両目昌騨普昌胃ご母四口④師がチ。ヘットのゴル僧院で発見し、 インドへ将来した多くの写本は、徐々に研究成果が報告され、 たとえば己胃菌口普ロ、胃洋弓o烏切静凰のぃ︵尉君の︶として既 刊十八冊を数える。しかし未だ多くの写真版の写本が囚冨局 閃のの①胃呂曾巳①ご用沙目色︶に保管されていると聞く。現在テヘ ラン大学教授のシュクラ氏は、このラーフラコレクション中よ り佛教混滑梵語の法句経国ロ目冒異国苔尉冨曾冒烏昌口冨H目凹︲ g目倉国甲己弓・︶に注目し、目、急、の十九冊目として一九七 九年にパトナから校訂出版をされた。周知の如く、所謂﹁法句 経﹂に関しては、ロ旨白目囚冨geg・︶、の習昌融国ご目H旨い︲ 冒目︵?bg・︶、ご合口ゆく自彊︵ロ号・︶の各テキストが既に出 版されており、漢蔵訳の諸本も亦既に学者の研究対象となって いる。このような折、学界に碑益すること量り知れぬ第四種類 目の纒った該耆が出版され、評者は驚きと慶びでもって先ず総 Z.、、のロロ匡四奇旦・嵜 弓︷5國巨・堅巨恩国﹃言・苞の閏︺巴国辱 □ご四国己四℃四・四
田端哲哉
語索引の作成を開始した。通読した限りの印象と卑見をここに 記す次第である。 シュクラ氏は、該耆の公刊に当り、前述のラーフラコレクショ ン中に埋れていた十一世紀頃と査定しうる写本l圃冒]の具 に各葉六行宛、東方原型ベンガリー文字で書写lを底本とし て使用された。全二二章四一四偶からの構成をみるこの写本の 第一葉には、チ、、ヘット語で己冨儲日砦且鯉四目稗四冒目と記さ れており、所謂﹁法句経﹂の異本の一であることを証明してい る。内容的には未知の八章lシヰ言あ。富︾属巴乱昌︶曽田g] 属圃口罰ゞ陦騨ぐ四、ご胃評ロ且騨回国、但し最後の第二二章はその く胃鴨名が判明しない︲と五九偶︵?︶が従来の異本口唇︾ o︲己9.、。号.に見られないという事実をも含み、誠に学術的 興味の尽きぬテキストである。さらにシュクラ氏は国国甲己与. の相応偶を目5・︺の︲口唇・﹄己号.や他のパーリ聖典中に求め、 その報告を℃自昌①房︵zo5m︶とし、かつ偶文の索引を巻末に 付されている。目の弾と共にこれらの業績も高く評価され、既 にこの種の詳細な調査結果を発表している]・陣○侭言①︲口唇・︾ 弓.国の国曽肖号q号.国号昌ゞ丹生実憲﹁法句経の対照研究﹂、 水野弘元﹁法句経の研究﹂等と併用することによって、﹁法句 経﹂の原典研究は益々核心に迫りうる状況となった。 該害は聖典であり、熟読玩味すべき経典であるが、これを学 術研究の対象として座右に置く時その校訂には少しく不満が残 二 68らないでもない。シュクラ氏は写本のいい言︲い等の文字が極め て不明瞭であり、言語面でも難解な点1$目冨目。と笛昌︲ 冒冒冒○或いは昌g旨9吋と巳gPpp鼻⑦とは同一語と君倣 すぺきであるということなどlが散見しうる旨を吐露されて 該耆の校訂出版が決して容易でなかったことを言明している。 しかし我盈は目①鷺を出版するに当り、一般的方法論の一根拠 を提示し、検討しなければならない。それは写本を書写した人 ︵⑪。吋号の︶と校訂出版する編者︵①98儲︶とが夫を写本に対して如 何なる姿勢で臨んだかという点に関する我を読者の態度とでも いえようか。スクライブも亦原写本ともいうべきか、底本とな る聖典を手元に置いて書写したであろうし、或いはそうでなく て暗話した聖典を記した場合でも、我盈は彼らの書写が常に完 壁であるという認識誤謬を避けねばならない。写本の校正をエ ディターが如何に科学的学術的に推敲して行くかという事情は、 幸なことに総てエディターに任されている現状である。斯学待 望の重要典籍である故に、スクライブの書写通りエディターが 公刊することの利点も認めねばならないが、該言に限ってい えば、留日は︵とぎ︶と闇口は︵陰歯︶のローマナイズの仕方、 目四日目奥巨等︺鼻。︶と&5日目曳旨.。甘︶とを統一す曇へきか否 か、四口ロ冒弾3日︵畠。︶とpロ息3弾圃冒︵$。︶とは同語を想起 せしめる、などの諸問題があり、これらはスクライブに帰すべ き責任というより︸一ディターが如何に自らの学術的見解をそこ に表示するかという岐路点であろう。斯様な問題に関心を寄せ るならば、該吾はエディターがスクライブの書写を可成り重要 視し、自らの学術的な批判的方法論を表明した形跡が非常に少 ないといえよう。勿論国苔H昼讐ロ、胃詳なる固有の梵語が在る 訳ではないが、Q沙のの旨巴⑳算.と対比して国苔叶昼の胃.と呼称 すべき混滑梵語のあることは周く知られている。句.閃品①耳○口 は既に有名な切国望騨.○国日日目︺目の陸○口四qを公刊している が、それ故に国吾崎昼印冨.はこれらをもって総てであるとは 断言できない。一例を示せば、勺.伊ロ四目四圃開伊﹄衿冒叩⑳口四ぐゅ︲ §器煙に当る罰函の耳.を閃括臼8口はいロPく胃凋国と認定し ているが、我友は“巨騨ご四国唱騨なる園国際武をも指摘しうる のである︵留巨唾胃岸冒且切呂且津の昌呂、号巨司員厨口旨昌のロ日呂H 弓尉普息①ロ.ご$ゞ切誤‘閑.宮門.﹄電閃と−辱騨pいくp薗唱凹如騨僧冒巨戸菌︶・ 該害に見られる目白域の函︵思留︶と日四身。乱︵乞蛍︶は同 一語を思わしめ、骨続薗︵器冒︶と、︲竺制営日︵臼。︶︼QpQ賦琶目 宿笥。︶︾目鳥丙冒日日○︵隠舎︶とロ①嶌冒日目鱈︵喝蟹︶など書写 の相違、これらは余り重要な意味をなさないと看倣しうるが、 函日ぐ昇菌召︵急。︶に至っては印刷上のミスか否か評者には確信 が得られない。従って、出版されたテキストのローマナイズの 正否を確認しうるよう、底本とした原写本の写真版を載せてお く配慮が望まれた次第である。 他方、該書は韻文集の故に、韻律に関しても、エディターの 態度が問われてこよう。ごg・等と同様に国国甲ロ9.の偶文も その大部分が鱈○§である。時には弓騨蔦陸﹄弓凰稗号戸苛盟画 の用例も見受けられるが、韻律史的にこれらの種類は、くCs 以来の古い形体であるから、韻律の種類を根拠に偶文の歴史的 69
位置付けを決定することは困難である。しかし該害を韻律面よ り研究調査の対象とすることは可能であろう。六一C、dの二 行の如く、蛮○函であるにもかかわらず母音が九個見られるの は、最初と二番目の母音を読詞者が一母音として詞すというこ と、或いは七三Cの様に三番目のa︵語尾︶と四番目のa︵語頭︶ は、書写する場合短母音二個となるが、読謂者は一aと長母音一個 で発声するという如き、読訶者の慣例を我々に喚起せしめる偶 文が該書には少しく含まれている。さらに韻律面より偶文を批 判的に取り扱うことも可能である。例えば切邑号日目色日︵扇目︶ は韻律’四○厩lと意味︵℃.の鱒目冨白目秒日︺の陣.、且︲ 号胃目餌目︶上の二点より函呂冨日日四日でなければならないし、 ゅ3汽屏目巴国昌宿留。︶も同様に賀﹃の丙唇習鱒目が正しいと考え られる。又、§冒鼠四口目︵菌eは8日掛目四日︵$餌︾のざ・︶と解 した方が鱈○菌の規則に反することなく意味がよく通じるので ある。韻律学に門外漢の評者には、所詮該書を韻律面より言及 することが不可能であるけれどもl例えば二四七偶を如何に 解すぺきかl専門家による該書の研究が鶴首される。 次に評者は該耆を他の異本と比較対照する研究方法論につい て一つの問題提起をしてみたいと思う。それはシュクラ氏が 切国の︲目も.は口弓.より古いと冒茸○号o武○口にて報告してい る点に関連する事柄である。氏が根本的な詳しい論証を記述し ていないため、評者にはこの説に対して賛否両論いずれとも決 三 定し難いのだが、ただ、氏の用いた方法論1章の分類や偶文 の有無を国国甲ロ9.と己与‘とにおいて比較対照するlのみ で、両書の新旧を決定する結論が導きうるものかどうか疑問で ある。果してこの方法論で、聖典全体の成立に関する学術的根 拠となりうるのであろうか。ロ9.やご牙.或いは●︲口唇.と 漢蔵訳異本間における比較検討においても、偶文の有無の事実 だけをもって経典成立史の根拠とする仕方は謹むべきでなかろ うか。それは聖典の編纂者には、常に彼の所属部派の基本的 思考が影響しており、その路線に従って聖典が編墓されている と考えられるからである︵ぐ但同国国冒暑圏冒のH︾の①の。旨。胃の烏黒 目gm8のごg旨い:旨の.切匡雲。従って異本間における偶文の有 無の調査は、聖典の成立史的観点よりも所属部派に波及する論 証根拠となる。所謂﹁法句経﹂は釈尊の金口に帰すべき偶文集 といわれているが、ぐの§﹀ごgp儲昌以来の思想に全く影響を 受けていないと明言することはできない。そこで教義史的には 従来の思想と佛教との一線を画す如き、換言すれば佛教の独創 性︵9侭旨騨犀鷲︶のあった時代と、次なる時代、即ち佛教教団内 での各部派の個性︵冒号邑畠犀詳︶を強調した時代とを峻別しな ければならない。︽故に、異本間における相応偶の有無を調査し、 全体的比較をなす方法論は、聖典の成立史に関して余り肯定的 な根拠とならないと思われる。新旧の決定については、全体的 調査をする前段階として、個々の偶文の歴史的位置付けが先行 しなければならないと考えられる。自己、の中にも既に古い偶 文lぐ。§時代から佛教化への過渡期に説かれたと考えうる 70
聖典の成立史研究に用いる方法論と、所属部派を確認する方 法論とは酷似していても全同ではない。国国中口唇・の伝承部派 は現在不明であるが、いずれ解明されることであろう。幸なこ とに、該書以外にも所謂﹁法句経﹂の資料は徐有に発見されて いるからである。その一例が斯学にて余り注目されなかった 。号.の註釈害である。これはごく少量の断簡であるがドイツよ り出版された留口印胃洋冨且の。胃罵のロ四口の3口門口司菌口曾目①ロ 自昌ぃ︵国の目白出品8の邑ぐ○旨圓.弓四国い:目鼻︶言尉号且①固︾ 患ごい]認l届P園.zHと隠に含まれるロ号.ロ︵閑自己段︲ ぐ胃唱︶﹃迄の重要な嵐○日目9国Hである。しかしてq号.貝︾ 式@を我交は口与・﹄国国甲ロ9.に見い出しえない。却ってパ ーリ聖典ののz︺シz・嵐昇﹃或いは。︲ロg・等に相応偶を求めう る。従ってこの偶文は少なくとも説一切有部にあっては可成り dgより古いlは我々に肯定的な心証を与えない。 的な論証が遂行され函限り、シュクラ氏説1国閉b弓.は 国国望鼻.など言語面での考察、加えて教義史的な論究など多角 故に該害の偶文を個々に渡って逐一検討する仕方と、弓豐︺ い。しかし今日この見解を何人が承認するであろうか。それ いた偶文のみにて構成されていると着散すのであれば問題はな 現状である。もし配匝甲巨5.が同一時代に作成され調されて での個性が明確になっている偶文などを僅かながら指摘しうる ものIや少しく時代の下る部派佛教的要素、即ち佛教教団内 四 知られており、かつ重要な偶文として認識されていたことを想 像しえよう。この点より国国甲ワ弓の編蟇者は、ご号.の編者 と編纂意図の軌を一にしていないことが明白となる。 さらに該耆を中心として異本間における偶文の有無の相違を 調査してみると、目も.︶の︲口唇・︾ご号.中にたとえ一行でも相 応する偶文を含めると二○二偶︵全体の約半数N同様に口唇・︶ ご号.に相応する偶は一○五偶、oId弓・ゞご号.に相応する偶は 一六偶、ロgにのみ相応する偶は一三偶、ご号.にのみ相応す る偶は五○偶、己g・︾obg・︾d号.を初め、他の現存パーリ 聖典中に見い出しえない偶文二八を夫食数えうる。因にdg・︾ ?口唇.とのみ、或いはの︲ロ9.にのみ相応する国国甲己弓 の偶文は皆無である。この調査より出国甲。9.が編纂成立し た頃は、既に人々の口に馴染み深い偶文が沢山あったことを意 味するといえよう。又、個為の偶文が各種のテキストにおいて 如何なる章︵ぐ胃魑︶に摂せられたか、編纂者の意図が将来論究 される零へきである。国国の︲bご函燈は口与息魑と関連があり ⑦︲己9.ご牙.には見られない偶文である。しかして、圃国甲 ロ9.では38口国のご胃唱、口唇.では胃呂冨ご凹開Pに組 み込まれている。他方田国甲ロ9.雪と喝。とは共にロ︹写.の 割口噌ぐ閏鴨に見られるが、園田甲ロ9.ではぎ富﹄開自国の二 章に別れている。従ってこの一瞥からしても偶文と章は本来固 定的に不離の関係にあったとは考え難い。この様に編蟇者の意 図を探ることは、その聖典の所属部派を解明することに連継し て行くのである。これらの諸点を整理すると、現型の所謂﹁法 71
句経﹂が成立したのは、少なくとも原始佛教時代において偶文 が読謂されていた頃より時代は下るということが明白である。 恐らく古来より読調伝承されて来た偶文や新たに口調された偶 文が、後に各部派の編蟇者の手で纒められて一つの聖典となり 成立したのではなかろうか。 同様に己9.とご号.との比較対照における言語面への言及 も留意を要す。その顕著な例を次に一瞥してみよう。即ちドイ ツの斯学界で指摘されたパーリ語の日.ロ.猪.騨匡.に︲四日な る古形語尾が認められるという説に関してである。これはF 筐呂○旦博士の所説︵員①ぐ画切目のぐ巴︺旨昌︾P↑ぜ①。旨のロ具シ﹃呂昌。 着目四︲旨⑳薗臼辞己l固め○妙Fo員○口.后閉l亀.剣○]・ぐH目.℃や眉や 麓与で、国.F且①易︾同乏凹丘、呂冒丘苛国。︵︶go胃ロ侭の]言号日 日①印もHい○唇①g①いずpQQ巨⑱陸駕ぽ①昌口H舜自︺○︼届ゞ嗣○匙旨.]呂吟︾ 馬や攪巴にも引用、承認されている。なお、最近では中村元 博士が﹁ブッダの真理のことば感興のことば﹂︵岩波文庫三三’ 三○二’一、一九七八年、八三頁にて︶この説に同意された。一方 尻.ロ①.くH①①ののは国、○少的〆〆ぐ旦澤后紹や固笥つふ圏にて ど巴○風博士の説に対し動詞の格支配、四○富の規則の二点よ り反論を試みたが、その後の反響を評者は知らない。 さて斯学における世界的泰斗の諸博士に対し厚顔無恥、借越 非礼であるが、評者は匡豊c民博士の所説に疑念を抱いている。 博士は普侭富目印侭息冒のぐ協匡︵ざご昏言巳を調査された結 閥 果覗白煙昌冒Ba︺岳︶︾盲目目四目色怠思︶︾ご目色冒念目.膣︶ の︲P目は総て凹匡・と確信され、己9.の宮君冒昌︵ら︶︸茜冨昌 ︵gこ︾目匡臼冒昌︵筐との三用例も総て同様にP匡・と論証され たのである。しかし口9.に関する博士の論証の仕方は、口唇。 とご号.との偶文の比較によるものである。そこで該書︵国函甲 己目・︶を併用し、合わせて再検討てしみたい。 一く己壹口患韓勺巨己己彦凹昌Ⅱ己畳w・〆ぐ目尻Pロロ、ご幽○1国画、︲ ロ崖9.届き宅昌増四 二、己豈や9号荷﹃四目1.二く.〆〆桝.辱意望倒?Ⅱ国国甲己ロ己. 臼些四国蝕昌 三、ロロや臼吟Qp丙丙目pgIqQぐ.〆桝忌ハと即戸口胃薗Cl 国国甲ロロロ﹄つつ皿。巨汽庶四計Pg 中村元博士は前掲害にて﹁そこでこの﹃ダンマパダ﹄四九の 冒弓冨召は冒若弾の意味である。﹁ダンマパダ﹄の詩句が 。︿−リ語以前の言語︵マガダ語の影響を受けていたl︶から パーリ語に翻訳されるときに、パーリ語以前の古形がそのまま 入り込んでしまったのである﹂と述舎へられて、﹁アルスドルフ 教授の研究によって判明した﹂ことも併記されている。そこで 評者は次の二例を追加してみる。 一、己彦亨鯉皿oPp烏昌ご包昌冨函色月色目Idgぐ.く胃.忌和冨砺騨禺四○ の巴]︵盲冒胃−1庫国甲ロ]も.届号C2昌騨口斡昌冨曲目騨冒 二、己三︺・閉︾o秒]︺︹岳.]昌冒冨唱昌冒Iご今く.ご月弓い国函冒,胃 つど昼窪邑胃1国国苧ロ︸5.局PC自己四口蝕昌冨喚冒色昌 筐色○員博士の謂の一つは、口唇.とご号の比較で、ロゼ. 72
の偶文の語尾が︲四日の箇所をご号.では︲弾としている点の 指摘である。従ってロ弓.固︼引の二例は、博士の所説に従う 限り日.ロ.侭.騨匡と解さねばならない。 詳論は別の機会に譲るとして、評者は次の諸点より、以上の 五例は日.胃.侭.p8.と考える。S所謂﹁法句経﹂の異本 の言語面において、嗣は①算.よりも古いというのが定説で ある︵前田恵学博士﹁原始佛教聖典の成立史研究﹂七○九頁、中村元 博士﹁原始佛教聖典成立史研究の基準について﹂日本佛教学会年報一三 号七五頁︶。目ロg也匡ではQ目闇3日“を支配する動詞が 無い。㈲琶邑。風博士の用いられた四目.は弓尉号昌且. の目旨.q胃.よりの還元梵語である。︵因に。g・曽吟・ め巨丙ゅ冨目は国①Hp旨いa且.己讐、.〆桝月〆,侭では目阿菌冒 となっている。︶㈲水野弘元博士の理解︵パーリ語辞典三一面頁 切のご餌の項︶は口唇出匡に充当する。㈲従来の如何なるパ ーリ語文法書にも︲伊冒が目.眉.韻.騨匡.と言及されていない・ ㈹台に関連することであるが、口唇︵厄・︶とご号.命頁・︶の 偶文比較において語の格変化を決定する仕方に疑問がある。な どの理由によって、評者は従来の如く︲四目を日.P侭.四○。.と 認定する者である。特に㈲は該耆︵団国甲己写︶にも影響するこ とである。即ち、ロ弓.の編蟇者は−P日なる語尾を用いて四8. で偶文を理解し、ロ号.の編墓者は、同じ偶文を騨巨.で解釈し 直したと君倣しえぬものであろうか。中村元博士は前掲岩波文 庫七三’四頁、己9勺の訳註にて、異本間における理解の相 違を指摘されているし、前掲論文では、﹁法句経﹂に関する限 り俗語からサンスクリットに書き変えられた時、読者に親しみ 易い表現に改められている例を指摘されている︵前田恵学博士前 掲害七四五頁︶のである。異本間における偶文全体や語形の比較 を通して文法にまで言及することの是非を評者は論じえないが、 少なくともロ9.の方がご号.より古いと認められている場合、 めぎ.を基準に詞の語形を論ずることに矛盾を感ずる次第であ る。ただ理解の相違を承認するならば、国国甲己9.にはご号. とは異なり、己9.の編蟇者と近似した根拠に基づいて偶文を 解釈した痕跡が見受けられるのである。 該害の言語は国号境己留畠胃詳とはいえパーリ語に大変近 い梵語であるから、殊にミスプリントは避けられねばならない・ テキスト中に百筒以上のミスプリントを数える該書は、学術的 価値を低減させることにもなりかねない故に、近時改訂出版が 望まれよう。 しかし該書は単に﹁法句経﹂研究に留まらず、あらゆる分野 の印度学研究者に尽きせぬ興味と恩恵を与えてくれるテキスト である。この偉業に感謝し、功績を讃えたい。 ︵門m急印zo・ろ.丙。同]曾冒儲急己罰①い①胃具声冒降拝員①.吋騨曾色、Sご 勗膳×蟹.浮昌]5.ぐ言十害︾罰い,息・︶ ワ q U J