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農学部のカリキュラム改革
谷 利 農学部でほ,専門教育に【対する共同理念形成を目指して,昭和44年度からカ リキュラム検討委員会が発足し,同年10月に基本的見解が教授会に谷申された。 一方,同年同月に−・般教育担当教官会議を−・般教育の重任主体とすることの全 学的な確認がなされている。一般教育と専門教育との理念確立を志向した具 体的動きが,このように期せずして同時期に起ったのほ,単に偶然の−・致とし てだけとらえるわけに.は.いかない。−・般教育改革の作業ほすで軋昭和40年に.評 議会を母体とした小委員会に.よって認められていた時間的経緯からしても,そ の動きが良学部におけるカリキュラム改革への胎動に・,影響を及ぼした事実ほ 否定できない。このことは,一般教育担当教官会議が昭和45年2月に提出した 「学生の公開質問状への回答」に.魂られる−・般教育改革の基本姿勢の見解が, 本貿的には我々が農学部で教育改革を志向して打出した方向と同じであるこ.と からも伺えよう。しかし,当時を振り返ってみると,・−・般教育問題からの影響 は,我々が直接的に接触して受けたものでほなく,一般教育連絡委員を媒介と した間接的なものであったよう紅思われる。 −・般教育改革と特に関係があった農学部の−・教官ほ,最近私紅対して−,農学 部の専門教育改革のトリガー・となったのは−・般教育での理念追及であると言っ ておられた。このことは,専門教育担.当者としてほ,−・般教育を専門教育のあ り方に対する批判としてうけとめるべきであるとの意味が含まれていると思わ れる。しかし,残念ながら,農学部一・般教官ほ,私をも含めて,必ずしもそ・の ような理解紅立って専門教育改革に.手をつけたわけではなかった。これは,昭 和45年6月に纏めた「農学部に=おける現行カリキュラム関係の問題点」(後述) の中に.一・般教育との関連性が何らふれられていないことからも明らかである。 当時の農学部の平均的教官の−・般と専門との関係の理解はつぎの3点に要約さ谷 利 一 48 れる。すなわち,第1に.−⊥般教育を専門の基礎教育祝してほならず,算2に・自 然系の−・般教育科目ほ人文的なものと科学としてのオ・⊥ソドックスなものとに・ 類別して認識し,彿3に.,ただし一叔教育の履修について:は.専門の立場からで はなく,専門教育との関連が考慮されてよいである。この考えは,農学部カ リキュラム検討委員会報告(昭和44,10)で巌初にあげられ,その後(昭46,3) 紅,−・般教育の自然科学系実験の実施に.あたって提出された資料「−・般教育に・ おける農学部学生のカリキュラム」に.始めて明記されて∵いる。これほ,−\臥 一・般教育の理念を尊重し■ているように.みられるが,見方を変えると,・−・般と専 門との融合をそこなう異質な2者の併列的存立を容認したものであるともいえ. る。 本来,カリキュラムは.履修の主体者である学生を中心に総合的かつ体系的に 編成されるぺきことほ.いうまでもない。前述のように・,専門課程で行なうべき 教育の−・部を一・般課程に負担させてほならず,結果として専門教育に還元され るよう科目の選択,履修が配慮されるべきであるとの観点だけにとどまるので は,本来的に.主体者たる学生紅応えきれないであろう。その意味において,は たして−・般教育と専門教育の両者併列(しかも類似の理念確立)に.妥協点をみ いだしている現段階が,何時までも容認されてよいかどうか,私はこの点に.ぬ ぐいきれぬ腰間を感ずる−\人である。 カリキュラム改革ほ更なる改革が常に志向されなければならず,改革そのも のが恒常的な姿であるともいえる。以上に述べたような観点から,農学部で行 なわれてきた専門教育のカリキュラム改革の概略を−・教官の立場から本誌を借 用しで紹介することほ.,あながち無意味ではなかろうと考える次欝である。こ れによって,−・般教育担当者と我々,あるいは異なる学部の専門担当者間でフ ィードバック的な影響を導く端緒ともなれば望外の幸せである。 1.カリキュラム問題の検討(検討委員会) 昭和44年4月に22名の教官からなる検討委員会が発足し,戯学部数育体系の 未来像について基本的な統一見解を提示する目的で,(1)大学における農学,(2)
農学部のカリキュラム改革 49 大学紅おける教育と研究,(3)本農学部に・おける教育体系,を中心課題として検 討を始め,同年10月に検討内容を纏めて一教授会に答申した。その概略ほ次のと おりである。 (1)大学に.おける農学について 人類ほ有史以前から膨大な時間を衣食住の確保と向上に費してきたが,この 行為ほ・人類と共に存続するものである。農業とほ,このような使命感のもと に・,生物生産を目的とする一つの作業体系であると理解する。そして,農学は / 生物の生産と利月]繍する未来の可能性を創造開拓するためのもので,土地, 水資源の開発利用と,こ・れらに・支えられた動植物の制御,生産利用,流通販売 の各分野などの全般にわたって考究する学問体系であると認識する。しかし, その体系化に関してほ,農業生産の内容,性格の変化が急速かつ広汎であるこ とより,農学ほ.もはや単なる技術学として安住することなく,より積極的に基 礎科学と結びつく必要がある。したがって−,大学に.おけ農学教育ほ創造性と適 応性の能力を与えるため基礎学に重点を置きつつ技術学との調和をはかる必要 があると結論づけた。 (註:この考えは昭和44年紅提起されたもので,“農学,′,の包含する範囲,あ るいはそのとらえ方ほ,現在でほ恐らく異存のある者が少なからずあるよう に感じられる。) (2)大学に.おける教育と研究について 統一・見解として,次の4つに要約された。 i) 大学の使命は「義理の探究」によって社会の進歩,人類の福祉に.貢献 する批判の府として機能すること紅ある。またT・方に・おいて,高等教育 の責任と機能をもち,独立的思考と創造的精神を展開することのできる 場を提供することにある。 ii) 大学における教育目的は,変容する人類社会紅対して常に批判的精神 をもって対処する創造性と適応性をもち,その社会の推進的起動力を身 につけた,未来を開発する自由独立の人間形成にある。 iii) 大学における研究は,その教育目的達成のため不可欠のもので,教育
谷 利 一 50 と研究は表裏一体をなすものである。 iv) 教官,学生ほ教育研究を通じて,−・定の質的相違を含みつつも,学問 の前に.は共に学徒である。 なれ「義理探究」が常に多くの危険性をほらみ,「真理」が知識の自己完結的 な体系を意味し,反社会性でなぐ背社会性を導く危険性が指適された。また, このことが,専門応用科目を偏重してこ学科目別,講座制あるいは学科制の枠を 固定化する結果をまねいている点が強く反省された。また,大学教育における 価値基準を人類史的社会目的における多元性の観点からとらえ,価値志向の多 様性を集団でほなく,個人のレベルで求めるべきであることが強調された。 (3)本農学部に.おける教育体系について 以上の基本的観点をふまえ.,基礎教育の重視と必修科目の削減に・よる学生の 速択の自由度を高めることが提案された。農学教育の基本的問題点の一つとし て,高水準の農業技術能力を習得して斬らしい農業技術を創造しうるような専 門的統一・性を与える方向と,−・方でほ,専門教育水準と臥標札徹底した融通性 と多様性を重視する方向との両刃論法が現実的に・どう定着すべきかが特に論議 の対象となった。しかし,これは考えようによっては学習の主体者である学生 が自らの価値判断によって選択する問題であり,我々教官集匝lとしては,学生 がいずれの方向をもとりうるような場を提供する努力を具体的なカリキュラム 編成作業のときに.配意することを課題として残した。 一・般教育課程との関連ほ,本委員会で検討するのほ必ずしも妥当でほないと の観点から,2,3の意見の概要を列記するにとどめた。 2.カリキュラム改革の作業(編成委員会) 以上のような基本的問題点の検討にひき続いて,昭和45年に具体的改革を目 的とするカリキュラム編成委員会が発足した。そこでは現行(当時の)カリキ ュラムに対して,つぎのような問題点が指適された(農学部における現行カリ キュラム関係の問題点,昭和45,6)。 (a)人間生活をふまえた生物生産ならびに自然環境の中での各専門分野の位
農学部のカリキュラム改革 51 置づけが不明確であった。すなわち,農学全般を概説し,その中で各学科 および専門を位置づけ志向を展開させるような授業科目の内容とその配列 に対する考慮がなかった。 (b)各教官ごと紅綬共に対する観点,目標がまちまちで,成果をあげる上に 多大の支障をきたしている。 (C)講座的色彩の濃い専門霧視の傾向が強く,基礎が断片朗に専門授業の中
にはさまれるきらいがあった。したがっ・て,基礎分野の系統的理解に欠
け1か、つ,ある部分は重複して授業されて内容的にも欠点があった。また このことほ,一・方では高校と大学専門教育との断層を生ずる結果を招いて いた。 (d)学生を主体的学習者としてとらえていない授業方法であった。 これらをふまえて,専門基礎教育と専門応用教育との関係,必修科目′と選択 料日の区分,学科,講座と授業科目の問題,さらには.専門の社会的位置づけの思 考を目指す科目,自ら問題提起をして共同研究の方法で掘り下げてゆく自主ゼ ミなどの意義湛ついて討議が繰り返された。ここにそれら結果のすべてを具体 的に紹介することほ困難であるので,私の専門に近い分野を中心にした事例を 1ケースとしてあげてみたい(香川大学農学部修学案内参照,昭46∼48年度用)。 授業科目の大別とそ・れぞれの置かれた意図ならびに関連性ほ次のとおりであ る。 (1)■−・般 概 論 まず,導入部門として,農業の人類史的位置ならび紅農業の学的考究分野で ある農学との関連を考えるために農学概論を置いた。この授業科目は全学部的 に重要であろうとの観点から,また,高等学校教育から専門へのつなぎの意味 も含めて,以下のような討議が特に深くなされた。 新しいカリキュラムの編成紅あたっても,各学科が専門分野を基盤とした組 立てに・なることは完全紅は否定できない。また,たとえ.各学科に特色づけられ た概論があるにしても,一そこで農業または農学を全体的紅展望するのは困難で あろう。高等学校を卒業直後の学生が直ちに学科レベルに.分化した問題点から谷 利 一・ 52 はいることは好ましくなく,欝1年次に.おいてほ,むしろ産業としての農業を 出発点とした問題の展開が必要であろう。ここ紅含まれる内容ほ,したがっ て,農業に対する価値観を各自がもつためのいわば農業から農学への展開の端 緒をうる場として理解される。 さらに,この姿勢は修学の過程を通じて保たれるべきであろうとの観点か ら,産業概説,比較農業論,栽培概論あるいほ側面叩には.経済原論などがひき 継いで用意されるべきであろう。これらのうちには,志向する専門的立場の異 なる学生にとっては,次に述べる専門概論となるものもある。 (2)専 門 概 論 各専門分野の概論をもうけ,それぞれの専門が農業にはたす役割りならびに 学問的分化の大系を理解できるように・した。そ・れによって,各分野の大略を知 ると同時に,関係専門の構成内容が大局的にとらえられるであろうとの配慮で ある。 (3)・一・般 基 礎 生物,とくに.栽培関係部門でほ生理学と生態学の2本の柱を軸にした。ここ でほ生物の変異性,適応性など生物現象の概念的把担を主な目的として,生物 をあらゆる側面からとらえられるよう関連授業科目の有機的な配列を考えた。 (4)専 門 基 礎 専門概論と−・般基礎から発展して,軍門の基礎な・学的体系に立脚して組立て る目的でもうけた。すなわち,各専門分野共通の諸問題を整理配列し直した が,この段階では履修する学生の志向によっては次の関連専門でもあることに なる。とくに異なる学科の場合にはそのような恵味が大きい。 (5)関連−・般,関連専門 」一・般基礎を支える専門分野として開運−・般科目を考えた。生物を専門基盤と する者にとって,例えば数理統計学,生物物理学,有機化学,放射化学などが これに属する。また−・方,専門概論,専門基礎に周係の深い分野として関連専 門を蒔いたが,この段階ではどの科目がこれ紅屈するかは個々の学生によって 対象がかなり異なるであろうと考えられる。
農学部のカリキュラム改革 53 (6)専 攻 多くの学生に.とって,専攻ほ学習の最終段階として重要な意味をもつであろう との理解をした。専門的分化ほ,学生に.とって当初の段階では決して好ましく なく,むしろそれは学習の過程の中で次第に形づくられ集約された目標となる のが自然であろうと思われる。この段階でほじめて各専門分野の専門授業が課 せられるほか,専攻に分属して外苔講読,文献研究などゼミナール形成をとり 入れて具体的に専門を考究する作業が行なわれる。また,この時期に.専攻研究 を行ない,そ・れまでの学習を集約した形態で卒業論文として纏めあげてゆくこ とを期待している。 (7)必修 と 選択 以上(1)∼(6)の大別に・そって各種授業料日を用意するが,学科ごとに共通的な 必修科目を制約した。ただし,必修ほ専門の概念的理解に必要なものにとど め,できるだけ少なくすることが共通的に打ち出された。このような状態を提 供することに・より,学生は自らが選択する方向を常に考えながら授業に.臨まな けれほならない。このような履修への不断の集中ないし持続される緊張が,具 体的に.は表面に顕われない最も大切なものであろうと思われたわけである。勿 論,その成果が十分に・あがるためには,我々教官は助言者として常に学生と接 し,単仲履修の技術面よりも,むしろ幅広い意味の試行錯誤的過程(好ましい ことである)に適切な助言と示唆を与える義務を負っているとの共通理解が前 提として要求された。その具現化の一つとして,週1回1時間,クラス単位の 討論会の場を用志することとなった(さらに後述)。 (8)自 主 ゼ ミ 前項のクラス討論の時間の設定ならびに本項の自主ゼミについて−は,次の項 で述べる学生集団からの問題提起の影呼が大きい。しかし,自主ゼミも単独に 特殊な意味をもって常かれたとほ,少なくとも私にほ,理解されない。自主ゼ ミの必要性も,教官集団の立場からカリキュラム改革を目指した線上に必然的 に浮かび上ってきたものである。カリキュラム編成委員会でほ,学生の自主 性,創造性,批判性開発の場としての大学にあって,その目的を具現化する実
谷 利 一 54 践的方途の−・つとして自主ゼミを位置づけている(≒自主ゼミ≒広報,香川大 学農学部,昭46,3)。内容的にほ,教官と学生がともに学問の場に展開される諸 々の事象に対して,常に・その価値を自問自答する直接的な場としてとらえたわ けである。このような,農学部の自主ゼミは,・−・般教育の共同研究科目とあえ て峻別することほできない。実施面でも,学生の発議による企画運営に依存す る点で同じである。ただし,専門課程の中に置かれている意味を失なわないよ う留琴し,各専門の統合的観点からの考察,社会科学との接点の模索が当面は 主要な課題濫なるであろうと考えた。 以上に.要約した方針と内容に従って,編成委員会は具体的授業科目とその配 列を行ない,昭和46年3月に教授会の了承をえた。 5.学生集団からの問題提起 編成委員会で以上のような具体的作業が進行する過程で,昭和45年9月頃に・ 学生集団からの問題提起があった。すなわち,カリキュラムほ大学の示す教育 方針と学問体系であり,教官にとっては教育の方向と内容,方法を示すことで あり,学生に.とってほ勉学と研究の基本方向を示すものであると規定し,教官 集団と学生集団間で討議を深めることを要求してきた。数回にわたるパネルデ ィスカッション,学内シンポ汐クムを重ねて,最終的に.は昭和46年1月に学生 自治会から教授会への要求事項として7項目を提示してきた。それに対し,教 授会ほ,、改革の基本的姿勢ほ学生と共通しているものであり,今回のカリキュ ラム改革を単なる授業科目配列の手直しとしてほとらえておらず,教育改革の −・環として位置づけていることを言明した(教授会資料,カリキュラム改革に 関する農学部自治会代表との話し合いについて,昭46,1)。ただし,現時点で は,教官と学生の間に「教育改革」の理念と志向する方向に不一・致点があるこ とを明確にし,今後桁力的に討議を深める努力を約束した。また,具体的事項 として,自主ゼミ(前項)の保証,授業内容改善の具体的措置として授業担当 教官グループに.よる相互批判ならびに学生の要望をとりあげ,積極的に処置し て常に.授業形態の検討をすることを確約した。ただし,最終的にほ授業内容な
農学部のカリキュラム改革 55 らびに方法についての決定ほ担当教官の安住において行なうことを明示した。 さらに,制度的には教官集団と学生集団から選出されたカリキ.ユ.ラム問題紅関 する検討機関を設置することで学生側との意見の一致をみた。そのはか,広報 的機能をもったパンフレットの発行と,教育改革に必要な時間的保証を「クラ ス討論会」の形態で与えることを了解した。これらの処置ほ,教官集団として 志向するカリキュラム改革の具体的推進にとっても必須のものと教授会は理解 したのである。ただ,このような学生との接渉過程で,我々が授業担当者であ る教官集団と学部の執行機関としての教授会との二j酔陸を整理し切れずにとま どった事実は否定できない。いずれにせよ,当時は,学生集団としての批判的 参加がカリキュラム改革に貢献する機能をはたした点ほ高く評価されるべきで あろう。ただし,現在紅いたるまで,これらの具体的−・致点の中のいぐつか が,はとんど機能をはたしていないのは残念であると言わざるをえ.ない。
あ と が き
新カ.リキュラムの適用を受けた学生はすでに4年生に.なつている(1年前に. 遡って適用)。私は,このような改革が直らに具体的成果をあげうるとは決して 考えていない。しかし,現在の段階でふり返ってみて明らかに2,3の問題点 を痛感している。 第1にも新カリ≒紅よって果して目的意識を明確にもって学習する学生がよ り多くなったかどうかであり,第2に次なる改革への意欲が教官,学生共に.失 なわれつつあるのではなかろうかとの危倶であり,そして第3に前進の原動力 ほ制度から求めえないのではないかとの疑問である。教授会でほ,カリキュラ ム編成委員会にひき続いて,昭和46年4月からカリキュラム委員会(臨時)を 設け,今年で3年目に入った。この委員会は,カリキュラムは絶えず発展改尊 の努力がなさるぺき性質のものであり,それは教官集団としての責任に.おいて 行なわれるべき努力と,学生との協議検討の上に立って進められるぺき問題が あるとの観点から設けられたものである(教授会資料,昭46,4)。そして,直 接的紅は学生カリキュラム委員会と接触を保って,教授会というよりも教官集谷 利 −・ 56 団の代表としての械能を果そうとしている。教官,学生両集団の意思を集約す る場として−,このような検閲がより機能的に作動して,専門教育だけでなく, 最初に述べたような一般教育問題との有機的相互関連をも模索してゆくように なることを期待するものである。 (昭48.4.19)