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年度 A チーム  監督・コーチ

「縁・絆」

平成 17 年度 A チーム  監督・コーチ

「グリーンズと自分」そして「親子」

 

Aチーム監督  伊沢  洋一   

   

グリーンズと自分の関係を考えると、やはり親子かなと思います。自分の息子の渉が卒部した今で も、選手達を息子として見ている自分がいます。その原点は渉が入部し、そして半年遅れて私が入部 した7年ほど前のことです。

バッティングセンターでグリーンズのお母さんから声をかけてもらったのをきっかけに、当時4年 生の息子がグリーンズに入部したのは、9月の初めだったと思います。彼が初めて本人からやりたい と言ってきたのが野球でした。それまでは、スキーをはじめ、キャンプ、山登り、カヌー等、いろい ろなアウトドアーを楽しんできた親子でした。彼が入部して2、3ヶ月は娘と一緒に追っかけです。

でも、ぜんぜん熱心ではない。練習の一部を遠くから、娘と遊びながら見ているのが私でした。それ もショーツにサンダル姿で。11月から仕事で約1ヶ月半家を離れていた後、久しぶりにグリーンズの 練習を見に行った私を驚かせる光景が目に入ってきました。そこには、すごく大きな声を出している 選手がいました。よく見てみると、私の息子でした。大変な恥ずかしがり屋で、人との会話もちゃん とできない彼とは違う人間がそこにいました。休憩時間は以前と同じシャイな彼もそこにいました。

子供とは短期間でも変わる事、親以外の大人との係わりが大切な事、しっかり認識しました。その時 の監督、コーチの皆様には本当に感謝しています。ありがとうございます。

  それから約3ヵ月後、ユニフォームを着てグラウンドに立っている自分がいました。グラウンドで は、息子を横目で見ながら、何も言わず、監督や他のコーチに任せ、他の選手に叱咤、激励。それよ り、当時の坂井監督や他のコーチの言っていることを子供達と一緒に聞いて、一緒に走り、一緒にプ レーし、選手と一緒に自分が野球を教わった時期でした。でも、家に戻ると何もわからない女房と娘 を尻目に、二人でグリーンズの話ばかり。今思うと、グリーンズのおかげで本当にいい思い出を作ら せてもらいました。高校2年になった渉は、今でも野球を続けています。

  渉と一緒にグラウンドにいた頃は、選手達の兄貴だと思っていた自分も、最近では選手達の親父に なりました。彼が卒部した後も、私はコーチとして残りました。息子が現役の頃には坂井監督、宇田 川監督、そして卒部後には、佐々木監督、安達監督、渡辺監督の5人の監督に仕え、昨年はCチーム の監督、そして今年はAチームの監督をさせていただいています。コーチ時代からも選手の兄貴から 親父の感覚に代わってきましたが、監督になってからは、特に親父の気持ちが強くなっています。特 に今年はAチームの監督。今年でグリーンズ最後の6年生が二人います。

  二人の6年生とはキャプテンの松永と副キャプテンの佐伯です。一時は8人いた仲間も諸事情から、

二人きりになってしまった学年です。6年生が二人しかいないチームをどう作っていくかが、今年の 課題でした。今年の初めに彼らを呼んで、「二人しかいないからこそ本当に厳しくする」、と伝えたの がつい昨日のようです。年頭は11人だった5年生が今では5人増え16人。彼らの負担は日に日に増 して行きました。それでも春先の全日本世田谷大会ではベスト8になり、準々決勝では本年度最強の 砧南に負けましたが、その先を期待できるスタートが切れました。二人でピッチャー、キャッチャー を兼任し、なかなか期待ができるバッテリーでした。

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それから2ヵ月後5月の終わりごろです。二人がひじの怪我、松永が全治6ヶ月以上、佐伯が全治 2,3 ヶ月。佐伯が早くて合宿以降、そして松永はたぶん年内の復帰は無理との状況です。彼らの気持 ちを考えると、本当に悩んだのがこの時期です。その後、佐伯は投げずに怪我の完治まで我慢、松永 は怪我が治るまで左投げ左打ちに転向。二人は最後の年なのに、くさらずにもくもくと練習をこなし ていきました。防犯大会では5年生が6年生に何かを感じたのか、奮起して3位決定戦まで進出。合 宿後の3位決定戦では、それまでの試合では、投げられないのでファーストを守っていた佐伯が、1 回ノーアウト満塁からリリーフ。結局7回を投げ失点2。なれない左投げでセンターを守ってきた松 永は、6回裏逆転の口火を切るライト前ヒット。4対2で防犯大会3位となりました。試合後の二人 の言葉は「5年生ありがとう。」でした。

  それから1ヵ月後、二人にはもうひとつの試練が待っていました。バッテリーコーチを務めていた 大越コーチの死です。春先の全日本世田谷大会後に入院をしていたのですが、本当に壮絶な戦いの末 の結果でした。彼らをいつも気に留めていたコーチでした。遺体と対面した彼らの泣き顔は一生忘れ ません。大越コーチのご冥福をお祈りします。

  いろいろなことがあった1年ですが、二人は元気でのびのびと練習や試合、そして後輩の指導に当 たっています。私は彼らに対して、すまない気持ちがあります。ひとつは最後まで厳しくしきれなか ったことです。いろいろなことがありすぎて、厳しくしきれませんでした。もうひとつは優勝をさせ てあげられませんでした。本当にすみません。でも自分の彼らに対しての一番の気持ちは感謝の気持 ちです。本当にいい息子に会えました。私の自慢の子供です。二人に「本当にありがとう。」

私の弟達、息子達もすでに100人を越えています。たまに電話がかかってくる渉も、「今日試合ど うだった?」「A君どう?」「B君怪我治った?」「C君打てた?」等、弟達のことを気にしています。

グリーンズ、こうやって35年もの間、絆を作ってきたのでしょう。そしてこれからも...。たくさん いる息子達と今後も増えていく息子達に「本当にありがとう。」

「等々力グリーンズとの出会い」

 

Aチーム29番コーチ  佐伯  裕志  

  平成14年1月名古屋から東京への人事異動内示を受け、息子2人に話をしたところ長男は「転校 したくない。理由は東京では野球ができない(当時、小学校の補欠で14年4月以降レギュラーの可 能性があった?)」との予想外の返事を受け、確信がないにも関わらず「東京でも野球できるようにす る」と約束してしまったことを今でも思い出します。その後、等々力に引っ越しを済ませたばかりの 3月末に妻が等々力小学校に掲示してあったグリーンズの募集案内を見て、早速入部ということにな りました。(長男は小学6年、次男は3年生)

  ただし、この時には私がコーチになることなど夢にも思わず、息子2人が野球をしている時は「家 でのんびり過ごせるなあ」と考えたのが、率直な気持ちでした。それが、4月後半のある日、ふらっ

と駒沢グランドでの長男の練習を見学に出掛けた時、当時の監督から「毎週土日来なくても、都合の 良いときだけお手伝いしませんか」との言葉をいただいたのが、コーチを始める切っ掛けとなりまし た。その途端、「帽子」を渡され、その次には「ユニフォーム」と非常に手回しのよい段取りで、5月 の連休には頭から足下まで「グリーンズスタイルに変身」していました。野球好きではあるが、野球 経験のない私が果たして役に立つのだろうか?とも考えましたが、何とかなった(?)ではと思って います。確かに、月曜日から金曜日までの不摂生な生活のうえに、土日野球をすることは「しんどい」

というのは今でも事実です。でも、それ以上に仕事のことも忘れて、グランドで大声を出し、選手(子 供たち)と試合に勝てば喜ぶ(負ければ落ち込み)ことは心身ともリフレッシュされます。

これまでの4年間、妻もマネージャー等としてチームに加わり、我が家はグリーンズ一色でした。(恒 例の夏合宿は4年連続家族全員で参加)

  今年(17年)で次男もグリーンズを卒部します。息子と一緒に野球ができるというのも小学校ま でです。(ただし、グランドでは息子の指導はしませんが・・)

  現在の在籍選手および今後入部される選手のお父さんお母さん、自分の子供とこのような経験がで きる期間は限られています。「毎週土日ではなくても、都合の良い時だけでもお手伝いしませんか?」

きっと楽しい思い出となりますよ。

         

「等々力グリーンズ  35年の絆」

Aチーム28番コーチ 松永  隆雄

  等々力グリーンズ創部 35 周年おめでとうございます。これまで繋いでこられたのも、宇尾名誉会長 はじめ、関係者の弛まないご努力があってのことと、改めて感謝し深い敬意を表します。そして、私 もこの伝統ある等々力グリーンズの一員として、携ることができてたいへん光栄に思っております。 

  グリーンズとの出会いは、私の転勤からです。「縁」あってある方の勧めで、この地に根をおろしま した。東京へ引っ越すことを、当時一年生だった息子に告げ、嫌がる息子に安易な気持ちで「東京で は野球やって良いから・・・」と言ってしまったことです。(本当は水泳をやらせたかったのですが・・・。) そして翌年、息子は「大好きな野球をするため」に入部しました。それから数ヶ月後、尊敬するKコ ーチから「まつさん・・子供の成長は早かばい。遊べるのは小学生の時だけばい。今しかなかばい!」

の殺し文句であっさりコーチを引き受けることになりました。 

  野球ルールもあまり知らない、グリーンズのモットー「礼儀、忍耐、集中力、協調」はどちらかと いえば苦手、まして日頃から子供との接触も少ない会社人間に、何のコーチができるのだろうか?  不 安でした。それでも休日ごと子供達と行動を共にし、練習中に大声を張り上げて、仕事のストレス解 消!。試合となると、勝った、負けたと、泣いたり、笑ったり、みんな一緒になって胸を熱くし、普 段の生活では味わえない貴重な経験をさせてもらいました。入部からあっと言う間の四年間でした。

Kコーチアドバイスありがとう。そして本当に野球に出会えて良かった。グリーンズに出会えて良か 25

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