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愛媛県肱川,鹿野川ダム地点の地質と湛水池周辺地域の地すべりについて

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Academic year: 2021

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愛媛県騰川,鹿野川ダム地点'の地質と

 湛水池周辺地域の地すべりにっいて

甲 I H 緒   言 ‘ダムサイトの地質 123 4。 5.   藤    次 (文理学部地質学教室) 目 鹿野川ダムの概要 地質調査の経過 地質概説 ダムサイトの地質 基礎岩盤処理について I 郎 次 Ⅲ 湛水池周辺地域の地すべり  1.大地地区  2.栗ノ木地区  3.坂石地区   (附)地すべり対策 IV 結   語 緒 言  ここに述べる鹿野川ダムは,いわゆる黒瀬川構造帯に近く地質学的に興味ある地点に位置してい る.  土木工事に関する初期の地質調査の目的は,なるべく早くなるべく正確に地質状態を予測するこ とにある.然し工事後,工事中の正しい地質状態の記録を残すことも重要なことである.殊に初期 調査の精度を高めるためには,各地でのこの種地質記録の累積と,その比較研究か必要な様に思わ れる.またその地方の地質のくせを知る上において,土木工事による連続露頭の観察は筆者にとっ て魅力の一つでもある.  鹿野川ダムは,昭和28年度より肱川総合開発事業の一環として着手され,洪水調節と発電を主目 的とした多目的ダムで,ダムエ事は昭和31年6月頃着工,同34年3月に完工している.  ダム地点の地質については,ダム着工までは,関係当局で比較的楽感視していた箇所であった が,岩盤掘削にあたって地質は予想外に不良であり,また昭和33年10月末に中間湛水(EL. 76.0m) を行ったか,12月中旬より湛水池周辺3ケ所(大地・栗ノ木・坂石)に著しい地すべりを生じた. この地すべりは,土木界方面ではダムサイトの岩盤処理の問題以上に注目されたことであったが, 地質関係者にはあまり知られなかった様に思われる.またこの地すべりは,昭和34年4月頃になる と既に停止したと一般に考えられた.然し昨年の長雨および本年の融雪と長雨によって,大地およ び栗ノ木の一部は再び活勁をはじめたのである.  筆者は,建設省鹿野川ダムエ事々務所の依嘱によって,昭和31年7月以降同33年9月まで随時臨 床的にダムサイトの調査に当り,またその後も屡々この地域を訪れる機会を得たので,ここに従来 の成果の一部をまとめ,今後の研究発展の資としたい.  最後に,本調査の機会を与えられ種々御助言を頂いた山崎博氏(元四国地方建設局長).徳田秀 雄氏(元鹿野川ダムエ事々務所長).池上雅夫氏(同元副所長)および当時同事務所に在勤せられ 種々便宜を計って下さった平田道昭・田口三生両技官等に厚く御礼申上げる.また34年度に湛水地 域の地すべり調査の機会を与えられた神原清氏(現松山工事々務所長)および神田一雄氏(現松山 工事々務所工務課長)に厚く御礼申上げる.また本年9月,大地・栗ノ木の地すべり地を再度巡検 する機会を得たが,建設省肱川工事々務所長名倉豊氏・県大洲土木事務所長徳永安利氏・鹿野川ダ ム管理事務所長重川穣氏等に大変御世話になり,また現地では佐竹吉隆氏(建設省肱川工事々務所       (1)

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 28      高知大学学術研究=報告 第12巻  自然科学 I 第4号 河辺砂防出張所長)および亀岡昌弘氏(大洲土木事務所技師)に案内して頂いたし これらの方々に 厚く御礼申上げる.また調査資料の閲覧並びに引用を許された当局に厚く謝意を表する.       H  ダ ム サ イ ト の 地 質  1.鹿野川ダムの概要  肱川は,愛媛県の南西部に位置し,小田川・黒瀬川・舟戸川・岩瀬川をはじめ300有余の支流を 合せ延長約90 km> 流域面積■1,211,4km' に達する県下第一の河川である.ダム地点は,肱川河口 より約35 km,河床勾配はダム地点で約V,00である.同地点の岩盤標高はEL. 30∼32mである  (第1図).  肱川流域は,地理的にも資源的にも恵まれた河川であるが,下流に狭搾部をもつ地形的特性によ り下流部中心である大洲市周辺の平地一帯は古来数多くの洪水被害を受けてきた.その対策として 治水並びに発電を行なう多目的ダムとして鹿野川ダムの築造が計画され,昭和28年10月より肱川総 合開発事業として着工の運びに至った.       `'  すなわちダム地点における計画洪水流量2,750 mVsec を1,250 m^/sec の調節することによっ て,下流大洲地区に対しては4,250 m'/sec の洪水流量を750 mVsec 調節することになり,直轄改 修工事施行区間の計画洪水位に対しては約70mの水位低下を行うことかでき,これにより年平均約 14億3千万円にのぽる災害額を防除し併せて下流直結改修工事の工費節減を計ることができる.  またダム左岸直下流にダム式発電所(県営)を設け,ダム貯水を利用して最火発電力10,400 K. w, 年限発生電力m 56,121,000 K. W. Hの発電を行なうものである.  鹿野川ダムの貯水池およびダムの諸元は次の通りである. 水 ダダダ堤最堤集湛洵総有計洪放発発推 系 及 び 河 位型高 敷 ののの頂堤体 ム ム ム  大     水水節 面面 水   水 貯洪調流 水水 貯     効画水 用用 利利 電電 定 堆 川  水  水 砂 名 む式さ長幅積積積位nn一八m信一址深八m皿        肱 川 水 系 ● 肱          _ 愛媛県筥多郡肱川町大字山鳥坂及び宇和川 溢流型,直線コンクリート重力式 61.0 m (基礎岩盤より堤頂まで) 167.9 m 49.0 m 160,510 m3 455.6 km2 常時 2.09 km2, 洪水時 2,32 km2 常時 EL. 86.0m,洪水時 89. Om 48,200,000 m3 (EL. 89.0 mまで) 29,800,000 m3 (EL. 72. Om―EL. 89.0m) 2.750 m'/sec 1,250 m*/sec 1,500 m^/sec

14m (EL. 72. Om∼EL, 86. Om)

23,300,000 m3 12,000,000 m3 (EL. 66.5mまで100年分) 工事概要 期間 昭和28年10月∼昭和35年6月,総工事費2,995,000,000円(概算額) 2.地質調査の経過 従来の地質調査の経過を示すと,次の通り’である.  昭和26年度…工業技術院地質調査所による地質調査(2)および試錐(4孔, 45.82m)試掘(4        (2)

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j ・ ● ・ . 29 -一一-一流域 一一、.一集水区域 |.砥部町 2.久方田1 3.長浜町 4.内子町 5.五十崎町よ6.鹿野川 7.鹿野川ダム 8.大地 9.栗ノ木 10.坂石 日.遊子川 12.黒瀬川 13.魚成 14 .卯之町 15.南久米 16.江川崎 肱川 3 鞠 ● ● = − = ・         ` 1         。 ● ”       1 ● ″     』 ・ >   . ' " ^       パ       /         ″ 一 大洲市 − ●   ● 1   皿 ● ' 4 入 ゛ ` ゛ ゛ ゛ ゛ l y 、 / f ゛ ゛ ` ゛ ノ 15    /'χ "∼./ ,X χ       − e 4 . へ 5 ● ” . W 重信川 8 6 松山市 = − − − − f − ゝ   ゝ     1     ゝ     ゝ     I / ・ " I − ・ − . ?  川 ● / ' ゛ ゛ ヽ . ノ ・ ミ ’ y     ` ’ l 、   / ` ゛ ≒ r ’ / ゛   ” ■ \   ' ; ` ' ゛ ` ' 1 . ゛ ' ゛ ゛ ' ゛ ゛ /

犬寸

第1図  肱  川  流  域  図 (3) 16 ● ● / - ● d ” ” ・ ゝ   l   y     ゝ     ゝ ● ● ● I ` ‘ . 一 ‘ j オ叫.上ト 四万十川

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 30         高知大学学術研究報告 第12巻  自然科学 I 第4号    坑, 29.5m)を行い,ダムサイト決定の資料となる/   昭和28年1月…日本物理探鉱K・Kによる弾性波地質調査(3)(測線7本. 1616m)を行なう.   昭和29年7月…建設省直営にてボーリング(14本, 237.5m)および試掘坑(12ケ所, 130. 5m)    による地質調査を行なう. 筆者が,ダムサイトの地質調査に従事したのは昭和31年7月以降のことで,当時はダムサイトの 両袖部の掘削および仮設地帯の建設がはじめられた頃であった.  筆者は前述の諸資料を参照し,ダムサイトの地質の再検討を行った.その結果については,当時 関係当局に報告田(5)したか,本文はその後機会ある毎に観察したダムサイトの地質についてまと めたもので゛ある.  また周辺地域の地質か,既発表の基礎資料(1)(2)と相異する点がある様に予想されたので,大阪 市立大学の石井健一氏の協力によって,ダムサイトを中心とする周辺調査(久下の南から阿施布に 至る約4.5 km間で,また東西方向には約4.5 kmにわたる範囲)を併行して実施したが,その結果 犯ついてはいずれ石井博士による学術発表が期待されるので,ここには触れない.  問題の湛水池周辺3ケ所(大地・栗ノ木・坂石)の著しい地すべり現象は,昭和33年10月末に中 間湛水(EL. 76.0m)を行った後,同年12月中旬より相前後して発生したもので,筆者は鹿野川工 事々務所および肱川工事々務所の依嘱によっ.て34年度に調査する機会を得たが,大地および栗ノ本 は昨年の長雨および本年の融雪と長雨によって再び激しい活動をはじめたので,問題点は今後に 残るが一応これまでに得た資料をここに整理し考察しでおきたい.なお地すべり地域の路線調査に は,高知県須崎高等学校教諭川沢啓三氏が助手として参加した.付記して謝意を表する.  ろ.地質概説  鹿野川ダム周辺地域の地質は,次の様に区分される.       三.波川南縁帯 秩 父 累 帯 北 ・帯          黒瀬川構造帯 中  帯 南  帯 魚成衝上線 四 万 十 帯  仏像構造線  鹿野川ダム地点は,秩父累帯北帯にあって.地理的には北帯のほぼ中央に位置する.黒瀬川構造 帯は,ダム地点の南方約6kmをほぼ東西に走り,また魚成衝上線はその南約2kmの地点を同じく ほぽ東西に走る.北帯の北縁は喜多郡大川村森山から南久米村南縁を結ぶ線以北に分布する三波川 南縁帯と断層で接する.  黒瀬川構造帯のレンズ状体には三滝火成岩類・寺野変成岩類(先ゴトランド系)および岡成層群  (ゴトランド系)が露出する.この構造帯の形成は古生代未を中心とする日本での大規模な地殻変 動の1つのあらわれといはれ,現在見られる形は中生代未一新生代の変動による釜ノ川衝上線によ り変形されている.  北帯の古生界は主として中・下部ペルム系で一部石炭系を含むと推定され,砂岩・頁岩・チャー ト・輝緑凝灰岩および石灰岩等よりなるが,チャートおよび塩基性火山岩類の発達が著しい.また 一般に構造は複雑で,岩石の変形度は進んでいる.本地域の構造は,東西性の断層とこれを切る南 北性の断層によって特徴づけられている(第4図参照).  また,宇和川・黒瀬川・魚成川・河辺川・船戸川・遊子川・肱川等の流路にほぽ沿う140 m 乃至 200 m 合の所々に平坦面かおり,多くの場合河岸段丘堆積物が残っている.       (4)

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ろ 1  4.ダムサイトの地質  基盤岩類は,古生界(下部ペルム系?)に属する砂岩・頁岩および輝緑凝灰岩等よりなる.  また右岸側の170 m 台は,河岸段丘面の一部で厚さ5m内外の段丘堆積物が発達する.また右岸 側ダム前面のダム管理事務所の背後には崖錐が分布する.なお,着工前の河床には厚さ10m内外の 砂牒層が堆積していた.  以下,ダムサイトの基盤岩類の岩質並びに構兪について学明する(第2図).  砂岩と頁岩は一般に辻面で接している場合が多く,また頁岩或いは輝緑凝灰岩は互いに断層でと りこまれた様に分布する場合が少なくない.  ダム本体の位置する砂岩層は,巨大なレンズ状をなして分布し,岩質は灰色乃至青色の粗粒乃至 中粒の堅硬な塊状砂岩で概して細粒部は少なく,いわゆる硬砂岩に属する.この砂岩には,一般に 頁岩の爽みは少いか,部分的に厚い頁岩(試錐によると最厚約3 m)を挾在することがある.また 左岸側の仮排水トンネルでは爽みの多い部分が観察された.  この砂岩層の見掛上上位に頁岩層および輝緑凝灰岩層が位置するが,頁岩は右岸側道路にそっ七 よく観察される.頁岩は,黒色千枚岩状で,既述の砂岩とほぼ同質の大小のレンズ状砂岩を挾在す る.  輝緑凝灰岩は,右岸側ケーブルクレーンおよび仮設地帯の主要部をしめて分布し,岩質は暗赤紫 色或いは緑色の細粒凝灰岩で,塊状無層理である.  ダムサイトの地層は,走向N80°W,傾斜60°N E 内外の単斜状構造をなす.  またこの地点には大小の断層が発達し,地層は一般に著しく擾乱している.断層は,走向断層が 多いが,またこれを切る断層も少くない.従って,ダムサイトはこれらの断層か互いに錯綜して, ブロック状を呈すると云っても過言ではない.  またダムサイトをはずれるが,堤軸線の前面約150mを略々東西に走る断層かあって,この断層 はダム本体ののるレンズ状砂岩の南縁をきり,その南側に分布する地層群のチャートと接している. 同破砕帯の規模は不明である.が,ダムと直接の関係はない.  ダムサイトの断層群で,破砕帯の著しい断層は,左岸のケーブルクレーンの南端からダム左岸前 面に走る断層(N57°E ・ 31°S)で,ほぼ道路面以 ̄トめ地表面では破砕帯の厚さ2m以上が観察さ れた(PL. 2, Fig. 3).この破砕帯は,道路わきでは現在コンクリートウォールでカバーされてい るが,その南側に露出する砂岩は道路ぞいに約70mにわたって著しく破砕されている.発電所の山 手側を通る断層は, N88°W・36° S で破砕帯の厚さは最大50 cm程度である.また同左岸の仮排水 トンネル(EL. 37.5―40m,延長315m)で観察した断層は,破砕帯の厚さ0.5∼1cm程度のもの17 本,同1∼5 cm 8本,同5∼10cm 8 本,同10∼30cm 3 本, 100 cm 1 本計37本を数へた.(工事の 都合で,トンネル内の連続露頭を全部調査出来なかったので,実際はその数をうわまはるであろ う.またいわゆるヘアークラックは数多く認められた).これらの破砕帯のあるものは,断層粘土  をか,み或いはそれが地下水にあらわれて空隙となっていた.  川床部の基礎掘削によって露出した岩盤面の亀裂平面測量(32年4∼7月)は,当局によって実 施されたが(第3図),4ブロックより5ブロックの上流側では,岩盤は断層粘土をかみ或いは砂 岩が破砕され,或いは爽みの頁岩が著しく破砕される等甚々不良な状態にあった(PL. 1, Fig. 1, 2).  この様にダム本体ののる砂岩は,一見安定した岩盤の様に思われるが,上述の顕著な断層の外 に,不規則な亀裂或いは節理(N20°E ; 50∼70°N, N20∼50°E’・ 30∼70°S, N30°∼50W‘・ 50 ∼70°N)が発達し,またこの様な割目を境いにして滑勁した辻面が多数観察される.この様な状 態は,既発表(8)の永瀬ダムダムサイトと同じ様に,外因的風化作用によ,るのではなく内因的な構 造運勣によるのであるから,岩盤不良は深部におよんでいると判断しなければならない.       (5)

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 32         高知大学学術研究報告 第12巻  自然科学 I 第4号  ダムサイト右岸側に露出する頁岩は,著しくもめており,一般に層理面に平行な辻面が発達し, 一見千枚岩状に剥離する.また部分的に節理が発達する.頁岩は風化しやすい岩石であるか,風化 が進むとこれらの辻面或いは断層にそって滑勁して小ブロック状に崩落しやすい,また頁岩中に挾 在されるレンズ状砂岩は,通常辻面で互いに接している.  輝緑凝灰岩は,一見無層理塊状で新鮮な露頭ではかなり堅硬な部分もあるか,内部には数多くの 辻面が発達しており,表面から風化か進むと,この辻面を境いにして,しばしば崩落をおこす.山 腹部の輝緑凝灰岩は風化が特に進んでいる.これは,比較的若い地質時代に川床下にあったことが 多少影響しているかもしれない.  右岸側の頁岩及び輝緑凝灰岩をきる断層は多数観察され,既述の顧にこれらの断層によって互い にとりこまれた様な分布を示す場合が少なくない.,  破砕帯の著しい断層は,堤軸線より下流側150 m∼220 m 間の川岸でよ.く観察される.これらの 断層の走向はN70°∼85°E,傾斜70°∼85°NWで,破砕帯の厚さ300cm内外の断層2本, 100 cm 内外の断層2本が認められる.  ダムサイトをはずれるが,堤軸線の上流側約150m地点をほぽ東西に走る断層の南側にあるチ ャートは,灰色乃至緑灰色で,一見塊状であるか,葉理か発達しそれらの走向・傾斜は不規則であ る.  5.基礎岩盤処理について  ダムサイトの岩盤が期待に反し非常に不良であったのは,外因的な風化作用によるよりも内因的 な構造運勁によるからである.従って亀裂(断層を含め)が深部におよんでいると判断しなければ ならぬことは既に述べた.  従って,当局側では基礎岩盤処理に十分慎重な対策が実施された.  基礎掘削量は,岩盤不良のため当初の計画量(102,780 m3)をこへて総量115,000m3に達し,そ の60%が河床部であった.  基礎岩盤処理として,全面的にコンソリデーシ;ングラウトおよびカーテングラウトを施工する と共に,特に破砕帯の著しい6ブロックの前半部ではプレパクトエ法が施工された.  コンソリデーショングラウトは,第3図に示す施工個所に,ダム本体の基礎岩盤に深さ5∼7m のものを5m間隔の干鳥型に配置し,注入圧力は約3 kg/cm2・とし,また注入圧力による岩盤の浮 き上り並びに亀裂が甚だしくセメン.トミルクの漏出が考えられるのでコンクリートを3m以上打込        ブロック別注入セメント量実績 ゛(昭和33年9月30日現在) ブロック別 本数 注入セメント量    (kg) 1本当り注入セ メント量(kg) 注 入 孔 長 1m当り注入セ    (m)    │ メント量(kg) 摘  要 No. 1    2    3    4    5    6    7    8    9   10   11   12  合 計  4 12 18 29 32 40 40 13 10  7  6 211  7,930 23,410 93,660 14,570 18,540 31,530 36,510 14,160  2,750  3,280 13,830 260,170 1,980 1,950 5,200  500  580  790  910 1,090  280  470 2,310 1,230  .28   77  115  198  173  246  225  136   70   52   33 1,353 283 304 814  74 107 ‘128 162 104 393  63 419 192 1部未施工 未施工, (6)

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7,480kg ろろ ダム中心線 後施工された.ブロック別注入セメント量は前表に示した.  カーテングラウトはC孔およびA孔を組合せ施工されたが,C孔グラウトは,河床部は2列とし 上流側列は垂直,下流側列は下流に向って15°の傾斜を行い各々1.5m間隔で深度は2.5mとし,両 袖部は1列垂直で1.5m間隔,深度は20mを標準としている.なお注入圧力はダム上流側の静水 圧の約3倍の20km/cm2を標準としている.  A孔グラウトは,堤軸に平行な1列とし上流側に10°∼15°の傾斜をさせ河床部は1.5m間隔,深 度は25mとし,両袖部は3m間隔,深度は20mで,注入圧力は前者と同じである.カーテングラウ トの注入セメント実積表は次の通りである.またA孔にはバイトロック合計15,641.0^が注入され た.      .  また惨透水を排除する目的で,ダム堤体内 の監査廊に排水孔が設けられた. 孔 数 注入延長 注入セメントm C 孔 A 孔 . 180  173      m4,701,70 4,472,00      kg 851,799,0 417,859,1 O 500kg∼I.O(X】kg 01,000kg以上

NO. I ・■・ N0.2 81・ N0.3 9L N0.4 8L N0.5 8L NO. 6 "- N0.7 "・ N0.8 "■ N0.9

°1 NO.I0"- NQII"- NQl2≪i-第3図 コンソリーデーション・グラウト平面図   (鹿野川ダムエ事事務所による,昭和33年9月30日現在)       m 湛水池周辺地域の地すべり‘  鹿野川ダム湛水池周辺の地すべりについては,既に種々の報告がある(U)(12)(13)(15)(16)(n)  ・特に建設省関係の資料は,樋口・設楽・久保によってまとめられてをり,資料も豊富で地すべり についての諸考察に敬意を表する部厚い論文(1960,但し謄写印刷)である.  筆者の地質調査資料は,上記の論文に引用されているので重複する点も多いが,本文ではこの様 な地すべりが,地質的にどのような位置に発生したかについて,これまでの調査資料をまとめたも のである.移動量の記録・試錐・試掘・物探等の詳細については,紙面の都合上簡単に付記するに とどめる.ただ当時のメモで,他の資料に未発表となっている様な記録はこの機会に付記して今後 の参考に供した.  ダム湛水による崩土地帯の地すべりは決して珍しいことではなく,既述の永瀬ダム湛水池でも小 規模ながら発生した(8)この場合は,貯水位の急激な変化が影響した.然し鹿野川貯水池の場合 は,当時のメモによると,昭和33年12月・1日に発電のために1m水位が下ったのと,11月13日に22        (7)

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ろ4 高知大学学術研究報告 第12巻  自然科学 I 第4号  ミリの雨量かあっただけで,直接の原因と考えられない.       ∠  然し,各地すべり地(大地・栗ノ木・坂石)の地質的考察によれば,その素因と誘因が或程度相 違する様に思われる.   ”      l .  本旨に先だち・,まず湛水池周辺地域の基礎地質について簡単にのべる.ダム並びに湛水池に関係 ある基礎地質図としては,既に平山健・片田正人(2)と近藤信興(19)の調査(前者の第1図と後者の 俤6図)がある.両者で一般走向の異るのは,地質概査の結果としては無理のないことであろう が,’本地域の地質の複雑さの一端を示すものと云えるであろう. ゛  基礎地質については,既に地質概説の項(4頁)で触れたか,本地域は秩父累帯北帯に位置し, 湛水池の南縁近くを黒瀬川構造帯がほぽ東西に走る. .  湛水池周辺地域は,第4図に示す様に,東西性断層と南北性断層によってブロック状に裁断さ れ,各ブロック毎に地層の一般走向は多少異るが,大観すれば中西一堂野窪以北はNW―SE,以 南はNE−SWで概ね北側に中角度乃至高角度で傾斜する.  分布する地層は,中・下部ペルム系(1部石炭系?)で,砂岩・頁岩・チャート・輝緑凝灰岩お よび石灰岩等よりなる.一般に輝緑凝灰岩がよく発達する.  以下各地すべり地区毎に述べる.なお湛水池の南縁の鎌田および黒瀬川構造帯レンズ状部の土居 に地すべりが知られているか,これらは何れも蛇紋岩に起因するものであり,本文では省略する.  1, 大地地区 一見崩土堆位地を思わせる地形を呈するが(PL. 3, Figバ),後述する様に,本 地区の地すべりは岩盤の滑勁によるものである.地すべり地の規模は,徐行約500m,奥行約300m, 滑動地塊は概算380万m3に達する.33年12月12日米明に付替道路ぞいに約60mにわたって山裾が崩 壊し(第5図のb印をした一番大きい崩壊箇所の一部,38年6月14日に図の如く更に大きく崩壊), また山腹に多くのクラックが発見された.同地すべり地塊の移動量は,33年,12月12日の測定開始後 34年4月30日までの大谷椙での測定結果では水平移勁90 cm,垂直移動15 cm となっている(PL. 3, Fig. 2).また標高220 m の地すべり地上端のクラックの落差は60∼70 cm に達した(PL. 3, Fig. 4). 34年4月末以降は大きな動きもなく停止したと考えられたが,37年6月乃至7月頃から この地すべり地区が再び活動をはじめ,上記のクラックは更に35 cmの落差を生じ,大谷椙は現在 までに更に約40 cmの水平移動を生じた(垂直移動は殆んど認められない).またその南側の隣接 した新しい地域にクラック(第5図のNo. 2及びNo. 3)を生じ,何れも垂直126 cm. 水平移動 77cmを生じた(PL. 3, Fig. 6)ン  地すべり地の上端(標高220m)より川床(標高50m)までの地表傾斜は, 220mより170mまで 20°(士), 170mより120rnまで30°(士), 120mより50mまで40°(土)で,平均30°以上の急傾斜を示す.  試錐および横坑の資料によれば,表土(崖錐を含む)の厚さは10m内外にすぎず,地すべり地塊 ,の主要部は岩盤そのものである.岩盤は主として頁岩でまた砂岩を挾在する.この地すべり地塊の 地層の走向・傾斜址,地層の擾乱Å風化のために測定箇所によってまちまちであるが,一般走向は N30∼33°W,傾斜30―55°N E七あ’る.また,対岸(大谷橋左岸側)の不動地帯の一般走向はN30° Wに傾斜は30°N Eで殆んど変化はない.      \  この地すべり地区のすべり面の推定については,・色々の説(12)(15)(16)<17)(19) がある.   F  筆者自身の考察の経過をたどると,鹿野川ダムエ事々務所長宛の34年3月23日付報告文書の写し によれば,大地の地すべりは> N70°W ・ 38°NE 内外を示す旧断層の再活動と推定している.その 後色々な意味で最も効果的な役目を果すことになった横坑(全長lOOtn,第5図参照)は,2月.17」ヨ に着工されたが,当時掘削中で,まだこの推定地すべり面を確認する距離に達していなかった.  同年5月26日の観察で,このすべり面は坑口より92mめ側壁に露出する断層であると判断した. この断層は約20cinの断層粘土をかんでいる(PL. 3, Fig. 3). ■  同年9月2日に,坑口より89m地点の横坑底部の厚さ20cmのコンクリート張工に約1cmのクラ        (8)

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ろ5    クラック.:……ご ご(1∼3は融㈲泳のkド        ’:,ぐ● 1,  ゛ 剛     ’‘`‘ :フ aは37年7月頃の崩壊 bは38年3月以降の崩壊  1叩    200m 75       175       第5図  大  地  地  区  平  面  図      , ツクのできているのを観察し,地すべりとこの断層が深い関係にあることを再確認した(PL. 3, Fig. 5).調査の機会毎に助手をつとめていただいた建設省の係具に,横坑底部のクラックの発見 と記録をお願いしておいたが,何分工事も終りに近づき人手不足のため’どの程度記録されたか不明 である.ただダムエ事関係の業務が建設省から県に移管の際,同係員を通じダム管理事務所に測定 の継続をお願いした.  この測定は,月2∼3’回の割で36年12月頃まで継続されたそうであるが,38年9月に同管理事務 所をたずねた際には,この記録は見当らなかった.ただ筆者が36年2月下旬に他の目的で同管理事 務所にたちよった際に,その記録の一部をメモした.  それによると,坑口より89m地点のクラックは,35年7月2日(86ミリ),7月16日(88ミリ), 11月16日(90ミリ), 36年2月15日(90ミリ)となっている.それ以前およびこの間の測定値があ ったが,いずれ何らかの形で記録に残されるものと思い,筆者かその時にメモしなかっただけであ る.担当された方の記憶によると,当時このクラック以外は,他のクラックに気付かなかったとの ことであった.  勿論,筆者はこの炭坑92mに露出する断層そのものが,全面的に地すべり面そのものであると断 定するものではないが,本地区の地すべりに大きい関係かあると考えたい.またこの地すべり地塊 が一様に動いているのではなく,地塊内部の他の多数のすべり而によってブロック的に動いている ことも想像に難くない.  その後, y\年7月10日に大洲土木事務所で,横坑底部のコyクリートのクラックを測定した資料        (9)

(10)

 56         高知大学学術研究報告 第12巻  自然科学 I 第4号 によると,上記のクラックは130ミリとなりさらに38年3月30日には143ミリとなっている.またこ の地点での測定当時の湧水は18Z/minに達しているが,他からの湧水は非常に少なかったとのこと である.また37年7月10日の測定の際に,このクラックの他に,坑口より46m (7ミリ), 59mC10 ミい,62m(9ミリ). 72m ( 1ミリ), 85.3m (8ミリ), 90.4m (20ミリ), 94.8m (12ミリ), 96.9m (8ミリ)の多数のクラックか測定された.  この横坑方向の断面を考えると,地すべり面は,地すべり,地の上端部の地表面(約220 m)に生 じた大きいクラックと,横坑側壁の92mに露出する断層および坑口付近の垂直ボーリングの地下 35m内外の破砕帯をスムースに結んだ線と考えるのが妥当の様に思われる(第6図).  この地すべり地塊は,既述のように主として頁岩よりなり,地層は相当擾乱しており,試錐によ れば地表面から相当深部まで風化か進んでいる部分もある.また地層の走向・傾斜はN30°∼33°W ・30∼55°NEで,地形的に流れ盤の状態にあり,また斜面全体の傾斜も平均30°をこえ不安定な状 態にある.  本地区の地すべりは,この様な地質条件下にある岩盤が,ダム築造による貯水によって,その下 部が水没したため著しく坑剪強度を減じ,既述のすべり面を境いにして激しく活動したものであろ う.また,37年6月乃至7月以降のこの地すべり地塊の再活動並びに隣接地域の著しい・クラック  (第5図,クラックのNo. 2, No. 3)の発生は,37年の長雨および本年度の融雪と長雨によって, 前記地すべり地塊のすべり面の粘土層に地表および地下水か作用してその凝集強度を著しく減少し だのが,直接的原因であろう.隣接地区の新しいクラックは,表土層(この辺に分布する段丘堆積 物,風化基盤岩類を含め)のいわゆる表層地すべりと予想されるが,その当否は今後の観測にゆず りたいj  2.栗ノ木地区 本地区は,一見新潟地方の第三系の地すべり地を思わせるゆるい谷ぞいの緩傾 斜地で(PL. 4, Fig. 1)で,傾斜は標高285mより220mまでが20°■ 220mから92m (県道地並) までか10∼15°を示す.この地すべり地の巾は約150m,奥行は約650mにおよぶ狭長な地区である  (第7図).大地の地すべりとほぼ時を同じくして,栗ノ木地区の付替道路にクラックが発見され, ひきつづき県道上部の部落地区に多数のクラックが発見されて,上記の地すべり範囲が判明した.      昭和33年12月頃に発生したクラックと、  /……∼、同クラックによって推jrされる地す͡川範囲(点線) ●●.     ゛`       九

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第7図 栗ノ木地区・の地すべり範囲        (10)

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(11)

ろ・ア 5 0 0 m 50岬 4 0 0 3 0 0 2 0 0 1 0 0 第8図  栗ノ木地区の試錐で推定された地すべり面   (樋口・設楽・久保, 1960,による.一部省略) 0 部落民よりのききこみによると,頂部のクラックは12月6日頃,家の狂いは11月末頃から気付いた との言があった.  この地区は水田かよく開け,地質の観察を困難にしているが,試錐記録によれば,薄いところで 1m,厚いところで10m内外の崩土が分布し,明らかに崩土の地すべりと推定される(第8図). しかも一様にすべるのではなく,部分的にすべるので,多数の亀裂を生じ,これらが総括されて広 範な地すべり地帯となっているようである.  この様な地すべり現象は,決して珍しいことではないが,本地区では,さらに基盤岩類の性質が 大きく影響している様に思われる.すなわち県道にそう露頭の観察によれば,基盤岩類は頁岩を主 とし砂岩を挾在するが,地層は著しくもめて,風化の進んだところでは土質化している(PL. 4, Fig. 4).これは後述の坂石断層によって地層が著しく擾乱しているからであって,広義に解釈す れば本地区の基盤岩類は,前記断層の破砕帯と云えるであろう.従って水田耕作の多い本地区で は,地表からの風化作用と相まって,基盤の土質化か進み,その一部はこの地すべり,に参加して いる様に思われる.また,既に中村慶三郎博士も指摘しているように(12),この地すべり地区の頂 部には,明らかに過去の地すべりによる古い段落ちの微地形があり,過去にも地動のあったことを 示している.従って33年12月にはじまる地すべりが,ダム湛水によるかどうかは決定的に云えない が,ダム湛水による地下水位の影響があったことも誘因として否めないであろう.本年9月にはじ まる本地区の下部の再活動は,本年の融雪と長雨が直接の原因と考えられる.  ろ.坂石地区 本地区は,いわゆる典型的な地すべり地に属するか何うか疑わしい.また推定地 すべり地区の表土(崩土)堆積物は約5m内外にすぎない(PL. 4, Fig. 5).  筆者の観察では,同地区の基盤は,著しい断層破砕帯で,岩石は構造的に,また風化作用によっ て著しく脆弱化し,土質化している.この断層は,坂石小学校付近より坂石部落を通り,前記の栗 ノ木地区の南縁を通る断層で,地質学的の意味は現在未詳であるか,破砕帯が著しく,土木地質上       (11)

(12)

 ろ8         _直包大学学術研究報告 第12巻 ・自然科学 I 第4号 ・ 問題になるので,便宜上坂石断層と仮称する.また本地区の山腹斜面が平均30°をこすことも本地 区を不安定にしている素因の1つである.  次に地すべりの直接の誘因と考えられるのは,付替道路のための山裾のカッIトに起因すると推定 される33年12月7日の山腹の崩壊(道路ぞいに約40m, PL. 4, Fig. 5の右側の石張工の部分は同 崩壊あと)を直接の原因として,前記の軟弱な岩層よりなる山体の均衡が破れ,小規模な地動を招 いたものと推定する.この場合,ダム湛水による地下水位の変化が或程度影響しているかもしれな い.また今後,緩慢な地すべりの可能性も予想される.   (附) 地すべり対策  関係当局によって処置された地すべり対策について簡単に付記する.  大地地区では,地質調査を兼ねた横坑(100 m)によって,地下水の排除に当った.また結晶片 岩地帯で成果の多いいわゆる中理論(9)による水平ボーリング(140m)による地すべり面下の被圧 地下水の排除を計ったか,本地域のような古生層地域では効果がなかったようである.一般に,34 年5月以降,本地区の地すべりは停止したと考えられたので,その他特記する様な対策は実施され なかった.  37年6月乃至7月以降の地すべりについては,大洲土木事務所によって,土木工学的な工法が種 々講じられている.  栗ノ木地区は,排水工法として排水ボーリングエ・排水暗渠工および排水溝工の諸対策が施工さ れた.  排水ボーリングは15∼50m程度の水平ボーリング113本,総延長1,192.65mで,このうち約3割 近くが常時地下水の湧水があり,多いものは20Z/minの排水量かおり,相当の効果かあると思は れる.  38年9月頃にはじまる下部地区の地すべりについては,現在関係当局によって検討中である.  坂石地区は,排水横坑(20m)および排水ボーリングエおよび排水溝工かつくられた.  排水のための水平ボーリングは30∼50m程度のもの61本,総延長1815mを行ったか,排水量は常 時あるものは数本にすぎないが,降雨後は何れも相当量の湧水があり,効果をあげていると思はれ る.また中理論による220mおよび240mのボーリングか行はれたが,効果は認められなかった様で ある.またこの外地すべり地の突出部の約1980m3の切取によって地すべり地塊の安定が計られた.        IV  結     語  鹿野川ダムは,愛媛県肱川の河ロより約35km上流にあって,秩父累帯北帯に位置し,またダム 地点の南方約6kmに黒瀬川構造;ほか走るなど,地質学上極めて興味ある地点である.  ダム地点の地質については,ダム着工までは関係当局で比較的楽曝視していた箇所であったか, 岩盤掘削に,あたって地質は予想外に不良であり,基礎掘削量は当初の計画ffi (102,78C .m3)‘をこへ て総量115,000m3に達した.また昭和33年10月末に中間湛水を行ったか,12月中旬より湛水池周辺 地域の3ヵ所(大地・栗ノ木・坂石)に著しい地すべりを生じた.これら各地区の地すべりの原因 について,地質的にみれば多少の相違か認められる.本文は,ダムサイトの地質並びに湛水池周辺 の地すべりについて,地質学的な考察をまとめたものである.        参 考 資 料* 並 び に 文 献 (lj 鈴木達夫(1930);.7万5千分之1卯之町図幅及び同説明借 * 工事か終ると関係資料か散逸する場合が多い,また部数が限られているので,第三者か資料を入手するこ  とは困難な場合か多い.筆者自身の当局に提出した原稿も謄写されたもの以外は現在その所在を明らかにす  る事は出来なかった,調査当時,筆者か目を通す事の出来た資料をここに附記しに後日の参考とする.       (12)

(13)

ろ9 (2)平山健・片田正人(1952) ;愛媛県肱川ダム地点地質調査報告(地質調査所月報第3巻,第8号) (3)日本物理探鉱株式会社(1953) ;肱川綜合開発調査鹿野川堰堤弾性波式地質調査報告書(謄写) (4)甲藤次郎(1956) ;愛媛県肱川水系鹿ノ川堰堤地質調査報告書(謄写) (5)甲藤次郎(1956) ;鹿ノ川堰堤仮排水トンネル地質調査報告書(謄写) (6)石井健一・甲藤次郎(1956) ;愛媛県南部鹿野川周辺の地質(原稿) (7)甲藤次郎・須鎗和巳(1956) ;物部川盆地の再検討(四国秩父累帯の研究−vu)(高知大学学術研究報告第  5巻,第23号) (8)甲藤次郎(1957) ;物部川永瀬ダム地点の地質(土木地質に関する資料一其の1)(高知大学学術研究報告  第6巻,第27号) (9)中 茂樹(1958) ;地下構造と水脈(徳島県砂防協会) 帥 徳田秀雄(1958) ;鹿野川ダム基礎岩盤処理について (11)甲藤次郎(1959) ;鹿野川ダム貯水池(肱川)流域の地質調査(原稿) ㈲ 中村慶三郎(1959) ;鹿野川ダム上流地辻調査報告書(原稿) ㈲ 岡崎寿彦(1959) ;水比抵抗測定による地すべり調査について’(第1報)(高知大学学術研究報告第8巻。  第32号) ㈲ 中川衷三・須鎗和巳・市川浩一郎・石井健一・山下昇(1959) ;黒瀬川構造帯周辺の地質(徳島大学学芸  紀要,自然科学,第9巻)       ● ㈲ 川口正弥(1960) ;地辻地帯の電気探査について(!)(ニヒ木技術第15巻,第7号) (旧 川口正弥(1960) ;地辻地帯の電気探査について(2)(土木技術第15巻,第8号) (勁 樋口哲司・設楽武久・久保光(1960) ;鹿野川ダム貯水池周辺の地辻りについて(謄写,四国地方建設局。  第3回管内技術研究会論文集) ㈲ 建設省鹿野川ダムエ事々務所(1961) ;鹿野川ダムエ事報告書(謄写) ㈲ 近藤信興(1961) ;愛媛県肱川沿岸地すべりについて(地質調査所月報第12巻,第10号) 脚 愛媛県(1962) ; 10万分之1愛媛県地質図及び同説明書 剛 日本物理探鉱株式会社(1962) ;応喜27号弾性波式地質調査縁告書(胎写,大地地すべり地区) (13) (昭和38年9月28日受理)

(14)
(15)

PL. 1

Fig. 1.右岸袖部(昭32. 5. 27撮.川床部凹所はNoン6ブロック付近の破砕帯で,掘削後は   プレパクトエ法によって施工された)

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PL. 2 破裂e附サごVにFjIe漂こ︰匈 4.J﹄ ︵蝉Lz -g -JCBii︶薇一葦世側 べ.ぶ﹄ 宋洽咎醍些9卜・・一︰一臍趾旋網e百綱11﹁臼写辺9べ垢翁縦世伺丿気 .﹁j4 W . 呼 皿

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(19)

PL. 3  ︵躍りこ函Ξ・︲・。?。Z似へ・脂 べ旦胴一。映︶φ挺圀りごこ一。一に︰yにJ 箪淮2凶賀∼ぐ4  賀。賀べ 。心。切ぷ       ︵喫些︶回∼ぐ卜 り卜一︰[・・膜趾︵型葦︶Eぶ球婆 r り   必 ・ − 叫  ︵≫r8'9CBll︶   6f-^f/---l米ri・.'2)TiH -fi <f /^ n G)Ui303 £嵯R s'tKui68 wnm邱 .s -^id         ︵諧包心エχ・7心y、Q5 SP)詣瓶︶尽邸座忿e諮居fjlを伺璋渉べ .lj﹄      ︵≫6 -c -Km⋮⋮E。。。冥細挺︶ φ物部裂米・﹃。﹁‘・趾辺︰一−e凶'moi>-4-  瑕、貿べ 馴頌e凶fKa5-4-tiVf。貿氷 。1 -^\d ・ j 。       -S m

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Fig. 1. 栗ノ木地区の地すべり地全景(点線は地すべり範囲) ゛igム  同地区下部に昭和38年9月の再活動で生じた ち Fig. 5.坂石地すべり地区の全景(点線は      クラックの位置) PL. 4 Fig. 2.同地区上部の宅地に生じたクラ  ック(昭. 34. 3. 8撮) Fig.4.栗ノ木地すべり地区周辺のもめた基   盤岩類(ひきちぎれた砂岩ともめた頁岩)

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Fig. 1. 栗ノ木地区の地すべり地全景(点線は地すべり範囲) ゛igム  同地区下部に昭和38年9月の再活動で生じた ち Fig. 5.坂石地すべり地区の全景(点線は      クラックの位置) PL

参照

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