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山城町の漆掻き(その2)-香川大学学術情報リポジトリ

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山城町の漆掻き(その2)

歳 森 1.はじめに 丁度2年前,この「一般教育研究」(第28号)へ,「山城町の漆掻き(その 1)」を執筆した。その頃は,漆芸産業が,その必要とする優れた国産漆の漸減 傾向を挽回するため,行政の力も合せて,漆樹の増殖をはかるとか財政的補助 をするなどのテコ入れが盛んに行われていた。大手の岩手県浄法寺町や石川県 の輪島市近辺,さらに岡山県の備中町近辺などである。しかるに漆掻師の後継 者ほ少く却って掻師は減少の傾向さえ見せている。四国ではこの徳島の山城町 へ2名だけ,これほ現在も変らない。しかし,岡山県備中町は59年に4名1)いた ものが3,4年前から2)2名に減少する仕末である。現在漆掻きは極めて稀な 生業と化してしまった。そこで漆掻きの生態,民俗などの記録を後世に遺さね ばならぬと考えているのは筆者だけではないと思う。この山城町の掻師に接触 した研究者ほ筆者が最初であり,現在までのところ追随者はいない。その後も 筆者は掻師の一人である西田雪雄氏と個人的に交際している。2年を経て,い くらかの資料がたまったので,「山城町の漆掻き(その2)」として,前回書い た漆掻き用具の補足,民俗その他を,小稿にまとめてみた次第である。本稿に 対する識者諸賢の御批判や藤栽培に関する情報が少しでも得られれば幸いであ る。 2.漆掻き用具(補足) 前報に挙げた用具はウルシガマ(カワムキカマのこと),ウルシガナ(ウルシ カキカマのこと),へラ(カキベラのこと),ウルシヅツ ,へラ,ウルシオケ, ツツクリ(ゴーグリのこと)である。そこでその他の用具を追加する。

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歳 森 茂 76 (1)ボロナワ 漆掻きは朝早く,暗いうちからの作業であるため,夏分(夏の間)はブトが 出てきて刺される。それを防ぐのにボロ又はボロナワという木綿で作ったナワ を膜に吊して火をつけいぶした。■奥さんのキンペのお古のようなものを割いて 作ったというので,古い寝巻地を持参して目の前で編んでもらったのが国1 で,全長42cm,全量23.3gである。よりをきつく(「クリになるようにがいにし める」という)しておけば,これで1時間半か2時間はいけるという。1日に 1本あればよく,陽が当りかけたらブトは出てこないという。又,白布で作っ たことはなく,たいてい着色した古生地であった。それをどのように腰に吊る か,再現してもらったのが写真1,2である。長さ約47cm?木又は竹の先端を 15∼20cm割って,ボロナワをはさみ後腹にさす。ウルシヅツを左手に下げるの で,左側は不都合であり,棒は右側へ突出させ,服とボロナワの間は10cmぐら

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い離す。このボロナワは昭和55年頃に携帯式(ぶら下げ型)蚊取線香が出現し たため消滅したが,木綿の生地でのうた(編んだの意)ナワのはうがブトにほ 効果的であったと西田氏はいう。 (2)包 丁 フタガミを切ったり,へラについてこわばった漆を除けるのに使うが,単に 包丁といっている。10数年前,大豊町で買い毎年研いで使っているので少しち びてきている。形は図2のようである。全長12.56cm,刃渡り6.12cm,包丁の背 12.56 中の厚み0.22cm,中央部の厚み0.15cmである。柄は自分でつけるが,10年以上 経った日本ギリの枝を切って使っている。日本ギリは台湾ギリより生長が遅い ので適しているという。 (3)フタガミ 採取した漆をウルシヅツに入れて運ぶときに覆いに使い,又,ウルシオケに 入れて保管するときにフタにする紙をフタガミという。漆が純粋であればフタ ガミへ,へばりついているという。椿で作った純粋の和紙(60×97cm)を池田 町で買い,隔年にカキシブを自分で塗って作る。和紙の価格は60年で1枚120 円であった。渋を塗ってから,5貫オケ,3貫オケ等それぞれに合うよう自分 で切る。写真3の左側は以前に作ったフタガミで紙の質が劣り,右側は60年に 作った良質のものである。

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歳 森 茂 78 (4)カキシブ作り具 西田氏ほ「マメガキが一番いいんだが,ぼつぼつあったのを,みな切ってタ キギにしてしもうたけに…」といい,ナガラガキと称する自園の渋柿を使って いる。このナガラガキは「むき柿」(干柿のこと)にしている。縦経7∼8cm, 横経4.5∼5cm,果形指数約66の長心臓形のようである。1樹に200∼300個実 るという。この実を8月下旬3)の快晴の日の朝,約100個取りウスの上でキネで つぶし,袋又は布で包んで素手でしぼ←り,約7合の液を取る。直ちに4)刷毛でフ タガミの表を塗って干し,,よく乾いたら裏も塗る。両面を3回ぐらい念を入れ て塗り,1日のうちに15∼16枚仕上げる。快晴の日でないとできないので,そ の日は漆掻き作業に差し支える。写真4はキネとしぼりに使った袋である。キ ネには渋が付着しているが,別に実害ほないといい,61年暮れのモチつきにほ 渋がついたままモチをついたという。 (5)そ、の他 62年1月4日,西田家の倉庫にタガにするような竹が何本か置いてあった。 聞けばフタガミを抑えるフチワだという。ウルシオケの漆にフタガミを密着さ せ,その上をぴしっと抑えるわけである。これは外皮というのか青い部分を除 き,黄白い部分だけを使う。そこで空オケであるが,それにフタガミをつけそ の上にはめてもらって写したのが写真5であり,未使用のものを上に載せてみ た。又,西田氏が新しく作った用具に写真6の針金がある。これは6番線の針 金で両端ほ鋭く研いである。まずオケに包丁(前項の2))で軽く切目を入れ, 針金を載せて叩くと針金は噴い込む。これは,ウルシヅツからウルシオケへ 取ってきた漆を移動するときに使い,終るまでへラをこすって写す。そうしな いとへラの接が取れないという。よそでは全く聞かない用具である。2本あ り∴短いはうが全長15.3cm,14g,長いはうが19.6cm,18gであった。又,漆 の樹を探して歩くときに使う双限鏡も必要な用具である。 3.漆掻きと季節・天候 西田氏は6月10日過ぎに最初の「カナ入れ」(目立て)を行う。61年でみる

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と,6月14日が初日(カナ入れは除く)であり,梅雨明け(61年は7月18日: 徳島地方気象台)後の7月20日,21日頃から本格的に漆液が出かけるという。 最初の早い時期の作業を「初」(初辺のこと),盛夏の最も上質の接が取れる時 期のを「盛」(盛辺のこと),秋の彼岸から10月上旬頃までを「遅辺」,それ以後 のを「とめ漆」といっている。季節によってどの程度,液量が違うかをみたの

が表1の石川県の例である。掻く日は原則として4日日(時に5∼7日)に

なっているから,四日山の一つとしてこの石休場(イシアソソバ)を選び,計 測したことが推定される。この表の数字よりみると,7月10日頃までが初辺で 表1 漆 採 取 量 調 査 表 (昭和52年 輪島市石休場) 区 分 平 地 債 斜地 月 日 採取 時 間 天 候 気 温 採 取 量 採 取 量 7 2 8:00・−、ノ12:20 曇時々雨 22 C 70 g 70 g 6 5:45∼11:30 曇 24 120 12 10 5:30′−11:45 曇 27 140 140 14 7:00∼15:30 曇 24 185 200 18 6:30′−13:00 曇時々雨 26 220 210 23 7:00′∼12:30 暗 28 210 50 28 6:30′∼13:20 晴 29 200 240 8 3 5:30∼14:00 晴 27 170 300 9 6:00∼13:30 晴 23 240 340 13 6:30∼14:00 曇 23 260 380 19 6:30∼14:00 息 23 .230 330 24 6:00∼14:00 曇 23 220 300 29 7:00′−9:00 雨 24 20 9 3 6:30′−12:00 曇 26 300 100 7 6:50∼13:30 鼻 28 230 130 6:30′−13:20 暗 29 120 220 18 7:00∼13:30 晴 23 110 180 22 6:30∼14:10 曇 ′ 15 150 220 26 7:20∼14:30 曇 22 80 200 10 7 7:00′)13:20 曇 15 185 185 累 計 20回 3,440 3,935 採取本数81本.1本当り 91.05g

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歳 森 茂 80 量が少く ,7月14日頃から9月11日頃までが液量が多く盛辺であり,盛辺の中 でも7月下旬申ゝら8月下旬の間が最も成績が良いことが分る。この裏のうち, 7月18日の「曇時々雨」は,採取時間の13:00以後の雨であろうと思われ,又

8月29日の「雨」は,9:00前後からの降雨で作業を中断したものであろうと

推定する。 次に,西田氏が掻いた61年の作業日と天候との関係をみたのが表2である。 ︵呵∞∼り掛−警野営 。︵収倒脱︶全軍濫警岩已こ.逆Ym¢呵∽。︵︶盤悪よYも東﹂里心︶ 婚兎㌣Ⅲ停電Ⅲヨ町り 這ゼ′﹂蝶竃○。ゼ′孟買︼讐?べ蒜査ふeザ思5誓冒壷′孟芸道蚕豆旨革幸三藍禦漂︰患 ぷ義苔由由閻 、臣事∃︶墜監Q刃亜膳刃勅鰻肇 N礪

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西田氏の住む山城町には最近の気象観測資料はないので,山城町に比較的近い 池田測候所の資料を代用してみた。賀名生(アノウ)村史(1959)5)にほ「ショ ウウルシには一滴の水が入っても泡となってふき出すので,一しずくの雨が 降っても山へは行かなかった」と書いてある。又,「雨が降るとき掻くと皮が腐 り木が弱る6)」ともいわれる。岩手県の資料には7)「雨中に辺付を行うと辺付を したヒビ㈲にゴマが出て樹皮の鮭織が死に,後の結果が悪くなる」とある。 このようなことから,どこの掻師も雨の日は休業である。表2でみると,降

雨のある日で掻いているのは6月24日,7月14日,7月29日,8月1日,8月

17日であるが,いずれも17時以後の降雨であり(ただし8月1日は16∼17時: 6mm,17∼18時:3mm),日中の作業には影響していない。気温は梅雨明けの7 月17日頃から一段と高くなっていることか分る。8月12日は死人ができたとい い,12日,13日は休んで手伝いに行っている。又,8月14∼16日は,この辺り の慣習でお盆休みをしている。その他,晴天の日で掻きに行っていない日は, その他の雑用をしている。 漆樹ほ暑さに弱いといわれるが,池田町と徳島市及び海岸部の日和佐町を比 較してみると,表3に示すように,池田町は夏の気温が低く,又,7月,8月 の降水量が少いようで,漆の生育にも漆を掻くにも好適な条件にあるように思 われる。 蓑3 昭和61年における池田町の気象 (単位:CO,血) 池 田 町 徳 島 市 日 和 佐町 6 月 21.0 22.5 21.8 平均気温 25.7 25.3 8 月 24.9 27.6 27.,1 6 月 145 124 183 降 水 量 7 月 107 80 335 8 月 29 104 99

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歳 森 茂 82 4.漆樹の一生 近年,天然の漆樹が減少し,必要上から栽培漆樹がふえてきた。各産地と も,その土地のやり方で植栽・育成・利用を行っているが,その過程の中で幾 分の相違がみられる。山城町における方法を西田雪雄氏のものを中心に述べる。 (ただし,この4項と次の6項に,59年5月23日に渡瀬秀雄氏から取材したも のも挙げるが,その際は文中の最後に(渡瀬)と記載する。) (1)植 栽 伐採後に発生した「根上り」(メゴ)をその冬掘りあげて,3月20日頃まで に,やや肥沃地へ植栽する。平地よりやや傾斜のある土地の方が成績がよい (蓑1)。3月末以後に定植すると枯死することがある。この場合は地上部の努 除ほ行わない。しかし,4月初め,15cm位に地上部主幹を努り締め定植する方 法もある(渡瀬)。又,大木の板を切って細分し,伏せること朝もある(渡瀬)。 (2)施肥・管理 活着すれば施肥を行うが,有機質肥料が中心である。そして早目々に側芽や 側枝を除き,写真7のように1本立ちにしていく。クスサン(山城町ではウル シムシといっている)の卵の付着が冬季に見られることがあるが,必ず除去す る。クスサンはクリその他にも発生し漆菓を喰害し,時に枯死させることもあ る。写真7のように他樹種に比べて実数・菓量は少いぼうであるので,クスサ ンの喰害ほ生長に大きく影響する。山城町ほ夏涼しく適当に降雨があるので漆 育成に潅水の必要はない。しかし,西田氏のメゴを移植した香川県三木町別所 園(写真8)では,比較的恵まれた9)土地であるにも関らず,夏の潅水は欠かせ ないという(別所将義民が栽培)。 (3)掻 き方 育成した漆樹は普通10年以上経過してから採液する。西田氏は殺し掻き10)専

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ーであるが,渡瀬氏は養生掻きも併用している。これは生育状態の良い樹を2 年かけて掻いていく。山城町の西隣の愛媛県新宮村(伊予川の上流で,似た環 境)で最後の掻師だった真鍋麻夫氏の方法を書き送ってきた新宮村役場からの 手紙(60年12月9日入手)によると,真鍋氏は2年かけて掻いている。これら について西田氏は,2年続けて掻いた場合は次年(2年目)ほ液が少く(6分 ぐらい)得でないという。なお,その年初めて掻く樹を初木(うぶぎ)といっ ている。 (4)掻いた後の処置 普通,殺し掻きを行った樹は年内に伐採する。そうすると翌年,切り株の周 辺へメゴが発生してくる。遅くとも1月中には伐採する必要があるという。し かし,漆山の持主で,メゴの発生は困る,漆を絶やして欲しいという要望のあ るときは,独特の方法をとっている。それは掻いた後,株元を1∼2尺幅で皮 をはぎ放置しておく。そうするとメゴは発生しないという。環状はく皮である。 念を入れる場合ほ,はいだ後の木部に深さ5分(1.5cm)ぐらい,く下るりとひと 筋ノコ目を入れておくという。掻いた後の枯木は勿論燃料にもなるが,堅ろう で腐りにくいため,ミツマタ採取作業の支柱などに使われるという。 (5)メゴの発生実態 西田家の裏山の5年生の漆園(写真9)は,茶畑の北隅にあった漆樹2株を 伐採してから発生したメゴの拡がりであり,元が茶畑であるため土壌は肥沃で メゴは茶畑(2畝20歩)一円に拡っている。′メゴの発生実態に関する記載は寡 聞にして知らないし,こんなにメゴが拡がるのは珍しいことと思うので,記録 して残すことにした。62年1月4日の測定を以下に記す。メゴに抽.をつけ,そ の分布を記したのが図3である。又,各樹の太さは表4に示す通りである。(普 通は目通りの高さを測るのであるがそのあたりが分岐して測れない個体もある ので,株元より1mとした)。メゴは東西約16m,南北(図上で)約11mに拡 がっている。それは上の茶畑だけでなく,下の畑にも拡がり,合計41個体(5 個体ほは測定せず)であった。この他に香川県三木町別所園へ移った50個体

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歳 森 茂 84 21 19 ● ● 16 ● ● ◆10 上の畑 17 、 ● ■20 ●11 13 ■●12 ■14

●9

23 i

27 ●.26 ●

24.● 22三プ ● ⑳◎ 4 5 6 ● ● ● 25 ● ■■−−−−−−→■■−−一一一−−−−−−−−−−−−−一・一−−−−−・−−−一一一一一−−一−■− 一一一− −−−−−−−−−■●−■■■■■●■■一●−●■■ ●31 32 下の細 ● 35 ● 5m 図 3 西田家裏山の5年生メゴの拡がり (注:◎枯株) (写真8)を含め,約100個体のメゴがここから搬出されているという。土壌環 境などが良いとメゴの発生ほ著しいものであることが分る 。又,表4で分かる ように,概して親株に近い位置に発生したメゴは太いが,距離に必ずしも比例 せず,恥10,17のように遠距離でも太いものがある。最初ほ大きさ(太さ)に 差があるが,長年経つと差は少くなると西田氏はいう。

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表4 メ ゴ の 幹 の 太 さ (単位:c皿) m 太 さ 恥 太 さ 抽. 太 さ 9.2 16 4.2 31 2 7.5 17 7.7 32 3 8.2 18 7.1 3芦 4 7.6 19 5.3 34 7.0 5 7.6 20 3.8 35 6 8.1 21 5.6 36 7.4 7 5,6 22 4.4 37 4.0 8 6.4 23 4.5 38 9 7.2 24 4.1 39 10 9.2 25 3.5 40 6.5 26 3.3 41 12 7.5 27 4.6 13 4.9 28 5.5 14 5.5 29 4.3 15 7.3 30 3.6 注:地上1m位置

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歳 森 茂 86 51.西田氏の四日山 どの漆産地でも同じであろうが11),昔ほ掻師の自宅の周辺に漆の原木が豊富 であった。図4は,山城町における現在及び近い過去の掻師(現ほ◎,旧は○

愛媛児

新宮村

0 1 2 3hl 図 4 山城町における現及び旧接穂師の住居位置 で表す)の住居位置を示したもので,銅山川(伊予川)の南岸のいわゆる「カ ゲ」の部分に住居ほ集中的に存在している。漆は暑さをきらうためにカグが生 育し易く,漆の原木の多いところに掻師が多く生じたのか,又ほ,漆を追って 住居を移したのか分らないが,自転車の出現以前の掻師は徒歩で作業に回った ため,自宅の近辺に漆樹が多く存在することが必要であったであろう。西田氏

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に,彼の祖父の時代の漆掻き12)について聞くと,その頃は歩かねばならなかっ たから,朝は今よりもっと早く家を出たかも知れないという。掻師の減少に合 せたかのように漆樹の存在をきらう世人がふえ,漆の原木は不足勝ちになった ため,現代の掻師は原木探しに苦労し,かなりの遠距離まで掻きに行く。岡山 県備中町では泊りがけで掻きに行く人もあったというが,山城町ではそういう 人ほなかったらしい。西田氏の近年の四日山は表5のようである。そのうち, 表5 西田氏の四 日 山の位置 年 位 置 種 別 備 考 56 穴吹から奥へ 四日山 単車で片道2時間20分 57 愛媛県新宮村 四日山 58 愛媛県新宮村 四日山 一日山:茂地(シゲジ) 川をはさんでオモテとカゲ。 標高250∼300m 二日山:谷間(タニアイ) 標高250m 59 三日山:有瀬(アルセ) 標高250∼300m 四日山:岩原駅付近 岩原駅の上の山が崩壊してい るところ。標高300m 60 三日山 59年より本数少い 59年の四日山の位置を示すと図5のようであり,大野の自宅からはかなりの遠 距離である。谷間へほ単車で50分,有瀬へは65分,岩原駅の上の山へは75分か かるが,朝なまぐらいうちに(4時半には)現場へいとる(行っている)とい い,4時半から作業にかかり,午後5時40分頃に切りあげて帰ってくるという。 四日山にして毎日休みなく掻きに出ることをツメヤマという。

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歳 森 茂 88

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6.漆掻きの民俗

(1)正月行事 西田家では玄関のお飾りはしない。神社詣りはする年もあるが,しない年の ほうが多い。元旦は集落の風習である「みずむかえ」(米,里芋,豆腐)をす る。次にわが家の神棚を拝み,雑煮を摂り,近所の年始に回る。2日ほ西田氏 の誕生日であるが,誕生祝はしない。餅は白の丸餅で暮れの30日につく。一番 うすからお供え用の小餅をとり,神様(家の中の),水のもと,山の神,漆の作 業場,車庫など13)へ供える。このうち漆の作業場(倉庫内)のものを写したのが 写真10である。正確には,お供えの周辺に点在する用具を集め,屋外へ運んで 写したものである。重ね餅は小さく,上が直径4.6cm,重量25g,下が5.8cm,

42gであり,餅の下にワカバ(楳らしい)を敷く。ワカバは普通大のもので,

菓身長13∼14.5cm,真の山から採ってくる。お神酒にはサカキの菓をさしてい る。ウルシガナは油をひいてしまい,ウルシガマは写真のように布を巻いてお く。 (2)掻師の生活 掻師の多くは,漆の原木の位置はすべて熟知しているといわれるが,西田氏 も例外ではない。あそこの木はもう掻ける頃だなあ……とか,この木は大きく なったなあとか,他人の持物であっても吾子に近い気持であろうか。しかし未 知の原木を発見することもあるので,外出時には2の5)項で述べた双眼鏡(20 倍)を携行する。漆の樹のありそうな山は大体カンで分るという。町有林や国 及び県有林には漆山はない。主として冬季の農閑期に樹の持主と交渉して四日 山を決め,6月10日頃樹の代金を払う14)。6月に入れば,用具類の点検整備や, 漆の樹までの道筋の整理(歩き易いように草刈りをするなど)や,樹に足場を つけたり,毎日準備作業に忙しい。6月10日過ぎに最初のカナ入れを行う。初 めて山入りするとき,ほぼ親指位の太さの細いマダケを竹筒にし,それにお酒 を入れ,雑木の枝にぶら下げ,お米を20∼30粒,漆の樹の近辺へばらまき,作

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歳 森 茂 90 業期間中の無事を祈るという。朝の出立は4時前,脚にキャハソをぴちっとし

め,上は半袖で腕抜きをはめる。おい袋(簡易リュック)に弁当・水筒を,左

腰にウルシヅツを下げ単車で出る。睡眠は平均4,5時間といい,相当の激務で あるが,熟睡しているので翌日に疲れは残らないという。夜は早く床へ就かね ばならぬので,子供みたいにラジオ体操をしたり,時々は四股を踏むなどして 血の循環を良くして早く眠るようにするという。米ほ前の晩に洗って仕掛けて おく。朝までハガマの水ほ変質することなく,早朝夫人が炊き,弁当を準備す る。茶は前の晩に炊き,水筒に入れ,口を開けて流し台の上に置いておけば朝 までに冷えているという。前の晩に炊いた茶でも翌日の夕方まで悪くほならな い。茶は自家栽培のヤプキタの上茶で,その量ほ最初のうちは少いが,真夏に 近づくと多くなり5合から5合5勺携行するという。茶ほ食事どきだけでな く,たまらなくなったら何度でも間で飲む。又,一日に必ず1個以上梅干し (自家栽培のもの)を食べる。副食は普通なみのものといい,特に栄養価の高 いものを準備することはないという。又,間食は一切しない。日中は忙しいの で昼食は15分ぐらいですまし,ほとんど流し込むようなものだという。まるで 修業のような生活であるが,永年これに慣れているので,夏疲れて体重が減る こともないそうである。一日の仕事が終れば家で酒を少し飲む。前述のよう に,雨が降れば漆掻き作業は休まざるを得ない。といって雨の日に直ちに取っ て代る現金収入の仕事はない。そこで傘をさして山を歩くという。休んで体の なまるのを防ぎ脚を練えるためと推察する。又,子供を出産したときの「うぶ 湯」は前年に掻いた漆の枯木を燃やして湯をわかす。西田家ではどの子もその ようにしてきたという。マムシ:マムシは紺染めのにおいをきらうという。 4∼5匹もいるとにおう。山中でマムシに遭遇したことはないが,用心のた

め,山の中へツエを2∼3本突きさしてあるという。又,年4∼5回ぐらい

で,めったにないが,木の葉が風で舞ってフタをしていないウルシヅツの中へ 飛び込んでくることがあり困るという。すぐ除けるが接がへばりつくので,そ れを除けている間に漆の樹からは汁が出てぽちぽち落ちよる,といい,腹が 立ってくるという。

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(3)漆かぶれ 筆者は調査の必要上,何度も漆の樹に触れ,時には摘菓・押葉もしてきたが 別に異状はない。又,漆の樹はいずれもきれいに整枝されていて菓で顔をなで られるようなおそれは全くない。漆よりハゼのほうが負け易いともいう(渡 瀬)。西田氏の夫人は結婚当初,山で着た衣類の洗濯などでかぶれて,かいい, かいい,といっていた。薬も別につけなかったようだが,免疫ができてきたの か何もいわなくなってきたと西田氏はいう。又,漆師の一人の渡瀬さんは,軍 隊から復員して漆掻きを再開した年,1年だけ漆にかぶれたという。掻師で あっても長らく漆から遠ざかっているとかぶれることがあるものらしい。要は 慣れであろう。漆に強くなる方法の一つとして漆の葉の天ぶらを食べると効果 があるといい,漆に弱い人が漆職人になるとき行うという。又,漆が顔につい た場合,石けんは良くなく,石油がいいという(渡瀬)。「カキコが漆にかぶれ たのを治すにほスギナを塩でもんで出てくる汁を患部へつけた」と賀名生村史 p236へ書いている。山城町ではスギナの方法も古くから知られているが,一 番いいのは,山の芝栗の皮をほいでノ\ガマで1時間以上煮つめ,その汁をつけ

ることで,てきめんに効くという。

(4)生漆の質と人間性 山城町に尾脇サダヨシさんという漆掻き名人がいたと西田氏ほいう。この人 は汁もようけ取るが,力を入れずに手軽るう,はれ物にさわるように掻くか ら,後々汁が出てくるという。西田氏の生漆を受け入れている高松市のT氏は 次のようにいっている。「漆の良し悪しを革,掻く人の人格によって決まる。それ ほ増量する人があるからだ。増量には色々な方法があり,外見では専門の者で も分りにくいが,使ってみると,乾き具合やツヤで分ることだ。漆の質ほ上手 に掻くかどうかによっても違ってくる」。普通,へラタテによって問屋は質を 判定している。浄法寺町ではへラタテほ一得に1回限り行った15)というが,60 年12月に西田家を訪れた福井県のⅩ氏は3回行ったという。しかし,生漆の売 買は信用が一番らしく,岡山県備中町では「漆を買うときは,漆を見ずに,人 を見て買え」という諺がある16)という。

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歳 森 茂 92 おぁりに

6項で掻師の生活の一端を紹介したが,朝4時半から夕方5時40分まで13時

間ばかり休みなく続く厳しい作業である。一方,渡瀬氏は,もう年だから日中 暑いときは休むといっている。渡瀬夫人は,息子が「おやじ,しっかり山へ漆 を植えといてくれ」といっとるが,あの子に辛抱できるかいの,といっている。 このように厳しい山仕事に対して,産品の生漆価格はこの数年動いていないと 聞く。労多くて酬いの少い職業は減退していく。色々の問題はあろうが,優秀 な国産漆を守るために行政面からの対策が急がれる必要がある。 注 及 び 文 献 1)昭和59年6月17日,読売新聞岡山版「漆かき昔120人,いま4人」の記事による。 なお,60年6月11日,備中町役場産業課からきた手紙には「現在掻手5名」とある。 2)備中町漆生産組合代表であった村上与志光さんの娘さんの話によれば,「今,かいて いるのは,うちとハガ重夫さんだけ」という。62年6月3日,取材。 3)柿の実の渋味が最も強くなるのは一般に8月中旬といわれる。 4)埼玉県南部,京都府南部などでは柿渋は穐き砕いた後,3∼7日発酵させてからし ぼっている(小学館(1986):日本民俗文化大系14,技術と民俗(下),p263∼26 7)が,西田氏はその日すぐにしぼり,直ちに塗布している。 5)賀名生村とは現在の奈良県西吉野村である。 6)岡山県備中町史編集委員会(1970):備中町史p95による。

7)岩手県教育委員会(1978):漆掻き漆芸師の生活習俗一岩手県二戸郡浄法寺町,

文化財調査報告第27集,p15による。 8)上記の村山与志光さんの娘さんの話(62年6月5日)によれば,傭中町では板(ヒゲ といっている)を20∼30cmに切り,10月から2月までの間に植え込む。それで大丈 夫,苗ができるという。又,戸田実(1976):「特集林産ハンドブック」(漆の項, 広正一二執筆分)によれば,春の彼岸ころに発育が健全で素質のよい若い藤樹の根 を掘り取って長さ14∼15cmに切り,畑地に伏せる。これを分根法という,とある。後 者の場合は,石川,福井が対象である。 9)小山の谷下にある扇状地の畑に栽植されているので,土壌水分が豊富である。それ にも関らず,夏は時々しっかり潅水するというから,乾燥し易い香川県は漆の栽培 地としては山城町よりは不利であることが分る。

10)山城町に20数人の掻師がいた頃;ほとんど殺し掻きであった。これを「倒し」といっ

ている。

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11)岩手県浄法寺の漆について,次のように記載されている。「藤木は明治,大正期はま だ町のうちにかなり豊富にあって,川目筋といわれる安此川沿いのどの畑にも一面 に漆を植立ててあって,年数を経た太めの木が多かったが,昭和に入ってからは葉 煙草栽培が次第に盛んになり,畑から漆の木を除去する傾向になり,原木に不足を 生ずるようになったという。従って現在する掻子の誰もが,町のうちの漆木の買付 だけでは足りず,村外の各地方まで出向いて接木を買付け漆掻きをしたという経験 を持っている」。上記の7)plOによる。 12)西田氏の父は漆を掻かず,タバコ中心の経営であったので,西田氏の技術ほ近辺の 先輩に聞いたり経験・工夫により会得したという。 13)昔は粉をひくウスバまで供えたという。 14)岡山県備中町でも,はとんど掻く前に漆の樹の代金を払うという。又,岩手県浄法 寺町では,遅くとも前年の秋までには所有者と契約をし∴契約と同時に現金で支払 いをすませてしまう(上記7)のplOによる)。 15)上記7)のp41による。 16)上記の村上与志光さんの娘さんの話(62年6月3日)による。

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参照

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