「研究及び論文の作成について」報告書《第二回
東洋大学公法研究会報告》
著者名(日)
長瀬 真理子
雑誌名
東洋法学
巻
55
号
2
ページ
229-250
発行年
2011-12
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000839/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止《第二回 東洋大学公法研究会報告》
「研究及び論文の作成について」報告書
長瀬 真理子 報告者 齋藤洋 (本学法学部教授) 報告題 「研 究 及 び 論 文 の 作 成 に つ い て ― ボ ロ ー ニ ャ 大 学 で 考えたこと―」 日 時 平成二三年五月三〇日 一八時~二〇時 場 所 東洋大学第二号館一四階法学部学習指導室 参加者 名 雪 健 二・ 宮 原 均・ 髙 木 英 行 (以 上、 東 洋 大 学) 、 杉 山 幸 一 (日 本 大 学) 、 鈴 木 陽 子 (武 蔵 野 学 院 大 学) 、 成 瀬 誠 (明 治 大 学) 、 柴 田 憲 司 (中 央 大 学) 、 長 瀬 真 理 子・ 徐 瑞 静・ 始 澤 真 純・ 李 秀 文 (以 上、 本 学 大 学 院 博士後期課程) 一 報告内容―以下、報告者(齋藤)の発表― では早速、報告を始めます。お手元には、カラー写真入り の 一 枚、 抜 き 刷 り 一 部、 図 と 表 (チ ェ ッ ク 項 目 案) の 合 計 四 部があるはずです。本日のテーマはボローニャ大学の帰国報 告を兼ねまして、論文、特に研究論文というものを再考して みようというものです。 まず導入としまして、お手元のこのカラーの写真付の文章 ですが、東洋大学の通信教育課程の『東洋通信』という通信 課程の学生を相手にした冊子に、二回ほど載せた原稿の原本 です。題は「ボローニャ遊行」 、「続・ボローニャ遊行」とい うものです。お時間があればお目通し下さい。 それで、私がボローニャ大学で色々な人と知り合ったり、 様々な話をしておりまして、結局そこで今回の話に関係する こととして、どのような経験をしたかといいますと、自分の 論文がイタリアでは通用しなかったということです。その論 文というのは、日本の学会で報告し、査読もされ、その学会 誌に掲載された論文です。それを向こうで全部イタリア語訳 しまして、少し書き加えました。ただ、ネイティブのチェッ ク を 入 れ ず に 投 稿 し て し ま っ た の で す。 そ う し ま し た ら、 「中 身 は 面 白 い が、 イ タ リ ア 語 の 表 現 が 不 十 分 で あ る」 と い う理由が付されて、掲載不可になってしまいました。勿論自 分の語学力が問題であることは明らかなのですが、私のよう に臍曲がりの疑り深い人間は、本当にイタリア語の力不足だ けで不採用になったのだろうかと思いました。 私 が 投 稿 し た 紀 要 は La rivista del diritto internazionale という国際法の研究誌でした。そこで同誌に載った他の先生 方 の 論 文、 他 に は、 例 え ば、 European Journal of Interna -tional Law と い う よ う な 有 名 誌 に 掲 載 さ れ て い る 先 生 方 の 論文、そういうのを読んで、あと、勿論わたくし自身が、過 去、論文を書くのに読んできた多くの論文の記憶、それと共に、外国の研究誌に掲載された日本人が書いた英語論文です ね、そういうものを読み比べてみました。 そこで一つ気付いたことは、それらに載る日本人の論文の 大半は依頼されて執筆されている、ということです。先方か ら依頼されて書いている―実際『依頼されて載せた』って書 いてありますからね―のが多いということです。では、全く のコネ無しに自由投稿で提出したら、大変に不遜な表現で申 し 訳 な い の で す が、 お そ ら く 載 ら な い だ ろ う と 思 っ た の で す。他の外国人研究者―欧米人がほとんどですが―で、自由 投稿で載ったであろうものをみますと、やはり論文の内容に 違いがあるというように感じました。つまり、日本人が書い た論文には無い要素が、外国人の書いた論文にはあるのでは ないかという、そういうような気持ちを持ちました。そこで 帰国してから書いたのが、皆さんのお手元にある「我が国に お け る 法 学 研 究 モ デ ル に 関 す る 一 試 論」 と い う 抜 き 刷 り で す。 こ れ は『東 洋 法 学』 第 五 四 巻 第 三 号 (二 〇 一 一 年) に 載ったものですから、先生方の中にはお目通しくださった方 もいらっしゃると思います。 話を元に戻しまして何故にこのような違いが出てくるのだ ろうかと色々考えて、自分の過去の研究経験、それから先輩 後 輩 達 の 話、 周 り で 見 聞 き し た こ と、 他 大 学 の 様 子 な ど か ら、最終的には、日本の大学院法学研究科において行われる 課 程 博 士 論 文 の 研 究 指 導 に 根 本 的 な 問 題 が あ る の で は な い か、ということに思い至ったわけです。これは自分自身の経 験、例えば他大学で博士論文の審査の副査をしたり、旧帝国 大学の大学院生の相談を受けたりといったこと、そういうこ とも全部含めまして考えましたら、課程博士における研究指 導 を も う 一 度 見 直 さ な け れ ば な ら な い だ ろ う と い う 考 え に 至ったわけです。 そ し て、 改 め て 色 々 聞 い た り、 調 べ た り し て お り ま し た ら、現在行われている指導というものが、いわば徒弟的な指 導方法、つまり、職人である親方に付いて、そこに弟子入り をして、自分の目で盗んで、親方のやり方を真似て、認めて もらって博士号をもらう、ということ、そのような指導が現 在でも続いているのではないかと思いました。そうすると、 そこで一番不幸なのは、研究方法とか指導とか、そのような ことができない人に付いてしまった場合、もう何にも書けな いわけです。指導もしてもらえないという現実があるわけで す。でも、それはまあ仕方がない、運命です。運として諦め るしかなかったわけです。 しかし、もうこれからの時代は、徒弟的な指導方法から抜 け出して、極めて一般的な、ある意味マニュアル化されたと いうのでしょうか、そういう指導方法、教育方法に基づいて 大学院生達を教員が指導しなければいけないのではないか、 と い う 思 い に 至 っ た わ け で す ね。 そ れ に は 二 つ 理 由 が あ っ て、一つは、当然、博士論文を書こうとしている人達がしっ
かりした論文を書けなくなってしまうということ。もう一つ が、実は大学院を担当している教員自身にも、博士論文はど のように指導すれば書けるのか、どのような内容を論文の中 に組み込めば博士論文として認定されるのか、ということを もう一度考え直してもらおうと、そのようなことに思い至っ て、 今 回 の 報 告 に な っ た わ け で す。 こ れ は、 か な り 耳 の 痛 い、と言いましょうか、自分自身にとっても胸に突き刺さる ような事柄を言っているわけでして、自分が吐いたことが自 分に突き刺さってくるという、恐ろしい精神状態であります (笑い) 。 自己反省を込めた今日の報告ということになります。 あまり時間を無駄にしてもいけませんので、あとは簡単に 報告して、皆さんからの質疑に応答を行った方がよいと思い ます。 〔中略〕 さて、そこでお手元の横長の表あるいは図を使ってお話を していきたいと思います。これは私が言いたいことを頭の中 で 考 え て 図 式 化 し た も の で あ り ま す。 〔当 該 図 表 は 紙 幅 の 関 係で割愛する〕 まず、この図表の説明の前に、日本における法学教育とは ど の よ う な も の な の だ ろ う か、 と い う こ と を 考 え 始 め ま し た。ヨーロッパではケルゼンとか色々ありますね。法哲学、 或いは、ハイデガーとか、いわゆる哲学。そちらの分野が非 常に大きく成り立っていると。そしてそこから法学の方に移 行するような人達もいますが、日本の場合は、そういう西洋 的 な 意 味 で の 哲 学 と い う の は 無 い と。 私 い ま、 木 田 元 (き だ・ げ ん) と い う 有 名 な 先 生 の 本、 『反 哲 学』 と い う 本 を 読 ん で い ま す が、 「西 洋 的 な 哲 学 と い う 伝 統 は 日 本 に は な い」 とはっきり言っています。兎に角、アジアには無いと。です から、そのようなヨーロッパと同じような形で、法学だとか 法哲学だとかは発達したわけではないだろうと思うのです。 しかも日本の場合、輸入ですよね。ということは、これまで 色々文献を読みますと、お手元の抜き刷りのどこかにも書い てありますが、日本の法学研究、法学論文は法解釈学である と言っていいと。それが殆ど、九九 ・ 九パーセントだという ようなことが書いてあります―書いてありますって、私が書 い た ん で す け ど (笑 い) ―。 ま あ、 も ち ろ ん 引 用 し て い ま す から、後ほどご確認下さい。 そして、我々の経験からも、だいたい法学部では法解釈学 を勉強して、大学院に入って、どのようにして自分が研究す るテーマを見つけるかというと、いきなり歴史学とか外国語 の 文 献 を 読 む よ り、 一 般 的 に は 学 部 で 学 ん だ 法 解 釈 学 の 中 の、 た ぶ ん、 「な ん と か 説」 な ど、 つ ま り 学 説 で す ね、 国 際 法でいうと、国際法と国内法の関係だとか、一元論、二元論 だとかですが、そのような事項に興味を持って始めてみたり ということが多いのではないだろうかと、経験上―この経験 というのは、他の人の経験も含めてですけども―、考えてい
るわけであります。 お手元の図表の真ん中より少し左側に、法学部というのが あります。法学部は何をするところか、といいますと、法学 部とは中世の設立の経緯から―この図表に書いてあるのは飽 くまでも私の個人的な考えですから、これが日本の法律学の 代表ではありませんので、それを前提に―簡単に言うと、裁 判官を作るところだということです。今の学部の教育システ ムと一般社会の要請はかなりズレているとは思いますが、兎 に角、学部の教育課程を見ますと、裁判官を養成するという ことを念頭に置いた教育課程になっています。そうすると、 学部で行う論述試験の答案なども、最終的に、学部生が裁判 官になったときに判決文が書けるようになるための訓練であ るといえるのです。そのように理解するしかないのではない かと。そうなると、法学部の答案の書き方について、図表の 真ん中に書いてあるような、憲法なら憲法、民法なら民法の 通常ならば事例問題が出されることになります。それに対し て、第何条第何項が適用されるか、その適用法に基づいて行 われる事実の再構成ですね、法律上の事実と言いますけれど も、それが行われて、次にその条文と兼ね合わせて、解釈問 題 が 発 生 す る、 と い う こ と に な り ま す。 「民 法 上 の 出 生 と は ど う い う 意 味 な の か」 や、 「刑 法 上 の 名 誉 毀 損 と は ど う い う 意味か」 、「公然とはどういう意味か」というような場合、解 釈問題が発生する。何故ならば、日本は、文章で法律を表す 大陸法体系の国だという特徴がここに現れているわけです。 では、どのような解釈があるのかを裁判官は自分の頭で考え るのは大変なので、他の学者達が考えた学説を色々調べるこ とになります。で、甲乙付け難しと。そこで法的安定性とか 予測可能性、具体的妥当性などを満たさなければなりません ので、先例・判例を調べることになりますし、これといった 判例が出てくるわけですね。そこで通常、判例というものは 学部レベルの段階では、沢山ある学説について、ある程度、 決 着 を 付 け る と い う 位 置 付 け が な さ れ る 場 合 が 多 い わ け で す。それをリーディング・ケース、最重要判例と呼んだりす るのです。一つとは限りませんけど。或いは、幾つかの判例 から抽象的なことが導き出される場合もあります。それであ る程度、妥当な解釈が出てきて、それを法律上の事実、再構 成された事実に当てはめて結論を出すことになります。大体 このようなパターンですね。非常に簡単です。できればプラ ス ア ル フ ァ、 自 分 は ど の よ う に 考 え る か を 書 け れ ば よ り 良 い、という。概ねこのような形になっているわけです。 これを三段論法で表すならば、序論、本論、結論という形 に な る し、 ま た、 一 行 問 題 は、 ど こ か ら ス タ ー ト す る か に よって多少違いが出ますが、例えば「契約の成立について述 べよ」と問われた場合、契約の成立に関係する民法上の規定 が前提となりますから、事例も何もありませんので、そこで どのような解釈問題が発生するのか、これはもう授業で習っ
ているわけですから、そこから始まるわけです。簡単に言う と、そのような形になるわけですね。 そして、法科大学院に行きますと、このパターンを踏襲し ながら、もう少し、こなれた形になります。法科大学院の場 合、答案練習は、適用法から結論までは書かなければなりま せんが、むしろ自分の考え方というものも、しっかり書いて いなければいけないわけです。そこでは法論理的な考えた方 をきちんと出して考えなければならない。最終的に司法試験 は、これは本学で司法試験を通った先生からのアドバイスな の で す が、 「司 法 試 験 の 場 合、 適 用 法 だ と か こ ん な こ と は 大 前提、分かっているということを大前提として、法論理的に 通 用 す る 自 分 の 考 え 方 を 前 面 に 出 さ な き ゃ い け な い よ。 」 と いうことになります。それらの訓練期間を経て、裁判所に就 職して、裁判官として判決文を書くと。そして、その判決文 で出された考え方がまたフィードバックされて、学部の教育 課程における学説とか判例になっていくというわけですね。 さて、そこで今度は研究―法学研究科―の方に移りたいと 思います。通常、法学研究科では、修士論文と博士論文とい う二つの論文が念頭に置かれています。修士論文も博士論文 も基本的にテーマの設定から行われますけれども、修士論文 については先生方によって少し感覚や考え方が違うところが あると思います。私の場合、修士論文は修士で終わるのでは なくて、のちに博士課程に進学して博士論文を書く一つの過 程だと考えています。しかも日本の法学部では卒業論文が必 修ではないわけですね。 昔ある先生が「法学部で卒論が必修でないのは、四年間勉 強しただけで卒論を書けるほど簡単な学問ではないのだ」と おっしゃられた記憶があります。まあ、簡単な学問でないか どうか分かりませんが、私にとっては難しかったということ で (笑 い) 。 ど う せ 書 け な い だ ろ う な あ、 と 納 得 し て し ま っ たわけです。 それで大学院に入学して初めて論文というものを書くとい うわけです。修士論文とは、そのための訓練を兼ねているこ とになります。論文の構成の仕方、註の付け方や、テーマの 設 定 の 仕 方 な ど、 論 文 を 書 く た め の 訓 練 を 兼 ね て い る の だ と。 こ の 段 階 に お け る 修 士 論 文 は、 も う 様 々 な 形 が あ り ま す。たとえば、ある旧帝大などは実質上五年間一貫教育のよ うなことをしていますから、例えば国際法の分野ですけれど も、 「論 文 な ど 書 か な く て も よ い、 し っ か り し た 外 国 語 の 文 献をまるまる一冊全部訳せ。その各章それぞれに、日本のこ とやコメントを付けて書いておけば、ひとまずそれで良い」 という教育方法です。そして、博士課程に行った段階で、そ の修士論文を基礎にして発展させるということになります。 その利点は、外国語の力や読解力、外国語の論文の構成と書 くべき内容を修士段階で自然と身に付けさせることです。そ の他の形もありますが、私はどのようなものでも良いと思い
ます。兎に角、修士論文は、最低限、博士論文を書くための 語学力、技術、方法などを身に付ける段階だろうと思うから です。 では今回のテーマである博士論文の方に入ります。今回は まず課程博士を前提にします。課程博士論文のテーマという のは、これはもう好き好きである、好きに選んでくださいと いうことが、まず第一になりますが、通常は修士論文からの 延長という場合が多いわけです。ということは、法学部の学 説、判例のところで疑問に思ったこと、より調べたいこと、 ということが中心になるだろうと思われます。そこで、お手 元の図表の博士論文のところに書いてあるのが、いわば、課 程博士論文の書き方についての考え方です。まずテーマを設 定します。次にテーマの適切性の検討になります。これが意 外と難しいのです。 このチェック項目の方をご覧ください。あわせて見てくだ さったら分かり易いと思います。チェック項目の「テーマに ついて」というところです。 「こ れ か ら、 今、 博 士 論 文 を 書 こ う と し て い る 人、 書 い て いる人」という見出しがありますが、皆さんは一つのテーマ を選んだなら、その後どのように進めているかを考え直して い た だ き た い。 よ く 見 か け る の が、 「自 分 が 面 白 そ う だ と 思ったから」とか、自分の好み、自分の興味だけで選んでい る と い う 人 が い ま す。 で も、 そ れ で は 駄 目 だ と い う こ と で す。あくまでも、課程博士も論文博士も、大前提として、日 本 と い う 国 の 専 門 の 学 界 (会) に お け る テ ー マ と し て 研 究 が なされるという点なのです。ですからアメリカで同じものを 書 い た な ら ば 全 く 相 手 に さ れ な く て も、 日 本 で 書 い た な ら ば、 日 本 の 学 会 (界) で は 全 く 知 ら れ て い な い こ と、 新 し い ことだという評価を受けて博士号を取得できるわけです。一 番良くあるパターンが、日本のことを外国で書くこと。これ が一番、博士号が取り易い。だからヨーロッパとかアメリカ で、 す ぐ に 博 士 号 を 取 得 す る 人 と い う の は、 そ の よ う な パ ターンが多いといわれていますね。向こうで日本のことを書 いてしまう、ということです。でも、やはり学術論文ですか ら、一定水準は必要でしょう。またきちんと指導されていれ ば、テーマこそ日本ですが、論文の書き方については、しっ かりと身についているわけですから、それはそれで価値があ ると思います。 しかし、ここにいらっしゃる皆さんは日本で博士号を取ろ うと考えている人が多いと思いますし、私もまともな論文を 書こうと思っているのです。そうすると、まず日本の学界、 学問の世界とそのテーマが所属する学会―憲法の学会とか、 民法の学会―において、研究するだけの意味を持ってるテー マ な の か、 と い う こ と を ま ず 知 ら な け れ ば い け な い わ け で す。もう解決済みのテーマなど幾ら研究しても、絶対とはい えませんが、短期的にはあまり意味が無いのです。新しい意
味を見出せば別ですけども、そのような天才的な人間はまず いません。百年に一度ぐらいしかいない。我々みたいな、で は な く、 私 の よ う な 凡 人 に は そ の よ う な 才 能 は 無 い で す か ら、色々と調べなくてはいけない。 従いまして、まずテーマというものが、そのテーマが属す る 分 野 に お い て、 研 究 す る だ け の 価 値 が あ る も の か ど う か を、これまでの過去の文献をしっかり読み込み、かつ、その 学会に参加したり、関係する研究会に参加して最新の情報を 得て見極めなければなりません。また個人的に、その分野の 有名な先生、実力のある先生のお話を伺ったり、個別に会っ て相談したりするなど、兎に角、自分が設定したテーマに研 究する価値があるのかどうか、自分が価値があると思ってい ることが正しいのかどうか、これを検証しなくてはいけない のです。 日本の場合、この点が物凄く手薄だと思うのです。実はか つてある歴史分野の他大学の教員と話していて、どのような 論 文 を 書 い て る の か 尋 ね た ら、 「○ ○ つ い て」 と 個 人 名 を 出 す わ け で す。 そ こ で そ の 人 物 を 選 ん だ 理 由 を 聞 く と、 単 に 「身 近 で、 面 白 そ う だ か ら」 と い う 回 答 な の で す。 こ れ で は 話 に な ら な い の で、 「そ れ だ っ た ら、 あ な た の お じ い ち ゃ ん の こ と 書 い た っ て 同 じ で し ょ う。 私 の お 母 さ ん の こ と 書 い たって同じでしょう?」と言ったら、答えに詰まって怒って 席を立ってしまいましたけど―つまり、そんなことになって はいけないということですね。 兎に角、自分の設定したテーマが適切であることが分かっ たならば、次に、論文の態様の明確化、ということを考えな くてはならない。実はこの部分が、できていないというか― できているものもあるのですが。ただ、意識的に行われてい ないというのが大きな問題だと思うのです。我々が論文を書 くときに、大きな博士論文を書くときに、私のときもそうで したけども、自分の論文の形態、態様はどのようなものなの だろうか、という問題なのです。 お手元の図表の右の方に、矢印が引っ張ってあって、右端 上 に 小 さ な 四 角 の 枠 が あ り ま す。 「論 文 の 態 様」 と 書 い て あ り ま す。 そ こ に「体 系 構 築 型」 と か、 「前 進 型」 、「穴 埋 め 型」 、「混合型」 、「その他」と書いてあります。これはこうい う型があるというよりも、例として挙げただけで、もっと沢 山の型があると思います。型というと、決まり切ったことと 思うかもしれませんが、そんなことはないのです。一種のイ メージとして捉えてください。たとえば、体系構築型という の は 何 か っ て い う と ― (ホ ワ イ ト ボ ー ド に 図 を 書 い て 説 明) 。 ある分野で、様々な研究が個別にありました。一つ一つは単 独の小さな論文なのです。しかし、これが一つの研究分野だ とすると、これらがどのような位置関係になっているか分か ら な い と い う こ と が あ る わ け で す。 そ う す る と、 こ れ ら を シャッフルして、たとえば、この部分は歴史的な部分、この
部分は法解釈的な部分、この部分は比較法的なもの―という ようにして、一つの体系、学問体系をまとめ上げる。勿論巨 大な体系ではなく、狭い範囲の個別分野の特殊な体系ではあ りますが、それでもその分野の体系構築になるわけです。そ れが発展して、国際人権法、国際環境法、宇宙法などといっ た認知される分野を確立することになるのだと思います。 私の博士論文の場合を例として挙げますと、国際法という の は、 六 法 科 目 み た い に 法 典 化、 総 論 と か 各 論 と か い う 形 で、一編、二編、三編というような民法や刑法のような形で 体系的な法典化がされていない。多様な条約、慣習法がバラ バラにあるわけです。日米安全保障条約みたいな二国間条約 もあれば、外交関係に関するウィーン条約のような多数国間 条約もあれば、国連憲章という軍事に関する多数国間条約も あれば、日仏文化交流協定など様々な分野の国際的な規範が 個別的に存在している。それを一括して国際法という名を付 けているだけなのです。行政法や労働法もそうですよね。 さて私の元々の研究が外交関係なんです。外交のルール、 いわゆる、外交官の特権免除ですが、歴史的な視点から、古 代 ギ リ シ ア の プ ロ ク ゼ ノ ス 制 だ と か、 古 代 イ ン ド の 場 合 な ど、主として英語文献を用いて調べていました。そうこうす る う ち に、 外 交 と い う の は 現 代 国 際 社 会 に お い て は 情 報 関 係、情報のやり取りというような見方になってきました。私 が大学院生の時代には、まだインターネットも無い時代です けども、外交官の接触は言葉でやりとりする。そうすると、 外交関係という形で、人間同士の関係で表されているものの 本質は、情報の交流であると。情報対情報の戦いであると。 そのような少し原理原則的な見方、基礎的なところに焦点を 合わせた見方で、もう一度考え直しました。そうすると、国 際社会の中で情報関係は非常に沢山あるのです。戦時国際法 上の捕虜の交換から、海洋法上の、船が電波を流したり、宇 宙法では人工衛星が電波を流したり―そういう形で存在して いたのです。そうなると、情報のやり取りという範囲内で個 別バラバラな状況を一つまとめていこう、ある程度、体系化 しようと考えました。体系化するということは、まさに法学 として体系化するわけですから、当然、権利義務関係があり ますよね。そして、問題が発生したときの解決手段がありま すね。手続きがあって、この手続きに則って裁判というもの がありますね。こういうものが一通り揃ったならば、一つの 法典として体系ができるわけです。刑事訴訟法など全部そう ですよね。この形で書かれているわけですね。そこで、これ らを一つ一つ検討しながら組み合わせを考え、この体系にで きないのかと考えていたら、出来たのです。ただこの分野に は、共通する「何々権」などはありませんでしたから、具体 的な国家の実行、具体的な行動を色々見て、分類して―「国 際情報通信権」とか「情報防御権」というような権利観念を 定義として設定します。
論理学に定義理論がありますよね。言葉を定義するための 近代論理学における理論なのですが、記号論とか弁証法もあ りますけど、一番使われるのが近代論理学の定義理論です。 ヨーロッパ人の研究者の多くはこれを使っていますね。この 定義理論を用いて情報通信権や情報防御権を定義すると、そ こには、義務は基本的に無くて、二つの権利の対抗関係とい う形で全部表すことができたのです。最終的には裁判、或い は、仲介・調停などの様々な平和的な解決方法で処理するこ とができる。実際に判例がある。判例を読み替えるわけです ね。そうすると、裁判、仲介や調停、その他既存の多くの方 法で紛争を処理することができる、ということが判明したの です。その結果、私が設定したこの二つの権利の対抗関係で 全部説明でき、国際社会の情報関係として一つにまとめられ たのです。そして私は、国際情報宣伝法―情報の国際法―と いうタイトルを付けて課程博士を取得したということです。 最 近 の 国 際 法 の 分 野 で は、 国 際 経 済 法 と か 国 際 環 境 法 と か、国際人権法、国際海洋法、国際なんとか法とか、みなこ のパターンで学問上の体系化を試みているということです。 国 内 法 の 研 究 者 は、 こ の よ う な こ と を い き な り 実 行 す る の は、かなり難しいかもしれない。国際法のような環境だから できたのかもしれませんが、発想とすれば、体系構築型とい うことになります。 それから、前進型というのは、これは国内法にも当てはま りますが、学問上体系化されたものがすでにあります。日本 の学問を進歩させなければ博士論文にはなりませんから、全 体 を 一 歩、 或 い は、 ほ ん の 少 し 進 め る、 と い う イ メ ー ジ で す。憲法学の統治行為論の中のさらに小さな問題を前進、上 に上にといいましょうか、少しレベルアップさせるというこ とで、それも一つの前進ですね。或いは、ここに手薄な所が あればこれを埋めて、全体として前進させるというイメージ が、前進型というものです。 次 の 穴 埋 め 型 と い う の は、 こ れ も 一 つ の 既 存 の 体 系 が あ り、 そ れ を 注 意 深 く 見 て い く と 手 薄 な と こ ろ が あ る わ け で す。 こ れ を 埋 め る の が 穴 埋 め 型 と い う も の で す。 埋 め 方 は 色々あります。これは後でいう方法―手段あるいは技術―に も関係しますが、歴史的な研究によって埋める方法。外国の 理論が使えるかどうかを検討しながら理論的に埋めていく方 法。或いは、他分野の理論、社会学などの理論を使って埋め ていく。法解釈学の判例研究をしっかり行い、この部分を埋 めていく。とりあえず、これが穴埋め型というものです。 そして混合型というのは、今述べたようなものを複合的に 用いる。たとえば、体系型を試みましたが、これを体系化す るには、どうしてもある部分をはっきりさせなければならな い。そうすると、自分の中の発想の中の体系ではこの部分が 穴になるわけです。その結果、穴埋め型と体系型の混合にな りますね。
「そ の 他」 と あ り ま す が、 こ れ は 自 由 な 発 想 で 組 み 合 わ せ て考えなければならないわけです。多くの紀要に、いろいろ 論 文 の 審 査 報 告 要 旨 が 出 て い ま す し、 「課 程 博 士 の 論 文 を 書 きました」と私のところに送ってくるものもいますけど、そ ういうものを読むと、このような型がハッキリしているもの と、していないものがあると思います。意外と、結果として この中の「何とか型」には該当してはいますが、執筆した本 人がそれを意識していないと思われる場合が多いのです。歴 史型なんて、まさにその通りですね。執筆している本人は意 識していないが、最終的には何かの型に当てはまっているの で、結果として認められているということなのです。重要な ことは執筆者自身が意識するということです。我々がテーマ を設定して書こうと思ったときに、どの型、どのパターンに なるのかを、まず考えておかなければならない。それがある 程度決まれば、次に必要な方法―手段や技術―の選定、論文 構成に入ることができます。たとえば穴埋め型で、この穴埋 めが比較法の結果を必要とするならば、当然、比較という方 法を用いなければなりません。或いは判例研究の部分が手薄 ならば、判例研究が中心になるわけです。 で す か ら、 こ の 論 文 の 態 様 が ハ ッ キ リ と す れ ば、 大 体 次 の、どのような方法―手段あるいは技術―を選択するかは、 ほぼ自然と決まります。ここでは歴史、比較、社会学などが 挙げられていますが、これはただ単に例として挙げているだ けですから、別の方法でも構いません。文学でも良いし、或 い は、 教 会 法 を い き な り 持 っ て き て、 「神 が こ う い っ て い る からこうだ」と、理屈の上では通じるのですから。それは仏 の 教 え で も い い の で す。 「般 若 心 経 だ と こ う な る」 と か。 型 が決まれば次が自然に決まり、論文構成ができることになり ます。あとは論文を執筆するのですが、課程博士の場合、注 意 が 必 要 な の は、 な に か を 提 案 し よ う と か、 提 言 し よ う と か、そういうことは避けた方が良いということです。そのよ うなことは百万年早いということです。まず基礎を深めてく ださい。 お手元の図表には「存在研究」 、「当為研究」と書いてあり ますが、抜き刷りの方にも記述されているので、あとでお読 み く だ さ い。 要 は、 兎 に 角、 存 在 研 究 の 中 心 は、 現 状 を 説 明できるかどうか、きちんと説明できるかどうか、というこ と な の で す。 そ の 説 明 を す る た め に 解 釈 学 を 用 い て も よ い し、社会学や歴史学でもよい―テーマによって違いますけれ ど ―。 さ ら に 問 題 が あ れ ば、 「今 後 の 課 題」 あ る い は「今 後 の研究課題」として最後の方に少し書いておけばよいわけで す ね。 さ ら に、 「存 在 研 究」 が し っ か り と で き た 後 で、 ど う す べ き か と い う「提 言」 ま で 進 む と、 論 文 博 士 の レ ベ ル に な っ て し ま い ま す。 こ の 論 文 博 士 レ ベ ル に な る と、 た と え ば、ある解釈問題について一つの学説を打ち立てるというこ とになる。ここまでくると今度は裁判官が、ここに矢印あり
ま す ね〔手 元 の 図 表 を 示 す〕 、 裁 判 官 が そ れ を ま た 参 考 に し、それがまた法学部の方に行き、修士論文、博士論文に行 き、当為研究の段階まで行って―と、こういう循環が実務家 と研究者の間の関係として出てくることになります。大雑把 に言ってしまうと、こういうような流れで書かないといけな いのではないかということです。 次にこちらのチェック項目を見てください〔資料を提示〕 。 先程の論文の態様についてですが、一番悪いのは、結構見か けるのですが、一所懸命勉強し、一所懸命調べたことを単に 資料のように並べているだけのものです。例えば「序章、第 一章アメリカにおける制度、第二章イギリスにおける制度、 第三章フランスにおける制度、第四章日本における制度、第 五章結論及び今後の課題」で第五章の結論部分で自分の感想 文を述べて終わり、というものです。これは資料であって、 論文ではないですね。そういった文章が意外と多いのです。 先ほど述べた態様あるいは型が無いのです。このようなもの は、通常は博士論文になりませんが―。 そして二番目に、選択した態様が、その学問の世界で認め られているものなのかどうか、ということです。たとえば、 国内法の解釈問題として民法上の「出生」の意味を研究する のに、イスラム法をいきなり日本法の解釈に当てはめてよい のか、例えばですよ。その様なことは関係学会、学問の世界 で認められているのかどうか。もちろん学問研究は個人の自 由ですが、それが日本の学問の世界に寄与しているのだろう か、その様な方法が日本の学問世界で認められるのか、とい う話です。これは極端な例ですけど、そういうことも少し考 えなければならないだろうということです。ですから、基本 に戻って、学会や研究会に積極的に参加して、自分の研究を 報告し、先生方から批判やコメントを与えて頂く、その分野 に つ い て の し っ か り と し た 先 生 に 考 え を 聞 い て い た だ く と か、そういうことが必要なわけです。このようなことを言っ てしまっては先生方から御叱りを受けるかもしれませんが、 自分の指導教授だけを信用してはいけない、ということも必 要でしょう。 (苦笑) 次に「必要な方法の選定」です。ここで注意が必要なのは ―私の使い方が悪いのですが―ここにいう「方法」とは「手 段・技術」という意味です。いわゆる方法論の方法ではない のです。論文の態様を実現するために必要な方法―手段・技 術―が適切に選択されているかという問題です。頻繁に見か けるのが、自分ができる範囲内で誤魔化していること。本来 ならば、例えばフランスの判例を使用しなければならないの に、フランス語を勉強していないから、英語文献だけで書い てしまう。そのようなことは学問上通用しません。 手前味噌になりますが、私の国際法の研究でアラビア語が 必要でした。そこで四年間アラビア語を習い、ようやく日本 に あ る 文 献 を 見 よ う と 思 っ た ら 無 い (笑 い) 。『ア ラ ビ ア ン ナ
イト』つまり『千一夜物語』しかない。仕方ないので色々調 べ て、 『聖 戦 と 国 際 関 係』 と い う 本 を 出 版 し て い る 当 時 の カ イロ大学の准教授だったサイード博士を見つけ出し、アラビ ア語で一所懸命に手紙を書いて、その本をサウジアラビア大 使館経由で送ってもらいました。辞書やコーランを引きなが ら 読 み ま し た。 そ の 結 果 で す が、 私 の 学 位 論 文 は 昔 で い う 四百字詰め原稿用紙で千二百枚余りです。そのうちのわずか 三 行 で す ね、 そ の 文 献 を 使 用 し て 三 行 し か 書 け な か っ た。 「イ ス ラ ム で は こ れ こ れ し か じ か で あ る」 と。 で も、 そ れ は 必要なことだったのです。それは私の指導教授からも言われ ま し た。 「今 で き な く て も 必 要 な ら ば、 で き る よ う に な っ て からやりなさい」という話ですね。自分のことを出して言う のは恥ずかしいのですが、できないからといって逃げてはい けない。必要なことは、勉強してできるようになって使って い か な く て は い け な い。 そ の 意 味 で、 実 は 私、 ち ょ っ と ス ウ ェ ー デ ン 語 も や り ま し た。 〔中 略〕 ス ウ ェ ー デ ン 大 使 館 に 行 き、 「ス ウ ェ ー デ ン の 六 法 見 せ て く だ さ い」 と 頼 み、 そ れ は単に確認のためでしたけれど、確かにそのように書いてあ ると明確に確認できたのです。だから自信を持って書けるわ けですね。これは語学の話ですが、方法―手段・技術―につ いても、たとえばゲーム理論、オートポイエティックシステ ム理論を使わなければならないことがあれば、それを学習し て用いなければならないということです。その心掛けと気持 ち、それがないと博士論文なんて絶対に書けない、と私は思 い ま す。 だ か ら、 自 分 の で き る 範 囲 内 で 誤 魔 化 し て い な い か、ということを、特に今日出席している院生諸君にもう一 度考えてもらいたいのです。その意味で孫引きなどはもって の外です。研究者として不正直、不実ですね。 自分が必要な方法―手段・技術―をまず習得し、その証明 として論文の中、論理構成の中、目次の中に、自分が論文を 書くために使う方法―手段・技術―を明示する箇所があるわ けです。論文の最初の方で「私はこれこれの目的で、この態 様の論文を書くから、このような方法―手段・技術―を採り ます」と明記するのです。そうするとその部分で、自分が習 得した方法―手段・技術―を、きちんと説明しておかなけれ ば な ら な い。 そ の 方 法 を 自 分 の 論 文 中 で 如 何 に 使 用 す る の か、ということも含めて説明する必要があるのです。それに よって自分が一定の方法を習得したことを明示し、外国語の 場合は原典に当たって引用するということで、信用されるわ けです。だから、自分がその必要な方法を習得しているかど うかを、第三者が分かるようにハッキリさせなければならな いわけです。そして、その方法を実行するために必要な準備 をしているか。これはさっきから言っていることですが、準 備ができていなかったら、勉強して準備をしましょうと。そ のために修士二年、博士三年、裏表返せば一〇年あるわけで すよ。一〇年あったら、外国語の一つや二つ、最低限、辞書
を使えば読めるくらいにはなりますよね。他の分野の理論の 一つ二つ位は習得できますよね。大学院でそれだけの期間が 設けられているのは、そのためなのだということです。この ことを真摯に意識し、実行しなければなりません。 四番目の「論文執筆」に入ります。まず論文の態様・型に 合致した構成になっているかは目次に現れます。そのためよ く目次が重要になります。大切なことは、論理構成が首尾一 貫しているか。しばしば目にするのが、どうしてこの理屈が 出てくるのだろう、どうしてこれが無いのだろう、というこ と。たとえばドイツの判例が出てこなければならないのにそ れが無く、アメリカの判例が出てくる。また「統計です」と 言いながら、きちんとした統計学の方法が現れていない、と いうのがあります。ですから目次を見れば、より細かければ 細かいほど良いのですけれど、その論文の構成が大体わかっ てしまうのです。逆にいえば、それに耐えられるだけの目次 を作っているのかどうかですね。 それから後は、通常、私たちの法学の分野に特有ですが、 法学・法律上の様々なルールや原則に抵触していないか。刑 法なのに罪刑法定主義や刑罰不遡及原則を無視していないか です。簡単に言うと法の一般原則などが含まれる法・法学の 枠です。これは基本中の基本で、こんなところで言うことで はないのですが、実は最終的に自分が何かを提言しようとす る人が、意外とこの抵触を行っているのです。全く法・法学 の枠を無視して「こうすべきだ」なんて主張するのです。そ のような文章は論文ではなく、単なる感想文ですから意味が ない。もし政策を提示したければ、政策学や法政策学などの ほかの分野の方法に依拠した上で行う必要があります。例え ば法政策学でいう正義性基準と効率性基準に基づいた立法案 ―法が関係する場合、法・法学の枠は必ず出てきますが―を 提示するというようにです。 それから、後はもう簡単にですが、基本的なことですけれ ども、日本語文献や外国語文献の引用方法、抜き書きや要約 の用法、註の表記方法は正しいですか、書籍と論文を一緒に 同 様 の 表 記 で 書 い て い ま せ ん か、 ペ ー ジ に つ い て p.23 と 23p. との違いは解っていますか―いるのですよ、恥ずかしいけれ ど も。 録 音 さ れ て い る の で、 名 前 は 言 い ま せ ん け れ ど も (笑 い) 。このような基本は修士論文の段階で習得することです。 そして博士論文の場合は、日本語を除いて孫引きではなく、 二カ国語以上の外国語文献が使用されていますか。これもよ く 見 か け ま す が、 「こ ん な に 外 国 語 文 献 を 使 用 し ま し た」 と 見せかけるため、参考文献欄に二百冊、三百冊と並べ立てて いるもの。その程度は、インターネットでコピーすればすぐ 書けます。でも質問すると馬脚を現します。実際、一冊も読 んでいない。論文一編も読んでいないというのもありますよ ね。参考文献欄に何百冊記載しても意味がない、実際に本文 中で、脚注で使っていますか、ということなのです、二カ国
語以上。二カ国語以上マスターするために、マスターとまで はいかなくとも論文を読んで訳せる程度で良いと思います。 だから一〇年あり、指導教授からそういう指導を受けること が必要なのです。外国語なんて必要ないという人―指導教授 ―もいるような噂を聞いていますが、それは間違いだと思い ます。 最後に「その他」ですが、指導教授だけでなくて、自分の テーマに関する他の研究者の批評も受けてみるということで す。繰り返しになりますが、専門の研究会や学会に入って、 その分野のトップを走っている研究者あるいは第二位グルー プでもいいですが、最新のことを分かっている研究者を知っ ていますか、ということですね。論文の執筆前、或いは、執 筆 中 に 会 っ て、 報 告 を し て、 聞 い て い た だ い て、 批 判、 批 評、コメントを浴びる。或いは、個人的に相談に行く。 私の恩師などは少々変わった研究をしていましたから、専 門の学会が無いので、関係分野の専門家の所に手紙を書いて ―今でいうアポイントを取って会いに行って、話し込んで、 色々自分の考え方を言い、コメントを受け、それで自分の論 文に反映したといいます。私の恩師は「法地誌学」―自分で 命名したらしいですが―を研究していました。 〔中略〕 要は、自分の研究分野のナンバーワンが自分の指導教授で あるなんていう幻想は捨てなくてはならない―って、自分自 身に言ってるのですけれど (笑い) 。 大体このようなことを念頭に、お手元の図表に載っている ような形で目次を構成し、論文を執筆すれば、課程博士論文 としての水準には達するのではないかと考えているのです。 ですから東洋大学においても、これから博士論文を書こうと いう大学院生達もいますから、どうも書き方や目次構成、論 理構成、必要なことが何か分からないときには、まずお手元 のチェック項目を見て、何が足りないのかを確認してみてく ださい。ただその前に、それぞれが書こうと思うテーマが書 く だ け の 意 味 を 持 っ て い る の か ど う か を 知 る 必 要 が あ り ま す。しっかり勉強することが、当たり前のことですが、重要 なのです。 以 上 の よ う な こ と を 実 践 す れ ば、 課 程 博 士 論 文 を 執 筆 で き、また論文の態様・型および論理構成の中で必要な方法― 手段・技術―をあわせた部分が、実は外国でも通用する部分 になるわけです。テーマなどは国によって違いますし、事情 も違います。法律も異なります。ある問題を解決しよう、あ る問題を研究しようとしたときに使うのが、態様・型と方法 ―手段・技術―のところ。これらは国ごとに特有の方法があ るわけではなく、社会学の方法、歴史学の方法、統計学や比 較など全世界共通です。これらの共通部分をしっかりと書い ておけば、外国語に訳したときも、多少語学力がなくとも、 向こうの人達が見てくれると私は考えているわけです。
反対に我々が引用したり、使ってる外国語の文献は一体ど うして、どの部分を用いているのか。もう一度見直すと、や は り こ の 部 分 に つ い て 参 考 に し て 書 い て い る の で は な い で し ょ う か。 だ か ら 我 々 も そ う す る 必 要 が あ る の で は な い で しょうか。特にこれからの未来に生きる研究者には必要なこ とだと思うのです。 このようなことは、もう徒弟的指導の内に隠すようなこと で は な い の で す ね。 も う オ ー プ ン に し て、 極 端 に 言 え ば マ ニュアル化してしまって、そのとおりに書いてくださいと。 そうすれば、審査する方もそれぞれに部分ごとにチェックし ながら質問もでき、指導もできます。そして将来、大学院の 先生になって自分の学生を指導するときもこれが使える。こ れが使えれば、外国で指導しても、日本で指導しても、共通 のマニュアルですから、お互いに審査し合うこともでき、評 価し合うこともできると思うのです。 時間も無くなりました。ボローニャ大学で経験し、感じ、 考えたことを、私の個人的な見解ですが、報告させていただ きました。かなり抽象的なことでしたので、質疑応答でより 具体的に、はっきりとさせることができるのではないかと思 う次第であります。これで報告を終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。 二 質疑応答 名雪「では質問がありましたら、時間の許す限りお願いしま す。 」 齋藤「このような一般的、抽象的な話ですと、おそらく質問 はあまり出ないと思うのですけど。 」 宮 原「ま ず、 一 つ ア ナ ウ ン ス に な る の で す け れ ど も、 五 月 二一日に本学のFD推進委員会に大学院部会がありました。 その中で、今日、齋藤先生が発表されたことに大きく関係す ることが議論されています。どういうことかといいますと、 大学院の授業全体もそうなのですが、この博士論文の作成に つきまして具体的に話が出まして、博士論文の指導方法、そ れから博士論文の基準、それを明確化すること。その明確化 という点を、受講している院生に分かるような形で明確化す ること、これが第一点。もう一つが、それを組織的に取り組 むこと。このようなことなのです。 」 齋藤「はい。私も間接的に話は聞いています。 」 宮 原「こ の 組 織 的 に 取 り 組 む と は ど の よ う な 意 味 か と い う と、今までは―齋藤先生もお話になりましたけども―、徒弟 制度的に指導教授が個別に教えて、指導教授の判断で博士論 文に値するとか、ここを直すようにという話がこれまで行わ れてきましたけれども、今後は、その様なやり方は文科省の 方針から外れることになる。つまり、客観化そして組織化に ついて、東洋大学の法学研究科としては、こういう方針で指
導 し て い る、 こ う い う 基 準 で 博 士 論 文 が 認 め ら れ て い る、 と、そのような方向で運営していかなければならない。現状 では具体的に、日時を決めてそのような基準を示せという話 は出てきていませんが、そういう方向になるということが、 五月二一日の委員会の中で出されているのです。そうします と、今日の齋藤先生の発表の中で、どれだけ今後生かされる かは分かりませんが、お話された試みは大学院として実行し なければならないことなのです。これは若干のアナウンスと いうことでお話しさせていただきました。 」 齋藤「その方向性で考えますと、本日の私の報告内容を、た とえば大学院の先生方がお聞きになってご理解、ご賛同下さ いますでしょうか。 」 宮原「いや、ですからそれを理解させて下さいということに な る か と 思 い ま す。 兎 に 角、 個 別 の 対 応 で は も う 駄 目 で す よ、となっていますから。ですから繰り返しになりますが、 先生のご報告の通りに行うということではなく、こうした共 通の認識というのか、共通の基準で大学院の指導を行わなけ れば駄目だと。で、現実の問題としては、こうしたことを実 行していらっしゃるのは、齋藤先生しかいらっしゃらないわ けで。今後は齋藤先生のこういうご研究の中で、これを叩き 台にして、それを基にしてお話が進むように院長にも話をし ておきました。 」 齋藤「そうですか。ありがとうございます。 」 宮原「そういうメールの回答がありました、ということです が―。 」 齋藤「そうですか、ありがたいことですが、心配なのは、こ れが絶対的というわけではない。これは色々ある中の一つで すから。しかし、このたった一つのことでさえも理解、賛同 していただけるのだろうか、ということなのです。もし理解 されていたなら、もうすでに実行、指導がなされているはず なのですが―言い過ぎ?」 一同「 (笑い) 」 齋藤「それが一番の心配です。お手元の抜き刷りに書いてあ りますように、民法には東大の先生方が書いた『民法研究ハ ンドブック』があります。そこで七つの型、論文・博士論文 の型、というのを明示しているわけです。でも、それを見ま したら、私のやり方のような、方法―手段・技術―のところ で、 歴 史、 社 会 学、 統 計 だ と い う の は 入 っ て い な い の で す ね、 簡 単 に 言 う と。 極 端 な こ と を 言 う と 解 釈 学 が 中 心。 そ れでもその通りに書くのは難しいということが、その本の最 後に書いてありますね。 」 宮原「今、先生がおっしゃったこと、私も伺っていて感じた のですけれども、先生のやり方が良いのか悪いのか全然批判 する力がありませんが、もしこれでいくということになりま し た ら、 や は り 客 観 性 と い う も の が 相 当 求 め ら れ る だ ろ う な、ということなのですね。たとえば、その論文の態様とし
て、体系構築型とか前進型とかこういうふうに挙がっている のですね。このネーミングは齋藤先生がなされたのでしょう か?それとも客観的に―私はおそらく齋藤先生がネーミング なされたんだろうと思ったのですが。 」 齋藤「はい、そうです。 」 宮 原「そ う す る と、 も ち ろ ん 私 は こ れ で 面 白 い と 思 い ま す し、良いとも思いますが、他の先生方を説得するためには、 や は り そ こ に は、 『僕 の ネ ー ミ ン グ だ よ』 と い う 齋 藤 先 生 だ けが言うだけでは採らないよ、ということになろうかと思う のです。やはり他の大学の例、先ほど旧帝大の話が出ました けれども、非常に貴重な話で、幾つかの、これはまさに方法 論として比較になろうかと思うのですが、他の大学の事例と か、 そ の よ う な も の も 併 せ て 構 築 す る 必 要 が あ る と い う こ と。今日の先生のご報告は、たぶん叩き台ということで、そ ういう意味で発表されていると思うのですけれども、私はも う是非こういったことを進めていきたいと思いますので、や はり客観性を高めてほしいと思うのですが。 」 齋 藤「た と え ば 論 文 の 態 様 で ○ ○ 型 と 書 い て あ り ま す け ど も、これは書く人がはっきりとイメージし易いようにネーミ ングしているだけであって、実際に論文を書く場合には、問 題 の 所 在 や 本 論 文 の 目 的 と い う 表 現 に な る の で す。 つ ま り 『本 論 文 は 此 れ 此 れ 然 々 の 何 々 を 目 的 と す る』 と、 そ の 論 文 の文章の中に記述されてくるわけですね。ですから文言上、 型 の 名 称 は 一 切 出 な い の で す。 『何 と か に 関 す る 理 論 に つ い て一歩前進させることを目的とするものである』と記述すれ ば、それは前進型を意味することになります。実際には、そ ういう文章あるいは表現で記述されるものなのです。 」 宮原「でも型の名称が書かれてある方が分かり易いと思うの です。齋藤先生の試みの方が私は良いと思うのですね。今ま で、この発表の中にありましたけれども、単に結果としてこ うなっていた、というのが今までですけれども、そうではな くて、意識的にその論文をまとめるときに実行するのだと。 その意識を喚起するものというのは従来の抽象的なものの見 方よりも、むしろ、こういった『何とか型みたいなものがあ るよ』という提示をしておく方が指導もし易いし、勉強する 方にも有益かなと思いました。 」 齋藤「そうですね、はい。 」 宮原「そして、もう一つ。すでに回答を半分おっしゃったと 思いますが、こうしたことっていうのは従来からなされてい たのではないということですよね。 」 齋藤「そうです、はい、そう思っています。 」 宮原「それはどのような形かというと、問題提起とか論点を 提 示 す る 中 で、 如 何 な る 理 由 か ら 何 が 問 題 に な っ て い る の か、如何なる視点からどのような順序でこの論文をまとめよ うとするのかというのが、序論の中で書かれるというのは、 一般的なこれまでの論文の形であって、多くはそれが履践さ
れていると思うのです。つまりそれで足りているのではない かと、私は言おうと思ったのですけど、だけども、やはりそ うではないのではないかと、少し考え方を変えてきました。 で、如何なる理由から何が問題かというときに、まさにこの 論文の態様というところで穴が開いているのですよね。そう す る と、 『従 来 は こ こ ま で 研 究 さ れ て い る け れ ど 穴 が 開 い て いる。これは非常に問題なのだ。だから私はこの問題をまと め よ う と し ま す。 』 と い う こ と。 こ れ も 従 来 か ら 行 わ れ て い た の で し ょ う け ど も、 指 導 の 立 場 か ら す る と、 『あ あ、 あ な たのは穴埋め型だね』というふうに指導し易くなるかなと。 このように感じたところなのです。 」 齋藤「まさにそうで、今までの徒弟的な指導方法だと、自分 の論文の型が穴埋め型とか前進型とかいうように、結果とし て気が付いた人が博士論文を書けるのです。多くの人達がそ れに気が付かない。というよりも意識していないのです。だ から、何をやって良いか分からない。資料はたくさん集めて 読んだのだけれど、その資料をどのように組み合わせて論文 を構築すればよいのかが分からない、そのような人が殆どだ と思うのですね。そうすると、もう博士論文が書けなくなる わけです、時間だけ過ぎて行くだけで。私などがよく使用し ているのは『問題発見能力』という表現です。つまり、一つ のテーマを設定する。そのテーマはその分野においてどのよ うな意味あるいは意義を持つのか。そして、意味あるいは意 義があるのならば、それはどのような形―この形が実は型な のですが―で論文として仕上げていくのか。言い換えれば、 問題発見能力とは論文の型を見つけられることと同義なので す。いかに知識がたくさんあってもこの能力が無いと博士論 文は書けない。あまり知識が無い、若いうちはまだ無いです よね、それでもその発見能力があれば書ける。それを、学問 的な嗅覚と表現した先生もいます。ですから、実はその点は 昔から多くの先生方が指摘していたのですね。ただそれが嗅 覚 だ と か 発 見 能 力 だ と か い う 表 現 に な っ て い た だ け で あ っ て、それを私が少し表現を変えて、明示したわけです。全部 当たり前のことなのです。当たり前のことを当たり前にやれ ばいいのですよ、という話なのですね。 」 一同「 (沈黙) 」 齋藤「ですから、その棚に多くの大学の紀要がありまして、 博士論文の審査報告書がありましたけれども、幾つかパラパ ラッと見ていたら、法制史の分野だったと思いますが、第一 章か第二章で、論文の目的そして研究方法が目次に出てきて います。それでその後、それに従って論述されているのが結 構 あ り ま す ね。 皆、 当 た り 前 の こ と を 実 践 し て い る の で す ね。 」 宮原「博士論文についてですが、まずテーマからきて、いま 先生がおっしゃった必要な方法の選定ということですけれど も、私なりには先生のおっしゃることを理解したつもりです
が ―。 た だ、 他 の 先 生 方 に『こ う い う 形 で 指 導 し て く だ さ い、採点してください』といった話になったときに、メリッ ト、デメリットがやはりあろうかと思うのです。メリットと すれば、型に従って物事を進めるのは内容が明確になると同 時に、非常に時間的な効率も良くなる。しかし逆にその型が 持っている窮屈さっていうのもあろうと思うのです。たとえ ばこの論文は、従来からある方法論からすると、ちょっと外 れたところで書きたいということも当然あろうと思うのです ね。ところが、論文を一定の型に当てはめて書かせようと思 うと、かえって死んでしまうっていうこともあろうかと思う のです。論文というのは、やはり非常に個性的なものである べきだと思うからです。そこに、客観的な基準があると同時 に、非常に個性的なものがあったとき、その個性を潰すこと になりはしないか。方法論の選定は個性を潰すことに繋がら ないのか。私はその辺を懸念しているのですけれど、先生は どのようにお考えですか?」 齋藤「ええ、全くその心配は無いと思います。というのは、 個性があるといっても、その個性がどうやって発揮されるの かということなのですね。自分の感想を書いても個性になら ないですよね。学問的なものにならない。ではその個性とい うのは、どのように現れるのか。これは先日、私のところに 送られてきた研究書ですが、国際慣習法、慣習法の生成、成 立について扱っています。この問題は従来、反復性や法的確 信 の 問 題 と し て 成 文 法 や 判 例 を 調 べ て 論 じ ら れ て き ま し た が、この本では社会学のゲーム理論を使って説明していこう としています。それが個性。この執筆者の個性は、慣習法成 立 に つ い て の 研 究 を 今 ま で の や り 方 ― 手 段・ 技 術 ― で は な く、社会学のゲーム理論とか囚人のジレンマの理論を使って 説明を試みている、これが個性だと思うのです。この本には 方法と書いてありますけれども、これは単なる技術であり手 段ですね。ですから、むしろ論文の態様の方が大切で、その 態様を決定して、で、どういう形にするか、それを実現する ための手段をどうするかということであって、その手段とし て社会学の方法、比較の方法を用いたからといって、それで 個性が潰されることはないです。逆に、論文の態様・型に合 うどのような技術、手段を選択するかというところで、個性 が発揮されるのです。 」 宮原「つまり、その手段というもの、方法というものは、オ リジナルの方法ということも当然あるっていうか、それはな いのでしょうか?」 齋藤「いえ、オリジナルという意味は自分で無から考え出し たという意味ではありません。学問ですから、きちんとした 手段、方法、技術があちらこちらにあるわけですね。それを 使わないと正確なことが出ませんから。これまでは『方法』 とか『方法論』というと共通の理解があるように思われてい ま し た が、 お 手 元 の 抜 き 刷 り に も 書 い て お き ま し た が、 方
法・方法論という用語の使い方や理解が非常に広範になって いるのです。ある者は哲学そのもの、他の者は統計学のよう な技術を念頭に置いているのです。そのため、これからしば ら く は、 私 た ち も『方 法』 『方 法 論』 と い う 表 現 を 避 け た 方 が良いかもしれません。誤解の原因になりますから。話を戻 しまして、態様・型に合致するいかなる手段・技術を選択す るかということが、論文の中で態様と付き合わせて決定され てくるということです。 」 宮原「なるほど。そうすると方法―手段・技術―についての バリエーションっていうのは相当広いものがあると。 」 齋藤「はい、とても広いです。 」 宮原「そのバリエーションの中から拾うところに個性が出て くるということですね。 」 齋藤「その通りです。型と手段・技術の組み合わせと、どの ような手段・技術を用いるのか、という点で法学研究の場合 の個性あるいは独創性が発揮されるのだと思うのです。 」 宮原「わかりました、ありがとうございました。 」 齋藤「蛇足ですが、一般教養ですとか、そういうものが大切 になってくるわけですね。いろいろな分野、哲学の本を読む ことも大切ですし、経済学の本を読むことも、社会学の本を 読むことも大切であって、条文と判例ばかり見たって話にな らないということです。ただあくまで私が国際法ですから、 上位規範もなにも無い世界で、政治と密接に関わっている、 半分政治みたいな世界ですから、そのような分野を扱ってい るものにとっては、このようなことが言えるわけです。国内 法のように上位規範あり下位規範あり、右もあり左もありと なると、その中で法律を扱う人にとっては、これは曖昧とい うか広すぎるというか。もう少し限定された形になってもい いというような感想を持たれる先生もいらっしゃると思いま す。いきなり社会学の方法だとか、統計学とか使っても無理 ではないかという。それはそれでかまわないですね。それな ら ば、 ど の よ う な 方 法 を 使 う の で す か。 一 番 簡 単 な の が、 も っ と も 大 切 な 態 様 を 決 め る と。 そ の 態 様 を 決 め て、 そ の 後、穴埋めなり前進なり、それを行う技術、手段として判例 研究あるいは外国との法令の比較、これが一番簡単ですね。 ほとんどこれで済んでしまうのです。それはそれでかまわな い。 態 様 ― 型 ― が し っ か り し て、 そ の 態 様 に 基 づ く 目 的 も しっかりしていますから、それに外国の判例研究で十分なら ば、それはそれで完成ですよね。それでいいのではないかと 思 い ま す。 あ く ま で も 国 際 法 の 世 界 は 比 較 と い っ て も、 世 界共通の法規範ですから、むしろ社会学、国際社会学とか、 そういうものを使った方が研究し易いのです。そのことが背 景 に あ っ て、 こ う い う も の を 出 し て き た わ け で す。 で す か ら、 国 内 法 を な さ っ て い る 先 生 方 は、 た ぶ ん、 外 国 法 の 比 較、それから判例研究くらいで、なんとかなるのではないか と思います。それにあと学説史、歴史ですね。だいたいこの