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グリーンズと関わるようになって7年目となります

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Academic year: 2021

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『ありがとうございました 宇尾名誉会長』

35年間「等々力グリーンズ」を支え続けていただきありがとうございました。 宇尾名誉会長が残された功績は、少年野球チーム「等々力グリーンズ」に留まらず、数多くのボラ ンティア活動でのご活躍等においても、世田谷区は大きな財産を失ってしまったと言っても過言では ないと思います。 今からちょうど35年前産声を上げた「等々力グリーンズ」、世田谷区の中でもただ一人の女性監督 として指揮を取られ、盛夏にも厳冬にも子供たちが練習をしたいと言えば、いやな顔をすることなく バットを持ってノックをし、チームの基礎をきちんと作ってくださいました。今考えますと、その時 のご苦労は想像を絶するものがあった事と思います。しかし、その苦労話を私は一度も聞いたことが ありません。むしろ、楽しかった時の話や、子供たちへの愛情、父兄への労わりなど、いつも前向き で明日のことを考えていらっしゃいました。その気持ちは今でも監督・コーチ・父兄の方々の中に脈々 と続いていると確信しています。 私が最後に宇尾名誉会長とゆっくり話をしたのは、昨年の12月23日の忘年会の時でした。 その時、色々お話している時、突然に宇尾名誉会長は「来年35周年を迎えるに当たり、皆様に迷惑 がかかるから、そろそろ引退したいんだけど」とおっしゃいました。私は即座に「名誉会長は等々力 グリーンズの太陽ですから、そのような事を考えては困ります」とお答えしました。その時宇尾名誉 会長は大変に困ったような顔をされていましたが、すぐに「それじゃ足腰が立たなくなったら勘弁し てもらえるかしら」と言われ、また皆さんの話の輪の中に入っていかれました。その翌日24日に、 よもや交通事故に遭われるなどとは考えもしませんでした。 25日病院へお見舞いに伺った折も、右足を骨折したみたいだけどすぐ直るからと、事故の様子を 元気にお話され、私どもを安心させて下さいました。年も明け、手術も無事に終わり順調に回復なさ っていると聞き、安心した矢先に訃報に接し声も出ませんでした。 なんという運命のいたずらなのだろう、天を恨みしばらくの間茫然自失状態でした。 沢山の人を愛し、また沢山の人から愛され、沢山の事を教えてくださった宇尾名誉会長、本当にあ りがとうございました。そして等々力グリーンズの太陽は、我々をずっと照らし続けて下さる事を確 信しております。 『等々力グリーンズ』は、あなたの意思を受け継ぎこれからもしっかりと守っていきます。 ご心配なさらずゆっくりとお空の上から見ていてください。 平成18年1月 等々力グリーンズ 会長 岡 慎一郎

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等々力グリーンズ創部

35 周年記念文集

球魂

Part4

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目次

◆ご挨拶 創立35周年を迎えて − 名誉会長 宇尾 梅・・・・・・・・・・・・・・・ 『等々力グリーンズ』継続の35年 − 会長 岡 慎一郎・・・・・・・・・・ ◆等々力グリーンズの歩み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆平成17 年度役員 代表 宇田川 正博・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 相談役 伊藤 圭治・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 顧問(等々力小学校長)宮 裕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 総監督 安達 覚・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ヘッドコーチ 渡邉 正二・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 副会長 佐伯 千加子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 副会長 萬 久美子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチーム幹事 堀口 千保・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチーム幹事 栢木 早苗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチーム幹事 荒石 千栄子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームマネージャー 松永 哲代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームマネージャー 大越 敏子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチームマネージャー 藤木 貴子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆OB・監督・コーチ 前代表(世田谷区軟式野球連盟常任理事) 宇田川 武男・・・・・・・・・・・ 平成7 年度Aチーム監督 柴崎 孝夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平成9・10 年度Aチーム監督 小林 佳行・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平成11 年度Aチーム監督 坂井 浩文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆平成17 年度ACチームコーチ ACチームコーチ 足立 荘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ACチームコーチ 小菅 市雄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ACチームコーチ 駒木根 治子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆平成17 年度Aチーム 監督・コーチ Aチーム監督 伊沢 洋一・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチーム29 番コーチ 佐伯 裕志・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチーム28 番コーチ 松永 隆雄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームコーチ 佐伯 知行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームコーチ 馬場 俊長(OB 馬場峻平君)・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームコーチ 平田 柔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームコーチ 高城 勇人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aチームコーチ 堀口 浩・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆平成17 年度Cチーム 監督・コーチ Cチーム監督 小山 格・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチーム29 番コーチ 松井 秀樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチーム28 番コーチ 小川 智達・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチームコーチ 白石 実・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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Cチームコーチ 梶川 久司・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 34 35 36 37 38 47 63 65 69 76 Cチームコーチ 吉村 幸丞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチームコーチ

大坂 美樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Cチームコーチ 大渕 雅保・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Cチームコーチ 冨永 智・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆平成17 年度Aチーム選手・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆平成17 年度Cチーム選手・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆川崎憲次郎氏の野球教室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆神宮球場 野球課外授業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆選手意識調査アンケート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆等々力グリーンズ名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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◆ご 挨 拶◆

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「創立35周年を迎えて」

等々力グリーンズ名誉会長

宇尾 梅

夢の様に過ぎ去った35年!! 今、一つ一つの想い出が昨日の様に頭の中を駆け巡っております。 チームを作った時の事は、今迄にも申しましたので略させて頂きますが、無から始まり、大勢の方々 の暖かいご協力があってこそ35周年を迎える事が出来ました。監督、コーチ、お母様方の素晴らし い和によって運営され、自分の子が卒業してもグリーンズに残って子供の成長の為に努力して下さっ たお陰だと思っております。 私は35年間の歴史を見て参りました。 お父さん、お母さんは初めの中は、自分の子の行動のみに目を向けておられますが、一年たつと自 分の子のチームの事を考える様になり、何年かの中に、お父さん、お母さんが人間として成長してい く姿を私は感じて参りました。立派な指導者に鍛えられているグリーンズの子供達は、何て幸せなの だろうと常々思っております。きっと将来、お金では買えない立派な心と体が実を結ぶ事と確信致す と共に、子供達の幸せを心から祈ってやみません。待望だったグリーンズの卒業生の子供が、グリー ンズに入り親子二代となりました。又、卒業生が各方面で活躍している様子を誇りに思っております。 35年前の夏休みには殆ど毎日、運動場を子供と一緒に走り廻ったり、練習場を探したり致しまし た私も、年を重ね「年をとると、こんなに体が動けなくなる」とは夢にも思っておりませんでした。 高萩校長先生が生存して下さっていらしたらと残念に思っておりますが、その後の歴代の校長先生始 めPTAの皆様の暖かいご支援と、伊藤圭治監督始め歴代の監督、コーチ、お母様方の並々ならぬバ ックアップに対しまして、心から感謝申し上げます。 これからも、豊かな心と、強い精神力を持った、等々力グリーンズの子供たちの為に、御指導をよ ろしくお願い申し上げます。 (※)この文章は、平成17 年 10 月頃にご執筆頂いたものです。 1

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『等々力グリーンズ』継続の35年

等々力グリーンズ

会長 岡 愼一郎

今年創部35周年を迎えられる事は、大変嬉しい思いで一杯です。 長い年月を『等々力グリーンズ』のために支えてきていただきました、OBの方々ならびに現役の 皆様のお陰と感謝申し上げます。 選手達が、よくグランドで素晴らしい中継プレーをする事がありますが、『等々力グリーンズ』も、 毎年毎年後輩たちに団旗が引き継がれ、今、素晴らしい中継プレーで35周年を迎える事が出来まし た。 一口に35年と言いましても、創設当時に、等々力小学校の校庭を校長先生にお願いしてお借りし、 一人で1日中ノックバットを持って、選手たちに自らノックした世田谷区唯一の女性監督だった宇尾 梅名誉会長、そして玉川警察主催の「防犯大会」で見事に初優勝。さらに、会則やお揃いのユニフォ ームを作り、夏季合宿で寝食を共にし、今の等々力グリーンズの基礎を作っていただいた伊藤 圭治 相談役のご苦労は計り知れないものがあったと思います。 それから35年。思い出をたくさん首から掛けて卒部していった約2000名の選手や、日曜日ご とに北風の吹く冬の寒い時も、真夏の炎天下のグランドでも、熱心に選手たちを指導していただいた OBのコーチの皆様、もちろん今も沢山のコーチの方々には、朝早くから日が暮れるまで選手と一緒 に汗まみれになりご尽力いただいており、また大きな声でいつも選手たちを励ましてくださる応援団 の皆様のお力添えで、今迎える事が出来ました。 発足当時は、等々力小学校の生徒だけのチームで、一時は100名を越す大所帯の時もありました。 今では玉堤小学校や近隣の小学校の生徒も参加し、まさしく地域ぐるみの『等々力グリーンズ』に成 長しました。 1年生で入部してきた時は、満足にバットも振れず、ボールに遊ばれ、ユニホームが歩いているよ うな可愛い選手達が、2年3年と成長するにつれ、たくましくまた自信に満ちた表情になってきます。 そして、6年生で卒部していく時は満足感あふれた勇姿になってます。そんな子供達を見ていますと、 私たちがやってきた35年間は決して無駄ではなかったと思われてなりません。 地域の方々みんなが子供達のために、一つの目的に向かって行くと言うのは、なんと素晴らしい連 携プレーでしょう。 一つの目的、伊藤相談役が当時から唱えられている、等々力グリーンズ4つのモットーで『礼儀』 『協調性』『集中力』『忍耐』の育成です。 これからも、このモットーと団旗と共に『等々力グリーンズ』がいつまでも「地域に密着した」少 年野球チームであることを願ってやみません。

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等々力グリーンズの歩み

平成

17 年 12 月現在

1.グリーンズ結成の背景と活動の流れ

昭和47年6月、玉川警察署の小倉少年係長(当時)から「子供達の不良化防止のため少年野球ク ラブを作ってほしい」と宇尾さん(青少年委員)へ要請があり、「少年野球等々力チーム」が結成され る。初代Aチーム監督に宇尾さん、コーチは学校の先生方、玉川警察署の野球部の方々および深沢・ 尾山台のおまわりさん達のご協力により活動を開始する。 (1)昭和47年∼昭和51年 A・Bの2チーム編成で活動し、お父さんコーチが参加し、活動が定着するまでのグリーン ズ創世の時代である。 (2)昭和52年∼昭和56年 チーム名称を「等々力グリーンズ少年野球クラブ」に改めて、世田谷軟式野球連盟に加盟、 ユニフォーム作製、お母さん達の組織的協力が始まり、現在の体制が造られたグリーンズの成 長期である。 (3)昭和57年∼昭和61年 組織も安定し、世田谷区大会で準優勝するなど、グリーンズの発展期である。 (4)昭和62年∼平成3年 選手層も厚く、質実ともに恵まれた時期で世田谷区大会準優勝、東京都大会第3位になるな ど輝かしい記録を残したグリーンズ安定期である。 (5)平成4年∼平成8年 サッカー人気などで部員数が減少し、Aチーム(5年・6年)、Bチーム(1年∼4年)の2 チーム体制になったが、東京都大会新人戦で第3位、グリーンズ念願の世田谷区春季大会で初 優勝し、グリーンズの歴史に新たな一頁を拓いた。 (6)平成9年∼平成12年 等々力小学校以外の公立小、私立小、アメリカンスクールの子供達が加わり、本当の意味で この地域に根ざした等々力グリーンズとして再生した。 (7)平成13年∼平成17年 イチロー、松井秀喜などの日本人大リーガーの活躍で、野球人気に復活の兆しが見えてきた。 チーム関係者各位のご努力もあり、部員数を見てみると、平成13年=33名、平成14年= 41名、平成15年=41名、平成16年=43人、平成17年=52人、と増加傾向で推移 している。 3

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2.これまでの主な戦績

年度 主な戦績(Aチーム、一部Bチーム) 昭和47年 玉川防犯大会優勝(王選手・当時巨人軍)寄贈の大優勝旗が手渡された。 昭和50年 宍戸杯世田谷区第3位(現在の世田谷区大会) 昭和51年 玉川防犯大会第3位 昭和55年 世田谷区大会(夏)第3位、玉川防犯大会第3位 昭和57年 銀河杯準優勝 昭和58年 玉川親睦リーグ第3位、玉川第三出張所大会第3位 昭和59年 銀河杯優勝、玉川防犯大会準優勝、玉川第三出張所大会第3位 昭和60年 世田谷区大会(春)第3位、世田谷区大会(夏)第3位 銀河杯優勝、玉川防犯大会準優勝、玉川第三出張所大会準優勝 玉川親睦リーグ準優勝 昭和61年 世田谷区大会(秋)準優勝 玉川第三出張所大会準優勝、玉川親睦リーグ第3位 昭和62年 世田谷区大会(秋)準優勝 昭和63年 玉川親睦リーグ優勝 平成 1年 世田谷区大会(夏)第4位、玉川第三出張所大会優勝、玉川親睦リーグ優勝 平成 2年 世田谷区大会(春)準優勝、東京都大会ベスト8 平成 4年 玉川第三出張所大会優勝 平成 5年 東京都大会新人戦第3位、世田谷区大会(春)優勝、西東京大会出場 玉川防犯大会優勝、玉川第三出張所大会優勝、玉川親睦リーグ優勝 平成 6年 世田谷区大会(秋)第3位、王座決定戦第3位、玉川第三出張所大会優勝 平成 7年 玉川防犯大会準優勝 平成 9年 玉川防犯大会B準優勝、玉川親睦リーグB優勝 平成10年 世田谷区大会(春)ベスト8、玉川防犯大会優勝、玉川親睦リーグ優勝 平成11年 世田谷区大会(春)第3位、世田谷区大会(夏)準優勝、王座決定戦出場 平成12年 世田谷区大会(春)第3位、世田谷区大会(夏)ベスト8 世田谷区大会(秋)第3位、王座決定戦第3位 玉川防犯大会A第3位、玉川親睦リーグA準優勝 玉川防犯大会B第3位、玉川親睦リーグB準優勝 日ハム杯新人戦B準優勝、日ハム杯新人戦B東京都大会出場

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年度 最近5年間の主な戦績(Aチーム、Bチーム) 平成13年 A宇田川正博監督 世田谷区大会(春)ベスト8、世田谷区大会(夏)ベスト8 世田谷区大会(秋)準優勝 王座決定戦第3位 玉川防犯大会A優勝、玉川親睦リーグA優勝 玉川防犯大会B第3位、玉川親睦リーグB優勝 平成14年 A安達 覚監督 世田谷区大会(春)第3位、世田谷区大会(秋)第3位 王座決定戦出場 玉川防犯大会A第3位、玉川親睦リーグA準優勝 平成15年 A渡邉正二監督 玉川親睦リーグA第3位 日ハム杯新人戦B準優勝、日ハム杯新人戦B東京都大会出場 玉川防犯大会B優勝、玉川親睦リーグB第3位 平成16年 A渡邉正二監督 世田谷区大会(春)第3位 王座決定戦第3位 玉川防犯大会A優勝、玉川親睦リーグA優勝 玉川防犯大会B準優勝、玉川親睦リーグB優勝 平成17年 A伊沢洋一監督 全日本世田谷大会ベスト8 玉川防犯大会A第3位

3.グリーンズの4つのモットー

礼儀・忍耐・集中力・協調性

4.グリーンズ組織(平成

18 年度)

名誉会長:宇尾 梅 会 長:岡 慎一郎 副 会 長:安達 覚 亀高 昭代、小川 幸子 顧 問:宮 裕(等々力小学校校長) 相 談 役:伊藤 圭治 代 表:宇田川 正博 総 監 督:渡邊 正二 5

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「35周年に寄せて」

等々力グリーンズ代表 宇田川 正博 伝統を受け継ぎ、地域の方々、学校の先生方、そして各家庭の協力のもと35年という歳月がすぎ ようとしています。私も等々力グリーンズに携わって15 年が経ちました。たくさんの子供との出 会いがありました。野球センス抜群の子、努力して野球が本当に上手になった子、一生懸命がんばっ た子、それぞれの子供たちが炎天下のグランドで、また、雪の日も長靴を膝まで雪の中に埋めて体育 館の練習に参加した姿が思い出されます。みんな本当に野球が好きなんです。 たくさんのお父さん、お母さんにも出会いました。よく飲みにいきました。酒の肴はあまりいりま せん。子供たちの野球の話で十分でした。3時間、4時間、夜中まで話が盛り上がりました。 たくさんの先輩方とも知り合うこともできました。それぞれの個性をもった歴代の監督。監督以上 に燃えたコーチ。夢中になって応援してくれたお母さんたち。そんな大人たちに囲まれた子供たちは 本当に幸せ者だなとつくづく思います。 スポーツの多様化、少子化と社会情勢も変化の時代です。野球界も勝利至上主義に走りすぎている 時代です。高校生の野球留学も問題視されてきました。シニアリーグ、ボーイズリーグも何か高校野 球の予備軍のような気がしてきました。 グリーンズは今1 年生からがんばっています。のびのびとボールゲームを皆で楽しみましょう。

40 年、50 年に向かって プレーボール!

「等々力グリーンズ35周年に想う」

相談役 伊藤 圭治 グリーンズ創部35周年、おめでとうございます! 35年といえば私の年齢の半分、継続は宝なりと言いますが、多くの方々の努力と協力があっての ことで感無量です。 もうひとつうれしいニュースです。それは、79 年卒業のグリーンズ OB 小川智達さんのお子さんが 選手として入部し、加えてお父さんがコーチをして下さっていることです。初の親子部員の誕生です。 創始者である宇尾さんと、「将来、グリーンズOB のお子さんが入部してくれるといいですね」と、 6

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よくお話をしましたが、その時が来たのです。それも、OB であるお父さんがコーチをして下さる。 こんなにうれしいことはありません。 私は、74 年から等々力を離れる 87 年までの 13 年間、サラリーマンをしながらのグリーンズ活動 でしたが、その間、多くの子供たち、コーチ、お母さん方、学校関係者と親しくさせていただきまし た。多くの仲間が出来、多くのことを学びました。 中でも、グリーンズの創始者である「宇尾梅さん」の献身的なお姿は忘れることが出来ません。 女性にもかかわらず、監督としてあの暑い日にノックバットを振り、足を棒のようにしてグランド 探しをされ、時にはコーチやお母さん方をご自宅に招いて下さいました。 監督を退かれたあとも、度々グリーンズの試合に足を運ばれ、物心両面で様々なご支援を戴きまし た。また、私達の心の支えとして、コーチ・お母さん方の相談相手だけでなく、長く街の青少年委員も 引き受けて下さっていました。 等々力グリーンズの母であり恩人である宇尾さんには、終身名誉会長として、このクラブを見守っ ていただきたいと願っております。 宇尾さんは、私にとって人生の師であることは間違いありません。 私が移り住んだ横浜の緑園都市という街は新興住宅地で、その街づくりを14 年間お手伝いしまし たが、これを実践出来たのも、あの宇尾精神のお蔭です。 さて、私は、宇尾さんからチームを引き継いで監督、会長、総監督として「等々力グリーンズ少年野 球クラブ」の形を創って参りましたが、その間、仲間たちとの思い出は数多くあります。 創生期に活躍してくださった、次の方々の姿が特に鮮明です。 74 年、お父さんコーチとして初参加した画家の飯田さん、クリーニング店の白旗さん。 76 年より 3 年間、私を助けてくださった小林コーチ。 鬼コーチと評判だった牧野さん、富山さん、美甘さん、伊藤さん。 40 人のバッティングを一人で投げ抜いた西堀コーチ。 初合宿で30 人の子供たちにノックを浴びせ、私と二人で手が血豆だらけになった高橋コーチ。 そして、コーチをお願いしたとき、「俺は野球やったことないよ」と言われながら野球を勉強し、審 判の資格まで取られ、長い間、心身共に私とグリーンズを支えて下さった小池コーチ。 長く連盟の審判員を務めて下さっている小菅コーチ。 試合中に、監督よりも大きな声で選手を叱咤激励した、小出、武田、福沢、伊藤のお母さんたち。 物心両面でご支援いただいた等々力小学校の先生方。 私のあと、会長を継いで立派なグリーンズにして下さった足立さん、岡さん。 この他にも、黙々と選手を指導された太田垣コーチなど大勢のコーチ、お母さん、真っ黒に日焼け した選手たちの顔が目に浮かびます。 私の70 年の人生の中で、仕事と野球両面で一番楽しく、充実していた時期だったと思います。 思い出をたくさん与えて下さった皆さん、本当にありがとう。 我が愛する「等々力グリーンズ」の活躍を期待しております。

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「おめでとうございます35周年」

等々力小学校長 等々力グリーンズ顧問 宮 裕 創立35周年おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。 ひとくちに35年と言いますが、これだけ長い間活動されてきたのには並々ならぬ苦労があったこ とと存じます。多くの関係者の方々に敬意を表します。 私が等々力小学校に着任した平成14年の4月に、当時の監督さんやコーチの方々が校長室を訪ね られてあいさつを受けました。その時に30周年の記念誌を頂きました。このように長く続いている グリーンズの活動に驚きました。それから4年間がたちましたが、月曜の全校朝会で表彰する度に、 子ども達の健全育成に大きな貢献をされていることに感謝をし、まだまだ続いていくことを願わずに いられません。 私が小学校の頃は野球が毎日の遊びの日課でした。4年生から6年生までクラスに2つのチームが あっていつも対抗して試合をしていました。その当時は子ども達が勝手に集まってキャプテンを選び、 メンバーを決めてやっていました。その遊び場球場は今はマンションになってしまいました。また、 グローブもなかなか買ってもらえず、母親が作ってくれたものを使っていました。ミットとバットを やっと買ってもらった時は、うれしくて油を毎日塗り宝物のように大事にして、壁投げや素振りで一 人練習を重ねました。「背番号0」という野球漫画に夢中になったことも思い出します。野球は私の少 年時代そのものの思い出です。 現代はプロ野球が今まで以上に話題になる時代です。でも子ども達の世界の中では野球がそれほど 身近でなくなったようにも思います。そんな時代だからこそ、この等々力グリーンズの活動がこれか らもずっと長く続くことを願わずにはいられません。 四季を通して一生懸命に声を出し練習し試合し、友達を応援する姿。礼儀正しくあいさつし、ユニ フォームを着て荷物を持ち通う姿。その中に、大人になった時の少年時代の思い出が創られるとした らいいなあと思っています。 まだまだお元気な宇尾名誉会長のもと、等々力グリーンズのさらなる発展をお祈りいたします。 8

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「大切なことはグリーンズで学んだ。

総監督 安達 覚 世田谷区大会の行われる吉沢グランドは、選手達にとって「甲子園」のような存在です。 秋の大会が終わった後の夕暮れのグランドに、何とも言えない空気を感じます。 それは、6年生最後の大会を「いくつ勝ったか」ではなく、「どれだけ立派に、選手達が自分らしく 戦ったか」、それをかみしめながらグランドを引き上げます。 入団する時にはお母さんに甘えていた子供達が、お母さんたちの前で皆、一人前の選手達になって 卒団してゆきます。 もちろん勝ちにこだわって猛練習する時もありますが、試合に勝つことより大事なことをグリーン ズで学びます。 それは「ミスや不安に打ち勝つ事」。 逃げ出したくなるようなピンチになっても、元気と勇気を持って、自分達のガッツでなんとかしよ うとする選手になって欲しいと思います。 遊び半分で野球をするのではなく、情熱と全力で取り組む選手に素晴らしい可能性をみいだし、う れしくなることがあります。 夏の城南グランドから、30分坂道をかけあがり、汗まみれで等々力小学校まで走って帰る。それ だけでもすごいのに、先についた選手が「コップ」を持って遅れた選手を校門前で待っている。 「強い心」と「やさしい心」のこもったこの「一杯のコップの水」に、グリーンズのきずながあり ます。 35年のゆるぎない伝統と、日々の新たなチャレンジがグリーンズをささえ、進化させています。 宇尾名誉会長はじめ諸先輩、関係者の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。 子供達とともに充実した人生をおくるために、みんなでグリーンズを大切にしてゆきたいと思いま す。

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「9/35」

ヘッドコーチ 渡邉 正二 等々力グリーンズ創部35周年おめでとうございます。 グリーンズにお世話になって、今年で9年目。35周年の年で、10年目となります。息子が一年生 の冬に、初めてグリーンズに参加させていただいた時には、校庭の隅っこで見ているだけで、野球好 きな近所のおじさんたちが面倒を見てくれているのだとばかり思っていました。「ちょっとキャッチボ ールの相手をしてあげてくれませんか?」の一言に、野球好きで自らもプレーを楽しんでいたものだ ったので、軽い気持ちで引き受け、それからどっぷりと浸かってしまいました。息子のCチーム時代 は、ボールが外野に飛び、「追っかけろー!」と言うと、キャッチャー以外の全員が追っかけて行って しまう有り様で、勝率も3割ほどだったと記憶しています。しかし、子供たちの成長とはすごいもの で、宇田川監督の下で、5年時の日本ハム杯では、決勝で山野を追い込みながら、特別延長で敗れる までになりました。 息子が5年に進むときに、なんと私はCに残って監督をやることになり、時期も世紀末であったこ とから、まさに世も末と言われたものでした。来期のAチームを強くしてやろうという意気込みの1 年でした。忘れられないのは、秋季区大会の銅メダルのかかった試合、12月10日の第一試合、寒 い朝でした。相手は九品仏で、4−5で迎えた最終回の攻撃で、1アウト2・3塁と攻めながらも敗 れてしまった試合です。試行錯誤の1年でしたが、大変いい経験をさせていただきました。そして、 息子が6年の年には、同じく宇田川監督の下で、自分もコーチとして参加し、苦いこともありました が、防犯大会、親睦は優勝。そして秋の区大会は、準優勝と感激を味あわせていただきました。その 時の感動を次の代の子供たちとも味わいたく、会長のおっしゃる御礼奉公を兼ね、まだOBとして参 加させて頂いております。 毎年、色々な出来事、思い出があり、週末にはよく彼らの成長を肴に、おいしい飲み物を飲ませて いただいております。OBとして客観的に見られるようになると、お父さんコーチ時代は、声高にま くし立てていたのに、「○○は、あ∼んなにヘナチョコだったのに、上手くなったね∼!」なんて言っ ている自分の存在に気付きます。毎年同じ年代の子供たちを相手にしていると、自分はひとつも歳を 取っていないような錯覚に陥りますが、そのうち、ふと気がつけば、野球小僧を相手にする一人の爺 がおりましたなんてことになっていくのでしょうか。でも、必要とされる限り、野球をやろうよと言 ってくれる少年がいる限り、お手伝いは厭いません。これまでに、多くの、監督、コーチ、選手と出 会い、友情を深め、多くのことを学ばせていただき誠にありがとうございました。 野球が筋書きのないドラマのように、台本のないスピーチをしてしまう、口下手な私ですが、笑点 の座布団係程度にお手伝いさせて頂こうと思っております。今後とも宜しくお願いいたします。とと もに、重ね重ね、35周年、謹んでお慶び申し上げます。 10

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「等々力グリーンズ的キズナ」

等々力グリーンズ副会長 佐伯 千加子 転勤に伴い友達と離れたくないと泣く子供達に、世田谷区の学校の校庭でも野球チームが活動して いるからと説き伏せ、転入と同時にグリーンズの門を叩き入部しました。 あれから三年半、二人の子供を卒部させて頂くこととなりました。三年半の我家を思い返してみま すと、楽しいこともつらいこともすべてグリーンズとともにあったように思います。 入部したての頃は、特に私自身も知り合いもいるわけでもないので、暇にまかせて一日中我が子見 たさにグランドに行きました。毎週末顔を出しているうちに我が子よりも子供達みんなが見たくなる し、なにより自分自身もお母さん方と仲良くなれて楽しくて・・・・ 特に試合の時は、お母さん達みんなで大きな声を出して応援し、子供達みんなの一投一打にこちら も一喜一憂し、その場にいるみんなの気持ちが一致する瞬間を実感することができました。また、練 習時は厳しくもあたたかい監督の眼差し、ゲキを飛ばしつつもどこかほのぼのとしたコーチ達の声、 すべてのことが子供達の血となり肉となっていく様を体感することもできました。またこのようなグ ランドを支えるため、数限りなく力を惜しまず尽力する先輩お母さん達の姿に感動することばかりで した。このグリーンズには自分のお子さんは卒部していても熱血指導してくださるコーチ、毎週毎週 おやつを届けて下さるコーチもいます。 多くの方々の単なるボランティア精神とは言えないほどのお気持ちで成り立っているこのグリーン ズが脈々と35年間続いてこられたことが私には奇跡のように思えます。 最近のグリーンズですが、教育事情から中学受験のため途中退部する子供が増えております。 しかし、グリーンズの伝統や団結力などこれまで培ってきたものがあればこの問題も必ず乗り越え、 さらにパワーアップしたグリーンズになると思っております。 転勤で偶然の出会いでしたが、この偶然に本当に感謝しております。ありがとうございます。そし てこれからもグリーンズ応援団の一員としてどこかでつながっていられたらと思っております。

「グリーンズ

35 周年によせて」

等々力グリーンズ副会長 萬 久美子 35周年という節目の年に在籍させていただき、とても光栄に思います。 息子は、等々力小学校に入学し友達の影響もあり1年生の3学期からグリーンズに入部いたしまし た。週末家族で外出することが多かった私達は、「土日のどちらか練習に行けばいいよ!」と、とても 軽い気持ちで入部しましたが、今ではすっかり野球優先の日々を送っています。 息子がグリーンズに入部した頃は、C チーム13人という状態で1年生の入部でもとても喜んでい ただいたのが印象的でした。しかし息子が4年生になった今、C チームの部員数も34名となり D チ ームが出来る勢いで部員が増えた事を、とても嬉しく思います。 そして今年の夏の区大会では、3位に入賞することができ、二重の喜びでした。 また、グリーンズを通してお知り合いになれた監督、コーチ、お母様方には日ごろ大変お世話にな

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り心より感謝しております。ありがとうございます。これからも、子供達の秘めた可能性を信じ、私 もみなさんと共に喜び、感動させていただきたいと思います。いよいよ息子はA チーム、これからも ご指導よろしくお願いします。 慶太の近況:練習日の前夜は、目覚まし時計をかなり早い時間にセットし、本当に自分で起きて支 度をしています。練習から戻ってもグリーンズの友達と公園で野球をしたり、父親とバッティングセ ンターへ行ったり・・・そして平日の夜は、部屋のカーテンに向かってやわらかいボールを投げたり、 素振りをしたり、そして「お母さんノックして!」と、言うので・・・昔ドッジボールで鍛えた肩で ボールを投げてノック?をします。その時慶太は、「ボールが取れなかった時は、コーチみたいに言っ て!」と、言うので、本当に取れなかった時は、「おい∼おい∼!あんなボールも取れないのか∼!」 と、コーチ風に言って二人で盛り上がっています。そんなこんなで、毎日楽しく野球に打ち込んでい ます。

「グリーンズという絆」

Aチーム幹事 堀口 千保 「ナイスバッティング!」「ナイスキャッチ!」「がんばれ!グリーンズ!」 子供たちと一緒になって、大声を張り上げて応援すること。それが今の私の週末です。 二年前、息子が三年生の秋に転校してきた時、私の週末は、平日の疲れをとる為と称して、昼近く まで寝ることから始まり、なんとなくだらだらと過ごしていました。十月に入り、息子は始めてでき た友達からグリーンズに誘われた、野球をやりたいと言い出しました。ところが、野球は土日、朝も 早いと聞いていた私は、始めから真面目にとりやってやらなかったのです。そのうち、息子は野球の ことを言わなくなりました。ところが、一月に入り、その友達から手紙をもらってきました。それは、 手作りの冊子になっており、表紙に「グリーンズへの入り方」、ページをめくると「体験の日を決め る。○○に電話する」とありました。この時、グリーンズに入るのは私ではなく息子なのだと気づき ました。私に遠慮して、言いたいことも言えずにいる息子がそこにいました。私はすぐ、息子と相談 をして体験の日を決め、連絡をしました。そしてその日以来、息子は休むことなく野球をしています。 心配していた私の週末は、息子のおかげで早起きをし、おむすびを握り、息子を送り出した後、有意 義に過ごしています。試合があれば応援に行き、寒い時期はお湯を、暑い時期は氷を抱えグランドへ、 そこにはかわいい子供たちの一球一球に対する真剣なプレーや一瞬一瞬に輝く瞳を見ることができ ます。 今、私は息子とその友達にとても感謝しています。2人の間に結ばれたグリーンズという絆が私に つながり、そして子供たち、監督、コーチ、そしてお母さん達につながっているのです。そしてそれ は、35年前グリーンズを立ち上げてくださった方たちからつながっているのだと思うと、感謝の気 持ちでいっぱいです。ありがとうございます。そしてその絆が未来へつながっていきますように・・・。 私がそうだったように、これからもたくさんの人がグリーンズという絆で結びつき、すばらしい一瞬 に出会えますようにと願っています。 12

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「グリーンズ家族」

Cチーム幹事 栢木 早苗 長男琢也がグリーンズに入部して3年半。バットを振ったこともなく、どっち向かって走るのかも 知らなかったのが、今やCチーム最高学年として試合にも出していただいています。野球そのものが 好きでたまらないというわけでもないし、決してうまいプレイヤーでもない彼が、これまで一度もグ リーンズをやめたいと口にすることもなく、続けてこられたのはいったい何だったのでしょう。 うまくいかなくて嫌になった時も、励ましあえる兄弟のような仲間がいて、時に厳しく時にやさし く導いてくださる父親のような監督やコーチがいて、ベンチにはたくさんのお母さんが見守ってくれ ている。そんな家族のような感覚が、彼にはとても居心地の良いものに感じられているのではないの でしょうか。 まだ入部して間もないころ、歩いて別のグランドに移動する時に、コーチにしっかり手を握ってい ただいて歩く息子の後ろ姿を見て、大きな安心を覚えたのが、まるで昨日のことのように思い出され ます。 そして今年、今まで付き添いでグランドに来ていても、あまり野球に興味を示さなかった次男淳也 が、一年生になったとたん、グリーンズに入りたいと言い出しました。なにせ気まぐれな次男坊。い い加減な気持ちで言っているのではないかとしばらく様子を見ていたら、会う人、会う人に「淳君は グリーンズに入りたいのに、ママはいいっていってくれない。」と吹聴する始末。これはしめたと、 「入ったら少しぐらい嫌なことがあっても続けるのよ。」としっかり念を押して入部させることとなり ました。次男にも野球をやらせたいという母のひそかな作戦でした。 琢也が一年生の時と同じように、ブカブカのユニフォームを着て、前歯のない口元をニタニタさせ てグランドを駆け回る淳也。この子もこれからまた、グリーンズ家族の一員として、鍛えられ、そし てたくましく育っていくのかしらと、楽しみに思う今日この頃です。

「等々力グリーンズ

35 周年に寄せて」

Cチーム幹事 荒石 千栄子 等々力グリーンズ創部35 周年おめでとうございます。心からお祝いを申しあげます。 息子の浩司がグリーンズに入部してから早や2 年 3 ヶ月が経ちました。浩司は野球が大好きなので、 その活動の場にグリーンズを選び入部した事は、本当に良かったと思っております。日々練習する中 で、監督やコーチの暖かいご指導の下、単に野球の技術の習得だけでなく、相手を思いやる気持ちや 仲間と協力することの大切さを、さまざまな場面で学んでいるなと実感しております。 昨年の出来事なのですが、ある試合でピッチャーとして投げている時に、途中からストライクが入 らないことに自分自身がイライラしてしまい、自滅してしまった・・ということがありました。その 際、監督から厳しくお叱りを受けました。その日家に帰ってから監督の言葉の意味を考え、自分なり に反省したのでしょう。その2 日後の試合には自分の気持ちをコントロールして投げることができま した。子どもはさまざまな経験を通し精神的に成長していくのだなあ・・と実感した出来事でした。 今年度のCチームの活動の中で印象深いのは、夏の区大会で銅メダルを獲得したことです。浩司は

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常々 メダルをもらえるならば個人でもらうメダルよりグリーンズのチームでもらうメダルを先に欲 しい と言っておりました。その願いがまさに現実となったわけです。皆と力を合わせて獲得したメ ダルの重みは格別だったようで、今も大事に学習机に飾ってあります。 いよいよ年が明けるとAチームでの活動になります。Cチームで教わったことを糧に、気持ちも新 たに練習に励んでくれたらと願っております。

「等々力グリーンズ35周年の絆」

Aチームマネージャー 松永 哲代 等々力グリーンズ35周年にあたり、心より御祝詞申し上げます。 少年期の多感な時期に、礼儀正しさ、心身を鍛え仲間との連帯感の大切さを強め、勝負の厳しさのイ、 ロ、ハ、を教えていただきました監督、コーチの皆様には、心より感謝致します。 歳月の流れは速く、息子がお世話になりはじめて4年が経ちました。思い出せば、2002 年の春、野球 とはまったく無縁だった我が家に突然『体験入部に行きたい!』と言い出したのです。渋々『じゃあ 行ってみる』と軽い気持ちでついて行ったのですが、子供達の大きな声、挨拶、礼儀にびっくりしま した。それから4時間後にユニホーム姿の息子がいました。すべては「やんちゃ坊主」の礼儀のため だけに入部したと言えるでしょう。いつへこたれるかなあ。と心配をよそに、寒い日、夏の暑い練習 にも負けず、毎週意気揚々と楽しそうに出かけていくのを見ていると、「本当に野球が好きなんだな∼」 と感じました。ついつい、息子以上に力が入った私がいて、家族がグリーンズ一色に染まってしまい ました。 本当にあっという間の4年間でしたが、野球が好き!グリーンズが好き!子供達の声が聞こえるグラ ンドが大好きです。今後のグリーンズに声援と拍手と発展を!!

「縁・絆」

Aチームマネージャー 大越 敏子 2年前、小学校の夏祭りから帰ってきた息子が、「母さん、今日オイラ褒められたんだ!グリーンズ に入ってもいい?!」と嬉しそうに話してきました。 これが、グリーンズと私たち家族の、絆の始まりです。 息子が生まれた時、主人は一緒にキャッチボールが(野球)ができることをとても喜び、4歳にな るとグローブを買って、休みの日には、公園でボール投げをしていました。 でも、そんな父の想いとは裏腹に、息子は野球に全く興味を示さず、小学校に上がっても、野球チ ームに入ることなど眼中にありませんでした。主人は、息子を野球チームに入れて一緒に野球をする、 という夢を泣く泣く諦めざるを得なかったんです。 そんな状況での「野球がしたい!」という思いがけないひと言―。主人は驚きながらも、一緒に 野球ができる喜びで一杯でした。 14

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息子の入部と同時に、主人もコーチとしてグリーンズにお世話になることになり、父と息子の野球 人生がスタートしました。 主人の夢が、グリーンズによって叶えられたんです。 縁とは、本当にありがたいものです。 あの夏祭りで息子に声をかけ、褒めて下さったコーチが縁で、息子の野球人生は始まりました。 おかげで父と息子に共通の話題ができ、息子にとって、コーチである父が、一番尊敬できる存在にな りました。 強くて太い、親子の絆を築かせて頂けたと思っています。そしてこのことは、今後の息子の人生にお いて、何よりもの支えになると強く感じます。 今、密かにこんな夢をみています。 息子が成長し、大人になって親父になった時、コーチとして子供と一緒にグリーンズに入り、グリー ンズのユニフォームを着て、子供達に野球の楽しさや礼儀を伝えてほしいと―。 そんなことができる息子になってくれる日を夢みて、母は、自称『等々力グリーンズ少年野球チーム の母さん応援団長』として頑張りたいと思います。 最後に―。 グリーンズという少年野球チームに出逢えたことを、主人と共に、心から感謝致します。

「グリーンズという絆」

Cチームマネージャー 藤木 貴子 創立35周年おめでとうございます。 私と上の息子が等々力グリーンズにお世話になってから早いもので3年が過ぎようとしています。現 在は下の息子も入部し毎週親子3人でお世話になっています。 上の子が1年生になって1ヵ月経ち学校にも慣れ始めた頃に「僕、グリーンズの体験に行く」と言い、 体験後「僕、グリーンズに入る!!」と即答!!これが私達のグリーンズの始まりでした。それからと言う もの毎週特別な事が無い限り、小さな体にブカブカのユニフォームを着て楽しそうに練習に行く息子 が皆さんにご迷惑をかけていないか心配でグランドに行くと監督・コーチ・先輩のお母様達が愛情を 持って息子に接して下さっていた事に大変な驚きと感謝の気持ちで一杯になりました事を今でも覚え ています。そして私も時間の許す限りグランドに足を運び出すようになって、監督・コーチ・先輩の お母様達が選手一人、一人を可愛く・大切に思う気持ちが少しずつ分かり始め、そしてまた私の中に もグリーンズの選手を可愛く・大切に思う気持ちが自然と生まれてきました。 グリーンズとは野球が上手くなりたいと思う子供達とその気持ちを大切に守って育てていきたいと思 う大人で成り立っている場所。そこで生まれる大人と子供、子供同士・大人同士の絆はとても固く、 優しく、素晴らしいもので、私達親子3人はその絆に出会えた事を幸せに思います。 今後も子供達がグリーンズと言う絆を胸に向日葵の様な笑顔を絶やさないように輝いていて欲しいで す。

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「等々力グリーンズ創立

35 周年の絆」

世田谷区軟式野球連盟常任理事 等々力グリーンズ前代表 宇田川 武男 等々力グリーンズ創立35 周年を心よりお祝い申し上げます。創立 35 周年と聞いてあらためてその 歴史を感じています。 私にとって等々力グリーンズで過ごした十数年間は、忘れられない思い出となっています。 現在は、世田谷区軟式野球連盟の常任理事・審判員をしていますが等々力グリーンズでの経験は、 連盟の活動をするうえで大変役に立っています。 いま私達が携わっている「少年野球」では監督、コーチはあくまでも脇役であり「主役は子供」で なくてはなりません。その子供達が楽しく安全に野球ができる環境を作るのは監督、コーチ、保護者 でありチーム全体が一つとなる事が必要であるといえます。 月末に行なわれる監督コーチ会議は意見交換やコミュニケーションをとる大事な場所といえるで しょう。 野球という団体競技では全てにおいてコミュニケーションが大事であり、区大会や親睦リーグで見 かける等々力グリーンズは、監督、コーチ、選手、保護者が、一つになって試合に挑んでいます。 その中で自然と二つの「わ」ができてくるのです。二つの「わ」とは、「和」「輪」であり、これは 人と人との繋がりとなり、やがて絆となっていくのです。等々力グリーンズの創始者であり、母であ る宇尾梅名誉会長が築き上げたその絆は時代を越え永遠に続くでしょう。 最後になりましたが、35 周年は通過点であり一つの節目であります。等々力グリーンズが将来にむ け、飛躍することを心からお祈り申し上げます。

「等々力グリーンズ

35 周年に寄せて」

平成7年度Aチーム監督 柴崎 孝夫 等々力グリーンズ創部三十五周年、おめでとうございます。 長男がグリーンズに入部し、二・三男がグリーンズを卒部した、9 年間、私も、コーチ・監督として お世話になりました。 真夏の炎天下での河川敷の試合や北風の寒さでの練習でしたが、毎週土日が来るのが楽しみでした。 子供たちも、グリーンズで成長させて頂きましたが、私も、素晴らしい人々との出逢いを通じて、い ろいろな面で成長できた、9 年間でした。 これからもグリーンズが末永くご発展する事を心より願っています。

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「グリーンズ 35分の10」

平成9・10年度Aチーム監督 小林 佳行 グリーンズとの関わりは14年前、長男が等々力小学校に転校した時からです。当時は、浦野監督 の元、1学年26名もいて、私も野球大好き人間でしたので即コーチ入り、子ども達のかわいいドク に当たり通算10年間楽しませてもらいました。 グリーンズのドクは次男にも感染、1年生から6年間お世話になる始末です。その間、監督を2年 経験させてもらい、週末は野球に打ち込んでおりました。 その後、長男の高校野球、次男のシニア野球にと、追っかけ野球にどっぷりはまり、昨年次男の高校 野球最後の夏の大会まで、たっぷり楽しませて頂きました。 現在は、グリーンズ OB の黒木さんが事務局長を勤める、東深沢中学での地域参加型スポーツ文化ク ラブで、多くの元グリーンズファミリーの方々と共に野球部のお手伝いをしております。この野球部 は老若男女、誰でもが参加でき、今では子どもから大人まで50人ほどの大所帯で、野球の原点「楽 しむ」をモットーに活動しています。 これも、ひとえにグリーンズの母ともいえる宇尾名誉会長の地域の子ども達を気遣い、育成したい思 いが、グリーンズを経験された多くの方々により、地域に浸透してきた結果だと思います。 現在グリーンズで協力、活躍している監督やコーチ、父母の皆様のご苦労は、大変だろうと思いま すが、子どもを介して、知り合い、また純粋に野球というスポーツを楽しむ子ども達と関わることが できるのは、今、この時しかありません。力まず気負わず、楽しみながら野球をしてください。 スポーツとは「気晴らし」という意味も含んでいます。自ら楽しみながらやらなければスポーツで はないと、常々思っております。 35年間グリーンズを支えてきてくれた方々に感謝しつつ、私もその一員であった事を原点として、 「楽しい野球」を地域の方々に伝えていきたいと思います。

真剣勝負で得た「信頼」と「友情」

、そして「チームの成熟」

平成11年度Aチーム監督 坂井 浩文 等々力グリーンズのクラブ発足35周年、誠におめでとうございます。 一口に35周年と言いますが、これまでの間、幾多の時代や困難を乗り越え、現在の素晴らしいク ラブ運営が存在しているのも、宇尾名誉会長をはじめとする諸先輩の方々が地域密着型を指向しつつ、 児童の健全な育成を企図する方針を掲げ努力され、その意思を現在のチームスタッフの方々がしっか りと受け止め、かつご父兄と強固なスクラムを組み活動を展開していることから生まれているものだ と考えております。 まずは、これまでクラブ運営に携われた方々に対し、深く敬意を表するとともに、現在携わられて いるチームスタッフの皆様に感謝いたします。 17

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さて、私と等々力グリーンズの出会いは、愚息隆太が小学校2 年生の時でした。 息子が学校から帰ってくるなり妻に、「僕、グリーンズに入って野球するから」の一言。転勤族の我 家にとっては、地域に慣れ親しみ、親子共々たくさんの友達が出来るかなどが大きな課題でしたし、 ましてや、息子自身が自分から「やりたい」との意思表示をしたのも初めてでしたので、その話を帰 宅後聞いた私は、即「頑張れ」と言ったことを覚えております。それからと言うもの、親子でグリー ンズに長く、そして深くお世話になった次第です。 息子が低学年時はC チームに籍を置き、宇田川監督のもと、 野球の基礎 と 礼儀ある行動 を ご指導いただき、高学年時は小林監督率いるA チームで 野球の技術・戦術などのイロハ をご指導 いただきました。 私自身も、社会人野球の経験者ということもあり、側面的サポートをさせていただいた訳ですが、 子供達の 一生懸命さ と、監督をはじめとするスタッフの方々の 献身的行動と努力 に魅かれ、 なぜか私も深く入り込んでいったことを覚えております。本当にありがとうございました。感謝して おります。 息子がグリーンズを卒部した翌年の平成11 年度に A チームの監督に任命されました。 本来であれば、親子で退部するべきだったと思いますが、私自身も「残るグリーンズの選手達の魅 力を消したくなく、一緒に戦いたい」の気持ちが優先したものだと思います。 A チームは、6 年生 4 人、5 年生 12 人と比較的若いチーム構成でしたが、リーダーシップが取れる 菊池君、自他ともに認める主砲の川本君、野球センス抜群の高橋君、そして俊足好守の小野君の6 年 生4 人が、それぞれの個性と特長を活かしながら、役割を自覚しチームを引っ張ってくれました。 5 年生の選手達も、こういった 6 年生の「後姿」を見ながらうまくフィットしたことで、チームとし て成り立っていったものだと思います。 チームの方針は「選手達が主役」。ストレートで単純な目標を掲げていますが、この言葉の持つ意味 は非常に重いものと位置づけていました。 あくまで子供達自身が主体的に、かつ積極的に行動することが何よりも重要で、監督・コーチはその サポートというスタンスです。 子供達一人一人が「やらされている」という意識から、「自らやるんだ」との意識に如何にシフトさ せられるかが大きな課題であったわけで、それを通じてチームとしてどう機能させられるか、つまり、 「困難から逃げない、戦う集団」として機能させるための大きなテーマとして取り組んできたことを 覚えております。 もちろんこれらは、私一人でできるはずはなく、最初から最後まで一緒に戦っていただいた鹿山コ ーチ、中村コーチ、伊沢コーチ、高島コーチの献身的な努力と確実な実践で成り立ったのを忘れては なりません。各コーチが真に自分の役割を認識し、そして責任ある行動をとっていただいたことが何 よりも素晴らしかったし、本当に信頼できる仲間と出会えたものだと思っております。 今でも 友 ですが、感謝の言葉以外に見つかりません。 「努力は嘘つかない」とはよく言ったもので、監督・コーチそして選手それぞれが、日頃からの真 剣勝負を行う中で、お互いを助け合い、認め合い、チームとして一体感が芽生え、 戦う集団 として 変貌してきていることを実感していました。 その証拠に、まずは世田谷区の春の大会で「ベスト4」という考えられない成果を収めることができ

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たのです。どのチームも新体制になってどれだけの実力があるか分からない時期ではありましたが、 選手みんなが一致団結し頑張った結果、予想もしなかった成績を収めたのです。 今思えば、正直このチームは 3 回戦まで行ければ上出来 と勝手に思い込んでいた私自身が恥ず かしく、本当に、選手に失礼なことを考えたものだと反省しております。 そして迎えた世田谷区の夏の大会。 春の成績が まぐれ とは言われたくないとの思いもありましたが、夏の大会に向け、さらにチー ムとして 大きな目標 を掲げて活動を展開しました。 その目標とは、「優勝する」という大胆なものです。誰もが耳を疑ったと思いますが、 ・ 監督・コーチが、進むべき方向を共有でき、真に一つの気持ちになれていたこと。 ・ 選手自身は、「春」の成績は完全無視。「夏の大会」に向けゼロからのスタート。基本技術の反復 練習のみでしたが、日に日に選手の取り組む姿勢と成長がはっきりと見えてきたこと ・ 礼儀等をはじめとする選手一人一人の行動がメリハリのあるものに変わってきたこと。人の 「痛み」、「弱さ」を素直に受け入れ、相手を「思いやる」気持ちが本当に芽生えてきたこと などの理由、これらを通じてチームとしての機能も向上していると確信したことから、敢えて高い いハードルを掲げて全員で共有し、頑張ったことを覚えております。 1 回戦「二子玉川スポーツ少年団」、2 回戦「八幡山レッドソックス」、3 回戦「希望が丘レッドサン」。 戦術テーマであった「ミスを突く走塁野球」が功を奏し順当勝ち。 準々決勝は、春の大会も安定した投手力を武器にベスト4に進出している宿敵「球友クラブ」。接戦 ではありましたが、4 対 3 で辛勝。 準決勝では、大型打線が売り物の「成城ノーティボーイズ」。怖かった相手でしたが、徹底した「次 を狙う走塁攻撃」と、安定した投手力を含む守備力で4 対 3 で接戦を制し、目標で掲げた「決勝戦」へ。 決勝の相手は春の覇者で、小学生とは思えない体格・脚力、そして野球技術などなど、どれをとっ てもすごい「山野レッドイーグルス」。当然、世田谷区では実力№1のチームですが、東京都でもベス ト3に入るくらいの強豪です。 「あくまでも我々は挑戦者。失うものは何もない」という気持ちで、全力でぶつかりました。 ずっと我慢し、頑張って投げ続けた菊池君と、それを受けるファイターの林君のバッテリー。すば らしい巧打を見せた川本君。考えられない超ファインプレーを見せた高橋君、伊沢君。足でかき回し てくれた入里君、元谷君。安定した守備を誇る小野君、高島君。そして何と言っても、ベンチで力の 限り仲間を応援し続けた中村君、尾原君、小杉君、石井君、クリストファー君、田中君。選手一人一 人が仲間のことを信じ、その中で自分が出来る精一杯のことをやってくれました。 試合結果は、残念ながら0 対 2 で惜敗しましたが、それでも「準優勝」という「等々力グリーンズ」発 足以来初の輝かしい快挙は、「優勝」以上の感動を与えてくれました。 振り返ってみますと、チーム運営を行う上で様々なハードルがあったことは偽りのない事実でした が、宇尾名誉会長、岡会長をはじめご父兄の皆様にいろいろな面で助けられたことが、この結果につ ながったものと感謝しております。ありがとうございました。 19

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しかしながら、この成績を収めることが出来たのは、自らの身体にムチを打ち、叱咤激励しながら も選手を信じ、選手と共に闘い続けてきたコーチの方々、それに100%応え、且つ、一回りも二回り も人間として男として大きく成長してくれた選手全員の努力と実践があったからこそです。 大人と子供が一つの目標に向かう過程の中で、双方が真剣勝負した結果から生まれた「信頼」。そし て仲間意識としての「友情」。これらの武器を持って突き進んでいった我が等々力グリーンズの姿は、 何にも替え難いすばらしい光景に映り、当初描いた「最後まであきらめない、戦う集団」という理想の チームに完成した感があったことを、今でも誇りに思っております。 最後になりますが、現在はいろいろな面で難しい時代になってきております。とりわけ、少年の教 育現場の難しさは、大きな社会問題にもなっております。 歴史と伝統ある「等々力グリーンズ」の運営におかれては、如何なる時代が来ようとも、これまで のチーム方針を承継しつつ、子供たちと一緒に汗を流し、悩み、泣き、笑う、そして礼儀あるクラブ として存続することを、遠く沖縄より切望しております。

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「心のキャッチボール」

ACチームコーチ 足立 荘 「おはようございます」 「お願いします」 「集合」 「いくぞ」 「さあ来い」 「ナイスボール」 「ナイスキャッチ」 「バッチ来い」 「ナイスバッティング」 「どんまい、どんまい」 「ピッチャー打たせていこう」 「いくぞ 零点でおさえるぞ」 「この回、絶対点取るぞ」 「監督、コーチに礼 ……… ありがとうございました」 「グランドに礼 ……、お母様方に礼…… ありがとうございました」 力いっぱいの心の声がチームメイト、応援する人たちにどれほど元気づけ、明るい気持ちにさせてく れるか…。 元気で明るい心の声は心にしまう事なく、力いっぱい大声で発信し続けるグリーンズが大好きです。 いつまでも忘れる事なく係わる人と心のキャッチボールを続けて行きたいと思います。

「グリーンズの想い」

ACチームコーチ 小菅 市雄 グリーンズに子供とお世話になったのが昭和56 年です、あれから 26 年間 6 年生で子供は卒団して いきましたが、かの有名な元小池代表に脅かせられ(冗談)再就職してここまで来てしまいました。 以降、卒業生を25 団送ってきました。卒団生と道で会うこともあります。声をかけられても誰だっ たかな、皆大きく成長して懐かしく想うときがあります。 私がグリーンズで一番に思うことはある先生から言われたことがあります、それは我々教育者がや らなくてはいけないことをグリーンズのお父さんコーチがやってくれています、それは「心の教育」 だとおっしやられていました。教師として日曜日職員室から眺めているとつくづく感じることがあり ました、職員会議のとき、他校に異動してもこのことを教育の指針としていますとお会いする機会が あるとよく言われます。 グリーンズも若手のお父さんコーチもグランドで元気に子供達に声をかけて一緒になって汗を流し ている姿すばらしいです。現在は子供達も少なくなってきています。等々力小だけではチームがつく

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れなくなるよう状況下、数年前から他校の生徒でもよしとし募集又一年生からも入部させて育ててい ます。この小さな子供達をみていくのもグリーンズのコーチでありますが、これこそ本当の父親の子 育てでもあるかもしれません、それがまたグリーンズのよさと新しい夜明けなのかもしれません。 人は幾つになっても眠っていても夢を持ち続けているといわれます。私もグリーンズのかわいい子 供達と笑い・泣き・悔しさ等これからもいろいろなことがおこるでしょうが、子供達に身体に焼きつ けられる想いでをつくれるよう心をあらたにがんばっていきたいですね。 グリーンズに栄光あれ

「等々力グリーンズ35周年をお祝いして」

ACチームコーチ 駒木根 治子 私は、29才になる次男と、24才の三男がグリーンズにお世話になりました。2人ともペンショ ンの営業と、役者という野球とは関係の無い人生を送っておりますが、丈夫な身体を持つ礼儀正しい 男性に育った事は、何よりグリーンズのおかげと感謝しております。又、保育士として、3人の男の 子を育ててきましたので、昼食はオニギリ2ヶというのが何よりありがたく、通算して7年間、無理 なく野球を楽しませてあげられたと思います。 それで、三男が卒業すると同時にコーチにしていただいて、今までグリーンズに関わらせていただ き、かわいい子供達から元気と笑顔をいただき、今のところ、私自身も健康で36年目の保育士生活 が頑張れると感謝しております。 引き続き、宇尾名誉会長はじめグリーンズの首脳陣を影から支えられる様なコーチでいたいといつ も思っています。送る会で宇尾名誉会長がおっしゃった様に、スポーツや勉強で自分の身体の中に育 った力は、一生の宝物と私も思っています。 今、50人以上にもなりました子供達を今度共日本の宝になれる様、大切に育てたいです。 22

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参照

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