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『 農 地 改 革 ニ ュ ー ス 』 か ら み る 農 地 改 革

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(1)

﹃農地改革ニュース﹄からみる農地改革

はじめに

一九四六︵昭和二一︶年一〇月二一日﹁改正農地調整法﹂︵法律第四二号︶

︑ ﹁

作農創設特別措置法﹂︵法律第四三号︶が公布され︑第二次農地改革が実施さ

れることとなった︒同年一一月六日︑法律の運用のため農林省に農政局農地

部︑六つの農地事務局︑各都道府県に農地部が設けられ︑人事が発令された︒

一一月二一日﹁改正農地調整法施行令﹂︵勅令第五五六号︶︑二二日﹁改正農地

調整法施行規則﹂︵農林省令第六八号︶が公布され︑農地改革の実行機関であ

る農地委員会を備える法制上の準備が整い

︶1

︑一二月二〇日から二八日にかけ

て第一回市町村農地委員会委員の選挙が実施された︒一二月二八日﹁自作農

創設特別措置法施行令﹂︵勅令第六二一号︶︑﹁自作農創設特別措置法施行規則﹂

︵農林大蔵省令第一号︶が公布され︑二九日から施行された︒

日本における農地改革は︑公選による小作農五人・地主三人・自作農二人

を基本に構成される市町村農地委員会によって︑実際の農地買収・売渡が実

行された︒市町村農地委員会は法令・通達等が実際に適用される場であり︑

農地委員会の能力によって農地改革の成否が決定した︒農地改革に関する法

令は難解であり︑必要に迫られてなされた度々の改正により︑法令は複雑な

ものとなっていった︒法令解釈の統一︑事務の遂行は重要な課題であり︑農

林省はパンフレットやリーフレット等を配布し︑一九四七年六月一五日以降

は︑政令・通達・解説・訴願裁決の事例・報告・雑録・質疑応答・参考法令・

日誌・統計等を掲載した﹃農地改革資料﹄を︑月に一〜四回程発行し︑市町 村農地委員会へ送付し︑法令・通達・重要事項の速達徹底と周知をはかった︒

農地改革に関する啓蒙活動は︑有志団体によっても行われた︒一九四六年

一〇月二八日に設立された農地改革協議会は︑農民大会の開催︑新協劇団の

派遣︑講演会等を行い︑農地委員・書記の教育に力を注いだ︒中でも﹃農地

改革ニュース﹄の発行は︑農林省が﹃農地改革資料﹄による伝達方法を持っ

ていない一九四七年五月まで︑法令の伝達手段ともなり︑農地委員・専任書

記へ農地改革について啓蒙する役割を担った︒

従来︑農地改革に関する研究は︑農地改革実施時期から︑農地改革をいか

に規定するかという問題意識が持たれ︑一九七〇年以降は政策決定過程や各

府県の農地改革の実施過程が明らかにされてきた︒これらの研究において

は︑農地改革に対する政策上の評価が急がれたため︑農地所有面積の変化︑

貸付地の減少割合︑地域的差異︑農民運動等に関心が置かれた

︶2

︒こうした中

で近年︑福田勇助氏

︶3

は︑市町村農地委員会を取り上げ︑市町村で活動した農

地委員会があったために農地改革の短期実行が可能であったことを明らかに

した︒では︑農地改革実施過程で起きた問題はどのように提起されていった

のか︒これまで︑当時者たちにとって農地改革の持つ意味については十分に

は検討されてこなかった︒

﹃農地改革ニュース﹄は︑農地改革実施と同時代に発行され︑農地改革に

関わる当事者たちに起きている問題を提起し︑農地改革への関心を喚起する

ものでもあった︒﹃農地改革ニュース﹄からは︑農地改革が当事者たちにとっ

てどのようなものであったか︑問題と関心を知ることができる︒これまで﹃農

﹃農地改革ニュース﹄からみる農地改革

森  田  貴 

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 5

 Abstract 

(2)

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 5

地改革ニュース﹄については︑﹃農地改革資料集成﹄に第一巻第一号の一部

と第一〇号までの主要な目録が掲載され︑紹介されるにとどまっていた︒

本稿は︑﹃農地改革ニュース﹄第一巻第一号︵一九四七年一月一日︶から第二

六号︵一九四七年一二月一日︶までを取り上げ︑当時の農地改革にかかわる当

事者たちの関心と︑どのような見解があったのか︑検討することを目的とす

る︒﹃農地改革ニュース﹄は︑管見の限り第一巻第一号から第四二号︵一九四

八年八月一日︶までが存在する

︶4

︒第一回農地買収︵一九四七年三月三一日買収期日︶

では不在地主の農地買収が行われ︑第二回︵同年七月二日︶も不在地主及び大

地主の小作地の農地買収が行われた︒第三回︵同年一〇月二日︶には在村地主

の農地買収が実施され︑第四回︵同年一二月二日︶は︑最大面積の買収が行わ

れ︑予定面積に達する県もあらわれた

︶5

︒第八回︵一九四八年一〇月二日︶以降︑

中央からの指導がなくなり︑第一九回買収は一九五一年七月一日であった︒

﹃農地改革ニュース﹄は︑第四回買収後に発行した第二七号︵一九四七年一二

月一五日︶で﹁既に農地改革の宣伝方針は一般的段階から個別的段階に入っ

︶6

﹂と︑農地改革宣伝の方針が変化したことを述べている︒第四回買収を境

に農地改革の状況が変わり︑﹃農地改革ニュース﹄発行の目的も初期の活動

とは異なってくることから︑第四回買収期日と同じ発行日である﹃農地改革

ニュース﹄第二六号を区切りとした︒

一  ﹃農地改革ニュース The Land Reform News ﹄

農地改革協議会は︑一九四六年一〇月二八日︑﹁第二次農地改革の趣旨の

徹底を図る﹂とともに﹁観察研究し農業の民主化・農業生産力の増進に寄

︶7

﹂するため︑﹁農地改革に志を同じくするもの相集り

︶8

﹂設立された︒

発起人は︑近藤康男︵東京帝国大学農学部教授︶︑磯辺秀俊︵東京帝国大学農学

部教授・宇都宮高等農林学校教授︶︑古島敏雄︵東京帝国大学農学部講師︶︑大西俊夫

︵日本農民組合書記長︶︑岡田宗司︑田辺勝正︵後に︑農林省農政局農地部長︶︑上松

憲一︵後に︑農林省農政局農地課長︶︑斎藤誠︑大和田啓氣︵農林省事務官︶︑東浦

庄治︵全国農業会副会長︶︑小池謙一︑勝間田清一︑川村和嘉治︑古瀬伝蔵︑平

尾卯一郎︑松角久三郎︑塩田定一の一七名であった

︶9

︒農地改革協議会は︑研 究者・農林省官僚・全国農業会・日本農民組合幹部等の有志によって組織され︑事務局は︑東京農地事務局と同じ麹町区丸ノ内三丁目一番地に置かれた︒

農地改革協議会は活動の目的を﹁第二次農地改革の趣旨の徹底

︶10

﹂と農地委

員会の啓蒙においた︒活動は広範にわたり︑一九四六年一二月には﹁農地改

革農民大会を浦和︵四日︶︑京都︵八日︶︑別府︵一二日︶︑新潟︵一三日︶︑仙台︑

琴平︵一五日

︶11

﹂で開催し︑推進班を派遣し︑新聞記者等によって﹁村の末端

に至って農地改革の輿論を起﹂すことにつとめた︒また︑﹁新協劇団﹂を四

国に派遣し和田勝一作﹁旧円﹂を上演し︑九州には農地改革をテーマとした

人形劇﹁大きな大根﹂の指導員を派遣し︑東京では農地改革芸能大会を開い

た︒前農林大臣和田博雄による講演会を各地で開催し︑宇都宮高等農林学

校・京都大学・鳥取農林専門学校等では講習会を開いた︒さらに農地改革協

議会は農地委員の教育に尽力し︑農地委員協議会を各地で開き︑﹁唯一の農

地改革専門紙である﹂﹃農地改革ニュース﹄を発行した︒また研究調査とし

て﹁香川の甘土権︑富山︑新潟の慣行小作権﹂や﹁未墾地解放を中心とする

山林利用慣行の調査﹂し︑﹃慣行小作権とその賠償問題﹄︵大槻正男桑原正信︑

一九四七年︶等を発行した︒農地委員や一般への啓蒙書として︑﹃第二次農地

改革の話﹄︵中野和仁・中江淳一一九四七年︶︑﹃農地委員の友へ﹄一︑

九四七年︶︑﹃慣行小作権をどう処理するか﹄︵農地改革協議会編︑一九四七年︶

︑ ﹃

業協同組合の進路﹄︵和田博雄・近藤康男・辻誠・井上晴丸・野村千秋・稲村順三

一九四七年︶︑﹃農地委員会は何をするか﹄︵大和田啓氣︑一九四七年︶︑﹃未墾地解

放について﹄︵所秀雄︑一九四七年︶︑﹃農地証券を中心に﹄︵横尾正之︑一九四七年︶

﹃農地改革と協同組合﹄︵辻誠一九四七年︶︑﹃土地を農民へ﹄︑﹃農地改革早わ

かり﹄︵英文︶︑﹃農地改革人形劇﹁大きな大根﹂﹄︵齋田喬山口晋平︑一九四七年︶

等を発行した︒その他︑農地相談所を開き︑農地委員及書記用のバッヂを販

売し︑委員の誇りと自覚を促し﹁鹿児島県では之がため偽委員の害を防い

︶12

﹂という︒

﹃農地改革ニュース﹄は﹁農地委員及び専任書記﹂のために︑農地委員や

専任書記が﹁よく農地改革の趣旨を飲みこみ︑出てくる問題をどう対処して

行くかのよき相談相手ともなる

︶13

﹂ことを目的として発行された︒

(3)

﹃農地改革ニュース﹄からみる農地改革 編集兼発行人の塩田定一

︶14

は︑東京帝国大学卒業後︑農林省へ入省し︑長野

県・山形県・山梨県の小作官をつとめた︒この間︑長野県の桑の葉の差し押

さえ︑山葵畑の水利権︑木曽馬の小作慣行︑諏訪郡の末子相続︑山形県の農

家の長子相続制︑飛島の調査︑山梨県の親分子分等の調査研究を行った︒そ

の後︑東京帝国大学教授那須皓とともに中国へ渡り農地問題の研究を進め︑

帰国後︑農地改革協議会を起した︒塩田によれば﹁農地委員会がいつかは官

僚に代って主体となる日のある事

︶15

﹂を期待し﹁農地委員会に対する教育に全

力を挙げ﹂たという︒

﹃農地改革ニュース﹄は月二回発行され︑一か月五円︑B

5版八頁からなる︑

活字印刷の新聞であった︒第一四号︵一九四七年六月一日︶から一か月八円︑

第二二号︵一九四七年九月一五日︶以降は︑四頁の謄写版印刷となった︒第四

〇号︵一九四八年七月一日︶から一か月一六円︑第四二号︵一九四八年八月一日︶

は一か月八円となった︒発行部数は不明であるが︑当初は一回二〇万部の発

行予定であった

︶16

︒しかし一九四七年二月には﹁最近用紙飢饉甚だしく﹁農地

改革ニュース﹂の発行部数も制限されざるを得ない状態であります

︶17

﹂とある

ことから︑戦後の紙不足により発行部数は制約されたと推測される︒

﹃農地改革ニュース﹄は農林省関係者と接点を持っているため︑比較的正

確な情報を迅速に得られ︑農林大臣和田博雄や農林省事務官の講演や見解を

掲載することができた︒それと同時に︑独立した機関であるため︑農林省の

政策にとらわれることなく記事を掲載することができた︒

二  ﹃農地改革ニュース﹄の啓蒙記事

﹃農地改革ニュース﹄の構成は︑概ね︑一頁に社説にあたる﹁主張﹂が掲

載され︑二頁以降に特集︑その他の記事が組まれている︒

﹃農地改革ニュース﹄の一番の目的は︑農地改革の理念を知らせ︑法令や

手続き方法を周知させることであった︒第一号の巻頭には︑農林大臣和田博

雄の﹁農地改革の意義と農民の覚悟﹂が掲載され︑四頁には︑連合国軍最高

司令官総司令部GHQ/SCAP 天然資源局のラデジンスキーW. I. Ladejinskyの講演要旨が﹁農地改革への期待﹂として掲載された︒ 農地改革に関する法令については﹁農地改革についての通達﹂︵第一号︶や︑

﹃農地改革資料﹄の抜粋︵第一〇号︑第一一号︑第一二・一三号︶等︑法令を知ら

せる項目がたてられた︒また︑農地委員や専任書記からの質問への回答形式

による﹁農改問答﹂︵第一号︶︑﹁農地相談﹂︵第三号︑第四号︶︑﹁質疑応答﹂︵第

一六号︶等があった︒農林省事務官大和田啓氣は︑第一号から第一四号まで

に七回に分けて﹁農地改革の手引﹂︵一︶︵七︶を連載し︑﹁農地改革のあ

らまし﹂︵第一号︶︑﹁委員会の議事方法﹂︵第二号︶︑﹁農地の買収﹂︵第三号︑第五

六号︶︑﹁最初の農地買収﹂﹁財産税の物納と農地の買収計画﹂︵第七号︶

︑ ﹁

作地の保有限度はきまった﹂﹁耕地整理施行地区の農地買収について﹂︵第一

一号︶︑﹁慣行小作権の処理﹂︵第一四号︶と︑﹁改正農地調整法﹂や﹁自作農創

設特別措置法﹂と関連法令について︑わかりやすく解説した︒

第四号︵一九四七年二月一五日︶には見開きで﹁農地改革早わかり﹂の特集

が組まれている︒内容は﹁農地改革はなぜ行はれるか/誰れが農地改革を実

行するか/何んな農地が買いとられるか/一町歩とか三町歩とかの面積はど

こでも同じか/地主名義人が違っておればめいめい一町歩残せるか/地主に

残す一町歩は地主がきめるのですか/農地のねだんはいくらか/誰れが農地

を買えるか/在村地主に一町歩を残すため農地を買える小作人と買えぬ小作

人とができて不公平ではないか/地主の在不在の別や自作地小作地の別など

はいつの状態できめるか/農地を買ふには代金を一度に払はねばならぬか/

若し将来農産物のねだんが下落したらどうなるか/地主に対する代金や報償

金は現金で支払われますか/地主はかってに小作地の引上げができるか/小

作条件は今までよりよくなるか/小作料は生産額の二割五分まで引上げても

よいといふ人があるが本当か/農地の売買は自由にできね ︵ママ︶か/小作地の又貸

しや新しく小作に出すのはどうか/自分の農地をつぶすのにも制限があるか

/こんどの農地改革で自作地となった農地については︑そのほかになお特別

の制限があるか﹂という︑地主・小作農の具体的な関心に合わせた説明と

なっている︒

農林省農政局農地部は﹁自作農創設特別措置法及び改正農地調整法の要点

をわかりやすく説明し︑同時に農民を激励して農地改革を農民の手で完全に

(4)

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 5

遂行するために全農家に配布することを意図して

︶18

﹂﹁農地改革早わかり﹂を︑

第一回は一九四七年五・六月︑七〇万部︑第二回は一九四七年八月︑五三〇

万部を刊行し︑配布した︒﹃農地改革ニュース﹄版と農林省版の﹁農地改革

早わかり﹂の内容は︑項目・説明文はほとんど同じである︒

﹃農地改革ニュース﹄版と農林省版で異なっている点は︑﹃農地改革ニュー

ス﹄版の﹁地主名義人が違っておればめいめい一町歩残せるか︵説明︶同じ

家に住んでいる家族の分を全部あわせて村内に一町歩︵平均︶までしかもて

ません︒﹂﹁在村地主に一町歩を残すため農地を買える小作人と買えぬ小作人

とができて不公平ではないか︵説明︶そのようなことにならぬよう︑農地委

員会は計画をたてなければなりません︒その為に必要なときは国家が買い

とった土地と地主に残された土地とを交換させたり︑小作人の耕作権を交換

させたりすることができます﹂が︑農林省版ではなくなっている点である︒

名義人が違えばよいか︑という質問は地主に農地改革の抜け道を示す可能性

もあった︒中小地主についている小作農の場合︑解放される小作地の面積が

少ないことから︑農地を買える小作農と買えない小作農がでてくるのではな

いか︑という疑問は︑中小地主が多い日本の土地所有から生じる小作農の不

安であった︒

﹃農地改革ニュース﹄版﹁農地改革早わかり﹂は︑農林省版の参考となり︑

農民の混乱と不安を刺激する項目をなくし︑農林省版として作成され︑配布

された︑と推測される︒

三  ﹃農地改革ニュース﹄の見解

1︶専任書記の待遇改善 ﹃農地改革ニュース﹄は︑農地改革の進展にともないあらわれてきた問題

について︑主張・現地レポート・調査報告等で見解を掲載した︒﹃農地改革

ニュース﹄が問題提起した一つに︑専任書記の待遇改善がある︒農地委員会

のもとで︑実際に土地台帳の整備︑地籍の整備を行ったのが専任書記であっ

た︒  福島県農地改革模範指定村とされた福島市鎌田町地区農地委員会会長とし て農地改革にあたった秦賢助は︑地主・小作農の中庸にたって対処しながら農地改革を進め︑第一期買収を福島県内では二番目に終了した

︶19

︒秦は農地改

革を始めるにあたり﹁農地委員会にとつて︑もつとも大切なものは︑専任書

記である︒農民組合としては︑この専任書記について︑早くから気を揉んで

ゐた

︶20

﹂という︒

従来︑専任書記については﹁書記群の中には進歩的な希望に燃えた青年が

多く︑法令や実務の研究会や各委員会間の連絡会等が自発的に開かれるよう

にな

︶21

﹂ったと評価されている︒専任書記の学歴

︶22

は︑専任書記三万六二〇三人

中︑大学卒四〇七人︵一・一︑専門学校卒一一六一人︵三・二︑甲種中

等卒一万五四三二人︵四二︑乙種中等卒四八六一人︵一三︑高

等小学校卒一万三〇三四人︵三六︑小学校卒一三〇八人

と︑﹁当

時の農村では比較的高い知的階層の人々が就任して

︶23

﹂いた︒第

1表は︑専任

書記とその内の疎開・復員・外地引揚者数である︒地域差はあるが約二〇・

三%の専任書記は︑疎開・復員・外地引揚者であった︒

秦によれば﹁政府の方針としては︑何でもかんでも︑封建性を破れといふ

ことから︑専任書記は︑官公吏の古手を排するようにとの話も聞いてゐた

︶24

といい︑農地改革が村の旧習に従って行われることを避けるため︑旧地方官

吏を排除する指示があったことがうかがわれる︒第二次農地改革立案当時︑

農林省農政局農政課長であった東畑四郎は﹁農地委員会事務局︑これが市町

村で実際に仕事をやるわけですから︑これなんかもたいへんなスタッフを必

要とするようになったわけですね︒たまたま満州︑朝鮮︑台湾からそうとう

の人が引き揚げましたね︒これで助かりました

︶25

﹂と述べている︒人数と事務

能力が必要とされた専任書記に︑植民地からの引揚者が採用されたと推測さ

れる︒  専任書記は確保されたが︑その待遇の決定は順調なものではなかった︒﹁改

正農地調整法施行令﹂︵一九四六年勅令第三八号︶は︑﹁市町村農地委員会必要

アリト認ムルトキハ書記ヲ置クコトヲ得︑書記ハ会長ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従

事ス﹂︵第三三条︶と規定したが︑﹁書記﹂の法的身分や﹁定員や資格等につ

いては何等規定されて

︶26

﹂おらず︑給与等の待遇についても規定はなかった︒

(5)

﹃農地改革ニュース﹄からみる農地改革 一九四七年二月五日に﹃農地改革ニュース﹄は﹁農地委員会の専任書記の希望が少ないといふ︒委員会活動に専任書記の立場は最も重大だ︒いゝかげんな書記を選任するな︒耕作農民本位の書記を任命せよ︒さもなければ悔をのこすことになるだろう

︶27

﹂と︑書記の希望者が少ない事を指摘している︒

農地改革初期の一九四七年五月頃までは︑農地委員の待遇の悪さが問題と

されていた︒同年四月二五日には﹁農地委員は名誉職に祭りあげられて経済

的に報いられるところが極めて薄い⁝⁝この点では専任書記についても亦同

様である︒市町村農地委員の大部分は直接耕作に従事する耕作農民であり︑

農繁期を迎へて彼らが払う犠牲は決して少くないのである︒ことに小作代表

委員の犠牲は並大抵ではないと思はれる

︶28

﹂と︑農地委員が名誉職とされ︑給

与が少なく︑特に小作側を代表して選出された農地委員は耕作にも従事しな

くてはならないことが指摘されている︒実際に︑農地委員の給与は﹁専任書

記の手当が月平均五八四円︑兼任書記三三四円︑農地委員三五〇円﹂と

︶29

︑専

任書記と比較しても少ないものであった︒市町村農地委員会の経費は市町村

が負担することとなっていたため︑農地委員や書記の手当の財源はどうする のか︑という問題が起こり︑そのような中から︑農地委員会の経費は府県または国庫から支出すべきだ︑という意見も上がってきた︒

農村役場内は地主層の集合で村長然り︑助役然り︑収入役亦地主であり︑

書記に至るまで地主的である︒斯くした空気の中で農委の立場を御熟考

下され度い︒活発なる事業遂行を望まぬものばかりの中で事業をなして

行かねばならぬ書記の負担は重いのであります︒解決は経費の負担は︑

すべて府県負担︑或は国庫とする事に依り幾分和ぐと存じます︒次に︑

書記の給料手当は国家機関である農委の書記がなぜ国庫から給料が出な

いか重圧に耐えて行く書記の実情を考慮され度い

︶30

農地改革が進められていく中で︑次第に︑専任書記の仕事が重要なもので

あると同時に︑多大な仕事量であることがわかってくると︑専任書記の待遇

改善が取り上げられるようになった︒

大分県では﹁一番大切な仕事を引き受けている専任書記の給与が⁝⁝月願 ︵ママ︶

第1表 専任書記と疎開・復員・外地引揚者数

(人)

専任書記 内、疎開・復員・

外地引揚者 (%)

北海道 979 212 21.7 青森 529 119 22.5 岩手 631 100 15.8 宮城 602 191 31.7 秋田 737 205 27.8 山形 709 135 19.0

福島 1,152 226 19.6

茨城 1,074 292 27.2

栃木 583 148 25.4 群馬 683 124 18.2

埼玉 1,175 169 14.4

千葉 1,039 218 21.0

東京 322 29 9.0

神奈川 423 41 9.7

新潟 1,163 260 22.4

富山 792 148 18.7 石川 462 137 29.7 福井 442 91 20.6 山梨 611 114 18.7

長野 1,124

岐阜 999 124 12.4 静岡 885 154 17.4

愛知 776 46 5.9

三重 621 93 15.0 滋賀 510 70 13.7 京都 615 82 13.3

大阪 546 6 1.1

兵庫 1,167 92 7.9

奈良 347 33 9.5

和歌山 434 66 15.2 鳥取 525 75 14.3 島根 812 153 18.8 岡山 961 191 19.9

広島 1,034 249 24.1

山口 624 122 19.6 徳島 327 83 25.4 香川 538 130 24.2 愛媛 768 171 22.3 高知 502 74 14.7 福岡 947 218 23.0 佐賀 357 161 45.1 長崎 416 195 46.9 熊本 958 452 47.2 大分 698 240 34.4 宮崎 353 121 34.3 鹿児島 510 221 43.3

合計 32,462 6,581 20.3

出典:「市町村農地委員会の書記に関する調査概要」『農地 情報』A−M、農林省農地課、19497月、18-19頁。

注:疎開・復員・外地引揚者の合計6,538を修正した。

(6)

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 5

五百円以下が七五%を占めています

︶31

﹂との記事が載せられ︑専任書記一人当

の給与は月額平均四四三円であると︑報告されている︒高知県においても︑

おおよそ事情は同じであり︑専任書記給料︵諸手当を含む︶は一人平均七七八

︶32

とされている︒東京農地事務局においても︑専任書記の手当を課題として

いた︒

特に問題となるのは書記であって

︑各県共優秀な書記が待遇改善をせ

まって︑容れられず辞職する傾向が顕著である︒農地改革に対して大な

る熱意と感激とを以て出発した書記が︑僅かな俸給で自己の生活を賄い

切れず︑又色々な意味で村民から色目を以てみられるので兎もすると農

地改革えの情熱を失いがちである︒物質的にも精神的にも恵まれない書

記を救う事が肝要であるという事が︑各人の痛感せるところであった

︶33

一九四七年九月一五日の﹃農地改革ニュース﹄に掲載された﹁農地委員︑

専任書記待遇調べ

︶34

﹂によれば︑福井県では︑市町村農地委員会専任書記一人

一か月︑俸給四八〇円︑家族手当一六〇円で合計六四〇円である︒県農地委

員会専任書記は一人一か月︑俸給三〇〇円︑加給五四〇円︑家族手当三〇〇

円で合計一一四〇円とされている︒岐阜県では︑県農地委員会書記は︑年平

均一万六一〇四円︑県吏員は年平均一万八八四〇円であり︑﹁県吏員と比較

して悪し﹂とされ︑﹁悪待遇と身分保障なき為か﹂︑辞任書記数四八人︑辞表

提出中の書記数は専任︑兼任を含めて九三人︑委員数は一二人と報告されて

いる︒市町村農地委員会専任書記は農地改革の終了と共に任期終了となるた

め︑生活は不安定であった︒﹁専任書記によっては農地改革は相当ゴマカシ

も出来るのが実情である

︶35

﹂と専任書記の給与が少ないと職務遂行に不正が生

じる可能性があることも指摘されるようになった︒このような専任書記︑農

地委員の経費不足について︑福岡県糟屋郡新宮村農地委員会専任書記香川猪

八は︑次のように述べている︒

農地改革の根本の運営をなすのは市町村農地委員会であり︑其の実務を 施行するのは会長並に専任書記である︒特に専任︵主任︶書記の人選如

何は重大な問題である︒⁝⁝農地改革の成否如何は実に町村農地委員会

の運営如何にあると言う事は耳に凧 ︵ママ︶の出来る程承っているが︑之に対し

て国家としての処置は如何に一銭の経費捻出の財源すら与えられない委

員会に対して︑採るにたりない県費補助金を与え︑監督権もない町村長

に会計権を与えてある関係上会長及専任書記の苦心は筆舌に表し難き困

苦に耐え︑農村民主化に挺身して居る実状にある︒国家としては︑掛声

は抜きにして速に国庫の補助を増額し委員会を独立会計にすべきだ︒現

在町村役場内の一部を事務所として居り︑会計を町村長が持って居る関

係上書記の待遇は勤続年限に縛られて役場吏員の最下級にあり運営資金

の要求も︑予算僅少を理由に収入役に押えられ︑全く一枚の紙も思うに

任せない実状にあり︑全く役場の﹁ママコ﹂扱いにされている委員会は

到る処にあると思う︒⁝⁝地位の安定なくして増産が出来ないと共に生

活の保証 ︵ママ︶安定なくして︑完全なる運営は出来ないと断言すると共に専任 書記の生活不安のすきに乗じて重大なる不詳 ︵ママ︶事が起り侮 ︵ママ︶を千歳に残す恐

れある事を案ずるものである

︶36

経費の支出権限が市町村にあり市町村農地委員会にはないため︑職務遂行

に支障が出ていること︑重要な仕事であるわりには給与が少ないことが指摘

されている︒市町村農地委員会専任書記は書記としての勤続年数が少ないこ

ともあり︑結果的に県の地方官吏よりも少ない給与となっていた︒

一九四七年九月に開催された﹁全国農地委員会大会﹂の決議事項には﹁市 町村︑都道府県農地地 ︵ママ︶委員会経費の増額と全額国庫負担﹂﹁専任書記の待遇 改善と身分保証 ︵ママ︶﹂が盛り込まれた

︶37

︒先の﹁農地委員︑専任書記待遇調べ﹂は︑

専任書記︑農地委員の﹁経費僅少は如何なる影響を与えたか﹂︑次のように

まとめている︒

1.委員の活動を実際上に於て不活発ならしめた 2.委員会の会議の開催を極力少なくした

(7)

﹃農地改革ニュース﹄からみる農地改革

3.市町村との関係間に円満を欠き事業の進捗を阻害した 4.金品等を徴収して経費の補充を計らしめた 5.委員又は書記の異動を余儀なくした 6.農地の実地調査等を省略するの余儀なき結果を来たさしめた

︶38

このような状況に農林省は︑一九四七年一〇月二〇日︑書記の待遇は﹁官

公職員に準ずる﹂︵農局第二三四八号農政局長通達︶と規定し

︶39

︑﹁官公吏の給与基

準の第一段階は昭和二十一年半ば過ぎに定められた一六〇〇円ベース﹂とし

た︒さらに第四回買収終了後の一九四七年一二月一九日︑農林省農政局長か

ら都道府県知事・農地事務局長へ宛て︑﹁市町村農地委員会書記の待遇に関

する件﹂︵農局第三〇〇五号

︶40

が通達された︒市町村農地委員会書記の﹁待遇

については農林省の見解が末端まで滲 ︵ママ︶透していない点もある﹂とし︑﹁一︑

書記の待遇改善については本年四月に遡り官公職員の給与に準じた額を支給

する︒これに必要な予算は本日農林省より各都道府県え令達されたから︑都

道府県に於ては即刻市町村え交付﹂すること︒﹁二︑書記の給与は一人当た

り月額一五三二円︵六月迄一六〇〇円七月以降一八〇〇円基準に相当する市町村の平

均額︶が交付されているので予算の範囲内で相当の給与を支給すべきであり︑

今迄不当に俸給の低かった者については遡って昇給させる等︑給与の凹凸を

是正﹂すること︒﹁三︑官公職員に支給される一時手当及び寒冷地手当につ

いては同額を書記に給与する︒これに必要な経費は第二回通常国会に予算を

提出する﹂と通達した︒

ようやく︑専任書記給与の支払い基準が通達され︑書記の生活の安定に対

する措置がとられ︑﹁予算上の給与ベースは一般官公吏に比しても︑決して

劣るものではな

︶41

﹂くなった︒しかし実際には︑一九四八年一月二四日の秋田

県四ツ小座村では︑﹁専任書記︑榎有一︑家計困難につき辞意表明す︒本人

は母一人︵四十三︶妹一人︵二十︶の三人家族なるが月俸千壱百円にして生活

支へられずとして転業する予定なり

︶42

︒﹂と報道され︑専任書記の給与はいま

だ十分には支払われていなかった︒

2︶中小地主と自作農・小作農 ﹃農地改革ニュース﹄が問題提起した二つめに︑中小地主の問題がある︒

2表は︑一九四七年八月一日現在の農家総数と貸付地を所有する農家数︑

貸付面積を示したもので︑農地改革以前の農地の所有・貸付状況をうかがう

ことができる︒注意しなければならない点は︑一九四七年八月一日現在とい

う調査日であり﹁戦前戦後の動態を含み︑且直接間接に農地改革の影響を受

けていることである

︶43

﹂ ︒

2表から︑全国の二二・三%の農家が土地を貸し付けており︑貸付地を

所有する農家の四七万三六九〇戸︵三五・九七は二反未満の農地を貸し付

けている︒東山・東海・近畿・中国・四国・九州では一戸当たり平均貸付面

積は五・五七〜六・九六反と小規模な貸し付けを行っている中小地主が多い

ことがわかる︒北海道や東北の一部の大地主を除き︑全国的に中小地主が多

い理由の一つとして︑戦前の小作料は高率であったため︑土地を得た農民は︑

その土地を自分で耕作するよりも︑他人へ貸し付けて小作料を取得する方が

有利であった︒そのため︑土地所有がある程度を超えれば︑小規模でも土地

を貸し付ける中小地主が多くなっていた︒

しかし︑第二次世界大戦中の﹁小作料統制令﹂︵一九三九年勅令第八二三号︶

により小作料が引き下げられ︑引き上げは禁止され︑一九四二年から開始し

た供出制度によって小作料は事実上代金納となっていた︒地主米価の引き下

げによって小作料率は低下し︑地主が﹁闇小作料﹂を設定しても収取しうる

ものは制限され

︶44

︑土地を貸し付けることの意味は小さくなっていた︒

従来の研究では︑中小地主については︑農地改革による小作地の減少と地

域的な特質に関心が向けられてきた

︶45

︒一九四五年一二月九日のGHQ覚書に

﹁小作人であった者が再び小作人に転落しないための合理的保護の規定

︶46

﹂と

の条件が含まれていたことが示すように︑GHQや農林省の関心は︑農地改

革によって自作農となった農民が再び小作農へ転落することを防ぐ点にあっ

た︒  一方で﹃農地改革ニュース﹄では︑自作農となった農民の維持の問題とは

別に︑中小地主に関する問題を提起した︒﹁農地改革の現状を語る

︶47

﹂と題し

(8)

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 5

た︑一九四七年三月二八日

に行われた︑久保仙台農地

事務局長・佐野京都農地事

務局長・木村金沢農地事務

局長・重政岡山農地事務局

長・桧垣熊本事務局事務官

による座談会では

︑﹁

小地

主には対策が必要﹂である

ことが議題にのぼった︒重

︵岡山︶

﹁中国と四国

地方には小地主が非常に多

いので︑小作地の八割を解

放すると云っても︑岡山事

務局管内ではその解放の割

合は可なり小さくなる外な

いと思う︒ところでこの農

地改革によって中小地主の

受ける打撃は深刻なものが

あります︒然るにこれに対

し政府はどんな政治方針を

とろうとするのかよくわか

らないので︑中小地主の不

安は非常に大きい﹂

︒久保

︵仙台︶は﹁大体において大

地主は底力をもっている

が︑中小地主にはそれがな

いのだからたしかに放って

置けない問題だ︒土地は取 りあげる︑あとの面倒は見ずに自分達で考へろと云うのでは一寸困るのではないかと思う︒農地改革の目的は地主をいぢめることではないのだし︑地主特に中小地主は戦災者と同じような立場にあるのだから国家が別の観点から何とか考へてやるべきではないかと思う﹂︒松村︵熊本︶は﹁中小地主の問題

についてはよく考へなければならない問題で﹂あるという︒東京農地事務局

も﹁農地改革とは別に比較的多数存在する中︑小地主救済の問題を国として

は考えねばならぬのではなかろうか

︶48

﹂と︑問題視していた︒これらの意見か

らは︑農地改革が進行するにともない︑中小地主に対して何らかの対応や救

済をしなくてはならない︑という問題が現れてきたことがうかがわれる︒で

は︑中小地主の問題とは何であったのか︒

一九四七年六月一日の﹃農地改革ニュース﹄には﹁農地改革後の農村指導

者は誰か

︶49

﹂という︑岡山県吉備町の農地改革の状況を独自に調査した報告が

掲載されている︒調査部落は︑地主七戸・自作農八戸・小作農一〇戸の合計

二五戸の農家で構成され︑耕作総面積水田一七町六反︑畑地・山林・原野は

ない︒  3表は︑この部落の所有面積と耕作面積の順位である︒第

3表から︑所

有面積で一〇位までに地主は六名おり︑一位から四位は地主が占めている︒

仮に︑所有面積から自作面積を引いた面積を村内で貸し付けている面積とす

︵A│B︒﹁自作農特別措置法﹂により在村地主の所有する小作地は平均

一町を超える分が政府に買収されることになっていたから︑自作地に小作地

一町を足し︑小作地が一町以下の場合は︑貸付面積とするもの︵A│B

自作面積に足した︵C︒このCが︑農地改革後の農民のおおよその所有面

積と推定する︒これによれば︑農地改革前と比べ所有面積は一位から四位ま

での地主が減少し︑一位から六位までの順位も入れ替わり︑五位であった自

作農が一位となる︒

耕作面積による順位について見れば︑一〇位までに小作農が四名おり︑五

位までは自作農三名︑小作農二名が占め︑六・九・一〇位が地主となってい

る︒耕作面積から自作面積を引いたものを借り入れて耕作していると推測す

︒農地改革により︑自作地︑小作地とも所有と買い入れを認めら

第2表 農家総数と貸付地を所有する農家の貸付面積広狭別戸数(1947年8月1日現在)

総農家数

(戸)

貸付地を所有 する農家数

(戸)

2反未満

(戸)

2反〜5

(戸)

5反〜1

(戸)

1町〜2

(戸)

2町〜5

(戸)

5町以上

(戸)

貸付面積

(町)

1戸当たり 平均貸付面積

(反)

全 国 5,909,227 1,316,873 22.3 473,690 349,204 236,781 142,224 82,975 31,999 1,152,485.8 8.75

北海道 207,576 32,609 15.7 3,213 6,317 5,885 6,367 6,825 4,002 85,474.8 26.21

東北区 714,313 136,945 19.2 37,423 35,913 26,482 19,294 12,104 5,729 179,045.5 13.07 関東区 925,739 227,974 24.6 65,902 54,492 42,586 32,835 22,775 9,384 268,319.8 11.77 北陸区 448,682 105,515 23.5 34,904 25,936 19,778 13,518 7,943 3,436 117,019.7 11.09 東山区 442,332 106,175 24.0 43,050 29,078 18,433 9,195 4,918 1,501 71,245.3 6.71 東海区 532,971 126,328 23.7 52,219 34,761 22,073 11,165 4,979 1,131 73,546.0 5.82 近畿区 617,082 136,843 22.2 51,641 40,381 25,967 12,234 5,365 1,255 79,507.0 5.81 中国区 648,360 151,032 23.3 64,607 41,455 25,571 12,446 5,613 1,340 85,078.0 5.63

四国区 396,028 79,955 20.2 36,343 21,423 12,217 6,183 2,986 803 44,555.9 5.57

九州区 976,144 213,497 21.9 84,388 59,448 37,789 18,987 9,467 3,418 148,693.8 6.96 出典:農地改革記録委員会編『農地改革顛末概要』農政調査会、御茶の水書房、1977年、604606-611頁。

(9)

﹃農地改革ニュース﹄からみる農地改革 れ︑耕作面積が所有面積になったと仮定すれば︑部落内の順位は︑一位から五位までは自作農と小作農によって占められることになる︒第

3表は︑所有面積・

耕作面積のいずれからにせ

よ︑農地改革後には︑部落

の上位の地主が中位の地主

となり︑自作農・小作農が

新地主として上昇してくる

ことを示している︒

一九四七年三月六日に行

われた﹁第二次農地改革に

就いて

︶50

﹂と題する農地改革

協議会中央委員・前農林大

臣和田博雄と農地改革協議

会中央委員勝間田清一の対

談において

︑﹁自作農の保

有面積﹂について︑対日理

事会の英国案では自作農の

保有面積が制限されていた

のを︑和田博雄が制限を設

けないことにした理由を勝

間田が和田に尋ねている︒

和田は﹁自作農の技術や生産力の発展を阻害し度くなかったからだね︒手農

具を使ってゐた農民が蓄力農具を使ひ出す︒蓄力農具を使ってゐた農民が機

械力を使ひ出すと云った場合︑面積に制限があると︑経営の発展はなくなる

よ﹂と答えている︒ここからは︑和田が自作農に﹁独立性と自己発展性﹂を 与えるため︑自作農の土地に制限を設けないことを考えていたことがうかがわれる︒この結果﹁自作農特別措置法﹂は﹁自作農の場合には⁝⁝その農地を耕作するのに主として自家労力によつて耕作の義務が行はれてゐるものや︑農業経営も優秀でその農地の生産が高くこれを他の者に分割すれば却て農業生産が減少する惧のあるものは買収しませんが︑それ以外の場合には北海道では十二町歩︑都府県では平均三町歩を超える部分だけは国が買収することにな

︶51

﹂った︒そのため︑都府県では自作農は﹁自家労力﹂によって耕作

している場合は︑三町の上限を超えて所有することが認められることとなっ

た︒  農地改革による村内での地主と自作農・小作農の所有面積の逆転は他の村

でも起こるものであった︒先の秦賢助によれば福島県の﹁地主保有が︑自小

作合せて三町八反と決つ﹂た︒鎌田町の﹁一番大地主は自作一町二反歩であ

る︒これに︑小作保有地一町二反を合せて︑二町四反しか保有を許さない︒

最大に保有出来たものは五町歩︑これは昔からの自作地である︒次は三町八

反の保有者が一人︑即ち自作地三町五反︑小作保有地三反歩である︒あとは

自小作合せて三町歩を超えるものはゐない

︶52

﹂と回想している︒福島市鎌田町

において︑地主は小作地の一町二反を超える分は買収され︑最終的に二町四

反の地主となった︒一方︑五町の自作農はすべての所有を認められたため︑

五町の地主となり︑地主と自作農の所有面積の逆転が起きたことを示してい

る︒  村内・部落内での所有面積の逆転は︑先の﹁調査報告﹂記事の題名が﹁農

地改革後の農村指導者は誰か﹂であったことが示すように︑村内の構造の変

化をも意味した︒﹁調査報告﹂は︑﹁将来に対する期待﹂を含めたものだが︑

自作農となる﹁今日の小作農の責任は大なるもの

︶53

﹂であると︑意識の改革を

呼びかけた︒

秦は︑隣接村の農地委員会会長から﹁農地の改革によって︑農村の地主階

級といふものが没落したならば︑農村には利巧な指導者といふものがなく

なって︑農村文化はいよ〳〵貧弱なものになるのではなからうか

︶54

﹂という質

問をうけたという︒秦の答えは﹁成程地主階級といふものはなくなる︒然し︑

第3表 所有面積と耕作面積順位(岡山県吉備町) (反)

所有面積による順位 耕作面積による順位

階層 所有面積 A

自作面積

B AB B10又は

B+(ABC 階層

耕作面積 a

自作面積

b ab

1 地主 43.5 8.4 35.1 18.4 自作 14.8 12.0 2.8 2 地主 33.9 8.6 25.3 18.6 自作 12.2 12.2 0.0 3 地主 28.9 9.3 19.6 19.3 小作 11.8 5.3 6.5 4 地主 27.4 5.9 21.5 15.9 自作 10.8 10.8 0.0 5 自作 21.4 10.8 10.6 20.8 小作 10.1 0.0 10.1 6 自作 16.5 8.7 7.8 16.5 地主 9.3 9.3 0.0 7 自作 14.2 12.2 2.0 14.2 小作 9.1 2.1 7.0 8 地主 13.5 3.1 10.4 13.1 小作* 3.0 9.3 6.3 9 地主 11.9 5.1 6.8 11.9 地主 8.6 8.6 0.0 10 自作 10.3 7.4 2.9 10.3 地主 8.4 8.4 0.0 出典:『農地改革ニュース』第1巻第14号、194761日、2頁。

注:小作*の数値は資料のまま。

(10)

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 5

現在農村の指導的立場にある者は︑依然として︑農村の有識者としての地位

は保てる筈であると思ふ﹂というものであった︒

地主にとって︑土地所有面積は村内・部落内での地位と権力に比例するも

のであり︑村内の指導者という立場を作り上げていた︒その土地所有面積が

減少し︑かつての自作農・小作農と所有面積において逆転が起きた時︑村内

における地位と権力はかつてのままでいられるであろうか︑という中小地主

の不安と︑没落する中小地主への対策︑中小地主没落後の村内の運営が︑﹃農

地改革ニュース﹄が提起する中小地主の問題であった︒

3︶山林解放

農地改革においては︑田畑︑牧野︑未墾地は対象になったものの︑山林は

解放の対象とはならなかった︒そのため︑農地改革に関する議論においては

山林は取り上げられることがなかった︒農林省農政局農政課長であった東畑

四郎は︑なぜ農地改革から山林がはずれたのか︑という質問に対し︑林野行

政は立木が重視されており﹁個別森林所有者のデータすらな﹂く︑東畑個人

の見解として︑山林の所有の分散は林業の近代化から見ても妥当ではなく︑

山林は材木を生産する長期的経営のものであり︑小規模な山林地主は経営方

法にあわないこと︑むしろ国有か公有の方がふさわしいと考えること︑地主

制の内容が田畑とは異なること︑山林は山林局の管轄であり所管が異なるこ

と︑を理由として︑農林省農政局には山林解放の考えはなかったと述べてい

︶55

だが農林省の考えとは別に︑農地改革の実施時期に﹃農地改革ニュース﹄

では山林解放に関する記事が取り上げられていた︒では農地改革当時︑山林

解放の関心はどこにあったか︒農林省事務官桜井秀美は﹁山村における農地

改革の諸問題

︶56

﹂を掲載し︑長野県更級郡を例に山村における山林所有の重要

性を指摘している︒

4表は︑長野県更級郡の自作地と小作地の所有状況である︒平地村であ

る共和村・篠井村・東福寺村の耕作地に対する小作地の割合は田で五六・二

〜七七・八%を占めているのに対して︑山村である大岡村・信級村・日原村・ 牧郷村の耕地に対する小作地の割合は田で一〇

三〜四二

と少ない

5表は

︑地

主・自作農・小作農の戸数であ

る︒平地村の全戸数に対する小

自作と小作農の合計の割合が五

六〜六四・八%を占めるのに対

して︑山村は二五・八〜三六%

となっている︒このことは︑山

村では比較的小作地が少なく︑

小作農の数も少ないことを示し

ている︒そのため山村において

は﹁山林の所有関係は重要な意

義を持つ﹂という︒そして︑信

級村で最大の山林所有者は村内

の山林の四分の一を占める約七

〇町を所有し︑信田村で最大の

山林所有者は村内の五分の一を

占める約四〇〇町を所有しており︑山村における大土地所有者は山林所有者

であると指摘する︒

さらに﹁農地所有と山林所有の関連性

︶57

﹂は︑日本の全山林所有者の〇・二

八%である五〇町以上の山林所有者一万八一六七人が私有林の二二・二%を

所有していることを指摘する︒第

6表の石川県羽咋郡稗造村の事例は︑五〇

町歩以上の山林所有者が五〜一〇町以上の耕地を所有し︑五反未満の山林所

有者は耕地を所有しないか五反未満の耕地の所有者で九一・一%を占めてお

り﹁山林の大所有者は︑農地に於ても大所有者である﹂ことを示している︒

栃木県上都賀郡農地委員会会長は﹃農地改革ニュース﹄へ次のように寄稿

した︒ 第4表 自作地・小作地の割合(長野県更級郡)

自作地 小作地 小作地の割合 田(%) 畑(%)

山村

大岡 108 80 42.6 信級 26 159 3 18 10.3 10.2

日原 78 31 28.4

牧郷 350 105 23.1

農山村 信田 118 203 67 79 36.2 28.0 信里 119 200 51 61 30.0 23.4

平地村

共和 44 57 154 121 77.8 68.0 篠井 89 123 114 81 56.2 39.7

中津

東福寺 66 61 88 91 57.1 59.9 出典:『農地改革ニュース』第1巻第8号、1947325日、2頁。

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