた。 そして,一
番大 きい ことは,教
師の指導観,指
導意識 に変化が生 じた ことである。 「 ただお こるのではな く,注
意 を促 し,後
は生徒 の変容 を見守 る,そ
んな姿勢が教師のなか にも育 って きた」10点である。 しか し,一
方で は,学
校生活の中にある,あ
る種 の緊張感,「けじめ」のような ものが少 しづつ薄 れて きた とも言われているが,校
則 の見直 し活動 を今後 も継続 して行 なってい くことで問題意識 も 覚醒で きうると思われる。 まとめ として述べ られている点 は,こ
の校則見直 しは,教
師が生徒 を指導 し,管
理 していること には変 りないが,従
来 の指導の観点 を変 え,「や らせ る」「守 らせ る」「枠 にはめる」か ら「考 えさせ る」「作 らせ る」「任せてみる」「見守 る」 とい う教育 の原点 に帰 ったことである。「今回の校則見直 し活動 を始 め とす る,生
徒 の主体性 を重視 した活動 は,そ
の根底 に生徒 と教師の太い信頼 の絆が基 盤 となっていること,こ
の校則 の見直 し活動で,さ
らにその信頼が深 まった」とつとされている。 以上三つの事例か らうかが えることは,生
徒への信頼 を基礎 とす る教育 とい う基本的な機能 にお いて は,生
徒 の参加 と自己決定権 を保障す ることによって,か
えって学校の本来 の機能が よ り活性 化 され ることが示 されている。 そ こで次 に,鳥
取県倉吉市立西中学校 の校則見直 しの取 り組 みを検討 し,今
後 の課題 を明 らかに したい。 (倉吉市立西中学校 における校則見直 しの取 り組 みか ら〉 倉吉市立西中学校 は,生
徒数700人以上で,市
街地,農
村地帯,新
興 団地 を抱 える比較的大規模 な 中学校 である。 80年代始 めの頃,倉
吉市内4中
学校 の中で丸刈 りは西中1校
であったが,85年以前 には,PTA役
員が中心 となってアンケー トを実施 し,生
徒 の髪型 を中心 として議題 に上 らせ る自由化論議 が巻 き 起 った。 この背景 には,暴
力問題や万引・ 窃盗 を始 め とする校 内生活 の乱れ,そ
れへの対応 としての体罰 と管理の強化
,そ
うした学校 の息苦 しさの反映 としての登校拒否 の増加 な ど,学
校 をめ ぐっ て教師 と父母 との信頼関係が薄 らいでいた ことがひ とつ挙 げ られ る。 それに加 えて,市
内で一校 の みの丸刈 りに対す る生徒 の潜在的な不満 の蓄積 も指摘 しなければいけない。 こうした学校運営 の改革 の声 に対 して教師集団が受 け身にまわっていたのが,86年
頃か ら積極的 な方向転換 を遂 げることになる訳 だが,そ
れ には校長 の姿勢が特筆 され る。86年3月 まで在任 した 八木校長 は,生
徒 の教育権 の保障を最優先 しなければな らない とい う観点 をとり,以
後 の教職員集 団の対応への大 きな布石 となった。 この ことは,86年
頃か ら,子
供 の自主性 の涵養の必要や,校
則 の単純化等が職員 の間で方針化 され ることに表れている。ハ木校長 の後任 の岡校長 (89年 3月 まで 在任)は
,生
徒 たちが あた りまえの ことがあた りまえにで きるように障害 を取 り除いてい くように 配慮する必要があること,子
ども自体 の自浄力 を高めなければな らない こと,そ
れ と関わ りの深い ことだが,家
庭教育 の充実 を常々指摘 していた とい う。 こういつた校長 の姿勢 もあって,教
師集団が,何
度 も職員会議 を重ね,生
徒指導主任 を中心 に校 則見直 しの取 り組 みをす る際,確
認 した点 は,次
の通 りである。 ・校則作成以来,相
当の年月が経過 し,生
徒・ 地域 の実態が変化 した。 ・ 生徒の間にも,き
ま りは学校が作 って自分 たちを縛 るもの とか 自由がない とい う意識がある。 ・ 数年来の懸案事項 として頭髪問題があ り,そ
れ を中心テーマ としうる。 また見直 しの観点 としては, 。生徒の自主性・ 自律性 を育てたい。 。また,ご
く常識的な ことが常識的にで きる生徒 を願 って (生徒が 自分で気づ く)。 ・適切な学校 な り家庭 。社会 の指導 を。 ・ さらに,生
徒相互 の連帯 による,生
徒相互 の自浄力 を期待 して。 西中における見直 しは,教
師 。生徒 。父母 の共同の取 り組 み として展開 した。 その流れ を図示す ると以下の通 りである。 ・ 職員会 (見直 しについての共通理解 を図 る) ↓ 。PTA小
委員会 (学校側 と保護者代表 による話 し合い ) ↓ 。学級指導 (「きま りについて考 えよう」)・・1・資料2)参照 ↓ ・ アンケー ト (保護者,生
徒)・ …・資料(1)参照 ↓ 。学級会 (頭髪 について) ↓↑ ・ 生活委員会,生
徒会執行部 による話 し合い (原案作成) 1 ・ 職員会 (生徒会案 の検討) ↓ 。生徒総会 ↓ ・ 保護者 に経過説明 (校長,生
徒会長 よ り)↓ ・ 学級懇談会 ↓ ・ 実施19 このような相互 の意見交換 のなかで
,最
終段階 として,87年
4月か ら生徒手帳の廃止,校
則B4
版3枚
程度,88年
10月の長髪許可,89年
4月か ら校則A4版
1枚
程度 と具体的な成果 として実現す る。 それ までの生徒心得 は■項 目72細目(( )内
は細 目数),す
なわち言語(1),挨
拶(2),服
装 (頭髪含む)(17),所
持品(7),通
学 (11),学習(5),集
会(3),放
送・掲示(3),美
化 (2), 健康(3),そ
の他 (18)からなっていたが,見
直 し後,資
料(3)に も明 らかな ように9項
目27細目に 絞 り込 まれた。 さらに重要な点 は,
この校則 を絶対的な もの とす るので はな く,毎
年度検討 を力日え,自
治や規則 に関す る論議 を巻 き起 こす ことが決 め られた ことである。受 け身の学校生活ではな く,参
加 し意見 表明がで きる学校生活 の保障 とい う意味で重要な ことであろう。 以上の校則見直 し運動の展開の中で得 られた成果 と課題 について,次の ようにまとめられている。 「頭髪の見直 しについて,各学級や生活委員会,執行部会等で放課後 な ども使 って話 し合いを重ね, 判断力 を駆使 して,生
徒 自らの手 によって きまりを作 り上 げることがで きた。その過程 の中で,徐々 に校則 についての理解 も深 まって きた。 今後の課題 として,生
徒 自らが参加 して見直 しをした校則であるとい う認識 の もとに,小
さな規 貝」も守 る,守
らせ るとい う態度 をさらに育ててい きたい。」1の 教師サイ ドに とって も,
この取 り組 みは大 きな遺産 を残 した。 この取 り組みに実際に関わった生 徒指導主任の語 るところで は,校
則問題 の討議の中で生徒間の問題意識が鮮明になるとともに,ま
た,教
師一生徒間が上下関係で はな く,対
等 な関係,同
じ人間 としての理解が生 まれ る端緒 となっ た ということである。つ まり,教
師の側 の指導観の変化,「ああ しろ」「 こうしろ」型 の指導で はな く,「自分達で考 えて行動す る」 ように指導 してい くことの重要性 の自覚が深 まった といえる。 この取 り組 みの中で,生
徒 自身が どのような反応 を示 したのかについて は,今
後 の追跡調査 を必 要 とす る。3.子
どもの権利 と教育・ 福祉 学校 において特 に校則が大 きな問題 になって くる背景 には,学
校が大規模化・ 大組織化す るにつ れて,個
よ りも集団の画一性・統一性 を聞 う結果 となる学校教育 の大衆化 。群衆化が考 えられる。 その中で は,個
々人 の存在 の希薄化,さ
らには自分の存在意義 を画一的な業績 によって しか確認 し えない状態が進行 してお り,失
敗 を恐れる子 の増加や自己の存在意義がわか らない子 の増加が問題 視 され るに至 ってい る。 ところで,こ
の「存在」 に関わって,人
間 。子 どもを見 る側面 として考 えられ るのは,そ
の人が 何「である」のか,す
なわちその存在 その ものを問題 にす る側面がある。「存在原理」と言 って も良 いであろう。教育の分野で はよ く「存在 自体 に価値がある」「存在 に働 きかける」「共感の重要性」という言葉で語 られ ることが多セゝ。 教育分野 において は
,し
か し,「存在原理」が希薄化す る現実があるが,そ
れについて示唆 となる ものに故宮原誠― の次の言葉がある。 「人間の形成 に とって,し
たが って また人間の教育 に とって,つ
ねに第一義的な問題 は,人
間が ど のような社会的生活 をい となんでいるか とい うことだ。 これ は平明なことが らである。 しか し,一
般 に教育関係者 はこの平明な ことが らをけっ して正 当に評価 して はいない。いやむ しろ,し
ば し ば,お
そろしいまでに,ま
た ときには滑稽 なほ どに,こ
の平明なことが らを無視 してい る。」2o 社会的生活 の場 における無意図的な「形成」 の組織的形態 としての「教育」が,「形成」の場であ る生活 を見失いがちになることへの批判 を行 なったのが宮原であったが,忘
れてな らないのは,も
う一つ人間 を見 る側面があることである。つ まり,そ
の人 に何が「で きる」のか,何
を「持 ってい る」のか という能力や業績 を問 う側面である。 それを「能力・業績原理」 と言 って もいいであろう。 これ は,学
校教育 を中心 にして現実 に機能 している原理であるが,子
どもを対象化 し,評
価 し,積
極的な面 としては子 どもの可能性 を見出 し,伸
ばしつつ人格 の完成 を図ることが可能 となる。 その 一方で否定的な面 としては,成
績 による切 り捨てや輪切 りといった,一
面的な評価 による序列化 の 進展が危惧 されている。 故宗像誠也 はこの「能力・業績原理」 に関連 して,教
育 には二側面があるとしてい る。すなわち, 生産関係 によって規定 され る「人 の価値観 に関す る側面」 と生産力の発展 によって規定 され る「人 の能力 に関す る側面」である。 これ は,教
育 の発展の原動力 としてかつて宮原が挙 げたデモクラシ ー とテクノロジーのそれぞれの発展 に通ず るものがある。 ところで,宗
像 は,教
育 における価値観 と能力 との関係 について,次
のように述べ ている。 「能力 を身 につけることは,人
が生 まれたその社会で生 きてい くために絶対 に必要で ある。それ を 付与するのが教育 なのだか ら,こ
の教育 は『社会 のあらゆる成員』の福祉 に不可欠であ る。 このか ぎりで,教
育 は人 の福祉のためにある,
とい うのは正 しい認識である。 ……これ をただちに支配権 力 に都合のよい忠誠 の形式 を含 む教育 の全領域 にひろげ,教
育全体 を社会のあらゆる成員 の福祉 の ため,と
断ず るところに誤 りが生ず る,そ
して,こ
の『誤 り』 は,故
意 になされ ることもあるので ある。」21) 学校 における価値観形成 に関わって,校
則 な どは生徒 のプライバ シーや家庭 の保護権 と抵触 する 部分 も多い。校則 を「全体 の利益」や「成員 の福祉」 のために正当化 され る仕組 みを言い当ててい る。 その学校 の性格 に関わって,牧
柾名 は,そ
の二面性 を指摘 している。一人ひ とりの発達 を保障す る面 と社会的必要 に合わせた教育 を行 ってい く面である。そ して,「とくに国家が積極 的 に学校制度 を統御するようになってか らは,一
人 ひ とりを生かす とい う第二の道 は,国
家や企業 の 目的 を実現 す るとい う第一の道 に包摂 されて きた」2のと喝破 している。 この ことは別 の言葉で置 き直す と,教
育 の社会的有用性 (公共性)と
私事性 の矛盾対立 といえる ので はないか。23)私事的な形成作用 として始 まった教育が組織化 される際に,国家的な必要だけで行 われたのか,そ
れ とも民衆の教育要求が運動 として存在 し,国
家の必要 と絡みあって組織化が行われたのかによって
,そ
の矛盾克服 のあ り方が大 き く異なって くる。 日本 の場合,前
者 のケースであ るため,一
人ひ とりの発達保障が真 に実現 されているのか,ま
た人 の価値観 に関わ る問題が学校で どう取 り扱われてい るかについて,意
見 を表明で きる制度的保障がほ とん どない。 この点 は問題で ある。西欧における父母 。生徒参加 の形態 を学ぶ必要がある。特 に,西
ドイツの学校運営への生徒・ 父母参加 は示唆的である。20 以上,校
則問題 を深 める上で,「形成」 と「教育」 との関係,教
育の二側面 として「能力」 と「価 値観」,学
校 の二面性 として「個人 の発達保 障」と「社会的必要 に合わせた教育」について言及 した。 教育が個人や地域 の生活 と密接 な結 び付 きが「本来」 あ りなが らも,国
家や時の権力 の「社会的必 要」を受 けて,賄
ヒカ」。「価値観」形成が中心 となって しまっている。先 にも指摘 した ように,教
育 の持つ私事性 と公共性 の矛盾対立 のひ とつの現れが校則問題であるといえる。その打開策 の例が, 第二章 の中で示 された生徒・ 教師 。父母が校則見直 しに立 ち上 った事例である。 しか し,こ
れ ら三 者が学校教育 において果たす役割 について は教師 を除いて曖昧な ものが多い。 今後 の課題 として,生
徒の参力Hと意見表明権 の具体的な形態 の模索,学
校実践 において個人 と集 団の理論 と歴史 を検討することな どが考 えられ る。 最後 に,「倉吉市立西中学校 の校則見直 し」の取 り組 みを取材 した際に,快
く応 じて くださった関 係者 の皆様 に謝意 を表明 したい。 〈註 〉 「赤旗」1989年11月 23日付。 この日刊新聞は,日本共産党の大衆的政治機関紙であ り,一
般読者の投書 とい えども,一
定の政治的指向性が見 られることは事実である。 しかし,他
方では人権問題や国家権力のあ り 方に対 して鋭い触角を持ち,現象に潜む真実性 を浮 き彫 りにする点で大 きな役割 を果たしていることもま た正確に見なければならない。少数者の意見 として切 り捨てるのではな く,かえって当初の少数者 こそが 事実の裏の真理 を見出し一般化 してい く歴史 を思い出すがよい。 カルデ リ『自主管理 と民主主義』大月書店 1981年 p。153。 同上p.154。 同上p.256。 同上 p.25併257。 「赤旗」1990年1月28日付。 牧柾名『教育権 と教育の自由』新 日本出版社 1990年 p.20。 中岡哲郎 『人間 と技術の文明論』 日本放送出版協会 1990年 p.6263。 喜多明人「国際社会の英知 を結集 した子 どもの権利 に関する条約」『法学セ ミナー』1989年12月号 p.22。 以上の記述 は,日本子 どもを守 る会・ 児童問題研究会『子 ども権利読本勘1989年に負 うところが大 きい。 「 日本海新聞」1989年二月27日付。 「 日本海新聞」1990年 2月 9日 付。 尾木直樹 『思春期 ばんざい』草土文化 1989年 p.88。 坂本安之「生徒・ 父母・教師による校則の見直 し 茨城県神栖第一中学校の実践か ら」子 どもの人権 と体 罰研究会・体罰 と管理教育 を考 える会編 『子 どもの人権―立ち上 る父母・市民一』母 と子社 1989年p.
20。 (15)同上p.22。 (16)同上p.24。 (17)同上p.25。 (18)倉吉市立西中学校研究紀要 『豊かな心 を育 てる教育』1989年 p.33。 (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14)(19)同 上p.35。 (20)「教育の本質」1950年『官原誠一教育論集』第 1巻 p.22。 (21)『宗像誠也教育学著作集』第 4巻 p.14。 (22)牧 柾名 前掲書 p。201。 (23)私事性 と公共性 との関係について分か りやすいのは,高梨昌『臨教審 と生涯教育』(エイデル研究所 1987 年)の次の記述である。 「昔,労働科学研究所が行 った調査で も尋常小学校六年か ら工場 に勤 めている人 と
,勤
めずに学校に入 っ た人 との身長などを測定 してみると,中学校卒業で入った人の方が身長が高い とか,あるいは,心理学的 テス トをやってみても,小 学校六年でやめた人 よりは,もう少 し長 く学校 にいた人の方が点数が高い とか, こういう調査結果 もあります。それから,近代工場制度の中で働 くということになると,最低限必要な能 力,読み,書き,計算 というようなものや,あ るいは,集団労働ですか ら,そ のためのディシプリンとか, それか ら,機
械を使 うときの手先の器用 さなどもある程度,学
校 における基礎的な教育が必要です。 この ような産業上の必要か らも,最
低限必要な能力 は共通 して もたせない と,産業 も成 り立たないし,そこで 長い問働いて生活 してい く労働者にとっても近代的な工場労働 に適応で きず不幸になる。 こういう面か ら みた共通部分,あるいは公共性 というものもあるか もしれません。 ……社会生活上からも,合
理的な家庭経営だとか,家事 の処理だ とか,家庭での子 どもの教育 という面か らいっても,親
にとって最低限必要な教育 というものも必要です。世代の再生産がされてい くにつれて, 生活の質がだんだん と高い水準 になってい くわけですか ら,社
会秩序 を維持するという意味での公共性 と いうものもあるかもしれません。 また,新自由主義的な考 え方,機
会均等 という観点か らすれば,最
低限必要な教育 は個人の自由を確保 する上での基礎前提の一つです。スター トラインをそろえておいて,その上で競争 して,すぐれた人 は, す ぐれた業績 を上げ,そうでない人 は,それなりの生活 をする。最低限の ところはそろえて,あとはそれ ぞれの適性 と能力 に応 じた生活 を送ってい く,しかし,スター トラインは等 しくしなければいけない。 こ ういう思想 もあったことは事実だ と思 うのです。」 (pp.124125) (24)「70年代に西 ドイツのすべての州 は,学校法や特別立法において,教員,生徒,父母の学校運営への参加権 を法的に規定 した。」(p。 45) 「『参加』の概念規定 については,……一般的には,受け身の参加 としての『情報を得る権利』 というレベ ルを越 えて『協力』 (Mitwirkung)と 『共同決定』(Mitbestimmung)が それに属すると考えられている。」 (pp.45-46) 天野正治・柳沢良明「西 ドイツにおける学校運営への父母の参加」『教育』N0510 1989年 7月 。 (資料1)〉 頭髪等に関するアンケー ト 生徒対 象 (%) 長 髪 現 状 保 護 者 対 象 (%) 学年 男 女 計 男 女 計 学 年 長 髪 現 状 わか らない 計 計 (倉吉市立西中学校研究紀要『豊かな心を育てる教育』1989年 p.34。)(資料21〉 学級指導「きまりについて考えよう」の詳細 学習活動 1.今の西 中の「 きま り」で守 っていない こと, 甘 られて いない こ とが ないだ ろうか。 。どんな「 きま り」か。 。それ はなぜか。
2.何
のた めの「 きま り」か。 ・ きま りが なけれ ば どうなるか 。きま りの もつ意義 3。「 きまりを守 る」ことについて,自
分 はど うしようと思 うか。 4.こ れだけはぜひ認めてほしい とか,新 しく 決 めてほ しい ことは何か。 (理由 も書 く) 。現状認識 の程度で よい と思い ます。 ・ 自由 に話 し合 わせ る。 (各専 門委員 に苦労 してい る ことな どについ て話 させ て もよい。) 。先生が勝手 に決 めて 自分 たちを縛 るもの ↓ 集 団の共通 のルール ↓ 自分 たちの学校 を楽 しく,充実 した規律 ある ものに してい くための もの 上 ルール は一人 ひとりが充分理解 し守 らなけれ ばな らない。(自己指 導力) ・ スポー ツのルール等 を引用 して もよい ・生徒,保護者 の要望,社会情 勢 な どに よ り改 定 (改善)し
て きてい る こ ともつ け加 える 。自分 はどうす るか を決断 させ,具体的に実践 で きるよう子旨導す る。 紙 (ノー ト)に
も書かせ,発
表 させ る。 ・ 担任が 目を通 した後,生
活委員 へ。 。生徒会,生
活 委員会 で も話 し合 い ます。 く資料0〉「生活のきまり」 「夢をいだき,展
望 をかかげ,みんなと力 を合わせ,行
動する人 になろう」力ゞ,本校校訓の精神です。1
た くましいか らだをつ くり,ねば り強い心をもち,明るい健康な生活を送 る。2
広い視野 にたって,たゆまない知性 をみが き,豊
かな心をもった生活を築 く。3
個人の尊 さを知 り,自他 を愛 し,お互いが信頼で きる人間関係 をつ くりだす。4
科学的思考態度 をもち, ものごとを合理的に解決するように努める。5
自主自律 に心がけ,互
いに協力 し,進
んで奉仕や勤労に努める。 生徒一人ひ とりが,か けがえのない人間 として,さらに倉吉市立西中学校生徒 としての誇 りと自覚をもって, 生 きがいのある中学生活 を創造 してほしい と願って,この生活のきまりを作 りました。1
時間を守 る (1)生活時間 (省略) 修)8時25分現在,座
席 についていない者 をもって遅刻 とする。 (3)10分間の休みは,次の学習の準備 をし,チャイム とともに着席する。 (4)登校してか ら,下
校するまでの外出は原則 として認めない。2
登下校 (1)交通ルールを守 り,細心の注意をはらって,きまった通学路で登下校する。 り)許可 された生徒だけが,自転車やバスで通学で きる。 (3)登下校中に寄 り道や,買い食いをしない。 (倉吉市立西中学校研究紀要『豊かな心を育てる教育』1989年 p.34。)(つ自転章通学生 は