Ⅰ.問題の所在 20世紀末の教員免許法の改訂により,21世紀以降 は中学校社会科教員免許の選択科目20単位分が必要 なくなり,研究分野に連接する授業,あるいは研究者 が「面白い」と考える授業を開講する制度的基盤は失わ れた。滋賀大学教育学部地理研究室を例にとると,ほ ぼ毎年開講された必修系科目である「地誌学Ⅰ・Ⅱ」・ 「地理学概論」・「自然地理学」のほか,毎年の開講では ないものの,多様な選択科目1) が開講されていた。 選択科目20単位分は地理研究室に分属した学生が 一般学部の地理学専攻生に準ずる専門性を享受する条 件を与えていた。一方,必修系科目は本来教員免許に 密接に関連する基本的な素養を育成することを目的 とするのであろうが,そうした意欲は学生たちにも伝 わったとみえて,学生たちも興味を持って聞いてくれ た。例えば,研究分野ではないが古地図の歴史,日本 の方言分布,ロシアへの漂流民の話,そして専門分野 の地域小売業などがあった。これらは教育現場で「即 戦力」になるコンテンツではなく,少なくとも教育実 習ではすぐに役に立たない。 失ったことを納得するようになるまで,21世紀に 入っても研究に連接する授業や研究者が「面白い」と考 える地理の授業をめざしていた。しかし,新入生のほ とんどが「地理」を不得意としていると認めたとき,面 白い授業でさえ小・中学校の「地理」の授業に結び付か ないと悟った。 現代の地図が読めない学生に古地図の表現方法を語 ること,都道府県の位置が正確にわからないのにアク セントの地域分布を教えること,ロシアのことを何も 知らないのに大黒屋幸太夫の大移動を論じることなど が,地理教育の再生にとっていかに空しい作業であっ たか。こうした現実逃避を正当化した制度的背景に 1990年代から2000年代にかけて,学習指導要領にお ける授業内容の選択化があったことは否めない。 また,応用の「面白さ」が基礎の着実な定着を促進す ると考えるのは,初等教育の総合学習においてであり, 大学教育に至ってはその可能性は小さい。応用的課題 が基礎の必要を促進するという考え方は本末転倒であ り,現実を直視しない甘えである。例えば,いきなり 教育実習をしてみることを想定すると,その意味が理 解しやすいであろう。自分にとっても学生たちにとっ ても「面白い」地理の授業ではなく,直接に教育現場で 役に立つ学習指導要領に即した内容とその地理教育上 の意味について愚直に教えていこうと決心した。 概論的な授業が独善的だったと考えるもう1つの理 由は,別稿で論じる地理という科目の特色にある。地 理を得意とする学生は理系に集まっているという現 実である。数%の「地理」愛好家を育てるのではなく, 90%の学生が「地理」を不得意でなくなるようにしよ う。学校教育の文脈で役に立つ地理的内容をきちんと 教えられる小・中学校の教員を養成することが重要な のであると信じるようになった。学校教育の地理的内 容が古いのだと批判しても,そのことは変わりにくい 構造を持っているからである。 当面の教員養成課程の任務としては社会科・地理歴 史科免許に関係する「地誌」や「人文地理学」「自然地理 学」などでリメディアル教育を意識して大学の授業を 行うべきである。いうまでもなく教員養成は地理教育 の循環過程の要だからである。 Ⅱ.内容知への対策 (1)地誌の授業内容の改良 教員養成大学も含めて,大学の「地誌学」の授業は概 論的な内容であったために,長らく事例主義的であっ たと思われる。就職状況を見るまでもなく,以前から 社会科教育コースから中学校の教員になる学生が少な かったことは認識していた。しかし,学習指導要領の 事例主義を言い訳にして授業の改良を決断できないで いた。 2008年に告示された新学習指導要領において,従 来事例主義(いくつかの国を選択)だった世界地誌が 網羅的な内容に復帰した。3年間の移行措置を経て,
―滋賀大学教育学部の事例―
Reformation for Geographical Training in the Teacher Education Program
松田 隆典
Takanori MATSUDA
滋賀大学教育学部
2012年度からは中学校の現場でも網羅的な世界地誌 の授業が復活することになる。また,日本地誌も従来 の「幾つかの都道府県を取り上げる」事例主義から動 態地誌の考え方2) を適用した「○○(テーマ)を中核とし た△△地方の特色」という網羅的な学習に復帰した。 学習指導要領の改訂を契機として,中学校社会科お よび地理歴史科の免許必修科目としての2回生秋学期 配当の「地誌学」の改良に取り組んだ。2008年度から 試みに中学校社会科で教科書となった地図帳を「地誌 学」の教科書とする授業を開始した。 中学校の地図帳が学習指導要領に教科書として明示 された3) 理由は,中学校社会科の地理的分野の授業で 地図帳が使用されていない実態を反映したものと思わ れる。地理を教えるのが不得意という意味は,地図帳 を授業で使わないというレベルで確認される。小学校 4年生から始まる地図帳の使用まで遡るかもしれない という仮説が想起される。 2009年度から世界地誌を大陸ごとに授業をしてい くことにし,動態地誌的な日本地誌の授業開発を受講 生に課した。その成果については,拙稿4) で報告した ので,詳細は述べることは省くが,結論としては,受 講生が不得意とするのは事象間の関連付けという段 階ではなく,地図帳の使用とともに,事象を説明する 適切な資料の収集においてであることが明らかになっ た。 (2)リメディアル授業の効用 「地誌学」の改良によって,地図帳の使用に慣れるこ との必要性を感じて,2013年度から中学校社会科と 地理歴史科の免許必修科目である1回生秋学期配当の「 社会・地理歴史科教材内容論」を地理と世界史(西洋史・ 東洋史)のためのリメディアル科目5) として位置づけ た。 リメディアル(remedial)教育とは,元来は学習の遅 れた生徒に対して行う補修教育のことで,特に大学教 育を受けるにあたって基礎学力を補うために行われる 教育を指すが,地理歴史科の選択性が要因であるので, 意味合いが違う。世界史は高校で必修であるが,受験 率は必ずしも高くなく,実際の基礎知識の不足という 点でも盲点である。 「地誌学」の教科書でもある中学校地図帳を教科書と して,15回の授業のうち9回を地理の授業,残り3回 ずつを西洋史・東洋史にあてた。2014年度と2015年 度から地理7回,西洋史5回,東洋史3回6) を実施した。 授業内容としては,従来「地誌学」の中で2回の授業中 に概観していた地図帳にある世界全体の主題図の説明 を宿題に課すというものである。地理受験者にとって は単なる復習にすぎないが,社会科学生の85%を占め る地理を履習しなかった者にとって地図帳を日常的に 使用すること自体がほぼ未経験であったといえる。 リメディアルの授業の履修によって,「地誌学」の授 業や宿題で少なくとも地図帳の重要性を理解し,地図 帳の主題図を読解できるようになった。リメディアル 授業の目的は地図帳の使用とその中の主題図の読解と いう方法知の改良であったが,結果として第1表のよう に基礎的な知識についても有効な成果が認められた。 第1表 リメディアル授業の数値的成果 テストの 事前(10点換算) 事後(10点換算) 種類 A B A+B A' C A'+C 平均点 5.0 5.9 5.5 8.7 6.7 7.4 最高点 9.0 10.0 9.5 10.0 8.9 9.3 最低点 2.0 4.0 3.3 5.0 5.0 5.4 標準偏差 2.2 1.5 1.6 1.5 1.3 1.2 A:授業前の10問 B:初等・中等コースの振り分けテスト A':授業後の10問(授業前の10問と同じ) C:授業後の18問 ※授業前と同じ10問は予告なしで授業後に出題 第1表はリメディアル授業の前後の変化を示してい る。Aはリメディアル授業の初回に実施した小テスト 10問である。Bは社会科の学生を初等・中等コースに 振り分けるための資料とするために実施された地理・ 歴史・公民の各10問のうちの地理的分野の出題分であ る。A’ とCはリメディアル授業のあとに実施した28 問の試験であり,うちA’ は事前の小テストと同じ問 題を予告なしに出題した。すべて同じくリメディアル 授業で用いた中学校地図帳の中から出題した。社会科 の1回生以外はBを実施していないので,以下社会科 の1回生のみ分析対象とする。 事前テストの20問から事後テストの28問を比較す ると,平均正答率で55%から74%に変化している。 上位得点者は地理受験者が多く,中学校地図帳からの 出題による難易度ではあまり変化していない。事前テ ストの下位得点者ほど得点率が上昇する傾向にあり, 事前テストで上位2名をのぞき,すべての1回生の得点 率が上昇した。第1表の標準偏差の減少はこのような 効果を示す指標である。最も重要なことは,地図帳の 主題図を読解するという宿題を毎回きちんと実行した 受講生ほど得点率の上昇がみられることである。 うち事前テストで用いた10問と同じ設問の事後テ ストは,予告なしとはいえ8週間後であるので,得点 がほぼ全員上昇したことも無理はないかもしれない。 一方,難易度が異なるかもしれないが問題としての独 立性が高いA+Bの20問とCの18問を比較すると,24 名のうち上位2名を含む3名以外は得点率が上昇して いる。概ねリメディアル授業の本来の目的を果たした といってよいだろう。 リメディアル授業の基礎的な知識に関する成果のた
第2表 「社会・地理歴史科内容学」地理テストの正答率 第3表 2013年度初等・中等コース振り分けテスト(地理のみ) 授業前 授業後 新期造山帯は環太平洋造山帯とあと1つは? 90% 環太平洋造山帯に属する南米大陸の山脈は? 90% 古期造山帯に属するヨーロッパとアジアを区切るロシアの山脈は? 26% 87% 安定陸塊に属するインドの高原は? 52% 93% 一年中気温が高いが、雨が多い雨季と少ない乾季に分かれる熱帯気候は? 45% 80% 短い夏にわずかに生えたコケ類・地衣類が大地を覆う寒帯気候は? 73% 夏に雨が少なく、冬に雨が多い温帯気候は? 26% 77% 主として東アジアに分布する常緑広葉樹林は? 53% 流入する河川水を過度に灌漑利用して消えかかっている中央アジアの湖は? 10% 37% サハラ砂漠の南に帯状に広がる砂漠化がすすむ地域を何というか? 47% モンゴル高原の遊牧民が住む羊毛のフェルトを被せた移動式家屋は? 52% 80% 東アフリカでトウモロコシの粉を熱湯でこねた料理は? 10% 中南米で用いられる中央に穴を開けて頭からかぶる毛織物の上着は? 67% エジプトの公用語は? 57% カナダのケベック州の公用語は? 90% 世界中でイスラム教徒が最も多い東南アジアの国は? 80% EU諸国で最大の小麦輸出国は?世界でもアメリカに次ぐ2番目の輸出国。 87% 97% 日本が輸入牛肉の大半を輸入している国は? 83% ロシア・アメリカと並んで日本が魚介類を多く輸入している南米の国は? 53% 世界最大の鉄鉱石の輸出国は?日本もこの国からほとんど輸入している。 61% 83% 日本に対する天然ガスの最大の輸入国は? 33% 日本が最も多く輸入している海産物は? 63% 2010年頃に自動車生産台数でアメリカ合衆国や日本を抜いた国は? 71% 87% 日本の工業の地方分散化がすすむなか、出荷額割合を最も伸ばしたのは? 87% 21世紀以降に人口増加率が5%を超えたのは東京・神奈川・沖縄・愛知とどこ? 50% 三大都市圏以外の日本人が海外旅行に行く時、よく利用する韓国の空港は? 80% 中国で唯一の標準時(北京時間ともいう)となっている子午線は東経何度か? 73% 中心地点からの方位と距離が正しく表示できる航空路図に用いられる図法は? 48% 97% 正答率 中国料理のうち唐辛子など香辛料を使った辛い料理が多いのは何料理というか? 77% EU諸国の中で最大の農業生産国(小麦・てんさい・牛などでトップ)は? 58% アメリカ合衆国の北緯37度以南のハイテク産業のさかんな地帯は? 42% インドの国民のほとんどが信仰している宗教は? 96% アフリカ大陸で過放牧・過耕作によって砂漠化が進んでいる地域を何というか? 12% ブラジルが世界最大の生産国となっているバイオ燃料の原料にもなる農産物は? 12% オーストラリアで最も多く飼育されている家畜から得られる生産物は? 38% 日本列島を東北日本と西南日本に分ける本州中部を南北に横断する大陥没帯は? 73% いわゆる北方領土は択捉島・歯舞諸島・色丹島とあと1つどこ? 88% かつて四大公害の発生地となった熊本県南西部の都市は? 85% めに用いた設問は,第2表と第3表に示した。第2表の 「授業前」は上述のAに該当し,「授業後」は上述のA' +Cに該当する。第3表は上述のBに該当する。設問は 教科書として使用した中学校地図帳から出題している が,中学校では習わない可能性のある内容も含まれて いることは,地図帳という教材の特色による。
Ⅲ.方法知への対策 (1)身近な地域の調査 学校教育の中で身に付けなければならない地理的技 能として,野外調査がある。竹内裕一(2009)7) による と,大学生の60%が中学校の「身近な地域の調査」を経 験していない。この結果の要因の1つとして中学校の 社会科教員の調査未経験を挙げている。現職の社会科 教員に対する野外調査の研修が対処療法的な対策であ るとすると,時間はかかるが,連鎖を断ち切る根本的 な処方の1つは教員養成のカリキュラムで野外調査の 経験をする機会をつくることである。 中学校の「身近な地域の調査」の主な地理的技能(方 法知)として観察・聞き取り・資料収集などがある。 現地での資料収集についてはインターネットなど代替 することができるので,野外調査として必要とされる 方法知は観察と聞き取りである。一方,小学校の「身 近な地域の学習」は主として観察による。改革のポイ ントは受講生の拡大と野外調査の方法の厳選である。 聞き取りはたしかに重要な方法知であるが,野外調査 の方法を主として観察に絞った。その理由の1つは教 員養成課程の社会科は初等コースと中等コースを束ね る形で組織されているので,社会科教育コースとして 提供しうる現実的なカリキュラムを選択したことであ る。 変化の契機は2005年度以降の研究室制度の縮小と カリキュラムの社会科教育コースへの収斂である。ま ず,研究室制度下で開講されていた「地理学基礎教育」 などで大学周辺の土地利用調査8) を必修科目である「地 誌学」の中で実施するようになった。2004年度まで は大学周辺の土地利用調査は研究室の学生のみが経験 していたにすぎなかったが,2005年度以降は中学校 社会科と地理歴史科の免許取得希望者40名前後が経 験することになった。 (2)エクスカーション 2005年度までは滋賀大学の地理研究室でも2度のエ クスカーションと夏季に合宿野外調査を実施してい た。2006年度から2回生配当の「社会科授業研究」とい う通年の集中講義を開講した。「社会科授業研究」は免 許科目の枠外に追加されたが,社会科教育コース(の ち社会科専攻・専修)の学生のほぼ全員が受講するの で,受講生にエクスカーション9) への参加を課した。 「社会科授業研究」の目論見は従来研究室員だけが参 加していたエクスカーションを社会科の2回生全員に 経験させるとともに,3回生配当のゼミ科目の一部(地 域調査実習Ⅰ10) ・Ⅱ・Ⅲ)でそのエクスカーションを企 画・現地説明をさせることであった。ゼミの3回生が 企画して説明するエクスカーションは1995年度から 実施していたが,これに研究室の2回生だけでなく, 社会科の2回生全員が参加するという学年間を結ぶ連 携を社会科教育コースに拡大した。 エクスカーションを企画し,現地説明することは, エクスカーションに参加することより高いステップを 意味する。教育実習に例えるならば,観察実習と本実 習での教材研究・授業実践との違いといえよう。でき るだけ多くの学生,少なくとも社会科の学生に拡大さ せたらどうかという意見11) はあるだろうが,観察実習 に比べて本実習のマネージメントの困難を考えると, 組織的な体制が必要となる。 30人前後の学生に個々に企画を考えさせること自 体は難しくないが,それを議論して実現可能な企画に することは至難である。ゼミ科目のように少人数であ れば,企画はまとめることはできる。1 ~ 2回のエク スカーションの企画の中で現地説明の担当を割り振る ことはできるが,その成果を評価することはできない。 機械的に割り振られた現地説明の経験そのものに価値 はないとは言わないが,少なくともこの経験を今後に 活かすことは難しいであろう。 代替案として考えたのは,受講生に学校教育上のエ クスカーションの役割を意識させる事後レポートを書 かせることである。エクスカーションのコースと観察 結果を記したものに少しの感想を付け加えた従来のレ ポートでは,エクスカーションの思い出を刻むことに なっても,自分の成長を自覚するまでには至らない。 コース設計や案内者のパフォーマンスなどを評価して 自分だったらと考えなければ成長の道標にならない。 生活科の推進のための課題のうちの1つが「子どもの 気づきの質を高める」ことであるという。学習活動が 体験だけで終わらずに子どもが無自覚に発見している ことを自覚させることである。筆者はこのことを小学 校1・2年生だけでなく,大学生にもあてはまると理解 した。小学校1・2年生の場合は話し言葉で発見を表現 するが,大学生はレポートという形で自分の成長を表 現することができる。教育実習などで用いられるポー トフォリオに相当する。 (3)地形図読図の困難 周知のように,地形図の読図は代表的な地理的技能 でありながら,高校地理履修者や受験者以外にはほと んど浸透しない。この科目は中学校社会科免許の選択 必修科目,地理歴史科免許の必修科目であることから, 中学校社会科や地理歴史科の教員志望者には地形図の 読図はぜひ身に付けてほしい素養である。2005年度 から担当してきた「地理学概説Ⅱ(自然地理学を含む)」 において,地形図の読図を中心とした授業を実施して きた。次週の授業で使用する地形図のコピーを配布し て,読図の予習を課題とした。 地理を受験していない学生が多い状況では,いきな り授業当日に地形図のコピーを配布して読図を求める ことは難しいことは予見していたが,当初は読図を予
習するために予め地形図のコピーを配布するだけでは 済まないことに気づかなかった。地形図を読むこと自 体に慣れていないことに気づくまでに数回の授業を要 したのは,のちに地図帳を読むことに慣れていないこ とに気づくことを思えば無理もないかもしれない。 以後,春学期開講の「地理学概説Ⅱ」では5月の連休 までは,地形図から何を読むかではなく,どのように して地形図の読図をおこなうかという課題に取り組ん できた。おそらく地理的技能の中で地形図の読図ほど 一貫的な地理教育という観点から構造的な問題はない であろう。大学生だから,何とかできるだろという楽 観論は禁物である。 まず,中学校社会科・地理歴史科の免許取得希望者 は文系型だから地理受験者・履修者が少ないことは前 述のとおりである。この点はリメディアル授業の節で 述べた基礎的な地理的知識についても同様である。し かし,おそらく高校での地理履修だけでは地形図の読 図は難しいと思われる。地形図の読図はセンター試験 などのために必要であるが,受験しない場合は高校で 地形図の読図の技能は非地理履修者とほとんど変わら ないと推論する。2013年度入学の社会科専攻・専修 の学生に対する調査の動機の1つが,「地理学概説Ⅱ」 の授業の過程から導かれ,この推論の証明に役立った。 次に,地形図の読図は地理的な素養の中でも些か専 門的な技能である。中学校社会科の教育現場では地形 図そのものを使用することが少ないと推論する。根拠 は高校入試問題で地形図そのものが出題されることは 必ずしも多くない。センター試験など大学受験との大 きな違いであるが,地形図の読図がやや専門的な技能 であることの証左であろう。地形図の読図が地理を教 えることを得意とする社会科教員の志向性であるとす れば,中学校社会科における地理教育は相対的に影響 力が小さいことを示唆していると考えられる。 (4)地形図の読図とエクスカーションとの連携 地形図の読図という些か専門的な技能が4か月の教 室内の授業で定着しがたいことは10年間「地理学概説 Ⅱ」を担当してきてわかっていたが,その対策につい ては着手できていなかった。 まず,最初に毎年最初に配布していた大学周辺の 1:25,000地形図ではなく,1:2,500の実測図を配布し て,大学周辺を歩いてみた。2014年度まで「地誌学」 で実施していた大学周辺の土地利用調査を「地理学概 説Ⅱ」で実施することにしたが,従来は1:2,500の大縮 尺図を調査前に配布するにすぎなかった。明らかに地 図と地域調査とを並行して説明するという配慮に欠け ていた。見ればわかるという認識はいかにも「地理屋」 的な傲慢であった。平面的な土地利用はともかく,非 地理受験者にとって地形12)に対する認識はエクスカー ションを通じた実感をもってしなければ獲得しにく い。 また,「社会科授業研究」のエクスカーションの地域 である草津中心部13) の地形図を「地理学概説Ⅱ(自然地 理学を含む)」で予め読図した。地形図の読図をエクス カーションと連携して実施するというごくありふれた 試みである。従来は2回生春学期という同じ時期に併 行して学ぶということの利点を活かしきれていなかっ た14) 。机上で学び方を学ぶだけでは不十分で,実際に 学んだことを実践的に応用してみなければ,知識は定 着しにくいというありふれた体験学習の発想である。 様々な地域の地形図を読図した成果が異なる地域のエ クスカーションに応用されると考えたのは,地図と観 察の学習過程を理解していない。大学生といえども少 なくとも地図に関しては初歩的な学習過程から始める べきである。とくに,事後レポートによると,旧草津 川の天井川のようにわかりやすいと思われる地形でさ え,エクスカーションがそのイメージの形成に大きく 寄与していることがわかった。 事後レポートのテーマについて,「自分がエクスカー ションの説明者(教師)になったと想定して,実際に 見た景観を地図描かれた事象との関係を意識しなが ら,どのように児童・生徒に説明しようとするかであ る。具体的な見学ポイントを例に挙げながら,かつ児 童・生徒が地図を読みながら歩くという目的を意識し て書いてください。学年は小学校5年生から中学校3年 生くらいを想定してください」と説明した。事後レポー トには,コース上の説明しなかったポイントも含めて, 具体的な観察結果が描写されていた。教員養成課程に おける地図と観察のコラボ経験は「野外の教育実習」に なったと信じる。 内容知と方法知,できていない要素である。 Ⅳ.身近な地域の学習のための地図教材 (1)地図教材を作成する理由 「9歳の壁」は「考える力」の危機だといわれる。小 学校3・4年生の「身近な地域」の学習と社会科見学は9 歳前後までの直接的な経験による環境適応能力の延長 線上で「壁」を緩やかな「坂道」に変えることではないだ ろうか。地理教育の先学たちの研究の多くは,地理的 な学習が得意になるようにという視点で展開されてい る15」のはその所以ではあろう。 身近な地域の地図教材を作成することは「難しい」 というより「面倒だ」というほうが理由としては大き いかもしれない。やや大きな市町村などの教育委員会 では,身近な地域に関する副教材を編纂して教員に提 供していることも少なくない。 しかし,市町村の地図教材は編纂者の意図に左右さ れて,教員のオリジナルの授業構想の発展を妨げる場 合が少なくない。共通の教材である地図帳を使う子ど もにとって見知らぬ地域である「産業学習」ならば,
制約を受けてもやむをえないところはあるが,身近な 地域への見方が似たり寄ったりというのは教員の存在 感にかかわる。 (2)地図教材の作成方法 2005年度から1回生配当の「初等社会科内容学」にお いて,オリジナルの「身近な地域」の地図教材を受講 生に求めてきた。実際の地図教材は模造紙などの大き なサイズの紙に作成されるが、宿題は提出時の便宜な どを考慮してA3用紙の両面に作成させるようにし た。さらに,いきなり地図教材を清書することを避け て,鉛筆でスケッチ(素描)したもののコピーを一旦提 出させることにした。以下は身近な地域の地図教材の ためのチェックリストである。 表面の内容(contents) ①市区町村の境界を描きましたか? ②必要な主要道路・鉄道など交通路を描きましたか? ③必要な河川や山地など地形を描きしましたか? ④ 必要な市街地・農地・山林などの土地利用を描きま したか? ⑤ 子どもに馴染み深い公共施設などの基本的な地図記 号を記入しましたか? 小・中学校,市役所(町村役場・区役所),図書館な ど ⑥重要な工場や商業施設を記入しましたか? 工場は地図記号と名称,商店街・商業施設は名称 ⑦ 必要な生活インフラ(地図記号は難しいので名称の み)を記入しましたか? 水道局・発電所・ゴミ処理場・下水道処理場など ⑧ 必要な防災の公共施設(地図記号)を記入しました か? 警察署・消防署など ⑨ 必要な史跡・名勝・有名な寺院・神社・祭りなど文 化財を記入しましたか? 寺院・神社は名称と地図記号を記入します。その他 は地図記号以外で記入します。 ⑩裏面の景観の撮影場所の位置を記入しましたか? 表面の技能(methods) ⑪表面の下に地図のタイトルを記入しましたか? ⑫ 表面の四隅の空いたところに地図の作成者と作成日 を記入しましたか?【資料の要件】 ⑬ 表面の四隅の空いたところに地図の凡例(地図記号) を記入しましたか?【図の要件】 ⑭表面の四隅の空いた所に方位を記入しましたか? 【地図の要件】 ⑮表面の四隅の空いた所に縮尺を記入しましたか? 【地図の要件】 ⑯ 子どもたちが見てわかりやすい地図教材になってい ますか? 裏面の内容と技能 ⑰ 地図教材を作成するために参考にした資料を記入し ましたか?【資料の要件】 編著者(作成者)・発行年次・著作物のタイトル・出 版者・ページの順で記入する。 ⑱撮影した景観写真を貼付しましたか? ⑲ 景観写真は近景(虫の目)と遠景(鳥の目)の両方を含 んでいますか? ⑳ 景観写真のタイトル・キャプション・撮影日を記入 しましたか? 宿題は身近な地域の地図を作成するだけでなく,地 域のエクスカーションをして,地域の特色をあらわす 場所の写真撮影を義務付けている。これをA3用紙の 裏面に貼るという課題であるが、スケッチを提出する 中間報告の段階では貼らずに、最終的な清書した地図 を提出した時点で写真を貼る。 地図という抽象的な学びの対象に対して、景観写真 は断片的ではあるが,地域の具体的なイメージを与え る。チェックリストの⑱~⑳が景観写真に関する留意 点であるが,⑩は地図教材と景観写真との関係を示し ている。 チェックリストの⑪~⑮は地図の要件を示している が,うち⑭と⑮が地図に固有の要件であり,⑬は図一 般の要件,⑪と⑫は資料一般の要件である。なお,地 図記号の学習については,⑤の学校・市役所・図書館, ⑥の工場,⑪の寺院・神社にとどめるべきであろう。 生活インフラはもちろん,警察署・消防署のような防 災施設は学習しなくてもよかろう。 とくに,⑯は小学校で用いる地図教材を作成するた めの児童観を背景とした,教師としての資質に関する 要件といえるかもしれない。「わかりやすい」という漠 然とした要件は,受講者が最も悩ましい点であり,児 童の発達段階に関する深い理解を必要とする。 (3)地図教材を使用する意義 学生定員の9割以上を占める受講生200名以上のう ち,190名以上がこの宿題を提出する。しかも手抜き の宿題は少ない。1回生は一見たいへんそうにみえる この作業を合理的な課題として捉えたようである。 一方,数年前に現職の教師を対象とした免許更新講 習で,同じ身近な地域の地図教材作成について説明し たが,その反応は少し違っていた。半日の講習では地 図教材の作成は時間的制約があるので,地図教材作成 の基本的な考え方のみを紹介した。おそらく作り方は 理解しても現実にそれを作ってみようとは思わなかっ たのかもしれない。現職の教師が多忙であり,この地 図教材を自作するコストパフォーマンスを考えるから
であろう。つまり「面倒」だからであろう。 最近,社会科教育担当の川口広美氏から,「授業で 作成した身近な地域の使い方を教えないのは勿体な い」という指摘を受けた。筆者は「作ったら使えるの は自明」と反論しようとしたが,「少し考えてみる」 と意見を留保した。この応酬は地図教材作成のコスト パフォーマンスに関わっている。 身近な地域の地図教材は小学校3年生の社会科の最 初の10 ~ 20時間ほどのためだけに使われると考えが ちであるが,その後の3年生および4年生の単元でも使 用することが想定される。 宿題の表面のチェックリストの項目②~⑤は学習指 導要領の内容(1)に相当するが,⑥は指導要領の内容 (2),⑦は内容(3),⑧は内容(4),⑨は内容(5)の単元に それぞれ相当する。3年生から4年生にかけての社会科 見学はいずれも身近な地域内の施設で実施され,その 位置を地図上で確認することは、身近な地域の理解に 多いに役に立つ。 例えば,商店や工場は学校・自宅の立地との関係で, ルートマップからサーヴェイマップへの児童の空間認 知の拡大の最初の基本軸となる。この単元が「商店」お よび「工場」または「農家」となっていることは学校の立 地特性を考慮しているからである。 また,上水道や下水道といった生活インフラの立地 はそのことだけでも重要な地域社会の機能的関係を示 している。上水道施設は概ね地域の上流にあり,下水 道施設は下流にある。上水を揚水することは可能であ るが,下水は低いところに流れていく。防災施設の立 地を知ることは,安全な地域社会に対する理解に繋が る。 Ⅴ.残された課題 地理教育の再生のために中学校の地誌,地図や地域 調査などの地理的技能の改良,小学校3・4年生の身近 な地域の学習における地図教材の作成ついて論じてき た。これらのテーマについては,今後も授業の改良を 心がけていきたいが,小学校5年生の単元については, ほとんど手付かずの状態である。 「初等社会科内容学」において,5回のうち3回の授業 を小学校5年生の単元に充てている。5年生の社会科の 中で内容(1)の国土の自然のうち地形と,内容(2)の農 業と水産業のうち稲作と近海漁業である。5回の授業 では5年生の単元すべてについて説明するのは時間が 足りない。 身近な地域の学習と違って,小学校5年生の内容は 児童の直接的な経験を超えている。「産業学習」からい かにして「考える力」を育成するかという具体的な対策 について,現時点では明確なビジョンをもつには至っ ていない。おそらく,3・4年生の「身近な地域」の学 習のように直接的な経験=フィールドワークを多く含 み,総合的学習のように問題解決型が望ましいと思わ れる。その際,地図学習をどのように含むかがポイン トであろう。 注 1) 1990年代の「履修の手引」によると「歴史地理学」・ 「経済地理学」・「都市地理学」・「集落地理学」・「 地域環境論」・「文化・社会地理学」・「郷土地理学」・ 「地理学講読」・「人文地理学特講Ⅰ・Ⅱ」といった 選択科目が開講されていた。 2) 竹内裕一(2009)「「新しい」地誌学習のあり方― 動態地誌学習をどう構想するか」地理教育38, 1-11頁。山口幸男編(2011)『動態地誌的な方法に よるニュー中学地理授業の展開』明治図書。 3) 平成20年3月告示「中学校学習指導要領」,社会・ 地理的分野・内容の取扱い 4) 松田隆典(2011)「中核方式による日本地誌の授業 開発とその問題点」滋賀大学教育学部紀要(人文 科学・社会科学)61,1 ~ 14頁。松田隆典(2012)「動 態地誌による「日本の諸地域」の授業開発と地理教 育上の意義」滋賀大学教育学部紀要(人文科学・ 社会科学・自然科学)62,23 ~ 30頁。 5) 大学の「計画推進経費」を受けて,東洋史の非常 勤講師の謝金・交通費・基本図書の購入費などを 得た。 6) 地理の安藤哲郎氏と西洋史の大清水氏および東洋 史の非常勤講師が授業担当した。 7) 竹内裕一「地理的見方・考え方,地理的技能を構 成原理とする地理カリキュラムの評価―大学生の 中学校地理的分野の学習体験に関する実態調査を もとに―」千葉大学教育学部紀要57,65 ~ 77頁。 地理専攻の教員の比率を想定すると,例えば本稿 の文系型学生の地理受験率を考慮しても,竹内も 指摘しているように,大学生の30%が授業の中で 地域調査を経験しているという調査結果は,現職 の社会科教員の努力が想像できる。 8) 滋賀大学地理研究室では1976年から大学周辺の 土地利用調査を毎年継続して実施してきた。 9) エクスカーションのほかに博物館や裁判所の見学 を含み,年間を通じて数本の推薦図書の書評を書 かせる。「社会科授業研究」以前にも,1997年度 から開講した「社会科共通基礎教育」や2005年 度以降の後継科目としての「社会科教育の基礎」 で,推薦図書の書評を書かせていたが,筆者が社 会科教育コースでこの科目を立てることを提案し たのは,社会科におけるフィールドワークの重要 性に注目したからである。 10) 2012年度から1単位の地域調査実習Ⅰを2単位の 地域調査演習に改編した。2014年度からは安藤 哲郎氏とともにこのシステムを実施した。2016
年度からは1単位の「地域調査実習ⅡまたはⅢ」は 2単位の「比較地域論ⅠまたはⅡ」(隔年開講)と して再編成する。 11) 2006年に「社会科授業研究」で社会科の2回生全 員をエクスカーションに参加させるしくみを作っ た時に,すでにエクスカーションの現地説明を社 会科の学生ほぼ全員に拡大するという着想はあっ た。2008年度と2011年度の「社会・地理歴史科 教材内容論」(当時は2回生秋学期配当)において2 度試みたことがある。筆者が30人を超える受講生 全員にいかに現地説明をさせるプログラムを考え るだけで,受講生が積極的に企画に関与したわけ ではない。 12) 滋賀大学教育学部のキャンパスが立地する平津ヶ 丘は瀬田川に注ぐ南北の小河川に挟まれた河岸段 丘であり,その東側の瀬田川右岸の段丘崖下に平 津集落がある。石山村という明治行政村が設置さ れた時期に,段丘の北側の崖下に小学校・幼稚園・ 郵便局などが置かれた。平津ヶ丘の南側と西側の 丘陵地は1970年代以降に新興住宅地として開発 された。 13) 2015年7月のエクスカーションは南草津駅から草 津駅まで旧東海道を経由するコースだった。事前 に読図した新旧地形図(旧版地形図は1:20,000の 正式地形図)のほかに,江戸時代の草津宿の絵図 を現代的に編集した地図を配布した。草津川は南 の平地に付け替えられ,天井川は今や「遺跡」の ように残されている。 14) 「社会科授業研究」の春学期の2回のエクスカー ションに参加できなかった2回生3人を2014年12 月の3回目のエクスカーション(神戸・姫路間)に 参加させた。レポートに「地形図と目で見た景観 を対比すること」という課題を試みた。春学期に「 地理学概説Ⅱ」を履修しているが,当該地域の地 形図を読図していないので,草津エクスカーショ ンの時ほど明確な効果はなかった。 15) 例えば,最近の地図学習に関する研究だけでも枚 挙に暇がない。岩本廣美(1989)『フィールドで伸 びる子どもたち―探険・地図・自然と学習』日本書 籍。河崎かよ子編(1989)『からだで学ぶ地図の学 習―子どもの空間認識を深める』日本書籍。寺本 潔・池俊介編著(1990)『アイデアいっぱい地図授 業』日本書籍。寺本潔(1996)『五感を使ったお もしろ地図学習』,明治図書出版。寺本潔(2007)『プ ロが教えるオモシロ地図授業』明治図書出版。安 野功・松田博康編著(2007)『学びの世界が広が る地図学習』日本標準。寺本潔(2012)『思考力 が育つ地図&地球儀の活用』教育出版。