• 検索結果がありません。

明治43年水害と第一次治水長期計画の策定 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "明治43年水害と第一次治水長期計画の策定 利用統計を見る"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

著者

松浦 茂樹

著者別名

Sigeki MATSUURA

雑誌名

国際地域学研究

11

ページ

149-173

発行年

2008-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003711/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

明治43年水害と第一次治水長期計画の策定

浦 茂 樹

はじめに

日本の近代治水事業は、明治29(1896)年の河川法成立によって国直轄事業の制度が整えられた。 だが厳しい財政事情の制約があって明治40(1907)年度までに着工された河川は、木曽川、淀川、 筑後川、利根川、庄川、九頭竜川、遠賀川、信濃川、吉野川、高梁川の十河川であった。 しかし明治43(1910)年の大水害を契機に、政府内に臨時治水調査会が設置されて第一次治水長 期計画が策定され、この後、全国的に治水事業が展開されていく。本論文は、この経緯について論 じていくものである。

1.明治 43年(1910)大水害

明治43年 8月、関東・甲信越・東北地方の太平洋岸を中心に一府15県で大水害に襲われた。特に 大きな被害を出した河川は、北上川、阿武隈川、利根川、荒川、多摩川、信濃川、富士川である。 河川が破堤・氾濫するとともに山崩れが発生し、死者1,231人、行方不明者1,266人、重軽傷者767人、 家屋の全壊2,765戸、流出3,832戸、浸水518,000戸、堤防決壊7,063箇所、橋梁流出7,266箇所、山崩れ 18,799箇所にのぼる甚大な被害が生じた(図 1)。 この結果、この 8月水害を中心に明治43年の水害損失額は約 1億1,190万円と、当時の国民所得の 約3.6%に相当するものであった。この額は、明治年間において29年の約 1億3,800円に次いで大きな ものであるが、29年損失額には三陸津波の被害も含まれている。豪雨災害のみでいったら明治年間 で最大のものであったと評してよい。 この大水害は、政治・経済に深刻な影響を及ばした。政府にとって水害対策と治水事業は、朝鮮 半島問題、税制整理を中心とする財政政策・ 債政策とならんで重要な課題となったといわれるほ どであった 。この水害後、米・日用品の価格が高騰した。米価の変動をみると、明治43年 1月、東 京においては石当たり11円15銭であったが、水害後は15円64銭にはね上がったという(東京日々新 聞)。そして、この水害後の43年10月15日、勅令に基づき臨時治水調査会が内閣に設置された。 ところで、時の首相は大蔵大臣兼務で桂太郎であったが、当時大蔵次官であった若槻礼次郎が面 白い逸話を残している。明治43年 8月の大豪雨の時、桂は軽井沢の別荘に行っていたが、この大豪

(3)

図1 明治43年出水による河川の水害損失額

(内務省土木局「第 2回治水事業ニ関スル統計書」1917年、により作成) (出典:武井篤「わが国における治水の技術と制度に関する研究」1961年)

(4)

雨に見舞われて鉄道も電信も不通になってしまい、全く連絡が取れなくなってしまった。政府とし ては、当時、韓国併合問題を抱え、何としても連絡をとらねばならなかった。鉄道を所管する逓信 大臣であった後藤新平が必死になって調べると、軽井沢から篠ノ井に出、そこから 本に行き中央 線で東京へ帰る鉄道ルートならば汽車が通るということが かった。この後、人を派遣してやっと のことで東京へ連れ帰ったが、桂はこの時、治水の重要性を強く認識し、治水計画樹立を尽力した というのである。具体的には次のように述べている 。 「桂 は水責めに遭って、軽井沢に籠城し、しみじみと風水害を体験され、帰途汽車の中から 非常な水害の実況を見、ことに 道の山がひどく崩れているのを見たので、帰ると早速、水 害の対策を樹てることを命ぜられた。そして今までは水害というと、一年ぐらいやってすぐ 復旧したというがそんなことではいかん。水害の復旧は河川の改修だけではない。水害は治 水でなく治山だ、これを徹底的にやらねばいかん、といわれた。いま世間で治山治水という ことをよくいうが、あれは桂 がいい出した言葉だと思う。それでいよいよ治水計画を立て ることになったが、こういう大きな問題になると、所管などとやかくいってはおられない。 大蔵省がこれに当たった。」 この豪雨により、関東山地ではおびただしい山地崩壊が生じていたことが かる。因みに埼玉県 下では、秩 郡を中心に2,867カ所で山地が崩壊していたのである。若槻は、この治山治水計画策定 の所管について大蔵省が当たったと述べているが、その原案は大蔵省出身で首相兼大蔵大臣の秘書 官一人でまとめ、それを基に立案したとして次のように述べている 。 「(その案を)桂 のところへ持っていくと、桂 はそれを内務省へやって、これを内務省で発 案せいといわれた。時の内務大臣は平田(東助)で、次官は一木(喜徳郎)であった。役所 にはそれぞれ縄張りというものがあって、ほかから縄張りを冒されることは喜ばないもので あるが、一木次官はこれを非常に喜んだ。こんな大きな治水計画を、内務省が発案したとこ ろで、ほかの各省がなかなか承知するものではないが、桂 の命令で、大蔵省が原案を作っ てくれたのはありがたい、大いにやろうということで、この十五年計画はすらすらと通った。 それでこの案で主な川はすべて治水工事をやり、その後、その次の川にまで及んだが大体は この時の計画である。」 新たに治水事業を開始するにあたり、大きな抵抗は財務担当の大蔵省であった。政府内では大蔵 省の了承があって初めて予算化されるが、内務省にとって常に大きな労苦を伴っていた。しかし今 回は首相兼大臣の命令の下、大蔵省が原案を作って進めたというのである。

(5)

2.臨時治水調査会と第一次治水長期計画

関係大臣への 議機関である臨時治水調査会が、内務大臣を会長とし45名の委員、6名の臨時委 員、3名の幹事より構成されて明治43年10月25日、初会合が開かれた。45名の委員は、関係行政機関 から22名(内務省 7名、大蔵省 5名、農高務省 5名、逓信省 2名、鉄道員 2名、内閣法制局 1名)、 貴族院・衆議院の両院からは、それぞれ10名ずつの20名であった。あと一人は、民間から湯本義憲 が選出された。湯本は、衆議院議員であった明治20年代、議会内で治水会を組織し、29年の河川法 成立に尽力した人物である。 内務省 7名の中には、内務次官・内務省地方局長・土木局長等の行政のトップと共に、内務技師 として沖野忠雄・近藤虎五郎・原田貞介が選ばれた。また内務省技師 OBとして、古市 威(元土木 技監)、日下部弁二郎が参加し、東京帝国大学工学部教授中山秀三郎が臨時発電水力調査局技師とし て参加した。さらに臨時委員として近藤仙太郎他 2名が選ばれた。 10月25日、政府から調査会に提出された議案は次の 3件である。 ①河川改修ニ関スル件 河川法ニ依リ国ノ直轄事業トシテ改修ヲ要スル河川ヲ五十箇川トシ、其ノ利害関係ノ大小軽 重ト地方状態トニ鑑ミ、期間ヲ区 シテ之ニ着手セントス。 ②砂防計画ニ関スル件 砂防工事ハ治水ト最モ緊切ノ関係ヲ有スルヲ以テ、利害関係ノ大小軽重ト地方ノ状態トニ鑑 ミ国ニ於テ直接施行スルモノト、地方行政庁ヲシテ之ヲ施行セシムルモノトニ区 シ、河川 改修計画ト共ニ之ヲ施行セントス。 ③森林行政上治水ニ関係アル施設ニ関スル件(農商務省提案) それぞれの件で特別委員会が設置され、審議された。「河川改修ニ関スル件」について、当初、特 別委員会に内務省より提案された案では、50河川が河川法第 8条に基づく国直轄施行河川となって いた。このうち19河川を第一期施行河川として20ヵ年で完成、残りの31河川を第二期施行河川とし て行う計画であった。選定の基準としては、流域平地面積(15方里以上)と明治24∼40年の水害額 を資料として提出した。だが実際に採用の基準としたのは、流域平地面積の大きさである。この後、 本調査会の審議で新たに15河川が直轄施行河川に付け加えられ、また緑川が千阪高雅、湯本義憲の 意見によって特別委員会の最終段階に第一期施行河川へと移行した(表 1)。 表1 内務省選定50河川一覧 河 川 名 流域平地面積 明治29∼40年 年平 水害額 順位 方 位 円 順位 〇利 根 川 1 602.30 5,619,664 1 〇信 濃 川 2 258.10 3,588,650 2 〇澱 川 3 182.91 2,343,855 4

(6)

〇木 曽 川 4 134.70 2,695,486 3 珂 川 5 120.35 172,298 30 〇北 上 川 6 116.94 1,013,986 8 〇荒 川(武蔵) 7 101.28 987,456 9 〇阿 賀 野 川 8 98.40 838,517 11 〇雄 物 川 9 94.10 1,212,697 7 阿 武 隈 川 10 77.26 511,080 15 天 竜 川 11 72.93 596,511 13 大 淀 川 12 58.84 17,732 47 筑 後 川 13 48.38 278,932 22 馬 淵 川 14 44.51 40,680 41 〇岩 木 川 15 41.97 126,438 33 〇最 上 川 16 40.81 448,143 16 〇富 士 川 17 39.39 1,930,207 5 吉 井 川 18 39.00 93,100 36 中 川 19 36.87 200,575 26 〇吉 野 川 20 30.88 898,608 10 矢 作 川 21 30.88 170,900 31 〇九 頭 竜 川 22 30.66 1,232,965 6 〇 伊 川 23 30.24 37,581 42 米 代 川 24 29.17 76,056 38 〇神 通 川 25 28.70 355,753 19 庄 内 川 26 27.68 356,690 18 郷 川 27 26.67 24,245 45 ●緑 川 28 26.65 104,157 34 大 和 川 29 25.24 278,667 23 手 取 川 30 25.00 344,572 20 久 慈 川 31 24.22 80,492 37 菊 池 川 32 23.22 42,174 40 〇高 梁 川 33 23.07 179,545 29 多 摩 川 34 22.42 192,679 27 鳴 瀬 川 35 22.35 190,622 28 関 川 36 22.20 201,491 25 相 坂 川 37 22.06 11,875 49 〇加 古 川 38 21.98 322,652 21 紀 の 川 39 21.91 417,984 17 千 代 川 40 21.88 4,832 50 〇庄 川 41 21.70 718,454 12 川 内 川 42 21.51 33,662 43 旭 川 43 20.41 158,433 32 〇遠 賀 川 44 19.42 243,954 24 田 川 45 15.98 51,212 39 由 良 川 46 15.89 592,324 14 渡 川 47 15.54 98,216 35 球 磨 川 48 15.42 14,286 48 鶴 見 川 49 14.97 33,485 44 大 野 川 50 14.75 19,914 46 相 模 川 51 14.46 肱 川 52 13.87 矢 部 川 53 13.18 狩 野 川 54 12.40 円 山 川 55 11.88 肝 属 川 56 11.73 太 田 川(遠江) 57 11.55 豊 川 58 11.51 白 川 59 11.37 大 川 60 11.28 酒 匂 川 61 11.03 鈴 鹿 川 62 10.99 太 田 川(安芸) 63 10.33 名 取 川 64 10.28 仁 淀 川 65 10.12 (注) 1.〇は内務省選定第 1期19河川、●は特別委員会追加第 1 期河川。 2.51番以降は調査会追加15河川。

(7)

当時、河川法による直轄施行中の河川は、利根川(渡良瀬川を含む)をはじめ 8河川であったが 大水害となった利根川では計画が見直され、1,320万円が追加されて明治44年(1911)度以降の工事 費は約2,682万円となった。また竣功年期は 4年繰り上げられた。直轄施行河川の竣功年期は次のよ うになった。 河川名 竣功年期 利根川(渡良瀬川ヲ含む) 52年度(4年繰上げ) 庄川 44年度 九頭竜川 48年度(3年繰上げ) 遠賀川 48年度 信濃川 52年度(2年繰上げ) 高梁川 50年度 吉野川 54年度 淀川下流 47年度 これ以外の新規に着工する河川については、荒川下流・北上川は調査を完了し、明治44年度から 工事を着手し、荒川は53年度、北上川は55年度竣功の計画となった。その他の一期河川については 岩木川・阿賀野川が調査中、それ以外の河川は未着手であったが、44年度以降、調査に着手して計 画を策定し、順次、着工して61年までに竣功を期すことになった。 このように第一期施行河川は、明治44年度を初年度とし18年で竣功する計画となったが、当初、 内務省が委員会へ提示した案では工期20年であった。しかし委員会では 3年に 1回の割合で水害が 生じ、年間2,000万円にのぼる水害損失をできる限り早く逓減すべきであり、15年への短縮が強く主 張された。だが内務省は、予算がいくら確保されても次の三つの理由でもって困難と述べた。 (ⅰ) 技術者の定員と仕事量に限界がある。 (ⅱ) 土地収用(買収、補償)に困難がある。 (ⅲ) 機械化施行にも限界点があって、これ以上の工期の短縮は困難である。 特別委員会と内務省との間で折衝が行われたが、結局は技術者の新規養成と待遇改善、土地買収 についての地方官の協力などがあれば18ヶ年で可能と内務省から述べられ、18年とすることとなっ た。個別の河川では利根川について議論が行われたが、明治43年大水害後、計画を見直し江戸川も 改修することにより、これ以上の繰り上げは到底、困難との主張が内務省よりなされた。 また第二期施行河川として、本委員会で15河川の追加が動議として提出され、可決された。この 15河川は、流域平地面積10方里以上のものであった。つまり内務省原案では15方里以上を対象河川 としたが、それが10方里に引き下げられたのである。また第二期施行河川は、第一期の施行期間に

(8)

調査を行い、これらの河川改修竣功後、着手する計画であった。なお対象とする河川を増やすこと について、「是ハ国ノ川デアルゾト云フコトヲ宣告サレタ為メニ、地方ノ者ハ自ラ手ヲ下スコトモセ ズ、或ハ其為メニ国ニ頼ルト云フ気ヲ出シマシテ、自然平素ノ修繕等ヲ怠ルヤウナコトニナル」 と の反対意見があった。 砂防計画についてみよう。明治31年(1898)成立の砂防法により砂防事業は進められていたが、 国直轄事業が砂防法の中で規定されたにも関わらず、直轄砂防が行われていたのは淀川流域のみで あった。だがこの場合も砂防法によるのではなく、修築事業の 長として全額国庫負担で内務省に より行われた。 なぜ砂防事業費補助として府県による補助砂防のみが進められたのか、内務省は以下の四つを理 由として説明した。 (ⅰ) 工事個所が局地的で小さいこと。 (ⅱ) 一定計画の下での施行が困難なこと。 (ⅲ) 山間避地における工事のため材料、労務の調達が困難なこと。 (ⅳ) 技術者定員が少なく、仕事量に限界点があるためであって、その結果として地方行政庁 による補助砂防の奨励となった。 しかし、長期計画では補助事業とともに直轄施行が推進された。特別委員会で内務次官は次のよ うに説明した 。 「直轄施行の河川改修計画の実行に依って、直轄施行による砂防施設の完備と従来の補助砂防 の促進をはかる。このため、直轄砂防事業は第一期直轄河川の水源を原則とするが(ⅰ)工 事施行個所と利害関係を有する区域かつ相異なる地域、(ⅱ)工事至大にして地方財政におよ ぼす影響が至大である場合においては、第二期施行河川および直轄施行河川以外といえども 直轄砂防を実行する。その他は補助砂防で施行する。」 「直轄砂防計画は改修工事と並行し、おおむね18年の工期をもって実施するが、補助砂防の工 期を決定することは困難である。そのため本施設に対する国の所要負担額は1,000万円とす る。」 委員会では、治水上内務省所管の砂防施設および農商務省所管の森林砂防施設との調整そして財 政的措置の完全化について強い要望があった後、次のように決定した。 1.砂防工事ハ、河川改修計画ニ伴ヒ大体ニ於テ国ガ直接改修スル河川ノ流域ニ対シテハ国自 ラ之ヲ施行スルヲ本則トスルコト。 1.地方行政庁ニ於テ施行スル砂防工事ハ、国庫ヨリ相当ノ補助ヲ与へテ将来益々之ヲ奨励シ、

(9)

前項ノ工事ト相俟チテ漸次砂防計画ノ完成ヲ期スルコト。 1. 前 2項ノ目的ヲ達スルタメ、明治44年度ヨリ同61年度 金1,000万円ヲ国庫ヨリ支出シ、 河川ノ改修ト相俟チテ治水ノ成績ヲ挙クルコト。 次に農商務省提案の「森林行政上治水ニ関係アル施設」については、以下のことを骨子とする諮 問が行われた。 (1) 保安林調査を一定期間に実施し、治水上禁伐保安林および将来禁伐保安林に指定する必 要のある森林は国が買上げる。傾斜地の開墾の禁止制限、荒廃林地の復旧と造林事業に 対する補助金制度の採用をはかる。 (2) 入会権の整理と、開墾および造林地拵等の特殊事情を除くほか火入の禁止。 (3) 有林野造林補助の助長。 (4) 林政機構の整備と林務行政転員の増加等。 第一次治水計画を財政の面から見ると、河川工事は継続費制度がとられた。その当時、工事が行 われている 9 河川 、即座に工事に着手する荒川・北上川の 2河川は、河川ごとに完成年度と併せて 事業費も定められた。また18年間の投資額は約 1億 7千 7百万円(うち河川費約 1億 2千 2百万円、 砂防費 1千 2百万円、事務費 1千 2百万円)であり、年度別の事業費も定められた。 この 事業費について当時の一般会計歳出額と比較すると、26%となっている(表 2)。18年間の平 にすると1.4%となるが、それ以前の直轄事業で進めた個別の河川事業と比べると一桁大きい。当 時、治水が重要な政策課題であったことが かる。事業費は、一般会計からの繰入金、河川法・砂 表2 明治時代に開始された改修工事の 事業費と同年度の中央一般会計歳出との関係 ① 河 川 名 ②事 業 名 ③事業開始年度および継続年数(予定) ④ 事業費(万円) ⑤一般会計歳出(万円) ④/⑤ 木 曽 川 下 流 改 修 明治20年度から16年 402 7,945 0.051 淀 川 改 修 明治29年度から10年 909 1億6,886 0.054 筑 後 川 改 修 明治29年度から 8年 148 1億6,886 0.009 利 根 川 改 修 明治33年度から20年 2,236 2億9,275 0.076 改修(改定) 明治44年度から 9 年 2,682 5億8,587 0.046 庄 川 改 修 明治30年度 292 2億9,275 0.010 九 頭 竜 川 1 期 改 修 明治33年度から10年 381 2億9,275 0.013 2 期 改 修 明治43年度から 9 年 100 5億6,915 0.002 遠 賀 川 改 修 明治39年度から10年 440 4億6,428 0.009 信 濃 川 2 期 改 修 明治40年度から15年 1,300 6億0,240 0.022 吉 野 川 改 修 明治40年度から15年 800 6億0,240 0.013 高 梁 川 改 修 明治40年度から11年 478 6億0,240 0.008 渡 良 瀬 川 改 修 明治43年度から10年 750 5億6,915 0.013 荒 川 下 流 改 修 明治44年度から10年 1,200 5億8,537 0.020 北 上 川 改 修 明治44年度から11年 800 5億8,537 0.014 第一期治水計画事業費 明治44年度から18年 1億5,222 5億8,537 0.260

(10)

防法による地方 担金、預金部からの借入金で行おうとするもので、治水費資金特別会計法に基づ き治水費資金特別会計が設立された。 次にこれら治水長期計画・特別会計法について、第27回帝国議会での議論をみてみよう。

3.帝国議会における議論

桂林太郎首相兼蔵省は明治44年 1月22日、衆議院の財政演説の中で治水について次のように治水 事業推進の熱意を述べた 。 「政府ハ、夙ニ河川ノ改良ヲ実施来リマシタケレドモ、未ダ十 ニ是ガ災厄ヲ防止スルニ足リ マセヌ。今ニシテ、早ク百年ノ大計ヲ定メマセヌトキハ、将来為ニ国土ヲ損シ、生命ヲ傷ヒ、 又財産ヲ失ウ等、其ノ惨害寔ニ測知スルコトガ出来ヌノデゴザイマス。是ヲ以チマシテ、政 府ハ根本的治水等ヲ定ムルノ一刻モ猶予スベカラザルヲ認メマシテ、曩キニ特ニ臨時治水調 査会ヲ置キ、河川ノ改良、砂防ノ実施、森林ノ増殖、其ノ他治水ニ関スル諸般ノ計画ヲ其議 ニ付シマシタ。爾来、同会ニ於キマシテ、周密ナル調査審議ヲ経マシタルノ結果、最近ニ及 ビマシテ、茲ニ永遠ニ亘ル治水策ノ成案ヲ得マシタルガ故ニ、政府ハ右ノ計画ニ基キマシテ、 本年度以降、是ガ実行ヲ期スルノ デアリマス。 其ノ第一期ノ事業ニ要シマスル経費 額ハ、19,300余万円 トナルノデゴザイマス。而シテ 一八箇年間ニ完成スルノ予定デアリマシテ、本年度ニ於テ要スル経費ハ1,279余万円デアリマ ス。右治水事業ニ要スル経費ハ、国庫並ニ関係府県ニ於テ之ヲ 担スベキハ当然デアリマス ケレドモ、其ノ経常歳入ヲ以テシマシテ年々必要ナル金額ノ全部ヲ支弁セシメント致シマス ルトキハ、負担重キニ過グルモノト言ハネバナリマセヌ。故ニ政府ハ中央並ニ地方財政ノ負 担ヲ 慮シ、姑ク借入金ヲ以テ其ノ足ラザルトコロヲ補ヒ、以テ一挙シテ先ヅ其事業ヲ完成 シ、然ル後、徐ニ是ガ償還ヲナスヲ以テ適当ナリト認メマシタ。」 この後、帝国議会衆議院では、明治44年(1911)1月27日から 2月 9 日にかけて予算委員会で 7回 にわたって43年水害状況、治水長期計画、治水特別会計の内容について熱心に議論された。政府委 員として議員の質問に答えたのは、内務大臣平田東助、内務次官一木喜徳郎、土木局長水野錬太郎、 さらに内務技師沖野忠雄である。なお内務技師として、沖野以外に近藤虎五郎が出席していた。 明治44年 1月27日の第 1回の議論では、内務大臣から、44年度予算での増加額について河川予算 の伸びが大きな割合を占めたこと、その原因となった昨年 8月の被害は実に甚大であったこと、臨 時治水調査会を設置しそこで決議された治水計画の大略が報告された。これに対し議員から、治水 計画樹立について満足を表すると賛意が示された後、この大水害の被害状況、政府が行った救済事 業について説明が求められた。これに内務次官が答えたが、この中で被災者の北海道移住が取り上 げられている。この答弁で43年水害の甚大さが理解されるだろう。

(11)

なお水害による北海道への移住であるが、明治22年奈良県十津川村の大山地災害をはじめ富山県 水害、木曽川水害などによる多くの被害者が移住していった。近くは明治40年の山梨県水害では400 戸が倶知安に移住した。 明治44年 1月28日の第 2回議論では、議員から第二期と計画された45河川についてはどのように 対処するのかとの質問が出た。内務次官は、直ちに工事あるいは調査するのは第一期の20河川であ るが、この数は予算の上から決まったのではなく、熟練した技術者に限りがあり、その制限から定 まったと答弁した。さらにこの20河川の施工が終わり次第、第二期河川に着手できるよう準備する と述べた。 明治44年 2月 3日の第 5回の議論では、治水長期計画について最も実のある論議が行われた。内 務技師沖野忠雄が答弁に立ち、即座に工事・調査を行う河川を中心に、計画の概略を説明した。議 員の方からは、二期河川でも必要に応じて早く着手することがあり得るのか、一期河川でも完成年 度の入っていない河川は調査が行われていないが、どのように工事費を計上したのか、あるいは調 査はいつから始めるのかとの質問があった。また地方庁が行う支川との間で整合はとれているのか、 支派川との合流部 について直轄でこの支派川区域も整備すべきではないか、との意見が出た。さ らに必要なる技師をどのようにして集めるのかとの質問も出た。また砂防工事についての質問も出 た。 明治44年 2月 4日の第 6回での論議では、議員から工事費はどのようにして算出したのか、新た に設置する治水特別会計の意義は一体何なのか、砂防工事は治水長期計画・治水特別会計の中でど のように位置付けられているのか等の質問が出た。また65河川の選定基準についても質問が出た。 選定基準について、政府委員から流域平地面積十里平方以上を選定したとの答弁が行われた。 明治44年 2月 9 日の第 7回での論議では、選定河川の具体的中身について質問が出た。富士川、 太田川(静岡)、狩野川が選ばれたのに大井川が漏れているのはおかしいのではないか、 賀川が除 かれたのはどうしてか、などの質問に対し、流域平地面積から客観的に選定したとの答弁が行われ た。また支派川に対して、地方の負担でできないところは直轄でやって欲しい、平地面積いかんに 関わらず必要なところは直轄でやって欲しい、水力発電との水利調整を十 やって欲しい、との希 望意見が出された。 さらに第一期の20河川は同じように進めてもらいたい。選定された65河川以外でも必要な河川は 調査してもらいたい、などの希望意見が述べられた後、全会一致で44年度治水事業費は予算委員会 で承認された。 次に、最も熱心な議論が展開された明治44年 2月 3日の第 5回の議論全体について、治水長期計 画の理解のため記述する。 明治 44年2月3日の予算委員会での質疑応答 ○内務技師(沖野忠雄) 大体の説明を致します。此案にございますのは、利根川と其外に沢山ございます。此河川に就て

(12)

は、既に最早、四十三年度以前から起工になっております。四十四年度以降、工費の変 はないと 云う川の方は説明の中より省きまして、工費の変 のあるもの、それから新たに加わる川の費目等 に就て、此概略を御話し致したいと思います。 第一の此利根川の改築費でございますが、是は御承知の通り、もう余程以前から著手になってお りまするが、唯工事が下の方から始まることになっていまして、第一期、第二期、第三期となって いたのです。此第一期と云う方は、銚子から上、十里ばかりの所でありますが、是はもう既に成工 したことになって居ります。第二期が四十年度から始まりまして、是は第一期が佐原から銚子まで、 第二期が取手までになっております。是は長さが十五里、第二期は四十年度から始まりまして、ま だ目下施行中であります。第三期と云うのが取手からして上、埼玉・群馬の両県の境の烏川と利根 川との合流の終点までが第三期になっております。是が最も長い部 でありまして、二十七里ばか りの長さがあります。是は工事著手と云うことに決定しましたのは、或いは第三期が四十五年です かに 々著手することに議会の協賛を得たのであります。 こういう次第でありまして、第三期の工事は四十三年度以後始めることになっています。此第三 期を四十三年から組込んだのも余程事情がありまして、此時 には、まだ国庫費が三百万円とこう いうことになっていたのでありまして、第三期に組入れられましたけれども、十 なる年割額を初 めより当て嵌められると云うことが難しかった。それで先以て四十二年、四十三年の間は、もっと 地方費のみで二十万円ばかりの金が振割ってあったのです。地方費だけが出ている位のことでござ います。国庫費を繰入れると云うことが出来なかった位であります。四十三年度、四十四年度以後 が少し余裕がありまして、少しづつ殖えて行くようになっていた。それで其当時の年割額で段々工 事を進行して行くことになりますと、利根川は五十六年度事業の完成のことになっていました。然 るに昨年関東地方に大洪水がありまして、 に此治水費の計画が改まることになりました。即ち此 修正の方の予算に致しました。 それに従いまして云うと、此利根川は五十二年度で工事を切上げて、四年続けて五十二年度で工 事を切上げることになります。加之、昨年も洪水以前に余程其工事も完成してありまして、此計画 の時 にも大きな洪水を標準にしてあったのですが、どうも昨年あたりの実況に徴して見ますると 云うと、其以前の大洪水と云うものを標準に致しておっては、到底どうも此工事の運ぶことは難し いだろうと云うことになりまして、それで大に改修の計画に変 を加えることになりました。其変 の内容は未だ詳細に決定はしませぬ。併しながら費額が凡そ従来規定の工費の外に、千三百万円 を要するだろうと云う見込みを附けまして、千三百万円の増額をして、五十二年に工事を繰上げよ うと云うことになりましたのが利根川で、それで利根川は昨年の経験に依って計画に変 を来しま した。 変 の極く要領を申し上げますると、利根川の元の計画は従来、堤防のあった所は、従来の儘こ ういう極めになって、そうして此新堤、改修工事で に築く堤防は従来経験した最大の洪水よりも 六尺高くして置き、又堤防も余程太くしてあります。之をこういう計画にしたのは、固より此改修 となりますると、ずっと将来のことを見込みまして、余程其以前よりは大きな洪水も堪えることに

(13)

致さなければなりませぬ。其方の関係からして六尺以上高くすることになっている。現在ある堤防 は、今日はそれだけ増築をする訳ではありませぬから、地方が漸次其増築をやって往けば宜しいと 云うふうの決め方になっておったのは、其工事の施行を継続して往ったからして、それが今日では そう云うことにして置くことは、到底危険であると云う えからして、専ら従来ある堤防も皆新規 の堤防の太さにして同じ高さにしてしまう。こういう方に八千三百万円の金額を要する訳です。 それから又江戸川は御承知の通り、関宿の所に至って利根川と かれる川でありますから、やは り利根川の洪水の一部 は通過する川であります。之が従来の計画で見ますると、 かに三万個ば かりの洪水量を流すに足ると云うことに決めてありました。今日、此関宿の棒出と云う所で極く狭 めてあります。あの所では、従来定めた計画の洪水量三万個が通るようになっております。此が昨 年あたりの経験に徴しますると、洪水流量も大 増えるから、此なりで往くことは難しくなった。 之にもやはり相当の改良費を加え、そうして水量に堪えることに致さなければならぬ。 それ等の費用を此千三百万円で賄う積りであります。こういうふうに利根川は進行になりました 次第でござります。計画の詳細は唯御話だけでは かりませぬから断面図もございますで、あとで 御覧に入れようと思います。 次の庄川改修、是は計画は変わりませぬが、唯工事を繰り上げたのみであります。九頭竜川は大 体片付いたのでありますが、是も後から九頭竜の支流の大野川の上流を改修することになりました。 是は費用は同じでありますけれども、地方の負担額の必要からして四十四年度より元は五十一年度 まで工事が続くことになっておりましたけれども、此際費用を少し繰上げて四十九年度で終わるこ とに致した位のことであります。遠賀川は従来の計画通りに致しております。 信濃川でありますが、是はもう工事は著々に進める時期になっておりまする。此川は、主なる改 修の工事が大河津と云う所からして海に切り流すと云う工事でありますが、其海の間に一つ山があ ります。其山の切開きがなかなか大工事でありまして、此に機械を応用しないと工事を迅速に進め ることが難しい。ところが其機械を拵える金が不足であったので、それで此方へ、それに要する十 五万円ばかりの金でございますが、此金は四十四年、四十五年の両年度に繰上げまして、そうして 元は五十四年度に竣工することになっておりましたが、之もやはり五十二年に繰り上げることにな りましたのが、主なる変 であります。 其次の高梁川は従来と変わりはありませぬ。是は四十年より始めましたが、土地の買入れに昨年 までは殆ど全部掛りまして、漸く昨年に至って必要の土地を大部 買収済みになりました。四十四 年度より工事を著々進めることになって、元の竣工年限に仕上げることになっております。 次が吉野川でありますが、吉野川はやはり四十年度に始まりました川でありますけれども、是も 亦土地の買収に大なる金を要する。凡そ三百万円ちかくの土地の買入れに要するのでありますが、 どうも此四十四年度に決定致した年度額では、一二の買収が出来ないので、それで大に此施行上に 難渋しておりました。従来此四十年から四十三年まで買いました額を併せて、尚百万円ばかり不足 することになりましたので、百万円だけを四十四年度工事に繰上げ、四十四年度で土地の買収を終 わって工事を繰り上げる。こういう計画であります。

(14)

次に淀川は、工費は変 はありませぬ。渡良瀬川改修でございますが、是も元の計画であります と、四十三年度に著手のことになりました川でありましたが、元の計画でありますと、国庫の方の 金の融通の上から初めの間は地方費のみを十七万円繰込んだのであります。此順序でやって参りま すと云うと、五十六年まで工事が掛る。此際、工費の方の繰上げは変 になりまして、先ず初めの 四十四年度、五年度くらいに土地の大部 を買いまして、四十三年度から工事を著々進行すること に致しました。計画は、元の通り工事を繰上げるのであります。 次に荒川は、今度新たな川の一つであります。是は御承知の通り秩 の方から出て来る川で、埼 玉県下を経て東京市に入って隅田川となるのであります。此川は、埼玉県の方に属する は漸次改 修を要する川であります。併しながら、丁度埼玉と東京市の境に川口と云う所から、上下は川の状 態が一変しております。上の川は、下に比すると急流であります。堤防なども場所に依って幅が一 里もあります。川口と云う所は、左岸の方は堤防も付いておりますけれども、右岸の方は洪水は氾 濫することになっております。そう云う工合で、川の状態も一変しております。 此川の洪水の害を少なくするには、先以て下の方を改修することが急務でありますから、川口以 下の改修だけは此所に定めてあります。此際、樹てますのは川口以下の改修であります。此川口以 下は七里ばかりある川でありますが、此処は先以て改修の精神と致しましては、洪水を疎通するこ とが第一である。併しながら此辺は、現今でも既に工場が漸次殖えて参りまして、工場を発達させ るに必要な所であります。して見ますると此工場に最も必要なるものは、運搬の であります。其 運搬の 利にして廉いのは水運が一番であります。加うるに此川口までの所は、至って川も緩流で ありまして、水運に適当の川であります。此水運を助けて、且洪水を疎通することを大体の方針と して計画いたしました。 其結果、隅田川の方の洪水を疎通するために、大きな川を造ります。幅が二百五十間、下の方に 行って三百間ばかりであります。此新川を掘って、将来洪水は新川に落としまして、現在の川は成 るべく平水だけにして、水運を益々改良していこうと云う えで計画しております。此川は四十四 年度より著手致しまして、四十五年乃至四十六年位に土地の買収を終わりまして、五十三年度に竣 工する積もりであります。五十三年度となっておりますが、五十三年度は十五万円金が残る。大体 の工事は五十二年度に片付けることになっております。 それから次に北上川は第二の川であります。此川は御承知の通り岩手県を縦貫して宮城県に入る 川であります。此間の川の狭まった所があります。此川は岩手県に於きましては両岸の土地が高う ございますから、洪水の氾濫と云うものはないのであります。一ノ関近傍に至りますと、少し氾濫 する所がありますが、其他に於きましては氾濫が少ないのであります。併しながら、宮城県の狭窄 部を通過する両岸は、豊饒な土地であります。是は北上川の本流が直接には何でもありませぬけれ ども、支流の鳴瀬川という川の間に狭まったところの平地が、一番に広くて豊饒であります。此平 地に北上川から押及ぼすところの害はひどい。 然るに此害と申すのは、勿論堤防の決壊などはありますが、併しながら主として北上の此辺が洪 水が大変にひどい。洪水が宮城県の方を流れて、平地の大部 に浸水する、又浸水をして平地は洪

(15)

水にして来ますと、比較的低いから一朝浸水した所は容易に引かない。大洪水に至って浸水をして、 それの引ける は少なくも四十日を費すと云う所になっておる。 此逆流を避ける方法を講じますと、此北上川の治水策は難しいのでありますが、然るに幸いにし て是も先達既に述べてあります通り、柳津と云う所があります。其柳津から一本新川を作ることに 致しまする。そうすると平地全体には、最早、洪水の逆流を一切避けることが出来る。それで之か ら新川を掘って、而して海に流すのでありますが、北上川の下に至って本流が二つに かれ、追波 川が一本あります。それから本流は石ノ巻の港に注ぐ。此追波川が新川に落ちることになる、それ で追波川と本流と岐ちて追波川は柳津と云う所で、新川を掘って之も洪水を落とす。 尤も北上川の水運は、岩手から一ノ関までは昔は可なりありましたが、唯今は鉄道に拠ることに なって、上の方の水運は微々たるものであります。一ノ関から石ノ巻までは、始終小蒸気 が通っ ているような所で、可なり水運がありますが、此新川を作りましても、現在の北上川の平水は減じ ない。やはり平水は現在の川に落としまして、洪水のみ新川へ落とす。又同時に柳津から以下の現 在の北上川の方も、幾 か改良を加える見込みであります。浅瀬等は、幾 浚えるとか改良工事を するとか致す見込みであります。 又石ノ巻の川口も、現在では洪水を受けて浅くなっているから、深くなると云う見込みは立ちま せぬが、併しながら此治水工事が出来ますれば、洪水は新川に落とすから土砂が来ないことになり ます。従って一遍浚えますれば、又直ぐに浅くなると云うようなことはないと思う。 木曽川の付属物、是は従来からある通りの計画を其儘採用したのであります。十三日の澱川のは、 是は本年度初めて出た費用であります。是は澱川の工事も、此高水の方に属する其高水工事によっ て種々閘門なり洗堰なりのものを作る費用であります。川に関しましては大要是だけであります。 ○阿部徳三郎 第一期川は二十河川のように思いますが、そうすると是は。 ○内務技師(沖野忠雄) それは申上げること失念致しました。是は河川を国費で改良すべきものは六十五河川で、其内二 十川を四十四年度以降十八ヶ年間に施行することに致しました。是は現在、此進行致しましたもの、 それから従来施行しつつあるものは、今年度よりのものを除きますと、あと九河川残りますが、其 九河川は明年度はまだ改修の計画が樹ちおりませぬ。明年度より改修の計画に著手しまして、そう して十八ヶ年に工事も完成するようにする えであります。 ○中倉万次郎 今の河川の工事に付いては承りましたが、此治水の根底を立てるに付いて、過日大臣の御演説で は六十五河川を調査する、其内で最も急を要すると認めた二十河川を第一期工事として樹てると云 うことでありました。あとの第二期河川に属する河川は、必ず十 御調査に依って、今後第一期に 繰込んである河川は余りそう必要を感じなくとも、其余の第二期河川の方は必要を感ずると云うよ うな事がないとも限らぬだろうと思います。それ等の場合は、是からやはり著々調査して、或いは 緩急に依って第一期河川を後に廻し、第二期河川を早く著手すると云うような方針を、選択によっ

(16)

ては変 さるる見込みでありますか。又絶対第一期河川だけを十八箇年継続事業としてやる、緩急 に依って変 は決してない。第二期河川に繰入れておるものは、第一期河川の河川改修が終わった 後に著手すると云うことに、大体は其方針でありましょうが、若し必要が生じた時は変 する、第 一期のものを第二期河川に繰込む。又第二期計画のものは、第一期計画の内に繰入れて著手すると 云う方針も採られるのでありましょうか。ちょっと伺っておきたい。 ○内務次官(一木喜徳郎) 二十河川以外の河川に付きましては、二十河川の工事を進行して行きまする間に於て、調査をす ると云うことは、先達て御質問に応じて御答を致して置いたのであります。唯今の御尋は、其調査 の結果、二十河川中の或ものを第二期に廻して、其以外のものを第一期に加えるようなことがある かないかと云う御尋であります。 此二十河川を選定致すに付きましては、先日、大臣より説明のありました如くに、当局者に於き ましても、河川の流域の広狭、或いは水害の多少等の調を十 に致し、尚其上に四方の状況を配量 致しまして、此位が適当なりと認めました。且つ治水調査会の慎重なる審議を経まして、先ず第一 期に於て施行すべき河川は此二十河川が適当である。こういうことの決定になって、それを当局者 は採ってここに提案致したような次第であります。今日信じておる所では、是が第一期河川として は最も適当なるものである、こう えております。 第二期の河川に至りましては、是等の河川に対しまするところの計画を段々に進行して参り、十 八箇年間に之を完成致して、引続いて第二期の河川に移ると云う を持っておりますから、第一期 の河川を第二期に移し第二期を第一期に移すと云う はございませぬ。 ○阿部徳三郎 此度の予算に計上されたのは二十河川でありまして、此金額を要求されておりますが、然るに今 御説明を承りますと十一河川に対しては測量なども済んで、御計画が定っておるようにあります。 けれども残る九河川については、まだ確たる測量もないように承ったのでありますが、果たして然 らば此予算を計上をするに当たって、どう云うことで此標準を立てられたのでありましょうか。是 から測量をして工費を見積もったところで、或いは此予算に伴わないようなことを生ずると云うこ とは免れないと思われます。其所はどう云うふうでありますか一応御説明を願いたい。 ○土木局長(水野錬太郎) 唯今御尋の通りに、ここに本年度の予算に経常致しました河川と云うのは、既に計画も確定致し まして、是に依って予算を組んで此処に提出致したのであります。御尋の如く、其他の木曽川外九 箇川と云うものは、今日では所謂実施計画と云うものが、是から調査をしてやると云うことになっ ておるのであります。それに付いては、唯所謂実施計画が出来ておらないのであるから、どう云う ような標準にして予算を見積もったと云う御尋であります。 是は凡そ川の大体の性質は素よりわかっているのであります。唯之を如何に改修するかと云う実 地に付いての計画は、調査の上でなければわからぬのでありますが、凡そ是等の所は大体に於きま して、一河川六百五十万円内外位を標準として、それで此継続費を見積もったのであります。即ち

(17)

是は継続費の表に依りますれば、四十八年度からするのでありますが、それに依って四十八年度以 降の予算を見積もったのであります。 之は無論実地に就きましては、例えば木曽川が幾らになる、阿賀川が幾らになると云うことにな りますが、其標準に依って達観致して計算致しました。大体に於て、此範囲に於て十 出来ると云 うことを見込んだのであります。十八箇年間に於ける計画に於て、決して違算のないと云うことは、 十 に言えるのであります。 ○中倉万治郎 此河川の如きは唯一部を改築しても、上流支川の如きに至って十 に手当を与えなければ、其川 に うところの地方はやはり水害を免れぬと云うことであります。国費を以て此度改修をして、其 上流或は支川等に向っては、どう云う方法を執らるるつもりでありますか。現に北上川の如きは何 か監督の方法も設けて、国費で改修した所に副うだけの工事を府県でやらせると云うような方案が ありますか。 ○内務次官(沖野忠雄) 此支流の御話でありますが、従来此河川の改修には専ら本流の方を改修いたします。併し場合に 依っては、支流に及ぼしたのがあります。併し支流は、大体本流の方が改修して疎通さえ良くなれ ば、堤防を幾 か良く致しますとか、或いは堤防を幾 か高くするとか云うことで治まる支流が多 いのであります。それでありますから、先ず支流は地方の費用で改良をすると云うことに定めてあ ります。従来出来ました川でも、此淀川などは支流と云うのは、少しばかり放流口の所で堤防を高 くすれば、本流の改修に影響がないと云うことになっております。全部地方でやるものもあります し、また一局部に改良を加えたのがある次第であります。そう云うふうに大体なっております。 此北上川などに至りましては、支流が江合川及迫川などに至りまして、是はそう堤防さえ良けれ ば宜しいと云うまでに行きませぬけれども、併しながら比較的、其工費は少なくして改良を致して いくことが出来る見込みであります。それで先ず一番の本流を改良して……。 ○中倉万次郎 北上川に付いて御尋したいのでありませぬ。一般の河川について御尋致しましたのであります。 ○内務技師(沖野忠雄) 一般の河川は唯今御話致しましたように、支流は比較的に改良が出来ますから、それで本流を先 ず改良するのであります。 ○植場平 技師の説明に依ると、憂はないと云うことであるが、大に本員等は憂えている。本流の改良を致 す場合に、従来の設計は極めてけちな設計である。支流派川と云う様なものが沢山ある場合に、其 合流点に限って本川の流域としている派川が進んで来ている。其落合の処を以て合流点にする。そ うして改良以前の有様を えますると、地方費で、より以上ずっと逆水の押し来る処までを本川の 流域として、其の地方税支弁の堤防の修築をやっている。 然るに改良工事の場合には、今申すようにけちに出来ている。合流点を区切ってしまい、そうし

(18)

てあとは五町とか十町とかの間、地方税支弁の流域と定まっているものは之を地方に任ずる故に、 改良が出来ぬ、少しの笠置とか腹付けをすれば足る、と云うような御説明がありますけれども、一 面に太い堤防が出来ると、そこで 切られて、極めて低い堤防―技術から論ずると或いは懸念ない かも知れぬが、 岸の素人の治水の頭のない者から見ると、非常に危険である。 それを地方に任じて居るから、地方税の支出に堪えぬ所から捨てて置く。捨てて置くために―例 を言えば淀川などはそうなっているが、淀川の改良工事は殆ど終を告げている時 に、未だ一向に 地方税の仕事はしていない、こういう処が沢山ある。そう云う処に向かっては、或いは内務大臣よ り督促をして実行せしむるとか、或いは地方が計画を立て、改修的の仕事をする場合に、地方税に 堪えぬ場合には国が幾 か補助をすると云うような御方針であろうか、ないであろうか。其事を伺っ て置きたい。 それから将来御設計になる場合には、何とか左様なけちなことでなく、茲に治水の大方針を立て、 従来とは違って大に御奮発になる。是は、誠に治水を憂える者の歓迎に堪えない事柄である。 其故に今後の御方針は、まあ か堤防を高くすれば宜しいとか云うならば、地方に任じて置いて 宜しいと云うことでなく、成るべく御調査の上、支派川の合流点を打切らずに、従来逆水のあった 点まで行かず、御調査になれば大抵 かるのでありますから、其辺は出来得るだけ進めて改良工事 を全うしたいと思います。其辺の将来の御方針は如何であるか。丁度、中倉君の御心配も其処に在 ると思ひますが、私も此場合に大臣の御意見の存する所を確かめ、将来のご方針を喜んで歓迎する やうなことに致したいと存ずるのであります。諸君の御質問を妨げて相済みませぬが一言……。 ○島田三郎 私もそれに関連していることでありますが、蚕養川のようなことは地方では請願したら構って呉 れると云う希望を持って、県知事なども同意して内務省に持って来る。併し内務省の全体の決定が、 之を地方に任せると云うことならば、早く方針を定めて、こちらは主なる事をやるから、此の枝を 地方でやるべきものと云うことが知れたら、早く水害を除く決定が着くだろうと思います。あれが 動いている間は、どうしても頼んだら国でやって呉れると云う希望もありますから事が決定しない。 或いは決議をして持って来たり、請願を持って来るということになる。もう一つは、渡良瀬と云う ものは利根の改修の一部 と見るか、単独のものと見るか。そこが区別であるが、あれに準ずるも のが外にあれば、政府に頼んだら出来るのであろうと云うことがあるのでありますが……。 ○内務技師(沖野忠雄) 其点は申上げるのを落としましたが、支流は絶対に一切やらぬと云うように致してない。渡良瀬 川が一つの例であります。支流は余程大工事をしなければ到底措けないと云う場合には、やはり本 川同様の計画を樹てることになっております。地方に任したものの監督に至りましては、他の政府 委員から御答するでありましょうが、支流のことは唯今の御意見と一致していると思います。 ○島田三郎 明白になっていれば心が定まるのであるが、頼めば出来ると思うから其処まで持って来るのです。 ○内務技師(沖野忠雄)

(19)

蚕養川のことは丁度御話になったから申上げて置きますが、何もそんなに大きな金を要する訳で はないのです。 ○内務大臣(平田東助) 唯今政府委員より御答え申した所のことは、甚だ簡単でありましたけれども、大抵ご了承下され たことと思いましたから控えておりました。今政府委員より御答え申した通り、支流と雖もただ口 元だけやって置いて、害の及ぶのをも顧みずして置くと云う は、治水上に於て決して持っておる のではございませぬ。其川の状況に応じて必要なりと認めた処は、支流と雖も著手する所もあり、 又御話の如く県で之をやる方が適当なり、又県で其力に於てやり得ると云う見込みのある所は、此 等の工事に対して督促をし、或いは国に於て許す限りは補助を与える手続きをとることに致します。 兎に角、治水の是だけの大計画を定めまする上に於ては、其の目的の完全に行わるることを期する 次第であります。 ○植場平 大臣の唯今の御説明は、誠に有難く拝承致しました。さうすると斯う云ふことに了承して宜しか らうと思います。将来執るところの方針は、支流と雖も派川と雖も、成るべく出来る限り手を伸ば して充 にやろう。尚従来既に出来て居る場所と雖も、地方が計画を立て、或いは工費多額にして 地方の負担に堪えぬと云うような場合は、又補助の途を講ずることもある。こういうことに了承し て宜しうございますか。 ○内務大臣(平田東助) 少し私の申し方が足らなかったためか、唯今再び御尋の点に於て多少の相違があろうかと えま す。支流と雖も、国庫からして大抵は皆やって行くのである。斯う云う趣意に申したのではござい ませぬ。其治水上に於て支流を治めねば、本流治水の目的を達するに於て、完全を期し難いと認め た県(支流)に於ては、従来やっておりますから、今度の治水の目的に於てもそれはやって行く積 もりであります。又県に於て為すを適当とし、又力に応ずると云うようなことを認めているものに 於ては、宜しく県を督促して其目的を達せしめることに致したい。こういう趣意で申上げたこと、 御承知を願いたい。 ○戸狩權之助 第一期川二十河川の中、四十八年度以降に属する は、やはり木曽川外九河川と云うように見え ます。此の木曽川外九河川の測量若くは設計等は、先刻政府委員の御説明を聴きますると、凡そ概 算で六百何十万と云うことに認めるのでありますが、是は実地調査になって、本当の設計を樹てら れるものと思います。併し此木曽川外九箇川に対して実地調査に是から著手せらるるのは、何時か らでありましょうか。やはり四十四年度から実地調査に著手せらるることだろうと、吾々は えて おりますが。 それから是は工事に著手せぬとしても、或いは測量とか、若くは設計等のことに付いては同じ二 十河川の一期川でありますから、四十八年度以後でなければ、是に手を著けぬと云うことになって 来ると、後に残った川の方の地方は甚だ不幸を被る訳であります。それは四十八年度以後でなけれ

(20)

ば、其木曽川外九河川には手を着けないと云う意味ではありますまいな。そこはどう云うことになっ ておりましょうか。それは二十河川と云う同じ一期川であるから、一期川である以上には、一日も 早く此目的を達したいと云うことは、地方の希望するところでございます。其辺の御方針を伺って 置きたいと思います。 ○土木局長(水野錬太郎) 此調査は御尋の通りに、本年度から木曽川外九河川に付いては調査をやらなければならぬのです。 それで調査し終った上に於て、実地の業をやる、こういう順序になっております。それで一体此治 水事業費をこういうふうに計画を樹て決めましたのは、各年度の表を御覧下されば かりましょう と思いますが、随 今まで国庫から三百万円を出して、地方から二百万円出してあることから見ま すると、殆ど二倍乃至三倍にもなる年度もあります。それでありますからして、仕事の上から行き ますると、非常に大きな仕事になって来ます。 それで又川の事業の計画、工事の実況から云うても、今日の技術の程度から云いましても、そう 其人間に仕事の出来るものでないのでありまして、成るべく吾々も川は早く改修を遂げ、又手の著 いておらない川は一日でも早く仕事をし、それから其完了を一日も早くしたいと云う えでありま す。 段々其研究致しましたところが、今日の技術の状態に於ては、此処に掲げましただけ位の費用の 仕事をするのが精一杯である。是より以上やることは、技師の人の関係から言いましても、各種の 実際の仕事の状況から云うても、事実困難と云うことでありまして、それを標準と致しました。是 だけの二十河川と云うものを十八箇年にやる、それより早くやることは甚だ困難という実際の状態 であります。 それで治水調査会等に於ても段々話がありました。成るべく早くやろうではないか、成るべく早 くやればそれだけ地方の利益にもなるし、するからと云うので、いろいろ研究をしましたが、事実 の上に於て是だけの金では十八箇年よりより早くやることは事実困難であると云うことに帰著した のであります。 それで此年度割を御覧下されば かりますが、費用の点よりは寧ろ仕事の上から是だけのことよ り出来ぬと云うことになっております。それでありますから、実際の話になると、調査を致しまし て、其調査をした川を著手すると云うことは、どうしても四十八年度以降と云うことになって来る ことになるのであります。そうしますと、その間には前の既定河川に付いて段々仕事もやって行か なければなりませぬから、仕事の程度は四十八年度以後に於ては、段々変わって来るかも知れませ ぬが、大体に於て年度割にあるが如く仕事をすると云うことより、今日の状態に於ては已むを得ぬ のであります。実際の話になりましても、新規河川は四十八年度以降に手を著ける、事実手を著け ることはそう云うことになろうと えます。 ○戸狩權之助 是は今の仕事と金と二つの問題ですからして、同じ二十河川同一にすることは出来ないか知れま せぬけれども、他の一期河川と云うことになっていて、四十八年度以後でなければ一切手を着けぬ

(21)

と云うことになると、甚だ其関係地方の人民が非常に不幸を被る訳になります。是は経済が許さぬ、 或いは人が許さぬと云う計画であるから、四十八年度以後となっているとしましても、先以て此希 望するところは大体の御調によって、是まで二十河川が出ておったとしましても、実際今日になっ て見ると例えば山形県の模様を申しますと、最上川の如きは鉄道其他港湾等の関係上一日も早く手 を着けなければならぬ事情がある。こういう特殊の事情のある地方は、一日も早く御調査を願って、 最上川の如きは一日も速に手を着けて貰いたい。此地方のものが金を負担して出来るならば、此年 度を繰上げて貰ってでも、斯の如き最上川の如きは早く手を着けて貰いたいと云う希望を述べて置 きます。それで測量の如きは一日も早くして貰いたいと思います。 ○内務技師(沖野忠雄) 調査は四十四年度から、せっせとやることになっております。それで最上川の如きは今年着手し たのであります。 ○阿部徳三郎 此治水事業費年度割表に依って見ますると、此国庫支弁と地方支弁の費用と云うものが出ており ますが、果たしてそうでありまするか。果たして然らば、何故に河川に依って地方費支弁の負担額 がそう相違して来るのでありますか、それを承りたいのであります。それから此遠賀川の如きは、 地方費支弁と云うものは、砂防費負担はないのですか。是は確か事情があったように覚えておりま すが。ちょっと忘れましたから是も併せて御説明を願います。 ○土木局長(水野錬太郎) 此の地方負担額と国庫から出すものとは、河川法に決まっております。其河川法の決め方はどう 云うものであるかと云うと、河川の工事の予算費用が府県内の地租額を標準として、其十 の一を 超過するものは超過額の三 の二を国庫から出す。地租額を超過せし は、其超過の四 の三以内 を国から出すと云うことで、各県で違います。随って各府県で各川に付いて 担額も違います。も う一つの遠賀川のは、地方 担額が斯うなっておりますが、是は先に(地方 担額を)出してしまっ たので、地方の 担が四十四年度以後は無いのです。 ○島田三郎 此の技師定員の中に四十二人、外に三十九人増すと云うことである。今御見込みのものは、どう 云う所におったものであって、是だけに増加が出来るのですか。 ○内務技師(沖野忠雄) ただいまは、一時に増すと云うことは難しいのです。 ○島田三郎 そうするとどうなるのですか。 ○内務技師(沖野忠雄) 今いるものを採るのも、数名はありますけれども、漸次入れて定員までにする。 つまり若いのと年寄と混ったのが宜しいのです。 ○島田三郎

(22)

そうすると、卒業生も採るという御方針で。もっと採るには前途なろうと云う人があれば、軍隊 を増やすように増やすのですか。 ○内務技師(沖野忠雄) 勿論、是まで卒業生を雇員として沢山 っておりました。今でも百人もあるでしょう。そう云う ふうにして馴らしているのです。 ○島田三郎 それから給料と云うものも、今より人を招くように豊かにしてあるのですか。 ○内務技師(沖野忠雄) それは一般の官 と同様ですからいかぬのです。 ○島田三郎 そうすると、召集の下に集まる訳ですか。例えば外に行けばもう少し低く われるが、此方では 極度にまで われると云うこともあるのですか。 ○内務技師(沖野忠雄) 併し人を増やすと云うことも、金ばかりではなく地位とか、永い間と云うことから参ろうと思い ます。 ○中倉万次郎 今の御尋に関連して御聞き致しますが、此定員の中に四十二人というのは、是までの人を以て治 水事業の方に向けるという意味になっておるように えますが、普通の事務はどうなるのですか。 ここで差し支えないということになるのですか。 ○土木局長(水野錬太郎) 此処に出してありますのは、やはり て直轄の工事でありますが、其方に っておったのです。 それですから、其上に仕事が増しますに付いてです。 ○中倉万次郎 是まであった事業の事務も執らせるのですか。 ○土木局長(水野錬太郎) そうです。 ○戸狩權之助 参 のため御廻しになった砂防計画に関する件、とあるのは、こっちの方のが農商務省の方の所 管に移ったのですか。 ○土木局長(水野錬太郎) 今其処にある砂防工事、従来、農商務省でやっておったのは、内務省の方の治水に関する治水事 業で、殖林の方ではなく、其処の砂防工事は内務省の方でやるのです。 ○戸狩權之助 そうしますると、砂防工事は各府県に向かって奨励を為さるという御見込みなのですか。地方費 を以て砂防工事をするなり、若くは郡長村で砂防工事をするなり、砂防の工事をやれば相当に補助

(23)

せられるのですか。 ○土木局長(水野錬太郎) 是は今日まで府県で砂防工事はやっておりますが、従来よりも砂防工事を奨励しておりまして、 国から補助を与えておりますであります。近年は、益々其各府県に於ても盛んに砂防工事をやると いうようになって、国の補助を仰いで来るのが非常に多くなっている。今まで砂防工事には二十万 円計上してありましたが、将来は尚一層奨励して、今度の治水計画に於きまして奨励補助する方は に増して二十五万円にしてあります。 其外は決議の第一にあります方は、従来は地方でやって、そうして国から補助しておったという のが多かったそうです。けれども場合に依りますと、其一府県の利害に止まらないものがある。又 一府県の利害に止まる砂防工事があるのです。そういう場合には、其地方各府県だけにやらせるけ れども、一府県に止まらないという砂防工事は、将来国が直接に所謂、直轄して砂防工事をやると いうので、此第一の決議、是があります。範囲内の補助を与えて、各県に奨励しようというのでこ ういうふうに決めたのです。県だけで郡町村ではないのであります。 ○島田三郎 いろいろな事業をやります中で、大変高下のありますのはどういうのですか。利根川は三百八十 万円とあるかと思うと、北上川は か五十万円しかない。是ではやはり年限に余り遅速して、全体 に出来上がるに付いてはちゃんと平 に行くものですか。 ○内務技師(沖野忠雄) 此利根川の三期に属するものは、まだ一切土地を買っていないのです。所が此三期の属するもの は、先刻御話申し上げましたように、長さが二十七里もありますから、機械以外に其方の金が大変 始めに膨張いたします。北上川の方は、他の川に比するというと、此土地の方の費用は少ないので あります。反別も少ないし、土地も大抵山のような処が多いものでございますから、それは荒川等 に較べますというと、ちょっと覚えませぬが余程少ないのであります。先ず初め五千万円出して其 次の年度と合わせて二年位に……。 ○島田三郎 大抵北上川などでも二年とか三年とか けてある。 ○内務技師沖野忠雄 皆二年三年で北上川、荒川、利根、それから渡良瀬、皆三年計画で。 ○島田三郎 是が一時に片付いたら始末が宜しいでしょうが。 ○内務技師(沖野忠雄) そう運び切れぬのであります。 ○中倉万次郎 此各河川の工費の中に、土地買収費に大変高下があるようでございます。是は今の御説明に依る と、段別の多少に依り土地を買上ぐる。或いは信濃川なら信濃川、吉野川なら吉野川ということで

(24)

計画して、工事に要するだけのものは て土地買収としてあるのでございますか。又年度に依って 仕事を著々進めただけでも買収するのですか。年度に要するだけ買収をするのですか。 ○内務技師(沖野忠雄) 各年度に要する土地を買うということを初めにやって見ましたが、是は木曽川などはそうなって おったようでありますが、どうも是はいかぬです。少なくも十年位は掛る工事であります。其値の 変動と云うこともあるし、又工事の始めに、兎に角土地が買ってないというようなことから工事が 遅くなり勝ちになるから、先以て土地全部をば先に買う。こういう方針でございます。それがなか なか細かい調べの要するものでありますから、第一年度中に残らず買ってしまうということが難し いのでありまして、大抵、先ず三年位に調べが出来るのが多いのです。それで調べが出来たら毎年 買っていきまして、先ず三年の間に全部の土地を買ってそうして工事を進めていこう、こういう えであります。

おわりに

日本の近代治水事業にとって大きな節目、あるいは一つの重要な出発点と評してよい第一次治水 長期計画の策定過程について論じてきた。整理すると、国が工事を行う直轄河川を65河川として、 第一期施行20河川、第二期施行30河川を選定した。工期は、第一期河川全体で18ヶ年と定めた。こ の工期について、当初の政府案では20ヶ年であったが委員会からは15ヶ年へ短縮する要望が出され た。だが内務省から、地元との折衝、職員数・技術力からみて無理であるとの主張がなされ、18ヶ 年と定められたのである。 第一次治水計画を財政の面からみると、河川工事は継続制度がとられた。その当時、工事が行わ れていた 8河川、即座に工事に着手する荒川・北上川の二河川は、河川ごとに完成年度と併せて事 業費も定められた。投資規模は、国家財政の状況を踏まえて定められたが、事業費は、一般会計か らの繰入金、地方 担金、貯金部からの借入金で賄おうとするものであった。 こうして財政面においても制度が確立され、水田を中心とする耕地の保全と、都市の安定と発展 を求め、社会基盤を築くものとして治水事業は進められることとなったのである。 最後に、本研究を進めるにあたり、資料収集について㈳山梨県河川防災センター理事長の協力が あったこと、また、本研究は2007年度井上円了特別研究費でもって進められたことを付記します。

(25)

【注】 1) 武井 篤『わが国における治水の技術と制度に関する研究』1961年、pp.7-38 2) 若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘 』講談社、1983年、pp.146-147 3) 若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘 』前出、pp.148-149 4) 8河川以外に、河身修築工事として木曽川で工事が行われていた。完成したのは明治44年(1912)であり、引 き続いて維持工事が行われた。 5)『臨時治水調査会議事速記録 第 3号』 6) 武井 篤『わが国における治水の技術と制度に関する研究』前出、pp.7-60∼7-71 7) 木曽川も含まれている。 8)『帝国議会 衆議院議事速記録25』財団法人東大出版会 1981年 p.11 9 ) 内務省管轄事業費に、農商務省管轄の森林事業費も含まれていると思われる。 10)『帝国議会 衆議院委員会議録62』財団法人東大出版会 1989年 pp.305-317 【主要参 文献】 ・武井 篤『わが国における治水の技術と制度に関する研究』1961年 ・西川 喬『治水長期計画の歴 』1969年

参照

関連したドキュメント

子どもが、例えば、あるものを作りたい、という願いを形成し実現しようとする。子どもは、そ

わかりやすい解説により、今言われているデジタル化の変革と

エッジワースの単純化は次のよう な仮定だった。すなわち「すべて の人間は快楽機械である」という

(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

Q7 

いてもらう権利﹂に関するものである︒また︑多数意見は本件の争点を歪曲した︒というのは︑第一に︑多数意見は

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、